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②「いけない」と思いこんでいること

『①「いけない」と思いこんでいること』の続きです。

「女性を性的な目で見てはいけない」

という思いこみについて。


・・・


人と通りすぎるたびに、その人が

「女性であるか、どうか」

ということを自動的にふりわけている。

自分は女性が好きなんだ、と
そう思いたくて、このことは問題視しなかったのだが、
自我復元を開始してから、あまりにこの自動性が
「病的だ」と感じ始めた。

そしてこれがやはり無視できない問題だ、と思ったのは、
そこに後ろめたさがつねにあることだった。

その後ろめたさは、どこにあるか、というと、
「その女性を、いやらしい目でしか見ていない」ことにあった。
正直に書くと、その人の裸を想像してしまうこともある。

このことは、あまりに馬鹿げている、と思っていたし、
どこか自分でも認めたくない、そう思っていた。
だから、いろいろな理屈をつけては、もっと深いところで
女性に対する特別な思いがあるに違いない、それも
なにか歓迎される理由があるに違いない、と思いこみたかった。
少なくとも、6、7年くらい前からは、意識的にそんなことを考えていた。


この自分の見方が、

「父の影響を受けている」

と気づいたのは、昨年末、わたしの妹が子どもを出産し、
まだ生まれて一週間と経っていない赤ちゃんを見たとき、
その病院で父がベラベラと話していた内容に、
大きな違和感を持ったことだった。


赤ちゃんを見て、開口一番、なんと言ったか。


「間違いなくいい女になるぞ」


なんだそれ?まだお猿さんのような赤ちゃん。
どこをどう見てそう見えるんだ??

と疑問に思っているのも束の間、
呆れる発言多発。

「あー、指がちっちゃいね~。マニキュア塗っちゃいたいねー」

最近流行りのマタニティ写真を見せてもらったときも
「なんか恥ずかしいよね、違和感あるよね、な、Aby?」
と同意を求めてくる。さらに誰もきいていないのにベラベラと語る。

「いやぁ、こういう写真いいよね。パパも写真好きなんだけど、
とる人いないからなー。ヘンな写真とったら、捕まっちゃうしなぁ~」

考えてみれば、昔から、こうだった。
ただこれは父のいわゆる冗談で、こういうときは父はニコニコ
(実際はニヤニヤ)していて、子どものわたしにとっては、
ゆるくて、どちらかというと、安心できる会話に思えた。


ふと、思い出した。


父はこういう話をした後(この時は言ったかどうか忘れたが)、
よくこういう話をしたのだ。必ず、と言っていいほど。

「こんなこと、言っちゃいけませんね。
スケベで、すみません。パパの真似しちゃいけませんよ(笑)
男って、これだからほんと、しょーもない。」


ずっとこんな感じだったのだ。


たとえば、幼い頃、子どもであってもパレードのようなものや
ショーのようなものであれば、露出度の高い衣装の女の人が
登場したりする。すると、父は、

「あの女の人、さわりたくなっちゃうぅ~」

と言った後に、やはり言うのだ。

「イヤだねぇ、男はこれだから。ほんと、スケベ」


〝汚らわしい〟


そう、父が幼い頃からわたしに刷りこんだのは、
「女の人として見ることは、汚らわしいことなんだ」
ということ。きっと、これを無自覚に繰り返し刷りこんだ。


実際にわたしにどういう影響が出ているか。


1 人と出会う。人を見る。
  ↓
2 女の人だ、と思う。
  ↓
3 その人の裸を想像する
  (あるいは、性的なしぐさや声、様々)
  ↓
4 「いけない」と思う
  ↓
5 即座に目をそらす


これが毎回毎回、高速で繰り返される。
このプロセスで自覚できていたのは、「2」「3」「5」だった。
なぜ、人を見たときに、「女の人だ」とまず区別し、
性的な見方をしたときに「いけない」と思うのか、ということについては、
まったく自覚的でなかったのだ。

なぜか。それは、「父の目」だったからだ。


〝いけない〟


なぜ、性的な目で見てはいけないのか。
それはあまりに当然のように思っている。
だけれど、性というのはその人の一部であり、
たとえば、その人の髪が茶色なら、「あの人の髪、茶色だね」
と思うこと、それ自体に、どんな罪があるのか?

