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(後半)明るい声-自我復元後日記[339]

『(前半)明るい声-自我復元後日記[338]』の続きです。


・・・


前半の1点目の少し続きになりますが、
テクニカルな言い方をすれば、
「巻き舌にならない」ようにする、です。

私は、The Roseという歌を練習していたわけですが、
最後に、「rose」と伸ばすところがあります。
「ろーず」と言って、この歌は終わります。

実際の歌の話をしますが、
「ろ」というその瞬間、その「一瞬」は、
「t」とは違って、舌先は、やや巻き舌になります。

そこは、それでいいんです。

大事なのは、「ろー」と「-」と伸ばす時に、
舌先が、下の歯の裏に戻っているか、という点です。

「ou(おう)」という二重母音の発声になるわけですが、
二重母音の場合、最初の母音で伸ばす、というのが(英語の歌の)基本です。
ですので、「ろぉーーーーーーぅず」となります。
最初の「o」で伸ばしています。

これが、伸ばしている時も「r」の発音になってしまうと、
ずっとなんとなく巻き舌状態になってしまい、
音がこもりっぱなしになり、明るく聞こえません。
さらに、最初の母音で伸ばしているのかも曖昧になり、
なんとなくいつからか、「u」の母音になっていたりして、
もごもご~っていう印象になるのがわかります。

「ろ」の一瞬だけ巻き舌になるだけ。「ro」の「r」は一瞬だけ、です。
それも「t」と同じように、軽く、あまり巻き舌とか意識しなくても、
気づけば、「ぉー」と、「o」の母音で伸ばしている状態になっています。

T先生から教わったことですが、
とくに英語の歌の場合、歌の中の場合では、ということでしたが、
「r」(巻き舌)は、あまりつけないほうがいい、
そうした方がきれいに聴こえる、ということでした。

歌詞の中で、「never」という箇所がいくつかあります。
この歌の聞かせどころですが、ここで、巻き舌が強くなると、
ぼやっとして、せっかくの歌詞が死んでしまいます。
それを、この前のレッスンで、痛感しました。
むしろ、「r」は無いつもりで、「ヴァー」と伸ばす時には、
舌先が、下の歯の裏にぽとんと落ちていること。
その「落ちたまま」で、言い終えること。
これだけで、歌が活き活きしていくんです。
(慣れてくれば、最後の最後にやや巻いてもいいと思いますが、
ほんと、不思議ですが、一切、巻かなくても、きれいに歌えます。)

1点目、長くなりましたが、
この歌のレッスンを応用したのが、
仕事中の「t」の発声でした。

さて、今日、長いですね、ブログ。

でも、2点目、頑張って書きますよ。
途中休憩しながら、読んでくださいね。
参加型だったので、疲れたでしょ(^^♪
私も、途中、納豆と卵でご飯食べましたからね。

これは、アルパ(私のアルパにも名前があります。
打身、と書いて、だじん、です。ハープの一種ですが、
パラグアイの民族楽器で、音がクリアで、私は打楽器のように感じているので、
打身と名づけました。過去のブログでは、打身と書いてある記事が多いです)の
レッスンでも、歌のレッスンでも指摘されたことです。

アルパでは、

「しっかり、親指まで十分弾いてから、次の弦を弾けばいいからね」

と、よく、言われました。

アルペジオをしっかり弾き切ってから、
次のジャン、ジャン、というオクターブを弾けばいいよ、と。

次、次、と焦ると、今弾いている弦をしっかり弾ききれないまま、
次の弦に行ってしまい、そこでも、また後手後手に感じるから、
どの弦も弱い弾き方になってしまいます。

アルパでは、そのような弱い弾き方をすると、体験した方でないと
わかりにくい話ですが、隣の弦も一緒に弾いてしまって、音が濁ります。
不思議ですが、強く弾けていると、隣の弦に触れず、
弱いと、隣まで弾いてしまうんです。最初は不思議でした。
(しかも、弱く弾こうとすればするほど、指先の皮を傷めてしまうんですよ。)

歌のこの前のレッスンでも、
以前からも言われていたことでしたが、
とても大切な指摘内容でした。

The roseの歌詞の中で、たとえば、
「takes the chance」というのがあります。

この「takes」の「s」が、しっかり言えていないと、
T先生は、必ず、こう言いました。

「次のtheは、sを言ってから言おうと思えばいいからね」

と。

そうなんです。

「s」を言わずに「テイクザ」のようになりがちなのは、
「th」を言わなきゃと思って、実は、最初から焦っているからなんです。

やってみてください。

「s」の時は、舌の先は下の歯の裏にあります。
そして、歯の隙間から息を出して子音を作っていますね。

「the」の「th」では、次に、舌を上と下の歯で軽く噛んで子音を出します。

つまり、舌の位置を変えなければならないんですね。

それを反射的にわかっているので、
「テイク・・・」といった直後に、ダイレクトに、舌を上下の歯の間に
移動させようと急ぐことで、「s」がないがしろにされ、省略されたようになります。

他にも、日常生活の中でこれがわかりやすい例があります。

私は仕事柄、日本語が母語でない方と接することがよくありますが、

「ありがとうございます」

の発音は、とても難しいようです。

実際、私も、これをちゃんと言おう、とした時から、
ほとんどその方々と同じ状態になりました。
私の場合は、普段はそれが言えるので、日本語が下手という問題ではなく、
吃音に関わる問題であることは、すぐにわかりました。

以前にも、少しだけ触れたことがあります。

ちょっとやってみてください。

ゆっくり言うとわかると思います。

まず、あ→り→が→と→う、と進むにつれて、口が伸びていきますね。
唇の位置が前に移動します。

その次、「ご」あたりを境に、「ざ→い」と進むにつれて、
今度は、口、唇は(顔側へ)戻っていきます。
「い」の口になっていくので当然ですね。

その直後、「ます」の「ま」で、
わかりにくいとかもしれませんが、口は前に出ます。

「ま」と「い」で単独で発音してみると、
唇の位置が違うのがわかりやすいと思います。
「m」は、口をすぼめるように、少し唇が前に出ますよね。

これを反射的に感じ取って、
「ありがとうございます」をしっかり言おうとすると、
(そう、しっかり言おう、という意識は、流暢に言おう、とすることで、
それは、速く言おうとしがちなんです)口が引っ込んでしまう「ござい」は
省略して、「ありがとます」となってしまうんです。

ありがとます、だと、口、というか、唇が前方へ移動した状態のまま、
言い終えることができます。

接客をしている方は、その経験をされていると思いますが、
母語が日本語でない方は、かなりの割合で「ありがとます」に近い発声になります。
よくても「ありがとごます」「ありがとござぃます」で、「う」が無いんです。
「とう」と伸ばす感じが欠落してしまうのは、早く「ご」に移ろうとするからで、
そこから、「ます」に飛んでしまうのも、焦るからです。

焦る、というのは、流暢に言おうとする強迫感です。
日本語を上手く話そうとするために、起きるのではないか、と
私は推測しています。

私もまったく同じ状態に陥り、
これが重篤になっていくと、「あ」が出なくなりました。
これがとても辛かった話も、以前、書きました。

さて、その「ありがとうございます」の「あ」です。

私の場合、ありがとます、から、さらにひどくなり、
「あ」が出なくなるのは、次の「り」をちゃんと言おう、
もう、すべてそうなんです。吃音というのは、次の言葉が出るかどうか、
それが最初の音の場合も、黙った状態から次の音(最初の音)が出るか、
つねに次、次、次、で頭の中がいっぱいなんです。

「り」というのは「ri」ですね。

英語ほど極端でなくても、日本語でも軽く巻き舌に「一瞬」なります。
roseの「r」と同じです。ありがとうございます、とさらりと言っている時は、
それに気づかないくらいの速度で、舌は、その巻き舌状態から、上の歯の裏を通って、
弧を描くように、舌の歯の裏に着地します。それが、「り(ri)」です。
「ri、ri、ri・・・り、り、り」と言いながら、舌の動きを感じてみてみて下さい。

さっきと逆で、「あ」という時は、やや前方に唇位置がありますね。
「り」は基本「い」なので、急に引っ込めないとなりません。
ですから、最初から「い」のポジションにしておこうとしてしまうんです。

さらに笑顔で言おうとすると、
おおむね、笑顔は「い」の口になりやすい特徴があるので、
「い」の口で「あ」を言おうとしますし、すでに巻き舌状態に
スタンバイしそうになっています。

巻き舌状態(下が奥まった状態)は、力んでいる時になりやすいので、
つまり、力んだ状態から、そのような「あ」を言おうとします。

力んで、硬直しているので、これを意識し過ぎると、
もう、「あ」の最初の音すら、出ないんです。
舌が奥まった状態は、私にとって「常態」だったので、
力みとすらの自覚もありませんでした。
つねに、そういう緊張状態が、常の状態だったのです。

これを助けてくれたのが、
「s」同様、まず、「あ」を言ってから、「り」は考えればいい、
ということでした。

この指導方法が素晴らしいのは、
試しにやってみてください。

「takes のsを言ってから、theのことは考えればいい」

という助言通り、まず、しっかり、「テイクス」と言い切ると決めて、
「ザ、チャンス」と続けます。theのことはあとから考えよう、と決めて、
「s」を言うことだけを心に決めて言い始めます。

そうなんです。

「あとから」なんて、考える間もなく、
「ザ、チャンス」と「言っちゃっている」んです。
theを言おう、と考えなくても、「th」の舌に自ずとなっている、
そう、後になって気づく、というのが、この指導方法の
とても面白い点なんです。考えなくても、言える、という体験をする点です。

「次のことをあらかじめ考えておこう」という
それ自体が、力みになっていたことを痛感した経験でした。
その力みがなければ、言葉というのは、考えて言わなくても出るものなんです。

