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どらっこ宣言-自我復元後日記[077]

どらっこ宣言

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子どもたちへ

どら焼き作って、食べて、遊ぼうね。

お泊りができる子は、一緒に寝ようね。

昨日、仕事場で、一人の男の子が歩いている私に
手をつないできた。

仕事中だったから、数メートルだったけれど、
君の手は温かくて、柔らかかった。

安心して、手をつないできたね。

私は、安心して笑えなかった。
ずっとそうだった。

でも、もう、今は違うんだ。

君は、私が笑うのを、喜んでくれる。

私は、昨日、寝るまで、本当に苦しい一日だった。

笑いたい、って、泣きそうで、でも、
私は元気だったよ。

昨夜は自分が作ったどら焼きじゃなかったけれど、
自分の名前、書いてみたんだ。
なかなか、焦げがつかないんだね。やってみてわかった。

この頃、私は、思っていたこと。

これまでのこと、では、もうないんだ。

私には、君には、「未来」がある。
明日がある。

それは、誰のものでもない。

私のもの、君のもの。

明日を紡ぐのは、私であり、君だ。

今日は8月の終わりの日。

私は元気に過ごそう、と思う。


2016.8.31
あび

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by jh-no-no | 2016-08-31 11:55 | 私の生き方

「社会」へ-自我復元後日記[076]

長かった。

着陸するまで、本当に長かった。

着陸してからも、
私は戸惑っていた。

私は自我復元の道のりを思い出していた。

3つ、節目と呼んでいいところ、
それは、「懸け」だったところが、あった。

自我復元の一番最初と、
自我復元の真っ只中と、
自我復元後、このそれぞれに、3つの関門があった。

「どうなるか」本当にわからない、3つの「際」だった。

そして、今日、思い出した。

毒親が「私から」奪ったのは、
何だったのか、を。明確に。

私は、「特別な人間」なんかじゃない。

私は、その洗脳が、さっき、
とうとう、解けたのだ。

私は、「社会人」になったんだ。

これは、自我復元をやってきて、
まったく予期せぬ「最大の変化」だった。

自我復元は、
「自分を取り戻す」
と、私は思っていたし、実感もしていた。

それは間違っていた、というわけではない。

しかし、

着陸してみれば、

何がまったく「予期せぬ」事実が迎えてくれたか、といえば、
自分を取り戻す、ということは、
「拍子抜けなほどに、普通な状態のこと」だったことだった。

私は、一人の社会人になった。

2016年8月29日、おそらく時間は深夜2時頃だったろう。

私は、仕事帰りの、あの「歩道橋」の十字路を渡る時、
私は、やろうかどうか躊躇っていた5つのことを
「やろう」と決心した。

それは、猛烈な戸惑いに私自らが、
「宙吊り」になることを選択し、
数日を経て、「とった行動」だった。

昨日、今日、とくにそのピークに、
私は、実は、戸惑いのさなかなのに、
私は、「気持ちよかった」。

理由なく、気持ちいいのだ。

戸惑い続けても、ずっと、在り続けたものだった。

「気持ちいい」

しかし、

戸惑っていた。

でも、気持ちいいのだから、
戸惑っていても、どうでもいい、といえば
どうでもよかった。

でも、戸惑っていた。

自分か、他人か。

自分の世界に「閉じていれば」それでいいのか?

私は、思い出したのだ。

毒親が、私から奪ったものを。

毒親は、私を「自分の世界」という籠に閉じ込めた。

それで、私は何が「できなくなった」か?

