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リアリティーが一切を焼き尽くした一夜-自我復元後日記[013]

「決定打」

だった。ああ、こうやって最後は、リアリティーが
いかなる妄想も、焼き尽くすのだ、と。

私自身が、ではなかった。

現実、事実、本当に何でもないリアルな出来事、
今体験しているすべてが、「すべて」であり、
最後は、いかなる妄想も、その唯一あるリアルな現実が、
それらを、まったく、焼き尽くしてしまうことを体験した。

私は、このような大風邪をひいたのは、
どのくらいぶりだろう。
大風邪だ。私は、今日は仕事は無理だ、と寝ながら思った。
そのくらい、私は、自我復元をはじめてから
風邪なるものをひかなくなったし、
このような主観として「大風邪」と認識する体験は、
記憶にないが、私が私を失う前頃にあったとすればあったかもしれない。

なぜ、そのように言うか、というと、
この風邪は、私に「変わった」ことを痛感させる一夜の経験だった。
目が覚めているのか、寝ているのか、というなかで、
私は、「変化」そのものを、この大風邪が示しているのを
感じ続けていた。

昨夜、私は、
実は、ノートに、この人生の終着点(ターミナル)を決めた。

結論から言えば、

この妄想が、(内容ではない)、この「妄想」という思考の位置が、
私によって、でなく、ことごとく、それはまるで
「最初から無かった」かのように、いや、かのように、でなく、
本当に最初から無かったものとして、この、ただの、大風邪が、
それ自体の経験そのものが、たった一つのここにあるリアリティーとして、
完全に焼き尽くした。

リアリティーそれ自体が、妄想それ自体を終わらせた。
私が、ではない。
まあ、そんなことは重要ではないのだが、
重要なのは、今体験している出来事、これだけが、
「私に起こっているすべて」、過去も今も未来もその区別なく、
それがいかなるどんな経験であっても、現在進行形で体験している一つの状態だけが、
そこにあって、他には、本当に、どのいつからも、無かったし、無いし、今後もない。

このリアリティーが一切を焼き尽くした一夜のことを
ここに記す。

大丈夫。ブログを書けるくらいだ。
仕事に行ける。何の悔いもない。


2016.2.28
あび

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by jh-no-no | 2016-02-28 15:55 | 私の生き方

「現実」に焦点が合う-自我復元後日記[012]

自転車(自我)に一人で乗れるようになって初日、
いくつかのことに気づいた。

新しく見る、光景である。

今日も、例によって、あまり時間がないので、
途中になってしまうが、書いてみたい。
思ったけれど、途中でいいのだなあ、と。
続いていくものだから。

で、まず、一番最初に気づいたことは、

現実は、もっと複雑だ、ということだった。

何に比べて、ということだが、
AC人格の視野でとらえていた毎日、目の前のこと、
それをどうとらえるか、という把握内容に比べて、
実際は、はるかに、複雑だった。

AC人格の典型的な悩みのループに、
「どうしたらいいんだろう・・・」というのがあるけれど、
この現実に直面すると、そんなの、簡単にこうだと断言できるほうが、
どうかしている、と気づく。

だって、あまりに複雑にいろいろなことは
からみあっているからだ。
とてもそれは当たり前のことである。

しかし、AC人格は、AかBか、白か黒か、
いいかわるいか、という、極端にいえば、
2種類くらいに現実を「絞り込む」。

でも、私が自転車に一人で旅乗りしてみた光景は、
AかBか、「あ」か「い」か「う」か、という
せめて3種類くらいの複雑さしか扱えないACの視界とは比べ、
私が目にしたのは、五十音図そのもの、といったもので、
どれもこれも、あったものじゃない。どれもこれもがある。

まず、このことだ。
複雑だった、現実というのは、ということ。

次に、中心の技法に関連することだけれど、
これは、今回の投稿のタイトルと直接に関係するのだけれど、
今までは、「中心」というのは、この現実から少しの間離れて、
そこで別の空間、時間を設ける、といったものだったのだけれど、
中心の技法をやろうとすると、今体験している現実そのものが、
イコール中心になっている、そういうことに気づく。

中心は、現実とは別のところにはない、ということであり、
これは、今までとはぜんぜん違うのだ。
中心世界=現実、もちろん、私が認識する現実のことであり、
すごく複雑なものの中で、スポットが当たっている空間のことだ。

複雑だった、というのと、このことは、
私の中では、とても関連性のあるものに感じている。
うまく言えるかわからないけれど、
私は、今、この複雑な現実に身を置くにあたり、
「この現実こそすべて」であり、もちろん見ない現実などなく、
複雑さそのままに、それを体験し、見て、感じ、何かを決めたりしながらも
それはふと変更となることもあり、効率が悪いこともあれば、
ついでに済んだりすることもあり・・・延々に書いてしまうようなことなので
このへんにするが、そのくらいに、当然なのだが、現実は「2通りのうちどっち」
など、簡単にこうだ、と断定するようなものはなかったし、
それは、決して、だからなんだ、ということでもなく、
ただ、現実というのは、複雑だ、という事実があるだけだった。

そして、それが私の全世界として認識された時、
つまり、相当に「妄想」の価値が落ちた、といえばいいのだろうか、
その今、私は、妄想をすることがあれど、
それを「1」とすれば、現実社会への関心は「1000」といってよいほど、
妄想への関心、というか、依存度は低下している。

