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今月最後の稽古です-自我復元後日記[245]

これから合気道の稽古に行ってきます。

今日のアルパの自主練は、
テンポ70から倍の140まで、5刻みで15曲止まらずに弾く、
というのをやりました。楽しかったぁ~♪

歌のリズムの練習は、ゆっくりですが、
少しずつ、リズムに馴染んできています。

今朝も「笑顔」でスタートしました。

「笑うこと」は、私にとって、
「休憩」そのものであり、
「意志の行使」そのものです。

そうやって、私は
「じっくり」休んで、
それで、すご~く
「長~い」時間をかけて、
アルパも、歌も、合気道も、ダンスも、
やっていきたいと思います。


私のこの

「好き」

という感情は、


きっと

数億年の時間をかけて

じっくりと

「熟成」

されていくと思いますし、


私は、この好きという種が
「実」になるその時を


心から

ともに

祝うと思います。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.3.31
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-31 17:40 | 愛美通信☆メトロノート

満面の笑み-自我復元後日記[244]

今月も今日、明日と、あと2日です。

今日も、明日も、

「満面の笑み」

で、過ごしていきたいと思います。



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2017.3.30
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-30 15:37 | 愛美通信☆メトロノート

今日はちょっと疲れているみたいです-自我復元後日記[243]

今日のお昼はカレーを作って食べました。

でも、ちょっと、疲れているみたいです。

今日は一日、ゆったり過ごしたいと思います。

それでは、今日も仕事に行ってきます。



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2017.3.29
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-29 16:05 | 愛美通信☆メトロノート

私自身のために歌う歌-自我復元後日記[242]

私はどんなふうに歌を歌っていきたいか、
そして、歌は私にとってどんな存在なのか―

昨日から今日にかけて、
そのことを、しっかり自分の頭で考えたいと思って
考えてみました。

私は、T先生の歌い方が好きです。
T先生が話す話し方、声も大好きです。

では、どこが好きなのか?
それを考えることから始めました。

T先生の歌を聴いて、また思い出した時、
まず思ったことは、

「無理がない」

ということでした。

では、無理がない、とはどういうことか?

それは、

「身体に無理がない」

ということだ、と思いました。

身体に無理がない、とは、またそれはどういうことか?と考えると、

「自分の身体を、ちゃんと、しっかり使う、使いきる」

ことだと。それは、もともと持っているこの身体、
この人間の肉体が持っている能力を、十分に使えるように訓練していくこと。


今朝、自分の身体の状態を観察した時、
今まで私は「委縮」という言い方をしてきましたが、
もっと私の身体の状態そのものを表すのに適切な言葉は
「硬直」です。

喉が硬直することで、頭部は硬直し、
手が硬直することで、胴部は硬直し、
足が硬直することで、下半身が硬直し、
私は、全身、硬直状態で、これまでを生きてきました。

非常に自覚しにくいもので、
「すくむ」「浮足立つ」という感覚を生み、
とにかく、落ち着かなくなるのですが、
「ガチガチだ」という自覚症状に気づくのは
困難でした。

焦る、ということによって
その状態になっているのですが、
私にとって、それは、40年以上、あまりに
「いつもの状態」だったために、自覚症状がなかったのです。

今は、「つねに休憩している」という状態が
私のつねの状態、力みのない状態だ、と知っているので、
硬直にも気づきますし、硬直してしまったら、それをだんだんと
解きほぐすことができるようになってきています。


私は笑う時、
顔だけで笑おうとは思いません。

手も足も、胸も、
全身が笑っていようと思います。


私が笑っている、のではなく、

こんな言い方はへんですが、

「笑っている、が、私ってる」

でも、これが、私が見たT先生の歌でしたし、
私が、私自身、目指す歌なんです。


胸が歌います。


胸が開く、とは、


私という「身体」が
胸が香りの中心として、ふわっと広がり、
私を囲むように、皮膚という身体の外を広く覆うように、
身体範囲が拡張していくことです。

だから、私は、身構える必要はありません。

私は、私に守られていますし、

私は私という肉体であるだけでなく、

それを包む歌、私の身体が落ち着ける世界、

それが「私自身」です。


だから、私は、
ただ私自身のために、歌を歌っていきたいです。

日々の生活の一つ一つを大事にしていくことと同じで、
それが、これまで傷ついてしまったこの身体を労わり、
治癒させていくことだと思います。



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2017.3.28
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-28 07:46 | 愛美通信☆メトロノート

今日はダンスのレッスンです-自我復元後日記[241]