私は、そう、これは、

4つ目の「懸け」だった。

自我復元の長い道のりで、
私が、自分独りで、成し遂げなければならない
最後の懸けだった。

これは、自我復元、と私が「これを絶対に成し遂げたい」と決めた、
その意味で、「最後の」関門だった。

自分か、他人か。

それは、自分の世界に閉じこもるか、
社会に出るか、という選択だった。


そして、


私は、


「社会」


を選択した。


でも、もう、これしかなかった。

そして、

それは、懸け、でありながら、
「飛んだ」時に、一切、悔いはなかった。


8月の終わりに向けて、

私は、徹底して行ったことがある。

「魂の殺人」を、徹底して、許さないことだった。


それは、徹底していた。


それは、私の中に残る「ゴミのソフト」を
全滅させる精神と行動だった。


そして、最後に残っていたソフトは、

「自分の世界」

だった。

それは、何か、特別なものでなければならないまま、だった。

私は、声を大きくしていいたい。

自我復元は、解毒の道、それ以外ない。

そして、毒親が、何を私に出来なくさせたか、

それを知るだけでなく、

「その真の魂の殺人者を、死刑にする」

ことなくして、氷解はあり得ない。

息の根を、本当に止め、
真に毒親の亡霊からの影響を「断つ」とは
そういうことなのだ。

そして、それが私の、この8月終わりの、
そして、それは、自我復元の「クライマックス」だった。

それは、本当に、「懸け」だった。

私が「社会」を選ぶ、それは100%、懸けだった。

ただ、私は思い出したのだ。

毒親が奪ったのは、何だったのか、を。

自我復元のカウンセリングを経験したことで、
私は、これを思い出した、といっても過言ではない。

私にとって、自我復元のカウンセリングは、
私自身が、この長すぎた道を、自分の手で「とどめ」を刺すために、
思い出す必要がある地点を、思い出すことに意味があった。

そして、これだけは、

今日、

「社会人」になったことで、今になっていえる。

自我復元のいくつかの懸け、その「際」は、
つねに、未知な「懸け」だ、ということ。

思い出しても、そこにあったのは、
「掛け声」だけだった。

ふりしぼるように、出した、声。

そこには、何の保証もない。
確信もなければ、それはまったく「どうなるかわからない」懸けだった。

なぜか?

理由は、簡単だ。

私が未知な世界だから、なのだ。

なぜ、未知か?

親がそこに「行かせなかった」からだ。

なぜか?

親が、行けなかった、からだ。


これが、「代理復讐」という真相だ。


私は、ずっと、窮屈だった。


「窮屈」という違和感から、
私のブログは始まった。そうだったね。


私は、もう、そこにいたくなかった。


籠から、私は、出た。


外が正しいから、でもなく、
美しく見えたからでもなく、
これでいい、と思えそうだからでもなく、

ここは居心地が悪く、

ならば・・・「出ない」意味がなかった。

出ない意味があるとしたら・・・

そこで思い出したのだ。

「出させまい」とした者は、誰だったのか?を。

しかし、私は戸惑った。

「自分の世界」、ここは、悪いのか?と。

だって、今、私は、気持ちがいい。

それは、非常にデリケートな表現なのだが、
自分の世界が気持ちいい、のではないのだ。
自分の世界であろうが、他人の世界だろうが、
その「戸惑いのさなかにいる今の状態」でも、
私は決して、ダメ、じゃなかったのだ。

私は、生きる、ことを選び、
そして、生きている。

迷おうが、なんだろうが、
私は、生きている。

私の生を、誰も邪魔することはできない。

そして、その邪魔されていない状態も、
こうやって日々、経験している。

それでも、私には、残ったのだ。

自分か、他人か?

自分の世界、というところにいようとするのか、
それとも・・・

これは、この最後の関門で肝心な点だったのだが、
私は、もしも「自分の世界」というものに対して、
「そこは間違っている」という価値のようなものがあったのなら、
当然だが、社会を選択した私の行為は、懸けでもなんでもない。

私は、今や、自分の世界を持っている。

軸、のようなものだ。

中心、といってもいい。

なんとか、上手く表現してみたいが、

結局、その「自分の世界」、軸、中心、を、
「汚された」ということなんだよ、毒親のバカ野郎に。


自分の世界を、私が取り戻した、
自分を取り戻した、


で、済まされない、済ましてやるわけにはいかない、
という、それほどに、影を落としたのが、毒親だった、ということ。


だから、


「死刑」


だ。


ただ、これは、恨みではない。


自分を取り戻してからも、やることがある、っていうこと。


私は、懸けに出た。


私は、自我復元者だ。

私は、この3年半以上、何をやってきたか。

「毒親が何を私にしてきたのか」

この解明をやってきた、と言っていいだろう。

私は、これをやってきたのだ。


そして、最後に、掘ったのは、これだ。


「私を社会に出られないようにさせた」


社会に出ないための理由なら、
幾万もの理由を捏造できる。

でも、私は、今や、
「理由」があって、「生きて」いるわけじゃない。


「生きている」、だけだ。


深呼吸をし、気持ちいい、と感じる。


何度も言うけれど、
今、だから言えるのだ。

懸け、とは、未知なのだ。


今だから、こう言えるのだ。


代理復讐は、させない、と。


自分を取り戻した、では、
自我復元は終わらなかった。

毒親にとって、「死」とは、
「代理復讐の完全な失敗」のことだ。


今、思い出した。


昨日、一昨日、と、
この8月の終わり、何かが起こる、と思っていた。
起こる、というより、起こす、というか、
もはや、それは同じ意味だ。

何が「ある」か、と思ったか、というと、


「契約」が終わる、こと。


完全に、契約破棄、となること。

私は、それに向けていかねばならなかった。

どうしても、そこに向かっていかねばならない、と感じていた。

私の魂を殺そうとするもの一切を、
私は、ただただ、見る、ことをし、
見ては、その殺人者を殺してきた。
殺してきた、というのは、「無効」にしてきた、という意味だ。

8月の中旬から、突然、この半年常にぶり返してきた
身体の不調が「消え」、なにより、味覚と舌の状態が元に戻り、
消化器の状態がよくなり、無理がきかない、という感覚が消えた。

