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猛毒父

「当たり前のことができたら一人前」

父が一番多く唱えた口癖だ。

当たり前のことができたら、神様だ、とも言ったし、
当たり前のことができたら、天才だ、とも言っていた。

当たり前のこと、ということもあったし、
ふつうのこと、ということもあった。

この言葉がやたらと気になったので、これがわたしに
どんな影響を与えてきたのか、掘り下げることにしました。


父は、わたしが100点の答案を持って帰ると、
「おー、100てーん。習ったことをテストでやるんだから、当たり前っちゃあ
当たり前だけど、でも、この当たり前のことは、誰でもできるわけじゃない」
と、よく言った。

また、学校や習い事も休まなかったため皆勤賞のことも多く、それを報告すると、
「おー、かいきんしょー。毎日行くのは当たり前っちゃあ当たり前だけど、
でも、この当たり前のことは、誰にでもできるわけじゃない」

と、こんな具合に、何を報告しても、だいたいこのパターンだった。


では、この「当たり前」とはいったい何だったんだろう、と思い出してみた。
たとえば、

100点とって当たり前、学校は休まなくて当たり前、親孝行するのは当たり前、
さらには、親が人を殺せと言ったら文句言わず殺すのが当たり前、と
当然のように言っていた。

「やるからには一番を目指しなさい。自分でここまで、と線をひいたら、
人間それでおしまい。一番がエライわけじゃない。でもそれを目指す姿勢、
努力することは、人間にとって一番大事なこと・・・だから、そうして当たり前」


書き出してみると、何が当たり前なんだ、というものばかりで、
父が子どもに対して「こうあってほしい」という、勝手な要求が
「当たり前」というものの内容だった。

そこで、問題は、子どもだったわたしが、そもそも「当たり前」という言葉を
どう認識していたか、ということだが、それを思い出してみると、
「人間として当然のこと。そうするもの」という、選択の余地のないものだった。

なぜ、そう思ったか、であるが、父は「当たり前」を定義する際に、
こんなエピソードを子どもにきかせたからだと思う。
それは、

「生きているだけで幸せだ。世の中には食べるものも着るものも、
住む場もない人もいるなかで、Abyはこうやって生きている。
当たり前のように息を吸っている。この当たり前のことができることが
いかに幸せなことか。」

という話を耳にたこができるほどきかされた。

わたしのなかで、「当たり前」とは、
そうするもの、そうして当然のこと、人として最低すべきこと、
というふうに解釈していた。

だから、「父からOKが出ること」は、人間として当然のことをやり遂げた
という印であり、そのときの自分が「いい」と思える、
すべての根拠だった。今の自分が今の自分でいい、間違っていない、
と思えるための「全根拠」でした。


父の手口を思い出してみました。


私立に行くか、公立に行くか、という選択を迫るときも、まず父は、
「私立にいくのが当たり前」という話を延々とする。

そこで父はわたしにきく。

「どうする?」と。

どうするもこうするも、ずっとこういう訊かれ方をしてきたわたしは、
そうするのが当たり前のことなのだから、疑いの余地なく、
「そうする」と答えた。

父はさらにたたみかける。

「私立に行きたいか?」と。

「うん」と答える。

最後にわたしにこう言ってまとめる。

「Abyが自分で行きたいって、自分決めたんだから、
最後まで貫きなさい」と。母も一緒になって。

そういえば、この前も母は
「Abyは、考えてみたらイヤだとか言ったこともなかったなあ。
いい子だったよね」と他人事のように言っていたが、
人として当然だ、という話をきかされてから、「いやです」なんて
言えたはずがないだろうし、いやだという選択肢があるとさえ、
想像もつかなかったと思う。その道しか、提示されていないんだから。

そもそも、それでは選択ですらない。
両親はいつも子どもには同意をとった、と言うが、
こんなの同意じゃない。そう言えって言われているのと同じだ。

こうしてわたしの記憶のなかでは、ほぼすべてのことは
「自分で決めてきた」と思い込む(すりこまれる)ことになった。

・・・なのに、

なぜわたしは、とくに親元から離れて成人した頃から、
いつも不安で不安で、「今の自分はいい、と言ってほしい」という枯渇から、
人だろうが本だろうが、手当たり次第、いいと言ってくれるものを
あさりはじめるようになったのか?


