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① 自分の上に置いたもの

桜の間の記事

http://www.mumyouan.com/k/?S337

http://www.mumyouan.com/k/?S341

に掲載の、崩残さんからの返信メール(一部)をいただいた前後に、
考え、感じたこと、分析の途中経過を一度、整理し、ノートします。
(記事からの抜粋は、前者の記事からはピンク文字、後者の記事からはオレンジ文字です)

というよりも、まだまだ整理つかない部分も多いので、途中経過をまとめるというより、
これからどこを掘り進めていけばいいのか、どこに大きな問題があるのか、
そういった箇所をわたし自身が俯瞰して、検証していくためのメモとして書いてみようと
思っています。


追記:報告メール(後者の記事内の返信メールとセットの報告)は、
    「②-1 自分の上に置いたもの」、と、「②-2 自分の上に置いたもの」に分けて、
    記録として掲載いたします。(一部、個人情報に関する部分を割愛しています)



・・・


自分の上においたもの、利他、罪悪感、これらについて、
今回、はじめて考えることになった。

自分の今やっている仕事や、今までやってきた活動は、
一般に利他活動、利他行為、と呼ばれやすいものなのだが、
いまいち、利他、というのがよくわからず、仕事や活動をしていた。

「相手のために」ということなのかな、と漠然とは思っていたのだけれど、
この「相手のため」というのが、わたしにとって、そもそもが
リアリティーのない、言葉だけのものだった。

だから今までも、相手のために、と口にしても、
よくわからなかった。


思いこみを掘りおこしていくうちに、
自分のなかに、こんな刷りこみが見つかった。


「自分の人生を生きること以上に、もっと価値があるものが、
この世の中にはあるんだ」


というもの。これは、幼い頃から当然のようにあったもので、
こんなふうにわたしは思いこんでいた。

「自分のことはたいしたことなく、どうでもいいから、
大事なことは、それ以外の他のところにあって、
〝そこで〟生きることが大事なのであって、そこにこそ、
自分がすべき使命や正解があるに違いない・・・」


自分以外の他に価値がある、という根拠のない思いこみ。
「自分のことなんて・・・べつに、たいしたもんじゃない」
というもの、ここに疑いを持ったことがなかった。


この利己否定の姿、調教の果てに植えつけられ、
強化されられ、自分でも強化してきてしまったものだが、
この利己否定に疑いを抱いていない自分の姿をみたとき、
これこそが、

「自己否定」

そのものだと思った。

この自己否定、自分のなかにある自己否定こそ、
わたしがすりこまれ抱いていたもので、
その「相手のために」というイメージは、毒親があてがったもの、
言葉だけの、実感のないものなんじゃないか、
だから、よくわからなくても当然で、つまり、わたしは今まで自分で
「利他」という言葉を定義したこと自体、
一度もなかったのだ。


あらためて、そこから考えていくと、少なくともわたしの頭にあった
(植えつけられていた)利他というのは、完全に、自己否定がベースにあって、
とる行動は、自己犠牲的な行動で、そこで起こることはいつも、
「自己犠牲の上に成り立つ搾取」で、それを前提とした利他だった。


相手のため、相手のため、と言うけれど、
それはどういうことだったか、というと、結局、

「自分のことは我慢しましょう。そうすることで、
得する人がまわりにいますよ。そういう行いをしなさい」

という毒親の声で、
どんな得が相手にあるのかすら自分の頭で考えたことがなく、
そっくりそのまま、「親が言うのだから、そうなんだろう」というふうにして
鵜呑みにした。

今回、他人、とくに、Pさんにとって、
「どんな得があったのか?」というところから考えてみたけれど、
どれもこれも、「得」といえるようなものではなかった。

共依存のまま、自立とはかけ離れた生活。

そういう生活でもわたしはずっと、
こういうのを「幸せ」というものだ、と思いこんでいたし、
これ以上の何かを求めることは、どこかいけないことだ、
とすら思っていた。

