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(後半)「口中香」という生き方-自我復元後日記[034]

(前半)「口中香」という生き方-自我復元後日記[033]
の続きです。

・・・

続いて、性の問題に、悩みながらも
今の今まで取り組んできたことを、
この投稿の最後に書きたい。

口中香の紹介のその記事の中に
「ブラシ」の紹介がある。

このブラシのことを調べようと、
私は、販売元のサイトを閲覧していた。

その日、気づいたら、ブラシどころではなく、
「ウィッグ(かつら)」そのものに、囚われた。

以前、私は、女性のような髪型にしたい、と思って
美容室で、ある女性が写っている雑誌を持っていって、
「こんな感じにしてください」とお願いしたことがある。

それは、ボーイッシュな女性の
ショートの髪形だった。

そういうこともあって、最初、そういうウィッグをクリックし、
モデルの女性さんと自分を重ね合わせていた。

しかし、本当にこういう髪型が好きなんだろうか?と
ふと思って、他の髪形のウィッグを見ているうちに、
私が、本当は、「これいいなあ」と思っている髪型を見つけた。

自分でも、今まで、考えたこともなかった。

なんと、前髪がパッツンで、ソバージュばっちりボリュームたっぷりの
長い髪の、そういうのがいい、って思ったのだ。

フリフリの、それこそ、秋葉原にいそうな
メイドさんだよ、って感じの。

すっぽりかぶれるフルウィッグ。

私は、すごく欲しくなった。
ブラシのことが、どこかに飛んでいってしまうくらいだった。

本当に悩んだ。

本当に買おうかと思った。

私は、それをつけて何をしたいか、というと、
女装したい、とか、それを誰かに見てもらいたい、というのではない。
完全にそれ女装だろ、と言われればその通りなのだが、
私がやりたいのは、たとえば、その長い髪を手ですいたり、
ポニーテールのように後ろで結わいたり、そう、そういうしぐさをしたい、
両手で髪をまとめるしぐさをしてみたい、それこそ、ウィッグブラシで
その長くボリュームのある髪をとかしてみたい、そして、
その長い髪が、自分の頬にあたる感触、それを体験したい・・・

誰かに見てもらいたい、というわけではないけれど、
だけれど、妄想するのは、そういう私が、子どもや女性と
笑って会話をしている光景だったりする。

バリバリ女の子道をゆくんだったら、
ここで買うのを我慢したら、それ、ゴム段我慢したのと同じじゃないの?
好きに今ならやれるじゃない、って。

揺れ動いたけれど、
どうしても買うことには違和感があった。

何ががおかしい、と。

そして、戻ることができた。

これを欲しがるその衝動の原因は、
どう考えても、女の子みたいにしたかった「不満」の解消にあった。

女の子みたいにしたかった。

女の子みたいにしたい。

それは、どこも悪くない。

ただ、だんだんとわかってきたのは、
その純粋な思いではなく、やはり、それが満たされなかったこと、
その不満感の解消のために、「外部」に自分を満たしてくれるものを、
私は、このウィッグに求めてしまっている、ということだった。

違うのだ。

今、私が歩いているのは、
私自身が、好きに、女の子のようにやればいい、という道であって、
これは、決して、不満の解消ではない。

好きにウィッグを買って女の子のようにやってみたいのなら
そうしてみればいいだけだ。

だから、ウィッグを買うことが間違っているのではないのだ。

動機なのだ。つねに問題は。

「これがあれば、これができれば、私はもっと女の子のようなことが
できるのに・・・あれがあれば・・・」

違うのだ。

私が女の子を望むのなら、今、ここですぐに
私が女の子であればいいだけだ。

というか、今、私は「女の子」なのだ。

前回ブログで書いたのは、そういうことだった。

今、すでにそうあるのであって、
何かがあればもっと女の子のようであれるのに・・・といった
欲求からの衝動的行為は、「欲求の解消」でしかない。

私は、このギリギリを、性の問題だけでなく、
「日々」直面している。

実は、この問題は、「性の問題」ということに
それこそ「こだわる」ような問題ではなく、
それこそ、好きにすればいいのだ。

どもりも、仕事も、女の子も、
好きなように楽しみ、苦しみ、間違い、悩み、
その「正解などない最初からあった道」を
思う存分、すっころびながらも、走り抜ければいい。

「欲求の解消」

ではないのだ。

それをやるのは、つねに、確認人格という私でない2人目の人格だ。

私が、今、突破しようと、
妄想の嵐に出会っても、「実践」しようとしていることは、

私自身が、

「欲求」

そのものである、そのものであっていい、
そのものであってよかったのだ、という理解と実践なのだ。

ここは紙一重の違いに感じるが、
「巨大な違い」なのだ。

本質は、

ここに、

「私、一人しか、いない」

ということだ。

それは、

自己同化をはかる偽人格、
「もう一人のわたし」が、いない、
という現実のことだ。

バリバリ女の子道をゆく、

という能動的行為、主体的姿勢と、

バリバリ女の子道を「ゆきたい」、

という不満という名の欲求になりさがったものの解消、
すなわち、「衝動」というもの、自分の舵でない何かに
なんとかしてもらおう、という受動的姿勢、衝動行為とは、

その二つは、まったく違うのだ。

明日、あび、・・・

つねに、「これから」ここから「発せられる」もの。

空っぽの、生身の肉体が、
今より作り出す世界、生み出すもの、
いや、生み出した結果のものなどどうでもよく、
つねに、生み出し続ける営み、

・・・それで、十分だったのだ。

こうしたい、という純粋な欲求は、
決して、「不満」などではない。

それは「解消対象物」ではない。

しかし、欲求は、抑圧すれば、
不満というものに変質し、ここではじめて、
「自己否定」が生まれる。

「私は、ダメだ」

というやつだ。

AC人格の、根っこの病理だ。

私が、ここのところ、本気でとりくんだのは、
この根っこの自己否定、それによって生じる偽りの過小評価を
ことごとく、「無し」にしていく作業、それは
手動的という意味で、端から端まで、力技だった。
だからこそ、私は、つねに「元気で在った」。
元気がいい、のではなく、私がどうしても元気を必要とした。

そして、根こそぎ、スコップでこそぎ出せば、
残るのは、つねに、

「私、一人」

だった。

今も、今までも、この一人の個としての私が、
ただただ、欲求のままに、それを

ただ、

「放て」

ばよかった、私はそれをしたかったし、そうしたいのだ。

こう生きたいな、

ではなく、

ただ、そう、今生きればいいだけなのだ。

私が発見したことは、

何一つ、間違っていない、ということだ。

生き方に間違いなど、ただ一つもない。

間違いがあるとしたら、
その無二の己の選んだ生き方、欲求、感情、
その為すがままの「放出」を、これでいいいのか?
これでいいんだよね?そうだ、これが好きなんだ、
これを私はしたいんだ!と、自己同化によって私でないわたしを
もう一人、作り出してしまうことだ。

そこに見る「わたし」は、
私そのものではない。もう一人の「わたし像」だ。

私が今、抹殺しようとしているのは、
こんな女の子でありたい、として作ってしまったそのわたし像であり、
この抹殺のためにやることは、一つだ。

「女の子でいたい」

これが、すべからく妄想であることを
看破することなのだ。

バリバリ女の子道をゆく、ということは、
女の子でいたいから、そうしたいのではない。

私が女の子のようであるから、
そのまま、バリバリそこをゆけばいいだけなのだ。

先日、たまたま、前の主任とバックヤードで会った。
彼女は「●●(私の名前)さーんっ!」と私に手を振ったとき、
私も彼女に手を振った。

こう書けばわかるだろうか。

この手の振り方は、
肘を身体にひきつけるようにし、手は口元くらいにあげて、
バイバイするようにやや小刻みに手を振る。

それは、女の子が女の子に手を振るような手の振り方だ。

彼女の目には、私は女の子に見えているのだろう。
その手の振り方に何のためらいもなく、
私も何のためらいもなく、まるで女の子同士の二人世界を
二人だけが共有している感覚に「囚われた」。

昨日も驚いたのだけれど、
営業終了後、店の窓からトントンと叩く音がして
私が振り向くと、一人の女性が、その同じ手の振り方で
私に手を振ってきた。

私は反射的に、女の子同士のその手の振り方で返したのだけれど、
その人がお客さんの一人だとわかって、ほとんど面識もないのに、
「あっ、手なんか馴れ馴れしく振っちゃったよ」と思ったのだけれど、
この時も同じ、その女性と私だけが通じ合う女性同士の感覚に、
その出来事を何度も思い出しながら「囚われて」いた。

これを認めるまで、かなり時間がかかったが、
明らかに、この恍惚とする体験は、決して、
「生きていなかった」。

本心は、私は女の子のようでありたい、という
自己同化をやめたい、と思っている。

嫌なのだ。

どんな素敵に思える女の子の自己像を描いても、
私は、そういう自分でありたくないのだ。

理由は、たった一つ。

「生きていない」

からだ。

私は、今、女の子でありたい、という妄想を捨てよう。

しかし、きっと、私は、
誰よりも女性のようであるだろう。

どもる問題とまったく同じなのだ。

どもることも、どうでもいいとして捨てる。
それは、自分を「振り返る目」を殺すことなのだ。
その自己確認をやめること。
結果、どもる「前」の状態を取り戻すはずだ。

女の子でありたい、という妄想も
もうそれは、何一つ生きた体験でない、と認めたのなら、
ただ、堂々としていればいい。
結果、それでも、私は、どの女の子よりも女の子らしく
そうやって手を振るだろう。

・・・しかし、それらの結果、というのは、
どうでもいいことなのだ。ただの結果であり、
結果が変化していくこともあるだろう。
先日書いたように、私は、雄のようでもあるのだ。
どもる、というのも、精密に見れば、許容範囲の問題なのだ。
誰だって、ある状況下になれば、どもる。
早口言葉がその例だ。あれが言えないくて悩む人はいない。
「あ~、言えないよぉ」と楽しむのが、早口言葉。

自己否定を本当に殺す、というのは、
こういうことなのだ。

あの時、私は、楽しそうに手を振った。

楽しかった。

とっさに、私は、そうやって手を振った。

本当は、それで、出来事はおしまいなのだ。

そこから、何一つ、女の子世界を捏造する必要はないのだ。

これからも、好きなように、

たくさん、

たくさんの女性と、

たくさん、その女の子同士で振る手のしぐさを

そう、

「連発し続ける人生」

をやればいいのだ。

それが私らしいのであって、
決して、「女の子らしい」のではない。

誰かが女の子らしいと表現したとして、

それは、

「どうでもいい」

ことなのだ。

私が放つ行為に、
名前などない、ということ。

私は、今、この女の子のわたし像を捨てよう。

どもること、Rさんにまつわる妄想、女性性という幻、

私が、今日、これらを葬る理由は、

「生きていないから」

それに尽きる。

そうした時、ここに残るのは、

この、

「私」

という放つ主体だけだ。

私は、もういかなる自己同化もいらない。

ただ、放っていればいい。

放つ主体、という自己同化もいらない。

私は、気づいたら、放っているだけだ。

昨日仕事で、気づいたら、何かをお客さんに話していた、
というだけで、どもっていたかいなかったか、など
行動主体にとって、知ったことではない。
気づいたら、しゃべっているのだから。

もう、誰も、
「私が何をしたのか」と問う者はいない。

それが「現実」なのだ。

AC人格が勘違いし続けたのは、
そうやって問う者がおらず、とがめる者がいないのなら、
私は自由の身で、そうであったら、私は何でもできたのに・・・と
自由という「本当の残酷さ」を、気楽なものと勘違いすることである。

死後、こんなことをしました、
といくら説明しても、最後には(というか最初から)こう訊かれる。

「どうでした?」

と。

「次は、どうしたいですか?」

と。

この問いは、AC人格は一生、逃げまくっていく問いだ。

この問いに対して、私はこんな人生をがんばってやってきました、
と、たずねてもいないことを延々と述べることで誤魔化す。
なんとか、その問いから、逃げ切るためだ。

この問いに答える主体性を
AC人格は持ちえない。

なぜなら、それは、
欲求、感情の主体ではないからだ。

「不満になり下がった欲求の解消」

これを、いかに、必死にやってきたかの説明に
明け暮れる。

「だから、これでよかったんでしょ」

という、結局は、他者承認なのだ。

毒親に認めてもらいたい、その毒を
ずっと抱えながら死ぬ、生き延びようとする、とは
まさにこういうことなのだ。

そこにある自己否定を
私はこの4月を終えるにあたって、
今の今まで、ことごとく殺していこうとした。

それでいい。

この現在進行形の私が、
今、このブログを書いている。

3年前の5月初日、
私が、人生最大の懸けに出た日だ。

そして、今、3年後のその日を
迎えようとしている。


2016.4.29
あび

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by jh-no-no | 2016-04-29 18:18 | 私の生き方

