人気ブログランキング | 話題のタグを見る

①素材集めの中間報告

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S363

のおもに「B」についての報告文を以下、掲載します。
(文字数の都合上①から③に分けてアップします)


・・・


崩残様

Abyです。

素材集め(Bの作業)を中心に、中間報告をさせていただきます。
前回報告に続いて、6/25(水)から6/30(月)までの間に
掘り出した素材と考察内容が主な報告内容になります。

素材集めを継続して行っている最中ですが、自分のなかで
「これは幅をきかせている価値観や衝動のようなものだ」と
感じるものがありましたので、いったん、可能な範囲でまとめてみようと
思いました。

「自分のことよりも、役目の遂行のほうが大事だ。優先だ。」
「自分のことは(少しくらい)犠牲にしても、わたしは困らない。平気だ」

この二つの考え方が、生前の自分の頃から自分の性質としてあると思いました。
この考え自体、「自分の一部を売り渡す行為」を自ら容認するものでした。
結果、「相手の言われた通りにすることを優先」してしまう隙をつくり、
そこをフルに都合よく利用したのが、わたしの両親、毒親であったと思います。


・・・


今回掘り出しの際に留意したことは、「AC人格やPさんと無理に結びつけよう
としない」ことでした。しかし、あやふやなラインを毎回たどっているように
感じながらの作業でした。その場合には、強くAの作業を意識して行いました。

そのように作業をしていくなかで、素材とAC人格の接点のようなものに
気づいたりすることが増え、どうやら「自分の性質」というものが、
AC人格に存在理由を与えている、出鼻を許す入口になっている、と
感じることが増えてきたために、生前の自分と今の自分との一貫性を
徐々に感じつつあります。


・・・


以下ご報告させていただくことも、おもにここ数日の手書きノートを参照します。
以前ご報告させていただいたことですが、「中毒的に気づいたことを書く」という
強迫的な衝動は、あの時から(Aの作業を開始してから)、急激に減りました。
「このままではあまりメモをとらなくなってしまうのだろうか」と思ったのですが、
実際はそんなことはなく、以前とは違って、気づいたことというよりも、
記録しておきたいことを陳述的に書く、という形式に、なぜか、なっています。

今回の以下報告も、そういった陳述的な記録部分はおもに転記の形で、また、
自分の頭の中の整理として書いたメモの部分は、ややまとめる形で、
以下、報告文を作成してみたいと思っています。

長文となりますが、サインまでが本文です。
よろしくお願いいたします。


・・・


6/25(水)

「修理」という言葉とイメージがわいてきて、その時、以前に桜の間で
紹介されていた伝統的なアーチェリーの動画の一場面を思い出しました。
その場面は、アーチェリーがきれいに並べてあるシーンです。

武器、修理、磨く、並べる・・・

こういったイメージが連なりました。

そういえば、子どもの頃、母に対して「こっち来て、見て」と言って自慢した
ことがありました。それは机の上の教科書をピシッと背の順にならべ、
隙間を作らず、他の置いてあるものも面をあわせるように「きれいに並べる」
のが好きで、その様子を見て欲しくて、母を呼んだことが何回もあります。
母に対して、どうしても見てほしい、こっちに連れてきてまでも見てほしい、
これに関してだけは、それを強く要求しました。

この「修理」というのは、なにか、職業のようなものだろうか?
とイメージしてみました。そこは日本という感じはしません。
自分の性格として、

「几帳面」「きれい好き」

というものを感じとれました。


・・・


生前の場面で、父と母を選ぶ際に、

「この人たちには、何か重大(重篤)な欠陥がある」

というのを、知らされたか、知ったか、という感覚が想起されました。

どうもそれは身体的な病気のようなものでなく、「社会性」という言葉も想起
されてきたので、どちらかというと、内面的な欠陥というものかもしれません。
(この時点では、この具体的な何かはよくわかりませんでした)

この視点は今までなかったので、そこを意識して両親のことを振り返ってみて、
その「社会性」ということに焦点をあててみると、他の家庭とは比較せずとも
「これは異常だったろう」と思いつくものがありました。

それは、あまりに、

「他人との交流」

が無い(皆無に近い)ことです。

ごく数人の友人(それもどこか何か囚われた関係にあるような知人)としか
付き合わず、8Fのマンションの一室(わたしの家)と1Fのお店(I商店)とを
行ったり来たりしているだけの「ひきこもり」、それがわたしたちの両親でした。
自営業なので、それ自体はそれほどおかしいことでないのかもしれませんが、
何がおかしいかった、と今思うかというと、

