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(1) 父の調教

父親からの調教を掘っていく過程で、気がついたことや調べ直したことなどを
ノートしておきたいと思います。

ここしばらくの間、父からすりこまれた格言や口癖からの影響を調べてきました。
こわい、という感覚を「こわくないよ、平気だよ」と、なんとかしようとしてきた、
そういう自分の癖はどこから来るのか、「こわい」という感情を押し殺し、麻痺させる
というループを、どうして、ぐるぐると繰り返しているのか?

水や火に対する直接的な恐怖に対して、
わたしがどう対処していったか、ここに父親の口癖がどう影響していたか、
そのあたりをブログでも掘っていきましたが、
無自覚ACとしての自覚もなかったわたしは、それ以前に、
「父からの調教」それ自体を、考えてきませんでした。

日々わたしが「意識的」に、まるで自分の意思であるかのように振舞っている言動は、
実は、父の調教のすりこみの結果としての言動だったり、一方、
日々わたしが「無意識的、無自覚的」に振舞っている言動は、
たとえ希釈自我であったとしても自分を裏切ってはいけなかったのに、
自分を裏切り続けている言動だったり・・・
「父からの調教」を掘っていく過程で、そのあたりが少しずつ、
見えてきたところがあります。

メモのようになってしまうかもしれませんが、
わたし自身の記録としてノートしたいと思います。
(以下、崩残さんからいただいたメールの引用はピンクの文字で表示します。)


◇ ◇ ◇


まず、ここを取り組むにあたり、わたしが掘っていく姿勢を
あらためる必要がありました。

ひとつは、

父からの影響、と考えるだけでなく、
「洗脳されたのだ」と疑って突き詰めていくこと。

もうひとつは、

知っているはずだ、と思い込んでいる
父の成育環境や父の素行を客観的に調べ直すこと。


崩残さんから、父の調教掘りに関するメールを
3通いただいたとき、まだ、その時点では、
その必要性、その重要性がわかっていませんでした。


>たとえば、テレビとか、近所の他人とか、
>他所の人が怖がるのを、非常に馬鹿にして、
>間接的に、あなたにプレッシャーをかけていなかったかです。


という箇所や、

>ほかの兄弟に対して、両親の接し方に、Abyさんへの接し方との
>違いはありませんでしたか?

という箇所や、

>そして、そういう毒父親を見てきた母親は、
>怖がっていたはずであり、その母親の父親への恐れは、
>表面的にどう繕っても、子どもに伝わると推測されます。


という箇所。さらに、

>父親は晩酌毎日してたのかとか、
>外で飲み歩いていたのかとか、
>結婚前後の父親の素行、当時の職業、
>そして、そもそも本当にヤクザとケンカしたならば、
>そういう世界に足を突っ込んでいたのか、それともハッタリか、など、
>疑問は数多くあるはずです。


とくに、この最後の「疑問は数多くあるはずです」と指摘されてはじめて、
えっ?と思ったほど、わたしは父に関しては、わりともうわかっている、
と思い込んでいたのだと思います。

実際、フタをあけてみると、これらの事柄こそ、掘り進めていかなけば
AC人格がいかに作られたかという掘り下げと理解がストップしてしまう
ことばかりだったであったことに気づきました。


・・・


まず、父の生育環境や素行を思い起こし、一部、調べてみることから
はじめました。箇条書きでまとめます。


・ 父の一連の口癖、格言は、酒を飲んでいようがいまいが、
  執拗に口にしていた。どちらかといえば、 しらふもしらふで、
  真顔で語っていたといった印象。

・ 父の父親と母親、父の兄弟(長男、妹)、長男の家族、など、
  「家族」を働き手の中心とした自営業の職場で父は働いていた。
  わたしの母は当然無償労働、父は給料はもらっているとはいえ、
  ただの労働力、むしろ、「次男」であった父は邪魔もの扱いされ、
  でも働くだけ働かせる、という「長男が全て」の価値観で育った。

・ 自分の存在を認めてもらえない家庭で育った父は、
  「お母さん(自分の母親)に自分の存在を認めてほしい」という
  それだけを求めて生きてきた。叶うことはなかった。

・ ヤクザとのつきあいはなかったが、たまたまケンカした相手が
  ヤクザだっただけであり、それをいかにも何度もあったかのように
  自慢していただけということが、調べてみると、わかった。
  その話をしているときも、あの不気味な「ニヤリ」を子どもに向けた。


生育環境と事実、また、しらふでもあの調子だったことを
確認したことで、このとき、わたしははじめて、

「かなり計画的な洗脳だったのではないか?」

と、疑いの目で見ることができました。
それまでは、どこかで、「父はそのつもりではなかったのだろう」と
無意識に擁護していたところがありました。

でも思い起こしてみると、酔った勢いで、というのはケンカでも
そういうことはなく、今までニコニコしていたのに、突然人が
変わったかのようにしてキレる、というのは、どこか異常でしたし、
相手を血祭りにあげて、チラっと子どもを見てニヤリとするしぐさは、
どう考えても、確信犯としかいえない、と思うようになりました。

母はこれをどう見ていたのか?

