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「社会」へ-自我復元後日記[076]

長かった。

着陸するまで、本当に長かった。

着陸してからも、
私は戸惑っていた。

私は自我復元の道のりを思い出していた。

3つ、節目と呼んでいいところ、
それは、「懸け」だったところが、あった。

自我復元の一番最初と、
自我復元の真っ只中と、
自我復元後、このそれぞれに、3つの関門があった。

「どうなるか」本当にわからない、3つの「際」だった。

そして、今日、思い出した。

毒親が「私から」奪ったのは、
何だったのか、を。明確に。

私は、「特別な人間」なんかじゃない。

私は、その洗脳が、さっき、
とうとう、解けたのだ。

私は、「社会人」になったんだ。

これは、自我復元をやってきて、
まったく予期せぬ「最大の変化」だった。

自我復元は、
「自分を取り戻す」
と、私は思っていたし、実感もしていた。

それは間違っていた、というわけではない。

しかし、

着陸してみれば、

何がまったく「予期せぬ」事実が迎えてくれたか、といえば、
自分を取り戻す、ということは、
「拍子抜けなほどに、普通な状態のこと」だったことだった。

私は、一人の社会人になった。

2016年8月29日、おそらく時間は深夜2時頃だったろう。

私は、仕事帰りの、あの「歩道橋」の十字路を渡る時、
私は、やろうかどうか躊躇っていた5つのことを
「やろう」と決心した。

それは、猛烈な戸惑いに私自らが、
「宙吊り」になることを選択し、
数日を経て、「とった行動」だった。

昨日、今日、とくにそのピークに、
私は、実は、戸惑いのさなかなのに、
私は、「気持ちよかった」。

理由なく、気持ちいいのだ。

戸惑い続けても、ずっと、在り続けたものだった。

「気持ちいい」

しかし、

戸惑っていた。

でも、気持ちいいのだから、
戸惑っていても、どうでもいい、といえば
どうでもよかった。

でも、戸惑っていた。

自分か、他人か。

自分の世界に「閉じていれば」それでいいのか?

私は、思い出したのだ。

毒親が、私から奪ったものを。

毒親は、私を「自分の世界」という籠に閉じ込めた。

それで、私は何が「できなくなった」か?

私は、そう、これは、

4つ目の「懸け」だった。

自我復元の長い道のりで、
私が、自分独りで、成し遂げなければならない
最後の懸けだった。

これは、自我復元、と私が「これを絶対に成し遂げたい」と決めた、
その意味で、「最後の」関門だった。

自分か、他人か。

それは、自分の世界に閉じこもるか、
社会に出るか、という選択だった。


そして、


私は、


「社会」


を選択した。


でも、もう、これしかなかった。

そして、

それは、懸け、でありながら、
「飛んだ」時に、一切、悔いはなかった。


8月の終わりに向けて、

私は、徹底して行ったことがある。

「魂の殺人」を、徹底して、許さないことだった。


それは、徹底していた。


それは、私の中に残る「ゴミのソフト」を
全滅させる精神と行動だった。


そして、最後に残っていたソフトは、

「自分の世界」

だった。

それは、何か、特別なものでなければならないまま、だった。

私は、声を大きくしていいたい。

自我復元は、解毒の道、それ以外ない。

そして、毒親が、何を私に出来なくさせたか、

それを知るだけでなく、

「その真の魂の殺人者を、死刑にする」

ことなくして、氷解はあり得ない。

息の根を、本当に止め、
真に毒親の亡霊からの影響を「断つ」とは
そういうことなのだ。

そして、それが私の、この8月終わりの、
そして、それは、自我復元の「クライマックス」だった。

それは、本当に、「懸け」だった。

私が「社会」を選ぶ、それは100%、懸けだった。

ただ、私は思い出したのだ。

毒親が奪ったのは、何だったのか、を。

自我復元のカウンセリングを経験したことで、
私は、これを思い出した、といっても過言ではない。

私にとって、自我復元のカウンセリングは、
私自身が、この長すぎた道を、自分の手で「とどめ」を刺すために、
思い出す必要がある地点を、思い出すことに意味があった。

そして、これだけは、

今日、

「社会人」になったことで、今になっていえる。

自我復元のいくつかの懸け、その「際」は、
つねに、未知な「懸け」だ、ということ。

思い出しても、そこにあったのは、
「掛け声」だけだった。

ふりしぼるように、出した、声。

そこには、何の保証もない。
確信もなければ、それはまったく「どうなるかわからない」懸けだった。

なぜか?

