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もう一つの「今日」-自我復元後日記[107]

10月31日という今日、
まさか、もう一つ、記事を書くとは思いもよらなかった。

ぺんたさんのイベントに出かけた私は、
まったく、最も予想しないトラブルに遭遇した。

急いで駅に向かい、駐輪場で財布を取り出そうとした時、
まさかの、財布が無かった。
忘れたのではない。落としてしまったのだ。

今まで生きてきて、財布を落としたのは
始めての体験だった。

もちろん、無一文なので何もできず、
私は家に戻りながら、財布が落ちていないかを
血眼になりながら探した。

見つからない・・・

家に戻り、紛失による被害防止の措置を素早くとり、
家にも無いことを確認し、懐中電灯を持ってまた駅に向かった。

通った道をくまなく探した。

駅に着き、まず、交番に紛失届の手続きを行うことにした。

今日、楽しみにしていたイベント。
このためにいろいろ調整したのに、
こんなことが起こるとは、まさか・・・だった。

家に戻り、始めての経験だったので、
最低限のことは対処したことを落ち着いて考え、
それからネットで自分では気づかないことがあるかどうか調べた。

一応、これで今日は大丈夫そうだった。
ときに不安が襲ったが、冷静に考え、後は明日以降、
対処すれば大丈夫なことを確認した。

こんな悲しいことが起きるとは
思いもよらなかった。

でも、私は、不思議な体験をしていた。

自転車にのり、血眼に探しながらも、
この今までしたことのない始めての体験を味わっていた。

イベントに行けなかった悲しみよりも、
財布を必死に探す今の自分、それこそが、「今日」だったからだ。
こんな31日になるとは・・・と思う反面、
もう一つの31日、それはとても今日を味わうのにふさわしい体験に
私の心は穏やかだった。すっごくがっかりもしたし、財布を無くしたショックと
紛失したものを悪用されたらという不安もあったけれど、
それでも、私の「今日」は、これが「今日」だった。

落ち着いて対処すれば、大丈夫だ。

そして、私は、イベントのことではなく、
今、やるべきことを確認した。

手元にわずかながら所持金があったから、
まず、今日、私はティッシュなどの生活用品を買おうと思った。
こういうこと、日常のことだからこそ、今のような時だからこそ、やろうと。

そして、食事をとろう、と。
夕食のための食材を買いに行こう、と。
スーパーに出かけた。
道に財布があったりはしないか・・・と諦めきれない気持ちを抱きながらも。

こういうことが大事だった。

一つ一つ、やろうと。

洗濯も今日したいと思っていたのだから、やろうと。
今、洗濯中で、ご飯も炊飯中。
私は、今日のこのことも、書こう、そう思って、
PCのスイッチをつけて、書き始めている。

私は、そう、こうやって
「元気」なのだ。

母が自殺をした時、誰にも言えないで苦しくて、
そう、自我復元の時に辛い時、誰にも言えなくて、
そういう日々を思い出した。

今日のこんなトラブルでさえ、
私は、とても悲しかった。
誰かに大丈夫だよって言って欲しくなった。

でも、もう、その必要は私にはなかった。

なぜなら、これが私の人生だからだ。

この一日は誰の一日でもない。

私が経験している「かけがいのない一日」なのだ。

今日のトラブルを、私は、妨害とは思わない。
といって、行かないのが正解だった言い分も捏造するつもりもない。

私は、この一日を、どんな一日であっても、
大切にしたい。

姿勢を崩さない、とはそういうことなのだ。

洗濯をし、ご飯を炊き、
買い物に行き、必要な処理をし、
過剰な不安に妄想する時間を費やすことなく、
やはりこの今日というもう一つの一日を書こう、
そう思ったら洗濯の間、ご飯が炊けるまでの間、
この大切な、私の一日をここに綴ろう。

これが、

私の「姿勢」なのだ。

正直、今日は寝てしまいたい、と一瞬思った。

それでは、姿勢が崩れてしまう。

私は今、

いつでも、笑える。

その状態にあるのを、私は知っている。

これが、姿勢の自覚なのだ。

いい体験をした。

ぺんたさんのイベントに行って踊りかったよ、本当に。

でも、その一日は、私には無かったのだ。

それは、悲しい。ならば、悲しめばいい。

でも、11月、当初予定していた次の時は、
私は、お財布を落とさないよう、
もう少し落ち着いて、焦らず、家を出よう。

きっと、いい出会いになるだろう。

わからない。未来のことは、本当はわからない。
まさか、今日、財布を落として行けなくなるなんて
思いもよらなかったように。

でも、日常の積み重ねを私たちは生きている。

悲しみもまた、私が経験したことだ。

ショックや不安も、私が経験したことだ。

その中で、それでも、私は自分の身体のケアをしていかねばならない。

なぜなら、私は、

やっぱり、

今日、笑いたいからだ。

笑ってこの日を過ごしたいからだ。

昨日、体調を崩していたけれど、
今日、持ち直したのは、その前の日に今までなら「まあいいや」で済ませていた
気温の低下に備え、近くのガソリンスタンドまで灯油をもらいに行き、
部屋をとても暖かくしたからだ。

水分補給も十分ではなかったけれど、
とるように心掛けていた。

私は昨夜、仕事から戻り、
今日に備えて、風呂場で髪を切った。

「ハロウィンなのでよかったら仮装して来てください」

と、今日、ツイッターに書かれていたけれど、
ハロウィン用の何かは持っていなかった。
そうだ、雪国旅行に行ったときのツバ付きのハットを持っていこう。
私は鏡の前に立ちかぶった。「ん~、せっかく、髪切ったのになあ」と思いながらも
迷ってる時間なんてない、と、リュックにハットをとりつけて
家を急いで出た。戸締りをしっかりして。

まさか、財布を落とすとは
最も考えられない出来事だった。


こんな、素敵な一日、あるでしょうか☆


ブログを一心に書き、よし、とワクワクして出かけ、
猛烈にショックを受け、悲しみ、不安にもなり、
それでも、よし、と姿勢を正し、買い物をし、洗濯を、
自炊をし、紛失による被害防止の対処をし、
またブログを書いている。

今日は、ゆっくりお風呂に入ろう。

洗濯も終わったみたいだし、
Yシャツにアイロンをピシッとかけて
明日の仕事に備えよう。

ご飯は温かいお味噌汁も作ろう。

残り36分が、今日という一日のクライマックスだ。

打身で最初に教わった曲は
「出発」を意味する打身独特の曲だった。

もう一つの今日。

それは、もう、出発している。

駅から、もう、列車は出ている。

走っているその列車は、私に他ならない。


楽しかったよ、


今日一日、


ありがとう!




◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.10.31
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-31 23:36 | 愛美通信☆メトロノート

笑いたいという強い思い-自我復元後日記[106]

今日、この10月31日という日に、
このブログにどうしても書きたい、今、そう思っていることは
一つだ。

自我復元をやってきて、本当によかった。

本当に、よかった。

こんなにも自我復元が大好きで、
大好きで、大好きで。

大好き、大好き。

もう、これだけなんだよ。

10月31日、2年前のこの日、
私はPの妹Mと金銭的な清算を済ませた。

翌日、母は自殺した。

その次の日の午前、私は弟Bからのメールで
母が自殺をしたことを知った。
自転車で合気道に向かう途中のことだった。
私は、その足を止めなかった。

昨日、私はその同じ道場に午前中向かった。
体調を考慮して稽古はしなかったが、
10月からの半年分の会費だけは納めたくて
道場に向かった。


毒母が、私に埋め込んだ最後の自己同化を
私はとうとう見つけ、外した。

自転車にのっている時だった。


それは、「声」だった。


女性のような声だった。

子どもに語りかける時に、優しくささやくその声の出し方だった。

私は、その自分の声を「好きだと思いこみながら」
しかし、とうとう、私は、実はその声こそが、強い違和感の元凶であったことを
発見した。

私は、子どもと触れ合うことを
ずっと躊躇っていた。
なぜ、躊躇うのかわからなかったが、
子どもと触れ合うことに違和感を感じ続けていた。

その違和感は、私の声の出し方だった。


私は、自分に胸がないこと、
男性の性器がついていること、
これに違和感を抱きながら、しかし、それでも許容できたのは、
私の声だけは、「女性らしくあれた」から、
だからだったのだ。


かつて私は、子どもと触れ合う時、
自分の声が救いだったのだ。
私は女性のように、まるで母親のように
その子どもたちに話しかける時、私は満足だった。
遠くから子どもの名前を呼びかけるとき、
「お帰り」という時、目線の高さをあわせて笑いかけて話す時、
私は、自分が女性のようであれた。

職場で会う少年にも
私はその濁った目と声を
触れさせてしまったことに嫌悪を覚えた。

死後、私はもしも次に生まれてくるとしたら、
まず、「女性」という単語が頭によぎることは
ずっとわかっていた。

自分の女性像を、これでもかこれでもかと
外してきたけれど、まだ、残っていて、
なぜ、この自己同化が外れないのか、わからないままだった。


それにとうとう、決着をつける時がきた。


私は歌を習い始め、強烈に実感したことは、
「腹から声を出していない」ことだった。
のどで声を出そうとしている。
これは、発声の基礎的なこととして、私のみならず
歌を習わなくても誰でも知っている初歩的な躓きなのだが、
私が痛烈に実感したのは、

「これは、もしもAC人格のままだったら、
絶対に理解できない」

という理解だった。

どんなに発声練習をしても、誰に教わっても、
一生かけても、腹から声を出すことは不可能だ、と理解した。

理由は明白だった。

つねに、物事はそうだが、
本人が腹から声を出したいと本気で思ってなどいないからだ。
腹から声を出したい、その強い思い、言い換えれば、
それを邪魔する何かがあった時に感じる強烈な嫌悪こそ、
何としてでも腹から声を出す-それは「叫ぶ」というが-その思いにつながる。


私は、昨日、
自分が今まで出していた「その喉声」が、そのカラクリの理解とともに
一気に、嫌いになった。

それで気づいたのだ。

私が、「私はまだ女性でいられている」という自己同化を
支えていたものが、この「喉声」だったことに気づいたのだ。
これがなぜ、嫌だったか?
それは、どこにも「生きているもの」が無かったからだった。

子どもに語りかけるシーンを妄想し、
また、女性の歌をきくシーンを妄想し、
あるいは、女性と付き合い、語り合う場面を妄想し、
素敵な女性を見つければ、私もああでありたいと妄想し、
こうやって、私は自分が女性である、という自己同化のために、
女性を利用し続けてきた。


そして、深部に残っていたのが、
女性のように話せる、歌える、出せる、と思っていたその
「声」だった。


完全に自己同化していたのだ。


この声の自己同化に気づかぬまま、
この女性像は今日まで生き延び、そこからの妄想を可能にし続けてきた。
結果、私はどうしても「女性」という妄想に憑りつかれ続けた。


しかし、ようやく、私はこの元凶の種、
自己同化の核を見つけた。


ここ数日、私は仕事中の声が違っていた。
どもる問題とはまったく違う立ち位置におり、
私の声は、「明瞭」だった。
明瞭とは、強く、はっきりしている、という意味だ。

そして、ここに至るまでには
このブログにも書いてきた通り、
自分の中心を「腹」に落とすことがポイントだった。

もちろん、脳の中心でも私の声は
性別を超える。性別以前の声であり、その意味で中性的な声であった。
それは、今までも体験した出来事ではあった。

しかし、今回理解したことは、
この問題解決の本質は、「腹」が恐怖で委縮したままの状態、
この長年の身体問題をクリアするかどうか、だったのだ。

結果から言えば、

「声」の「主人」が、今までは「喉」の位置にいた、

ということ。

脳の中心の技法により、私はそれが違和感であることに気づいた。
ただ、この違和感を解決するための身体的課題は
実は、「腹」に残されていたのだ。


皮肉にも、この「腹」は、腎臓、胃、腸、という臓器がある場所であり、
2月末から7ヵ月に渡り、死にかけた身体の箇所だった。
鍼灸師に一度電話で教えてもらったことがあるのだが、
この状態は、東洋医学的には、「胃気虚」「脾気虚」というらしく、
私の「舌」のまだら模様はまさにその表れで、その方の書いた書籍によれば、
腎臓は、父母から受け継いだ気が蓄えられる場所、その気を「元気」といい、
先天の気と呼び、体の気はこの元気をもとにして、
脾胃の働きにより飲食物から得られる気(水穀の気)と合わさり、
肺に上り、呼吸により空気中から得られる気(清気)と合わさってできる、ということ。
(参照:『古典に学ぶ鍼灸入門‐原典に親しむ‐』新村勝資・土屋憲明共著)


自我復元を成し遂げる、というのは、
過去の臓器の役割を変えることなのかもしれない。
親から受け継いだ機能を殺すことかもしれない。
中心に休む技法、過去のAの技法、口中香も含めて、
これらは、私にとって「呼吸」のメソッドとして機能した。

言い換えれば、この「呼吸」が、腎臓、胃腸、脾臓、これらの
「作り変えを支えていった」ように感じている。
作り変わる、というのは、一度、死ぬことでもあるから、
この7ヵ月間の病気とのやりとりは、必要だったと自分でも感じている。
そして、今、「腹」に意識の中心を落としてこれるようになったのは、
腎臓、胃腸、脾臓、という消化器官、まさに生きるために必要な臓器が
物質的には死を免れて、機能し始めた、ということだと思う。
むろん、先天的な臓器機能、毒親が埋め込んだ「役目のための臓器機能」の死を通過し、
しかしまだ「この身体で私は生きたい」という強烈な意志の行使が
臓器機能を回復させてきたのかもしれない。

2月末からそれを7ヵ月、意識し続けた。

そして、私は、呼吸という視点から、
「腹」に中心を置き換えた。


「声の呪縛」の発見の背後にあったのが、
この7ヵ月に渡る身体改造であったのだ。


私はもう女性である必要はない、
母親のようである必要はない、
そのことが自我復元でわかったにも関わらず、
外れなかった「女性というしつこかった自己同化」は、
私の身体に隠れこんでいた「声」、正確にいえば、
「声の出し方」にあった。