(前半)「口中香」という生き方-自我復元後日記[033]

口中香を聴いて、私は、自分の「生き方」に火がついた。

このタイミングで、このCDに出会えたことは
本当に、ラッキーだったと思う。

何が、と言われると自分でもわからなくなる。

ただ、言えることは、
このCDは、まるで、生きて生きて燃え上がる炎のようだ。

生きる、という「実践」は
まさに、この炎のごとくであり、
もう、すごい、としか、言いようがない。

いや、松の間も、梅の間も、どれもこれも、
本当は、真っ赤な炎だった。

でも、私は、わからなかった。
それがどれほどに、「生き生きと、燃えていたか」ということに。

今、私は、それを見ることができる。

なぜなら、私は、
「生きること」を、はっきり、選択したから、だ。

私が、生きる。

この、私、が生きる。

誰もいない。一人だ。

誰もいらない。

私一人がいればいいし、私一人しかいない。

こうやって生きてこなかったことを、

本当に、

「もったいない」と思う。

文句なく、これが、生きている、ということだからだ。

5月がもう目の前だ。

私は、もう、今までの私ではない。

当たり前なのだ。

どんな私も、そんな私も、ない。

私は、私だ。

今までの私など、金輪際、ずっと、ない。

「これからの私」しかないからだ。

明日・・・あび・・・

好きなように生きなさい・・・本当に、そうなんだ。

私は、好きなように、生きていく。

この私は、空っぽだ。

ここから、だから、生まれてくる。

好きなように、生まれてくる。

すべてが私から溢れ出ていくだけだ。

それはただ、溢れ出ていく。

ただただ、溢れ出ていく。

私は、踊り手でありたい。

全身をバネのように使う子どものように。

今日仕事をしている時、私はそんな子どもだった。

どもる?

もう、どうでもいいことだった。

私は、踊っていた。

歌っていた。

どもっているのかどうかすら
私はわからなかった。

口中香の実践と、その生き方から
私は自分の生き方に火がついた。

そして、その生き方が、
深部にあるものを掘りおこし、
理解したことがある。

「歌い手は、自分の歌声など、知ったことではない」

ということ。

ただ、好きで歌っている。

歌うのが好きで、ただ、歌っている。

どう歌えているか、上手く歌えているか、そんなこと、
歌い手にとって、「眼中にない」というのが、
「歌う」という行為だ、と知った。

歌うのが楽しいから、歌っている。

踊っているのが楽しいから、踊っている。

みんな同じだ。

楽しいから、ただ、そうしているだけだ。

私は、ずっと、歌っている自分と、
もう一人、それを「聴いている自分」というのがいた。

それが、AC人格である。

「確認」しているのだ。

これでいいのか、と。

私は、これは無用だとわかっていて、
でも、この確認癖が、まだ残っていた。

「どもる」

これは、私には、非常に重要な問題であり、
これを、なんとしてでも自分で舵をとっていこう、
そうやってもがき、本当に、楽しかった。

その思いは、今も変わらない。

しかし、矛盾するように聞こえるだろうが、
私は、自分がどもっているかどうか、
もう、それを「確認」する「その気」が起こらなくなった。

確認自体、必要がないし、
そんなことは、やめなければならないからだ。

昨日、仕事中、私は、
好きなようにしゃべった。

どもったり、言葉が省略されたり、
まあ、それは「てきとうの極み」だった。

ただ私が楽しければよかった。

歌うように、踊るように、
そうやって仕事ができれば、あと、何がある?

言葉がはっきりでない箇所があって、
それが、何が問題だろうか?
相手に伝わらないほどでないのなら、
「好きに間違えればいい」のだ。

私は、踊りもやってみたい。

振り付けもあるだろうし、覚えるだろうが、
踊っている最中、それは、上手く踊らなきゃ、なんて思うこともないし、
振りつけを間違っても、別にいいじゃないか。

それで、この「楽しさ」が減じるだろうか?

私は、今、はっきり言える。

楽しさは、1mmも、減じることはない。

それが、主体性の獲得だ。

まわりの目?

どうでもいいじゃないか。

気にしない、とか、カボチャだと思えばいい、とか、
そんなまやかしのような思いこみではない。

そもそも

私しか、

ここにいない。

その実感にあって、

まわりもへちまもない。いない。ない。

まったく、昨日、私は仕事中、
私しかいなかった。
自分が何を言っていたかも覚えていない。
だからどもっていたかどうかも覚えていなかった。

そして、ごくたまに、そうだと思って、
意識的に「言ってみよう」としてみた。
ただ、単語を放つ、という意識だけを持って。

すんなり、言えているようだった。

しかし、私は、それもどうでもよかった。

すんなり言えていなきゃいないで、
べつに、それでもかまわなかった。

これは、決して、あきらめている、とかではないのだ。
麻痺しているのでもなく、見ないフリをしているのでもない。

どもること、これは私は治す。絶対に治ると思っている。

しかし、私は、まず、自分の声を確認しようとする存在を
作り出すことを、本気でやめる、その強い意志が必要だ。

口中香の呼吸法から、私が気づいたことは、
「話す」という能動的行為と、
「聴く」という受動的行為とは、
「本来」相容れない、ということだった。

呼吸の仕方の違いが、それを証明していた。

話し手は、話すことに徹するように、できているのだ。
聴き手は、聴くことに徹するように、できているのだ。

しかし、この能動的行為の際に、
受動的であるように強制した馬鹿がいる。

毒親である。

たとえば、子どもが楽しく踊っているのに、
やれ、間違っている、ほら、もっとお手本を見なさい、
こうしなさい、ああしなさい、・・・そう言っているうちに、
私の外側に「チェックする人間」ができてしまうのだ。

それが、AC人格である。

こうしないとまずいよ、
こうしておけば飴がもらえるよ、と。

めちゃくちゃな話だ。

踊っている時に邪魔するな。

そういう親は、また、
子どもが何かに集中して聴いているような時も、
「はやく、あれこれしなさい」とか、余計な口出しをする。
受動的な主体として生きている最中、
能動的な主体でもあれ、と強要してくるのだ。

これを、「邪魔」という。

歌だけじゃない。

また、仕事中のセリフの発話中だけの話じゃない。

何もかも、同じだ。

何かをしようとすると、
「どう思われるだろうか・・・」と他人の目を気にして、
妄想を膨らませて、不安になり、生気もなくなっていく。

どう思われてもいいんだよ。

それこそ、どう思われてから、
考えればいいことだ。

「まず、自分が好きに踊っていいんだよ」って
毒親は決して言わない。当たり前だ。
自分ができなかったことを、やらせるわけがない。

毒親、その亡霊たちは、
仕返ししたくてたまらないのだろう。
仕返しのための人生といっていい。
それが、AC人格として生きる(死ぬ)ということなのだ。

で、私は、仕事中、まあ、好きなようにやった。
どもろうがなんだろうが、どうでもいい、私が楽しけりゃいい、と。

そう、私は、仕事中のステップ(運足)の仕方を
昨日なんか、夢中に模索していた。
話が横道にそれるので、それはまたの機会にするが、
編み出したのは、合気道の時の運足の仕方は、
身体にとって自然な体重移動を体現しており、
これを、仕事中にもやればよい、ということ、
あと、大事なのは、棒のように立ってまた動くのでなく、
意識的に「屈伸動作」を入れることだ。

何かの起こりの直前、「ため」をつくる動作だ。
これは子どもが、その小さい身体を大きく「えいっ!」と
動かそうとする時、助走がわりにする準備動作だ。
大人はこのありがたみを忘れがちだが、
鋭敏であれば、これが、とても心地よいことは感じられる。
負担が少なく、楽で、それでいて動けるから気持ちいいのだ。

要は、子どもが全身を使って運動するように
大人も、洗いものなどしている家事の最中なども
そうやって身体を使えば、身体にも負担が一番少なく、
最大限に力が放たれる、ということがわかった。

子どものような身体の使い方は、
大人になってしまうと、意識しないと取り戻せないので、
意識して、子どものように動く必要がある。

今のこの仕事は、他人が見て思うより結構ハードで、
長時間それをやると、まず、腰にくる。
本当に「わずかな負担」が、「何百回」というその日の歪みの繰り返しで、
気づいたときは、背骨のまわりの筋肉が硬直することが起こる。
このよくある腰痛の原因の解消にも、今回、考えた身体動作は有効そうだ。

・・・などなど考えながら、ステップを踏みながら、
ルンルン気分で仕事をしていたため、自分が何を口にしているか、という
その発話という行為自体に、関心がほとんど向いていなかった。

しかし、これは、とても重要な取り組みだった。
まさに、「その通り」なのだ。
私が今仕事をしている、その全体に対して、
そもそも、発話、言葉への関心が強すぎ、バランスが悪すぎたのだ。

運足に関心のほとんどを向けることで、
発話は「発話」というそれだけで本来よかった機能のみに限定されやすくなる。
つまり、発話された言葉を「聴く」という余計なことは
自ずと取り除かれていくのだ。

ただ、決まったことを言えばいい、
仕事中に発話するセリフは、それ以上でもそれ以下でもない。
考えて言うようなことではなく、言おうと意志するだけで言えるはずのものなのだ。

どもる症状は、いずれ、消えるはずだ。
どもる、というのは、何かが欠落しているのではなく、
発話機能に余計な機能が付加され、機能過多になっている状態であり、
本来のバランスを取り戻せば、どもるという余計なことはしなくなるだろう。

ボカロの音楽にあわせて踊っていた小学生の女の子。
それと、もう一つ、その子が大きくなったら
こういう踊り手さんになるんだろうな、という
女子高校生の踊り手さんを見つけた。

たまたま、同じボカロ曲がダンスミュージックだった。

私は、この2つの動画が大好きだ。

もう一つ、面白い動画があって、
これも同じボカロの曲にあわせて踊っている動画だが、
なんと、今度は、まだ小さな子ども。

間違った振りつけをしても、本人、ぜんぜん気づかず
ノリノリ。それが、なんともたくましかった。
そして、となりであわせて踊っていた大人は
それを指摘したりなどせず、その間違いのまま、さりげなく
大人のその人も、その子の同じ間違いの振りのままに、
一緒に踊り続けていた。

邪魔しない、ということは、こういうことなんだ。

小学生の女の子も、女子高生のその方も、幼いその子も、
共通しているのは、その人たちに、
「自分をチェックする確認人格」という二重人格がいなかったことだ。
その人、ただ一人しかいない。
そういう場合、本当に、楽しそうなのだ。
正解や間違いなどぶっ飛ぶほどの楽しさに満ちている。

先日、私は、職場で、いまだ残るRさんへの苛立ち(妄想)に悩み、
何度も掘ってきたことを、また何度も掘るようにして
その現実に向き合った。

そして、ようやく、脱出した。

ようやく、私は、Rさんは、

「どうでもよく」なった。

くまなく、私の妄想は、Rさんの脳内妄想であり、
また、私のかつてのAC人格の脳内妄想であることを
しらみつぶしに調べ尽くすようにして、見切った。

現実に、今、私に起こっていることは、
その妄想のどれでもなかった。
たったの一つも、実際に、そこで起きていないことだった。

そして、こう、結論した。

Rさんの好きにやらせればいい、と。

たとえ、そこに私への嫌がらせがあっても、
実は、私は、本当は、何も問題がそこになかったのだ。
つまり、私は、まったく、不快でなかった。

不快なのは、とことん、AC人格がそう感じているだけで、
私は、まったく、不快でもなんでもない、なかったのだ。

Rさんと、もう、衝突する意味がなくなったのだ。

今までは、なにか不快なことをされたら、
黙ってはいてはいけないんだ、この不快や苛立ちは現実にあるんだから!
と思っていたのだが、その根底が崩れ落ちた。

この不快や苛立ち・・・

実は、それが、無かったのだ。

Rさんは、私のかつてのAC人格に対してなら、
それこそ出口がないループ状態で次から次へと苛立ちを与えることはできるが、
AC人格でない私には、まったく、「手が」届かない、のだ。

