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(後半)エゴで生きる

「(前半)エゴで生きる」の続きです。


・・・


前の投稿にも書いたけれど、
自分で決めること、つまりそれは、自分の経験から出発して、
そこに自分の経験だけを積み重ねて、最後まで自分の経験で完成させること、
これをやる毎日は、本当に、効率が悪いと「感じてしまう」し、
なにより、すごく、一人にあることの不安がある。
でも当たり前なのだ。

私は、私一人、自分一人が、自身の生を満喫するのを
ずっと許されず、というより、私が、はなから自身の生を捨てて、
他人の生に乗っかったのだから。
他人の幸せを「自分の幸せ」としたのは、自分自身なのだ。
そういう私を、利用した毒親やPは、当然、自立などしていない。
自立していれば、「他者を自身の幸せに利用しよう」となど思わないからだ。
何度も書いてきたが、要は、ともに自立を望まなかったAC人格同士の
世話し世話される囚われごっこを、共に、死ぬまで続けるつもりだったわけで、
これが、「共同作業」たるものの実体だった。

Pと話していて、Pから伝わってくるのは、
「ワタシのためにAbyが生きていない、働かないこと」への不満、ただそれだけだ。
自分の領域を、このPの城で、今、増やし続けている。
それは、たとえば、この棚のこの段は私が使いたい、と伝え、話しをする。
たったそれだけで、不愉快全開な態度を示してくる。
Pだけの領域は存分にあるのに、私には、その同じことを絶対に許さない。
領土争いをしているわけではないが、私は今、自身の関心から、
必要な主張を、逃げず、たとえ相手が話し相手にならずとも、
私は話そう、という態度で向かい、実際に、思うことをちゃんと言う。
当然、自分自身の納得のためだ。

毒父と電話で対立してからは、一度だけ、メールが来た。
あまりにくだらないのは、嫌がらせのように、前に送ってきた同じメールを
ただ送信してきた。すぐに電話をしてやったが、電話に出やしない。
コソコソとメールしないでください、とメールをこちらからしたが、
返信もなし。でも、私は、やれた、と思った。
私がこういう情けないやり方で、嫌がらせをしてくることに対して、
まず、感じたことを、ちゃんと言えたからだ。
今度は、以前のように、父と同じようにキレる、というAC的な反撃でなく、
ただただ、不快な気持ちを、態度と言葉で示すことができた。

それ以外にも、いろいろあった。

クリーニング店で、一度、不快な思いをした。
それを、私は、ちゃんと本人に伝えることができた。
今までのように、「私はこう思う。あなたはおかしい」ではなく、
「こう感じて、私は不快な思いだった」と。

また、こんなこともあった。

家の屋根から、突然変なコードが垂れ下がってきていて、
「これ、漏電とか、感電とか、大丈夫なんだろうか・・・」という不安に対して、
徹底的に、妄想解決でなく、調べ、尋ね、事実に事実を重ねて、
「ここまでやれば、私は納得できる」というところまでやり尽くした。
これの最後の難関は、意外にも、他者の不機嫌を突き抜けることだった。
街の電気屋さんを探し、最後は、実際に他人に見てもらおう、とし、
見に来てもらった。親切な方だった。さっき、不機嫌と書いたけれど、そうでなく、
親切だったからこそ、「不機嫌にしてはまずい」という私側の障壁だった。

肝心なことを聞き忘れて、あっと思った時には、
車で行ってしまった。これから別の現場に行くとのことで、急いでいるように
私には見えた。これも思い込みなのだが。
電話で確認しようか、いや、でも、細かいこと聞きすぎていまいか、
疑っているように思われまいか、今忙しいかもしれない、お昼時にしようか、
いやそれも迷惑か、そもそもお昼はいつか・・・と、つまり、私の気持ちは、
「うっとうしいと思われたらどうしよう」という不安があった。

顔色をうかがっているんだ、ということに、しばらくして気づく。
ここで、やめたら、ずっと今まで調べ、尋ね、やってきても、
私は、ぜんぜん、納得ができなかった。思い切って電話をした。

どれもそうなのだが、「言い出すまで」が勝負なのだ。
ここに、強くブレーキ、というか、AC人格がのさばっていて、
実際の行動よりも、妄想へ妄想へと誘う。
だけれど、私は、今、「妄想を外す」ということをしている。
それがいいかわるいかの問題ではなく、ただただ、
私は妄想のまま死ぬのは嫌だ、という一点に尽きるからだ。
どんなに先が見えない道でも、先が見える妄想より、ずっといい。
清々するのだ。気持ち悪い、それがない。

