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(後半)父の洗脳から抜けること

『(前半)父の洗脳から抜けること』の続きです。


・・・


父はこの自身の不満を誤魔化そうとした。

二度目の誤魔化しだ。一度目は、お母さんにわかってほしい気持ちから目をつぶり、
二度目は、その気持ちから目をつぶるために魂を売った仕事観にもかかわらず、
それも直視できず、「仕事の価値」を捏造した。

その捏造が、わたしに感染した「自分しかできないやるべき価値のある仕事」という矛盾だ。
仕事には二種類ある、という嘘。よくそういう矛盾する嘘を、堂々と言ってやってのけたものだ。
金のための仕事と、本来自分がやるべき仕事。父の場合、これが同じI商店で展開した。
死んだような目の「本当のあなた」と、本来自分がやるべき天職としての仕事なんだと生き生きと
語るように見せかけた演技の「嘘のあなた」だ。

わたしは、後者の父を信じてきた。すりこまれてきた。
「仕事なんてしたくない」という気持ちは、自分にも「あったことは」知っていた。
でも、それが仕事観だとは思わなかった。だって、それはわたしにとって「仕事じゃなかったから」。
いつか、いつの日か、自分しかできない、特別な役割としての〝仕事〟というものがある、
ずっとそう信じてきたから。

そして、その夢がPさんとの出会いで「叶った」と思ったのだ。
Pさんとの共同作業は、わたしの夢として、これだ、と思うのに十分なものだった。
これがわたしの〝仕事〟だ、と。でも、今になって、はっと目が覚めたときに、
幻想のその〝仕事〟たるや、Pさんとの関係を続けるための理由、これこれこういうすごい
価値があるから、一緒にやろうよPさん、というだけの「捏造された理由」だったじゃないか。

それは今から4年前、内職をはじめたとき、これが表面化した。
もちろん、これ自体に無自覚だったので、随分掘り進めた後にわかったことだったけれど
内職をはじめた理由は、「毎日を仕事もせず暢気に本を読んで過ごすPさん」に対する苛立ちだった。
わたしはひたすらバイトや仕事をし、お金をかせぎ、それでもPさんはわたしを見てくれない。
それは父がひたすら働いても、何一言も言ってくれない父のお母さんへの思いと重なる。
わたしには、こんな働き方を続けるのは、3年が限界だった。まず、身体がSOSを発信した。
毎週のように熱を出し、毎週のように点滴をうつような月もあり、それでも、Pさんは心配すらしない。
もう耐えられない状況で、今度は、やり方をかえた。それが、内職だった。

今度は、他者がいかにわたしを「社会的評価」を与えるだけの価値があるかを、
Pさんに見せしめる方法に出た。もちろん、これも無自覚にやっていた。
こういう一連のやり方に、わたしが無自覚なのは、そもそも、共同作業というものの目的が
「Pさんにわかってもらいたい」というわたしの依存心にあったという事実から、わたし自身が、
ずっと目をつぶってきたからなのだ。Pさんに認められない、という事実があってはならなかったのだ。
これは、まさに、父と同じ。ここを隠していたし、父もおそらくだが、本人は、隠していることすら、
自覚がないと思う。そして、父もまた、お客さんに「Eさん(父の名前)がすすめてくれたものじゃなきゃ、
オレ、買わないよ」と言ってくれること、また、商店街で父がやっている仕事が表彰されること、
市場でも自分にしかこの値段では卸してくれないんだよ、というこういった「社会的評価」を重ねた。

それは何のためか?

お母さんに、兄でなく、自分をみてほしかったからなのだ。
Eちゃん、今まで気がつかなかったよ。ごめんね。Eちゃんのこと、見てあげてなくて
わるかったね、と、お母さんに、言ってほしかったからなのだ。
なぜ、そうだと手にとるようにわかるかというと、わたしがPさんに抱いた気持ちと同じだからだ。

父は兄を恨んでいたろうから、長男であったわたしを
自分と同じように苦しめてやろう、と淡々と代理復讐のはけ口にしようとしたのは
もはや間違いないだろう。「Abyのことは、見なくても何でもわかる」のは
彼がそのように設定をしたからであり、そう証言しているようなものだ。