ようやく、です。

今日のダンスのレッスン、
1月末から2ヵ月、お休みしていましたが、
今日から参加します。

みんなとも会えます。

満面の笑顔で、みんなと
再開したいと思います。

昨夜、悩んでいたことがありました。

私は、本当に長い間、
人を馬鹿にして生きてきました。

私は、「自分が仲間外れにされている」と思いこんで、
そうしようとしている人たちを、馬鹿にし、
私は、こんな、くだらない人たちとは違うんだ、
自分は違うんだ、と、他人をさげすんで生きてきてしまいました。

私がこれからやらなければならないことは、
それを償うことではありません。

胸を張り、堂々と、
笑顔で、

私一人であろうと、
一対一であろうと、
大勢の中にいようと、

その笑顔で、そこに立ち、そこにいることです。

私は、そう、

新しくていいのです。


アルパの自主練ですが、
嬉しい報告があります。

今日、マドリッドのバイオンの練習を
メトロノームを使ってやりました。

テンポ70から5刻みで上げていき、
テンポ125まで、12のリズム、12曲通して弾いてみました。

12曲通して、私は、どんなミスタッチをしても、
一度も音楽を止めず、メトロノームのテンポのまま、
弾き通すことができました。

明日のレッスンで、アルパを始めて
ちょうど、1年になります。

たくさんのことがありましたが、
ここまできたな、と思っています。


目を閉じれば、

そこに映るのは、

私の笑顔です。



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2017.3.27
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-27 15:59 | 愛美通信☆メトロノート

胸を開く-自我復元後日記[240]

私にとって、

生きる、とは

「日常の生活を大事にすること」

です。

ここに戻ってきました。

私は、私のこの「胸」、
私の住まいに戻ってきました。

そして、

私のこの胸は、

全開に、開くものです。


私に笑顔が戻ってきました。


私はこうやって、ずっと、

笑って生きていきたいと思います。




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2017.3.26
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-26 15:13 | 愛美通信☆メトロノート

3連符-自我復元後日記[239]

昨日、夜、床に入りながら、
What a wonderful worldの譜面を見ていて、
音符の読み方が、よくわかっていないことが判明・・・

早速、今日、調べてみました。

3連符は、ある音を3分割するわけですが、
表記では、その音の半分の長さの音符を3つ並べて、
「3」を添えるんですね。実は、知らなかったんです。

「4分音符の長さなのに、どうして、8分音符が3つあるんだぁ??」
と、昨夜、頭が???だらけでした。

それが、今、解決したところです♪

では、マドリッドのバイオン、星の涙、カノンの練習をして、
ご飯を食べて、仕事に行ってきます。


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2017.3.25
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-25 15:00 | 愛美通信☆メトロノート

4月の審査に向けて-自我復元後日記[238]

4月に合気道の昇級審査、
受けてみたいと思っています。

今日も稽古に行くことができました。
続けて、稽古に行けたらいいと思っています。

アルパの練習も、今日はとても気持ちがよかったです。

テンションとリリース、
弦を圧している時も、その圧が解放されて指が弦から離れている時も、
どちらも休憩状態でした。ずっと休憩しているんですね。
テンションという休憩、リリースという休憩、
その休憩状態の形が変化する時に、「音」が生まれています。

でも、私の関心は、「音」には無いんです。
休憩が1秒も途切れていないか、
それは、指がいつも気持ちいいか、力んでいる瞬間はないか、
そこに関心が、演奏中、常にあります。
結果としての「音」は、休憩の結果、生まれているだけなんです。

今日、稽古がある日だなあ、行けるかなあ、と思いながら、
アルパを弾いていた時、今日は行くのをやめようかな、
アルパの練習をずっとしていたいなあ、と思いました。
そうしよう、と思った時に、気づいたんです。

生活の場でも同じだ、と。

私は、こうやってアルパをやっていて休憩をしている、
そう思っている時、ふと、稽古は休憩ではないものに
なってしまっていたんです。

生活の場でも、休憩でない時、というのを
安易に認めてはならないんだ、と思いました。
演奏中、常にそれが休憩を保つように、
生活の場でも、どのシーンも、
「これは休憩ではない」としてしまってはならない、と。

仕事は今、私にとって、
ずっと休憩中のようなものになっています。

生活の場でも、「これは休憩ではない」と
自動的に思ってしまってはいまいか?と
常に意識的でありたいと思います。

休憩ではないもの、
結局、私は、生というものをそういうものにしてしまっては、
生きることを、嫌いなことにしてしまったのですから。


4月の審査、受けたいです。

だから、私は稽古に行きたいんです。



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2017.3.24
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-24 23:00 | 愛美通信☆メトロノート

左手のリズム-自我復元後日記[237]