客観的に見えれば、どう見たって、不幸だ。
どこも楽しくない。それはPさんもそうだろうけど、
まずわたしが楽しくない。そう考えると、誰一人として

「楽しくなった人」
「幸せになった人」

が見つからなかった。

崩残さんからの返信メール(後者の記事に一部掲載)を拝読し、
その直後に、真っ先に思ったこと、というか、
強く確認したことは、この


「誰一人として幸せになど、楽しくなどならなかったこと」

と、それと、

「わたしは生きたい、生きようと思っていた」こと。


この二つのことを思ったとき、わたしはこれまでの人生が
大失敗だったと思った。やり直そうとか、巻き戻そうとか、
そういうレベルでなく、生きなおす、というか、
生きかえすことをしなければダメだ、と思った。

以前、「死後に、自分の人生はどんなものだったか、と問われたとき、
どう答えるか?」という自問をしたことがあった。

そのとき、わたしは、

「自分の人生をもっと生きたかった・・・けれど、
Pさんのために生きられたことは、幸せだった(と思う)」と答えるに違いない、
と思った。


でも、実際は、Pさんに対しても、また、利他活動と称して
今まで行ってきたなかで出会った人々に対しても、
口先とは違う真反対の歪んだ感情を植えつけ、結果、
不幸にしただけで、誰のためにもなっていない。

それに、一番問題なのは、

「もっと自分の人生を生きたかった」

という後悔、これだけはしてはならないのに、
わたしはこれを認めていた。


なぜ、これを認めてきてしまったのか?


これを掘り進めていくと
毒親に行き着く。


「二十歳になったら好きなことしなさい。
自由に何でもやりなさい。それまでは親の責任だから、
親の言うことには従いなさい」


なんて馬鹿だったんだろう、と自分で思ったが、
わたしは、二十歳までは自分はないがしろにされていい、
ないがしろにしてもしかたがない、と思ってしまっていた。
二十歳になれば、成人すれば、わたし一人が主人公の
自由満開な未来が待っている・・・

わたしはそう信じて疑わなかった。


それだけじゃない。


とくにわたしの父はよくこんなことを言って聞かせた。

「Abyにしかできないこと、Abyだからできることがあるんだよ。
Abyは自分はたいしたことない、と思っているかもしれないけど、
そんなことないんだよ。パパから見れば、超すごい。特別な人間といってもいい。」

こういう話を小さい頃から何度もきかされていると、
そう思ってしまうようだ。
と思ったのも、わたしは運命とか占いとか、まったく信じていないのに、
恥ずかしい話だけれど、わたしはずっと、
「自分は特別な人間だ」と思ってきたから。

何か特別な星や運命のもとに生まれてきたんだ、
というくらいの思いこみはあった。そういう思いこみがなぜあるのか?
どうして自問したことがなかったか、ということのほうがおかしなことだが、
それだけ父親からの洗脳が見事に成功していた。


じゃあ、その「特別」って何?

と考えると、

「わたしには、すべきことがある(はずだ)」

という、妙な使命感だった。


それじゃあ、その「使命」って??と自問していくと、
結局それは、先ほどの「利己否定」につながっていく。
自分以外のどこかに、大事な、すべき何かがある、という考え。


この段階で、自分以外の「何か」に舵を手渡している。


こういう利他性に毒された思考と、それとは真逆の、
「自分が主人公の人生をやっと始められる」
という思いに、わたしは分裂してしまった。
(わたし本人は、両立できている、と思いこんでいたが、
それは間違いで、舵はいつも、相手側にあった。)


成人してまもなくわたしはPさんと出会った。


今回、「Pさんとの同居で、わたしが失ったものは何か?」
というもののなかで、わたしのなかで、一番、大きかったのが、

「自分が主人公の人生」

というものだったが、よく考えてみると、これはとっくに初めから
「親との関係」においてすでに失っていたのだ。
ただ、そのことに子どもの頃は気づかなかった、麻痺していただけで、
つまり、わたしは、「子ども時代はそれでいい」と思ってしまった、
思わされてきてしまった、ということだった。


「成人後から」

手にするのが、

自由や、自分が主人公の人生なのだ、

と、疑いもせず、言われるがままに、そう思っていた。

「大人になったら、自由になるんだよね」

と思いこんでいた。


言うまでもなく、主体性ゼロで育ってきて、成人後になって
さあ自由にやるぞ、なんてできなかった。
やったつもりにはなったけど、いつもどこか不安で、情報をあさり、
何でもバカにできるんだぞ人格やこれでいいと言ってもらいたい人格など、
どんどんAC人格を強化し、のさばらせて、自由になったつもりでいた。
自分がコントロールできるような環境を整え、そうやって
自分の世界、自分の時間と思いこめる環境を作っていった。

