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「懸ける」-自我復元後日記[017]

食にしても、音楽にしても、
私はどうでもいいものなんて一つもない、と思った。

二食生活に戻すのに、すごい時間がかかった。
なぜそこまで二食生活にしようとしているのか。

それは、私が、そのような食べ方をしたいからで、
ただそれだけの理由なのだ。

先日、触れてみたい楽器があって、体験をさせてもらった。
私は、4月から、まずはやってみよう、と
この楽器の指導を受けることに決めた。

これも理由はシンプルだった。

その人が演奏している音を動画で見て聴いた時、
私は、その人のような、強く、個性のある音でひいてみたい、
と思ったからなのだ。ただそれだけの理由だ。

まったく初めて出会った楽器だ。
あの音を出してみたい。やってみたいのだ。

今、私は、このたった「2つ」のことにしか、
リアリティーのある関心がない。

二食生活と初めての楽器。

私は、この2つに「懸けたい」と思っている。

懸ける、とはどういうことか、というと、
これらは、まったくどうでもいいことなんかじゃない、と
私自身が自覚することだ。

どうでもいいことじゃない、と自覚することは、
その逆に、価値があることだ、とすることではない。
どうでもいいとかどうでもよくないとか、
それらは毒親の判断基準だからだ。


自分で、やる。


そこに、どうでもいいものなど何一つない。
やろうとしていること、やっていること、
それら、その連続が、すべて、即「結果」だ。
価値云々ではなく、私の生そのもの、それ自身。

2月末に大風邪をひいて、
「痛みと二人ぼっち」の病床を過ごしたが、
そのリアルな体験が不安なく満ちていたのは、
外部からのどんなものも、
「私たち」を脅かすことはできなかったからだ。

二食生活も、新しい楽器経験も、
私は、それらと二人ぼっちのリアリティーの中にいる時、
外部のすべては、

「味方」

になる。脅かしたり、不安を与えるどころか、
どんな未知なものも、というか、未知なものしかないように思える外部は、
私たちにとって、すべて、味方にしか思えなくなる。

私が、今、ここで思うこの「味方」という感覚は、
一方に「敵」がいる、という感覚ではなく、
「ありとあらゆるものが、自分の経験としか思えない」
という感覚である。

どうしてそう思うか、なぜ、そこまでに自分中心に
外部が存在しているように感じるか、というと、
ここに、「懸ける」という生き方があるからだと思う。

昨日、ある本を読んでいたのだが、
戦時中に、一日一人おにぎり一個しか配給がなく、
おなかがすく2人の我が子に、自分の分を半分にして
分け与える母親の描写があった。

幼い子をおぶり、なんとか食べられるものはないかと歩き、
意識は遠のき、切り株に座りこむ。その時、通りがかりの人から、
しっかりしてください、と黒砂糖を口に入れられ、ハッと
意識を取り戻す場面が描かれていた。

こうやって、「懸けて」生きた人にとって、
意識が遠のき、切り株に腰をおろしているその時も、
黒砂糖で意識を取り戻していく時も、
どちらも、決して、不幸ではない。
どちらも、十全に、その人の生の一部だからだ。

自分の生の一部のものを、

「どうでもいい」となどは
思わなくなる。

どうでもよかったのは、つねに、
毒親の思惑が、どうでもよかったのだ。
そうやって、どうでもいいとぼやくACゾンビになったのだ。
世代間連鎖し続けた「どうでもいい病」。
死ねないからしかたなく生きている種族の病だ。

しかし、ここは「路上」だ。

毒親の思惑など、転がっちゃいないのだ。
ここには、「自分しか」いないのだ。

今経験しているものが何であれ、
「どうでもいいもの」
なんて一つもないのだ。

懸命に生きる以外、ありえないからだ。


黒砂糖を口にした時、その母親は、
きっとこう感じたのではないだろうか?

「この子たちを守らないと」

と。

消えることのなかった炎。

懸けている生は、決して「消えない」。

誰も、どんな外部も、消すことができない。


4月より、私は、

「打身」

と名づけたいその楽器から、
私が奏でたい音を奏でることに
すべてを懸けたい、と思っている。

好きなことをやることは、
決して、そんなことでも、どうでもいいことなんかじゃない。

私の毒母親は、子どもの頃、ピアノを習いたかったらしい。
しかし、詩吟を習わせられたという。

その母に言いたいのは、一つだ。
「やりたかったのなら、大人になってからでもやれたはずだ。
やらなかったのは、あなたじゃないか。なぜ、やらなかったか?
それは、あなたの母親があなたに植えつけたように、あなた自身、
自分の好きという感情を、どうでもいい、こんなの、と蔑んだためだ」


この投稿の最後に、食に関することを
書きたいと思う。


先日、職場の主任が異動となり、
その日は、一緒に仕事ができる最後の日だった。

ところが、彼女は体調を崩し、
休憩室で休んでいて、最後というその日、
元気に働く姿を見ることができなかった。

帰ろうとする主任に、私は声をかけた。

「主任、リンゴ、食べませんか?」

と。私は、急いでむいてお皿に盛ったリンゴを差し出した。

大風邪で私が寝こんでいた時、
私はリンゴばかり食べていた。
それしか食べられなかった。

その日の主任は相当具合が悪いように見えたので、
私は、とっさに、リンゴを買って、食べやすい大きさに切った。

主任が、リンゴを一つ、口にした時、
私は初めて彼女が泣くのを見た。
嬉し涙で・・・と彼女は言いながら、
リンゴを食べてくれた。

食べものを蔑んだ毒父の毒は、
もうそこにはなかった。

具合が悪くて苦しんでいる人が目の前にいたら、
リンゴをむいてあげるのは、当たり前のことだ。


 食べてくれてありがとう


2016.3.20
あび

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by jh-no-no | 2016-03-20 05:54 | 私の生き方


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