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無明庵に再び辿り着くまで ③

無明庵に再び辿り着いてから、はじめて自我判定を依頼するまで、
その時期のことを書いてみようと思います。

①、②のなかで、わたしは「奮闘の様子を・・・」と書いたうえで
書き始めたわけですが、いざ書いてみますと、奮闘の様子でなく、
どんなことが起こっていたか、という回想記録のようでした。

書いてみて、わたしがまず思ったこと、そして書き留めて
おかないといけないと思ったことは、
あのような状況にあっても、わたしは、
奮闘どころか、戦うこともせず、むしろ、
「充実した時間だった」と認識した、ということでした。

わたしが傷つくこと、血を流すことは
それこそ役目を果たした勲章とばかり
わたしは喜びさえしました。
・・・これでやり残しは、最低限は終えた、と。

「すべてを失っていいほどの運命と出会い、
無我夢中に生き、波乱万丈だったけれども
輝きをまわりに見出そうとし、外の世界にも視野を広げ、
やりたいことはすべてやった、もうこれでいい」

わたしはその10数年間の体験を
そう解釈してきました。

「職を失い、私を失った上に、道具としての私の価値も失って、
使い物にならず外に放り出されて身体を売うようにして生きのびた。
戻る頃には声も出なくなっていた」という出来事は、
わたしのなかで、完全に自動的に、喜びの記憶として
自動更新をしていきました。

結果、最終保存した記憶は、先述のような
「すべてを失ってもいいほどの・・・もうこれでいい」
となりました。

もうこれでいい、というのは、もうおしまいでいい、
という意味だったと思います。
わたしのなかで「おしまいの妄想」は、つねに
生きのびてきました。

わたしが自身の体験をどう認識したとしても、
結果として、わたしはあのような体験で声を失った「わたし」を
「さらにわたし自身の手で」使い捨てにしようとし、
絞め殺し、遺棄しようと目論んでいたのは
まぎれもない事実でした。

人間として、それ以前に生き物として
自尊心のかけらもない振る舞いで、誰からも
同情の余地なく、じゃあ早く死ねよ、と言われても
何も文句がいえない状態です。

なぜそのようなわたしが、生き直すことの入り口の
自我復元に巡り合ったかは、とても奇妙なことですが、
好奇心からではありません。

もうどうでもいい、おしまいにしたい、という
わたしでしたが、どうしても不安だったこと、
つまり、その不安という現実から逃れたいという願望
だけは残っていました。いつからかというと、
無明庵の書籍から離れたあの頃からです。

その、わたしにとっての現実、わたしがずっと
怖がっていた、もしかしたら他の人から見たら
単なる妄想としか思われないような、でも、
わたしにとっては、決して無視できなかった恐怖のことを
③として書いてみるつもりです。

無明庵に再び辿り着いてから、はじめて自我判定を
依頼するまでの約1年弱の期間は、そこに覚悟をきめて
足を踏み入れるまでにかかった時間でした。


◇ ◇ ◇


なぜ、無明庵の書籍から離れたか、というところに
少し戻ってしまいますが、わたしが離れた理由は、
それがあまりにリアルで客観視できなかったため怖くて逃げた、
というふうに言うほうが正確かもしれません。

怖くなければ逃げることはなかったのですから、
「人生のやり残しをやるために」というのは、
後付けとして見つけた理由だと思います。
(ある意味で、やり残し、でしたので
後付けであることにも無自覚でした)

わたしにとって何が怖かったか、というと、
この人生というドラマは、「死後も」終わらない、
という事実でした。

わたし自身は、オカルトとかまったく知らずに
無明庵と出会ったので、こういう話ははじめてで、
わたしはずっと死んだらすべておしまいになると、
小さい頃から思っていました。
あの世があるとか、そういう話はきいていましたが
まさか、と思っていましたから、死後は
何にもなくなるんだ、だから今、悔いのない生き方をしよう、
というふうに考えるのが常でした。

そういう考えの延長線上で「おしまいの妄想」は
ふくらんできたわけであって、死後の世界や輪廻の話を
きいてそう考えてきたわけではありません。

ところが、無明庵の書籍と出会い、ここにはまったく
「うそがない」という感触から、この死後も人生は終わらない、
永久にこの宇宙のなかで生きるために生きるのだ、
という現実を知りました。おしまいにはなれないのだ、
という現実です。

