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私が選んだ生き方-自我復元後日記[022]

これから、今月最後の仕事だ。

私が選んだ生き方、
それを、今月最後のブログに書いてみたいと思う。

それは、どの経験も、私は、手にするという生き方。

私は今、とってもドキドキしている。

何を自分がここに書くのか、
すごくドキドキする。

書くことを決めていない。

ただ、私が書いている。

ここに私がいる。

私は、いつでもここにいて、戻ることができる。

私が今見ている未来は、
未来を見ている私のこのドキドキだけがあって、
それは、すっごく楽しい!

そう、
「選ぶ」
ということを、ずっとこのところ、思っていた。

選ぶ

私は、選ぶ。

私は、本当に長く大きかった過去、40年という年月に

「さようなら」を言う。

道は、二つに分かれているから。

私が自分で自分の生を選ぶのなら、
行く道は、過去から続く道とは別の道。

それは、笑顔に満ちている。

今、私は、選ぶ。

それ、その「選ぶ」という自由を、
私は、もう、手放さない。

選ぶ、ということ。

絶対に、手放していけないものだった。

さて、これから今月最後の仕事だ。

きっと、どの一秒も、私は手にしていく。

私の生はこれからだ。

「これから」なのだ。

だから、私は、この身体、絶対に生きる。

絶対に、死んだりはしない。

生きること。

私は、生きる大通りを行く。

これから、仕事だ。

もう、私は、「最後の」ともつけたりはしない。

私に、最後、なんてないから。

明日も、あさっても、
同じように、私は、選んだ道が続く限り、この足で歩いていくよ。

2倍、そう、2倍だ。

2倍、目を見開いて、
2倍、笑おう。

この道の風景は、もっともっと広いから。

そして、道端の一輪の花を、
私は、大事にしていこう。

私の手は、

今、ここにあるから。

私は、あび。

さようなら、父、母、P。

私が選んだ生き方は、

私が選ぶ、という生き方だ。

そして、私は、生きて、今、ここにいる。


2016.3.31
あび

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by jh-no-no | 2016-03-31 16:22 | 私の生き方

あび-自我復元後日記[021]

「あび」という自分の名前を
今日は、タイトルにして書きたいと思った。

今、私が「好きだ」と思ってきいている曲は、
「シチリアーナ」という、リュートのための古風な舞曲とアリア、
16世紀イタリアの作者不詳の曲。

昨日、そう、壁紙をまた変えた。
同じその女性だけれど、別のショット。
それは、「口」にスポットをあててトリミングした映像。

口が美しいんだ、と思った。
それは、笑っているからだ。

私の意志は、この「口」。
私は、すべてに、この口を向けよう。

私が、こう、いろいろなものを好きだと思い、
関心を持ち、興味を抱くことは、
本当は、それは、素晴らしいことだった。

ここ2日、思った。

それは、たとえAC人格であった私が感じたことですら、
素晴らしいことだったと。

楽しかったこと。

それはそれで、本当に素晴らしいことだった。

たくさんの思いが、たくさんあったこと。
それは本当に、私が大切にしていいものだった。
今もそれは、誰に言われなくても、大切にしているものなのだ。

父、母、あなたたちは
なぜ、そんな顔をしているんだ?
なぜ、笑っていない?

なぜ、あなたたちは、その自分の関心、好きだ、という感情を手放した?
どうして、どうして・・・・

私は今日も苦しかったんだ。
なにもかもがどうでもよく、しかたなく生きる、
その生き方に、私は、苦しんだ。

毒親分析をしてきて、本当によかった。

私は、その全面的に苦しいなかで思ったんだ。
どうでもいい、しかたない人生。
私には、それしか、今もない、と。

それは、完璧にそうだった。

その完璧さの自覚こそ、ああ、毒親分析をやってきたとは、
こういうことだったんだ、と思えた。

私はその時、

それは、「嫌だ」と思い、
その一言で、どうでもいい、しかたない人生を切り捨てた。

私は、そういう毒親と同じ人生を
私は選ばない、と決める。

私は、笑う。

あなたたちが、決して、見せなかった笑顔を、
「あび」の私が、はじめて浮かべる。口元に。

私は、笑う。

すべてに、誰に、何に、
そのすべてに、私は、この口を向けよう。



2016.3.30
あび

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by jh-no-no | 2016-03-30 15:27 | 私の生き方

「母」という遺影の決壊-自我復元後日記[020]

このブログが、今、「母」という遺影を決壊する。

そういう力を込めて、私はこの投稿を書こう。


「あなたを差し置いて、わたしは幸せになってはいけない」


最後の最後まで、私に「罪悪感」を与えたのは、
私の母だったあなただった。

私は、あなたに、今、言わなければならない。


「私は、あなたより、幸せで、素敵な女性なのだ」

「私は、あなたを差し置いて、幸せになる」


私は母が亡くなってから、昨日初めて
泣いた。

私はあなたを好きだったからだ。

そうでなければならなかった。

あなたを差し置いて、私は幸せになってはいけなかったから。

そういう契約だった。長い過去だった。
Pと出会う前の20年、私が守ってきたのは、
まぎれもなく母親のあなただったから。

先日、私は、動画サイトで、
ある一人の女性を見つけた。

その女性は、弦楽器の奏者だった。

その動画を見ようと思った動機は、
その女性の下腹部が魅力的だったからだ。

肉付きがよく、健康的で、
堂々と見せている姿に私は魅かれた。

その弦楽器に、私は今までまったく興味を抱いたことはなく、
むしろ、最も関心のない楽器だったが、
彼女の演奏を聴き、私はその弦楽器が大好きになった。
「打身」と名づけたい楽器とは、まったく違うけれど、
もしも、彼女が奏でる音楽を打身で奏でたら、
どんなに美しい調べになるだろう・・・と思ったりした。

なにより、その女性の笑顔が美しかった。

笑顔が笑顔している、そのための笑顔として閉じているその美しさが、
あまりに自然な笑顔だったからだ。

これは、私の笑顔とそっくりだった。

私は、仕事上、時々だが、幼い子どもにも接することがある。
会話するわけでもないが、私は、一歳前後の子どもとよく目で会話をする。
そして、「うん」とか「そう」とか、それだけが、二人の会話だ。

