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でも 一番 伝えたい方々は-自我復元後日記[124]

今月最後のブログになります。

この半年の思いをすべてつめて
記事を書いていくつもりです。


まず、最近、私の個人的な好きに
付き合ってくださった皆さま、
ありがとうございました。

今日も、わがまま継続、
初音ミクさんのボカロ曲、
この投稿の最後にご紹介させていただきますので
この記事を読みながらでも、よかったら聞いてください。
私も聞きながら書いていますので♪


半年少し前にもうなりますが、
打身という楽器を習い始めました。
その先生、D先生の動画を見て、
この人のこの音を出したい、という思い一心で
そちらに通うようになったのですが、
D先生がボカロの曲を打身で弾いていて、
始めて、「ボーカロイド」という世界を知った、という経緯があります。

それから、そのボカロ曲をベースに
踊りの振り付けを自分たちでして動画投稿しているサイトを見つけました。
それが、「踊ってみた」という一連の動画です。
皆さんが見られるように、Youtubeアップ動画をご紹介させていただいておりますが、
もともとは、多くは、ニコニコ動画ですので、
アカウントのある方、作ってみよう、という方は
そちらでもぜひご覧ください。


それから私は、ダンスにも興味を持ち、
地元のダンスサークルに通うようにもなり、
歌も習い始めました。
今、練習している歌も「Calc.」というボカロ曲です。
覚えている方もいらっしゃると思いますが、
10月最後の日、お財布を落として、
この踊りをみんなで覚えるイベントに行けなかった、
「思い出深い☆」曲です。歌いますよ!


同時に、2月末から10月いっぱいまで
8ヵ月に渡り、「大きな風邪」をひいてしまい、
とんでもない月日でしたが、
今書いたようなステキなことばかりが降り続いていた時期でもありました。

ちょっと、ドキドキしていて、
なかなか本題に入らないでいるんですが、
・・・入りましょう。今聞こえている音楽、はい、これがメトロノームです。
「早く、書け~」って。


昨日、ブログで世界の毒親たちに
「休んでほしい」と言いましたが、

でも

一番

私が、そう、伝えたい人たちは、


もちろん、


もちろん、


「一緒に、自我復元をしてきた、している人たち」


です。

一つ、私からちゃんと話さないといけないことがあります。

「Abyさんの言うことだから、
楽しいっていうのは、苦しいことなんでしょ」

「あびさんの言うことだから、
休む、っていうのは、苦しいことなんでしょ」


でも、今、私、愛美が言わなきゃならないのは、

「楽しい、というのは、楽しい、ということで、
休む、というのは、休むっていうこと。」

ひねくれず、そのままの言葉通り、
誰でも知っている楽しい、休む、っていうこと。


今朝、私は目が覚めて、時計を見た時、
起きる予定の1時間半早く目が覚めたようで、
私が思ったこと、

「打身の練習まで、ちょっと休める。
昨日寝る時聞きたくて、今日起きたら聞こうと思っていた曲を聞こう。」

しばらく、考えていました。

なんで、打身の練習、嫌がっているんだろう?
見たくない気持ち・・・

それって何?

「・・・おっくう?、そう、億劫だ。」

見よう、この気持ち、私の大切な気持ちだ。

結論から書きますが、
私は、「ぐずる」ということをしたことがない子どもでした。
それは、嫌だ、が言えず、泣けない子ども、ということですね。

子どもは、よく、「ぐずって」います。

このことを、私、始めて、発見したんです。
子ども、いつも、ぐずっているじゃんって。

普通のことだったんだ、と。

やりたくない時、辛い時、
嫌な時、面倒な時、眠い時、疲れた時、
子どもは、ぐずって、泣いて、眠ってしまう。

こうやって、子どもは、

「たくさんの」

「休憩を必要、としたんだ」と。

休憩を許されず、泣くことを許されず、ぐずる態度を許されず、
いい子でいなさい、それを強要された子ども、そして
それを強要した親もまた、それを


「AC人格」


といいます。


だから、今も思います。
私は、子どもも、親も、休んでほしい、と。
休んでよかったんだから、と。


でも、

でも、

でも、


私が一番、伝えたいのは、

自我復元をずっとしてきた皆さんだ、と言い切るのは、


皆さんが、自我復元で何年もかけて経験してきたことは、



あまりに



「残酷」


だったからです。


私は泣いてしまいます。今、泣いてしまいます。

私がそうだったから。

苦しいこと、辛いこと、

それは悪いことじゃない。

苦しいこと、辛いことなんて、
自我復元後は、もっと何倍も苦しく、辛いことなんて
たくさんありますから。

そして、それは
たしかに、楽しく、それ自体が休息なんです。
でも、苦しく、辛い・・・


でも、


今、


そんな話なんかより、もっと、もっと

ここで伝えないといけないのは、
泣きながら書かないといけないのは、

もう、

やめていい、と。


私は、自我復元は総力戦だ、と
今年、よく言ってきました。


私たちは、本当に血まみれになりながら、
手に血豆を作りながら、掘り続けてきました。
それは膨大な作業です。
もしも、私たちの話をフィルターをかけず、
実話録として抽出するのなら、
これ以上、