ならば、と思って今からちょうど二ヶ月ほど前、
近所の女性で、どうしても性的な目で見てしまう人がいて
思い切ってバリバリ性的な目で「こんにちは」と挨拶して見た。
それに対する相手からの反応は、いたってふつうに「こんにちは」で、
わたしの思いこみではあったとしても、双方に
「好感」のようなものしか残らず、あっけにとられ、拍子抜けした。
目をそらすこともなかった。


何が、いやらしいのだろう・・・


たくさん人がいるような街中で、
同じことを1時間近くやってみたこともあった。
普通にしていると、さっと目をそらしてしまうので、
「女の人として見るぞ。性的な視線で見るぞ」
と、少し遠目から、じっくり見ることにした。
もっとドキドキするかと思ったけれど、最初に感じたのは
「んー、別に何てことないなあ」だった。

そして終始、やっぱり、どこもいやらしくないのだ。


少し前にも、別のことでチャレンジしてみた。
いわゆるエロ画像、エロ動画、これこそ男性のエロ妄想からなる
性的な視線「だけ」でしか構成されていないようなものだけれど、
ならばなお、そういう目線で見るぞ、という覚悟で見たらどうか?
と思って、やってみた。性的な刺激はある。
だけれど結局は、


何がいやらしいのだろう?


という結論になる。ただの裸である。
いや、何がいやらしいのだろう、というよりも、
「女性の裸」自体、

何が汚らわしく、
どこが「いけない」のだろう?

と思った。


いやらしいという言葉自体、「性的刺激+悪い」が
セットになったような言葉のように感じとれる。だから、
自慰もその典型的なものかもしれないが、
この「悪い」がくっつくと、それは「後ろめたさ」を残す。


性的な目で見ることの後ろめたさは
きっと、そこに女性に対する性的な搾取や暴力性、
そういったものが潜在しているからだ、と「頭」で理解するようにしてきた。
つまり、これは女性差別の問題であり、社会的な問題でもある、と。

ただ、こういう頭での理解が、
父の犯行を見えないものにさせ続け、
「どうしてわたしは女性を差別しているのか」という疑問をわたしに残し、
ちゃっかり、父はどこにもおらず、免罪されてきた。
社会問題だ、というのは確かであったとしても、
それが家庭の問題であり、家庭こそ社会の元凶なのだ、という理解が
そっくり抜けていたため、わたしはこの性の問題を
「社会に向き合う自分の問題」と短絡的に考えていた。
そこに毒親は不在だったのだ。


でも、実際は違った。


父の何が害だったか。


父があのように繰り返し調教することで、
かえってわたしは、「ちら見」してしまう、こと。
その性的な部分だけを、どうしてもちら見して、
すぐに目をそらしてしまうため、
結局、その人の女性という性的な部分「だけ」が印象に残り、
父が刷りこんだ通り、それは

汚らわしいもの、
いやらしいもの、
いけないもの、

になってしまうのだ。


・・・


世話し、世話される、というACの共依存関係が
どうやって代々引き継いできたのか、を考えていたとき、
この性の問題と無関係とは思えないことを発見した。


世話する役の人は「男性」
世話される役の人は「女性」


という構図がうっすら浮かびあがってきた。
父親家系だけでなく、母親家系、さらには
Pさん家系にもその構図があるように思えた。


少し具体的に書いてみたい。


父が世話役で、世話をされていたのはわたしの母。
また、父と出会う前は、母の「父親」が実質的な母の世話役だった。
というのも、母親が愛情をかけていたのは、息子たち(3人)であり、
娘(わたしの母)を、はなから無視していた。
思うに、「この娘は、わたしの世話役にはなれない。いらない」
ということがあったのではないかと思う。
というのも、母の話を以前きいたことによれば、子どもの頃から、
母親は息子ばかりで、父親は娘(わたしの母)ばかりという
構図ができあがっていたからだ。
母は自分の父親からは、相当に過保護にされたらしい。
(もちろん、母は母親に愛されたかった、という恨みが強い)