その笑顔は、私が子どもに向ける笑顔そのものなのだ。

その笑顔の意味を、子どもたちは知っている。

子どもは、「身体」で知っている。
なぜなら、その笑みに、身体が反応するからだ。
身体とは、感情のことだ。

私が微笑むと、子どもは、いつも、ふっと安心する。
張っていた糸が切れるかのごとく、
ふっと、瞬間に、ほころぶのだ。

味方だ、と知れるからなのだ。

でも、子どもにとって、大人の私のことが味方だ、と
そう思えたこと、それそのものは、本質的なことじゃない。

その子が経験していることというのは、

「自分がほっと感じたことは、正しいんだ」

という、その子自身の感覚なのだ。

身体、感情、リアリティー、今自分が生きている実感、
その子の我が家・・・その子が思い出したのは、自分の中心だ。

それは、私自身、同じことを経験する。

昨夜、私の日記には、

「今日はとってもいい日だった。
笑って本当に楽しかった。」

と、それだけを私は書いた。

昨日も仕事中、
そんな、一人の女の子と私は出会えた。

ちょうど一歳になった頃かな、つかまり立ちが楽しい月齢だ。
チョコレートを口のまわりにつけて、堂々と不安な顔をして私を見る。
じっと見ている。

私は、ただ、笑顔をその子に向ける。

しばらく、そのままの顔で、フリーズしているように見える。
それはごく自然な反応だ。

そして、必ず、といってほど、
私が手を振ろうとすると同時に、子どもは、誰に言われることもなく、
バイバイ、の手をする。その時、その子の顔は、ほころんでいる。

糸が切れたような安心の顔は、
その前の堂々と不安な顔とは、ぜんぜん、違う。

不安な、というと、よくないようにきこえるかもしれないが、
不安で当然だ。何が起こるかわからない毎日、外の世界と接し、不安でないはずはない。

しかし、私がいつも、素敵なその顔、って思うのは、
「堂々と」していることだ。堂々と不安な顔をしている。
不安であることを、まったく、隠そうとしていない。

笑顔というのは、ちょっとした遊びだ。

子どもにとっても、私にとっても。

笑顔遊びという二人遊びは、
その顔を別な顔にさせてくれる。

そして、そこはとても落ち着くのだ。
だって、「我が家」だから。

そう、いないいないばあ、と同じ。

いないいない・・・と言っている時は、
子どもは不安な顔をしている。
でも、ばあ、と大人の顔を見せると安心する。
それは、戻るべき元に戻れることを、確認できるからなのだ。

笑顔は、絵本がなくても、
それ自体が、いないいないばあ、になるんだ。

大人が、ふと、笑みを浮かべてくれる。

それだけで、安心するものなんだ。

安心を感じている自分のその感情を、
自分の「身体」で実感する経験。


これは、

私自身が、自我復元で取り戻したものだった。

身体、感情、生きている実感、リアリティーだ。


ここから、特に、母だったあなたに聞いてもらいたい。


その動画のその女性の笑顔が素敵で、
それは、まさに、今の私の笑顔のようで、
下腹部が象徴するように、身体は健康的に自分自身によって愛され、
それもまた、今の私にそっくりで・・・


これが、何を意味するか、
あなた、わかるだろうか?


あなたの悲しそうな顔に、笑顔はなかった。
私はそんなあなたをいつも気遣わなければならなかった。
あなたがいくら、きれいに笑っても、私はママはきれいだ、と
そう思いこむことくらいしか、出来なかったんだよ。

それと、あなたは、自分の身体を捨てた。
ズタズタに捨てた。よくあんなことしたな。
私は、あなたを軽蔑する。

毒父がリンゴをむかないのなら、
あなたがリンゴをむいてもよかったんだよ。
「大丈夫~?」とあなたがいくら言って心配したフリをしてもわかるんだ。Pと同じ。
「なんでワタシがアンタのこと心配しないとなんないの?
ワタシのことこそ、心配してほしいわよ」って、あなたはいつもそうだった。
迷惑そうな顔ばかりして。


その弦楽器の女性はね、
あなたの胸より、あなたの下腹部のより、あなたの顔より、あんたのスタイルより、
そのメイクも、髪型も、あなたより、綺麗だった。


ママ、そう僕が感じた時の気持ちが、
・・・あなたに、わかりますか?


あなたは、子どもの私にとって、
世界一、綺麗なママだった。
どこへ行っても、「綺麗なお母さんね」って言われて、
僕は嬉しかった。僕もママは本当に綺麗なママだって思っていたんだから。

でも、

今、

目の前に、

そう、PCの壁紙にしたから、目の前だ、

目の前に、あなたより、綺麗な女性がいる。

そして、

それは、


「私」


なんだよ。


ママの方が綺麗だ・・・そう私は言ってあげてきた。ずっと。

だから、わかるだろうか?


「私」のほうが、母のあなたより、綺麗な女性なんだ、と、
これを言うのに、どれほどの、罪悪感があったか、あなたにわかるだろうか?


あなた、母の遺影は、
私の中で、P以上に、のさばっていたんだ。


時々夢を見る時の謎が、ようやく、解けた。

つい先日も、夢に出てくる父やPは、やり口がわかりやすく露骨だった。
父は暴力的で、私も、ナイフや工具で備えている。
いつでも殴打できるような工具を私は探し、手にする。

Pはそういうやり方ではない。その日の夢では、大学の構内だろうか、
私はベンチに座っている。誰かが演説のようなことをしていて、私の左隣りの男性は、
分厚いその演説者と関係があるような本を読んでいる。
私も何か別の分厚い本を読んでいるようだ。
ふと気づくと、右隣りには、私とまったく同じ分厚い本を、
しかも、まったく同じページを開いている。その女性は、そこで言うのだ。

「こんなに、運命的な(一致の)関係だったのにね・・・」
そう私に言ってくる女性がPだった。これもまた、Pのやり口だ。

しかし、いつも、母はかつてもそうだが、
はっきり夢に登場人物として出てこないことが多いか、
私が目覚める頃には忘れてしまうようだ。
なのだが、いた気はするのだ、いつも。

思い出そうとすると、それはまるで母の遺影のように、
さらにモノクロのようでもあり、そこに写る母の顔はどこか悲しい。
どこも攻撃的ではなく、こちらが「どうしたの?」と思ってしまうような
そんなたたずまいで、居る、感じ。その日の夢もそうだった。

私がそれから思ったことは、

「なんで、まだ、私の中にいる(のさばっている)んだ???」

ということだった。

自分でも、これがひっかかる、というのは、
それなりに理由があった。

それは、どうしても母を敵視する気になれないからだった。
露骨な攻撃もなく、母は死んだ。
先日、あの一連の嫌がらせメールを久々に読み返してみた。
(これはもちろん攻撃であり、ある意味、本性だったのだが、
母本人の攻撃性としては、リアリティーに欠けていたのだ。)

一連の嫌がらせメールを再読した後、
母と半生を費やしたことを感じて、どうしてか、涙が出てきた。
その涙はティッシュで拭い、翌日、燃やして捨てた。

その頃から、ここに今日、書いてきたように、
「母」という遺影の決壊へと掘る手を動かし続けた。

私は、その弦楽器を奏でる女性を見て、
「この女性より、素敵な女性になろう」と思った。

ここには今日書いたような複雑な気持ちがある。
この女性より、と比較でいうのは、
私がこの女性を母のあなたと重ねているからだ。

しかし、「より」と言いながら、私は比較していないことも知っている。
それは、この女性はまったく私だ、という認識からくる。
その認識のほうが、はるかに優位になっていく。

