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腐らせてしまったもの

「十分、遊んだんだから」

「・・・けじめつけなさい」

楽しいと感じたり、あるいは少し休んだりすることは
「本当はいけないことなんだ」と思っている自分がいて、
どうしてこう自動的に考えてしまうのか?

思い出したのが、親がよく言っていた
このフレーズだ。


「十分、遊んだんだから」に続く言葉は、

けじめをつけなさい、だったり、
いい加減にしなさい、だったり、
シャンとしなさい、だったりした。

わたしの親は、遊んでいるわたしに対して、遊びすぎだとか、
そんなことしていないで勉強しろとか、言ったことはほとんどない。
遊んだり、ゆっくりしていて「叱られた」という記憶がないのだ。
むしろ、毎週遊園地や遊びに連れて行ってくれるし、
わたしが遊んでいるところに割りこんで「何してんだっ!」と
妨害してくるようなことは、記憶には残っていない。


なのに、なぜわたしはこんなにも
「楽しむ」ことに、不信感や恐怖があるのか。


実際、たとえば誰か他の人が、何か楽しそうにしていたり、
「楽しいです」と言っているのを見ると、反射的に、

「楽しいなんて、本当はうそでしょ。いい子ぶっちゃってさ。
偽善だよ。そんなことしていたら、すぐバチがあたるよ。
痛い目にあうに決まってる。せいぜい、今のうち、
そうやって笑っていられるのは」

と思う自分がいる。

他人に対して思うのだから、
当然、自分に対しても思っている。


〝楽しい〟


を、目の敵にしている。


どうしてここまで「楽しい」という感情を
おとしめるようになったんだろう・・・?

「調子にのるな」と言われるのがこわい、
という恐怖は、もちろん、原因の一つだったろう。

小学生の頃にとったVTRのワンシーンを思い出したのだが、
父の友人のOさんの家で、わたしはビデオ撮影していた。
ゆったりすごしている父を録画していた。


すごーく笑って、こっちを向いている。


わたしはたぶんズームとかしたかったんだろう、
ボタンを探してあれこれ押そうとしていると、
映っている父の顔色は急変した。


「余計なことすんなよ、Aby」


顔色を言葉で表現するのは難しいが、
この言葉を発したときの父の形相と口調は、
注意をうながすというレベルをはるかに超えていた。
あれは、「威嚇」であり、殺意すらあった。
場合によっては殺すよ、という迫力。
少なくともあれは、自分の子どもに向ける顔とは
到底、思えない。


楽しいとか、ほっとするとか、
きっとあっという間にすっとんだに違いない。


この恐怖感、いつ「おいっ」と言われるかわからない恐怖は
強くすりこまれている。


ただ、これだけではどうも、しっくりこないものがあった。
だとしても、楽しいという感情と、ここまで「仲悪く」
ならなくてもいいような気がしていたからだ。

警戒するようになったのは、なぜ?
そして、自分は真顔だよ、ニヤニヤしていないよ、
まだ不幸なまま、こんなんじゃダメだダメだと、尻をたたくような
パフォーマンスをするようになったのは、どうしてか?


「十分、遊んだんだから」

「・・・けじめつけなさい」


この言葉を眺めているうちに、
これってかなり有害な文句ではないか、
と思い始めた。


これでは、いかにも
「本当は、遊んでいたのはいけなかったこと」
のようではないか。


存分に遊ばせるだけ遊ばせる。


問題はここからだ。


「十分、遊んだんだから・・・」

この「・・・」のニュアンスを思い返してみると、どれも共通するのは、

「十分、遊んだんだから・・・元に戻りなさい。正気に戻りなさい」

という、そういうニュアンスだ。


あなたが今やっていること、やっていたこと、感じていたことはね、
それ〝本当じゃない〟から、オアソビだから。
わかるわね、Aby。ここからが、あなたの本当のやるべきことよ。
けじめをつけなさいね。



これが、親の本当の言い分だ。


遊ぶなとも言わず、遊びを力づくで中断させることもせず、
声を荒げず、手をあげず、親都合の世界に引き戻す。

そこでわたしは暴れたりした記憶はない。
言われるままに、「はい」と返事をしたのだと思う。
最初、これはそれこそ、父に威嚇されるのがこわいから
先手をうっていい子になっていたのかと思っていたが、
きっとそれだけじゃない。

わたし自身が、完全に親の言い分を受け入れてしまっていて、
楽しいとか遊ぶとか、そういうのはどこか
「いけないことなんだ」と、わたし自ら、思いこんでいたから、
ということも、かなり大きいのではないだろうか?


その証拠に、「させられた」感がない。


わたしの両親の猛毒さは、いつも思うのだけれど、
「強制された感」をまったくわたしに残さないのだ。
だから、わたしは自我復元を始めるまでは、
自由で、この上なく恵まれた家庭環境に育ったと
本気で思いこんでいた。
(なのに、自分がどこにもいないこの生きた心地がしない、
きっと死ぬとき後悔するような人生は一体なんなんだ、と思っていた。
つまり、親の計画通り、親免罪、完全犯罪まであと一歩のとこだった)


わたしが日常生活のなかで、この
「本当はいけないことなんだよね」と
強く感じる代表的な時間は、散歩の時。

季節の花が咲いていれば、近寄って香りをかぐ。
一息ついてほっとする。

そして必ず、

「本当は、ダメなんだよ」

という声が、毎回毎回、くっついてくる。


「はい、休憩おしまい」

といった感じだ。


まるで刑務所のなかで、ピーとなったら即終了、
元に戻れ、早くしろ!というのと、感覚的には変わらない。

たぶんこれは錯覚じゃないと思う。
きっと、毒親は目を光らせ、看守の笛を得意げに
「ピーッ」とやっていたに違いないのだ。違和感がない。


休まるときが、なんだか、ない。

楽しいことも、とくに、ない。


これはよく感じた感覚だったけれど、
それも当たり前だと思った。
いくら遊びとはいえ、存分にあてがわれた上に、
親から「そんなのは」呼ばわりされて、格言世界のような
親都合の世界に誘導させられて・・・繰り返しているうちに、
ついには、自分から「あんなのは」呼ばわりするようになって、
楽しい感情も、休まる安堵感も

「いけないもの」

に、自らの手で、仕立てあげてしまった。

ところが、いくら「いけないものだ」と言ったところで、
楽しいのは楽しいし、ほっとする気持ちも確かにある。
こういう一次感情は否定できないし、
本当は否定したくない。


楽しいという気持ちが生じてから、
わたしがいったいどんな行動に出るのか、
しばらく観察を続けてみた。


「楽しさを、失いたくない」


楽しいと感じたとき、
その後、尾をひく思考はこれだった。


これはわたしは当たり前のことだと思っていた。
誰だってそう思うんじゃないか、と。

でも、ふと、いや違うぞ、と思ったのは、これ、
「また楽しめばいい」という選択肢がないから思うんだ、
ということに気づいた。


また楽しめばいい、という選択肢がない・・・


そしてはっと思ったのは、結局、わたしは親から
「楽しさ」をとりあげられたのだ、ということ。
「また楽しめば」の「また」は無い、と思ったのではないか?


VTRのなかで、父の友人のOさんが
「もう疲れたから帰ろうよ~」に対して、わたしたち子どもたちは
「いやだ~。まだいるっ」とか言っている。
なのに、父と母が「そろそろ帰りますよー」の一言で
(とてもやさしいそうな声音だが)、子どもたちは、
せっせと帰る準備をする。


ああ、こうやって、楽しさ、遊びは

「わかりにくい形で」

とりあげられてきたのだ、と思った。


いくら「いけないことだ」と言われても、楽しいのは楽しい。
いけないことだと自分で思うようになっても、もっと遊びたい。


もっと遊べばよかったんじゃないだろうか。


「また」遊べばよかったんだ。


楽しいことの後は、「ちゃんときりかえて」シャキッとしなさい、って、
まるで楽しいと感じたり、遊んだりするのが、悪いことかのように、
その「1」悪いことをしたら、早く元に戻って「10」努力しなさい、
みたいな雰囲気が、ごく普通にあった。


親が刷り込んだのは
きっとこういうことだ。


遊んだり休憩したりして、
楽しいと感じたり安堵するのは
本当は、いけないことなんだ、

だから、

早く元に戻りなさい。
本来のあなたがやるべきことに戻りなさい。
いるべき世界に戻りなさい。
けじめをつけなさい。ちゃんときりかえなさい。


結果、わたしはどう思ったか。


わたしの世界だった「楽しい世界」はウソと言われ、
誰の世界だかもわからない「親都合の世界」が
本来のわたしの世界なのだ、思いこんでしまった。
リアリティーがまるで逆転してしまった。


「あなたの感じていることより、
親の言っていることのほうが正しいのよ」


書いてみると、なんと馬鹿げた考えなんだ?
と思うのだけれど、わたしが強い洗脳を受けているのも
たぶん、ここは大きい。

今に至るまで、わたしはその親のルール、
「楽しいと感じるのは、本当はダメなんだ」に従ってきてしまった。
楽しいことをしたら、10倍真顔になって頑張りなさい、みたいな
暗黙のルールがある。そう、「楽しいことの後に楽しいこと」は、
わたしは自分で強く禁じているところがある。
楽しいことの後に楽しいこと、また楽しいことなんて論外だった。

この暗黙のルールについて、
「おかしい」と思ったことがなかった。
みんなもそうしているはずだ、と思っていた。


でも、これはすべて、親の考え、そのコピーだ。


もしも自分の気持ちに正直に生きてきたら、
「また楽しみたい」と思った局面で我慢せず、そこでやるべきは、
努力するのなら、「また楽しむ努力」をすべきだった。
親の誘導する世界に迎合する努力でなく。

毎週金曜日がお店の休みの日だった。

その度に、よく遊びに連れていってくれた。

金曜日、というのは夢の曜日、
どの曜日の中でも素敵な響きを持っていた。

・・・などと、子どもの頃はありがたく思ってきたけれど、

たったこの半日のエサで、残りの6日半、その週、
親都合漬けに出来たのだから、誰が得をしたかといえば
親であり、ふざけんな。なにが「よく遊ばせてくれた親に感謝」だよ。

それ以上に、「楽しいことは悪」という意識づけをしたのは、
もっとタチが悪いし、これは許せないと思った。


だけれど、わたしがその後やってきたことは、
そのわずかな一次感情である「楽しい」というものすら

自分の手で


「腐らせてしまった」


ことだ。


これには一切の責任は
わたしにある。


楽しいことをしたい、楽しみたい、そう思ったのなら、
なんとしてでも、そのための努力をすべきだったのだ。
それをすることもせず、わたしがやってしまったのは、

「楽しかったのを、失いたくない」

として、楽しい気持ちを、まるで昆虫採集のように、
ピンでとめて、腐らせてしまったことだ。

どう腐らせてしまうのか、そのプロセスを今回、
じっくり観察してみると、たとえば、
「1」楽しいと感じると、その日限りの賞味期限であったはずなのに、
また次の日もその同じ「楽しい」に執着して、「楽しかったよね」と
確認作業を開始してしまう。また次の日も・・・


・・・これはおかしいぞと感じた。


「楽しさを、失いたくない」


この思考ばかりが尾をひいていた。

もうそのときの楽しさなど、どこにもない。
「1」の楽しさは、0.8、0.5、0.3、と、どんどん薄められていく。
考えてみればそれはそう、楽しい気持ち、感情は生ものだから。
頭ではわかっているつもりでも、なのに、
なんとかその楽しさに自己同化しようと必死だ。
考え方次第でどうにかなる、という思いこみ、思考のくせが、
感情をコントロールしようとしているようだった。

もちろんそんなことはおかまいなしに、
楽しい気持ちはどんどん褪せていき、
どんどん焦っていく。


ここで起こる考えが
最低、最悪だった。


「やっぱり、それほど楽しくなかったんだ。
どうせ毎回こうなるんだ。
楽しいことがよかったことになったためしなんて、
一度もなかったじゃないか」

という考え。

酷い。これじゃあ、感情殺しのうえ、
「これでいいんだよね」という承認道具にまで
蔑んだ扱い方。(・・・仲悪くなって当然だ。)

味の無くなったガムを未練がましく噛み続けて、
さすがに捨てたくなるやいなや
「このガムあまり美味しくない。買わなきゃよかった」
と言って納得しているのと同じくらい、どうしようもない。


こういう考え方をさらに自分で正当化するために
いつも浮上してくる、きわめつけの文句は、


「こんなことしてどうなるのか」


敗北した思考の言い分。
マジで格好悪い。醜態をさらしているだけ。

だけど、こんなことを、ずっとずっとやってきたんだ。
自分の意思を持とうとする努力もせずに。
やれ顔色分析、やれ感情標本・・・どれもこれも惨敗してるじゃないか!


