<   2017年 05月 ( 32 )   > この月の画像一覧

お話し会-自我復元後日記[307]

以前、ほんの少しの間でしたが、
図書館のお話し会のボランティアを始めたことがありました。

一年間は、まだ子どもたちの前で読むことはできず、
大人同士の練習会で、学びます。

やっと一年、という時、
一度だけ、子どもたちの前で
「お話し会デビュー」をしたのですが、
それが、最初で最後の本番でした。

お話し会のことを
この頃、ふと、思い出しています。

私、お話って、好きだなあって思っています。
幼い頃、そういう経験があったわけでもないし、
本も身近ではありませんでした。

でも、お話し会に参加し始めて、
いくつもお話を覚えました。
素話なので、暗記しなければならず、
とても大変だったのを覚えています。

お話しって、とても優しい行為だなぁって
私は感じています。

また、いつか、やってみたいなぁって
思います。


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.31
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-31 15:52 | 愛美通信☆メトロノート

百合の花-自我復元後日記[306]

暴力について、今日は、書きたいと思います。

ブログを開き、やはり、このことを
今、書きたいと思ったからです。

もしも、そよかぜがそっと吹いただけで、
落ちてしまうかもしれないお花、
ひとひらの花びら、何もしなくても
落ちてしまうかもしれないお花があったら、
そのお花に、どう、触れたらいいだろう?

触れる?

見ることしかできないのでは?

しかし、もしも、見ている間に
その最期の花びらが落ちてしまったら、
それなら、見ていたことは、暴力ではないと言えるでしょうか。
私は言えません。

もしも、そよかぜよりも
弱い手でなかったら
私は、そよかぜを殺してしまう。

そよかぜが、どれくらい弱いかを
忘れないでいるには、
見えているすべてが、過去であり、
すべては他者なのだ、と、
しっかりと自身に言い聞かせる。

その時、私が伸ばしているのは、
それよりも弱い手。

その手で、手のひらで、指先で、
私は、そよかぜに触れる時、
私は、看取るだろう。

枯れる、というのは、
突然に、起こるものではなく、
徐々に、起きている。

あれに起きていて、
あれには、まだ、起きていない、ということはなく、
一切に、枯れる、ということは起きている。
今朝の百合にも、それは起きている。

どれだけ、弱い手でいられるだろうか、
どれだけの弱さで、それに触れていけるだろうか。

そういうことを、もしも考えなくなったら、
暴力とは何かを、本当に、忘れてしまうだろう。

己の弱さにも気づくことなく、
その手で、徐々に、自分をも殺してしまうだろう。

弱いものを殺さないでいられるのは、
より弱いものであることは、
長く教えられてきた知恵なのに
そんなことも、忘れてしまった。

弱い手は、いつも、看取るそばにあった。


・・・


昨夜はつぼみだった百合が
今朝から開いています。

「来年にはもう見ることがないかもしれない」

4年前、私は、庭を眺め、泣きました。

あれから、4回目の開花に、
立ち会えています。


d0331270_13411980.jpg




◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.30
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-30 13:43 | 愛美通信☆メトロノート

そっと包む-自我復元後日記[305]

朗読と歌のライブだった。

一生、このライブを忘れることはない、と思う。
涙があふれた。

その日、いや、私が経験したのは、
あまりに美しかった。

それは、寝るまでも、今も、なお、
ただ、ただ、美しい。

私の身体の中は、きっと、
涙で満ちていて、それは体温に温まり、
静かに満ちている。

あの時も、今も、
あるのは、ただ、あるものがあるだけで、
あるものがあるだけだった。

私は二度と、何かをする必要はなかった。
すべてがある。

すべてがそこにある。
ただ、ある。

そうだ、それは、
たとえば、「糸」のようなものだ。

糸だけが、もしも私の目の前にあるすべてだったら、
私はそれに触れ、何かを編むのかもしれない。

そして、それは、
喩えではなく、世界はそのようだった。

花があれば、そっと手、
その花びらを、そっと、傷つかないように包むだろう。

それ以外、私にはやることが思いつかない。

私は、それを手で触れ、
ただ、それが人の頬であっても、
そこにそっと手を、すっと指を、触れる。

あまりに、静かだった。

それはたまたまそうだったのでなく、
ありのままに、ずっとそのようだった。

仕事中も、家に帰ってからも、
今も。

今もそっと目を閉じ、感じ入っていた。
目を開けても、そのまま。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.29
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-29 10:44 | 愛美通信☆メトロノート

今日はライブに行ってきます!-自我復元後日記[304]

今月最後のお出かけ?かな。
近場で素敵なライブがあり、行ってきます。

5月ももう終わりですね。
私の家ではエアコンが壊れて、そうでした、
5月末日に、新しいエアコンが届きます。

私は夏が好きで、最近は相当暑くない限り、
扇風機で過ごしていますね。
でも、こういう体調ですから、脱水には
注意しないと、です。

昨日、仕事帰りに、自転車に乗りながら思ったんですが、
最近、ブログでも書いてきたように、
仕事中も、自分が一番楽なように、呼吸をしたり、
手を動かしたりし、無理に笑うこともなく、
無理に大きな声を出すこともなく、その時に自分が一番楽な姿勢で
仕事をしています。

ずっと私は、「次はあれをしなきゃ、次は何をすべきか」と
考えて生きてきて、休んでいる時も、それをいつも意識しているから、
ずっと身構えてばかりいたのですが、
ふと、昨日、帰り道に、「休もう」というのが、
日々の生活や仕事、歌を歌ったり、アルパを弾いたりする時もそうですが、
それをしている時に、一番楽な休み方を、好きなように休む、というのが、
私の、ライフスタイルになったなあ、と思いました。

休みながらも、それが、何か次の準備、ということではなく、
今、やっていることが、自分にとって、心地よい休み方でありたい、と
思うようになってきて、「生きる迷い」のようなものが無くなってきました。
生きる恐怖、と言ってもいいのかな。

だから、少しずつだけれど、
今まで、見えないでいたもの、聞こえないでいたものが、
少しずつ、私の目に、耳に、入ってくるようになってきています。

それは、とても、穏やかな心地です。
「味わう」という思い。

何かを見て、判断しようとする癖のようなものは
やはり強いな、と今朝も感じました。
それは、とても、身体を硬直させ、力ませます。

ただ、そういうこと、これからももちろん、あると思います。

私はそれをも、これからは味わって、十分に味わってみたい。
避けることはないって思えるからです。

それを書いてきたんだと思います。
ここ数日。

それでも休もうって。

今日は、休もう、今日一日、って思って、
楽しみにしていたライブです。

行ってきます。

今日の好きな気持ちは、
読者の方に向けて。

お会いしたことはなくても、
私のそばにいてくれて、ありがとう。

私は、読者の皆さんが好きです。

会えてよかった、と、
今、この今に、深く思います。


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.28
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-28 11:22 | 愛美通信☆メトロノート

好きな歌を聴きながら-自我復元後日記[303]

今さっき、5月26日分の記事をアップして、
日が変わったところで、27日分、というのは、
いささか反則気味ですが、書きますね。書かせてください。
疲れちゃったんで(苦笑^^;)

久々に、前半、後半、と分かれての記事でした。
まだ読まれていない方(みんなだと思いますが)、
是非、ご覧いただけたらと思います。
ご覧いただけるとわかりますが、やっぱり、重かったです。
書いている私が、重かったです。

実は、記事は、ちょうど稽古に行く前に書き終えたんですが、
読み返す時間もなく、というのは、やはり言い訳で、
迷いました。アップするのを。
私自身、心の扉を閉めようとしちゃったんですね。
私に背負えるものじゃないんじゃないか、
良くも悪くも、自我復元をされている方に、
私にはどうにも出来ない、出来ない、というのは
サポートすることも出来ない、正直にいえば、
私自身のことで精一杯なことを、言葉にして書いていいものだろうか、とか、
悩みました。

