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観察の途中経過 9月7日

「5つの人格」がループしている状態を、
できるだけその外側から見てみて、どう動いているか、
観察・検証してみようと思ったのが、ちょうど一週間前。

愕然としたのは、実際にその外側に立ってみると、
「そのループ観察者の立ち位置」こそ、どうしようもない
歪んだ毒人格であり、「いつものわたし」だった。

いつものわたし・・・それは、いつも焦っていて、
「わたしが」「肯定されているかどうか」
それだけをつねに気にしているわたし。


梅の間の記事

http://www.mumyouan.com/k/?U1858

に、「不毛な者たち」のことが書かれていましたが、
まさに、わたし、いつものわたしが、この不毛で歪んだ毒人格
そのものでした。

毒親が、わたしのなかの、もっとも中心的な位置にいる。
わたし自身が、わたしを抑圧し続ける毒親、という構造。

この毒人格の主張していることは、梅の間の記事の通り、
たしかにひとつだけだと思う。


 「わたしは、いていいんだよね」


コイツがいかにまわりくどい説明をしたとしても
最初も最後も、言いたいことはたったこれだけで

そのためなら

 ・ 自分をどんなに切り売りしてもいい
 ・ 自分を裏切ってもいい
 ・ 自分を抑圧してもいい
 ・ 自分だけじゃない。他人もおとしてめてもいい
 ・ 他人を搾取してもいい
 ・ 自分だろうと他人だろうと、不幸にしてもいい

という考えを持っている。いや、そんな考えを持っているとは
もちろん思ってもいなかったし、思いたくもなかったけれど、
5つの人格をループする、ということは、つまり、
そういうことなのだ。

自分を切り売りし、他者をも巻き込んで、5つの人格を
互いに殺し合わせながらも、そのループを閉じる(帳尻を合わせる)
という残虐な行為の末、ループ管理者の「わたし」は
こう主張します。


「うまくやっておきましたから」

と。


それに続く言葉は、

「だから、わたしは役に立ってるでしょ」

という、たったそれだけ。


これは、内戦をわざと引き起こさせておいて、
メタメタにした挙句、「もうやめたらどう?」と
仲介者の顔をした首謀者が、
「うまく統治しておきましたから」と、のたまう支配の
言い分とまったく同じであることに、ふと気づいた。

この自己否定と自己確認のループの外側から
ループの動きを管理、傍観している者の主張はこれだけで、
その管理者、傍観者とは、紛れもなく、わたしが無自覚に
「わたしを演じている毒人格」でした。

この立ち位置自体は、なじみのある感覚だったので
この感覚は初めてではありませんでした。
この「わたし」というのは、いつも焦っていて、
ビクビク怯えています。

今までは、そこまでの認識しか持たなかったし、
むしろ、いつも怯えているわたしはどこかかわいそうで、
「なんでいつもこうなんだろう、わたしは惨めだ」と
思ったりもしたわけだけれど、それは間違いでした。


大間違いでした。


ループ管理者の「わたし」こそ
何もかもを惨めに仕立てている「張本人」ではないか!


コイツは、なんでもかんでも平気で不幸のレッテルをはる。
わたしが不幸なら、まわりをもっと不幸にする。
「みんな不幸だね。だから、いいでしょ」みたいな理論が
コイツにはまかり通ってきたのだ。


不毛感。これはずっと抱えてきた感情のひとつだった。
コイツに関わると、この感情は避けられなかった。
でも、不毛感があるのはわかりながらも、がんばってきた。
がんばってきてしまった。不毛だ、不毛だ、と思いつつ、
なんとかコイツを救おうと、わたしはいつもコイツの
言いなりだった。


でももう、コイツとは手を切りたい。


今回、やっと、そう思えた。


私自身を裏切り、切り売りし、他人も貶め、搾取し、
殺し合わせ、そうやって勝手放題にやりたいだけやった上に
散らかし放題の現場に残したのは、

「何か言わなきゃ、何かしなきゃ、何か役に立たなきゃ・・・
(そうしなければ、あなたはここにいていい人じゃないかもよ)」

という、恐怖、だけだったから。


不毛感だけじゃない。わたしに恐怖を上塗りする。
この認識が欠けていた。
だから「わたしが頑張ればいい」と的外れな
考えと我慢を自分に強いてきたのだ。


コイツは、害だ、という認識が
まったくなかった。


コイツはいつもおどおどし、焦り、外部の声に一喜一憂し、
無視しようとすると、暴れたり、泣き落としに入る。
「何か言わないと。何かしないと。何か役に立つことを・・・」と急かす。
嫌々ながらも、それをずっとずっと繰り返しているうちに、
本当に「何か言わなきゃ、何かしなきゃダメだ・・・」と刷り込まさて
いつも焦っておどおどした状態が、いつのまにか
当たり前の状態になってしまった。


