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自他の区別

復元ブログを書きはじめて、約1ヶ月がたちました。
このお盆時期までには、コンテンツを現在まで追いつかせたい、
という漠然とした思いがわたしにあって、足早に、
幼い頃のことから初回判定依頼までを辿ってみました。


気がついたらお盆 ; ;


初回判定依頼から復元ブログを書きはじめるまでの
残りの2ヶ月間について、今日は書いてみます。

この時期に、崩残さんからはじめてメールをいただきました。
今まで無明庵の存在は、この15年間、
わたしの頭の中にだけにあったので、
「本当にメールが届いた!」という驚きがありました。

2ヶ月という短期間とはいえ、メールだけでもたくさんの
コンテンツがあり、その他の出来事を含めると、到底
今回だけで書ききれるわけもないのですが、
「この2ヶ月の時期を振り返って」ということで、
今回は、まず、書いてみたいと思っています。


◇ ◇ ◇


メールやお便りのすべてを
読みかえしてみました。

自我判定の依頼文を読みかえしてみたときも
同じことを思いましたが、読みかえして咄嗟に思ったことは、


「わたしはなんでいつも同じことを言っているのだろう」

という色褪せた感覚です。


とりあえず、つまらないことをわたしは書いている。


というよりも、その内容がどうのこうのではなくて、
「わたしがつまらなさそう」にしている。

書いているときは、つまらないと自覚してはおらず、
むしろ刺激的な毎日、毎日毎日が学びのような、
そんなふうに思おうとしているみたいなのですが
その頃の言動の記録をふりかえってみてみると、
どうも、つまらなさそうなのです。

しかもそれを無意識に隠そう、隠そうとしているのか、
失礼のないようにと、へんに明るく振舞おうとしている
わたしの姿は痛々しい・・・を通りこして馬鹿馬鹿しい。
この妙な気遣いもどきは何だ???

このブログもそうなのですが、わたし自身、言葉に無駄が
多いように感じるのも、読み手に「エラそうに思われたくない」
という思いが、歪んだ気遣いとして表れているような気がします。

復元ブログは、そもそも、自分のために、自問のために
綴っていくべきだ、というふうに思おうとする自分がいる一方で、
なんというか、それ以前に、「自分」がどこにもいないのです。
言葉だけが、言葉に反応して、言葉として出力されています。


これのどこが、面白いのだろう?
・・・面白いわけがない。


もちろん、言葉を理解しようとし、言葉を綴っているのは
「わたし」であり、その意味ではわたしはいるのですが、
この「わたし」というものには、とてもではないが、
「これはわたしで、このわたしが言っている」という感覚は、
1mmもない。


誰だ、コイツは??


という感覚、ズレている違和感がつねにあります。


ですから、このブログを書いている今現在も、
正直、誰がこの文章を書いているのかよくわからない。
「無責任」というにふさわしいほど、言葉は記号と化しています。
でも、この無責任なわたし以外、わたしと思えるものが
どこにも見あたらないのです。


同時に、それはわたしではない、という感覚があります。


これが常態にあって「メールを読みかえしてみる」
という行為は、2度ほど通して読みかえしてみましたが、
これほどに、気持ち悪い、ものはありません。
たとえてみると、こんな感じです。
円周率3.141592・・・という数字の羅列を
数時間読み続けるような不毛感です。

この数字の羅列は無限に続くので、
たとえばこのようなブログを書くときも、
「その続きの数字を今日は書いていこう・・・嗚呼・・・」
という感覚があります。

「書いていこう」の末尾につくのは、いつも
「嗚呼・・・」というため息なのです。

「そんなんなら、ブログなんてやめちゃえ。復元もやめちゃえ」
と言われるのが怖くて、意気込みを見せている、
というのが、おそらく今の「つまらなさそうな」わたし。


誰のために書いているのかわからない、
と感じるのも、そのためだと思います。


自分のため?

それとも、他人のため?


