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④球体のイメージと毒母由来のトラウマ掘り

『③球体のイメージと毒母由来のトラウマ掘り』の続きです。

・・・

最後に、今日、わかったこと、毒母によるトラウマについての報告になります。

今まで、毒父による洗脳を中心にAC人格を分析し、解体し、解除しようとして
きたことが多かったです。今回は、かなり、母親に焦点をあてる結果となりました。
意図せず生前記憶を探ることになったのですが、今日も、私が幼少の頃、それも
乳幼児頃の時期をたどることになりました。

今日も、まずきっかけは、そもそも、日々よく遭遇する不快からでした。
今日もそうです。同じパターンで本当に嫌になります。めんどくさい、
しかたがないからやるんだ、やらなきゃならないことばかりだ、時間がない、
本当は何もしたくないんだ、怒られるからやっているんだ・・・
もう、いい加減にしろよ、と思うけれど、これが強烈に習慣化している。
先日も思ったけれど、何かしたいと一瞬感じても、その直後、もう妄想は
暴走している。めんどうだ、から始まり、やめる理由を考えていると思えば、
それはよくないことだ、と言って無理してもやろうとする理由を考え、
これでいいんだ、と思いこめる正当化に完全暴走する。それは、あっという間だ。
本当にすごく短い時間で起こることであり、しかし、そこに、AC人格の
最低最悪な習性のすべてがある、というふうに思えるほど、その醜さを
まざまざと見せつけられるのです。

こういった「強烈に習慣化」したものは、おそらく、相当に習慣化した中で
培われたものであり、日々の私の行動を監視し、具体的に声をかけ続け、
習慣的行動を調教した、という意味では、圧倒的に父よりも母の方が長い時間、
接してきたと思います。毒母の毒です。

関心地図をやったり、あるいは、朝起きて、まず私が何を考えるか、
その傾向が強いのが、「今日、これから何をするか」という予定に関することです。
それはこれから何をしようか、というワクワクするものではまったくなく、
「何をこなさないとならないか」という、いやいややる、という設定に
なぜか、なってしまうところから、「やるべきことリスト」が自動作成される、
そんな感じです。

今日思ったことがあります。もしも遊園地に行って、10のアトラクションに
乗りたかったとして、今、1時間待ちのアトラクションに並んでいたとして、
私は、早くこれ乗って、早く済まさなきゃ、でないと、あと9乗れない、と
そういう気持ちで並んだりするだろうか?と思うと、そんなのはありえない
わけです。これから乗るその「1つ」のアトラクションを楽しみに並ぶでしょう。

どうして、私は、こういうように、日々のことも考えられないのか?

私の日々は、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、やっと一つやった、
まだあれもある、明日に持ち越しだ、明日になればなったで、今日には
やらなきゃ、ああ、またやることが増えた・・・

おかしいんじゃないか、と思った。

誰のために、やっているのか、と。

どう考えても、今の時点では、というか、成人してからは少なくとも、
親が出てきてあれやれこれやれと言ってきているわけでもないわけで、
一見「やらねばならないこと」に見えても、大人になれば、誰も強制などして
おらず、死ぬことすら、勝手にすればいいのだ。
本来、子どもであってもそうなのだが・・・

つまり、そういうことなのだ。

子どもの頃に、その「誰も強制などしていない」という「正しい見え方」に
歪みが入ったのだ。つまり、親が強制した、ということであり、それに
私が屈してしまった、ということだ。

「食べるのもめんどくさい」のなら、食べなきゃいいわけで、誰も頼んじゃいない。
「しかたがないから」とばかり言い続けていた父。
しかたなく生きてきた父。今まで掘ってきたように、ただ、死ねなかっただけだ。
親に殺されるのが、親に見捨てられるのが怖くて、屈することに甘んじた。
しかたなく、というと、どうも誰かのせいのようにきこえるが、
しかたがない、というこの告白こそ、そういう屈する選択をしたことの表明でしかない。

こういうAC人格が、どうしても直視したくないと抵抗するものがある。

「しかたがなくなんてないよ。いやならやめたら?べつに誰も頼んじゃいない」

こう言われたら、とり乱すのは必至だ。父に私が意図せずそう言ったことが
過去あった時、まるで父親という尊厳が奪われたかのごとく、とり乱したことがあった。
今思うと、それがなぜだか、わかる。

「べつに、死にたいのなら、死ねよ」

と言われているのと同じだからだ。

で、私自身のことに戻るが(私自身もその父のACと同じなのだが)、
その「やるべきこと」「しかたなくやらなきゃならないこと」というのを、
もしもやらないとすると、どうなるというのか?

