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一年生から始めたい

今回から、新しいカテゴリにして、
タイトルも決めていたけれど、
今、私にとってリアリティーのあるもの、
そして、こういうスタンスで取り組みたい、という思いから、

新しいカテゴリは、

「私の生き方」

初回のタイトルは、

「一年生から始めたい」

に決め直しました。

赤ちゃんから、でなく、一年生から。

というのも、リハビリの最後のほうで掘り当てることができたのは、
私が「社会という場」に出て、最初に、どこで躓いたか、
という理解だったからです。

よく思い出すシーンがあります。

そのくらいしか覚えていない、ということでもありますが。

小学生になる時に、算数セットのようなものかな?
おはじきのようなもの、たぶんそれは、数を見て覚えるためのものだったり、
マッチ棒のような形のプラスチックの細い部材が、いろいろな色でそろっていたり、
入学式の日か、最初の授業の時にもらったように思います。

へんな感覚があります。

不安な感覚。

これから知らないところに入っていくことに対する何か。

それから、教室や友だちとの間で、いつも感じていた疎外感。
どうやって振る舞っていいかわからない。
今思えば、挙動不審になっていて、こういう感覚を
大人になるまで、なってからも、ずっとずっと私は持っていました。

これが、劣等感だ、ということに
ずっとずっと気づくことなく。

なぜなら、私は、ずっとずっと
父親から、

「あびは、すごい!あびは、一番。世界一。てんさーい!」

と言われてきて、いつも父は言った。

「普通じゃないんだ」と。

私は、疑いもなく、自分のことを
みんなとは違う、特別な何かだと思いこんできた。
だから、まわりとうまくやれなくても、
自分がおかしいとは、一度も考えたことがなく、
「なんか、居心地悪いな」と感じていた。

でも、まさか、これが

「劣等感」

だとは、夢にも思ったことがなかったのです。

しかし、それを今、自分が受け入れたい、と思った時、
違和感だらけの今までの生き方には、
たった一つも、「そこに自分がいる生き方」はありません。

昨日から今日にかけても
ずっと考えてきましたが、どれも、違います。

カテゴリの名前や初回のタイトルを
「生の記録」や「喜びの器」としたいと
リハビリ中は思いましたが、今は、そこにリアリティーはありません。

それは当然といえば、当然です。

見えるものが同じなら、変化していないともいえるのですから。

私が今、望む自身の生き方は、
「本当に生き直すこと」なのです。
何かがわかることで終わることでもなく、
リハビリの時のように、がむしゃらにやればいい、というものでもない。

それに、あのように出来たのは、私の力ではないと思っています。
私がやったのかもしれませんが、これは、何かもっと大きな力が
「私の主体」を、あれほどにしてまで、助けようとした、としか、
私には認識できません。

だから、ここは、
そう考えても、やはり、仕切り直すべきだ、と
さっき、ようやく、決心がつきました。

私は、ずっと、「家庭は」
理想的だった、と思ってきましたし、そう認識してきました。誤認ですが。

しかし、よく思い出してみれば、
一年生と書きましたが、おそらく、保育園の頃から、
私は、そこは、居心地がいい場所でなかった、ということを
あらためて思い出しました。

こういうことも、たしかに、過去のブログで触れてはいました。
高校の部活動でも仲間に入れないことの感覚など。
でも、抑圧されていた感情は拾えなかった。

昨日、ここは、ああ、こういうことじゃないのか、と
理解が進んできたことは、

父も母も、まったく社会生活がダメだったはずだ、
ということでした。

主に、これは「学校生活」です。

しかし、私は、これこそが毒すぎるのですが、
あの二人から、学生時代の話を、まったく聞いたことが
子どもの時からもなかったのです。

二つのエピソードがひっかかりました。

これは、かつても書いたことですが、
父は、高校の時に、ある部活動の部長をやっていた話です。
この話しかないのかよ、というくらい、
思い出してみると、ないのです。

へんに、威張っているわけです。
虚勢をはっている。なぜか、です。

あと、母については、
何もといっていいくらい知りません。
卓球部に入っていた、くらいしか知りません。

しかし、こう言い聞かされてきました。

「ワタシは勉強ができなくて、嫌だったから
あなたには、そういう思いさせたくない。」

だから、それ、学校の宿題以外にもこのドリルやれ、
とか、尻を叩くための押し付けだったのですが、
ふと思ったのです。

何か、様子がおかしい、と思ったのです。

勉強ができない、といっても
どうもそれほどできなかったようでもないし、
父も、妙に、そればかりだ。

ここは、フィーリングみたいなものが働いたのですが、
「この二人、本当は、学校生活、みんなとうまく
やれてなかったな」と気づきました。

彼らこそ、

劣等感を隠し続けていたのだ、と。

そして、彼らが育った家庭環境を思い出せば、
やはり、それは私の場合同様、基本は「飴」による調教だったろうから、
壁にぶつかっただろう現実は、「学校」だったはずなのだ。