自我復元のカウンセリングも、
そのタイミングで始まる。

私は、この「クライマックス」に
無意識な部分も含め、集中していた。

書も届いた。

「一期一会」だとは、まったく、思わなかった。

私は、「花」と「茶」と書いてあるとしか、思わなかった。
完全な思いこみで、「こんな花、こんな茶があるんだあ、これいいなあ」って。
私は、そういう花を弾きたいし、そういう茶を弾きたいって。

そして、

今も、それは、私には、

「花」

であり、

「茶」

であり、私は、一番、気に入っている。

自分一人で笑い話に・・・なんて思っていたけれど、やめた。

みんなで、笑ったほうが、いい。

だって・・・花って見えるでしょ?茶っていうふうにも見えるじゃない?

そんなことより、夏の空、綺麗だなあって。

しばらくブログ更新しなければ、
ぱっと開くと、いつも、あの夏空に映える書が見れるなあ、なんて思ったり。
・・・数日でしたね。これをアップしたら、しばらく、見なくなっちゃうんだ。

委縮、とは、

こういう話すら、書けなくさせてしまうのだ。

「こんなこと書いてどうすんの?」って。

私一人、この話を持って、
それでいいんだ、って思って・・・ここに残る窮屈感が委縮なのだ。


最近、経験したことから思ったことがある。


「問題など、何もない」


と。言葉遊びに聞こえるかもしれないが、事実、
問題があってもそれは問題ではなく、
問題がないのなら、それこそ、問題があることのことなんだ。

「問題がない」つまり「これでいいんだ」というAC人格にさせた
毒親のその動機とは、実は、「これは問題だ」という毒親の考えに
永遠に縛り付けるためである。

それが、嘘、なのだ。

「これは」「問題だ」と思っていたことは、
何一つ、問題ではなかったのだ。

私は、問題が「解決しそうだ」「今、その間近にある」と思った時、
それを阻止されそうになると焦る癖がある。
それによって、私は、「だだをこねる」という衝動的行動に出やすく、
これもまた、根強い癖だった。

その元凶を追ってみると、
そもそも、「問題を避けよう」としていることが原因だった。
避ける、というよりも、一つ一つこなそうとしていく癖なのだ。

「これをこなし、はい、次はこれをこなし、次は・・・」

ふと、小学生の頃、トレーニングペーパーという
自宅でやる自習用ドリルをやらされていたことを思い出した。

「今日の分は終わった」

という記憶。私の人生はそればかりだった。
今日のは終わった、次はこれ、それも今終わった、次は・・・

こなす、こなし続ける、

それが、「正解」だったのだ。

問題がある、とは、「やらねばならないことが残ってるぞ」という
毒親に埋め込まれた「指令」の言葉だった。

当然、こなす、ことで、ほっとする。
それが、正解の感覚になる。
だから、こなそうと思っていたものが、あともう少し、というところで
思い通りにいかないと、強迫的な焦りが生じ、なんとか相手にただをこねても
こなそうと躍起になる。

これを分析してから、
私は、死後、この罠にかからないためにも、
この現実世界で、訓練していく必要があると思った。


なんだか、随分、話がそれてしまったようにも思うが、
こういったことが、私の最近の大事な流れだった。

「問題は」無いのだ。

しかし、私は、ここ数日、強い、何かを感じていて、
それは、8月終わりに向かう中で・・・そう、
実は、私は、なんだか、すっごく、楽しかった。
深刻な顔して、楽しかった。

楽しい、というより、どうなるのか、
自分にもわからず、ワクワク、というか、
いい意味で、ソワソワしていて、ドキドキしていた。


今日の投稿は、本当に、好き勝手に書いてきた。


でもね、これが、本当に思っていることなんだ。


私は、5つのことを、これから
やっていきたい、と思っている。

1つ目は、衣装ケースを作ること。
段ボールで作ることにしたんだ。
今日、買ってきたんだ。

2つ目は、私は、歌を習いたい、と思う。
この人に習おう、と決めている。
私は、歌ってみたい。

3つ目は、「どらっ子キッズ(仮名)」という
子どもたちと遊ぶ会を開いてみようと思う。
お菓子も作るよ!