この声では、歌は歌えない。

「私に出来なかったことを、あなたにさせてやるものか」

母親の代理復讐だ。
母は自分の声、感情の声、本来の声、これを出せないまま、
「叫ぶ」ことがとうとうできないまま、母は死んだ。
届かなかった自分の母親への声だ。

この声、この声の出し方の毒が
私の身体の深部、「腹」に埋めこまれていた。


私が好きだった歌、歌い方、
それが、私は、昨日、はっきりと
「大嫌いだ」と自覚した。

同時に、私は、

「自分の声」を発見した。

それは、やはり、

性別以前の「叫び声」だった。

腹から声を出す、この、子どもの時から
本当は失わず持っていてよかった声の出し方を
私は「選んだ」。

性別以前、という意味でそれは中性的で、
自動派生していた「女性への囚われ」も消えた。

今日、私は、実は

私の好きな踊り手さん、ぺんたさんの踊りレッスンが開催されるので、
11月になる前に、この催しに参加しようと思っている。

「Calc.」という踊りをぺんたさんが教えてくれて、
それをみんなで覚える、というイベント。

私はぺんたさんの「バンバンブー」という踊りが大好きで、
この踊りを一番に覚えようと思っていたのだけれど、
私が踊りの動画をアップする時はこれにするとして、
この数日、がんばって、この「Calc.」を自分なりに覚えた。

私は、このイベントに参加する。

ぺんたさんのようにありたいから、ではない。

私は、私の踊りを踊る。

私は、Calc.の歌も覚えたい。
今度、この歌を練習しようかなと思っている。

そして、私は、私の歌を歌う。

いつか、ぺんたさんと踊れたらいいな、と思っている。

でも、憧れからではない。

私は、これからは、
私は私として、他人と接していきたい。

この数日、辛かったなあ。

体調だけじゃない。

でも、私は、姿勢を崩さなかった。

合気道のおじいちゃん先生がいつも言う、その「姿勢」。

姿勢を正す、そう、姿勢は正すものなのだ。

なぜ?

私はそれを自分で体験した。

「私は笑いたいんだ」

どんなに苦しくても、どんなに倒れそうでも、
どんなに意識が薄れても、どんなにそこが生きるか死ぬかの瀬戸際であっても、
そこで、私は笑うことを忘れても、笑えなくても、それでも、
私は、私には、「意志」がある。


笑いたいという強い意志が。


笑いたいその時に笑えない姿勢は
私にとって正しい姿勢ではない。


姿勢とは、私はこうやって生きたいんだ、という踏ん張りざまのことだ。


私は決心した。


「笑おう」と。


笑う姿勢で生き、笑う姿勢で死に、
また、笑う姿勢で生きる。


何度も思った。


私は必ず笑う。


その時、笑えなかった時のことなんて
どうでもよくなってしまうことを。


でも、それは、


私は、自我復元という生き方をしてきたからだ。


私は自我復元が大好きだ。

大好きで大好きでたまらない。


私が、そう声に出して「好きだ」と叫ぶ時、
今日書いた毒親の話など、消え失せてしまう。


それでいい。


消えてしまえ、毒親!
汚してほしくないよ。


10月31日は私にとって命懸けの日だった。
そう思いながら、今日をずっと見つめてここ数日を過ごした。

そして11月。

昨年は、11月2日に自我判定依頼をし、
11月3日に全自我判定をいただいた。

今年の今日は、
私は、私の踊りを、好きな人と踊る。

好きな気持ちも、誰にも汚させない。

私は、歌う。

私は、踊る。

私は、打身を「掴み折る」ように強く打つ。

仕事では、大きな声で、強く声を出し、
畳一畳を踊り尽くそう。
そう、仕事用にもまたあの靴屋さんでシューズを買ったんだ。
ダンス用のを。だって、仕事中はダンスだから!

これからも合気道で姿勢を学ぼう。
おじいちゃん先生は、今、体調を崩している。
また一緒に居合をしたい。教えてもらいたい。

昨日、合気道の会費を払うことで、
これから春までの合気道の道が開けた。

初身の刀袋がほつれていたので、
さっき、私は皮の袋を針と糸で縫った。
これだけはしかたかった。
茄子紺色の柄巻、これをまた必ず振ろう。

刀剣油で刃を手入れし、
鞘の入り口も刃を傷めないように、再度、油で拭いた。
また、これを必ず振ろう。

そして、

子どもと、これから接していこう。

私は、私の声で君たちと接しよう。

これら、すべてを
私はやめない。

私はもう選ばない。

選ぶことをするのではなく、
そこを生きることをする。

そして、今日のこの投稿の最後に、
私は、ギリギリまでこの身体を見守った。
この数日、無理のないように、と。
睡眠をとり、食べたいものを食べた。

私が、もう捨てたりしないのは、
この私の、新しい身体だ。

この地球を生きる乗り物。

それは、この私の身体だ。

「姿勢を正す」

おじいちゃん先生、元気になってね。

一緒に、刀法、やりたいから。

よし、あと少しの時間だけど、

踊りの復習をして、

それから、

打身を掴み折るように強く打ち、

行ってきます。



◆自我復元に関する資料◆

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2016.10.31
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-31 16:45 | 愛美通信☆メトロノート

鎖編み-自我復元後日記[105]

2週間ほど前のことになりますが、
始めて、鎖編みをやってみました。

鎖のように網の目がなるので、きっと
鎖編みというのだと思いますが、
やってみると、その通りで、
もうそれ自体、編み物!という感じで、
2メートル近く、どんどん、編んでいきました。

新しく買った鏡の高さが180cmなので、
「その長さまで編んでみよう!」としたのが最初。
・・・その前に、実は、失敗作。

編み物をされている方はよくわかると思いますが、
最初、私は、糸玉と糸の端を「反対」にしてしまい、
どんどん編んでいこう、と思ったら、
10センチ足らずで、

「あれ、終わっちゃった??」

という失敗。でも、この最初の作品は、記念に打身に結んでおくことにしました。
最初の作品は、最初、というだけで、かわいく思えるものですから。

初心者は最初は、太めの糸がいいですよ、と本にはあったのですが、
本より先に、糸とかぎ針を買ってしまったので(ダリアのコースターを編みたくて!)、
細目の糸で挑戦。細くても糸を小指に少し巻き付けると滑らないので、
そうしています。

一番感じたことは、
「今の自分の身体にとてもいい」
ということでした。

何を編むか、というよりも、
編んでいく行為それ自体がとても落ち着きます。
それが、心理的に、というのではなく、
身体的に落ち着く、というのがよかったことでした。


私の身体に、いいんです。


編んでいる時も、編むリズムに関心が向きました。
「ここで力を入れて、ここで抜いて・・・」
編み物も私にとっては、身体運動なのかもしれません。

鏡の高さまで編むぞ!と目標を立てなくても、
私は、編み続けたと思います。
逆に、止まらなかったかも・・・です(笑)
2メートルって、1時間程度で初心者でも編めました。