それだけでしたら、わたしはおそらく
自我復元に踏み出すことはなかったと思います。
せめて行法を行い、なんだかやったような気になり、
やや正常な気になった気がして、ある時期がくれば、
「おしまいにならないのなら、それもしかたがない。
時期がくるまでは、生きていくしかない。だって
それが現実ならしかたがないよ。開き直って
生きていくしかないさ。これからは何をしよう・・・」と
それこそ永遠に同じことを繰り返しては、刹那の快不快で
気をまぎらわしては、ああだこうだと言ってばかりの
人生であったと予想されます。
自己嫌悪も抱けない鈍感さとどこか偽善的であり続ける
ことに文句をいいながらも、その正当性をなんらかは、
見つけたと思います。

ところが、わたしにとって何が一番の恐怖だったかというと、
ずっと生き続ける、それが終わらない、という事実、
その事実ではありませんでした。

そうではなく、生きることも死ぬこともできずに、もがき
発狂し続けながら存在し続ける、幽閉され続けるということ、
そのことが「終わらない」という事実が
わたしにとって一番の恐怖でした。

「終わらないかもしれない」と言いつつも、
心のなかでは、わたしはいつもどこかで
「おしまい」を夢見ている。

この状態でもしも今死んだ場合、死後、中間領域
(その当時はその言葉は知りませんでしたが)で、
「わたしは、もうおしまいにしたい。消えたい」
などと口走ったら、どうなるだろうか?
きっと、無明庵の本にあった幽閉された種族のように
「生きることも死ぬこともできない領域」に
永遠に幽閉されることになるのではないだろうか、
発狂しようがどんなに苦痛を訴えようが、いつ終わるかも
わからない暗闇に閉じ込められて苦しみ続けることに
なるんじゃないだろうか、終わらない最大級の拷問が
頭をよぎるたびに、この「拷問」の二文字が頭をよぎると
頭を左右に激しく振って、忘れようとしました。

地球上に存在する拷問を強く意識して
恐怖するようになったのも、無明庵と最初に出会ってからでした。
身体的、精神的な苦痛を強く意識しはじめたのも
その頃でしたし、なにより、「生きることも死ぬこともできない」
その生き地獄ということが、わたしの頭のなかで繰り返し
イメージされました。「終わらない」ということの恐怖。

この恐怖に耐えかねて、わたしは逃げました。
それが無明庵から離れた10数年前のことです。
かわりに「やり残し」というものに、すがりました。
逃げてもなお、ここで生きる意味はそれしかありませんでしたし、
そのやり残しは他の人からどんなに無意味で酷いものに見えようと
わたしにとっては、それがすべてでしたし、
「努力の話」と同様、皮肉にも、わたしはそれが
苦でありませんでした。

2012年に入ったあたりから、わたしの内職としての
仕事も一段落し、環境にも変化がありました。
奴隷として働いてきた結果、なんとなくの形もできました。
わたしの役目は、いったんはここまでだろうと思い、
冬眠中だった違和感がわずかでしたが疼きはじめ、
久々に無明庵の書籍を手にとりました。

行法をやっていないことを思い出し、そういえば
無明庵のサイトもあったような・・・という記憶から
サイトにアクセスすると、その後に出された書籍の
情報も見つかりました。

行法をキーワードにいくつかの関連のものを
購入し、さっそく基本行からはじめていきました。

4ヶ月ほどの期間に、無明庵のサイトや新刊の
書籍を読むようになりました。

そして幽暗行に入った頃、2013年のはじめ、
分割自我復元法を開始しました。

それから4ヶ月後にはじめての自我判定を
依頼することになるのですが、
わたしにとって、これは、今回は棺おけに
入るような覚悟がいりました。
迷いはなかったのですが、覚悟がいりました。

これに足を踏み入れたら、もう戻れない。

でも、ここで踏み込まなければ、わたしは
「おしまいにしたい」という中途半端な望みすら
捨てられず(叶えられもせず)、誤魔化しながら、
この生においてもずっと同じことを繰り返しながらただ生きて、
死後もおそらくさらに分割された自我でボケっと
地球にまた生まれて、拷問のない世界を望みながら
怯えてまた一生を暮らし、また次の生もさらに
酷い地域を選んではそこで暮らし、酷い経験をしながらも
そこから抜け出したとたんにその酷さも忘れてしまっては、
また生まれ・・・そうなりたくないとどう強く望んだところで、
いや、強く望んだとしたら、宇宙規模の幽閉空間に
宙吊りにされて発狂するに違いない。

