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生きる場の選択

一週間前に、稽古で右人差し指を痛め、
今日、整形外科に行くことにした。
腫れと痛みがひかないからだ。

合気道の会の代表の方に、このあたりの整形外科の情報を
昨日いただいて、早速、行くことにした。

昨日、仕事から帰り、一夜、湿布を貼って対処しながら6日間過ごしたその経緯、
指の状態などをメモにまとめ、どんな怪我の可能性があるかをネットで調べてみた。

一番近い症状は、指の剥離骨折と思われた。

指を床についた状態で、稽古中、自分の膝で、
全体重をかけるように乗ってしまったことが、その突き指とも打撲ともいえる怪我だった。
生活する上では痛みもなく、腫れも酷くなるわけでなかったので、
軽視していたところがあったが、今回は自分でも湿布を買ってまで処置しようとしていたのは
かなり違和感があったからだと思う。

結果としては、右第2指PIP関節靭帯損傷という病名で
骨折ではなく、靭帯を損傷してしまったので、3週間ほど
テーピングで固定することになった。

昨夜、私は、自分の症状や怪我の経緯をまとめながら、
今日、医者に行ったら、自分が伝える内容は何か、
知りたいことは何か、それらもまた、メモし、自分なりに整理しておいた。

ここから、今日、私が感じたことを書きたい。

診療の前に、どの程度レントゲンをとるのか、また、
初回はどの程度費用がかかるのかもききたかった。

ところが、そのお医者さんは、すごく冷たかった。
質問すると、怪訝そうな顔をし、私はそれだけで萎縮した。
なんとかそれは質問したものの、なんとかした、という萎縮の中で、だった。

これは仕事をしていてもわかることだけれど、
相手が自分に親切にしてくれそうだ、と私が感じると何も怖くないのだけれど、
「何?」とか「え?」とか、お客さんが怪訝そうな顔をわずかするだけで、
私は萎縮してしまう。そして、このお医者さんは、そういう人の中でも
私が最も萎縮してしまうタイプに思えた。

一言、私は怖かった。
そこを逃げたかった。何とか2つ質問をするので精一杯で
それからレントゲンを2枚とり、看護師さんにテーピングのやり方を教わった。
その看護師さんも、似た雰囲気があり、私は萎縮した。

それでも、その後、もう一度、そのお医者さん(以下、院長)に、
「骨の剥離骨折ということはないですか?」ときき、すると院長は
「それはありません」とだけ答えた。

とりあえず、そっけなく、目も必要以上には合わさない。
こちらから話すことがすごく困難な雰囲気だった。
私の頭はそれ以上なかなか考える余裕がなく、
訊きたいことはちゃんと訊けたのかどうか、気になりながらも
「最低限のことは訊けた、言えた」と思いながら、診察を終えた。

しかし、それから一歩病院を出て、クールダウンしようと
昨夜まとめたメモなど、何度か読み直した。
すると、いくつか伝え忘れた、訊き忘れたことがあった。
でも、いまさらまたあの院長に戻って訊くのは、嫌だ、と思った。
その時思ったのは、「あの院長はまるで自分が神様かのように威張って、
まったく患者の話を訊くつもりはないんだ。最低だ。」と。
だから、別の医者に行こう、ここは師範が紹介してくれた医者だけれど
それに従うことはない。

そう思いながらも、やはり、めんどうだな、ここでいいや、とも思ったり、
混沌とした迷いがあったが、それでも、いずれにせよ、伝え忘れたこと、
訊き忘れたことは訊こう、そう思って、もう一度、医者に戻った。

受付でもやや怪訝そうな雰囲気で、その時点で萎縮し、
混んでいたら待っていますから、と私は居場所がないように
待合室に座った。名前を呼ばれて、診察室に入った。

今度は堂々と言おう。
顔色でビビらず、はっきり言おう。だってこっちは話したり訊く権利があるのだから。
そう思って、再度、伝えようと思っていたこと、訊こうと思っていたことを
箇条書きにしたメモを持って、呼吸を整えて、前を向こうと思って院長と向き合った。

伝えていなかったのは、この6日間ほど、
ストレッチ程度には指を動かしていたこと。
それは、湿布を買った薬局の薬剤師の方から、動かさないと曲がらなくなる、
と言われ、その方もバイク事故で自分の指が曲がらなくなったその手を見せられ、
そういうものなんだ、と思ったからだった。
湿布をしつつも、程度に伸ばしたり動かしたりしていた。

そのことを話そうと、

「湿布を買ったところで薬剤師の方が、ご自身も事故で指が・・・」

と話した瞬間、院長は、ギッとこっちを見て、

「あらすじはいいので、質問は何ですか」

と言った。その時点で私はまた元の恐怖に戻された。

それでもなんとか、「軽く動かしたほうがいいと言われたので
動かしてしまっていました、というのを先ほど伝え忘れてしまったので
それをお伝えしたいと思って」と言うと、