たとえばこういうことだ。

AC的な思考や癖が抜けていないために、
どうしてもそのような回路にはまることがある。
自転車訓練法その3の最後のほうで、
「漕ぎ出し」がスムーズになりました、というシーンがあるけれど、
私は、まだこの漕ぎ出しがスムーズでない時が多い。
その時、というのは、AC的な思考や癖に躓いている、という場面だ。

なのだが、それは「妄想だ」と知っていて、
私は、現実社会で一人で自転車に乗れることがわかっており、
そこでこそ、私の生だ、と確信しているので、
ACの挙動が出て、また、その挙動をしてしまったとしても、
それすらも、妄想でなく、現実へと変換させていく。

その際に、こういうことが起きる。
ACというのは、先も書いた通り、あまりに単純な思考パターンなのだ。
しかし、妄想から「現実」へ、と、そう、一番、こう表現したいのだが、
現実へと軸足が切り替わる、それも確実に切り替わった今、それは
決して二股とかでなく、なんとなくACをとっておく、とかでなく、
完全に軸足が「現実」に置く、と心底「決まっている」今、
たとえ、AC人格を私の中にみても、それは、
「1000」という現実の中の「1」として、無価値の烙印を押されるのだ。

これが、複雑な現実に身を置くことによって、
また、そこに焦点が合う、というか、その現実にしか焦点が合わなくなることが
私に起こったことだった。

わかりにくい文章になってしまったかもしれないが、
言いたいことは、現実という場に軸足が完全に移行する、ということは、
はっきりいって、ACも何もどうでもいい、ということになる。
それは、どうでもいいからこれでもいいんだ、という
ACの怠惰さを促進させるものではなく、
むしろ、その怠惰さでは、対応が不可能な現実の複雑さに、
一つ一つ、以前とは比べものにならないくらいの神経の密度と濃度で
毎日を、毎瞬間を処理していく、ということなのだ。

その複雑な中で、「やりたいことはやればよく」
「やりたくないことはやらなければいい」ということなのだ、
ということにも気づいた。

昨日、床に入った時に、
なんてこれは普通なことだったんだろう、と
へぇ?はぁ?と不思議な溜息をつくほど、
私は、本当はどんな子どももまた大人であっても
当然普通に生きてやっていることが、私はできなかったんだぁ・・・
とつくづく思った。

自分の都合のいいように考えて、
自分の好きにやればいい、ということなのだが、
それは、AC人格がかつて想像するような状態ではなくて、
とても複雑で、困難も当然あり、わからないこともたくさんあり、
そういう中で、それをやる、ということ。

妄想世界と、現実との区別がつけられるようになると、
これは、そんな難しいことを考えずとも、
現実に身を置けば、逆にいえば、そうしかならない。

何を書いているのか、自分でもわからなくなってきてしまったが、
要は、この私が把握している現実こそ、対処すべきすべてであって、
起こっていないことはそこにはなく、まだ起こっていないことだったり、
ただの妄想だったりしているだけで、今、この現実こそが、
私の「中心」、それ自体なんじゃないか、と感じるほどに、
そう、「中心」という概念のほうが、消えていくのだ。

といって、中心そのものに私がなっている、とか表現するのも
それこそ、「一体感」という概念を持ち込むことの違和感があるわけで、
やはり、ここは、中心の球体内に、そのまま、私の見る現実社会が
映画のスクリーンのように、そこで展開されている、とくらいに
表現しておくのがいいのかもしれない。

つまり、くどいけれど、
私は、今、「現実」を生きているのだ。

現実という道路に出ている。

そこを走っている。

なによりも「現実」が全面にあるのだ。
それが、すべてなのだ。
自我復元も、ACも、それらも全部、ふっとんでしまうほどに、
対処すべきこの複雑な世界に私は今、身を置いていることに
「違和感」がないし、自分でこの複雑な世界を自分で生きている、
という実感が、なによりも、楽しいのだ。大変であったとしても。
どんなに面倒であっても。これが、今は、楽しいと思えるのだ。
決して、生気を奪うようなものには、ならない。なりえなくなっている。

それは、

決して、AC人格には耐えられない複雑さなのだ。
あの怠惰さでは、絶対に、嫌になる現実状態なのだ。
しかし、これを一つ一つ対応していくことにこそ、
その濃密な行為と時間の中にこそ、意志の行使、という営みがある。

今日、夢を見た。

今、合気道で指導をしてくださっている師範が
突然、癌のような病に侵されて、昨日まで元気だったのに
突然に亡くなった、という夢で、ご遺体とも対面する、という
ショッキングな夢だった。

私がその時思ったのは、
まさに昨日、私に、
「もう一度やってごらん。そうじゃないそうじゃない、
右手は手刀。こうやないよ、こう。そう、そうやってごらん」
と、直接私に声をかけ、最後に教えてくださったことを、
あれが最後になってしまった、と感じて、
もう教わることができないんだ、という喪失感を感じた。

昨日、寝る前に、桜の間で、
第5惑星の話を動画で聴いて、それが消え去る時の悲しみ、
という話があり、私は、それが気にかかっていて、
なんだか、それと関連する夢を見そうだな、と思って床についた。

