『①球体のイメージと毒母由来のトラウマ掘り』の続きです。
・・・ また話はあちこちにいきますが、今週は意識的に中心にいようとしました。 どの時間も、です。ただ、出来たかといえば出来ませんでしたが、やろうとしました。 これは日常に応用しようとするのでなく、応用でもなんでもなく、こうあろうと することが、ごく正常なことに思えたからです。やれるかどうかより、中心にいようと することは、しごく当然のように思えました。 そのせいかどうかはわかりませんが、中心に意識を向けるだけで、ほぼタイムリーに そこに戻ることができるようになってきています。 15日の日、また仕事帰り、自転車を押しながら、真夜中、球体のイメージを 作っていました。この時だったと思いますが、この球体というのは、外部からの 侵入を防ぐのではなく、実は、私が中心から外に「出て行くのを防ぐ」自分のための バリアみたいなもの、そのための「殻」なのだ、と感じたことでした。 私が、もしも、そこから動かないとすると、ACの妄想から離れて そこにいるわけですが、この閉じた中で何が起こるか、というと、 本当の自問がはじまる、と次に感じました。 そこで私は何をするか? 何を思い、どうしようとするのか? そう思い始めました。だって、それ以外、無いのですから。 しばらくして、また、あの交差点にさしかかりました。 今までは歩道橋の高さまでが目に入っていましたが、この日は、 もうそれには用がなくなったかのように、ふと、夜空に目が向きました。 その瞬間、思い出したことがありました。 生前記憶を掘っていたとき、イメージの断片として想起されたもので、 ブログにも書いたことですが、幼い私が、「空」を見上げ、 ここ地球に期待をした、期待の目をもった、その時の光景を 思い出したのです。 それ自体は、そこまでです。 ただ、続いて、この生のずっと過去にさかのぼっていく感じに 今度はなっていきました。 その日の手書きのノートにはこう書いてあります。 >「明るくはしゃぐ」私、手足を大きく動かして >はしゃぐ私のイメージ、笑っていて、楽しそう、 >はめをはずしている、ころびそう そして、これは2歳代頃のように思え、それは、 今や記憶に何もないCちゃん(私が3歳の頃に死んだ長女)との 時間をなぜか想起させた。 ただ、それ、Cちゃんとの時間は「まやかし」のようなものであり、 この手足を大きく動かしてはしゃぐイメージは、もっとこの生の元に あるものに思えた。 >この生への期待ともいえる と書いている。 ここからは、手書きノートに書いたことを、そのまま、 抜粋、転記したいと思います。家に戻り、走り書きですが、 思いつくままに書いた記録ですので、そのままにします。 ・・・ それから思ったのは、 この「明るさ」は、私は母と父に見ていた(期待していた)。 この二人の元に生まれたら、「本当は明るくて楽しい」だろうって。 ↓ そこで、ふと、ひとつ前の生、これ、もしかして、私はすぐに(2才ごろに) 死んだんじゃないかって。 この生の母の、私へのなんか妙な罪悪感が思いおこされて、 ふと、もしかして、母は前の生で私をころしたんじゃないかって。 ふと、思った。 母は前も、私をみちづれに(たぶん私一人だ)、 電車にとびこみ自殺(心中)をしたのではないか? 母はいっていた。「子どもは嫌いだった」って。 今思うのだが、「夜なき」、前の生も、その夜なきで 育児不安(ノイローゼ)になってのことだったのではないか? 父が「Abyのせいだ」というのをおもいだす。 そう、父は前の生でも、「私が殺した」と思っている。 なんて、無責任なバカ父親だろうか! これと、今回の生において、「Abyのせいだろ」というのとかぶる。 私は、この生では、もう一度、「夜なき」から同じ設定で やりなおしたのだろう。 そして、この生では私は殺さなかった。 でも、Cちゃんは死んだ。 そのやりなおしをA(補足:Aは次女にあたる妹のこと)でやった。 B(補足:Bは弟のこと)はおもうに、母の都合の子じゃない。 母の都合の子は、私とAのみだったはずだ(Cも含め)。 Bは父都合の子に見える。 よくわからないが、Bがたどってきた道をみると、まるで、「父のような 人間のコピー」にみえる。 話はもどり、 私は前の生で、「あれ?おかしい。明るいはずなのに・・・」と思いながら、 実は「暗かった」「二人」にそうぐうした。 そしてこの「暗さ」が何だかわからないまま、幼少期に死んだ。 そして、この生、「明るくて、やさしい二人」という「写真」をみて、そして、 全く同じその二人を「この人たちだよ」といってみつけ、また、やりなおした。 そして、私は40年、「明るくて、やさしい理想的な親」という思いこみを 私自身が強く思いこみながら、生きた。 