稽古から帰り、それでも悩みました。

でも、アップすることにしました。
さっきです。それで、もう寝よう、と思ったりしましたが、
今、今日買ったヨーグルト2種類を、冷蔵庫から取ってきて、
食べながら、好きな音楽を聴きながら・・・食べてますが、まだ聴いてませんが、
これから聴きながら、休ませてください。
書くことが、私の休み方の一つなんです。倒れ込むことだけじゃない、って思うから。

稽古の帰りに・・・

と書き始める前に、音楽、聴きましょう。

私の大好きな、今、好きで好きで仕方がない、
皆さん、いつも、私の好みに付き合わせてしまって、お付き合いいただき、
ありがとうございます。今日も、付き合ってください。
氏家麻衣さん、今、とても好きで、毎日、歌を聴いています。

やっぱり、書いてみると思いますね。
今の話ですよ。
どわーって書いているんです、落ち着きなく。
それだけ、重かったんですね。
それをかかえて寝たら、身体に悪いですね。
ヨーグルト、美味しい。。。

わ、もう一個食べちゃった・・・けど、
もう一つあるんで。大丈夫。
家の近くの好きなケーキ屋さんで、
6個で410円だったかな、お得な上、美味しい!
アイスばかり食べていて、今日は、いろいろなアイス、買ってきました。
そういうのなら、おなか、大丈夫なんだ。
まあいいや、その話は。

ソワソワしちゃってるなあ、今。
まず音楽を聴きましょう。

もしよかったら、私の好きに付き合ってください。
イヤホンして、一緒に。

まず、私が大好きな動画を。

氏家麻衣さんの動画(ばかりです)で、
以前、毎日、オリジナル曲やカバー曲を一日一つ、
アップされていた「UjiMai TV」というチャンネルがありますので、
Youtubeで検索すればすぐわかりますので、
よかったら、検索されて、ご一緒に。
ほんと、ご一緒に、とか甘えなんですけど、
「一緒に」って言いたいんです。なんだろうね、これ。
一緒に、やっぱり、今、共有したいんですよ。私。
わかってますよ、リアルタイムではないのは。
でもね、いやいや、私にとってはリアルタイムと同じなんです。

【●●日目】タイトル、って感じでありますので、
まず、26日目の「心の瞳」。坂本九さんのカバー曲です。

この動画、一番、私、まだ全部見たわけじゃないんですが、
今のところ、いっちばん、大好きな動画です。MCも含めて。
そうそう、以前は、動画それ自体をリンクさせていただいて、
足太ぺんたさんの動画など、その他、ご紹介させていただいておりましたが、
Youtubeにあがっている動画とはいえ、ご本人がそれをどう思われるかは
わからないな、と思い、それは、今回から、やめることにしました。
それ自体、作品ですし、そう思いましたので、
ご紹介にとどめたいと思います。

今思ったんですけど、書いてると見えないですね(笑)。
でも、いいや。何度も見ているので、表情も細かく覚えているんで。
皆さんは、ごゆっくり、ぜひぜひ、見てみてください。
私の好みですが。ほんとに。

何度もこれも書いてますが、
私、こんなふうに、素直に、はきはきとして、
全部を丸ごと味わって全身で生きている方、
私にはそう見えるのですが、そういう方が大好きなんですね。
動画の中でも、「大好き」と素直に言葉にされるその姿それ自体が、
私は大好きです。

そう、えっと、話を昨日、さっき?書いた記事の話にしましょう。
内容というより、私が重く感じたこととかの話です。

稽古から帰る時に、思ったんです。

そう、書かないでいたことがあります。
それも書きましょうね。

以前、「聴庵」という仕事の話を書いたことがあります。
私、そういう仕事を次の生とか、また、この生でもこれからはするのかな、とか
思っていたところがありました。

自分で書いて細かくは覚えていないんですが、
私は、その仕事は、「身体」を預かる仕事、だと思っているんですね。
実は、昨年の10月、11月、12月に、
3人にリアルの場で、聴庵の仕事に関わっている方に会いました。
今もつながりがある方です。

オカルト話だと思ってください。
愛美の妄想だ、と思ってくださっていいです。
私本人が一番、そう思っていますから(^^)

わ、歌、終わっちゃった。

では、次はですね、
28日目の「時間の旅」。氏家麻衣さんのオリジナル曲です。
これも、ほんとに、大好きな動画です。
歌も大好きですが、その前のご紹介、MCも、
心の瞳の動画もそうですが、大好きです。
でも、時間の旅のMCは、辛い気持ちになるお話もありますね。
でも、私は、そんな正直な気持ちは、大事に、私もしたいと思ってます。

ぜひ、ご一緒によかったら。

「今週一週間もがんばりましょうね」と言うところは
私は好きで、私も、口癖になっちゃって、ブログでも真似してるつもりじゃないんですが、
真似しちゃってますね・・・好きなんで(^^!

そう、聴庵の話ですね。

私は、この話をしなかったのは、
聴庵の仕事のあり方に疑いを持ってしまっていたからなんです。
身体、という大切なものを預かる、それに違和感を覚えました。
なぜ、そんな仕事があるのか、と。

ある意味、それは「親」の存在そのものです。
身体の管理は、とりわけ人間の幼少期は、親に依存しています。
そのおかげで、思い切って、精神の自由を謳歌できます。
むろん、それは、虐待家庭でない場合です。
でも、そもそも、身体を誰かに預けてしまう、それって何?って
考えた時がありました。

この宇宙それ自体が、そうだと思ったんです。

宇宙にも、もともと、宇宙の「身体」にあたるものがあっただろう、
と私は思って、それを「宇宙の親」にあたる存在に預けて、
精神の旅をすることになった・・・という物語を、私は、
勝手に感じ取って、もしそうだとすれば、身体を手放した宇宙、
なにより、それに加担して身体を預かった存在を嫌に感じたんです。

私はそれが「聴庵」という宇宙の管理者の存在だと思いこました。
もちろん、妄想話ですので、思いこんでいることも自覚的でしたが、
それでも、身体を預かることを許諾する在り様を、
私は好きになれないと思ったんです。

その聴庵から、3人の使者が、私のところに訪れました。
驚いたのは、私が生前記憶で見た、私が過去の生で
会ったことがある方が、この今の世界で、別の姿で現れたことでした。

もう、完全に、オカルト話でしょ。
信じなくていいです。私も、信じている、っていうわけではないですからね。
でも、今回、こういう体験をして思ったのは、
それでも、影響って受けるものですね。私自身に直接。

何をしに来てくれたか、というと、
私の「身体」を私に戻してくれたんです。

私の契約した生のままだと、
私の身体は、生きていられないものだったと思っていて、
もっと言えば、今までも身体が生きている、とは思えないものでした。
ロボットとしての機能でしかない。
そのための仮の物体としてあてがわれた個体に、
私の役割がプログラムされていた、という感じが私にはします。

本来の身体は、私は、預けてしまったのだ、と。
宇宙それ自体がそれをしてしまったように。

ある時、こう思ったことがありました。

身体を私に届ける、というのは、
その3人は違反を犯してまで、それこそ、聴庵を脱出してまで
私に「身体」を戻してくれたんじゃないか?
こっそりと、身体を持ってきてくれたんじゃないか、って。

ある日、「身体を私に戻してくれたんだね」ということを口にした時、
それを聴庵組織に聞かれて、密通したことを知られ、
その3人が処刑されるのでは、とすら思ったこともあり、
そんなことは妄想だと思いながらも、恐怖を感じたりもしました。

