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Abyのつつじ

対立を「避けない」

これをやりはじめて、少しずつ、本当に少しずつだが、
大きく変わったことがある。

妄想がクリアになった。

妄想が鮮明になってきたのだ。

どれだけ日々、妄想に覆われていたのか、
今、覆われているのか、
ハッキリとしてきたのだ。

それがハッキリしてきたのは、
逆説的だが、ほんの2割程度、そのくらいでも
「素直に思っていること、したいこと、したくないことを、
言えるようになった」ことで、いかに、逆に、そうでなかったか、
今もなお、そうでない部分が、どれだけ多くあって、
妄想だらけなのか、ということが、
見えるようになってきたのだ。

対立を、避けない。

避けないことで、Pに対しても、職場でも、
稽古仲間にも、少なくとも、その時できなくても、

「これが、私が思っていること、
言いたいこと、したいこと、したくないことなんだ」

ということに、会話の最中に気づけるようになった。
ただ、十分に相手に表現できているか、というと、
そこが、今のところ、8割くらい、萎縮してしまっている、
といった感じだ。

だけれど、これは、

「変えられそう」なのだ。絶対に。

というのは、先ほど書いたように、

「何が、どこが、妄想なのか」という妄想の挙動が、
以前のように、曇りきった眼鏡をかけて誰を相手に格闘しているのか、
もうなんだかわからなくなることが減ってきて、
妄想の挙動が、視界が鮮明になったかのように、

「よく、見えるように」

なってきたのだ。

今までは、一つの妄想に、何日も、何週間も
大迷路のようにつきっきりで、妄想の中に浸ってしまっていた。
逆にいえば、他の妄想も見えなくなるほど、
一つの妄想に入りこんでは、さらに枝分かれするように妄想し、
こういうのを袋小路というのだろうか、どつぼにはまっていく。

ところが、ここ数日、
まったく嬉しいことではないのだが、
一つの妄想どころか、もう、とんでもない妄想を
私は生きてきたし、今も、それが習慣化し、生きてしまっているんだな、
という事実に、次々と直面していく。

同時に、この数々の妄想がどんどんと見えてくるの対して、
「これは妄想だ」と切り離すまでの処理速度が、
あがってきたのだ。

これは嬉しいことだ。

これが、私が、妄想が「クリアになった」と
感じることの、ここ最近の出来事からの実感だ。

昨日だったか、思ったのは、

「思っていることというのは、それほど多くない」

ということだった。

それが、素直に自分がしたい、したくない、
そう感じていることなのだと思ったわけだが、

このたかだか少しの自分の気持ちすらも言えず、
そのたった「1」の気持ち、それを毒親は押さえつけた上に、
それを押さえつける言い分(言い訳、意義)を捏造、植えつけた。

それは、私の感覚からすれば、「1」に対して、
「100」といっても過言でじゃないだろ、というくらいの
とんでもない数と種類の「妄想」なのだ。

これが、妄想なのだ。

対立を避ける。

私にとって、それは、その「1」の気持ち、
したい、したくない、たったそれだけなのに、
それを不可能にさせてきたのが、対立を

「避ける」

ということだったのだ。

そのせいで、それに続く言動、つまりACの挙動は、
100の妄想でいっぱいになる。
これと完全に自己同化してしまっているから、
なんと、「曇りきった眼鏡」をかけている事実にすら、
気づかない、気づかなかったのだ。

それで、手足をばたばたさせてきた。

ただし、これは、無意味ではなかった。
AC人格との格闘だったと思っている。
何も見えなくても、私は闘った。
それはどういうことかというと、それでも、その状況下でも

「闘い続けられた自分がいた」

ということなのだ。

あと数ヶ月後には、手元にお金がゼロになる。
そのギリギリの状態、かつ、妄想全開の状態で、
もう後ろがない、逃げ場がない、と感じた時が
昨年終わり頃からの数ヶ月の間に何度かあって、
それでも、私は格闘を止めない、掘る手を止めない、という
戻るべき立ち位置に、必ず戻ることができたのは、