考えてみると、親が目の前からいなくなったから、
わずか羽を伸ばした気になっただけで、
「自分が生きている」と自分を錯覚させるAC人格の手口は、
子どもの頃と、なんら変わりはない。


まもなく、Pさんが現れる。


親からPさんに切り替わっただけだった。


わたしはPさんに自分の人生を奪われた、と思っていたけれど、
奪ったのは、そもそもは親だった。
まるで申し合わせたように、タイミングよく
親からPさんにバトンタッチした。


自分が主人公でない人生が、
「継続した」だけだった。


いつか自分の人生が生きられる、という妄想が
ただ延長した、ということ。


終わることのない利他の強制。


自己犠牲の上の搾取というものが前提にあって、
そこに、「自分が主人公の人生」などあるわけがない。

でもこれに気がつかなかった。

「自分以外の他に、もっと価値があるものがある」
という考えに完全に毒されていた。

自分さえ我慢すれば、自分が少し犠牲になれば、
誰かは何かの得をし、そうすることが
「わたしにだけできる使命」に違いない、わたしは
その使命をきちんとまっとうすること、これこそが
わたしにしかできない人生であり、それをつかむことが
幸せであり、そういう人生を歩むことが自立だ、
と思っていた。

しかし、このストーリーは親仕立てのストーリーであって、
このストーリーの結末は、わかりきっている。


「もっと自分の人生を生きたかった」


という後悔で終える、ということだ。

親仕立てのストーリーでほくそえむのは
AC人格であって、わたしじゃない。


契約の破棄、ということを決意しよう、としたときに、
わたしのなかで、「平気だ、こわくない」で誤魔化してはならない
問題があると思った。


>楽しくもないし、
>自分の意志も思考も、自由に行使できない、

>そんな契約違反の生ならば、
>殺したければ、この私を殺せばいい。

>何がどうこうしたら、お前は死ぬぞ、とか、
>何をしないと、お前も死ぬんだぞ、とか、

>そんな、情けない、脅迫しか出来ない、間抜けな生命を、
>いつまでもやっていたいならば、
>私を好きに、殺しなさい、あるいは苦しめてみなさい。

>あなたたちが、愚か者にとどまるために、
>そうしたければ、そうしなさい。

>二度と私はあなたたちのような愚か者とは
>契約などしない。


この箇所を読もうとすると、ひるんでしまう自分がいた。

どうして、こわい、と思ってしまうのか?

もう一度、罪悪感を掘り起こしてみる。


具体的な「何か」というのはわからずも、こういう感覚があったことに、
昨日、気づいた。

初回の判定依頼で、わたしは「苦を回避すること」がわたしにとって重要なことだ、
と書いたことを思い出した。どうしてそう思うか、というと、「こわい」からだ。


こういう場面を想像した。
わたしが一番、想像したくない場面だ。


突然、誰かにつかまって
どこか知らないところに連行される。
これから何をされるのかわからない。

なぜわたしがつかまったのかも
わからないまま、処刑されるようだ。

何も知らされないまま、拷問を受け、
処刑され、苦しみ続ける。

わたしはその時、何を思うだろうか?
それはきっと、こうだ。


「きっと自分は何か悪いことをしたに違いない」


>最初からまるで、何かの犯罪をしてしまった罪人」
>であるかのように、はなから思っている部分がないか



これがまさに、それそのものだった。
わたしは昔から、不幸な死にかたをするのではないだろうか、
酷い死にかたをするのではないだろうか・・・という考えが自動的に
頭によぎることが多い。

なぜ、こんな考えを、自分で納得してしまうのか?
というのを考えてみると、それとつじつまを合わせるかのように、
「きっと自分は何か悪いことをしたに違いない」というものがあって、
さらにそれはどういうことなのか、と考えてみると、


「すべきことをしなかった」
「忠実に従わなかった」

という、忠誠心に対する裏切りの感覚だった。


利他とか使命とか言うと、一見、美しい何かのような
錯覚を抱きやすいが、まったくそんなものじゃなかった。

利他や使命にわたしを駆り立てているものは、
その忠誠心を裏切ることに対して
「ちらつかされる恐怖」だった。


父はこんな話をよくした。


「パパがいるから、Abyは当たり前と思っているこの当たり前の生活ができて、
ママがいるから、Abyは生まれてこられたし、こうやって生きていられるのもママのおかげ。
パパもママも同じだよ。パパとママのお父さんお母さんがいるから、パパとママがいる。
人間は一人では絶対に生きてはいけないんだよ。
だから感謝の気持ちは大切なんだよ。誕生日というのは、その感謝の気持ちが
自分にあるかどうか、自分で確認する日なんだよ。」

と、美談のように話してきかせた。


「パパとママが死んだら、Abyはこの世にいないし、生きていけないんだぞ」
と言っているのと同じじゃないか?