楽しい、といった一次感情だけじゃない。


うれしい、とか、よかったとか、そういう気持ちも
こうやって、

「やっぱりね」

とか言って、「本当はよくないもの」にしてしまったのは、
わたしだった。


「やっぱり」って、やっぱりなんだよ?
「やっぱり、親の言うとおりでした」ということじゃないか。
親の言い分を弁護し、自分の一次感情をおとしめてきてしまった。
標本にして、その楽しさを腐らせてきてしまった。


標本にしよう、としたのはなぜ?

「また楽しめば」の「また」は無い、と
思ったから?

こうしておけば、楽しさは続いてくれるはず、と
思ったから?


違う。それは言い訳。


もっと遊びたい、また楽しみたい、
それを言わずに我慢したからじゃないのか。
その都度その都度、新しく楽しむ努力を
おこたって、我慢を正当化したからじゃないのか。


親が「いけないことだ」と言ったのを鵜呑みにし、
陰でこそこそしている。


そう、わたしはいつもこそこそしていた。


楽しんでいるとき、休んでいるとき、遊んでいるとき、
なぜか、こそこそ、こそこそしていた。


なぜ堂々と遊ばない?


楽しむのが怖い?

それは調教由来だろう。そうかもしれない。


でもそれは、逃げる理由にはならない。

怖いから、じゃあ、やめるのかよ、という話だ。


楽しんで、楽しんで、楽しんで、「調子にのるな」と言われたら、
反射的にビビッておしまい、じゃなくて、たとえビビッても、
自分のために、自分の頭で考え、自分の言動を選択し、
自分で責任をとればいいじゃないか。

楽しんで楽しむ、という最低限の楽しむ努力もしないで、
こわいから、とか、どうせ、とか、いくら毒親がそっちへと
誘導し、調教し、騙し、脅したとしても、


ついていったのは誰、

言いなりになったのは誰、


その親の言い分を鵜呑みにし、その後も擁護し続け、
自分を殺してしまったこと、楽しいといった「感情」を
腐らせてしまった責任は、わたしにある。



2014.05.11
Aby



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# by jh-no-no | 2014-05-11 02:42 | 復元ノート 1

依存のたびに繰り返した曲解

初回の自我判定依頼からちょうど一年がたち、
今までも度々読み返していた依頼文だが、
もう一度、読み直してみることにした。

「苦痛を回避すること」

苦痛を避けたい。

これについて、以前は疑問に感じることがなかったのだか、
このわたしの元々の動機に、今回妙にひっかかった。


苦痛を避けたい、避けたい?


これは当たり前のことだろうか?
一年前は、当然のことだと思っていた。
だから、何度読み直しても、そこにひっかかることはなかった。


はなから、わたしは逃げていたのではないか?


「たたかいたくないから」


罰する人がいない世界、罰せられるようなことがない世界、
わたしはそれを「拷問のない世界」というふうにも書いていたが、
そういう世界を望んでいる、と書いている。

自我復元をすれば、そういう世界に行ける、
そういう世界を選べると思っていた、ということか?

だとしたら、それは、間違っている。そう感じた。
きっとそれは、自我復元に取り組む姿勢そのものが、
大きく歪んでいるんじゃないか?これでは、わたしは、
最初から「自分を守らない」と言っているようなものだ。

「罰するような人がいない、こわいことがない世界に行ければ、
絶対に安心だよね」と言うヤツと、わたしは取引をしてしまった。
そして、わたしが自分自身を守らなくてもいい、
死守しなくてもよかったことの言い訳や正当化のために、
自我復元を利用したことになる。

そう思って読み返してみると、依頼文自体が、
ずっと恐怖に背を向けてきたAC人格との取引交渉
そのものではないか。


世界が悪いんだよね。
こわくない世界に行ければ、何の問題もないよね。
そうすれば、あなたはあなたらしくいられたのにね。
あなたが自分が主人公で生きられなかったのは、
しかたがないことだったんだよ。こんな世界だったんだから。
だから今度こそ、失敗しちゃダメだよ。
絶対に安心な世界に移動できるように。
自我復元、やってみたらどう?やるべきだよ。
ここでやらなかったら、


「もっとこわい世界に生まれてしまうぞ」


という取引。


(それに、そうだった、わたしが分割自我復元法を知ったのも、
「バナナを創った宇宙人」を読んだことがきっかけだったのだけれど、
ではなぜ、バナナを創った宇宙人を購入したか、というと、
情けないことに、サイトに掲載されていた目次のなかで、
「惑星で絶対にやってはならない事」とあり、それは一体何なのか、
どうしても知りたかったからだった。「わたしはそのやっていけないことを
すでにやってしまったのではないか」と。出だしから、これだった。)


ここで自我復元をやらなかったら、
もっとこわい世界に生まれてしまうぞ・・・


わたしはこの恐怖から自我復元を始めてしまった。
自分を裏切らないとか、自分が主人となって生きていきたいとか、
そんなふうに書いてはいるが、「その目的」は何だったのか?

それはやはり、
こわかったから、だ。

「今、やらないと、お前を処罰し、苦しめるような世界に
生まれてしまうことになるぞ」という脅しに屈して、
自我復元を悪用してしまったんだ。

おそらくその時も、「なんとかしたくて」始めたことは
たしかだけれど、この「なんとかしたくて」というのは、
非常に曲者だ。先日もあっと思ったことがあった。

わたしの場合、「なんとかしたい」と思うときは、
「なんとか上手く逃げたい」という意味だった。
なんとかしたい、という反応が起こるやいなや、その時点で、
目の前の事実にすでに「背を」向けている。
というか、もう逃げ始めている。
恐怖の対象、その相手の言いなりに従ってしまった「上での」言動。
これが、わたしの場合、いつも、その「なんとかしたい」だった。

そここそ、たたかうべき場であったのに、
たたかってこなかった。
自分の意向を曲げてしまう裏切りの犯行現場であるのに、
そこでなんとかしようとするのは、つねに罰を恐れ、
自分の上に誰かを置くことを許し、その誰かの顔色をうかがい、
それに従って行動することを「よし」とするAC人格だった。

「たたかわなくていい理由」を探していた。
それは、わたしがわたしを守らなくてもいい理由、ということ。
守らなくてもよかった言い訳。


さかのぼって考えてみることにした。


二十歳になる少し前から親元を離れ、
わたしは何に依存してきただろうか?

思い返してみると、二十歳前後、音楽に興味を持った。
音楽にはまった、というか、わたしははじめて何かに「はまる」
という状態を経験した。たしか妹が友だちから借りたとか何かで
尾崎豊のCDをきいて、わたしはモロ、はまった時期がその頃だった。

ただ好きだったからきいていた、と思っていたが、
いや、これは違うぞ、とつい最近になって気づいた。

ここ数日、自分の強迫観念を列挙しノートしているのだが、
その中で一番気になったものがあった。
それは、

「わたしは不幸であるはずだ」

というもの。

不幸であるべきだ、不幸でなければならないとすら、
考えているふしがあった。

たしか自分ルールでも確認した思いこみではあったのだが、
それ以上自問せず、そのままにしていたものだった。

もう一度、なぜこう思っているか問い直してみると、
どうやらわたしは、今の自分が最低なら、
これ以上不幸になることはない、これ以上苦しいことにはならない、と
「思いこめる」と考えているところがあった。

そう思いこむために、尾崎豊の歌やパフォーマンスを
わたしは自分の都合のいいように曲解し、
論理武装の道具として、利用してしまったのではないか?

考えてみると、そこが親元を離れる境目の現象で、
父も母も彼の歌が好きだった。
またわたしは彼の曲をカラオケで歌うのも好きだったから、
身体感覚としても、ピシッとハマった気がした。


これをあてがった、というか、これにつながるような
調教由来の影響がないかどうか、元をたどってみた。


父の自慢話を思い出した。


父はいつも、「自分は何もできないダメな人間なんだ」といいながらも、
なぜか最後は、「これ以上、落ちるところがない、失うものがないというのが、
実は一番強いんだ。だから、パパはすごく臆病だけど、無敵って言えば無敵」
といった話をよくしていた。自分はダメだ、と言っておきながら、最後は、
自分は世界で一番強い、というオチ。へんな不幸自慢。

音楽にはまった直後、
わたしはその「音楽」の分野で
Pさんと出会った。

それからしばらくして、わたしが24か25の頃、
無明庵の書籍と出会った。

悪用してしまったのは尾崎豊だけでなく、
無明庵の書籍もこういうふうに悪用してしまっていたことに
今になって気づいた。

時期としては2年間くらいに渡り、没頭して読みふけた。
そして、その当時、わたしは書かれていることを
こう曲解をして、自分の都合いいように解釈した。


「最低がやっぱりいいんだ」


と。何も持たない、何もわからないこと、
これが一番の安心で、こわいものもなく、無敵なんだ、と。

他にもその数年は、はじめて精神世界というジャンルを知り、
クリシュナムルティや和尚の書籍を読んでは、
同じように曲解し、論理武装をした。

ただ、無明庵の書籍を10冊近く読み続けるうちに、
「最低がやっぱりいいんだ」と思いこもうとしても、一方で、
わたしが「これでいいんだよね」と考える論理武装は、ことごとく否定された。
そこにリアリティを感じつつ、無明庵にひかれつつも、結局わたしは怖くなって、
「わたしは悟りとか無とか、手を出す資格なんてないんだ・・・」と
自問することからも逃げた。

完全に逃げるならまだしも、
わたしは、どこかで「最低こそ絶対の強さ」のような考えを
手放すまいとしていた。

「やるべきことをやろう、やり残したことをやろう」

そう言ってさらに利用してしまった(依存してしまった)のが、
Pさんだった。

無明庵の書籍から離れた頃、わたしは学校をやめた。
父親似の気狂いの教師の脅しに屈したからだった。
たたかわず、わたしは逃げた。
タイムカード不正事件のときのように、
わたしは逃げた。


「もうわたしには残されたものはない。
別にやりたいこともない。やっと自由だ。」

と言って、人生最大の過ちを犯した。

「自分のために生きるのをやめよう。
自分は捨てよう。これからはPさんのために生きよう」

この考えを支えていたのが、やはりここでも

「最低なわたし、不幸なわたし」

というものだった。ここに絶対の安心を求めた。
自分の欲を捨て、自分なんていなければ、
これ以上、失うものはない、と。

そこから、このブログにも書いた通りの
「おじろく時期」が7、8年続くことになった。
Pさんとの結婚は、そのピークにあたる。
そして、2008年頃からその依存関係すら不安定になり、
わたしはもう一つ、新しい依存先を見つけた。

これも、一学問として関心をもっただけだ、と
思っていたのだが、それも違った。


「フェミニズム」や「ジェンダー論」に
わたしは興味を持つようになった。


なぜはまったのか?