この区別は、どうやらわたしの一つの大きな特徴であったことに、
この頃になって、やっと気づきました。
実際、崩残さんとのこの2ヶ月間のメールを読みかえしてみて、
なによりも「目立っている」と感じたのは、

「自分のことを話そうとしているか、他人のことを話そうと
しているか、それを明確に分けようとしている」


という反射的な動きを、わたしは無意識に
とっている、ということでした。


・・・ ・・・


つい最近、母親と話す機会がありました。


母が最初に言ったのは、
「私から見ると、あなたは小さい頃から何も変わっていないわよ」
ということでした。

この一言に、発見がありました。

というのは、わたしは幼い頃から随分変わってしまった、
と思いこんでいたからです。

その思いこんでいた原因というのも、今回わかりましたが、
比較的大人になってから、父が話す「子どもの頃のAbyの姿」が、
相当歪められていたから、でした。
「Abyは不器用でマイペース、自分勝手」というのは、
どちらかというと母が言ってきたように思いこんできたのですが、
元はといえば、それは父が言ってきたことで、母はそれに
「泳がされていた」という感じです。

母から見たら、わたしは「いい子」だった、という。

とはいっても、きいてみると
「褒めたりしたっていう記憶はあまりないなあ~」
とあっさりと言うし、「子どもがかわいいとか思ったことは
なかったんだよね」とも、さらりと言う。

母親として、では、どういう子どもに育てようとしたの?
とたずねてみると、

「大人として、ひとりの人間として、自分の意思をもった
自立した人間であってほしいと思ったし、他人に対しても
相手の態度をみて、どんな気持ちなのか、何を考えているか、
そういうことがわかる大人になってほしいって思ってたよ。
まあ、そういう意味では、Abyを子どもっていうふうには
見ていなかったなあ。だから厳しかったと思うよ。
今思うと、無理させちゃったなあ、悪いことしたなあって。
私から見ると、Abyが何か我慢しているようには見えなかったけど、
きっとストレスとかあったんじゃないかなぁ。ねえ、どうだった?」

と、逆にきかれたけれど、その他のエピソードを聞いても
あまり今のわたしの感覚や記憶と違わない。
母はそういう人だったし、わたしはそういう母を
誇らしく思っていた。


そう、わたしは母を誇らしく思っていたのだ。
その感覚の記憶がよみがえった。


たとえわたしがまわりと歩調があわないことがあっても、
「一人一人違うんだから、それの何が悪い」と
学校の先生だろうが誰だろうが、時代の常識や子育て観に流されず
反骨精神をもってわたしを守ろうとしてくれたのが、
わたしの記憶の中の母であり、この日、母からきいたエピソードも
それと寸分も違っていなかった。

母はダメな人だ、という別な記憶は、実は、
その後の父からの刷り込みが大きかったことも
今回よくわかった。

父は母のことを
「あの人は、わがままだ。自分のことしか考えていない」と
わたしが成長するにつれて言葉にするようになった。

最初はわたしも「あれ?」と思っていたのですが、
だんだんと父の言葉が内面に刷り込まれ、
「本当はお母さんは、いいかげんな人だったんだ」と思うようになった。

ところが、今回、母の言葉をきいて、
母に対して抱いていた思いが少しずつ、
思い出されてきた。
親として、大人として、母が実際にどうだったかは別にしても、
わたしが母に対してどういう気持ちを抱いていたかを
かなり正確に思い出せた。このことは、収穫だった。

というのも、わたしがどうも記憶がない、と感じていたのも、
記憶がなかったのではなくて、「今も変わっていないわたし、
今も変わっていない母」の記憶こそ、事実にそっていて、
父の言う「Abyは~だった、母は~だった」という記憶は、
父が自分にいいように捏造した記憶だったからだ。

わたしは大人になってから、
父が語るAbyの姿と今の自分とを重ねようとしていたので、
「どうもそういう自分の姿は覚えていないな、
そういう母の姿も覚えていないな。わたしは何も覚えていない。
どうしてこんなに忘れちゃうんだろう?」と
思ってきたわけです。


・・・ ・・・


話を戻して

「自分のことを話そうとしているか、他人のことを話そうと
しているか、それを明確に分けようとしている」

ということと、わたしの母の言動とは無関係ではありません。

母の言動は、いっけんまともに思えたのですが、
その他のエピソードをきき、照らし合わせるにつれて
相当問題があるようにも思えました。

このことは、わたしが子どもの頃のビデオ映像を見ても
わかったことですが、自分にはある特徴がありました。


 自分のことをしているときは
 自分のことだけ。
 他人に関わるときは
 他人のことだけ。


この徹底ぶりは、そこを意識して見てみると
すごかった。

ふつう、たとえばお友だちと遊ぶときは、
その「他者関係」のなかで自分の意思を表明しようとしたり、
したくてもできなかったり、と、自分をどう貫こうか?と
考えるものだと思う。その関わりのなかで、自分と他人との
境界線を学んだりするのだろうし、そこにあってこそ、
嫌なことはNOと言おう、好きなことをしてみたい、という
思いも起ってくるのだと思う。