理由は、簡単だ。

私が未知な世界だから、なのだ。

なぜ、未知か?

親がそこに「行かせなかった」からだ。

なぜか?

親が、行けなかった、からだ。


これが、「代理復讐」という真相だ。


私は、ずっと、窮屈だった。


「窮屈」という違和感から、
私のブログは始まった。そうだったね。


私は、もう、そこにいたくなかった。


籠から、私は、出た。


外が正しいから、でもなく、
美しく見えたからでもなく、
これでいい、と思えそうだからでもなく、

ここは居心地が悪く、

ならば・・・「出ない」意味がなかった。

出ない意味があるとしたら・・・

そこで思い出したのだ。

「出させまい」とした者は、誰だったのか?を。

しかし、私は戸惑った。

「自分の世界」、ここは、悪いのか?と。

だって、今、私は、気持ちがいい。

それは、非常にデリケートな表現なのだが、
自分の世界が気持ちいい、のではないのだ。
自分の世界であろうが、他人の世界だろうが、
その「戸惑いのさなかにいる今の状態」でも、
私は決して、ダメ、じゃなかったのだ。

私は、生きる、ことを選び、
そして、生きている。

迷おうが、なんだろうが、
私は、生きている。

私の生を、誰も邪魔することはできない。

そして、その邪魔されていない状態も、
こうやって日々、経験している。

それでも、私には、残ったのだ。

自分か、他人か?

自分の世界、というところにいようとするのか、
それとも・・・

これは、この最後の関門で肝心な点だったのだが、
私は、もしも「自分の世界」というものに対して、
「そこは間違っている」という価値のようなものがあったのなら、
当然だが、社会を選択した私の行為は、懸けでもなんでもない。

私は、今や、自分の世界を持っている。

軸、のようなものだ。

中心、といってもいい。

なんとか、上手く表現してみたいが、

結局、その「自分の世界」、軸、中心、を、
「汚された」ということなんだよ、毒親のバカ野郎に。


自分の世界を、私が取り戻した、
自分を取り戻した、


で、済まされない、済ましてやるわけにはいかない、
という、それほどに、影を落としたのが、毒親だった、ということ。


だから、


「死刑」


だ。


ただ、これは、恨みではない。


自分を取り戻してからも、やることがある、っていうこと。


私は、懸けに出た。


私は、自我復元者だ。

私は、この3年半以上、何をやってきたか。

「毒親が何を私にしてきたのか」

この解明をやってきた、と言っていいだろう。

私は、これをやってきたのだ。


そして、最後に、掘ったのは、これだ。


「私を社会に出られないようにさせた」


社会に出ないための理由なら、
幾万もの理由を捏造できる。

でも、私は、今や、
「理由」があって、「生きて」いるわけじゃない。


「生きている」、だけだ。


深呼吸をし、気持ちいい、と感じる。


何度も言うけれど、
今、だから言えるのだ。

懸け、とは、未知なのだ。


今だから、こう言えるのだ。


代理復讐は、させない、と。


自分を取り戻した、では、
自我復元は終わらなかった。

毒親にとって、「死」とは、
「代理復讐の完全な失敗」のことだ。


今、思い出した。


昨日、一昨日、と、
この8月の終わり、何かが起こる、と思っていた。
起こる、というより、起こす、というか、
もはや、それは同じ意味だ。

何が「ある」か、と思ったか、というと、


「契約」が終わる、こと。


完全に、契約破棄、となること。

私は、それに向けていかねばならなかった。

どうしても、そこに向かっていかねばならない、と感じていた。

私の魂を殺そうとするもの一切を、
私は、ただただ、見る、ことをし、
見ては、その殺人者を殺してきた。
殺してきた、というのは、「無効」にしてきた、という意味だ。

8月の中旬から、突然、この半年常にぶり返してきた
身体の不調が「消え」、なにより、味覚と舌の状態が元に戻り、
消化器の状態がよくなり、無理がきかない、という感覚が消えた。