毒親二人も、思ったはずなのだ。

「あれ、おかしい・・・」と。

劣等感と自覚していたかどうかはわからないが、
いずれにせよ、それは恥として、抑圧してきたのではないか?

にもかかわらず、私から見て二人は、つねに、
「偉大で」「完璧で」「他の人より正しく優れていて」
まったく劣等感のかけらも感じられなかった。

というのも、彼らが社会に出た姿を
私は一度も見たことがなかったからでもある。

I商店という自分の城、
子育てという自分の城、

ここだけで、あの二人は虚勢をはっていた。

私とまったく同じ。

社会に出たらやられるから、
こうやってひきこもるのだ。Pの城のように。

家庭で親の言いなりにさせるだけじゃなかったのだ。

学校でもやっていけない人間にすること。

そういえば、父と母は、私が小学生の頃の体育会のVTRを見ると、
必ず言うことがある。というか、それしか、言わない。

「あびだけ、曲がってるの。一人だけ、整列して横にずれている」

という話を、いつも「楽しそうに」話していた。

私は、それを、

「だけれど、立派な子になったよね。昔はこうだったのにね。」

と解釈し(されられ)てきたけれど、

ここに、本当にあったのは、

「ざまーみろ」

と、ほくそ笑んでいただけだったのだ。

そういう腐った世界で、

私は、ずっと、

大人よりも大人でなければならなかった。

AC(大人子供)である。

私もそうあらねば、と思っていたし、
ある時からは、誰よりも私は「できた人間だ」と
当然のように思っていた。
虚勢をはっているつもりすらなかった。
私は当然、すごい人間に決まっていることに
何の疑いも持ったことがなかったのだ。
小さい頃から、大人よりも大人だと思っていたところがある。

リハビリを終え、

昨日から、ずっと考えていた。

AC(大人子供)として生きてきた、とは、
「自分を捨てたこと」なのだ、と。

親が、私に、

「自分を捨てるようにさせたこと」

なのだ。

「調子にのるな」

この記憶に残らない恫喝の声で、
私は、それに従う訓練をずっとさせられてきたんだ、と
今もなお、反応してしまう自分を見て、
ああ、これは、もう違うのだから、やめなきゃな、と思った。

私はずっと「調子にのるな」と言われるのが怖い、と言ってきたし、
思いこんできたが、はた、と気づいた。

誰かにそう言われたこと、あるか?

と。実は、一度もないのだ。

しかし、事実は、

ただ一人、

父が「顔色で」言ってきたということ、
彼から私は、そう言われてきたのだ。

彼から、だけだ。

目的は?

父から言えばこうなる。

「黙らせるため」

だ。反抗的な意見や態度を察知したら、
「親を何だと思っているんだ・・・」という出だしで、
あの毒父は、本気で、

「殺す」

と、言ってきたのだ。声ではなく、もっと本質的なところで。

「調子にのったら、どうなるか、わかるか、あび」

私は、昨日、思った。

これには、私は、決着をつけたではないか、と。

「馬鹿かお前は!」

と電話越しに怒鳴る父に、

「馬鹿はお前だろ!!」

と、「調子にのってんじゃねー」と言ってやった時がある。

それで、もう、彼の出番は終わった。

だから、もう、これは、

私の中でも、もう、葬らねばならない、
そう決心した。

私は、「自分を生きよう」と決めたのだから。

そう思った時、

今、何もできないけれど、

このまるで一年生みたいな私なら、
一年生をまっとうに生きようと思った。

そうしたら、

私は、私の生き方を追求していきたい、と思った。

だから、今日からのブログを

「私の生き方」

として、そして、一年生から、私は、この世界を

そう、

「楽しみたい」

と思っている。不器用に楽しみたいのだ。


2016.1.1
あび

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by jh-no-no | 2016-01-01 23:56 | 私の生き方


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