「契約を変え、未来を変える」
今日、ここに書きたいことだ。 そして、10月末から11月へ、というこの切り替わりは、 私にとって大きな意味がある。 昨年のこの時、私は、Pの妹からかつてもらった金銭をすべて清算し、 その直後、母は自殺をした。 私は、動いた、と思った。 そして、11月からスタートした本当のACとの格闘。 あのしんどさは、私が生きた証だった。滅茶苦茶だった。 今日、仕事から帰りながら思った。 この一週間、私は、「楽しかった」と思った。 何が?というと、何が楽しかったのでもなく、 ただ、楽しかったなあ、と思えた。 ただそれだけだ。ただ、楽しかった、と。 こうやって、これからも生きていきたいって思った。 今日、仕事をしながら、ああ、生きにくいなあって思った。 しんどいなあ・・・でも、ふと、思うのだ。 だから何だというのだろうか。 生きにくくて、しんどくて、それのどこに問題があるのだろうか? ここ数日、ある疑問にこだわっていた それは、「なぜ、私は、過去、恐怖から逃げたのだろうか?」 という疑問だった。なぜだ?なぜだ?って、考えようとしていた。 そして、昨日、はっと気づいた。 そう問うことが、今、私がやることじゃない。 じゃなくて、問うのでなく、 「恐怖から逃げ出さなかった私がいた」という事実を見て、 ただそれを認めること。その事実を、今、見ること。 仕事中、どうしても強烈に反応してしまうAC人格がいて、 わかっているのに、反応しているのを見て、 これはどういうことなのか、考えた。 そして、それがなぜか、わかった。 「見捨てられたくない」という毒父の呪いが、 もうぜんぜん「いらない」にも関わらず、 その呪いが、行動の動機として、 まさにゾンビのように生き延びていたからだった。 「見捨てられないため」の言動パターン。 父にとって、母親に「見捨てられない」とは、 「お兄ちゃんと同じになりたい」だ。 おじろくとして管理されるんじゃなくて、 お兄ちゃんと同じように管理してほしい、 どうして、ボクはお兄ちゃんのように扱ってくれないの? 仕事をしながら、気づいた。 私の中で、ある前提が崩れていなかったのだ。 それは、 「どう管理してもらえるか」 ということが、前提としてあり続けていたのだ。 パートの先輩のRさんに対して、私は、どう対処しても、 AC人格の反応であるとしか、私には思えなかった。 どうしてそうなってしまうのか、というと、 はなから、Rさんからの「管理のされ方」に不満を持っていたからだった。 おじろくなんていやだ、 お兄ちゃんのように認められたい。 これだ。毒父のこれが私の中で暴れていた。 どう管理されるか? それが問題だ、ということ自体、 そもそもがおかしいのだ。 見捨てられなくない、ということと、 「お兄ちゃんのように扱ってほしい、管理してほしい」 ということは、同じことだったのだ。 見捨てられないために、必死に生き延びようとしたAC人格は、 どう管理されれば、自分は見捨てられていないと思いこめるか、 つまり、「ボクは、見捨てられていないはずだ」を確認しようとする言動パターンだけ、 ただそれだけで、私は動いている、ということだった。 実際に起こることは こういうことだった。 Rさんに注意される。 すると、ここで私は二つの反応以外、とれない。 一つは、平気そうなフリをしているが苛立っていて、相当、我慢している。 もう一つは、ブチ切れる。 実際にはブチ切れることはないのだけれど、それは見た目、ブチ切れてないだけで、 「妄想の中で」毒父由来の、狂気じみたキレ方を展開している。 「オレがもし本当に怒ったら、アンタの思うようにはいかねーぞ。 でも、オレが本当に怒らないから、済んでいるだけであって・・・調子にのってんじゃねー」 が、妄想の中の、狂った声だ。 たとえ、それを「表に」出したとしても、 実は、Rさんからすれば、たいした迫力もない「わがまま」としか見えない。 それもそうなのだ。だって、その大元の動機は、 「見捨てないでくれよ」 という弱々しい訴えでしかないからだ。 もうこれは、毒父がババ(父の母親)に対する姿そのものだ。 子どもだった私から見ても、まるで子どもが「なんでわかってくんないんだ」と だだをこねている「大きな子ども」としか、私の目には映らなかった。 