それに気づいて、しばらくの間、
コイツをほしておくことにした。


コイツが焦っても、自己否定と自己確認のループから
距離をとろう、とろう、としてみた。


そうしてみたけれど、わたしの内側深くまで巣食っているこの声、
「何か言わないと、何かしないと、何か役に立つことをしないと、
あなた、いていい人じゃないのよ。そんな当たり前のことも
忘れてしまったの?」という声が、沸きあがってくる。

そのせいか、最近、夢のなかでは
せっせと他人のことばかり面倒見たり、
世話してばかりいる。そんな夢ばかり、たくさん、見る。

ひたすら他人の世話の夢また夢で、
朝起きて「少し休もう」と思うほどに
このところ、すっかり疲れてしまった。

たぶん、実生活のなかで、他人の面倒を見たり、
世話をしたりするのが億劫になってしまって手を抜いている分、
夢のなかで「働け」ということになっているのかもしれないが、
このあたりはよくわかりません。

実際、日常生活と仕事の中で、今までは普通にこなしていた
「他者のために何かをやる」というスタンスで、
他人と接することが嫌になってしまった。
しんどい、といった感じで、非常に疲れる。
げんなりしてしまうので、無理してがんばることはせず、
げんなりしたまま、なんとか、今は、しのいでいる。

一方で、これは少し不思議な感じだけれど、ずっと今までは
「今は自分の時間。今は自分以外の時間」と
きっぱり分けて、生活と仕事をしていた。

ところが、最近はその境界が曖昧になっている。
生活や仕事で、他人の世話をしなければならない場面でも、
げんなりしつつも、その場を作り笑顔で取り繕うのが
出来なくなってきたせいか、そのげんなりも含めて、
自身の観察と考察のための時間を過ごしている、といった感じがある。

そう考えると、今までは、一日のうちのほとんどを
「自分の時間ではない」と思って過ごしていたことになる。
実際、それはすごくストレスだった。
生活をしていても、仕事をしていても、一日のたった数十分だけが
「自分の時間」と感じられた。それ以外は、我慢でしかなかった。
その数十分でさえ、自虐ループを循環させるための作業に
費やしていたわけだから、抑圧と我慢でしかない。


夢ではないのだけれど、もう一つ
気になったことがありました。


小さい頃からずっとある妙な感覚というか記憶があります。
妄想かもしれないし、なんだかわからないのだけれど、
こんなシーンが、わたしのどこかに、刻まれている。


 知らないおじさんが立っている。
 日本人じゃないと思うが、わたしはこの人は嫌だ。
 わたしはベルトコンベアのようなもので運ばれて、
 ローラーみたいなものでぺちゃんこにされてしまう。


そういうシーン。


幼い頃は言語化できなかったが、これは酷く
自尊心のようなものを粉々にするようなもので、
これが実際の経験だとしたら、あまりに屈辱的で、
この屈辱感は恐怖感にもなっている。

この記憶とリンクして、これは身体で感じる記憶だが、
なんだか自分が立方体のキューブのようなものに
圧縮成形され、固められて、想像以上に質量のある
物質なようなものになってしまう感覚がある。
金縛りとは違う「キュゥー」というやつだけれど、
言葉でうまく表現ができない。

久々に今朝、目が覚めた瞬間、
この感覚があったのでそのまま2分くらい、
その状態のまま、その感覚を観察した。

何か新しい発見があったわけではないけれど、
この感覚と同時に、先ほどのローラーで潰されて
物のように処理されてしまうあの記憶がよみがえってきた。


実際にこの記憶や感覚がどこからくるのかわからないが、
これらの感覚には、どこか、自分がいてはいけないような、
存在してはいけないような、誰かからそう烙印を押されるような
屈辱感、敗北感、絶対的な否定感覚がある。


「誰も信じられない」という感覚も、おそらく、
そのあたりから来ていると思う。


最後は不幸に決まっている、という思いこみ。
これも相当根深い。


そこからスタートして気づき得たものが、
自分を大切にすることにつながるわけは、
理屈で考えても、ありえない。
だって、最後は(最初から)自分を捨てていい
(しかたがない)と思っているのだから。
それは自分への最大の裏切りになってしまうだろう。


捨てられて当然な自分


処分されて当然な自分


この当然のように受け入れてしまっている自分像は
どこから来ているのか、掘り続けていきます。


2013.09.07
Aby



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by jh-no-no | 2013-09-07 19:31 | 復元ノート 1


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