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「しつこく残留している」と感じたもの

今朝、起きたとき、また
笑っていました。

目がハッキリ覚めてしまうと、すぐにトラウマ掘りのことを
考えてはじめてしまうので、すこしこらえて、

「また笑ってるな」

と感じ取っていました。といっても、2秒程度だと思います。

でも、この2秒は、夢の内容を滅多に覚えていないわたしにとっては
貴重な2秒で、ここですぐに夢を「思い出そう」と思わないと、
まったく思い出せなくなる。

・・・失敗した。笑っていることに、気を取られた。
なんだか「落語」的な(←上手く言えません)ニヤリだったくらいしか
思い出せない!

なんでこんなことで朝から格闘しているかというと、
最近わたしは夢のなかの出来事も、
可能な限り、掘りおこしの現場にしたいからなのですが、
そう毎日は上手くいかないみたいです。

その前の日の夢は、といえば、これもまた
ひどく主観的な夢だけれど、寝起きが笑いではなく、
またおかしなものだった。


・・・


昨日は、図書館に用事があって
出かけました。

麗らかな日和だったせいか、いつものように
掘りおこしメモを片手に、外で一人で考えたくて歩いていると、
あれ?と感じたことがありました。

このブログにも何度か書いたことですが、
わたしはある時から、「拷問」というのが、こわくなりました。
誰でもこわいとは思いますが、わたしの場合、
その恐怖の妄想が自分のコントロール下になく、
どんどん膨れ上がり、「ごうもん」という単語、その音をきくだけで、
心臓をとめてしまいそうになるほど、反応してしまうものでした。

「誰だってこわいはずだ。わたしだけじゃない、こわいのわたしだけじゃない。」
と思い込むようにして、避けて避けて避けてきた、わたしにとって、
拷問という概念は、そういうものだったのです。


ところが、ブラブラ歩いていて、ふっと、
この拷問につきまとうあの「恐怖感」が無くなったように感じ、
そんなことはない、と、何度も何度も、「ごうもん、ゴウモン、拷問・・・」と
頭のなかで連呼してみましたが、その言葉は素通りするものの、
「あの、こわい」は沸かない。

今日になっても・・・継続観察中だが、
今のところは沸いて出てこない。


最近はとにかく、トラウマ・AC・被調教人格の「出鼻」を
なんとか捉えてみようと試みている。


まだそれは鮮明さに欠けるものの、
曖昧でもたしかに「コイツ」と感じるものがあって、
なんとか生け捕りにして、観察するよう注意している。

急に、この拷問の恐怖が薄れたとき、このときだからこそ、
なぜ薄れたか、消えているのか、とまさに夢と同じだけれど、
昨日は最大限の注意をはらって、観察してみた。


ひとつ、これはまったくわたしの癖でしかありませんが、
気づいたことがありました。


わたしが「こわい」と怯えているのは、拷問そのものでない、
ということでした(もちろん、拷問そのものは怖いし、嫌ですが)。

歪んだ人格の「コイツ」が暴れ出すと、こんな手を使って
私を脅かしているのです。
拷問というオモリと、コイツというオモリを秤にかけて、


〝拷問に耐えるのと、わたしを手放すのとどちらが耐えられる?」〟

と。


わたしにとっては、拷問は「耐えがたいもの」の象徴です。
恐怖の象徴。
コイツは、なんと、このわたしの怖がっている「象徴」を持ち出してきて
(しかもその恐怖は、数十年かけて増大させてきた)、
「我慢比べ」をさせていました。

