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「母」という遺影の決壊-自我復元後日記[020]

このブログが、今、「母」という遺影を決壊する。

そういう力を込めて、私はこの投稿を書こう。


「あなたを差し置いて、わたしは幸せになってはいけない」


最後の最後まで、私に「罪悪感」を与えたのは、
私の母だったあなただった。

私は、あなたに、今、言わなければならない。


「私は、あなたより、幸せで、素敵な女性なのだ」

「私は、あなたを差し置いて、幸せになる」


私は母が亡くなってから、昨日初めて
泣いた。

私はあなたを好きだったからだ。

そうでなければならなかった。

あなたを差し置いて、私は幸せになってはいけなかったから。

そういう契約だった。長い過去だった。
Pと出会う前の20年、私が守ってきたのは、
まぎれもなく母親のあなただったから。

先日、私は、動画サイトで、
ある一人の女性を見つけた。

その女性は、弦楽器の奏者だった。

その動画を見ようと思った動機は、
その女性の下腹部が魅力的だったからだ。

肉付きがよく、健康的で、
堂々と見せている姿に私は魅かれた。

その弦楽器に、私は今までまったく興味を抱いたことはなく、
むしろ、最も関心のない楽器だったが、
彼女の演奏を聴き、私はその弦楽器が大好きになった。
「打身」と名づけたい楽器とは、まったく違うけれど、
もしも、彼女が奏でる音楽を打身で奏でたら、
どんなに美しい調べになるだろう・・・と思ったりした。

なにより、その女性の笑顔が美しかった。

笑顔が笑顔している、そのための笑顔として閉じているその美しさが、
あまりに自然な笑顔だったからだ。

これは、私の笑顔とそっくりだった。

私は、仕事上、時々だが、幼い子どもにも接することがある。
会話するわけでもないが、私は、一歳前後の子どもとよく目で会話をする。
そして、「うん」とか「そう」とか、それだけが、二人の会話だ。

その笑顔は、私が子どもに向ける笑顔そのものなのだ。

その笑顔の意味を、子どもたちは知っている。

子どもは、「身体」で知っている。
なぜなら、その笑みに、身体が反応するからだ。
身体とは、感情のことだ。

私が微笑むと、子どもは、いつも、ふっと安心する。
張っていた糸が切れるかのごとく、
ふっと、瞬間に、ほころぶのだ。

味方だ、と知れるからなのだ。

でも、子どもにとって、大人の私のことが味方だ、と
そう思えたこと、それそのものは、本質的なことじゃない。

その子が経験していることというのは、

「自分がほっと感じたことは、正しいんだ」

という、その子自身の感覚なのだ。

身体、感情、リアリティー、今自分が生きている実感、
その子の我が家・・・その子が思い出したのは、自分の中心だ。

それは、私自身、同じことを経験する。

昨夜、私の日記には、

「今日はとってもいい日だった。
笑って本当に楽しかった。」

と、それだけを私は書いた。

昨日も仕事中、
そんな、一人の女の子と私は出会えた。

ちょうど一歳になった頃かな、つかまり立ちが楽しい月齢だ。
チョコレートを口のまわりにつけて、堂々と不安な顔をして私を見る。
じっと見ている。

私は、ただ、笑顔をその子に向ける。

しばらく、そのままの顔で、フリーズしているように見える。
それはごく自然な反応だ。

そして、必ず、といってほど、
私が手を振ろうとすると同時に、子どもは、誰に言われることもなく、
バイバイ、の手をする。その時、その子の顔は、ほころんでいる。

糸が切れたような安心の顔は、
その前の堂々と不安な顔とは、ぜんぜん、違う。

不安な、というと、よくないようにきこえるかもしれないが、
不安で当然だ。何が起こるかわからない毎日、外の世界と接し、不安でないはずはない。

しかし、私がいつも、素敵なその顔、って思うのは、
「堂々と」していることだ。堂々と不安な顔をしている。
不安であることを、まったく、隠そうとしていない。

笑顔というのは、ちょっとした遊びだ。

子どもにとっても、私にとっても。

笑顔遊びという二人遊びは、
その顔を別な顔にさせてくれる。

そして、そこはとても落ち着くのだ。
だって、「我が家」だから。

そう、いないいないばあ、と同じ。

いないいない・・・と言っている時は、
子どもは不安な顔をしている。
でも、ばあ、と大人の顔を見せると安心する。
それは、戻るべき元に戻れることを、確認できるからなのだ。

笑顔は、絵本がなくても、
それ自体が、いないいないばあ、になるんだ。

大人が、ふと、笑みを浮かべてくれる。

それだけで、安心するものなんだ。

安心を感じている自分のその感情を、
自分の「身体」で実感する経験。


これは、

私自身が、自我復元で取り戻したものだった。

身体、感情、生きている実感、リアリティーだ。


ここから、特に、母だったあなたに聞いてもらいたい。


その動画のその女性の笑顔が素敵で、
それは、まさに、今の私の笑顔のようで、
下腹部が象徴するように、身体は健康的に自分自身によって愛され、
それもまた、今の私にそっくりで・・・


これが、何を意味するか、
あなた、わかるだろうか?