「闘い続けてくれた自分がいてくれた」

そう思えたからだった。

たとえゾンビになって、私はやれる、
あきらめることだけは、しないはずだ、
そこに戻れるはずだ、そう思えた。

しかし、今、妄想が鮮明に見えてきたことで、

ようやく、AC人格との格闘から、
AC人格の解除、という領域に踏み出せそうなのだ。

闘うべき「敵」、それは自らのAC人格に他ならないが、
それが、明確になりつつあるからだ。

それは、

妄想のパターンや挙動が
捉えられるようになってきた、

ということなのだ。

対立を避けないようになったことで、
たとえばPと、また、毒父と、
それをして、まず一番感じたことは、


「掘った通りじゃねーか」


というあまりに当たり前の事実を
実感したことだった。

つまり、

妄想と事実があるとしたら、

妄想なのか事実なのかわからなくなるのでなく、
「やっぱ、妄想だったんだ」と、自分でやっと認めた、ということ。
たとえば、Pに対する未練のようなもの。
今までも何度もこれは虚像だ、というのを、これでもかこれでもかと
疑って疑って、掘り続け、分析し続けてきたけれども、
「やっぱり、本当は好きなんじゃないか?それが事実なんじゃないか?」
というふうに、振り回されてきた。

でも、今、ようやく、

「嫌いだ」

と言える。なぜなら、それは嘘だったから。妄想だったから。
事実は、じゃあ何か、というと、
あまりそれが当たり前すぎて、そうと知って自分で拍子抜けしたが、

「掘ってきたこと」

が、

「事実」

だったのだ。

逆にいえば、妄想が「妄想だ」と
ハッキリ、わかってきたのだ。

たとえば、私は、「あれこれ考える」のが、
そもそも「よい」と漠然と思いこんでしまっていた。
なにも、「考えること」に限らないのだが、
なんでも、「よしあし」をつけたがる。

ブログには過程については書かなかったけれど、
コンセントのプラグの故障、それとプリンターのエラー、
これらについてかなり具体的なアドバイスを崩残さんからいただき、
しかし、それに着手するまでに、相当時間がかかった。
考えてばかりで、自分が妄想の真っ只中にいることにすら
気づかなかったからだ。

元をたどれば、顔色をうかがうAC人格、
コイツが必要としてきたのが、

「よしあし」

という判断なのだ。

これは、当然に必要な判断なのだ、と
私は「思いこんで」きた。
ところが、よしあしをつけろ、と、なぜ
あたかもそれが義務かのように言われなきゃならないのか?
それを義務づけたやつがいるから、であり、
これも言うまでもなく、分析してきた通りに、
毒親なのだ。

Pに未練を感じさせる罠、
あの時は楽しかった、と勘違いさせるAC人格の妄想は、
「利他という妄想」であり、

「よしあしという妄想」は、つきつめていけば、
「オレの顔色を読み間違ったら、お前は生きていけない。
だってオレは親だからな」という、毒父の戯言に対して、
「馬鹿言ってんじゃねーよ」と私が言わなかったことにある。

それを、やっと、言うべきあの馬鹿父に
正面きって言ってやったのが今回の対立だったし、
Pに対しても、嫌いだよ、と正面きって言い切ったのが
今回の対立だった。

よしあし妄想、利他妄想、

これに加えて、というか、
これらが三位一体となっていたのが、

「これが自分の自由だ」

という、自由という妄想だった。

実は、それはただの

「孤立」

だったのだ。

もちろんそうさせたのは、
毒父と、
そいつの言いなりになり、顔色をうかがい、
子どもたちまで巻き込み、子どもたちを盾にして
そういう身勝手にもほどがある親失格な毒母だった。

「親に迷惑をかけないところでなら、
一人で好きにしなさい。何やっても自由よ。」

夫にビクビクし、死んでもなお、子どもを盾にしようとした
最低な毒母。迷惑なのは、お前なんだよ。

そして最低で最悪な毒父は、衝突した時、
なんと最後に言ったか。

「親を親と思わないのなら、
二度とメールも電話もするな」

この期に及んでも、親づらし続けるどうしようもなさ。
しかし、この言葉の背景には、猛毒がある。

それは、かつて毒父が、さも当たり前かのように、
「親の見えないところなら、何をやってもいい。
だけれど、親に迷惑かけたり、不安をかけたりしちゃダメだ。
パパは親の前では、絶対、悪いことはしなかった。
見えないところでは、たくさん悪いことしたけどね。ハッハッハー」
と、自慢話してきたのと、本質的には変わらない。

要は、

親の見えないところでしか、
お前に自由なんかないんだよ、

そうしてきたのが、この両親だったのだ。

それは、結果、どういうことになるか。

社会にお前の自由なんかないんだよ、
日の当たる社会になど、お前はいられないんだよ、
お前はオレの都合のいいようにしてればいいんだ、
オレだって、そうやってきたんだからな。
お前も同じ目に会え。親絶対だ、そこから出させはしない。
オレは、そうやってきたんだからな。