「子どものわたしが知らないような両親の友人は、おそらく一人もいない」

ということでした。ブログにも何度か書いたOさん(父の友人)も、親の友人では
ありますが、わたしの友人・知人のようなものでもありました。
よくいえば、「家族ぐるみの付き合い」と言われる関係です。非常に閉じている。
考え方によれば、それは外との付き合いで隠し事のない透明な家庭かも
しれないが、それ自体、かなり普通じゃないな、という感じを、今になって感じた。

これはわたしもそっくりで、わたしの友人は、決まったこの人たちという感じ。
誰しもそういう面はあるかもしれないが、この妙に「閉じた感じ」が若いのに
なんだか事の最初から「腐れ縁」のように囚われているようで、
流動性やフレッシュなイメージがまったくない。

わたしも両親も同じで、一見、社会的なことをやる時はやっていそうでいて、
どこかそれはいつも「演出的」「説明的」「やっつけ仕事的」「反動的、自動的」な
歪みのようなものを感じます。
あくまでも「ひきこもること」に軸足があるように感じました。

このようなことを考えているとき、だんだんと父と母のその感じが
鮮明になってきたように思います。

子どもの頃、たしかに「社会性を持つように」のようなことを言われたし、
カブスカウトのような集団生活訓練もやらされたのですが、よくよくその言い分、
両親の言い分をとらえてみると、

「まあ本当はそれ(社会性)なんてさほど重要なことじゃないんだけれど、
あなたが困ることになるんだから、だからしかたがないから(親の責任もあるし)、
やらせているのよ」

という、てきとうな態度がある。これを思ったとき、わたしの両親は、いざとなれば
「社会なんてこわれてしまえ」と(いざでなくても)思っているような人たちだった、
と、ふと、感じました。だから、「あなたが困ることになるんだから」という発言
それ自体、(今思うと)まったく説得力もリアリティーもありません。

これまで父と母とこういった性格の面で「似ている」と
感じたことは無かったのですが、この

「ひきこもりでいい」

とどこかで思っている点は、今回、似ていると思いました。


・・・


両親のみならず、Pさんもわたしが選んだとすれば、
そこにやはり何か、Pさんを選ぶ価値観や衝動があったのではないか?
と思い、今まであまりPさんのことは想起する対象にしてこなかったのですが、
あえてやってみることにしました。

まずPさんのことを想起する時、両親の場合と違うのは、生前のシーンにおいて
「場面はすでに、以前、どこかでPさんと二人でいるシーン」という点でした。
両親の場合はそういうことはなく、中間状態のような暗い場所であいかわらず
写真をながめている、といったシーンが思い浮かばれます。

Pさんと二人でいるシーンでは、たいてい、わたしが彼女の右にいる印象で、
いつも横で並んで行動しているようです。

今回新たに感じたことは、Pさんは「口数が少ない」ということでした。

きっとそれで、わたしはどこか、Pさんの表情や雰囲気で気持ちを汲み取ろう
としている印象です。

それから、何があったかはわからないのですが、「Pさんがわたしよりも先に
死んでしまうことが起こる」ようで、Pさんがそれに関して何も言わなかったこと、
そして、わたしがそれを察しきれなかったことを嘆いている、といった感じです。
(これはさすがに想像、つくりがはいってしまっているように思うのですが、
そのPさんとの最後の別れのシーンは、それこそベタですが、駅のホームで
列車の窓からPさんが手を振るシーンが想起されます。
このシーンを思い浮かべた時、生きた心地がしない、と感じました。)

ここでのわたしの像は、なぜかやはり女性で、前回報告の中で書かせて
いただいた「ショートカットのボーイッシュな女性」です。一方、Pさんは
もう少しふくよかで、髪も長めで、ボーイッシュではまったく、ありません。

Bの作業をしていて、これはたびたび感じていたことなのですが、
どうも、父と母とのストーリーと、Pさんとのストーリーは「別個のストーリー」
のように「2本」になっていて、そこで想起される生前の自分のイメージも異なり、
生前の自分(のような人)が、二人いるような感じがしていました。

なので、そこに接点のようなものも感じなかったのですが、今回ふと思ったのは、
「Pさんのことを察しきれなかったこと」と、
顔色を察するよう調教してきた両親、それに乗じてのさばらせてしまったAC人格
というラインでつながりを感じました。


・・・


6/26(木)の朝、目が覚めて思い出した夢のシーンは、
「父が(おそらくわたしの顔面めがけて)殴りかかろうとした」シーンです。

父が直接殴りかかってこようとするなど、夢でも現実でも初めてのことでしたが、
この夢のなかでは取引しようとするのでなく、「殴るなら殴ればいい」と
父と正対しました。父は顔面を殴る迫力で迫ったが、結局、彼は殴らなかった。
いや、殴ることは「できなかった」という印象を受けた。