実は、どうにも、とくにならないのだ。

今日、「じゃあ、何もしなけれりゃいいじゃん」という地点に、では、
とどまることができるのか?ということを自分に課してみた。

これは、そうしてみる、と考えるだけで拒否したくなることだった。
だけれど、5分でも、やろうとやってみた。

まず何が起こったか。

最初に思ったのが、「でも結局やるべきことをやることに戻るんだ」と
考え出した。

次に、こう考えることで、だから今やっているそんな直視なんて意味ないよ、
と言ってくるAC。次に身体的攻撃として、「眠くなる」だ。

そこを越えたとき、「母の毒」に遭遇した。

毒母の声が、きこえた。

「ずっとそうしてなさい」

そういえば、と思った。怪談として紹介された動画で私が関心をもったあの動画の
どこが一番、ぞっとしながらも、印象に強く残ったかといえば、

「ずっとそこに」

というあの言葉、あの音声だった。

「ずっとそうしてなさい」が意味するのは、
(母の)言うことをきかないのなら、
あなたを放り出し、ワタシは行っちゃうから、すきにしなさい、
そういって「見捨てる」感じだ。そうやって言うことをきかないのなら、
ずっとそうしているといい。ずっとそうはしていられないようにしてやる・・・

これが、「見捨てる」という脅迫の仕方だ。
無視とも言えるが、ここには「このままだと、あなた、死ぬよ」という脅迫を
こめた死活問題につながる無視のことであり、見捨てる、という脅迫の仕方だ。

私の母の場合の「言うこときかないのなら」とはどういうことだったかというと、
感覚の記憶として思い出すに、「やることをやりなさい。今やりなさい」という
母の命令に対して、そのやるべきことを今やらないのなら、という、そういう
意味だったと思う。後でやる、が選択肢として無かったと思う。

「何をすべきか」
「やるべきことは(早く)やりなさい」

この声の呪縛が私にはある。「早くやらねば、やることをとっとと片づけねば」
というのが、ずっと私を支配している。
これは、あまりに日常レベルの些細な事柄に端を発することがほとんどゆえに、
いつも、これによってACが暴発することへの監視を見逃してしまいやすい。
構えていないがゆえに、恐ろしい罠なのだ。

この報告の中でも書いたことですが、母に対しては「(もう)やった」という
返答をよくしていたように思う。できた、というのも、ちゃんとやった、
という意味に近い。これまで、私は、「うん、やったよ」という返答など
ここに毒性があるとなど考えたことがなかった。それに、私は、そう母に
答える会話(とは到底いえないが)を、「嫌だった」という記憶がなかった。
うるさいな、と思った記憶もない。でも、AC人格分析とは、強迫観念を
掘ることでもあることであるから、今回も、ここに恐怖は植えつけられて
いなかったのか?という疑問から、母への疑いを強めていった。

「ずっとそうしてなさい」

ああ、そうしてるよ、となぜ言えなかったのか?
今日のそのわずかな時間であっても直面した問いはそこだった。
なぜ、ずっとそうしていられなかったのか?

ここに脅迫観念が根付いていたからです。

そもそも、この「ずっとそうしてなさい」とは誰の言葉だったか?
これは実は、母の母親の言葉だったと思われます。

過去のブログにも、こう書いたところがあります。
抜粋します。

・・・

今年の夏に母からきいた「母の母親」に関する話で
気になっているエピソードがあった。


それは、


「わたしは人の心とか感情とかわからないんだよ」


と、自分の母親から言われたことに対して、
すごく母が怒っていることだった。
この話になると、母の恨みの感情が全面に出てくるので、
わたしはどこかひっかかっていた。


母は末の娘で、年の離れた兄ばかりがいた。
父親は暴力を振るう人で、標的は兄や妻だったという。
一方、娘(わたしの母)にだけは甘く、物もなんでも買い与え、
孫のような育て方だったようだ。

母の母親は、母の兄たちを守るべく、また自分も逃げるために、
いつ娘を置いて家を出てもおかしくない状況だったようで、
娘だった母は、母親の姿が見えなくなると、毎日のように
泣いていた、ということだった。

(中略)