「読後感」


が悪い記録はない、と断言できます。

これを作り出した感情を
十分にルーシュとして「宇宙産業」に提供したはずです。
これ以上、貢献することはない。
多種の悲惨を持っていたのだから、あとは
複製するなり、量産するなりしてくれればよく、
私は、もう、一人たりとも、犠牲者を出したくない。
もはや宇宙それ自体も、「宇宙産業」の犠牲者ですから。


だから、


私たちは、


待ちましょう。


自我復元のトンネルは、ほぼ、貫通したはずです。
それが総力戦なんです。

あとは、

「砂山が崩れるように、いっきに崩れるのを」

私たちは、待ちたい。


それが、


私が伝えたい、言いたい、
皆さんに届けたい思い、


「休んでほしい」


と。


大丈夫、それが自我復元ですから。


・・・急に、どっと、力が抜けました。


何度も言いますが、

一緒に掘ってきてくれたみんなに
ありがとう、を。

前にも書いたように、
「誰一人欠けても」
今の、自我復元という総力戦の「成功」は
ありえなかった。

そして、

それは、誇り、と言いたいだろうけれど、
私たちが経験したことは、
それすら許さないほどに、悲惨すぎた。

私は、全自我という判定をいただいて、
今年一年、一生懸命、このブログも書いてきましたが、
全自我であること、とか、
不幸感がない、とか、

そんなことは、

私たちにとって、

「どうでもいいこと」

なはずです。そうではないですか?
本当に、それは重大なことではないですよね?


希釈自我であっても、


不幸であっても、


私たちがしてきたこと、


なぜに、


何も見えない真っ暗な中で、


やれたこと、


やってきたこと、


それは、何よりも、


言葉で言い尽くせないものですよね?


「それ」は、


もしも、言葉で言うとするのなら、
何になりますか?


私は、それが、きっと、


「もう、やめていい」


になったんだと、思います。


そういう経験でしたよね?


自信をもって、


「YES」


と言えますよね?


聞いてますか?


私の話、じゃないですよ。歌です↓
「合言葉」と「合言葉Ⅱ」(笑)
さて、私も、ワンボリュームあげてみますかね!


このブログは、
「愛美通信☆メトロノート」として書いてきましたが、
最初に記事に書いた通り、

愛=「あなた」の【あ】

美=「わたし」の産声【び】

あなたとわたしの通信です。

この2週間は特に、
どれほど、皆さんからの「感情」という
はっきり見える信号を伝え合ったでしょう。

メールやツイッターも必要ありません。

私たちが感じ取り合ったものは、
なにより確かなものでした。


合言葉は

「ありがとう=愛が10」

ならば、

合言葉は

「愛美言葉=あなたとわたしの気持ち」


それが、


 あ り が と う


今日は朝からさぼちゃって、
くずっちゃって、
・・・書きながら、泣いちゃって。


音楽ききながら読むなんて・・・と思って
まだ↓聞いていない人、いますよね(笑)

いいんです。

こんな重い話は、

楽しく、さらーっと聞き流しましょう。

音楽は・・・私たちの味方<メトロノーム>ですから。

たった10分ですよ。2つで。
休憩しましょう。
私なんて、書きながらずっと聞いていましたので、
1時間くらいかな?わかりませんが、
ずーーーっと、休憩していました。


素敵な月末を

皆さん、ありがとうございました!


さて、


まあまあ、休んだ?ので、


打身の練習始めよう、、、かな(苦笑)^^;


 ↓
   ↓
     ☆
  ★
        ☆ 

★ [初音ミク] 愛言葉 [オリジナル曲]



☆ DECO*27 - AIKOTOBAⅡ feat. Hatsune Miku / 愛言葉Ⅱ feat. 初音ミク:



・・・あと、10分、聴いてから、ね(大笑)^^-^^




◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html



2016.11.30
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-30 13:22 | 愛美通信☆メトロノート

愛美じーさん-自我復元後日記[123]

愛美(あび)というのは、
私の「本名」になったわけですが、

これから、踊りのシーンで、10年後だけでなく、
それまでの間、踊ってみた動画を投稿する際も、
【愛称】を決めてみましたので、それについて
今日は、書いてみようと思います。

タイトルにすでに書いてしまってますが、

【愛美じーさん】

「あびじー」です。トントントントン、あびじーさん♪

昨日、ダンスに向かう自転車で考えついたのですが、
2つの問題をいっきに解決しました。

漢字で「愛美」と書くと、女性をイメージしてしまうと思いますが、
これに、「じーさん」がついたとたん、いっきにそのイメージは修正され、
「男の人」ってすぐわかる点、これがまず一点。

もう一つは、

「ずっと使える」

という点です。80歳になって踊っていても、
何も問題ない。死ぬまで問題ありません。

それで、おーっと感心したことがあるのですが、
「足太ぺんた」さんの「足太」もまた、
とてもいいネーミングだなあって。

足が太くても使える。

高齢になって身体も太くなって
足も太くなっても使える。
食べ過ぎて、まるまるしても使える。

という彼女は、ぜんぜん、足、太くないんですが、
「足太」という名前をつけて問題があるとしたら、
「ぜんぜん、足、太くないじゃん」と言われるくらいで、
何も問題ありません。

私もまだ43歳なので、10年後、53歳になっても
「まだ、おじーさんじゃないだろ」とつっこまれるくらいで
同じく、問題なし。

さて、3つ目。

これが今日、書きたいこと。
今さっき、思いつきました。

「・・・というか、こいつ、一番、子どもっぽい(驚)」

というふうに、観客が驚いてほしい。
そんな、エンターテイナーになりたい!!!と思ったので、
「じーさん」というネーミングで、さらに!

