自他の区別

復元ブログを書きはじめて、約1ヶ月がたちました。
このお盆時期までには、コンテンツを現在まで追いつかせたい、
という漠然とした思いがわたしにあって、足早に、
幼い頃のことから初回判定依頼までを辿ってみました。


気がついたらお盆 ; ;


初回判定依頼から復元ブログを書きはじめるまでの
残りの2ヶ月間について、今日は書いてみます。

この時期に、崩残さんからはじめてメールをいただきました。
今まで無明庵の存在は、この15年間、
わたしの頭の中にだけにあったので、
「本当にメールが届いた!」という驚きがありました。

2ヶ月という短期間とはいえ、メールだけでもたくさんの
コンテンツがあり、その他の出来事を含めると、到底
今回だけで書ききれるわけもないのですが、
「この2ヶ月の時期を振り返って」ということで、
今回は、まず、書いてみたいと思っています。


◇ ◇ ◇


メールやお便りのすべてを
読みかえしてみました。

自我判定の依頼文を読みかえしてみたときも
同じことを思いましたが、読みかえして咄嗟に思ったことは、


「わたしはなんでいつも同じことを言っているのだろう」

という色褪せた感覚です。


とりあえず、つまらないことをわたしは書いている。


というよりも、その内容がどうのこうのではなくて、
「わたしがつまらなさそう」にしている。

書いているときは、つまらないと自覚してはおらず、
むしろ刺激的な毎日、毎日毎日が学びのような、
そんなふうに思おうとしているみたいなのですが
その頃の言動の記録をふりかえってみてみると、
どうも、つまらなさそうなのです。

しかもそれを無意識に隠そう、隠そうとしているのか、
失礼のないようにと、へんに明るく振舞おうとしている
わたしの姿は痛々しい・・・を通りこして馬鹿馬鹿しい。
この妙な気遣いもどきは何だ???

このブログもそうなのですが、わたし自身、言葉に無駄が
多いように感じるのも、読み手に「エラそうに思われたくない」
という思いが、歪んだ気遣いとして表れているような気がします。

復元ブログは、そもそも、自分のために、自問のために
綴っていくべきだ、というふうに思おうとする自分がいる一方で、
なんというか、それ以前に、「自分」がどこにもいないのです。
言葉だけが、言葉に反応して、言葉として出力されています。


これのどこが、面白いのだろう?
・・・面白いわけがない。


もちろん、言葉を理解しようとし、言葉を綴っているのは
「わたし」であり、その意味ではわたしはいるのですが、
この「わたし」というものには、とてもではないが、
「これはわたしで、このわたしが言っている」という感覚は、
1mmもない。


誰だ、コイツは??


という感覚、ズレている違和感がつねにあります。


ですから、このブログを書いている今現在も、
正直、誰がこの文章を書いているのかよくわからない。
「無責任」というにふさわしいほど、言葉は記号と化しています。
でも、この無責任なわたし以外、わたしと思えるものが
どこにも見あたらないのです。


同時に、それはわたしではない、という感覚があります。


これが常態にあって「メールを読みかえしてみる」
という行為は、2度ほど通して読みかえしてみましたが、
これほどに、気持ち悪い、ものはありません。
たとえてみると、こんな感じです。
円周率3.141592・・・という数字の羅列を
数時間読み続けるような不毛感です。

この数字の羅列は無限に続くので、
たとえばこのようなブログを書くときも、
「その続きの数字を今日は書いていこう・・・嗚呼・・・」
という感覚があります。

「書いていこう」の末尾につくのは、いつも
「嗚呼・・・」というため息なのです。

「そんなんなら、ブログなんてやめちゃえ。復元もやめちゃえ」
と言われるのが怖くて、意気込みを見せている、
というのが、おそらく今の「つまらなさそうな」わたし。


誰のために書いているのかわからない、
と感じるのも、そのためだと思います。


自分のため?

それとも、他人のため?


この区別は、どうやらわたしの一つの大きな特徴であったことに、
この頃になって、やっと気づきました。
実際、崩残さんとのこの2ヶ月間のメールを読みかえしてみて、
なによりも「目立っている」と感じたのは、

「自分のことを話そうとしているか、他人のことを話そうと
しているか、それを明確に分けようとしている」


という反射的な動きを、わたしは無意識に
とっている、ということでした。


・・・ ・・・


つい最近、母親と話す機会がありました。


母が最初に言ったのは、
「私から見ると、あなたは小さい頃から何も変わっていないわよ」
ということでした。

この一言に、発見がありました。

というのは、わたしは幼い頃から随分変わってしまった、
と思いこんでいたからです。

その思いこんでいた原因というのも、今回わかりましたが、
比較的大人になってから、父が話す「子どもの頃のAbyの姿」が、
相当歪められていたから、でした。
「Abyは不器用でマイペース、自分勝手」というのは、
どちらかというと母が言ってきたように思いこんできたのですが、
元はといえば、それは父が言ってきたことで、母はそれに
「泳がされていた」という感じです。

母から見たら、わたしは「いい子」だった、という。

とはいっても、きいてみると
「褒めたりしたっていう記憶はあまりないなあ~」
とあっさりと言うし、「子どもがかわいいとか思ったことは
なかったんだよね」とも、さらりと言う。

母親として、では、どういう子どもに育てようとしたの?
とたずねてみると、

「大人として、ひとりの人間として、自分の意思をもった
自立した人間であってほしいと思ったし、他人に対しても
相手の態度をみて、どんな気持ちなのか、何を考えているか、
そういうことがわかる大人になってほしいって思ってたよ。
まあ、そういう意味では、Abyを子どもっていうふうには
見ていなかったなあ。だから厳しかったと思うよ。
今思うと、無理させちゃったなあ、悪いことしたなあって。
私から見ると、Abyが何か我慢しているようには見えなかったけど、
きっとストレスとかあったんじゃないかなぁ。ねえ、どうだった?」

と、逆にきかれたけれど、その他のエピソードを聞いても
あまり今のわたしの感覚や記憶と違わない。
母はそういう人だったし、わたしはそういう母を
誇らしく思っていた。


そう、わたしは母を誇らしく思っていたのだ。
その感覚の記憶がよみがえった。


たとえわたしがまわりと歩調があわないことがあっても、
「一人一人違うんだから、それの何が悪い」と
学校の先生だろうが誰だろうが、時代の常識や子育て観に流されず
反骨精神をもってわたしを守ろうとしてくれたのが、
わたしの記憶の中の母であり、この日、母からきいたエピソードも
それと寸分も違っていなかった。

母はダメな人だ、という別な記憶は、実は、
その後の父からの刷り込みが大きかったことも
今回よくわかった。

父は母のことを
「あの人は、わがままだ。自分のことしか考えていない」と
わたしが成長するにつれて言葉にするようになった。

最初はわたしも「あれ?」と思っていたのですが、
だんだんと父の言葉が内面に刷り込まれ、
「本当はお母さんは、いいかげんな人だったんだ」と思うようになった。

ところが、今回、母の言葉をきいて、
母に対して抱いていた思いが少しずつ、
思い出されてきた。
親として、大人として、母が実際にどうだったかは別にしても、
わたしが母に対してどういう気持ちを抱いていたかを
かなり正確に思い出せた。このことは、収穫だった。

というのも、わたしがどうも記憶がない、と感じていたのも、
記憶がなかったのではなくて、「今も変わっていないわたし、
今も変わっていない母」の記憶こそ、事実にそっていて、
父の言う「Abyは~だった、母は~だった」という記憶は、
父が自分にいいように捏造した記憶だったからだ。

わたしは大人になってから、
父が語るAbyの姿と今の自分とを重ねようとしていたので、
「どうもそういう自分の姿は覚えていないな、
そういう母の姿も覚えていないな。わたしは何も覚えていない。
どうしてこんなに忘れちゃうんだろう?」と
思ってきたわけです。


・・・ ・・・


話を戻して

「自分のことを話そうとしているか、他人のことを話そうと
しているか、それを明確に分けようとしている」

ということと、わたしの母の言動とは無関係ではありません。

母の言動は、いっけんまともに思えたのですが、
その他のエピソードをきき、照らし合わせるにつれて
相当問題があるようにも思えました。

このことは、わたしが子どもの頃のビデオ映像を見ても
わかったことですが、自分にはある特徴がありました。


 自分のことをしているときは
 自分のことだけ。
 他人に関わるときは
 他人のことだけ。


この徹底ぶりは、そこを意識して見てみると
すごかった。

ふつう、たとえばお友だちと遊ぶときは、
その「他者関係」のなかで自分の意思を表明しようとしたり、
したくてもできなかったり、と、自分をどう貫こうか?と
考えるものだと思う。その関わりのなかで、自分と他人との
境界線を学んだりするのだろうし、そこにあってこそ、
嫌なことはNOと言おう、好きなことをしてみたい、という
思いも起ってくるのだと思う。

ところが見ていると、わたしの場合、相手が兄弟姉妹であっても
いざ、その場が「他者関係にいる」とわたしが判断するやいなや、
完全に「わたしを消して」いるのです。
表面的な変化としては、一人遊びをしているのを急にやめて、
「まったく別な場面」にさっと移っています。


「Abyは兄弟姉妹と喧嘩もしなかったけど、一緒に遊ぶって
いう感じでもなかった」と、母は言います。


その意味もよくわかりました。


他者関係にあっては、完全なきりかえをしているらしく、
そこにわたしは「不在」ですので、喧嘩するはずもなく、
一緒に遊びを共有しているはずもないのです。
わたしが遊んでいるときは、ほとんどの場合、
一人で、遊んでいます。