Rさんの思いつくどんな嫌がらせも
実は、もう、私に「届かなかった」。
そこに、不快も、苛立ちも・・・我慢もなかったのだ。

どもる、ということだけじゃない。

Rさんも、私には、もう、どうでもいいことになった。

しかし、同様、どうでもいい、というのは、
言いなりになる、ということではない。

そうではなく、
「本当に言いなりになってはいけない局面」
と、妄想との区別が、はっきりつくようになった、
ということなのだ。

妄想領域においては、「言いなりにならないんだ」
という反応それ自体が、妄想領域の想定内の反応なのである。
正解は、言いなりになろうが、なるまいが、まったく

「くっだらねえ」

の一言でおしまい、関わらなければいいだけ。

しかし、本当に、「くっだらねえ」と思えるまで、
本当に長い時間がかかった。
それもそうなのだ。
RさんがらみのAC人格は、最も強烈に刷り込まれた
毒父の悪霊のようなものだったからだ。


・・・


(後半)「口中香」という生き方-自我復元後日記[034]

に続きます。



◆参考記事◆

「口中香」に関する桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S603/
こちらの記事に、口中香の感想メールも掲載されています。
http://www.mumyouan.com/k/?S604/


2016.4.29
あび

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by jh-no-no | 2016-04-29 18:17 | 私の生き方

バリバリ、女の子道をゆく-自我復元後日記[032]

一週間近くブログを書かないと、
「うずうず」してしかたがない。

今日のこのタイトルだけれど、
数日前から、このタイトルでブログを書きたい、とずっと思っていた。

そして、今、書こう。

「バリバリ、女の子道(みち)をゆく」

昔、小学生の頃だったと思うが、
固形石鹸に装飾をほどこして、可愛らしい小物を作る、
というのが、すこし、流行ったことがあった。

石鹸を土台にして、生け花のように
綺麗なリボンや糸などで、デコレーションしていたように思う。

私は、それを見て、いいな、と思った記憶がある。
自分もやりたいな、と。

だけれど、それは女の子がやるものだったから、
遠目から見ているだけだった。

あと、やってみたい、と思っていたのは、
「ゴム段」。これも、校庭で女の子だけがやっていた遊びだった。

さて・・・

時間はいっきに今に飛んで、先日。

仕事中、私は、もうどうしようもないほど、
「女の子より女の子」でいたい、いよう、と思って、
その日は一日、徹底的に、まわりの女性よりも女性らしいと自負するほど、
一日、女の子のように振る舞った。

そして、また、先日。

その街のその駅の北口は、
おもに、女性をターゲットにしたファッション系のお店が多い。
食べ物屋さんも、雑貨店も、女性のお客さんを意識しているのがわかる。

その中でも、私は、女の子の中でも、かなり女の子な女の子でないと
入らないようなお店にどうしても入りたくて入った。

ごちゃごちゃしているのだけれど、
適当な色どりの靴が並んでいたり、フワフワのドレスがかけられていたり、
ブレスレットなどの小物が、所狭しと置かれていて、ドキドキした。

数か月前から、私は、ある動画がとても気にいっていた。

それは、小学生の女の子が、コスプレをして
ボカロ(←こういう世界も初めて知ったのだが)の曲にあわせて踊っている動画。

コスプレとか、幼い女の子とか、
そういう趣味があるわけじゃない。

むしろ、無いと自分では思っている。
だけれど、私はその女の子が踊っているのを見るのが すごく好きだった。
のびやかに、楽しそうに踊っているのが、 見ていて、本当に心地よかったからだ。

先日、だからか、と気づいたことがあった。

なぜ、この動画が好きなのか?

私が、この子のように、したかったからだった。

私も、この子のように、楽しく、のびやかに踊ったりしたかった。

ただただ、「発する」ように動いていた。
「空っぽ」の身体が、ただ、動いていた。
それが、すごく、いい、と思っていた。

実は、これは、女の子でなきゃダメなのか?
というと、まったく、性とは無関係なのだが・・・
しかし、私は、どうしても、そんな冷めた目で見ることはできなかった。


「女の子のように、生きてみたかった」


この子のように、可愛らしい浴衣を着て、
この子のように、女の子っぽい振りつけで、
思いっきり、踊ってみたかった。

女の子みたいにしたかった。

4月頭から、毎日2時間、打身の自主練をしているけれど、
だんだんと、私は、その弾き方自体が、 まるで、
男女のセックスのように、私はイメージをするようになった。

セックス、といっても、私のイメージは、
まるで 野生動物の雄と雌の、荒々しさを内在する交尾のイメージで、
たとえば、左手で弾く時は、雄が雌の性器を突き上げるようにして
精子を思いっきり放出するかのように、また、右手で弾くときは、
突き上げられた雌の身体がくねるように跳ね上がっていくような身体イメージで、
私は、「んっ」「ハァ」と呼気を荒立てながら、全身で弾いていた。

性的な表現が続いてしまうが、
私にとって、重要なことなので、続けて書いてみたいと思う。

ここしばらく、自慰をしていた。
今は、遮断射精ではなく、精液をしっかり出すような自慰の仕方で、
しかも、随分遠ざけていた性的な画像などを見たりして、自慰をしていた。

性妄想、には変わりないのだが、 かつての性妄想とは、
それは違うものであることに気づいていた。

かつては、父のヘンタイ性癖がそのまま感染していたために、
ここに書くのははばかれるくらいの性妄想の内容だった。

ところが、今、私がする妄想は、 それは、まさに、野性的な交尾に近い。

簡単にいえば、性器同士の結合をイメージしているのだけれど、
かつて、私は、エッチな動画を見ても、そのような通常のセックスシーンで興奮したことは
まず、なかったのだが、今は、表現はよくないのだが、
「雄が雌を襲うようなイメージ」で興奮する。

襲う、というのは、よくないイメージだけれど、
私が感じているのは、もっと、原始的で、本来、生殖活動として
雄と雌が、それを求め合うようにできている、そういう機能としての「襲う」であって、
暴力的な意味合いは、そこにはない。

異動してしまった女性の主任を
妄想の相手にしたこともあった。

「一度くらい、セックスしておけばよかった」

という思いが沸いたりして、日記にそう書いたりもした。

それは、でも、私にとって、すごく新鮮なものだった。

男性として、きっと普通に抱くだろう、性欲だったからだ。

それは、性欲そのものであって、
毒父の女性に対する暴力的な性奴隷イメージから 私は興奮しているわけではなかった。

性欲そのものを、出し切りたい。

それは、精子をその女性の中に出し切りたい、ということにも感じた。

ただ、私はこれに関しても考えたことがあった。

誰が相手でもいいのか?と。

そう思った瞬間、とっさに頭に浮かんだ答えは、
「この女性との子どもに、私が責任を持てる相手」という答えだった。

つまり、その女性との子どもが欲しい、と
本当に思った相手でなければ、私はその女性と交尾をしたくない、と思った。

私が今書きたいのは、このように、
私の「男性イメージ」が変わってきたことなのだ。

もっとも、野性的で、原始的な、それは、生殖機能としての「雄」のイメージだ。

ふと気づいたが、これは、私の父には、無いものだった。
毒父にあったのは、屈折した母親像から作られた暴力的な性妄想だけだった。

このところ、こうやって「男性」としての興奮が高まる中、
一方で、 私は、今、ふと、徹底的に女の子のように生きたい、と思っていた。

そして、実際に、仕事をしながらも、音楽をしながらも、
私は、女の子のように、女性のようにあろうとした。

これは、かなり、困難な挑戦であった。

何が困難だったか、というと、 私は、今まで、
「女性のようにありたい」として妄想してきた世界、私像が、
AC人格が作ってきたエセ私像、つまり、「逃げ場」だったからだ。

だから、挑戦しているうちに、
なぜか、罪悪感のようなものがやってくる。

バリバリ、女の子のように生きていていいのだろうか?

そんな思いが、私の「元気」を奪おうとするのがわかるのだが、
それは、ずっと、私に今まで起こってきたことであって、
しかし、これは、私にとって、大事な問題ではあった。

というのは、死に際に、どうしてもひっかかる可能性が高いのが、
性に関することで、私は、こう思ってしまう可能性があるからだ。

「もっと女性のように生きたかった」と。

しかし、これを「今」でなく、「死後」に口にしたら
それは失敗したことになる。

ここは私自身、発見であり、大事なポイントだったのだが、
今、私が「もっと女性のように生きたい」と言った時は、
今の私は、「今ここで」「それは実現できる」ということだった。

仕事中も、音楽をしている時も、

私は、女性のようにやってみたい、とそう望めば、
それは、未来、望む、ということでなく、
今、やればいいことであり、実際、やってきたのがここ数日だった。

ポイントは、

元気を失わない、ということ。

元気を失わない、というのは、
自然にそうなる、とかではまったくなく、
私が、絶対に、この手にある自分のオール(舵)に入れる力を
いかなる波風がたとうが、「ゆるめない」という、その
「意識」のことだった。

これが無いと、かつての逃げ場像を
「書き換える」ことが出来ないのだ。

元気は奪われ、ただ、女性のように生きたい、と力なくつぶやき、
「今出来もしない妄想」に囚われてしまう。

今出来ないようなことは、
永遠にできない。

それは、死後、「不満」として残るだけだ。

もっと、こうしたかった、と。

・・・なら、今、やればいい。というのが正解だが、
なぜ、そういう不満を残して死ぬかというと、
今、やれないからなのだ。

やると、罪悪感が沸いてきて、
元気が奪われていく。

少しの間なら、楽しい気になれるけれど、
時間が経てば、その罪悪感が勝り、
「こんなことしていていいのか・・・」という、もう、いつもあるこの
腐ったACの文句を口にすることになる。

私も、ここを、今回、
再度、通った。

しかし、私はゴールが決まっていた。

止めない、ということだった。

元気は失わない、ということだった。

必ず、元気になることは「決まっている」ことだった。

それは、私が、「決めていること」だからだ。

何度か、苦しい局面があった。

たしかに、「中心」というものに、
性別などはない。それ以前の、ただの「存在」だからだ。
・・・だから、私は、性別にこだわらない、というのは嘘だった。

私は、性別にこだわった。

こだわり続けた。

そして、わかったことがある。

バランスがおかしかったのだ、と。

私は、やはり、もっと「女性のように」生きてよかった。

石鹸の小物も、ゴム段も、
また、女の子のような踊りも、
私は、全部、やってよかったのだ。

変わった男の子のように思われても、
私は、抑圧する必要はなかったのだ。

その「女性のように」生きたい自分像の、その大きな割合の部分に
毒父の思惑の通りあてがわれたのが、毒父のその暴力的な男性像だった。

そして、皮肉なことに、その男性像あってこその女性像が私にあって、
その女性のような私、を、私は理想的な女性像になっていて、
だから、まるでそれは被害者のような女性像なのだが、
それが、まさに、父の母親(ババ)だった。

もちろん、私はババのようになりたい、と現実社会で思ったことはない。
しかし、私に埋め込まれていた女性像とは、毒父が求め続けた母親像であり、
私は、実際、多くの子どもたちの母親でありたいと思っていたし、
この暴力的な女性差別社会に生きる母親たちの理解者であろうとした。

母親たちよりも、私は母親らしくあろうと思っていた。

このことと、

今私が、

女性よりも、女性らしくありたい、

そう思い、そう生きようとすることは同じか?