その優位に切り替わるところの、わずかだけれども実は大きかった壁が、
どうしても、ママは一番きれいだ、という壁だったことに
今回初めて気づいたのだ。

これは、4月から指導を受ける先生(女性の先生)の演奏動画を見ている時も、
実は、じんわりと感じていたことだったのだ。ただ、その時は、ふと
母のことを思い出してしまい、なんか嫌だな・・・と思いながら、
そのままにしていたことだった。

ママは一番きれいだ、というのは、
どういうことなのか、というと、
実は、「私」が母よりきれいになってはいけない、ということだった。

そして、それは決して、「外見」のことを意味していない。
そうではなく、「幸せになってはいけない」ということだったのだ。

きれい、とは、私にとっては、
まさに、「笑顔」と「身体」に表れているもののことだ。
それは、自我復元で取り戻してきたもの、血まみれになって取り戻したもの、
それは身体反応を伴う「感情」であり、リアリティーの伴う「生きている状態」だ。

これが、

「きれい」

ということだから、きれいでない、というのは、
それはゾンビである。無感情で、生きていない状態。
それは、私であり、母でもあったのだ。

しかし、私は、Pと同様、母を理想的な「きれい」な女性に思いこんだ。
思いこまされた、でもいい。結果、今まで掘ってきた対毒親の共依存関係として、
私は自分の立ち位置として、

「お世話役」

というAC(大人子供)を選んでしまった。

そのお世話役が、あなたを「超える」ということは、
考えもしなかった。

そして、私は、超えた、ことを
今、その結果のほうから、最後、あなたの息の根を、
のさばる「母」という遺影を割り折ろう。

あなたは不幸だったのだ。

決して、きれいではなく、感情を親に言われるがままに捨てて
死んだように生きてきたゾンビだった。

私もそうだった。

しかし、今は違う。

自我復元は、そう、母よ、聞いているか、
自我復元は、きれいになるために、この生を「懸けた」ものだった。

それは、母のあなただけが、今ここで聞けば済む話じゃない。


毒父、

耳の穴をかっぽじって聴け。


これが、「本当のババ」なんだよ。


あのババじゃなく、本当のババとは、

「きれいな」

女性のことなんだ。


それは、あなたが「馬鹿くわぁ~お前はぁああ」と言った相手、

息子の、


「私」


あびのことなんだよ。

そして、それは、この世界の子どもたち全員のことなんだよ。
笑顔遊びを楽しむ、いつも中心に戻っては安心して眠り、
ご飯を食べて、眠り、また外の世界へ、ひとり、冒険に出る。
また別の生き物(者)と、笑顔遊びをし・・・

それが、毒父のあなたも、母のあなたも、
本当のあなたが本当に理想としていた


「お母さん」


だったんだよ。


そして、本当のお母さんというのは、
子どものあなたに「理想」を語らない。

あなた自身が、それ自身であり、
あなた自身の肉体に宿る我が家こそ、
安心して戻れる家であることを、
あなた自身が、自分で戻れるように、
ただ、微笑んでくれて、
そして、その大事な身体の世話を
最低限してくれるのが、毒親ではない、
本当の親だと私は思う。


最後に、一番、私が書きたいことを書いて、
このおそらく、今月最後の投稿、昨年もそうだったが、
年度という区切りの大事な投稿を終えたいと思う。


氷解、決壊、こういったことは、
繰り返しになるが、
AC人格による予定調和的な「行動変容」を
決して引き起こしたりはしない。

つまり、私は、

なにも、

今から、「最高に素敵な女性」になるわけじゃない。

そうではなく、

ずっとどこかで思いこんでいた私の


「女性性」


という、その


「束縛」


から、ただ、自由になった、それだけのことだ。

きれいな女性になれたら、それもいいかもしれないけど、
どうかな?

私は、もっとこれから、自由に恋愛をしたい。

好みの女性とセックスもしたいんだ。

遮断射精だってまだ初心者だけれど、
少しずつ、やってこれた。
好きな女性が、セックスで本当に満足し、
そんな相手を、私ができるなら、思いっきり、男性でありたい。

話がそれてしまうけれど、
2月の末に大風邪をひいて、もうすぐ一か月が経つのだが、
私の中では、ずっと何かがくすぶっている感じがあり、
医者にそのことも言い、かかってきたが、原因がわからず、
紹介状を書いてもらい、昨日、ちょうど新しい病院に行ったところだ。

懸念していた通り、少し生活リズムとして無理をしたせいもあったかもしれないが、
3日ほど前、2月末と近い症状が再発した。
3週間以上に渡って「病状日記」をつけてきたので、
今回は大きな症状に悪化する前にやれる対処をしたので、最悪の事態はしのげたが、
まだ、今後どうなるかはわからない。

でも、私は、思うんだ。

こうやって、今、生まれてはじめて、
自分の身体と私は本気で向き合っている。

食のこともそう。
二食にしたり、と思えば、五食も六食も食べたり、
血糖値とかよくわからないけれど、今までやったことのないことばかりだからか、
上手くいっていないほうが多いし、他人が見たら、完全にコントロールできていない、
と見えるだろう、と自分でも思う。

だけれど、私が嬉しいのは、この前も書いたけれど、
「コントロールしようとしていること」なのだ。
それは、逆にいえば、逆境の中でこそ味わえる・・・のかな?
なんて、余裕な気持ちにはなれないで、しかめ面になっていたりするのが現実だけれど、
3週間こうやってつけている病状日記などを読み返すと、
いかにあの時その時、悩み、考え、あれこれやってきたのかを見ることができる。

今までなら、失敗か成功か、どっち?
ということばかりだった。
でも、コントロールを自分でとる、というのは、
外は嵐の時もあれば、凪の時もあり、
結果、転覆する時もあれば、なんなく過ぎ去ることもある。

結果がどうであれ、
手元に自分が持っているはずの「舵」が
気づいたら無かった、なんてなったら、
満足して生きもできなければ、納得して死ぬこともできない。

自分が手にしていたはずの舵を放棄する、した、ということが、
結局は、不満、恐怖、不安、そういうことしか生まなかった、
ということを、これでもかこれでもか、と暴く作業が、自我復元だった。
そして、今、だからこそ、この自分の舵を手にする大切さを知っている。
それは、期待する行動変容のためでない。
元々そうだったことを、ただ、思い出すだけだ。


