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(後半) 「やってみる」の壁

 ・・・『(前半)「やってみる」の壁』の続きです。


以前、ブログに、年始に父と母と外食をして、
父が店員にぶちきれて暴れた話を書いた。
そのとき、母が「昔のことなんて話したくないわ」というような
ことを言ったとき、正直、わたしは「困った」のだ。

なぜかというと、わたしの中で、
「話がきけなかったら、自我復元に支障がでる」というふうに
勝手に思いこんでいたからだ。

たしかにそういうこともあるかもしれないが、
問題なのは、そうやって、まるで迷信のような仮想の恐怖を
自ら作ってしまって、勝手にこわがっていることだった。


これはわたしの悪い癖なのだが、
この癖もまた、とくに母親由来のものだと思っている。
というのも、母はよく「~したら〇〇〇になるよ」と
そういう言い方で未来の不安をあおったからだ。
実際、迷信もよく口にし、それを利用して、しつけもした。
父親の格言も酷いが、日常会話のなかで
「迷信構造の言い回し」で調教する母も猛毒だ。

だから、わたしにもその考え方がコピーされて、
「~したら、自我復元できなくなるかもしれない」とか、
「~したら、崩残さんに見捨てられてしまうかもしれない」とか、
そういう設定をしておいて、自分がやっていること、やったことを
なんとかこじつけてでも、「わたしのせいなんじゃないか・・・」と
やってしまう癖、その妄想が酷かった。


この年始のときもそうだった。


それだけでなく、Pさんと母の電話での口論もあって、
「もうAbyと口をききたくない」という勢いで
母に八つ当たりされて、さらに焦った。
わたしの頭は不安の妄想でいっぱいになってしまった。

「わたしのAC人格が掘らせないように、
Pさんを無自覚に母と衝突させるように企てたに違いない」

と考えたり、さらに、

この年始の食事のときに、わたしは年始でもあるし、
あまり詰問調の話になったりしたくないから、会う前に、そうだ、と思って、
「どんなときに笑ったり怒ったりする?こういうときに笑うのはいいけど、
こういうときに笑うのはちょっと・・・と思ったりすることってある?」
みたいなのを、色付きの可愛らしい用紙にアンケートっぽく書けるように、
と思って持っていったのだが、それを見て、

「どうして、Abyは、昨年も昔のことをきいてきたの?」

と不審がられて、それで、なんとなく、こんな展開になったものだから、
「喜怒哀楽のことは、タブーだったのだ。なんで、そんなことを
きこうと思ってしまったんだろう。もっと自分で考えべきであって、
そんな話題をふったわたしが間違っていた。あんなへんな用紙を
作ったことからして、どうかしていたんだ・・・」

と考えたりして、


日に日に、


「わたしはなんてことをしてしまったんだ」

と、妄想だらけで、

怖くなってしまった。


自我復元という理論を極度に恐れ、また、
「何てことをしたんだ!」と崩残さんからも罰を受けるに違いない・・・と
まさに調教由来な仮想の恐怖を、そのまま投影した。

このことは昨年の終わりの頃に、掘っていたことだったから、
「自分のせいだ・・・こわい」という恐怖は、これこそ、調教由来の恐怖に違いない、
と思っていたので、こわかったけれど、どういうことがわたしに
起こっているのか、観察することにした。

まず、このループにはまってしまうと、
こじつけだろうが、正しかろうが、「自分のせいじゃないだろうか」と
思ったことは、言えなくなる。


隠そうとする。


そして、その次がまた問題だった。


隠しているのは、こわいからであって、
しばらくすると、この恐怖に耐えられなくなる。
すると、「自白したくなる」のだ。

全部さらけ出して許しを得ようと、媚びるようとする、
とり乱し、泣き落としに入ろうとする。
以前、このブログでも、わたし自身、自分のこういった態度について、
「正直ごっこ」と書いた記憶がある。


いっけん、このさらけ出すことのほうが、
誠実な態度に思えてしまうのだが、その動機は、
同じ、恐怖なのだ。

「こわいから、隠す」というのも、
「こわいから、報告して、許してもらおうとする」というのも、
「こわいから、報告して、問題ありませんと言ってもらいたい」というのも、
どれもこれも、自分を裏切っていることには変わらない。


どれも不誠実であって、
どれも裏切っている。


恐怖に甘んじている状況で、これではかつてのあの
「タイムカード不正事件」と同じだ、と思った。


ただ、これはどうしても、解決したいことだった。

どうして、わたしはいつも不誠実な選択しか
できない状況に陥るのか。
従う、ということで、なぜ、安心を得ようとするのか?



自分のせいかもしれない

自分が間違っていたかもしれない



反射的、自動的に避けてきたもの、
拒絶していたことに向き合ったとき、だんだんと、
「何がこわかったのか?」がわからなくなってきた。


怒られること?

ん??


こわくなくなったわけじゃないけど、
何がこわいのかが、よくわからなくなった。


自分が間違っていたと思ったら、
そう思って対処すればいい。

自分のせいだ、自分が悪かったと思ったら、
そう思って対処すればいい。


年始のこともそうだ。

AC人格がやらかしたこともあるだろう。
だったら、なおのこと、そこを掘って掘って、
そんなAC人格、クビにしてしまえばいい。
それはどんな局面でもそうじゃないか。

恐怖に甘んじて、ただ隠そう、
ただ自白しようといって思考停止して、
それで誰が得をするか、といえば、
それもやはり、親なのだ。
そして、掘られないで済むACは笑っている。

実際、この年始の際に、あやうく、
「わたしが悪い」で納得しようとしてしまっていた。
それで免責され、高笑いするのは親だ。
「都合の悪いことは、きかないでね」と。


「いいえ、これからも
必要あれば、ききます」


と言ってもいいし、言いたくなければ言う必要もないし、
きく必要もないけど、こうやって母親が取り乱して顔色を変えたり、
何も悪くない店員を見せしめに父親が怒鳴ったりするというやり方は、
卑怯だし、この人たち、ずっとこのやり方かよ、とあきれた。

でももっと、本当は、置き去りにしてはならなかったのは
「わたしのせいだ、いや、わたしのせいじゃない、いや、・・・」と
思考停止をゆるしているうちに、そのとき、


〝本当に感じていたもの〟


それがたとえAC人格のしわざであり、
調教由来の不安だとしても、なにが原因であれ、


「困った」


という気持ち。

それを「言いたかった」という気持ち。


これをわたしは置き去りにした。
置き去りにしてしまった。

こんな気持ちがあったことにも気づかず、麻痺していた。


タイムカード不正事件のときもそうだった。


「わたしのせいだろうか、いや、そんなことはない、いや、・・・」
とやっているうちに、困った、誰かに相談したい、どうしよう、こわい、
そういった気持ち、たとえそれが仮想の恐怖であれ、その
「困った、と感じたこと」は、なかったことにすべきじゃなかった。


困った、という気持ちと、
自分のせいだ、という自責と、
こわい、という仮想の恐怖が一連の流れとして
自動的に生じるようになっていた。
自責すら、自分の意思でなく、
「用意されていた」という罠。


それを仕込んだのは、親だ。


顔色ひとつで、親にとって都合のよい方向へ言いなりだ。
「決めなさい」という呪縛。
それに連動して作動する「決めてもらいたい」という依存。


なぜ決めなきゃならんのだ。


決める以前に、わたしはわたしで思っていることがあるんだ。


それに対して、どうして、「間違ってるかもよ」とか
横槍いれてくるんだよ。


間違って、いい。


「これが絶対正しいわけじゃないかもよ」と言うのなら、

「そうかもね」

で、おしまいだ。


決めつける必要だって、なかった。

わたしの「決める」っていうのは、
「決めてもらう」という意味だったから。


内職についても、決める必要なんてなかった。
「今はもう、このまま続けたくはない。
魅力的に思えないし、ワクワクもしない」


やりたくない、というだけで十分だった。


もちろん、どうしてそう思うのか、そこには
AC人格が生きのびようとする落とし穴があるのかもしれない。
でも、それとこれは別だと思った。

2月の最終日になってしまったけど、
わたしは決めた。いや、決めたのでなく、そうした。


「いったん、中止しよう」


内職はいったん中止しよう。
そうなると、また、
新たに考えるべきことが出てくる。

内職と無縁ではない今の仕事は、
見直していく必要はないのか?


あるだろう。


たくさんあると思う。


そもそも、仕事以前に、人として、
どこであれ、誰に対してであれ、
「相手はバカだから、相手にあわせて笑ってあげるだの、
相手にあわせて怒らないであげようだの」
こんなの、どこにどう出ようが、狂っている。


もう一度、自分に問いかけたいのは、
なぜ自我復元をしているのか。


今やっていることがいい、と
言ってもらいたいからじゃない。

いいと言ってもらえそうなことを、
これからやるためじゃない。

それがたとえわたし自身の自分の
ブログやノートであっても、それに依存し、
それを地図に歩いて、安心したいためでもない。


それでは「従う人生」だし、
「恐怖に甘んじる人生」だ。
今までの人生と、それでは何も、
何ひとつ、変わらない。


間違いたくない、と怖がる前に
手放してはいけなかった自分の気持ちはなかったか?

決めなきゃ、と焦る前に
手放してはいけなかった自分の気持ちはなかったか?