ところが見ていると、わたしの場合、相手が兄弟姉妹であっても
いざ、その場が「他者関係にいる」とわたしが判断するやいなや、
完全に「わたしを消して」いるのです。
表面的な変化としては、一人遊びをしているのを急にやめて、
「まったく別な場面」にさっと移っています。


「Abyは兄弟姉妹と喧嘩もしなかったけど、一緒に遊ぶって
いう感じでもなかった」と、母は言います。


その意味もよくわかりました。


他者関係にあっては、完全なきりかえをしているらしく、
そこにわたしは「不在」ですので、喧嘩するはずもなく、
一緒に遊びを共有しているはずもないのです。
わたしが遊んでいるときは、ほとんどの場合、
一人で、遊んでいます。

「Abyは集団保育のなかでも、よく一人で遊んでいて、
あまりお友だちと積極的には遊ぼうとする子じゃなかったよ。
でも、それの何が悪いのよって、先生たちに
言ってやったことがあるわ。子どもらしく外で遊ばないとか言われて、
それのどこが悪いんだ!って」

と母がいうように、わたしがマイペースだったのは
確かなようです。とはいっても、お友だちと何かをするとなると、
それはそれでちゃんとやったみたいで、対人関係では
トラブルも少なく、お友だちとも上手くやっていたとのこと。
マイペースでしたが、相手から何か搾取して自分だけ
得をしようという自分勝手さは見られなかったようです。
それらの記憶は、今のわたしの記憶と違いありません。

つまり、「今はわたしの時間。今はあなたの時間」という
自他の区別が、子どもとは思えないほどに明確になされており、
端から見れば、いい子には見えたとしても、
子どもらしくは見えなかったと思います。

自分のことと他人のこととを厳密に区別していて、
すなわち、自分のために他者と関わる、という衝動、
たとえば「甘える」「頼る」という言動も、見られなかった
(と、母は言っていました。むしろ母親からすれば、
ちょっとショックというふうに感じたくらい、甘えたり、
助けを求めたりしない子だったようです)。

ただ、その「いい子」っていう言葉が気になったので、
母にその意味を確かめてみたのですが、
母のいういい子とは、大人っぽい言動をする子、
という意味のようでした。
なにせ、「Abyはかわいいね、いい子だね」というふうに
まわりの大人が言ったりしているのを聞くと、
母はイライラしたそうです。というのも、
「子どもっぽい」ということを免罪符に何でも許されるのは
人格形成に有害である、と考えていたみたいです。
(欲しいものは何でも買ってあげて、かわいいとおだてるのは
もってのほか、と思っていたようです。
まわりにはそういう大人が多かったので、母は自分だけでも
厳しくしつけなければと思った、ということでした)


また話が横道にそれてしまいましたが、
「今はわたしの時間で、今はあなたの時間」という区別、
自他の区別が徹底していたのはなぜか?と考えてみると、
母の影響はかなり大きいと思いました。


「大人として、ひとりの人間として、自分の意思をもった
自立した人間であってほしいと思ったし、他人に対しても、
相手の態度をみて、どんな気持ちなのか、何を考えているか、
そういうことがわかる大人になってほしいって思ってたよ。」


この母の言葉だけではわかりにくいのですが、
母が思っている他者関係というのは、そこでは
他人の思いをくみ取り、「他人のためには、ときには
自己犠牲もいたしかたない」という価値観があります。
ここには、我慢や抑圧を肯定する図式があります。

一方で、自分の意思、自立も強調します。
そのためには、まわりに流されない強さ、反骨精神、
我慢や抑圧から自由でありなさいというメッセージが、
同時にあるのです。


ここに最大の自己矛盾がありました。


父の言動にふりまわされて続ける母の
「こんなはずじゃなかった」という思いには、
この自己矛盾があります。
こうありたい、という思っても、同時に、
我慢するしかない、こうするよりしかたがない、という思いが
ぶつかり合っていて、自覚しつつも
どうすることもできないでいる。


わたしの場合、この母からの要求にどうこたえていたのかが
今回見えてきたところで、わたしの場合には、
「今は自分の時間、今は他人の時間」と分けて対処した、
ということです。


