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掘り出し継続中の箇所

不快だ。しかし、この猛烈な不快こそ、わたしが感じていることであり、
そこから逃げることを覚えてきたAC人格が出る幕ではない。
「掘る」以外に他になく、それは明確な目的だから。
不快はわたしが感じている。

AC人格は不快なのはオレだ、と言う。
でもわたしはその言い分をもう許さない。
お前は逃げるのだから。それしか考えていないのだから。

不快は、わたしが感じている。

それでいいし、不快から逃げたい自分などいない。
それもわかっている。だから、逃げない。

何が不快なのか、これを調べること。
不快を解消するためじゃなく、事実を知るためだ。
事実を知り続けるためだ。

AC人格など、一発で刺し殺してやりたい。
だけれど、真綿でじっくり絞め殺すしかない。
不快をすべて通っていかねばならない。
近道などなくて、近道イコール、殺し忘れなのだ。
忘れ、ではなく、避けただけだ。

不快を避けること、避けて済ませられないのに
済ませようとすることが、いかに愚かなことかを自分で知っている。

わたしはずっと嘘をついている。

誤魔化している。

不快から逃れるために、という動機が
外れない。不快から逃れるために、わたしはやっている。
あれもこれもだ。

この根っこにあるものは、何なんだ?

不快から逃れるための人生など
ずっとこりごりだったのに、そうしてきた。

不快から逃れるために、わたしは
言葉の世界に逃げたんだ。
言葉の世界とは、「実在しない世界」だ。
なんて楽なんだろう、と、最低な人間のやることだ。
それは自分を捨てることだから。
自分がいない世界の住人になることだから。

リアリティーのない世界に麻痺することを
わたしは選択してしまった。
そうやって、AC人格は主導権をとったのだ。
それが、心のどこかではいつも空虚なものであることを
知りつつ。

言葉に舵をとられること。

これ以上に不快なことはない。

もうその世界はこりごりだからだ。

嘘だらけ。やっていることが嘘だらけ。
やりたくないことをやり続けているのだから
そういうのを嘘だらけ、という。

でも、これは、原因があるんだ。

恐れ、恐怖。言葉とは説明なのだ。
説明とは、誰かにしていることなのだ。
それがずっと崩残さんに対してだった。
崩残さんに見ているのは、毒親の亡霊だ。
同時に、あざむいている、とも感じ続けた。
自分自身をあざむいている。

「これでいいんでしょ」という投げやりな態度は、
毒親の亡霊に対しても、わたし自身に対しても向けられた。
崩残さんは、毒親の亡霊でもあり、わたし自身でもあった。
つまり、毒親とわたし自身の戦いだった。

しかし、明確にわかっていることがあるのだ。

この戦いに勝つのは、
わたし自身だ、ということ。
毒親を、毒親の亡霊を、わたしは勝たせない、ということ。
なぜなら、それ以外、出口はないからだ。
出口はない、というよりも、わたし自身が、それ以外を
出口とは、絶対に、わたしは認めていない。

だから、

「これでいいんでしょ」という言葉だけで解決した気になる手口を
認めるわけにはいかない。

これは、

わたしが自分で認めないと決めたことに対して、
ずっとそう本当は決めていた自分自身の気持ちに対して、
絶対に裏切らず、貫き通すしかない。

言葉というリアリティーのないもので解決しようとするのでなく、
不快なまま、それをリアリティーのある現実世界で
この不快に向き合うしかない。

そして、

わたしは自分があきらめないことを知っている。

だから裏切ることはできない。


・・・


評価しまくった毒父について。

考えてみれば、一言、あの毒父がわたしにしまくったのは
「評価」だ。見せつけたのも、評価。
わたしにしたのは、「持ち上げる」という評価だった。

わたしはずっと「持ち上げられてきた」と思っていた。
「わたしを」持ち上げられてきた、と思っていた。

でもそれは、完全に、誤認だった。

彼は、彼自身を持ち上げていたのだ。

わたしが今までずっと自分自身にやってきたように、
またまわりに対してきてやっていたように。
その動機、自他に評価しまくった(それしかできない)動機は、
自分の存在価値を確認するためだ。

つまり、父は、自分を持ち上げたかった、
ただそれだけのために、
わたしを「評価」の材料にした。

まさに、材料、だ。

独り言だ。彼は、彼自身の保身のために、
格言やらなんやら、そういうリアリティーのない言葉を放ちまくった。
何のためか?彼自身のため、それだけのために。

「Aby、いいね。Aby、すごいよ。Abyは、世界一だ。」

彼が言っていたのは、違う。

「ボクは、いいんだ。ボクは、すごいんだ。ボクは、世界一なんだ」

なのだ。それしか言っていない。わたしなど、「見えてすら」いない。

ところが、だ。見えてすらいない、というのも違う。

わたしに伝えたのは、「植えつけたのは」、
恐怖だ。その親都合の「よし」という基準、その裏返しの親都合の「よくない」基準、
それを植えつけ「まくった」。まくった、のだ。