という部分を、恐怖の下味として洗脳しておいて、

表面的にだけ、

「その他は、何やってもいいんだよ。

「Abyの自由だよ

そう言ってきたのが、あの毒父だった。

これが、私にとって、自分の

「自由」

という概念だった。やりたいことをやる、といったとき、
この自由をもって、「私のやりたいことだ」と思いこみ続けてきた。

仕事探しの時に、この妄想には、相当足をひっぱられた。
でも、結果としてみれば、それは自由ではなく、
ただの孤立であり、社会に出られない言い訳の美化でしかなかった。

インド料理の本も買った、ということをブログでも書いたけれど、
その行為の無自覚な動機に、この親があてがった自由、
ここなら私一人、好きにやれる、という、「一人よがりな世界への逃避」があった。
プラモデルについても、あるいは、創作活動になんとなく居心地のよさを期待するのも、
「ここなら邪魔されない」というのがあるからなのだ。

他者と関わらないで済む時間、世界。

幼い頃、隣の軽食屋さんで一人でごはんを食べるのが、
私は最も美味しくて、好きだった。
また一人でダンボールで誰にも指図されず好きに作れるのが、
私は大好きだった。

そう、思いこんでいた。

日の当たらない所。
そこが、私が「自由だ」「自分の時間だ」「好きな居場所だ」
と勘違いし続けてきた所だったのだ。
邪魔されない所に避難するのではなく、
邪魔なら邪魔だ、と真っ向から口にし、
表舞台で堂々と、対立を避けないことこそが
大事だったのに。

この自由という妄想があるからこそ、
利他という妄想が、矛盾しながらも成立してきたのだ。
この矛盾感こそが、Pとの共同作業でのイライラの原因でもあったわけだが、
このイライラの力すら奪われ、父と同じ、おじろくになりはてた。

そして、唖然としたのは、
Pだけじゃない、私もまた、本当の意味での共同作業など
はなから「するつもりもなかった」ということに、気づいたことだった。
これは最近になって、抑えてきたPへのイライラが浮上してきた際に、
いったいこれは何なのか、を自問したことでわかったことだった。

私たちは、はなから、共依存、
世話し世話される、という、具体的にいえば、
Pは自分が笑ってすごせりゃそれでいい、
私はPが笑ってくれればそれでいい、
という、それじゃあ、ただの「あっしー君」だろ、という
誰から見てもそう見えるだろう状態を、
私はずっと「これが最高の幸せだ」と思いこもうとし続けた。

Pがお茶を飲んで、美味しい、と言う。
私はそういうPを見て、嬉しいと感じる。

たったそれだけの記憶。

これがどれだけ私を苦しめたか。
どれだけ、こんな小手先の記憶の断片に惑わされたか。

失ったもの、失い続けたものに、
何一つ、気づかないできたからだ。
自我復元を始めて、その失ってきたものを分析し、
掘ってきた。

AC人格列伝として整理したとき、
これらのAC人格のほとんどは網羅してはいた。

しかし、にもかかわらず、分析だけでは、
何一つ、私は変わらなかった。
私自身、何一つ、変わったとは思えなかった。

自分ではそのつもりはなかったけれど、
結局、分析をしてそれで済ませてきてしまったからなのだ。

ずっと避けてきた「対立」を開始した今、
ようやく、その変わっていける、いかねばならない地点に
足を踏みこんだ。

対立を避けないことで知ったことは、
対立しない限り、相手も本性を出さない、ということだ。
それは考えみれば、当たり前だ。
私を攻撃する意味や必要性が相手にないからだ。
だって、私自身が、相手の都合のいい所で動いているんだもの。

それでは負けるんだ、最初から負けているんだ、
ということを知ったのも、稽古から学んだ。
「最初から最後まで、自分には有利で、相手には不利な状態を
途切れることなく続けること」を、毎回、指導される。

松の間の最近の動画で、
銃の抜き方を変えることで対処する方法を見て、
以前ならそうは見なかっただろう視点で見るようになった。
自分の間合い、それは自分が勝っている間合いを、いかに、立て直すか。
このタイミングの見事さに思わず、何度か、戻って繰り返し見てしまった。

