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(前半) 「やってみる」の壁

「ちょっとやってみる」


今日もこのことを思ったのだけれど、この

「ちょっと、やってみる」というのが、実は壁だった、
ということ自体、長い間、気がつかないものだった。

だいたい、ちょっとやってみる、というのは
わたしにはなかった。

やるからには、そこに意味がなければいけない、
価値がなければいけない。
漠然とそういう観念が、当然のようにあったから。

でも、これは聞こえのいい、チープな格言そのもので、
その観念の裏側には、毒親調教由来のものがある。


だから、間違ってもいいからやってみる、とか、
「これだ、これで〝いいんだ〟」と決めつけないでいいからやってみる、とか、
すごく簡単な言い方をしてしまうと


「チェレンジする」


というのが、皆無だった。

以前、10歳頃のわたしの映像が残っているVTRを見たときも、
一番末の弟とわたしは、まったく違う行動をしている。

弟は「なんでもやってみる」を普通にやっているのだが、
わたしはいつも、事前にわかっていることを「こなしている」だけで、
ワクワクも、ドキドキも、ない。
一方、弟は、「こわいよ~」と言いながらドキドキいろいろやったり
やんなかったりしているし、「やったー」とか言って調子にのって
ルンルンしている。彼には少なくとも表情がある。


なぜ、チェレンジができないか?


このあたりを、今回は集中的に掘り下げてみた。


・・・


2月の末までに、わたしはひとつ、「決めよう」と思っていたことが
ありました。

それは、今やっている内職を、継続するか、それともどうするか。

内職というのは、今まで何度かブログにも書いているもので、
3年前くらいから、仕事とは別に、無償活動のボランティアとしてやっているもの。

例年この時期は寒いし、灯油も使うので、年始から一定期間は休むのですが、
再開することをためらっていた。

理由は、この内職を開始した動機というものが、
以前にもブログで書いてきた通り、


・ Pさんに自分の価値を認めてもらいたい。
  (または、自分の価値を認めてくれなかったPさんへのあてつけ)

・ Pさんから抑圧された性的不満を吐き出したい。

・ 両親が抱いている「母親への恨み」の代理復讐のため。


AC人格にとって、居心地のいい場所を作った、ということ。
昨年の段階でこのことは見えてきて、だったら、
「そんなのやめてしまえ」となるのが当然に思えたのですが、
そんな簡単ではありませんでした。

というのは、これだけの「続ける意味のない理由」が整っている
にもかかわらず、わたしはすぐには、


決められなかった。


どんなにAC人格の言い分、続ける理由、やめる理由、
どうしてそう思うのか・・・などなど、いくらノートに書き出しても
どんな説得力のある理由を思いついても、決められなかった。


なぜなら、それは「理由」でしかなく、
わたしの気持ちでもなく、どれもまったくリアリティーに欠け、
思ってもいないことを言う(=嘘になる)ことになるのは
明白だったからでした。


決めなきゃ、決めなきゃ・・・


そう唱えていただけで、完全に思考停止していた。
2ヶ月考え続けて、結局、決められなかった・・・
と思ったときに、ふと、

この「決めなきゃ」って何だ?

と思って、遠回りでも、そこから舵を取り直してみようと、
しばらく試した。


なんで決めなきゃならないのだろうか?


わたしはいつもそうだ。


これでいいんだろうか、これで大丈夫だろうか、
絶対?本当?・・・そんなことの繰り返しだ。


感情すら支配しようとする。
つかまえて籠に入れようとする。


掘り進めていくと、この自動的に沸き起こる「決めなきゃ」の背景には、
それ以前に埋めこまれた「自己信頼のなさ」が見えてくる。
自己決定がゆるされなかった過去が見えてくる。