こうも考えられると思いました。


二つの自分を使い分けている、という考えです。


我慢や抑圧をしかたがないと割り切るわたしと、
我慢や抑圧から自由であろうとするわたし、です。


さらにここを考えてみると
一つの可能性に気づきました。


「では、我慢や抑圧から自由であろうとするわたしが
本当のわたしですね。このわたしの感情を救い出すことが、
不満を掘っていくことですね」

というふうには、どうしても、思えない。
この違和感は、今日のブログの最初にも書いた、
「わたしが不在な感覚」なのかもしれません。

つまり、我慢や抑圧から自由であろうとするわたしという、
その「わたし」というのは、「仮に作られたわたし」ではないだろうか。
・・・という考えに至りました。


「他」という区別を強く意識させるためには、
区別としての「自」を強く意識づけすることが必要です。


わたしが一人遊びをしているのを、ビデオ映像で観察してみても、
まったく「楽しそう」に見えないのです。
そのように意識的に見ていると、たとえば誰かから声をかけられたとき、
その一人遊びをさっとやめて、他人のための何かに従事しようとする。

はた、と思ったのは、この一人遊びの時間、
「自」という区別を意識している時間というのは、
他のための「スタンバイ」なのではないだろうか?
メインは「他のため」であって、自分というのは
その「他」という性質を意識づけするための道具なのではないか?
「他」に搾取されない(還元されない)ような自身の経験など、
たったの一度もなかったのではないか?
「自」という枠を意識づけするための遊びなど、
楽しいはずもない。そこでは笑顔も必要とされていない・・・

・・・ということは、この「自分」というのは、
他人という存在の対なるものとして、「仮作成」されたもの、
というふうにも考えられる。


たとえてみると、この仮作成された自分とは
「黒板」みたなもので、黒板それ自体のためにあるのではなくて、
それをコントラストに、白のチョークで文字が書かれる「為の」ものだ。

わたしはそういう黒板でありたくない、という
「NO」の発動があったからこそ、わたしは
自我復元をやろうと決心したのだと思う。

わたしは黒板ではないという気持ちがある。

でもどこかでわたしは、
黒板になろうとしたわたしもいるような、
なぜか、そんな気もしている。
もしもそうだとしたら、わたしの母はわたしが
「立派な黒板を目指す」には母親として適任だった、
ということになります。調教者として、です。


父という白のチョークのために生きてきたのが
「わたしの母」という黒板でした。


同様、ここ10数年を考えてみると、共同作業者であるPさん
という白のチョークのために、自分を抑圧してきたのが
「わたし」という黒板だったと思います。


そして、このわたしという黒板は、母の話をききながら、
子どもの頃から形成されてきた「仮の自分」という枠組み
である可能性に気づきました。


黒板は黒であることを主張してはなりません。


なぜなら、それを主張するということは、
反対色の「白」を否定することになるからです。

「白」のために「黒」という主張をとりさげながらも、
「黒板でありなさい」という立ち位置にいます。
そうであってこそ、白は生きていけるからです。

黒板を使ったたとえ話ですが、これが
「世話役」という抜けられない監獄システム
(=滅私奉公)というふうに思いました。
そこでは白は、黒にとって人質のようなものです。

こうやって、作られた仮のアイデンティティである「黒」
という主張すら、白に対する自責感から撤回してしまうのです。
もちろんそれは仮の自分ですから、囚われることすらないのだと
頭で思っても、この「仮の自分」以外に、
わたしが見つからない。

自分探しを何百年やっとしても、
見つかったとしても、仮の自分の黒だろうし、
言い方をかえて「ブラック」、記述の仕方をかえて
「black」がいいところ。

わたし自身、何を書いても、何をやっても同じことの繰り返し
と感じるのは、その言い換えという記号遊びの域をこえず、
しかも、それを繰り返してばかりの「わたし」すらも
「仮の自分」でしかないという違和感。不毛感。


今日のブログの最初に書いた
「つまらない」という感覚は、きっと
ここから来ているように思う。


崩残さんに宛てたメールを読みなおしても
自分の話をしている時は、いかにも自分の話をしているように見えて
自分自身、「本当は自分じゃないよね」とどこかに感じながら
言葉を記号のごとく言い換えを続けている。
エラそうに思われないように、嫌われないように、と。
他の人との関係でもそうですが、わたしは自分の話をするときは
とても疲れてしまう。いない自分のことを話そうとするのだから
それも当然かもしれません。

そして妙な気遣いもどきばかり。

いったい誰のために書いているのか、話しているのか。

自我復元がテーマなのに、読みかえしてみると
Pさんのことや他の人のことなど、半分近くは、
他者の話をしてしまっている。
もちろん、ここには仮の自分すら、いない。
その意味では、自分でないという違和感が薄れているため、
比較的スラスラ文章を書いているようだ。