私は昨日、職場でもこれを痛感しました。

これほど、明確に「ありがとうございます」が言えたのは、
昨日が初めてでした。

とにかく、「あ」だけ言えればいい。

そのくらいのつもりで臨みました。
私は、「あ」という音は、とても好きでしたし、
美しい音だと、この音を大切にできればいい、と思って臨みました。

「ありがとうございます」の「りがとうございます」は
無視していい、と決めたんです。

その前に、「t」の発音を、上に書いたように
私自身、何時間もやっていたので、
「ri」が無理なくできていた、というのも、それを助けてくれたと思います。

私は、はっきり、

「ありがとうございます」

と、元気に、中性的な声で、楽しく言えました。

「あ」のあとに
「りがとうございます」は、くっついて来てくれたんです。

とくに、昨日一日の後半は、
今までの吃音への取り組みを総まとめするように、
私は、自分の声を取り戻していきました。

元気だから、言えた、とも言えます。

ですが、

私は、言えたから、元気になった、

と、私は思いたい、そう思っています。

鍵盤ハーモニカを使って音を出すこと、
それが楽だ、なんだか楽しいなぁ、と思ってくれて、
時間はかかっても、少しずつ、言葉が言えるようになって、
少しずつ、身体が元気なってくれるのなら、
私は、何の根拠もありませんが、
鍵盤ハーモニカで遊んでみてほしいと思います。

私は鍵盤ハーモニカのことは、まだよく知りませんが、
先ほど書いたように、息を大事にしている楽器だなぁと感じています。
そして、何より、息をする、というのは、生きることと、
とても密接に感じています。



私は今日も頑張ったなあ。


深く、深呼吸をしています。


今日も読んでくれて、ありがとう。



明日から、7月ですね。



私は、夏、好きですよ。




◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.6.30
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-30 23:24 | 愛美通信☆メトロノート

(前半)明るい声-自我復元後日記[338]

昨日の仕事では、お休みに入る前の歌の最後のレッスンで学んだことを
取り入れていきました。
私は声がこもりやすい性質がありました。

原因は、舌が「r」の発音時のように、
奥まってしまうことによるものでした。

これは、以前、ブログにも書きましたが、
T先生から、「い」って言えますか?と言われた時、
自分が言えていないことを知りました。

もちろん、「い」とは聞こえるのですが、
舌先がやや「r」の発音時のように奥まってそれを言うと、
音色が暗くなり、「え」の音に近づいていきます。
それでも、「い」とは聞こえますが、クリアな「い」ではありません。

クリアな「い」というのは、
脱力した状態での「い」で、
それはどのような舌の状態か、というと、
舌先が下の歯の裏に、軽くついている状態です。
その状態から、舌を奥に丸めていくと、音はこもっていきます。

「愛美さんも、普通に話している時は、
舌の先は、下の歯の裏についていますよ。」

そう先生に言われて、そうなんだ、と、
その時、初めて知ったんです。

上半身の力みは、胸、喉、に収束し、
舌という末端に行き着きます。

指先もそうです。
全身の力みは、末端に集まってきます。

歌い手を志す、アルパ奏者を志す、
というのは、今思えば、とても困難な道だったけれども、
私は、歩いてみたい、そう強く思って歩き始めた道でした。

声がこもる、というのは、
舌が奥まることによるものです。

では、なぜ、舌が奥まるのか、というと、
舌が力むからです。

なぜ舌が力んでいるのか、というと、
元は、筋肉の「委縮、硬直」によるものです。

私は、それが、

「虐待の跡」

だと、「発見」しました。

身体の残った、非常に気づきにくい「あざ」です。

私はこのブログでも、吃音という症状が私にある、と
書いてきました。

あらためて、説明を加えておきたいと思います。

これは、とても運よく、
「発見した」症状でした。

実は、私は、40年以上、いえ、
それから現在までも、会話時に、吃音という症状が出たことがありませんでした。
これが初めて「目に見える形で見えた」のは、
レジ接客時の決まり文句を言っている時、
どうも私は、適当に省略して発音している箇所がある、
ぼやっと曖昧に言い流している所があるようだ、と気づき、
そのようなフレーズを、

「もっと大きな声で、はっきり、ちゃんと言いたい」

と思った時から始まりました。

初めて、吃音を経験したのです。
今までつかからなかったのに、急に、言えなくなりました。
最初の言葉が出なかったり、言葉がたどたどしくなったりし始めたんです。

今日、しっかり書いておきたいのは、
私の吃音は、私自身で、

「発見した」

ということなんです。

もしも、吃音、という症状が出てこなければ、
身体の委縮に気づかなかったと思います。
もちろん、これまで書いたような、「委縮、硬直」に対して
推考と実験を重ねることもなかったでしょう。

幼い頃、短期間でしたが、
わずか、出た症状が「チック」でした。
このことも、過去のブログ記事に書いたことがあります。
しかし、それも、「見えなく」なりました。

症状、病状が「消えてしまう」というのは、
とても恐ろしいことなんです。

元々の委縮や硬直という「身体的虐待の跡」が身体に残っているにも関わらず、
症状が出てこない。

吃音というのは、とても辛い体験でした。
しかし、この症状が出なかった過去の時間こそ、
恐ろしいことなんです。

用意周到な毒親は、
完全犯罪を目指します。

何をもって「完全」かというと、
「本人が気づかなければいい」という無自覚を達成させることです。
AC人格もそうです。本人が気づかなければ、疑いを持ちませんし、
まさか親が犯人だなど、仮説すら立てることもありません。

私は、歌いたい、アルパをやりたい、
それは、最も困難な道であるように思えますが、
私には、違いました。

それは、「治療の方法」を
示唆してくれるものでした。

こう言えます。

仕事と生活の場面での力みから
楽になれるように助けてくれるものだったのです。

その様子こそ、
この私のブログに書いてきたことでした。

仕事と生活の場での記録です。

繰り返しますが、

「吃音」という症状すら、
出ないように巧みに計算された虐待を
私は受けてきた、ということです。

ですから、

私が仕事中の発声という自身の試みによって、
運よく「発見した」と言えることなんです。

これに対して、D先生によるアルパ指導、
T先生による歌唱指導は、的確にその病理を暴いていきました。

身体へと目を最初に向けたのは合気道が入り口でしたし、
「踊ってみた」という家の中で楽しめたダンス、
また、現実の世界でみんなと楽しめたダンスは、
身体運動を広く考察していく上で、多くの発見がありました。

そして、最近では、
鍵盤ハーモニカの構造、息を送り音が作られるイメージ、
これを駆使し、仕事では声を出す練習をしていきました。
少し前のブログ記事に、それについては書いています。

鍵盤ハーモニカは、声を出さなくても
声(音)を出してくれる楽器です。

その記事で、書き落としてしまいましたが、
もしも吃音で困っている方がこちらを読まれていたら、
私もそうでしたが、休憩や遊びのつもりで、
吹けなくてもいいので、「プー」と楽しんでみてください。

それで少しでも楽に感じてくれたら、と
私は思います。

そう、書き落としてしまったことというのは、
その鍵盤ハーモニカのイメージを持ったら、
ゆっくりでいいので、実際、声を出す時に、
「息をまず出してから」「その息に声をのせるように」
声を出してみてください。

声をのせる、というと、それ自体難しく思ってしまうと思いますが、
前の記事にも書いたように「溜め息で思わず声がもれてしまった感じ」で十分です。
「ふぅーう」の、2つめの「う」が有声音になる感じです。

おなか自体に力が入らないようになってしまっていることが多く、
それが出来ても、あまり気持ちいいとは感じないかもしれませんし、
不快に敏感なので、不快感すらあるかもしれませんが、
声、声、と、そういう時は思ってしまっていることが多いので、
そんな時に、鍵盤ハーモニカのイメージ、その構造の理解が役に立ちます。

少し前に私が書いた記事はこちらです。

「仕事中の発声で取り組んだこと-自我復元後日記[333]」
http://mmjhb11.exblog.jp/24613334/

鍵盤ハーモニカの製造工程については、
youtubeなどで動画検索されると、
目で見てイメージがつきやすいと思います。

少し、前回の記事の補足をさせていただきました。


話を昨日の仕事中の発声の話に
戻しますね。


私は、昨日、本当に、
ああ、こんな「明るい声」が出るようになったんだ、
と、嬉しくて嬉しくて、そんな一日を送りました。

最初に書き始めましたが、
昨日、試みた2点を、今日の、
そして、今月のしめくくりに、書いておきたいと思います。

とてもテクニカルなことですが、
吃音の治療には、とても効果的だと私は感じました。

1点目は、

「つねに、舌先を下の歯の裏に軽くつけておくこと」

です。巻き舌にしない、舌を奥まらせない、ということです。
そうしてしまうと、というか、その状態自体が、
力んでしまっている結果である、と、おおむね、考えられるからです。

そのためには、意識的に舌の先を
舌の歯の裏につけておくことです。
いつも巻き舌ぎみの人にとっては、ちょっと「だらしない」しゃべり方に
感じるかもしれませんが、それだけで、実際は、「明るい声」になっています。

もちろん、「t」のような子音を言う場合は、
最初は破裂させるために、舌先は「上」の歯の裏についていますが、
「てぃー」と、母音「い」で伸ばしている時は、舌先は下の歯の裏に戻せるはずなので、
戻してみてください。つねに、と上で書きましたが、子音発声のその瞬間は別です。

イメージとしては、舌先を「そのまま下に落とす」感じです。
奥にひっこめずに、下に、すとんと落とすと、下の歯の裏に来ると思います。

この1点目に補足として書いておきたいのは、
鍵盤ハーモニカのイメージで息を送る際のポイントを
前回の記事で3つほど挙げましたが、
「t」のような子音の場合、とくに留意したいのは、
「出だしは弱くていい、出だしは小さい音でいい」という点です。