「Abyは集団保育のなかでも、よく一人で遊んでいて、
あまりお友だちと積極的には遊ぼうとする子じゃなかったよ。
でも、それの何が悪いのよって、先生たちに
言ってやったことがあるわ。子どもらしく外で遊ばないとか言われて、
それのどこが悪いんだ!って」

と母がいうように、わたしがマイペースだったのは
確かなようです。とはいっても、お友だちと何かをするとなると、
それはそれでちゃんとやったみたいで、対人関係では
トラブルも少なく、お友だちとも上手くやっていたとのこと。
マイペースでしたが、相手から何か搾取して自分だけ
得をしようという自分勝手さは見られなかったようです。
それらの記憶は、今のわたしの記憶と違いありません。

つまり、「今はわたしの時間。今はあなたの時間」という
自他の区別が、子どもとは思えないほどに明確になされており、
端から見れば、いい子には見えたとしても、
子どもらしくは見えなかったと思います。

自分のことと他人のこととを厳密に区別していて、
すなわち、自分のために他者と関わる、という衝動、
たとえば「甘える」「頼る」という言動も、見られなかった
(と、母は言っていました。むしろ母親からすれば、
ちょっとショックというふうに感じたくらい、甘えたり、
助けを求めたりしない子だったようです)。

ただ、その「いい子」っていう言葉が気になったので、
母にその意味を確かめてみたのですが、
母のいういい子とは、大人っぽい言動をする子、
という意味のようでした。
なにせ、「Abyはかわいいね、いい子だね」というふうに
まわりの大人が言ったりしているのを聞くと、
母はイライラしたそうです。というのも、
「子どもっぽい」ということを免罪符に何でも許されるのは
人格形成に有害である、と考えていたみたいです。
(欲しいものは何でも買ってあげて、かわいいとおだてるのは
もってのほか、と思っていたようです。
まわりにはそういう大人が多かったので、母は自分だけでも
厳しくしつけなければと思った、ということでした)


また話が横道にそれてしまいましたが、
「今はわたしの時間で、今はあなたの時間」という区別、
自他の区別が徹底していたのはなぜか?と考えてみると、
母の影響はかなり大きいと思いました。


「大人として、ひとりの人間として、自分の意思をもった
自立した人間であってほしいと思ったし、他人に対しても、
相手の態度をみて、どんな気持ちなのか、何を考えているか、
そういうことがわかる大人になってほしいって思ってたよ。」


この母の言葉だけではわかりにくいのですが、
母が思っている他者関係というのは、そこでは
他人の思いをくみ取り、「他人のためには、ときには
自己犠牲もいたしかたない」という価値観があります。
ここには、我慢や抑圧を肯定する図式があります。

一方で、自分の意思、自立も強調します。
そのためには、まわりに流されない強さ、反骨精神、
我慢や抑圧から自由でありなさいというメッセージが、
同時にあるのです。


ここに最大の自己矛盾がありました。


父の言動にふりまわされて続ける母の
「こんなはずじゃなかった」という思いには、
この自己矛盾があります。
こうありたい、という思っても、同時に、
我慢するしかない、こうするよりしかたがない、という思いが
ぶつかり合っていて、自覚しつつも
どうすることもできないでいる。


わたしの場合、この母からの要求にどうこたえていたのかが
今回見えてきたところで、わたしの場合には、
「今は自分の時間、今は他人の時間」と分けて対処した、
ということです。


こうも考えられると思いました。


二つの自分を使い分けている、という考えです。


我慢や抑圧をしかたがないと割り切るわたしと、
我慢や抑圧から自由であろうとするわたし、です。


さらにここを考えてみると
一つの可能性に気づきました。


「では、我慢や抑圧から自由であろうとするわたしが
本当のわたしですね。このわたしの感情を救い出すことが、
不満を掘っていくことですね」

というふうには、どうしても、思えない。
この違和感は、今日のブログの最初にも書いた、
「わたしが不在な感覚」なのかもしれません。

つまり、我慢や抑圧から自由であろうとするわたしという、
その「わたし」というのは、「仮に作られたわたし」ではないだろうか。
・・・という考えに至りました。


「他」という区別を強く意識させるためには、
区別としての「自」を強く意識づけすることが必要です。


わたしが一人遊びをしているのを、ビデオ映像で観察してみても、
まったく「楽しそう」に見えないのです。
そのように意識的に見ていると、たとえば誰かから声をかけられたとき、
その一人遊びをさっとやめて、他人のための何かに従事しようとする。

はた、と思ったのは、この一人遊びの時間、
「自」という区別を意識している時間というのは、
他のための「スタンバイ」なのではないだろうか?
メインは「他のため」であって、自分というのは
その「他」という性質を意識づけするための道具なのではないか?
「他」に搾取されない(還元されない)ような自身の経験など、
たったの一度もなかったのではないか?
「自」という枠を意識づけするための遊びなど、
楽しいはずもない。そこでは笑顔も必要とされていない・・・

・・・ということは、この「自分」というのは、
他人という存在の対なるものとして、「仮作成」されたもの、
というふうにも考えられる。


たとえてみると、この仮作成された自分とは
「黒板」みたなもので、黒板それ自体のためにあるのではなくて、
それをコントラストに、白のチョークで文字が書かれる「為の」ものだ。

わたしはそういう黒板でありたくない、という
「NO」の発動があったからこそ、わたしは
自我復元をやろうと決心したのだと思う。

わたしは黒板ではないという気持ちがある。

でもどこかでわたしは、
黒板になろうとしたわたしもいるような、
なぜか、そんな気もしている。
もしもそうだとしたら、わたしの母はわたしが
「立派な黒板を目指す」には母親として適任だった、
ということになります。調教者として、です。


父という白のチョークのために生きてきたのが
「わたしの母」という黒板でした。


同様、ここ10数年を考えてみると、共同作業者であるPさん
という白のチョークのために、自分を抑圧してきたのが
「わたし」という黒板だったと思います。


そして、このわたしという黒板は、母の話をききながら、
子どもの頃から形成されてきた「仮の自分」という枠組み
である可能性に気づきました。


黒板は黒であることを主張してはなりません。


なぜなら、それを主張するということは、
反対色の「白」を否定することになるからです。

「白」のために「黒」という主張をとりさげながらも、
「黒板でありなさい」という立ち位置にいます。
そうであってこそ、白は生きていけるからです。

黒板を使ったたとえ話ですが、これが
「世話役」という抜けられない監獄システム
(=滅私奉公)というふうに思いました。
そこでは白は、黒にとって人質のようなものです。

こうやって、作られた仮のアイデンティティである「黒」
という主張すら、白に対する自責感から撤回してしまうのです。
もちろんそれは仮の自分ですから、囚われることすらないのだと
頭で思っても、この「仮の自分」以外に、
わたしが見つからない。

自分探しを何百年やっとしても、
見つかったとしても、仮の自分の黒だろうし、
言い方をかえて「ブラック」、記述の仕方をかえて
「black」がいいところ。

わたし自身、何を書いても、何をやっても同じことの繰り返し
と感じるのは、その言い換えという記号遊びの域をこえず、
しかも、それを繰り返してばかりの「わたし」すらも
「仮の自分」でしかないという違和感。不毛感。


今日のブログの最初に書いた
「つまらない」という感覚は、きっと
ここから来ているように思う。


崩残さんに宛てたメールを読みなおしても
自分の話をしている時は、いかにも自分の話をしているように見えて
自分自身、「本当は自分じゃないよね」とどこかに感じながら
言葉を記号のごとく言い換えを続けている。
エラそうに思われないように、嫌われないように、と。
他の人との関係でもそうですが、わたしは自分の話をするときは
とても疲れてしまう。いない自分のことを話そうとするのだから
それも当然かもしれません。

そして妙な気遣いもどきばかり。

いったい誰のために書いているのか、話しているのか。

自我復元がテーマなのに、読みかえしてみると
Pさんのことや他の人のことなど、半分近くは、
他者の話をしてしまっている。
もちろん、ここには仮の自分すら、いない。
その意味では、自分でないという違和感が薄れているため、
比較的スラスラ文章を書いているようだ。

自分の話で、かつ、比較的スラスラ書いているようなところ
というのもあって、これは仮の自分すらも「他者化」して
書いているところだ。自分のことなのに、どうしてこんなに
他人事なんだろう、というふうに思える箇所がそれだが、
こういう箇所が実はほとんどを占めている。

というのも、「他者を意識した行為」においては、
仮の自分すらも登場しない。仮の自分は、純粋な一人遊び
とはいえない「区別された妄想」の中に登場してくるだけで、
それに「ついて」語るときは、すでに仮のわたしですらなく、
それを語る意味はなんだろうか、というただの思考か、
読み手をへんに気遣う歪んだ配慮があるのみです。

残りはすべて、関係妄想のように思えます。


・・・ ・・・


世話という監獄から逃げたい、というところから
書きはじめたこの復元ノート。

世話とは、純粋な意味での利他的行為ではなく、
滅私奉公のことだと思いました。
滅私、自分を消す、これは、世話される相手からすれば
有り難い性質になると思います。

滅私というと、自分に囚われないなど、そんなふうにも
きこえやすいですが、そうではなく、区別としての
「他」に焦点をあてるためには、「自分」「私」というものを
たとえ仮のものであっても作り出す必要があって、
それを押し殺しての滅私であり、それではじめて、
「他者のために何かしたい」という動機が生まれます。

この動機そのものが、分割自我と同じようなことを
自身にやってしまっているように思います。
持てる自我のすべてを他者のために使おうとして、
仮のわたしをわざわざ作っておいて、他者を作り出し、
「他者のため」を演じているのですから。

その意味では、他者という存在は、
「仮のわたし」を確認する手立てでしかなく、
仮のわたしというのも、「他者のため」という名目で存在します。


これの、いったいこれの
どこが面白いのか?


