人気ブログランキング | 話題のタグを見る

過去を責め合わない「これでいい教」カルト

今まで、わたしは、親は「親」であり、Pは「パートナー」であり、
妹や弟は「兄弟姉妹」であり、と、そういう関係性だと、
完全に思っていた。

昨日あたりから、ひっかかっていたことだが、
今日になって、とくに、Pの様子から、また、飾ってあるPの写真を見て、
これは、何か、おかしい、と感じ始めた。

ふと、Pが、「パートナー」に、
見えなかった瞬間だった。

キッチンの壁にかかっている写真のうち一枚は、
Pがおもに写っていて、これを見ると、AC人格はいつも苦しくなった。
そういう写真だった。

ところが、Pだけじゃない、父も、母だった人もまた、
「これは、親とかパートナー以前に、なにかのまるで
同じカルト集団の仲間であり、わたしもその中の一員だったのだ」
と感じたとき、その、親とか、パートナーとか、そういう関係では
本質的にはなかったのではないか、と思い始めた。

あるグループ、のようなのだ。
その意味では、共依存といってもいいのかもしれないが、
わたしがしっくりくるのは、「過去を責め合わない」そういう約束で結びついている、
まるで、そういうカルトグループ同士のつながり、それが、
「わたしたち」という関係性だった、ということではないか。

12月に入る前後、どんどんまわりからの妨害にあっている、と感じ始め、
親族もPも、わたしに対して攻撃をしかけてきているのだ、と、
そう思い、この1ヶ月近くの毎日を過ごしてきた。

ところが、どうも、へんだ、と思うようになってきた。
とくに、父とPの様子だ。
といって、父とは、今年の正月以来、話してもいないし、会ってもいない。
7月に一度、「パパはAbyの味方です」という誕生日メールを一方的にわたしに
送りつけてきたのが最後だから、様子という様子はわからないのだけれど、
ところが、Pの様子というのが、どうも、音沙汰のない父の様子と似ているのだ。

なにがか、というと、これは昨日今日になって気づいたのだが、
なんだか、Pが、「逃げ腰」になっている。
それはわたしが優勢だ、ということではなく、こいつら(父とP)は、
「逃げきるつもり」のようなのだ。そのように見える。

話は昨年のことになるのだが、
はじめて母にわたしの子どもの頃のことをきいたとき、
わたしにとってはどうでもいいようなことだけれど、今思うと妙な雰囲気で、
二つのことをきいてきた。

内容はほんとどうでもいいようなことだ。

一つは、部室に自分の漫画(コミック)を置いていて、
それを全巻、部活の監督に没収されたことがあった。
わたしはまったく覚えていないのだが、母が言うには、
母から監督に返してもらえるように言ってくれないか、と、
わたしが母に頼んだようなのだ。

それ自体覚えていないし、実際、漫画は戻ってきていない。
監督に没収されたまま、というのがわたしの記憶。
(実際、母は監督に何も言わなかったようだ)

昨年母は、急に、それの何がひっかかっているのか、
「どうしてあの時、漫画を没収されたりしたのか」ときいてきた。
この、きいてきた時の雰囲気が妙だったから、へんに覚えている。
わたしからすれば、そんなの、部室に本当は置いておいちゃいけなかったから、
没収されただけだし、それは建前で、監督がその漫画を読みたかっただけ、
ということもわたしはわかっていた・・・というだけの過去の話で、
それのどこが、そんなに注目に値する出来事なのか、さっぱりわからなかった。

もう一つは、これも部活動に関する話なのだが、
防具をつけながら、腕立て伏せを100回やらされて
それからしばらく、腕が曲がらなくなって、ボタンを自分でとめるのも、
箸をつかって食事を口まで持っていくのもできなくなったことがあった。
これについても、「どうしてそんなことをさせられたのか?」ときいてきたのだ。
それもわたしは、どうしてかなんて覚えていなくて、たぶん、何かしでかして
罰としてわたし含め、数名がやらされた、というだけじゃなかったかなぁ、と
そのとき母に答えた記憶がある。

わたしが受けた印象は、母は、ずっとこれが心残りで
これだけはわたしからきいておきたい、と思っているかのようだった。
わたしには、なぜ、母がそう思ったかはわからなかったし、
今もわからない。

ただ、思ったことだけれど、これをはじめてわたしにきいた、
ということは、20年以上も前のその当時、わたしにきかなかった、
ということなのだ。きかなかった、のではなく、きけなかったということだ。
母に何か後ろめたいことがあるのかどうか、それはわからない。
通常なら、そう考えるのが筋かもしれない。

ところが、考えてみると、子どもの頃にわたしは母から、
「そういった類のこと」を言われたり、きかれたりした記憶がないのだ。
そういった類のこと、とは、「なんでそんなことをしたのか」とか、
「なんでそうなったのか」とか、そういう、過去に触れ、過去をあばくような
そういうことを、考えてみると、母はわたしにしたことがなかった。