先日、このことで気づいたことがあった。

大福を買った時があって、私はこう決めていた。

「夕飯を食べる前に、私は大福を食べる」

という、単なる自分ルールだ。

ところが、実際に料理をし、作ってみると、
こういう思考回路に流されそうになる。

「せっかく、今温かいご飯ができたのだから、
大福は後で食べたら?」

「大福は、やっぱり食後のデザートでいいんじゃないの?」

「今は、もう、甘いもの、大福食べたい!って特別思っていないのなら、
後ででいいよ」

とか、こういう声が流れてくる。

一瞬、納得したくなるのだが、いやいや、これは自分で決めたルールなんだ、
と思って、乗り気ではなくても、大福を食べることになる。

そうすると、不思議なことが起こるのだ。

これは、梅酒用の瓶で、あれこれ遠回りしながらも
経験したことでもあるのだが、「自分で決める」と、なぜか、不思議にも、
「思った通り」にならないのだ。

新鮮な感覚、といえばそういう感じ。

大福で思ったのは、もしもあの時、自分ルールを破って食後に食べたとしたら、
「予想される満足(?)」「予想される味」「予想されるおなかの状態」だったろうな、と思った。
そのとき思ったのは、「そうしなくてよかった」ということだ。

思った通り、というのは、
もう長年、AC人格が続けてきた「思った通り」の流れのことだった。
感覚や習慣、妄想で、なんとなく、「こうしよう」と決めて、それでなる流れや結末。

自分の感覚だ、などといっても
それは、自分の意思ではないのだ。
感覚も、思考も、全部、汚染されているのが、AC人格なのだから。
イコール、自分の意思など、どこにもない。

それは理屈ではなく、やってみればわかることだ。
自分の意思でやったことは、その分しか、リアクションもない。
だから、自分の舵だ、とわかるし、自分が漕いだ分しか進まない。
一方、自分が漕いでもいないのに、なんだか進んでいる、というのが、
結果、快、不快、と「思いこもうと」、ひとえに、不快なのだ。

一方、大福を先に食べると、まず思ってしまうのは、
「何もいいことがない」という感覚なのだ。
これは、今、何をやるにしても、自分の意思でなすとき、
自動的に、最初に感じてしまう罠のようなもの。

でも、これは罠で、
ここをそれでもやる、自分で決めたのだからやる、と貫くと、
「やることはやった」という、自己納得はある。
これに対して、「そんなのは・・・」と口出しするACの反撃はまたそれはそれで
対処するとしても、この自己納得を得ないことには、話にならないと思っている。

なぜなら、少なくとも、この自己納得した自分の経験の事実だけは、
ACが何と言おうが、「自分の経験」に他ならず、この上にしか、さらに自分の経験は
積み重ねていくことはできないと思うからだ。

今、やってみようとしていることがある。

一つは、めんどうと言わず、以前買ったプラモデルを
作ると言ったのだから、作ること。
随分と箱を開けるまで時間がかかった。
ようやく、昨日、開けたのだ。
そして、どんな工具が必要なのかを確認し、
近くのお店で、ニッパーやドライバーを見てくる、そこまでをやると決めてやった。
「このネジ、このドライバーで大丈夫か・・・」と妄想しそうになったから、
だったら、実際、ネジにドライバーがあうか、その場で試させてもらえばいい、
そう思って、やってみた。これで、いけるって。

もう一つは、甘酒づくりをやろうと思っている。
少し前に、こうじをネットで注文した。
以前、崩残さんがリンクしてくださった放射能検査をしているところの
ネット通販でこうじを見つけて、作ってみよう、と思った。

一度、作ったときは、こうじだけを醗酵させて作るやり方と、
おかゆと混ぜて醗酵させるやり方、その二通りでやった。
温度管理がコツのようなので、はじめて料理温度計も買って、
時間と温度をはかり、やってみた。

おいしい。

正直、どちらもおいしくて、
でも、それは本当でも、これだけで終わらせてしまうのでなく、
こうじと水、お米、これなら安全なものがなんとか手に入るし、
無理なく、いろいろ、実験できるはずだ、そう思って、また買ってみた。

