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(5)素材集めと自己分析(検証)

 ・・・「(4)素材集めと自己分析(検証)」の続きです。


・・・


自我のような丸いものが一堂に集められ、一括管理され、専ら何かの職能集団
(ロボット)のように(それはまるで働き蜂のような印象)働いている世界像は
元々わたしがいた世界といった感じを受けている。

わたしが地球にきたのは、何か脱獄したいとか、そういう逃亡的なイメージは
せず、むしろ、その世界では管理側にいるような立場で、そのいっせんで
手足のように働いている(働かされている)感じがあり、何かを「調べたり」
といったどちらかというと調査目的のために地球に行くことになったという、
そういう感じがしている。「任務遂行至上主義」を妄信的に信じきったその世界
での洗脳状態どっぷりのまま、地球に来たように思え、この甘さやおごりが
自分(自我)をないがしろにしたり、自己犠牲の上に成立する利他性というもの
に対して疑問を抱かなかったり、ということにつながっている部分があったの
ではないか。

それから後は、何度か地球での生を繰り返していて、(というか、たぶん、
出られなくなって)、予想外の出来事(自分というものに対する不信感や
違和感)が生じてからは、元いた世界に比べれば、任務遂行という点に
限っていえば「利他という任務遂行業務」も、さほどほこりをもってやれて
いるわけでもなく、何の活力もなく、では一方、自分というものを
楽しめているか、というと、まったくその反対で、ゾンビのような状態で生き、
毎回不完全燃焼を毎回の生に感じては、「〇〇のために、〇〇に尽くせて、〇〇
が達成できて、その点は、まあ、よかった」という妥協を繰り返している。
任務遂行すら「せめて後悔しないための言い訳程度」にしかなっていない。
さらに当初はなかった(であろうと思われる)罪悪感も、自己不信という感覚
が強まるにつれて抱くようになり、ここ地球での幻想上の利他活動という
ループから全く出られなくなってしまった。

しかも元いた世界での成功体験を、この地球でもあてはめようとするために、
こうしようこうしようと思えば思うほど、利他性に毒された思考と行動パターン
から抜け出すことを無自覚に自ら困難にさせていて、その「役目遂行に対して
忠実かつ適切に処理することができる」といった過去の成功体験と思いこんで
いるずっと続いてきた感覚の記憶が、結局、「言う通りに動けば飴をもらえる
(=守ってもらえる)」という親(保護者)を選んでしまっていること、さらに、
その毒親のもとで調教され、作り出される偽人格もまた、「すべきことをちゃんと
する」ことに価値をおいたままの自分にとっては、必要なチェック機能・促進
機能として働いてきた。これらのAC人格も含め、生前から続くわたしの性質が、
これらを選んできた、ということが、今回の生でも40年に渡って、無自覚ACを
のさばらせてきた原因になっているように思う。

自分で自分のことを守ることをせず、「自分よりも上に置いた者に、自分を守って
もらうかわりに」そこで生きるために、言われた通り、忠実に任務をこなす取引を
してきたこと、それに同意したわたしの性質が、ずっと続いてきた。
こういう流れが見えてきた。


・・・


そのずっと昔にいた世界で、働き蜂のように飛んでいる光景や、あの鳥「の
ようなもの」として飛んでいるシーン、これを思った時、そういえば、と
思ったことがあった。

今年の3月の末に、一度、スケッチブックを描いたみたことがある。その時に
色鉛筆で書いた絵は、薄いピンクと黄色がまだら模様になった世界を、赤と青の
パーツからなる鳥のようなもの(鳥そのものでなく抽象的な形)が飛んでいる
様子だった。描いては見たものの、その絵の感じは、ちょうどPさんと2000年
くらいから5、6年間一緒に描いてきた「●●の絵」というシリーズ、いつか
行ってみたい住んでみたい場所の絵の作品群、その絵とすごく似ていて、描き
終えてすぐに、「やっぱり自分の望みの中にも、こうやってPさんが侵入して
きているんだ」と思い、少なくとも今の自分にはスケッチブックなどやる資格は
ないと考え、それよりも、無自覚な望みというのがどれだけ調教由来なものに
毒されているかを掘ろう、そう思って、スケッチブックのことは考えないように
した。今回、その時のスケッチが気になり、もう一度、思い出し、見てもみた。

Pさんが、というけれど、そもそも、この「●●の絵」という一連の作品制作は
わたし自身が発案したもので、一枚の絵をPさんとわたしで交互に加筆しあって
描くというスタイルのものだった。もしかしたら、こういう作品をつくりたいと
いう衝動も、また、3月末に同じようなスケッチを描いたのも、「わたしがかつて
いた世界で、あの時はよかった」ということをどこか反映している絵模様だった
のではないか・・・そう考えた時、今までPさんが建築をやりたいと言ったから
それにのった、とだけ考えていたが(AC人格としては依存という意味では
何でもよかったのは事実だろうが)、では実際に、建築といっても建築士のような
仕事を目指したのかというと(Pさんはそれも目指したかったようだったが)、
そうではなく、空想的な世界を絵や模型で表現するアート作品を中心に活動を
していきたい、そういう展望やアイデアをむしろ望んでいたのはわたしだった。