こういう話の後は決まって、こういう展開になる。

「・・・だから、親は大事なんだ。それだけ親は子どもに対しての
重い責任を両肩にのせているんだ。その重圧を背負っていく責任が
親にはあって、子どもは親の言うことにきく(従う)責任がある。
二十歳までは親の言うことは絶対なんだよ。それが親と子の責任。
二十歳過ぎたら、もうそれは自立した立派な一人の大人なんだから、
自分が好きなように自由に生きていきなさい。」


つまり、こう言っている。


「パパとママが死んだら、Abyはこの世にいないし、生きていけないんだぞ。
それが怖ければ、言う通りにしろ。わかったな、自由?そんなのおあずけだ」


わたしが幼い頃、屋上で作業をしていた父が「おっとー」
と言って、ビルから落ちそうになった。(今思えば、落ちることはなかったと思う)
わたしはそのとき、「やめてくれ」と思った。
というか、冗談じゃない、冗談にならない、とすらも考えられないほど、
「父が死ぬこと」は想像もつかなかった。

同様、母が死ぬことも。

想像してはならないことだった。
なぜなら、絶対にあってはならないこと、と思っていたから。

わたしは、なんというか、「親のいない、死んでしまった世界」に
「わたしが生きている、存在している」なんて、なんて恐ろしいことか、
そんなことはあってはならない、ありえないという恐怖を感じていた。
(Pさんに対しても、似たような恐怖が強くあったのもそのためかもしれない)

幼い頃、すでに「親がもしも死んだら・・・」ということを想像し、
恐怖するように調教されていたのは確かだ。
それは悲しいというようなものでなく、そのときは、
「自分は生きているとは思えない」、それはわたしにとって、
「死」を意味していたのだと思う。


>「お父さんやお母さんが、もしも死んだら、お前も死んだり飢えるぞ」


という直接的な脅迫、死という言葉を使っての脅迫をされた記憶は
今は思い出せないが、ほぼそれと同じ脅迫があったのではないか。

この仮想の恐怖が巣食っているのではないだろうか?

契約の破棄を考えるときに襲ってくる恐怖は、
外からやってくるものじゃない。
違反をしたら、破棄したら・・・と怯えているのだとしたら、
それはわたしのなかに、

「従わなければ罰せられる」

という恐怖が巣食うためだ。
それをわたしが認めているためだ。

それは、従いさえすれば罰せられない、というカードを
手元に切り札として持っている、ということ。

持たされ続けている、

ということだ。

もちろん親から、だ。
だけど、今その幻想のカードを持っているのは
わたしなのだ。

なぜ、そんな不当な契約に従わなければならないのだ、
だいたい、なぜ、罰せられないとならないのだ、
罰したりするお前は誰なんだ?、
なんの権限があって、わたしにそんなことできる?!


せめぎあっている。


こわい、を作り出しているのはわたしだ。
不快を掘るときもいつも思う。
だからこそ、舵も、わたし側、わたしの手元にある。
不快であろうと、恐怖であろうと、それを直に見て、
舵をとるのは誰かではなくて、わたししかいない。


「わたしは契約を破棄する。
こんな、人を脅し、怖がらせ、おとしめ、
人の人生を奪い、すべてを不幸にする契約など、
そんな不当な契約は、わたしは破棄する。」


それをどんなときも、本心から言いきれるか?

不当に扱われそうになったら、「失せろ」と言いのけられるか?