【意表を突く】

というメリットがありました!!


「観客」と先ほど書きましたが、
これも「愛美=女性」という固定観念同様、
「観客=大人」と思いこみやすいですが、
当然、子どもも含みますし、私の目に映るのは、
大人も子ども、一緒です。

私のまわりにいるたくさんの人たち、
みんなが観客です。

10年後、一緒に踊る子どもたちも、
私にとって大切な観客です。

その子どもたちの目を丸くさせる演者を
私は目指します。

「子どもが驚かないショーは、ショーじゃない」

と自分に言い聞かせて、頑張ろうと思います。


そして、話題になって、
「あびじーの真似」が「大人の間で流行って」、
自分の子どもを驚かせられる親が一人でも増えてくれたら、
自我復元をやってきた私が、少しでも恩返しできることだと思っています。


毒親たちに、私は本心から
「休んでほしい」と思っています。


休んでよかったんですから。


少し前の話ですが、
私の職場で、こんな会話が聞こえてきました。

「わっ!」

と女の子。お母さんを驚かそうとしたのですが、
そのお母さん、

「ぜんぜん、驚かなかった」

「なんでぇ~」

「なんでかわからないけど、ぜんぜん、驚かなかった」

「じゃあ、お母さんが私を驚かせて。わっ!って」

「え~、わかっていたら驚かないでしょ。」

「驚くからぁ~」と女の子。

「・・・」

「・・・」

「あれ?」

お母さんが後ろを振り向くと、女の子もそっちを向いた。

「今、驚いたでしょ!」

なんと、このお母さん、さらに2回、
こんな調子で、3回もお子さんを驚かせることに大成功!


世の中には、誰よりも子どもな「ばーさん」もいて、
その「じーさん、ばーさん」を、ぜひぜひぜひ、


 「驚かせてみたい」


と思っています。


・・・ああ、まだ、興奮が冷めない!



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
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2016.11.29
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-29 15:10 | 愛美通信☆メトロノート

「踊ってみた人ーぉお!」-自我復元後日記[122]

さて、また今日になりましたが、

さっそくですが、みなさんに!


「何か、何でもいいので、踊ってみた人ーぉお!」


きっとなんか、踊ってくれたんじゃないかな、と
勝手に思っていますが、という私も、
今、先日ご紹介したぺんたさんの
「むかしむかしのきょうのぼく」を踊ってみました。

勢いあまって、続いて、ぺんたさんの
「夜もすがら君想ふ」も踊りました。
ぜひ、興味のある方は、こちら↓をどうぞ。

【足太ぺんた】夜もすがら君想ふ 踊ってみた【正月】

好きな動画でしたが、今までご紹介していませんでした。

今日は、「10年後の私の予定」について
投稿したい、と思います。

この、「踊ってみた」という動画ですが、
私は投稿する際は、ぺんたさんの「バンバンブー☆」が大好きなので
そちらを踊らせていただきたいと思っています。
その際は、ぜひ、見ていただきたいと思っておりますが、
その話はちょっと置いておきまして、

10年後、私は、

「子どもたちが、ラジオ体操をするように、
踊ってみたを踊れる場を作りたい」

と思っています。

それまでに私も振り付けができるくらいに
たくさんたくさん踊っていくつもりですが、
私が踊りで大事にしたいのは3つあります。


「体幹」「指先」「笑顔」


この3つです。


体幹は、自分の身体を振り子(振り子時計)のように
動かしてみる(という私のイメージです)ことです。
そうすると、楽しく見えますし、踊っている自分も楽しいと思います。
説明不足でわからないと思いますが、
「楽しく見えるのは、自分がやっても楽しいから真似してみよう」
ということでいいかな、と思います。

指先は、「自分の思い」そのものだと思います。
これは昨日仕事中、思ったことです。
自我復元で「輪郭などがはっきりとするようになった」
ということが、今までも報告文の中で書かれている方がたくさんいらっしゃいましたが、
私自身、昨日、指先までが自分、自分の思いが届いている感じを体験しました。
そして、指先、というのは、他人と触れ合う一番最初の接点です。
おおげさな言い方かもしれませんが、その接点、指先が、
自分とまわりの世界との「窓」になると、私は感じました。

笑顔は・・・

もしよかったら、やってみてください。

辛い顔をまずします。

歯を食いしばり、「い」の口をめいっぱいします。
ずっとやっていると顔の筋肉が疲れると思いますが、
がんばります。

さらに、目をぎゅーっと、つむります。
そうすると、自然と、頬や口角が上がっていると思います。
上げる気がなくても、上がりますね。

さらに、しばらくそのまま。

いい加減疲れます。

そうしたら、一番、自分が楽に感じるくらいに
顔の力を抜いてみましょう。
目も自然とあくと思います。
口もたぶんまだ「い」の形を残しているかもしれませんが、
どうでもいいので、気にしない。