4つ目は、ある女性にファンレターを送ってみようと思う。
小さな団扇の裏にメッセージが書けるようになっていて、
8月の頭に書いたまま、そのまま、閉まってしまった手紙。
「好き」な気持ちを伝えたい。

5つ目は、今、苦しんでいるその方へ
サシェを贈りたい。


私の「社会」とは、そこだから。


この5つのことをやろうと決めたのが、
また、あの歩道橋の十字路だった。

仕事の帰り道の深夜2時。

4日前の8月25日も、別の十字路だけれど
その時間、素敵な出来事があった。
・・・これは、ヒミツにしておきたいな。


なんだか、もっと代理復讐、許さない、これが死刑なんだ!とか
言うテンションだったけれど、話がそれてしまったせいにはしないけれど、
言いたいこと、書きたいことは、書いたかな。

今日の投稿の番号[076]。
この数字はとても愛着がある。
私が、3年前、このブログを始めて投稿した日が、7月6日だった。

長かった、から書き始めた今日の投稿。

昨日も、というか、よく思い出す。

あの時、そう、あの時、って。

どれも思い出すと、ほんと、ひやひやする。

4つの関門に限らず、私はいつも、挑戦の日々だった。

リアリティーがない、とわかりながらも
私はブログを書き続けた。
リアリティーがない、と自覚しつつ、それでも
私は、書くのを止めなかった。

しがみつく思いだったから。
必死だった。

でも、それは、ずっとそのスタンスのまま、
今まで変わらないで続けた。

リアリティーがない、
そんなことを恐れていては、
自分を救出など出来やしない。

未知に飛びこむ、なんて、
もっと怖いことなんだし。

自我復元を始める、それ自体、
未知だったはずだ。

それは、この「出口」となった


「社会」


というのが、私にとって、
未知だったように。


社会、というのは、
私にとって、「生活」のことだった。

「私の生活」のこと。

ひどく当たり前でしょ。

でも、私がさっき体験した「当たり前さ」は
言葉の表現など褪せてしまう「当たり前さ」だった。


・・・今、書いたこの上の6行。
社会、というのは、の行からの6行だけれど、
さっき、消してしまった。

でも、元に戻した。

消してしまう、とすごく嫌な気持ちがする。
リアリティーがないと感じてしまったから、だけれど、
自分で言っておいて、やってしまったこの嫌悪感は耐え難い。


「私は何も特別な人間じゃなくて、普通の社会人になったんだ」


というあの体験の感覚がもう、消えてしまっていて、怖いんだ。


でもね、


私は、


こうやって


自我復元をしてきたんだ。


そして、


私は、


今もこうやってやっていくから、


わかるんだ。


これが、


「意志」


なんだ、と。


よし、やっぱり、ここに行き着いた。


私は、


代理復讐を完全に失敗にさせる。


毒親よ、舐めんなよ。

死に物狂い、とはこういう生き方のことだ。

私はあなたたちを殺す。

死刑だ。

逃げられない、と知れ。

代理復讐は、絶対に、させない。

「自分を取り戻したんだから、いいでしょ?」

じゃねーよ。それで許されると思うんじゃねぇ。


自我復元者の不屈の精神を


地獄の底まで


思い知るがいい。



これが、Abyの言葉だ。


2016.8.29
あび

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by jh-no-no | 2016-08-29 07:03 | 私の生き方

崩残さん、これにしたよっー!-自我復元後日記[075]

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崩残さんから届いた、たくさんの「 花 + 茶 」。

どれがいいかなぁ・・・って。

これにした、うん、これ!

撮りたて だよ。

だーれもいないグランドで、
綺麗なオレンジ色の朝日が書を照らし、
そのまま、夏の空へと高く手を伸ばした。


私はこれがいい。


だから、一番、綺麗に撮りたかった。


崩残さん、僕、これにしたからね!



2016.8.26
あび

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by jh-no-no | 2016-08-26 06:28 | 私の生き方

子どもたちと暮らしたい-自我復元後日記[074]

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これは、今日の、夕ご飯。
職場の休憩時間に食べます。
向こうに見える小瓶は、ワイルドフラワーのはちみつ。
はつみつの甘さは、私の今の身体に一番あっているみたい。

久々に、いろいろな具を入れて、
煮物を作った。

やっと、ご飯が食べられるようになったんだ。

昨日から感じていたことだけれど、
新陳代謝がよくなっている。
まるで、元に戻ったようで、
昨日は、頭痛が少ししたけれど、
これまた、久々の頭痛で、「正常」な感じがした。