何かがおかしい、と思った。


だって、自分で決めてきた、何でも自分で決めてきたのなら、
今の自分をどうして誰かに「いい」と認めてもらおう、などと思うのか。
この年になっても、昨日も今日も、どうしてこの声がやまらないのだろう。


・・・


実はこのことは、今朝起きたときから、ずっと頭にひっかかっていた。

この頃は寝起きに注意を払っているのだけれど、今日は夢でなく、
起きて1秒後ぐらいに、わたしは自動的にこんなことを考えはじめていた。

「今のままじゃダメなんじゃないだろうか・・・」
「今の自分はダメなんじゃないだろうか・・・」

このブログでも何度か、「今のままじゃダメだ」と思っている、
と書いてきたが、今までここを雑なままにしてきてしまった。

今のままじゃダメだ、というよりも、
今のままじゃダメなんじゃないだろうか、という不安、
もっと正確には、今の自分はダメなんじゃないだろうか、
という不安が、まず、ある。

こういう表現が適切かわからないけれど、
わたしはこれは「自己不全感」と感じている。

そして、この不安と同時に、AC・被調教人格の「コイツ」が
出てくることに気づいた。少しずつその輪郭が見えつつあり、
今日、それをもっと明確なものにしてみようと試みていた。

そうしていたら、この、父の口癖、
「当たり前のことができたら神様だ」という言葉が
すごく気になりはじめたのです。


「今の自分はいい、と言ってほしい」


掘り進めていくうちに、見つけたのが、この
今の自分でいいと誰かに言ってほしい、というわたしの声でした。
いや、この声自体は、今までもあったのですが、
ずっとこれは、そのままにしてしまっていました。


前々回の投稿記事「父の毒っけ」でも、わたしの人生は
自分が決めたものではなかった、と書きましたが、
少なくとも1%の逃げ道は残してしまっていました。

それはつまり

「今の自分がやっていることは、いい(間違っていない)と
思い込みたい」という意思と、「自分の不全感を他で埋めたい」
という意思は、純粋に


「わたしの」意思


だと思っていたのです。でも違っていました。


これは父の口癖からの影響でした。


そう思ったとき、その意思の表現の仕方はそうでなく、
「今の自分はいい、と言ってほしい」ということを、
つねに思わせておこうとする、父の手口であったことに
気づいた。

自分で何もかも決めてきたのだとしたら、
なぜ、誰かに自分の是非を問うようなことをするのか、
反射的、無自覚的に、なぜそうしてしまうのか?
まったくわからなかった。なんで自分で自分をOKとできないのか。

それは、実はわたしは自分で何も決めてこなかったからでした。
両親からわたしは、「そう思い込まされてきた」だけで、
それは「思い込まされているだけ」で、思ってなんていなかった。

どう思っていたかというと、それこそわたしは
父を「神」だと思っていたのです。それも18年間。
父のOKが、つねに、今の自分でいいこと、間違っていないことの根拠でした。


掘り返しているうちに、思い出せなかった記憶が
だんだんと思い出せてきました。


わたしは親が「それでいい」と言ってくれるから、言ってくれたから、
だからやってきたんだ。それに向かって頑張ったんだ。
わたしは父から「ダメ」と言われたことは、記憶では一度もない。
(父もよくわたしに、「ダメって言ったことは一度もないだろ」と
自慢していました。たとえば習い事でも「いつやめてもいいよ。お父さんは
ダメって言ったことはないよね。でも、自分で選んだら貫きなよ」と、
いつもの手口でわたしに言ったのを思い出しました。)