私は、女性性に囚われることは、
元々、なかった、ということだ。


で、思うんだよ。

女性もいいな、男性もいいな、って。

たとえば、今、壁紙にその女性の写真があるでしょ。

俺は男性だぜ、って思うのなら、
たまには、妄想をはたらかせて、自慰もいいんじゃないかなとか。
気持ちよさそうだし。

・・・あ、そうそう。実は、さっき大風邪がまだ治らない、と書いたのは、
これはちゃんと治したいんだ。というのは、おそらく、下腹部内に、
今私の病気の元がありそうだからなんだ。たぶん、それもあって、
まっさきに、下腹部が健康的に見えたその女性の映像が目にとまったのだと思う。

話を戻して・・・

もしも、私は女性だ、と自分で思うのなら、
壁紙の女性を見て、うっとりするのもいい。
こんな女性になりたいなあって、素直に思えばいい。

こうやって書くと、馬鹿じゃないか、と思われるかもしれないし、
たしかにちょっと馬鹿かな、とは自分でも思うけれど、
でも、私は、ずっとこう思うことすらできなかった。

自慰をしようとも、
この女性に憧れを抱こうとも、
私には、罪悪感しか残らなかった。

それは今回書いた母による罪悪感の壁もあれば、
かつて掘ってきたように、ヘンタイ的な毒父の女性への視線が
私にも感染していることが原因にもなってきた。

毒父のヘンタイさについては、ブログに書くにはちょっと・・・というのもあって
崩残さんとのメールでのやりとりの記録に残っている形だけれど、
これについても、はっきりと、毒父のヘンタイさを暴くことが重要な分析だった。

壁紙一つ、素敵な女性の、しかもヌードでもなんでもない写真を
貼りつけられなかったし、正直、今回も、最初は直視できなかった。

だからこそ、よし、と決めて、
「決壊させよう」と
この投稿を、さらに掘るようにしながら書いてきた。

今、あらためて見てみると・・・


「綺麗な人だなぁ」って思う。


そして、思う。


これから、たくさん、好きな女性と恋愛したいな!って。


2016.3.29
あび

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by jh-no-no | 2016-03-29 02:05 | 私の生き方

この身体を私は深く愛するー自我復元後日記[019]

自我復元で私が取り戻したものは、

この私の肉体、身体だった。

氷解、そしてここ数日、
それは、はっきりとした。

ロボットだった私が、今、何を取り戻したか?

この身体、肉体、血の通った生身の身体だ。

自我復元で取り戻せたものは、
人間の、人間としての身体だった。

一昨年、母が自殺をした時、
私が真っ先に思ったことは、

「私は絶対にあなたみたいに、自分の身体を粗末にしない」

ということだった。私が感じたのは、命、なにより身体をないがしろにした
尊厳のなさに対して、強い怒りを感じた。

私は決して、母のようにはならないと誓った。
愚かさしか、残らない自殺だった。

これが、もうおそらく、これが最後の
私の母だった人へ、弔いのメッセージだ。

私は、あなたのようにはならなかった。

この身体を、しっかり、取り戻した。

この奇跡を、あなたは信じないだろう。

誰も信じないだろう。

もう今の私は、過去私と関わったあなたたちが知っている
ロボットではない。そして私も、今、あなたたちを知らない。

自我復元を振り返ると、それは、生体反応を奪われるまさにこの身体の苦痛、
麻酔なしで鋭利な刃物で刺される痛み、真綿で首をじんわりと絞殺される苦しみ、
だんだんと壊死し、麻痺していく怖さ、ありとあらゆる手段で、
この身体は苦痛を経験した。麻痺し続けた神経が、麻酔なしで回復していった。
この回復は、ただただ、痛み、苦痛だった。

仕事、稽古、食、そして音楽。

ここ数日、私は、これらの中心にあるのが、
「身体」であることを知った。

私は、いつの間にか、私という主役は、
まさに、この私の肉体、この私の身体になっていた。
同時に理解したのは、40年以上、いや、もっとさらにかつてから、
私は、「ブリキの箱」、だったのかもしれない。

Pが購入、契約したのは、
その便利な、ブリキ箱だった。

だから、もう、Pは、目の前の私を知らない。
身体を持った私との接点は一切持たない。
私を知らないし、私もかつてのあなたを知らない。

リンゴをむいてあげることもできなかった人間は、
親失格であり、人間失活だ。
毒親とは、子どもへの身体の世話すら知らない狂人のことだ。
毒父、あなたを弔う言葉はない。
もう二度と、すれ違いもしないだろう。

「自我復元」

私が復元したもの、今ここに現存するもの、
この生を、生きることを決定づけたもの、
この身体を私は深く愛する。

私が取り戻したものは、他の何でもない、
この身体だった。

身体が、感じるのだ。

感情を、激しさを、喜びを、そして、苦痛を。

精神世界は、私が入りこむところではなかった。

「身体世界」

私の居場所は、ここだ。

幼い頃、I商店の正月は店を開けていて、
酒の木箱を逆さにし、包装紙をかけて台にして、それを並べ、
父親一族で構成される血縁ゾンビたちと
子どもだった私は、正月の雑煮を食べねばならなかった。

覚えている。

「○○ちゃん、どうぞ~座って」

と、父の兄の妻が、近寄っていく私を呼ぶ。
にっこり笑って、呼び寄せる。

おじろくの父の兄の妻だ。
実質、そこの支配者のようなものだ。
ババ(父の母親)をとことん立てて、支配力の恩恵にあずかる。

「○○ちゃん、ここ座って、食べよう食べよう~」

私は、その時、後ろを振り向く。

妹のAと弟のBがいる。

「A、B、早く!」

こうして、私はほっとした。
仲間だったからだ。

どんな仲間だったか?

これはしばらく前に「寂しさ」について掘っていた時に気づいたことだったのだが、
父の兄の妻が、私を呼ぶ声、言葉は、私にはこう聞こえていたのだ。

「・・・ほんとうは、○○ちゃんがいる所じゃ、ないんだけどね」

・・・ないんだけどねえぇぇぇ ぇぇ ぇ

まさに、ホラーの世界だ。

「居てはいけない人」たち。

それが、私たちの家族だった。

居てはいけない人たち同士の
「仲間」だったのだ。
AもBも。

その実体は、AやBは、毒父と毒母とに、私をつなぐパイプ、
あるいは監視役、あるいは「お兄ちゃん」という役に縛る鎖たちだった。
それは、母の自殺後にも、AとBの実態が明らかになったことだった。
妹Aは母代わりの監視役であり、弟Bは父代わりの監視役だったのだ。

それから、伝書鳩のこの二人からの連絡も途絶え、今に至る。
むろん、この二人に言うことも何もない。

でも、母の自殺の際、一瞬でも、兄弟姉妹という仲間に
私が居場所を見つけたいとしたのは、
当時のブログにも書いたが、私にとって、AとBは、
この世界で、唯一の「仲間」だったからだ。
かつての私にとって、かけがいのない仲間だった。
二人を失うことも、当時の私にとっては残酷なことだった。