わたしは我慢そのものに対しては、「するものだ」と
思っていましたから、いざ選択となると、
「どちらが我慢できるか」という判断を、自分で迫ってしまうのです。

この仕組みに気づいたとき、
コノヤロー、だった。
お前かよ、と。

最近、不快の掘りおこしをやっているため、言葉遣いが悪い、
というか、遠慮なく言わせていただいてしまっていますが、

「どっちにする?じゃねーよ。どっちもしねーよ。
どっちもいらない。だいたい、なんで我慢しなきゃいけないの!
しっしっ。一人にさせてくれっつーの」


青空の下、思わず、声に出してしまった。


自分に焦点をあてよう、事実を究明しよう。
この当たり前のことを、そのとき、確認しました。


ずっとやってこなかったことだ。
でも今からやってみよう、と。


試しに、わざと自分に言ってみた。

「恐怖が消えたなんて、思いこみじゃないの?
調子にのっていると、痛い目にあうぞー」と。

いや、自分に言ってみた、のでなく、
実際、コイツが試しにかかるのだ。いつものように。


わたしは言ってやった。


「もし、あのこわいが出てきたら?
やることはひとつ。事実を究明する」


・・・だって、「邪魔だから」。


そう、一昨日の夢の話の続きだけれど、
あれはこんな夢だった。

性別不明だったが、泣きじゃくっている人がいる。
わたしに抱きついてきた。
性的なアプローチをかけてくる。

わたしがとった言動にびっくりした。

「どけよ」と、断りました。
(邪魔しないでくれ、だったかな?)

続けて、こう伝えた。

「全自我になるまで、そんなことしません」と
夢にも関わらず、あまりにハッキリ答えたので、
わたしは自分が起きているのかと思ったほどだった。

・・・と思ったりしていたら、本当に起きちゃった!


夢の話はここまでにして、とりあえず、
この頃は、「邪魔だ」「ほっとけ」「かまうな」「どけよ」の連発だ。
慣れないので心のなかで、が、ほとんどだけれど、
時間差になっても、音声でも言うようにしている。
やっぱり声に出すと、すっきりした。


図書館に行く道々、
なんだか言葉に出すと、さらにすっきりして、

「Pさんのためにとか誰かのためになんて、もう、
する必要なんてない。両親の希望なんて、クソくらえだ!」

そう、これは昨日気づいたことだけれど、
わたしがずっと抱いている強迫観念のひとつ、
「真実を追い続ける姿勢こそ価値がある」というものがあった。
これはあまりに自分と同化していて、価値観とも思っていなかった。
わたしだけじゃなく、誰しもがそう思うものだと
そうも考えたことがないほど、疑いもしなかった。


だからだろう。

ここに疑いをかけること自体、拒絶していた。
あまりに怖くて。

だいたい、「真実」って、何?

わたしは、自分でその「真実」を
つねに捏造していた。必要だったから。

自分で捏造しておいて、自分で畏れた。
拷問秤という思考テストも、自分で考えてしまっていたのです。


父親の毒っけ、ということで、前回投稿しましたが、
何もかも、わたしのものじゃないんだ、という事実が明らかになり、
全部、例外なく、徹底して疑いまくって、まさかと思うような
「はりついた思考」だった。


そのことに気づいても、親に対して
むかつくことに、怒りの感情がスッと出てこない。
(思えば、二十代の頃は、その怒りの吐け口を、バイト先や
職場の上司に向けてしまった。これでは、毒親のかわりに、
上司と喧嘩しただけだ。ああ、そういえば、親戚とも
大喧嘩した・・・あんな口論、父が一人ですればよかったのだ。
わたしに自分の希望や主張なんて、何もなかったのだから。)

などと過去を思い出し、それ自体に苛立ちは覚えたものの、
そのときのわたしは、それよりも、
空を見上げて、


「なーんにもない。軽ーーーい」


と深呼吸して、両腕を広げてみた。
・・・全部、捨ててよかったんだ。
「何もなくても、わたしはいるよー」と。

どれだけ抑圧してきたのか。こんなことで解放感を感じるなんて。
一銭もなくったっていいじゃんよ(あっ、それは困るか、、、)。
そして、思いました。

許そうとか、恨もうとか、
そういう気持ちは沸きませんでしたが、しかし、

たとえ10年かかっても、言えなかった不快を、掘りおこしてやる、
残りゼロになるまで掘りおこしてやる、と思った。
その頃に全自我に戻れていようがいまいが、20年かかろうが、
30年かかろうが、生きているうちに、清算してやる、と思った。

思いながら涙ぐみそうになりましたが、
感情を抑えて生きてきたからか、涙もひっこみました。
でも、そのとき独り言ででもいいと思って、
こう言ってやった。



「ぜんぜん幸せになんか、なんなかったじゃんよー!」



社会に出たら好きなことやりなさい(だから今は我慢しなさい)、
とあれやれこれやれと、我慢を強いてきた「両親」に、これ、
言ってやりたかったな。


ついでに、ここで言ってしまいたい。


「なんできゅーくつなのが見ていてわかんねーんだよ。
どこ見てんだ!ほんと、バカじゃないの。ほっとけ!!」


今さらだけど、もうひとつ、

「結果がまったくともなってないじゃんよ。なんじゃこりゃ。
おかしいだろーよ!どーしてくれるっ!!あなたたちの望む
優等生、いい子が通用するのは、高校生まで、でした。」