毒親は、どうしてこんなことをしたのか。


わたしが自分で決められないと、
親にとって何が「いい」のか。


そこで思い出したのが、「親が絶対だ」という両親の価値観だ。

「親が死ねといったら、子どもは死ぬのが当然」
「親が人を殺せといったら、子どもは殺すのが当然」

当たり前のように子どもに言い聞かせていた父親だが、
当たり前のように、これが親を敬うということだ、と信じていた
わたしもわたしだ。


「自立しなさい」
「自由に生きなさい」
「個性的でありなさい」
「自分を大事にしなさい」
「自信を持ちなさい」


こういった道徳めいた格言には、
実は例外があった。


それは、


親、という例外だった。


親のためには、こういったことも我慢しなさい、という
例外がつねにあったことだった。


それをわたしの両親は、別の言い方で、


「親孝行」


などと言いかえた。


親のためなら、と枕詞のようにつければ、
自立するな、自由などない、個性などいらん、自分を犠牲にしろ、
自信?・・・調子にのってんなよ、という言い分が、


「親にだけ」


は、ゆるされた、ということであり、

大きな間違いは、それを、

わたしがゆるしてしまった、ということだった。


そして、その「親の主張だけ」があっただけなのに、
わたしは、この家庭には、自立とか自由とか、
そんなものがあると「信じこまされただけ」だった。


実際は、そんなの、ないんだ。


親の都合、父親でいえば、キャバクラで自慢したいから
「そういう子を育てた自分」に酔いたいだけ、
母親でいえば、「自分の母親のようにはわたしはならなかった」
という証明のためだけ、ただそれだけのために、
しかも、最後はボロ雑巾のように、「幸せにはさせんよ」と
恨みを子どもにコピーした。

しかも、成人後も、Pさんや内職などもあてがい、
念には念をいれて、これでもか、というくらい定着させようという
執念すら感じる。両親の母親への恨みは「尋常じゃない」と感じた。


そこにあるのは、ただ、


親の都合、だ。


「自分で決めなさい」と、決められないのをわかっていて、
あの二人は、ずっと、わたしに言ってきたのだ。


進路を決めるときも、

「私立に行ける子は、それほど多くないんだ。
別に私立に行けるのがエライわけじゃないよ。
でも、行ける環境がある、そういう環境がこの家には、
Abyには用意されている、ということ。
それは知っておいたほうがいいよ。
さあ、自分で決めてごらんなさい」

と、くるわけだ。


ここにまた、事前の「仕込み」がある。

それは、親は完璧であり、我が家は理想の家庭だ、
という洗脳だ。


そのことについても考えてみた。


店先のゴミ箱でみかんの皮をむいていて、
振り向いたら片手のないおじさんが、真後ろにいて、
こちらを見てニヤニヤしていて、すごく怖くなって逃げた話を前に書いた。
片手がないおじさんじゃなくても、誰だって真後ろに
急に立っていたら、きっと、すごく驚くと思う。


問題は、このことを、なぜ、母に言えなかった、ということ。

なぜ、この気持ちの動揺、困惑を言えなかったのか?


わたしは、これは「言えない」と思った。
こんなことを言ったら、母の顔色が変わってしまう、と。

この、顔色が変わる、というのは、
「ありえない」「あってはならない」という合図のようなものだったと思う。
そこには、親に心配をかけてはいけない、親に気遣いをさせてはいけない、
親を困らせてはいけない、というのが当然のようにある。


困ったのは「わたし」のほうなのに、
わたしはそれが言えないのだ。


その「困ったんだよ」という一言が言えない。


わたしは、困ったんだよ、って言いたかった。
怖かったんだ、って。びっくりしたんだって。


「目つき、態度、言葉づかい」というのは、
母の口癖だった。それだけできれば、人間としてOKだ、と。

先日、はっと気づいた。

これって、もしかして、母が、
「私の目つき、私の態度、私の言葉づかい」に
注意を配れ、という意味だったんじゃないだろうか?