当時はまったくわからなかったが、
考えてみると、同じ流れの中にあったことに気づいた。
フェミニズムやジェンダー論も同様、
自分の都合のいいように曲解した。

「女性が生きにくいのは、社会のせいだ。
女性差別というものを容認しているのは、この社会だ。
女性が最低な位置に置かれているのは、その人のせいじゃない。
この社会がいけないんだ。生きにくいのは、あなたのせいじゃない」と。

問題なのは、それに対してわたしは、

「だから〝最低〟なのは、しかたがない。
そこから抜けられないのは、しかたがない」

と考え、その人がもともと持っている力である
エンパワメントという概念を悪用し、

「その最低として生きることは苦しいけれど、
そういう最低の状態を生き抜いてきたからこそ、
それをはねかえす力を持っている」

と言い、わたしはその


「最低であり、不幸であること」


を正当化し続けた。それは価値があると。


誰のためだったのか・・・


わたし自身のためだったのだ。


無自覚にも、わたしは利他と称し、
そういった学問を基盤とした活動や仕事をし始めた。

その頃から、わたしはいろいろな女性グループに顔を出し始め、
「自分は本当は女性なのだ」と思いこもうとした。

その当時は本当に「わたしは何かの間違いで男に生まれてしまった」
と思いこんでいたので、「これこそ本当のわたしだ」と思って、
本気で女性のつもりで街を歩いた。それが心地よかった。
どの女性グループからも、なぜか、
「Abyさんは男の人って感じじゃないから、どうぞ」と言われ、
歓迎されたと思い、「間違いじゃなかった」と思いこむに至った。

最低な位置を強いられても
それでも強く、歯をくいしばって生きる姿に
わたしはグイグイひかれていった。

わたしは自分が男性であることを嫌った。
だから、わたしが女性が好きな気持ちは
女性が女性を好きな気持ちに違いないと思ったから、
レズビアンの人たちのグループにも参加し、
こんな落ち着く所があったのか、、、とその度に感じた。

そして、女性の生きにくさについて、
徹底的に勉強もした。

母親という立場にいる女性も、この社会で
「生きにくさを抱えている」という意味で、
わたしは彼女たちと接することも強く望んだ。
さらに、女性であるがゆえに様々な被害を受け、
苦しんでいる女性の話を直接、対面できいたり、
接する機会を増やしていった。

わたしがやってきた「内職」というのは、
まさにこれにうってつけの場だった。

苦しい話をいろいろきいて、わたしはそれに共感しようとすることで、
その方々の不幸や苦しさを知ろうとした。
そうすることで、どこかわたしも「最低で不幸に」なれた気がした。

わたしこそ、不幸自慢をしていた。

AC人格のなかでも、そいつが出てくると、じんわりと
すごくいやーーーな感じがするのが「何でもバカにできるんだぞ人格」だが、
ふと、わたしは何を自慢しているんだろうか?と考えると、
最初はまさかと思ったが、不幸自慢をしていることがとても多い。

「あの人のその不幸、その苦しさ、わたし、もう知っている」

とそんなことで自慢したがっているわたしがいる。
だから、誰かが笑っていたり、楽しそうにしていたりしても、
「よかったね」の一言で一蹴してしまうのに、
誰かがつらそうな顔をしていたり、苦しんでいそうなら、
わたしは意気揚々と「なに、なに」と乗り出すのだ。
「わかるよ、わかるよ」という上から目線がしゃしゃり出てくる。

他人の分析に乗り出すのも、考えてみると、
いつも「その人がいかに不幸か」ということばかりだった。
「こう見えるけど、本当はつらいんだよ。笑っているけど、
こういう我慢をいつもしているんだよ」という話題ばかりに
スイッチが入った。ほぼ反射的に。


そういうなかで、わたしに近づいてくる人もいれば、
遠ざかる人もいた。


どういう人がわたしのまわりにいただろうか?


わたしのまわりに集まった人のことを思い浮かべると、
その人たちの、共通した「声」のようなものがあった。

それは、


「わたしの不幸に気づいて」


という声。


既存のコミュニティに馴染めず、無視されたり、
仲間外れにされたり、排除された人たちとつながりをもった。
だから、話をきくと、「やっとわかってくれる人に出会えた」
という反応が多かった。不幸探しをしているようなわたしとは、
共依存関係になりやすかった。


わたしが大学生の頃だったか、
父がそういえばこんなことを言ったのを思い出した。


父の話をききながら、わたしは

「お父さんが理解してほしかったのは、おばあちゃん(←父の母)
なんだよね。おばあちゃんに自分のことをわかってほしかったんだよね」

と、たしかそんなことを言ったときに、父は、

「なんていうことだ、ボクのことをはじめてわかってくれたのが、
息子だったなんて・・・妻でもなく、お母さんでもなく、
Abyがわかってくれた。生まれてはじめて、わかってくれる人、ここにいた!」

と言い、おおはしゃぎだったのを思い出した。
わたしは父の不幸に共感を示そうと思ったつもりはなかったと思うが、
結果として父は、「ボクの不幸をこの子が、はじめて、わかってくれた」
となった出来事だった。考えてみると、父も母も、自分の母親から
無視されて見捨てられた、とずっと恨みを持っている人たちだ。


この不幸自慢というか、不幸比べ、不幸探しを
わたしが自動的にしていることに気づいたのは、
先日、散歩をしているときだった。

他人だけでなく、わたし自身が、いつも不幸でなきゃいけない、
ダメでなきゃいけない、問題がある状態じゃなきゃいけない、と
強迫的に思っていて、この強迫観念ってなんだろうか?
と思ったのが、きっかけだった。

そして自分に問題がどんどん見つかったり、ダメなところが見つかると、
それこそ意気揚々とノートしたりして、どこかそれが異常に感じた。
「ダメだったり、不幸だったり、そういうことに気づいたら、
正常な感覚だったら、ショックを受けるんじゃないだろうか・・・
わたしはその都度、どこか安堵しているのは、なぜだ???」

さらに、これに関連して強迫観念のひとつ、
「ムダな時間を過ごしちゃいけない」とは何なのかと、
それを探っていくうちに、その実体に驚いた。

わたしはムダというのが、どうも嫌だ、と思っていて、
では、そのムダとは何なのか?と自問してみた。
すると、「まだ、同じ不幸のままじゃないか・・・」と思うとき、
どうやら、わたしはムダな時間を過ごした、と感じているようだった。
新しい不幸へ、次の不幸へと移っていかないと不安、って何なんだ?

(・・・これは勘ぐりすぎかもしれないけど、
「わたしの不幸に気づいて」という他者の顔色に気づけるよう、
世話役としての自己訓練か何かだろうか?
不幸そうな人の代表格がPさんであり、的確に彼女をわたしが
見つけたとなると、そういう可能性もまったくなくはないかも・・・)


自分のなかに不幸を探す。

次々、探さないと落ち着かない??


不幸を毎日更新、確認しているかのようだ。
まるで不幸中毒患者のように。


自分が最低でいれば、不幸のどん底でいれば、
これ以上、失うものがない状態でいれば、
これ以上、苦しいことはない。だから大丈夫・・・と。

わざと不幸な状態に自分を置いて、
「ほら、大丈夫。まだ大丈夫」と安心を確認している。

自分が不幸ならいいだろう、
自分を捨てちゃえばいいだろう、
挙句の果てに、罰するやつが悪いんだ、
そういうやつがいるから、わたしは自分の意思を
ゆずってしまうんだ、従ってしまったんだ、
そんなやつがいない世界にいけば「万事OK」だろう・・・


なにもかも、わたしが

「逃げたこと」

の言い訳だ。


ならば、やはりそれは間違っている。


どの世界に行こうが自分を守りぬく、
そのために、自我復元をしているのではないのか。
この生で、この社会で、この環境のなかで
自分を守れないような人間が、どうして
どこかで自分が守れるというのだろう。


どういう世界にいったところで、そこで自分が主人公であれないのなら、
「罰のない世界に行きたいのなら、こうしろ、ああしろ」
という命令に従い、怯え続けるに決まっている。


・・・それって、今まで親からされたことと同じじゃないのか?


罰せられたくないなら、死にたくないなら、
こうしろ、ああしろ。そうやって、自分を捨ててきたんじゃないのか。
親の亡霊(処罰者)を自分の上に置き、
その自分の位置に甘んじてきたのは
わたし自身だ。

今ここで、自分を守れなければ、
どこかで守れるわけがない。
そこでしでかすのは、「守らなくていい理由」を
グタグタと言って、自分を守ったつもりになるだけ。


昨日、わたしの今の仕事についても考えた。

仕事の「内容」にばかり、わたしは執着してきた。

だけれど、もっと考えなければいけなかったのは、
そこで、わたしが

どう、あれるか

ということなんじゃないだろうか。

わたしは今まで、目の前のことと、ちゃんと
たたかったことがあっただろうか、
面倒だから考えたくない、とか無自覚に反応し、
すぐに答えを出そう出そうとしているだけじゃないか?
それって、もう逃げてはいないか。
早くそこから離れたいだけじゃないか。
逃げないで事実に向き合っているのなら、
そんな簡単にこうすりゃいいなんて、ないことのほうが多いんじゃないだろうか。


考えるべきことはたくさんある。

たたかうべき局面はたくさんある。

なのに、それを避けて通ろうとしているだけじゃないか?