師範のこの夢とそれは関連があるかどうか、は置いておいて、
それ以外に、たまたまだが、私は眠る前に、
チェルノブイリの原発の動画を30分ほど見た。

癌、放射能、重力波・・・

こう、存在がことごとく消されていく、そんな死に方。
派手に殺されるのも恐ろしいが、
この音すらなく、リストから無くなっていくような消え方に
私は、これらに、共通のものを感じ、
今日一日、現実感覚とは別に、どこか、気持ちが暗い。

2016.2.27
あび

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by jh-no-no | 2016-02-27 16:24 | 私の生き方

「自転車は一人で乗ります」-自我復元後日記[011]

死後、私は、これだけは忘れずに持ち帰る。

どんなことを言われても、

「自転車は一人で乗ります」

これだけは、私は忘れまい。

・・・

前回の投稿、といっても、まだ今日の記事だけれど、
前回、私がブログを書きだすのがしんどかった理由がある。

それは、

この自我復元ブログが、もう、

「魔術的な力」を失っていたからだ。

しかしそれは、正確にいえば、

私自身が、魔術的なツールとして頼ることを
やめることを決意したからに他ならない。

さっき、食事をとった。

ほうれん草に、らっきょう、白米。
出汁のお味噌汁。

今日は、チョコレート菓子と蒸しパンを少々、
牛乳で入れた紅茶を飲む。

一日二食生活。続けている。
お菓子も少量をたしなむ程度。

しかし、今日、私は、もう少し、
お茶菓子を食べたかった。

冷凍庫に自作のパンケーキの残りが
わずか残っている。

悩んだ末、私は、食べることにした。

「食べたい」

そう思ったからだ。

美味しかった。本当に美味しかった。

私の中でしばらくこんな思考が起こっていた。
なにも珍しいことでない。
過去、ずっとこの思考は繰り返されてきたから。

それはどんな思考かというと、

「わずかな一つのお菓子でやめておくべきだったのではないか・・・」

という思考。

反省という名の、エゴだ。

私に身についた反省というエゴは、
反省すれば、それで済む、というやり過ごし方であり、
当然、それを強要し、「悪いと思っています。気を引き締めます。
だから許してください」と言わさせようと脅したのは、毒親。
そのエゴと取引をしたのは、私の「怠惰さ」。

このエゴは、次に、必ずこういうことを言い、する。

「(反省したから、だから)今の私は悪くない。
・・・だって、こう考えれば、これだっていい体験だった。
これからの私は、また一味違う。」

という、実は、「・・・だから、大丈夫だよね、、、」という
怯え。委縮、ビクビクしている自分。

これをどれだけ私は、延々と、不毛にやり続けてきただろうか。

今日、私は、冷凍のパンケーキを温めて、
牛乳と一緒に、陽の当たる窓際で食べた。

それから、こうやって続けてきた不毛な思考との対面を
避けることなく、見続けた。

「食べたい」

というその素直な思いにまかせて、私は食べたのだから、
私はそこで起こるすべてを見る必要がある。

そもそも、なぜ、私は、食生活をこれほどに見直そうとしたのだったか?

その自問と同時に、私は、

そのパンケーキを食べた今、まったく不快でないことに気づいた時、

私は何のために自我復元をしてきたのかが
わかったのだ。

食事中の今、私は、どこにも問題がなかった。
ややストイックに、でも、食べたいなという思いもかなえ、
それでいて、不快でもない。

「問題、なし」

反省など、する必要は、まったくなかった。

そのことがわかると、私は、そうだったのか、と
自我復元をやってきた意味を理解したのだ。

「自分で自分のコントロールをすること」

これだけなのだ。

これができるように、治療してきたのだ。

そして、今、自転車のペダルを漕ぎ始めた。

気持ちよく食事がとれたら、それで「OK」なのだ。
満腹感や空腹感に支配されることなく、
自分で箸の上げ下げを、自分で納得してできれば、
何も問題はない。

「今、何も問題はないではないか」

と思ったときに、反省というエゴの出番も消え、
私は、最後に炊飯器に残っていたご飯をよそい、
それを、ただ、もぐもぐと食べ、食べ終えた。

ごく普通の食事であった。

でも、これこそが、
自我復元で取り戻した、自分のコントロール能力だったのだ。

私は、今日、初めて一人で、自転車のペダルを一人で漕ぎ、
自転車一人乗りをやったのだ。

できたじゃないか。

前回の投稿で、取り戻したのは「笑顔だ」と書いた。

それはその通りだ。

委縮し、ビクビクしている私が取り戻したのは、
怖がらなくていい赤ちゃんのその地点に戻ることで、
笑顔を取り戻した。それは確かなことだ。

ここに至るまでの、本当に過酷なプロセスで学んだ姿勢は、
死後、その後も、私の生き方の底流に流れ続けるに違いない。
また、言い換えれば、それは、ずっとあったものであったわけだが、
いつの間にか、あることにすら、気づかなくなってしまったものだ。

しかし、その「笑顔」というのは、
本当は、副産物だ、と私は理解した。

ただ、予想外に、自転車に一人で乗れるようになることは困難であったゆえに、
「自転車に一人で乗れるようになったね、よかったね」ということ以上に、
その「おつり」のほうが多く見える、というだけであって、
つまり、言いたいこと、私がそうだったのかと了解したことというのは、

「笑顔」

あえて言うけれど、「そんなことよりも」

自我復元でできるようになったことは、

「自転車(自我)を一人で乗れるようになったこと」

これに尽きる。それを、今日、痛感した。

笑顔、というよりも、もっと軽く考えればよい。

自転車が一人で乗れるようになって、よかったね、
ちょっと格好つけていえば、
「自信」が取り戻せてよかったね、

ここ、ここに書いたこの3行以上でも以下でもなく、
これ以上飾ることもなく、卑下することもないのが、
「自我復元」という名の、「自我一人乗り訓練法」だったんだね、と
私はあらためて、この自我復元というものを理解した。

これでよかった。OKなのだ。

no problem.