仕事前、早速、今日の本題に。

こうやって、新陳代謝がよくなっていったことで、
さっき、お昼ご飯を食べていて、思った。

「10年経てば、あと、10歳、私は若返る。
また10年経てば、また10歳、若返る。
60歳になるころには、20歳の若者と渡り合えるな!」

と。じっくりでいい。私は、加齢とともに、若返る。

昨夜の投稿で、子どもと話したいな、と書いたけれど、
私が見ているのは、その「向こう側」の子どもらしさ、なのだ。

コミュニケーションや顔色をうかがってしまう、とか、
そういうことを書きたかったのではなくて、
私は、昨日、踊りを楽しむ子どもたちでいっぱいの体育館で、
私が見ていたのは、「子ども」というものだった。

今になって、だんだん、わかってきたのだけれど、
子どもから奪ってはいけないのは、
子どもが放つ波長みたいなもので出来ている「まわりの空気」を
大人の都合や暴力的な妄想で、妨害しないことなのだ。

子どもたちは、安心して、
自分の息(波長)を出しては吸っている。
その当たり前の行為は、当たり前のまま、過ごされなければならない。

私は、子どもたちと暮らしたい。

強く、そう思う。

私は、子どもたちが安心して、そこにいて、
暮らして、何事もなく、安心のまま、
朝を迎え、食事をとり、遊び、会話をし、
休んではまた何かに興味を示し、夜になれば、静かに子どもも瞑想し、
用意された布団に眠る。

私がこの頃やっている営みは、
私自身が、子どもの体(新陳代謝と呼吸)へと整えていくこと。
時間はかかっても、この「新地」で子どもとの生活を始めていく。

先日、久々に、幼児と触れ合い、
走り回り、手をとり、遊んだ。

だけれど、その間に、中学生くらいの子どもがいるのはいい。
幼児だと、ちょっと、飛び過ぎかな。
中学生の子どもがいてくれたから、私は、はっと気づいた。

ああ、私が今やろうとしているのは、
この子どもたちの暮らし、生活、身体感覚を
私は、なんとか、整えて、
私自身が、その「まわりの空気」を大事にしようとしている。

子どもたちにとって、
当たり前にある「安心の空気」、とすら認識することなく
過ごせているその安心を、私は、大切にしたい。


2016.8.24
あび

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by jh-no-no | 2016-08-24 16:00 | 私の生き方

「好き」-自我復元後日記[073]

「はっきりとしたイメージを持つこと」が重要、って書いたけど、
本当に大事なのは、

「好き」

っていう気持ちなんだ。

話したい、歌いたい、踊りたい、楽しみたい、
見たい、聴きたい、知りたい、笑いたい、

それは、全部、

好き、っていう気持ちなんだ。

「しなければならない」と「したい」というのとは
雲泥の差だ、ということが、以前、
桜の間に書かれていたけれど、それは、

生きている世界が違う。

私は、今、

私そのものが、

「好き」

そのものになっちゃった感じがしていて、

私=好き

で充満している。

私は、自分の名前が

「好き」

だったことを思い出しているような、
そんな驚き。

昨日、こんなことを思った。

ダンスのレッスンで、

体調がよかったこともあって、久々に、
すごく踊るに踊って、
寝る前、床についた時、
「楽しかったぁ」と口からこぼれたほどで、
そう口にした自分に後から感じた私は、
「本当に、ダンス、僕好きなんだなあ」って。

いやいや、書きたいことはこのことじゃなくて、

やっぱり思うんだ。

中学生の女の子とかいるんだけれど、
やっぱり、話しかけたいんだよね、僕は。

それで思った。

後から思ったんだけれど、
話したいこと、あるんだよね。

その時は、何を言えばいいんだろう、とか、
こんなこと言っても・・・とか思ったりしてしまうけれど、
でも、その「暗雲」を越えてみれば、
そこには、私が言いたい言葉があるんだ。

「その振り付け、Kちゃんが考えたですか?
すごいなぁ。やっぱり自分で踊れるからだよね・・・当たり前か。
踊ってて、楽しかったよ。すごく、楽しかった」

これを、言いたかったんだ。

でもね、私は、これから、
これをその時、その場で、言ってみよう、と思う。

相手の反応を気にしながら、
会話なんて、楽しいわけがない。

私が、その人と話したい。

そこからなんだ。

「何を」

なんて、妄想するのでなく、

「話したい」

と強烈に思ってみる。

「歌いたい」

って強烈に思ってみる。

それで、私は、

「体験」

するんだ。何かを話し、何かを歌うんだ。

それは、自分の意思であり、感情であり、
考えであり、そういうものの総体かもしれない。

でも、それは「何か」より、

「したい」

という思いを大事にする。

そうすると、「はっきりしてくる」

これが、結果的に生まれてくる「はっきりとしたイメージ」。

「はっきりとしたイメージを持たねばならない」

から始まるものではなくて、

こうしたい、しよう、やろう、好きだから!っていう
その本当の私の思いが、本当に

「創造」

という生き方をする。

それは、価値、ではない。

あるのは、

「私」

であり、

「好き」

であり、

一人、生きてよかった、と心底、経験することだ。

ありがとう

以外、ここに何があるというのだろうか。


2016.8.24
あび

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by jh-no-no | 2016-08-24 03:54 | 私の生き方