そうしたら、首をまわしてみます。
首を左右交互に倒してみてもいいです。
・・・これはおまけです(笑)


ちょっと笑顔になったと思います。
ちょっとでOK。この笑顔で踊っていきたいと思います。


10年後、そういう場を作ることができたら、
今、これを読んでくださっている、
あるいは、数年後にこれを読んでくださっている読者の皆さんも、
もちろん、自我復元を一緒にしている皆さんも
子どもたちと一緒に、ぜひ!踊りましょう、踊りに来てください(^^☆



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.11.28
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-28 16:27 | 愛美通信☆メトロノート

AC人格との戦い方-自我復元後日記[121]

今日、自分の身で再度、わかったことがあります。

自我復元中も、そうでした。

AC人格と戦う時、
私が何をしていたか。

桜の間にも先日書かれていましたが、
「身体を動かす」ことです。

脳のメカニズムの視点については
私はわかりません。

むしろ、違う視点になります。

「身体を動かすことで、どうこうになる」
のではなく、


苦しい最中のとき、

「身体を動かす」

以外、できなくないですか?


いや、まず、こう感じていると思います。

身体を動かすことができないんだ、と。
それが、つまり生体反応を失ったゾンビ状態になってしまう、と。


でも、


本当は、


その苦しみの中で、


同時に、


「身体を動かす」


ことしか、できなくないですか?どうでしょうか?


私はそうでした。

今もそうです。


今、話しているのは、
効果的な運動をする、とかではありません。

苦しくてしかたがない時、

もうダメだ、と思った時、

自分の手を見て、
「ぎゅっと握る」。


私は、これしかできない、と
思うこと、たくさんありました。


でも、これなんです。


毒親が阻止しようとしたのは。


身体を動かさないようにさせること。


「身体を動かす」こと、これ自体が、
「元気」そのものなんです。


それが、元気、のことなんです。


私は、今日、これから行きますが、
さっきも、今日までに踊れるようになりたい、と思った踊りを
踊りました。練習不足で踊れませんが、動いて、踊りました。


騙された、と思って、
もしよかったら、私がアップした踊ってみたの動画でもいいので、
踊れなくても、見よう見まねで踊ってみてください。
踊るとか考えず、動きさえすればいい、くらいのつもりで
それでどうなる、とか、そんなの関係ないですから、
「物理的に、ダン、ダン、と動いてみてください」。


自我復元を再開できるはずです。


いいえ、


身体を動かすこと、それ自体が、
「自我復元」以外、何ものでもありません。


時間をかける、のは、
そこです。


やってみてください。


これは、

皆さんが私にそう教えてくれたことです。


助けて、と叫んだ私に、
見える手見えない手が、
無数に私を助けてくれました。


「動けるはずだ」と。


それでは、私は、行ってきます。



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2016.11.27
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-27 08:07 | 愛美通信☆メトロノート

今日は一緒に動画を見ませんか?-自我復元後日記[120]

ということで、

私の「休息」によかったら、
お付き合いしていただけませんか?

明日、ぺんたさんに、今度は
お財布を落とさないで、
踊りを見に行きたいと思います。

これも、とてもかわいい歌と踊りなので、
「むかしむかしのきょうのぼく」を
ぜひ一緒に見ましょう。






◆自我復元に関する資料◆

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2016.11.26
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-26 16:12 | 愛美通信☆メトロノート

3つのことを書こうと思う-自我復元後日記[119]

聴庵の方針は
3つにしていきます。

1つは、

決定に時間をかけないことです。

AC人格がもっとも苦手なことです。

しかし、それが必要です。


2つめは、

達成目標、といえばいいかわからないのですが、
そのようなものを、「低く」設定すること。

たとえば、数少ないものを、期間限定で
丁寧に丁寧に毎日磨いて保管する、とかではなく、
無数のもの、たくさんのものを、
間口をとてつもなく広くして、
「ただ、預かるだけ」です。
しかし、ちゃんと預かります。


3つめは、

私は儀式を大切にします。

儀式と祈りは同じで、
私は、預かるこの仕事は、決して、
「取りに来られること」を想定していません。

むしろ、墓地、かもしれません。

いつの時代も、私も今日もそうでした、
打身の練習一つそうです。

多くは無念に終わります。

でも、その「後がない」状態に人が立たされた時、
誰でもそうすると思いますが、
何かをそこに置いたり、何かを唱えたり、
一瞬であれば、カッ、と目を見開くなどして、
「小石」を残すはずです。

それしかできなかった・・・という思いを「こめて」です。

戦時、どうしても負傷した仲間を山に置いていくしか他ない時、
まだ歩けた人たちは、手をあわせ、祈る、その儀式に
全身全霊を、わずか数秒に投じた。


これらは、よしあしの話ではなく、
私の仕事を私が全うするために必須の事項です。


私は今自分がやっているたくさんの身体運動が
自分の中の何を育てているのかが、わかりました。


「聴く」

という特技を育てています。


誰が保管していたのかはわかりませんが、
私がたとえ忘れてしまっていた間も、
ずっと保管し続け、今こうやって
その特技の種を見つけました。


そして、これは書いておきましょう。


私は、好きで、
この仕事をしたいということ。


私の中の白い花びらは、
今、じんわりと、ピンク色に染まるように
私のこの「好き」という感情の庭そのもののさえずりを
聴いていたいと思います。



◆自我復元に関する資料◆

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2016.11.25
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-25 15:00 | 愛美通信☆メトロノート