こうやっていろいろ巡り巡っても
結末はいつも同じ、
「つまらない」ということになります。


崩残さん宛てのわたしのメールを読みかえすと
自分の話については、できるかぎりそのつまらなさを
隠そうとしているだけ。それがバレないだろうか、
エラそうに思われないだろうか、と。

そのために、自分をまるで他人事のように位置づけて
分析や解説にはしる。だから、表現だけが気になって、
記号を小奇麗に揃えるような小手先のことをする。

いずれにしても、自分自身、自分がどこにもいない
という違和感で書いているのだから、自問などどこにも
見あたらない。「自問したい」と口では言えても、
自問はできないのです。

その意味では、自己嫌悪や自虐という行為すら
仮の自分を使ってのそれでしかなく、
(そうすることで、他や利他という区別の輪郭を
明確に保てているのだと思います)
自己嫌悪もどき、自虐もどき、自問もどき、です。
その証拠に、わたしはその「もどき」に
いたみを覚えたことは、今までなかったのです。

また、他人の話にでもなれば、そういった自分の
違和感からやや楽になったとばかり、
意気揚々と語りはじめます。ふつうなら、その話の中に
「自分の主張」が自然と入ってくるだろうに、
仮の自分すらそこにはおらず、なんとも薄気味悪い。

本人としては、自分の利をかえりみない
「純粋な利他行為」だと思いこんでいるのですが、
その歪んだ利他行為遂行のために
他者を利用していることには、なかなか気づけない。
最後には他者に迷惑をかける始末。

ケースによっては、相手から「ありがとう」と
言われたとしても、その言葉を純粋に喜べる
「わたし自身」がいないのだから、
笑うことも、喜ぶこともない。
しかるべき業務をまっとうした、という充実感があるだけで、
プラスマイナスゼロのような、そういった束の間の
安堵感でしかない。挙句の果てに、その安堵感を錯覚し、
「これこそわたしのやりたいことだった」と
関係妄想するので精一杯、といったところ。


この2ヶ月間のメールを読みかえして、
また、この期間の出来事を思いかえすと、
これらのパターンを繰り返している。
文章としてまとめて読みかえすと
それがあまりに露骨だ。


ただ繰り返している。


記号の羅列としか見えない、
円周率を延々と唱え続けているだけ、
という感覚があるだけで、
自分の言葉で、この自分をもって発言している、
行動している、という感覚がありません。

こうやって書いていても、この違和感、
気持ち悪さだけは後味悪く残り続けます。


2013.08.16
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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# by jh-no-no | 2013-08-16 22:28 | 復元ノート 1

前の記事の続きです

続きを書く予定ではなかったのですが
前のページで書いた「二つの癖」のことを考えていたら
その癖に関連した記憶を思い出しました。
追記したいと思います。

◇ ◇ ◇


「エラそうに・・・」

この数日、頭から離れない母の言葉だ。

子どもの頃、わたしが反発すると、
最後には、捨て台詞のように
母はわたしにそう言った。

エラそうに、

エラそうに、

エラそうに、と。


このブログの前の記事で、

 ① よしあしの基準を自分が持っているべきだ、と思い込む癖

 ② 他の人のことなのに、それを〝自分がやりたいこと〟にすりかえる癖

という二つの癖を探し当ててから、わたしとしては
「どうでもいい記憶だろう」と思っていた昔の記憶が
「いや、どうでもよくないんじゃないか」と
感じるようになった。

小学生の頃だったと思うが、ある日わたしは父に
自分がつくった問題(クイズみたいなもの)を出したことがある。
これは結構難しいぞ、と自分でも思っていて、
どんな反応をしてくれるのか楽しみだった。


その問題を見た父は、即座に
こうこたえた。


「面白いね、これね。うん、うん。これこれこういうことになると思うけど、
もっとこうすると、この問題はもっと面白くなったね」


なんだ、その答えは・・・?


わたしはがっかりした。


わたしは問題作成の着眼点を共有したかったのに、
この完全なすれ違いに、わたしは酷くがっかりした。
あまりにがっかりしたので、どんな場所でこの問題を出したのか、
そんなことまで覚えている。

父はこうやっていつも、自分はわかっている、という口調で、
さらに、わたしのためにだかなんだか、いろいろアドバイスをしてくる。
本当に鬱陶しいし、かわいくない。
今の言葉で言えば、ウザくて、キモいのだ。


このエピソードを思い出して、昨日、ハッと思ったのは、
この父の姿こそ、わたしにそっくりだ、
ということでした。


どんなことも自分でなんとかしようしようと
なんでもかんでも自分で背負って、
大丈夫にぜんぜん見えないのにいつも「大丈夫、大丈夫」。
わたしはわかっている、みたいな顔をしている。
(ぜんぜん、大丈夫じゃないじゃーん)。

また、何か話をしても、自分のことは曖昧なまま、棚にあげて
他人のことはいろいろコメントして、余計なおせっかいばかり。
「お父さんはどうでもいいんだ。お前たちが幸せなら
お父さんは幸せだ。だからいつ死んでもいいんだ」と
頼んでもいないのに、みょうに自己犠牲感たっぷりで、
「家族のため」それこそ自分の役目とばかり嬉しそう。
(・・・だいたい、死んでもらっても困るし)。


なんともエラそうなのだ。


この部分がわたしは嫌いだったのに、
いつの間にか、わたしはこの嫌いな部分が
そっくりになっていたことに、先日、
はじめて気づいた。

わたしは不満の反動、反射、反応で生きている
まるで空っぽの太鼓のような母に似ているだけでなく、
わたしが嫌いだった父の部分も、そっくりだったのだ。


これでは両親版のコピーロボットだ、と思った。


ちなみに、母と父は仲が悪い、とわたしからは見える。
実際は、母も父も何か囚われの監獄のなかで
お互い依存しあいながら、離れられないでいるようで
しかたがない、とか言いながら、
結局は一緒に暮らしている。

母は父に対しても、
「本当にエラソそうな人だよねー。家族のため、家族のためって
口だけで、なーんにもしてくれたことないじゃない」と言う。
もちろん、これに対して、父も異論があるわけだけれど
それは勝手にやってくれ、ということで済むが、
わたしの場合、この問答を一人の人間のなかで
やっているのだ。


両親両方のコピーだから、
嫌悪し合う二人が同居している。


二つの癖、①と②をあらためてみてみても、
こういう癖があるヤツだったら、誰からみても
「エラそう」に見えるだろう。

わたしの父は、まさにその①と②の癖の
兼ね備えていた。

上から目線で、斜に構えていて、
おせっかいで、予定調和的で、
「いったい何が面白くて人生やってるんだろうね」と
言われて当然な人格だ。

実際、母は父に
「いったい何が面白くて人生やってるんだろうね~」
と不思議がっているが、何も不思議なことはない。
何も面白くないはずだし、だから、簡単に
「いつ死んでもいい」などと言えるのだ。

わたしがそれがわかるのも、
わたしがそうだから。

他人のために生きた、だからもう、思い残すことはない、
いつ死んでもいい・・・など、勝手に死ねよ、である。
母は父に対して、実際、そう思っている。

それだけ険悪に見える仲なのに、
なんだか知らないけど、一緒に旅行にいったり、
コンサートにいったりしている。

最初は母の愚痴にも付き合っていたけれど
おいおい、と思うようになってきた。
好きにやってろ、と思うようになってきた。


昨日、そんなことを思い返していて、わたしは



ちょっと待てよ、、、



と思った。



「(子どもが判断できないようなどんな場合でも)
自分自身で、よしあしを決めなさい。それが自分の
意思を持つということです。自立しなさい。
ただし自分勝手はいけません。あなたが生きているのも
まわりの支えあってのことです。感謝しなさい。
(わたしたちに恩返ししてくれとは言わないから・・・)」

というように育った子どもは、
他者からみれば(また自分から見たって)
どう見たって「エラそうに」見えるだろうに、

そう育てたくせに、


「エラそうに・・・」

は、


ないだろう!!


あなたたちが描いていた理想の子ども像とは
こういうエラそうなヤツなんですよ、
かわいいとでも思いましたか?
かわいい子がお好みなら、他の兄弟姉妹のように
親に迷惑ばかりかけて、自分の話ばかりして
「この子はわたしがいないと、どうなっちゃうか
わからないわ(と両親は本当にそう言っている)」と
心配をかける自分勝手な子に
育てればよかったのだ。

わたしは、喩えていえば、
学級委員になんてなりたくなかったのに
「学級委員になりなさい」と言われたようなもので
なったからには一生懸命やろうと、
しっかりした学級委員になろうと努力しました。

お手本になるように、向日葵のように笑う子を
目指しました。

そしたらある時、
「学級委員だからって、エラそうにするな。
目立ちやがって」と、みんなから
言われたようなものです。

やりたくなかった向日葵役をやったのに、
それも否定された。わたしの笑顔は、
作り笑顔のための作り笑顔になった。
萎縮した、目立たない学級委員を
今度は目指してしまった。


わたしがいつもビクビクしているのは
そのせいだった。


前回のブログの投稿を書き終えて、
いや、前回だけじゃない、それ以前も、また
他人とのメールのやりとりやお手紙もそうだけど、
ブログなどの最後に、実は見えない言葉で、


(よし、書けた)


というのが、必ず、ある。

書き終えた瞬間の、あの嫌な感じは、
ここからくる。


何が 「よし」 なんだ???