わたしは父が提示した要求、それが学業であってもスポーツであっても、
わたしは、ことごとく達成した。やり遂げた。

そのたびに父は、
「Abyはすごい。当たり前のことだけれど、それができる人は滅多にいない」と。
と言い続けた。

であるなら、「親にほめられたい」と思ったりもするものだろうが、
わたしは親に「ほめられたい」とは思った記憶がない。


なんでだろう?と考えてみた。


結局父は、「すごい」とは言葉ばかりで、子どもに届いていた実際の
メッセージ(というか強迫)は、父が設定した理想「当たり前」とやらをこなせ、
ということでしかなく、「当たり前のことを当たり前にやって、ヨシ!」という、
「はい、合格」みたいなものだった。

100点が当然であるように、合格が当然だった。
ここに、うれしい、とかはどこにもない。だからほめられても、
ほめられた感じなど一度も感じたことがない。
いつも「やり遂げた」という気持ちしか残らなかった。

こなす日々、と書いたことがあるが、
まさに、こなす毎日だったのだと思う。


掘り進めていくうちに、どんどん、父の言葉が思い出された。
成人になってからは、何百回と言っていいくらい、こんな話をきかされた。


「Abyは、他の人以上に苦しいこともあったと思うけど、
そう感じたこと、ないだろ?我慢したとか、自分はすごいことをしたとか、
そう思ったこと、一度もないだろ?なあ、そうだろー。
当たり前のことを当たり前のようにやっただけ、と思っているはずだよ。
ふつうのことだと思っていたろ。すごいって感じたことなかっただろうけど、
でもね、これって、すっげーことなんだよ。本当はね、他の人にはできないこと、
当たり前じゃなかったんだよ。Abyはいかに自分がすごかったかっていうことに
気づかなかっただろうし、お父さんがこう言っても、そうかな?くらいしか今も
思わないでしょ。それだけ当たり前に、すごいことをやってきたんだよ、Abyは!」


こんな話を何度も何度もきかされて、「うん、うん。別にすごいとか
感じたことなかったなあ」と答えていた。さらに父は、
「そういうAbyを育てたのは誰でしょー。お父さんでーす」と
楽しそうに話していた。わたしは、愚かにも「そうだね」とさえ、
ずっと思ってきたのです。


今回、ここを掘りおこしてみて、自分の馬鹿さ加減にも呆れるほどでしたが、
ここを正確に思い出すまでは、父の言い分が、いかに猛毒だったか、
気づきもしませんでしたから、つい先日までも「毒っけ」くらいに
考えていたのです。


猛毒だった。というか、犯罪者レベルだ。


父はキャバクラに言っては、子どもの自慢話をしたらしい。
「お姉ちゃんたちが、子どもたちの話をすると、
〝へえ、そんな子いるんだー。会ったことないよ、すっごーい〟
とみんな言うんだ。それだけお前たちはすごいんだよ」と
この話も何百回もきいたが、わたしは、まったくこの話に嫌悪を
抱かなかった。というより、なんとも思わなかった。


なんとも思わないような人間にされてしまったんだ・・・


自分の私利私欲のために子どもを利用し、自分が威張りたいために
自分がなってほしい理想像を子どもに「人間として当たり前」として強要し、
最悪にも、「やらせの同意」をさせ、「Abyが自分で選んだこと」と思わせた。
こんな酷い手口に、今日の今日まで気づかなかった。


このまま、成人してしまった。
「今の自分でいい、と言ってほしい」と求め、それに答えてくれる人(父=神)
がいることで、かろうじて「今のままでいい」とやりすごせることができる、
そういうわたしのまま、今日に至ってしまった。

親元から離れ、大学に入ってからは、「これからは好きなことをやれる」という
思いとともに、それ以上に支配的だったのは、どうしてよいかわからず、
自分探しの日々が続いたことだった。

その頃には、父と母には失望させられることが多くなり、まったく
両親に頼ることがなくなった。だから自立しているんだ、
両親の影響なんてゼロだと思い込んでいた。

だけど、わたしは毎日不安だった。図書館や本屋を徘徊しては、
哲学書などを読み、そういうなかで、はじめて精神世界のコーナーを知った。
「今の自分でいい」と思える根拠を、わたしは完全に失ったのだ。
Pさんと出会う時期を前後して、10年近くは、自分探しのようなことをした。