ただ、本人は、必死にキレているつもりになっている。 妄想通りにキレることすら、去勢されていることにも気づかずに。 ここで見るべきところは、 私がぐっと我慢しようが(私からすれば我慢してやってやってんだと思おうが)、 少々文句を垂れようが(私からすればブチキレるのを手加減してやってるんだと思おうが)、 Rさんからすれば、 「痛くもかゆくもない」 ということなのだ。 なぜならば、私のこれらの言動は、 「管理されよう」としているその前提から出発しているからだ。 そして、どう管理するかは、当然、Rさんの手のうちにある。 ここで、さらに重要なことは、 これらは、すべて、 「AC人格の妄想」 によって展開されている出来事だ、ということだった。 これは、今日も、そうだ、と思ったことだった。 現実というのは、まわりがどうか、は関係がない。 厳密には関係なくはないのだが、まずは、関係がない。 関係があるのは、ただ一つ、 「私に、何が起こっているか」 という、ただそれだけであり、 それが、私にとっての現実を構築している。 すると、見えてくるのは、そこにあるのは、 「ACの思惑、ACの妄想」それだけだ、ということなのだ。 だからこそ、枯れるべくして枯れさせる必要がある。 これは、職場だけでなく、最近強く思うことだ。 まわりを変える必要はない。 自分が、ここで、自分を生きればいいだけだ。 その結果、まわりに影響を及ぼすかもしれないが、 それは結果論であって、そもそも、私は、まわりを変えるその「必要」がないんだ。 そんな義務も責任もない。そんなのがあると思いこむのは、AC人格だけだ。 大事なことは、なぜ、まわりに影響を及ぼしたがるか、という 居ても立ってもいられなくなる自身の反応の原因こそ、暴かれなければならない。 Rさんに対して、どうして、管理されようとしているのか、 どうして、評価されて認めてほしいと思っているのか? 実は、私は、そう自分が思っていることすら、わかっていなかった。 Rさんに対して、そんなこと、思うわけないからだ(と思いこんでいたからだ)。 しかし、よく見てみれば、思ってもいないはずのその動機が、 私を反応させ、言動を刺激し、我慢させたりさせなかったりしている。 どう動こうが、ACだこれは、としか思えないのに、それしかできない。 それは、なぜか? なのだ。 それが、ようやく、わかった。 これが、トラウマというものだ、と。 毒父由来のトラウマだ。 「恐怖」 これだ、と。 私には、自覚できていたところというのは、 今まで、AC人格のあまりに同じな行動パターン「まで」だった。 私は、おそらく、物心ついたころには、完全にAC人格であり、 そこにどんな恐怖が下味として「植えつけられていたか」は まったく思い出せないようになっていた。 ただただ、その反応があり、たどっていけたとしても、 どうやら、見捨てられたくない、という動機のようなものから 私の行動パターンは作られている、そして、これは、毒父からの感染だ・・・ この、どうしても、「他人事止まり」になっている自己分析のまま、 私は、自我復元を続けてきた。 他人事といっても、必死だった。でも、思い出せなかった。 そして、今、 私は、具体的な出来事、トラウマを植えつけた決定的出来事を 思い出せたのではない。 この10日間、ワークをやり、堀り続け、関心の動きを監視し、 自問し、ノートをとり、日記を書き、考え、行動し、またワークをやり、を ごちゃごちゃになりながらもやり続けた。 そのすべてが必要なことだったろう。 トラウマを植えつけた決定的出来事を思い出す・・・のではない。 私は、 「自我復元」をやり続けた。 それが、どんなに 「恐怖」 であったか。 私は、崩残さんから見捨てられたらどうしよう、 消されてしまう、この恐怖を経験し続けた。 そう。 私は、恐怖というものを、 実は、はじめて「自覚的に」経験してきた、ということだった。 40年の間、私は、恐怖など知らなかった。 しんどいこともなく、 苦しいこともなく、 いじめられることもなく、 差別されることもなく、 暴力をうけることもなく、 日常生活で不快なことは何もなく、 不満もなく、問題も何一つなく、 理想的な家庭で、理想的な人生を 私は歩んできた、と思っていた。 