マドリッドのバイオンの練習時に
ようやく、左手のリズムに右手は従えばいい、ということが
わかってきた。

右手のメロディーが焦ってしまうのなら、
左手のリズムを落とせばいい、ということだ。

それは、仕事の時に振り子のように左右に
身体の体重移動をした時に、
片道だけでは手の動作や発話が急いでしまうのであれば、
往復の2拍の間でこなせばいいと考えるのと同じだ。
時間が倍に増えるというのは、かなり増えるので、
休符を十分に入れても間に合うし、それも十分に入れることで
2拍の長さ、その2拍の着地点を感じとることができる。

カノンの練習では、それをまた、
別の視点で感じることができた。

それは、逆にいえば、
左手に右手は必ず従わなければならない、ということだ。
左手が止まらなければ、右手も止めてはいけない。
どんなにメロディーのミスタッチがあっても、または頭が真っ白になっても、
左手のリズムだけは、一定に刻み続けること、これが音楽を止めない、
ということだが、それはどういうことを実感したかというと、

「左手のリズムが主導権を持っている」

という実感だった。

これは生活、仕事の場でも、
忘れてしまいがちなことだ、と思った。

何をやるか、やらないか、という思考に囚われてしまうと、
それが主導権を持ってしまう。
それは、右手が主導権を持ってしまうのと同じだ。

私が今、仕事や生活の場で、身体で感じていることは、
とにかく、いつでも、一定のリズムを刻んでいるということ、
その感覚だ。

そこに加えて、

「そのリズムが、つねに、主導権を持っている」

という感覚をはっきり持ち、今日を生きてみたい。


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2017.3.23
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-23 15:32 | 愛美通信☆メトロノート

食べる時の注意-自我復元後日記[236]

リズムの乱れで、
「ああ、ここがよくないな」
と一番思ったのが、束の間、ほっと安心した時に、
何かを食べる時、この時だった。

食べる時だけでなく、
その、ほっと一息つく、その時。
たとえば、仕事から家に帰ってきた時、
また、職場で休憩時間になって休憩室のソファーにもたれた時、
さらにいえば、落ち着こうと思って、電気を消して、
息を吐いた時。

43年という年月に渡って、
束の間、ほっとしたい、という時にとった「身体状態」の記憶というのは、
それが、「飴の記憶」がゆえに、ガードが甘くなる。

気づいたのは、たとえば、一人落ち着いて電気を消して・・・
と、ふぅ、と息を吐く。
その息はどこから出ていこうとしているか?

「胸」

なのだ。

私は今、胸の穴を閉じようと日々しているためか、
その息の圧を「胸」に感じる。つまり、息が胸に穴を開けて外に出ようとしているのが、
その「圧」で感じとることができた。

吸った息は、外に流れ出してしまう。
これを私は、今は、「浪費」と感じる。
食べたものを、そのまま、外に出してしまうようなものだ。
それは、便として、という意味でなくても、
たとえば、スイーツを食べました、心理的にも元気になりました、となったとして、
それは、実は、「元気」を外に流し出してしまう。
逆にいえば、活力を得たくて、スイーツに手を出し、
自分のその予定通り、活力を「発散」させてしまう。

私は、これは、
エネルギーの損失だと、今は感じるようになった。
そして、実際、食べ物の場合、私の憶測では、
このような「食べて出す」というやり方、
100食べて、すぐに、100としてエネルギーとして外部に放とうとする行為は、
腎臓など、消化器官の大きな負担となるのではないか、と思っている。
私の舌苔のまだら模様は、その負担を教えてくれている。

最近は、食べる量も減った。

というのは、100でなく、それを50にしても、
エネルギー効率がいいため、多くのエネルギーを必要としない。
どちらかというと、少ない摂取量で、食べる回数が多め、といった感じだ。
少し疲れたら、少し食べて、ゆっくり消費し、無くなってきたら、少し食べる。

この食べ方で、私は、今の消化器官の傷を
治していきたいと思っている。

食べる時、そこで安心を得ようとする。
そうすると、かつては、胸が全開で機能してきてしまっていた。
そこ、その「胸で」、深い呼吸をしていた。
それが、私のAC人格にとっては、「安心の定義」だったからだ。

ところが、実際は、
そこに、大きな「リズムの乱れ」が生じる。
波形がいっきに狂う瞬間だ。

むろん、今まではつねに狂っていたので、
狂う波形の別の形、くらいにしか認識したとしてもできなかったはずだが、
今のように、生活と仕事の場で、リズムの保持をしていくと、
どこでその波形がグワンと乱れるか、それに気づくというわけだ。