10メートル編んでも、きっと、楽しいです。
私はそういう編み物をしているのが、自分でわかります。
次は「細編み(こまあみ)」というのを覚える予定です。

今、私は、面白いことに気づき始めています。

歌を歌っても、打身を弾いても、
踊りを覚えている時も、なにせ、
「できないことばかり」なんです。

でも、そのできないことを「不満」に感じている、
この感覚を大事にしたい。

というのは、なのが不満なのか?
ということなのですが、それは、決して、
「できないこと」が不満なのではないのです。

「身体がもっと気持ちよくありたい、なりたい。
なのに、力んだり、ひるんだり、不自然だったり、
そのもどかしさに、私は、すっごく不満なんだあああーーーー!」

ということなんです。

そして、もっと大事なことは、
今、私は、この不満だらけの毎日、というか、毎瞬間の連続に
私は決して「元気を奪われない」ということ。

なぜなら、私は、

「不幸ではないから」だ。

私は、決して、不幸になれない。

不幸など、どこにも見当たらない。

また、最近思うのは、過去や未来、というのも
私には、まったく、リアリティーを感じない。
はたして、そんなのあるんだろうか?と本心から思う。
過去はあるのだろうか?未来はあるのだろうか?
・・・無い。私は即答する。だって、どこにもないから。


今ここに、何も問題が見つからない。


問題が出るとしたら、
「問題があるかもしれないぞ」
という思考習慣から、何かをやらなくなることだ。


やめてしまうこと。


やるのを遅らせてしまうこと。


私が、今、大嫌いなのはそれらだ。


「問題はない」


これを私は怖がらない。


それは不要な恐怖心だ。


不要とは、リアリティーがそこにないことだ。


「行動に次ぐ行動」


私はどんどんやりたい。


そう、


「どんどんやりたいんだ」


だから、私は、最近、

ただ、どんどん、次から次へとやっている。


「元気を失う」ということに対して、
私は、これを、絶対に許さない。

元気を失う、ということほど
不快なものはないからだ。
不快、とは、自動的、という意味だ。
自動的なものは、ことごとく不快だ。

元気、というのは、
自ら作り出すものだ。
歩き続ける力だ。
追い風であろうと、向かい風であろうと、
私のこの一歩の主動力は、私が一歩を踏み出そうとする意志に他ならない。

だって、もしも、自動的なものの浸食を許したら、
私の人生って、何なの?
なぜ、そんな支配に甘んじていられるの?
それは、不快でしょうが?
不快なことは、そのままでなぜいいの?
不快なことは、大声で「嫌だ」と言いたい。
私は、そうやって生きて生きたい。
それは死んでも変わることじゃない。

不快なものは、不快。
嫌なことは嫌だ。


「どんどんやる」

というのは、100%、手動的な試みだ。


自動的なものは、自動的に「やめるように」させることしかできない。
追い風に依存すれば、歩かなくなる。
向かい風に依存しても、歩かなくなる。
結局、「歩かなくなる」のだ。

風と自分との折り合いなどつけなくていい。
歩こうとする自分と、歩かなくさせる風と折り合いなどつくはずがない。

私の宇宙像はそれだ。

宇宙と私と折り合いなどつけなくていい。

どう考えても、折り合いなどつかない。
というか、「どうにか考える」という強迫観念かつ自動的な思考習慣自体、
折り合いをつけねばならない、というどこにも根拠のない押し付けなのだ。

やめさせようとする力と
やり続けようとする力は拮抗して当たり前なのだ。

だから、「反逆の生」なのだ。

元気、というのは、
宇宙という毒親が、全生命から「奪ってやりたくて仕方がない」
その一心、代理復讐を満たすために作られたものかもしれない。
極論、殺すために生んだのかもしれない。
いや、毒親の実態は極論でもなく、その通りだった。
殺すために生んだ、といっていい。

でも、私は、

生まれた後も、生まれる前も、

私は私という魂だった。

親が私を生もうが生むまいが、関係ない。

それはこういうことだ。

私の40年は無駄だったか、というと、
私はどこにも無駄はなかった、と、今は言える。
リセットしたけれど、無駄だったからではない。
過去40年のみならず、それ以前の生もまた、無駄ではない。
無駄、という概念自体、まったくリアリティーはなく、
私は、ずっと、私だった。

でも、やることは一緒だ。

殺すために生まれた生であろうがなかろうが、
それは、言い換えれば、全自我で生まれようが希釈自我で生まれようが、
やることは同じなのだ。


嫌なことは、嫌なのだ。


その気持ちを誤魔化さないこと。


宇宙はこう私に言う。


「オレは元気を奪われたんだ。だから、お前からも奪ってやれ」


「嫌です」


としか、私は言わない。


何度も言うけれど、


私は、


やめない。


毒親は、どの規模であっても、
「やめさせること」しかしない。


邪魔させる者が「いない」今、


私は、

そう、


どんどん、


やるんだ。


今月もあと数日、

私は、全部、やるつもりだ。


つもり、じゃなくて、



「やる」


のみ。



◆自我復元に関する資料◆

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2016.10.29
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-29 12:33 | 愛美通信☆メトロノート

結果のイメージ-自我復元後日記[104]

イメージをする、といった時、
私は、今、何かのプロセスを、でなく、
「結果」をイメージするようにしようとしている。

そして、結果、というのは、
いつも「爆発的」で、私はそこに「感情」を感じる。

向かう、のではなく、
今、それを体現している。

そこには、くまなく、
「全て」がある。

私の毎日の挑戦は、この「全て」の要素、
私にとって「事実」として現存する一つ一つが、
「全て」という傍観から、密度が薄まってしまいたくない。

私は、今、「身体」が「一つの物質」として、
バラバラになっていないで、ムラのない塊のように感じる。
そこに「私」という感覚、私という感覚への関心はない。

「結果」を
この身に受ける準備があり、
私の関心はそこに集約されている。

私の正体は、「貪欲一心」だ。

そこに、「他者」「他」が入りこむ余地がない。
それは、私がその余地までも全部使って、
私がこの生でできる全てを「し尽くしたい」からだ。

といって、

私は「私」という虚像を描くことに
時間を使いたくない。

そうしようとすると、
私が全てを体験、知覚できているできていないに関係なく、
体験対象の事実全てに出くわす。
そして、思うのだ。いや、戸惑うのだ。

何に戸惑うか、といえば、
「全て」という、これもまた、虚像に
私は、気づくと、「私」という虚像を描いてしまうことに。

私は、感情を生きている。

それが、こういう虚像たちに
強い違和感を覚える。

私の言葉は、感情を書く。

くぐり抜けていくしかない。
いや、その感覚に、すでに違和感がある。

私は、くぐり抜けている「今ここ」にいる。

結果を猛烈にイメージしたいのだ。
それは、結果以外の妄想の侵入を許したくないからだ。
だから、結果を生きようとする。だから、結果を強くイメージしようとする。

死後、向こうの世界の管理者に
「どうだったか」と訊かれたら、私は過去を振り返らない。
訊かれたその時、「今どうか」それだけで私の関心は占めるだろう。
それは予測ではなく、結果を生きる当然の延長として、そうあるだろう。