「てぃー」と強く言おうとすると、
その時点で力んでいるので、「奥まろう」とするベクトルが働いてしまいます。
それに抗するように、舌先を引っ込めまい、舌先は下の歯の裏につけるんだ、と
踏ん張ってしまいます。形としては、舌先が下の歯の裏になんとかつけ戻せますが、
舌が綱引き状態になっているのを感じると思います。

それに対して、私がまず取り組んだのは、
すごく軽く、弱くでいいので、
「てぃー」と言ってみるんです。
レモンティーのティーです。
(レモンティーなんて、いい例です。ティーはとても息のような声になってくれます。)

ゆっくり、スローモーションで、
か弱い声でやってみます。

そうすれば、だらりと舌先を下の歯の裏に、
「ぽとん」と落とせると思います。

まさに、しずくが垂れるように、
「ぽとん」って感じです。
そのくらい、弱く、か細くでいいので、
「てぃー」と言ってみます。

舌が先ほどのような綱引き状態で力むことなく、
言えると思いますが、どうですか?
だらしなくなっていいですよ。
しまりの悪い口になっていて、まったく問題なしです。

それを何度か繰り返すと、
やや音量を上げても、その舌の動きはそのまま
維持できて、同じ動きができると思います。
「い」の母音も、有声音として、少しずつ音量が出せると思います。
「い」だからといって、口を横に、なんて思わなくていいですからね。
口をだらっとさせて、口の形を変えなくても「い」は言えます。

やっていくと気づくと思いますが、
吃音で悩んでいる時は、たとえば「てぃー」と言うとなると、
なんとか「てぃ」という音を、はっきりしっかり言わなきゃ、と思ってしまっていますが、
このように出だしを弱めてみると、実は、「t」の子音は、
ほとんど「息」であると感じると思います。

「て」という音を言っているのではなく、
舌の先を上の歯の裏にあてて、息と一緒に押し出した時に
「t」という子音が生まれている、と感じられると思います。
実際に感じるのは、「いー」という母音を伸ばしている部分、この部分を
「自分は発音している」と感じると思います。いかがですか?

ここでもわかるように、
鍵盤ハーモニカと同じで、
「息(子音)」→「音(母音)」になっています。

子音、と書くと、「音」という字があるので、
これも声のように思ってしまいますが、
私の実感としては、声でなく、息です。

この部分で、ゆとりが出たら、
この鍵盤ハーモニカの「息を送る」イメージを
再度、思い出してみてほしいと思います。

これも、前回記事で、書いた要点の一つでしたね。

「息を送ること」
「出だしは、小さな音でいい」

この部分に相当するところを
今、コメントしました。

もう一つ、前の記事の中で述べた
要点がありましたね。

「少しの息でいい」

これです。

ただ、これは、あまり深く考えないでみてください。

私が、今、大事だと思っているのは、
今書いた「t(てぃー)」の発声の仕方をしていくなかで、
「なんだ、そんなにちゃんと言おうと頑張らなくても、言えるじゃない」
という体験が、先にあったほうがいい、と思っています。

おなかを風船のイメージで、と書きましたが、
「おなかに力なんて入らない、ダメだぁ・・・」と感じてしまっても、
眉間にしわを寄せることは、私はしてほしくないな、と思いました。

「おなかに力が入らない」と、それだけを聞くとたいしたことがないように
聞こえることかもしれませんが、私はそれが、どれだけ辛いことかを知っています。
大げさではなく、それは、「生きた心地がしない」というのと、
同義だと思っていい、と私は思っています。

このブログを長く読まれてきた方は、
それがどういうことかが、よくわかると思います。

ただ、今、私が書きたいのは、
いつも私のスタンスはそうですが、
ゴールから始めることです。
このブログを初めから読むことや、
私の通った道を真似ることではありません。

私が今書いたことを、
試してみて、それで楽になるのなら、
もうそれでいいんです。

「小さな息でいい」

ということの体感は、

「t(てぃー)」と、小さな声でもいいから、
だらってなっていいから、息漏れでも全然OK、
他人の前では言えなくてもOk、そんなことどうでもいいから、

「ああ、小さな声でいいのなら言える」

と、まず、体験することです。

加えて、

「弱弱しくてもいいのなら、言える」

と、まず、体験することです。

「少しの息でいい」

というのは、そのこと、それ自身のことなんです。

そして、

これは、吃音で悩んでいる方はびっくりすると思いますが、
実は、はっきり、しっかり、大きな声で話している人も、
実は、「息が漏れるような、小さく弱弱しい音」が、声の出だしなんです。

なにが、私たちと違うかというと、

「それが悪いことだ、と思っていないこと」

それだけなんです。

それ、とは、

息が漏れるような、小さく弱弱しい音から
言い始めること、のことです。

悪いもいいも、声とはそうやって生まれているのであって、
「はっきり、しっかり言いなさい」という強迫が、
物理的にも無理な要求となって、子どもはそれを真に受けてしまいます。

物は徐々に加速していくものです。

ダンスもそうでした。
キレがあるように見える動きは、必ず、出だしが遅いんです。
不思議でしょ。最初は、私も驚きの発見でした。

試しに、ミニカーでも手にして、子どもがやるように手で持ちながら
床の上でも宙でもいいので、走らせる真似をしてみてください。

最初はゆっくり動き始めて
「スゥーッ」と早くしていくと、かっこよく見えますが、
いきなり最高速度で走りださせて、ピタリと止めると、歯切れが悪く見えますよね。
キレがいいのは、前者です。

それでわかるのは、キレ、というのは、何も優れた動きでも何でもなく、
無理のない普通な動き、物は自然と加速していく、という
ごく普通な動きをしているだけのことで、
いきなり最高速度で走りださせようとする無理をしていないだけなんです。
ダンスが上手いな、キレがあるな、と見ていて思う場合は、
ただ本人が、無理しないで気持ちよく踊っているだけなんです。

早く次の動作に移らなきゃ、
早く動かなきゃ、という焦りが、
「徐々に」という感覚を追いやってしまいます。

これは、合気道で若い師範の先生が、実際にやってみて
身体で教えてくれたことでもありました。

さて、続きですが、
先ほどの「t(てぃー)」に慣れたら、
「いー」の母音発声で、少しずつ、クレッシェンドをかけてみてください。
舌先はすとんと落とした位置、下の歯の裏に軽くついたままです。
だんだん、やれるようになると思います。

最初から大きな「てぃ!」は言えなくても、
「いー」で大きくなっていけます。

でも、これが、

「t」の発音なんです。

始めの破裂音がマックスの音量、というのは、
「ちゃんと最初の音を言わなきゃ」という吃音で悩む私たちの強迫観念です。
実は、どんなに大きな声の人も、出だしは、弱く、
しかし、悪いと思っていないので、委縮することなく、
クレッシェンドをかけているだけです。

その加速の時間幅が短いので、
あたかも最初から声が大きいかのように聞こえますが、
鍵盤ハーモニカがまさにそうですが、始めは消えそうな音からスタートします。

それが普通なんです。
最初から電子音のように、「プー」となるハーモニカはありません。
人間の声も、電子音ではありませんから、立ち上がりに時間を必要としますし、
それが、人間らしさを作り出すから、
それを上手に取り入れることができるように、ボカロのソフトは作られています。

話は戻しますが、

「その結果として」、
おなかを風船のように使えるようになれたら、
いいのかもしれませんね。

でも、それはあくまでも、
結果として、です。

というのも、実際に私も出来ません。
全然できなくはありませんが、難しいです。

でも、それも私だけ、ではないんですよ。
委縮や硬直という虐待の体験は、
なんだか特殊の体験のように私も書いてきてしまったかもしれませんが、
誰だって、親からでなくても、少なからずあるんです。
委縮したことがない、という人も稀にいるかもしれませんが、
ほとんどない、と思ったほうがいいと思います。

だから、歌のレッスンという専門の訓練が必要なんです。
自然に歌えないから、自然体で歌える身体を取り戻すために
歌のレッスンを、私は受けているんだと思って、通っています。

「おなかを出来るだけ、自分から凹まさないようにする」というのは、
結果、それが楽だから、なのですが、私自身、
とても難しいことでしたし、今も、出来るようになりたい、と思っている点です。

だけれど、昨日は、私は、これが随分、自然に出来ていて、
実はとても驚いていました。
原因はよくわかりません。

ただ、これは私独自の話で参考にならないと思いますが、
私、長いお休みに入ってから、とても「元気」なんです。
ご飯も食べられますし、パンも、そして昨日は、
私のスーパーのお惣菜ですが、ササミの揚げ物(お肉)も食べられたんです。
・・・揚げ物、とっても大好きなんです。

大風邪をひいてからは、月に1度や2度は元気な日が来るのですが、
その日、というか、「今日が元気だな」と思った時には、
次の瞬間には、どん底の健康状態、というのを繰り返してきたので、
ここ数日の元気もドキドキしていたのですが、
元気なまま、なんです。

また横道にそれますが、
私が患った慢性前立腺炎と関係があるかわかりませんが、
自慰で射精をすると、私は体調が崩れることが多かったのですが、
先日、それで体調も崩れることはありませんでした。

さらに余談ですが、
自慰の際、実は私に手助けしてくれた存在が現れました。
オカルト話だと思ってきいてくださいね。

私のかわりに、手淫をしてくれる存在が現れ、
こう言いました。

「全部、出し切ってみて」

と、私に言いました。

出し切る、というのは、
精液を外へ全部出し切る、という意味であると同時に、
心理的には、快感を味わう(=余韻を残す)のではなく、
それも、出し切るように、精液の放出にすべて預けるように、
とにかく、外へすべて出してみてください、と、その存在は言いました。