自我復元のカウンセリングも、
そのタイミングで始まる。

私は、この「クライマックス」に
無意識な部分も含め、集中していた。

書も届いた。

「一期一会」だとは、まったく、思わなかった。

私は、「花」と「茶」と書いてあるとしか、思わなかった。
完全な思いこみで、「こんな花、こんな茶があるんだあ、これいいなあ」って。
私は、そういう花を弾きたいし、そういう茶を弾きたいって。

そして、

今も、それは、私には、

「花」

であり、

「茶」

であり、私は、一番、気に入っている。

自分一人で笑い話に・・・なんて思っていたけれど、やめた。

みんなで、笑ったほうが、いい。

だって・・・花って見えるでしょ?茶っていうふうにも見えるじゃない?

そんなことより、夏の空、綺麗だなあって。

しばらくブログ更新しなければ、
ぱっと開くと、いつも、あの夏空に映える書が見れるなあ、なんて思ったり。
・・・数日でしたね。これをアップしたら、しばらく、見なくなっちゃうんだ。

委縮、とは、

こういう話すら、書けなくさせてしまうのだ。

「こんなこと書いてどうすんの?」って。

私一人、この話を持って、
それでいいんだ、って思って・・・ここに残る窮屈感が委縮なのだ。


最近、経験したことから思ったことがある。


「問題など、何もない」


と。言葉遊びに聞こえるかもしれないが、事実、
問題があってもそれは問題ではなく、
問題がないのなら、それこそ、問題があることのことなんだ。

「問題がない」つまり「これでいいんだ」というAC人格にさせた
毒親のその動機とは、実は、「これは問題だ」という毒親の考えに
永遠に縛り付けるためである。

それが、嘘、なのだ。

「これは」「問題だ」と思っていたことは、
何一つ、問題ではなかったのだ。

私は、問題が「解決しそうだ」「今、その間近にある」と思った時、
それを阻止されそうになると焦る癖がある。
それによって、私は、「だだをこねる」という衝動的行動に出やすく、
これもまた、根強い癖だった。

その元凶を追ってみると、
そもそも、「問題を避けよう」としていることが原因だった。
避ける、というよりも、一つ一つこなそうとしていく癖なのだ。

「これをこなし、はい、次はこれをこなし、次は・・・」

ふと、小学生の頃、トレーニングペーパーという
自宅でやる自習用ドリルをやらされていたことを思い出した。

「今日の分は終わった」

という記憶。私の人生はそればかりだった。
今日のは終わった、次はこれ、それも今終わった、次は・・・

こなす、こなし続ける、

それが、「正解」だったのだ。

問題がある、とは、「やらねばならないことが残ってるぞ」という
毒親に埋め込まれた「指令」の言葉だった。

当然、こなす、ことで、ほっとする。
それが、正解の感覚になる。
だから、こなそうと思っていたものが、あともう少し、というところで
思い通りにいかないと、強迫的な焦りが生じ、なんとか相手にただをこねても
こなそうと躍起になる。

これを分析してから、
私は、死後、この罠にかからないためにも、
この現実世界で、訓練していく必要があると思った。


なんだか、随分、話がそれてしまったようにも思うが、
こういったことが、私の最近の大事な流れだった。

「問題は」無いのだ。

しかし、私は、ここ数日、強い、何かを感じていて、
それは、8月終わりに向かう中で・・・そう、
実は、私は、なんだか、すっごく、楽しかった。
深刻な顔して、楽しかった。