だけれど、

今日、思ったんです。

違うんじゃないか、と。

・・・なんとか、書いたな。
今書いていて、思いました。
ぜんぜん、休憩になってないどころか、深刻な顔になっていますね。

そんな思いの中、
ぼぅっと聴いてしまったのが、
31日目の「You Raise Me Up」。これ、前にもご紹介したことがあるんで、
もしかしたら、検索されてご覧になった方がいらっしゃるかもしれませんが、
もう一度、私も、深刻な顔は通り過ぎたことなので、
楽しい気持ちで聴こう(見られないので、書いていると)かな、と思います。

それで、話の続きね。

聴庵、というのが、あったとして、
今は思うんです。

彼らは、いつか、身体を預けた者が、
自分の身体を取りにくる、自分の身体を取り戻すことを、
その者が本当に望むその日を、信じ、待っているんだ、と。

そこで仕事をしている存在は、
私の生前記憶を思うと、
身体を失いたくないのに失った人が、
身体の尊さを感じ、聴庵の仕事を選び、
もしも、身体を取り戻すことを決意した人が現れたら、
その人間に関わりのあった方が、使者として、
今回のように、身体を届けてくれるのではないか、と
私は感じたんです。

さて、音楽、終わったので、
29日目、これも、以前ご紹介したので、
見た方いらっしゃるかもしれませんが、
小林明子さんのカバーで「恋におちて Fall in love」です。
一緒に、聴いてください。MCも含めて。
よかったら、ぜひ(^^☆

それで、また話は戻して・・・

だけれどね、

思ったんですよ。

今までの話は忘れていいです。

覚えておく話でもありませんし、
これに限っては、私にしか関係ありませんし、
当の本人も、はっきりいって、妄想だと思っていますので。ほんとに。

で、

だけれど私には影響はあるんで、書いています。

それで、

思ったんですよ。

以前は、聴庵の仕事をする、という選択肢が私には
あったのかもしれない、と。

そう思っていました。

だけれど、

私に身体を届けてくれて、
そういう仕事が祝われているのなら、
私は、素直に、身体を受け取り、
身体を今度は手放したりせず、
深く愛し、身体や身体がなす運動を楽しみ、好み、
楽しく笑っていけばいい。

私が仕事をしたんじゃないんです。

私は、品物を受け取った、
言い方はへんですが、私はスタッフ側ではなくて、
お客さん側(ちょっと違うかな?)ですよね。
たとえばこういうことです。
歌が好きだから、歌の先生になる、と考える必要はなく、
歌い手さんになればいいんです。

そう思えた時にね、

私、今日、書いたことに対して、
私が何か、重いものを背負う必要はない、って感じたんです。
実際、いつも言っていますが、
私が書いていることは、また、私がなせたことは、
私一人がやれたことではないんです。
むしろ、私以外の総力が、私から見れば、たった私一人のために、
応援し、書き、手をかしてくれたことなんです。

素直に私は、受け取ればいいんだ、と。
昨日書いたことも、私がそれでいいのなら、
それを書いたことで、私自身がよいのなら、それでいいんだ、と。
私が、誰かにどんな影響を与えるか、と
仕事のように考える必然性はない、と。

急にまた話変わりますが、
次、250日目、スキマスイッチさんのカバーで「奏」です。
これもご紹介しましたね。
愛美さん・・・おいおい、って、いつも思ってるでしょ。
だって、好きなんだもん。ごめんなさい(^、^)

奏、これは、みんないい曲ですが、
これはほんとに素敵な曲ですよね。まさに、名曲です。

さて、それで・・・と。

301回目と302回目、ああ、これは
私のブログの話ね(笑)、
これは、私にはやっぱり書くのが重かったんだよね。

AC人格のままでいいんだ、と
書いているわけです。
これは、今まで、私も含めてですが、
自我復元をしてきた人にとって、
どう影響を与えてしまうのか、と考えてしまうんです。
AC人格を解除すること、それに命を懸けてきた、と
言っていいわけですから。

だけれど、

黙っていられない、と思ったんだと思います。
口をつぐんではいられない、と思ったんだと思います。
とくに、私は、お一人、助言をさせていただいている方もいて、
私にできること、いつも悩んできました。

そのなかで、やはり、私と同じ思いは
誰にもしてほしくない。
だけれど、私自身、じゃあ、どうしたらいいかなんて、
わからない。私自身が、いつも試行錯誤だからです。

助言をさせていただいている(といっても、私は、たった一つしか、
助言をしたことがありません。過去の母親との記憶を掘ってください。それだけです)
Nさんは、感じていると思いますが、
私は、私のやってきた道を一度も、進めたり、同じようにしてみてください、と
言ったことがないことを、一番、知っていると思います。

話は個人的なことになりますが、
サンリオピューロランドの話をしてくれたのもNさんです。
だから、私、サンリオピューロランドに行こうと思ったし、
何が言いたいかというと、二人のやり取りは、
私の現在進行形の中でなされていることなんですね。
だから、私が過去、感じた、知ったことの話はなくて、
私が最近知ったこと、感じたことなどを、
日常生活の雑談として、メールに書いているだけです。私のほうはね。

Nさんは、2週間に1度、ご自身が決めたペースで、
過去の記憶掘りを、報告という形で続けて書かれています。
もちろん、私は、ちゃんと読ませていただいております。

今、また音楽の話ね。

今日、たまたま見た動画ですが、
74日目、kiroroさんのカバーで「冬のうた」を聴いています。
綺麗な曲で、歌も、歌い方も素敵です。
これ、また聴きましょう。

何を書きたいんだろう・・・
ちょっと、整理しますね。

うん、そう。

そうなんだよ。

私は、今ね、自我復元の話だよ、
私は、いつも、どんな苦しくても、
私が経験し、こうやって生きていけていることを
嬉しいと感じ、はっきりいって、
私自身のこと、私が感じ、体験、体感していることで
精一杯で、精一杯というのは、もう無理、という意味じゃなくて、
満たされていて、という思いで、
心がいっぱいなんです。

これを幸せというのかもしれません。

こうやって、音楽もまた、
私を癒してくれる。
素敵な時間を届けてくれる。

私が書くことは、
私が享受したものの話。

あなたから、たくさんの方からいただいたものの話ではあっても、
私がしてあげている、なんていうことはないんです。
それを、私は、勘違いしてしまって、
こんな話をしたら・・・とか考えてしまったりしている。

私は、自分が幸せな話をしたい。

自分が幸せに生きている、そういう話を書きたい。

そして、今、私は、それを書くことができている。

聴庵のような仕事があったとしても、
私が、そのような仕事を選ぶ道を、
私は選ばない、そんなふうに、今日、思ったんです。
昨日かな、でも、今日でもあるかな。

音楽を今もこうやって聴いていて、
思います。こういう休息の仕方があって、
綺麗な声が、歌が、私の耳を通る。

そんなふうに、私は、自分が受け手であったこと、
過去、無かったように思います。
過去の生も含めて、ね。

だけど、今、こうやって、
休憩すること、休むことを大事にしようと思うようになって、
もっと深く細かく、たくさんたくさん、味わってみたい、
受け取ってみたい、雪が降れば、手に降り積もるのを感じたい、
そのために、手を伸ばし、足を止めて、雪降る中をゆったり呼吸をしたいんです。
薔薇の花に顔を近づけるようにです。

私は、やってこなかったこと、
たくさん、そう考えてみると、たくさんあります。

春のその日まで、私は、
今まで私のこの身体にやってあげられなかったことを、
私は、たくさんしてあげたいんです。

いいえ、私がしたいんです。

私の身体、それが、私だからです。

そう思えた時、今、そう思った時、
私は一人の旅人にすぎません。

これからも、私をこのブログという窓から見てくださる方が、
そんな旅人の私と関わりをもってくださり、
友だちでいてくれたら、私は嬉しいなあ。

ヨーグルト食べて、ちょっと書いて、
休むつもりで書き始めたけれど、
そう、わかりますか、私のこれも新しく見つけた休み方なんです。

休みましょうね。

いろいろな休み方で。

声も好きなんで(歌の話ね)、
これでもいいんですが、最後は、
彼女の素敵な表情も見たいので、ブログはここまでにして、
最後、今日、ご紹介したいのは、
117日目の「三日月」です。
絢香さんの有名な曲ですので、知っている方も多いと思います。