わたしは、何を「よし」として、毎回毎回
済まそうとしているんだろう。


(前回の投稿記事内の)
 > 甘えたかったんじゃないだろうか・・・

の表現も、その・・・の部分に、

(・・・そういう気持ちにも気づいているよ)という、
もう一人のヤツが、「だからもういいでしょ」と
相変わらず帳尻をあわせようとしているから、
だからわたしは「よし」と思ってしまう自分を
「よしじゃないだろ」とさらにダメ出しをするパターンを
繰り返している。

違和感がないようにないように、ブログを書いていく。
そして違和感が見つからないと、逆に不安になって
どこかに違和感がないか探す。
それが見つかると、また自分でダメ出しをする。
違和感がないようにないように・・・そしてまた、、、
という具合に、わたしはまるで
「違和感電池」で生きているような、
そんな気さえしてくる。

違和感をおそれつつ、違和感を欲している。

違和感電池、違和感依存。

わたしは「よし、書けた」の、この「よし」とは何だろうと
つい最近も考えていた時に、この違和感依存のことを
いつものように考えていたのだけれど

はて?

と思いなおした。


たしかに、この「よし」には、
そういうことも、あるだろう。
違和感だけを頼りに(依存しながら)生きてきたのは
今に始まったことじゃない。
数十年、これを繰り返している。


これはこれで大問題だ。


だけど、この「よし」には
それだけじゃないものがある。


それだけ、ではないもの。


ここにはどこか
「ビクビクしているわたし」がいる。


それは何だろう、と考えてみたとき、あの
「エラそうに・・・」という言葉に何かある
と思った。


・・・これでエラそうに思われないかしら?
エラそうに見えるのを上手く隠せただろうか。
断定的な言い方はエラそうに思われてしまうから避けよう。
こう思う人もいるだろうから、その場合も考えて
先まわりして、それも配慮していますよ、というふうに
気遣いをしよう。もう一度、頭から読み直そう。
どこか思いあがったように思われてしまう箇所はないかどうか、
何度も何度も見返さなきゃ・・・


そうやって何度も何度も確認して、これでたぶん大丈夫、
という意味での、「よし、書けた」の

「よし」

なのだ。

だから、わたしはメールやブログを書き終えると、
違和感電池の浪費と補充の繰り返しに嫌気がさすとともに
なにより、誰のために書いているのか、わからなくなった。

自問のために、わたしは書きたいと思って書いているのに
いつも他人の視線を気にしている。
これでよし、とか思ってしまう度に
嫌な感じがしていた。

前回の記事を書き終えて、わたしはとんでもない居心地の
悪さに、どうしてこんなに居心地がわるいのか、昨日一日
考えた結果、たんに違和感で済まされない
こういった問題まで見えてきた。


やりたくなかった学級委員をやらせておいて
学級委員だからってエラそうにするな!って、
わたしはエラそうになんてしていない!!
学級委員がエラいとか勝手に決めつけているのは
わたしじゃないよ。あなたたちでしょ?
なんで、わたしが謝らないといけないの?
なら、あなたが学級委員をやればいいじゃない。
だいたいわたしは、やりたいなんて言ってない!!



作り笑顔だって
好きでやっているわけじゃないんだ。


もう一つ思い出しました。


父はこんなことも昔よく言っていました。


「親が黒だといったら、白も黒なんだ」

・・・らしいです。


今思えば、どうしようもない発言としか思えないけど
その時はわたしは、

「家族を思うってこういうことなんだ。家族の誇りって
こういうことなんだ。いざという時の絆ってこういうことなんだ」

と、親が理解してほしいように、わたしも理解するようにしました。
もちろん目茶苦茶だなあ、とは思いましたが、その背景には
愛情あるゆえの言葉と理解するように努めました。

親の言い分をよいように理解しようとした
わたしも同罪ですが、そもそも、


「エラそうなのはどっちだよ!!!」


独裁者か、あなたは。・・・と思うべきでした。


母も似たり寄ったりです。

幼い頃のわたしをおさえつける最後の言葉は
「なんだその態度は!親に向かって」
だけです。

「態度が悪い」ですべてを済ませてきました。

わたしだって、意味なく反抗しているわけではありません。
せめて「どうしてそう思っているのか」くらい、なぜ訊ねない?
理由をこちらから言っても、「口ごたえは止めなさい」で済まされたら
話になりません。わたしの気持ちに共感してくれたこと、
一度でもありましたか??
わたしは、母のその共感なき怒りの露呈を
「一緒に喧嘩をしてくれた、やさしい母」
と理解してきました。

家族思いの父と、
いつも対等でやさしい母。

わたしはこのように、何もかも、
相手を正義に、わたしを悪に仕立ててきたようです。
「最後はわたしが悪い」「結局はわたしが間違っている」
「なんだかんだいっても、お前は不幸に人生を終える」と
わたし自身、自分で疑いもせず思ってきました。

今もこれは抜けきれません。

なのに、これほどの状態にあっても、何も感じないわたし。
怒りが出てきた、悲しみがわいてきた、涙が出てきた、
ということは、一度もない。


わたしの感情はどこにあるんだろう。


感情が見つからないのに、不満だなんて
それは嘘じゃないの?
嘘だって思いたくないから、不満を掘るとか、
感情を掘ろうとかしているみたいだけど、
動機が不純だよ。そういうの、道化っていうんだよ・・・


相変わらず、この声が止まない。


でも、と思う。


でも、動機が不純でもいいから、
わたしはもうわたしを裏切りたくない。
不純だ、と怒られたり、エラそうだと言われても、
これはわたしのための自問と復元なはず。


不満以前に、まず記憶から
しっかり思い起こしてみようと思います。


わたしは「今」にばかり気をとられて
過去を、記憶をおろそかにしてきました。
記憶なんて、わたしにはほとんどないと
思ってきました。


最近になって、わたしは過去の自分の写真を
見る機会があって、見てみました。

なんと、わたしが最初に感じたのは
「わたしは、ちゃんと生きていたんだ」
ということでした。本当にいる・・・と。

何も覚えていないと思っているけど
わたしがいたことを写真が示していました。

わたしが小学生の入学式のとき、
母と手をつないで登校する写真がありました。
「手をつないでくれていたんだ」と、わたしは
その写真からも目が離せなくなりました。
前回投稿記事で書いた戦時下にある国の写真、
授乳している母と子どもの写真と
わたしのなかでは、限りなく似ているものでした。


甘えたかったんじゃないだろうか・・・


と、・・・でごまかすから、わたしは一人二役の亡霊に
ずっとおびえていることになる。


この・・・は、決して、(気づいているよ。だから大丈夫)
というなぐさめではない。そうであってはいけない。
それですまそうとするのは、それこそが
最大の裏切りだから。


わたしはなぐさめてほしいのではない。


すませてほしいのではない。


誰かに何かをしてほしいんじゃない。
それは自分の中の他の誰かでもダメだ。
未来の話じゃなくて、今までの話なんだ。
これからどうすればいいか、ではなくて、
わたしが傷ついてきた過去の話、記憶の話に
立ち戻らないといけないような気がします。


必ず感情は掘りおこせる。


そう信じて作業をすすめたい。


2013.08.10
Aby



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# by jh-no-no | 2013-08-10 13:33 | 復元ノート 1

二つの癖から不満を掘ってみました

3ヶ月前に書いた初回判定依頼の報告文を
読み返してみました。

まず思ったことは、何も事態は変わっていないこと。
あまりに変化がなさすぎて呆れました。

「わたしはいつも同じことばっかり言っている・・・」

このブログも頭から読み返してみましたが、
初回判定依頼の際に書いた内容は、今までの中に
ほぼすべてが書かれていました。
つまり、何一つ、それから変わっていないということです。

報告では、「今の家族や育った家族に問題がない」
としておりましたが、ブログの時点では
「問題があるように」書いてはいます。
ただ、今の時点では感情がまだ伴っていないので
基本的には何も変わっていません。

何度か読み返すうちに、その変わっていないことよりも、
また、初回依頼文のその内容や中身というよりも、
「その文章を書いているわたし自身のスタンス」に
気になった箇所がいくつかあったので、そのあたりを
今回は書いてみます。


◇ ◇ ◇


なによりも気になったのは、変化報告の箇所で、
表面的には「~のように変化しました」と書いていますが、
「~のように変化したのは、おそらくいい状態への変化だと思います」
という雰囲気がどこもかしこもあることに気づきました。

箇所によっては「~のままであるのは、おそらくよくない状態だと思います」
という雰囲気になっていて、先ほどのものと「よし・あし」は
反対になってはいますが、いずれも、
「今~のような状態になっていることに対して、わたしは
よしあしの基準を持っています」と主張しているか、あるいは、
それに対する保身として、「そのよしあしの基準すらわからなくなっています。
でも、そのよしあしの基準がわからなくなっていることには自覚的です」という
手口が随所に散りばめられていました。


「よしあしの基準を自分が持っているべきだ」


という癖。

癖というよりも、固定的な強迫観念で書き進めているとさえ
思えるような文章でした。
これは日々の生活のなかでの会話やメールや手紙のやりとり全般に
蔓延しています。

小学生かそれより下か、まだ思い出せていませんが、
その頃、わたしには神経質な癖がありました。

チックの症状もあったのでストレスによるものかもしれません。
そう思ったことは今までありませんでしたが
今回、このことと関連するような気がしたので
記憶を辿ってみました。

その癖はどんな癖かというと、何かをするときに
一定の儀式をしないと次へ進めないというような癖で、
その手段としてわたしはよく、「~を何回繰り返したら、OK」
みたいなへんな癖がありました。

この「何回」と「決める」というのがとても大切で
これは5回とか、この場合は8回とか、いろいろ決めるんです。
そうしないと、その状態がOKではないのです。
たとえば、これを何回移動する、何回落とす、とか。
高いところから何回飛び降りる、というのもありましたし、
このバリエーションは、かなりあったように思います。

なぜわたしはこんなことをしたのだろう・・・と
ふと考えてみると、好きでやっていたわけではないことが
まずわかりました。

ためしに久々に何度かやってみましたが、
その回数をこなしている最中、わたしはまったく
生きた心地がしません。
固唾をのむ、息をこらす、という表現がふさわしく
息を吐きながら吸うみたいな緊張感があります。

誰しも横断歩道の縞々を踏まないで歩く、というような
遊びをしたことがあると思いますが、わたしの場合、
それを例にあげると、それが遊びではなく、
自分でそのルールを強制するようなものです。
「それができないと、きっと悪いことが起こる」ということを
自分で設定して、自分自身に緊張感を与えます。

この回数癖(と自分で呼んでいる癖)も似たようなもので、
「この回数~をしないと、よくないことが起こる」
という強迫観念がありました。

「よしあしの基準を自分が持っているべきだ」という
この慢性的な強迫観念は、どうやらこの頃には
持っていた癖だったように思います。


それにしても、なぜ、こんな癖をもつようになったのだろう?