「だったら最初から従ってしまおう」というのが
打算というやつじゃないだろうか。

「~したから、お前は罰せられるぞ」とか、
相手は威嚇し吼えたいのだろうから、
吼えさせておけばいいのであって、
こちらが一歩でも引く必要などどこにある?あった?
「あんた、誰」と正面から見返してやればいい。
何の権限で、何勝手に決めてんのさ、って
わたしは言い返すどころか、事の最初から
背を向けてきてしまった。

従え、と脅されても、また脅されても、10回、20回、100回と脅されても、
だったら、10回、20回、100回と、NO、NO、NOと最後の最後のNOまで言い続ける。
やれることはやった、と言えもしないそんな逃げ腰で「こわいから云々、、、」って
わたしがわたしを守らなかったことの言い訳にしかならない。

しかも、そんなことをして、いつまでも
ご機嫌をとっている相手は誰なのか、といえば、
毒親の亡霊なのだと知ったとき、
悔しくないのかよ。何度も何度も自分に問いかけたい。

自分を守りに守りぬいた末、どんな結末になろうと
それが、事実、なのだから、今、
腹をすえなくて、いつ、覚悟を決めるというのか。

たたかわなくていい事態を想定したい・・・
これがわたしにとって、「安心したい」の正体かもしれない。
取引の場面で、たたかわなくていい事態など
あるはずないじゃんか。

見逃していい不戦敗、そんなのは、
ひとつもあっちゃいけない。
背を向けてしまう直前、なんとかしようとかするその直前、
そこがいつもたたかう本番だったろうし、
これからも本番であり続ける、と思った。


2014.05.03
Aby


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# by jh-no-no | 2014-05-03 02:46 | 復元ノート 1

ごきげんとり

「自分は盾になっても、他人を守らなければ」
という妙な正義感があって、なぜそう思うか、だけでなく、
本当にそう思っているのか自問すると、
ん??・・・となった。

誰かのために何かをしたい、と本心から
思ったこと、あっただろうか。

誰かを見捨ててしまったり、見て見ぬふりをして
誰かを傷つけてしまうことの罪悪感を薄めたくて、
自己犠牲を選ぶことでスッキリしたい(チャラにしたい)
という強迫観念がその動機であることはあっても、
本心から誰かのために・・・など思ったことは
あるのだろうか。あっただろうか?

自己犠牲し、我慢し、それでもやるだけの価値は
あったのだろうか。なにより、「我慢している」ことは
自分が一番よく知っている。イヤイヤやっている。
誰かのため、とか、自己犠牲してまでも、とか、
そんなこと、本気で思っていたのですか?と
きかれたら、NOになる。

むしろ、わたしは他人にかかわりたくない、
できたらそっとしておいてほしい、
邪魔しないでくれないか、と思うことは
幼い頃からよくあったし、今でもある。

そういう状況が毎日毎日続いてきた。
他人のことなんて、そんな余裕はどこにもなかった。
もはや念仏のように「誰も邪魔しないでくれますように・・・」
と唱えているような日々だったわけだから。

なのに、気がつけば、誰かを、たとえばそれは
家族のなかの誰かだったり、Pさんだったり、
「自分が盾になろう」としてしまうことが多かった。

これが問題だと思う点は、誰かを守る守らない云々よりも
わたし自身が、

「自分は犠牲になってもいい」

と〝考えてしまっている〟点、認めてしまっている点で、
明らかに我慢しているのに(ということにも、なかなか気づけない)、
「多少犠牲になるのは、しかたがない」と認め、
自分でそれを許してしまっていること。


さらに問題なのは、じゃあ、盾になりながらも
相手と戦うのかというとそうでなく、では、
何をしていたのか思い返してみると、一言でいえば、

「謝っている」

だけなのだ。許してもらおうとしているだけ。
あるいは、怯えて逃げているだけ。
自白か隠蔽か、というまさにそれだった。

逆にいえば、謝って済まそう、というカードが
いざとなれば通用するというおごりがある。


なかったことにできる、と
思っているのだ。


事実は事実、
なかったことにできる事実など
何ひとつないのに。

なかったことにできるとか、謝れば済むとか、
そういう道がある、と思いこんでいるからこそ恐怖し、
そこに逃げよう逃げようとし、「相手への絶対服従」を
自らが認めてしまうことになる。
同時にそれは、わたしに対して
「この種の脅し」が可能になる、ということだ。


では、どんな謝罪の仕方をしているのか、というと
きまってこういう謝り方に、最後は、なる。

「あなたの意にそうことができず、結果、
あなたを不機嫌にさせてしまい、ごめんなさい。」

これについて、先日、あれ?と思ったことがあった。


なぜ、謝らないとならないのか?


相手の意にそえない結果になることもあるだろう。
相手が不機嫌になることもあるだろう。
約束したからといって、守れないことだってあるだろう。

だからといって、

「このやろぉー!なんで約束破りやがった。
予定が狂っちまったじゃないか。こんなことになるとは
思っていなかったぞ。もうオレは不機嫌になった。許せない。
こうなったらブチきれてやる。覚悟しておけよ」

となることとは、別問題なのではないか。
誰もかれもが、こういう父親似の気狂いなんだろうか・・・

気づいたのは、どうやらわたしは、
誰もかれもが「父親みたいな人だ」と思いこんでいる、
想定している、ということだった。

だから、もしも相手の意にそえず、不機嫌にさせてしまっただろうにも
かかわらず、相手に「いいよ」と言われても、
「・・・運がよかった。助かった」と感じたり、もっと病的には、
「相手に我慢をさせてしまった。本当は怒っているだろうな・・・」と、
そんなふうに相手に自己犠牲や利他的な言動を強制させてしまった、
とまで考えこんでしまうことが多かった。
(利他的な行為は、自己犠牲の代償として成立しているはずだ、
という先入観が、ここにも混じっている。)


わたしはいつも、自分が悪いことをした、
と思っていた。悪いことをしたのだから、
罰を受けたり、バチがあたるのはしかたがないことだ、と。

「たしかにわたしが悪いことをしましたが、
十分、反省していますから、これ以上、
攻撃しないでください。勘弁してください」、と。

こういう反応は、父や母が不機嫌な顔になったとき、
反射的に「反省した。ごめんなさい」と何度も何度も言って、
親の機嫌を元に戻そうとしていた幼少期に
すでに根づいていた自動的反応だ。


それではその「悪いこと」とは何か?
というと、結局それは、


・ 相手の希望、意にそえなかった。
・ 相手を不機嫌にした、不愉快にした。
・ 約束を守らなかった、守れなかった


ということのようだ。
それに、「約束を守れなかった」というものにしても、
約束を守れなかった、イコール、相手の意にそえず、
相手が不機嫌になる「はずだ」、と勝手に決めつけてしまっている。

約束を守れなくても、怒らない人、いるよね?
自分の希望通りにならなくても、誰もがイライラしてキレるか?
自分が不機嫌になったからといって、相手を責める人ばかりだろうか?

冷静に考えてみれば、そんな人ばかりじゃない。
この世の中、父親似の気狂いで構成されているわけじゃないのに、
「父親似の気狂いからいかに身を守るか」、いつの間にかこれだけが
わたしの頭のなかを占めるようになっていた。


> 相手の希望、意にそえなかった。
> 相手を不機嫌にした、不愉快にした。
> 約束を守らなかった、守れなかった


そして今もなお、これが「悪いことだ」と認めてしまっているのは
わたしだ。だからもう目の前に毒親はいないのに、毒親の亡霊を投影し、
相手が突然暴れたり、キレたりすれば(あるいはそう想像するだけで)、

「相手の意に反したんだ、
相手を不機嫌にさせてしまったんだ、
・・・だから自分が悪かったんだ」

と思いこみ、自分が悪いと認めてしまい、だから
罰を受けるのはしかたがない、でも、怖い、
隠せるものなら隠そう、逃げられるものなら逃げようと隠蔽に走り、
完全に追い詰められ、ほこ先が「わたしに完全に向いた」と
感知(あるいは誤認)すると、とり乱すようにして、
「ごめんなさい、許してください。もうしません。罰しないでください!」
と自白、泣き落としに入る。お決まりのパターン。


元をたどっていかねばならない。


それらを「悪い」と決めたのは誰か。

誰が誰の都合で決めたのか。

わたしは親のわがままを何でもきいて、
いつも機嫌よく親がいたいがための
ごきげんとりではない。

Pさんのごきげんとりでもない。

誰のごきげんとりでもない。

ごきげんとりに甘んじて、
機嫌がとれなかったら、「役目をはたせていない」
と言われて罰を受ける。

なんじゃそりゃ?

相手の顔色次第で、「わたしが罰を受けるかどうか」が
決まってしまう。いや、今となっては、
自分で「決めてしまっている」のだ。
わたしがわたしを「ごきげんとり」に仕立てている。

考えてみた。

相手の意にそわなければ、
なんだというのだろう。

それで相手が不機嫌になったとして
だからなんだというのだろう。

「相手の意にそえなかった」
「相手が不機嫌になった」

という事実が起こったとして、それは
なかったことにはできない。
なかったことにしようとしたり、
謝って済まそうとするようなことでもない。
なかったことにしたいと思うAC人格はいるだろうが、
なかったことにできる事実などあるはずない。

なかったことにしなさい、
さあ謝りなさい、全面的に降伏しなさい。

毒親のその言い分に、なぜ、今もわたしは
つきあっているんだ?

相手の意にそえなかったり、相手を不機嫌にさせてしまう
ことだってあるだろう。そこから会話をしたり、
対応したりする習慣がわたしにまったく欠けている。
「ごめんなさい」で済ませてきてしまったから。
それで相手が許そうが許すまいが、そういう承認や罰が
わたしにとって「解決」という位置づけになっていたから。

本来は、そうでなく、そんな理不尽なことで、
キレて「殺してやる」という脅迫を受けても、一歩も引くべきではなかった。
というより、「引ける余地」など自分で許すべきじゃなかった。
そのツケが永遠についてまわって、今も脅されてばかりじゃないか。

怖かったから、という言い訳はあるのだろうか。

怖かったから、ではなくて、
自分を守らなかったからじゃないか?
怖かったのはそうかもしれない。
でもそれは、自分を守らなくてよかった理由にはならない。
自分は守られるべきだった自分だったはずだから。

ごきげんとりになりさがることで、
わたしは相手がいかに不機嫌にならないか、
「このくらいなら、相手はキレないだろう」とか、
そういうスキルばかり身につけていった。

相手を理解したり共感したりするフリをしての
上から目線とか、そんなことばかり。
それでいて、調子にのるなと言われまいと
(言われたら本末転倒なので)、上から目線を
いかに気づかれないか、という小細工をするようになる。

なんでこんなに上から目線になるのか、
ということも、ごきげんとりの立場から考えてみると
当たり前でもあったのだ。

親がわたしに要求しているのは、
ある意味、「上から目線でいること」だったからだ。
誰かの機嫌をとる、誰かの世話をする・・・
考えてみれば、そういうスタンス自体がAC(大人子供)。

そういうACに要求されているのはどういうことだったか
というと、親が顔色を

〝発信〟

して、それに対して、

「パパが言っていることって、こういうことでしょ?」
「ママが言いたいこと、僕はこう解釈したよ?」

と、親の顔色から、親の気分を

〝汲む〟

ことだったからだ。

推し量るための道具兼世話役。

まるで、顔色読み取り訓練である。
親都合の限定されたメッセージだけを読み取ればよく、
こういう態度を、一般の他の人との会話にまで「転用」してしまうために、
相手を酷くいらつかせてしまう。

まさに、昔、母がわたしの反抗期に言った言葉通り、
「エラそうに・・・」というふうに。

こういう「分析」を日々趣味にしていたのは
わたしの父だった。

誰か、人を見ては、
「この人はこういう人だろ、こういうことが得意だろ、
でもこういうのが苦手だろ、こういう才能があるな。
これからこうなっていくと思う。でも残念なのは・・・・」などなど、
まあ、黙っていることができない人で、なんでもコメントする。