「違う」

と、私は、時間がかかったが結論した。

毒父が植え付けたのは、たしかに、歪んだ女性像ではあったが、
それが土台となっていたのは、

「歪んだ男性像」

なのだ。

まったくストレートで野性的なものではなく、
ネチネチと捏造的なDV男性像。

もっと女の子みたいなことをしたかったという思い、私のその


「女の子らしさ」


は、毒父の歪んだ女性像によって、

すっかり、汚され、

生気、元気が奪われ、

罪悪感が残るような女性像だけを植え付けた。


やっと、この投稿を書いた。


数日前から、

「バリバリ、女の子道をゆく」というタイトルで書こう、
そう思っていても、PCに向かうも、書けなかった。

でも、私は、今、思っている。

バリバリ、女の子道を、

今の私は、もう、好きなように、行けばいいのだ、と。

それが、私の生き方の8割を占めるのなら、
残り2割は、決して、その毒父のDV男像ではなく、
猛々しい「雄」として、女性が惚れ惚れとするような、
そういう男であればいい。

そういう部分があっていいのだ。

打身を練習していて、
その「8割、2割」という感覚があった。

男性的な弾き方が、2割ある。

女性的な弾き方が、8割ある。

この弾き方で出た音が、とても、素敵だった。

この「バランス」を取り戻すために、
ああ、私は、ここ半月、音楽、仕事、性のことに
取り組んできたんだ、と、昨日、振り返った。

それは、今までみたいに、

もっと女性的であろう、とか、
男性であることに違和感がある、とか、
そういうことを意識することではなく、

ただ、

私は、

「元気に」

好きなように、やればよかった。

仕事も、音楽も。

音楽も、今日の練習の終わりは、
もう、性のことから、離れつつあった。

そして、私が好きな音は、

「強い圧が放たれたときに出す音」

であり、それを放つための練習をしている。

それが、結果、バランスのいい私の性別性を
音が持ちうる、ということであって、
・・・うまくさっきから言えないのだけれど、
バランスとは、とろうと思ってとる、というのではなく、
やはり、とことん掘って、毒された部分を解明し、
取り戻すべき「元気」という「意識の力」を取り戻したときに、
当然、再調整されるバランスのことなのだ。

死後、私は、ようやく、

「もっと女性のように生きたかった」

とは、言わない私になった。

ずっと、ひっかかっていたことだった。

今死んだら、どうしてもここだけは、ひっかかる、と。

たった一日、数時間であれ、
私は、バリバリ、女の子であったし、
それをただ実行するのが解決に向かったのではなく、
それこそ、このブログをこのタイトルで書くまでに奮闘した、
「バリバリ、女の子、でいいのだろうか・・・」という罪悪感が
なぜ生じるのか?を解明していくことだった。

バリバリ、女の子でいい、のである。

それでも、私は、2割、生殖しか頭にないような
雄のような自慰に、しばらく明け暮れた。

・・・というのが、私の正常なバランスなのだ。

かつては、どうだったか。

「さすが、ボクの息子だ」

という「さすが」が指す8割の「歪んだ」男性像と、
その息苦しさから、逃避した2割の「自分だけの世界」。

その「自分だけの世界」を具現化しようとしたのが、
内職という「Pの世話係をいっとき離れての」活動だった。

大人になって、ようやく、具現化できた、と
その当時は思っていた。
これこそ、私が生きていきたい私の世界だと。

歪んだ男性像ゆえに、私は、日々接する女性や子どもを
暴力的な自慰の妄想対象にしてしまったわけだけれど、
先ほど書いたように、それをカムフラージュすることが可能だったのは、
その8割の歪んだ男性像は、同時に、同じだけの歪んだ女性像を作り出していて、
その「時代の被害者のような女性像」こそが、本当に被害にあっている女性にとって
あたかも「救い」であるようなカルトを、私が作り出していたからだった。

それが、その当時、私が
「どの母親よりも、自分は母親らしい」
と思いこむに至るカラクリだった。

これは、当然、バリバリ、「女の子」、の、
その「女の子」などではない。

毒父によって植え付けられた理想の母親像としての
女性像であり、かつ、裏返せば、暴力的な男性像だったのだ。

私は、この、暴力的で、ヘンタイ的な男性像が
自分にあることがわかっていた。

しかし、当時、それは、
「男というのは、そういうものだ。むしろ、こんなへんな性妄想を
持たされていること自体が理不尽で、それは、男性の身体を持ったからだ」
とまで、私は思いこんでいた。本当は、私は女性なのに・・・と。

結局、私は、コソコソと「女性の自分」を演じていたのだ。

それで、結局は、Pに尽くすための「あっしー君」のおじろくという
「男」の割合が、生活と仕事のほぼ全面を支配していた。

これが、かつての現実だった。

たいへんに、入り組んだ、性妄想だった。

これを解きほぐすのは、たいへんに、困難だったが、
この一週間は、この問題に、結果的にかかりっきりになった。

実際には、前にブログに書いたように、
少なくとも、5月頭までは、

・毎日2時間の打身の自主練
・睡眠を十分にとること
・食べたいものを、よく食べること

この3つだけに、私は集中しようとし、
実際、そうしていた。

そこに加えるとしたら、
仕事をめいっぱい楽しく元気にやることくらいだった。

だからこそ、だったが、
この「元気」を殺ごうとするものに出会った。

むろん、前にも書いたように、
誰にも、何にも、私の「元気」は殺ぐことはできない。
まだ、体調はよくなったとはいえないが、
私は、この「元気」で、下半身の臓器を根本から自分で治そうとしている。
それは、まったく、自我復元と同じだと思っているからだ。
誰かがやってくれるのではない。私の身体を、元に戻していくのだ。

元気が殺がれることがない、という「結末」が決まっているので、
どんなものが行く手を阻もうと、相手は、AC由来なら私によって
「殺される」ことになる。

そして、その結果、今回、再調整されたのが、
私の男性性と女性性のバランスだった。

私の定義している男性性とは、
単に、野性動物としての雄の生殖機能としての正常な「性欲」のことであり、
女性性とは、「女の子のように、女性のように生きたい」という、
子どもの頃から抑圧してきてしまったその生き方の「欲求」のことである。

私が今、一番、気持ちいいのは、

そして、書く前から、気持ちいいのは、

このブログのタイトルを、

「バリバリ、女の子道をゆく」

と書けたことである。

男らしい男もいいけれど、

やっぱり、私は、

女らしい私が、普段は似合うし、

楽しい時が多いのだ。


2016.04.23
あび

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by jh-no-no | 2016-04-23 00:39 | 私の生き方

「元気」-自我復元後日記[031]

今、私は、毎日がすごく楽しい。

打身の自主練、とんでもなく楽しい。

仕事をしていても、わけもなく楽しい。

合気道の稽古も楽しいし、

何もかもが楽しい。

ふと自我復元中のことを思い出しても、

「楽しかったなあ」と思う。

あんなに楽しかったことは、私の40年間に一度もなかった。

「楽しい、楽しかった」

私は、今、この言葉しか言えない。

今の私は、すべての経験が、私の「元気」を生み出している。

悩みも、葛藤も、そういうことも含めて、
まったく、生気を奪うどころか、生気を作り出し続けていて、
元気が、いっこうに、衰えないのだ。

かつてなら、あっという間にゾンビになっていただろう出来事であっても、
ゾンビになるどころか、今は、元気になっていく。

かつては生気を奪うような、どんな経験も、
今の私には、元気のもとになっていく。

どんどん、元気になっていく。

私の元気を殺ぐことは、
誰にも、何によっても、できない。

きっと、私は殺されても、それを元気にしていくだろう、と
確信が持てるほどに、元気に次ぐ元気を感じ続けている。

打身という楽器に出会えたタイミングは
まさに、ピッタリ、だった。

この楽器は、今日まで練習してきて確信したが、
「元気」が音を生み出している。

もっと正確に言えば、音は副次的なもので、
元気が身体を通じて解放された瞬間、
私は、すでに、この楽器を、めいっぱい、楽しんでいる。

楽しい、ということ以外、
書く気がしないほどに、楽しいのだ。

生活、仕事をしている時もそう。

それ以外を無理に考えようとしても、
まったく、それにリアリティーを感じない。

ただただ、私は、今、拒絶する経験というのはなく、
そのすべての経験が、私の元気になっていくのだ。

仕事も、何があろうと、楽しい。

嫌なことも楽しいのだ。

不安や心配、迷いも、恐怖すらも、
そのすべての経験が、私の元気になっていくのだ。

自我復元もそうだった。

その時は、苦しいことに意識が捕らわれていたけれど、
私がそこで経験していた本当のことは、どんどん、元気になっていった、
ということだった。

事実は、自我復元中も、その後も、
どんどん、元気になっていった、なっているということだ。

まったく暢気だったが、
今日になって、あの「大風邪」は、毒親が最後の切り札として
身体ごと、私を殺そうとした修羅場だったんだ、と知った。

これに気づいたのは、今日、私が、
「この身体、根治する」と確信した時だった。

なぜ、そう確信したか、というと、
味覚異常も泌尿器の違和感も、それは表に出た症状や炎症であって、
それ自体は、病気自体ではなく、

「元気を去勢されたこと」

これが、私の病気だったからだ。

毒親は、ついに、

私のこの「元気」の息を止めることができなかった。


大 勝 利


である。

私は、その元気で、打身を弾く。

全力で、今の仕事を楽しもう。

そして、たくさん寝て、身体を休める。

食べたいものを、工夫して、たくさん食べよう!

そして、また、打身の練習だ。

この楽器は、まだ日本ではあまり知られていない。

女性が弾くイメージがあるのだが、
この民族楽器は、現地では、ほとんど男性が弾いているのだそうだ。

曲調も「元気」なものが多く、
リズムやテンポも軽快で、音楽を「楽しむ」人々の光景が浮かんでくる。

そして、何より、


「力強い」


今日も練習していて、ああ、いい、と思った。


この感じ、

この溢れ出る元気、止まらない・・・


2015.4.16
あび

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by jh-no-no | 2016-04-16 03:47 | 私の生き方

「違和感」の崩壊-自我復元後日記[030]

死に際を変更した、という出来事が、
昨日から今日にかけて、私のこの生の

「生き方」

それ自体を、変えていった。

このことについて、書いておきたい。

まず、昨日の仕事中に感じていたことから
書き始めてみよう。

仕事中の妄想については、
今までも、何度も、このブログにも書いてきた。

「妄想」

私は、昨日、この妄想という「これ自体」に
まったく、関心を「抱く」ということができなかった。

妄想がまったく起こらない、という問題ではなくて、
起こったとしても、私は、まったく・・・まったく、とは

「ぜんぜん」

関心を向ける気がしなかった。

妄想に対してどうのこうの、ではなく、
妄想というもの自体に、いっこうに、
「関心を持てなくなっていた」。

これを、はっきり自覚したのは、
今日になってからなのだが、
私が昨日至っていたその状態は、
「妄想それ自体に関心が持てない」という状態だった。

私は、ひたすら、仕事の動作をしていた。

何時間やり続けても、いっこうに、疲れない。
体調がいいわけでも、睡眠が十分なわけでもないのに、
ぜんぜん、疲れないどころか、ひたすら、楽しかった。

しかも、どんな仕事内容の仕事をしても、
楽しすぎた。

手を動かし、足を動かし、腰を曲げ・・・
それが、どんなに楽しかったか・・・

楽しかったことより、私が気づいたこと、
また、今これを書いているのは、
それよりも、今まで引っ張られ続けていた「妄想」という
それ自体の対象に、

「私が」

まったく、関心を持たなくなった、ということが、
まったく新しい経験だった。

妄想が消えた、とか、
妄想が私をひっぱる力を失った、とか、
ACが死んだ、とか、
そういうんじゃないんだ。

たとえ、それが、いかなる妄想であろうと、
また、私に影響を及ぼしうるすごい力を内在していようが・・・
私本人が、「それら」を、見向きもしなくなったのだ。

見る気が起こらなくなった、ということなのだ。

たとえ、影響されていたとしても。

わかりやすいのが、どもる、という現象だけれど、
これについても、まったく同じである。

どもる、ということが私に起きたとする。

それは、快か不快か、といえば、
不快、かもしれない。

・・・ただ、それ以前に、それが快であろうと、不快であろうと、
どもっているという現象自体に、私が関心を持てないのだった。

不快、かどうかすら、もはやあやしかった。
実際、それほど、私の身体は、多少の口のまわらなさは、
何の苦にも感じなかった。

完全に、私のこの「身体」は、
私の「中心」を担っていた。

中心に戻ることを意識してのことでもない。
まったく、それとは違う。
何もしていない。

そうではなく、リアリティーの問題なのだ。

関心が持てない「妄想自体」というのが、
ぜんぜん、リアリティーを感じられなかった。

内容はいっさい、関係ない。

リアリティーがない、それゆえに、
私は、関心自体持てなかったのだ。

お客さんと接するために動く、
商品を並べるために動く。

そのために、私の身体は動いている。

・・・ここ以外に、私は、リアリティーがまったく見つからなかった。

今日も、これと同じ自覚をもたらす経験をした。

それは、いっけん、身体性とは
無関係に思える体験だ。

詳しいことは省くが、
先日書いたように、このずっと続く味覚異常が気になっていて、
私は、最低でも、これが薬の副作用なのか、それとも、
病気のせいなのか、を知りたかった。

むろん、また何時間も待たされて医者にかからなければ
正確なことはわからないだろうし(それでもわからない可能性の方が大きいが)、
「お手数ですが、また、外来でいらしてください」と言われるのを覚悟で、
電話で問い合わせてみた。

案の定、そう言われたけれど、
担当医からではなく、看護師さんからの見解をうかがうことはできた。

それは書いてしまえば、
「これ以上、何か他に症状が悪化する、とか、そういうことがなければ、
薬の副作用として過敏になることはないでしょう」という見解であり、
そうは直接はおっしゃっていなかったけれど、そういう趣旨の「会話」だった。

今、書きたいのは、
その内容でなく、この「会話」という「直接的な体験」を通して、
私が感じ、「判断」した、そのことについてである。

それは、あっている、あっていない、の問題でもない。

そうではなく、

私は、この「直接的な、実際の体験」、会話という体験を通じて、
「判断」をすることができた、ということなのだ。

その判断自体は、どうってことはない。
あと、1週間は飲んで、また様子を見て、それから考えよう・・・
だいたい、そんなところだろう。

・・・私が、この「体験」という経験を通じて自覚したのは、
今、私が抱く「すべての妄想」には、

何一つ、

「決定する力」

が、「無い」ことだった。

電話をかける前、しばらくは、どうしようかな、
病院に問い合わせてみるか、それとも、ネットでもうしばらく調べてみようか、とか、
実際、電話をかける前に、今までもらった薬について、もう一度、
副作用も含め、ネットで調べてみたりしていた。

それ自体は、やっておくべきことだとは思う。

しかし、要は、「決定力」とは何か?という問題なのだ。

何でもそうだけれど、どんな情報も、
その情報が、何か、私の行動を決定していく情報になるかどうかは、
情報それ自体の信憑性(という妄想)ではない。

「体験」それ自体が、
「決定」していく。

では、体験、とは何なのか?