何度か母と直接、電話で話す機会があり、そのなかで、
当然母も父のその突然キレたりする様を、「こわかった」と
言っており、ひとつ、わたしは母にたずねてみました。

「お母さんがビクビクしている、というそのこと自体を、
子どもに話したりとか、そういうこと、あった?」ときいたら、

「直接そうは言わなかったと思うけど、子どもたちには、
〝お父さんには、気をつかいなさいよ〟と話していたよ」と
母は答えました。

そうきいて、わたしはそう言われたことも覚えていなかったし、
「えっ?」と意味がわからなかったのですが、つまりそれは、
こういうことでした。

「お父さんは怒ると大変だから、お父さんには神経をつかいなさい。
もしもお父さんが怒り出したら、わたし(←母)がなだめないといけない。
だから、お父さんを怒らせてはいけないよ」という意味で、
母は子どもたちに注意をうながしていたらしいのでした。


わたしは子どもの頃から、どこかで、
「父を怒らすと、母が困ることになる」と思っているところがありました。
それがどうしてかわからなかったのですが、先ほどのように母から
話をきくことで、そのあたりがつながってきました。

わたしが小さい頃、母が友人とデパートに出かけていたとき、
タイミング悪く、仕事中の父に泣いて電話したことがあり、
それに苛立った父は、デパートの館内放送まで使って、
「すぐに家に戻れ」と母にあたったことがあり、わたしはその件に
ついてはずっと、

「どうしよう、お母さんがお父さんに怒られちゃう。
わたしはなんてことをしてしまったんだ・・・」

と思った、という記憶がありました。


それと似たような記憶が、もう一つありました。


母の友人宅の一室で、電気を消しておばけごっこなどで
遊んでいたのだと思います。
突然弟が泣いたので、慌てて電気をつけると、
怪我をして血が流れていました。

わたしはどこかにぶつけたのだろう・・・と思いはしましたが、
走ってきた母に、「なんてことしてくれたの!」と一言も口をはさむ余地なく
ひっぱたかれました。


それについても、わたしは「わたしじゃない」と言おうとも思わなかったし、
突然ひっぱたかれて文句を言おうとも思いませんでした。
考えていたことは、「お母さんに悪いことをした」、「どうしよう、お母さんが
お父さんに怒られちゃう。とんでもないことをしてしまった」ということだけ
だったと思います。


「わたしがミスをすれば、母が父に怒られる、怖いことになる」という
プレッシャーがあったのではないだろうか?


もちろん、子どもの見えるところでは暴力はふるっていない。
おそらく、両親の今までの話からは、いわゆる、殴る蹴る、といった
わかりやすい暴力はなかったと思います。
(ですが、性的な暴力はあったと、わたしは思っています。)
そのわかりやすい暴力、ということに関していえば、
「お母さんと子ども以外の他者」に向けて、
「見せしめ」のようにふるわれていたのだと思います。

また、それを見ていて、父がいつキレるのか、
どういうときに逆上するのかがわかりませんでした。
とりあえず、「お父さんの気にくわないことがあると」キレることは
確かだったので、ずっと気を張っている、という感じだったのだと思います。
だからだと思いますが、母もまた、
「お父さんには神経をつかいなさい、気をつかいなさい、怒らせないように」
としか、言いようもなかったのかもしれません。
実際、「〇〇はしちゃいけません」という具体的なものは、
まったく見あたらないのです。そもそも父は、それどころか表面的には、
「なんでもしていいよ。お父さんはダメって言ったことは一度もない」
と言っていたわけですから。なのに、ほんのささいなことで、
他人に罵声をあびせたり、殴ったり、血祭りにしている。
相手がヤクザであろうが、ホームレスであろうが、仕事関係者、
隣人、身内、誰かれかまわずに。

この神経のつかいようは、あまりに日常だったので、
タイヘンだ、とか思ったこともありませんでした。
これはわたしが「長男」という立場、「兄」という立場としての
当然の責任、母を守ること、兄弟姉妹を守ること、広くは、
父をも含めて「家族を守ること」を、当然のこととして、
わたしが認識していたことにも原因があると思います。

そのあたりは、また後述したいと思います。


いずれにしても、わたしは母の様子やとり乱しようを見て、
自動的に状況を察知し、「母を困らせてしまった」イコール、
「母が父に怒られる」と考え、母を守れなかったわたしを
無意識に責めていた、ということはあると思います。