聴庵-自我復元後日記[118]

「AC人格が刻み込んだ身体への傷は、
治るかどうかわからない」といったことをこの前書いたが、
これについて、私はこう感じ、思うようになった。

自我復元中もそうであり、
その後もたびたび「ギリギリの地点」でそうだったように、
AC人格が、たとえ、まだ解除されずにいたその時でも、
私は、逆に、その

「AC人格が刻み込んだ傷という身体反応による影響」

を受けない経験、というのをした。

これは、「麻痺」とは違って、
「その傷の痛み、反応を、打ち消すほどの痛み」のみが
唯一のリアリティーである時、正確にいえば、その「AC反応」は


「出番を失った」


という経験をしたのだ。

もっともわかりやすいのは、大風邪の時に、
ただただ痛かった時。
あれほど、静かだった日々はなかった。
静か、とは、ACが埋め込んだ傷がうずく音すら聞こえなかったからだ。


大風邪の時に限らず、
私は切羽詰まった時、それはしばしばだったが、
その度に、私は、今思えば、一時的ではあるが、
身体へのAC反応を「帳消し」あるいは「拮抗」するほどの
リアリティーに充満した経験をしてきた。

それは、明らかに、

「恐怖」「苦痛」「痛み」

それらだけが、AC人格がしゃしゃり出るのを許さない
リアリティー、現実であった。


先日も私は久々に「風邪」をひいて、
大風邪とは違い、濃度は薄い苦痛ではあったが、
苦痛という質は同じであり、今書いたことと
同じことを経験した。


さて、


いきなり、内容としてはぶっとんでしまうけれど、
では、そのギリギリの地点、それは、実は、今の今の私もそうなのだけれど、
ここで、私は、何をしているか?というと、


実は、

「聴いている」

ということが、起きている。


何かを聴いている、という何かに関心があるのでもなく、
人の話を聴くとかの聴くでもなく、また、知覚、感覚としての
聴くという意味でもなく、

「存在を聴いている」

という状態、あえて存在を、と書いたが、
わざわざ書くこともないものであり、
それは、「聴いている」という私の状態そのもののことを言っている。

それは、精神の在り方、とか
つまり、「スタンバイ」ではなく、
私の脳の中に仕立てられた、


「音楽ホール」


のようなものなのだ。


音楽、というと、音という対象をイメージしてしまうのだけれど、
あくまでもイメージとしてはそうであり、
聴く対象を音や何かに限定するホールではない。


これは、


つまり、桜の間でも何度か登場した、
脳の中の、球体の

「休息所」

なのだ。


中心で聴く、ということを
崩残さんからアドバイスを受け、
自我復元中もやったことがあったが、
今、このことが、私の大きな関心事である。


というのも、関心の理由は2点あり、

1つは、

それは、未来、
私の「職場」になるだろう、ということ。
金庫番、その「ずっと、預かるその職場」は、
この、休息所そのものなのだ、ということ。

もう1つは、

AC人格が埋め込んだ傷、その身体反応は
「根治」しないかもしれない、と、仮にしても、
その影響を受けずに生きる方法があるかもしれない、
つまり、「身体的傷の苦痛には、身体的苦痛を」というのは
やり方の一つではあるけれど、それは、荒療治であり、
脳がしっかりとして意識を持ちながら、身体的な苦痛に満たされる
という、静寂に、必ずしも、今、巡り合えるとは限らず、
では、どうするか、というと、

・・・ここは、説明できないのですが、
ここ数日、いつも、ここに戻ります、
それは、「聴く空間を脳の中に作ること」です。

それは、

決して、未来、何かを期待するような雑音ある場ではなく、
「聴く」という行為は、私が思うに、
「ただただ、休む」ことです。


私は、今、とんでもなく忙しいです。

5分刻みであれこれ対処しているようにすら感じますが、
その「5分」を私はどう過ごすかを自分で決めることが可能です。

その「5分」を、私は、休んでいます。
楽器を弾きながら、ブログを書きながら、歌いながら、仕事をしながら。

次の「5分」も私は休もう、と思うのです。
むろん、それを忘れてしまう、いそいそしている時もありますが、
出来るだけ、今、私はそのことを思い出そうと努力しています。

話はそれますが、
私が育ててきてしまったAC人格、調教され、訓練されたAC人格にとっては
とても苦手なことでした。


しかし、今、


忙しい、ことを、「休んで」います。
忙しく、休憩している、ともいえます。


それは、「聴く」という休息法なのです。


この状態は、AC人格による身体的攻撃と拮抗するほどの
苦痛や身体反応にまで出るほどの恐怖心をもって、
AC人格からの影響をシャットダウンさせた時の状態だと思います。

ただ苦しい時、

私はただ聴くことしかできませんでした。


今日のブログは説明としては
とても不十分で不親切になってしまいますが、
私自身が試行錯誤している最中の経験でもあるので
さらりと読み通していただければと思います。