問題があっても、問題なし。

なぜなら、考えてみれば、

なぜ、私は「こんな目にあってしまったか」というと、
毒親を選んでしまったから、なのだが、
じゃあ、その毒親は何をしたか、というと、
自我を自転車にたとえると、

「あび、パパがハンドル持ってるから、漕いでごらん。
思いっきり漕いでごらん、どっち行きたい?
パパが好きなところ、連れてってやるよ。倒れないから安心しなさい。
パパがずっと持ってるから。右、左?あっちか、よし。思いっきり、漕いでごらん。
あび、楽しい?よかった。また来ようね。」

こういうことをやってきたのが、
私の毒父であり、毒親だったのだ。

そして、私に何が起こったか。

親のいない時、私はどうなると思う?
成人して、どうなると思う?

運転、できるわけがない。

私はそこで、それから、どうこの世でしのいできたと思う?

「乗れたつもりになって、世界中を走り回る妄想だけに生きる」

という、考えるだけで、おぞましい光景がわかるだろうか?

自我復元をやっている最中は、
失っていたのが、自信であることにも気づかない。

自信を失っていることに気づくのは、
自我復元後だとも言っていいと、私は思う。

今までは、私の足、という実はAC人格に最初は漕がせてきたハンドル操作
から始まり、今度は足を地面から離し、現実社会で困難を経験し、
また坂道を足をつかってでもいいからがむしゃらに駆けあがり、
今度は下り坂、止まらないスピード、ハンドルをつかむ。

私のこの分割自我復元ブログの道のりそのものだ。

やがて、平地に出る。

「さて、どうする?」

これが、いわば、私のここ最近、私自身に投げかけられた自問だった。

ここで、私が気づいたのが、
失ってきたのが、そして、今、取り戻そうと必死にしているのが、
「自信」というものであったこと。

自分で自転車に乗れない、
自我でいえば、自分一人の自我じゃなくて、侵入され、
自分の部屋なのに、自分で管理できない、という状況に「させられる」
ということは、私がいざ、自分を生きようとしても、
その自信を根こそぎ奪ってしまう行為だったのだ。

ひとりは、怖い。

自由は、怖い。

なぜか。

自転車のハンドルを、かつて、毒親に奪われてきたからだ。

いざ、自分一人になって、怖くないはずがない。

そして、その恐怖を利用し、
飴で調教したのが、洗脳であり、私の毒親がやったこと。
恐怖を利用しただけで、彼らは、ハンドルを放さなかった。
ハンドルをもしもパパが離したら、どうなるか、という仮想恐怖話を
うまーく、語り、まるで味方のように、この自我の侵略者として支配したのが父だった。

しかし、私は、ここ毎日、
自力で漕ぐこと、そこに戻り続けた。

「乗れてるではないか」

自我復元とは、人間として当然に持っていたコントロールを
取り戻すこと。

これに気づいた時、

私は、

「OK」

だった。

それは、もうこれから私は、もちろん転ぶこともあるだろうし、
ひやっとすることが路上であると思うけれど、

しかし、もう二度と、

このペダルは、自分で漕ぐことを、二度と忘れない。

自転車は、親譲りのAC足で歩いて進むのではなく、
坂道を利用して進むのでもなく、
本来あるペダルを、自分の足という「自分の意志」で
漕いで進んでいくものだ。

この平地に来た時、私が私に命じたのは、

「動け」

ということだったのは、そういうことだった。

「どこに?」「なぜ?」

なんてどうでもいい。そんなこと、あんたやってきたんじゃないんだよ、
自分で漕いでみなさい。動けるからやってみなさい。
たぶん、転ばないからやってみなさい。転んでも大丈夫だからやってみなさい。
走ってみなさい。やれるから、やりなさい。

私も言う。

「もういいから。(過去とか未来とか分析とか自分を見捨ててしまったとか、
もういいから) 行け !」

と。

私は、今日の食事で、少しのそのパンケーキを食べ、
その食事をまっとうすることは、ただ、やってみる、という
そういうことであった。そして、やった。

「乗れたじゃないか」

私の感想だ、できたじゃないか。問題ないじゃないか。
へんに満腹でもないし、空腹を妄想もせず、気持ちよくごちそうさまって
なったじゃないか。それでいい。なんにも問題ない。

・・・

この投稿の最後に、

今日、これを思い出し、もう一度拝見し、
この大好きな動画をここにリンクさせていただく。

桜の間[344]に紹介された3つの動画だ。

その1
https://www.youtube.com/watch?v=mfEif6GGKCo

その2
https://www.youtube.com/watch?v=jXDO1AC_n3k

その3
https://www.youtube.com/watch?v=Ckk78q8bAGk


これは、自我復元のプロセスそのものだ。

カメラをまわすこの子の親は、
本当にわずかな声かけしかしていない。

「その1」では、

うん、いいねいいね。

「その2」では、

もっと足離してぷい~と行ってみろ。

いけいけ。

いいよ、いけいけいけ。
(カメラの親が視野に入ってしまっているなあ、と思った親は言う。)