そこで、私は、
職場でも、家に帰ってからも、
「すぐに食べる」「すぐに食べたい欲求に飛びつく」のをやめる工夫をした。
それは、職場では、まず、食べる前に、10分でいいから、
ソファーの横になる。その時に、職場でのリズムをその状態でも同じように刻む。
それこそ、急に、そのリズムを崩さないことだ。
私は実際、what a wonderful worldの3連符を、リズムが乱れそうな時、
ここは厳しいと思った時は、実際に口ずさんだ。

また、家に帰ってきたら、私は昨日から
「20分」身の回りの整理整頓をすることにした。
10分、15分だと、少し短い。逆に、その時間、その時間の終わりを意識してしまうが、
20分あると、その時間を少し忘れ、何かを腰を据えてやろうと思える時間の長さだった。
この間に、同様、職場でのリズムを保持し、生活の場にスムーズのリズムを移動する。

その準備をしてから、食べる。
これが、私が昨日から始めた食べる時の工夫だ。

さて、仕事の場では、
リズムをとり続けることで、仕事中の動きかたも
話す速度もすべてが変化した。

仕事の性質上、ほぼ安定して
左右に振り子のように、体重移動を一定にとることができる。
それが、仕事中のつねのリズムとなる。
手は、もう少し複雑な動きをするが、
そのリズムに従って動くことが可能であり、
最も私にとって面白く、重要だったのは、
「話す速度」「単語の切れ目」これらも、足の一定のリズムに合わせることで、
仕事中、途切れずに、リズムは安定したことだった。

お客さんがいる仕事だから、
外部のリズムというのは様々だ。

お客さんのリズムや外部の動きに
私が合わせていくと、リズムはバラバラになる。当然だ。

どんな時も、私のリズムで仕事を進めていく。
足の振り子のリズムをたとえ手がイレギュラーな動きや
手がすべったりしたとしても、それでも、リズムのほうを変えないこと。

ここで大発見が2つあった。

1つは、お客さんは、
私がたとえ「ゆっくりの動き」でも、
まったく、苛立たない、ということだった。
なぜなら、お客さんが「えっ?」とか「ん?」となるのは、
私のリズムの乱れを、お客さんが察知するためだったからだ。

新人さんはどんなに早く手を動かそうと、
もたもたしているように見えるが、
ベテランは、なんだかゆっくりしているのに手際がいい、
安心して見ていられる、という経験を誰もがしたことがあると思う。
それは、スピードの問題ではなく、リズムがへんに乱れたり、
突然止まったりしないから、その流れに身を、お客さんが
無意識にまかせていられるためだ。簡単にいえば、お客さんはぼぅーとしていられる。
気がついたら、処理が終わっている、という具合だ。

スピードではなく、
安定したリズムをとること。

といっても、私はお客さんのためにやったのではなく、
私がリズムを保持したいためであり、
結果、お客さんにとっては、という話なのだが、
しかし、もう一つ、これと関連しての発見がある。

どもりやすかったフレーズというのがある。

気づいたのは、

そのフレーズは、単語数が微妙なのだ。

微妙というのは、振り子の片道ではちょっと急がねばならず、
往復では間延びしてしまいような単語数だった。

私は、かつて、仕事上
わりと忙しいので、できる限り、効率よく早くこなさねばならないと
思っていて、それは、今でも、一般にそう思われているだろうし、
そうしないといけないし、それこそが仕事の能力だとすら思われていると思う。

だけれど、私は昨日、思い切って、
左右の足の動きの片道、つまり、1拍でその言葉を言うのではなく、
往復の2拍を使って言うことにした。
他の話言葉のフレーズと比較して、へんに間延びしてしまうのなら、
入りや終わりに「休符」を入れればいいだけだ。
実は、その「休符」で、お客さんは決して苛立たないということに気づいた。

それに気づいたのにも理由がある。

私がその時どもってしまった理由には、
発話上の緊張の身体状態のみならず、
その身体状態をもたらす「状況」があったのだ。

その言葉を無自覚に急いで言おうとしているわけだが、
そこで生じる緊張が、焦りを生み、顎や舌に力が入り、
どもってしまう。言葉としては言えても、
その力みによって、リズムが乱れてしまうのだ。
そこをお客さん、他者は、気づく。

顔色をうかがうAC人格にとっては、そのお客さんが
「えっ?」という顔をするのに、びくっとしてしまうのだ。
この時点で、「胸」が人格の中心として機能してしまうのだ。

しかし、2拍で言うことにしたら、
まず、焦る必要がない。
そして、実際にやってみる。
「休符」を入れても、お客さんはこちらをちらりとも見ないで、
なんだか、落ち着いて待っているのだ。
お客さんは、リズムが安定していれば、「えっ?」と思うこともなく、
たとえ、それが、お客さんのリズムとは違っていても、
安心して待っていてくれる。




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2017.3.22
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-22 15:57 | 愛美通信☆メトロノート