この夢では、自分の性質というより、わたしの父の性質として、
「結局は、直接には、暴力を振るえない」ということがわかった。
そうだったのか、と思った。

しばらく前にあった母のメールもそうだし、この前の父のメール(あれからは
邪魔が入っていません)もそうですが、また、今までの過去を振り返ってみても、
両親がわたしにできたことは「せいぜい脅す」「ギリギリまで脅す」ことまで
でした。

今回の一連のメールも実際そうでしたが、その「間接的な脅し」にわたしが
「動じさえしなければ」次の一手を彼らは出すことが出来ないようだ、という
ことが今回の件で、今のところですが、見えてきました。

それで思ったことですが、もしもわたしが子どもで衣食住を握られていたら、
「次の一手」の攻撃の危険を予測し、身の危険を回避したに違いない、と
感じました。実際には危害を加えることはなくても、子どものわたしは平気だ
とは思わなかったろう、と思いました。

子どもの頃どころか、今の大人のわたしであっても、「次は何をしてくるだろう」
という危険は感じました。ただ、今回、今まで(自我復元を開始する前まで)と
対処が違ったのは、危険なことがふりかかってくるかもしれないと予測しつつも、
観察を続け(無視し)、咄嗟にそれに応じなかったことでした。
それで今回、今までとは違う展開が見えてきた、ということ。今回の夢は、
この親たち、とくに父の性質が明るみになったように感じました。

この親を選らんだ一つの基準として、

「直接、暴力を振るわない」ということを条件に選んだ可能性があるかも
しれません。その時点で、「間接的な脅し」が予想外(な影響)だったと
いうことかもしれない。とはいえ、そこで動じない、引かない、
自分をないがしろにしないで、自分を中心にすえて、無視しようが暴れようが
すればよかったはずだが、そこで屈し、AC人格をのさばらせてしまった、
ということだと思います。


・・・


関連して思い出したことなのですが、考えてみると、父も母もわたしを制圧する時
というのは、最後は(というか、最後に一発で制圧するのですが)、
「親なんだから」「親の言うことをきけ」「親に逆らうな」のみが唯一の切り札で、
思い返してみると、「ちゃんと話して、理屈も通って、納得して、従った」という
記憶がまったく出てこない。

考えてみると、自我復元を始める前までの40年間、もちろん反抗期は表面的には
反発もしましたが、実質的には、「親の言うことをききなさい」ということ、
「これに対してだけは」反発したことがありませんでした。

父や母がこの切り札を出してくるまでは、逆に相手が親だろうがなんだろうが、
「その考えはおかしい」「自分はそう思いません」とか面と向かって言えた部分は
ありました。その部分の記憶がわたしの記憶の中で「わたしの両親は、子どもの
土俵にまで降りてくれて、一緒に喧嘩をしてくれた」という誤認を招いたのだと、
あらためて認識したところです。対等だった、と思いこんでいた点です。

でもそれは錯覚で、実は、その切り札がある時点で、
勝敗は最初から決まっている。
「親」の一言を出してくれば、それでゲームオーバーだった、ということ。
当然そのことも親は知ってやっている。だから、だとしたら、それはすべて茶番で、
わたしは「みそ」ということになる。となれば、その途中で、父が冗談と作り笑顔で
「負けた~」みたいな態度を9割以上しようが、痛くも痒くもない。
最後は制圧できることを親は知っていて、子どもはみそであることに気づかない。
たちが悪いのは、9割がた勝った気がしてしまって、最後は「親を立てた」程度に
しか思わず、感覚が麻痺してしまうことだが、もっと最悪なのは、わたし自身が、
そのやり口を真似ていたことです。接する子どもたちに対して。


・・・


生前の自分に焦点をあててみた時に、
この時、感覚としての漠然としたものなのですが、

「することは、ちゃんとしているか」
「(何らかの任務のようなものがあるとすると)ちゃんとこなせているか」

という衝動のようなものが、どこかにあって、この自己確認がとりえあえず
優位にたっているようで、もっとも自分の内発的な好き嫌いからくる言動は、
相当、「後回し」になっている感じがしました。

後回し、というよりも、たとえその自分の番?になったとしても、なんというか、
緊急医療の医者のようで、夜寝ていてもいつ起こされるかわからない、
結局寝ることに没頭できないのとおそらく似ていて、自分のことは二の次、
三の次、まず、やるべきことすべきことのチェック、自己確認に注がれている
部分が大半を占めているように感じます。

「やることをやってから・・・」と言いながら、そのやることがひと段落しても、
すぐに「やることをやってから・・・」という中毒的な衝動にすぐ戻ってしまって
それを繰り返すことになっているようです。

わたしの中の「失敗」という感覚は、どこか「役目の不履行」というものに対して
生じてくるもののように感じます。

これでハッと気づいたのですが、他人に対して評価してしまうときに、何を
基準にしているかといえば、この与えられた役割や役目といったものを、
その人はどのくらい自覚し、ちゃんと遂行しているかどうか、を良し悪しの
判断基準にしていました。何でも馬鹿にできるんだぞAC人格の基準が
これでした。