私が今日、認識したことは、
少なくとも私にとって、体験とは、実感として、

「身体」

を通じて、判断されたもののことだった。

昨日の仕事とは違い、今日は、ただの電話による「会話」だ。

では、この会話と、ネットの情報は何が違うの?
と言われれば、大差があるようには、見た目、感じない。
身体、というより、脳内処理とすら見える。

しかし、実際に、それを経験してみた時に、
私のこの「身体」を通過し、この身体が起動し、
この身体がくだした判断は、ネット情報によるものではなく、
信憑性という意味では「?」マークがつくような、その電話による実際の会話だったのだ。

電話を終えた時、
私は、何かによって、決定力を持ったことは確かだったから、
何が自分に起きたかに意識を向けると、それは、
私の「身体」が、リアリティーを決定していた。

それは、身体の健康状態、とかをいっているのではなく、
電話での実際の会話という体験を通じて、
「身体が感じたこと」のことである。

昨日、今日、これに限らず、
日々の生活の中で、実は、こういった感覚を経験し続けている。

これが、感情なのだ。

妄想には、感情がない。

身体には、感情がある。

この決定的な違いだ。

そして、そもそも、己が何かを決定するという時に必要なのは
感情である。感情がどこで起きているか?といえば、
私は、身体である、と認識している。

「身体性」

といったほうがいいかもしれない。

身体の物理的にどこが、ということではないからだ。

それに、もしも物理的に、目が、とか、口が、といったとしたら、
それは、感覚を意味してしまうことにもなる。
しかし、感覚は、部分的な認識にすぎない。

部分的なものは、つねに、部分的である。

それがすべてだ、という執着、その囚われ、
むしろ、それに囚われてしまいたい、そうやって自分がやっていることは
正しいんだ、仕方がないんだ、と正当化したい・・・AC人格がずっとやってきたことだ。

身体性、と私が感じているのは、
妄想化しえない。

なぜなら、リアリティー自体のことだからだ。

感情、というのがリアリティーのある体験だとすれば、
「感覚的で部分的な認識のみ」の体験というのは、
私は、どう、言い訳をしても、
「ぜんぶ、妄想」だと思っている。
それがどんなに、強烈な印象や記憶や感覚を残しても、である。

感情が動く、そういう体験と知識が、
技術になっていく。そのことを、打身の自主練でいつも感じている。
これは何も、楽器特有の技術に限らず、「技術」というのは、
共通して、感情が生んだもののことを、私は技術と定義している。
でなければ、それは、ただの死んだ知識にしかならない。
ただの現象であり、ただの気づきであり、通りいっぺんの快不快でしかない。

それがどんなに、快であろうと、
それがどんなに、不快であろうと、
「リアリティーのないものは、リアリティーがない」
という一言以外、何ものでもない。

自我復元は、その一言で壊滅すべきにしてすべきものを、
抵抗し続けるAC人格との格闘を通じて、
壊滅すべきにして壊滅させる決意と実践だったわけであり、
今、私がやっていることは、それと、まったく変わらない。

しかし、これほどに私が、今、
相当な自覚、容赦ない目と手で妄想を駆逐していくに至ったのは、
これは、先日の、「死に際の変更」が大きい。

今、私は、

妄想=却下

である。

理由は無し。

リアリティーのない妄想は、内容問わず、却下。
無関心、何の興味も無し。

そして、私が生きている世界は、
しばらく前に書いた通り、純粋に、
「身体世界」である。

身体性、感情、
ここに、私は、リアリティーを感じている。

そこで生きるんだ、とかではなく、
そこでしか、私は、そもそも、生きていなかったわけである。
それどころか、AC全開で存在していた時というのは、
ゆえに、「生きてすら」いなかったのだ。

死に際を変更し、私に、まず何が起きたかというと、
生き方の変更だった。

それは、当然すぎる変更だった。

死に際が変わる、ということは、
即、生き方が変わることのことだった。

満足してなど、死んでたまるか!

という声は、この生きている今、放っているものだったのだ。
まず、そのことを、今朝、自覚したのだ。

「不満でいい」

この身体、決して、満足など求めていなかった。

というか、「満足、という言葉」を知らなかった。

この身体、どんどん、いろんなことを体験するために、
私は、この身体と契約した。

一言も、満足させてあげます、とか、
そんなことを、契約したのではない。

もしも、Pや毒親との契約で、
そんなふざけたことを私が己を失い口走ったのなら、
それは、不幸にしかならないので(40年のこの生で実証済みである)
不当契約として、当然、却下である。

「やり残し」

「不十分」

結構なことじゃないか。

それでいてこそ、死に際、

「ふざけんなよ、何でもう死ぬんだよー。
今いいところだったのに、ちょっとちょっと、どうなってんのさ」

と、心地よい不満を死後ぶちまけることができるのである。

それでこそ、ならばこそ、死後、私が本当に望む環境を
「今度こそ、もっとすっごく細かく精査してやるぞ・・・それでも
もっともっとと、次も思うかもしれないけどね」くらいの迫力を、
私は、今の私なら、持っている。

・・・その実際、その現実に見合う生き方をせよ、
というのが、妄想などに脇目をふらず、今生きようとする私の決心なのだ。

不満で結構!

満足なんか、何それ???

というのが、この私の身体が言う本音だからだ。

今日は、実は、4時間ぶっ通しで自主練をした。
毎日2時間が基本だし、それをやるぞ、と言っていたけれど、
昨日は、体調と睡眠もろもろを考慮して、
自主練はできなかった。残念だったが・・・明日、倍やればいい、と結論。

で、今日のことは、練習ノート(らくがき帳だが)に
何ページも書いたので、それは割愛するとして、
ここで書いておくべきは、もうその4時間は、
身体、感情、これによる体験のオンパレード、生きた技術、
ユニークな技術習得の連続に続く連続であった。

あっという間に4時間。

はたからみたら、延々と「ファラドファ、ソシレソ、ラドミラ・・・」
という徹底した基礎練習にしか見えないし、何が面白いのかと思うかもしれないが、
別に曲が弾けなくても、これ以上ない面白さである。

どんどんできるし、なかなかできない。
余談だが、2週間に1っぺんのレッスンで与えられる課題を自分のものにするのは、
毎日2時間の練習は、妥当だ、と思った。これくらいやらないと、やったとはいえないし、
レッスンが楽しいはずがないことを、やってみて実感している。これは余談。

・・・どんどんできるし、なかなかできない。もっとやろう、どうやるんだ?
どうやってやろう、よし!、あれ?ああ、もう時間?ちょっとまだなのにぃ・・・!

この、そう、これは、子どもが
子どもとして、その時期に、
こうやって、ただただ、楽しい、を経験していいことだったものなのだ。

「これでいい」というAC人格について、
私は、決定的で、AC人格に対しては壊滅的で、
私が、ブログを書き始めた最初から書いてきた違和感にとって

「崩壊」

そのものとなる理解は、

これでいい、とは、いったい、その根本の根本は何だったか?
ということについての考察だった。

何が、これでいい、だったのか?

これでいい、というこの表現自体が、
実は、私の「満足」を定義づけているものであり、
ここに、省略されている、隠された言葉があったのだ。

「これで、死んでも、いい」

これでいい、とは、
私は、いつも、「これで、もう今、死んでもいい」これを目指す像だったのだ。

私は、普通の生活を今日しながら、
今まで、私は、それこそ、毎瞬間、何を考えていたか?
それは、何かをしながら、あるいは、何もしなくても、
「こうしている自分が、今、死んでも後悔しないか?」
そればかりを考えていたのだ。

今まで、私は、こればかりを考えてきた
42年間だった。

これに対して、私は、
死に際を変えることで、180度、
今まで絶対に言わないことを言う人間になった。

「今死んだら、嫌だよ」

だ。

今死んだら、後悔するに決まってるだろ、と。

死んでいい、そう了解している身体など、
私は持っていない。

いまや、この身体は、Pのために死んでいい身体でも、
毒母の道連れになっていい身体でもない。
何があっても、私が、生きろ。
そう思っているし、他人にも、子どもたちにも、あなたが生きろ、と言うだろう。
それあっての、生でしょ。それがなかったら、「なんなんだよ!」と不条理極まりない。

今死んだら後悔するに決まっている生き方だけが、
本当に満足して死ぬ死に方に決まっているでしょ、って。

そうやって満足して死んだのに、
「満足なんてしてねーよ」と言う精神を持たないのなら、
肉体を持つ人間を選ぶ資格などないと、私は思うようになった。

満足などしなくていいのだ。

たとえ、それが満足というものだったと仮にしても、
満足をするために、生きているわけじゃないのだ。

生きたくて、生きている。

ならば、死んでも、生きていろよって。

満足とは、

ただの妥協だよ。

このへんでいいかな、みたいな。

私がこれを、恨みのように言うだけの背景は、
私は、そうやって、おそらく、何度の生も失敗して、
誰かのためなら、まあ、いいか、を繰り返す己に対する冒涜を
繰り返してきてしまったからだ。

その性質、それこそが、生前記憶を探って掘った私の性質だったが、
そういう精神が、今回の毒親を、根本的な疑問を抱かずに選んだ原因だったからだ。

根本的な疑問とは、

「誰の生なのか」

という、本来見失うはずのない自覚を、
私は、いつから無くしてしまったのだろう・・・という問題への直視だった。

私は、その本当に、わずかな神経だけで
自我復元を始めた。

その違和感だけが、まったく先の見えない自我復元を
何年も、正直、やめないためにやめなかった。
それしかなかった。それだけが、リアリティーだったからだ。
この違和感だけが、リアリティーとして私が認めるのを
決してやめてしまってはならないことだった。
どんなに、それに疑いを持ち、どんな現実の障害が立ちふさがっても、
やめてはならなかった。やめたら、それこそ、後悔するのは明確だったからだ。

満足、とは、

「仕組まれた交換条件」

かのごとく、今の私には思える。

これでどうでしょうか?ってやつだ。

そう言って近づいてくるヤツに、
お前誰だよ、って、なぜ、言わなかった?