つまり、やるべき仕事、などという「捏造された理由」は、
「こんなお金のための仕事なんてしたくない」という自分の気持ちから目をそらすため、
本来の自分はそんな自分じゃないんだと言い逃れるための手段であり、幻想であり、
まったく実体のない、とってつけたものでしかない。

元をたどれば、ふざけんな、と言いたいが、「お母さん、見てよ」という気持ち、
そこからくる恐怖を直視できなかったがゆえに、どんどん、仕事観が歪んでいった、
ということになる。わたしもそうだ。Pさんにわかってほしかった、そこからすべては
スタートしていて、その叶わぬ思いに対して、そう、最近見た夢からまた思ったことだけれど、
わたしがやるべきこと、そして父がやるべきだったことは、そんなPさん、そんな親はいらない、
と見切りをつけるべきだったのだ。好きだった、今も好きだ、それならそれでいい。
でも、いらない親はいらないし、いらないパートナーもいらないのだ。
どんな好きでも、嫌いになる権利や、関わらなくてもいい権利はあるはずだ。
そもそも、父やわたしが利用された気持ちとは、お母さんに対して、あるいはPさんに対して、
「好きだ」という気持ちなんだから。

話はそれてしまうが、その最近見た夢なのだけれど、具体的背景は覚えていないが、わたしがPさんに
酷いことを言ってしまって、その後、もう一度、Pさんの元に戻ったときに、Pさんは傷ついたように
悲しい顔をしていて、その拍子に彼女が笑みを浮かべたとき、わたしの中の罪悪感が堰をきるように
どっと解放され、安心し、それで目を覚ました時に、わたしは思ったのだ。「Pさんと離れたくない」と。

それで思った。わたしはPさんが好きだったし、今も好きなんだと。そしてわたしが気づいたのは、
そういう感情を、Pさんは、そして父の母親は、ずっと利用し続けたのだ、ということだった。
罪悪感を与え、それを最高潮まで高める術を、Pさんたちは知っている。

こんな夢を以前、随分見たことがある。これは以前にブログでもどこかで書いたように思うが、
フィギュア人形のようなものを、これでもかこれでもか、とミンチにして存在自体を消滅させて
しまうほどの攻撃性、暴力性をもって、こなごな、ぐちゃぐちゃにする、なんとも後味の悪い夢だ。
わたしは母に反抗したとき、また、Pさんと口論になったとき、それはつきあって初期の頃だけれど、
それは人格をまっこうから否定するほどの攻撃性をもって、わたしは言葉で責めたと思っている。

その夢でわかったことは、そうやって酷いこと言ったときの罪悪感は、そのフィギュア人形を
めためたにした時の罪悪感と似ていて、自分でもうコントロールがきかない。
それで、今回の夢で、ズタズタになりながらも、力なく笑うPさんを見て思ったのは、
「死んでなくて、よかった」「生きていて、よかった」という、ああ、救われた、という安心感、
罪悪感の強い解放感なのだ。

これはもう、他のことはどうでもいいと思ってしまうほどの感覚を引き起こし、自分が最初に
何を思っていたのか、なんで怒っていたのか、何をPさんに主張したかったのか、すっかりわからなく
なってしまうほどの効果がある。それで思ったのだ。彼女たちが利用したのはなんだったか、というと、
Pさんや、お母さんが好きだ、一緒にいたい、というわたしの気持ちなのだ。

Pさんも、父の母親も、わたしや父を「つきはなす」のが目的ではない。
むしろそうでなく、従順に、そばに仕えさすのが目的だ。ここがこういった手口の要になる。
しかし、そうと気づいた今となって、なんでこんな人を好きでなけばならないのか、
嫌いになってもいいのではないか。好き嫌い以前に、酷いことされたこと、なぜそれがわからない?
どんなにわたしがとり乱しても、悲壮な顔はするものの、最後は笑って立ち位置をまったく
変えていないのは、つねにPさんだった。それがPさんにとっては計算通りなのだ。

これに関しては、成人してからのことだが、ある時、父が一度、父の母親に
わたしたち子どもの前で、口で責めたことがあった。その時、父の母親、わたしにとっての
おばあちゃんは、悲しそうな顔で、わめく父をじっと見ている。何も言わないのだ。