わたしも同じになってしまった。

わたしは人やその人が言っていることを分析したり、
「こう言っているけど、本当はこう思っているんじゃないか」とか
「こう見えるけど、本当はこういう人だと思う」とか、
他者分析に明け暮れ、分析する相手がいなければ
自己分析に明け暮れ、それも疲れればゾンビになる。
休憩のつもりで散歩をしたのに、ハッと気づくと、
分析する対象からちょっと外れての「ただのぼけー」でしかなく、
生体反応が最悪な状態になっている時がある。

それと重なるのは、父がお酒をのんでいた時。
「いや~旨い。この一杯、最高!!もう死んでもいい」
とよく言っていたが、なまじ嘘じゃないんだろうな、と思った。
父もまた、自分の母親の顔色をずっと伺うだけの人生だったのだから。
今回も思ったが、父親家系は、「顔色で支配してやる一家」。
にやり、と、不機嫌で人を動かそうとしている。
だから逆に、いつも「何を考えているのか」わからない人ばかり。
最悪にも、これもまた、わたしにも感染してしまった。

話はそれるが、父は自分の母親はよく
「いつまでもあると思うな親と金」と言っていた、と
子どものわたしにも話していたが、今思うと、誤用悪用もいいところだ。
「だから、親には感謝しなさい。今の自分がいるのは親のおかげ。
親がいなければ子どもはいない」という文脈で、父親は説教をした。
父も親の死をちらつかされて育ったに違いない。

話を戻して、その分析癖だけれど、
そもそもその癖は、「親の顔色読み取り訓練」のためのもの。
だから、相手がキレた〝その時点〟で、
どんなに頑張ったと言い張っても「失格」になる。
それだけ脆いものなのだが、持ち上げられてきた自称・成功体験が
それにしがみついてしまう。

微に入り細に入り、病的なほどに相手の反応を
可能な限り、事前にシミュレーションするという癖。
(今気づいたことだけど、これはたぶん、わたしの元々の性格と
まったく相反する気がする。神経、擦り減るのも納得。)

あくまでも親都合で「気分を察するようにさせるため」の癖であって、
どんな精密に分析しようが、空気を読もうが、調べあげようが、
それが正しいかどうかなど、親の亡霊からすれば関係ない、
「読めてねーぞ、コラ。もう怒った、許さん!」と顔色に出されるだけで、
親の機嫌ひとつで、いとも簡単に否定されてしまう、
という宿命にある。

つまり、父親似の気狂いが登場したら、
その人の言いなりになるほか、道はない、ということ。

実際、今までもそういう人が登場したときに、
どうなったかというと、「不機嫌にさせてしまった=自分が悪い」
となってしまうわけだから、どんな事実も「ああしたことが悪かったに違いない、
あんなことしなければよかった」と、はたから見たら「おい、おい」と思うような
こじつけだとしても、無理にでもつじつまをあわせようとしてしまう。
保身のために。

ここで起きる事実の曲解、誤認は
すさまじいもの。
もう、何も見えなくなってしまう。
冷静さ、ゼロ。

完全に、相手の言いなりになった。

わたしは「争い」を避けてきたのも、
そういう理由があるかもしれない。
無難に無難に、何事もありませんように・・・
そういう生き方をしてきたし、それが幸せなことだと思っていた。

そういう争いのない、みんなが機嫌よくいてくれれば
それでいいんだ、という受身の姿勢が、おそらく、
今のような小さく閉じこもった守りの構えに繋がっている。
トラブルを避けようとするだけの人生で、
まともに他の人と喧嘩(言い争い)をしたことがない。
こわくてできなかった。

「で、あなたは何がしたいの?」

ときかれると、わたしはいつも言葉につまった。
なぜつまったのか、自問してこなかった。
でも今考えると、それに対しては、

「あなたの言動に反応しているだけなので、
わたしの意見はありません」

が、いつもどの時もそれに対する
答えだったはず。

以前、ブログで「1000円カットに行こうかな」と
書いたことがある。詳しいことは割愛して、結局どうしたかというと、
自分で自分の髪を切ってみることにした。

自分でやってみないことには
注文ひとつできなかったし、
それに、どうしたいのか?という自分の希望は
「誰かの受け売り」でないとしたら、優先順位をつけてみると
それほど大それたものはなく、必要性とちょっとした関心から、
最低限の情報は絞れてくる。これはダメだ、とか、これいい!とか。
それにこれは自分の身体、未知の構造を探ってみるだけの
楽しみもあったから、なら、まず自分でやってみようと。

はさみ、すきばさみ、くし、クリップを買っても
1500円程度だった。ドキドキだったけれど、カットしてみた。

一ヶ月近く、少しずつ、お風呂に入る前の少しの時間、
やっているけど、結構、できる!

前髪→全体をすく→耳まわりと襟あし

だいたい、こんな流れ(大雑把すぎるけど・・・)

内容はさておき、今日、思ったことは、
こうやって自分でやったもの、自分で試行錯誤進めているものは、
他人からの承認だけでなく、自分からの承認さえも
必要としていない、ということ。これは驚きだった。

いいとか、ダメとか。

だから何?

現在進行形の髪カットにおいて、いいも悪いもない。
今こうなっているから、この部分はまあしばらくこれでいいか、
とか、ここはなんとかしたほうがいいな、とか、考えることはあっても、
「いい」「ダメ」という承認の出る幕はない。というか、意味がない。

でも、ふと今、自我復元をしている自分のスタンスを見てみると、
どこかで、これでいいのか、ダメなのか、という
「承認」に依存しそうになる自分がいることに気づく。
正確には承認そのものというより、承認を毎回毎回確認し続けたい
という中毒衝動だと思う。それで不安を沈静させようとする。
「自己信頼の欠如」という事実から目をそらしたいがために。

ならば、いいと言われたらどうなの?ダメと言われたらどうなの?
とやはり何度も自問してみると、一瞬、嘘の安心や不安に足をとられそうになるけど、
それでも行き着く先は、「だから何なのか」・・・承認それ自体が、
わたしを変えてくれたこともなければ、変えるはずがない。
だって、今の自分の状態に不満なのは自分であって、それに、
自分が自分に不満だったから自我復元を始めたのも自分。
継続しているのも自分。

誰にとっての「いい」とか、
誰にとっての「ダメ」だったのか。

親都合だったのではないか。

自分にとっての、ではなく。

だとしたら、恐怖と不安しか生まない承認であり、
承認それ自体が目的の承認でしかなく、
自分にとって何の糧にもならない。

承認は、親にとって意味があっても、
わたしにとっては意味が無い。


追記:


母からのメール攻撃は、あれから二通ほど。
親の顔色予想通り、「残りの二人の子とわたしは味方ですよ」
というアピールメールだったけれど、それはいいとして、
もうひとつの発見があった。

「Pさんがこんなふうに、わたしの二人の子の文句を言った。
パパ(母の夫)の悪口も言った・・・」と書いてあるのを見て、
最初、思わず「これ、母の意見か?」と思うほど、
いつも母が、父や妹や弟に言っている文句や愚痴と同じで、
それに驚いた。

だったら息があいそうなものの・・・と思っていると、
こんな一文が最後に書かれていた。

「いろんなことがあるだろうけど、それが人間社会というもの。
みんな一生懸命生きている。何か勘違いしているようだけど、
Pさんにはそんな力はないのに。」

そんな力、って?

今まで見落としていたことがあった。

母と父、ふたりとも大事にしている価値観、というか、
もはやそれがアイデンティティみたいになっている考え方があった。


「わたしは、思っても口にしなかった」


というもの。

父の大好きな言葉「言っていいこと、悪いこと」
それと「見ざる、言わざる、聞かざる」。(もちろんこれらも誤用)

わたしが何か発言し、それに対して父が、
「それは禁句だ」という時、いつもその意味がわからなかった。
今になってわかったのは、それは父が自分の母親に対して
「思っていたけれど、(我慢して)言わなかったこと」だった。

同時に、父の説教にはこういう視点があった。
「思っていないけど、ありがとう、と言う」
これが感謝だよ、と。

>「こう言っているけど、本当はこう思っているんじゃないか」とか
>「こう見えるけど、本当はこういう人だと思う」とか、

わたしにも感染したこの父の分析癖は、
親の親世代から、連綿と続いているものかも。
母の教育訓「目つき、態度、言葉づかい」も、
態度に出すな、いわんとすることは、それだけだったのでは?

思うのはいい。でも、言うな。
それって誰のため?

そうやられることで、わたしはどうなった?

「今のように自分が感じたり思ったりする、
そんな自分って、本当は、ダメな人間なんだ」
という自己否定、自分が感じたりしていることへの
不信が残った。

親に都合の悪いことは言わせない、
親に都合の良いことだけ言わせる。

最低な人たちじゃないか。


2014.04.26
Aby


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# by jh-no-no | 2014-04-26 19:41 | 復元ノート 1

(後半) 取引

 ・・・ 「(前半) 取引」の続きです。


この6通のメールを受信し、読みながら
どう自分が感じるか、メモしていった。

まず感じたことは、

「Abyといろいろお話できて嬉しいわ。Abyなら大丈夫よ、
自信持って前に進みなさいね。いつでも何でもきいてね。
わたしはあなたと話せて幸せです。ゆっくり生きていきなさいね」

なんていう「うそっぱち」の違和感だらけの言葉なんかよりも、
リアリティのあるものだった、ということだった。
「やっぱりな」という感じだ。顔色をうかがって生きてきたせいか、
言外の意味も、書かれた言葉以上にリアルに伝わってきた。

わたしには、こういう意味にしか
これらのメールはきこえなかった。


【メール 1通目】
ママは一生悲しい。

→ 「このままではわたしはずっと不幸だ。どうしてだと思う?
   こう言えば、あなたが何をすべきか、わかるはずよね。
   間違っても、わたしから、あなたが悪い、と言わせないでよね。
   誰が悪かったの、言いなさいよ!」


ここでわたしが即反応しなかったものだから、
「顔色をうかがえ、察しろ、こっちは不機嫌なんだ、だとしたら、誰が悪い?
わかったらさっさと取るべき態度をとれ、謝り続けろ、そんなことも忘れたか!」
という感じで、きっと2通目を送信したに違いない。


【メール 2通目】
あれほどまでに一心に愛情をかけてきたのに。

→ 「したくもない子育てを、自分のことを犠牲にしてまで時間をさき、手間をさき、
   他人からも嫌なことも言われ、わたしはたくさんの我慢をして
   あなたの世話をしてあげたのに、わたしをこれほど不愉快にさせて、
   罰があたらないとでも思っているのか」


一年前なら、ここでも返事をしていたに違いない。
そんなことないよ、感謝しているよって。
でもそれは嘘だ。その感謝というのは、親から言えと言われたから口にしているだけの
中身のないものだ。まさか、ここでも返事をしてこないとは思わなかったかのように、
残り4通、たたみかけるように送ってきた。


【メール 3通目】
Abyの大切なパートナーから、パパ、ママ、妹、弟までもが
全否定され罵倒されたということは、どおいうこと。
Abyも一緒ということね。ママは死にたいくらい残念。
でも子供は貴方だけではない。

→ 「あなたが悪いって言ってんのよ。わたしが死にたいと言ったって、
   脅しにならないくらい鈍感になってしまったわけ?
   わからないなら、直接、言ってあげよう。
   あなたはいなくてもいいのよ。
   わたしはあなたがいなくても、痛くもかゆくもない。見捨ててやる」