いいからいけずっと

「その3」では、

完璧です。ばっちりです。

・・・もう完璧じゃん。

スピード、出し過ぎんなよ。


毒親でない、とはこういうことだ。

とんでもなく当たり前のことをしているだけなのだ。

そもそもの目的、この子とこの親との間で
この自転車訓練で成立している関係とは何か、といえば、

「子どもが、自分一人で、自転車に乗れるようになること」

これだ。

この入り口が、狂気の沙汰になっているのが、
毒親なのだ。

「子どもには、オレがいないとどんな目に会うかを怖がらせて、
オレの顔色をうかがわせて、こいつをすきなように使ってやろう」

というこの動機を、なんと、自転車訓練にまで持ち出すのだ。

というか、私の生全体に介入してくるのだ。

そうすると、

たかが、自転車を乗る、ということだけのことの中に、
自信を喪失させる、という、大きな傷つきを残すこともできてしまうのだ。

そうやって、日常生活すべてに支障を与え、
妄想世界で独り言を言う以外、何もできない廃人にしてしまうのが、
毒親を選び、毒親の家庭で育つ、ということなのだ。

私は今、その3をやっている途中なのだが、
その1、その2は、まさに、AC人格分析、ACとの格闘、
そこでの体験と指導、すべてがつまっている。

しかし、どこをとっても重要なことは、
自転車に一人で乗ろう、とする意志、
また、その意志をくみ、邪魔することなく見守る親なのだ。

自我復元の奇跡と思われることは、
この動画のはるか以前に、
AC人格の「足」「なのに」、
自転車に乗ろう、と一人、決意し、向かったことなのだ。

その初心のままに、

出口もまた、当然、自転車に一人で当然のように、
本当は他の子も普通にやっているように、一人で乗れるようになることなのだ。

ペダルが一人で漕げるようになった。

後は、漕いでみる、ことだ。

取り戻したものに、気づくから。

それは毒親が奪ったもの ー 自信だ。

動け、行け、いいから行け、

この動画のように、終わりのほうでは、
親のほうなど関心もなく見向きもせず、
前を向いて走っている。

どこに向かって?

なぜ走るのか?

など、もしもこの動画を見てその子に問いかけるとしたら、
完全に病気である。

それは、自転車を一人で乗れない人間の妄想そのものであり、
それを根治するのが、自我復元だ。

「走れるようになってからいいなさい」

そして、今私は、

走れるようになること、なったことを

心から嬉しく思う。


2016.2.26
あび

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by jh-no-no | 2016-02-26 18:21 | 私の生き方

私は私が笑うのが私らしい-自我復元後日記[010]

 万 笑


満ちるのではない。

万-まん、ばん、よろず、すべて

満ちて笑うのでなく、

すべてが笑っている。

満ちるから笑うのでなく、すべて(万)が笑っている。

自我復元で私が取り戻したのは、

「笑顔」

これだけ。

私が見ている未来は、

すべてが笑っている。

私が未来を作っている。

私が笑うから、万が笑っているのだ。

私は私が笑うのが私らしい。

笑うというのは、

本当に苦しいことだ。

でも、

それしかない。

万笑の未来を作る、ということは、

私が笑うことでしか始まらない。

自我復元は、決して甘くない。

一度踏み込んだら、止まることは許されない。

自分が為そうとすることを成し遂げるまで

「容赦」はゼロだ。

生きるというのは、とてつもなく苦しいことだ。

解放されることは、絶対にない。

楽になど、ならないのだ。

それは幻想にすぎない。

幻想でないのは、

「笑っていること」-万笑

笑って死ぬ、というのは、

苦しくても笑っている、ということであって、

苦しみが解放されたから笑う、などということは断じてない。

毒親の最大の嘘、飴づりは、

「苦しみはいつか終わる」という大嘘。

苦しいという感覚すら麻痺させられただけであり、

自我復元で取り戻し続けたのは、

苦痛の正常の感覚だ。

それと、

自我復元を志す時に、許されないことは、
自動性というものに甘んじる怠惰さだ。

自動、ということに甘んじるということは、
イコール、自分という魂の尊厳を放棄することだから、
そんなんなら、自我復元の門をくぐる資格はない。

苦しみのさなかに、生きている脈動があるのであって、
笑う、というのは、身体に刺さった槍を自分の手で抜きながら、
痛みを生で感じつつも、

「やる」

こと。自分の意志で、笑うこと。

そういう「笑い」でなければ、にやついているのとどう違う?

濃さ、とは、そういうものでないのか?

徹底した有機栽培のお米、お米だけじゃない、
そういったものたちが、濃く、そして力強いのは、
農薬などの力で育ち、煮詰まることなく実をつけてしまうような
薄い生を送っていないからだ。

天候とも闘い、虫とも闘い、
きっとそれ自体が単独でその生をまっとうするというのは、
きわどい修羅場を幾度となく切り抜けてきたからだろう。

笑顔を取り戻した、というのは
まったくゴールではない。

止まるな、から、動け、へと
さらに、加速するよう、馬力をあげるよう、
容赦なく、命令されることだ。

しかし、この命令は、

もはや、毒親からの命令ではない。

私の意志、という、絶対的な命令だ。

私は笑う。

絶対に笑う。

私が作る世界は、すべて(万象)が笑っている(万笑)、その

「濃さ」

ゆえに、私が、それこそ、

「独り」

で、これを作っていくつもりだ。

最近聴いた「無師独歩」という生き方、

そんなの当たり前だ。

そうでなければ、どこに己の尊厳がある?