もちろん、この当時は、その根拠をまさか父に求めていたとは、
想像もできなかっただろう。わたしは、何でも自分で決めてきた、と
思い込んできたし、母も自立をつねに主張していたから。
挙句のはてに、Abyは自分勝手だ、と会うたびに言われたほどだから。

今の自分でいい、と思える根拠探しは、いっこうに終わらなかった。
これだ、というものを見つけ、それに一瞬自己同化しつつも、
すぐに不安になり、また、「今の自分でいい」と言ってもらえそうな何かを探す。


今日になって気づいた。


終わるわけがない。だって、「今の自分でいい、と言ってもらいたい」という、
この思いだけで生きてきたのだから。


そうだったんだ・・・わたしは、この思いだけで生きてきたのか?


今朝起きて、1秒後にはこの思いに支配されているのも、
だからか、と思った。わたしは、ずっと、それだけだったんだ、と。

「今の自分がいい、と言ってもらいたいわたし」が生きのびるためには、
つねに自分は不完全でなければならない。
自己不全感があるからこそ、「今のわたしでいい、と言ってもらいたいわたし」
=コイツの出番があったのではないだろうか。


いずれにしても、今までわたしは、
「わたしは自分で自分のことを決めて生きてきた。でも世の中には、
親の言いなりに、親の評価を気にしながら生きている人もいるんだ」と
本当に他人事のように、考えていました。


まったく違っていた。正反対。


わたしこそ、
「親の言いなりに、親の評価を気にしながら生きてきた」
のでした。気がつかなかったのも、親の巧みなすりかえによるものでした。
だからまったく気がつかなかった。
これを、もしかしたら、無自覚ACというのではないか。


・・・


コイツがわたしに自己不全感を誘発するとしても、
それにしても、わたしの自己不全感は強すぎる、と思って、
これについても、父の口癖の影響を掘りさげることにしました。

これに関しては、5つほど、かなり影響を受けたと思われる
父の口癖を思い出した。


「完璧な人間なんて一人もいない。
自分が完璧って思っても、他人から見たらどうかわからない」

「人間ここまで、と思ったら、もうそれまで」

「結果自然に至る」

「結果も大事だろうけど、それに向けて努力することは、もっと大事」

「人生これが正しい、これがエライ、というのは、ひとつもない」


という、この5つ。

これを思い出し、書き出して、あらためてこれを読んでみた。


小さい頃からこう言われ続けて、自己不全感を持たないほうがおかしいし、
自分で何か決められるはずがない、と思った。
これでは、「お前は子どもだからわからないだろうから、何も決められないぞ」
と、言われているのと同じだ。

この頃のことをわずかだが思い出しつつあるが、わたしはいつも
どうするのがいいのか「わからなかった」。
それを母は「Abyはこうしたいとか、これがいやだとも言わない子だったねえ」
というわけだけれど、それこそ当たり前だ。これじゃ言えるわけがない。

わたしに意思や希望がなかったわけじゃない。
主張する余地がどこにもなかったのだと思う。
ただこなすだけで、わたしは精一杯だった。

自己不全感を植えつけておいて、一つしかない選択を
「当たり前。人としてふつう」と称して、同意に誘導し、自分の満足のために
「自慢の子」というおいしいところだけを搾取した。
その上、「Abyが自分で決めたことだ」とすりかえ、洗脳し、
「今の自分はダメなんじゃないか、今のままではダメなんじゃないか」という
不安をつねに生じさせて、「今の自分でいい、と言ってもらいたい」というふうに
つねに他に依存し続ける〝父にとって都合のよかった〟人格、完全無自覚ACを
作り上げたのではないだろうか?

だとしたら、

「今のわたしでいい、と言ってもらいたい」というわたしは、
父がつくった、父の都合のいいわたしでしかない。

今のわたしは、猛毒父の作品じゃないだろうか。


2013.10.16
Aby



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by jh-no-no | 2013-10-16 05:20 | 復元ノート 1


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