ないがしろにした自分の気持ち、
置き去りにした自分の気持ちはなかったか。


何度も自問していきたい。



・・・


ここ二週間、過去の記憶を掘りおこしていて、
ここに書ききれなかった過去のエピソードをいくつか
メモのようになりますが、自分の備忘録としても
書いておきたいと思います。


・・・


【エピソード その1】

こんなことがあった。
以前にも少し書いたと思うけれど、
おそらく小学生になった頃だったと思う。

その頃、ある施設で訓練中の体罰が問題になって
マスコミをさわがせた事件が盛んに報道されたときがあった。

きっとわたしが何か、母に不都合なことを言ったり
やったりしたのだろう。母は、

「あそこに入れちゃうからね」

とわたしを脅した。

怖くて怖くてしかたがなかった。

たいていのことは、耐えてきたけれど、
これには耐えられなかった。
水の恐怖、火の恐怖、どっと押し寄せてきて・・・。

わたしは泣いて懇願した。

「入れないよね、入れないで、入れないで!」って。

恐怖を自白して、

「入れないわよ。冗談よ」

と、「許し」を得た、そういう経験だった。

隠す、隠せない、自白して許してもらう。
この基本的なパターンの、最も記憶に残っているエピソードです。


追加:
このエピソードについて、もう一つ、思ったことがありました。
それは「入れないよ」と言われて安心したこと以上に、
「わたしがこんなにもこわがっている、そんな状態に
〝私がさせたんだ〟と母に思わせてしまったことを、
わたしが母にしてしまった罪悪感」が残った記憶があります。



【エピソード その2】

これも以前、少し書いたことだけれど、
音の出る鉄砲で自分のお店で遊んでいた。
4歳か5歳くらいだと思う。強く記憶に残っている。
わたしのおじ(父の兄)は
「今、警察呼んだから」と、脅した。

わたしはダンボール置き場に逃げて、隠れた。

どのくらい時間が経ったろう。
「冗談だよ、呼んでないよ」とおじちゃん。

わたしはこのことを母に言えなかった。

先月、保育園に通っていた頃の「保育連絡帳」を読み、
このことに触れているところがあったので読んでみて
唖然としたことがある。

何があったか、わたしは最後まで言わなかった。
警察を呼ぶ、と言われたことを。
母は詳細を後に、おじちゃんから直接、
きいたらしい。

保育者宛てのノートにどう書いてあったか。

「たまには、親以外の人から注意されるのも
くすりになっていいみたいです」

なにそれ?

4、5歳の自分の子に、「警察を呼んだ」という脅しを
かけたおじちゃんの味方をして、ショックで何も話さない
自分の子を見て、「いいくすり」って・・・酷くないか?!

わたしはこの事件は、このノートを見るまで
親にも一言も言っていない、とさえ思っていました。
そのくらい、一人で抱え込んだ記憶が強かったから。

隠した、という記憶が残っている、
一番幼少の頃のエピソードです。


追加:
この一人で抱える、相談できない、というふうにして追いやるやり方は、
父も母も「自分の親に対してそうだった」ことから、
世代間で、ずっと連鎖してきたと思う。
母も父も、生育環境を見ると、「自分のせいだ、自分がいけないんだ」
と納得してその場をしのごうとする歪んだ自己解決方法が身についている。
AC人格が状況を受け入れるための口実になってしまっている。
本文にも書きましたが、この自責は、いっけん自分で課した不自由のようで、
実際はそうではなく、だから、自分で課した不自由だ、という実感が起こらない、
という点。これが今回、気づいた点です。



【エピソード その3】

これは書いたことがないものです。
たぶん、これも小学生になったくらいだと思います。

なぜ、わたしはそんなことをしたのか、今でもわかりません。
わたしのマンションの2Fの途中の階段に、
何かがおしっこをしているらしく臭う、という問題が起こりました。

それは、わたしがしていたのです。

問題になっていたのは知っていたので、ビクビクしながら
立ちションをしていたのですが、ある時、父に見つかりました。

そこからわたしがとった行動が問題でした。

近くにすんでいた「K君」という、
ちょっと年上のお兄ちゃんが、その近くに置いてあった
廃棄処分の便器におしっこをして、いたずらしたことがあるのを
知っていました。一緒に遊んでいたからです。

それはその随分前のことで、たった一度の遊び心で。

なのにわたしは、父につかまって、
「K君が前にやっていたんだ。だから・・・」と、
わたしは、関係ないのに、
K君のせいにしてしまった。

結果、K君も呼び出されて、二人で父の両親(そのマンションの
2Fに住んでいたので)に謝りに言った。

わたしはK君も強く叱られたことに
罪悪感はあったけれど、それでもあのとき、
すでにわたしは、「自分のせいにならないためなら」
手段を選ばないようになっていたのだと思います。

「自分のせいじゃない」と必死に隠蔽しようとした、
幼い頃の記憶。



【エピソード 4】

これは本当にあったことかどうか、
記憶にない。だけれど、感覚として強くある記憶。

おもちゃ屋さんで、おもちゃを買ってもらおうとしている。
今、売出し中の、メインの商品が明るいところに
きれいに並んでいるのに、わたしは店の隅のほうにある、
ややほこりをかぶった、もう売れそうにないおもちゃを見て

「これ、ほしい」

と言う。

母は決してダメ、とは言わず、
こんなのやめたら、こっちにしなさいよ、とも言わない。

「これ?」

とわたしを見て、

わたしは、「うん」と言うと、

「これ、ください」と言って、お財布からお札を出す。


この、「これ?」ときかれてから、お札を出すまでの
ここが、見ていて見ていられなかった。

見ていられなかったのは、顔色だったと思う。

本当は「こんなの?」
と思ったんじゃないだろうか。
わたしはへんな選択をしてしまったんじゃないだろうか。
きっと、そうだ。
なのに、お金を払わせてしまった。
大事なお金。

親がしたくなかっただろうこと、本当はやりたくなかっただろうことを
子どものわたしがさせてしまった、という罪悪感。

こういうことはしてはいけなかったんだ。
「じゃあ・・・これ、ください」と言ってお札をお店の人にわたす時の
その母の表情を見て、
「こういう顔を親にさせてはいけない」と思った記憶があります。



【エピソード 5】


これは以前に少し書いたかもしれません。

母の友人の家に遊びに行った。
電気を消して、お化けごっこをしていたら、
ベッドの一部だと思うけれど、そこに弟の唇がぶつかり、切れて、
何針か縫うほどのケガ。

「何てことしてくれたのっ!」

と、突然、わたしは母に平手打ちをくらった。
わたしがやったわけでもないのだけれど、
わたしは自分のせいだ、と思った。

お兄ちゃんだから。

それに、こんなことになれば、
父に母は怒られてしまうだろう。
もうここに来られないかもしれない。

案の定、それからはそこに
遊びに行けなくなった。

母にも申し訳ない、と思った記憶。

それだけじゃない。

やっぱり、そこですっぽり置き去りにしたのは、
わたしはそのとき、弟が血を流しているのを見て、

「困った」

という、その思い。気持ち。
すごく困ったけど、間髪いれず、ひっぱたかれた。


「すごくびっくりしちゃった。
Bちゃん、大丈夫かどうか、心配になって
どうしていいか、困っちゃったよ」


本当はあのとき、こう言いたかったのに、
わたしは言えなかった。

言わなかった。


・・・


もう少し、追記します。


どこを輪切りにしても、結局、「親の言う通りにしろ」
というメッセージに満ちていた。


親の意見は絶対だ、親は間違わない。
うちは完璧な親、理想の家庭だ。
だから、親に都合のよくないことや、不快なことがあったら、
子どもの「お前」が悪い、に決まっている。
そんな子どものお前が決めたりでもしたら、
めちゃくちゃになる。

親の考え、意見に従いなさい。

自立しようが、自信を持とうがなんでもいいけど、
「親が不快になることだけは、してはならない」


親、という例外。


普段のわたしの行動パターンのひとつに、
「相手がどう思うか、相手がどう感じるか」を即座に判断してから、
行動に出る、という根強い癖がある。

どうして咄嗟にこうなってしまうのか、
少しずつ、見えてきたように思います。

こうやって「親」と接することが、
親が埋めこんだ地雷を踏まずに済む、
ということだったと思う。

相手のことを考えなさい、
他人の気持ちを察しなさい、というのは、親が、
「わたしたちのことをまず考えて、言いなさい、動きなさい」
ということだったんだ、と気づいた。


親を不快にさせるようなことをしなければ、
ここはいつも、安心よ。
こわくないし、迷わない。

親を不快にさせるようなことをすれば、
それはうちの子じゃないわ。
そんな子は、こわがれ、迷え。


たったそれだけよ。


親だけは、たてなさい。


それが礼儀であり、常識です。
人として当たり前です。


・・・と、毒親全開で正直に言ってくれればまだしも、
「親」とは言わず、それを、「他人」、他者のため、と
言いかえたこの手口は、酷すぎる。


だから、わたしの利他は、本当の利他じゃない。

それは、親にとってのみ都合のよかった道であり、
わたしが「この道が安心」と誤認した道であり、
安心を得たいがために利用した道であり、
他者を利用したのであって、差別した。


お互いに尊重しよう、なんて嘘っぱち。
本心はつねに「何でわたしに感謝しないんだ、このやろー!」
と、「オレを認めろーーー」の奉仕もどきのAC一点張りだ。
「がまんしてあげてるんだぞ」って、頼んでねーよ、誰も。



わたしが本当に歩こうとした道を
歩きたいと思う。




2014.03.03
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
# by jh-no-no | 2014-03-03 05:25 | 復元ノート 1

(前半) 「やってみる」の壁

「ちょっとやってみる」


今日もこのことを思ったのだけれど、この

「ちょっと、やってみる」というのが、実は壁だった、
ということ自体、長い間、気がつかないものだった。

だいたい、ちょっとやってみる、というのは
わたしにはなかった。

やるからには、そこに意味がなければいけない、
価値がなければいけない。
漠然とそういう観念が、当然のようにあったから。

でも、これは聞こえのいい、チープな格言そのもので、
その観念の裏側には、毒親調教由来のものがある。


だから、間違ってもいいからやってみる、とか、
「これだ、これで〝いいんだ〟」と決めつけないでいいからやってみる、とか、
すごく簡単な言い方をしてしまうと


「チェレンジする」


というのが、皆無だった。

以前、10歳頃のわたしの映像が残っているVTRを見たときも、
一番末の弟とわたしは、まったく違う行動をしている。

弟は「なんでもやってみる」を普通にやっているのだが、
わたしはいつも、事前にわかっていることを「こなしている」だけで、
ワクワクも、ドキドキも、ない。
一方、弟は、「こわいよ~」と言いながらドキドキいろいろやったり
やんなかったりしているし、「やったー」とか言って調子にのって
ルンルンしている。彼には少なくとも表情がある。


なぜ、チェレンジができないか?