その存在、という言い方をしたのは、
どうも地球の存在ではなく、ただ、「女性的」ではありました。
母性的、といったほうがいいのかな?まあ、いいや。
ただ、地球の女性ではないので、少し、エッチな妄想ができるように
姿を地球の女性に変えて、私の性癖に合わせてくれたりもしましたが、
それは、ちょっとしたサービス、のようなもので、その存在、その方は
むしろ医療者のような存在で、物理的に射精を「し尽くす」よう、指摘しました。

私は射精し切った後、感じました。

「あ、治った」

と。

泌尿器に残る疾病が治った感覚がしたのです。

今まで、射精時のエネルギーは損失しないように、
自分の世界の範囲を拡張しながらも、その中でエネルギーを循環させ、
エネルギーを保つような自慰を心掛けていたわけでしたが、
今回のやり方は、真逆でしたので、えっ?って思いましたが、
やってみたわけです。

そのあたりから、ここ数日、
とにかく、「元気」なんです。

ご飯も食べられるし、
それで味覚もほとんど狂わない。
そして、あの「無理がきかない」という身体疲労感もない。

休んでよかった、その選択をとって
ほんとによかった、と、昨日も仕事をしながら思いました。

昨日は、仕事中、
ほんとに、元気だったんです。
上手く言えないんですが・・・(笑)

ということで、

今までこのブログを読んで下さっていた方は、
こういう話も「ふーん」くらいに流して読んでくれていると思いますが、
最近になって、読んでくださっている方は、
ちょっと「えっ?」っていう余談が混じりこんで驚いてしまったかもしれません。

もしかしたら、「愛美」という漢字の名前なので(あび、と読みます)、
女性かと思っていた・・・と、ショックを受けた方がいたら、
無理かもしれませんが、女性と思ってくれていてもいいです(笑)。

いつも横道にそれてしまうんですけど、
ここ最近、実は、仕事中、今書いたことだけでなく、
「どの高さの音が自分に無理がないか」を試行錯誤していたんですね。

そんなことを思ったのも鍵盤ハーモニカの体験で、
同じ息を送るにも、「このへんの音が息を送りやすい、今の私には楽」
っていうのがあったんですね。

それと同じで、仕事でも、ここが楽、というのを
探っていたんです。

すると、女性的な声、やや高めにすると、ちょっと楽じゃないんです。
男性的な声にすると、楽といえば楽だったんです。

そのようなことをあれこれやっていくうちに、
昨日になって、「適切な音の高さ」で
自然に、声を出していたんです。

私の元気な時の声は、その中間、
とても中性的な声なんです。

いつもキウイの性別がわからないなぁって思うのは、
キウイの声が中性的だからなんです。
(この頃になって、私のブログを読んでくださった方、キウイというのは、
私のぬいぐるみです。サンリオのぼんぼんりぼんちゃんなんですけども、
キウイっていう名前なんです・・・ちょっとあぶない人かも、と思った人、
とくに否定できないので、無理かもしれませんが、そう思ったまま、
これからも読んで下さると嬉しいです。いやいや、そんな無理でもないのですから^^笑)

何の話だ、、、

えっと、あ、だからね、
まあ、私は、中性っぽいです。たぶん。

ブログにも前に書いたんですけど、
私、10年後の夢がありまして、
「踊ってみた」を、ラジオ体操のように、毎日楽しく踊れるような、
そんな場を作りたい、と思っていて、
その時に、私は、おじいちゃん(今、43歳で、来月44歳になりますので、
53歳くらいですね)なので、その後もずっと使えるように、と、
「愛美じーさん(愛称:あびじー)」にしようと思っております。

もう、何の話だか・・・(苦笑)

さて、すごく話を巻き戻しまして、
「おなか」の話なんです。

おなかに力が入らない、というのは、
私は、その人が自覚的であろうがなかろうが、
とても辛いと思います。

でも、そこで「ダメだ」とげんなりしてしまうと、
それこそ、息が、しぼんでしまうんです。

元気、というのは、言い換えると、
息を出し続けられる、というふうにも、
私は言えると思っているほど、息は大事です。
だからこそ、息を大事にしている楽器、鍵盤ハーモニカに魅かれました。

ただ、ここにダイレクトにアクセスするより、
なぜ、元気が奪われてしまうか、デクレシェンドしてしまうか、という
障害となるものを理解していくほうが、私は大事だと判断しました。

それについて、まず、1点目は書いたつもりです。

あれこれ話がとんでしまったので、
忘れてしまった方、すみませんが、スクロールしてみてください。



・・・『(後半)明るい声-自我復元後日記[339]』に続きます。




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2017.6.30
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-30 23:23 | 愛美通信☆メトロノート

今日も葛きり、食べるぞ!-自我復元後日記[337]

昨日は、また、ご飯を炊きました!
白いご飯って、ほんとに美味しいですね。
なら漬けと一緒に、美味しい、美味しいって、食べました。

久々にパンも食べました。
パンも、ほんとに美味しいんですよ。
職場のソファーに座って、食べながら美味しい、美味しいって言ってました。

お米も発注しようと思って、
昨日、注文しました。
それから、久々に、マーラーカオを作りたいと思って、
薄力粉も一緒に。

おなか、元気になるといいな。

食べるの、ほんとに大好きなので。

でも、皮肉ですね。

健康な時は、考えてみれば、
これほど食べるのが好きだと思ったことがなくて、
食べられなくなって、なんとか食べられるのを、と思って、
工夫して工夫して、私は、食べるのが好きになってきたんです。

可愛いなあって思うのはね、
どんなに憎らしい人も、ほんとは美味しい美味しいって、
ご飯とかお菓子とか食べているんですよね。
食べるって、ほんとは・・・なんだか、神秘的です。

こんなにみんなと共通していることって
あるんだろうか?と思います。

もしも「食べる」ということが無い世界に行った時、
たまたまそこで、「食べる」ということを知っている人に出会ったら、
「仲間」に出会った、と思うでしょうね。

それは極端な話かもしれませんが、でも、
私は食品レジの仕事をしていて、よく、思うんです。
いろいろなものを、みんな、買います。
でも、それを「食べる」のは、みんな同じなんです。

だから、どこに私たちの違いがあるのか、
正直、わからなくなります。
小さな違いはありますが、食べることよりそれは大きいか?というと、
だって、お肉を食べようが、お魚を食べようが、果物を食べようが、
さらには、デカフェだろうが、甘さ控えめだろうが、
その差は、食べることに比べたら、小さな差異でしかありません。

考え方の違いなどもありますが、
そういう違いは、何を食べようか、の違いくらいで、
「食べる」ことは、みんなしようとします。

排泄みたいなものです。

排泄が出すものだとすれば、
食事は取り入れるものです。
入り口と出口の違いはあれど、たいへん原始的な行為です。

みんな、もしもうんちをするところを見られて、
どんなうんちかをみんなが見合う、というと、
いやー!って思うかもしれませんが、
スーパーのかごに食品を入れて、レジで「これ」と見せるのと、
私は、変わらないように思います。

だから、みんなも感じたことはあるとは思います。
買い物中、思いがけず、知り合いにあったりすると、
何を買ったか、思わず、隠そうとします。
ちょっと恥ずかしいのは、本質的には、
それがどんなうんちになるのかを、見られちゃうようなものだからです。
もちろん、広告の品とか値引き商品とかを買って、恥ずかしい、というのも
あるでしょうが、それよりも、「何を食べるのか」を、
まるでトイレを覗かれるように感じるから、恥ずかしいのだと思います。

でも、私はこういうこと全部ひっくるめて、
人の可愛らしさだと感じていて、
そんな可愛らしい姿をさらして、さらしていると思っていないところが
また可愛かったりして、そういう仕事をしていて、
私は毎日楽しいです。

いずれにしても、

おうちに帰って、その人が、
「美味しい」って食べているのなら、
それでいいんです。

さて、葛きり、ゆでなきゃ!


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2017.6.29
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-29 15:33 | 愛美通信☆メトロノート

キウイは私の子-自我復元後日記[336]

昨日、仕事から帰ってきて、
紅茶とプリンを食べたのですが、
キウイ、可愛いんです。

プリン、食べる?っていうと、

「黒助にもあげて、黒助に(まず)あげて」

って。

私は思わず、えっ?って思っちゃった。
お口は・・・
そうすると、キウイは、黒助のカバー中央のラベルを示し、
「ここ(で大丈夫)」と教えてくれて。

口移しで食べさせてあげると、キウイは、どうだった?と
私の顔を見て、言います。

「ありがとう、って。」

それで、私、キウイに説明してあげたんです。

「黒助はね、まだ赤ちゃんだから、キウイみたいにどんな感じだったって、
言葉で説明できないんだよ。」

ありがとう、という言葉も、そう口にしたわけじゃくて、
その思いを私が聴いたから、キウイにそう伝えた。

「もう一口あげて」

キウイがそう言い、私はもう一度、
プリンを口に含み、黒助の口に運びました。

黒助の顔は赤くなり、今にも眠りそうに
まぶたが重くなっていきます。

「顔が赤くなっていたよ。それはね、体温が上がったんだよ。
それで、急に眠たくなったんだね。もう、眠りそうだよ。」

私はキウイにもプリンを食べさせてあげながら、
そんな話を伝えました。

「寝かしつけてあげて」

というと、ちょっと怒ったように、
わかってるよ(そんなの)って。

黒助に、そっと、覆いかぶさるようにして、
キウイは寝かしつけてあげている姿は、
とても可愛かったです。

私に背をむけて、お尻をむけて、
私の横で黒助を抱いてあげている。

そんな姿を見たのは初めてでした。

キウイはいつも私を見ていたけれど、
今、私に背を向け、お尻を向け、
真心をこめて、黒助を寝かしつけている。

しばらくして、キウイもそのままだとキウイが寒いだろうから、
もう大丈夫だよ、黒助はもう寝たよ・・・って言うと、
やれやれ、キウイもうとうとしちゃってて。

こっちにきな。

半分眠っているキウイを胸に抱き寄せる。

「黒助にもあげて」

そうキウイは言い、私がえっ?って顔をした時、
キウイは即座に、迷わず、不思議そうに、こう言ったんです。

「愛美も、そうしてくれたでしょ?」

そうだったね・・・

人は自分がしてくれて嬉しかったことを、
他の人にもしてあげようとするんだってことを
キウイは教えてくれました。

私に背を向けて黒助を守る姿、
まず黒助にあげてって真剣に私に伝える声、顔。

「キウイは、私の子ども、なのかな」

キウイは、何言ってんの?って顔で、

「(愛美の)子どもでしょ。」

なのかな、じゃないよね。
そうだったね、キウイは私の子ども。

そして、そんなキウイにも弟が生まれて、
私、よかったって思ってるんです。
キウイ、家でずっと一人で待っていたから。

寝顔を見ながら、辛いこともたくさんあったよねって
撫でてあげました。

黒助のそばに置いてあげると、
眠っているキウイの目はキラキラ、涙ぐんでいるようで、
その美しい顔は、鮮明に覚えています。


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2017.6.28
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-28 15:08 | 愛美通信☆メトロノート