せめて言うとしても、「なんでそんなこと言うの・・・」と力なく言うだけで、いかにも被害者のように、
その特徴は、徹底した「無抵抗ぶり」なのだ。まるでフィギュア人形のようで、わめく父の声だけが
宙を漂うような、時間に比例して着々と強まる罪悪感を見せつけられているような感覚。
Pさんもそうだった。彼女は、何も言わず、じっと聞いている。これはわたしにはこたえた。
父もきっとこたえたに違いない。だって、わたしが求めていたのは、「僕の話をきいてよ」という
ことだったからだ。これは、わたしにとって無視と同じだった。コントロールがきかないほどに
とり乱し、相手の人格をズタズタにするようなまで言ってしまう。「あそこまでパパに言わすなよ」と
よく父はそういう言葉を口にしていたが、同じだ。わたしもいつも、「なんであそこまで言わすんだ」
とPさんにあたった。

それと、Pさんがわたしをあおるのに、決定的な毎回の言い方があった。それはわたしに
「もう、わかった」と言って、わたしの話をもう聞きたくない、というときに言う言葉だった。
これは、思い出したのだが、おそらく、わたしの母がよくわたしとの口論で言ってきた言葉だ。
「もう、わかったから」と言う。もちろん、何もわかっていないし、わかろうとなどしておらず、
いかに切り上げるか、それしか伝わってこないセリフだった。ぜんぜん、相手にしてくれない。

そう、ぜんぜん、相手にしてくれなかった。

これに関しても、もう一つ、別の夢を、先日見た。

飛行場のような場面で、わたしがあるゲートから出発する飛行機の席を
わたしとPさんの分を急いで確保したのだが、時間もないそのようなときに、
Pさんは、別のゲートにどんどん入っていこうとする。入っていってしまう。
わたしは追いかけて、「Pさん、Pさん」と言うけれど、どんどん行ってしまう。

Pさんが入っていったゲートで、「あっちの席とったよ」と言っても、まったく
意に介さず、なんだかお化粧などをしていて、まったく聞いていない。
無視している、という悪意すらないような残酷さで、まったく相手にしておらず、
Pさんは自分のやりたいように、着々と何か準備をし、どんどん行ってしまう。
わたしは自分の話をきいてほしい、自分のことを見てほしい、そういう気持ちがあるのだろう、
Pさんに立ち止まって欲しいのだ。「止まって、聞いてよ」と思っていて、どんどん離れていくPさんに
わたしはついて行きたくない。でも、ついて行かなければならない、でもついていきたくない・・・

立ち往生しているとき、わたしは目を覚ました。

夢か、と思ったとき、なら、ついて行かないと突っぱねてやればよかった、と思った。
夢の中でそれが言えず、夢か、なら、と思ったのが情けないと思いつつも、
「ついて行きたくない」それが本音だったんだ、と気づいた。

この夢が気になったのは、Pさんと、わたしの母が、重なり合ったことだ。
あれはPさんだったのか、母だったのか、目を覚ましてからぼんやりわからなくなり、
こういった出来事は、実は、母との間に思い出せないだけで、結構、あったのではないか、と
それが一番気になったことだ。

あの夢は立ち往生した葛藤の場面で目覚めたが、おそらく、現実の世界では、
わたしとわたしと母の間で、「ついていってしまった」、自分が屈した、自分を裏切ってしまった場面が
実際に過去、あったのではないか?と、そう思った。

ここで新たに気づいたことは、母に対しても、とんでもなく違う記憶を持っているのではないか、
ということだった。わたしの母の印象は、記憶では、同じ土俵にたって喧嘩もしてくれた、少々
大人げない母だったけれど、同じ目線で相手にしてくれた、という記憶に「なっている」。
ところが、この夢や、この夢からそういえば、と思い出せる範囲の母との口論での不満感は、

「相手にしてくれない苛立ち」

なのだ。まったく、どうして、こんな逆のイメージになっているのだろう。
ここは今はまだよくわからないのだけれど、これは父が本当は不機嫌だったんだ、と同じくらい、
本当は、母はわたしを相手になどしてくれなかったんだ、という感覚がある。
おそらくだが、ここも、父が何らかの操作をしたように思う。なんといっても、あれだけ母を
妻や女性としてはバカにしているのに、「母親たる者は」という位置づけとしての「母」を、
父は子どもたちに決して悪く言ったことがない。
子どもたちのことをいつもよく見ていた、あれほどの女、母親は、世界にどこにもいない、
ほんと、バケモン、と、そんな具合に、子どもたちにも言い聞かせていた。