自我復元を志し、そこに全身全霊をかけた者の一人として、

私は、

「濃さ」

を尊重していく。

苦で煮詰まった濃さ、それが、笑うという力を生み出すからだ。

苦しくもないのに笑っている、なんて

そんな笑いを笑いと言ってほしくない。

「笑って死ぬ」

というのは、

だってそんなことじゃないだろ。

悔いなし、という、自分を貫き死守し続けた格闘の末に

ボロボロになって、そこで最後に輝き落ちる線香花火が

「笑顔」

だと私は思っている。

それを求めないような生は、私が望む生の体験じゃない。

それをしたかったから、

そういう生を全うしたいと願ったから、

私は決して止まらなかった。

自我復元後に現出するのは、

止まるな、と外から応援してくれるような声援ではなく、

断じて、天使のような声が聴こえてくることはない。

そこで出会うのは、

毒親のような中途半端な命令者ではなく、

「絶対的な命令者」

だ。

それが、

「自分の意志」

なのだ。

毒親は必ず退散していくものだけれど、

今までも、今も、これからも、

一度も、絶対に、決して退散しない者が

「私自身」

ゆえに、絶対的な命令者であり、かつ、

実践者=私だ。

今日、仕事中、それは本当に些細な瞬間だった。

一人のお客さんが、わずかに笑った。

マスクもしていたから、それは、目で少し感じる程度だったが、
確かな笑みだった。

私は、その時、私も笑った。

これが、万笑の原点であった。

私は、かつてともに歩んだPCの壁紙の「子どもの頃の私」を思い出した。

ずっと、私は、笑わせなかった・・・

そう思った時、ぐわっとこみあげてきて、

声がふるえ、続く接客をしていた。

23:11。

その子どもの頃の私は、こう、私に言ったように思った。

「もういいから。行け!」

と。

この、

「行け!」

私は、この「力強さ」を絶対に裏切らない。

この投稿を書く前、かなりの踏ん張りが必要だった。

そのさなか、

「動け!」

と。

それを聴いて、

私は、

「容赦ねえなあー!」

と声にして、

私は笑った。

万、とは、私にとってのすべて、私の現実におけるすべてのこと。

私が笑う時、すべては笑っているものなのだ。


万象万笑


私は、

この、

悔い無き道を、






 独 歩 す る 。






2016.2.26
あび

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2016-02-26 06:49 | 私の生き方

(後半)変わりゆく内と外-自我復元後日記[009]

・・・「(前半)変わりゆく内と外-自我復元後日記[008]」の続きです。

実は、家に帰ってきて、ブレーキをかけることもなく
PCをつけようとしたのだけれど、スピードはそのままブレーキに触れず
ちょっと寄り道をしよう、と、10分、別のことを
部屋の電気を消して、今さっきだが、やってみた。

しばらく前の記事だったと記憶しているが、桜の間の記事で、
たしか、こんなことが書かれていたのを、
仕事の帰り道、思い出したからだ。

死後、電話だけがひとつ置かれた部屋に
自分が、ぽつり、といたとして、
さて、どうするだろうか自分は?という
シミュレーションだ。

これを私は考えてみたくなった。

その際のメモをとらなかったので、
あらためて思い出しながらだが、
そこで考えたりしたシミュレーションを
少し、書いてみよう。

かつての私であれば、
当然、どうしたらいいのかわからない不安から
「あのー、どうしていいのかよくわからないので
ちょっと電話してみたんですけど」と、
おそらく、何も考えず、電話をして、
ホテルのフロントの人から何かを訊こうとするに違いない。

しかし、今の私はどうだろうか?

まず、私は、電話があるな、とは思うけれど
おもむろに受話器を取りにいくことはないだろう。

こうまず思うはずだ。

「ここはどこだろうか・・・」と。

そして考え始めるかもしれない。

どうしようかな、とか、
何しよう、と。

もちろんその中には、
別に、まあ、ちょっとこのままにしておいて、
休んでいればいいか、ということも思うことの一つかもしれない。

よくわかんないなあ、この状況は、とは思うだろうけど、
たとえば、もしも、ちょっと眠かったりしたら、
少しだけ寝よう、と思うかもしれないし、
今のこの今の私なら、中心の技法でもやってみよう、
15分後にアラームでもかけて、とするかもしれない。
そして、実際、よくなってしまうのだけれど、
寝入ってしまうこともあり、その死後のホテルの一室でも、
中心のワークをやりながら、寝入ってしまっても、まあ、いいかな、
少し休もう、と思うかもしれない。

ただ、まず電話をしよう、はないな、と。

なぜだろう?ということなのだが、
その理由は、こういうことをシミュレーションした時に
ああ、だから私は、とりあえず電話、というのはしなさそうだ、
ということを、自分自身、納得した。

たとえば、そうやってそこにあるベッドに横たわって、
まあ、休んでいよう、としていた所に、
急に、ドアが開いて、誰かが入ってきたとする。

ここで、もしもかつての私なら、
ちょうどよかった、あのー、これ、どういうことなんでしょう?
と「お伺い」をして当然、な姿勢で、その誰か(以下、案内人と表記)と
向き合ったと思う。