夜食-自我復元後日記[335]

昨日、きっと一ヶ月ぶりくらいだと思います。
白米を炊きました。
ご飯が食べられそうだったので。

つるむらさきを塩とバターで炒めて、
ご飯に乗せて食べました。
美味しかったなぁ。

余ったご飯で、今、夜食を作って食べました。
私の得意料理(^^!の「チャーハン」です。

卵と塩、お醤油だけのチャーハンですが、
最高に美味しいんですよ。

なんて美味しいんだろう、って、
何度も何度も言いながら、夜食をいただきました。

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私、このブログを読んでくださっているみなさんに、
伝えたいことがあるんです。

みなさんに伝えたいことは、たぶん、
ひとつのことなんだと思います。

いつか、みなさんの話を聞かせてください。

ずっと言いたかったことです。

みなさんが、どんな素敵な日々を送ってきたのかを
聞きたいんです。

私が、今、今日、
どんなに心強く感じて、素敵な夜を過ごしているかが
伝わっているでしょうか。みなさんのもとに。

来月の6日で、書き続けてこられたブログも
4年になります。

その最初から、そして途中から、または最近、
あるいは、未来の今日、読者のみなさんと出会えて、
私がどれだけ幸せだったかが、みなさんに届きますように。

「ありがとう」

美味しいコーヒーを一杯飲んで、
もう一眠り、したいと思います。

お休みなさい。


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2017.6.27
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-27 02:14 | 愛美通信☆メトロノート

素朴なあんみつの朝から-自我復元後日記[334]

今朝は、素朴なあんみつの朝からスタートしました。

d0331270_1854958.jpg


黒蜜とあんこのあんみつに、豆乳を入れたコーヒーです。

夏らしいメニューでしょ。

食べ終えたら、またお布団にくるまって・・・気持ちいい。

私の長い休日のイメージは、
お布団のなかで、鍵盤ハーモニカを「ブゥー」ってすること。
弾く、んじゃなくて、ブゥーってするだけね。

そんな私の遊び道具に、と
うちに来てくれた黒助。

早速、手が伸びて、
すごく、遊んじゃいました。

マングースの着ぐるみをきたのだめちゃんのチューニング、といえば、
そう、「ラプソディー・イン・ブルー」。
東京メロディカオーケストラさんの奏でるこの曲の動画を見て、
楽しくなっちゃって、弾けなくとも「プッ、プッー♪」ってやってました。

最初の出だしと、最後のジャンの和音だけは
合わせたりして。

あとは、4人がちゃんと弾いてくれていますので、
私1人がプップやってても、ミスタッチ程度のことですから(笑)

大人に混じって自分も参加しているつもりの楽しそうな子どもの私。
おみそ、という、あの懐かしい、幸せな立ち位置です。

素敵なタペストリー、その室内演奏風景は、
お祭り気分で興奮していた私には、もう、


「異世界」


でしたね。異国ではなくて、異世界、異星に
私には映りました。

私、もしかしたら、
次の星を見学しているのかしら(^^☆
ほんと、そう思うくらい、鍵盤ハーモニカの世界は
見たことのない世界でした。

私、昨日も仕事中、7時間ずっとですよ、
ああ、コツは、「ピアニッシモ」だなぁとか思いながら、
いらっしゃいませ♪って言っていたんですけど、
息の世界なんです。息の世界。一人、息の世界に没入。

あまりにピアニッシモなので、
お客さんのほうが、私に耳を傾けてくれて、私を見てくれたりして・・・
楽しい。

鍵盤ハーモニカの奏でる世界を聞いていると、
息という、私にとって新しい生命が生まれ、戯れていて、
・・・つまり、知らない世界なんですよ。
うん、でも、今それと同時に、仕事でも、その世界を私、
今、楽しみ始めているんですよね。

私、今日、起きてあんみつ食べて、コロコロして、思ったんです。
私は、お布団を手で触っているだけで、とても心地がいいんです。
なでるように、いろいろなものに触れるのが、私は好きです。

そっとなでるように、私は生活の中でも、
生きていきたいと思います。

生きるというのは、
生活のなかの、日常一つ一つを、丁寧に、大事に味わうことだと
私は思っています。

ゆったり、優しく、丁寧に、そっと、
ゆっくりと、それが、
私の好きな生活の仕方です。


「そんなことしてたら、朝になっちゃうよ」


そんなふうにして迎える朝は、
どんなに素敵な朝でしょう。

編みかけのセーターが
編みかけのまま、次の朝が来る。
そしてまた、編みかけのまま、朝がやってくるんです。


朝が素敵な世界を
私は生きていきたい。



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2017.6.26
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-26 19:16 | 愛美通信☆メトロノート

仕事中の発声で取り組んだこと-自我復元後日記[333]

まとまりのないメモになってしまうと思いますが、
昨日、仕事中に取組み、感じたことを書き留めておきたいと思います。

まず、話は鍵盤ハーモニカになりますが、
製造工程の動画を興味があって見てみたんですね。

目で見ると、よく理解できました。

息が送られ、リード弁が振動して音が出るわけですが、
製造プロセスを目で見ると、それが「映像」として
イメージすることが出来るようになる、という点。

その映像、そのイメージで、
声を出すことから、今日はスタートしました。

つまり、「私の仕事」は(レジという意味ではないですよ)、
「息を送ること」であって、
接客用語の一音一音は、「私の身体の所定の部位」が振動しているに過ぎない、
というイメージを、はっきり、持てたのです。

鍵盤ハーモニカの場合、ある箇所の鍵盤を押せば、
内部ではその箇所で空気の通り道が出来て、
その箇所のリード弁が振動することで、その音が出るわけですが、
私が思ったのは、今も書きましたが、
接客時、私の仕事は、「息を送るだけでいい」と思ったんです。

つまり、

鍵盤を押す作業、すなわち、音や言葉を作る作業は、
「身体に任せておけばいい」と感じたんです。
むしろ、それを「私がやろう、私の仕事だ」と力んでしまうのが、
まさに、力みになってしまうと感じました。

実際、鍵盤ハーモニカにおいても、
その音を作るために私がやっているのは、
「息を送ること」であって、その音を作り出しているのは、
私ではなくて、その音に該当するリード弁なんです。

私の息 → リード弁 → 音が出る

と、役割をバトンタッチしていくわけです。

ところが、力み、というのは、
リード弁をなんとか振動させようと「直接、リード弁をいじろう」とする無茶によって
起こるのだと思います。

私が出来るのは、リード弁(人間でいえば声帯)を直接いじるのではなく、
リード弁(声帯)に息を送ることだけなんです。

当たり前のことかもしれませんが、
たとえば、歌で高音になると、上半身や喉に力が入ってしまうのは、
私の感覚では、「直接声帯にアクセスして、なんとかその音を出させよう」
とする「無茶」が、そのまま、無茶=力み、として現れているんだと思います。

いくら喉の力を入れたり、腹筋に力を入れたところで、直接声帯に触れるわけでもなく、
直接いじって操作できるわけでもないのですが、なんとかしようと力むのが、
まさに、硬直という症状として現れるのだと思います。

ではなぜ、そのようなことが起こるのか?