とくに母親からの影響を考えると、
「自立しなさい。自分の意思を持ちなさい。自分で判断しなさい」
という言葉からの影響が強いと思います。
たとえば、自分で判断できるような年齢でも事柄でもないことでも
「自分で、自分の考えで、自分でしっかり判断しなさい」と。

ある時、「母と父、どちらを選ぶか」ということに直結する問題を
母から突きつけられたことがありました。
小学校2、3年生の頃だったと思います。

わたしはそのとき「どうしてそんな決められないことを訊くの?」と
思った記憶がうっすらありますが、その状況からわたしは
「父」を選ばざるをえなかったのです。
というのも、わたしの他の兄弟姉妹は
「母」を選ばざるをえない状況だったからです。

これは、後ほど触れたいと思っていますが、
もう一つの根深いわたしの癖にも関連していて、
こういった判断の際、そこに自分の希望や意思はなく、
つねにその判断の基準が「他人のこと」に
重きがありました。わたしが嫌だから、ではなく、
わたしがそう判断すると誰か困らないか、
誰かが嫌に思わないか、それが判断基準でした。

話を戻しますが、5歳以下ではなかったとはいえ、
どうしてそんな幼いわたしに、そんなことを言わせたのか、
そんなことを言わなければならなかったのか。
わたしが父を選ばざるをえなかったとき、母に
「お父さんがかわいそうだから」と理由を説明しましたが、
それは、とてもやるせない思いでした。

でも同時に、「ここはわたしがしっかりしなきゃ」とも
思っていました。そうしっかり判断できたわたしはエライとさえ
ちょっぴり思っていたのです。

悲しかった、という記憶はまだ思い出せません。
いや、その時はそう思う余裕もなかったように思います。
わたしは本当は甘えたかったのかもしれませんが
それも今は思い出せていません。


本当は甘えたかったんじゃないだろうか・・・


最近はこのことばかりが頭をよぎりますが
甘えたいという感情として湧き出てくることなく、
それが叶えられなかったことの「反動としての妄想」に
とりつかれることが、以前から度々あります。

先日たまたま、戦時下にある国の生活を写した
モノクロの写真集を見ていて、そこに、
授乳している母親と子どもの姿がありました。

わたしはこの写真から目が離せませんでした。
魅力的な写真でした。


「いいなあ」と思いました。


その子がいいなあ、と思ったというよりも、
どこかその写真の女性とわたしを重ねている自分がいました。
甘えさせてあげたい、ほら、たくさん飲んでね・・・という声が
自分のなかから聞こえてくるようでした。

甘えたいの?甘えさせてあげたいの?

わからないけれど、その一人二役をわたしが
自分でやっている妄想なのかも。
妄想で自己完結して、でもそれは満たされることなく
不満は残留し、その欲求は決して消えることがない。

おそらくわたしが行ってきた「内職」も、
その妄想の延長線上にあって、この妄想という監獄だけが
「これこそ自分がやりたいこと」と錯覚させてまで
生きのびてきた、そういう籠だったのかもしれません。


・・・ ・・・


「よしあしの基準を自分が持っているべきだ」という癖から
不満を掘りはじめてみたのですが、なかなか難しいです。

不満の反動、不満の解消、不満の正当化だけで
生きているようなわたしなんだから、不満だらけだろう、
見つからないわけがない、と思って着手してみたのですが、
「そもそもの姿勢が不満の反動」だったりするので、
手ごわいと感じています。

たとえば、「不満を解消してくれ!」「この怒りを何とかしてくれ!」
という声が聞こえてくると、その声の発信地が
不満や怒りの在り処だろうと思ってしまうのですが、
そう叫んでいるヤツはつねに厄介な野郎で、さらに、
その声に応答して「はい、わかりました。なんとかしましょう」という声も
実はワンセットのヤツ、一人二役をやっている妄想野郎です。

これは、わたしが数十年の間、
ずっと繰り返してきた思考パターンです。

過去を振り返ってみても、この思考パターンが
出来ることといったら、おそらくたった一つで、
「今のこの状態でしかたがない」という証明以外、
何ひとつ出来た試しがありません。

証明方法がリニューアルされるくらいですので
事態そのものは変化したことがありません。
というのも、この「なんとかしてくれ」「了解」という一人二役の
妄想野郎は、事態を変化させたいのではなくて、むしろ
「変化させないようにするには、どう今でいいのか、今のままで大丈夫か」
そればかりを馬鹿の一つ覚えみたいに説得する、
つじつまをあわせる、なんとか済まそうとする、
つまり、自分を納得させて一時だけ安心させてはくれましたが
本当にいつも「一時」だけでした。

気がつくとまたこれでいいのか、よくないのか、
そういうことを考えはじめては落ち着かなくなります。
(これ自体、よしあしの基準を自分で持っていなきゃいけない、
という強迫観念の出番でした)
考えてみれば、不満や怒りをそのまま保留にして
目をそらさせているだけだろうから、そりゃそうだ、と
頭では思いますが、このあたりは、もっとこれから、
実際に不満と怒りを直接掘っていきたいと思います。

「不満を掘り始める」と一言でいっても、
どうやったら不満や怒りを解消することができるか、
分析することができるか、ではなくて、
「なぜ不満なのか」「なぜ怒っているのか」というふうに
問いかけ自体を変えてみようと思っています。


・・・ ・・・


もう一つの癖も見つけたので、続けて
書いてみたいと思います。


「他の人のことなのに、それを〝自分がやりたいこと〟にすりかえる癖」


報告書を読み返してみても、たとえば、
「嫌なときはNOと言える、そういう家庭環境でした」と
自分で書いていますが、一方で、我慢も抑圧も
「他の人のことなら」「他者のためなら」「他の人から頼まれたら」
なんでもかんでも「いいよ」と答えてしまいます、
と書いています。

つまり、自分自身が嫌だと感じていても
他人から頼まれたりすれば、滅多なことでは
NOと言うことはなかった、ということです。
実際、その通りでしたし、今もそうです。

わたしはこれは必要悪のような意味で、
必要忍耐だと思っていたのですが、これこそ我慢や抑圧
そのものだったのではないだろうか。

この必要忍耐とやら、思い起こすと、
わたしが他人に苛立ちを示すときは
他者から見ると、きっとおかしな時ばかりでした。

わたしが苛立ったり、不条理だ、おかしい、と取り乱すときは、
必ず「私自身の話」ではないのです。
「あなたのために言っているのにどうしてわからないんだ」とか
「他の人が迷惑するでしょ」とか、
つねに他人のことでした。

端から見たら、「この人、何が不満なんだろう」と
思ったと思いますが、わたしは他人のためになっていないことや、
そういう事態につながりそうな構造、そういうことに対して
憤りを感じてばかりいました。これではまるで、わたしの母、
「自立しなさい」と他者に強いては、それが叶わないと嘆いばかりいて
ため息をついているのと同じです。

生理的な苦痛を除けば、わたしが嫌というふうに思うことの多くは
「他者のためになっていないとわたしが思いこんでいる言動」を
わたしがとりたくない、ということでした。

ここに自己犠牲がないわけがありません。
他者のため、とわたしが判断したら、自分のことは
二の次三の次・・・と抑圧を率先して自ら
受けようとしているわけですから。

母と父、どちらを選ぶか?という選択に迫られたときも
わたしはまず、わたしが行動を選択することで、
誰が一番傷つくか、そればかりを考えました。
ここに「わたしは寂しい」とか「わたしは嫌だ」とか
「やめてほしい」とか「どうしてそんなこと訊くの?」とか
そういう選択肢が思い浮かばなかったのです。

この場ではとりあえず父を選んでおくことが
誰にも傷つかないと判断しました。
その「誰にも」の中には、もちろん自分はいません。
自分「以外」の家族です。

わたしはどこかでこういった、いっけん利他的のように見えるもの
への関心は、ここ10数年間のことだろう、と思っていましたが、
記憶をさかのぼっていくと、少なくとも、小学校にあがる頃には
十分、そういう傾向がありました。
「Abyは自分勝手で、まわりのことなんて何にも考えないで
本当にマイペースだった」ということばかりきかされてきたので
てっきり、そういう子どもだったと思いこんできました。

この「自分勝手」というレッテルが、わたしに
「自分勝手であってはいけない」という思いを
持たせたように思います。わがままを言ってはいけない、と。
(そういえば、よく父は、他人に負担をかけないわがままは
わがままじゃないからいいとか、よくわからないことを
よく言っていましたのを思い出しました。)

先ほどの回数癖だって、よしあしの基準を「自分で」
持たなければいけない、というのは、きっと幼いわたしには
負担だったのではないだろうか。
よしあしの基準など、父と母、どちらかを選ぶか?という
その選択自体の理不尽さの前では、どうやって子どものわたしが
「自分の基準」として持ちえただろうか?

