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リハビリの巻

今回の投稿から、

「リハビリの巻」とカテゴリを新設し、

記事を書いていきたいと思っています。

2015年11月2日が、私の本当の誕生日になりました。
翌3日に、全自我判定をいただきました。

ここからスタートする自己リハビリに向けて、
「初心の銃声」ということで、先日10日の報告文を
一部編集し、以下、ここに記録したいと思います。

私にとって、本当の意味で、「きわどい旅」が始まります。
それは、私の意志で、歩む道になります。

あび

・・・

崩残様

あびです。

(中略)

今、私は、ちょうど、恐怖の妄想のただなかで、
こんな恐怖、久々で、どうしようもなかった。

(中略)

私は、恐怖に支配された長い時間から目を覚ましました。

「逃げていなかったじゃないか」

逃げないこと。

今、私には、これだけがリアルです。

妄想とは何でしょうか。

こいつがやることは、さらに私を妄想に連れていくだけです。

中心とは何でしょうか。

崩残さん、私は、これから全力でリハビリをします。

私は絶対に妄想に負けたくない。

私は今までよりも
何倍も激しく生きていきます。

崩残さん、私は、もっともっと
苦しく激しい場所、そこで鍛えていきます。

こんなんじゃ、ダメだ、って思います。

こんなんじゃダメなんです。

でも、さっき、そんな真っ只中にあって

私は、

一点にいる、

と思いました。

中心にいます。しかし、私が見ている風景は妄想の地獄絵です。

正直、私は、怖いです。

でも、今、思いました。

ならば、全力で恐怖しよう、と。

リハビリは、「全力」がキーワードだと思います。

ここ数日、リハビリのことをいつも考えていました。
崩残さんがお手紙で、「自己リハビリ」と書かれていたからかもしれませんが、
これは、私自身の言葉でもあります。

靭帯を怪我してわかったことがあったんです。

治療中は動かさないようにテーピングで固定していました。
テーピングをとるように言われ、リハビリの指示があって、
私は、恐る恐るリハビリをしていました。

なんだか前より動かなくなり、心配になり、
一度、医師に見てもらいました。
リハビリをしっかりやるように、といった指摘でした。

もっと強くやらねばならなかったのです。
痛いくらいに。まったく治療期とは逆です。
でないと、元に戻らないどころか、悪化します。

ACで言えば、今、私が委縮してしまえば、
ACは奥に奥にと引っ込み、居座ります。

そいつが隠れることを許さないためには、
私は委縮することなく、全身全霊、全力で・・・

そう、妄想がやることは、
私を怖気づけることです。

このメールで、僕は何を言っているのか、
自分でもわかっていません。
それでも、私は、
ここで、しっかりしなければならないのです。

「しっかりしろよ」

私は、自分の情けない姿に、こう言いたくなる。
「逃げてないじゃないか」と。

(中略)

今も、後ずさりしてしまいそうですが、
この今日、全自我判定をいただいてから、
嘘のない今に目を覚ましつつあります。

だらだらと好き勝手に書かせていただいてしまいましたが、
今、「スタート」の銃声が響いたようです。

全部を見るのです。

これが私が最初に自分に約束したことだからです。

私の人生とは何でしょう。

崩残さん、私はもっともっともっともっと進みたいです。
たぶん、こんなところの近くで終わってはダメなんです。

これが、今の私の情けなくもゆるぎない初心です。
自我復元ブログも、カテゴリを「リハビリの巻」として
書いていきたいと、ここ数日、思っていました。

本当に、何もかも始まったばかりです。

行動が「急アクセル」なら、
自問が「急ブレーキ」です。
それらが全力でなされるなら、リハビリになると思いました。

AC人格は、隠れています。
私がACから逃げるのでなく、
ACが私から逃げています。
しかし、これは、巧妙なACの手口です。

なぜなら、私が言動を制限し、委縮している限りにおいては
見つからないように隠れるからです。

ACは出てこなければよいのではありません。
そういう甘さがあると、
私は、無自覚に、自分で言動を制限することで(保身することで)、
問題がないかのような鈍感さに、次第に、生気を奪われるからです。

気がつけば、そうなってしまうのです。
実際、それは、私にずっと起こり続けてきたこと、そして、
今も起こり続けている大問題なのです。

この危機感があるのだから、
では、どうすればいいのか?

命がけでやってみようと思います。

リハビリで全力でぶちあたってぶっころんで
それで大破するのなら、それで構いません。
リハビリ中に死んだとなっても、悔いがない、と
そういう自己リハビリをしたいと思います。

(中略)

今、少しだけ、のんきなことを考えました。

リハビリ、その中で体験する今までの何倍もの恐怖があっても、
その最後の暴風雨が過ぎた頃に、私は、本当にAC人格を
根絶できるかもしれない、と。

なんか、ギリギリに立っています。
今の私は。

でも、また、こんなふうにも思うんです。

私は、こういうほうが、本当は自分らしいって。
何かわかったかのような心境でいるのは
まったく自分らしくない。

そういう自分、大っ嫌い、だ。

ギリギリで、命がけで、それは恐怖かもしれず、
どうなるか保証などない・・・

リハビリ、やり通せますように・・・

願掛けみたいですが、それでも私は進みたいのです。

「自分らしく生きたいからだ」、と
今、思えました。

自分を裏切らない為の分割自我復元ノート。
続けさせてください。
私には、まったく、区切れなど、
今は感じませんし、思えません。

私は、やるはずです。

全てを見て、その全てから逃げることなく、
私は、くまなくやり遂げるはずです。
遂げる保証はどこにもありませんが、
そこに向かうしかないことだけは、確かです。

(中略)

「意志の力」を信じて、この今から、
本腰を入れ、自己リハビリを開始します。

(中略)

崩残さんが、釈迦の話を桜の間に書いてくださいましたね。

>どうなるかは、きわどかったはずです。

>そういう「結果の分からないチャレンジ」でないと、
>この地球でやる意味がないのです。

本当はこんなことにならないのがよかったのかもしれませんが、
私は、自我復元が出来たから、この地球に生まれてよかったし、
これから、どうなるかわからない、リハビリがまだあるし、
この地球に生まれて、たぶん、よかったと思います。

ここでの経験は、何度も同じことを言いますが、
これからどこへ行っても、ボケないための自己管理として
本気で取り組む価値のあるものだと思っています。

リハビリの後、のことまでは今は想像でしかありませんが、
そこからは地球であろうと、別の世界であろうと、
肉体として生きていようが、死んでいようが、
自己を謳歌するには、その舞台は、自分で決めていけばいいと思います。

ただし、リハビリが終えるまでは、
私は死に物狂いで、この地球とこの肉体にしがみついてやろうと
思っています。

だから、さっきをああ言いましたが、
大破などしてなるものですか。
大破しても、虫の息でも、しがみつく。

私はそれだけ価値のある自我復元に
出会えたのだと、崩残さん、
必ずや、死後、高く売りつけてやります。
(誰にも売りませんが)

あび

・・・

以上です。


「リハビリの巻」どんどん、書いてきます!


2015.11.11
あび

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by jh-no-no | 2015-11-11 13:59 | リハビリの巻


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