大学行って、社会に出る頃のは、
「Aby、ちょっとおかしくなっちゃったよね」
じゃないよ、まったく。成人後の選択をいかにもわたしが
誤ったかのごとく、会うたび、よく言ってくれましたよ。


ふうー。


・・・


馬鹿馬鹿しい話だけれど、なんだか急に、
異性の好みも変わってしまった気がする。
誘ってくるような、翳りを見せるような人、嫌だな、って思った。
わたしはここにいますよ。蜂さん、蜂さん、気づいて!
蜜を吸ってほしいの・・・って感じがモロ出てて、キライ。

凛として、一人、シャンと立っている人のがスキ。

道行く異性を、まじまじ見てしまった。

「こういうの、いいって、なんだか騙された感じ」と思いながら。

同性に対しても生理的な嫌悪を持っていたけれど、
それも薄まった気がする。


・・・


ここまでは、感じたことノートみたいになってしまいましたが、
昨日そのような外出のなかで、見えてきた大きな問題点が
二つあることに気づきました。


図書館を歩いていたときですが、しばらくはリラックスして歩いていました。
それこそ馬鹿馬鹿しいのですが、
「どこ歩いてもいいんだ。戻っても戻らなくても。
行ったりきたりしても。わたしが決めている。歩いている」
という、すごく普通なことを、いつも感じたことがなかったので、
無駄に徘徊していた。


観察した。ここで何が起こるか。恐怖?それとも他の何?


予想外にも、恐怖ではなく、
予想外のことが起こった。


どっちでもいいけど、右いくといいのかな、左いくといいのかな?


と考えはじめているわたし。
「不自由だ」と、当然だが、思った。

それは、子どもの頃のあの半ば強迫性の行為そのものだった。

神経質、という親からの一言で済ませてはいけない、
と、この時は咄嗟に警告ブザーがなった。

一言で言おうとすると、この感じは、不全感だ。
つねに満たされてはいない、という根拠なく思う、あの不十分感。
どこか間違っている、どこかおかしい、という漠然とした不安感。
これも当然毒親の刷り込みの影響だ、と思った理由は、
ここに実体がないからだ。わたしのことなのに、
わたしが説明ができない。どこかってどこが?と自問しても
答えが出てこない。


Pさんと出会い、Pさんに依存の種を植えてしまったのも、
わたし自身が、「不十分な個人」をずっと意識していたためだ。
わたしの不十分さをPさんが埋めてくれる、
Pさんの不十分さはわたしが埋めよう、と。
凸凹があわさって、一人前になる(と思い込んだ)。
(もちろん抑圧されてきたわたしも、ここぞと暴れてみたけど、
ブログでも書いてきた通り、15年近くをかけて撃沈した・・・)

わたしにとって、共同とは、そういうものだったから、
はじめから、わたし個人の不満は「あって当然」という認識、
つまり、自己の抑圧それ自体をOKとしてしまったことが大間違いで、
今までもブログに書いた通り、「Pさん次第」で右にも左にも
動かされる結果となり、それに甘んじた結果が歪みを酷くしたわけだが、
あらためて、強迫性の行動が表に出て思ったのは、


「これはPさんと出会ってから、はじめて出た癖じゃないな」

ということでした。


自己不全感を埋めるには、他者が必要だ、という暗黙の了解。
他者とは、ときに「神」でもいい。まわりに誰もいなきゃ、
自ずと神だのみになる。子どものわたしはそうだった。
いわゆる「宗教」という形としての強制は無かったが、
「自分は完璧ではありえない。しかし、完璧であるべきだ。
完璧を目指すべきだ」という、さっきと同じような強迫観念があったが、
やや異なるのは、それだけでなく、
「この完璧、真実たるものを手にいれるには、自分だけでは無理だ」
というものが前提となっている。