ただ、言いたいのは、


ACが刻んだ傷からの影響は
治らないかもしれない、と言ってしまいましたが、
私は、そんなことはない、という思いがしています。

解除後、AC人格がこの身体に残した傷は
「傷」そのものはたとえ残ったとしても、
重要なことは、その傷を刺激しなければいいことではないだろうか。
それは、先にも書きましたが、麻痺とは違います。
「拮抗するだけの状態を、自分で作り出す姿勢」のことだからです。


もちろん、私は、
身体的苦痛であがらう手段を否定しませんし、
私はその経験あって、今までやってきましたし、
それは、苦しくても、大変に静かで、不幸の無い経験です。
ですので、桜の間で以前書かれておりましたが、
脳が正常に機能しながら、身体的苦痛に満たされたままの状態という
「正気」は歓迎すらします。


この、今日のブログが何が不親切かというと、
私が自我復元で経験してきたことは、
100%、苦痛でした。
苦痛、恐怖、恐怖というのは身体反応にまで出るもののことを言います、
これらだけが、AC人格とギリギリ渡り合えるだけの正気を保つ要素でした。

でも、私が今、自分が進もうとしている、
ここで話していることは、



「身体を痛めてまで、やる必要はない」


ということです。


ただ、休めばよかったのでした。

でも、これは、今だから、言えることなんです。


あのギリギリの「身体的恐怖と身体的苦痛」という
不幸不在状態の際、は、その時もそうと自覚できたことでしたが、


「本当に、休めた時」


だったのです。


AC人格がずっと支配していて毎日が
途切れた時間だったのです。


さて、進みましょう。


私は、今、何も読者の皆さんに親切なブログを
書いているわけではありませんから。


私は自我復元線の「一車両」として
やることを、やるのみです。


私は、


「聴庵」


という、脳内音楽ドームを作ってみたいと思います。
(何度も言いますが、音楽、というのはイメージです)


私が今取り組んでいるすべては、
身体運動です。

打身も、ダンスも、合気道・居合も、
歌も、仕事での踊りの発声も、編み物も
どれもが身体運動です。


少し前の話ですが、
小学校の舞台でのダンスの本番の後も
続いて、商店街での本番があり、
私は、どちらも、「ソロ」を10数秒、やることになりました。
といっても、私が踊れないのを知っていて、
「新入りは、暴れればいい。そういうもの。行ってこい!」
と言われ、ありがたい機会だと私は感謝しています。


私は、外でのソロの際、
一つだけ決めて臨みました。

「ダンスの音楽を聴こう」

と。というのは、私は、その前日に
音源を教えてもらってその音源でソロの練習をしていた時、
私は、自然に体が動く自分が、面白く、驚いたからです。

何も踊れないし、振り付けもない。
完全に即興だけれど、身体がぴったり動くんです。


そう、


「即興」


です。即興とは、予定調和でないものです。

といえ、本番、こういう動きもしてみよう、と
あらかじめ予定していた振りもあったので、
音楽なんて無視して、それをやってもみたのですが、
面白かったのは、アドリブで隣の人が私を突き飛ばしてくれて
それから私は地面を合気道の後ろ受け身のように転がり、
それからです、私は、ソロの最後の「音」に「ぴったり」に
観客に向けて「両手のピース」でキメていたのでした。
それは、計算してできるものではなく、


「聴いていたもの」


が、身体を通して出てきた、ものでした。


昨日も思いましたが、
私は、「聴く」のがどうも得意のようです。
人の話を聴く、その聴くではなく、
音楽でもいいのですが、「聴く」です。

しばらくぶりに聴いたCDがあったのですが、
私は、まるでその歌手が私として映り、
頭のなかはライブハウスか小ホールのように
音楽は鳴り響いていました。

それは、ただその出来事で満ちていて、
「私が、音楽を聴いている」という感覚はないのです。
そこで、コンサートが起きているのを私は体験していました。


そういうこともあって、
いろいろな最近の関心が重なり、
今、「聴く」「休憩所」について書いてきました。


そして、私がなぜ、聴庵という休息所で
その人の大事なものを預かる仕事をしようとしているか、というと、
私の中で、それは、自我復元という生き方の中で
経験として知ったことなのですが、

この宇宙と拮抗できるのは、
たとえば、その人が大事にしていた「小石」一つだからです。

私は、そう、実感しています。


今日のブログは、破片だらけになってしまいましたが、
今思うのは、私自身が、やはり、
「聴き休む」という在り方に慣れていかなきゃいけないな、
ということでした。


ということで、今日のブログはここまでです。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.11.24
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-24 16:09 | 愛美通信☆メトロノート

その人が大事にしていたものを預かる仕事-自我復元後日記[117]

さっき、私はこんなことを考えた。

「では、その降りた地で、自分は何をしたいかな?」

そうすると、こんなことをしたい、と思った。


【その人が大事にしていたものを預かる仕事】


「ポイント」は、「ずっと預かること」。

もちろん、その人が受取りに来られたら
お返しするのだけれど、私のほうから

「いつまでに取りに来てくださいね」

とか、

「そういうものは、預かりません」

とか、野暮なことは言わないで、

その人がその時大事にしていたものならば、
理由を問わず、金庫番としてお預かりする。


お預かり=死守する


仕事である。


たとえ、その人がある日「いらねえよ」と言ったとしても
私はそれをずっと預かる。
たとえ、その人がいつか「そのもの自体を忘れて」しまっても
私はそれをずっと預かる。