「どうしてそういうこと訊くの?そんなこと訊かないでよ。
なんで一緒にいられないの?お母さんと一緒にいたいよ。
行かないで、帰ってきて」

わたしはそのとき、そう言えなかった。

なんでそう言わなかったのだろう・・・感情がついてこない。
わたしは悲しかったのか?それとも怒っていたのか?
ただ覚えているのは、その会話をしたときの場所、少しの会話内容、
そして母の心配そうな様子。その様子は、子どものわたしには
直視するのが難しい、やるせない、そういった嫌な「間」でした。
わたしが罪悪感を抱くのは、きまって大人を戸惑わせてしまったり、
大人が堂々といられないような状況にわたしの言動のせいで
わざとでなくても追いやってしまった時でした。

だからわたしはいつも先回りして、大人が迷わないように、
大人がへんな遠慮をしないように、大人が子どもに
気遣いをしないように、できる限りの配慮をしました。

わたしはいつも「大丈夫だよ」と
答えていました。

場合によっては、「そんなことより自分のことを心配しろ」と
悪態をついてまで、わたしに目を向けないように仕向けました。
「自分のことは別にいい」と斜に構えた上から目線の
エラそうなその態度は、わりと小さい頃からあったと思う。
(その嫌な感じのまま、大人になり、今に至っています)

おそらく、あのような回数癖も、なんとか今の状態が
「しかたがない、これでいいんだ、これで大丈夫だ」と
この事態がよしであれ、あしであれ、わたし自身が
「自分で」その基準を持つために、なんとか編み出した
自衛手段だったに違いない。

自分で責任を負えるはずのないような、
自分で決めることができるはずもないような、
そういうことも、自分で決めなければならないときに、
「これでいい、これでしかたがない」と自分に言いきかせるための、
苦肉の策だったと思います。

「何回これをすれば大丈夫」というこの儀式は、
これをしなかったら生きてはいけないような、
恐怖感もありました。
まるでロシアンルーレットのように回数をこなす(引き金をひく)までは
心臓と喉元で息を殺しているかのようで、
これは今試しにやってみても、同じ感じ、喉と胸の間に
何かがつまるような、数え終えると、血の気がスッーと
ひいていくような、そんな感じです。

わたしは幼い頃、たしかに両親がいうように
自由気ままに振舞っていた子どもだったという側面も
あったとは思います。思い返してみても、
決まったことをなぞるより、白紙のうえに何かを
つくったり、考えたりするのが大好きでした。
ただ、それに対して「自分勝手、マイペース、
自分のことばかり、まわりのことは無関心、社交的でない」
という評価が、その後のわたしに大きな影響を
与えたのだと思います。

悪意で言っていたとは記憶していませんが、
これとセットに「Abyは本当に手がかかった」と
言われてばかりでしたから、影響がないわけがありません。


「Abyは不器用だからしかたがないけれど、
本当は、自分勝手はよくないんだよ」


という思いこみが、わたしの中にある。

よくないんだよ、とは言われなかったと思うけれど、
わたしはそう思いこんでいる。
そんなことない、と思っているわたしもいるのですが、
同時に、そう思っているわたしも消えない。

他人には「自分勝手でいいんだよ、わがままでいいんだよ」と
わたしは言ってきました。でも、自分自身だけは例外でした。

自分勝手な行動を抑圧して、それを自分で押さえこんだ不満は
その反動の正当化として、わたしは、
「他人のためにやる」「他人のことをやる」
という方向に考え方をシフトさせていきました。

でもいくら考え方をシフトしても、自由奔放に振舞いたい、
暴れたい自分がつねにいたので、他人のためにやること、
他人のことをやることそれ自体は、決して、好きなことでは
なかったでしょうから、わたしが快と感じられる「別なこと」
と抱き合わせで、「他の人のこと」に従事するようになりました。

たとえばわたしの内職がそうでした。

「わたしは女性と一緒にいるのが好きだから
そういう内職をしよう、なんといっても他者のためにもなるし。
他人のことをするって、とても素敵なこと、楽しいことだよ」
といった問題のすりかえ。取り繕い。

「他の人のことをやること」を、まるで自分が望んで
やっていることかのように読みかえている。
逆にいえば、その「快と感じられること」が無くなったら、
一転して、苦痛の時間に変わる。

先日、まさにそのようなことがありました。

快と感じられるものがないと思った瞬間、
「なんで他の人のことなんてやってるんだろう」と
露骨に態度に出してしまった。

今までこんなことはしたことがなかった。

おそらく相手は気づかなかったと思いますが、
作り笑顔さえできず、次第に目がすわっていく感じで、
自分自身、驚いてしまった。
なんだかその時は、自分の身体が自分の身体でないような
ただの肉の塊のように思えて、手も足も動かせなかった。


わたしは他の人のことなんてしたくなかったんだ・・・


なのに、どうして、ずっとこういうことばかりしているんだろう?
考えてみると、必ず、それと抱き合わせに、妄想だろうがなんだろうが
なんとかそれをまぎらわすための「快」を
不満解消の手段として利用していました。

わたしは利用した「快」の対象に対して、
どこか罪悪感を抱いていました。その罪悪感から逃げるように、
「他人のためにやるのが好きだから、他人のことをしているんだよ」と
すりかえて、自分自身を納得させていました。

このすりかえの方法には、しばしば
自分の趣味が利用されてきましたが、
こと、性に関連する事柄を利用していることに
強く罪悪感を抱いていたために、どこかわたしは異常ではないか、
と思っていたわけですが、そんなことよりも、
もっと考えるべきだったのは、それを不満の反動、
不満の解決手段として、

「やりたくもないことを、やりたいことに読みかえていた」

という自分の手口こそ、根深い問題があるように思います。


◇ ◇ ◇


今回、初回判定依頼文を再読してみて
二つの癖を見つけたことから、その癖はいったい
どんな不満の反動、不満の正当化あるいは解消手段だったのか、
考えてみました。

もっと一つ一つ丁寧に、じっくり記憶を辿り、細かいところまで
思い出して、感情を掘り出してから書こうと思っていましたが
いったん、ここでノートします。

不満や怒りというのも、今の時点ではまだ
違和感どまりです。
不満や怒り自体は感情からくるものと思いますが、やはり、
「不満を解消してくれ!」「怒りを抑えてくれ!」と叫んでいるヤツの所に
感情があるようには思えません。

その叫び声に対して、そうだね、たいへんだ、なんとかしきゃ、
としているわたし、一人二役のコイツも
どうかしています。

なぜ解消したり、おさえたりしなきゃいけないの?

この「わたしがなんとかしなきゃいけない」という強迫観念こそ、
どこかで「よしあしの基準を自分で持っているべきだ」という
へんな癖の延長線上にあるように思う。

「どうしてわたしがなんとかしなきゃならんのよ」

という不満、不条理感が少しずつですが、
出てきました。

「不満や怒りを与えた人がなんとかしてくれよ」なんて
以前はそんなこと思ったことありませんでしたが、
ここ数日、そればかり思っています。

・・・わたしがその不満をなんとかしたら、
怒りをコントロールしたら、なんかしてくれるの?
今までなんかしてくれたこと、ある?
なんでわたしがあなたのためにまで何かしたり、
自分がしっかりして、これでいいとかわるいとか、どうして
言わなきゃならないの。それの、いったい何がいいの・・・

「不満を解消してくれ!」「怒りを抑えてくれ!」と叫んでいる
このヤツは、どうよく目でみても、鎮痛剤がいい程度、
「不満でいいんだよ、怒っていいんだよ」と目線をそらす
ことくらいしかできませんでした。

そういうわたしも、
そうやって他人と接してきました。

Pさんにも対してもそうです。

仕事でもそうです。

「それでいいんだよ、そう思うのはしかたがないんだよ」と、
まさにそれこそ、その人の存在をそのまま受け入れることだと
思いこんできました。


大丈夫なはずもないのに、
大丈夫だよ、と言ってきました。


そんないい加減なスタンスでなしたことといえば、
Pさんのことでいえば、Pさんがつらいまま、
そのまま、監禁していただけでした。
わたしだけが監禁されていたわけじゃありません。
監禁し、監禁される。酷い世話ごっこです。

不満の反動だらけのわたしの言動から、
まずは不満を掘り進めたい。
そして、それをなんとかしようとか、それでしかたがないとか、
それをなだめようとか、これでいいですかと自他に対して
承認を得ようとしている暇があったら、

「なぜ不満なのか」「なぜ怒っているのか」

自問を続けたいと思います。

不満や怒りがなかったことにだけは
したくありません。

「どうしてこれ以上、自分がしっかりせにゃならんのだ」
「どうしてこれ以上、他の人のことをせにゃならんのだ」
「どうしてそんなこと、わたしがしなければいけなかったの・・・」

この不満をどうするか、ではなく、
この不満の出所、感情のしっぽを見つけていきたいです。

まだ感情のしっぽの先も見えてきませんが、
なんとか思い出して、感情が湧き出るところまで
なんとか辿り着きたいです。


2013.08.07
Aby



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# by jh-no-no | 2013-08-07 02:14 | 復元ノート 1