もちろん、そういう洗脳でもあったわけだが、私自身が、それを疑わない設定から スタートした生だった、ということじゃないか? そして、自我復元をやり、今の今になって、その「暗さ」、 この生でもそうだが、前生の「幼児の私ではまったくわかりようもなかった、 その暗さの原因」、つまり、トラウマ中身(親にみすてられないための保身として、 親を不安にさせない、不安にさせたらみすてられる)というところからくる、 「不安など無いかのように生きねばならないルール」、このルールの中で、 実は「不安の膿でぐちゅぐちゅになった二人の顔」、 これが、前生の幼児期の私にはとらえられなかった「暗さ」が指す 「実相」だったのだ。 本当は、明るくて、ほがらかで、やさしそうな人たちなのに・・・という思いのまま、 そして、「あれ?おかしい・・・」と思いながら私は殺された。 そして、けっきょく、その「幼児性」のまま、私は40年、つまり、前生の2才の ままで、ずっととまり、その目で親をみて、ずっと「明るい家庭だ」と かんちがいし、思いこみつづけたのだ。 ●●(←私の名前)の「明」。 これは、かんちがいした、私の「明」でもあるが、 ずっと焦点があてられてこなかった(実際、そうだった)「明(あき)」の 「あ」「a」だった。だって、明るくなんて、この家庭には「無かったのだから」。 Aby、アビ、あび、ぁ「び」、明日(あび)、明日、これは「あした」だ。 明日(あした)とは、サンライズ、日の出だ。 (補足;地平線からaの文字が出ていて、それを日の出のように 半球で包むようなイラストが余白に描いてある。) 光、明るい光。 「不安は隠さなくて、いい」 禁じたのは、母と父の親たち、「毒祖母」だ。 不安は、太陽のごとく、明るく昇るのだ。 不安こそ「明るい」のだ。 それを隠すから「日」をかくすから「暗い」のだ。 わかる、できる、気づいている、わかっている・・・ こういったことは、「不安を隠すため」にやるのだ。 「不安じゃない」「平気だ」と〝言うために〟こうやっているのだ。 このACの行動を。 (補足:こう、とは、わかる、できる、気づいている、わかっている、と 主張しようとするACの挙動のこと) 「暗い」でおもいだした。そう、これだ。 Pは「暗かった」、そして私はずっと思っていた Pは「本当は、明るい人だ」と。 これを見い出すのは(その役目は)「私だ」と。 Pと父と母、いや、私のまわりにいた人たちに共通するのは 今ならわかるが、「他人に認めてもらえずに歪んだ人たち」だった。 これが「暗く」私にはみえた。 「認めてくれない」といった「まわりのせい」にしている人たちだ。 Pも父も母もみんなそうだった。 「認めないまわりが変だ」というのが、いかにも正しいかのような「常識」に とらわれた人たち。 「あなたたちは、本当は明るいんだよ」 Pもそうだ。Pの母はてんけい的だが、 「不安」は「あってはならない」という考え方だ。 食べものも「まずい」と言ってはならない人たちだった。 他人へのひはんはするから、一見、それが「不安」を表明するかのように見えるが、 実際には他人へのあてつけであり、 本当に自分自身が感じてくる不安、嫌だったことは、ぜったいに「かくす」 「いわない」人たちだった。 これが、PやPの母、あの家のルールだった。 でも考えたら、(家の雰囲気が全くちがうので気づかなかったが) この点(不安をかくす点)でいえば、うちも全く同じだ。 その中で私だけだ。 ここは明るい、あなたは明るい、と「思いつづけ」「言ってきたのは」。 私は、そう、前生の、2才の私のまま、その思いこみのまま、今まで40年、 本当は「不安がないかのようにふるまう歪みきった暗~い家族」を 〝本当は明るくて、理想的で、すごいんだ〟って思ってきたのは。 そして、実際、私の毒父は「そう」洗脳してきた。私は全くいわかんがなかったのだ。 本当にそういう家だと思いこんできて、40年、疑ったことが一度もなかった。 今日、球の中に自分だけがいる時に、これをやっていた時、 「最初に」ブレた地点を思い出した、ということだ。 まず私が手足を動かし、はしゃぐ「明るい」姿。 これを、私は「明るい(明るそうに見えた)二人の親」に頼ってしまったのだ。 この親元なら、そうなれるって。 この親元なら、つまり、前生、「本当は」私は明るく楽しい人生だったのにって。 ようは、前生において、「こんなはずじゃなかった」というやつだ。 つまり、前生では、あの二人のプロファイル(写真)の「明るくてやさしそうな二人」 というところくらいしか、まだ、2才のわたしには、二人のイメージがなかった。 でも、なんかちがう、おかしい、とは思ったかもしれないが (それは今は思い出せない) いずれにせよ、 「二人は、本当は、やさしくて、明るい親なのだ」と 信じながらの2才のまま、死んだのだ。殺されたのだ。 