楽しい、というより、どうなるのか、
自分にもわからず、ワクワク、というか、
いい意味で、ソワソワしていて、ドキドキしていた。


今日の投稿は、本当に、好き勝手に書いてきた。


でもね、これが、本当に思っていることなんだ。


私は、5つのことを、これから
やっていきたい、と思っている。

1つ目は、衣装ケースを作ること。
段ボールで作ることにしたんだ。
今日、買ってきたんだ。

2つ目は、私は、歌を習いたい、と思う。
この人に習おう、と決めている。
私は、歌ってみたい。

3つ目は、「どらっ子キッズ(仮名)」という
子どもたちと遊ぶ会を開いてみようと思う。
お菓子も作るよ!

4つ目は、ある女性にファンレターを送ってみようと思う。
小さな団扇の裏にメッセージが書けるようになっていて、
8月の頭に書いたまま、そのまま、閉まってしまった手紙。
「好き」な気持ちを伝えたい。

5つ目は、今、苦しんでいるその方へ
サシェを贈りたい。


私の「社会」とは、そこだから。


この5つのことをやろうと決めたのが、
また、あの歩道橋の十字路だった。

仕事の帰り道の深夜2時。

4日前の8月25日も、別の十字路だけれど
その時間、素敵な出来事があった。
・・・これは、ヒミツにしておきたいな。


なんだか、もっと代理復讐、許さない、これが死刑なんだ!とか
言うテンションだったけれど、話がそれてしまったせいにはしないけれど、
言いたいこと、書きたいことは、書いたかな。

今日の投稿の番号[076]。
この数字はとても愛着がある。
私が、3年前、このブログを始めて投稿した日が、7月6日だった。

長かった、から書き始めた今日の投稿。

昨日も、というか、よく思い出す。

あの時、そう、あの時、って。

どれも思い出すと、ほんと、ひやひやする。

4つの関門に限らず、私はいつも、挑戦の日々だった。

リアリティーがない、とわかりながらも
私はブログを書き続けた。
リアリティーがない、と自覚しつつ、それでも
私は、書くのを止めなかった。

しがみつく思いだったから。
必死だった。

でも、それは、ずっとそのスタンスのまま、
今まで変わらないで続けた。

リアリティーがない、
そんなことを恐れていては、
自分を救出など出来やしない。

未知に飛びこむ、なんて、
もっと怖いことなんだし。

自我復元を始める、それ自体、
未知だったはずだ。

それは、この「出口」となった


「社会」


というのが、私にとって、
未知だったように。


社会、というのは、
私にとって、「生活」のことだった。

「私の生活」のこと。

ひどく当たり前でしょ。

でも、私がさっき体験した「当たり前さ」は
言葉の表現など褪せてしまう「当たり前さ」だった。


・・・今、書いたこの上の6行。
社会、というのは、の行からの6行だけれど、
さっき、消してしまった。

でも、元に戻した。

消してしまう、とすごく嫌な気持ちがする。
リアリティーがないと感じてしまったから、だけれど、
自分で言っておいて、やってしまったこの嫌悪感は耐え難い。


「私は何も特別な人間じゃなくて、普通の社会人になったんだ」


というあの体験の感覚がもう、消えてしまっていて、怖いんだ。


でもね、


私は、


こうやって


自我復元をしてきたんだ。


そして、


私は、


今もこうやってやっていくから、


わかるんだ。


これが、


「意志」


なんだ、と。


よし、やっぱり、ここに行き着いた。


私は、


代理復讐を完全に失敗にさせる。


毒親よ、舐めんなよ。

死に物狂い、とはこういう生き方のことだ。

私はあなたたちを殺す。

死刑だ。

逃げられない、と知れ。

代理復讐は、絶対に、させない。

「自分を取り戻したんだから、いいでしょ?」

じゃねーよ。それで許されると思うんじゃねぇ。


自我復元者の不屈の精神を


地獄の底まで


思い知るがいい。



これが、Abyの言葉だ。


2016.8.29
あび

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by jh-no-no | 2016-08-29 07:03 | 私の生き方


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