しかし、今の私は、もしもそんな事態があったら、
(ちょっといきなりなんなんですか的な、少し怒りや不信感とともに)
「なんでしょう?どなたですかあ?」と訊ねると思う。

この違いは何か、というと、
実は、私は、この何でもないようなホテルの一室でさえ、
私がそこにいて、そこで何かを感じ、そこでまわりを見たりしている限り、
その部屋、というのは、

「自分の部屋だ」

という認識がある、ということなのだ。
今の私の場合、は。

これは何も所有感覚として、自分の部屋といっているのでなく、
自分が体験している世界像(現実)として、当然、この今のこの部屋というのは、
ドカッと入ってきた案内人が入りこんでくる「前」は
私一人が知覚していた空間であり、私の経験それ自体だったわけだから、
「誰あんた?」となって当然だと思うのだ。

あのー、と何も疑問に思わず訊ねてしまうのは、
その感覚、この部屋が自分の部屋である、という感覚、
つまりは、私自身が経験していることが、私個人の経験として
確固たる自立性を持っている、という感覚が希薄だからだ、としか思えないのだ。

というふうに、先ほど思った時に、
今、私が安易に受話器をとらない理由もわかった。

電話をかける、というのは、
こちらから受話器をとる、という行為のためにわかりにくいのだが、
受話器を通じて、かけた以上、
そこから相手が侵入してくることを意味する。
なにより、私自身が、「どうぞ」と鍵を開けたことを意味する。

開けたければ開ければいいのだが、
問題なのは、そこに、「相手をこちらに自分が入れていることなんだ」
という自覚がないことにある。

自分も相手もなく、ただ、不安だからとかで、
あのー、とやってしまう。
もうこの段階で、「自分」などあるわけがない。
境界もなにもあったものじゃない。

もしも正常な意識なら、
ドカッと、でなく、そっと入ってきたやつだとしても、
「なんでしょうか?あなたは、どなたですか?」と
いぶかしげに訊くのは、当然だと思う。
だって、急に、私の世界に入ってきたのだから。

いぶかしげ、というと、相手を悪くはなから思っているようかもしれないが、
実際、警戒するのも当たり前だ。自分を守る上で、それは必要最低限、
あって当然な注意力だと思う。

その上で、それから私はどうするだろう、と考えてみた。

情報を知ろうとするかもしれない、と思った。
その案内人の話をきいたりしながら、
まずここはどこで、あなたは誰で、何をしにきた人で・・・と。

そこで、もしも案内人が、仮に、

「今あなたはここからすぐ出て、行ってほしいところがあります。
あなたに会いたい、と言っている人がいて、あなたを必要としています。
必要なら、その方の映像でもお見せしましょうか。これなんですが・・・」

とまくしたてるようにきたとしたら、

「おいおい、ちょっと待てよ」だ。

だって、まだ何も「同意」をしていないのだから、
話を勝手に進めなさんな、と思うのが当然だろう、と思った。

なぜ、ここを出ろ(出てください)と言われて、
私は出なければならないのか?それはどうしてか?
まったく、こんないい加減な説明では、まあとりあえずってわけにはいかないだろう。
とりあえず出ていったら、それは、もうとりあえずではない。言いなりだ。

ここには、本来、同意が成立するに至るに必要な
まともなやりとりがあるべきなのだ。
そういうことなら、こういうことには同意するとかしないとか、
ここに、まともな会話が起こらなければならない。

電話があるから受話器をとって、まずは指示をあおぐ、
などという稚拙さは、一言、「言いなり」以外になんでもない。
毒親の言いなりになった、その言いなり、怠惰さ、と何も変わらない。
(数日前に思ったことだが、どうしたらいいのか?という一見、悩みのようなものは、
それに答えてもらったり答えを見つけさえすれば、後は自動的で、考えなくてもいい、
という怠惰な精神から口にするダダコネのことなのだ)

このあたりまでシミュレーションしたところで
アラームがなったので、PCの電源を入れることにしたのだが、
少しずつ、職場に戻ってから考えていたことや、
こうしたシミュレーションというのが、つながってきた。

やはり、これは、
自我の壁の故障だ、と思った。

毒親は突然に侵入してきたかもしれない。
そして、死をちらつかせたに違いないだろう。

しかし、不用意に、というか、
「ぼぅーとして」といったらよいか、あるいは、
自分という意識の希薄さ(これ自体が希釈自我そのものにも思えるのだ)、
自分という意識に対して尊厳の欠片もない怠惰さ、というか、
こういったことは、まぐれもなく、

「私自身」

がしたことであって、それで侵入されて、
威嚇されて、恐怖を植え付けられたとしたら、
当然親も悪いけれど、はなからそういうスタンスで自分を扱っていた自分にも
十分落度があるのではないか。

希釈自我だったから、という理由はあるかもしれないが、
今は理由探しをしているのではない。
何が起こったか、を知ることをやっているのだ。

少し前のブログにも書いたように思うが、
私は、生前記憶を探るとき、Pに限らず、
いつも誰かがいる、誰かと関わる、そういう中に
私はいたビジョンが多い。

それに今まで疑問を持つことはなく、
持ったとしても、利他的な(もちろんエセの利他だが)精神を
毎回引きずっていることを感じていたくらいだったが、
さっき、これを思い出した時に、
これは、やはり、ダメだ、と思った。