3月末に描いたそのスケッチは、自分の望みなんてわからないと思いつつも、
とりあえずやってみようと、その時、自分が「いい」「美しい」「得意」と思える
ような要素を散りばめるようにして描いた絵、という結果になった。

小奇麗だけれど、まったく、望みを反映しているとは、これっぽちも
思えなかった。自分の望み、という意味では、母のメールの言葉と同等の
「リアリティーのなさ」を、描いた後、感じていたのを思い出した。

そのことを考えながら、しばらくして、ふと思った。

もしかしたら、こういう「いい」「美しい」「得意」というようなビジョンも、
元いた世界で重宝がられた性質、任務遂行のための特技のようなものの
名残りなのではないだろうか?

こう思ったとき、「これはただの性質であって、わたしのやりたいことでも
好きなことでもない」という理解に切り替わりはじめた。

そう理解が切り替わりはじめた時、Pさんとの共同作業、とくに、2000年から
2006年頃までの共同制作とは何だったのか、今まで「Pさんのせい」で片づけて
きたことで、かえって「自分でないものの舵」に気づけなかったことが、見えて
きた。その頃のことを思い返し、もう一度、考えてみることにした。

あの時期の、あの時のわたしも、実はまったく同じだった。このスケッチを
描いた後に感じたもの、行ってみたい場所の絵といって描いたり、立体作品
としてどんなに小奇麗に、あるいはダイナミックに表現しても、後の残るのは、
むなしさだった。一番いいと思っているもの、今一番やりたいと思っているもの、
自分の得意だと思っていることを誰にも邪魔されず存分に発揮できる、できて
いるはずだ、と思いながらも、本当はまったく楽しくなく、空虚で、どこにも
リアリティーが感じられないというジレンマは、以前、Pさんと共同制作をして
いたときに、「たえず」感じていたものであることを思い出した。

これは、わたしの中にある美意識のようなもので、とくに、色、音、デザイン、
動作、といったそういった素材の配合とバランス、構図に対して自分が「いい」
と感じる感覚のようなものがあって、Pさんと共同制作を始めるようになって
からは、それぞれのとりえと思えるものを意識しながらの作業だったため、
いっそう、そういった自分の感覚を、能力や個性と思いこんでいたところが
いつもあったし、その後もずっと、この感覚が無条件に(それこそが自分の
舵がとれていない、ということだったと思う)、「これはいいもんだ」と自動的に
自分自身も「了解させられてしまう」ものだった。自分の舵がとれない=直感的
ですごいことに違いない、そう思っていたわたしにとって、「これは自分の才能」
と思いこみ、これを発揮できる場をなんとかつくりたい、それが、2006年くらい
までの時期だった。

この期間、いろいろ工夫して、何とかこの「●●の絵」という一連の流れから
作り出されるものを活動や仕事につなげたいという思いで必死だった。
ところが、7年近く頑張ってきたのだが、どうしてもPさんとのそりがあわず、
一貫して続けてきたプロジェクトをあきらめ、わたしはいったん就職し、それ以降
は、ブログでも書いてきたような間接的な共同作業をPさんとするようになった。

この「挫折」について、当時わたしは、「Pさんがあきらめたからだ」とし、実は
心の中で恨みながらも表にはその復讐心を出さず、内職活動で見返そう、そして
また、振り向いてもらいたいという思いすら、ずっとふたをしてしまったわけ
だが、もう一度、この挫折時、またそれ以前のことを思い返してみると、
まったくこれは八つ当たりでしかなく、もしもそんなにやりたいのであったなら、
自分ひとりでもやればよかったのに、やらなかった。

なぜやらなかったのか。それはつまらないと、本当は思っていたから。
でもわたしはそれを認めたくなかった。だって、やりたいことをやっている、
一番自分がいいと思えるのを表現できる、そのために個人事業として自営業
としてやり始めたんだ、これ以上、自由な状態って考えられない・・・そう
思っていたから、作品を作って空虚だ、なんて思いたくなかったし、いや、
そんなことすら考えなかった。わたしにとって「空虚なはずがなかった」。

感情は嘘がつけなかった、ということだと思う。どんなにいいもの、綺麗な
もの、自分が得意と思っていることを発揮しても、つまらない。その気持ちが
よぎってもわたしは無視し続けた。本当は、どこもしっくりきていない。
知らず知らずのうちに鬱積する不満がたまってきて(そう、あのイライラは
この不満だったんだ)、Pさんとのトラブルも増えてきた。