このあたりを、今回は集中的に掘り下げてみた。


・・・


2月の末までに、わたしはひとつ、「決めよう」と思っていたことが
ありました。

それは、今やっている内職を、継続するか、それともどうするか。

内職というのは、今まで何度かブログにも書いているもので、
3年前くらいから、仕事とは別に、無償活動のボランティアとしてやっているもの。

例年この時期は寒いし、灯油も使うので、年始から一定期間は休むのですが、
再開することをためらっていた。

理由は、この内職を開始した動機というものが、
以前にもブログで書いてきた通り、


・ Pさんに自分の価値を認めてもらいたい。
  (または、自分の価値を認めてくれなかったPさんへのあてつけ)

・ Pさんから抑圧された性的不満を吐き出したい。

・ 両親が抱いている「母親への恨み」の代理復讐のため。


AC人格にとって、居心地のいい場所を作った、ということ。
昨年の段階でこのことは見えてきて、だったら、
「そんなのやめてしまえ」となるのが当然に思えたのですが、
そんな簡単ではありませんでした。

というのは、これだけの「続ける意味のない理由」が整っている
にもかかわらず、わたしはすぐには、


決められなかった。


どんなにAC人格の言い分、続ける理由、やめる理由、
どうしてそう思うのか・・・などなど、いくらノートに書き出しても
どんな説得力のある理由を思いついても、決められなかった。


なぜなら、それは「理由」でしかなく、
わたしの気持ちでもなく、どれもまったくリアリティーに欠け、
思ってもいないことを言う(=嘘になる)ことになるのは
明白だったからでした。


決めなきゃ、決めなきゃ・・・


そう唱えていただけで、完全に思考停止していた。
2ヶ月考え続けて、結局、決められなかった・・・
と思ったときに、ふと、

この「決めなきゃ」って何だ?

と思って、遠回りでも、そこから舵を取り直してみようと、
しばらく試した。


なんで決めなきゃならないのだろうか?


わたしはいつもそうだ。


これでいいんだろうか、これで大丈夫だろうか、
絶対?本当?・・・そんなことの繰り返しだ。


感情すら支配しようとする。
つかまえて籠に入れようとする。


掘り進めていくと、この自動的に沸き起こる「決めなきゃ」の背景には、
それ以前に埋めこまれた「自己信頼のなさ」が見えてくる。
自己決定がゆるされなかった過去が見えてくる。


毒親は、どうしてこんなことをしたのか。


わたしが自分で決められないと、
親にとって何が「いい」のか。


そこで思い出したのが、「親が絶対だ」という両親の価値観だ。

「親が死ねといったら、子どもは死ぬのが当然」
「親が人を殺せといったら、子どもは殺すのが当然」

当たり前のように子どもに言い聞かせていた父親だが、
当たり前のように、これが親を敬うということだ、と信じていた
わたしもわたしだ。


「自立しなさい」
「自由に生きなさい」
「個性的でありなさい」
「自分を大事にしなさい」
「自信を持ちなさい」


こういった道徳めいた格言には、
実は例外があった。


それは、


親、という例外だった。


親のためには、こういったことも我慢しなさい、という
例外がつねにあったことだった。


それをわたしの両親は、別の言い方で、


「親孝行」


などと言いかえた。


親のためなら、と枕詞のようにつければ、
自立するな、自由などない、個性などいらん、自分を犠牲にしろ、
自信?・・・調子にのってんなよ、という言い分が、


「親にだけ」


は、ゆるされた、ということであり、

大きな間違いは、それを、

わたしがゆるしてしまった、ということだった。


そして、その「親の主張だけ」があっただけなのに、
わたしは、この家庭には、自立とか自由とか、
そんなものがあると「信じこまされただけ」だった。


実際は、そんなの、ないんだ。


親の都合、父親でいえば、キャバクラで自慢したいから
「そういう子を育てた自分」に酔いたいだけ、
母親でいえば、「自分の母親のようにはわたしはならなかった」
という証明のためだけ、ただそれだけのために、
しかも、最後はボロ雑巾のように、「幸せにはさせんよ」と
恨みを子どもにコピーした。

しかも、成人後も、Pさんや内職などもあてがい、
念には念をいれて、これでもか、というくらい定着させようという
執念すら感じる。両親の母親への恨みは「尋常じゃない」と感じた。


そこにあるのは、ただ、


親の都合、だ。


「自分で決めなさい」と、決められないのをわかっていて、
あの二人は、ずっと、わたしに言ってきたのだ。


進路を決めるときも、

「私立に行ける子は、それほど多くないんだ。
別に私立に行けるのがエライわけじゃないよ。
でも、行ける環境がある、そういう環境がこの家には、
Abyには用意されている、ということ。
それは知っておいたほうがいいよ。
さあ、自分で決めてごらんなさい」

と、くるわけだ。


ここにまた、事前の「仕込み」がある。

それは、親は完璧であり、我が家は理想の家庭だ、
という洗脳だ。


そのことについても考えてみた。


店先のゴミ箱でみかんの皮をむいていて、
振り向いたら片手のないおじさんが、真後ろにいて、
こちらを見てニヤニヤしていて、すごく怖くなって逃げた話を前に書いた。
片手がないおじさんじゃなくても、誰だって真後ろに
急に立っていたら、きっと、すごく驚くと思う。


問題は、このことを、なぜ、母に言えなかった、ということ。

なぜ、この気持ちの動揺、困惑を言えなかったのか?


わたしは、これは「言えない」と思った。
こんなことを言ったら、母の顔色が変わってしまう、と。

この、顔色が変わる、というのは、
「ありえない」「あってはならない」という合図のようなものだったと思う。
そこには、親に心配をかけてはいけない、親に気遣いをさせてはいけない、
親を困らせてはいけない、というのが当然のようにある。


困ったのは「わたし」のほうなのに、
わたしはそれが言えないのだ。


その「困ったんだよ」という一言が言えない。


わたしは、困ったんだよ、って言いたかった。
怖かったんだ、って。びっくりしたんだって。


「目つき、態度、言葉づかい」というのは、
母の口癖だった。それだけできれば、人間としてOKだ、と。

先日、はっと気づいた。

これって、もしかして、母が、
「私の目つき、私の態度、私の言葉づかい」に
注意を配れ、という意味だったんじゃないだろうか?


こういう手口は、母も父もよく使う。
最悪なことに、わたしにも感染し、わたしも使ってしまっている。


それは、

「目つき、態度、言葉づかい。ね、これは、
〝あなたのために〟言っているんですよ」という嘘だ。


相手のために、あなたのために、というのは、
自分の気持ちを隠すために、都合のいい方法のひとつだ。
これは子どもの頃の些細なシーンにもよくあった。
たとえば、「遠くに行かないのよ、危ないからね」と、いっけん、
相手のこと、子どものことを思って言っている「ように」見える。


でもそれは、嘘なんだ。


母の本心は、

「遠くに行かれると、見えないし、怪我されても困るから、
遠くに行くな。追いかけるのも疲れた。もういい加減にしなさい」だ。

そうやって、我慢を「利他的なもの」に置き換えて、最後には、
自分でも何を我慢していたのか、わからなくなってしまう。
逆にいえば、それが我慢の正当化になっているし、
我慢の口実になっている。


「相手のためにやる」


ということの動機の多くは、別の目的のため、つまり、
「感情を抑圧することを正当化させるため」だ。
それこそが大人で自立した自分であることを自己確認するために。
そういうと、多少聞こえがいいが、ただ、相手をバカにするためだ。


利他という大義名分を、いつも、笑いたくもないのにまわりに
あわせて笑い、怒りたいのにそれを押さえこむ、そういった
感情の逃げ道として利用したに違いない。


わたしもずっとそうだったから、
親がそうでなかった、とは思えないし、そうは言わせない。


・・・気持ちがエスカレートしてしまって、話がそれてしまったが、
両親ともに共通するのは、顔色ひとつで、子どもをコントロールしたことだ。

「うちは理想的な素敵な家族なんだよ、こんな素晴らしい親は
いないんだよ。Abyたちは恵まれた子だ。幸せを感謝しないとね」
という、まるでカルト宗教のような巣窟にいると、親の顔色が曇ると、
ただそれだけで、「これはあってはならないのだ」という気にさせられる。