「実験」

これは、大学でも、私は大嫌いだった。
そんなの、結果だけを教えてくれればいいのに、ってずっと思っていた。
化学実験、物理実験、本当につまらなかった。

でも、つまらないのは、私という人間なのだ。
実験がつならない、というのは、どういう病気だよ。
まったく、自分が経験する、などという概念すら、私にはなかった。
知ること、つまり、どういう知識と自己同化するか、それだけだった。
妄想癖とは、そもそもが、自分でないリアリティーのないもの、
自分の経験とは別のものとの自己同化だから、私は、そういうことを
ずっとやってきたのだ。毒父と同じ格言人間だ。

だから、まだ、実験というのが、これは日記と同じで
おっくうだし、めんどうだ、と感じる部分はある。
でも、これも何度も書いたことだけれど、私は日記が好きだ。
私は、やっぱり、自分が経験すること、それがどんなにめんどうでも
おっくうでも、くだらないことしかできなくても、その妄想でない世界が好きだ。

だから、私は、実験をしたい、と思っている。
やってみないとわからないけれど、こうじ、水、お米、
それだけで、いろいろなことがわかると思う。
たった二種類の作り方だけでも、味わいはかなり異なった。
どっちも、「おいしかった」けど。

でも、自分としては、「おいしい」だけでは、それだけじゃあ嫌だな、
というのがある。それは、ただの感覚だ。大事な感覚かもしれないけれど、
まだ、ここに、意思があるとは思えないから。
実験と日記、ということを考えると、絵日記として記録してみよう。
ぼんやりとそう考えていたけれど、今、そうしようと決めた。

実験のことだけれど、これで、ああ、私はこれ好きだな、と
思った経験が、最近あった。

それは、以前ブログにも書いたけれど、
石油ストーブのプラグに足をつまずいて、断線した事件があった。
崩残さんから、こんなことまでアドバイスをいただいて、それもなかなか動き出せず、
でも、やっと直し、その時、「外れやすいかもしれないので、しばらくしたら、プラグを
外して、ちゃんとコードがつながっているか確認しよう」と思った。

それに対して、実際に、しばらくしてから、開けて確認したことがあった。
ちゃんと、つながっていて大丈夫だったわけだけれど、
大丈夫だったこととかなんかよりも、なによりも、ワクワクしたのは、
コードをひっぱったとき、「おっ、外れないぞ!よし」と思ったことだった。
自分がやったことを、自分で確認したこと、これは、思いがけず、嬉しかった。

今も、毎日心がけているのは、
自分の経験から出発する、と漠然と思っていると、
それ自体が妄想化するので、それはどういうことかを確認している。
私にとって、自分の経験から出発する、というのは、
「自分が働きかける」ということ。

そして自分が働きかけたことを、また、自分の目で「実際に(妄想ではなく)」
追跡していくこと、それは、自分の働きかけに、またさらに、自分で働きかけること。

それをやっていくと、
忙しくてしょうがない。
これを「めんどうだ」と考え、「すべきかどうか」となったら、アウト。完全に病気。
忙しくて楽しい、それが正解。というか、正常だと思っている。
そういう中で、他人など、だいたいが、どうでもいいのだ。
思うけれど、他人のことをああだこうだと意識を向けている暇は、
本当に必死に今の自分を生きている人には無いんじゃないだろうか。
おじいちゃん先生は、見知らぬ初対面のその人の住んでいるところまで、
「覚えようと」「自分のために」しているのだから。

こういう生き方を許さなかったのが、
毒親たちだ。そしてPであり、何より、私ではない私、AC人格がそれでいいとした。

この投稿の最後に、今日、思い出したことで、
気になったことを書きたい。
なんとなく以前から気にはなっていた記憶だ。

小学4年生ぐらいだったろうか。

図工の時間で、二枚の絵を提出した。

一つは、スフィンクスの絵、もう一つは、地球の絵。

スフィンクスの絵は、すべて私が描いたのだけれど、
どうしてそういういきさつになったか忘れてしまったのだが、
地球の絵は、最後に、父が手を入れた。
手伝ってもらったのかもしれないし、手を出してきたのかもしれない。

それで、提出し、それが戻ってきたとき、
スフィンクスの絵は、95点で、
地球の絵は、100点だった。
たしかその時、図工の先生は、
「地球のほうが、とくに上手いけれど、自分でやったの?」と
きかれた気がする。どう答えたかは覚えていないけれど、
自分でやった、と答えたはずだ。

それで、私はその時思ったのは、
たしかに地球のほうが丁寧で緻密だった。
当然大人のほうが器用だった、というのもあり、
私もそう思っていたので、100点なのもそれはそうだろ、と。