強がっているけど、リスクを負っているのは母のほうだ。
だって残りのカードは「2人」に減ったのだから。
Abyに依存しなくても平気なんだと表明したいようだ。


【メール 4通目】
連れ合いの母親にケンカをうりますと言い、
聞きとれないほどに怒鳴りまくるなんて。心がさむすぎる。
どうにもならない。

→ 「あなたのせいで、酷い目にあった。どうしてくれるのよ、なんとかしなさいよ!」

前からすごく気になっていたのだけれど、母や父はなにかにつけ、
「Abyの親に」「Abyのパートナーが」「Abyの〇〇に」という言い方をした。
なんでこういう言い方をわざとらしくするのかな、と思っていたが、
ようやくわかった。
「Abyのせいだ」と親のほうからは言いたくないからだ(証拠が残るから)。
わたしのほうから、「ごめんね、わたしが悪かったよ」と言ってほしいため、
それに気づいてほしいための「振り方」だ。


【メール 5通目】
言いたい事だけ言って、やりたい事だけやって
感謝も忘れ、我慢も忘れてしまうなんて。

→ 「言いたい事だけ言うな、やりたい事だけやるな、
   親の言うことは絶対だ、そんなことも忘れてたか」


取引に従ったわたしに責任はあるが、これって卑怯な手口だな、と思った。
「言いたい事だけ言って、やいたい事だけやって、それが許されると思うな。
ぶっとばしてやる」と言われても従ってしまっただろうが、
少なくともあなたたちが敵だ、という認識はできたかもしれない。

我慢という言葉も、わたしはいい言葉だと思いこんできた。
いまだに母は自立と同じ意味をもつ美しい言葉と思っているようだが。
でもこれは「自分を殺せ、自己犠牲しろ」と言っているのと同じだし、
父と母の言う感謝というのは「親への絶対服従」と同じ意味だった。
わたしは、大事なことを教えてくれる父と母だとずっと信じて過ごした。
これが取引だという自覚がわたしに足りなかった。


【メール 6通目】
そおいう意味では貴方の大切なPさんに言われた通り、
どおいう育て方をしてきたんですか?と怒鳴られたのも、ごもっともかも。
でもあまりにひどすぎる。

→ 「Abyを悪者にしたい。Pさんとは仲良くしたい。したかった」

とストレートに言えばいいじゃないか。
これだけいやみのきいた文句をどうして考えつくのだろうか。

この6通目のメールには、おそらく背後に強く、父のコントロールがあると思われた。
というのは、そういえば、年始に父がPさんの素行が酷い、Abyに問題がある、と
言ってきたとき、こんなことを言っていたのを思い出したからだ。

「Aby、どうしてPがAbyの母親に悪態をつくかわかるか?
そういうことも、すぐに気がつかなきゃダメだよ。
Pは〝Abyに〟文句があるんだよ、本当は。だけど直接言えないから
どうしてこんな子に育てたんだ、と言ってAbyの母親を責めている。
それがわからないかな?あのバカPが操作して、ママにAbyを
どうにかしてくれ、とSOSを出しているんだよ。
そんなこともわからないようじゃダメだよ。」

と言っていて、「何を勝手にストーリーを作って、
僕は何でもわかっています、という顔をこの期に及んでも
自慢してくるんだ、この毒父親は」とその時は呆れて
言葉も出なかったが・・・

あながち、
間違っていなかったのではないか?

今回のメールは、Pさんをだしにつかっているが、
目のかたきにしたいのは、明らかにPさんでなく、わたしだ。
そもそもPさんに文句がある、不満があるのなら、
わたしでなく直接Pさんとやりあえばいい。

なのに、そうはしない。

まわりくどくも、わたしの携帯に送信してきた
この6通のメールが言いたいことは、


「わたしは今不愉快だ。そういうときはなんとかするのが、子どもの役目だろ。
なのになんだ、無視して。親を不機嫌にさせていいと誰が教えた。
Abyのせいだ。謝れ!」


ということだろうが、近頃不仲だった父と母が手を組みはじめ
(昨年末ぐらいから共依存関係が強化されたように見える)、
Pさんも仲間にいれて「一斉攻撃をかけようとしている」とすら見えてきた。
あるいは、Pさんがわたしの両親に向けて、
「今、Abyの様子がヘンだぞ、こっちに目を向けろ」と無意識に
はかったのかもしれない・・・完全に妄想かもしれないけど、
これについては継続して様子をみていこうと思う。


これらのメールが来た次の日、
この一連の嫌がらせに対して、
二つの姿勢を自分に課すことにした。


ひとつは、現実の動き、現実の父、母、Pさんの動きに
目を奪われず、わたしの内面に生じる亡霊やAC人格の動きに
注視すること。

もうひとつは、「わたしがなんとかしよう」とせず、
「従わないと殺すぞ」というくらい相手が言ってくるまで
じっと観察すること。


ただ、それからというもの音沙汰がない。
もしかしたら連絡は当分ないかもしれない、とふと思った。

というのも、この6通のメールを何度か読み通していくうちに
とても馴染みのある感覚がしたからだ。


なんだろう・・・これは。


驚いたのは、この一連の流れ、母の一連の言い草は、
以前わたしがPさんに抱いた気持ちとそっくりだったことだ。

わたしとPさんは共同で仕事をしていて、
今から7年頃前になるだろうか、
ずっと二人であたためてきたアイデアを
「わたしが考えたっていう感じがしないから、
やりたくない」といって、Pさんにおじゃんにされたことがあった。

どうしたらいいんだろう、何をしたらいいんだろう、と
Pさんはいつも困った顔を見せる。わたしが何もしないと
「なんで助けてくれないのか」と言う。だからわたしは
Pさんが困ったとき、どうしていいかわからないときは
「こうしたらどうかな」とかいろいろアイデアを出すことが多かった。
もちろん、強気でこうしよう、と半ば押し付けたこともある。
だけれど、きまって最後は、おじゃんになるのだ。

それが何度も何度も繰り返され、7年ほど前、
いい加減嫌になったわたしは、
別の職場に務めるようになって、以前にもブログに書いた通り、
経済的な支えに徹した。

それから内職を始めるまでのストーリーが出来てくるのだが、
この間、わたしがPさんに口に出さずとも抱いていた感情は、
まさに今回の母の言葉そのものだった。


「わたしの人生は台無しになった。
Pさんが悪いんだ。こういうわたしの気持ちなど、
Pさんにはどうでもいいみたいだ。
あれほどまでにPさんのために頑張ってきたのに
(我慢してきたのに)、こんな仕打ちってないんじゃないの。
恩をあだでかえすようなことをするなんて。
こんなんじゃ、僕は生きている価値がないよ。
死んでいるのと同じだ。本当に残念だ。
だけど、わたしを必要とする人はPさんだけじゃないんだ。
(それを思い知らせてやる!)
今の職場にもPさんのかわりになる女性だってたくさんいるんだ。
そうやって好き勝手に生きていればいいさ。
そんな人だとは思っていなかった。本当に酷い人だ。」


これが、わたしがPさんに当時抱いた気持ちだった。
恐ろしいくらい、わたしの母そっくり。

「これくらい我慢(自己犠牲)したんだから、
わたしを幸せにしなさいよ」

という匂いがプンプンしている。

それと同時に、これは父と母に共通する代々の連鎖だが、
「お母さんがわたしの気持ちをもっと察してくれさえすれば、
わたしは嫌な思いをしなくてすんだのに・・・」という幼少期の
恨み、父と母が自分の母親に対して抱いた恨みの感情でもある。

そして、この6通のメールの目的、
わたしがPさんに抱いた気持ちの目的でもあるが、
それは、

「あなたなんていなくても、わたしはやっていける」

という主張を、相手に伝えることなのだ。
まさに、父と母が、自分の母親に向けて
口には出さずとも主張していたのと同じだ。

なぜ、そんなことをするのか。

そうしないと、おさまりがつかないから。
冷静にいられないからだ。
依存対象に見捨てられる、というのは本人には耐え難く、
「あなたがいなくても、大丈夫」ということを
宣言することでしか、平然さを保つ術がない。
強がっているだけなのだが・・・。

わたしがまさにそうだった。

だから伝えればいい、宣言すればいい、
というのが第一目的なので、
あれだけ一方的に言えば、気がすんだと、
いまや、わたしの反応など母のほうこそ、
無視しているかもしれない。

母の出かたは一度脇においておいても、
問題は、こうやってわたし自身も
「自立」を放棄してきたことだ。

自立する気持ちを失い、
誰かにかわりに自分のことをしてもらおう、
そういうふうに考える人間がまっさきに

〝従う〟

ということをしてしまうのではないか。


このところ毎日、にらめっこしている
桜の間の記事が二つある。

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S341
の中の、

「楽しくもないし、
自分の意志も思考も、自由に行使できない、

そんな契約違反の生ならば、
殺したければ、この私を殺せばいい。

何がどうこうしたら、お前は死ぬぞ、とか、
何をしないと、お前も死ぬんだぞ、とか、

そんな、情けない、脅迫しか出来ない、間抜けな生命を、
いつまでもやっていたいならば、
私を好きに、殺しなさい、あるいは苦しめてみなさい。

あなたたちが、愚か者にとどまるために、
そうしたければ、そうしなさい。

二度と私はあなたたちのような愚か者とは
契約などしない。」



この記事と、もう一つは、


桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S344
の中の、

自然を恐れ、病を恐れ、親を恐れ、幻想上の神を恐れ、
敵を恐れても良い。

生物が何かを恐れる感情は当然だ。

恐れるのは良い。
だが、自分自身による判断以外には、決して「従うな」



何かを恐れたと同時に、
その恐れた相手の言う事に従ってしまう、その主たる原因は、
「死ぬのは怖い」に起因する。

正しく言うと、死ぬ事それ自体ではなく

「死の過程」にあると「予想」している「苦痛」を恐れている。

あるいは自己の存在意義が、否定されること。



しかし、死などよりも遥かに多くの苦痛が、
あなたが生きてゆく「長い歳月」の「生」の中にこそある。


であるから 存分に恐怖しつつも
決してその恐怖の対象との取引には従わずして
その結果、死んだとしても、

それは、不安の中で無駄に生き延びるよりも
ずっと心地よい事は明々白々だ



という二つの記事。


直視するのを避けてきた文面なのだけれど、
こういう自問をしてみた。

こわいのはいいとして、
では、どうだと「こわくない」のか。
どうなると、わたしはこわくないのか?