馬鹿げた妄想だと、自分自身にも言いきかせはしたが、
わたしにとって、これは冗談にならないほどリアルな事実で、
この事実を容赦なく提供されていたのが、無明庵でした。
(この解釈が間違っていないかどうかわかりませんが、
その時わたしは、無明庵のコンテンツをそのように読んでいました)
後に、無明庵のサイトも閲覧するようになるわけですが、
その濃縮された記事の一つ一つは、この事実、
おしまいにならないというだけでなく、おしまいを望む者が
いつかはたどることになるであろう恐ろしい未来を
赤裸々に提示しているように思われました。

ここに入ったら、もうこれは本当の本当に
現実になってしまう。
その現実に取り組む覚悟は、わたしにあるのか。
興味の対象としてやってみるのとは次元が違うんだぞ。
本当に本当の話になっちゃうんだぞ。
やり残しとかで気をまぎらわすことも、もうできないんだよ。
怖い気持ちと向き合うなんて、お前にできるのか?
怖いことに自ら向き合おうなんて言える人間はいるのか?
そう思い込んでいるとしたら、お前は嘘つきかもね。
怖いとわかっているところに、自分から立てる人なんて
いるわけないんだ。偽善だよ、そんなのは。
結局、自我復元も何かの足しにしたいんじゃないの?
「そうじゃない、何かになりたいとかはないんだ」と
言ったところで、そういう自分でいい、と思いたいだけでしょ。
今だったら、引き返せるから辞めときな・・・。

自分の内側から、そういう声もきこえてきました。
わたしの内側から、誰だかわかりませんが
そういうことを言ってくる誰かがいます。

振り返ってみれば、わたしは、自分を切り捨ててきただけじゃなく、
まるごと捨ててしまうような、まるで自分を無価値なモノのように
ゴミ焼却所に目をつぶって投げ捨ててしまう人生を送ってきました。
その様子を、このブログに書いてきました。

もう自分を裏切りたくない、という気持ちから
このブログの名前もそれを反映していますし、意識的なところでは、
それが自我復元をはじめた理由といえますが、
その裏切りたくない、と「言っている者」が誰なのか、
今、わたしは少しずつ、わからなくなってきました。

裏切りたくない、という気持ちのもっと最初のほうに
あったものは何だったのか、そこを考えてみたいと思って、
今回③として、判定依頼直前までの時期を書くことにしました。

裏切りたくない、という気持ちはもちろんあります。

でも、もっと違和感のない表現をしようとすると、
わたしは今、怖いという、そういう感じです。
今じゃなくて、ずっと怖かったし、この怖さが
これから薄れていくことも想像がつかない。

生き地獄、その幽閉の場に生きていい、とだけは
わたしは思えない。
そこでだけは、どんなにやついているヤツでも
にやつけないはずだと思っている。
わたしのように、自分の尊厳を切り刻んで、自分をまるごと
焼却炉に投げ捨てても作り笑顔ができるような、これほどに
無慈悲で、人の心が麻痺したロボットのようなわたしでも、
その生き地獄だけは、絶対に避けたい。
冗談でもそれを体験したいとは思わないし、
そこに放り込まれることも絶対に避けたい。

オカルトとはまったく無縁に生きたわたしが
こういうことを言うことになるとは想像さえしたことも
ありませんでしたし、自分でも耳を疑いますが、
「裏切りたくない」という人間的な感情の言葉よりも、もしかしたら、
ただの拒絶、恐怖からの拒絶、怖い、という感覚のほうこそ
実態には近いのではないかと、ここまでノートを
書いてみて思うところがあります。

捨てたのもわたしですが、
拾おうとしているのもわたしです。

誰が何を捨てたのか、誰が何を拾おうとしているのか、
これはまだわからなくて、これからこれを
掘り起こしていかなければいけないと思っています。
ただ、捨てようとしたことと拾おうとしていることという
矛盾から、わたしのなかの故障を見つめていく必要がある、
最大級の故障でも、これだけはなんとかしないと
死ぬに死ねない、というのが今の気持ちです。

その意味では、今一番怖いのは、
自我復元が完了せず、死んでしまうということ。
だから絶対に、100%の自我になって人間になるまで、
いくら故障が最大級でも、それまでは死ねません。


2013.07.24
Aby



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by jh-no-no | 2013-07-24 12:50 | 無明庵に再び辿り着くまで


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