この母の父親というのが暴力夫で、妻(わたしの母の母親)の
世話には向かなかったのだろう、そこで早々に、
息子3人を世話役として調教した、と推測している。
母が思春期の頃、夫婦は別居していたらしく、暴力夫のほうと暮らしていたのが
娘一人(わたしの母)、そして妻のほうと暮らしていたのが、息子3人。
で、母と暮らしていた暴力夫、つまり、母の父親は、母が結婚し、
わたしの父と暮らしはじめてしばらくして亡くなった。
わたしは兄弟姉妹のなかで、唯一、母の父親と会ったことがあるらしいが、
覚えていない。となると、母が23、4の頃には、亡くなったことになる。
娘の保護が終えた、と同時に、この世を去った、といった印象だ。

さらにすごいのは、母の父親が亡くなったと同時に、母の母親は
元の家に戻り、「選ばれた」と思われる次男にあたる息子が
その世話にあたった。別居期間は、そのための準備だったとすら思える。
そして、それから30年近く、長生きをし、余生はゲートボールなどを
楽しんだそうだ。孫のわたしたちには本当に優しいおばあちゃんだったので、
こんな背景があろうとは、昨年、母からきくまでは、まったく知らなかった。

母は父と結婚し、父が世話役を引き継ぐのだけれど、
手をあげなかったとはいえ、言葉や態度の暴力があったはずで、
そういう意味では、母の父親、そっくりだったのではないだろうか。
その暴力性とともに、過保護でもある。
「箸より重いものを持ったことのないお嬢さんだからね、ママは。
パパしかこんな人とつきあえる人いないよ、なーんちゃって」
という父がよく子どもの前で言ったセリフに対する母の反応は、
「なに言ってるのよ」と言いながらも、そうなのよ、勝手で何が悪いの?
とどこか嬉しそうなのだ。

昨年、母はわたしに電話で、
「パパはママのこと、どう思っているのか、さっぱりわからない。」
と愚痴っていたことがあるが、母がいつも悩んでいるのは、
繰り返される夫からの言葉や態度による暴力と、ところどころに
妙に優しくなる態度に混乱しているのは、話からも想像できたが、
それでも、この人(夫)の保護に下にありたい、という思いが
母には今でもずっとある。

20年ほど前から約10年に渡って、母と父は別居していた。
何があったかは知らないが、いずれもその間は
誰かが世話役をしなければならなかったのだろう、
その間に母の世話をしていたのは、たしかまだその頃高校生だった
わたしの妹(Aちゃん)だった。

20年前のその頃は、わたしはすでにPさんと同棲していて、
母を世話することはできなかったし、するつもりもなかった。
このことは、Aちゃんは口には出さなかったが、わたしに対して
恨んでいる気持ちはあると思う。
彼女は10年、母の世話をした。(弟のBちゃんは、自分のことで
精一杯で、精神的にも不安定な時期だったので、男性であったが、
母の世話役にまわるわけにはいかない、といった感じだった。)

お金の問題で、結局、10年の別居生活後、
父の元に母は戻ることになって今に至る。
これはお金の問題、と思っていたけれど、考えてみると、
ちょうどその頃、Aちゃんは結婚し、その役回りから解放された時だ。
それで思ったのは、お金の問題、というより、
世話役がいなくなった、それで夫の元に戻った、と考えたほうがしっくりする。
そこでさらにぞっとしたのは、たったその10年間の「母の自立ごっこ」のために、
Aちゃんは、大事な10年をAC(大人子供)として仕えるべく、
まるで「父の一時的代行」として、それまで調教されたのではないか?
女性でありながらも、唯一、例外的に「奉仕役」を10年とはいえ、やったのだ。