おじろくとして、居てはならなかった父。
末の一人娘として、逆に母からは無視された母。
居ていいのは、どちらも、「お兄ちゃん(たち)」だった。
この代理復讐のかっこうの標的になったのが、私だった。

Pも、Pの親たちも、Pの妹も、
かつてブログでも書いた通り、
彼らを一言で言えば、
「私の存在を、完全に無視していた人たち」だった。
彼らにとって、それは、悪いという意識はまったくなく、
当然だと思っていたことだったのだ。
そして、それを私も認めていた。契約内容がそうだったからだ。

自我復元を振り返った時、
そもそも、子どもの存在を無視する、とはどういうことか?
といえば、それは、つまり、

そこに、身体がない、

とみなすことだ、と、今日、私は気づいた。

それは狂気に思えるかもしれないが、
毒親とは、それを当然のようにやっている人たち全員のことだと
私は思った。

わかりやすい虐待も、肉体がない、と思うから何でもできる。
わかりにくい虐待も、肉体がない、と思うから無視できるのだ。

虐待の被害者とは、

自身の身体、生身の肉体がないと
思いこまされた者たちのことなのだ。

精神的な虐待も実は身体に傷がつくのだ。
だから、格闘を通して、苦しむのは、また最大の抵抗をしてくるのは
肉体を通してなのだ。肉体の神経が回復していくその痛みだ。

これは、実際に、「痛い」。
身体的な痛みと言える。
なんとか鎮痛したい。当然だ。
しかし、この痛みの直視からしか、傷つきの原因は解明されない。
まさに拷問のようだが、一点、大きく違う。

死にたいのに死ねないのが拷問なら、
生きたいのに生きさせまいと苦しめるのが、
毒親の毒なのだ。それに加担したのがAC人格だ。

だから、この闘いは、
生きたい、というそれだけの思いを持つ私「ひとり」だけで
過去の亡霊と目の前の現実の敵と戦わなければならない。

それは、

本当に、

尊いことなのだ。

生きたい、それは、この身体を初めて自身で守ろうとする
まさに血の革命だからだ。

誰も守らなかったこの身体。

3年以上に渡る自我復元を振り返った。
思ったことは、つねに、身体を懸けた戦いだったと。

身体を取り戻した、というより、
身体を最後まで守り抜いた、その守り抜いたこの身体だけが、
今ここに残り、現存した、というのが、
私にとっての自我復元だったことを、
今日、この身体がすべての場面で主役として生きているのを見て、
知ったことだった。

たくさん食べて、丸丸太るもよし。
二食生活をまたやって、やせ細るもよし。

私は、その身体を誇りに思うだろう。
思っていいのだ。

この私の身体、私以外、誰が面倒を見る?

私はもっと稽古をして動きたい。
この身体は、動くことを楽しんでいる。
喜んでいるのだ。

楽器を弾くのも、私は「打つ」と表現するほどに
動きを求めるものだ。この身体を私は動かしたい。

仕事もますます楽しくなっている。
何が?って。声を出し、動き、笑うことだ。
昨日も言われたよ。
「いつも笑顔ですね。頑張ってください」って。
それを笑顔で返す。また私ははつらつとして働く。

自分自身の「自身」とは、
自分の身体、と書く。
じじん、と読みたくなる。
しょじん、だじん、じじん・・・


でもそうだね。


自身は、そのまま自身でいいとして、
私は、ここに我が家が宿る、という意味で、


「我身」


がじん、と呼びたいな。


それほどに、私にとって、
自我復元とは、


「この身体を取り戻すこと」


だった。


思考の妄想世界ではなく、私はこれから


路上のここ


「身体世界」


を、存分に、生きたい。


2016.3.25
あび

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by jh-no-no | 2016-03-25 23:58 | 私の生き方

氷解-自我復元後日記[018]

氷解。今日はこのタイトルで書きたいと思った。
ナンバーも18。999まで、あと981回。
・・・私の、この身体は、まだまだ生きるんだって。

ブログを書いていくことだけじゃない。
私は、今回、決めたことがある。

打身(だじん)と名付けたいその楽器の奏者、
打身奏者に、私はなりたい。
なろう、と思っている。

この楽器は結構(金銭的に)高いのだけれど、
4月中必死に練習して、それから、買おうと思っている。
職人さんが手作りで作るので2ヵ月はかかるから、
7月くらいに自分の打身が手に入ると思う。

以前の私なら、自分の命にかえても、
これをやろう、とか思ったと思うけれど、
今の私は、そう思わない。

私は、自分の命は何にもかえない。

この身体は生きる。

そして、打身奏者として、この生をまっとうしたい。

だから、この私という身体は生きるだろう。
生きて、まだまだ、たくさん経験したいことがある。
だから、私は、死なない。

打身から出す音に私はこうと決めた明確な目的がある。

私しか出せない音。

一人の音。

誰にも届かなくていい。

しかし、それは強烈で、個性的だ。

この方に指導を受けたい、という方がいて、
その方の放つ音も、強く、個性的だ。

このようになりたい。

私は、どうしても、私の音を放ちたい。
ただただ、音を奏でたい。弾きたい。

昔、私は、座り、自分の両方の足の指に輪ゴムをひっかけて、
輪ゴムを張り、両手でそれを弾いて遊んでいたことがある。

「こういうの、好きなんだ」

そう言葉にしたかどうかは覚えていない。
しかし、その思いは私から放たれただろう。

母は言った。

「・・・そういうの、あるね」

ただそれだけだが、今そこに何があったかを思うと、
軽蔑だった。

そんなの、女の子がやるようなものだよ・・・
そんなの、そんなの・・・

そう、あなたが幼い頃、手放したあなた自身だ。
好きという感情を殺したのは、あなただ。

私は、先日、その楽器を買うんだ、と決意した。

毒母の毒は、ようやく抜けた。

氷解だ。

氷解について、私は、今回知ったことがある。

もしかしたら、これは自我復元で、いや、もしかしたらでなく、
つねに、最初から最後まで、本当にそうだったことだ。

それは、

「解毒」

これに始まり、これに終わる、ということだ。

理解であり、究明であった。

この不快さと不自由さの徹底的な究明、
理解する、ということは、このためにある。

これから、食のことも続いて書いていきたいと思うが、
今回、私は勘違いしていたことがあったことに気づいた。
この勘違いに気づくには、やはり、解毒を必要としていた。

私は、今まで、どこかで、
「行動変容」を期待していた。

自分の行動が変わることを、
どこかで期待していたのだ。

ところが、ここ数日、解毒が何を引き起こしたかといえば、
それは、ただ、「理解」であり、結果、ただ、

「氷解した」

という事だったのだ。

私が予期していた、行動変容など、
何一つ、無かった。

むしろ、何も変わらなかった。
変わらないどころか、戻ったとすら感じるし、
それはそもそも、どこかを目指すものでも、
また、戻るとか、そういうものですらなく、
ただ、私は、囚われていたものが、
解けていった、ということに過ぎなかった。