感情は、どこかの時間に囚われているものじゃない。

今ここに、現に体感しているものだ。

いつも言うけど、私が一番嫌なのは、
「元気を失うこと」だ。
なぜ、感情より、何かが優位に立つんだ?
私にはそれが、今、許せない。

私はこうやって生きている。

私はこうやってずっと生きたい、と思ってきた。

「どうでもよくないもの」とは、
私にとって、唯一リアルなのは、違和感だ。
私という感覚でもなければ、幸不幸でもない。
そんなのは、違和感の説明にしかならない。
斜に構えている時間など、一秒も残されていない。

貪欲一心、だ。

ぎっしりこの生を埋め尽くす、というのは
そういうことなんだ。

隙間なんて作らないんだ。

子どもたちは、そういう「際」を必死に生きている。
私も子どもたちの中の一人だ。
事実から目を逸らさぬよう、必死に生きている。
適当さに甘んじないよう、堕ちないように、
彼らの目は、いつも真剣だ。
それを裏切らないように、いつも自分に言い聞かせ、
そうやって生きようと必死なのがよくわかる。

ダンスをやっていて、
中学生になった子どもたちもその顔はいつも必死だ。
ダンスに必死、というか、堕ちないように必死に踏ん張っている、と見える。

何度かこのブログにも書いた職場によく来てくれる男の子は
ほぼ毎日来てくれて、私に会うのを楽しみにしてくれている。
私を見つけると、いつも、「いたよー」とお父さんに楽しそうに伝える。

ある時から、「また明日ね」とその子は毎日言うようになり、
ある日、私は、「明日はお休みなんだ。あさってね」と答えた。

まだ幼稚園の子どもには
明日、明後日、という時間感覚は微妙でおそらくわからない。
ただその子には、「会えない未来がある」という残念さだけが残る。
それがわかりながら、でも、明日いないのに「明日ね」とは言えない。
会えない未来は、あるからだ。

それからその子は、またねーと元気に言った後、
「明日、お休み?」と訊いてくるようになった。
昨日も、元気に帰ったと思ったら戻ってきて、不安げな顔で
「明日、お休み?」って。

「明日?・・・お休みじゃないよ」と優しく声をかける。

すると、子どもはいつもそうだけれど、
それで一喜一憂したりはしない。
子どもはいつも、「会えない未来という現実」と闘っていて、
私からの答えを訊いた時は、全身の力を使い尽くしている。
そこに笑う余裕なんてないんだ。

明日また会える、ということ以上に、
「会えない未来という現実」と闘った後、それは
一日の終わり、精一杯生きたその日の眠りにつく時のような瞬間を体験している。

私は、11月から
地域のサポートを利用して、
子どもと接する時間を少しずつ、作りたいと思っている。
可能なら、幼稚園の送迎から始めたい。
短い時間ながらも、そこには、「お帰り」という瞬間や
「手をつないで歩く」大切な時間があり、遠くで遊ぶ子を見守る時間がある。
そして、長いブランクのある私、また、新しく生まれた私が、
安全に子どもを守ることを学び直すためにも、
まずは、地域のサポートシステムを利用してみようと思っている。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.10.27
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-27 14:38 | 愛美通信☆メトロノート

自分のブログに立ち寄ると・・・-自我復元後日記[103]

自分のブログに立ち寄ると・・・

なにか、書きたくなる。

今、そんな思いで、思わずログイン。

なにか、書いてみようかな。

私、今、目の前が細かい砂粒でいっぱいの毎日で、
その砂粒というのは、「たくさんのいろいろなこと」のことで、
どれを見ても、何をしても、その一つ一つが生き生きしているから、
エネルギーに満ち満ちている。

胸がいっぱいになる。

まるで手におえない。

でも、その「手におえない」感覚を楽しむように、
今、私は毎日を生きています。

手のひらに、どさっーと日常という砂の川が流れつづけ、
指の隙間から、「わ、わぁ~」という感じでこぼれおちるけど、
手に残る数粒の日常、出来事、体験の、たったそのいくつかが
自分の今日のことだと思いながら、また、今日もまた
そのような一日を過ごすことを、今から楽しみにしている。

未来、子どもと触れ合う時、
私は、彼らの肩を両側から強く押さえるように、
目を見て、こう言うだろう。

「しっかりしなさい」

と。

そして、言います。

「世界は信頼に値する。誰がなんと言おうとだよ。」

と。

私とは、世界とは、他人とは?

私は大きな声で、堂々と伝えたい。

それは、あなたがはっきり描かねばならない、と。

だから、言います。

「しっかりしなさい」

目の前は崖、今、ここに立ちなさい。
立っているじゃないの?

昨日、寝る前に考えていたことがあります。

私にとって、どうでもよくないものは
何だったのか?

それは、「こうしてみたい」という思い。

それがどんなに些細に思えても、
本当は、私は、絶対に手放したくなかったものだったこと。

私はそれを大切にする。

この頃、寝る前に、そばにある打身の弦を
夜中、私のそばで聞こえるくらいに軽く弾いている。

美しい音色。

今日、これからこれを思いっきり弾く。

この一粒の砂が、私の手の上を占めている。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.10.23
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-23 14:00 | 愛美通信☆メトロノート

忙しい毎日です!-自我復元後日記[102]

前の投稿から、はや一週間経ちましたが、
毎日、大忙しです!

10月の終わりから11月の頭にかけて、
というのは、一昨年も、昨年も、波乱万丈でした。

昨日は、歌のレッスン、それから、
はじめて、ブッククラブ回さんのショップに行ってきました。
赤いピラミッドが目印で、その横に座りました。

ひとつ、お伝えしたいことがあったからです。

「僕は、元気になったよ」ー

ブッククラブ回の創設者の方へ、声に出して、
お伝えしました。

そして、さっそく、崩残さんの記事がのった最新の通信を
一部いただきました。
無明庵のコーナーは、階段の途中でとても素敵でした。
階段に腰かけ、さっそく、そこで読ませていただきました。

それから、ダンス用の靴を買いに原宿へ。
ネットでも買えるのですが、
やっぱり靴なので、履いて選びたいな、と思い、
ショップに行ってみることにしました。

そこの女性の店員さんの声が、
歌の先生、T先生とそっくりで、
思わず、声を聴きいってしまいました。

それから仕事だったので、大急ぎで駅へ。
走りながら、買った靴の紙袋を片手で「カシャ」。

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仕事でこの頃変わったことといえば、
扱う機器が変わりました。
新しい機械になって、楽しいみたい!
前もこの仕事好きだったけど、さらに、楽しくなってきました。

家に帰り、靴の箱を開けて、
さっそく、鏡の横に置いて写真にとりました。

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フラッシュをたくと、こんな感じに映りますが、
実際はもう少し、ベージュっぽいです。が、
私のなかのこの靴のイメージは、これ。

ハイカットのシューズです。

ローカットでもいいらしいのですが、
ハイカットを試してみたいです。
足底裏の形状もいろいろ工夫されたものがあったのですが、
これは、従来からあるオーソドックスなもの、とのこと。