自分の上に置いたもの、
それは人であったり、言葉であったりする。

親という絶対者、それは承認を与える人であり、
同時に処罰できる人、そういうふうに自分が思いこむやいなや、
即反応、即行動しなければならない、と思ってしまう。

なぜか、それが忠誠心の証のように思っている。
だから必死に、「これだけ一生懸命やっています」
「言う通りにすぐ動いています」というパフォーマンスをしようとする。

もちろん、これの動機にあるのも「恐怖」だ。
見捨てられてしまう恐怖、罰せられてしまうかもしれないという恐怖が
沸き起こってくる。

こういう恐怖を、じっと見てみる、ということを
今までしてこなかったので、ここ数日、
こういう恐怖によって、どういうことがわたしに起こっているのか
見てみることにした。


即行動、によって何が失われるのか?
逆にいえば、誰かどんな得をするのか?


この恐怖の間、わたしに起こっているのは
「思考停止」だった。

だから、何も味わえない。目の前のもの、
それは楽しいことだろうが、不快なことだろうが、
そういった経験そのものを、まったく味わえていない。

機械的な反応、とりいそぎのはりぼての反応だから
そこに実感もリアリティーもなく、不毛で、
なにより問題だ、と思ったのは、
まったく自分で舵がとれない、とれていないことだった。


即反応しないと、殺されるとでもいうのだろうか?


そんなことはないのだ。なのに、わたしは焦る。
それで失うものは大きい。毎日の、今その瞬間瞬間の、
出来事、そこから感じること、経験すること、全部が台無しになる。

不快さえも、感じとることができない。
これって最悪じゃないか。

こうやって思考停止することで、
誰が得するのか、と考えると、これもやはり親に行き着く。

「言われたら、考えずすぐ動け」

以前、母が言っていたのは、
「Abyに意見なんてきかなかったわよ。
こうしなさい、はい、という感じで、Abyは文句ひとつ言わず、
ちゃんとこなしたわよ」ということ。

子どもとして、完全に異常だ。

でも、そうすることで得をしたのは親だったはずだ。

いったんこのような思考停止状態におとしこめれば、
リアリティーがどこにもない「言葉」で、
いくらでもどのようにも調教できる。

言葉に親がのりうつっている、ふうでもある。
父の格言は、その代表格だった。

わたしが「言葉」というものに、いとも簡単に
左右されるのも、ここに大きな原因があるのではないだろうか。

親が元じめ役だけれど、言葉はまるで手下のように、
しかし、つねに「わたしより上」にいる。
最悪なのは、自分のノートの自分の言葉、
自分のブログの自分の言葉にすら、自分の頭のなかの言葉にすら、
強く支配されることだ。

自分の舵を、言葉にも手渡してしまっている、ということ。
よく観察すれば、そこにリアリティーはどこにもない。
へんな言い方だけれど、「こうしなきゃダメだぞ、Aby」というように
わたしを処罰する権利を、わたしが言葉に与えてしまう。

こんな取引をするのは、わたしのAC人格で
「今度はこれにすがっていれば大丈夫だろう、これでいいんだよね」
というふうにして安心を得ようとするのだけれど、
いつこの安心が崩れるのか、つねにビクビクしている。

自分の言葉だけじゃない。

他の人が書く言葉を曲解するのも同じで、
自分の意思、自分の意見がないから、曲解、借用(悪用)する。
「自分の意見だ」といくら言い張っても、本心ではそうでないことを
自分でもわかっているから、いつそれがバレるか、
ビクビクしている。

自分が書くにしても読むにしても、自分の言葉でない、
ということを自分で知っているのに、嘘をつき、
それとひきかえに、言葉に舵を渡してしまっている。


「すべきことをしないと、死ぬぞ」


すべきことを決めるのは、わたしだ。


はなから囚人のように思っている罪悪感と、
利他性に毒された思考、それにダイレクトに影響している
「どうせ自分なんて・・・」という自己否定とAC人格。

掘っていく箇所をひとつひとつ、
確認していこう。

使命とか、忠誠とか、そういうものにすがろうとすることもなく、
それを幻想上の利他行為で満たそうとする必要もなく、
邪魔されていい時間など許容する必要もなく、
どこもいつも誰からも邪魔されることなく、
自分が主人公の人生を生きていく、という、
その当たり前の、当初の契約をまっとうしていくという
ストーリーをとり戻したい。



 ・・・ 「②-1 自分の上に置いたもの」に続きます。



2014.04.03
Aby



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by jh-no-no | 2014-04-03 03:01 | 復元ノート 1


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