自己不全感は、自分では埋められない、という思いこみ。

他者や環境、それでも不足なら「見えざる力」でも「運命」でもいい。
そういうものがパズルのピースとして必要であり、
言ってしまえば、「それ次第」で、真実だったり完璧だったりが決まる。
真実も完璧も何をもってそうなのかわからないわけだから、
頭では「馬鹿じゃないの」と思うけれど、馬鹿にできない。

自己不全感はあって当然だ、からはじまって、
それを埋めるには自分以外の「他者」が必要、正確には
「他者からの認め」が必要で、「それに向けて努力すること」こそが
真実を手にすることができる、という、なんとも陳腐なストーリーが、
わたしのなかに、根付いているのだ。


この思考の癖が、トラウマ・AC・被調教人格を
「おびきよせる餌」となっているようだ、と思った。


Pさんから距離をとると、どうなるか?と毎日実験してみたが、
こういう他者依存癖、というか、病理は、対象を選ばない。
なんでもいいらしい。

たとえば、Pさんでなく、他者でもいいみたいだ。
しかも、「気がついたら反射思考でベラベラ話してしまっている」
「相手のために話している」という状態を中継して、
「まわりのことはいいから、自分を大事にしなよ」なんて誰かに
言い始めたとしたら、完全に、自分の不満を代理ではらそうとする
依存人格が、誰かまわず、のさばる。

数日前のことだけれど、仕事関係のメールで
その勢いで反射的に返信しよう、としてしまったが、
「何やってんだろ、わたしは」と急に覚めてしまい、
ほったらかしにした。そういうのに限って、ほったらかしにしても
いいものばかりだ、ということにも、ついでに気づかされた。

そういうのは、徒労感しかなく、達成感ゼロ、
「つまらない、やってらんない、しったこっちゃねー」。


話があちこち行ってしまいましたが・・・


で、思ったのは、なんとなく歪んだ人格の像が見えてきたとしても、
元のこの病気をなんとかしないかぎり、これが引き金となって、
「ひょっこ」と出てくる、ということでした。

出てきても、もうあの「こわい」という架空の恐怖はないのですが、
いつ出てくるかわからない、という意味では、広い意味で、
恐怖といえば恐怖なのだと思います。
そのため、どこか、気が休まらない。


そのことを考えていたら、もう一つ、
そういう引き金となる思考癖を発見しました。


「今自分やっていることは、いいことだ」

という、書いてみると、ふざけたような思考です。
「今自分がやっていることは、いいことだ、と思い込みたい」
というものが、全面を覆っています。

これを突かれたら、わたしは、一時的にでも
取り乱す可能性は、とても大きいことに気づきました。

「今のままではダメです」と、自分が信じている人や対象から
そう言われたら、パニックになる可能性が大、ということですが、
考えてみれば、それはまったくおかしく、
「ダメならば、それで自分が困るなら、なんとかすればいい。
原因を明らかにして、解決に向けて、今すぐ動けばいい」のですが、
そこが見えなくなる危険性がある、というふうに思いました。

もちろん、「真実を追う姿勢こそに価値がある」として生きてきた
その歪んだ人格は、そこに気づけば、出番なしなのですが、
うっかりその引き金となる考え方や思考の余地を許してしまって
そこに自分が気づかないと、その餌につられて、
トラウマ・AC・被調教人格が、ここぞとばかり、戻り込もうとする。
今やっていることはダメだ、となると、「真実を追う姿勢にこそ価値がある」
をよしとする人格は、必死に暴れ出すようです。

しかもコイツは、「いい」と言われても不安になります。
判断を他者に依存しているからです。で、へんなうろたえ方をする。


思考癖に無自覚なまま放っておくと、
ひょいっと、コイツが知らん顔して席についている、
といった感じでした。


それなので、少し強気に言ってやりました。


「なにびびってんだよ。自分で考え、自分で対処して、
その責任を自分でおえばいい。だってそれ以外、できないでしょ!」って。

誰かに「いいですね」と言われたら、
わたしはそれで本当に納得できるのですか?
それで一度たりとも、安心したことはありましたか?


と問い詰めると、コイツもさすがに怯むようだ。


・・・もうほんと、「コイツ、邪魔すんな!」と思うのですが、
そう唱えるだけじゃなく、記憶と事実と不快をあらいざらいにして、
「無自覚」を徹底的に暴いていこうと思います。


2013.10.13
Aby



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by jh-no-no | 2013-10-14 11:01 | 復元ノート 1


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