そしてその10年が過ぎ、結婚する。
この男性が実に、「世話役です」と顔に書いてあるような人なのだ。
わたしの印象ではそれを通りこして、「わたしがAを管理しております」と
まるで物を管理しているような、冷たさ、がある。
「Aは僕の目に入れても痛くない」という妙な特別な所有意識。
ただ、これはAちゃんからすれば、「わたしのこと、一番大事に思ってくれる人」
としか思っていないだろうことは、なんとなくわかる。
「わたしのこと、世話しなさいよ」どころか、
「この人、わたしの管理役なのよん(笑)」と自慢していたくらいだった。
いずれにしても、一時、世話役となったとはいえ、
ちゃんと世話される役に、どっぷり、はまった。

という一方で、仕事に中毒しているところがある。
というのも、母から「女はとくに自立しなきゃダメよ。生きていくお金は
自分で稼げないと絶対ダメなのよ」と言われているのが、強く影響していると思われる。
なにより、これが最大の影響をAちゃんに与えた、とわたしが思うのは、
別居時、母が自分ではじめて仕事を持ち、一見「自立的に見えた」
その生活を、「わたしが支えなければならない」とAちゃんに思わせるには、
十分なほどの脅迫があったと想像した。この場面で、母の世話を拒絶するなど、
Aちゃんには想像もつかなかったかもしれない。
よく考えてみれば、子ども(Aちゃん)の世話を必要としていること自体、
すでに自立でもなんでもない。その気分を錯覚して味わっているだけだ。


個人的で具体的な記述が続いてしまいますが、
ここはどうしても記録しておきたいので、もう少し続きます。


弟のBちゃんだが、彼はわたしの家族のなかでは
唯一、「甘やかされた」例外で、そういう意味では伸びやかな面はあった。
ところが、現実社会では壁、壁の連続だった。
お金のことではいつも母と父を困らせていたが、わたしと全然違ったのは
何人の女性とつきあったかわからないくらい、気づけば、
彼女が変わっていた。今、結婚している相手をのぞいては。

これについて考えてみたときに、はっと気づいたのは、
今の相手だけ様子が違うことだった。
結婚したその女性は、一見、こんな弟でも面倒を見てくれる
寛容な人なのだ、そんな人滅多にいないよ、と
わたしたち家族もそう思っていた。

ただ、よくよく観察してみると、そうでなく、
Bちゃんが彼女の世話をしているのだ。
今まで、世話されっぱなしだったのがBちゃんだった。
甘え全開、それでたくさんの女性とつきあった。
絶対うまくいかず、毎回、トラブルばかりが生じる。
でもおそらく、そもそもそれは、彼の特質ではなかったのだ。
それを本人も、まわりも完全に誤解していた。
思えば、彼もまた十分に「父そっくり」であり、彼の考えや行動は
十分に自己犠牲的であり、尽くすことでしか、
どこにも受け皿はなかった、ということではないだろうか。
あの子ども時代の甘えっぷりののびやかさは、結婚とともに
ピリオドをうった、完全に去勢された、といった感がある。

今まで挙げてこなかったが、
わたしの父の父親(おじいちゃん)について。

家系で家業をついでいたから、わたしはいつも学校から帰ると、
おじいちゃんはいつもニコニコ、お店で「お帰り」と言ってくれた。
父の母親(おばあちゃん)もそうだけれど、孫であるわたしには
本当に優しく接してくれた。嫌なこと一つ、言われた記憶はない。

詳しくは知らないのだが、実は、このおじいちゃんは、
考えてみると、おばあちゃんのところに、婿になるべきやってきた人だった。
当時、おばあちゃんはいわゆる都会っ子で、(たしか)女子大を出ていて
お嬢様。だけれど、(たしか)兄弟は3姉妹で、長女。女性しかいない。
それで、地方から働き手として出てきていた男性の一人(おじいちゃん)と
出会い、結婚した。詳しくはきいたことがないのだが、
となると、たぶん、家業を継ぐための男性が必要だったのだと思う。
だから、わたしの父の苗字は、父の母親のほうの苗字だった。