「まず、これでやってみます!」

その店員さんは、なんとなく別のものを推していたのですが、
これがいい、と言う私に、ほんわかした表情で会計をしてくれました。

「ダンス、されているんですか?」

とお訊きしたら、ちょっと驚いたふうで、

「・・・いや、私は趣味程度で」

私は笑いながら、「また、いろいろ教えてください」といって
お店を後にしました。

そんなこんなで、これから、打身の練習もしなきゃ!
そして、まだ覚え途中の踊りの振り付け。

今日は私のこの頃の日常日記となってしまいましたが、
大忙しの毎日、この調子で今月、走り抜けていこうと思います。


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2016.10.22
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-22 14:35 | 愛美通信☆メトロノート

散歩写真-自我復元後日記[101]




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2016.10.15
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-15 14:04 | 愛美通信☆メトロノート

この穏やかなるもの-自我復元後日記[100]

心細さは、もう、心細さとは認識されず、
私のなかでは、ただそれは、「穏やか」と感じている。

それは急激にそう感じ始めたのではなく、
次第に、そう感じてゆき、昨日からはずっとこの穏やかなるものは
続いている。

私のなかで、何が起こっていたのか、
昨日から少しずつ理解をし始めた。
そういった理解が深まるのは、よく、仕事の帰り道の自転車の時が多い。
夜中の1時半をまわった時刻に。

まず、私が気づいたのは、
自我復元後、正確には、「今回の生を破棄した後」から、
実は、私は、「今から、やり直している」「のではない」ということだった。

私は、今、43歳で、
43歳から、生き直そう、としている「のではない」ということだった。
43歳まで私はある道を生きてきて、自我復元を分岐点に路線を変更した
「というのではない」ということだった。

今、私がいる位置というのは、
「今までの43年間、自我復元を行ってきた今日までも含めた43年という過去」を
全て失った、という位置だった。

契約変更ならぬ、これは、
契約破棄、というやり直しの仕方であることを痛感した。

それはどういうことか、というと、
昨日私は寝る前に、こう、自覚した。

「今夜寝て、翌朝起きた時に、
自我復元をしてきたことを含めた今日までの過去の記憶を
全て失っても、私は、まったく、かまわない。」

という、明確な意志だった。

昨日、仕事中頃からも、しばしば感じていたのは、
自我復元との出会いは、本当の意味で、

「一期一会」

だった、という理解だった。

もう、私は、自我復元にも、今後、出会わないだろう、と感じた。

もっと正確に言えば、

私は、自我復元だけじゃない。
今回の「一度目」の生の契約にのっとって費やした43年の記憶を
私は、「本当にすべて忘れてしまうかもしれない」という実感だった。

自我復元もそのうちに含まれている。

なぜなら、自我復元は治療であり、
病気だったから出会ったのであり、
治療が終われば、もう、出会うことはない。

契約変更の場合にも、それは同じといえば同じだ。

だけれど、「契約破棄」となると、
私にとって、それは決定的な違いとして認識される。

私は、きっと、自我復元との出会いも、
忘れてしまう、という感覚だ。
なぜなら、本当に「過去を一からやり直している」からなのだ。

昨日から私は今いる時間(時代)の感覚がずれてしまった。
2016年だろうけれど、1980年頃のように私は感じている。
むろん、年代が重要なのではなく、30年、40年、という時間が
私の中で、完全に、戻ってしまっている。

その意味では、私は、今が2016年だ、という実感がない。

私は成人した大人という自覚も薄く、
だんだんと自分が、5歳や7歳、といった頃の身体感覚すらしてくる。
昨日から何度も思うことだけれど、今、私の目の前に展開される事すべてを
「私は、知らない」。

始めて見ている世界だから、だ。

もちろん、過去の記憶はまだあるから、
照合させることはできる。
だけれど、私に決定的に無くなったのは、
「43年間の経験の過去に、一切の関心がなくなった」のだ。
あるいは、なくなりつつある、のだ。

その中に、自我復元も含まれる。

こんなことを書くことになるとは、
今までは、当然、思いもよらなかった。
だって、私は、自我復元によって、路線を変更した、と思っていたからだ。

しかし、私に起こっていたことは、
もっと、大規模だったのだ。

自我復元は、私にとって分岐点ではなかった。
自我復元は、その実践と完了によって、その治療までも含めた43年に
終止符を打つものだったのだ。

本当のやり直し、その実感にあっては、
そこには自我復元も無い。
今はまだ記憶があるが、この記憶への関心も失せていけば、
記憶すら残らない可能性もある、と本当に感じているのだ。

43年の記憶が無くなっていく。

これは、本当だと思う。

私が昨日になって明確に理解したのは、
43年の今までの過去に、関心を向けているものがない、ということだった。
そのフリは出来ても、関心はやはりないのだ。

心細い、という感覚は、
わからないけれど、もしかしたら、
「なんとか、過去だけは無かったことにはしないでくれ」
という、亡霊の総体のようなものが、私に足止めをしようとしたのかもしれず、
「せめて、契約変更、という認識にしてくれまいか」という亡霊からの懇願かもしれず、
実際、私の一度目のその過去は、つねに心細かった。

心細い、それが事実だった。

だけれど、それを全面的に認めた時、
私には、その心細さなるものは、ただ、穏やかとしか思えなかった。

今も穏やかで、それは絶えることがない。

それは、原因としては、
過去に執着するものがない、と私が実感しているからだろう。
今ここは、1980年頃で、まわりの誰も、「今の私は知らない」。
一度目の契約の私以外の「私」を知るものは、誰もいない。

物理的にはPの姿が見えても、
またPから私の姿が見えるだろうが、
「何の接点もない」「完全な、他者。全く知らない人」

一言でいえば、私は記憶喪失になったようなものだ。
たぶん、それとほぼ同じ、と、社会では認識されるだろう。
まだ記憶はあるが、記憶への無関心さの徹底が続けば、
それは、少なくとも私にとっては、実質、記憶喪失と同じなのだ。

穏やかさの正体は、
「日常」である。

私には、今、目の前に、ただ「日常」がある。
気温も涼しくなってきて、また「ぽんちょ」を羽織っている。
おなかがすいて、ご飯を食べる。そういう日常が、ただ、穏やかなのだ。
誰もいないかのような静けさがある。

私に残っていた力みは、
「自我復元者としての私」というものだったのかもしれない。
でも、それが今はない。
なぜなら、契約を破棄し、本当の意味で子どもとして生き直す、という道に、
そこに、自我復元は無いからなのだ。

「一期一会」

ああ、本当に自我復元とは、また、医師の崩残さんとは、
「一期一会」だったんだ、と、喪失感を抱いた。
でも、やりきった後の喪失は、ただ、穏やかとしか言いようがない。

この投稿の最後に、
無明庵との出会いは私にとってどういうものだったのかを
端的に、明確に、記しておきたい。

私は、大学生になるまでの間、
毒親の元で育った。
代理復讐に煮えたぎった猛毒性の洗脳タイプだった。
私は、自我復元に出会うまで
「幸せな家庭」であることを、ただの一度も疑うことがなかった。
完全に洗脳は成功しており、完全犯罪まで、あと「1mm」だった。