囚われていたものが、解けていく。


これは、純粋に理解だった。

毒親の毒の究明、何が毒だったのか、
私に私でないどんな毒が注入されていたのかを知る、
その理解だった。

この1年半、私は、分析だけでなく、
行動を変えていくことをしてきた。

しかし、なぜ行動を変えていくことをしてきたのか、
それが、今になってわかったのだ。

それは決して、行動を変えるため、ではなかったのだ。
結果、変わる、ことはあるが、それを目指したものでなかった。
行動を変えるという踏み出しによって、
まだ究明されていない、深い底の毒、自分の中の深部に
素手で手を突っ込んで、血まみれになって、その毒を取り出す作業だったのだ。

取り出す、ということなのだが、
それは、どこまでも、そうすることによっての「理解」こそが
毒親分析であり、解毒であった。

しかもそれは、何も派手なものもなく、
むしろ「そんなこと」と思える毒のようであり、
何度も何度も掘ってきたことでもあるのだ。
そして、しかも、何も行動を変えるような、かつての私が予期していたものなど
何一つ、起こらないのだ。

しかし、これこそ、奇跡的なことが起こったことを、
解毒、そして氷解によって私は知った。

解毒と氷解とは同義であるが、
これこそが、奇跡的なことだった、ということ。

かつての私、AC人格が「こうに違いない」と予期する行動変容とは、
その動機は、どこまでも不満の産物にすぎないのだった。
つまり、その私が予期する行動変容が、たとえ起こったとしても
それは不満の表れにすぎない。

逆に、こういうことだったのだ。

わずかに残るその行動変容願望のようなものには、
まだその底に、毒親の毒がある、ということだった。
究明されていない、というのではなく、
毒が解けていない、ということだった。

その一歩も、やはり、行動を変えることによって
私は、毒親の毒を解いていった。

私は、打身奏者として、この身体、生きていこう、という意志、
そして、何を捨てても、私はこの楽器を買おう、と決意したこと。
毒母はもう何も言えなかった。それで終わったのだ。
私はもう、毒母の幼き頃のあなた、泣くのを我慢したあなたではなくなった。
ただ、今の私になった。解毒だけが起こったのだ。

食のことで、この投稿はしめくくりたい。

なにより、これこそ、毒父の解毒、氷解だったからだ。

まず、私は、二食生活を、3月21日を最後にやめた。

私は、自由に食べることにした。

なぜなら、二食生活が、とうとう、毒父の毒を解毒したからだ。

もう、私は何もこだわることはなかった。

二食生活をしたければ、いつでもすればいい。

氷解した今、私は、食から自由になった。

毒父は、ただの一度も、食べ物を愛したことがなかった。
恨み、侮蔑し、悪用した。
こんなもの、と言い、こんなものでもボクは売れるんだ、
だから、今のI商店はあるんだ、と。

そう、自分のお母さんに認めてもらいたいがために、
彼は食べ物を、とことん、侮蔑し、悪用した。

傷みかけの果物を家に持ってきては、
「これが、一番うまいんだ。どうだ」と押し付けた。

あなたに言いたいことはひとつしかない。

「あなたは、私が病気の時、リンゴひとつむいてくれたことがありますか?」

私は、自我復元を始めてから、とくに後半になってから、
これほどまでに、食べ物と苦しみながらも接したことはかつてなかった。
思えば、本当に、たくさんの食べ物を、悩み、苦しみながら、手にし、口にした。
二食生活とは、その葛藤のすべてだ、といっていい。

2月末から今に至るまでの大風邪は、
毒父との一騎打ちだった。

命を懸けた戦いだったのだ。

しかし、

この身体は、

「生きる」

ことを選んだ。

そして、私は、打身奏者になろう、と決めた。

この身とともに。


2016.3.23
あび

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by jh-no-no | 2016-03-23 16:10 | 私の生き方

「懸ける」-自我復元後日記[017]

食にしても、音楽にしても、
私はどうでもいいものなんて一つもない、と思った。

二食生活に戻すのに、すごい時間がかかった。
なぜそこまで二食生活にしようとしているのか。

それは、私が、そのような食べ方をしたいからで、
ただそれだけの理由なのだ。

先日、触れてみたい楽器があって、体験をさせてもらった。
私は、4月から、まずはやってみよう、と
この楽器の指導を受けることに決めた。

これも理由はシンプルだった。

その人が演奏している音を動画で見て聴いた時、
私は、その人のような、強く、個性のある音でひいてみたい、
と思ったからなのだ。ただそれだけの理由だ。

まったく初めて出会った楽器だ。
あの音を出してみたい。やってみたいのだ。

今、私は、このたった「2つ」のことにしか、
リアリティーのある関心がない。

二食生活と初めての楽器。

私は、この2つに「懸けたい」と思っている。

懸ける、とはどういうことか、というと、
これらは、まったくどうでもいいことなんかじゃない、と
私自身が自覚することだ。

どうでもいいことじゃない、と自覚することは、
その逆に、価値があることだ、とすることではない。
どうでもいいとかどうでもよくないとか、
それらは毒親の判断基準だからだ。


自分で、やる。


そこに、どうでもいいものなど何一つない。
やろうとしていること、やっていること、
それら、その連続が、すべて、即「結果」だ。
価値云々ではなく、私の生そのもの、それ自身。

2月末に大風邪をひいて、
「痛みと二人ぼっち」の病床を過ごしたが、
そのリアルな体験が不安なく満ちていたのは、
外部からのどんなものも、
「私たち」を脅かすことはできなかったからだ。

二食生活も、新しい楽器経験も、
私は、それらと二人ぼっちのリアリティーの中にいる時、
外部のすべては、

「味方」

になる。脅かしたり、不安を与えるどころか、
どんな未知なものも、というか、未知なものしかないように思える外部は、
私たちにとって、すべて、味方にしか思えなくなる。

私が、今、ここで思うこの「味方」という感覚は、
一方に「敵」がいる、という感覚ではなく、
「ありとあらゆるものが、自分の経験としか思えない」
という感覚である。

どうしてそう思うか、なぜ、そこまでに自分中心に
外部が存在しているように感じるか、というと、
ここに、「懸ける」という生き方があるからだと思う。

昨日、ある本を読んでいたのだが、
戦時中に、一日一人おにぎり一個しか配給がなく、
おなかがすく2人の我が子に、自分の分を半分にして
分け与える母親の描写があった。

幼い子をおぶり、なんとか食べられるものはないかと歩き、
意識は遠のき、切り株に座りこむ。その時、通りがかりの人から、
しっかりしてください、と黒砂糖を口に入れられ、ハッと
意識を取り戻す場面が描かれていた。