それでさらに思ったのは、父もそうなのだ。
さらに、Pもそうなのだ。

過去、それに触れたがらない。

その意味では、母に昨年、わたしや母の子ども時代のことをきいた、というのは、
相当な影響を与えたのだろう。最初のうちは、母も口がそれほど重くなかった。
しかし、だんだん話すのがきつくなっているのは、わたしにも伝わってきた。
そして、今年の正月、それが母と父と最後に会った日だったが、
子ども時代のことをわたしが母にきくことに対して、母はキレぎみになり、
父が突然、母をかばいはじめ、以前ブログにも書いた通り、
親が子どもに向けるものとは思えない「敵視の目」を、
毒親二人は、わたしに向けたのだ。

ところが、だ。

ではわたしが一番いつも恐れていて、払拭できない恐怖心は何かというと、
これも何度も書いてきたが、「なんでそんなことをしたんだ」と過去を責められること、
責められるのではないかという恐怖が、とんでもなく強い。

これはどういうことだ?
おかしくないだろうか。

わたしの記憶では、父も母も、わたしがしたことを責めたてたことがない。
「なんでそんなことをしたんだ!」と恫喝されたこともない。
そして、これも以前にブログに書いたけれど、わたしもまた、父や母に
「パパのせいだ」「ママのせいだ」というフレーズを言うことはできない、という思いがあったし、
父や母に対して、過去を責めたてたことは、わたしは今まで一度もなかったと思う。

それで、この今の、父の「沈黙」。
それに同調するように、妹も弟も黙り始めた。
その様子が最近のPの様子に重なる。
みんな、何か、避けるようにして動いているように見える。

その何か、それはそれぞれに何か違うかもしれないし、
わたし自身、自分がわかっていないのだが、
少なくとも、どうもみんな、「過去」を避けているように思う。

しかし、自我復元、わたしにとって今これからやることは、
不満を生きることと言ってもいい、それは、未来を描くことではなく、
わたしは、過去をあばきまくることだと思っている。
過去というと、幼少の頃とか、そういうことだけをイメージしやすいけれど、
わたしにとっての過去とは、今やっていることも含めて、
今起こっていること、自分が選択してきたこと、こういう身近な現実世界、
目の前に展開している現実社会こそ、「過去の結果」であり、
ぜんぜん、「これでよくない」ことばかりの、今いるこの現実世界だ。

これは前回も書いたけれど、そう、前回は「厳しい社会」という言い方をしてしまったが、
本当を言えば、どこに厳しくない社会があったのか?ということだ。
「これでいい」とは、何をもって、そんな判断ができるのか。
最近これを思うことが多いのだ。なにが、どこが、これでいいのか???

ブログを書き始めてからは、このことは何度も書いてきた。
「これでいい」と思おうとする自分、こいつはいったい、なんなんだと。
AC人格分析のときにも書いた記憶があるが、どこをどう切っても、金太郎飴のように
「これでいいと思いたい」動機が見える。

しかし、コミュニケーションのこともそうだったが、
ぜんぜん、よくなかったじゃないか。わたしはみんなと楽しく、中に入れなかった。
そのコミュニケーション障害のまま、現在の大人になってしまった。
それのどこが、それでいい、それで大丈夫なんだよ。
人それぞれだ、とか、それも個性だ、とか。
父や母は、わたしを持ち上げた。

それは「持ち上げた」のではなく、現実世界では「誤認」という。
こういうことをわたしは仕事でもやってきてしまった。
この社会でぜんぜん通用しない人間を育てることを、
わたしはしてしまった。毒親と同じことをわたしはやってしまった。

「これでよくない」のに、
「これでいい」と言い続ける。

これでいい、とわたしに言ってきたのは、そう洗脳してきたのは、親なのだ。
Abyはすごい、よくやった、いいよ、大丈夫だよ、これが幸せなんだよ、
立派だ、一番だ、世界一だ・・・まともな頭で考えればわかるはずだ。
そんなことあるわけねーだろ。

これでよくないし、よくなかったのだ。
それは、何が間違っているのかどうか、とかそういう問題ではなく、
ただ、現実問題として、目の前の現実が「これでよくない」ということなのだ。
その現実を前に、なんとかしようとし、そのなんとかする着地点を
「これでいい」に持っていこう、「これでいい」に持っていくことが問題解決だと
信じて疑わないことこそが、毒親洗脳の成果なのだ。

ならば、そのカルト集団(=家庭)のなかで、「不満」が言えないのは当然だ。
不満とは、つねに、「これでよくない」という人間らしい心だからだ。
それを抑圧するということは、事実誤認しか生まない。
だって、現実社会(=目の前のあらゆる出来事)を生きるとは、
不満を不満として受けとめ、いや、受け止めるもなにも、それが自身の経験なのだから、
それに嘘をついてしまえば、誤認しか生まない。