「恐怖」など、私には、 「無い」と思っていた。 この完全に麻痺した感情状態のまま、 私は、自我復元に入りこんだ。 自我復元で、私は何を経験したか?ときかれたら、 今なら、こう答える。 「恐怖」 だ、と。 私が、ずっと、思い出せないで「埋め込まれたチップ」、 毒父が埋め込んだチップ、そのチップの名前、それが、 「恐怖心」 というものだった。 年始、私は、毒父のトラウマを今年掘っていくことを誓った。 今、10ヶ月が経過し、私は、自我復元をはじめてから初めてこの言葉を使う。 「トラウマ」 思い出せなかったもの。 ワークをやっていることも影響しているかもしれない。 私は、この過去の「点」から、一秒も経過していないことを知った。 40年経った、というのは、本質ではない。 40年を感じているのは、AC人格であって、「私」ではない。 この「私」は、それが0歳か1歳かわからないが、その年齢のまま、 ずっと、止まっているのだ。 その「点」において、何を「思い出そう」とするのだろう。 その「点」において、そこにあるのは、 今、私が、何を経験しているのか、それだけであり、 自我復元で、私は、何を経験してきたのか、 その逃げられない経験とはなんだったのか、 私が、「逃げなかった」経験とは、何だったのか。 だから、なぜ、(思い出せない)あの時に逃げたのか?という問いでなく、 問うのでなく、今までも、今も、逃げないでいるこれは何なのか、 そうなのだ、 だから、私には、もうAC人格は不要なのだ。 そうはっきり言えるのは、今、私が経験し、その今、今、今、という連続の中で、 それはつまり、自我復元の中で、否、実は、これまで私が「私」という生を選び生きた中で、 私、この「私だけは」、あの、だか、いつの何だかわからないが、 恐怖というものから、逃げないでいてくれたこと、その事実、 恐怖から私は逃げなかった、逃げない私が今ここにいることを 強烈に示し続けてくれたのが、この、 「自我復元」 というものだったのだ。 「今、どこにいるのか」 それが自我復元だったとも言える。 ここでもない、そこでもない、 そうやって、AC人格の妄想の巣窟を暴いて暴いて暴き続ける。 これは、40年というすべての時間を、すべて否定することだった。 当然にして、今、たどり着きつつあるのは、 40年前という巻き戻しの、その最初だ。 最初とは、私が、「違った方向に歩き出してしまった」その最初のことだ。 恐怖を経験し、恐怖心から目をそらし、恐怖を忘れ、麻痺し、 そうやって歩き出してしまった「未来」。その本来の私でない私が歩いた未来が、 AC人格40年のAC人生だった。 未来とは、その最初の「点」から、 変えることが出来る。 それは、言い換えると、 「今」から、変えることが出来る。 それは魔法でもなんでもない。 私は、その時から、一秒も経っていないのだから。 40年経ったのは、AC人格だけである。 洗脳という、毒親が毒親であることの証拠隠滅の残忍さは、 「私」という主体を、完全に、鍵の開かない部屋に幽閉したことだ。 「私」は、「いないこと」にされた。トラウマに完全に鍵をかけたのだ。 先日、私は、またそれも仕事の帰り道、 真夜中、自転車を押しながら、こんなことを思った。 「長生きしたい」 と。 未来を変えたいと思った瞬間だった。 私は、もうそろそろ死ぬだろうと思ってきた。 なぜかわからないけれど、43歳から45歳あたりに死んでしまうだろう、と。 生前記憶を掘ったから、というわけでもない。 ただ、そう確信めいたものがあった。 きっとそういう契約だったに違いない、と特別な根拠があるわけでないが、 かなり、そう思っているところがあった。 そして、今思うのだが、 やはり、私は、「このまま」では、たしかに、 もうそろそろ死ぬことになっていたように思うのだ。 おそらく、なんらかの内科関連の病気ではないかと思う。 というのは、Pを守る、という業務の土台のようなものは、 自我復元に出会う前後、ほぼ完了していたこともあり、 後は、「残りも見守ること」という感じだけがあり、 その「残りを見守る役割」を放棄した時点で、AC人格のその私は、 生きていることは意味がなく、死ぬべき私となっていたように思う。 