これは、利他的な仕事ではない。


私は、利他的な仕事は、もう、
やめようと思う。


自我復元で私が一番心に刻まれた事実は、
「自我というものが、乱暴に扱われたこと」だ。


希釈自我であることよりも、


AC人格であることよりも、


私が無視できないでいる歴史的事実は、
「自我が忘却されるという事件」であり、
むしろ、実は、私は思うのだけれど、


希釈自我やAC人格が問題となった
「全体から見れば稀なこの時代」に
奇跡的に、自我の存在を思い出せた。

なぜなら、
「大きな犠牲を伴って、多くの人間が
不幸感という、経験しなくてもいいものを
経験させられたから」だ。


AC人格が、完全に黙る自問がある。

それは、

「自我復元を、どうしてやめるんですか?」

どんな質問にも捏造できるAC人格も
これには答えられない。

なぜか?

これが、最大のパラドックスなのだが、

自我あっての、AC人格だからだ。

希釈自我もそう。

自我あっての、希釈だからだ。


自我復元を本当にやめられては困る、けれども、
自我復元をやんないでほしい、という
ガキのようなわがままを、AC人格は言い続けている。

AC人格それ自体は、何一つ、ユニークなこと、
主体性のあることはできない。
自我があるから、それを馬鹿にし、拒絶し、
「俺様は違うんだ」とやっていることは
自我復元者は、みんな、経験し、知っていることだ。


私は、そうやって「俺様は」といって
大事なものを手放した奴のことを味方をするほど甘くない。
そんな奴に、あなたが最初に大事にしたいとして
手にしたものを、簡単に渡さない。

預かるのはあなたのためじゃない。

あなたが手放したそのものに対するあなたのその乱暴な扱い方を
私は許したくないからだ。


私が死守したいのは、
「あなたがそれを大事にしたことがある」という記憶と事実だ。


私はそれを、保管し、大事に預かる。


自我復元は「始めたことこそ」が重要なのは
そのためだ。


自我を預かる、という話をしているのではない。
もちろん、私はこの今の地球の残りの人生は、
そのための基礎力をつけるためにも、
「自我」を大事にするし、大事に預かりもする。
それは、残りの人生での仕事のメインかもしれない。

だけれど、預かるものは何でもいい。

ブログでかつて書いたように
格闘した時にはいていたズボンのボタンでもいい。
それを預かってほしい、と言われたら、
私は、金庫に、ずっと保管しておく。

「ずっと」

だ。

親というのは、
本当は、「ずっと」という安心を子どもに約束できるだけの

そう、

それは、私は真の犠牲心とも言いたくない。

「反逆の精神」

である。

親は、子どもの前に立ち、
敵に「殺してみろ」と言える盾である。


そして、私が親なら、
私は子どもにこう言って息を引き取る。

「(あなたは)もう大丈夫だ」

と。絶対の大丈夫をこうやって親から知る。


・・・というか、今、ふと思ったのだけれど、
こういう仕事を、誰かがこの宇宙でやっているんじゃないか?

ならば、私は、

その仕事に応募しよう。


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
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2016.11.23
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-23 16:11 | 愛美通信☆メトロノート

贅沢な旅-自我復元後日記[116]

私が乗った、そして乗っている
この「数百両」からなる列車。

以前、私は自我復元は総力戦、と書いたことがあるけれど、
総力「線」という名前の列車でもある。

これも書いたことだけれど、
自我復元は、私は、
「始めたことこそ」が重要だ、と揺らぎない思いがある。


今日、私が書きたいのは、
私にとって、この列車の旅は
贅沢な旅であることです。


私は、この列車に乗っていこう、
そう思った時、未来の路線を変えた。


次、私が降りる駅は、
「地球」ではないかもしれない。


この列車に乗っていったら、
どこに到着するかはわからない。


昨日、夜、私は
「みんな」と「さようなら」を感じた時、
涙が目の奥に出てきて、寂しさを味わった。

もしかしたら、いつの日か、
私が「ここで降りるね」とホームに足を落とし、
この自我復元という数百両のみんなの顔を見た時に、
感じることなのかもしれません。


そんな旅を私はしていて、

これを

私は、

「贅沢」

だと思ったのです。


だって、

ずっと、みんなに依存してきたのに、
ここで降りたくなったから、とか言って、
振り向いて、はっと、その時、寂しさまで感じて・・・


これを贅沢と言わず、なんと言えばいいでしょう?