母は、いとこや他の子育て家庭の母親、そしてその家の子の
悪口を言う。軽蔑に満ちていた。

父は「あんなバカはこうなって当然だ」とボコボコにする。


二人とも、子どもたちのほうを振り返ると、
別の顔。気持ち悪い・・・


「ああなったらおしまいね。あなたたちは、違うでしょ」
「お前たちは、あんなバカとはぜんぜん、違うんだよ」


上手く言えないけれど、わたしの家族には、
「間違い」というのはなかった(と思いこまされていた)。

父と母に共通するもう一つの態度がある。

それは、

「わたしたちは、絶対、間違っていない」

という傲慢な態度だ。

自分たちは、「礼儀」正しく、「常識」がある人間だ、
と思いこんでいる。

父の口癖、

「親に言っていいこと、悪いこと、わかるよな、Aby」

この分別ができることが、どうやら、両親の言うところの
礼儀であり、常識のようだった。
あくまでも母と父にとっての「都合のいいそれ」であり、
そういうものの寄せ集めで、

理想の家庭、
幸せな家族、
誇らしい完璧な親、

というものが捏造されていた。


理想的で、完璧で、問題のない家族(という虚像)。


だから、困ったり、悩んだり、不快に感じたり、
そういうネガティブと思われる感情の存在は、
「あるわけがないもの」(と思いこまされてきた)
だったから、たとえば、片手のないおじさんが立っていて
すごく怖かったり、びっくりしたり、困ったりすると、

「こんなことはあってはいけなかったんだ。
自分が何かいけなかったんだ。自分がおかしい。
こんなことになった自分に問題があるんだ。」

と、ここが唯一のおとしどころだと、思いこんでしまう。
それで納得しようとしてしまう。
理不尽に感じてしかるべきなのに、自己嫌悪どころか、
納得してしまい、苦を苦と感じなくなっている。

親からすれば、「しめしめ、自分が招いた種だ、と
思いこむなりして、なんでもいいから納得していろ」
といったところだろう。


困ったなら、困ったと言えばよく、
自分のせいだ、と思う必要などないのに、
仮想の恐怖が植え付けられているために、
こわくて言えないのだ。


「何てことしたんだ!」
「何てことしてくれたんだ!!」


そう相手の顔色が変わることを極度に恐れている。

冷静に考えてみれば、もしもわたしに問題があったとしても
「ごめんなさい」と謝ればいいわけで、改善すべきことがあれば
見直していけばいい。


先日、ふと思い出したのは、両親特有の

「ゆるさない」

という、そのメッセージをこめた、あの顔だ。


わたしにとって親は、「ゆるさない」ことがありうる人だった。
実際には、ゆるされずに暴力を受け酷い目にあったという記憶は
思い出されない。でも、わたしの中に植え付けられているのは、

「いざとなったら、ゆるさない」

という親の顔であり、親の絶対的なイメージだ。
顔色で出すサインは、相手に外傷(という証拠)を残さない。
あざを残さない姑息なやり方。


ゆるされないかもしれない、と思ってビクビクしている子が、
「自分が悪かったかもしれない・・・」と思った出来事を、
包み隠さず言えるだろうか?


実際には、「困った」だけだ。


でも、それと、「わたしが悪い」という自責の念や自虐と結びつけられたとき、
わたしはその困ったことを、なんとか〝隠そう〟とする。


わたしの隠蔽体質の正体が、
少しずつだけれど、見えつつある。
「わたしは間違っていない、わたしのせいじゃない」と
必死になるのは、隠そうとするからだ。


何を隠したのか?きっと、それは


「困った」


という感情だったのではないか。


だいたい、わたしのせいだからって、何を恐れる?
わたしが間違っていたとして、何を恐れる?

見ていけばいくほど、何にこわがっているのか、
わからなくなっていく。決めなきゃ、と同じで、
こわい、こわい、と唱えて思考停止しているだけなのだ。


そもそも、どうして「困った」という感情を出させなかったか、
ということだが、考えてみると、これまた、親たちがただ、


「うちの家、困るようなことなんてないんです」


という、虚勢をはりたかった、というだけ、
たった、それだけの親の都合のためだけに、
仮想の恐怖を植え付けんじゃないか・・・と思ったが、
ただそれだけじゃなさそうだ。


親の都合が悪いようなことは、顔色ひとつで自動的に
「自分が悪い、自分が間違っていたんじゃないか」と思いこんでくれて
納得してくれて自己完結してくれることは、まず、
親が手を汚さないで済む。


「わたしたちに都合がいいことだけ、報告してね」


という調教に成功する。


結果、わたしは、「あなたたちの都合のいいことってなんだろうか」と
親の顔色をうかがうようになる。
当然、不快にさせることは言わない。言えない。

最悪なのは、自己決定なんて口だけで、
「そんなこと、絶対にさせまい」として育ててきたから、
わたし自身の基準、というか、決める経験とか意思がないから、
相手のことを考えて、相手にあわせて、相手が何を要求しているのかを
読み取ることは、むしろ、進むべき道を照らしてくれる「救い」と錯覚する。

しかも、その救い、親の指針を読み取ることで、
「自分で決めてごらん」となるわけだから、判断基準をつねに
誰かや何かに依存し決めること、それがイコール、
「自分で決める、ということ」と思いこんでいるから、
一生、「なんでも自分で決めた」と誤認して生きるハメになる。
(自分で決められたね、という飴の記憶が、さらに厄介にさせる)



「決めなきゃ」


と焦ってくれれば、毒親の思うつぼだ。

「自分は間違ってしまうかも」という事前に仕込んでおいた自責と
恐怖があるから、いざ決める場面になると、


「決められるわたしであるはずなのに、実際は決められない」


だから、思考停止する。それ以上、考えられなくなる。

わたし本人は「決めよう」としているのだけれど、実際にやっていることは、
「決めてもらいたい」ということに、やっきになっているだけなのだ。


この、


「決めてもらいたい」


という動機がわたしの中にあることに、
なかなか気づけなかった。


内職を続けるか、どうするか、わたしは「これを考えるために」、
その根拠を昨年から探そうとしていた。

その過程で、わかってくることもあった。
不純な動機でやっていたこともわかってきた。

でも、さらに問題だったのは、
いろいろ理由をつけて、わたしは、
「決めてもらいたかった」のだ。

最もらしい理由に「決めてもらいたかった」という、
この動機こそ屈折していたのだ。


「桜の間でこう書いてあったから」とかいろいろ読み返しては、
「やっぱりこういう動機でやるのはAC人格なんだ。だから、
こんな活動続けているのはよくないんだ」と。


そうかもしれない。


そうかもしれないが、ここにわたしの意思はあるのか?と
いざ向き合ってみると、どこにも自分の意思などはなかった。
これでは、

「AC人格の出番をつくることになるのでやめました、でいいですよね」

という人格をもう一度、作ってしまうだけ。


問題は、そうではなくて、なんで、決めなきゃと焦り、
思考停止し、誰かや何かに「決めてもらう」とするかを、
洗脳被害のところに戻って、自動的に植え付けられた、
「自分が間違っているんだ」とか、「自分は決められないんだ」とか、
そういったことを、もう一度、自分で舵をとれるか、立ち戻ること。


2月の終わりに近づき、焦ってはいたけれど、
いったん、「決められない」ということを認めてみることにした。


決められないから、自分の意思などないんだ、
と思いこんでいた。


でも、それも思いこみだった。


ひとつだけ、
思っていること、感じていることがあったのだ。



「このまま、だらだら続けたくない。それは嫌だ」



という気持ちは、ずっとあったのだ。
ワクワクもしない、やっていてつまらない、
負担に感じていて、こんなこと・・・と、
そういうことを感じているのに。


なぜ、この気持ちを無視したのだろう?


わたしの中のAC人格の特徴が、もう一つ、わかってきた。
これこそ、毒親がやってきたことそのものなのだが、


「A」

といえば、

「Aじゃないかもよ」

と、御破算にするようなことを、よくする。


これは、わたしが他人と話すときもよくやってしまうやつだ。
やっている本人は、「新しい視点」や「別の角度」を提示して
得意になっているわけだが、客観的にみれば、
「ああいえばこういう」をやっているだけなので、いっこうに
話が進まない。気がつけば、「なるほど~、みたいな話だったけど、
結局何も決まらなかったねー」となる。

完全に父親由来で、この目的は、
相手を思考停止させることだからだ。

で、こっちを向かせる。

こうすると、わたしの話に「なるほど」と思わせることが
可能なことを、どこか、体験的に知っているのだ。
もちろんそれは、その相手も依存対象を探しているような場合しか
効果的ではない。だからこそ、わたしは内職でも、そういう人たちを
ターゲットにしたのだ。これではやっていることは、カルト教祖の
洗脳となんらかわらない。


この洗脳モデルはどこにあったか、が問題で、
毒親たちにあったということ。


こうやってわたしは毒親以上の毒性をもって、
また、世代間連鎖をさせる場をもって、今度は
「加害者」となって加害行為をしてきている。


他人だけじゃない。


自分自身にも加害をしているんだ。


「このまま、だらだら続けたくない。それは嫌だ」
という気持ちがあっても、「それって本当なの?」と言ってくる。
すると、「内職を続けたほうがいい理由」をバンバン出してくる。


このAC人格の目的は、こうやって、いつも
わたしを「決めさせない」ようにすることであり、
誰かや何かに「決めてもらおう」と誘導させることなんだ。
親がわたしを誘導したように。


「親は絶対だ」


という例外は、決して例外ではなく、わたしはそういう絶対なものに
常にすがるようになった。絶対なものにすがれば間違いない、決められる・・・


こうやって無明庵にもわたしのAC人格はこぎつけたんだ。


だから、こわい、というのがセットになった。
親との関係の縮図を、そのままそっくり
持ちこんでしまったのだ。



 ・・・『(後半)「やってみる」の壁』に続きます。



2014.03.03
Aby



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# by jh-no-no | 2014-03-03 05:24 | 復元ノート 1

不気味な不親切

事実と違う記憶。

わたしのなかで、母も父も、「笑顔」は静止画のように
「そうだったはずだ」となっているが、だとしたら、
あのどこかつまらなさそうな、両親の顔のイメージは
どこから沸いてくるのか?