彼女の自然な歌い方、そして、
素直な笑顔が、私は、大好きです。
そんな動画ですので、よかったら、
最後、ご一緒に、見ましょう。

私はそれで寝ますね。おやすみなさい。

また明日☆


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.27
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-27 03:37 | 愛美通信☆メトロノート

(後半)心地よい風-自我復元後日記[302]

「(前半)心地よい風」の続きです。


・・・ ・・・ ・・・


・・・さて、ここで、ちょっと笑ってみてください。
深刻な話は深刻な顔をしろ、というのは、別にないですから(笑)
ああ、自分もそうだったなあ、と思ってみたりしてください。
楽にしてください。楽にしましょうよ。ここで楽な感じになっちゃダメ、って
誰も言ってないんですから。

私に言い聞かせてもいます、もちろん。
やっぱりね、こういうことを書く時、ぎゅっとならない、ということは
やっぱりないですからね。でも、休みましょう。

ああ、そうそう。

これ書いとこう。

今日も、3度くらいかな、
書くの止めようかな、と思いました。途中で。
書くべきじゃないんじゃないか、とか、
1時間以上かかってるし、そもそも書くのやめて休みたくなってきた、とか、
これから合気道だし、その前にアルパも少しやりたいのに、とか。

まあ、いろいろ思うわけですよ。

でも、書いてますねぇ。(^^)

やっぱり、笑いたいですよ。
今、ね。そう、休みましょ。書きながら、読みながら、ね。

さて、続きをやりましょうか。

言いたいことは、一つなんです。

「休めるのなら、AC人格のままでいい」

AC人格の反応や挙動だ、と思っても、
私は、それで休めるのなら、休めばいいと思ったんです。
ここ最近の苦しみの結果、そう思いました。

こういうと、こう考えてしまうはずです。

本当に休むことができないから、
AC人格の解除をするんだ、毒親分析、記憶掘りをしているんだ、
AC人格を殺して、それで「中心で休む」ことを知って、
本当に休むということがどういうことか、わかっているから、
そんなこと言えるんだ、と。そう、思うと思います。

でも、私は、言いたい。

AC人格を殺す、というのは、
そんな美談ではない。

私は、悲劇だと断言する。
しなくていい経験だと断言します。

偽人格だから、自分を裏切った存在だから、
だから、殺すんだ、というのは、
私は、今は次のように、思えます。

暴力的です。

ならば、戦争をしていいんだ、
人を殺すのは仕方ないんだ。

そうやって、悲劇は繰り返してきました。

そこまでして守る「己」とは何でしょうか。

私は、己とは、そこまでして守るものだと
思っています。それを知っています。
すべてを裏切っても、それでも、守り抜くものです。

だから、悲劇は絶えません。

私は、これから、そして今自我復元をしている人へ、
また、自我復元のことを知らない人にもお話したいのは、
やり方は別にある、ということです。

もしも今、刃を愛する何かに向けているその手があるのなら、
私はあなたの肩にそっと手を置きますから、
ゆっくりでいいから、刃物をもったその手を、下してみてください。
ずっと緊迫し、硬直してきた腕です。
そっと、ゆっくりでいいから、下してください。

殺さなくていい。

休んでください。

休み方にルールはありません。

音楽を聴くもよし、自慰をするもよし、
甘いものを食べるもよし、だらだら考え事をするもよし、
もちろん、寝転がるもよし。

毒親が、私たちに、一度も言わなかった言葉です。

「休んでください」

絶対に、言わなかったと思います。

そして、あなたが、私がとったAC人格の休み方を
責めたと思います。
それしか休みようがなかったはずなのに、
責めたはずです。そこまでして、休ませたくなっかたんです。毒親はあなたに。

いいんです。

AC人格のままに、
好きなように休んでください。

それを、実はダメだ、と言った人は、
毒親しか、本当はいません。
この宇宙がその相似形だとすれば、
休んじゃダメだ、が、決まり文句のようになっているとも言えますが、
これは、毒親の言葉なんです。

それは、今、私が言ったからそうなんじゃなくて、
誰もが知っているんです。知っているけど見えないとかじゃなくて、
本当にわかっているはずです。
休むな、と言ったのは、毒親だけでしょ?
他の誰かさんからも言われた、と思うこともあるかもしれませんが、
「そう言われている感じがする」というのが、おそらく本当で、
そんな気がするのは、毒親ならそう言うからです。

それと、こう感じる人もいると思います。

私はその類ですが、若い方はまだ記憶が鮮明な方もいると思いますが、
40歳ともなると、もう、親の言葉、というより、
自分の考え方として、自然に身についてしまっている戒律のようになっています。
そもそもそれがAC人格なのですが、それはもちろん、
元をたどれば、思い出せようが思い出せまいが、
毒親の調教、洗脳、虐待によるものです。

その分析をする、記憶を掘っていくのが、
今までの自我復元であり、私が通ってきた道ですが、
問題は、その分析や記憶掘りの「目的」です。

これまで、それは、
AC人格の「抹殺」にありました。

何度も言いますが、
自我復元後だって、AC人格の分析は続きますし、
記憶掘りも続きます。

それが、生きることでもあります。

だから、それは続けていけばいいですし、
私も止めようとも思わないし、止まるものとも思いません。
自分のために、やってきたことですし、やっていくことです。
私はそう思います。言ってみれば、「姿勢」のようなものです。

姿勢、ではありますが、
殺す手段には、私は、もうしたくないんです。

「偽人格だから休めない」

というのは、私は終わらせたい。

これも書いたことが何度かあります。

たくさんの親に、これから出会えばいいだけです。

たくさんの親に出会って、「休んでいいだよ」という言葉を聞けばいい。

あなたがやってきた休み方の
何が悪かったというのでしょうか?

音楽を聴いたり、自慰をしたり、
ずる休みしたり、それのどこが、悪いのでしょうか?
本質的に考えて、何を根拠に「悪い」だなどと断罪する権利が、
この世界のどこにいる、いていいというのでしょうか。
自分でそういう存在を認め、それに従ったりしなければ、
どこを見まわしても、休んじゃダメだ、などと言う存在は
私は見当たりません。

殺して得る己ではなく、
私は、たくさんの人に愛されて、
ゆっくり休み、好きなことをやり、
笑って、楽しく、もちろん、その生きる過程では、
悩み、苦しむ、恐れ、悲しみ、怒り、たくさんありますが、
それでも、私は、殺して得る己というのを、
あなたにもしてください、とは、言いたくありません。

それに、

自我復元は、カルトではありません。

戒律でもありません。

もっと言うのなら、

あなたがすることではありません。

あなたに、

「休んでくださいね」

と、まわりのたくさんの親が言うことが、
私の思う、自我復元です。

だから、

あなたや、私がやるんではなくて、
私やあなたのまわりの大人が、
そう声をかけることだと思っているほどなんです。

実際、それをせず、そうするどころか、
休むことを実質禁じたのが、毒親です。
あなたのせいではないんです。
虐待は虐待をしたその人に問題があります。

だから、その傷を治していくうえで、
もしも、私たちがやることがあるとすれば、
「休んでいいんだ」という言葉を素直に受け止めて、
身体を休めてあげることです。

これも何度も書きましたが、
精神的虐待というのは、ありません。
それは、身体深くに見えないように侵された傷を
「心の問題」として、証拠隠滅しようとする企みです。

私がそうだったように、
注意深く見ていけば、身体の傷は、
委縮、硬直、内臓の不調、どもり、様々な身体症状、
社会では「ストレスじゃないですか」で片づけられてしまう可能性のあるものです。
ストレスじゃないですか?は、もっと自己管理をしましょうね、と
言われているのと同じです。そうやって、誰が犯人かを隠されてきました。