「箸より思いものを持ったことがない」のは、父が言うには
妻(わたしの母)だけでなく、父の母親(おばあちゃん)もそうらしい。
言うまでもなく、これは父の主観なのだが、恐ろしいのは
おばあちゃんもまた、「そうなのよ」とそれを肯定していることだ。
となると、単純に、父の主観だ、とだけ見るわけにいかない。

おじいちゃんの話に戻るが、おじいちゃんもまた、その
「箸より思いものを持ったことがない」おばあちゃんの
完全に「世話役」としてやってきた、と思われる。
家業も社長としてしっかり引き継ぎ、たんたんと仕事をし、
その意味では、父の姿と重なる。
おじろくの親はおじろく、という悪魔を見るようだ。

それと、どこかで父は、自分のその父親にへんなライバル心がある。
何もきいたことはないけれど、同じものを見る目つきだけれど、
ゆえに常に敵対している。今だから思うのかもしれないが、わたしから見ると、
おばあちゃんの取り合いをしているように見えるのだ。
父の心のなかで、ずっと世話をしてあげたいと思い続けたのが
おそらく、おばあちゃん、だったと思う。
父が親は絶対だ、というとき、指しているのは「母親」だと思う。
そして父がわたしの母のことを、たとえばわたしに対して、
「ママが言うことは絶対だよ、絶対に服従なんだよ」と言ったとき、
父が見ているのは、母の中の「母親としての部分」だ。
つまり、そこに「おばあちゃん」を見ている。
このことは、今回の、性の問題と強く関係していると思われる。

もう一つノートしておきたいのは、Pさんの家系だ。

Pさんには妹(Mちゃん)がいる。
つまり、4人家族で、3人女性で、父親のみ男性。

父親側の苗字を名乗っているとはいえ、
Pさんの母が今の住んでいるのは、生まれた家の隣だ。
Pさんを出産した後、10年くらいは都内で生活したらしいが、
その後は地元に戻り、数年前に、Pさんの父が亡くなる直前、
生まれ育った家の隣の新築に引っ越した。
雰囲気としては、Pさんの母が生活の中心をとっている。

Pさんの父の雰囲気は、いかにも九州男児といった感じで、
実際それを誇りにしていたし、表面的には、我こそはといった感じで
Pさんの母が、いかにもそれに尽くす人の「ように」見えた。
やや疑問に感じてはいたが。それは錯覚だろう、と思っていた。

ところが、それは錯覚ではなかった、と思ったのは、
数年前にPさんの父が亡くなって「以後」の、
Pさんの母の振る舞いようだった。
趣味だった一つの分野に「これからとばかり」没頭し始めた。
もちろん、その下準備はずっと続けており、
恐ろしくも、それはPさんの母の母親も、同じ趣味で同じように生きた。

ここでわたしの中で重なったのは、
父と別居していたときの、わたしの母の「自立ごっこ」である。
あの、なんというか、「やけになって」やっている感じ。
今からがわたしの人生よ、という感じなのだが、
何が自立ごっこか、と思うかというと、
Pさんの母も、どっぷりと娘のMちゃん(Pさんの妹)に
頼りきっていることだ。結婚したいとMちゃんは言っている。
だけれど、なぜか、ずっと出来ないのだ。
まるでPさんの母の世話役から離れられないかのように。
これについては、Mちゃんはわたしの妹のAちゃんと重なる。
起きていることがそっくりなのだ。夫がやってきた世話役の代行業務。
いやいややっているのがわかる。だけれど、離れられないのもそっくり。