感覚的には、「つまらなさそうな顔」のほうが、
リアリティーを感じる。


能面のような顔。

笑顔はそこに被るマスク。


父親のあのニヤリとした笑い方だけじゃない。
日常、母も父も、ああいう笑い方、だったように思う。
一言でいえば、作り笑顔。


ああやって笑っている「ような感じ」がするときは、
このままで大丈夫、そう、今のまま、今やっていることを
継続していてよし、という合図で、
顔色ががらっと変わると、終わりの合図、
といった感じだ。


子どもの頃、おそらくそのことを
知っていた。


母も父も、本当は笑っていない。


多めにみてくれているんだ、いいって言ってくれているんだ、
「もう少し、まあ、調子にのっていてもいいでしょう」というやつで、
ピッーと鳴ったら、「やめなさい」。


どこかで知っていたような気がする。

あれは「マスク」だ、と。


子どものほうを見ているときは笑っていても、
少し目をそらせば、
冷たく、機嫌が悪そうな、イヤイヤやっているような、
つまらなそうな、しかたなしにやっているような、
そういう顔をしていることを、きっとわたしは
知っていたような気がする。


そのことを、わたしは理解して、理解したその上で
遊んだり、わがままを言ったりしなければいけない、と思っていた。
だからまるでそれは、つねにわざとらしく、笑ったフリ、
じゃれたフリ、驚いたフリでしかなかった。


また、そういうふうにしている自分が
おかしいとも思わなかった。
だって、この世の中は、「本当は」「楽しいはずなんてない」
と思いこんでいたから。
本当に楽しいなんて、そんなことは、ない、と
感じていたように思う。


「楽しかった」


と口にしたことはあるけれど、本当にそう思って口にしたことは
今まで、一度でもあっただろうか?と思い返すと、
そういう記憶は・・・一つも、一度もないように思う。


両親は仕事が休みのたびに、よく、
遊園地へ連れて行ってくれた。それにしても
いろいろなところに遊びに連れて行ってくれた思い出がある。
遊園地、海、プール、お祭り、旅行、たくさんのイベント。
そして、どこへ行くときも、そこでの記憶は、


「いつも笑っているお母さんとお父さん」

決して怒鳴ったり、嫌なことを言ったりしない。


でも、わたしのなかで、
これは「今だけ」のことで、
「これは終わることなのだ」と、「どこか嘘なのだ」と、
こういう出来事自体、マスクのようなものだと
感じていた。


「本当のことは、ここには、ない」


なぜかわからないが、そう思いこんでいて、
こういう考え方は、その後もずっと、むしばんでいる。
本当のことがここにあるかどうか、自分で確かめたわけでもないのに、
漠然と、そう思いこんでいる。


気味悪いことに、こういう感覚は
わたしのオリジナルとは思えず、どこか、
「父に似ている」し、「母に似ている」。


両親がわたしに対して、
「楽しかったか?」「楽しかった?」
と訊いてくるときの感じには
違和感がある。


「楽しかったあー!」って、子どもが親に言うのならわかるけど、
親が子どもに「どう」みたいな感じで訊くあの感じは、なんだろう。
「楽しみましたかぁ・・・」という、なんとも歯切れの悪い確認のような
「楽しかった?」は、まったく、しっくりこない。
それに、そう訊いてくる時のことを思いおこすと、
両親二人とも


〝どこも笑っていない〟


笑っていない顔で、
「どう、楽しかったか?」ときかれるときの
あの不気味さ。

親は笑って訊いている「つもり」だろうが、
そのマスクの下には、笑ってなんかいない顔があるのを
わたしは感じ取っていたのだと思う。


そして、こういう「やり方」は、見事に感染し、
今、わたしはまわりの人たちに、同じマスクを被って
接してしまっている。


「わたしがこうやって笑っているうちは・・・いいですよ」


自分のこういう他人を見下した態度の出所はどこだろう、と、
考えていたとき、もしかして、と思い返してみたのが、
父と母の、ごく日常的な態度だった。


「わたしがダメって言ったらダメです」


という囚人の看守のような振る舞いが、
わたしにも、そっくり、感染した。
お前、何様だよ、と言われて当然な傲慢さだ。



「ちょっと考えなさい」

「ふざけないのよ」

「いいわよ」

「やめなさい」

「何、やってんのっ」

「いい加減にしなさい」

「楽しいかー?」



こんな抽象的で、とらえどころのない言葉を投げられて、
「わたしがこうやって笑っているうちはいいですよ」
といった雰囲気を思いっきり出している親の前で、
心おきなく、楽しめるものだろうか。



ふと、こんな言葉が頭をよぎった。


親切、


という言葉。



わたしの父も母も、わたしに親切だったろうか?
そう思ったとき、かなり、不親切だったんじゃないか、と、
そんなことを感じた。


親に対して、子どもに親切だったかどうかと考える時点で、
すっかり歪んでいる気がするのだが、
「兄」という存在に対する代理復讐をここに感じる。
どこか他人行儀で、排他的で・・・
なにより、不親切な気がした。


ママー、パパー、と呼んだとき、
わたしに関心を寄せてくれたことはあっただろうか?
「はあぃ」としかたなしに返事はしてくれたかもしれない。
でも、関心をもって「なに?」って、話をしてくれよう、
話をきいてくれようと、一度でも、そういう気持ちで
向き合ってくれたことはあっただろうか?


目と目の焦点が、一度でも、ちゃんと
合ったことがあったろうか??


この異常を疑っているのは、
何か特別な出来事を思い出せたわけではなく、
こういう特徴をわたしも持ってしまっているから。
無関心ほど、相手に対して不親切で、失礼なことはない。

父と母は、これと同じことを、
わたしにもしてきたんだ。
感覚的な記憶だけれど、そう感じている。



「ああいうバカとは、わたしは違う」


父と母は、自分の子どもに対しても、
大人げもなく、そう思っていたに違いない。
自分自身の保身で精一杯だった両親は、
子どものことなんて、きっと眼中になかったのだと思う。


それでも僕は、ママー、パパーって、
いつも呼んでいた。「ねえ、見て」って。


見てらんねーんだよ、というのが
本心だったろう。
自分のことは自分でやれよっ、と
思っていたんじゃないかな。
そう口にしたり、キレて直接暴力を振るうことはなかったけれど。
わたしの想像の域をこえないが、たぶん、


「あー、めんどくせっ」


って、そう思っていたんじゃないだろうか。


こういう負の感情は、はっきり口にはしない親だったが、
「不機嫌さ」として態度にあらわれていた。

楽しくないのに、「楽しい」を口にして、
イライラしていたのに、そういったことは口にしない。


イライラし、何かを言うにしても、むしろ、
「あなたのために、親切で言ってあげているんだよ」
という言い換えをして、誤魔化す。

ときにそれは、「こうしなさい」という指示であったり、
「こうしようよ」というお願い風だったり、
「こうしたほうがいいよ」というアドバイスだったり・・・と、
親のイライラは、カメレオンのように変身した。


一方、父の友人に「Oさん」という人がいて、
わたしはその人が好きだった。


「疲れたから、もう帰ろうよぉ~」と
子ども相手にでも、正直に、そう伝える人だった。
だから「やだあー」と言えたりもしたけれど、父や母は
「そろそろ帰るよ」としか言わなかった。


その声音が、いかに優しそうで、
いかに親切そうでも
その仮面の裏の顔を

察しなさい、

という脅しがあった。


こう書きながら、ちょっと大げさかな、と思った。
誇張して書いてしまっているのかな、と。
一瞬そう思ったけれど、いや、と思いとどまる。


たしかに殴りはしない。

罵声もあびせない。


でも、なんとなく不機嫌だったり、
そろそろいい加減にしないとね、という、
未来を脅すような雰囲気を漂わすだけで、
それは十分に、脅しだと思った。

殴らないし、罵声もあびせないから、
直接何かされるわけじゃないから、
脅しの証拠が残らない・・・


今、書いていて、はっと思ったのだけれど、
こういう選択の余地がないような軟禁状態にあって、
もしも、そう、もしも、たとえば親が不機嫌になったり、
何かよからぬことが起こり、その苛立ちなり、
負の感情なりを「子どもに向けたとしたら」、
そのとき子どもはどう思うだろう?


言葉にはしなくても、親のその不穏な表情を見て、
どう思うだろうか。


子どもは「自分のせいだ」と
思ってしまうんじゃないだろうか。


親が「お前が悪い」と何ひとつ口にしなくても、
子どものわたしが、自ら、進んで、
「わたしが何か、悪いことをしたんじゃないだろうか・・・」と
不安に思うんじゃないだろうか?