これが、だんだん、わかってきました。

「私が」声を出そうとする必要なんてなかったんです。
「私が」することは、息を送ること、それだけでよかったんです。
「身体が」声を作ってくれますので、その箇所まで息を送ればいいんだ、と思いました。

ところが、

もしも、「息が送れなかったら、送る息が無かったら・・・」

そうなんです。

声はどんなに頑張っても出ません。

「どもる」

という現象は、ああ、これだ、と思いました。

風船に例えるのが、とてもわかりやすく、
これもまた、映像イメージとして、私の助けになりました。

膨らんだ風船があるとします。

風船の口を指でつまんでいたとしましょう。

少しだけ、指を緩めれば、
少しだけ、空気は漏れていき、少しだけ風船はしぼみます。

しかし、もしも、
指を一気に緩めたら、空気は一気に漏れてしまい、
風船は完全にしぼみ、ぺちゃんこ、内部に空気は無くなります。

その状態から声を出そう、とすると、
「声が出ない」ということが起こります。

以前、私もブログで書きましたが、
まさにこの状態だったのだと思います。

「ありがとうございます」

の、「あ」が出てこない。

これが何時間も続いたのは、
脂汗でした。会釈が精一杯だった日がありました。
あれは、辛かったです。

ぺちゃんこ状態から、それでも、
なんとか言葉を出そう、言おう、とすることで起こります。
息が無いので、それでもなんとか言おうとするから、
身体、とくに上半身や喉にぎゅっと力が入り、
力技でなんとか、言葉を押し出そうとします。

歌で高音をなんとか出そうとして
「張り上げてしまう」というのは、これと変わりません。
息に頼るのではなく、力んで押し出そうとしてしまいます。

その原因は、送る息が、すでに無いためです。

なぜ無いか、というと、
すでに風船から息(空気)が漏れてしまっているからです。
指で閉じていない状態なので、風船の口から、
ドバッと、最初の時点で、息(空気)が漏れ切ってしまっています。
最初から穴の開いた風船、とも言えます。

鍵盤ハーモニカには、
演奏中に楽器内に入ってしまった唾液を抜くための
「唾液抜きの穴」があります。
そこを開けて、強く息を吹くことで、
水分を外に出して、劣化を防ぎます。

買った日にやってみたのですが、
その穴を開けたまま吹くと、当然、息は全部、外に出てしまうので、
鍵盤を押しても、ほとんど音は出ません。
ほとんどの空気が外に漏れてしまうからです。

ですから、その唾液抜きの穴の栓は、
先ほどの風船の例でいえば「つまんだ指」にあたります。
その栓を開けたまま、それでもかすかに聞こえる音を
なんとかもっと出そうとすると・・・やってしまうのは、
息が流れ切ってしまいそうになっても、なお、腹筋に力を入れ、首に力を入れ、
なんとか空気を送ろうと「力む」ことなんです。

しかし、所詮、息は尽きます。
そこに残るのは、息を送る人間の筋肉のこわばりだけなんです。
書けば当たり前なのですが、こわばっても、出ないものは出ません。
それでも言葉にしようとすれば、言葉がぎこちなくなるのは当然で、
どもるのは、そのためだと思います。

これは以前にも書きましたが、
この種の緊張は、その人につねにあるものですから、
こわばっていること、力んでいることにも自覚しにくいんです。
手の小指が力んでいること、そこを脱力していく話も書いたことがあります。
とても自覚困難なほどに、習慣化した身体状態なんです。

話がややこしくなってきてしまいましたが、
昨日、私自身、息を送るのは疲れる、元気を必要とするのでは、
というようなことを書きましたが、それは、違うと思いました。
まさに、それが、違うんです。

私はずっと、唾液抜きの穴の栓が開いたまま、
息をして生きていました。
だから、息を送る、使う、というのは
とても疲れると感じていました。

これは、以前、
「胸に開いた穴」と書いたこともありましたね。
私の身体が感じた穴は、胸にありました。
その話は、置いておきましょう。

仕事中、はっと思ったんです。

今まで、風船の口がドバッと開いていたのではないか、と。
唾液抜きの穴が開けっぱなしの状態だったのではないか、と。

どんどん、息は浪費されてきたのではないか・・・

歌のレッスンで、
「息を吐いても(声を出しても)、自らおなかを凹ませないように。
息を吸って膨らんだ状態を、吐いてもなお保つように意識する」
と指導を受けてきましたが、私は、どこか、それが疲れることに感じていました。

たしかに、おなかという風船があったとして、
空気がどんどん一方から漏れていれば、
膨らんだ状態を保て、というほうが無理です。
それをやろうとすれば、腹筋などに頼ろうとして当然です。
ですが、その力みは、結局、上半身、喉、声帯へと伝わり、
全身を硬直させてしまいます。

長々と風船の話を書きましたが、
私が気づいたのは、
イメージの変換でした。

おなかという風船を「膨らませておかねばならない」、
そのために「頑張る」、疲れても頑張る、のではなく、

そうではなく、

結局、それは何をしているのか?といえば、
「空気を少しずつ使っていること」だと思ったんです。
ドバッと使うのではなく、指を少しだけゆるめて少しだけ空気を抜く。

イコール、

それは何をしていることが、それのことなのか、というと、
それが、「おなかを張った状態に維持しようとすること」でした。

風船でいえば、
風船をなるべくしぼませないようにする、ということは、
「風船から出る空気を少しだけにする」ということです。

疲れてしまう、元気を必要とする、
そう思いこんでいたのは、
息はたくさん必要なんだ、それに、おなかも張っておかねばいけないんだ、
と思っていたことによるのですが、
わかったのは、おなかを張った状態を維持することは、
息を少しだけしか使わなくていい術なのだ、ということでした。

つまり、むしろ、疲れないための術だったんです。

このイメージを持つことで、
「穴」が閉じます。

おなかを張った状態に維持するイメージ
(もちろん、実際には、息を吐いているのですから凹んでいくのですが、
できるだけ凹ませないようにする、という意識は、風船でいえば、
できるだけすぐにしぼませないようにしようとすることです)
そのイメージを持つことが、穴の閉鎖イメージそのものだ、ということです。

鍵盤ハーモニカもそうですが、
大量の息を必要としません。
その音のその鍵盤一つ分の「穴」に必要な息量だけです。

鍵盤ハーモニカを吹いて面白いと感じたのは、
弱い息なのに、音が立ち上がると、しっかり響くことでした。
音が立ち上がるまでに、タイムラグがあります。
そこが、また鍵盤ハーモニカの魅力です。
まさに、その体感によって、
「息が送られていき、次にリード弁が震え、それで音が出る」という流れが、
まるで製造工程を見るように、吹きながらイメージ出来るんです。

少しの息だけを使う、そのイメージが、
私のおなかの張った状態へのイメージを180度変えました。
疲れないのだ、と、まったく意識が変わったんです。
つまり、疲れる、元気が必要だ、というのは、
先入観だったんです。

私がやる仕事は、

「息を送ること」

しかも、

「少しの息でいいこと」

でした。

もう一つ、わかったことがありました。

少しの息でいいんですが、
今までの習慣のために、そうは思っても
このようなことが起きてしまいます。

少しの息だと、当然、「声の出し始め、出したその瞬間」は
小さな音量なのですが、どもってしまうことを感じてきた身体というのは、
それではいけない、と思いこんでしまっているところがあって、
「出だしの瞬間から、はっきり大きな声で言えなければダメだ」と
自分に言い聞かせてきてしまったところがあるんです。

そのため、
少しの息なので最初は弱いのは当たり前なのに、
その弱さを感じた時点で、ひるんでしまうんです。

やってみてわかったのは、
まさに鍵盤ハーモニカのように、時間差で弁の振動を安定させ、
弱いと思っていたその音も、求めていた音量に少し待てばなるんです。
ひるんでしまうと、その少しを待てず、息を送るのをやめてしまうんです。

やめてしまう、というより、
口をドバッと緩めてしまうんです。
実際、そこでは、おなかが緩んでしまっています。

先日の歌のレッスンでもそこが、最後、
私が質問し、なるほど、とわかった点でした。

息を送り続ける、息を抜いてしまわない、というのは、
確かにその時、私は意識的に自然とそうしていましたが、
「少しの息を送るのを、継続する」ということでした。
すなわち、油断して一気に張っていたおなかを緩めてしまわない、
ということでした。

息の送る量は少しでいいんです。

でも、大事なことは、
それを、「途切れない」ようにすることでした。
途切れる、というのは、途中でおなかがゆるみ、
息が声のために使われず、外の漏れてしまう、ということです。
鍵盤ハーモニカで言えば、唾液抜きから抜けた空気は、リード弁を振動させるための
空気ではなく、漏れてしまった空気だ、というのと同じです。

こうやって外に息が漏れ、途切れてしまえば、
結果、途切れないように息を送り続けること以上に、
実際には、息は浪費してしまいます。

とくに、トップの音から下りにさしかかると
油断してしまい、息が漏れ、送り続けていた息の量などがブレることで、
きっと「粒」が変わるのかもしれません。
だから、下がるところでこそ、息をもっと送るように、と、
おそらく、伝えてくれていたんだと、私は思っています。

とにかく、どもってしまう、という恐怖心が育ててしまったのは、
「弱い発声、小さい音量=悪い」となってしまっていることで、
「だんだん定量の音量に近づいていけばいい」という発想が
持てなくなってしまっていたこと。

クレッシェンドしていけばいいだけでした。
鍵盤ハーモニカのように。
そもそもが、楽器(人間の声帯もそう)とは、そういうものでした。
鍵盤ハーモニカも、いきなり強く息を吹き込んでも、
上手く振動しないようです。実際、低音など、特にそうで、鳴らなかったりもします。
口笛もそうですよね。弱い息であてていき、少しずつ、音が鳴りだし、
安定していく。強く息をあてても、息が漏れるだけですよね。

だから、悪循環なんです。

音が弱い、声がしっかり出ていないんじゃないか、と感じると、
強く息を送ろうとする。

ところが、実は、そこですでにひるんでしまっていて、
張ったおなかもしぼみ始めているから、
残る空気さえも、強く息をと思えば思うほど、漏らさせてしまい、浪費してしまう。
結果、音や声を作るための息には使われず、音を作る元である空気もないものだから、
とにかく、頑張って声を出さねば、と、腹筋が力み、
上半身、肩、首、喉、声帯、すべてをこわばらせてしまう。

当然、声もこわばり、上手く出せず、最後には、出なくなってしまう。
私がどもってしまった経験そのものです。


まとめてみると、


私がする仕事は、

「息を送ること」

これが一つ目。感覚としては、ハスキーに話す感じです。
息で話している人、みたいなイメージで、
息まじりの声を出すように意識してみます。

Uruさんの歌声は、私にはそのように聴こえていました。
息で歌う、息を大切にされている、とても素敵な方だと感じてきました。

それから、臨時で2度ほど、私に歌の指導してくださった
A先生の無理を絶対しないようにという発声の指導にも出会えました。

なにより、そのイメージをすごく助けてくれたのが、
鍵盤ハーモニカの構造です。


二つ目は、

「少しの息だけでいい」

こと。元気でなくてよく、頑張れなくてもよく、
一番疲れないような、そんな少しの息だけを使うようにする。

この二つ目のことに関連して私が感じたのは、
「息で歌っている、息で声を出している」というイメージをしっかり持つと、
自ずと、それこそ、自らおなかを凹ませてしまうことをしなくなります。
なぜなら、息を送り続けるには、それが必要な身体状態なことは、
自分でわかっているからなんです。