大学生になる頃、親元と離れる。
そのきっかけは、Pと出会ったことだった。
つまり、私の主人が、毒親からPに変わったというだけだ。
私は、Pの世話役、あっしー君、奴隷として仕えた。
むろん、私は、そんなことにも無自覚な完全無自覚AC人格だった。
私にとって、Pは、私の「すべて」だった。

親から離れたことにより、
私は、一時、主人を失った、と感じたのかもしれない。
私は、路頭に迷い、書店をくまなくまわり、どのコーナーも目を通し、
私は刺激を求めた。そのなかで、始めて、精神世界というコーナーがあることも知った。

それが、今から、20年近く前の頃になる。
私は、無明庵の書籍と出会った。
たしか、私の記憶ではその頃は、性に関する書籍はなく、
悟り系の書籍までが揃っていた、と記憶している。
私は、それらをすべて読んだ。

何もかもを論破するその様は、
その頃の私には快感ですらあった。
その刺激だけで読み進めた、といっていい。

しかし、読み終える頃になり、
私にこれらの書物が私にドカンと残していったものは、
このメッセージだった。

「やり残したことをやり尽くすまでは、近づくな」

20年前、私は、これらの書物を一気に読み、
そして、離れた。

私は、それから20年、Pのために全力で尽くした。
それが私のすべてだったからだ。

2010年からは、この作業も終わりに近づいていた。
「Pの城」は、ほぼ完成していた。
私は慢心していた。恵まれた家庭に育ち、パートナーにも恵まれ、
もう、やり残したことはない・・・2013年にはそう思うに至った。

その「Pの城」が私の墓場になるまで、あと「1mm」だった。
今回の当初の契約の遂行は、ほぼ完全だった。
本当に、あと、皮一枚で、私は、43歳で契約遂行とのことで
この生を閉じていたと思う。

ところが、ここで、私は思い出す。

私はやり残したことはすべてやった。
そう思った時、20年、閉じていた本を開き、
死人禅をやっていないことを思い出し、
現在の無明庵の活動を知ることになる。

約半年、死人禅を実行した後、
自我復元を開始する。
その頃は、まだ、無明庵が機能不全家族の問題を取り上げていたことも、
また、性の問題を取り上げていたことも、ほとんど知らない状態だった。

ここから、地獄の3年が始まる。

私にとってPを失う、というのは、
地獄そのものだった。
生きたまま殺されることと同じ、
考えうる拷問の中でも、最大級のものだった。

その後については、このブログに書いてきた通りだが、
この「Pを失う」この地獄に、どうして私は耐えられたのか、
これだけは、奇跡としか思えなかったが、
わかったことがある。

これを最後に書いておきたい。

昨日、理解したことである。

私にとって、Pは、本当にすべてだった。
自分が死ぬことなどより、Pを失うことは桁違いに恐怖だった。
恐怖というより、考えることすらも拒絶するほどに、
私は、自分にそんなことが起こるとは、
「これだけはありえない」と思っていたことだった。

しかし、私にそれが起こった。

でも、わかったことは、
私は、たとえそれがAC人格であっても、
「Pに尽くしきった」からこそ、そこに残る違和感を無視できなかったのだろう。
Pに尽くしきった、それでも残った問題、違和感に、私は目を逸らせなかった。

無明庵とは、私にとって、
最初から最後まで、
「やり残したことはないか」を投げ続けるところだった。
ずっと、そうだった。
扱う問題が、悟りだろうが、機能不全家族だろうが、
私がくみ取ったメッセージは、「やり尽くせ」だった。

そして、今、

私は、この43年という月日とその間に出会ったものへの関心を
失っていっている。

この穏やかなるもの、目の前の日常、
私は一人の子ども、少年である。



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2016.10.13
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-13 15:44 | 愛美通信☆メトロノート

心細さ-自我復元後日記[099]

心細い、という感情を
私はずっと恐れ、ずっと逃げてきたんだな、と思った。

私はずっと、ガチガチだった。

今、私は、
心細いこの感情を、深く、味わいたい。
味わおうとすればするほど、
それは、静かで、なにより、
私がいるのは、そこなのだ、という実感があり、
安心とは、実感を伴っている、ということなんだ、と感じるのだ。

この数日、私は、混乱していた。
この混乱の原因は、リアリティーが明滅し続け、
私は、自分の認識のあまりの不安定さが苦しかったからだ。

何をしようと、
何を思おうと、
それはそのままで、この数日を過ごした。

元気でいたい、好きな気持ちを維持したい、
でも、それは、脆くも砂山が崩れるように崩れ、
あまりに、不安定だった。

心細いのが嫌だった。

・・・でも、今、とても不思議な気持ちがしている。

この穏やかで、静かで、落ち着いている状態を
私は「心細い状態」と思いこみ、なんとかしようとあがいていたけど、
これが、心細いという感情なら、この今の状態こそ、
私のいる場所の実感であり・・・ただただ、穏やかではないか?

私はどこかで、それがわかっているところがあった。

私の中で、強い違和感があった。

「私は何を語ったところで、何を考えたところで、
私は今こういう状態なのは、こうだからだ」
という説明にしかなっていない、その事実に対して、
「なぜ、私は、そんなことをずっとしているのか?」
という疑問だった。

たぶん、こういうことだったのだろう。

「今、私は心細いのだけれど、私はそれをいいとは思っておらず、
奮闘しながら、なんとか、元気にやろうと必死ですので・・・
今の自分を、誰か、許してください。」

どこかでこう思い続けている自分が
私は、不快だった。

私は、勇気をもって、この事実を、
今、認めようと思う。

今、私は、こう自分で言いながら、
猛烈な拒絶を感じた。
「認めちゃダメだ」と。

でも、私は、もう、自分が不快だと思うことは
我慢してまでしたいとは思わない。

私は、心細さを、どこまでも味わってみたい。

それが私がやりたいことなんだ。

この穏やかで、身体と親和しているこの「心細さ」に
私は、身を置いてみたい。

心地よいから、私はそう思うようになった。

私はおそらく今、
子どもの頃の感情を再体験しているのだと感じる。

この心細さが、あまりにそばにある
身近な状態に思えるからであり、
私は、今、自分が子どもの頃の自分であるような感じがしているから。
とても、それは、「幼かった、あの頃の私」のように思える。

5歳から10歳頃のイメージで、
私はあどけない顔をした少年で、
半ズボンにカーディガンを着て生活をしていたあの頃の。

この感情に出会えていることを
私は嬉しいと感じている。

不要になった「大人の目」が
寿命が尽きるように果てていくのを実感している。



◆自我復元に関する資料◆

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2016.10.12
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-12 15:24 | 愛美通信☆メトロノート

好きな気持ち-自我復元後日記[098]

T先生の演奏会に行ってきました。

ある曲を歌われた時、
それは本当に、まわりは海のようでした。
「(オフィス街のこの街が)海だと思って、聴いてみてください」
そう言って始まったその歌は、本当に、そのようだった。

3ステージあって、どのステージも違う曲が演奏された。
1時間毎、なのだけれど、演奏は1ステージ30分から40分で、
次のステージまでは、数十分、歓談のような時間。