全エネルギーが今に集中している-自我復元後日記[072]

今、仕事から戻り、
早速、パソコンに向かって、
これを書いている。

全エネルギーが今に集中している。

そういう体験を、今日、している。

驚いている、のだが、
これは偶然ではなく、
私が、必死に、舵を取り続けてきた結果、

そう、

「着陸」だ、

着陸しようとしている。

この「直前」まで、
私は、ずっと、ぐらんぐらん強風で揺れる躯体の舵を
「放すまい」と握ってきた。

思えば、リハビリの巻、の一連の投稿は、
「離陸」の記録だった。

そして、

「大空」

を飛び続けた。

昨日、といっても
仕事前に書いたブログの記事だが、
そこに、私の今の境地が書かれている。

「事は、一切に関係なく、進んでいる」

私が、到着した「ターミナル」には
そう、書かれていて、そういう名前の駅だ。

時間差で、仕事中、
そこ、一点に、全エネルギーが集中していった。

いずれにしても、

私は、

今、「着陸」したようだ。

私は、ここで、今やっと、
「自我復元完了」を、自分自身で、
「決めた」ようだ。

どうしても、パソコンに向き合い、
ブログを書かねば、と思ったのは、
今日が、

「新たな、出発点」

だからだ。

「事は、一切に関係なく、進んでいる」

私は、これを歓迎する。

私が、望んだことだ。

私が、こう生きよう、としたことだ。

そして、これは、とても

「身体的」

なことだ。

2月末に身体に不調が現れてから、
半年の間、酷いぶり返しだった。

今月の頭まで、私はそのぶり返しの中にいた。

今週に入ったあたりだろうか、
回復していっている。

何が、といえば、
味覚と消化器官の違和感だ。
泌尿器の異常はほぼ消えたが、
これはあくまで私は「表面に現れた熱」のようなもの、だと
ずっと感じてきて、根っこは、腎臓、胃腸の異常にある、と
感じ続けてきた。

かつては一日、3合のお米を食べられたのに、
この夏は、一日、0.5合のお米以上は、
胃が受けつけなかった。
お米を食べない日のほうが、はるかに多かった。
肉も食べられなくなり、しかし、
結果、胃腸、腎臓に、負担は減らせたかもしれない。

数日前だったが、
半年以上ぶりに、
「ご飯が美味しい」と感じたのだ。

まだ一週間以内なので、ぶり返さない、とは断定はできないが、
少なくとも、非常に「よい」感じになってきている。

その流れをつかむように、
先日、私は、念願の「サシェ」を作った。
そして、昨日、残りのレースとリボンで、
さらに、3つのサシェを作った。

私は、ここ数日、悩んでいたことがあった。

「歌」を私は、習いたい、と考えていた。
習うのなら、この人、と決めている。

着陸直前の竜巻のようだったが、
私は、今日、一つの結論に「到着」した。

「やればよく、やらなくてもよく・・・」

私は、こうやって、妄想の一切を
薙ぎ倒してきた。

私から元気を奪うものは、
問答無用に、私は、薙ぎ倒した。

だから、当たり前なのだ。

私は、今、どこにいるか?といえば、
「エネルギーのるつぼ」だ。

エネルギーがごった煮になっている。

「事は、自覚の有無関係なく、進んでいる」

私が、思っているのは、これだけだ。

カウンセリングの開始も、このタイミングだった。

「カウンセラー」という「別人」など、どこにもいない。
私自身が「体現者」だからだ。
それは、どこまでも本人だ、という意味だ。

私は、自我復元を「始めた」。

自我復元の大きなステップが、この「開始」だ。

そして、「やめなかった」。

それは、自我復元を「始めた」とまったく同じことなのだ。

始めて、やめなかった。

これと、同じことを、私は今日、今、
体験しているにすぎない。

この身体に、エネルギーは集中している。

子どもの元気、これと同じ。

どもる、ということと向き合い続けたことは
本当にいい経験だった。

どもり続け、なんとかしようと必死で、
そして、私は、この身体を「解放」した。
委縮から、なんとか、脱出しようとした。

打身の経験が、これを助けた。

元気に、大きく、力を抜いて、
そして、何より重要なのは、
「はっきり、イメージを持つこと」。

そうだ、一つ、これは書いておかねばならない。

7月末に、私は、打身の先生の演奏会に行き、
私は、ある女性の「弾き語り」を聴いて、
私は、その人が「好き」になった。

・・・この感情にも、相当、揺れた。

だけれど、今は、明確にこう言える。

私は、今、どこにいる?