これは憶測でしかないので、あっていないかもしれないが、 ただ、言えると思ったのは、 私は、ここで、まだこの地球で、 全力で、全身全霊で、喜怒哀楽というのを経験し尽くしたい、 だから、まだ 「死なない」 ということ、別な「未来」の方向へ 私は進むんだ、ということだった。 43歳とか45歳とかで死んでいいのは、 AC人格なのであって、 私は、生きたい。 長生きとは、何も、80歳とか90歳とか、そういうことではなく、 あと10年でも、15年でも、精一杯生きた、というところまで、 AC人格でない私として生きたい、ということだ。 考えてみれば、 私は、今までも生きてきて、 未来など、描こうと思ったことなど一度もなかった。 自分が描ける、というそもそもの感覚がなかった。 「どうすればいいだろう」とか 「何をすればいいんだろう」とか ふと思ったのだ。 そんなこと、時間が動いていない「点」に閉ざされたままなのだから、 本当には、自分の頭で考えられるわけがなかったのだ、と。 そんなふうに自問したつもりになったところで、毒親が「こうしなさい」とする解答を 血眼になって探す以外、AC人格の私に許されたことはなかったのだ。 どうしようが、どうしまいが、どれもダメなのだ。 理由は、 その未来は、「私」の意志による未来ではないからだ。 これが、今私が、今までの習慣で、 「どうしたらいいんだろう」と袋小路に入り込むことになるトリックだ。 そして、本当に、自分の気持ちに向き合えば、 「どうしたらいいんだろう」という自問すら、空々しく、 まったく徒労で、エネルギーだけが吸い取られ、ゾンビになっていくのがわかる。 自我復元、とくにAC人格との格闘のなかで、何度も何度も体験したのが、 この生体反応を奪われるという体験であり、何もこれは、格闘という大上段でなく、 日々の毎日の生活と仕事の中で、日々この瞬間に体験していることだ。 そうやっていくうちに、 「私はダメだ」となっていく。 「なぜ、どこで、私は恐怖から逃げたのだろう」 という自問は、一見、まともに見える。見えた。 ただ、私には、どこか空々しく、何かおかしいと思わせた。 それはなぜそう思わせたか、というと、 はっと自分を思い出したとき(たぶんそういう瞬間に)、 自分はダメだ、という方向にもっていこうとする力、 AC人格の罠の匂いを感じたからだった。 そこが、ひとつ、ターニングポイントだった。 私は、逃げてなんていなかったじゃないか、と。 逃げないで、やってきたから、 だから、今も自我復元、やってるじゃないか、と。 誰が、逃げているなんて言っているんだよ、って。 そう思った。 苦しくていい。 これが、こういうわけによるものなのだ。 苦しくていいんだ。 しんどくていいんだ。 だって、AC人格がもがいているんだから。 そして、私はそのAC人格と同化し続けてきたのだから。 苦しくて当たり前。むしろ、そう感じられてやっと麻痺していないことに気づく。 そこで、「私」が発すべき言葉は、 「だから何?」 なのだ。苦しい、しんどい、だから何? 今日も、仕事中思うことは、これだけだった。 だから何?苦しいなあ、しんどいなあ・・・ああ、そうですか、だ。 否、ああ、そうなんだ、そう感じているんだ、という、 それ以上でもそれ以下でもない。 そして、つくづく思った。 これが 「生きている」 という状態なのだ、と。 この、超なんでもない、すごくもダメでもない、仕事中の私。 このなんでもない私。 いったい、誰だ? そんな私は無意味だ、とか、無価値だ、とか、 早く何かしろ、とか、まともなことやれ、とか、 そういう邪魔をした奴は! 「未来は、自分で、描くもの」 描けない・・・なんて言っていてはいけない。 そんなのは、AC人格にとって当たり前、描けるわけがない。 逆立ちしようが、何をしようが、自分の未来など描けない。 だからといって、描かなくていい理由にはならない。 描こうとしない、そういうように力を奪ったのは誰だったのか? 描いてもしかたがないんだ、どうせ、ろくなことも描けない、 間違うだけだ、間違っているかどうかすらわからないんだから・・・ そういう屁理屈を大展開させて、AC人格が歪みに歪むことで、 いったい、誰が得をしたか? 