あなたの悲しそうな顔に、笑顔はなかった。
私はそんなあなたをいつも気遣わなければならなかった。
あなたがいくら、きれいに笑っても、私はママはきれいだ、と
そう思いこむことくらいしか、出来なかったんだよ。

それと、あなたは、自分の身体を捨てた。
ズタズタに捨てた。よくあんなことしたな。
私は、あなたを軽蔑する。

毒父がリンゴをむかないのなら、
あなたがリンゴをむいてもよかったんだよ。
「大丈夫~?」とあなたがいくら言って心配したフリをしてもわかるんだ。Pと同じ。
「なんでワタシがアンタのこと心配しないとなんないの?
ワタシのことこそ、心配してほしいわよ」って、あなたはいつもそうだった。
迷惑そうな顔ばかりして。


その弦楽器の女性はね、
あなたの胸より、あなたの下腹部のより、あなたの顔より、あんたのスタイルより、
そのメイクも、髪型も、あなたより、綺麗だった。


ママ、そう僕が感じた時の気持ちが、
・・・あなたに、わかりますか?


あなたは、子どもの私にとって、
世界一、綺麗なママだった。
どこへ行っても、「綺麗なお母さんね」って言われて、
僕は嬉しかった。僕もママは本当に綺麗なママだって思っていたんだから。

でも、

今、

目の前に、

そう、PCの壁紙にしたから、目の前だ、

目の前に、あなたより、綺麗な女性がいる。

そして、

それは、


「私」


なんだよ。


ママの方が綺麗だ・・・そう私は言ってあげてきた。ずっと。

だから、わかるだろうか?


「私」のほうが、母のあなたより、綺麗な女性なんだ、と、
これを言うのに、どれほどの、罪悪感があったか、あなたにわかるだろうか?


あなた、母の遺影は、
私の中で、P以上に、のさばっていたんだ。


時々夢を見る時の謎が、ようやく、解けた。

つい先日も、夢に出てくる父やPは、やり口がわかりやすく露骨だった。
父は暴力的で、私も、ナイフや工具で備えている。
いつでも殴打できるような工具を私は探し、手にする。

Pはそういうやり方ではない。その日の夢では、大学の構内だろうか、
私はベンチに座っている。誰かが演説のようなことをしていて、私の左隣りの男性は、
分厚いその演説者と関係があるような本を読んでいる。
私も何か別の分厚い本を読んでいるようだ。
ふと気づくと、右隣りには、私とまったく同じ分厚い本を、
しかも、まったく同じページを開いている。その女性は、そこで言うのだ。

「こんなに、運命的な(一致の)関係だったのにね・・・」
そう私に言ってくる女性がPだった。これもまた、Pのやり口だ。

しかし、いつも、母はかつてもそうだが、
はっきり夢に登場人物として出てこないことが多いか、
私が目覚める頃には忘れてしまうようだ。
なのだが、いた気はするのだ、いつも。

思い出そうとすると、それはまるで母の遺影のように、
さらにモノクロのようでもあり、そこに写る母の顔はどこか悲しい。
どこも攻撃的ではなく、こちらが「どうしたの?」と思ってしまうような
そんなたたずまいで、居る、感じ。その日の夢もそうだった。

私がそれから思ったことは、

「なんで、まだ、私の中にいる(のさばっている)んだ???」

ということだった。

自分でも、これがひっかかる、というのは、
それなりに理由があった。

それは、どうしても母を敵視する気になれないからだった。
露骨な攻撃もなく、母は死んだ。
先日、あの一連の嫌がらせメールを久々に読み返してみた。
(これはもちろん攻撃であり、ある意味、本性だったのだが、
母本人の攻撃性としては、リアリティーに欠けていたのだ。)