こうやって、「懸けて」生きた人にとって、
意識が遠のき、切り株に腰をおろしているその時も、
黒砂糖で意識を取り戻していく時も、
どちらも、決して、不幸ではない。
どちらも、十全に、その人の生の一部だからだ。

自分の生の一部のものを、

「どうでもいい」となどは
思わなくなる。

どうでもよかったのは、つねに、
毒親の思惑が、どうでもよかったのだ。
そうやって、どうでもいいとぼやくACゾンビになったのだ。
世代間連鎖し続けた「どうでもいい病」。
死ねないからしかたなく生きている種族の病だ。

しかし、ここは「路上」だ。

毒親の思惑など、転がっちゃいないのだ。
ここには、「自分しか」いないのだ。

今経験しているものが何であれ、
「どうでもいいもの」
なんて一つもないのだ。

懸命に生きる以外、ありえないからだ。


黒砂糖を口にした時、その母親は、
きっとこう感じたのではないだろうか?

「この子たちを守らないと」

と。

消えることのなかった炎。

懸けている生は、決して「消えない」。

誰も、どんな外部も、消すことができない。


4月より、私は、

「打身」

と名づけたいその楽器から、
私が奏でたい音を奏でることに
すべてを懸けたい、と思っている。

好きなことをやることは、
決して、そんなことでも、どうでもいいことなんかじゃない。

私の毒母親は、子どもの頃、ピアノを習いたかったらしい。
しかし、詩吟を習わせられたという。

その母に言いたいのは、一つだ。
「やりたかったのなら、大人になってからでもやれたはずだ。
やらなかったのは、あなたじゃないか。なぜ、やらなかったか?
それは、あなたの母親があなたに植えつけたように、あなた自身、
自分の好きという感情を、どうでもいい、こんなの、と蔑んだためだ」


この投稿の最後に、食に関することを
書きたいと思う。


先日、職場の主任が異動となり、
その日は、一緒に仕事ができる最後の日だった。

ところが、彼女は体調を崩し、
休憩室で休んでいて、最後というその日、
元気に働く姿を見ることができなかった。

帰ろうとする主任に、私は声をかけた。

「主任、リンゴ、食べませんか?」

と。私は、急いでむいてお皿に盛ったリンゴを差し出した。

大風邪で私が寝こんでいた時、
私はリンゴばかり食べていた。
それしか食べられなかった。

その日の主任は相当具合が悪いように見えたので、
私は、とっさに、リンゴを買って、食べやすい大きさに切った。

主任が、リンゴを一つ、口にした時、
私は初めて彼女が泣くのを見た。
嬉し涙で・・・と彼女は言いながら、
リンゴを食べてくれた。

食べものを蔑んだ毒父の毒は、
もうそこにはなかった。

具合が悪くて苦しんでいる人が目の前にいたら、
リンゴをむいてあげるのは、当たり前のことだ。


 食べてくれてありがとう


2016.3.20
あび

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by jh-no-no | 2016-03-20 05:54 | 私の生き方

「洗脳」という監獄を抜けて-自我復元後日記[016]

自我という自転車に、一人で乗り、
路上に出て、数日が経つ。

洗脳を抜けること。

それは、ここが本当は始めから、路上だったこと、
自分の人生そのものだったことを
知るということ。

私が取り戻したもの。

それは、まさに「機能」だった。
正常な機能だ。


「自分で自分の人生をコントロールしているという自覚と意識」


この機能を取り戻すための
長い長い道のりだった。


悪霊退治は終わった。


毒親という悪霊は、もう、いない。
ここは、路上、私の生だからだ。


今日のことを、日記のように、
少し書いてみたい。


職場の主任が栄転する、ということになり、
私は、花束を贈ることにした。

こんな思いきったことをしたのは
始めてのことだ。

主任らしい色合いの、愛らしい花々を
贈ることができたと思う。


職場の途中にある雑貨店で
一輪挿しの小さな花器を見つけたので、
私自身にも、紫色のトルココキョウを買った。

たまたま、その脇に、それもたまたまだが
トルコ製のガラスプレート、ピンク色で素敵だったので
こちらも買うことにした。


花言葉というのを私は知らないのだけれど、
今、調べてみると、

「すがすがしい美しさ」

とあって、そんな感じだったなあと
先ほど手渡した花束を思い出す。

d0331270_16162244.jpg


早速、新しいプレートとお花を飾り、
昼食にしました。


今、私は、ひとつやってみたい楽器があって、
少し触れてみたい、と思っています。

もしもその楽器を買ったり、自作するようなことがあれば、
私はそれに、

「打身」

だじん、という名前をつけたい、と思います。

打楽器ではないのですが、打身です。


「打つ」


そんな人生を走ってみたいと思います。



2016.3.12
あび

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by jh-no-no | 2016-03-12 16:26 | 私の生き方

ここはどこだ?「路上だ」-自我復元後日記[015]

私の委縮がどこから来るのか、
ようやくわかった。

私は今、路上にいる。

しかし、私は、ふと、こういう思考パターンに
戻ってしまうことがある。

「路上に出たら・・・」

と。どうしてそう考えるかといえば、
これも毒親の洗脳で、毒親が、そう言い続けたからなのだ。

「路上に出たらね、社会に出たらね・・・」

違ったんだよ。最初から、この生は、その子にとって、
私にとって、誰にとっても、生まれた瞬間から、
そこが、路上であり、社会なんだ。

つまり、現実は未来にあるのではなく、
目の前にあるもの、ここ、これがすでに路上であり、
現実だったのだ。

昨日、ブログを書いたけれど、
どうも納得がいかない、と思っていた。
嘘もないし、出し惜しみしてもいない。
だけれど委縮している。なぜ?

違う、とさっき思ったのは、
たとえば、そういうLDDを書いていきたい・・・
という、この「していきたい」というのが違うのだ。

私は、書いて「きた」のだ。
つまり、私がいつも抱える違和感は、
もうそれは済んだことなのに、これからこれに向かっていく、
といったものにすり替わっていることなのだ。

なぜか?