でも、私は、

その贅沢な旅を

したいんです。


歌い、踊り、奏で、編み物をし、
私はこの地球での沢山のお土産を両手に持って、
そのいつの日かの駅の改札を出ていくと思います。


これまで生きてきてくれたこの身体に
これから私は出来る限りのことをしてあげたい。


この自我復元という総力線の中は
暖かくて、明るい。

私は、今、自分の身体を
「どうぞ」と柔らかいシートにご案内し、
「さあ、行きましょう」と言ったところです。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
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2016.11.22
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-22 08:03 | 愛美通信☆メトロノート

嫌いって言うな!-自我復元後日記[115]

昨日一日、私は、自分の中の一つの感情を再生させるために、
ずっと見つめていた。

「好き」

という感情を。

桜の間で、6つの感情があるとして、
「喜」「怒」「哀」「楽」そして「好」「恐」があげられている。

今の時点で、
私が取り戻した、取り戻しつつある感情は、
このうちの、3つ、

「恐」「楽」「好」

自我復元を進めていくうえで、
私がどうしても麻痺から目覚めるために再生しなければならない感情は、
まず、「恐怖心」だった。

怖い、という感情。

だから、私の自我復元は、
毎日が恐怖そのものだった。

その地獄そのものだった毎日で
私が知っていったのは、
「やりたくないことは、やらない」
ということだったのだが、
では、やりたくないこととは何だった?というと、

恐怖に屈しないこと。

このブログのサブタイトルにあるように
恐怖によって、自分を裏切らないことだった。


自我復元後、一年かけて私が取り組んだのは、
毎日という実践のなかで、

「やりたいことを、やる」

ということでした。

ブログを日刊にしよう、とし、
それから、数日、私は、一つの決心をかためた。

それは、私がこれから生きていく「指針」として
私がいいと思っていること。

それが、今日のブログのタイトル、


「嫌いって言うな!」


言うまでもありませんが、
他人とか関係なく、私自身が言うな、という自戒を
絶えず、持とう、という決心です。


下ネタの話になりますが、
私は、先日だったかな、
オナニーをしたい、主任のことを想いながらしたい、と思って
しよう、する、と決めてし始めた時、
明確に理解したことがありました。


「ああ、私は、主任と、SEXしたいんだ」


と。一緒にデートしたい、とか、
今度のジャズの演奏会に誘いたいな、とか、
そんな、遠まわしなことじゃなくて、ただ、私は、
彼女とセックスしたい、彼女の身体目当てだったんだ、と気づいた。


別な話になりますが、
いつも違和感があることがありました。

たとえば、ぺんたさんの動画を見たい、と思うとき、
「なんとなく見たいな」というようなモチベーションによるものは
すっごく、嫌な気持ちがした。


このことが、ずっと一日、
頭から離れなかったし、離れてくれなくてよかったのですが、
至った結論があります。結論というか、決心、自戒です。


「好き、好き、好き、、、!!!!って好きだるまになるほど
それに没頭したのかよ!!本気で好き、好き一色になるほど好きにもなる努力をせず、
簡単に嫌いって言うな!!!」


やりたい、その気持ちも自分で強く育てようとしないのに、
やりたくない、とか、嫌い、とか、
私は、甘すぎる、と思った。

好き、とは、好く、という
能動的なものなんだ、って。

何が好きか嫌いか?・・・寝ぼけてる場合じゃない。
それを好きになるのなら、「好け」!

はっと思った。

6つの感情の中に、
「好」はあっても「嫌」はないことに。

それもそうだ、と。

嫌い、など、無いんだ。

嫌い、など、好きな気持ちを手放した言い訳なんだ、と。


私は、今、一秒、一分を全力で生きようと頑張っている。
その時、体験のあらゆる対象に向ける情熱は

その情熱、

情熱とは行為だ、

それをしている、ただその実直さに基づく実践それだけが、

「感情」

そのものであり、あえていえば、

それは、「好き」という感情だろうけれど、

私は今日、2つの踊りを起き抜けいきなり踊りながら理解したのは、


感情、に、


「どの感情か」


など、そんな判断、ひたすらな行為の中に入り組む余地、あるか?


 な  い


感情とは、その体験そのものだ。


今、私この瞬間死んでも、私がやるだろう、と思ったのが、
起き抜けにこの二人のこの二つの曲を踊ろう、という意志だった。

それを支えている「自戒」が
「嫌いって言うな!」という決心だ。


もう一つ、私が、自我復元中もその後も、
いつも取り戻したいと思い、取り戻し、
大事に育てている一つの感情がある。


「楽しい」


だ。


オレンジの花は、ドライフラワーになりながら、
一輪挿しの水とともに、今なお、窓際にいる。

私は、それを見る。


「楽しい」


それを感じる。


自我復元中、辛くてしかたがない時、
私が感じたのと同じものー「楽しい」。

それは、まったく、同質のものだ。


私は、これを大事に大事にしていきたい。


それでは、最後に、
私の「大好きな二人」の「大好きな二つの踊り」と、
好き、っていえば、で思い出して、
さっき、あらためてこの踊りを見て、
「これ、好きだなあ!」って、見た、その踊り、
全部で3つになりますが、ご紹介します。


★愛川こずえさんの「『プラチナ』-shin'in future Mix-」




★足太ぺんたさんの「バンバンブー☆」




★足太ぺんたさんの「好き!雪!本気マジック」





・・・


最後に、誰よりも私は声を大きくして言いたいこと。



自我復元、「大好き!」




◆自我復元に関する資料◆

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2016.11.21
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-21 16:31 | 愛美通信☆メトロノート