不満を掘り始める

初回自我判定から今日に至る約3ヶ月間のことを
続けて書いていこうと思います。

何を不満と感じたのか、それを細かく思い起こしていくと同時に
その不満の反動(不満解消のための手段)として
どんな言動をとってきたか、ということも
書いていくことになると思います。

復元ブログを書き進めていくうちに、
違和感という一言で済ませたくない、という思いが
強くなってきました。

違和感の前に、不満があるはずです。

不満を、それでよしとしてしまったり、さらには
不満を、自分がやりたいことにすりかえてしまったり・・・

「しかたがない」で済ませてしまうことへの違和感は、
そういうことから生じてくる感覚かもしれませんが、
違和感というだけでは、感情にまで手が届きません。

「不満」という感情に近いところまで
掘り下げたいと思っています。

まだまだそこでも、感情を掘るというところまでは
辿り着かないと思いますが、せめて今のこの分析と解説という
現状からは(これこそ「しかたがない」言い訳にしかならないので)、
たとえ半歩でも掘り下げていきたいのです。

整理が遅れてしまっているのがもどかしいのですが
まずは現在の時点まで追いついていけるように
ブログのコンテンツを整理していきます。

このページから次ページ以降、
カテゴリ「復元ノート 1」に記事を
書き連ねていく予定です。


2013.08.02
Aby



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# by jh-no-no | 2013-08-02 03:19 | 復元ノート 1

無明庵に再び辿り着くまで ⑤

④に続いて、「内職のもうひとつの動機」を
書いてみたいと思いますが、昨日、このことを考えていたら
繰り返し、育った家庭からの影響のことを考えておりました。

なぜかといいますと、そのもうひとつの動機、
その内容については後述しますが、そもそもその内職の動機、
「わたしが~をしたい」という、表面的には一人遊びに見えるものが
あまりに不十分、不満、未練を残したままであった、
という結末に至るのは、いったいどういうことなんだろう?
ということを考え始めると、どうしても育った家庭について
再び考えざるをえなくなるからでした。


今までわたしは、他人に対しては、
「したいことを我慢することないよ。やってごらん」、
「したくないないならやる必要なんてないよ。いつやめてもいいんだから」、
と何度も何度も、他人には躊躇なく言ってきました。
ここに躊躇があったり、作りがあったりすれば、
それはわたしの父そっくりなので
「屈折した気持ちの裏返し」という理解もできますが、
わたしがこのように発言することに、わたし自身、
なにも躊躇するものはありませんでした。

わたしの母がわたしに躊躇なく
そう言い続けたのと同じです。
(父も言動のうえでは同じように言っていました)

ですので、躊躇、というよりも、そこにあるわたしの違和感は、
「わたし自身に対してだけは、その例外だった」、
という点です。

つまり、こういうことだったと思います。

わたしはしたいことを我慢することも苦と感じていなかったし
したくないことをすることも苦と感じていませんでした。
むしろそれはその時期その時期、その場面場面で
必要とされていることに思えたので、
その必要性にこたえることに
自動的に反応してきたように思います。

耐性のようなものが
もしかしたらあったのかもしれません。

嫌だと「心底」思っていたら、NOと言えたはずです。
わたしはNOと言える環境にずっといたからです。
ところがわたしは、拒絶しませんでした。
NOというほどのものではない、と甘くみたともいえますが
わたし自身はなめていたつもりはなく、むしろ
誠実にとりくんでいるとさえ思っていました。


自我復元を始めてからは、このわたしのスタンスこそ、
自分を切り売りしている、自分を裏切っているという
表現につながってはおりますが、
何度もこのブログにも書かせていただいた通り、
その表現を選択する自分にも戸惑いがないかといえば
いつも不安になります。


なかなか今回の内容に入れていませんが、
この「戸惑い」に関連したことを
先に書かせてください。


・・・ ・・・


梅の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?U1846

にリンクされていた「世界は日本をどう見ているか」
という動画を、昨日、拝見しました。


最近、このブログを書き進めていくうちに
わたしのなかにある恐怖、怖いという感覚に天秤が
傾きかけていた感じがありましたが、
この動画を見て、ぐっと天秤が戻されました。


裏切ってはいけなかったのに・・・
という当初の思いが、歪められていない事実に押されて
見ている間、ずっと涙が止まりませんでした。


この時代のことはもちろんわたしは知らないのですが
わたしが教わり伝えられてきた事実より、
この事実は、わたしには迫ってくるもの、
揺り動かすものがありました。

このときの涙は、
「ぐっと過去にふり戻されたときに溢れ出てくる涙」
のように思われました。

これに似た涙を一度、経験したことも思い出しました。
身近な人をわたしは過去に亡くしましたが、わたしはそれから
数十年という長い時間を経た、ある時に、自分でも理由がわからない、
わけのわからない泣き方をしたことがあります。

悲しいとか、そういう感情が沸いてきて・・・というのではまったくなく、
まず涙がただ溢れてきて、声はむせぶ程度で出てきません。
過去の、ただその過去の存在がありありと迫ってきて、
その迫りくるものが止まないかぎり、涙が止まらないのです。


なぜ泣いているのかわからないまま
泣いてしまいました。


昨日もそうでした。
この動画を見て、生まれていない時代のことなので
記憶はあるわけないのですが、これは
わたしにとっては、明確、なものでした。


ここでも毎度のように自己矛盾が発生するのですが、
わたしが育った環境、そして今のわたしの仕事も、むしろ、
このような動画を毛嫌いする、見もしないで馬鹿にしたり、
否定したり、拒絶したりする人がまわりにたくさんいる人のなかで、
わたしは育ち、仕事し、現在もしています。

それは決して他人事ではありません。わたしもそうです。
なんでも社会のせいにすることが、それが都合がよかったから
という理由だけで、わたしもそう生きてきたのです。
幼い頃はそうでなかったと思っているのですが
いつの間にかそういう生き方を選んでしまっていました。


ここに自分の意思があろうはずもないのです。

ただの「反動」でしかありません。

他者、時代、社会、そういったものの反動としての
中身のないリアクションです。


他人次第ですから、ここに怯えがないはずがありません。
どこかわたしの恐怖、この怖いという感覚は、
自分の意思がない、他人まかせで自分で自分の責任がとれない、
ということにも由来しているように思いますが、
ここはまだ考察していかなければならないところですので
断定はできません。しかし、確かに思えるのは、
わたしの天秤は、わたしでない誰かに
そのバランスを握られています。

たとえば、今回の動画を見ては、束の間
怖いという感覚が錯覚であること、
怖がらなくてもいいことを思い出させてくれます。


いったん、天秤は平衡を保ちます。


次の瞬間、他者が(自分自身もその他者にのっかれるわけですが)
幽閉や拷問の恐怖を持ち出してくれば、一発で、
そのリアリティこそが事実になり、天秤は一瞬で傾きます。
逆にいえば、その恐怖が麻痺している限りにおいては
なんとか正常を保ったような気になれることになります。
こうやってわたしは、わたしでない誰かにつねにふりまわされ、
よくよく見つめてみれば、わたしの気持ちは怯え続けています。

わたしが笑ったことがない、と思うのは、
おそらくその道化の最中も
「その後の展開が他者次第だ」という不安定さに
怯えているせいかもしれません。

このわたしの他者からのアクションに対する
「ただの反応」という条件反射のような性質は、
前回のノートにも書いた通り、それは母親そっくりだ、
ということですが、その意味では父親も
「別な意味で」同じ類であり、両親とも


〝自分の言葉を持たない〟


という意味では、一致していました。


父親の場合は、その言葉は「すべてがただの受け売り」で
母親の場合は、その言葉は「すべてがただの反射、反動、反応」でした。

受け売りの言葉と反射の言葉をきき、その中で
わたしは育ってきた、ということになります。

そして見事にわたしは、その「受け売りの言葉」を
対外的な言葉として用い、まわりの環境と出会い、整え、作り、
また、その「反射の言葉」を、その言葉イコールわたし自身の意思、
と錯覚させ続けて、今までの人生をすごしてきました。

まさに団塊世代の両親の特徴を
一人の人間に圧縮したようなジュニアが
「わたし」だと思いますが、結果としては、
母親側の性質をわたしが持ったようです。


ここまでのことを昨日考えていたとき、ふと、
父親側の性質は、今、どのような影響をもたらしているのだろうと
考えたとき、今まで考えもしなかったことですが、
ある一人の人(以後、Pさん)のことが思い出されました。
わたしと共同生活、共同作業をしてきた人です。


なんと、Pさんは、わたしの父、そっくりでした。


自立できないで、受け売りの言葉だけ。


わたしはわたしの父そっくりの人を見つけて
わたしはわたしの母と同じように、
「Pさんの自立をうながす世話役」を
長いことやってきました。


このわたしとPさんの構造は、
わたしの母と父の構造のそのものだったのです。


そう考えた瞬間、あの二人の今現在の姿こそ、
わたしとPさんの未来像だと、しっくりもきました。
文句と不満を言い合いながら、結局は依存しあい、
世話ごっこという囚われの監獄で一生を終える姿が
想像されました。


受け売りでいい格好ばかりしている父やPさんは
それゆえ、一人では何もできない。自立できない。


このことは、実は、母やわたしにとって
都合がいいという面があったのです。

というのは、母やわたしは、自分がからっぽだ、ということは
他者がいないと何もできないのと同義だからです。
相手が自立できないから「自立しなさい」と「言う」という
リアクションができるだけで、それは意思でなく反応です。
自立できない父とPさんに自立を促しつづけるという
「叶うことのない試み」を死ぬまで続ける。