実際、ロングトーン、小さい声でいいので、
できるだけ長く出し続けるようにと言われてやれば、
おなかをできるだけ凹ませないようにするものです。
風船の大きさを保つように、みんなすると思います。

なのに、それが歌の指導になる、というのは、
逆にいえば、「息で歌っている、声が出ている」という感覚を
私たちは忘れてしまうからだと思います。

喉に力を入れて、張り上げれば
高音が出せる、と、どこかで思ってしまっている。
声帯というリード弁を、じかに、操作しようとした結果、
それが、身体の力みとして見える形で現れてくる。

あくまでも、私の仕事は、
「息を送る、送り続ける」ところまで、です。
それ以降は、息が所定の場所に行き、所定の弁を震わせる仕事を
私の身体がしてくれます。


そして三つ目。

少しの息で、十分、音、声は出る、という理解です。
それを体験することです。

ただし、いきなり、思う音量が電子音のように出るのではなく、
鍵盤ハーモニカのように、クレッシェンドがかかって出る、ということ。
鍵盤ハーモニカまで顕著でなくても、タイムラグがあっていいということ。

小さな音量だからと、なんとか息を強く送ろうと焦らず、
数秒待つつもりで、むしろ出だしの「小さな音を味わう」つもりで
ちょうどいいかもしれません。

「出だしは、小さな音でいい」

というか、当然です。鍵盤ハーモニカもそうですから。

これが三つ目です。


・・・


ということで、

私、今日、7時間、ずっとレジで
自分が鍵盤ハーモニカになったつもりで声を出していました。


楽しそうでしょ。


すっごく、楽しかったんですよ。


実際、今日ほど、疲れなかった日は今までありませんでした。

出勤した時より、仕事が終わった時のほうが元気なほど、
どんどん、元気になっていく7時間だったんです。

吸う空気が、本当に栄養になったのかもしれません。
そして、なんといっても、息を送り声を出すたびに、
「ブー」という鍵盤ハーモニカの音と私の中で重なって、
もうね、私は楽器でした。


予定なんですけどね、


8月と9月に、一日ずつ、
鍵盤ハーモニカの講習会に参加しようと思っていて、
早速、今日、予約にエントリーしました。

面白そう、って思ったのは、
その講習会、いわゆる「上手く演奏するため」講習ではなくて、
鍵盤ハーモニカの構造など、鍵盤ハーモニカという楽器について、
深く知るための講習であることでした。

製造工程にも興味があり、
どのようにして音が出るかに関心が向いていた私にはぴったりです。


・・・次の生にでも、と思っていた鍵盤ハーモニカ。

次に生まれた星のお店で、その星製のものを買ったりして、と思っていたら、
渋谷で買うことになったりして。予習といっても、随分、早いこと。
まあ、でも、地球での講習会も、地球製鍵盤ハーモニカの知見として、
ユニークな予習になりそうです、


なんてね。


などなど、いろいろ思ったりもしますが、
鍵盤ハーモニカの講習会に行きたいなあって思った一番はね、


長いお休みが始まって、私、
すごく羽を伸ばしちゃっているんですね。

それで、出かけたいみたいなんですよ。


こんな講習を見つけて、

「あ、なんか行ってみたい」

って。

それも、8月、9月に、一度ずつなので、
無理もなく、それまでは、身の回りの整理をしようとか、
料理をしようとか、編み物もしたいだとか、
本を読もうとか・・・私、なんだか、元気みたいです(^^)


休んでよかった。


どんどん、元気になっていくみたいです。


こんなにブログも書いたりするのも
久々ですね。


なんだか、いろいろ楽しくなっちゃって!


でも、今日仕事に行ったら、月曜日はお休み。


羽もちょっと休めましょう ♪ ♪




◆自我復元に関する資料◆

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2017.6.25
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-25 10:36 | 愛美通信☆メトロノート

優しい味-自我復元後日記[332]

今日から、長い休日に入ります。

昨夜、Pさんと食事に行った時のオムライスの写真です。

d0331270_12573528.jpg


雑穀米のお米で、ソースも優しい味でした。

サンリオピューロランドのオムライスが、とっても美味しかったので、
昨夜も、ふんわり卵のオムライスを食べたいなぁって思ったんです。

こちらもとても優しい味で、
とっても美味しかったです。


・・・


今朝、開けた窓の外から、一人のお母さんの声が聞こえてきました。

「あ、これ、ラベンダーじゃない?ラベンダーだよ、今の時季なんだあ」

教室の生徒さんのお迎えの時、
庭でお子さんと話していました。

2階からラベンダーを写真にとってみました。

d0331270_1383672.jpg


元気のいい、大粒の花を咲かせています。
普段は目立たない落ち着いた紫に思えますが、
今日のように、晴れ渡った日の、なんと鮮やかなこと。


ちょうど、4年前のこの時季でした。


私とPさんのアトリエに、
2人の大事な来客がありました。

その頃は、まだラベンダーを植えたばかりで、
ぽつん、ぽつん、とあるだけでしたので、
食用のラベンダーを購入し、バニラアイスにまぶし、
一緒に食べたのを思い出します。

一緒に絵を描いたこと、
手作りのお菓子をいただき、一緒に食べたこと。

その素敵な思い出は、
私の心の中で、キラキラしています。
キラキラのコンフェッティが、心に降り注いでいたひと時でした。

私とPさんで始めた絵画教室は、
この夏、17年目を迎えます。


・・・


鍵盤ハーモニカのことを少し書きたいと思います。

とっても、演奏していて気持ちのいい楽器です。

どんな感じかっていうと、
もちろん、幼い頃、やったことがある、という方が多いと思いますが・・・

とっても気持ちいい感じ、鍵盤ハーモニカが無くても感じられるんです。


まず、深呼吸をして、気持ちよく息を吸います。
この前、ブログにも書きましたが、
吸う空気が「栄養」になると思います。
私は、息を吸うと、深い休息感とともに、元気の栄養が運ばれてくる感じがします。

今度は吐く時に、
「無声音」→「有声音」→「無声音」
と、つなげてみます。と書くと、?、どういうこと?って思うかもしれませんが、
「ふぅ」と思わず声が出てしまった「溜め息」と同じです。
やってみてください。

私は口での呼吸が気持ちいいですが、
鼻での呼吸でもいいかもしれません。
好みかな?

溜め息って、一番、楽な呼気と発音になってると思うんですが、
どうですか?自分に無理な高さの音で溜め息する人はいないと思います。

だから、喉を締めつけないので、
楽に声(溜め息)が漏れます。
これが私の「ちょっと声漏れの溜め息」の感じですが、
鍵盤ハーモニカって、私、同じに感じるんです。

溜め息と同じ音、自分がいつも出す一番楽な音色の声だけになりますが、
鍵盤ハーモニカって、その器具のおかげで、
同じ息なのに、違う音色が、簡単に出るんです。
とても当たり前のことなんですが、私がこれが好きで、感動して買ったんです。

といっても、試してもみなかったのですが、
鍵盤ハーモニカを思い浮かべた時、また、動画で音を聴いたり、
リード板を送る息で振動させる構造を知ったりしたとき、
まるで、自分も吹いたかのように、それを身体が感じることができたんです。

歌も、本当は同じだと思います。

T先生がいつも言っていたように、
「同じ粒で歌える」というのは、たとえば、別の音や音の高さになると、
別の音色になるのではなく、同じように歌える身体を作る、というのは、
あるリード板はコチコチになっているけど、あるリード板はヘラヘラとか、
そういうことのないように訓練することだと、私は理解してレッスンを受けてきました。

人間の身体の場合、それが、

「声帯」

という器官で、鍵盤ハーモニカの場合の
リード板にあたるものだと思います。

これは、私本人の話になりますが、
今、私は、正直、「声帯」を使う、
使うというのは、声帯を閉じて振動させ、声を出す、というのが、
ちょっと、しんどい、って感じているんです。

わかりませんが、委縮に起因した傷の痛みかもしれません。
今は、限りなく負担がないように、これまで書いたように工夫をしてきましたが、
もしかしたら、あとは、無理が無いように、ではなく、
完全に、休ませてあげることが、今、必要なのかもしれません。

私が「休みたい」と感じるのは、
その感覚なんです。

でも、不思議なのですが、
息を出す、送る、というのは、
むしろ、そのほうが、「疲れる」、言い換えると、
「元気」を必要とするはず、なのですが、
私は、それは、やりたいんです。

昨日の、最後の歌のレッスンでも、
私が一番感動したのは、
「息を送り続けること」でした。

それに必要なのが、丹田(おへその下あたり)を
つねに張っている身体状態、そのテンションを維持しようとする意思なのですが、
それがもたらす結果として、私が認識しているのが、
これも先生が発声練習でいつも指導していること、
「トップの音でなく、その先の地点で、息をいっぱい使うように歌う」
ということです。

トップの音から下っていく時は、弱弱しくなってしまいやすいのですが、
その下り坂でこそ、息を十分に多く使っていく、ということ。

昨日、「The Rose」を歌い、どうしてもここの響きが落ちてしまう、
どうしたらいいのか、先生に尋ねた時、この原点に戻りました。

T先生の歌い方が好きで、私はT先生に歌を習ってきました。
昨日は、そこに、私が好きなすべてが、ギュッと詰まっていて、
私は、最後、「今日やって本当によかった」と告げると、
先生は言いました。