Pさんの兄弟に男性がいないので、
Mちゃんからすれば、本来なら、Pさんが面倒を見るべきだ、
と思っているだろうが、Pさんは今はわたしを手にしてしまった。
きっとAちゃんがわたしを恨むように、MちゃんもPさんを恨んでいる。
それが態度でじっとりと伝わってくるのだ。
Mちゃんは、就職して初給料が嬉しかったのか、
Pさんやわたしにまで、お小遣いをくれた。
最初だけだろうと思っていたが、また次も、また次も、と随分続いた。
自我復元を開始し、はじめてこれはまずい、と思い、
受けとるのは断ったが、これも何かの伏線だと感じた。
一つの可能性として、「わたしが結婚したら、そのときは
わたしの母の面倒、よろしくね。お姉ちゃんだけじゃないのよ。
あなたもよ(Aby)。」という下準備。

いや、むしろ、わたしに「言ってきた」のかもしれない。
それにずっと気づかなかったのだ。
あなたが世話をするのは、Pさんだけじゃないのよ。
わたしが結婚した暁には、あなたがわたしの母の世話をするのよ、
というもくろみが、おそらく、ある。

Pさんによれば、Mちゃんはなんとか結婚して
仕事もやめて、好き勝手なことをして、
あとは自由に暮らしたい、らしい。
もちろん、Pさんの母と住んでいる今の場所を離れて。
自分を世話してくれる男性を、なんとか、見つけたい一心だ。

Pさんの父は、亡くなる本当に直前、
新築の家は、Pさんの母とMちゃんに残した。
そして、もう住まなくなった家を、Pさんとわたしに残した。
「城」を残して、亡くなった。

Pさんの父が亡くなったときのことはよく覚えている。
それほど苦しまずに病院でなくなったのではないかと思うけれど、
まだ回復するかどうかわからないとき、でも、ほとんど無理だろう
というとき、Pさんの母とMちゃん、Pさんの考えに驚いた。

わたしはもう可能性がないのなら、
少しでも長生きをさせようというよりは、苦しまずに死ねる方法を
家族なら考えるものだと思っていた。
でも、そんなことはなかった。口では「苦しいよね、辛いね」と
手を握ってあげているのだけれど、Pさんたちが考えていたのは、
「苦しくてもいいから、一秒でも生きていてほしい」ということだった。
そしてこうも言った。

「この人もそれを望むはず。たぶん、自分は死なないって
思っているはずだから。何みんな暗い顔しているんだって言われちゃうよ」

ぞっとした。何がわかるんだろう。
見ていて耐え難いものがあったが、むしろ病院の人のほうが冷静に
できるだけ苦しまない方法をとってくれていたように思った。
もちろん、家族には「できるかぎりします」と言いながらも。

それで何がショックだったか、というと、
亡くなった後の、Pさんの母の態度だった。
見た目はなんてことない。手際よく、葬儀の手配をし、
しかし悲しい顔を浮かべている。ごく普通に見える。
だけれど、わたしに伝わってきたのは、これはわたしの完全に主観だが、
「死んでしまったらしかたがない。きりかえましょう」
という、あまりに冷たく、残酷な扱いようだった。
そしてその後、趣味を謳歌する姿に、何のそこに「Pさんの父」を
宿らせないその徹底ぶりに、しかもそれがどこにも無理がなく、
どうやら、世話役が世にいなくなったら、なぜ覚えている必要あるのかしら?
と言わんばかりの雰囲気を、どうしてもわたしは感じてしまう。
単純に、Mちゃんに一時、世話役を担わせるから別にいい、という感じだ。

さらにぞっとしたのは、
このPさんの母の姿は、Pさんそっくりなのだ。
わたしは、このままでは、Pさんの父のように死ぬ、そう思った。
それがまるで、初めから書かれていたシナリオのように。

こう考えていったときに、そのすべてがぴったりとした歯車で
からみあっているのを見たようだった。

そしてこの構図に何が最も特徴的だったか、というと、
実に、この「性別」で、世話する役、される役が、
ぴったり、定められているかのように、ストーリーが進んでいたことだ。
もちろん、これは偶然の一致かもしれないが、
さらに考えていくうちに、偶然の一致にしては上手くできすぎている、
と感じるようになった。



・・・『③いけないと思いこんでいること」に続きます。



2014.06.05
Aby


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by jh-no-no | 2014-06-09 06:57 | 復元ノート 1


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