親がすることはひとつ。

なんとなく、不機嫌になっていればいい。



そろそろ帰りますよ、と、はた目から見て普通に言っても、
なんとなく、「ほらっ」みたいな態度を軽くするだけで、
緊張を与え、自責感を抱かせることなど、毒親にとって
朝飯前ではないだろうか。


・・・


何を掘っていたのか、
自分でもわからなくなってしまって、
記憶の仮面をはがしているのか、それとも、
感覚の記憶に頼りすぎて関係妄想になってしまっているのか、
だんだんわからなくなってきてしまいましたが、
事実関係はまた見直してみるとして、
少なくともこの、

血の通っていないような

目と目が合っていないような



〝不気味さ〟



だけは、いったん、
ノートしておこうと思います。



・・・ 追 記 ・・・


今読み返していて、これも感覚的ですが、
親に対して感じていることがありました。


「親は助けてくれない」


この感覚はずっと当たり前の感覚だと
思っていたのですが、


これって、当たり前か???


親はむしろ

最後には、わたしを

「罰することができる人」

と、どうやらわたしは思っていたようだ。


2014.02.16
Aby



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# by jh-no-no | 2014-02-16 02:45 | 復元ノート 1

今朝思ったこと

なんでも「決めつける」というのは、
よくない癖だと、ふと、目が覚めて思った。

女性への差別のことも、たしかにそれはある。
でも、なんでもかんでも、それにこじつけたり、
わたし=差別者、とレッテルを貼って、どこか安心した気で
いるのも、ちょっと、おかしいんじゃないか?


決めつけたがる動機はなんだろう?


どうしていつも、こうも、決めつけたがるのか。
しかも、右から波がくれば左にゆれ、
左から波がくれば右にゆれ・・・と、せっそうがない。
そんなことを、ずっと、繰り返してしまっている。


決めつけることで、どっちに行けばいいの?という迷いを
簡単に解決したがる、誰かから何かから教えてもらいたい、
それに従っていれば安心だ、という悪魔のような声が、
そっと近づいてくる。

だんだんと、自分で舵をとっているつもりでいても、
気がつけば、紐かなんかで舵を固定し、借り物の知識の
寄せ集めで妄想作成した地図を片手に、
「あっちに行けば、たぶん、いい・・・と思う・・・」と、
不安いっぱい、いやいやながら、つまらなさそうに生きている。


この「つまらなさそうな顔」を、どこかで見たことがある、
と思ったら、わたしの父と母。
いつもニコニコしている、と記憶がすりかえられていたけれど、
植えつけられた記憶でなく、感覚的に思い起こしてみれば、
父と母が、心から「笑っている」という、そういう笑顔を
見たことがない。


わたしには健全な「笑顔」という、そのモデルとなるものも
なかった。いや、まわりをよく見ればあっただろうけど、
「理想的な家庭像」にあっては、まわりは「それ以下のもの」と
信じこまされていたから、まさか、家の外に見習うべきものがあろうとは、
考えたこと、それ自体ない。


書いてみて・・・これは完全に病気だ、と思った。


洗脳というのは、こうやって、外の情報を徹底的に誤認させることから
調教がスタートするんじゃないだろうか・・・狂っている。


それで思い返してみると、いつもビクビクしていて、
いやいやしかたなしに、やれやれ、と言いながら生活し、仕事する。
そんな母であり、父だった、と、今になって
やっと、その記憶が書き換えられつつある。
そしてその像は、そっくり、今のわたしと重なるのだ。


昨日、この「いつもビクビクして、いやいや生きている」という
今の自分の生き方を、もう一度、直に見てみたい、とやってみても、
情けないことに、これすら、徹底できない。
見よう、つかもうとすればするほど、その気にはなれても、
空気をつかむように、リアリティーのないものを、
わしづかみしようとしている。


決めつけることと、舵をとることは、
どこか違った。いや、まったく違う。


決めつけることには、必ずそこに姑息な動機がある。
迷いたくない、困りたくない、
そういう動機が不安を作り出し、AC人格はここぞとばかり、
自分の出番を待っている。


なぜ、困ってはいけないのか?


わたしがいつも、白か黒か、という二者択一のような
大迷路に迷いこむときは、必ず、この、
「今、自分は困っている、悩んでいる」という状態を
すっとばしてしまって、乞食のように、
「どこだ、どうすればいいんだ、選べないよー」と
泣き言をいう。それは泣き言であって、泣けてさえ、いない。

従うか、逃げるか、
みたいな心理状況に追いやられる。
逃げても、それは従うの裏返しだから、結局、
「従えば安心」という脅しを、自ら、自動的に課してしまう。


なぜ、困ってはいけないんだろう?

どうして迷ったりしてはいけないんだろう?


以前にブログに書いたか忘れてしまったけれど、
小学生の頃だったか、店先のゴミ箱の前で
みかんの皮をむいていたことがあって、
後ろをふりむいたとき、片手のないおじさんが笑みを浮かべながら
わたしのことを見ていた。すぐそばで。


恐怖体験だった。


追ってくるわけでもないのに、わたしは店の横丁を
必死に走って逃げた。

わたしはこれがいかに怖いことだったかを、
なぜか、親に話せなかった。
ただ親には、「このへんにさ、片手がないおじさん、たまにいるよね」
と、ただそれしか、言えなかった。


この体験は、すごく、ひっかかっている。
でも、何がひっかかっているのか、まだわからない。

なんで、怖かったんだ、と言えなかったのか。
泣いてもいい体験だったはずなのに。


あのときのわたしは、何を我慢し、
何を捨てたのだろう?


困ってはいけない、というか、
そういう状態にいる、そういう感情でいる状態を
スルーしなければならないと思いこむようなことに、
どこか似ているから、だから、ひっかかるのだろうか?


到底、親に相談できない。
怖かったなんて言えない・・・
わたしがそんな状況になっている、そんな状況になったのだ、
ということは、言ってはいけない・・・

もしもそんなことを言ったりもしたら、
親の顔色が変わってしまう。悲しませてしまうかもしれない。
子どもが悲しんだり、困ったり、苦しんだりしているなんて、
親に知らせるわけにはいかない・・・


わたしは成人しても、そして今も、
相談したり、質問したり、そういったことができないでいる。
相談したフリや質問したフリはできても、本当に誰かに
相談したり、質問したりしたことは、一度もない。

まず第一に、自分がそういう状況にいることを、
絶対に知られたくない、というのが強すぎる。


一言でいえば、知られるのがこわい、ということなんだが、
最近思うのは、なんでもかんでも、これもまた、
「こわい」という一言で片づけようとしているわたしに違和感がある。
直視しているようで、してないのでは?と。
現に、まるでこれは呪文のようになっていて、「KO・WA・I」
という音でしかない、とさえ、はっと気づくと思うときがある。


このこととも、どこか、いろいろなところと
つながっているように思う。あまりにこんがらがっていて、
紐解けないでいるが、ここは親との関係を、もっと丁寧に思い起こし、
なんとか、紐解いていかないとならない、と思っている。


2014.02.13
Aby



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# by jh-no-no | 2014-02-13 10:10 | 復元ノート 1

とり戻すべき舵

父と母から伝わってくるのは、

「ああいうバカとは、わたしは違う」

という、じとーっとした感情だった。


父と母も、思い返すとわりと短気なほうで、
いつもは冷静なようでいても、そういえばよく、
他人をバカにしていた。

「ああいうバカはどうしようもない」

みたいなことをよく言っていた。


子どもだったわたしとしては、いつも「いい親に見える」その親が
そこまで言ったり怒ったりするのは、きっと、相手が悪いのだろう、
と思って疑ったこともなかったし、開きなおっていた父に関していえば、
「怒らせるアイツが悪い」と、堂々と怒鳴り散らしていた。


見えにくいが、母も、同じだった。


だから、子どもだったわたしは、そして成人してからも、
親は悪くなくて、まわりが悪い、
と、当然のように、思いこまされていた。


「あんなやさしいお父さんとお母さんを怒らせるのは、
相手が悪いにきまってる。どうしようもないヤツなんだな、きっと」


わたしがこう考えることに、わたし自身、
疑いを持ったことがなかった。


でも、この認識は間違っていた。


「自分ルール」を今、洗脳被害の洗い出しのために
応用し、実践を続けているのだが、わたし自身がこの
「他人をバカにすることで、今の自分がOKであることを確認する」
という方法を瞬時にとっていることに気づきはじめた。

いろいろやってみたが、バカにしている対象は、
「他人」ばかりでない。

今までの自分、昨日の自分、今の自分、自分自身をもバカにし、
また、日々起こる様々な出来事も、軒並み、
バカにしていた。


「軽蔑」


わたしが一日のうちに、いや、毎分、毎瞬、100%無自覚に
やっていたことが、軽蔑する、バカにする、という行為だった。
あるいは、軽蔑ための道具集め。どちらも目的は同じ。
生活のなかでも、仕事のなかでも。
Pさんに対しても、徹底してバカにしていた。
無自覚にバカにし合うことは(本心ではわかっていたはずだが)、
共依存の関係を「共同作業」と錯覚し続ける上で
好都合だったのだ。

一ヶ月ほど前に、父と会ったとき、あまりに酷い性差別発言に
絶句したが、今のわたしは、それを完全に倣っていた。
そのことにわたしはまったく自覚がなかったし、
むしろわたしは、そういう差別をゆるさない、と自覚して
生活し、仕事をしていると思いこんでいた。