だけれど、私が本当に思っていたのは、
悔しかった。正直、私のほうが上手いと思っていた。
たしかに荒削りで雑だけれど、味はあると思っていたからだと思う。
この時からかどうか、ということは定かではまったくないけれど、
私は、ただ丁寧だったり、緻密だったりすることを
軽視し、馬鹿にする、そういう癖がある。

「それにどんな価値があるの?」

という、本当に嫌なやつなのだ。

実験を馬鹿にする気持ちと同じなのだ。
もちろん、あの毒父が、本当は私に実験の楽しさを教えたかったとは思えない。
父は、高校時代、化学の実験をする部活動をしていたらしい。
なのに、私は、実験が大嫌いになったのは、どういうことだろうか?
少なくとも、実験にのめりこんだ父を尊敬した記憶はない。

あるのは、「大学に行って実験を続けたかったけれど、
I商店を守るために、働かざるをえなかったために、やめざるをえなかった」
というあの話だ。

なんだかわからないけれど、どういう洗脳の仕方か、
とりあえずあの毒父は、実用的な知識や経験、こういうことを私にさせなかった、
というよりも、「私が、自分自身、したくない。興味がない」ということに仕向けた、
そうとしか思えないのだ。

代理復讐のため、と考えるとわかりやすい。
いっけん、実験などの魅力を語っていそうで、「やらせるものか」という
復讐心が、子どもに向けていたとしても、あの毒父なら、どこも不思議はない。

しかも、私は、父の望むように、
まさに、物理的な実験系の、しかも、父が行きたかったという大学に入った。
予定通り入れさせられた、というほうが正しい。

しかし、私は、実験が嫌いだった。
絶対、こんな仕事にはつかない、と思っていた。
だから就職活動もしなかった。
AC人格丸出しで、私は特別な人間なんだと思い続け、
学校で学んだことを何一つ、本当に「何一つ」活かせず、
Pと出会い、破滅に向かっていったのだ。

どういうことだろう、と思う。

ただ、言えるのは、
あのおじろくとなりはてた父がたどった道なのだ、これが。
同じ挫折を、私も味わい、まったく同じような堕ち方をしている。

私は、甘酒を作ってみようと思う時、
自分一人でただ楽しむ、というのはやめたいと思っていて、
料理全般もそうなのだけれど、これを「明るいところ」に出したい。
明るいところとは、ちゃんと社会的評価のくだる勝負の場、ともいえる。
だから、誰かに飲んでもらいたいし、誰かの甘酒も飲みたい。
そして偶然こういう味が出来た、じゃなくて、どうやってそれがこういう味になったか、
そういうのを、日のあたるところで、よい意味で、競い、比べて、
つまり、ただ、おいしいからいい、という自己満足(陶酔)で終わりたくない。

おいしいという一人で浸る自慰のような陶酔は、
「自分の自由な世界」と思いこんだ残骸であり、
私は、この「おいしい」というものすら、汚してきてしまったから。

おかゆを入れたもの、こうじだけのもの、
魔法瓶だけを使ったもの、炊飯器を使ったもの、
今のところ、やったのは、このパターン。
反省点は、魔法瓶だと温度が低くなってしまい、
炊飯器だと温度が高くなってしまったこと。

反省点かどうか、それはわからない。
別の温度管理で、どうなるか、試していないからだ。
どういう味わいになるのか、食感になるのか、
大事なのは、どう違うことになるか?
また、他者がつくった甘酒はどんな味で、どう作ったのか。
私の作ったのを他人はどう評価するか。
大人と子どもで感想も変わるだろう。

プラモデルも作るし、甘酒も作るつもりだ。
ガンダムの前に、レーシングカーを作るつもりだけれど、
なんだか、こういう世界には、レースとかもあるみたいだ。
そういうのに実際出てみる、というのもありだよね。

とりあえず、横着せず、指定された塗料を買って、
どんなモーターにするかも自分で選んでみよう。

決められた通り、指定された通りやらず、
「オリジナルのもの」に逃げ続けたのも、ただ、私は、
社会で通用しない人間だったからにすぎない。
(これもそう。父とプラモデルを作った記憶がある。
まるであの絵のようだ。結果、私はプラモデルが嫌いだったのだ。)

だから、私は、これからは、社会に出たいし、
料理も自己流とかは「ちゃんと評価の場に出て戦えるようになってから言え」
と自戒して、やるなら、やろうと思っている。
インド料理の本、まだ、手をつけていないけれど、
私は、これも自分の経験にしていくことだから、
絶対に汚したくはない。



2015.05.16
Aby


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by jh-no-no | 2015-05-16 06:38 | 復元ノート 1


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