・・・


反抗期についてですが、わたしは母に反抗しました。
というのも、思い出したのですが、事実として
わたしは「父がこわかった」のです。

あるとき、実際に母から言われました。

「なんでお父さんには、同じことを言えないの!」と。

何をするかわからないお父さんには
言えるわけがない、と思ったのを思い出しました。
お父さんの前では、何事もなかったかのように
愛想よくいる、というのが、常態だったからです。

この恐怖心は今もあるか・・・と自問してみますと、
やはり今もあります。反抗期のときもそうでしたが、
口でかなわない、というよりも、そもそも話になりそうにないし、
父がキレたらやられる、と思っていました。
それはあのキレた様子、キレたら何をするかわからないケンカを
何度も見聞きしてきたからだと思います。

口論もできなかったのは、怒ったらもしかしたら・・・
という恐怖心が確実にあったからだと思います。


・・・


このあたりをまとめた段階で、崩残さんに報告メールをし、
以下の返信(一部)をいただきました。


Aby様

まずこのメールについてですが、
ようやく、父親の生育環境と、それが作り出したAC人格と、
それがAbyさんに、直接の影響、
または母親を守らないとという形での影響に繋がってきていると思います。



> 母が言うには、しらふでも同じことを言っていた、ということです。
> 飲むとじょうぜつになるだけで・・・ということでした。

わかりました。酒がスイッチではないわけですね。

> 父の育った家族は、「長男が全て」の価値観だったらしく、

実は、これに類する現象があります。
現代では法律的にはあり得ないのですが、
「精神構造」そのものからすれば、それは、
今も、そこかしこの家の中で続いていると私は思っています。
 ↓
http://n-knuckles.com/discover/folklore/news000589.html


つまり、これと同じです。


> とりあえず働かせるだけ働かせておいて、存在は認めない、
> 長男がいればいい、という空気のなかで働いていた、ということに
> なっています。


>父はつねに「お母さんに自分の存在を認めてほしい」と
> そればかりだったと、わたしの母も話していますし、わたしが成人してからは、
> わたしの目から見ても、この父親はそれだけを考えて生きてきたんだなあ、
> ということがわかったほどでした。

ここもほぼ確定だと思います。


> たぶん父にとって、それがあまりに自慢話だったので
> 何十回とわたしにも話したのだと思います。

そのようですね。
私の認識によれば、そもそもヤクザの世界のことを知っていたり、
実際の関わりがあれば、そのとき、自分が家族持ちだったら、
自分の家族への(別の組員からの)報復を懸念して、
絶対にそういう行動は取りません。
ただの、ちっこい自慢話だったのですね。



> 「親が人を殺せ、と言えば殺すのが子どもだ」、と
> 躊躇なく言う父ですから、ヤクザの世界には憧れは持っていたかも
> しれません。

これが意味する事は、別に仁義の世界に憧れていた
ということでもなくて、
「親という立場を悪用して、家族に対する絶対者ぶる」
そのことを強調した言葉だと思います。

しかしまー、じゃー実際に、子供が人を殺して
警察で「親がそう言ったからやりました」と言ったら、
どういう育て方をしたのか疑問に思った警察が、
その親を呼び出す、ということすら、父親は、わからないのですね。

子供がそのときに、
「じゃー、僕が人殺しをしたら、お父さんにやれと言われたと、
警察でいっていいよね?」とでも言ったら、
その父親は、とたんに、
「いや、たとえだよ、たとえだ。」と誤魔化したと思います。

しかし本音では、それぐらい「オレの命令には逆らうな」と叫んでおり、
そうでもしないと、自分の自尊心や人生を挽回できないと
思い込んだものと思われます。



> おそらく子どもの勘で、「父を怒らすと、母が困ることになる」
> くらいは、察したはずです。


そういうことも大きく影響しています。


(中略)


> この二つの事件のときに、わたしが咄嗟に感じた感覚の記憶の
> 根拠を考えてみれば、明らかに、「わたしがミスをすれば、母が父に
> 怒られる、怖いことになる」というプレッシャーがあったのではないか?
> ・・・このあたりが、なんとなくですが、つながってきました。

ここは大きく、Abyさんの人格形成に影響していると思います。


> 実際、「〇〇はしちゃいけません」という具体的なものは、
> まったく見あたらないのです。そもそも父は、それどころか、
> 「なんでもしていいよ。お父さんはダメって言ったことは一度もない」
> と言っていたわけですから。


まるで、

「この国は、自由の国、アメリカだ。
 ここでは、なんでも好きなことをして、夢をかなえなさい。
 ただし、権力者のご機嫌を損ねたら、
 投獄したり、生活できないほど、コテンパンにしてやるからな」

といっているアメリカという国のようですね。



> 口論もできなかったのは、怒ったらもしかしたら・・・という
> 恐怖心が確実にあったからだと思います。


そのようです。


(以下後半、中略)


崩残



・・・


「(2) 父の調教」に続きます。



2013.10.28
Aby



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by jh-no-no | 2013-10-28 00:34 | 復元ノート 1


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