先日、アルパの先生に、春の日まで休むことを告げた時に
こんな話をしていました。
ストレスとかは?と心配して訊いてくれた時、私は答えました。
「仕事も、さあ、今から仕事だ、とむしろ楽しく行っていますし、
アルパもほんと大好きで、だから、すごく悩んだんですよ。
他にも趣味でいろいろやって楽しんでいて、そういう意味では、
ストレスはないです」と。

楽しいことをして生きている、という意味ではストレスゼロで、
私は今、生きています。
でも、ここ数日、お米やお肉、炭水化物や動物性タンパク質をとれずにいます。
先生にも言いましたが、精神的に出来ることは全部やりました、って。

それでも、身体は傷ついているんです。

休みが必要なんです。

・・・あ、あの、こう書くと、愛美さん、身体大丈夫かな、と
思ってくださる方、いらっしゃると思いますが、
食べられなくてなって、とても調子がいいんです。ほんと。
消化器官が弱っているから、固形物を食べないとかなり調子がいいし、
それで衰弱しているわけじゃなく、仕事も元気に行ってますよ。
今日も、合気道、やる気、まんまんですし。
余談ですが、今日ね、たぶん、2級合格の賞状をもらえると思うんだあ~。ワクワク。
でも、春まで休むことも言わなきゃならないんだよね・・・それが辛いわぁ。。。

話を戻しまして・・・

で、私だけじゃないんです。

こうやって、身体が傷ついているのは。

また書きますが、

自我復元というのは、
神秘体験の話でもなく、
「虐待からの回復」の話です。

なんとか、生きようとしてきたことも否定されて、
そんなことして休んでるんじゃない、怠けているんじゃない、と言われ、
ギリギリの身体状況で生きてきたのが、虐待を受けてきた人間です。

自我復元で私が大事だと思うのは、
繰り返し言いますが、

「休む」

ことです。

私は、とくに自我復元後は休み方を
試行錯誤してきた、と言っていいと思います。

結果は、こうです。

「休んでください。自分が一番楽にできる休み方で」

です。

自我復元者でなければ、そのまま、そうか、と思えることかもしれません。
休むなと鞭うたれて、傷ついた身体、癒していくのは、
休むことです。当たり前だと感じるのかな、と思います。

だけれど、私も含め、自負復元をしてきた方は、
「記憶掘り」「毒親分析」「AC人格分析」「AC人格解除」
これらが、どっしり、重くのしかかっています。

これが、すごく特別のようなものになっていると思いますが、
自我復元後、私が今感じているのは、
それは、生きることそのものであり、あえて名付けることでなく、
もしも、全自我として生まれたら、当たり前の自己管理として
やっていることのことなんです。たぶん。

だから、それは、傷が治ったら、というか、
治しながら、こつこつ、やればいいですし、
今も書きましたが、ごく普通に、やっていることになると思います。
ごく自然の問題認識からとる行為だからです。

ところが、それがずっしり重くのしかかっている場合、
私もそうでしたけれど、そもそも「AC人格」が怖くなります。
少なくとも、避けようとします。
「これはACなんじゃないか」と考えてばかりの日々も続きます。

でも、今になって理解したのは、

それよりも優先することがある。

・・・さて、ここで、笑ってみましょう。ゆったり、深呼吸。
こういう時ですよ。深刻になることはない。
だって、いい話をする、きくんですから。
そう思ってみてください。笑ってきく話です。
私もそう、笑って書く話なんですよ。

AC人格でもいい。

それが選んだ休む手段を、大切にしてください。

そして、堂々と休んでください。

AC人格は、その時、あなたの敵ではない。

AC人格も味方をする、ということがあります。

私が、ここ数日体験したこと、
いや、そういう受動的なものではなく、
私が、「そうさせた」かったシナリオがある。

AC人格も、味方につけるんだ。

いいや、本当は、

ずっと、私の味方だった。

なんとか、休ませようとしてくれたのが、
AC人格だったんだ。

ひきこもらせ、
私、あなた一人の世界にこれ以上身体が傷つかないように
かくまったのは、誰だったか。

偽人格のAC人格だったよね。

しかし、厄介なのは、
それに罪悪感がセットだったことだ。
言ってみれば、これが、毒親の取引だった。
休ませてやるが、そのかわり、それを罪に思え、と。

その取引をやめてほしい。

「休めばいい」

ただ休めばいい。休むだけ、でいい。

「罪」と思う必要は、一切、ない。

あなたが40歳なら、40年間、あなたを守った
AC人格、もちろん苦しめたのもそれだけれど、
大事なことは、一点、休みたかったという気持ちを汲んだのも、
ずっと寄り添った偽人格だったはずです。

また、あなたのまわりにいた、
大事な友だちだったり、妻だったはずです。

それを殺すことが、
どんなに残酷かを、私は知っています。
そうするしかない局面に立つ残酷さです。

己の尊厳とは、それほどのもの、
不可避なものでもあったからです。

己の尊厳とは、それほどのものだからこそ、
二度と、悲劇を繰り返さないことを
私は、望んだんです。

それほどの力を持っているからこそ、
行使してはならないと自戒することです。

悲劇を、一度、目にすれば、
痛感することです。

悲劇だけが残ります。

その傷跡は、この身体の傷が消えても
歴史から消えません。

あったことは無くならないんです。

私が望むのは、

毒親を殺すことではなく、

また、

毒親の投影としての自分を殺すことでもなく、
毒親の投影としての愛する人を殺すことでもなく、

その一人の毒親以外の
たくさんの

「親」

に出会ってほしい、

ということです。

言い方を変えると、

本当は、出会い続けているんです。
実際、ある程度成人している方なら、
目の前に、毒親本人すら、いないでしょうに。

投影しているだけです。

「毒」

を。

どこに、そこに、毒があるというのでしょう。

たとえば、私は今、職場でRさんを見て、
私は、好きです。
毒を見るのは、投影に他なりません。
その存在に、どんな罪があるというのでしょう。
Rさんは、Rさんとして、一人の人間であるにすぎず、
私は、そこに、親を見ます。

親というのは、
毒がない、ということです。

それは、

私がそこに毒を見ない、ということです。

それは自我復元をしてきた方には
無理に思えるかもしれません。
または、毒から目をそらしてはいけない、
毒に気づくべきだ、と思うかもしれません。

だけれど、私が思う現実は、

毒親は、あなたの親一人だけ、です。

先ほど書きましたが、
実際、いくら職場の上司に毒親を「見た」としても、
あなたを休ませないほどの効力は、実質的には、無いはずです。
その力がある、と思いこむことができるまでです。
たとえ、休むなと命令されたとしても、いまや、それに従わず、
休むことは、出来る状態にあるはずです。
それが、無力だった幼少期と違う点です。

その意味で言えば、ある程度、成人していれば、
実の親であっても、妻や夫でもあっても、
休むな、とは、もう、強制できない状態なっていると思います。
怖くない、と言っているのではなく、
恐怖心はあるかもしれませんが、あなたを鎖につないでまで、
休憩させないように鞭打つほどの虐待は、実行できない、という意味です。
そこにあるのは、心理的な鎖です。

先日も書きましたが、
私は、今、親にしても、Pさんにしても、
対峙することに、身構えるものがありません。
言い方を変えると、親がいようが、Pさんが目の前にいようが、
私は、のんびり、休むことできます。

ただし、私はAC人格そのものの行動をしている、かもしれません。
していないかもしれません。それは、問題にならない、ということです。
私は、休むしかなかった。

生きる恐怖、ということを少し前に書いたけれど、
ふと、今思ったのは、休めない恐怖心なのかな。
仕事で普通に品出しをしていた時だったけれど、
ゆっくり呼吸をしている、それだけで、くつろいでいて、
その時に、消えた、と思ったんだ。
「生きる恐怖」というものが。

AC人格か、そうでないか、という
判断をする必要がなくなった、とも感じたと思う。

あまりに、ごく、普通だった。
やっていることが。ただ、それをやっている。
こうであってはならない、という自分を責める気持ちが、薄らいだ感じだった。

こんなことを、今日、書いてきて、
どうでしょう、みなさんの心の中は、
まだ心地よい風が通っていますでしょうか?
窓、開いておりますか?