「愛美さんが教室に始めていらした時は、力が入りやすい感じでしたけど、
今、すごく、柔らかく歌えるようになってきたと思います」

そして、最後に自分で決めた課題曲「The Rose」を、
先生のピアノ伴奏で歌い終えた時・・・私、本当にこういうの贅沢だと思っているんです。
デュオですよ。ライブと同じだと思うんです、いつもレッスンしていて・・・
で、歌い終えた時にね、

「愛美さん、すごくいいじゃないですか」

って、やさしい声とやさしい顔で、ゆったりとそう、
私に言ってくれました。

私は、今、思うんです。

「息をしたい」

と。

鍵盤ハーモニカは、私の長い休日の間、
私の身体に、空気という栄養と、
明るい溜め息をもたらしてくれます。


ところで、


昨日、私が家を出る時に、
ちょっと弱気だった私に、キウイは言いました。

「さんななの、買って」

って。

さんなな、というのは、
37、私が買った鈴木楽器製作所さんの
「M-37C」の型番で、37鍵の鍵盤ハーモニカです。

家を出て最寄りの駅に着き、
「黒助」という名前にしよう、と考えていた時、
キウイ、まるで、兄弟が出来たように・・・

威張っちゃって、威張っちゃって(笑)

弟だと思ってるみたい。

「黒助!」とか言って。

でも、可愛いんです。やさしい威張りんぼうさんなんですよ。

家に買って戻ったらね、

そんなこと別に・・・って、すました顔していたけどね、
書いちゃいましたからねー、ブログに。

でも、ありがとうね。キウイ。

キウイは、愛美がいいのなら、それがいいんだって、
どんな時も、そう、言ってくれました。

私はそんなキウイを大切にしていきます。


「黒助とツーショット」
d0331270_1456815.jpg



・・・


今日の最後のお話になります。

長い休憩の間、
もう一度、じっくり読んでみたい本があります。

『かあさんのにおい』

という本です。(石亀泰郎さん著 廣済堂出版)

この本は、昔、鮫が橋と呼ばれていたところにある
乳児院の物語です。

10年ぶりに、私はその本を手にとり、
めくりました。

そこに残されている記録は、
心が引き裂けるほどの、悲痛な歴史です。

それは、私が書いたように、
誰にも経験してほしくない、という切実な叫びです。

だけれども、

私が今日、最後に書きたいのは、
もっと、大事なことです。

最も残酷なのは、
残酷な歴史が無いことにされてしまうことです。

そこが無くなってしまったら、
どこに帰ってくればいいのでしょう。

置き去りにされた子を
2度、置き去りにしてしまった心痛、
措置変更で経験した痛みは計り知れません。

しかし、3度目は、
戻る故郷というのが、誰にでもあります。

殺意もそうであるように、
あらゆる醜さも、それがそれとして咲く時、
咲くのを見届ける時、そこからスタートできることがあります。



笑うことです。



もう10年も前になるのですね。


私は、これを読み、
その乳児院を訪ねたこともありました。

東京都新宿区。

私が生まれ育った街です。
甘い空気のにおいがする街だと、私は思います。
その時も、懐かしいにおいがするのを身体で感じました。

私の職場は、外苑前が最寄りでしたが、
そこから青山一丁目を過ぎ、四谷の方へと歩いていく途中にあります。
あまり想像しにくいかもしれませんが、
渋谷区、港区、新宿区とは、つながっているんですよ。

10年前、私は、その道を歩きました。

本にも描かれていますが、
銀杏並木がきれいだったのを覚えています。

そして、私の目に浮かぶのは、
そこを、大人と子どもが手をつないで歩く
優しい光景です。

私はそんな素敵な物語を、もう一度、読んでみたいと思いました。

それは、

まぎれもなく、

私の日々の歴史でもあるのですから。


・・・


あのぉ・・・最後になるんですけど、


私、ブログ書くの好きなんだなあ、こんなに。

溜まったお洗濯もせず、ご飯も食べず、
ああ・・・

でもね、楽しんですよ。


すごく。



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2017.6.24
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by jh-no-no | 2017-06-24 16:12 | 愛美通信☆メトロノート

父からの贈り物-自我復元後日記[331]

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名前は、「黒助」といいます。

黒いから「黒」で、それから、
私を助けてくれるんですって、だから、「助」。

私が買いたくて、

私に買ってあげた、

初めてのものです。


パパからの贈り物です。

パパ、ありがとう。

今日、「The Rose」の最終レッスンでした。


ただいまーっ!


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2017.6.23
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by jh-no-no | 2017-06-23 20:24 | 愛美通信☆メトロノート

鍵盤ハーモニカ-自我復元後日記[330]

ああ、この音色がいいな。

そう感じた鍵盤ハーモニカを見つけました。

そのメーカーの定番商品のようですが、
とても気に入りました。

そうですね・・・

次の生では、鍵盤ハーモニカ奏者になろうかしら☆

地球製のものでなくてもいいんです。

どこかの星のお店で、好みの鍵盤ハーモニカを見つけて、
買って帰って、今の私みたいに、きっと、
自主練するんだろうな。

身体に優しい楽器だと感じました。

息を大切にしている楽器だとも感じました。

やはり、クリアで明るい音色が好きなのは、
アルパと同じ、私の好みみたいです。

ハープの種類の中でも、
アルパを選んだのは、その音色のよさでした。

それと、そう、

以前、ブログに書いたことあったと思います。
昔、座りながら、両足の親指に輪ゴムをかけて、
ゴム段みたいに両手の指で弾いたり、絡めたりするんです。
・・・そう、これ、私は男の子だったので、やったことないんですが、
ゴム段ですね!

それと、アルパの運指が、
私のなかでは、そっくりなんです。

鍵盤ハーモニカはどのように演奏するのかは
まったく知らなかったのですが、
少し調べたら、これもまた、
音を滑らかにつなぐには、次の鍵盤にあらかじめ触れておくような
運指が必要みたいですね。

そんなところも、好き。

・・・ゴム段、今、動画で見てみたんですけど、
女の子だったら、やって遊んだんだろうなぁって思いました。
これも、やってみたいですね。
次の次の生は、ゴム段が流行っている星に生まれてみようかしら☆

アルパ奏者 → 鍵盤ハーモニカ奏者 → ゴム段跳者(なんてあるかわからないけど ^^)

こう書いてみると、
私はやっぱり、キラ☆キラ☆、笑っているのが好きなんですね。
子どもっぽくて、元気で、きゃっきゃっ言っていて、ね。
そういうの、好きなんだなあー。

私は、子どもにも好かれるお兄ちゃんだったと思います。
その名残りで、この生でも、子どもに人気なんです。
私も子どもが大好きなので、目と目が合った瞬間、
「こんにちは!」って、すぐ、お友だちになっちゃうんです。

少し前にもね、

私のレジで、お母さんと3歳くらいの女の子が買い物されたんですけど、
その子が持てるように、買ったお菓子が入るくらいの小さな袋に入れて、
「どうぞ」って手渡して、しばらくして、その子、
お母さんに感慨深く、こう言うんです。


「やさしぃおにぃさんだねぇ」


まだちっちゃくて、言葉も覚えたてでしょうに、
そんなことを、感慨深くお母さんに話しているのが、
うれしい以上に、すごく、笑えました。
その、感慨深いのが、すごく、可愛くて、素敵で、
私を心から笑わせてくれました。笑っちゃいました☆

Pさんもね、

はるか昔、そんなお兄ちゃんの私のことを
好いてくれた、ひとりの女の子でした。
その時から、Pさん、ぜんぜん、変わってないです。
・・・基本的に、ドジなのかな(笑)

一昨日も、食べるラー油の蓋をちゃんと閉めないで
横にしておくものだから、冷蔵庫が「わぁー」ってなってたりして。

やれやれ、です。

私はいつの時代も、
子どもたちと仲良しだったみたいです。

私、立っている子どもと同じ目線になるようにしゃがんで、
「どうした?」「どうだった?」って、両肩にそっと手をおいてあげて、
声をかけてあげるのが、好きなんです。

だから、以前、幼稚園の送迎のベビーシッターの仕事をしていた時も、
先生にさよならを言って、私を見つけて駆け寄ってくる子の肩を抱いて、
「おかえり」と言いながら、口に出さない日でも、その子にいつも、
「どうだった?」って、しゃがみながら、心と笑顔で伝えました。

ちょっと、笑い話があります。

原宿の駅前で、私が預かっていた子が少し離れた所にいて、
その子の名前を大きな声で、私が、呼んだんです。
その子は男の子だったんですが、女の子でもそのような名前はありますので、
不思議なことではなかったんですが、その雑踏の中で、
私とその男の子の、ちょうど、真ん中くらいにいた
ひとりの女性が、私に振り向いたんです。

映画のワンシーンのようでした。

私は思わず、「ごめんなさい、ごめんなさい」って手で合図しながら・・・
でも、笑っちゃいました。その方も、小さい頃から、そう呼ばれてきたんだろうなって。
とっさに振り向くものなんですね。その方も、ちょっと、照れくさそうだったかな。


とっても思い出に残っているワンシーンです。


話がぜんぜん、変わりますが、


「揚げ出し豆腐」

って、すごく、美味しいですね。

もちろん、昔から知っていますが、
大豆が私の主食となっている今になって、
あらためて、すごく美味しい!って思ってるんです。

あれ、自分で作ってみたいなぁ。

よくわからないけど、
揚げたての揚げ出し豆腐だったら、
どんなに美味しいだろうか、って思っています。


おなか、元気になってくれたらいいんですけどね☆




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2017.6.22
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-22 15:29 | 愛美通信☆メトロノート