私は、「今」を生きている。

ただ、それだけだ。

私が、今日、今、ブログに書いたことは、
これだけを書いている。


「やっと、着いた」


2016.8.21
あび

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by jh-no-no | 2016-08-21 03:32 | 私の生き方

魂の再生の物語-自我復元後日記[071]

自我復元者のカウンセラーを始めて、
私は、今、すっごく、ワクワクしている。

なぜなら、今、すでに、
私は、燦然と輝く魂を目の当たりにしているからだ。

今回、初めての体験になるけれど、
私は、この生で、これから無数の、その輝く魂と対話することになるだろう。

それは、私が計画していることだ。

たくさんの子どもたちがいる。

そこには、無数の魂の再生の物語がある。

それはもう始まっている。

自覚の有無関係なく、開始されている。

私は、今、

「行動」に次ぐ「行動」の生を、本気で生きている。

それもまた、私の自覚の有無関係なしに、
事は進んでいる。

待ったなし、の瞬時を私は体験し続けている。

「やる」のみ、である。

反逆の生、だ。

たとえば、私は、昨日、今日、
こんなことを、朝、している。

寝て起きる、というのは、
身体的な現象なのに、ふと目覚めると、
「頭」が自動的に動き始める。

誰も頭に動き始めてくれ、と頼んだ覚えはない。

だから、私は、軽く手を握り、
腕や、顔、肩、足、胴体、要は、身体のあちこちを
とんとん叩く。

頭が目覚める必要はなく、
身体が、寝て、そして、起きていけばいいだけだ。

これを行う、という意志、選択、
というのは、まさに、反逆以外、何ものでもない。

これが、私の生き方だ。

私は、たくさんの魂の再生を見るだろう。

この地球で、私はこの仕事をまっとうする。

私には、聴こえてくる。

「ありがとう」

が。

それは、誰からのありがとうでもなく、
私自身が放つ声、

「ありがとう」

になる。


2016.8.20
あび

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by jh-no-no | 2016-08-20 16:04 | 私の生き方

闘いのサシェ-自我復元後日記[070]

自我復元後日記、70回目、
この、晴れやかな回に、
これをアップしたくて、大急ぎでさっき作りました。

「花の紅茶」と私が呼んでいる大好きな紅茶の
「紅茶くず」で作ったサシェ、匂い袋です。

タイトルに「闘いの」とあるように、
私がこの紅茶くずを、堂々と、そして、
こうやって、晴れ舞台に登場させるまでには
熾烈な闘いがありました。

茶葉製造者との熾烈な闘いでした。

これは、私が社会で、他者といえる他者と
本気で闘った初経験でした。

私は、闘う人間です。

そして、それは、つねにACとの闘いと同じ、
毒親との闘いです。私の内にいようが、
身近なまわりにいようが、面識のない遠いところにそれがいようが、
毒親の亡霊は、闘いの末、
私が、己の尊厳のために最後まで手を止めなければ、
必ず、こう言います。

「もう、話したくない」

そこを見届けること、
これが、私の自我復元です。

素敵な画像をアップします。

闘いのサシェは、「ミルクティー」のように、
この世のものとは思えないほど、
驚くほど、美しい色味でした。

d0331270_1551015.jpg

真っ白なレースとリボンを、茶葉から出た液に6時間漬けます。
色止めに、塩を入れただけです。

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乾燥後の様子。なんて綺麗なんだろう、と特に思ったのは、
液から出して水ですすいでいる時でした。またやりたいな。

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お茶パックに入れます。「紅茶くず」というのは、茶葉製品そのものではなく、
製造過程で出来てしまう主に茎の部分で、飲料には適しません。

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レースを中央で折り合わせます。

d0331270_15595287.jpg

持ち手を作って、真ん中で蝶結びにしたら完成。

d0331270_162448.jpg

「闘いのサシェ」

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ミルクティー色の宝石のようです。

2016.8.16
あび

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by jh-no-no | 2016-08-16 16:09 | 私の生き方

輝きの打身-自我復元後日記[069]