そして今度はこうやってトラブルが増し、共同作業がスムーズにいかなくなる
ことが、わたしのこの不満の原因なんだ、と不満の原因をすりかえることを
してしまった。このことに今になって気づいた。当時そうやってすりかえた理解
は、「Pさんがやりたいっていった分野なのに、Pさんがまったく協力的でない
から上手くいかないんだ。せっかくお互いにいいものを持っているのに、Pさんが
邪魔ばかり、ダメ出しばかりするからいつも上手くいかないんだ」というものに
なっていった。苛立ちはつのり、当然、トラブルは増えていく。結果、Pさんが
「もうやりたくない」となった時、この一連のプロジェクトは中止となり、実質、
「共同制作」としてのユニットは解散したわけだが、この時にわたしが結論づけ
たのは、「Pさんのせいだ」、ただ、これだけだった。
(実際は、これすらもわたしはフタをして問題のない幸せな夫婦を演じていた。)

ここをもう少しじっくり考えてみると、やはり、実際は「Pさんのせい」で
片づけるものでなく、いったん、Pさんのことを脇に置いて考えてみれば、
わたしは最初から「不満だった」のだ。能力があるはずのこと、一番自由に
できていて誰からも企画を邪魔されず、いいもの、好きな(と思いこんでいる)
ものだけを描き、作る。大学を卒業したら、こういうことをやってみたかった、
と、卒業して最初の数年間は、本当に幸せの真っ只中にいる、と思っていた。

今思えば、それは、それまでの反動、それすらやれなかったことの反動でしか
なく、反動としての「快」でしかなかった、ということだと思う。
いくらやっても、つくっても、自由に企画を立てても、一番いい、得意と思って
いることをやっているはずなのに「満たされない」。いつもどこかむなしく、でも
そこに目を向けることをせず、Pさんと小奇麗に作ったものを一緒に見ては、
「うまくできたね」とごまかし続けただけだった。そして、すこし、その不満に
目を向けたとしても、ここにはつねに、「二人でやっているんだから、しかたない
よね」という妥協や言い訳が最初から用意されていたから、うまくいっている時
はそれで済ませられても、いったん共同作業のもつれが出てくれば、この言い訳
は一転して「責任転嫁」になるのは(お互いそれを隠していても)当然だった。
「自分ひとりだったら、きっと成功していたのに(Pさんがいたからしかたない)」
という誤認をずっとし続けることになった。

今回、これが誤認であったこと、それに気づいた。自分ひとりでも、たとえ、
自分の能力や特技と思いこんでいるものを100%発揮したとしても、100%、
失敗していたはずだ。共同作業のせいにしているが、実際は、その当時も、
共同制作いかんにかかわらず、「失敗している」「空虚だ」「本当はつまらない」
ことを、わたしは知っていたのに、その感情にふたをして、これは自分は得意
なはずだ、これが自分の持ち味なんだ、という思いこみを優先させ、感情を
黙らせた。

以前の報告のなかで、「陶芸とか、ガラス細工とか、一人でやりたいと感じた」と
書いたけれど、それからこのことを考えた時に、「じゃあやってごらん」と
言われたらやるかというと、躊躇する自分がいることに気づいた。陶芸や
ガラス細工はやったことはないが、どこか、自分の美意識や得意と思っている
領域を刺激してくるものだった。いいな、とぱっと思ってしまう。

でも、どうもしっくりこない。なんだか、何をやっても今までと同じことの
繰り返しじゃないか、とその時、感じていた。その時はなぜかわからなかった
のだが、これも同じだったのだ。

性質や能力、あるいは職能、というものと、あまりに自己同化している、
こういうことだったのではないだろうか。

これが任務達成のためのただの道具であるのなら、逆にいえば、わたしが
任務遂行という役目を降りたのなら、こういった能力なり職能など、
そこにどんな意味があるだろうか。いや、任務遂行という役目の仮面を
かぶっていない「自分」には、自己同化しなければならない義務付けられた
能力や性質や職能を、誰からも強制される必要はない。舵がとれないような
能力や性質や職能など、それはそもそもが、舵を誰かに渡しているわたしに
付随しているものにすぎないのではないか。

「これはただの性質で、やりたいことでも好きなことでもない」

もしもその性質や能力と自分で思っているものに、ふりまわされてしまうなら、
その「能力」のようなものが、自分がやりたいこと、やりたくないことという
本当の意味でいう「望み」に対して、それよりも優位に立っている、ということ。
「任務」という言葉が、「能力」という言葉にかわっているだけだ。

そしてまさにこの考えが、「自分は空虚だ」というダメな「自分役」をそのまま
にしていて、「もっと自分が活躍できる世界があるはずだ」という妄想に走らせる
のではないか。だとしたら、それは元いたわたしの世界の焼き直しでしかなく、
ならば、いくらこの焼き直しとしての理想像を描いても、そこには、自分など
なく、またしても、自分を自分で守ることをせず、任務や能力を担保してくれる
大きな力や自分の上に立つ者の言いなりになって、「活躍した気」になるだけ
じゃないだろうか?