私は、私が生きたいように、生きる。決める。

それがブレない生き方がある。

私が、今、死後のシミュレーションとして
日々実践していることは、そういうことなのだ。

妄想は、いらない。

私のこの身体が、感じたこと、喜怒哀楽好恐、
それらしか、ここにないのだから、
これが、判断していく。

満足とは、幻想である。

「これでどうでしょう?」

という声が、本当にリアリティーがあるかどうか、
死後、胸に手をあてて聴けばいい。

お前、誰だ?の世界であることは
明々白々である。

ずっと抱いたきた違和感は、
崩壊していく。

「これでいい」という妄想、
かつて、コイツが何事もよしあしの基準を決めつけていた「これでいい」妄想に、
もはや、何の「決定力」も持たなくなった今、

その、

「不満、結構」人生に進路を変えた今、

リアリティーだけが残る、この身体世界の

「ここ」

に、その違和感は、

「不要」

である。


2016.04.11
あび

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by jh-no-no | 2016-04-11 23:57 | 私の生き方

死に際の変更-自我復元後日記[029]

昨日から今日にかけて、
私が経験したことを書きたいと思う。

自主練のことも書くつもりだけれど、
それは後半にしたい。

いくつかのことを
書いていくと思う。

今日仕事中、実は、ずっと感じていたことがあった。
それは、仕事中、に限らず、本当は、しばしば感じていたことだが、
本来仕事とは無関係なことにも関わらず、今日は、
そのことを、ずっと、感じていた。

それは、すごく、いやな感覚だった。

それが、まず、意識されるのが、
私がこう頭によぎった時だ。

「死んでしまうんじゃないだろうか・・・」

それは、肉体的に、という意味である。

実は、これは、今に始まったことでなく、
成人してからは、ごく普通に、よく思っていたことだった。

私自身、自分が未来生きている、その未来が
まったく思い描くことができなかった。
明日、私が生きていなくても、
そうかもしれない、と、日々、力なくそう思っていた。

そういう感覚が今日もあった。
それには理由があるのだが、それは後述するとして、
まず、その感覚について、もう少し書いておきたい。

それは、まるで、
悲劇のヒロインのようなイメージなのだ。
ここで、ヒーローでなく「ヒロイン」というふうに思うあたりもおかしく、
しかし、私は、まるで、「この身、十分、(燃焼)し尽くしました」のようなセリフが、
なんだかわからないけど、私にお似合いかのように、決めつけられている。

そして、私は、

「満足そうな顔をして、(身体が)死ぬ」

のだ。

そういう死に際のイメージを、
私は、ずっと抱いてきた。

かつては、それが最高に甘美な死のようにすら思っていた。


・・・ところが、今の私には、最高に

「いやな」

イメージや感覚になっていた。


こう感じ始めたのは、おそらく、そんなに前のことではなく、
最近、身体のことに意識が移ってから、加速度的に
そう感じるようになったように思う。

これは、自我復元において、
AC人格との格闘の際にもいつも書いたことだけれど、
今でも私は、これだけは断言できる、と思うのは、
AC人格のもくろみ、すなわち、毒親のもくろみとは、
「生気を奪う」ことだ。元気を奪い、顔をどんよりさせる。

逆にいえば、元気を失わなかったら、
その格闘で負けてはいない。

それで、では、今まで甘美な死に際にすら思えていた、
自己犠牲的で、その犠牲、実はそれは、「身体の死、という犠牲」だったのだが、
その犠牲の「代わり」に、何かを「し尽くした」というこのイメージだが、
私が、今、このイメージをふと抱いてしまうことに、
猛烈な嫌悪感を抱くのは、理由はたった一つで、

「元気がなくなる」

からなのだ。

今日思ったことだが、
どうやら、今、私は、この自分の「身体」がないがしろにされたり、
何かの犠牲になることを、まったく、了解できない。許せないのだ。

それは、

「ふざけんな」

という、怒りの感情である。

まったく了解できない。
悲劇のヒーローでもヒロインでもどっちでもいいが、
そういう自分に1mmも酔えないのだ。

しかし、このように酔えない、と明確に自覚できるようになったのは、
先も書いたように、ごく最近なのだ。
「身体」おそらく、これが、キーワードになるように思う。

これについて、今、私は自分にどういう仕組みでこう思っているのか、とか
そういう分析を、今、ここに書くつもりはない。
書くつもりはないどころか、自分でも、分析しようとしていない。

その必要がないほどに、明確な結論がある。

それは、もうずっと掘ってきたことだった。

私は、母に、Pに、「尽くす」役目を選び、
そうやって、この世に生まれてきた。

その目的は、まさに、自我復元に出会った時とほぼ同時に、
達成された、かのように、それほどに完璧だった。
私は、正直、もう、生きていなくていい、と
その時考えていて、それは考えていた、というより、
自分が明日を、未来を生きているイメージがまったく持てなかった。

その代わりに、私は、Pへの遺書、がその典型であったように、
この身を、Pにささげた一生が、いかに「甘美なものであったか」という
自己陶酔だけで、生き延びていたような状態だった。

ここで、一気に、書ききろうと思う。

私の「満足」とは何だったか。

Pに尽くせてよかった・・・この「身」・・・、ということなのだ。

「あなたのためなら、死んで本望」という死に方こそ、
私は、自分が満足する生き方、死に方だと思っていた。

死に際の変更、について書く前に、
昨日、今日の経験について、書いておきたい。

大風邪(風邪ではなかったのだが・・・)をひいてから、もう、一か月が経つ。
膀胱炎、尿道炎、前立腺炎、等々と診断され、薬を飲み続けている。
口の中がいまだまずく、このような味覚異常は、薬の副作用かどうかも
もはやあやしい、と思っている。

昨日も、私は、体調を崩した。

悪寒がし、かなり汗をかいた。

私は風邪をひくときは、今まで必ずといっていいほど
喉が痛くなった。そうなると、翌日か翌々日には、悪寒、発汗という症状が出る。

ところが、今回は、喉の痛みはまったくなく、
定期的に、悪寒、発汗、そして微熱、という症状が起こる。

詳しくは一か月以上つけ続けている「病状日記」に書いているので
ここに書く必要はないのだが、つまり、まったく、治っていないのだ。

泌尿器の炎症に典型的な頻尿感や、
排尿時の違和感も、あいかわらず、ある。

こういうなかで、私は、
「打身」という楽器をやってみたい、という
それこそ、生命力を投じた。

今日(もう昨日のことになるが)のことだが、
私は2時間練習をやる、と決めたので、
どんなことをしてもやるぞ、と思っていた。

しかし、さすがに、汗もひどく、仕事もある。
睡眠を重視し、今日はやむをえない、と判断した。
私はそれでも、寝ながら、「ファラドファ」「ソシレソ」・・・
と頭で唱えながら、指の位置を確認し、15分でも、という思いで
布団のなかでイメトレをした。

ぐっと汗をかいたせいか、
急に調子がよくなり、仕事前、1時間練習ができた。
自主練のことは、また後で書いてみたいが、
そんなこんなで、職場に向かう。

話がわかりにくくなるかもしれないけれど、
仕事中のことで、別の、このことから書いておきたい。

それは、「どもり」のことだ。

大事なことは、前にも書いたけれど、
「治る」のではなく、「治せる」ことだ。

しかし、それは、決して簡単ではない。
40年以上の粘土層を掘っていくような作業なのだ。

習慣を変える、身についた癖を変える、
というのは、私はそういうものだと思っている。

ここでも同じことがいえる。

私は何が以前と変わったか、といえば、
40年以上の分厚くガチガチな粘土層が何kmもあろうが、
私は、まったく、「めげない」ことだった。

これは、AC人格との格闘を何度も繰り返し、
殺されそうになりながらも殺し続けていく中で、
知るに至ったことがある。

それは、AC人格というやつが手段を選ばないのだとしたら、
私もこの癖や習慣の解除には、手段など選ばない、ということだ。
私が、なぜ、AC人格に負けない、と断言するか、というと、
彼ら以上の手で、私は、絶対に手段を選ばずやつらを殺す、という
信念を手放さないからだ。

その前提で、だが、

私はその精神で、ずっと、どもる、という顔色を伺うACが身につけた癖と
格闘してきた。そして、それは、改善していくこともわかってきた。
それ自体、何か問題があるわけでもない。改善するのなら、していけばいい。

しかし、私が、今日、
まったく、このどもるということに対して、
今までとは違う認識を持った。

それは、

「どうでもいい」

ということだった。

あれほどにどうでもよくなかったのに、
それは、まったく、どうでもいいものになった。

なぜか?

これは、打身の自主練とも関係があったし、
昨日、ブログで書いた同業者の所作を見たその体験も大きく影響した。

「身体」

これ以上、いったい、何があろうか?

先日のその同業の方の所作を見て、
その所作とは、ただの「動き方」であるが、
その所作を、「身体」が行っている・・・

その「身体全体の営み」に対して、
いったい、口の感覚、声や発声、どもるどもらない、
そういうことは、どれほどの「重さ」を持つのだろうか?

私が思いこんでいるほど、そう、ぶっちゃけこう思ったのだ。
口がそんなにエライのか?
どもらないことがそんなに意味があるのか?
と。

私は、今日の自主練で、面白いことを発見した。
それは、私の、今後の独自の練習法になるだろう。

話があちこち飛んでいるけれど、
私の中ではつながっているので、
もうしばらく、書かせていただきたい。

楽器というのは、当然だが、最初はどうしても「目」に頼る。
どこを押さえるのか、どこに触れるのか、
それは、たいてい、「目」で確認し、覚えていく。
どこが、ファで、どこが、ソ、か。

しかし、今日、私が発見したことは、
本当は、その楽器に対して、「目」は別な角度や位置にあったほうが、
より、自然ではないか、ということだった。

とはいえ、「目」を抜きとって移動させるわけにはいかないから、
そうだ、と思ってやったのは、目を閉じることだった。

そうすることで、私の目は、空間を自由に移動できる。
楽器に対して、今の目の位置でなく、別の位置に移れる。

つまり、こういうことなのだ。

楽器が求めている視点とは、
何も、私のこの目の今の位置とは限らない、ということだった。

では、楽器が求めている位置、というのは、
「何が」決定するのか?だが、私が理解したのは、これこそが、

「身体」

だった。それは、目や手、といった部位のことではない。

だからどうもうまく言えないのだが、
「身体」という司令塔が、それぞれの器官に、動き方や位置を求める。

同業者の方の話を書いたが、
その所作のほうが、「身体」に近い。
手や口や、まして、声でも言葉でもない。

「身体」が、それぞれの感覚に、
しかるべき働きを要求していく。

これは、仕事中によくわかった。

へんな言い方だが、私の「身体」が「それでよし」とする程度の
どもり方、というのが、自然とあったのだ。
それは、どもっているのがいいとか、仕方がない、とかではなく、
今の私のこの身体が、「それでよし」と許容している各感覚の働き具合い、
というのがあったのだ。

逆にいえば、私には、今は、このくらい、話せればいい、
このくらいは言葉がつまっていい、ということを、
私のこの「頭(脳)」ではなく、「身体」が決めていた。

それを理解したとたん、
私は、どもる、どもらない、ということが、
どうでもいい重さとして、再認識された。

この「身体」、これ以上、何があるだろうか・・・

どうしても、こういう表現になってしまうのだが、
こうとしかいいようがない。

いつからだろうか・・・

「感覚」が、この身体よりも優位になったように
錯覚していったのは。

私は、自分の身体を、ずっとないがしろにしてきた。

そして、あらゆる妄想を大事にしてきた。

妄想は脳内で起こることではあるが、
思考活動そのものが妄想を生むだけでなく、
あらゆる「感覚」が妄想を生む・・・というか、感覚そのものが妄想化する。
感覚に囚われる、ということだ。

それはわかりやすくいえば、
素敵な音楽をきいた時、うっとりすることだ。
ここでいう「うっとり」とは、「寝入ってしまうこと」のこと。
依存してしまうこと、あるいは、身を委ねてしまうこと。
・・・実は、これが、身体を投げ出す自己犠牲のことなのだ。

私は、楽器を弾くとき、
これは大事だ、と思っていることがある。

それは、

「演奏者と等身大の音しか、絶対に生まない」

ことである。

演奏者が行ったこと以上の音が出てもならず、
それ以下の音が出てもならない。

それは、そういう微妙なバランス、とか言っているのではなく、
背伸びをしたり、別な目的で楽器に触るな、ということである。
楽器を自己演出の道具にするな、ということである。

こういう音を出したい、こういうふうに弾きたい、
だから、そのためにはどうしたらいいか?
どんな技術や練習が必要か?・・・それだけだ。

だからこそ、私は面白いと思っている。

自分がやった以上のことも
それ以下のことも起こらない。

それが「楽しい」に決まっている。

たとえ、未熟な音でも、それが等身大なら
楽しい。演奏者自身が楽しいのだ。

あ、できた!
ん~、どうもできない・・・

それは、とても楽しい。
その感情が動く時、前回の投稿にも書いたけれど、
それが、自分の技術になっていく。
また、その技術を身につけていくための方法が、
練習方法、練習課題となっていく。

ごく当たり前のことだ。

私が今教わっている先生は、
その等身大さが、徹底している。
やった分しか音が出ていない、その単純さゆえに、
私は、この先生から、澄んだ技術を教わりたいと思っている。
その音を出すためだけの目的の技術だ。

そういう先生なので、
一人、楽しそうである。
一人で完結した楽しさがそこにある。
もしも誰も観客がいなくても、一人、弾いているに違いない。

私が体験レッスンの時、
はじめてこの楽器を触り、一音を弾いたとき、
やっぱり、好きだ、この楽器、と思った。
そして、先生も、「うん、ナイス」と、そのたった一音の世界を
私と一緒に楽しんだ。

話は、死に際のイメージに戻る。

今、なんだか、自分でもわからなくなるほど、
さまざまな話を書いていった。

しかし、このさまざまな出来事は、
私に、日々、「身体」を意識させた。

私には、この「身体」を犠牲にして、つまり、
この身を捨ててまで、何かのために尽くす、とか、
今の私には、考えられない、ということなのだ。

どれほど、私は、これほどの身体を
どこまで軽んじ、ないがしろにしてきてしまったのか。

この「身体」こそ、楽しさの源泉だったではないか!