それで、妄想のことだけれど、

妄想というのは、

つねに相手の間合いなのだ。

妄想は、相手が、毒親が、
最初から勝てるように設定されている舞台設定
のようなものだったのだ、と。
私にとっては、それは、「私は親に逆らわない」あるいは、
「私はPに逆らわない」という前提のような舞台設定だったのだ。

対立を「避けない」とは、
この前提をぶち壊すことだったし、
それではじめて、Pも、毒父も、「崩れた」のだ。
まるでそれは、あの銃の動画で、体勢を低めた時、とたんに
突進してくる相手の軌道が崩れたように。
相手にとっては、かがむ、など想定外だったのだろう。
同様、毒父やPにとっては、
まさか、私が対立してくるとは思ってもいなかったと思う。

いくつか他にも武術のリンクがあって、
私はどれも興味深かった。
何が面白かったか、というと、
そのどれもが、何もすごいことをしているとかでなく、
「こうするのが当然でしょ」という、然るべき追求の姿勢、
これが見ていて、どれもしっくりくるものだった。

自分というのがそこにある、
自分を死守する、死守し続ける対象の自分がいる、
ならば、こうしていこう、そうだよね、
わかるでしょ、じゃあ次はどうか、こうなるか・・・

だけれど、そもそも、妄想のように、
その妄想世界が、相手に有利な、相手の土俵なのだ、
ということに気づかなければ、毎瞬、「自分」は殺されているのにも関わらず、
ぼぅーと、日々、過ごすことになる。
むろん、それでも生き延びていけるように作ったのが、AC人格だ。

妄想が妄想であり、
真実に気づくまでに2年がかかった。
家族の実態に気づくまでに、本当に長い時間がかかった。
よしあし妄想、利他妄想、自由妄想、これらの妄想は
誰のために、誰が利するために必要とした妄想だったのか。

毒親であり、Pである。

しかし、私にも同じだけ責任がある。
なぜなら、私も、その関係性を望んでいたからだ。
いかに大事なものを失ってしまうかも考えずに。


昨日、私はお椀を買った。


それだけの中にも、妄想は吹き荒れた。

ようやくレジで会計を済ませた時、
お店の人に、そういえば・・・と思って
お椀に描かれたお花は、何のお花ですか?ときいた。

「躑躅(つつじ)です」

それをきいた時、私は自分が生まれ育った街〇〇の
その街の「花」が、つつじだったことを思い出し、
嫌な気持ちがよぎった。

「〇〇のつつじ」

しかし、昨日は、この妄想に対して、
迅速に「書き換え」が起こった。

その店の隣の広場は、職場の前の空き地で、
まさにこの前、父に対して電話で怒鳴りつけたその空き地で、
私は、思わず、声に出して叫んだ。

「ふざけんなよ。これは、Abyのつつじだよ。
こんなところまで汚しやがって。あの馬鹿父。ふざけんな!」

悔しさがわきあがって、目がうるんだ。

私のものなんて、私に自由なんてなかったんだ。
だからこれから、作っていくんだ。

でも、今私が嬉しい、本当によかった、と思うのは、
まだそんな自信なんかあるわけじゃなく、それよりも、
妄想が妄想だと、つまりそれは、敵の仕業であることがはっきりしたこと、
これが今、私は一番、嬉しいし、変わっていける、と思っていることだ。

べこべこだった器、
おそらく空き缶をぺしゃんこに踏み潰したような器が、
私の自我だったんじゃないかと思う。

私はそれを修復していく。

それをしたいから。
しなきゃならないし、それ以外、何がある?
いつも思う。いつも思うのは、今日死ぬとしたら、これでいいのか。
最後の最後まで、「いや、これだけはやるぞ」と思っていることがある。
それが、AC人格との格闘であり、AC人格の解除なのだ。
苦しいけれど、私はこれらが好きだ。
だって、私は、これではじめて、自分の生を生き始められたのだから。

自我復元で、私は初めて、
生きる経験をしている。

好きだけれど、苦しい時は苦しいし、
今も、8割がた、銃を抜き遅れて刺されているのが現実だ。

でも、ここ数日、私は、この割合を下げていき、
妄想を、そう、妄想は「外せる」と思ってきている。
それに、外せるだろう、じゃなくて、
外さなきゃいけない。当たり前だよね。

「妄想外しの徹底」

数日前から、自分に課した課題が、
これ、妄想外しの

「徹底」

だ。


◆参考記事◆

松の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?M1181
http://www.mumyouan.com/k/?M1180



2015.04.11
Aby


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by jh-no-no | 2015-04-11 08:32 | 復元ノート 1


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