「これが自分だ」「これが望みだ」と思いこんできたものの正体が、にせもので
あることが、だんだんと見えてきた。こういうにせものの自分像や望み像は、
どれもこれも「自分はダメなんだ、自分なんて別に」という自己否定と自己犠牲
の土台の上に立っていて、「自分を取り戻す正反対なこと」をしかけてくる。

3月末に書いたそのスケッチは、「ダメな自分」が「こんなはずじゃなかったと
思える戻りたい元の世界(への未練)」のビジョンにすぎず、仮にそれを望んだ
としても、行く先は「ダメな自分でもそういう気になれる、またこの地球」と
いうことになるのは目に見えているし、そもそもが、任務や職能のようなもの
を「自分」より優先させてしまうような、そんな元のところに戻らなくていい。
その最初の時点で、自分を売り渡すという大間違いをしていたのだから。


・・・


7/8(火)

Aの作業に続けてBの作業をしたとき、ふと、ブルーの園服を着た子どもたちが
わさわさ動いているシーンが想起された。どこか「子ども」という存在に
ひかれている感じだったが、ふと、この中にわたしがいるのでは?と思い、
意識を向けて見ると、2、3歳くらいと思われる保育園時代のわたしが、
しゃがんだり、歩いたりしている。たわいもない姿だ。

これらのシーンは、実際にあったシーンや記憶という感じでなく、Bの作業を
ともなって映し出される幼児期の映像に感じられた。ふと、こんなことを
やってみようと思ってやってみた。

それは、今の自分がその映像の子(2、3歳の頃のわたし)になったつもりで、
その子がBの作業をするような感覚をやってみた。その作業に前後して見えた
ように思ったのは、どうも、その子が関心を向け見ているのは、「空」のよう
だった。ただの空。時々薄いピンク色にもなる。(あの巨大な水溜りのある土地の
空がピンク色になったりしたのを、この時、思い出した。)

その子の主観映像と、その子を外から眺める映像がまざりあいながら、
クローズアップするのは、その子の「目」、空を見るその目で、ここから感じ
られたのは、「期待感」のようなものだった。

何に対する期待かというと、どうやら、それは「ここ(地球)」に対する期待
のようだった。この土地に生まれること、ここに生まれて期待していたことが
あったこと、それをこの子は知っていて、覚えていて、空を「しばしば」見て
いた。ここが「ここ」であることを自分で確認するために、わたしは空を見て
いたように思う。大きな期待を抱いている目をしていた。
それは、その期待を疑うことなく自分の目で見て生きていたわたしだった。


・・・


この期待とは何だったのか、ということについては、この映像からはわからない。
でも思うのは、「地球だからこそできること」というのがあったのではないか?
これは桜の間にもいつも書かれていたことだけれど、自我というものにのって、
個を満喫する、喜怒哀楽を経験する、本当はこういうことをしかったのでは
ないだろうか・・・と思った。でもそれは古い地球の話、ということ。

どういう期待だったか、それは直接自分で確認できていないことだけれど、
少なくとも、ことの最初は、「地球に生まれたい」という希望があったように
感じている。しかし、いざ契約してみると、自己犠牲をともなう利他活動に
ついての特記事項のようなものがあった。これについても、Bの作業を通じて
自分で確認しえたものではないけれど、いずれにしても、これに「ひっかかる」
性質は、わたし自身にあったことが、今回、確認、分析をしてきた。

「自分」というものを、自分より上に置いた者によって、管理・保護されること
を認めてしまっていて、そのかわりに任務遂行の対価としての「飴」をもらうと
いう取引のパターンを延々と繰り返している、と思われること。

今回の生でも同じだが、「飴の調教」により苦痛が麻痺していて、この任務・
役目遂行の衝動のベースに「自分より上の置いた者による恐怖」があることにも
気づかなくなり、働き蜂のように、まさに、ロボットのように、言われた通り
こなし、ただ機械的に生きる。ここに「自分」はいない。自分で自分を守ること
をせず、自分より上の者にその権利をあけ渡し、その取引の結果として、
自分よりも任務・職能に価値を置いたこと。

どこに生まれようと、「自分の尊厳を死守しなかった生き方」を、今回の生で
断ち切らなければならない。


・・・


(中略)


・・・


以上、素材集めと自己分析(検証)報告をさせていただきます。

よろしくお願いいたします。

Aby



2014.07.11
Aby


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by jh-no-no | 2014-07-11 20:52 | 復元ノート 1


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