一連の嫌がらせメールを再読した後、
母と半生を費やしたことを感じて、どうしてか、涙が出てきた。
その涙はティッシュで拭い、翌日、燃やして捨てた。

その頃から、ここに今日、書いてきたように、
「母」という遺影の決壊へと掘る手を動かし続けた。

私は、その弦楽器を奏でる女性を見て、
「この女性より、素敵な女性になろう」と思った。

ここには今日書いたような複雑な気持ちがある。
この女性より、と比較でいうのは、
私がこの女性を母のあなたと重ねているからだ。

しかし、「より」と言いながら、私は比較していないことも知っている。
それは、この女性はまったく私だ、という認識からくる。
その認識のほうが、はるかに優位になっていく。

その優位に切り替わるところの、わずかだけれども実は大きかった壁が、
どうしても、ママは一番きれいだ、という壁だったことに
今回初めて気づいたのだ。

これは、4月から指導を受ける先生(女性の先生)の演奏動画を見ている時も、
実は、じんわりと感じていたことだったのだ。ただ、その時は、ふと
母のことを思い出してしまい、なんか嫌だな・・・と思いながら、
そのままにしていたことだった。

ママは一番きれいだ、というのは、
どういうことなのか、というと、
実は、「私」が母よりきれいになってはいけない、ということだった。

そして、それは決して、「外見」のことを意味していない。
そうではなく、「幸せになってはいけない」ということだったのだ。

きれい、とは、私にとっては、
まさに、「笑顔」と「身体」に表れているもののことだ。
それは、自我復元で取り戻してきたもの、血まみれになって取り戻したもの、
それは身体反応を伴う「感情」であり、リアリティーの伴う「生きている状態」だ。

これが、

「きれい」

ということだから、きれいでない、というのは、
それはゾンビである。無感情で、生きていない状態。
それは、私であり、母でもあったのだ。

しかし、私は、Pと同様、母を理想的な「きれい」な女性に思いこんだ。
思いこまされた、でもいい。結果、今まで掘ってきた対毒親の共依存関係として、
私は自分の立ち位置として、

「お世話役」

というAC(大人子供)を選んでしまった。

そのお世話役が、あなたを「超える」ということは、
考えもしなかった。

そして、私は、超えた、ことを
今、その結果のほうから、最後、あなたの息の根を、
のさばる「母」という遺影を割り折ろう。

あなたは不幸だったのだ。

決して、きれいではなく、感情を親に言われるがままに捨てて
死んだように生きてきたゾンビだった。

私もそうだった。

しかし、今は違う。

自我復元は、そう、母よ、聞いているか、
自我復元は、きれいになるために、この生を「懸けた」ものだった。

それは、母のあなただけが、今ここで聞けば済む話じゃない。


毒父、

耳の穴をかっぽじって聴け。


これが、「本当のババ」なんだよ。


あのババじゃなく、本当のババとは、

「きれいな」

女性のことなんだ。


それは、あなたが「馬鹿くわぁ~お前はぁああ」と言った相手、

息子の、


「私」


あびのことなんだよ。

そして、それは、この世界の子どもたち全員のことなんだよ。
笑顔遊びを楽しむ、いつも中心に戻っては安心して眠り、
ご飯を食べて、眠り、また外の世界へ、ひとり、冒険に出る。
また別の生き物(者)と、笑顔遊びをし・・・

それが、毒父のあなたも、母のあなたも、
本当のあなたが本当に理想としていた


「お母さん」


だったんだよ。


そして、本当のお母さんというのは、
子どものあなたに「理想」を語らない。

あなた自身が、それ自身であり、
あなた自身の肉体に宿る我が家こそ、
安心して戻れる家であることを、
あなた自身が、自分で戻れるように、
ただ、微笑んでくれて、
そして、その大事な身体の世話を
最低限してくれるのが、毒親ではない、
本当の親だと私は思う。


最後に、一番、私が書きたいことを書いて、
このおそらく、今月最後の投稿、昨年もそうだったが、
年度という区切りの大事な投稿を終えたいと思う。


氷解、決壊、こういったことは、
繰り返しになるが、
AC人格による予定調和的な「行動変容」を
決して引き起こしたりはしない。

つまり、私は、

なにも、

今から、「最高に素敵な女性」になるわけじゃない。

そうではなく、

ずっとどこかで思いこんでいた私の


「女性性」


という、その


「束縛」


から、ただ、自由になった、それだけのことだ。

きれいな女性になれたら、それもいいかもしれないけど、
どうかな?