ところが、それはぜんぜん、違っていた。


わたしは父と同じ、女性への差別意識を持っていた。
内職の動機も、差別意識に根づいていた。
やっていることは、性差別であり、性搾取であり、もはや、
人身取引や人身売買と本質的には同じだった。

ここには、わたしの両親が、自分の母親に対して
「甘えることができなかった恨みの感情」、
これは父も母もともに強烈に持ち合わせた感情で、それが横たわっている。
この感情がそっくりわたしにもコピーされていて、
それが歪んだ表現として、今の仕事や活動のなかで展開されている。
「母親という存在」に対する歪んだ崇拝心と、
両親による代理復讐としての復讐心とが混ざり合い、
共感と見せかけるような態度で、実際は上から目線、
差別や侮蔑といった形で、感染、加害させていた。

わたしの「ガールズトーク」に対する憧れは、
差別の底まで足をひっぱっていくゾンビのふるまい
そのものだった。

わたしの性に関する遍歴もここに由来するのではないかと思い、
とくに今年に入ってから、今の仕事と活動との関連で
掘り出しを続けているところだが、いずれにしても、これは
女性という対象もこえて、「他人をバカにする」態度が、
見事に、両親から植えつけられていた。


ブログを書き始めてから、自己同化や自己確認の居心地の悪さ、
違和感について書いたことも多かったけれど、この「違和感」は、
わたしのAC人格の保身であり、AC人格が生きのびるうえで
AC人格にとっては必要不可欠なものだったんじゃないか?


「手あたり次第、自分も他人も出来事もバカにし尽くす」


違和感であろうがなんだろうが、こうすることで、
今の自分がベストであること、今の自分でいいこと、
それを確認し続けた。
これしか、方法を知らなかったからだ。

しかもわたし本人は、「バカにしている」と自覚すら
できていなかった。そんなこと思いもせず、
よく考え、よく分析し、「これはこうだ」と定義づけを自分で
しっかりやっている、と誤認し続けた。
この癖が苔のようにこびりついてしまった。
不毛なことに、これがなせることといったら、
「でしょ、わたし、すごいでしょ」というPRだけで、
いかに内容があるような話題に見せかけても、
目的はそこにしかない。

これも、たとえばPさん相手に意識してやってみると、
わかりやすかった。こうやって今まで会話をしてきたのだ、と。
内容がない、というか、話す意味や向かうところが、ない。
それも当然なのだ、自己PRが、実は、目的だから。
(親切やもっともらしくきこえるものも、結局、苛立ちなどの
感情のあてつけや嫌味になっているものが多かった。)


わたしはこの自己確認の方法は、とりわけ
精神世界や思想の分野から、自主的に成人後、
取り入れてきてしまった方法だろう、と思ってきたところがある。
それもあったのは確かだろう。しかし、今回はじめて、


「もしかして、親から、か?」

と、感染源の大元を疑い直した。


そうして思い出されたのが、

「ああいうバカとは、わたしは違う」
という、じとーっとした、あの父と母にしみついた、いやみったらしく
ひねくれた顔つき、へっ、というように他人を見下した態度、
そこに横たわるじとーっとした、あの感じだった。


相手が悪いから
相手をバカにしていていたわけじゃなかったんだ。


そうではなく、


相手をバカにしようとはなから思っていた、
はなから相手をバカにしていたのが、
わたしの両親だったのだ。
本当は、どいつもこいつもと、いつも恨めしく思っている。


だけれど、それを感情として表現しては、ならない。


それを表に出したらダメだ、相手に迷惑をかけてしまう、
相手を不快にさせてしまう、不愉快にさせてしまう、
相手を困らせてしまう、相手を苦しませてしまう・・・


・・・これはまさに、わたし自身が日々やってしまっている
感情の逃げ道であり、感情を抑圧することの正当化として
自動的、反射的、無自覚的にやっていたことだが、
そっくりそれと同じことをやっていたのが、
わたしの父と母だったのだ。


感情を出したら、相手を不快にさせてしまう・・・

 だから、

「感情を出すな」


という調教。


いろいろやってみて思ったのは、
感情を出すことと、相手を不快にさせることとは
まったく関係なかった。我慢することとも関係ない。
関係づけているのは、自分たったひとり、
わたしがそうしているだけで、
「だから、言いたいことを言わないようにしよう」という理由として、
感情の逃げ道として、我慢の言い訳として、正当化として、

「他人に迷惑をかけていけない、困らせてはいけない、
不愉快にさせてはいけない、不快にさせてはいけない、
他人を苦しませてはいけない」

と、思うように洗脳されていた。
ここを中心に、今、検証し、確認している。


元をたどっていくと、以前にもブログに書いたことだが、
「父と、父の母親との関係」「母と、母の母親との関係」に行き着く。
母親に出せなかった(出すのを抑圧させられた)怒りが、根っこにあって、
それを言葉に出せなかったから、態度に出せなかったから、
そうやって両親も自分自身のACを作り上げてきたに違いないが、
連鎖し感染していくにつれて、その手口がどんどん、
巧妙になっていくようだ。親孝行や自立を掲げる以上に、
わたしが今、他者にとっている手口は、さらに見えにくく
わかりにくいやり方で、猛毒をばらまいてしまっている。


このわかりにくさは、いかにも相手のことを考えています、
というパフォーマンスで隠される。
意識的にやってみるとすぐにわかったことだが、
わたしは、おそらく今まで、他人のためにやってあげたことはない。
もちろん自分のためにもないのだが、本当の意味で、
他人に迷惑をかけまいとか、他人を苦しませないようにとか、
そんなこと、やったことがなかったのだ。


それは、ただ、自分の感情を隠す、我慢する、
そのためだけの「カムフラージュ」として悪用してしまった。


桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S311
のなかの、「『虐待によるトラウマ』と『感染』の違い」という箇所で、


>それは、

>『親が、口できちんと言わずに、我慢した感情』です。


>子供に直接に怒りを言動では向けずに、
>子供にとっては、分からない、回りくどい形で、
>子供に自分の抱えたストレスをぶつけた場合に感染します。


とあり、読んだそのときは、実感としては沸いてこなかったので、
ひっかかったままだった。
(今読み直して、あっ、と思いましたが、「感染者であるあなたは、
その犯人が親だとは思っていないのです(感染源は、親しかあり得ません)」とも、
書いてあったのに、感染源が親、という理解が足りなかったのだと思います)


それよりも少し前の桜の間の記事、
http://www.mumyouan.com/k/?S302
のなかにも、


>親自身が、
>「このあたしが、育児疲労で、ムカついたんだ。だから、泣くな」、
>というのではなく、


>「なー、お前。そんなに取り乱して泣くのは、みっともない。
> 世の中は、とても、恥ずかしいことなんだぞ」

>と、そこに親自身の正直な心情でもない「泣いてはダメな理由」が
>子供の中に植え込まれてしまう。


とあったのですが、ここも同じようにひっかかったままでした。
感情を押し殺さなければダメな「理由」、これを今回確認したとき、
この「理由」という作り物こそが、まったく、リアリティーのないもので、
どうしてそうなるのさ???、と思うほどに、親の言うことを鵜呑みにしていた
わたしの「思いこみ」そのものだった。


今年に入ってからも、これがためされるテスト夢(?)のようなものを
見ましたが、最後にはこう、言われたような感じがした夢でした。


「ほーら、相手を苦しませてしまったようだね。
あーあ、こんな酷い殺し方をしたんだよ、あんたは。
さぞ苦しかっただろうな、痛かっただろうな。
お前、怒らないんだろ?恨まないんだろ?
なのに、どうして、それを抑えられなかったんだ??
お前が感情的になりさえしなければ、
こんなことにはならなかったんだぞ。
あーあ、やっちゃった・・・」


こういう夢の目覚めは、生きた心地がしない。
でも、こういうことになる種は、わたしにあったんだ。
定義すらできない、まったくリアリティーのないような言葉、
「他人を苦しませてはいけない」ということを、自分の考えでも言葉でもないのに、
これが大事だ、そうするものなんだ、と主張していた。


最近になって、このようなことや、桜の間の記事の内容が、
リアリティーをともなって、少しずつだけれど、繋がりはじめてきた。
まだ試し試しのところがあるので、自分ルールの洗脳被害への
応用は継続し、検証を続けたいと思っている。


わたしのなかで、ざわついていることが、まだまだある。

もちろん、この軒並みバカにして、今の自分がOKなのを確認する、
というのもどうしようもない手口だし、これもまた、いざ試してみると、
「何がOkなのか、わからない。OKじゃないかも・・・よ?」となる。
ほんと、何もかも、リアリティーがないものばかり。


こういった現実逃避や麻痺の手口も酷いが、
わたしが目をそらしてしまうもの、拒絶をしてしまうものは、
それよりも、「そうせざるをえない」とわたしが思いこんだ
元となる洗脳だ。

これを探るのは、今でも恐る恐るになっていて、
まだ自分で舵をとっているとは到底思えないのだが、
その元を直視しようとして見えてくるのは、


「わたしは間違っている、わたしが悪かったんだ、
わたしのせいに違いない」


というものだ。


わたしが感じていると思っている不自由さは、てっきり、
「間違ってはいけない」という強迫観念のようなものだろう、と思っていた。
たしかにこれも束縛だし、だから、今の自分でいいんだよね、と、
自分にOKを出そうとしたり、またそのために、他人も自分も出来事も
バカにしたりすることになる。