私はね、ブログを書く時も、
そういう風通しのいい心の部屋で書きたい、って思うんです。
書いてよかった、と思うの書きたいですし。

こんな話を読む時もね、
ゆったりした気持ちで、休むような気持ちで読んでほしいんです。
何度もそう今日、書いてきましたが、
それでも、緊迫した気持ちになった時間、多かったかもしれません。
ならば、もう一度、読み返してみてください。
これを読んだらプリン食べるんだあ~くらいな気持ちで
もう一回、読んだりしてみてほしいです。

「休んでください」

私たちの話ですから、

「休みましょう」

にしましょうか。

たくさんの親に、出会っていきたいです。

たくさんの親に、出会っていきましょうね。

最後にこんな話をしましょう。

あなたが今知っている休み方は、
もしかしたら、自分で「汚れている」とすら
感じてしまうものかもしれません。

自慰?いいじゃありませんか。

好きな女性の裸を想像して、
綺麗だなと思って、気持ちよくなる。

私は、素敵だと思います。

そして、私は思います。

もっともっと、その人を好きになっていけばいいんです。

その人の声や素振り、
たくさんを好きになっていく。

それが、また新しい心地よさとなり、
笑顔を生み、休息を生みます。

休み方のバリエーションは、
増やしていくことができます。

いろいろな心の窓の開け方を
増やしていければいい。

気がつけば、

AC人格なんていうのは、いない、と気づく。
あなたが、私が、そう、
休めるのなら、それは、AC人格とは言わない。
生き方の一つでしかありません。

そのために、休むことは悪いんだ、と、
そんなことを言っていない、
たくさんの親を、感じていきましょう。

私たちは、やれるだけのことをして休んできたんです。

それは、決して、「悪いこと」じゃない。
悪い、と断罪する権利が誰にあろうか?

そうしているうちに、
自分にとって、もっともっと大好きな休み方を見つけていく。

私の描く自我復元は
そういうものです。

それは、

「好き」

を、たくさん、たくさん、見つけていくことだと思っています。

私は、今、アルパで
右手の親指を、宙に飛ぶように跳ねる軽やかな感じと、
そこから生まれる綺麗な音が大好きです。
発表会では、その音を、会場全体に巡らせたい思いでいっぱいです。

一緒に、生きていきましょう!


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.26
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-26 23:52 | 愛美通信☆メトロノート

(前半)心地よい風-自我復元後日記[301]

今日は、私の心の中に、
心地よい風が吹いています。

そんな心地よさを感じながら、
そして、そんな感覚を大事にしながら、
楽しみながら、今日はゆったりと、
1時間くらいかけて書くつもりで、
301回目の今日を始めたいと思います。

話は自我復元についてです。

私だけじゃないと思いますが、
読者の方、今の時点では多くは自我復元をしてきた方が
このブログを読まれているのかな、と思っています。

「自我復元」と聞くだけで、少し緊張しませんか?
私もそういう反応をします。恐怖心だと思います。
ただ、私は、今、書いておきたいのは、
こういう感覚も、あまり重く受け止めず、
実際、「恐」というのは感情の一つ、ごく普通の感覚ですから、
読者の方も、今日、「わっ、自我復元だ」とあまり身構えてしまわずに、
読んで欲しいです。私もそのつもりで書きますからね。

といっても、何を、どんなことから書こうとか、
よくわからないんですよ、今。
ただ、テーマは、AC人格、休むということ、
そういうことになりますが、それは、あくまでもブログの
「コンテンツ」、内容でして、私は、書いている時、
また、皆さんが読んでくださった時、あるいは書いた後、読まれた後に、
今日のタイトルのような、心地よい風が、私たちの心に吹いていたらいいな、
そういう、ほっこりした期待があって、書いていますので、
今、私自身もそうですが、身体をぎゅっとさせてしまっては、
私が望んでいることではないので、心の窓、風が通る窓を
両手でパッと開いていきましょう。私も、あなたも。

前にも書いたことがあるのですが、
あ、さっそく、今日の本題に入りますね。
私は、絶対に、私と同じ体験を、
誰にもして欲しくないんですね。
理由は明確で、しなくていい体験だからです。
私の自我復元の話です。

ですから、このブログでもそうですし、
助言をさせていただいている方にもそうですが、
今、自我復元をされている方に対して、
私は、私のようにやってみてください、とは、
1mmも思わないんです。

私は戦争を経験していませんが、
「悲劇が二度と繰り返すことがありませんように」という言葉がありますが、
前にも書いた通り、私が自我復元で体験したことは、
悲惨すぎた、と思っています。
悲惨すぎる、悲劇、というのは、決して、それも経験だ、とは言えないもので、
「無くてよかったものだった」と痛感する体験のことです。

同時に、私は、いつも自我復元は楽しかった、と書いてきました。
それも、本当です。どっちなんだ、じゃなくて、
どちらも本当です。昨日、仕事に行く時、玄関先で思ったことですが、
「気がつけば・・・喜、怒、哀、楽、好、恐、感情丸出しの人間になったなぁ」と
そんなことを思い、おだやかな春の陽気を感じておりました。
苦しいことも、また、楽しかったことです。

ただ、AC人格を殺す、というのは、
苦しいのは楽しい、というだけ、それだけは
片づけられないものがあります。
このことを、私は、自我復元後は感じてきましたし、
その思いは、強くなっていきました。

これも何度も、私は書いてきたことですが、
「やめてはいけない」と書いてきたのは、なぜか?というと、
繰り返し書いてきた通り、「やめてしまえ」が毒親の企てだからです。
そうやって、社会にも出られないようにし、集団の中でも斜に構えたり、
無理に笑ったり、とにかく、上手く生きていけないようになれば、
「ざまあみろ」で、毒親の企て通りに必ずなります。

では、なぜ、「やめてしまう」のか?です。
これが、最近、私が体験し、わかってきたことです。

「休みたいから」

です。疲れてしまって、もう、休みたい、そうやって
一人の世界にひきこもります。
物理的にひきこもることもあると思いますが、
私の場合は、物理的には多くの人と関わっていたように見えますが、
一人の世界にひきこもっていた、と言えます。

むろん、毒親が狙った通り、です。
そうやって、ひきこもっているのが、AC人格そのものですし、
その反動で、妬み、劣等感、それも麻痺してしまって、自分は特別な人間だ、
という優越感に浸る人間にすらなっていきます。
私がそうでした。

話を戻しますが、
「休みたいから」が最初にあったのなら、
休めばいいわけです。ひきこもろうが、AC人格になろうが。

AC人格になってでも生き延びようとした理由が、
「休みたかった」のだとしたら、休めばいいのですが、
はたして、休めたか?なんです。

休めた時はあった、とは思います。
刹那な休息であっても、休めた、と思います。

ただ、休めても、もしも、
「休むこと」に、「罪悪感」が残ったとしたら、
それは、「休んだ記憶」として、残したい記憶になるだろうか?
というと、そうはならないと思いました。

私は、AC人格をこう思うようになりました。
ここ最近です。昨日、今日の話ですよ。

それは、

「休むことに罪悪感を感じてしまう仕組み」

です。

休もうとして、AC人格をやっているのに、
いざ、休むと、罪悪感を感じて、結局、休めない、
休んだのに休んだとは思えない、結局、疲れたまま、曇り顔をしたまま。

それでも、何とか、休み、
生き延びてきたのだと思います。
それが、現実逃避そのものだったとしても、です。
だから、生きてこられたのだと思います。

・・・みなさん、話が深刻なので、力んでいませんか?
大丈夫ですか?私自身にも、そう言っているんですが。
力まなくていいです。そういう話をこれからしたいんですから。
AC人格=悪、わあ、自分は悪い!と考えてしまうと思いますが、
リラックスしましょう。