なのだ。

それは、今回わかったことは、
私が路上という現実に野放しになると、
どうやら、「路上に出たら・・・その時は」という脳内妄想を描く癖が
かなり強いということだった。

わかったことは、これこそ悪霊たるゆえんだが、
「路上」にいるのに、「いつか路上に出た時は」とかいう思考回路になると、
路上にいるにも関わらず、そのための「準備」という洗脳にとりつかれるのだ。

そうすることで、

毒親は私をいつまでも「路上」に出さない、というか、
路上にいるにもかかわらず、「路上に出たら、こういうことに気をつけなさい」
だの、「路上に出るというのは、こういうことだ」という格言が入りこんだり、
つまり、目の前の現実ではなく、「親の脳内妄想(=親の都合)」という監獄に、
子どもの私を監禁する、し続けた、この洗脳状態を、今も、継続させてしまうのだ。

実は、路上にいるのに、路上に出たらね、という、言ってみれば「脅し」状態に
今なおあったことに、今日、気づいたのだ。
ぜんぜん、気づかなったのだ、今まで。委縮して当然だ。

私は路上にいるのだ。

ここが路上なのだ。

路上に出たら・・・という理念のようなものは、
内容云々でなく、その前提から語られることすべてが、
そう、私にとって、ずっと違和感であり、

恐怖感であり、

委縮だったのだ。

私は、今日、医者にいって、
毎回だが、死後のミッションのつもりでやっている。

そこで私は気づいたのだ。

この渡り合っている今、この現実、ここがすでに路上であり、
もう、私には、「路上に出たら・・・」など、そんなのはないのだ、と。

しかし、それが、毒親の洗脳だったのだ、と
私は気づく必要があった。

体験する、そしてまた体験する、
そして気づく。

そこもまた、毒親の毒なのだ。

仮想の恐怖とは、私にとって、

「路上に出たら・・・」この呪いにあった。

路上にこうやって出ている今、

路上で間違えたり、遭遇する恐怖に、

実は、

それに私は委縮していたわけではなかったのだ。

問題は、

私がここを

「路上ではない」

と誤認し、「路上に出たら・・・」という構えにこそ、
委縮の原因があったのだ。


2016.3.09
あび

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by jh-no-no | 2016-03-09 16:26 | 私の生き方

「自分」という職業-自我復元後日記[014]

10日ぶりくらいです!

やっと、書けるくらいに回復しました。
ずっと、ずっと書きたい、書きたい、もうそれだけ。

長かったけど、すごくいろいろな体験をしました。

『「自分」という職業』

タイトルだけ、これで書きたいなあってずっと思っていて、
今もそれだけなので、内容とか、ぜんぜん考えていないんだけど、
このタイトルで、書き始めてみたいなって思います。

自分という職業、
ああ、あびさんね、あの人の職業って・・・ん~、「自分」という職業、
としか、いいようがないよね~、と誰もが思うような、
そんな生を生きたい、と思う。

どの一秒も、私は、それが「自分」という塊でありたい。
魂じゃなくて、塊ね。
なにより、誰もにとって、リアルな塊とは、この
「自分」でしかないと、私は感じる。

自我復元をしてきて、
私がこだわってきたことがある。

そして今もこだわっている。

それは、何度も書いてきたけど、
「やめないこと」だ。
もっと正確に言うと、
「やめることがなかったもの」に対して、
私は絶対に裏切らないという強烈な想い。

自我復元は、必ず、成功する、
そう言い切れるものが、私にはずっとある。

なぜなら、絶対に、

「裏切ることを知らない精神」

を、誰もが絶対に持っているからだ。

毒親の本音は、
私は何度もそこをスコップでカンカンと掘ってきたが、
表面的には、「止めること」だ。
子どもが、自由に動けないように、鎖でつなぐことだ。
飼い殺しにするためだ。

だけれど、もしも、私たちが、毒を抜き、
自由に動けるようになったのを目の当たりにしても
毒親は、決定的には、痛まない。

本当に彼らが痛いのは、
子どもが、楽しそうにしている姿を見ること、
ではないのだ。
むろん、嫉妬もするだろう、嫌がらせ、
ありとあらゆる妨害もしてくるだろう。
これは、必ず、してくる。親が死んでもしてくる。
まさに、悪霊だ。

しかし、その悪霊が、本当に痛いのは、
オレが、ワタシが、産んだ子が、

「自分を裏切っていない」

それを、目の前で見続けること。
これこそ、その悪霊たちにとって
猛烈な苦痛はない。

私が思うに、これは悪霊の死刑に相当する。
悪霊としても生き延びることを許されないだろう。

こういう、凄まじい闘いが、
自我復元なのだ。
私たちが、ずっとやってきた、
やっている闘いが、これなのだ。

楽しいことができるようになることじゃない。
そのために、自我復元をやってきたんじゃないんだ。
むろん、楽しめばいいと思う。
存分に私もこれから楽しむつもりだ。

しかし、自我復元という生き方、それを選んだ者の生き方とは、
その始めの時点で、悪霊と闘うことを決意した者の生き方だから、
自由を手にして終わるような、そんなものじゃないし、
だから、私は、こんなにも、湧き上がる思いに
いつもブログの前に座っている。

この投稿を書き始める前に、
私にとって、このブログは、今や、
「レコーディング」のようなもので、
もうこの時のために、毎日募る思いをためて、
出し切る、そういう場なんだ、と思った。

といって、何か書きためたわけでも、
何か頭の中にあるのでもない。
あっても、もう、そんなのは、賞味期限は切れているし、
つねに、今、しかない。

だから、タイトルしか、ここに座る時、
頭の中には、ほとんど、ない状態。
ぜんぜんではないけれど、レコーディング前とはそういうもの。

ほんと、「自分という職業」これしか、頭にないのね。

この題名の収録をするんだ、と戸を開けるようなもの。
ログインし、投稿をクリックする。

LDD(ライフデーターディスク)、という話がトーク動画の中であったけれど、
私は、濃密に、このLDDに「自分」という体験を収録しようとしている。

地球での体験自体が、本来、これだったのかもしれない。
だけれど、誰か、「自分」というタイトルで収録した人が過去いるだろうか?

たまにこういうのは、ある。

たとえば、「あび」という生き方、とか。
無二の私、これが自分だ、みたいな。
それは、真似ることができるし、それこそ、記憶を組み合わせれば
ユニークにみえるバリエーションは作ることもできるだろう。

だけれど、「自分」というのは、
内容ではないから、これが私だ、と主張するものじゃない。
私の感覚では、ずっと裏切ることがなかったもの、
これが「自分」だ、としか、いいようがない。


「やまなかったもの」

なのだ。


たった一度も、やまなかった雨のようなものなのだ。
死に際、私が見るのは、おそらくそういった
ずっとやまなかった雨を、窓越しに見るだろう。

職とは、どこか一秒でも途切れたら、
それは、自分がやってきた職と言えるだろうか?
やまなかったもの、一度も途切れなかった精神、
私にとって、職とは、そういうものだ。

この10日、私が一度も途切れなかった精神、
それが、このタイトルそのものなのだ。

「自分」という職業

このレコーディングだけを、私は考えていたはずだ。

どうしてもここに、私は、戻る。

自我復元者としての私。

私だけが記録する「自分」という職業データーがある。

「やまなかった精神」

そのリアルな記録だ。


2016.3.08
あび

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by jh-no-no | 2016-03-08 15:02 | 私の生き方