その強い思いこみのまま、この生に生まれ、 毒父にとっては「理想の家庭」としておしつけるのにはもってこいの状態のまま、 あらゆる調教、洗脳をうけた、ということだ。 ねむりこけるには、好都合だったのだ。 そして、この生での、自我復元での収穫は、 これは明るいのではなく、暗いのであり、 暗い、その「暗さ」と表したものの実相とは、トラウマ由来の 「不安はないかのようにふるまわなければならないルールの中で、 不安をはきだせずにためこみ、顔の中でぐちゅぐちゅの膿になってしまったこと」 による「いんうつさ」なのだ。 Pの父だが、Pの父は、父親とのあつれきで、「社会にみとめられよう」 とするのが強い人だった。「世の中にみとめさせる=父親をたおすこと」だった。 「ほらみろ。おやじの言ったとおりになんかなんねーよ。 オレは、ほら、認められているじゃねーか」と、 「自分を認めてくれなかった父親」に対するリベンジなのだ。 あんたはまちがっていた、といいたいのだ。 「オレを認めるべきだった」と。 Pの母は母親に認められようとし、母親の価値観のまま生き、自立をうばわれた。 Pをみてくると、父のごとく、まわり(社会)にみとめられたがれ、 母のごとく、母の価値観「一通り」に毒され、自立できない まさに、毒両親どおりに育ったわけだ。 ・・・ ここまで、その日のノートの抜粋です。 これは今、転記して思ったのですが、2才で死んだ、というのは、 違うかもしれない、と思いました。 Cちゃんとの覚えていない記憶の感覚が2才という漠然とした年齢を 思わせるのかもしれず、このあまりの「幼児性」を考えると、 生まれてわりとまもなくか、少なくとも、幼児というよりも、 乳幼児に近い頃に、すぐ、死んで(殺されて)しまったのかもしれません。 以前、桜の間で、前世があまりに幼少期の頃に死んだケースについて 書かれていたのを、この日も思い出したわけですが、私は自分のこととは 思ったことはなかったのですが、今回、相当、憶測によるものと思う一方、 かなりリアリティーがありました。というのも、なぜ、私が、ふと、 父や母を思い浮かべるとき、笑顔を思い浮かべてしまい、また、Pについても どうして彼女が笑っているのを思い浮かべると、そこから(今はほとんど その力は失ってはいるのですが)彼女といたことが楽しかった、と思って しまうのか、ということについて、この「虚偽」を見たとき、ボロボロと、 その虚像が虚像と知り、明るいなど完全に私が投影した思いこみでしかなく、 そこにあったのは、暗さ、ただそれのみ、つまりそれは、今まで掘ってきた ACの挙動の全貌のみであり、私との関係でいえば、AC人格同士の 「共依存関係」、つまり、それは「お互いさま」の関係だけが、「虚像として」 残ったからでした。言い換えると、この人たちの「笑顔」だけは、無垢に感じ、 恨むに恨みきれなかったのです。「実像」だと思っていたからです。 でも、これが、ただの私の「思いこみ」によるものだとしたら、もはや、 「実像」など無いのです。 AC人格だけがあり、AC人格同士の共依存関係だけが、 ぶざまに残ったのです。 そこで、Pとの関係に、決定的に決意が生まれました。 「枯れるのを見届けるのみ」 ということです。 ここで、ここでとは、この今の住まい、固定回線をひいたこの家で 枯れさせよう。ここは居る場でも逃げる場でもなく、「墓場」にしてやろうと。 Pが徹底的にもうここに居たくなくなるまで、私は、ただ、この「事実にそって」 起こる事象を見届けること。 私が徹底的に「私」を生きるのなら、 ここは、私であれ、誰であれ、ACが居られない場所になる。 ここには、AC人格しかいなかったし、いないのだ。 悪臭。しかし、今や、私が私を生きる覚悟を本当に貫くのなら、 AC人格にとって、これほどここが「悪臭」に満ちた場所はないだろう。 それは、そう、自我復元で、私が逃げたくて逃げたくてつらかった場所、 それが、今度、ここがそこになる。Pにとって、ここはいられなくなる。 契約は、枯れるがままに枯れるのだ。 ようやく、私から見たとき、Pという人間に 「血」が流れていない、と見えるようになってきました。 血は、生きている人間にしか流れていないから。 具体的には、今、彼女に投影した「笑顔」が消えつつあります。 私が知っている、楽しかった、と思い込ませ続けた記憶の中のPの笑顔が 無くなりつつあります。そのまま、消えてゆくのが筋です。 そう、一つ、こんなことをはじめて思いました。 私はPとの闘いに、勝とう、と思いました。 AC人格は、自身の中だろうが、外に見るACだろうが、 敵は敵です。認められるはずがないのです。 少しだけ、余談をさせてください。 今、日記を読み返していて(日記を読み返すことも今までなかったのですが)、 そう、先日、折りたたみ傘を買いました。 