そう考えたとき、
こわくない、なんてあるんだろうか、
そんなのはないんじゃないか。

こわいのは、こわい。

問題は、それを目の前にしたとき、
わたしがどう行動をとるか、判断するか、
ということなのではないだろうか。


昨晩の夢もそうだけれど、
まず足がもつれるのは、妙な罪悪感だ。
これにひっかかると、これは自己犠牲と天秤にかけられた
強迫観念のような罪悪感だから、「このくらいなら」と
自己犠牲を選び取ってしまう。

このくらいってどのくらいなんだよ、ってことだけれど、
この取引に従ってしまうと、相手のいい値、のようなものなのだ。
「我慢しないと、これがどうなってもいいのか」という
まさに拷問にかけられる。

話が横道にそれてしまうのだが、
数日前、わたしが成人前に好きだった映画や漫画、音楽など
どんなものがあったか、リストアップしてみると、
驚くことを発見した。

なんと、こんな共通項を持っていた。

・ 父の仇をうつ。苦渋の選択でも最後には父を守る。
・ 自己犠牲をし、誰かのために生きることは尊い。
・ 弟は兄に勝る。
・ 自由を求めたりすると、本人は最後は自殺をしたり
 不幸になるが、その姿は他人を感動させる。

わたしはまったくこのことに無自覚だった。
愛と正義、自由と感謝、そして感動の物語だと思いながら
小学生後半から高校生終わり頃まで見ていた。

さらに恐ろしいことに、こういうものを見るきっかけだったり、
あるいは漫画を「お金渡すから、買っていいよ」と援助、
促進したのは、実に、わたしの父だった。

「自分が好きだと思っていた娯楽も、
父にあてがわれていたのか・・・」

と思って、これには愕然とした。
正直、もう見たいと思わなくなってしまった。

話が横道にそれてしまったが、
「我慢しないと、これがどうなってもいいのか」という脅しが
わたしにそもそも通用する理由は、わたし自身が

「誰かのためにすることは、自分を犠牲してまでも尊いのだ」

という考えを維持し続けてしまっているためだ。

でも、それもわたしの思いこみで、
誰のためにもなっていなければ、自分も幸せにもなっていない。
相手のためになっているどころか、自立の妨げ行為ですらある。

じゃあ、ここで何が起こっているのか、といえば、
今回の夢や過去のアルバイトでもそうだけれど、
「誰かが得しているだけ、誰かが本来自分でやるべきことを
やらずに、わたしにやらそうと企んでいるだけ」で、さらに、
顔色を読めるわたしはすごいと思っているAC人格が
それに乗じてのさばっている。

相手の気持ちを読み、相手の感情にあわせて、
相手を中心にすえて、相手のために言動する。
その見返りとして、自分の身を守ってもらおう、
自分も責められない、邪魔されない、という取引を覚えてしまい、
それに甘んじた結果、自分なんて、どこにもなくなってしまった。

いかなる自己犠牲とも
取引などしてはいけなかったんだ。

自分の一部を売り渡すかわりに、
誰かに何かをしてもらう、それは
自分の舵を誰かに預けてしまうことと同じだから
殺されまい、殺されまい、としてしまうのも当然だ。

取引をしてしまったのだから。
そうされていいって、許していたのは自分なんだから。


なぜ、取引などした?

なぜ、恐怖のなかにあっても
死に物狂いで自分を守り抜かなかったのだ?

自業自得じゃないか。


殺されまい、としているだけの人生。
自己犠牲だけの人生。

従うことで、相手の顔色を読んで察して、
それでどうなった?
結果、どうなった?死んだだけじゃないか。
毎日怯えているだけじゃないか。

この理不尽さに対して

「怒り」

を思い出していくこと。

こわい?・・・だから、何なんだ、と
言い放つこと。
自分の力でやりたかった、と言ったはずの
自分を取り戻すこと。
これは誰にも譲らない、譲れないと思った、
そういう自分はどこにいったんだ。

罰することのできる人なんていない、
と言って、安心しようとするのでなく、
罰することのできる人などいないのに、
「なのに罰してくる人がいる、その親の亡霊が
わたしの中に居つくことを許してなるものか」
という自問を自分に向けること。

でもその前に自分で認めなければならないのは、
自分を売り渡し、取引に従ったことは
しかたがないことだった「ということはない」
ということ。そこに、逃げずに向き合ってみることを
避けていたら、AC人格の思うつぼじゃないないか。
「こわいから・・・」だから、何なんだ。

自分の人生を生きること、
わたしはこれに失敗したのだ、ということ。
でも、とり戻せる、とり戻すと決意すること。

随分前になるけれど、
桜の間にアップされた動画に
染森信也さんの記者会見があった。

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S196

もう一度見てみたとき、染森さんが
こうおっしゃっていたのが、強く印象に残った。

>こうやって出る限り、どっちからも石がとんでくるという覚悟で
>しゃべっている。だからべつにいろいろ言う人がいても
>いろいろ思う人がいても、それはその人なりの人生経験の中で
>感じることだから、よろしいんじゃないですか、というのが
>わたしのスタンス。

このなかの、

>よろしいんじゃないですか

とおっしゃったときの染森さんの感じが、これは
わたしがそう感じたということに過ぎないのだけれど、
「殺したいと思うなら、そうすればいいんじゃないですか」
とすら、わたしにはきこえた。

わたしが直視できないでいたフレーズ、
「殺したけりゃ殺せばいい」という、ここを、
染森さんは、だからなんなんだ、と当たり前のように
話されていたように感じた。

もちろんこれは、「殺していいですよ。
それに従いますよ」と言っているのでもなく、
全面戦争しますよ、やってくるならわたしは戦いますよ、
と一歩も引かない態度のように見えた。

わたしがいつも、殺されまい、として
身をひいていた場面だ。

「殺したけりゃ、殺せばいい」
「苦しめたければ、苦しめてみればいい」
「罰するなら、罰してみればいい」

こう言い放てるかどうか、
わたしが試されている。



2014.04.20
Aby



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# by jh-no-no | 2014-04-20 01:15 | 復元ノート 1

(前半) 取引

後味の悪い夢をみた。

最近はよく親兄弟、親族、Pさん、学生時代の頃に
登場した父親似の気狂いが夢に出てくる。

Pさんが出てくるときはきまって、手がかかる。
本来なら自分でやるべきなのに、
なぜか、わたしが救助したり、
面倒を見たりしなければいけないような
心理状況になっている。

数日前の夢では、車の形をした飛行船が墜落して、
巨大な石などが飛んできているのに、Pさんは
路上で寝ている。走って逃げているわたしはそれに気づいて
Pさんを呼びかけるが、無反応。
戻って救助するといった夢。

昨日の夢では、本来ならPさんが世話を
しなければならない子を放り出してしまう。
しかもそれに至る原因は、その子に何かあったわけでもなく、
その子の母親のことが気に入らないとか、そういった理由なのに、
直接その母親には言わず、なんとなく、その子に問題がある、
といった流れになっていた。

「そんなことをしたら、この子、
一生傷ついたままになるじゃないか!」

とわたしは言って、Pさんに怒鳴り、憤りを感じつつも、
夢は嘘がつけない、わたしは、こういうPさんの
取引に従ってしまった、と気づき、
目を覚ました。


〝そんなに気になるなら、Abyが世話すればいいじゃん。
Abyが世話すれば、この子、傷つかないよ。
Abyが世話しなければ、この子、一生苦しむだろうね・・・どうする?〟


直接、こういうふうには言っていなかったが、
いくらわたしが怒りをPさんにぶつけても、痛くもなんともない、
という態度がそう促していた。

「もういい。だったら、わたしがこの子の世話をする」

と言ってしまった。
「Pさんがやるべきなのに!」といくら言っても
通用しなかった。


どうしてあそこで、取引に従ってしまったんだろう・・・


罪悪感をあおられたんだ、と思った。


夢でなくても、現実でもいつもそうだった。
わたしが罠にかかるときは、親もPさんも、自分たちの問題なのに、
誰も自分でなんとかしようとしない。
困った、困った、とだけ言う。わたしの前で。
わたしはいつも、そこで見て見ぬふりというのが出来なかった。
出来ないというよりも、

「わたしがなんとかしなきゃ」

と、なぜか自動的、反射的に
身体と口が動いてしまっていた。
気がつけば、毎回毎回、親やPさんの尻拭い(本来はその人が
自分で処理すべきことをわたしが代行すること)ばかりしていた。


このことで思い出したのが、
わたしのアルバイトの職種のことだ。


先日もたまたまこのことを考えていた。
女性の多い職場だ、というだけじゃなかった。
わたしがやっていたアルバイトは、ファーストフード系の職種が多く、
わたしはどこでも歓迎された。

なぜかというと、「よく気づいた」からだ。

こういう職種は、マニュアルがあって作業が機械的だから、
次に何をやるか、というのが決まっている。毎日同じだし、
人がかわっても同じ。だから、何手先も、「読もう」と思えば
読めるようになっている。そういう仕組みになっている。

「Abyさんって、言わなくてもどんどん動いてくれるから
助かるわぁ。みんなもこうやって動いてくれるといいのにねぇ。」

と、どこへ行っても言われた。

このことを今になって考えてみると、
「ああ、わたしは搾取され、利用されていただけだ」
と思った。

まわりの人たちは、わたしがよく気づくということ、
それ自体の価値を評価していたわけでさえなく、
ただ、まわりが楽だったのだ。
だって自分がやるべき仕事を、わたしがかわりに
やったりするわけだから、持ち上げるにきまっている。

持ち上げれば持ち上げるほど、
わたしはいい気になって、頑張る。

こんなことにもわたしは気がつかずに
働いていた。

はっと思ったのは、ここで活躍したAC人格は
顔色を読む、読める、といったAC人格だった、ということ。

顔色をうかがう、ということに対して、
ネガティブなイメージでブログにも書いてきたけれど、
恐れの原因になっているのもこの「顔色をうかがう」ということであると同時に、
実は、自称・成功体験を「一番つんできたのも」
このAC人格だったのではないか?

アルバイト先で発揮したのは、考えてみれば
「気づく力」でもなんでもない。
マニュアル化、自動化した作業にあっては、
「本当は誰だって気づいている、気づける」ようになっている。
では、ここでどういうことが起きているか、というと、
つまり、どういう権力構造が起きているか、というと、

「顔色で機嫌をあらわして支配しようとする人と、
顔色を読んで動いて支配される人」

という支配構造になっている。

わたしはまわりに持ち上げられ、いい気になっていたが、
わたしはつねに「支配される側、搾取される側」にいた、
そのことにも、今の今まで気づかなかった。

わたしは力があったのではなく、
ただ、まわりの顔色を迅速に察知していただけだった。
なにか相手が困っている「顔」、不機嫌そうな「顔」をしていれば、
わたしは咄嗟に手をさしのべた。
その反応が「まわりと比べて早かった」というだけだったのに、
これを特技だと思いこんでいた。

まわりの顔色次第なのだ。

アルバイトまで親にあてがわれていたとは・・・

成人後すぐに、親が与えていた「飴」のかわりを果たしたのが
ファーストフード系アルバイトでの社会的承認だった。
15年近くあれこれやっていたので、そこでのAC人格は
相当強化されたのはたしかだ。