目や口、その他のさまざまな感覚、
これらを軽視するわけではない。

けれども、

感覚という「妄想」が、
この自分という「身体」以上に優位になってしまうとしたら、
それは、身体を犠牲にしてもいい「何かがある」ということなのだ。

・・・それが、私の場合、Pだった。
また、成人するまでは、母だったのだ。

そうやって、身体を犠牲にして死ぬ、というイメージ、
その代わり、Pのために、母のために尽くして生きた自分への陶酔感、
これがかつての私の「満足」の定義だった。

そして、この一か月、私は、いっこうに身体が治らない。
このこと自体は、ぜんぜんいいことではないのだが、
一か月、ずっと、治らないまま、という状態ゆえに、

「死んでしまうんではないか・・・」

という思いを、だらだらと抱かせた。

しかし、昨日、私は、この思い、この感覚がよぎるのが、
すっごく、いやだった。

なぜなら、ここに「甘美な思い」に酔う感覚があったからだ。
よくやった、十分生きた、この身体、ありがとう・・・

とたん、

私は、心のなかで叫んだ。

「ふざけんなっ!!」

と。

こんなところで死んで、ぜんぜん、納得なんかいかない!

そう思っていることに気づいたときに、気づいたのだ。

「よくやった、十分生きた、この身体、よく頑張ったね、
僕は十分満足だ・・・」

っていう、これって、いったいなんだったか?というと、
Pに尽くして死ぬ死に際のイメージだったんだ、と。

また、そのとたん、

私は、死に際、死後のそこで「言うこと」を変えた。

「ぜんぜん、満足しちゃいない。
ふざけんな、もっとこの身体、たくさんやりたいことあったのに!
なんで死んじゃうんだよ。すげー楽しいところだったのによー、ふざけんなよぉ!!」

ぐらい、私は言ってしまうと思う。

そのくらい、私は、今、この身体をわずかもないがしろにできないどころか、
この身体こそ、私そのものだと思っている。

私は、今まで、死んだときに満足することが、
理想だと思っていた。

しかし、今は、そうは思わない。

満足など、絶対しない。

ふざけんなっ、納得いかねーぞ!って
死んだときには言ってやるんだ。

死に際、私は決して満足なんかしない。

今までの死に際のイメージを
180度、私は変更した。

その結果、私は「元気」を取り戻した。

「死んでしまうかもしれない・・・」
という元気のなかった妄想から、

「なんとしてでも生きる!」
という元気のある決心に変わった。

私の身体のことだけれど、
発想を変えて(そう、こうやって変える元気が出るんだよ)、
鍼灸医院などに行ってみてはどうだろうか、と、
今、考えているところ。

わからないが、今回のこの病の原因は、
私の勘では、突発的というものでなく、
AC人格をずっとやってきて弱ってしまった臓器、
おそらく、腎臓、消化器、このあたりが相当弱ってしまったのだと思う。

AC人格で生きて死ぬのなら、それでよかったことだったのかもしれない。
だけれど、私は、そういう人生をやめたから、
やっぱり、弱ったところは治さないといけない。

今服用している薬は、対処療法としてはいいとしても、
私は、それで、根治するような気はしない。
実際、ずっとこうやってくすぶっているのだから。

「死んでしまうかもしれない・・・」と弱気だった時は、
来週にでも、もっと信頼できる医者を探して、
徹底的に調べてもらわねば、と焦っていたけれど、
その妄想が消えていくことで、なんだか、余裕が出てきた。

「・・・そう簡単に死なないんじゃないか」って。

すると、また、考えることが変わってくる。
手術で悪いところを切ってやれ的な雑なふうではなく、
ゆっくり、それでも、治していければいいんじゃないか、と
思うようになった。それで、ふと、鍼灸なども視野に入れてみたわけ。

私は、治していくよ。

だって、私は、打身の奏者になるんだから!

この楽しすぎる練習を、もっともっとやりたい。

それで、今日、仕事から帰ってきて、
私は、真夜中の3時、工夫をして消音方法を考え、
目隠しをし、独自に考えた練習方法で、1時間、練習をした。
計2時間、しっかり練習できた!

音が聞こえなくても、
目隠しをして何も見えなくても、
十分、音楽を楽しんだ。

身体全体で、音楽を楽しんだからだ。

たまたまだが、昨日、
ある曲を先生が演奏しているのを聴いた。
はじめて聴いた曲だった。

その曲の作曲者は、大人になってから失明し、
それから、この楽器を知り、この楽器に生涯をかけた人であることを知った。

私は、昨日、この目を閉じた時、
この楽器が求めている「目の位置」に目が移動し、
それと同時に、手首の角度が安定する位置がわかり、また、
肘がどう動いているかが、よくわかるようになった。

今までのように、この目で見て、この目に頼っていると、
身体のさまざまな部位が、バラバラに感じるけれど、
「身体」そのものが軸になれば、目の位置、手の位置、肘の位置は
それぞれが連動するように、落ち着く場所に、落ち着いていった。

目は、あくまでも、一つの感覚にすぎない。

どもる、という問題も同じだったけれど、
話す、しゃべる、これらが、身体全体をさしおいて
でしゃばると、あたかも、話す、しゃべる、といったことが
とても重要なことのように錯覚していく。

どもること一つあげても、それはわかることだが、
どうして、そもそもどもるとかが問題になったか、というと、
顔色をうかがうAC人格、つまり、毒親からの暴力があったからなのだ。

ならば、どもらないようにしよう、となどする必要もない。
もちろん、変えたいと思うなら、変えていけばいい。
だけれど、そんなことよりも、そんなものの「重さ」よりも、
毒親が虐待したものは、私の「身体そのもの」、結局それは、
「感情そのもの」なのだ。


2016.04.10
あび

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by jh-no-no | 2016-04-10 09:46 | 私の生き方

嬉しかった3つのこと-自我復元後日記[028]

嬉しかった3つのことを、
今日は、書いてみたい。

2つは、自主練で感じたこと。
もう1つは、さっき、買い物で感じたこと。

まず、最初の2つは、昨日、今日の自主練で
嬉しかったこと。

1つ目は、手の角度をわずか変えただけで、
楽器との触れ合いが、とても心地よいものになったことだ。
なんて気持ちがいいんだろう、の一言に尽きる。

2つ目は、使わない指を、そっと握るように動かしてみる。
その指が、他の指に、これから進む方向をそっと示してくれる。
そうするだけで、私の他の指の緊張は、やさしくほぐれていった。

この嬉しい発見は、私の技術になっていく。
感情を動かした練習成果だけが、技術といえるものだ。

3つ目は、さっき、私は買い物をして、
私と同業の方と接する機会があった。

私は、その方が動いているその「所作」を見ながら、
私は、自分もまるで同じように動く仕事をしていることを
強烈に、誇りを感じた。

同時に、その方が同じこの仕事をしていることも
私は誇らしく、嬉しかった。

たまたま出会った仕事だったけれど、
もしも私がおじいちゃんになってもこの仕事が続けられるのなら、
私は、これからもやっていきたい、
私は、その方の所作を見て感じながら、そう思った。
この仕事に出会えて、本当によかった。


2016.04.08
あび

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by jh-no-no | 2016-04-08 21:19 | 私の生き方

「楽しくて、泣きたくなる」-自我復元後日記[027]

昨日、自主練2日目、
私は、「姿勢」について、体験したことを
書くところから、書き始めてみよう。

自主練2日目も、鏡を見て、ファラドファ、といった
基本的な指使いの基礎訓練を、2時間行った。

まだぜんぜん、なのだが、
指の感覚が少しずつ馴染み始めたころ、
一度、はっと思い、姿勢を正し、その同じ練習をしてみた。

驚いたことに、
一言でいえば、「身体感覚」が桁違いに敏感になり、
その楽器が求めていない動作を私がしている場合、
その違和感は、のぞきこんで必死に練習している時に比べて、
それこそ、桁違いなものだった。

自然と目をつむった。

その桁違いさは、さらに顕著に浮かび上がり、
私が今、どんなふうに弾いているのか、
それは、目で見るよりも、はるかに鮮明に身体感覚で理解できたのだ。

よく、姿勢をよくすることの大切さをきくことがある。
これは何においても、よくきくことだ。

しかし、今回、私はこれを体験し、理解したのは、
ただ、姿勢を正しても、それは何にもならない、
何も起こらない、ということだった。

私が姿勢を正した時に、同時に何が起きていたか、というと、
それは、楽器にのぞきこむように(まさに姿勢もくそもなく)
その細部に関心がぶっ飛んでいたものが、
スッと、中心、に戻ったのだ。

姿勢を正す、というのは、
どちらかというと、そのきっかけ、というか、
補助的なものだったことに気づいた。

記憶は定かではないが、おそらく、私が
姿勢を正した時、まず、「目」はやや見開いたはずだ。

これは、まったく、
「中心に戻る」それとまったく同じだった。

そして、目をつむり、
それがまた、補助的に中心の感覚を強めた。
これは、私の場合だが、目をつむる、というのと、
逆に目を見開く、というのは、紙一重のところがあるし、
中心の技法をやっている時も、それは、よく感じたことだった。

どちらの場合も、私の場合、
遠くの関心から、ぐっと自分の中心に引き戻す作用を促す。

少し前の投稿で、仕事中、姿勢を伸ばし、
目を2倍開いて、口も2倍笑い・・・ということを書いたが、
私は、今日、姿勢を伸ばす、というその姿勢自体が、
本来、どういうことを意味するのかを、体験することができた。

そして、これが、私に、何が重要だったかというと、
中心云々、とかいう理屈でもなければ、理解でもなかった。


ただ、純粋に、


姿勢を伸ばしたその時、


私は、とっても、楽しかった、ということだ。


そこで、この身体が感じたこと、身体だけではないかもしれないが、
いずれにせよ、その瞬間に体験したこと、その楽しさ、
これだけが、重要だった。

その証拠に、今までの思考習慣で、
「こういうことか・・・だから、こうすれば、
今後も練習に役立つんじゃないか・・・云々」
と、数分、考えてしまった時、それは、

「とんでもなく、つまらない生」

へと、この生に影を落とした。

むろん、私は、どんな理由も、正当化もなしに、
私は、この妄想を切り落とした。

「楽しかった」
「楽しいと感じた」

それだけで、十分である。

私が、今、拾い上げるのは、
「楽しさ」だ。

楽しくないことは、理屈抜きに、
切り落とす。

すると、私は、こういうことに気づいた。

私にとって、姿勢を正す、ということ、
こういったことで感じ、気づいたこと、というのは、
私を束縛する価値観になるのではなく、

私の

「技術」

になることに気づいた。

私は、今、指導を受けているが、
私の目的は、たった、一つ、
その音を出したい、だから、その技術を身につけたい、
それだけなのだ。

書いていて、自分でも不思議だ。

私は、今まで、技術を身につけたい、など
人生、一度も、思ったことがなかった。

しかし、今、私は、
その私が目的とする「技術」を習得することが
猛烈に楽しい。

そのこと自体に、私は、気づいた体験でもあったのだ。

姿勢を正し、目をつむる。

中心に戻る。

しかし、それは、自我復元を応用して、とかではない。
ここは、自分でも、決して間違ってはいけないところで、
決して、応用しているのではないのだ。

これは、新しく、経験として、知ったことなのだ。

中心、とは、私は、今、
「身体」と言い換えてもいい、と思っている。

漠然と身体、ではなく、
「自分の身体」だ。
「無二の我が身」のことだ。

そう、自分の身体、という抽象的な理解でもそれは違っていて、
絶対的に、無二の、私の、この身体、というもののことだ。

結果、そう、それは結果、だから、私が知る由もないのだが、
なぜか、身体感覚は、桁違いに鋭敏になる。
それは、ビジュアルより、はるかに、正確な感覚を捉える。

それが、

楽しい。

身体が感じているからだろう。

それが、楽しい。

だから、きっと、それが

「技術」であり、技術を体得していく楽しさなのだろう。

これが、昨日、私が自主練2日目で体験したことだ。

・・・とはいえ、初めてのデジカメで自分を撮ってみたのだが、
ぜんぜん、まだまだ。なんじゃこれ、って感じだった。

それは、この身体感覚が、なんだ、間違っていたんじゃん、とか、
正確じゃなかったんだ、ということとは違う。

「こうやって、身につけていくのが、練習というものだ」

ということを、私は知った。


自主練を終え、仕事に向かった。

どもる、ということを、治していく、ということを
この前も書いた。これは、治る、とかでなく、意志し、治すのだ、と。

だから、一筋縄ではいかない。
当たり前だ。40年以上かけて、この身にしみついた
委縮癖だからだ。

これについて、今日も、どもるのがぶり返しそうになると、
私は、いろいろと試行錯誤した。

そして、わかったことがある。

徹底してその現象を見ていくと、
もっと早くわかりそうなものだが、実は、私がどもる時の「言葉」が
あったのだ。

それは、

「し」

や、「ず」

だった。

これは、口の形でいえば、「い」である。

唇を横に開き、口角があがれば、
明るめに、自然に発音できる単語だ。

ところが、わかったことは、
これは、無理に笑顔を作っても、どうもダメだ、ということだった。
むしろ、その「無理に笑おうとしている力み」が、
「し」や「ず」といった発声力を、奪っていく。