彼は自分の保身のために、やったこと。

それは、「わたしに対しては」、実は、恐怖を植え付けること。

どういう恐怖か。

それは、「失敗したら、どうしよう」という恐怖だ。

猛毒父がやったことは、わたしの「失敗」を責めたのではない。
わたしを「失敗させないように」した。
しかし、それは正確な表現ではない。

父がまずわたしに植え付けたのは、

失敗しない、とは、親の都合(要求)どおり、
「ちゃんと遂行できることである」
という定義づけだ。

わたしは「失敗しなかった」のではない。
自分でわたしは「失敗したことがない」と思っていたし、
今も根っこでは、そう思っているのだ。

失敗したことがないAC人格が、
失敗を恐れているのだ。

しかし、その「失敗したことがない」という、その失敗の意味は、
正しい意味の「失敗」ではなく、毒父によって捏造、植え付けられたものだ。

「Abyは失敗しなかったから、今のAbyがいるんだよ」

父がこうやってわたしを「持ち上げた」理由は、本心は、
「失敗したら、Abyは生きていけないんだ。だから、言うこときけよ、この野郎」だ。

言葉に誤魔化されてはいけない。

言葉「づら」の非リアリティーの側面は、
父自身の保身のため、ボク、これでいいんだよね、という
自己存在の自己確認のためであり、
その言葉の「裏」、その言葉の真意、それを発する父自身の本音は、
「親の言うことをきかなかったら、お前は生きていけないんだ」ということを
植えつけるためなのだ。

繰り返すが、彼は、わたしを持ち上げたのではない。
彼自身を、自分のために持ち上げたのであって、
わたし対してしたかったことは、言葉を使っての
恐怖の植えつけ、なのだ。

失敗とは何なのか。

そのイメージづけを行ったのは、父であり、
失敗とは、死に直結するものだ。
冷静に考えれば、これは狂っている。

父はわたしを、本当の意味で、「失敗」させなかった。
いや、失敗とか、成功とか、それは、彼の定義のなかで
勝手に決めまくった。わたしが自分で自分は失敗したことがない、
そう思いこんでいるのは、父の定義なのだ。

失敗したことがない、そう思いこみ、自称成功体験と思いこんでいるAC人格が、
「その失敗」を恐れている。未だ、したことがない「その失敗」を恐れているのだ。
本当の失敗でなく、「Abyは間違わない=親の言う通り、言いなりの子」から外れること、
それが失敗だ、と、あいかわらず思いこんでいるのだ。

失敗のイメージ。

わたしが抱いているのは、父が抱いている「失敗」のイメージだ。
彼もまた、その親から同じ毒を盛られている。
親に従わないことは、失敗だ、と思っている。そして、それは死なのだ。


・・・


昨日、Pと一秒の隙も許されない戦いがあった。

その件で、明確にわかったことがある。

わたしがPを許さないのは、
わたしが相手にしているのは、AC人格だからだ。
AC人格だから、わたしは許さない。

そのPというAC人格が、見ているもの、
わたしの中に見ているのも、AC人格のわたし「だけ」なのだ。

わたしは、Pという、AC人格者という者の挙動を追い続けた。
Pのなかにその挙動を見つけたのではなく、目の前にいるのが、
AC人格者そのものだったのだ。

そして、そのAC人格者が対話しよう、罠にはめよう、攻撃しよう、
媚びよう、脅そう、泣いてみせよう、そういう行為の一部始終は、
わたしのなかの「AC人格」が「反応」してくれることを、
Pという無個性なAC人格は、期待し続けている。

ただそれだけだった。

それで、その全体、一言そのPというAC人格が言いたいことは、
これだけだった。そのAC人格は、焦りと苛立ちのなかで、

「言うこときけよ、この野郎」

まったく父と同じだ、と思った。

わたしは、ふざけるな、と思った。
あんたには従わない。あんたの奴隷ではない。

そして、わたしは、こう言い放った。

「僕はねぇ、そういう扱いを受けるために生きてるわけじゃないんだよ」

Pは「ごめんなさい」と言う。

AC人格者は、「許してください」しかいえない。
というか、それしか、最初から言ってはいない。
AC人格者は、ありとあらゆる手をつかった末、最後には、
「許しを請う」以外、やれることは何もないことも、この時、知った。

わたしは、心のなかで、「許さない」と言い放った。

Pは「そういう、というのが、なんだかわからないから
同じことを繰り返すと思うけど、ごめんなさい」と言う。

いいか、P。

AC人格者がわかるわけがないのだ。
わかろうとするはずがないのだ。
変わるわけがなく、変わることをあなたは望んでいない。
わたしもあなたに変わることを望んでいないし、それは無理だ。

今こうやって、たかだか一時間話したところで、
わかるわけがない。

わたしは、この1年と半の間、あなたと同じように
「わからない」ままに、あなたを疑い続け、どれだけ苦しく、
わからないままに、AC人格を掘る、という作業が、
どんなものか、あなたにわかるはずがないし、
わかってもらいたいと、まったく、思わない。

わたしがあなたに今も、これからもするとしたら、
あなたが卑怯だ、とか、そういうことを言ってあなたとぶつかることじゃないんだよ。
あなたの話など、わたしはしない。
それは、ただ、AC人格の話だからだ。
それは、自分自身のAC人格の問題だからであり、
あなたと議論することでは、今後も、一切、ない。

ただ、あなたを、わたしは、あなたがAC人格ゆえに、許さない、
それを、継続し、不満を明確にする作業をし続ける。

そして、先ほど、Pに「わかるはずがない」と書いたが、
あんたは、全部、本当は「わかっている」はずだ。
わかって、この一部始終をやっていることも、
わたしにはわかる。あなたにはわからない。
それだけのことだ。

結論は決まっている。

AC人格をわたしは許さない。

「許してください」

それがAC人格の最後の声ならば、
わたしは「許さない」と宣告する。



2014.12.30
Aby


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by jh-no-no | 2014-12-30 20:24 | 復元ノート 1


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