「わたしは人の心とか感情とかわからないんだよ」

という言葉を、母はどんな場面で言われたのだろうか?
それが気になったので、確かめたくて話をきいた。


暴力のあった家庭。
いつ、兄や母親に暴力を振るうかわからない父親。
母の母親は、兄たちを守るために、いつでも家を
飛び出していけるような態勢。
落ち着くことのできない家。
仕事も忙しくて相談もできない母親。


でも本当は父でなく、わたしの母は「母親」に甘えたかった。
母親に目を向けてほしかった。
相談もできない状況だったから、反抗期もなかったという。
それどころじゃなかった、と。
不穏な家、いつ母親が出ていってしまうかわからない状態。

そうやって家を出て行きそうになり、いつ自分が置いていかれるか、
いつ娘のわたしが見捨てられるかわからない。
急にいないことに気づく。


・・・今日は家に戻ってきた。

・・・今日はまだ帰ってこない。


どこかに行くときは、紙に書いてわたしに渡してほしい、と
頼んだことがあったみたいで、ある日、手紙が置いてあり、
「〇〇へ行きます」と書いてあったのを母は見つけ、
すぐに家を飛び出して、でももう姿は見えず、泣きわめいた。
無事帰ってきたものの、このときの不安な気持ちを母親に訴えても、
「そんなこと言われても、わたしにはわからないよ」と
話にものってもらえなかった、ということだった。

「わたしは仕事で忙しいんだから。これしかないんだから」
の一言で片づけられたことに、母は今でも強く恨んでいる。

(中略)

仕事にかこつけて、娘を見捨て、兄だけをかばった母親を
わたしの母は恨んでいた。そしてなにより、母にとって
決定的だったのは、いくら泣きじゃくっても、


「わたしは人の心とか感情とかわからないんだよ」


と、感情そのものを否定されるようにして、
有無を言わさず宣告されたことだった。

(中略)

泣き喚いても戻ってきてくれなかった母。
高校生の頃、結局は、母親は兄たちを連れて、夫からの
暴力から逃げるように、出て行った。
娘と夫を置いて、娘を見捨てた。

母は泣いても泣いても、
「わたしにはね、人の心とか感情なんてわからないんだよ」
と言われて、話もきいてくれず、兄たちからは
「泣いてばかりで自立できない、ダメなやつ」と侮蔑された。

母の母親は、その兄の味方をしたのだ。

母はきっと、感情を自制できず、これを自立できていないことと
思いこみ、「感情を押し殺せない自分はダメだ」と自己否定に
至ったのではないだろうか。だからわたしは母に捨てられたのだ、
とさえ思っている可能性がある。

・・・

以上、過去のブログからの抜粋です。

「ずっと泣いてなさい」

母が子どもの頃、自分の母親から受けた仕打ちだ。

ずっと泣いているのなら、あなたのことは放っておきます、という仕打ち。

母は泣くのをやめたに違いない。

そして、当然に、「私が」泣くことを許さなかった。

夜泣きのエピソード。

開口一番、私が子どもの頃、何が大変だったかという話は、
その「夜泣き」だった。

そして、不思議にも(実は不思議ではまったくないことで)、
母いわく、私は泣かない子どもだったという。
私も泣いた記憶がほとんどない。

覚えていないけれど、母は泣いている乳幼児の私を
暴力的な手段で「泣き止ますこと」はしなかったかもしれない。

でも、もっと残酷なやり方をとったのではないか?

泣かせ続ける。

でも、私が泣く限り、無視する。
これは、子どもにとって、とくに乳幼児にとって、即、死を意味する。
私の子ども時代の聞き取りの際、母がこんなことも言っていた。
「おなかがすいても、我慢させることも教えたわよ」と。
いつでも望めば、ご飯が出てくるわけじゃない、
こっちは女中じゃないんだよ、ということを教えるためだったという。

そういう母が、乳幼児の頃の、その一番悩ましかったと話すその頃に、
母のトラウマがからみながら、私に何をしたか、は、想像がつく。
覚えてはいないけれど、おそらく、私は、

「泣いていたら、このまま泣いていたら、私は死ぬ」

という恐怖を体験したに違いない。

実際、一つ前の生前記憶が正しければ、私は実際に殺されたのだから。
ただ、今回は生き延びた。でも、それは、死に延びただけだ。

「早くやらねば罰せられる」という処罰者をずっと置いたままだ。

この処罰者は誰か。それが、私の母だったのだ。

そして、今、なぜ、その母は目の前にいないのに、
その処罰者をずっと立て続けているのか?
言い換えると、なぜ、「処罰者をわざわざ立てたりして」そうまでして、
なぜ、「ずっと、そうしてなさい」という地点から目をそらすのか?