生体反応と同じで、こうやって「力」を奪われると、
ゾンビになるのだ。これが、私が理解した「どもる」という現象だ。

さて、では、なぜ、この「い」の形でどもるか?
といえば、考えてみても、わかりやすかった。

今まで、生きてくるなかで、
どれだけ、力んで笑ってきたか、ということに尽きた。

今日、どもるような時に、自分がどんな口をしているか、
鏡で見ることはできなかったが、自分の身体感覚としてもわかったのは、
自分では口角をあげているつもりでも、たしかにあがっているのだけれど、
なんというか、それに「歯向かう」「抗する」ように、
口の端点が「下がっている」感じになる。

これは、なんとも、不気味な顔だろう。

そして、私は、この顔を知っている。

私の育った家族、全員の顔だ。
父も母も、妹、弟、そして私。

仕事をしながら、そのことはすぐにわかったわけだが、
ではどうするか?というと、それも今の私にとっては、
やるべきは、ひとつだった。

「笑う」ことである。

口を、それでも、2倍、笑うことである。

そっち、その身体のほうに、現象を誘うことだった。

それは、100%、意志による行為だ。

自分でも、どうして、それが可能となるのかはわかっていた。
なぜなら、そこにまったく迷いは、もはや、なかったからだ。
言い換えると、私は、「どもる必要」は、もはや、まったく無かった。

身についたものを、取り除いていって、
新しく意志するものへと、作り変えていく。
それをするのに、口を2倍笑うという身体への働きかけが必要だったのだ。

これも、言うまでもないが、
姿勢を正せばいいのではないのと同様、
笑えばいいのではない。

笑えばどもるのが治るのではなく、
当たり前のことだが、どもりの原因が、毒親の毒にあることを
毒親分析とAC人格との格闘という3年に渡る生きるか死ぬかがあってこそ、
というか、それが、「治す」という「自分の意志と絶対という決意」の力となっている。

姿勢を正すのが、中心の圧力を促すのも、
それは自然とそうなるのではない。
でも、思ったのは、姿勢を正す、というのは、
本来は、自我という機能が正常に機能してこそ、
その指摘が、意味を持つのだろう。

合気道のおじいちゃん先生は、
「居合は、姿勢づくり」といつも言うけれど、
私は、今回、この言葉と新たに向き合い、今週からの稽古に臨みたいと思っている。

目を開く、というのも、同じで、
私が、先日も、目を2倍開こう、としたのは
それは、この3年間かけて、どれだけ自分が、ぼけーっとした半開きの目、
つまり、死んだ目の妄想人間として死んだように生きてきたかを、
徹底して知ったからなのだ。

真に目を閉じる、
真に目を開く、
というのは、私の体験では、
目そのものではなく、その奥にある「中心」に戻ることと
私の場合、同じ、といっていいくらい、同義なものになっている。

それがいい加減だと、
目を開けば、あちこち関心はただ飛ぶだけだし、
目を閉じても、より、妄想というのは暴走しやすい。
だから、物理的に開く閉じる、ということの背景に、
やはり、「中心」に戻る感覚がある。

そして、なによりも、そもそもどうして私は中心に戻ろうとしているか、
というと、「そこが我が家だから」ということになるが、
なぜ、そう思っているか、といえば、
自我復元という死に物狂いの日々で、
私は、そこが、

「楽しかったから」

なのだ。

楽しい、という感情を、はじめて知った経験。

それが、「生きている」ということだった。

苦痛しかなかった、そこにだけ、
私の感情の針は振れた。
振れた感情の針が指していたもの、それが
「楽しい」だった。

そして、前回の投稿と重なるが、


そこ、とは、


「絶対的に一人」の、絶対一人世界なのだ。


職場で、今日7日を迎える直前、
24時数分前のことだった。


私は、楽しくて、泣きたくなった。


楽しくて、楽しくて、涙が出るのをこらえるほどだった。
・・・もしかしたら、どうしたのかな?と思ったお客さんも
いたかもしれない。今思うと。

私の仕事は、ひたすら7時間、同じ作業を1分ごとに繰り返すような仕事だ。
おそらく、この仕事をして、楽しくて楽しくて、泣いている人は
ちょっとへんな人かもしれない。

だけれど、私は、楽しくて、泣きたくなる。

泣いてしまうほどに楽しい理由は、
私には明確だった。

絶対的に一人世界、だったからだ。

それがなぜ楽しいか?など・・・そんなことはどうでもいい。
愚問である。体験すれば、わかることだから。

仕事中、また思ったことだが、
私は、今、自主練が楽しくて、楽しみで、もうどうしようもない。

正直、それ以外、「どうでもいい」。

何にリアリティーを持っているか?といえば、
これも、仕事と同じなのだ。

何が、それ以外を一切どうでもいい、とまで言わせるのかというと、
「絶対的一人世界」以外、どんなものも、リアリティーなどなくなるほどに、
桁違いに、その絶対的一人、という状態の感覚は、
強烈なリアリティーがあるからなのだ。

強烈なリアリティー、強烈な生、強烈な楽しさ、
どれも同じこと、同じ体験を指している。

大風邪をひいた時、あの時は、私は苦痛と二人ぼっちだった。
苦痛だけが、リアリティーとして残ったあの時、
「死ね」の中で、どんな妄想も生きながらえることができなかったあの時、
それは、まったく同じ、

「絶対的一人世界」だった。


それは、猛烈に、


「楽しい」


としか、そうとしか言えない体験だったのだ。



2016.04.07
あび

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by jh-no-no | 2016-04-07 06:15 | 私の生き方

「絶対的一人」と「自主練初日」-自我復元後日記[026]

2つのことを、今日は書いておきたい。

これらは、まったく別なところからの出来事であったが、
昨日から今日にかけてのタイミングで、
その2つは、交差した。

昨夜、私は、この手で、じかに、
AC人格の息の根を止めた。

しかし、それは「殺した」というより、
もう、AC人格が、どんな手を使おうと、
奴の手が、「絶対に届かない場所、地点、世界」に
私は移動した、という感覚だった。

おそらく、昨夜の体験は、
これはもはや毒親の亡霊ではなく、私の内に死にぞこなったAC人格が、
最後の手として使ったものだった。

自我復元を開始して間もなく、
私は、生まれて初めて、
「食べるものが喉を通らない」という体験をした。

これは、生きた心地がしない、という言い方では決して言い表せない、
生き地獄だった。

この時、私は、Pの前で泣いた。
Pを不幸にしてしまった・・・と。

この体験が、わずかな時間に圧縮された再体験を
昨夜、私は経験した。

食べものが喉を通らなくなる感覚とともに、
Pが「かわいそう」に感じたのだ。

しかし、

私は、一歩も引くことがなかった。

怖いものは、私には、もうなかった。

私の意識は、一点に向かっていた。

「絶対的一人」

私は、絶対的に、一人だった。

私の立っていた場所は、
絶対的一人世界、といっていい領域で、
ついぞ、AC人格断末魔があがく手と叫びは、
もう、そこに「届かなかった」。

関心地図を、私は、ずっとやってきた。

かつてと今とでは、
関心地図をやっている時の感覚は違っていて、
最近は、すぐに、中心に戻る訓練として行っていた。

関心地図は、この日のためにやっていたのだ、と思った。

「絶対的一人」

ここに、戻れる意識を取り戻すこと。そのため。

ここは、本当に、私以外、
「誰も」いなかった。

その時、私が向いていたのは、
今日からやると決めた、一日二時間の自主練、
私は、この世界だけを、見ていた。

AC人格の最後の切り札は惨敗、
私は、どんどんと、力が湧き出してきたのだ。
何度も書いてきたことだが、
「楽しい」、私は、このギリギリの決戦の末、感じていた。
いつも思う。本当にきわどい。
闘っている時は、どうなるか、わからない。

しかし、前回書いたように、
「ふんばる力」があるのがわかるから、
私は、自分が納得いかないものには、一切、譲らないこともわかっていた。

そう、

とことん、それは、

絶対一人、ということなのだ。

今朝、目覚めて、
私は、今日から、まず5月5日までの31日間、
一日二時間、必ずやると決めた自主練を開始した。

レッスンの録音を聴きなおしながら、
身体で、楽器を感じとり、触れていった。

先生が模範演奏してくれた基礎練習課題を
昨日、二つの角度から録画させていただいたのだが、
自主練初日、それ以上に、まず、
なにより役にたったのが、「鏡」だった。

鏡は、自分に見えないところのフォームを映してくれる。
これによって、自分がやっているつもりでもそうなっていない箇所を
自覚することができた。

それが、ピタリ、と合うまで繰り返し、練習していく。

自主練初日、私は、これがピタリとあった時に、
とても重要なことに気づいた。

私には、今回、この楽器を手に触れる前から、
これと決めた「音」があった。
この音を出したい、という、完全に明確な目的があった。

それが大事だった。

鏡の姿と、私自身が自覚している身体感覚がピタリとあった時、
それがピタリと合うことそれ自体が、重要ではなく、
そこで、その目的の音が出ているかどうか、だった。

鏡の姿、身体感覚、目的とした音、
これらが、ピタリと重なった時、
私は、嬉しかった。

練習は、このためにやっている。

私は、生まれてはじめて、
明確な目的を持って、物事に臨んだ。

自主練初日に体験したことは、
そこには、「明確な基準」があったことだ。


2016.4.05
あび

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by jh-no-no | 2016-04-05 15:25 | 私の生き方

「何としてでも生き残れ」-自我復元後日記[025]

今から、初レッスンに出かけるところ。

そして、今、私は、好きな音楽をききながら
今、ブログを書いている。

先日、見たその映画で、こんなセリフがあった。

「何としてでも生き残れ」

それが、今、私の日々の生き方になった。

私のこの身体、これ以上、
大事なものはない。

それは、感情そのものだからだ。

このセリフと、真反対のことを父はいった。

「親のために、死ね」

これが、私が今までしがみついていた精神性だった。
精神性でもなんでもないのだが、
毒父の言う精神性とは、
身体の犠牲のことだった。

たったそれだけで、定義される、
何のリアリティーもない精神性、格言だった。

自分の身を投げ出すこと。
親のためなら、いつでも死ねること。

私は昨日、自分自身、また、他人からの影響の受け方が
まったく変わったことを確認していた。

他人からは、私は影響を受けるものだと
ずっと思っていた。

でもそれは、私の生き方ではない。

他人に、影響を与えるのが、
私の生き方だった。

また、私は、自分自身というのは、
自分がどうとにでもできる、自分を制御できる、
支配し、思うようにできる、と思いこんでいた。

それも私の生き方ではなかった。

この身体は、とても愛しいものだ。
この身体に従い、この身体の指示に私は従う。

私は、この身体、私自身から影響を受けて、
そうやって生きていくこと。
これが、私の生き方だった。

まるでそれが真反対だったのは、

「親のために、死ね」

という、私の望む生き方と
真反対のメッセージを植えつけられて生きてきたからだ。

私は、拷問の妄想も、
もう、もはやそれは妄想だとわかった。

「痛かったら、身体など捨ててしまえ」

そんな精神性など、決して精神性などではない。

「何としてでも生き残れ」

私は、これを精神性だと思うのだ。

なぜなら、こうして人は生まれてきたからだ。

子どもたちは、そう、生きようとしている。

私はそれは邪魔しない。決して邪魔したくない。

もしも、子どもたちが迷うことがあるのなら、
私は迷わずに言う。

「何としてでも、あなたが、生き残れ」と。

自分の命を大事にしない者が、
他人の命や尊厳を、考えることなどできない。

自我復元という生き方は、
その、私が、手放したくないと残るわずかな力で
しがみついた生き方、

それは、毒父とは真反対の生き方、

「何としてでも生き残る」

それが、私が自我復元をやめず、
今も、これからも、やめることはなく、
私は、堂々と、誰に誹謗中傷されようと、

堂々と、

自我復元という生き方をしてきた、

と、言う。


2016.4.04
あび

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by jh-no-no | 2016-04-04 17:18 | 私の生き方