内容でなく、役目そのもの、役目の遂行が、その中身、何をしたかどうか、
というよりも、「ちゃんとそれをしたかどうか」が大事になってしまっている。

このあたりを考えているときに、さらにハッと思ったことは、
こういうことに価値基準を置いているので、「自分の考え」や「自分の意思」の
優先順位を下げてしまっている、ということでした。
「自分」をないがしろにした無自覚な一歩になっています。

「役目さえ果たせればOK」という基準。

どんな強迫観念がこのような価値基準を支えているのか、今の時点では
わからないのですが、いずれにしてもこの価値基準によって
その「中身」に対する注意が完全にそがれてしまっている、二の次に
なってしまっている。役目、あるいは役目の遂行が、「自分の意思」より
優位になってしまっている。

ここまでのことが腑に落ちたとき、
AC人格との接点が見えてきました。

「役目(の遂行)」が、自分よりも優位にたっているから、

・怒られまい、と顔色を見るのではないか?
・これでいいのか、と確認したがるのではないか?
・何をすべきか誰かに決めてもらいたいのではないか?
・役目の達成度を気にし、他者にも同じ評価基準で見て、
 蔑んできたのではないか?
・役目の中では自分は後回し(自己犠牲)して、それ以外の部分でコソコソと
 自分の時間を確保し、邪魔しないでよっ、とひねくれたのではないか?

こういうわたしのなかにのさばり続けたAC人格は、

「役目遂行の為に」

そのための保身として、自ら、その「チェック機能として」
コイツらを採用してきてしまったのではないだろうか。
もしも「自分の意思」が「役目」より優位に立つならば、
どのAC人格も、全て、不要なものだったのではないだろうか。

AC人格の挙動以前の、コイツの採用理由、その動機となっているのが
「役目を自分よりも優先する」自分の性質、これがそのひとつに
なっていると思います。


・・・


話が前後してしまうのですが、先ほどの

>生前の自分に焦点をあててみた時に、
>この時、感覚としての漠然としたものなのですが、

>「することは、ちゃんとしているか」
>「(何らかの任務のようなものがあるとすると)ちゃんとこなせているか」

という感覚を抱いたときに、その「役目」のようなものを感じたときに、
ぼんやりとですが、3種の生前の自分(と思われる)のイメージをしていました。

1.ひとつは、「ボーイッシュなあの女性」
2.ふたつめは、「修理屋のおじさん」
3.もうひとつは、「鳥のようなもの」

1の女性のイメージからは、Pさんとの関連で、Pさんを守る役、という意味で
ここに役目というイメージがわいたように思います。

2の修理屋のおじさんの場合は、いつもわたしはこのおじさんが修理したり
している店が作業場のような木造の建物をイメージしているのですが、
この仕事はただ趣味でやっているだけでない雰囲気があります。
特技を活用している感じはあるのですが、そもそもここでの営みが、
何らかの為や何らか誰かしらの依頼という「大きな枠組み」の中で動いている
感じです。任務という印象を受けました。

3の鳥のようなもの、というのは、Bの作業をしてはじめて(いや、もしかしたら
前回の海辺のシーンを思い浮かべたときはそうだったのかもしれません)ですが、
この場合はどうやら他と違って、得られる映像が主観映像(自分が鳥のようなもの
になった時に見ている風景)のようです。今までも少し馴染みがある気もします。
主観の映像なので、実際、鳥かどうかもわかりません。ただ、今回は、この鳥の
ようなものが、何やらを「探している」感じがありました。

見回っている、警備、監視、といった類のものかもしれません。

優雅に飛んでいるのですが、好きでやっているというより、これもまた何かの
任務のようです。実際はここが地球かどうかもわからず、鳥だったり地球だったり
というそのビジョンは、わたしのここでの記憶をあてがっているように思います。

いずれも共通するのは、役目や任務といった「しばり」のようなものです。


・・・


この時、鳥のイメージについて考え、また時間をさかのぼるように生前に
も戻っていくイメージをしていくと、急にまたうとうとしてしまい、20分程度、
仮眠をしていました。短い夢でしたが、インパクトがあったのは、そこにいたのが
Pさんか別の人か定かではないのですが、その人は声を出してもいないのに、
「心の中で思っていることが、わたしには音声としてそのままきこえてくる」
という、そんな夢でした。


・・・


 ・・・ 「②素材集めの中間報告」に続きます。



2014.07.01
Aby


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
by jh-no-no | 2014-07-02 02:03 | 復元ノート 1


<< ②素材集めの中間報告 しかたがない、という不快 >>