でも、これはこれで、わたしのAC人格にとっては、違和感であっても、
「助かる逃げ道」なのだ。こういう不安をわざと作りだすことで、
ACのコイツは自己証明ができるし、これでいい、という安心に執着できる。
(一瞬で崩れる安心だけれど)


「自分で自分にOKを出せるのような人間になりなさい」


実際、母はそれを自立の証のように話し、父は
「それが自分で自分を大事にする、ということだ」と
今思えば、口先だけで、説教していた。

そういう口先だけの言葉が、ACにとって
最高に甘い罠の入口になるのだと思う。
事実、なってしまった。

わたしのなかで、これと同じ響きをもってきこえ、
それも、わたしのこと、子どものことを思って言ってくれているんだ、
と錯覚した代表的なセリフが、


「自信を持ちなさい」


だった。

あなたなら大丈夫、できるから、と。


一見素晴らしい教育のように見えて、それが悪質だったのは、
わたしが自分で決めているように見せかけて、
実は、最初から「親にとって都合のいい道」に誘導させるために、
脅しをかけていたことだ。

さらに悪質なのは、直接わたしを脅すよりも、
「親にとって都合のよくない道」を歩いているような他者をひっつかまえてきて、
徹底的にバカにする、かつ、見せしめるというやり方は、
「言わなくても、Aby、わかるよな」という、なんというか、
まるで自白のさせ方みたいなやり方で、
「はい、そのとおりです。わたしもそう思います」と
言わさせられる。この自動的な作為は、最近のことでいえば、
インターネットなどで、チェックを入れての同意でなく、
「わざわざチェックを外さないとダメ」な、あのやつと同じ手だ。
なんだか、外したらいけない、みたいな雰囲気が漂っている。
しかも手にはすでに、賄賂のように、飴が握らされている。


父のあの気狂いのような血祭り騒ぎは、それが目的だろうし、
子どもだったわたしには、「相手が悪くて、お父さんは悪くない」
と思っていた。


あんなやさしいお父さんを怒らせるなんて、
どうしようもないバカに違いない。
ああいう人間になっちゃダメなんだ、と、普通に思っていた。


このやり方の底流にあるのは、やはり、あのバカにした態度で、
そういう意味では、まったく、母も「同じもの」を持っていた。
かえって、暴れるまでエスカレートしないので気づきにくいが、
そういうときの母の露骨な表情は、父よりもわかりやすかった。


同じ顔を、ふたりとも、している。


・・・話がそれてしまったが、こういった手口も酷いが、
AC人格にとっては、こういったことも、生きのびる手段でしかなく、
大元の問題は、「間違いたくない」のではなく、なぜそう思うか?
ということだった。


「自分が間違っている、とわたしが思っているのを
直視したくない」


これがいつも、痛い。


なぜ直視したくないか?


こわいから、だ。


こわいというのは、わたしにとっては、
「従わないと罰せられる」というような類の恐怖。
逃げまどう兵士のように、いつもビクビクしている。
これは完全に調教由来の恐怖で、どうしたらいいのか、という不安を
親の顔色と誘導を元に、「こうしたらいいに違いない」とやってきたことの
大きなツケがまわってきている。

これが発動すると、未来を不安の妄想でいっぱいにすること、
それだけしか見えなくなる。いかにわたしのせいじゃないか、
わたしが悪くなかったか、わたしが間違っていないかを、ありとあらゆる
シミュレーション(完全に妄想)で、結びつける。

それが、自分の身を守ることだ、と思いこんでしまう。
危険から身を守る最善の方法だ、と。


いろいろ試しているうちに、ある疑いをもった。


それは、

「何が、間違っているのか?」

ということだった。


わたしはつねに、自分は間違っている、自分が悪い、自分のせいだ、
と思っている・・・というより、「それを前提に」物事に対処する癖がついている。
矛盾するようだが、それは何のためか、というと、
「自分のせいになるのを、なんとしてでも(それこそ手段を選ばず)、避けるため」だ。
隠蔽だろうと、嘘だろうと、泣き落としだろうと、
この「手段の選ばなささ」の酷さは凄まじい。狂っている。
(現実世界だけじゃない。夢の中などで、わたしの残虐性はしばしば暴露される)


こうなると、大迷路で絶対、抜け出せない。
もう何時間でも何日でも、迷い続け、絶対、出られることはない。


ふと、この「間違っている」という思いこみは、
いったい、誰が舵をとっているのか?


そう思うようになった。


これもいろいろ試してみると、何が間違っていることで、
逆に、何が間違っていないことか、ということも、
何ひとつ、わたしは自分の頭で判断できていないのだ。
間違うことの定義ひとつ、曖昧どころか、皆無だった。

もちろん、昨日の自分をバカにして今の自分はもっとすごいぞ、
と、しでかしたり、他人をバカにしたり、知識をひけらかして
(見た目は丁寧だったり、親切心のように見えるように)、
今の自分が間違っていない、と自己証明しようとしているのが、
わたしのACそのものなのは確かだけれど、そういうやり方で
「自分で自分にOKを出すやり方」は、毒親調教由来の埋めこまれた
AC基準の正しさでしかなく、わたしが考えたことでも、体験したことでも、
感じたことでもないものだった。

いろいろやってみると、わたしが自動的にやってしまっている言動の
ほとんどは、完全に「自動的」で、どれもこれも、
反射でしかないものだった。

これを自覚的にやってみると、どこか〝演技〟のように思えてきて、
ときに可笑しく、ときにつまらなく、ときにどうでもよく・・・と、
はた、と「自分の判断基準」がまったくない、
何ひとつなかったことに気がついた。



間違っているとは、どういうことか。

間違っちゃいけない、ってどういうことか。

他人を困らせないって、どういうことか。

自分で自分にOK、って、それって、どういうことか。

そもそも、バカにするって、どういうことなのか。



こういったことにどれひとつ答えられないのに
自動的、反射的、無自覚的に「やっていた」、
ということ。


自問したことがなかった。


こういうことを子どもに自問させないようにすることで
誰が得をしたか、といえば、毒親たちだ。



● 従わないとこわいことになる、と見せしめの威嚇をする。
  子どもには直接暴力は振るわず、従ったら「飴」を与える。

● 「従わさせられた」と思えないよう、自分の意思で選んだ、
  と思わせるように誘導する。
  (親の態度から察する、格言をきかされる、など)



たったこれだけだが、たったこれだけで
なにがなんだかわからない「混乱状態」に追い込めば、
脅し一つで、わたしは言いなりになるように洗脳された。
今、ここから抜け切れないのがつらい。


目をいつもそらしてしまうのは、
「自分が間違っている、自分が悪い、自分のせいだ、
と、わたしが思ってしまうときの、その自己否定の感情」
であることに、最近になって気がついた。

これはあまりに自己同化していて、
わたしとの距離がゼロだったから、高速で生じるもなにも、
高速で生じるのはむしろ、「間違いたくない」というすでに
恐怖を麻痺・逃避させるための手口のほうで、
気がつくもなにも、自己否定の感情のほうは、
最初から、そう、思いこんでいる。

そうなると、毒親の思うつぼで、
「間違っちゃいけない」と、これでいいんだろうか探し、が始まる。
毒親にしてみたら、あることないこと、何でも不安がってくれる、
自分のせいなんじゃないかと怖がってくれるのだから
ありがたい、脅す手間も省ける。

そういえば、こんな夢も今年になって見た。
父の母親の妹のような人が出てきて、
「あのこは、わたしのこと、どう思っているのかなぁ」と不安げな目で
わたしを見ている。毒マスクをしているのに悪臭がもれるような息で
わたしに話しかけてくるのが印象的だった。
その人は完全に恐怖していた。

こういう得体の知れない、わざと不安と混乱に閉じ込めることで
じんわりと恐怖を与える構造は、脈々と世代間連鎖している。
その象徴のような夢だった。

父も母もよくそんな顔をしていた。
この夢に出てきた親戚の人のような顔。
「私のこと、自分の親は、どう、思っているんだろう」と、
いつも不安げな表情をしていたような気がします。


・・・こうやって実体にない仮想の威嚇の恐怖は、
ずっと効果的にきいているので、現実がどうであれ、まず、
「自分のせいだ、という思いこみ」から
すべての妄想が、スタートする。

そこから


なんとかしよう、、、

このままだと、、、罰せられる、、、こわい、、、


この恐怖心が
わたしのAC人格がとる言動の動機にある。


どうしたらいいのかわからない、どうしよう ・・・・・・、、、


自分の意思がないのだから、親の態度から察しよう、
でも親は目の前にいない、どこに行けばいいの?
どこだ、どこだ??これも違う、完璧じゃない、じゃあこれか、と
気がつけば、絶対的なものを与えてくれそうだと錯覚したACが
精神世界にもぐりこんだ。


もうわたしを利用して「しめしめ」と思う親は目の前にいない。
なのに、そんな亡霊が無駄に舵をとっている。
そしてわたしがそれを許している限り、わたしは毒親そのものになって、
まわりの人、大人だけじゃない、幼い年齢の子どもたちにも
「より巧みな」洗脳をし続けている。


ひとつひとつ、舵をとり返していく。

いくつ自分の舵を手放してしまったかわからないけど、
全部、とり戻す。

毒親のせいだけれど、手放したのはわたしだから
取り戻すのもわたしだ。


2014.02.11
Aby



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# by jh-no-no | 2014-02-11 20:12 | 復元ノート 1