これでいい、とは、
不満なのに、不満じゃない、とする誤魔化しのことだ。
不満だからって、やみくもに他人を殴ってはまずいかもしれないけれど、
「なんだこいつ、感じ悪いな」と、そう素直に不満に思うことも抑圧したら、
そこに生まれるのは、「わたしは、そんなの平気」とそれこそ平然を装い、
不満なんて思ったり感じたりするようなやわな人間じゃない、とか言い出して
相手をバカにするAC人格でしかない。

そういうAC人格は、逆に、「この人、感じいいな」と思っても、
それもまたそう素直に思えないのだ。
不満という感覚を失えば、不満でないのがどういうことかもわからない。

不満を隠さない、というのは、
過去をあばくことを避けていてはできることではない。
見たくない過去には触れない約束で成立しているようなカルト集団は、逆にいえば、
不満を言ってはならない集団であり、不満をタブーとする集団だ。
しつこいようだが、不満をタブーとする規律を作る必要があるのは、
過去に触れられたくないからだ、としか思えない。

そういう集団の特徴は、つねに「未来」の話をする。
父がまさにそうだった。なぜ未来の話をするかといえば、
過去に目をやらさないためだ。そして、「これでいい」とはつねに未来に属する。
こうすればいいんだ、これでいいんだ、とは、「これから」を保障し、なぐさめてくれる。

「調子にのるんじゃねえ」

こう言われるのが、わたしは怖かったし、今も怖い。
でも、わたしは、「わたしが」これを言うべきなのだ。
誰よりもわたしこそが、AC人格にそう言うべきだし、事実、
わたしこそが、AC人格に「調子にのるんじゃねえ」と必死に叫んでいる。
調子にのる、とは、「これでいい」と思うことそのものだからだ。
これでよくない、不満だ、とわたしは叫んでいるのに、これでいい、と思いたがるのなら、
そいつに向けて言うべきことは、「調子にのるんじゃねえ」、これで正しい。

明日死ぬかもしれない。
それはどんなときもそうだ、明日死ぬかもしれない。
そのとき、夢のたわごとのように、「こんなことしたいな」とか、
「こうすればいいのかな、これでいいのかな」などありえない。
そんなこと、誰からもきかれないし、わたし自身、土壇場ではそんなこと言いやしない。
どれだけ不満だったか、ということのほうがリアルな問題だし、
その不満のなかを、どれだけ、ありったけの生命を投じたかが問われる。
それは決して「悲観的なこと」ではない。それを悲観的と呼ぶのは、
「これでいい教」の信者たち、父や、母や、Pたち、そして、わたしのAC人格だ。

とり乱したようなメールによる妨害をひとしきりやってきたと思ったら、
あっという間に、死に逃げした母。
いち抜けた、という感じだ。
それで、父も次いで抜けようとしている。Pもだ。

わたしが彼らに不満を表明しようと意志したあたりから、
こういう「逃げ」の姿勢を、父も母もPも、
それぞれのタイミングでとりはじめた。

もちろん、あくまでも今の時点でのことで、さらにこれから
どんな熾烈な攻撃を仕掛けてくるかわからないし、
そのときはそのときで一歩も引くつもりはないが、
しかし、この、「逃げようとしている」のが、一番危険で、
一番狡猾な手口でもある。

なぜなら、彼らは何もわたしと戦って勝ちたいとかではなく、
わたしに不満を掘らせないこと、不満を掘らないでいてくれることを
静かに、したたかに、望んでいるからだ。

父が、母が、Pが、こいつらがどう出てくるか、
それにどう対処するかは重要なことではあっても、
その出方、攻撃してくるのか、逃げてゆくのか、
そればかりにとらわれていて、肝心なやつを逃してはならない。

わたしが絶対に逃してはならないやつがいる。
これだけは、どんなことがあっても、逃してはならないのは、
わたしのAC人格なのだ。この流れに乗じて、こいつも抜けようとしている。
これが、一番危険だ。でも、こうなるときは、一つ、明確なサインがある。

「これでいい」

これが絶対どこかにあるから、絶対見逃すまいと思っていれば、必ず見つかるはずだ。
すごく居心地がいいから、こう思っていても、罠にはまってしまうことがあった。
でも、それでも、この罠に気づいていかねばならない。

その時、絶対に忘れてはならないのも、一つ。

「これでよくない」

この現状認識だ。

不満がない場所にいると思った時点で、わたしは間違っている。
なぜなら、わたしは、不満を明らかにしたいからだ。
不満がないところに行きたいわけじゃないし、
不満がない未来を描きたいのではない。

今、何が不満で、何が今まで不満だったのか、
それをわたしははっきりしたいし、はっきりして生きて死にたいのだ。



2014.12.23
Aby


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
by jh-no-no | 2014-12-23 10:49 | 復元ノート 1


<< 「これでいい、わるい」に、自分... 「無難に生きていければいい」と... >>