これは、言っておきたいんですが、
自我復元後だからといって、
「AC人格の反応、習慣」がぴたりと無くなる、ということは、
私は無いと思っています。私はそう思っていますし、私が実際、そうです。
AC人格はもういない、と私は自分で書いてきましたが、
イコール、AC人格の反応や習慣が残っていない、などということは
「まったく」無く、むしろ、なんですが、
これはちゃんと書いてきませんでしたが、
AC人格の反応、習慣、性格のほとんどが「残留している」と思いますし、
私の行動パターンは、多く、過去のそのAC人格が形成したものによっています。

こんな書き方はしてきました。

私、愛美は今、1歳ちょっとです。
だから、ほとんど、出来ません、と。

だけれど、社会では、私は43歳、もうすぐ44歳という
大人も大人、もはや、盛りも越えて立派な社会人として
社会からは見られますし、私もそういう行動をしなければなりません。
嫌ならしなくてもいいのですが、そういう問題ではなく、
生きていくのを継続していく時には、43年間身についたたくさんの術が
機能します。

つまり、こうも言えます。

自我復元後は、AC人格を自覚しながら、
生きなければならない、その苦しみを生きていく、
と言ってもいいと私は思います。

ただし、

この苦しみは終わります。

AC人格の反応、習慣、性質が止むことによって、
「ではなく」です。

それは、止みません。

私の場合、ということに常になりますが、
この体験は、通る人がいると思いますし、
この道は、歩いていい道だと私は思います。

AC人格の反応、習慣、性質、これらを
「AC人格の性格」と呼ぶとして、
これは、止みません。
正確に言えば、「止ませる必要」はありません。

改めて、

AC人格の挙動の何が悪かったというのでしょうか?

AC人格は悪いから、やっていることは悪いんだ、と
格言のように鵜呑みにしてしまうことはやめて、
本当に、いったい、何が悪かったと思いますか?

私は思いました。

私が必死に生きようと、
なんとか休もう、それでつないでいこう、
そうしてしたことすべてが、AC人格の挙動だったとして、
そういう動機の何が悪いと思いますか?

私には、何も悪いとは思えません。
私だけじゃないと思います。
「悪い」と断罪するのは誰ですか?
そんなの、本心に、本当にありますか?

そうやって、なんとか、休めた気持ちになれずとも
少しの休息で息を吸い、生きてきたんです。
なんとか、生きたい、と思って。
もちろん、それは、たくさんの腐敗した感情がごちゃまぜになっていました。
そんな素直に生きたい、と毎日感じていたわけじゃありませんし、
むしろ、ほとんど感じることすらできなかった。
もはや、ロボットのように、ただ、曇った視界を生きてきました。

・・・ちょっと、身体に力が入ってくる内容になってきましたが、
深呼吸しましょう。今、休んでいてください。
私は、私自身にもそうですが、今、読んでくださっている方が、
今、「休んで」いてほしいんです。ただ、息をゆっくり吸って、
誰も責めていないこの現実を、普通に、見ていてくれたらと思っていますので、
そんな私との疎通の中で、続きを書いていきますから、力を抜いて、
読んでほしいです。

私もね、こうやって、皆さんが読んでくれて、
「ああ、ちょっとしんどくなってきた。これ、自分が休めなくなってきているかも」
とか感じながら、それでも、目には見えませんが、愛美通信です、会話することで、
休むことを思い出しながら、書いておりますので、
そんな感じで、たまには、ちょっと笑ったりしてみてくださいね。今とか。

もう一度書きますが、
AC人格は、なんとか休みたくて、とった手段です。
たとえ、それが毒親があてがった偽人格だとしてもです。
ところが、休むのに、罪悪感を感じ、結果、休めない。

ここがポイントですが、
「それもまた、毒親の計画通り」
なんです。

AC人格、というのは、今までその「挙動」で、こういうAC、と考えてきました。
その「挙動」というのは、実は、「反動」のことで、
「何の反動か」という点が大事です。

私は、それは、

「休めなった反動」

だと思いました。

休んだかもしれないけれど、罪悪感を感じて、結果、
休んだ言い訳、正当化、休みたかったのに休めなかったことの苛立ち、恨み、
そんな「下心」が、つまり、AC人格の「動機」、そこからの行動が「挙動」
ということになります。

今したいのは、その「反動」や反動の心情の種別ではなく、
反動の根本的な動機です。

それが、

「休むことの罪悪感」

です。

私はそう思いました。

だから、やめちゃうんです。
素直に休めないから、「疲れて」、やめてしまう。
毒親の「やめちまえ・・・オレと、ワタシと同じようにね」と
毒親の代理復讐が着実になされるんです。

全部、毒親のシナリオ通りなんです。

なんとか休もうとし、ひきこもるようにしたことも、
なのに、罪悪感を感じてしまい、休んでは言い訳をし、
休めないでは八つ当たりし、妬み、恨みをまき散らし、
社会に出られず、通用しない人間になり、挙句の果てに、
その劣等感すら麻痺し、完全無自覚AC人格となり、
こうやって、毒親の完全犯罪は遂行されます。

だから、私は、
「やめちゃダメだ」と言ってきました。
どんなに醜くても、やめないことを書いてきました。

こう書いたことがあります。

どんな休み方でもいいんだ、と。
AC人格だろうがなんだろうが、休んでいいんだ、と。
とにかく、休んでほしいと。

その言葉の通りに、一番最後にしたのが、
私自身だったと思います。

読者の方が一番よくわかっていると思いますが、
私は、自我復元後、とくに、ここ最近は、
AC人格そのままを再体験し、生きています。

私の身体が、そうせざるを得ない状態が、
度々、続いたからです。
AC人格を、それこそ、生でやりながら、
生きることをやっています。

もちろん、そうでない部分もあります。
「休む中心」には、私の体験では、
脳の中心、胸、おなか、など、身体の様々な部位に渡りますので、
これは、体験した方でないとわからない話だと思いますが、
AC人格でない私の中心、というのがあります。
そこで休み、また、元気に活動していることも、あります。

ただ、それは今日の話のテーマではありません。

私は、合気道、アルパ、ダンス、歌、
これを好きにやっていく道を歩き出しました。
それが、私の新しいシナリオでもありました。
「愛美」のシナリオです。

まだ1歳ちょっとの愛美が、
全力で挑戦したことでした。

だけれど、1歳ちょっとでは、
無理がありました。
私の身体も、そこでは、まだ1歳ちょっと程度なのです。
なのに、スケジュールも含め、大人の私が頑張らないと出来ないほどの
ハードな日々でした。

もちろん、そのハードな日々に後悔はありませんし、
とても楽しかったし、だから、春の日までとはいえ、
やめることは、相当悩み、苦しみました。
読んでくださった通りです。

以前にも、腹に中心を落とした話を書いたことがありますが、
その時もそうでしたが、もう、限界でした。身体が。
それから、胸にも中心を持って行ったりし、
ここ最近は、私は、過去のAC人格そのものを生きたと思います。

そこまでしても、私は、
この身体を守りたかったのだと思います。
私には、私自身、どこかでずっと感じていましたが、
どうしても守り抜く覚悟が、静かに、強くありました。

結果、わかったことです。

そうやって、生きていたんだ、と。

40年以上の歳月を、そうやってまでして、
生きてきたんだ、と。



・・・「(後半)心地よい風」に続きます。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.26
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-26 23:52 | 愛美通信☆メトロノート

すごしやすい気候ですね-自我復元後日記[300]

さて、さて。

今日は、なんと、自我復元後日記300回目記念、ということで、
そのタイトルも「すごしやすい気候ですね」という、
すごく普通(笑)ですが、みなさま、
お住まいによって違うかなとは思いますが、
私が住んでいる埼玉県は、すごしやすい数日が続いて、
いつもブログを読んでくださっているみなさんの住んでいる所は、
いかがでしょうか?