自分の話で、かつ、比較的スラスラ書いているようなところ
というのもあって、これは仮の自分すらも「他者化」して
書いているところだ。自分のことなのに、どうしてこんなに
他人事なんだろう、というふうに思える箇所がそれだが、
こういう箇所が実はほとんどを占めている。

というのも、「他者を意識した行為」においては、
仮の自分すらも登場しない。仮の自分は、純粋な一人遊び
とはいえない「区別された妄想」の中に登場してくるだけで、
それに「ついて」語るときは、すでに仮のわたしですらなく、
それを語る意味はなんだろうか、というただの思考か、
読み手をへんに気遣う歪んだ配慮があるのみです。

残りはすべて、関係妄想のように思えます。


・・・ ・・・


世話という監獄から逃げたい、というところから
書きはじめたこの復元ノート。

世話とは、純粋な意味での利他的行為ではなく、
滅私奉公のことだと思いました。
滅私、自分を消す、これは、世話される相手からすれば
有り難い性質になると思います。

滅私というと、自分に囚われないなど、そんなふうにも
きこえやすいですが、そうではなく、区別としての
「他」に焦点をあてるためには、「自分」「私」というものを
たとえ仮のものであっても作り出す必要があって、
それを押し殺しての滅私であり、それではじめて、
「他者のために何かしたい」という動機が生まれます。

この動機そのものが、分割自我と同じようなことを
自身にやってしまっているように思います。
持てる自我のすべてを他者のために使おうとして、
仮のわたしをわざわざ作っておいて、他者を作り出し、
「他者のため」を演じているのですから。

その意味では、他者という存在は、
「仮のわたし」を確認する手立てでしかなく、
仮のわたしというのも、「他者のため」という名目で存在します。


これの、いったいこれの
どこが面白いのか?


こうやっていろいろ巡り巡っても
結末はいつも同じ、
「つまらない」ということになります。


崩残さん宛てのわたしのメールを読みかえすと
自分の話については、できるかぎりそのつまらなさを
隠そうとしているだけ。それがバレないだろうか、
エラそうに思われないだろうか、と。

そのために、自分をまるで他人事のように位置づけて
分析や解説にはしる。だから、表現だけが気になって、
記号を小奇麗に揃えるような小手先のことをする。

いずれにしても、自分自身、自分がどこにもいない
という違和感で書いているのだから、自問などどこにも
見あたらない。「自問したい」と口では言えても、
自問はできないのです。

その意味では、自己嫌悪や自虐という行為すら
仮の自分を使ってのそれでしかなく、
(そうすることで、他や利他という区別の輪郭を
明確に保てているのだと思います)
自己嫌悪もどき、自虐もどき、自問もどき、です。
その証拠に、わたしはその「もどき」に
いたみを覚えたことは、今までなかったのです。

また、他人の話にでもなれば、そういった自分の
違和感からやや楽になったとばかり、
意気揚々と語りはじめます。ふつうなら、その話の中に
「自分の主張」が自然と入ってくるだろうに、
仮の自分すらそこにはおらず、なんとも薄気味悪い。

本人としては、自分の利をかえりみない
「純粋な利他行為」だと思いこんでいるのですが、
その歪んだ利他行為遂行のために
他者を利用していることには、なかなか気づけない。
最後には他者に迷惑をかける始末。

ケースによっては、相手から「ありがとう」と
言われたとしても、その言葉を純粋に喜べる
「わたし自身」がいないのだから、
笑うことも、喜ぶこともない。
しかるべき業務をまっとうした、という充実感があるだけで、
プラスマイナスゼロのような、そういった束の間の
安堵感でしかない。挙句の果てに、その安堵感を錯覚し、
「これこそわたしのやりたいことだった」と
関係妄想するので精一杯、といったところ。


この2ヶ月間のメールを読みかえして、
また、この期間の出来事を思いかえすと、
これらのパターンを繰り返している。
文章としてまとめて読みかえすと
それがあまりに露骨だ。


ただ繰り返している。


記号の羅列としか見えない、
円周率を延々と唱え続けているだけ、
という感覚があるだけで、
自分の言葉で、この自分をもって発言している、
行動している、という感覚がありません。

こうやって書いていても、この違和感、
気持ち悪さだけは後味悪く残り続けます。


2013.08.16
Aby



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by jh-no-no | 2013-08-16 22:28 | 復元ノート 1


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