こういう手口は、母も父もよく使う。
最悪なことに、わたしにも感染し、わたしも使ってしまっている。


それは、

「目つき、態度、言葉づかい。ね、これは、
〝あなたのために〟言っているんですよ」という嘘だ。


相手のために、あなたのために、というのは、
自分の気持ちを隠すために、都合のいい方法のひとつだ。
これは子どもの頃の些細なシーンにもよくあった。
たとえば、「遠くに行かないのよ、危ないからね」と、いっけん、
相手のこと、子どものことを思って言っている「ように」見える。


でもそれは、嘘なんだ。


母の本心は、

「遠くに行かれると、見えないし、怪我されても困るから、
遠くに行くな。追いかけるのも疲れた。もういい加減にしなさい」だ。

そうやって、我慢を「利他的なもの」に置き換えて、最後には、
自分でも何を我慢していたのか、わからなくなってしまう。
逆にいえば、それが我慢の正当化になっているし、
我慢の口実になっている。


「相手のためにやる」


ということの動機の多くは、別の目的のため、つまり、
「感情を抑圧することを正当化させるため」だ。
それこそが大人で自立した自分であることを自己確認するために。
そういうと、多少聞こえがいいが、ただ、相手をバカにするためだ。


利他という大義名分を、いつも、笑いたくもないのにまわりに
あわせて笑い、怒りたいのにそれを押さえこむ、そういった
感情の逃げ道として利用したに違いない。


わたしもずっとそうだったから、
親がそうでなかった、とは思えないし、そうは言わせない。


・・・気持ちがエスカレートしてしまって、話がそれてしまったが、
両親ともに共通するのは、顔色ひとつで、子どもをコントロールしたことだ。

「うちは理想的な素敵な家族なんだよ、こんな素晴らしい親は
いないんだよ。Abyたちは恵まれた子だ。幸せを感謝しないとね」
という、まるでカルト宗教のような巣窟にいると、親の顔色が曇ると、
ただそれだけで、「これはあってはならないのだ」という気にさせられる。


母は、いとこや他の子育て家庭の母親、そしてその家の子の
悪口を言う。軽蔑に満ちていた。

父は「あんなバカはこうなって当然だ」とボコボコにする。


二人とも、子どもたちのほうを振り返ると、
別の顔。気持ち悪い・・・


「ああなったらおしまいね。あなたたちは、違うでしょ」
「お前たちは、あんなバカとはぜんぜん、違うんだよ」


上手く言えないけれど、わたしの家族には、
「間違い」というのはなかった(と思いこまされていた)。

父と母に共通するもう一つの態度がある。

それは、

「わたしたちは、絶対、間違っていない」

という傲慢な態度だ。

自分たちは、「礼儀」正しく、「常識」がある人間だ、
と思いこんでいる。

父の口癖、

「親に言っていいこと、悪いこと、わかるよな、Aby」

この分別ができることが、どうやら、両親の言うところの
礼儀であり、常識のようだった。
あくまでも母と父にとっての「都合のいいそれ」であり、
そういうものの寄せ集めで、

理想の家庭、
幸せな家族、
誇らしい完璧な親、

というものが捏造されていた。


理想的で、完璧で、問題のない家族(という虚像)。


だから、困ったり、悩んだり、不快に感じたり、
そういうネガティブと思われる感情の存在は、
「あるわけがないもの」(と思いこまされてきた)
だったから、たとえば、片手のないおじさんが立っていて
すごく怖かったり、びっくりしたり、困ったりすると、

「こんなことはあってはいけなかったんだ。
自分が何かいけなかったんだ。自分がおかしい。
こんなことになった自分に問題があるんだ。」

と、ここが唯一のおとしどころだと、思いこんでしまう。
それで納得しようとしてしまう。
理不尽に感じてしかるべきなのに、自己嫌悪どころか、
納得してしまい、苦を苦と感じなくなっている。