叶わないと知りつつ、「自立しろ、自立しろ」と言ってくれる人が
自分のそばに居続けてくれることは、父やPさんにとって
都合がよいことでもあるのです。だって、一生叶わないのですから
ずっと居てくれることになります。
一人では何もできない父やPさんには好都合です。


これが「世話」というものの実態ではないだろうか・・・


そう思うと同時に、わたしは両親を「世話という営みのモデル」
にし続けてきたように思います。
世話の典型的なモデルをマスターするために、この両親の
子どもに生まれたのではないか・・・とさえ思いました。

現実に、わたしは母のようになり、わたしは
父のようなPさんと出会いました。
世話という監獄は監獄でありながら、その囚われは
つねに私たちにとって


「しかたがないもの」


だったのです。


しかたがない、という状況に居つくことは
これほどに酷いものはないと今は思っています。
(思い出しましたが、この「しかたがない」は
父の口癖の一つでした)

この「しかたがない」という状況に居つくというのは、
まさにそれは「したいけどできない、したくないけどする」
という状態であり、なにより、それを自分が選んでいる、
それでいいと認めている、というところが
最悪です。

さらに最悪なのは、わたしの悪癖として
わたしの思考パターンや分析や解説というのは、
その「しかたがなかったことに整合性を持たせる」だけの
役割と機能しか持っていないことです。

この最悪なまま生きていったら、わたしは今まで通り
ああだこうだ、といいながら、しかたがなかった状況説明を
「相手のアクション」を悪用しながら、応答を連ねていく。
簡単にいってしまえば屁理屈です。
そういう人生になることは、目に見えていますし、
実際にわたしは今までそればかりを
してきています。


何が言いたいのかわからない、
不愉快で、鬱陶しい人の典型的な言動です。
(わたしの父もまさにそうでした)


そういう言動の中で登場する個性や自由という言葉、
そのわたしが描きうる個性や自由などは
父親のごとき「受け売りの個性像」と
母親のごとき「反動としての自由像」でしかなく、
他者依存以外の何ものでもありません。
「他者」には、人だけでなく、時代や社会、まわりの環境も含みますし、
都合によってはその他者に「自分自身も入れこんで」、
自問や内省と錯覚しながら、やれ個性だ、やれ自由だ、と
のたまうだけです。わたしが、もろ、それでしたし、
そこから今も抜け出せません。


そこでわたしがいつも思うのは
「本当に抜け出したいのか?」ということです。


他人からきかれたら「抜け出したいです」とこたえます。
では、自分の意思でちゃんと言いなさい、と言われたら
もしもわたしが嘘をつかなければ、黙ってしまうはずです。
なぜ?ということでなく、本心がわからないからです。
「たぶん抜け出したい」と言えるのがせいぜいなのです。

このもどかしさは当然ですが、あります。
わたしも両親もあるはずです。
あるはずですが、囚われ続けている。
この状態のよしあしといった意見だったら何でも言えますが、
自分の意思として意思表明はできません。


個性、自由、責任。この言葉、わたしは昔、
耳にたこができるほど聞かされてきました。
耳にたこになってしまったので、忘れていたほどです。
今朝、梅の間の砂手さんの記事を拝見し、
そっくり思い出しました。
(まさに歪んだ家庭に育ってステレオタイプの
団塊世代の両親でした)


梅の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?U1846


付和雷同・・・

まさに、受け売りだけの〝付和〟と、
雷がなれば同調する、なれなければ同調もできない
反射だけの〝雷同〟。

世代批判ということについてもその通りでした。
たとえばわたしがそれぞれ個人を批判しても、
まったく効き目がありませんでしたが
父という役目や、母の責任ということにふれると
完全にとり乱してしまうのです。

まわりからみれば、それはその人本人ではなく、
まとった衣服のようなものをつついているだけですが、
その衣服を脱がされてしまうと、ダメ出しひとつで
大混乱、命取りになりました。

これもまったく他人事ではなく、わたしもそうで、
このわたしの脆弱性については
両親のそれ以上かもしれません。


また、団塊世代の「自分へのこだわり」ということも
書かれていましたが、この自分へのこだわり、
実は、今回書きたいと思っていたことは、このことにも
深く関係しているようなことでした。


「内職のもう一つの動機」


についてです。


随分とまわり道をしてしまいましたが
そのことについて、以下書いてみます。


◇ ◇ ◇


このブログにも書いてきたと思いますが、わたしは
どうも男性が苦手です。男性的な考え方も苦手なんですが
そもそも生理的に苦手なのだと思います。
どの男性もダメ、ということはないのですが
苦手なタイプが多いです。

電車でもしも座るとすれば、両隣が女性の空席を探します。
あれだけ近いと、生理的に反応してしまいます。
美容院でも「女性の方をお願いします」と言うようにして
いつも女性の方が担当でした。
女性なら誰でもいいわけではありませんが
たとえ男性的な感覚の方でも(そういうケースは多々あります)
それでも、女性とともにいることを望みます。

わたしが内職を始めたのは、
「世話という監獄での役目を維持し続けるため」
という目的がありましたが、なんとかわたしは、そこでは
男性とあまり出会わないですむような環境を求めました。
できたら女性とだけ接するような、そういう仕事を
したかったのです。

今思い出しましたが、以前、そのために広い意味での
エステのようなものを学びたいと思っていました。
少しですが、本も読んで勉強しました。
女性限定のエステのようなものをやりたかったのですが
現実的ではなかったので、やめました。
当時の状況としては、言葉と言葉の交流、
コミュニケーションを通じて、女性と接することが最も
現実的でしたので、そのような内職を
手探りではじめることになりました。


話は前後してしまいますが、内職をはじめる直前にも
もう一つ、わたしには興味のある分野がありました。
思えばそれも母譲りの分野で、幼い頃から好きでしたし
得意な分野でした。今も好きです。

結局この分野の仕事をすることは、今に至るまで一度も
叶わなかったのですが、ほんのわずかな時間でも
この分野に関わることができた、そういう時期がありました。
出稼ぎのような生活に疲れ、経済的にも苦しくなったので
それから離れざるをえなくなってしまったのですが
それでも、ほんのわずかな時間でも、わたしは
「自分がやりたいことがやれた」と思いました。


内職のときもそうです。


「わたしはやりたいことをやった」


そう思ったのです。


その当時は、まさか自分が「世話という監獄」の中に
いるとは思っていなかったので、むしろわたしは
好き勝手なことをやっている、やりたいことはやってきた、
と思っていました。

実際、自我判定をはじめて依頼するに至った背景は、
無明庵から離れて、「自分がやりたいことは、やった」という
感覚があったように思えたからこそ、ふみきれたことでした。
(同時に、それでも十分に思えなかったから、
自我判定を依頼したというのも、一方で事実です)


では、そのわたしのやりたいことをやった、
その結果、わたしに何をもたらしたかというと、
その不十分さ、不満、未練でした。


この不満や未練を満たそうと、わたしは妄想をしました。
妄想のなかで、なんとかしようとします。
そうすることこそが「楽しさ」なのだと思おうとしながら。
そして未だわたしはこの「楽しさのようなもの」
以外の楽しさを知りません。

しかもその「楽しさのようなもの」を繰り返すべく
自ら不満や未練を作り出します。
中毒のように。


このような妄想のなかで、わたしは
「自分だけで楽しめる、一人で楽しむ」こと、
純粋に一人遊びといえる遊びを楽しめたことはなく、
(といっても、一人遊びを知らないので、こうも言えませんが)
不満や未練の反動、反射、反応に依存して
「楽しんでいるだろう自分」、その自己確認に終始します。
(きっとこれも、他者からの反射でしか言動が出てこない、
自分の意思がない、というものの相似形の現象に思えます)


ああ、わたしは楽しんでいる・・・

これが楽しんでいるということなんだ・・・

わたしは楽しい・・・


という自己確認を、レイヤーがズレているような
気持ち悪さを感じつつも、そうだ、そうだと思おうとする。
思えなくても、まず思おうとする衝動がある。


こんな毎日を繰り返していることの
どこが楽しいのだろうか?


この自己矛盾は、とんでもなく
居心地が悪い。虚飾がどこもかしこも
巣食っている・・・


「やりたいことは、やった」といいながら
不満と未練たらたらなわけで、
十分やり尽くした、という感覚を残すことは
今まで一度もなかったのです。
やりたいことはやったはずだ、という証明と言い訳、
確認作業があっただけで、それは、結局、
しかたがなかったことの分析と解説でしかありません。


どう言葉でおぎなったところで、
不満と未練たらたらは、たらたらなまま。


なのに、「やりたいことはやった」と
「どの口が言うか」とそう言い返すわたしもどこかにいます。
自我復元をはじめたいと思ったのも、そうでした。


やりたいことをやったとは思えない。
どこも楽しくない。ビクビクしている。
これがまともな状態といえるか?
この状態は、昔から何一つ変わっていないじゃないか。
これからも変わらない。本当にそれでいいのか?
今日死んでしまったら、それで本当の本当にいいの?
いいはずがない。


たまたまわたしは、幼い頃の写真を
見ていました。もう随分昔の写真です。


〝裏切ってはいけない〟


〝この子は笑っていない〟


いろいろな気持ちがぐちゃぐちゃなまま、
まとまらない思いを、自我判定の依頼文に書きました。
このままではだめだ、どこかおかしい、
どうみても今の状態がまっとうとは思えない、
その違和感だけを頼りに依頼文を
書き進めました。


2013年頭に分割自我復元法を開始し、
それから4ヶ月、はじめて自我判定を
お願いすることになります。


2013.07.28
Aby



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# by jh-no-no | 2013-07-28 18:48 | 無明庵に再び辿り着くまで