いつもにこやかで子どもに優しい父
いつも子どもと同じ目線で渡りあってくれた母

これは、書きかえる必要がある。

いつも不機嫌な父
いつも相手にしてくれない母

なぜわたしが、自分より上に置いた者が不機嫌になると恐怖するのか、
ここもまだわかっていないことだが、まず、父が実はいつも不機嫌だったとすると、
そして、その顔色をうかがっていたとすると、その謎にせまっていけるように思う。
先日思ったことだが、わたしは罰を恐れている、というより、あるいは痛みを恐れているというより、
そういう罰や痛みを「ちらつかせられる」ことに反応しており、つまりそれは、そういう「ちらつかせ」は
相手が不機嫌であることの合図だ、と、どうもわたしは感じて怖がっているようだった。

不機嫌にさせること、不愉快にさせてしまうこと。

相手をこうさせてしまうのはダメだ、こうさせてしまうくらいなら
自分の意見は撤回してもいい、撤回するのはしかたがない、と
自分が思っていることに気づいたときには、結構、びっくりした。
それはしかたない、と当然のように思っていたのだ。

これは相当、強い恐怖感だった。
不愉快にさせてしまうこと、それがそんなにいけないことなのか?
と自問するまでに相当な時間がかかった。それは、自分の意見を撤回するほど、
自分よりも上におく基準なのか?と。

ここは、もっとつめていきたいところだが、
今までどうして自分より上に置いた者の不機嫌や不愉快に
あれほど恐怖するのか検討がつかなかったのだけれど、
父が実は不機嫌が常態であり、その顔色を日々うかがっていたとなると、
この仮想の恐怖の植えつけの主犯は、父ではないか?と思うようになってきた。
ここは、もっと掘り下げたいと思っている。

わたしの今までの記憶では、不機嫌という意味では、母がよく不機嫌だった、と
思っているところがあった。いや、母に対しては、もっとわたしが見るところは、
「相手にしてくれなかった」そっちの事実のほうじゃないだろうか。つまり、今回の夢でも
思い出す現実でも、妙に、Pさんとわたしの母がかぶるのだ。
なんというか、母とのことが、Pさんとの間でも、見事に似たことが展開している、という点。
まるで、子ども時代に、母相手に、Pさん相手の練習をしているかのような感覚だ。
そして、この「相手にしてくれない」のは、父に対する父の母親の態度とも同じであり、
父の母親は、わたしの母のようであり、またPさんのようであり、わたしはまるで父なのだ。

話が随分、あちこちにいってしまったのだが、とりあえずこのところ、なんだこれもだったのか、
と思うのは、呪われたかのように、同じようなことが、そっくり、感染、連鎖していること。
そして、こういった歪みが、仕事観、仕事観といっても単に作業としての仕事の問題でなく、
「わたしがやるべき役割」というのが、捏造された仕事像にある以上、避けて通れないAC問題で、
同時に、実際に今、わたしを苦しめているのは、「仕事なんてしたくない。でも、食っていくためには
しかたないでしょ。死ぬぞ」とAC人格が、「ふざけんな。だったら死んだほうがマシだ」というわたしの
本当の声を押し殺そうと、幅をきかせていることだ。幅をきかせているのも当然だ。
そうやってしかたなくゾンビのように無気力の生きるACの自分あってこそ、
「そんなはずじゃない本来のわたし」がどこかにポンと落ちているかのような幻想を、
「本来やるべきわたしの仕事」として位置づけられるのだから。そこまで捏造をしてやっと
誤魔化し続けてきたのが、「Pさんにわかってほしい」という叶わぬ思いであり、要は、
Pさんと別れさせなくするための、十分すぎるほどの準備だった、ということではないか。