掘ってきたことを見るといい。 誰が得をしたか? 毒親だったろ、Pだったろ。 未来を描けないようにしたのは、誰だったか。 それを掘ってきたのが、自我復元だったではないか。 逆にいえば、何のための自我復元か。 私が、私の未来を、自分で描くという、 本来の力をとり戻すためだ。 そのために、トラウマというその過去の「一点」に戻るという 死にもの狂いの作業があったわけであり、 そして今、その一点に立ち、去勢された力、未来を描く力を 「つけて」いくこと。 生きにくいからなんだ、苦しいからなんだ、 しんどいからなんだ、だから、何なんだ。 そう、書きたかったこと、一番書きたかったことは、 私は、もう時間がないんだ、死を覚悟でやっているんだ、 という掛け声があって、とくにここ一年は、掘ってきたし、 自分でモチベーションを保ち続けてこられた。 でも、もう、そういう「刺激」はいらないし、 私は、死なないことにした。 時間はあるし、生きるんだ。 こう思うことは、私にとって、避けたいことだった。 あと一年必死で生きて満足して死ねればいい、というのは、 はっきりいって、怠惰であり、それは、今までのPに尽くすACの根性と同じだ。 今までの契約なら、それでいいだろう。それでよかったろう。 だって、十分Pに尽くすに尽くしてそれで本望だ、というのなら、 「やりきって死ねば」それで満足だろう。AC人格は。 やりきる、というのは、毒親の課題でしかない。 でも、私は、やりきるもなにも、まだ、 何をやるかも描かれていないわけであり、描いていかねばならないのであり、 それは、たとえ、死んだとしても、「次はどうしますか」が待っているのであり、 この今生きているこの地球で、まともに頭を使えないのなら、死んでよりよくなることは 絶対にない。 Pに尽くす人生だった。 その契約を変える。 それは、今から、絶えず、未来を作り続けていく作業だ。 それは、今、私は生きているか、を自問し続ける作業でもあり、 ここが恐怖のさなかでもいい、それでもいいから、今どこにいるのか、 本当にそこは、私がいる場所かどうなのか、徹底的に問い、 そうやって生きていくということだと思う。 そのなかにあって、 旧契約の出番など、どこにも、ない。 私が今やることは、宣言することでなく、 本当にやるかどうか、自分の生を貫いていくかどうかだ。 行動で示さねばならない。それも当たり前のことだ。 私が変えたいのは、行動、そう、毎日、読んでいる自分の宣言文にあるように、 「私自身が欲したものを、欲するように経験し、 喜怒哀楽と、人間に固有のさまざまな感覚を経験すること」 利他性と称して、他人に尽くす生き方でなく、 強烈に、私自身が、生きる生き方。 年始、「苛烈な一年にする」とブログにも書いた。 でも、これは、この一年のことでなく、この一年で終わることでもない。 この一年から、苛烈な生をスタートさせていくのだ。 最初に書いたけれど、今日、ワークをしながら、 仕事の帰り道、「楽しいなあ」と思った。 ただ、そう思った。きっと、未来を向いているからだと思う。 あの交差点は不思議な地点だ。 先日は、ちょうどそのところで、 「契約を変える」と口にした。 その思いが、今日、この10月という大きな節目とする記事を書いている。 そして、今日は、この中心の圧力が強まりながら、 この「圧力のようなもの」は、私には、今まで以上に、 「重力」という重さに感じられた。 これはまるで、私のこの頭のなかに、 「胎児」が丸まって息づいているかのように、 その子どもの「重さ」「体重」を私は感じていた。 そうかもしれない。 今度は、私自身が、この子の産みの親となり、 育てていく番になったのかもしれない。 2015.10.30 Aby ●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
by jh-no-no
| 2015-10-30 08:06
| 復元ノート 1
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by jh-no-no 【分割自我復元法】
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