親からすれば、「しめしめ、自分が招いた種だ、と
思いこむなりして、なんでもいいから納得していろ」
といったところだろう。


困ったなら、困ったと言えばよく、
自分のせいだ、と思う必要などないのに、
仮想の恐怖が植え付けられているために、
こわくて言えないのだ。


「何てことしたんだ!」
「何てことしてくれたんだ!!」


そう相手の顔色が変わることを極度に恐れている。

冷静に考えてみれば、もしもわたしに問題があったとしても
「ごめんなさい」と謝ればいいわけで、改善すべきことがあれば
見直していけばいい。


先日、ふと思い出したのは、両親特有の

「ゆるさない」

という、そのメッセージをこめた、あの顔だ。


わたしにとって親は、「ゆるさない」ことがありうる人だった。
実際には、ゆるされずに暴力を受け酷い目にあったという記憶は
思い出されない。でも、わたしの中に植え付けられているのは、

「いざとなったら、ゆるさない」

という親の顔であり、親の絶対的なイメージだ。
顔色で出すサインは、相手に外傷(という証拠)を残さない。
あざを残さない姑息なやり方。


ゆるされないかもしれない、と思ってビクビクしている子が、
「自分が悪かったかもしれない・・・」と思った出来事を、
包み隠さず言えるだろうか?


実際には、「困った」だけだ。


でも、それと、「わたしが悪い」という自責の念や自虐と結びつけられたとき、
わたしはその困ったことを、なんとか〝隠そう〟とする。


わたしの隠蔽体質の正体が、
少しずつだけれど、見えつつある。
「わたしは間違っていない、わたしのせいじゃない」と
必死になるのは、隠そうとするからだ。


何を隠したのか?きっと、それは


「困った」


という感情だったのではないか。


だいたい、わたしのせいだからって、何を恐れる?
わたしが間違っていたとして、何を恐れる?

見ていけばいくほど、何にこわがっているのか、
わからなくなっていく。決めなきゃ、と同じで、
こわい、こわい、と唱えて思考停止しているだけなのだ。


そもそも、どうして「困った」という感情を出させなかったか、
ということだが、考えてみると、これまた、親たちがただ、


「うちの家、困るようなことなんてないんです」


という、虚勢をはりたかった、というだけ、
たった、それだけの親の都合のためだけに、
仮想の恐怖を植え付けんじゃないか・・・と思ったが、
ただそれだけじゃなさそうだ。


親の都合が悪いようなことは、顔色ひとつで自動的に
「自分が悪い、自分が間違っていたんじゃないか」と思いこんでくれて
納得してくれて自己完結してくれることは、まず、
親が手を汚さないで済む。


「わたしたちに都合がいいことだけ、報告してね」


という調教に成功する。


結果、わたしは、「あなたたちの都合のいいことってなんだろうか」と
親の顔色をうかがうようになる。
当然、不快にさせることは言わない。言えない。

最悪なのは、自己決定なんて口だけで、
「そんなこと、絶対にさせまい」として育ててきたから、
わたし自身の基準、というか、決める経験とか意思がないから、
相手のことを考えて、相手にあわせて、相手が何を要求しているのかを
読み取ることは、むしろ、進むべき道を照らしてくれる「救い」と錯覚する。

しかも、その救い、親の指針を読み取ることで、
「自分で決めてごらん」となるわけだから、判断基準をつねに
誰かや何かに依存し決めること、それがイコール、
「自分で決める、ということ」と思いこんでいるから、
一生、「なんでも自分で決めた」と誤認して生きるハメになる。
(自分で決められたね、という飴の記憶が、さらに厄介にさせる)