「わかりました」

と間髪いれず、それだけをキツイ口調で答えた。

それでもあと数点、訊きたいことがあった。
だから怖くても訊こう、それだけを思っていた。

「〇〇の仕事をしているわけですが、動かせる範囲なら
動かしても平気なのでしょうか?安静の程度がわからなくて」

と言うと、

「仕事ですから」ときっぱりと言い、そして、
「ただ、靭帯が痛む方向には曲がらないように
気をつけるのは自分の努力です」と。

まったくその通りだと思った。

これは病院に戻る前に、自分でこれを訊こうと思ったときに
これは訊こうというか、自分でもそう思うので確認しよう、というくらいのことだった。
ところが、いざ、質問を簡潔に、と言われてしまったせいか、ブレまくってしまい、
仕事では動かしても大丈夫か、というような雰囲気の訊き方になってしまった。
それと、合気道の稽古も稽古そのものは、本来なら、今のようなところを痛めることはなく、
無理はなさそうなのだけれど、何があるかわからないから、見取り稽古にしよう、
そう自分でも思っておきながら、これも同様、

「合気道の稽古は、できる範囲で・・・」のようなことを口走ってしまった。
すると、院長は、

「そういう状況ではないと思います。稽古はすべきでないと思います。」と
即答された。すべてが一言でこちらを見ることもなく、ちらっと見たとしても
それは刺すように怖いものだった。

稽古のことも自分でそれは考えていたはずだった。
自分の身体なんだ、それを守るためには仕事や稽古ではどう対処するか、
それは病院の外で、しっかり、意思を固めたつもりだったのに。

あと、どれくらいでおよそ完治する予定なのか、
さっき聞いたと思ったが忘れてしまったので、また、訊くことにした。

「さっきも言いましたが、3週間を予定しています」と。

それから、湿布はこれを使っていました、というのは、
伝えたほうがいいだろうと(そう湿布の説明書に書いてあったので)思い、
「それと、湿布はこれを使っていました」と言うと、即座に、

「もうそういう(湿布とかの)段階ではありません」と。

それと、テーピングというのは、一日に一回はかえたほうがいいのでしょうか?と訊くと、
「そうすべきでしょう。回数というより、ゆるんだら随時巻きなおすべきです」と。
思わず「このラップは・・・」と言ってしまった時、即座に、「ラップではありません。
それはテーピングです」と言われて、もう完全にしどろもどろだった。

あともう一つだ、病名を知っておきたいと思って、
「あと、これも先ほど聞いたかもしれないのですが、病名は何ですか」と訊くと、

「はい、それは、受付で渡します」

と、はい、これで以上ですね、いい加減に、という雰囲気で
(そういう雰囲気だと私自身が感じて)、なんとか言えた、と思ったとともに、
くたくたになった。

院長がその場を離れ、ややこちらに戻りかけた瞬間、私はここで
致命的なACの挙動を反射的にしてしまった。

「あの、ですから、最初に訊きたかったことは、
この6日ほど指を動かしてしまっていたわけですが、
動かさないほうがよかった、ということですよね」

と咄嗟に訊いていた。最後に、院長はこう答えた。

「過去のことはやめましょう」

それが今日の最後の会話だった。

受付で、病名が印字された縦1cm幅10cmほどの紙っぺらを渡された。
病院を出て、またそこのベンチに腰をかけた。
頭の中では、なんと最悪な医者なんだ、と思った。
患者の話をきく姿勢がまったく無い、完全にゼロ、
これだったら、別のところに今日にでも行ったほうがいいかも。もう来なくてもいい。
昨日、湿布を買った薬局のその薬剤師さんからも、近隣でおすすめの整形外科を
教えてもらったから、そこに行けばいいんだ。そもそも、こういうことがあるかもと思って、
セカンドオピニオンのつもりで教えてもらったのだから、と。

ただ、私は、この自分の判断が納得いかなかった。

先ほど病院に一度戻る前、このベンチでも実はそれは思っていた。

この最悪な医者、と考えている一方で、
なぜか、この院長がまともに思えていた。
そして、今日の診療を終え、外に出た時、そのベンチでも
自分の振る舞いに違和感を感じながら、この院長には
「どこにもおかしいところがない」と同時に感じていた。

まったく、この院長はまともだった。
そうとしか思えなかった。

しかし、

私は院長のなかに「まともな何か」を見たのではない。

実は、私自身の、私自身からの声だった。
私は自分から、同じ答えを実はずっと訊いていた。
だから、私は、彼がまともだと当然のように思ったのだから。

病院を出て、私は決めた。

この医者に通い、あと一ヶ月近くだけれど、
ここで治そう、と。

今までならば、最低の医者として、一番遠くに追いやってきたもの。
それは間違っていた。私が生きるのは、こういう場所なのだと。

どんなにACが吹き荒れようと、惨めな姿になっても、
私が逃げてはならないのは、死守しなければならないのは、そして
間違ってはならないのは、私が生きる場所だ。


2015.08.01
Aby

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by jh-no-no | 2015-08-01 02:05 | 復元ノート 1


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