注文してから3ヵ月、
職人さんの手で作られた打身が、遠い国から届いた。

楽器には、その国の花が彫刻されている。
私が望んだ彫刻で、とても美しい。

どの彫刻も美しく思えたが、
正面上の彫刻の花が、好きだ。

「輝きの打身」

そう呼びたくなる。

なにより、音が素晴らしい。
低音は深く、高音は煌びやかで、
全体として、そのバランスは心地よく、
私が弾きたい音を奏でるのに、
理想的な打身だった。

8月9日は、この輝きの打身を受け取った日。

最近の出来事で、
一番嬉しくて、今もワクワクしていて、
早く触りたい。

今は、「茶」のほうの曲を練習中。
血が沸き踊るリズムの曲だ。

「花」も弾きたい。

今聴いているが・・・

音楽の世界を私は今、楽しみ始めている。

本当に美しい。

聴こえている音が美しいのではなく、
聴いている私が美しいのだ。

見えているものが美しいのではなく、
見ている私が美しいのだ。

見る、という行為は、
それで完結していて、
見る対象を選ばない。

子どもが美しいのはそのためだ。

そして、私こそが、
永遠の子どもとして、今、ここにいる。


2016.8.14
あび

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by jh-no-no | 2016-08-14 15:23 | 私の生き方

子どもの目-自我復元後日記[068]

このところ、私が強く感じていることを
書きたいと思う。

子どもの目ほど、恐ろしいものはない。

それは、私にとって恐ろしいのではなく、
宇宙、万物にとって、それは恐ろしいだろう。

「ただ、見ている」

のだからだ。

私は、最近、これをやっている。

脱力して、これをやっている。
いや、それは簡単ではなく、
心身の力みに自覚的になりながら、
こう思う。

「子どもは、決して萎縮などせず、見る」

これは、当然の行為なのに、
これをさせず、「親の目」に誘導し、
その親都合の見方で自分を見なければならない、と
植えつけたのが、毒親だ。

脱力、というのは、
打身の自主練でも中心テーマだが、
私の、自我復元後の生き方の、中心となっている。

脱力をし、

そして、見る。

これは、私にとっての、「中心の技法」である。
自我復元後に、私自身の経験から編み出し、
直面する現実の中で、私は中心に休んでいる。

生きる、ということに
私はずっとこだわり続けて、今までやってきた。

しかし、この「見る」という行為は、
私の感覚では、生きている、という実感の前にあるもの、
生きている、というのが認識内容だとすれば、
「見る」というのは、私という主体の行為そのものなのだ。

「私は、生きているんだろうか?
それとも、生きていないんだろうか?」

はたして、私は、生きるために、
「見て」いたのだろうか?

子どもたちは、「生きたい」と実感し、
そのために、「見て」いるのだろうか。

職場で、昨日、一人の女の子が商品を見ていたと思ったら、
ぱっとそこを離れ、走り出した。
私は、その子の目が、そこから、あっちへと動いていく、
ただそれだけに見え、子どものやっていることは、
このように、「見ている」ということなのだと思った。

静止していたその子の身体が、突然、猛烈な速度で
向きを変え、走り出した姿は、とても「しなやか」だった。

「見る」

という行為を、私は貫いてみたい。

見ることをするのに、記憶はいらない。
判断「材料」はいらない、ということだ。

これが、使い物にならない、という真意だ。
過去の判断「材料」は、どれも不要である。

見る、という、脱力。

それは、どんな恐怖も見る。

自我復元で、私は、

「苦しいことこそが、楽しいことであること。
これを忘れたら、生きることを選択した意味がない」

生きることに意味がある、のではなく、
私には、見ること=生きること、に思える。

私が生きているか、生きていないか?
という疑問と、私は、ここ数ヵ月闘ってきた。

でも、明確だった。

私は、生きている。

この目が、見ている。

誰の目でない、私の目が、見ている。

「見ている」

という姿は、誰にとって恐怖なのか?

この脱力の中、中心に休む中に、
どんな不自由があるというのだろうか?

この自己の中心に、誰が入ってこれるというのだろうか?

私自身が、「見る」ことをやめない限り、
「見る意味」を、外部の他者にすがって求めたりはしない。

結局、「どう生きたらいいの?」と
誰かにすがるその姿勢が、毒親を選んだのだ。

どこから逃げたかというと、
「生きている」現実から逃げたのだ。

私は生きて、見ている。

ただそれをしている事実から、逃げた。

「これでいいんだろうか」

というACの癌ともいえるこれは、
猛毒の不安だ。

今、私は、見る、脱力してみる、という
生き方をしている。

子どもそのものだ。

私は、「休んでいる」ことを実感する。

濃密な時間だ。

そしてそれは、そのままだ。

これ以外は、今の私には、
どれもが、本心とはかけ離れたものにしか思えない。


2016.8.08
あび

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by jh-no-no | 2016-08-08 22:03 | 私の生き方