最近、以前にはこれだけは思えない、と思っていたことが
なぜか、それほど抵抗なく思えるようになったことがある。
なぜかはわからないのだが、以前、わたしが怖がっていたのは、
もしもPさんと別れたりでもしたら、どんなペナルティーが死後待ちうけているのか、
という恐怖だった。これはすごく大きく、びくともせず、立ちはだかっていた。
だから、もしもPさんから別れ話でも持ちかけられたらどうしようかと
完全に思考停止状態だった。

だったのだが、一ヶ月くらい前くらいからだろうか。はた、と思ったのは、
すでにPさんのことをわたしは、世話放棄している。もうすでに手遅れだ。
ペナルティーがあるのならあるんだろう。でも、わたしはそれを甘んじて受けるつもりもない。
わたしを罰することの出来る者などいない、それを「いる」となど、わたしが認めてはならない。
以前もこういうことは思ってはいたが、恐怖が圧倒していた。

これと同じで、仕事のこと、「食えなくなったら死ぬぞ」という恐怖、この恐怖と今、
格闘している。恐怖が圧倒しているのは確かだ。そこに乗じて、こう考えたら怖くないぞ、と、
ありとあらゆるAC人格がもとのもくあみへと引きずり込もうとする。
怖くていい。それでもわたしは、ならば、死んだほうがマシだ、という
自分の声を売り渡さない。わたしはもう自分を裏切りたくない。
何もかもが見えなくなっても、父の洗脳を解くことをやめない。

今日、昼どき、うたた寝をしてしまった。

こんな夢を見た。

となりのおじさんがわたしにクレームをつけている、といったことを
父がわたしに言ってきた。

わたしはその時、苛立った。父がその人とグルになって
わたしをこらしめようとしていることが、みえみえだったからだ。

となりのおじさんを引きずり出して、どんな因縁をつけてきているんだ、と
椅子に座らせて、わたしも椅子に座り、対面した。
すると、父が間に入ってきそうになった。
わたしの態度があまりに横柄だったから、「なんだ、その態度は」と
言ってくるように、すごんできた。

そのとたん、わたしは、「お前は黙ってろ。この人と話をしているんだ。
直接、きこうとしているんだよ。お前が(因縁をつけていると)告げたことなんて
信じてねーよ。お前は黙ってろよ」

そう、言おうと父に必死だった。この発言内容のことよりも驚いたのは、
この言葉が、口だけパクパクして、夢のなかで、声として出ていなかったのだ。
なんとか声にしようとするのだけれど、必死に口を動かし、子音を飛ばすように、
息づかいも必死なのだが、声が、まったく出ない。
かなしばりで手が思うように動かないのに似ていて、声が出そうと思っても出ない。

声は出ないが、言いたいことは、父には伝わっているようだ。
怒って立ち上がってきそうだったが、わたしは続けて父に声が出なくても話し続ける。
「この人とはずっと隣で、今までやってきたんだよ。信頼関係があるんだよ。
そこにお前がわって入ってくるんじゃねーよ」

そこで目が覚めたのだが、この感覚もはじめてじゃない、と思ったのだ。
覚えていないが、こういうことが、父との間に、あったのではないだろうか。
恐怖で声が出なかった、というようなことが。
あの声の出ない感覚ははじめてじゃないような気がする。

この夢のことを考えていたときに、
先日、こんなことを考えていたのを思い出した。

もしも父に口ごたえをしたら、彼は言うだろう。
数分もしないうちに、「Aby、もう、そのへんにしておけよ」と。
それでもわたしがやめなければ、おそらく、こう言うだろう。
「殺しちゃうかもしれないよ、ほんとに」と。

今まで父がそんなことを言ったことはない。
だけれど、わたしは、父がそう言うことが見えるのだ。
ということは、父は口に出さなかっただけで、父が伝えていたのは、
やはり、「言うこときかないと、殺すぞ」という暴力のイメージに違いない。
父はわたしを殺すことぐらいはする、そうわたしが思っていることが、
その確かな証拠なのだ。

なんでこういう夢を見たのか、なぜこのことを関連して思い出したのかわからないけど、
父はどんなことまで、わたしにやったんだ?
記憶を掘っていくこと、それとAC人格が、この今のわたしの現実に
どう影響を与えているのか、継続して掘っていこうと思う。



2014.10.16
Aby


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by jh-no-no | 2014-10-16 04:21 | 復元ノート 1


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