今日、とても印象に残ったのは、
この歓談は、ジャズや音楽の話の雑談で(Jazz Barなのでお客さんも6人でした)
ギタリストの方がさりげなく弾きながら、バックに流れるジャズにあわせて
「あ、ここ、こんなことやってるんだ」とか、あれこれ話していて、
それがとてもよかった。

少人数なので、一緒に歓談している感じ。
その時間、私は踊りのことを思ったりした。
音楽もいろいろな技術や歴史がある。
踊りももっと僕は知りたいなぁっ!って。

今、私は、本当は心細い。

だけれど、確かに拾い上げているもの、
確かな手触りを、私は見逃さないように必死なんだ。

それは、今まで奪われてきたものであり、
今も私は、ちゃんと目を開いて見ないと、見逃してしまうようなもの。

それは、ご飯を食べる時もそう。
美味しい、と感じること。

さっき、生のプルーンをご飯にいれて炊きこんでみました。
食べると、甘いんです。
軽く一膳食べました。
甘いな、美味しいな、そんな、こんな気持ちも
私は、手放しちゃダメなんだ。

歓談の話を聴きながら、
私は踊りのことを考えていて、
まだ始めたばかりだけれど、随分、踊りを見たな、とか、
「メラコリ」とか「グラリア」とか略称でも、ああ、あの踊りのことだね、とか、
そうやって、今、自分が少しずつ知識を積み重ねていくことと、
演奏者のお二人が音楽経験を積み重ねていくこととが、
同じように歩んでいるようで、私は聴いていて楽しくて、
何もしゃべらないでいる時でも、楽しい時間だった。

こういったことを、私は、書いたこともないし、
記憶にとどめておこう、とすら思ったこともなかった。
本当は、これが、私の「日記」なのに、だ。

面白かった、楽しかった、
こういう、何かを好きに思う感情を
私は一度も大切にしてこなかった。

そして、どうでもいいことに、
私の人生すべては、すべて、振り回されていた。

そうだ、このところ私がとんでもなく疲弊するのは、
今までのこの「振り回され様」を、今一度、
この身体で実感しているからであり、
しかし、同時に、完全に拒絶している、からだろう。
でも、何度も言うように、この疲弊を私は恨みもせず、
また意味付けや解釈をしたいとも、もはや、思わない。

私は、自分が、今、
今自分が見るべきものを見ているのか、
それだけに関心を向けている。

私は、今日、歌を聴きながら、
「あ、この歌、歌いたいな」そんな思いで、ずっと
T先生の声を、顔を、姿を見ていた。

演奏会が終わり、お別れの頃、
「どのステージも、あれ、歌いたい、っていうのがあって、
ずっと、そんな目で、今日は見ていました」
と、みんなの中で、話したりした。

さすがヴォーカリスト!、なんて、T先生は言う。

私が打身という南米の楽器を弾いていることなどが
その場の話題になると、ギタリストの方も
「それ、大きさはどのくらいなの?」とか話をしてくれて、
最後には、こんなことを言ってくれた。

「今度、一緒にセッションしましょう」

って。ドレミしか弾けないような私は、
「頑張ります!」と言い、私は、本当に、嬉しかった。

お店を出る時には、T先生(今日は先生、というより、素敵な歌い手さんでしたが)は
「ありがとうございましたぁ!」と、両手で握手をしてくれた。

帰りの電車で、今日のことを振り返った。

「好きなんだ」

と。音楽も、踊りも、私の前に、今あるもの、すべてが
どれもが愛おしく、私はそれらが好きなんだ、って。

今日は、「私が」みんなを好きなんだ、と感じたこと。

これは、私がみんなから好かれること以上に、
私には自分で嬉しいことだった。
むろん、好かれることと好きに思うことは同じなのだけれど。

「愛美さん、今日は来てくれてありがとうございます」
という先生を、
「一緒にセッションしましょう」
といってくれたギタリストのNさんを、
こうやって他者をこれほどに「壁を感じずに」感じたことは
今までになかった、と思った。

私という存在を、ただ、優しく受け入れてくれている。
普通に話し、普通に見てくれている。
それが、私は気持ちよく感じることができたんだ。

これは、

他者が向けた私への感情のように思えるけれど、
そうではないんだ、と。
私が他者に向けた、この「好き」という感情。

人だけじゃない。

音楽も、踊りも、そして、博士君にも
私は、ただ、好きだった。

今日、演奏会に行く前に、
目の裏にたまっていた涙は、
今、私には、それは「好き」という感情の塊のように感じる。

屈辱と尊厳

そんなことを書いた。

私は、このところ、奪われたものと、取り戻したもの、
その両方を、目の前で、それこそ、麻酔無しで、
「見せつけられている」感じなんだ。

かつてなら、それは、格闘のように思っただろうけど、
今のこの対峙は、格闘とは違う。
私は、この対峙を、解消しようとはしていない。
ただ、どんな現実であろうと、
その中で、私は何を見たいのか、
その神経が失われていないことを、日々、実感したいのだ。

いや、実感せずとも、
私は、もう、始めているし、
迷わず、進む。

でも、これがこんなにも
心細いものなんだ、と。

同時に、それは歓喜するほどに
満ち足りている。

私は、今、自分の状態を
おかしい、とは思わない。
こういう板挟みのような感覚をダメなものとも思わない。

私が嬉しいのは、
今、私は、そう、やはり、そこに戻るのだけれど、
私自身が、私の親の位置にいる。

今、私の中で起きていることを
残酷なまでに、どれも見落とさず、
ただ、じっと、見ている。

その中で、私がどうしても拾いたい、
その一心なのは、

「好き」

という、それは本当にちょっとした風で消えてしまいそうに
今の私は感じてしまう、この感情。

でも、私にはわかっている。

私が今、動いているのは、
この感情だけで、ということも。

この「好き」という感情だけで、
手を、口を、身体を動かそうとしている。


・・・


夏はスイカに、随分、助けられました。

それから、イチジクやプラム、今まで
食べたことがほとんどない果物を食べました。

秋になるにつれて、この頃は柿が美味しいです。
寝る前は、消化のいいもの、と思って
柿を食べたりしています。
柿の甘さは、優しい甘さだなあって思いました。

生のプルーンは、生まれて初めて食べました。

皮は剥くんだろう、と思っていたので
剥いてみると、とても剥きにくくて。
昨日、そのまま食べてみたら、おそらく皮と身の境に旨みがあるのか、
皮のままのほうが美味しかった。

さっき、調べてみたら、
皮のまま食べても、むしろ、そのほうが一般的みたい。

真冬の頃だったから半年くらい前だけれど、
合気道の稽古の隙間に、隣接の図書館があって、
そこで「プルーンのひみつ」という小学生向けの漫画を読んだことがあって、
そこに、そういえば、「プルーンおにぎり」というのがあったのを思い出した。

それはドライフルーツのプルーンだったけれど、
生でもいけるんじゃないか、と思って、
お米一合と四分の一に対して、四粒のプルーンを刻んでいれて炊いた。

食べてみると、
ほんのり甘くて、寝る前だけれど、
おなかによさそうでした。

色も淡い紫色で、味も色も、上品です。

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◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html



2016.10.08
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-08 04:10 | 愛美通信☆メトロノート