顔色を読めるわたしはすごい、というAC人格。

顔色という言葉を中心に掘り進めているところだが、
これが恐怖の元になっているとは思っていたが、
まさか自称・成功体験になっている、とは考えていなかった。

一週間前、母からいきなり意味不明なメールが来たことで、
咄嗟にブログにそのときの思いを書き留めた。

咄嗟に書いたものというのは、わたしの場合はしばしば、
少し時間が経ちあらためて読み返してみると、
どこか傲慢な態度が鼻につく。

とくに自分で気になったのが、


>恐怖を直視できるか、取引しないでいられるか、
>その瀬戸際にいるときに

>・・・空気読めよ、

>今はあなた(母)にも、Pさんにもかまっている余裕はない。
>自分のことで手一杯なんだから。


の箇所。「これって、言っていることが毒親と同じじゃないか」と。

わたしとは会ってもいないし、声すらきいていない。
もちろん自我復元をしているなど何も知らないし、
生活や仕事の状態すら知らない。
なのにわたしはここで、咄嗟に、

「空気を読めよ」

と思ってしまうのは、親がわたしに対して
「顔色を察しろよ、なんでわからないんだ」
とずっとやってきたことと、まったく変わらない。

わかるわけがないのだ。

わかるわけがないものを、いざ自分が邪魔された、と思うと
「邪魔するな」と直接言わずに、態度に表し、
「顔色を察してほしい」と相手に要求しようとする。

ここで傲慢な態度が出るのも、
「わたしはこうやって顔色を読んで、空気を読んで頑張ってきたんだ。
そうすることで、自分のテリトリーを守ってきたんだ」という
歪んだ成功体験による自負があるからだ。

でもこれって、

「あなたの顔色を気にして生きているんだから、
わたしのことも邪魔しないでね」

という交換条件でしかない。相手のことにあわせて動きます、
だからわたしのことも認めてね、邪魔しないでね、と。
「自己犠牲しないために自己犠牲する」という矛盾がここにある。

こういう矛盾する約束は、つねに子でなく
親が得することになっている。
なぜなら、「邪魔されてほしくなければ、もっと我慢しろ」
という脅迫の程度を、それこそ気分次第で親が
コントロールできるからだ。おそらく幼少の頃、いや、今もだが、
ごくわずかな自分の時間、自分のテリトリーを守るために、
多くの犠牲を払っている。

でも、このようなハメに陥るのは、そもそもわたしが、
「邪魔されてほしくなければ、もっと我慢しろ、もっと顔色を読め、
もっと空気を察しろ、相手にあわせろ、自分の感情なんかフタをしろ!」
という交換条件に従ってしまっているからだ。

今回気づいたのは、
これに従ってしまうのは恐怖ゆえだろうと思っていただけだったが、
実はそれだけでなく、「我慢できた、顔色を読めた、空気を察することができた、
相手にあわせられた、自分の感情を押し殺せた」そういうAC人格、
顔色を読めるわたしはすごいんだぞ、とのさばってきた人格が
幅をきかせていたことだった。


このAC人格が恐れているのは何か?


それはこの成功体験と諸刃で
「お前、空気読めてねーぞ」
と言われることだった。

前回の投稿で親相手とはいえ、
「自分にとってもそれを言われると一番痛い」ということを
相手に向けていたことから、このAC人格が何を恐れているかが
よくわかった。ブログを書くときに限らないが、
わたしはつねに恐れているのは、

「あなた、空気読めていませんよ」
と言われることだったり、

「冷静に分析できていませんよ。ダメですね」
と言われることだと思う。

顔色人格の成功体験は、ここにこそあったから
同時に、なんとかこう言われまい、
思われまいと必死に取り繕う。


ひとつ、つながってきたことがある。


昨年末から、どうしてわたしは他人から
「調子にのるな」と言われるのが怖いのか、
いまいち、よくわからなかった。

昨年の段階では、
「調子にのるな」「いい加減にしろ」と怒鳴られ、
父からボコボコにされた人、その見せしめの光景が残っていて、
「調子にのるな」と言われるのが、きっと怖いのだ、
と思っていた。たしかにそれはそうだと思う。

「自分が言われると一番怖いセリフは何か?」
と考えてみると、やはり、この

「調子にのるな」

という言葉だった。

調子にのるな、と言われると、いや、言われなくても
言われそうだと感知(誤認も含む)するだけで、油汗が出てくる。
だから、わたしは年中、調子にのらないようにビクビクしている。

正確には、調子にのっていないように
「他人から見える」ように、その体裁だけを整えている。

以前にも書いたことだけれど、ここにはまた矛盾があって、
「こうやっていれば調子にのっているように見えないよね」という
傲慢さ、相手のことを察したという思いこみ(慢心)があって、
それ自体がバレると、その上から目線に対して
「調子にのっている」と相手に言われてしまう・・・
だから、そんな調整はしていませんよ、わたしはいつも必死です、
一生懸命に頑張っているだけです、というパフォーマンスをしようとする。
だけれどそれが嘘なのは自分がわかっているわけだから
いつもびびっている。

ではなぜ、そこまでして、調子にのっているのをバレないよう、
ひた隠しにしているかというと、怒られる、罰を受ける、と
思っているからだ。いざ「調子にのったことをやってみよう」
としても、反射的に、「それはマズイ、怒られる・・・」という声が
自分の中からきこえてくる。

調子にのるな、イコール、
「察せていないんだよ、Aby」
「顔色、読めていないんですけど」と言われることと
どうやら同じくらい、ドキッとするようだ。


調子にのると、何が問題なのか?


調子にのっていると、
自分のことしか見えなくなって、
相手のこと、相手の顔色が見えなくなってしまう。
それは命とりですよ、親の不機嫌を見過ごしたら、
あなた、死にますよ。

こういうことなんじゃないだろうか。

殺されない条件として、
「親の顔色に、十分、神経を使うこと」。

わたしの母が「平然としていなければダメよ」という意味は、
冷静に状況、顔色を見ていなければダメよ、という意味だ。
感情的になったり、自分のことに没頭しているとダメよ、と。

これが生き地獄なのは、
親の顔色がいいと束の間、嘘の安心は得るものの、
いつ、調子にのるな、と言われるかわからないで恐れている。
冷静に観察、客観視できているという慢心も束の間。
(しかも、顔色人格は、自称・成功時は、何でもバカにできるんだぞ人格
でもあるので、内心、調子にのっていることを、自分でも知っている)

「今はとりあえず、大丈夫だ、大丈夫に違いない・・・」と
生体反応なく、自己確認をひたすら繰り返している。

しかし、相手の顔色は、自分のコントロールの
外にある。いつ豹変するかわからない・・・というか、
親の気分次第。

いくら努力しようと、たった一言、
「調子にのってんじゃねーぞ」で狼狽する。
(しかも、ここに見せしめの恐怖がすりこまれているから、
実際はそう言わなくても、十分な効果が持続する)

こうやって親の気分次第で「調子にのるな!」と言われれば、
ちゃんと顔色を読み取れていなかったんだ、
状況を把握していなかったんだ、相手の気持ちを察せて
いなかったんだ、相手の言いたいことを読み間違ったんだ、と
自分を責め始める。「だから罰せられてしかたがないのだ」
という理由を、自ら作り出す。捏造してまで。

こうなると、「わたしのせいじゃないと言ってもらいたい人格」が
自白か隠蔽か、と、とり乱し始める。
自分自身で、「自分は罰せられてもしかたがない。だって
顔色を読めなかったのだから」と決めつけているから、
怒られて当然だ、罰を受けて当然だ、と思いこんでいる。
幼少期は、これがとりあえず「ごめんなさい」と言う、
というあの癖につながっている。

ここには、わたしがどうしたこうしたに関係なく、
「親を不愉快にしたのだから、子どもは謝れ」
という考えがベースにある。その考えを認めてしまっている。
Pさんに対しても、わたしはいつも何も考えず、
「Pさんが不機嫌になったら、謝る」ということをしていた。
また、それは当然なことだ、と思いこんでいた。

同時にそれは、わたしが相手に対しても
同じことを思っている、要求している、ということで、
「わたしを不機嫌にしたら、謝れ」と
相手に対して思っている。

これが、前回の投稿の

>・・・空気読めよ、

というわたしの親に対する態度にそっくり表れていた。
読めるはずもない空気を、わたしが気分を悪くしたからという
ただそれだけの理由で「なんで読めないんだ、読めないあなたが悪い、
だから謝れ」という主張になっている。

Pさんに対して抱いたイライラの原因の多くもここにあった。
口には出さなくてもこのイライラの主張は、

「どうしてもっと気をつかわないんだ?
つかえないんだ!すこしはわたしの気持ちも察してくれ」

というものだった。


前回の投稿に記したわたしの
母からのメール、

「ママは一生悲しい。」

という表明の仕方はその典型的なやり方で、
「わたしは今不機嫌だ。その原因は、Aby、お前にある」
と言いたいのだと思う。

通常、今までなら、ここで「どうしたの?」とたずねてきた。
今回はきかないでおいたため、夜中に、20分おきくらいに
6通のメールが届いていた。

母からすれば、最初のメールで
すぐに反応してこないわたしが信じられなかったのだろう。

だいたいなんで苛立っているのかすらわからなかったが、
その後のメールの内容を見てわかったのは、昨年末、
わたしの実家にずっと顔を出さないPさんが、
わたしの母に電話で価値観があわない等々で
口論になった件のようだ。

あの時は父まで出ててきて、
「Pに勝手なことを言わすAbyが悪い」とわたしが責められ、
母もそうだそうだと便乗し、もうAbyとは口をきかない!
という始末だった。

で、3ヶ月以上経ち、一方的に送ってきたメール。

一夜で6通、それからどうなるか、全面戦争でもなんでも
やってやる!と待ち構えていたが、それから音沙汰なし。
反応する必要もないメールだったので、今は様子見。

どうしようもないメールの内容だったけれど、
わたしにとっては貴重な「物的証拠」となった。
というのも、母も父も、わたしに直接罵声を浴びせることは
今まで一度もない、といってよいほどだったからだ。

昨年の秋頃も、はじめて母にわたしの幼少期をたずねたときも
「Abyといろいろお話できて嬉しいわ。Abyなら大丈夫よ、
自信持って前に進みなさいね。いつでも何でもきいてね。
わたしはあなたと話せて幸せです。ゆっくり生きていきなさいね」
なんて言っていたくらいで、わたしの両親はわたしが幼い頃から
こんな調子だった。

身体的な暴力もほとんどなく、言葉の暴力も証拠を残さない。
調教を掘っていくときの困難は、「そう言ってはいるけれど、
実はこう言っているんじゃないか」というふうに、表面的な言葉に惑わされず、
伝わってくる感じに神経を集中していくことだったが、今回、
わたしが即反応しなかったことで、予期せぬ罵声が飛んできた。

こんなメールだった。
(個人情報、といっても固有名詞だけ変えてそのまま掲載します)
毒親全開のメールだった。


【メール 1通目】
ママは一生悲しい。


【メール 2通目】
あれほどまでに一心に愛情をかけてきたのに。


【メール 3通目】
Abyの大切なパートナーから、パパ、ママ、妹、弟までもが
全否定され罵倒されたということは、どおいうこと。
Abyも一緒ということね。ママは死にたいくらい残念。
でも子供は貴方だけではない。


【メール 4通目】
連れ合いの母親にケンカをうりますと言い、
聞きとれないほどに怒鳴りまくるなんて。心がさむすぎる。
どうにもならない。


【メール 5通目】
言いたい事だけ言って、やりたい事だけやって
感謝も忘れ、我慢も忘れてしまうなんて。


【メール 6通目】
そおいう意味では貴方の大切なPさんに言われた通り、
どおいう育て方をしてきたんですか?と怒鳴られたのも、ごもっともかも。
でもあまりにひどすぎる。



 ・・・ 「(後半) 取引」に続きます。




2014.04.20
Aby



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# by jh-no-no | 2014-04-20 01:14 | 復元ノート 1