「決めなきゃ」


と焦ってくれれば、毒親の思うつぼだ。

「自分は間違ってしまうかも」という事前に仕込んでおいた自責と
恐怖があるから、いざ決める場面になると、


「決められるわたしであるはずなのに、実際は決められない」


だから、思考停止する。それ以上、考えられなくなる。

わたし本人は「決めよう」としているのだけれど、実際にやっていることは、
「決めてもらいたい」ということに、やっきになっているだけなのだ。


この、


「決めてもらいたい」


という動機がわたしの中にあることに、
なかなか気づけなかった。


内職を続けるか、どうするか、わたしは「これを考えるために」、
その根拠を昨年から探そうとしていた。

その過程で、わかってくることもあった。
不純な動機でやっていたこともわかってきた。

でも、さらに問題だったのは、
いろいろ理由をつけて、わたしは、
「決めてもらいたかった」のだ。

最もらしい理由に「決めてもらいたかった」という、
この動機こそ屈折していたのだ。


「桜の間でこう書いてあったから」とかいろいろ読み返しては、
「やっぱりこういう動機でやるのはAC人格なんだ。だから、
こんな活動続けているのはよくないんだ」と。


そうかもしれない。


そうかもしれないが、ここにわたしの意思はあるのか?と
いざ向き合ってみると、どこにも自分の意思などはなかった。
これでは、

「AC人格の出番をつくることになるのでやめました、でいいですよね」

という人格をもう一度、作ってしまうだけ。


問題は、そうではなくて、なんで、決めなきゃと焦り、
思考停止し、誰かや何かに「決めてもらう」とするかを、
洗脳被害のところに戻って、自動的に植え付けられた、
「自分が間違っているんだ」とか、「自分は決められないんだ」とか、
そういったことを、もう一度、自分で舵をとれるか、立ち戻ること。


2月の終わりに近づき、焦ってはいたけれど、
いったん、「決められない」ということを認めてみることにした。


決められないから、自分の意思などないんだ、
と思いこんでいた。


でも、それも思いこみだった。


ひとつだけ、
思っていること、感じていることがあったのだ。



「このまま、だらだら続けたくない。それは嫌だ」



という気持ちは、ずっとあったのだ。
ワクワクもしない、やっていてつまらない、
負担に感じていて、こんなこと・・・と、
そういうことを感じているのに。


なぜ、この気持ちを無視したのだろう?


わたしの中のAC人格の特徴が、もう一つ、わかってきた。
これこそ、毒親がやってきたことそのものなのだが、


「A」

といえば、

「Aじゃないかもよ」

と、御破算にするようなことを、よくする。


これは、わたしが他人と話すときもよくやってしまうやつだ。
やっている本人は、「新しい視点」や「別の角度」を提示して
得意になっているわけだが、客観的にみれば、
「ああいえばこういう」をやっているだけなので、いっこうに
話が進まない。気がつけば、「なるほど~、みたいな話だったけど、
結局何も決まらなかったねー」となる。

完全に父親由来で、この目的は、
相手を思考停止させることだからだ。

で、こっちを向かせる。

こうすると、わたしの話に「なるほど」と思わせることが
可能なことを、どこか、体験的に知っているのだ。
もちろんそれは、その相手も依存対象を探しているような場合しか
効果的ではない。だからこそ、わたしは内職でも、そういう人たちを
ターゲットにしたのだ。これではやっていることは、カルト教祖の
洗脳となんらかわらない。


この洗脳モデルはどこにあったか、が問題で、
毒親たちにあったということ。


こうやってわたしは毒親以上の毒性をもって、
また、世代間連鎖をさせる場をもって、今度は
「加害者」となって加害行為をしてきている。


他人だけじゃない。


自分自身にも加害をしているんだ。


「このまま、だらだら続けたくない。それは嫌だ」
という気持ちがあっても、「それって本当なの?」と言ってくる。
すると、「内職を続けたほうがいい理由」をバンバン出してくる。


このAC人格の目的は、こうやって、いつも
わたしを「決めさせない」ようにすることであり、
誰かや何かに「決めてもらおう」と誘導させることなんだ。
親がわたしを誘導したように。


「親は絶対だ」


という例外は、決して例外ではなく、わたしはそういう絶対なものに
常にすがるようになった。絶対なものにすがれば間違いない、決められる・・・


こうやって無明庵にもわたしのAC人格はこぎつけたんだ。


だから、こわい、というのがセットになった。
親との関係の縮図を、そのままそっくり
持ちこんでしまったのだ。



 ・・・『(後半)「やってみる」の壁』に続きます。



2014.03.03
Aby



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by jh-no-no | 2014-03-03 05:24 | 復元ノート 1


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