この頃、ブログにも書いてきましたが、
体調が、あの大風邪以来、消化器官の調子が悪くて、
お米とか肉とか、重いものが食べられないのですが、
そのかわりに、お菓子なんかをよくちょこちょこ食べて、
ゆっくり休み休み、アルパもリラックスして弾いたりして、
私はすごしております。

いきなり話は変わりますが、
私、自分が明るくて、笑っている、
そういう自分が好きなんだって、今も思っていて、
たとえば300回記念なら、そういう明るく、楽しげで、
なんていうんだろう、そうそう、はにかむように笑う私でいたい、
そういう私がね、ちょっと今日、ブログ書いてみようかな、という
そんな思いがしています。

今メールでやりとりをしているNさんからも、
先日、「愛美さんには元気でいてほしいです」と言ってくださったんですが、
その時は上手く素直になれずに素直に受け取れなかったのですが、
ほんとに、ありがとう、と思っています。

当たり前ですけど、いつも元気にはいられないわけですが、
それでもね、明るくて、コロコロ笑うような、そんな軽やかな自分というのは
やっぱり好きですし、ほんとに、大好きですね(笑×笑)

このブログを、今、また時間を経て、読んでくださっている方には
ほんとにいろいろな方がいらっしゃると思います。
だけれどね、何かの縁があって、これをたとえば今日、読んでくださっている方が、
ちょっとでも、楽な、そんな気持ちになってくれたらいいですし、
少し元気があれば、無理することはないですが、元気があるなと感じられるなら、
楽しい気持ち、何かをすごく好きに感じる気持ち、
そんな溢れる思いや、力が体内を駆け巡るワクワクとか、
そんなものを、感じてもらえたらいいなぁって、
素直に私は思います。

300回記念ということで、
なんか、いい感じ☆
好きですね、こういうの。
にたにたしちゃいます。

ほんとに思うんですけどね、
私、自分がこういう時って、
みんなが、ほんとにみんなが、今、今日、
すごしやすい気候を、ああ気持ちいいって感じていてくれたらいいなぁって
思うんですね。すぅっと、風が私の、あなたの横を通り過ぎていく瞬間、
心をとらわれますよね。

私は薔薇の香りが好きなんですけど、
ここ毎日、近くに咲いている薔薇の香りを、
夜、仕事帰りに、自転車から背伸びをして嗅いでいるんです。
すぅって、もってかれていかれそうな、あの感覚。
私が嗅いでいる、なんていう、そんな私も忘れてしまうような
薔薇の香りは、大、大、大好きです。

毎度言ってますが、
私は、「好きな気持ち」というタイトルに
何度もしたくなるほど、そればかり書きたいわけですけれども、
どうでしょう、300回目の今日も、そんな好きな気持ちを
気候に、あなたへ、お花や、なにより、私自身へ、
向けて、ペン・・・キーボードですが、そんな思いを
ペンで綴ってみたかったし、それは、今思ったことですが、
こうやって、今、私のたくさんの大好きな気持ちを綴れて
よかったと思います。

これから、暑くなりますね。
私、夏、好きなんですよ。
身体がほかほかして、最高に好き。
そんな初夏を迎える今日、こんな明るい気持ちで私のブログを書けて、
読んでくださる方がいて、私はにこにこしています、今。

ありがとうございます。

明日から301回目ですね。
また、書いていきますから、
また、読んでください。

とっても気持ちいいです!


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.25
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-25 15:34 | 愛美通信☆メトロノート

生きる恐怖-自我復元後日記[299]

昨日仕事をしていて、二つ感じたことがあります。

一つは、「ああ、初めて、息をしているなあ」
ということ。

息をする、それを感じる、というのは、
とても安らぐんだ、という感覚と、
そう、息をする、っていうのは、
自分だけの閉じた世界の出来事で、
まわりの人は関係がない、それが楽だったこと。

それと、「精気」が宿ってくる感じがして、
吸い込む空気で、力が沸いてくる感じがしたこと。

もう一つは、今日のタイトルですが、
「生きる恐怖」が消えたことです。
同時に、生きる恐怖という、得体の知れないものがあったことにも
気づきました。そんな感覚があったことも、知らず、
消えた、と思った時、あったことも自覚したのが、
この「生きる恐怖」。

何か得たわけでもないので、
すごく世界が普通だ、と感じただけです。
当たり前の感覚です。

夜、寝ている時に、考えた、思ったことがありました。
・・・これは、また別の話です。

今度アルパの発表会があるんですが、
2枚チケットを持っていて、
叶わないことなのですが、もし、誰か2人に来てもらいたい、とすると、
私は、音楽が好きだった母と、
いつも私と一緒だったPさんに来てもらいたい、そう思いました。
残念ながら、叶わないことですが、
そんなことを思った時にも感じたことは
怖くないということでした。

母とPさんが私の発表会に来てくれる。
それは、とても普通、のことで、
そんな光景からは、やさしく、甘い香り、心地よさすら感じます。

生きる恐怖、って、
なんだったんだろう・・・
別に、今、それを知り、消えたので、もう関心はないのですが、
私が体験した不思議な出来事でした。

とくだん、今日、私には
関心があるものがありません。
別に、それでいいと思います。


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.24
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-24 13:13 | 愛美通信☆メトロノート

「そのかわり、遊ぼうね。」-自我復元後日記[298]

本当に悲しかったのは、

そして、本当に強かったのは、

私の身体。

昨日は、私の身体と一緒に、
ピアノの演奏を聴きに行きました。

そこで食べたハンバンガー。
家に帰る途中、私たちは話した。
「また、食べようね」「また、あのハンバンガー、ね」
泣いた。他にも、ハンバンガーは、たくさんあるんだよ・・・
君は、アメリカでも、食べたんだよ。ごめんね。

六本木一丁目、メトロへ下る階段の前、
君は、私の身体は、
「そのかわり、また遊ぼうね。」と私に言う。

「コーヒー、飲んでいこうよ」
演奏会が終わって、振り返ると、静かな広場。
もう、やってないよ・・・わからないよ、ちょっと見てみようよ・・・うん。
でも、もう、ちょうど終わりだよ。

「帰ろ」

君は言う。

そうだね。帰ろうね。

地元の駅について、アイスの販売機があって、
「これでいいよ。これ食べよ」
これでいいの?・・・うん、これ食べよ。
チョコレートのアイス。一緒に食べた。

「一緒?」

そうだよ、いつも、一緒だよ。

そのかわり、遊ぼうね。

春のその日まで、今までしてあげられなかったことを、
私は、あなたに、君に、私の身体に、してあげるからね。
たくさん、遊ぼうね。たくさん、たくさん・・・

君は、いつも強がり。

辛かったのに、それは本当に辛かっただろうに、
「休んじゃおうよ」って、笑って言う。
そんな、簡単なふうに言えることじゃなかったよ、ね。

麻布、外苑、表参道、このあたりは
私が以前、勤めていたところでもあり、
懐かしい香りがした。

この、いい意味で、いい加減な感じ。
いい意味で素直で、普段着で、その素直すぎるところは
痛々しくも感じる。でも、私は、そのあどけなさが好きだ。

「楽しかったね!」

そうだね・・・写真を載せておこうね。
一緒だよね・・・一緒だよね・・・

一緒だよね・・・

d0331270_9355192.jpg

d0331270_9361022.jpg

d0331270_9362272.jpg

d0331270_9363418.jpg



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.23
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-05-23 09:39 | 愛美通信☆メトロノート