折りたたみって、まあ、500円くらいだろう、と思っていましたし、 高くても1000円くらいかな、と。そういう折りたたみしか買ったことがなかった。 今まで使っていた折りたたみ傘は、たしか、700、800円で買ったと思います。 随分使いました。Pとの時代でも使いました。そして、格闘の最中も使いました。 折りたたみ傘だけじゃない。PとのAC時代から使って、しかし、この格闘を越え、 今なお使っている、使ってきたものがあります。 ACとの格闘が始まってからは、全部、新しくしなければ、と思っていました。 妄想に妄想を重ねながらも、新しくしたものもあり、そうしなかったものもあり、 とにかく、それでも、この2年以上の修羅場を、ともに越えてきたものがあります。 今まで使っていた傘は、もう、骨が3本は折れて、さしても、半分しか使えず、 まるで絵本の中で出てくるカエルが葉っぱの傘をさしているような、 あんな感じです。でも、この傘は、職探しの時も、本当に一緒に闘いました。 真冬、手がガチガチになりながら、この傘と、闘いに行きました。 この傘は、私は今度、きれいに洗ってしまっておこうと思っています。 傘だけじゃない。どんどんと、まわりのものは、そう、今まで使っていたPC (まだ今使っていますが)も、私の物に変わっていきました。 はじめて、自分の物だ、という愛着を知る経験をしています。 もう本当に捨てられない。以前、崩残さんがおっしゃっていましたが、 自分のものじゃないから簡単に捨てられるんだ、という話を桜の間でされていたと 思います。まったくそうなんですね。私は、40年、なーんにもいらない、と 斜に構えていました。毒父とそっくり同じにです。でも、それは、自分のものなど ないほどに、自分というものがないことを表明しているだけです。 いまや、なかなか、梱包材も捨てられません。 それは強迫観念とか価値観とかじゃなく、大切に思うからです。 いとおしく感じるといったほうがいいかもしれません。 それで新しい傘はまだ雨になっていないので、開いただけですが、 **で3564円もするものを買いました。はじめて知りましたが、 それほど、これ、高いわけじゃないってことを知りました。 目的は今回はっきりしていました。 大きくて、軽いもの。丈夫ならなおよし。というものでした。 放射能のことも頭にありましたが、小さいと結局濡れます。 それと、私は、いつも折りたたみはリュックに入れて持ち歩いているので、 (天気予報は見ないのでいつもは入っています)、軽いほうがいいのです。 丈夫かどうかは、正直、使ってみないとわからないので、あまり、 そういうことの評価は、見ても、見る程度にし、だいたいが、 壊れたら直すぞ、くらいの気持ちでした。傘を直すなんて面白そうだしって。 おそらくこれは、地雷だらけのPC選び、もちろん、今も、それ以外の場面で 格闘中ですが、そういう格闘の中から、出来てきた姿勢です。 安心かどうか、より、どうしたいのか、です。 どうしても、私は、不安解消に妄想しやすいため、安心かどうか、に 気づくとなっていることが今も多いです。 でも、どうしたいのか、と戻ることが今大事だと思っています。 これは後述するかもしれませんが、そう考えたからといって、 ぜんぜん、上手くなんていかないんです。 それは、ずっと、どうしたいのか、など考える姿勢をとったことがないためです。 どうしたいのか、と口先で自問するのは簡単です。 だけれど、本当にそこを考える覚悟は、やはり、不安をなんとかしよう、 というトラウマ由来の思考回路ではできないようになっています。 当たり前です。親がそれを許すはずがない、なかったからです。 開いたときの大きさが、直径114cm。 長傘よりも大きくて、重さも195g。 今使っているのよりはやや思いけれど、これは軽いです。 新しい私の傘として、これから使ってみます。楽しみです。 こういう思いで、買ったものを見たことは今までありませんでした。 必要だから買った、それだけでした。 買う理由も全部、「他人まかせ」です。それもそのはずです。 「私」などどこにもなかったのですから。 今までの傘に向けて、私ははじめて、言ったことのない言葉、 「ありがとう」「おつかれさま」を言いました。 社交辞令でなく、上っ面だけでなく、そう言いたくて言いました。 きれいに洗って、大事にしたいと思います。 余談はここまでにします。 ・・・ 『③球体のイメージと毒母由来のトラウマ掘り』に続きます。 2015.10.21 Aby ●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
by jh-no-no
| 2015-10-21 11:56
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