私は、もっとこれから、自由に恋愛をしたい。

好みの女性とセックスもしたいんだ。

遮断射精だってまだ初心者だけれど、
少しずつ、やってこれた。
好きな女性が、セックスで本当に満足し、
そんな相手を、私ができるなら、思いっきり、男性でありたい。

話がそれてしまうけれど、
2月の末に大風邪をひいて、もうすぐ一か月が経つのだが、
私の中では、ずっと何かがくすぶっている感じがあり、
医者にそのことも言い、かかってきたが、原因がわからず、
紹介状を書いてもらい、昨日、ちょうど新しい病院に行ったところだ。

懸念していた通り、少し生活リズムとして無理をしたせいもあったかもしれないが、
3日ほど前、2月末と近い症状が再発した。
3週間以上に渡って「病状日記」をつけてきたので、
今回は大きな症状に悪化する前にやれる対処をしたので、最悪の事態はしのげたが、
まだ、今後どうなるかはわからない。

でも、私は、思うんだ。

こうやって、今、生まれてはじめて、
自分の身体と私は本気で向き合っている。

食のこともそう。
二食にしたり、と思えば、五食も六食も食べたり、
血糖値とかよくわからないけれど、今までやったことのないことばかりだからか、
上手くいっていないほうが多いし、他人が見たら、完全にコントロールできていない、
と見えるだろう、と自分でも思う。

だけれど、私が嬉しいのは、この前も書いたけれど、
「コントロールしようとしていること」なのだ。
それは、逆にいえば、逆境の中でこそ味わえる・・・のかな?
なんて、余裕な気持ちにはなれないで、しかめ面になっていたりするのが現実だけれど、
3週間こうやってつけている病状日記などを読み返すと、
いかにあの時その時、悩み、考え、あれこれやってきたのかを見ることができる。

今までなら、失敗か成功か、どっち?
ということばかりだった。
でも、コントロールを自分でとる、というのは、
外は嵐の時もあれば、凪の時もあり、
結果、転覆する時もあれば、なんなく過ぎ去ることもある。

結果がどうであれ、
手元に自分が持っているはずの「舵」が
気づいたら無かった、なんてなったら、
満足して生きもできなければ、納得して死ぬこともできない。

自分が手にしていたはずの舵を放棄する、した、ということが、
結局は、不満、恐怖、不安、そういうことしか生まなかった、
ということを、これでもかこれでもか、と暴く作業が、自我復元だった。
そして、今、だからこそ、この自分の舵を手にする大切さを知っている。
それは、期待する行動変容のためでない。
元々そうだったことを、ただ、思い出すだけだ。


私は、女性性に囚われることは、
元々、なかった、ということだ。


で、思うんだよ。

女性もいいな、男性もいいな、って。

たとえば、今、壁紙にその女性の写真があるでしょ。

俺は男性だぜ、って思うのなら、
たまには、妄想をはたらかせて、自慰もいいんじゃないかなとか。
気持ちよさそうだし。

・・・あ、そうそう。実は、さっき大風邪がまだ治らない、と書いたのは、
これはちゃんと治したいんだ。というのは、おそらく、下腹部内に、
今私の病気の元がありそうだからなんだ。たぶん、それもあって、
まっさきに、下腹部が健康的に見えたその女性の映像が目にとまったのだと思う。

話を戻して・・・

もしも、私は女性だ、と自分で思うのなら、
壁紙の女性を見て、うっとりするのもいい。
こんな女性になりたいなあって、素直に思えばいい。

こうやって書くと、馬鹿じゃないか、と思われるかもしれないし、
たしかにちょっと馬鹿かな、とは自分でも思うけれど、
でも、私は、ずっとこう思うことすらできなかった。

自慰をしようとも、
この女性に憧れを抱こうとも、
私には、罪悪感しか残らなかった。

それは今回書いた母による罪悪感の壁もあれば、
かつて掘ってきたように、ヘンタイ的な毒父の女性への視線が
私にも感染していることが原因にもなってきた。

毒父のヘンタイさについては、ブログに書くにはちょっと・・・というのもあって
崩残さんとのメールでのやりとりの記録に残っている形だけれど、
これについても、はっきりと、毒父のヘンタイさを暴くことが重要な分析だった。

壁紙一つ、素敵な女性の、しかもヌードでもなんでもない写真を
貼りつけられなかったし、正直、今回も、最初は直視できなかった。

だからこそ、よし、と決めて、
「決壊させよう」と
この投稿を、さらに掘るようにしながら書いてきた。

今、あらためて見てみると・・・


「綺麗な人だなぁ」って思う。


そして、思う。


これから、たくさん、好きな女性と恋愛したいな!って。


2016.3.29
あび

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by jh-no-no | 2016-03-29 02:05 | 私の生き方


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