なぜ、ずっとそこに、いられないのか。

ずっとそうしてなさい、と言われて、
なぜ、私は、ああ、そうしますよ、と最大限の抵抗をしなかったのか?
今やっているワークの、この「中心」で闘うことをせず、
なぜ、枠の外に出てしまい、中心を二度と思い出さない人間になったのか?

中心に戻ること。

それは、自分を裏切らないことだと思います。

自分を裏切ることなく、それでも、「すべてを観る」というのが、
本来の自我ではないか。

先日の日曜の朝、稽古着をとろうとしたその瞬間、
ふと、この球体って、「自我」のことだ、と思った。
まったく、そういうことは考えたこともなかったから、
あっ、と思ったのを覚えています。

先ほども書いたことですが、この球体のイメージで、
球体内が闇のようになり、外側の雑音や妄想を「遮断する」イメージもあれば、
逆に、三次元スポットライトのように、球体内が、知覚をきりとっているかのように
その球体の外側がまるで闇のように思う時もあります。

少し、これがどういうことで、イメージが切り替わっているか、ということが
わかってきたように思います。
おそらく、外に足を踏み出してしまいそうな時、つまり、中心を失いそうな時は、
外の雑音や妄想から「ガード」するようにして、内側を闇で満たす。
すると、落ち着いてきます。
そして、球体を「広く」して、関心とは遠くにあるものであることを思い出します。
中心に戻る、中心に休む、ということです。

一方、中心にいると、不思議に、球体内に雑音や妄想が存在しても、
それはあくまで知覚対象として流れ去る妄想の類でしかなく、前回の報告でも
書かせていただいたことですが、無影響な校内放送のように思えてきます。
ここではじめて、「ぜんぶ見る」というのが、できるようになります。
今取り組んでいる「不安」についても、対処するのでなく、不安だろうが
なんだろうが、ぜんぶ、見る、というものです。
そもそも、「掘る」というのは、いかに、このぜんぶ見る、という位置に
戻れるか、ということだと思います。直視ということの本意だと思います。

そして、先ほど、球体を「ガード」と書きましたが、今回の報告でも
書かせていただいたように、実は、「私が」「中心から飛び外れない」あるいは
「戻ってこられるための境界線」というものではないか、と感じています。

このワークは、やればやるほど、崩残さんがおっしゃっていましたが、
様々な様相を見せてくれて、その都度、掘り残しをガンガン掘り進めています。

今さら、ここまで報告文を書いていてこう言うのも自分でおかしいのですが、
分析があっているかどうかは、第一にはなっていないみたいなんです。
私は今、こうやって、掘っていくことが、やっぱり楽しいです。
結果として、ACを抹殺すればいいのであって、立派な理屈をこねることでも、
見栄えのよいブログにするのが目的でもなんでもない。
もちろん、分析内容は大事かもしれないけれど、前世記憶のことなども
こんなふうに、今日などは思いました。

それが間違いでも、ならば、そういう前世だったことに
書き換えてしまえばいい、と。
私は、今、そうまでしてでも、残る課題を殺しきりたい。
それは行き過ぎかもしれませんし、問題があるかもしれませんが、
ならば、その問題にも、私は、逃げず、ぜんぶ、見たい、聞きたい、と思います。

ACのどんな挙動も、どんな言い分も、きいていい。

だけれど、自分を救出してからにしろ、と。
それをせず、AC人格だからこうなんだとか、つらいとか、
私はもう聞き飽きました。泣き言はもういいです。
そういう時間こそ、無駄、です。
そんな時間など、一秒も残されていないんだって。

昨日の日記にも書きました。

阻害されたものがある。

それゆえに、やり直そうとしたのだろう。
同じ毒親とPとの、その関係の中で。

やり直すのなら、

「新地」

で、やり直せばいい。

苛烈な一年にすると年始に宣言しました。

残り二ヶ月と少しです。

精一杯、生きようと思います。

長い報告文となりました。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

また報告をさせていただきます。

Aby


・・・


2015.10.21
Aby

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by jh-no-no | 2015-10-21 11:58 | 復元ノート 1


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