この誰かがいつもいるビジョンというのは、
その誰かがどこにいるか、がポイントだが、
自分のテリトリーである我が家、自我内にいるのだった。

個の私、対、別の他者、という
それぞれが独立した中で関わるような世界像ではなく、
私の場合の「誰かがいる」「誰かのために」「誰かとともに」
というのは、全部、その誰かに

「侵入」

された上での、我が家の「のっとられ状態」が
誰かがいつもいるビジョンだったのだ。

それは、何も生前記憶でなくても、
Pとのリアルな生活が、そうだったように。

そして、このブログの最初にも書いたけれど、
いざ、ここ(我が家)から出て行ってほしい、とまでも言っておらず、
ただ、「ここは、我が家だから」と言っただけで(まあ、同じことか・・・)
Pは、態度を変えた。みんなそうだった。毒母も毒父も、P母も、全員。
それほどに、あいつらは、私の家の中(我が家)を
我が物顔で当然だろって感じで居座っていたし、
しかし、私は、その中で

「楽しい思い出」

も作ってきたのだ。

それは、楽しかった、でいい。
楽しくなかったんだ本当は、というふうに言うことはない。
楽しいと思っていたのだから、それはそれでいい。

しかし、私が自我復元で気づいた事実というのは、
それは、侵略による搾取が、たいへんに手がこんだやり方でなされ、
洗脳され、調教され、自己の尊厳など、まったく無視した中でなされた、という
そのおぞましい事実であり、「生きてすらいなかった私」の発見だったのだ。

その私は、一度も、楽しいと思ったことはなかった。

生きてすらいなかったのだから、そんなの当然だ。
楽しいはずがない。

このブログに最初に書いたこと、
ずっと私は変わっていない、という意味はそういうことだ。

生きてすらいなかったその「私(主体)」が
ようやく生きられるようになってきた、その私(主体)は、
書いているととても当たり前すぎるが、同じ、その私(主体)だったのであり、
私が生きてすらいない状態ならニコニコし、
私がいざ生きようとすると態度を豹変したPほか毒親たちこそ、
変わっていったのだ。

書き換えたのは、
その意味でいえば、私でなく、まわりなのだ。
それでいい。だって、まわりがしたことなのだから、
まわりに書き換えさせればいいのだ。
(言うまでもないが、AC人格はれっきとしたまわりである)
私という主体が、何かを配慮してやる必要は、一切、ない。
どこへでも、どこにいても、私は堂々としていればよい。

話を少し戻していくが、
私は、おそらく、希釈自我ということが起こる前から、
そもそもの精神が、希釈自我的だったというか、
誰かになんとかしてもらおう、という精神だったのではないだろうか、
というのが、今の私の見解だ。
このことは、別の角度からではあったが、生前記憶を探っていた時期にも
「私の性質」として、そもそも、誰かに自分を預けてしまう姿勢があることを
掘っていった記憶がある。

こういうことは、現実社会の本当にさりげないシーンでも出てしまうものだ。
たとえば、雪国旅行の時に、私は、もしかしたら、WMさんと一緒に仕事することに
なったりして・・・とか思ったり、そういうことの中に、
すでに「侵入を許してしまっている精神」がどーんと横たわっているのだ。

一人に閉じる、ということは、
一人ですでに満ちている、ということであり、
満ちる、とは、何か素晴らしい状態とか、素敵なものがつまっているとか、
そういう意味ではぜんぜんなく、ただ息をし、動いている、その
赤ちゃんがやる基本的なしぐさの中に、自分の意志の行使が存分にある、あった、
という事実のことを言っている。

なぜ、誰かを必要としよう?

ぜんぜん、いらない。

死んでしまいますよ、そんなこと言ったら、
などというやつがいたら、言い返せばいい。

「だから何。死ぬかもね、たしかに。だから何?」って。

個という一人にいる、ある。
これがあってこその、死であり、生である。
死も生も、その後に起こることであって、
死も生もそんなのなくても、個の尊厳はあるだろうよ。

だから戻り続けるのだ。

原点に。

原点は中心であり、それは、
空っぽの自我という、球体の部屋でもある。

しかし、空っぽの中で行使する意志というのは、
未来永劫、不変な価値を持つ。
それは、私が死後に、見せつけてやりたいズボンのボタンと同じ。
それ以上に、何か上等なものになる必要もなければ、
「そんなのは」とか他人にとやかくケチをつけられるものでもなく、
ゆえに、成長とか、何かになるとか、そういう幻想はことごとく幻想であり、
赤ちゃんの息やもぞもぞ動くだけのそのしぐさは、
何百歳の大人になって、そのままでよかったのであり、
だから未来は何も変わることもなく、変わる必要もなく、
今ここで起きていることが、過去も未来も、それがすべてなのだ。

ただ、そう思えないとしたら、
自分の意志で、手を動かしていない、と思っているからだ。

自分の意志で手を動かしている自覚があるのなら、
未来もずっとそうしていることなど、当然のこととして了解することだ。
だから、過去も未来もなく、現在の連続のように感じもする。
幻想を、妄想をとっぱらえば、そこにいるのは、
そういうことをおっぱじめる前の、「赤ちゃん」の自分を見るだけだ。

で、一番私が私に向けて、今日、書かねばならず
またここまで書いてきたのは、その「赤ちゃん」を生きるのか、
それとも、妄想世界をまた生きるのか、どっちにするのか腹をくくったのかよ、あび!
ということを、私は、ブレつつも、突きつけ続けていきたいからだ。

でも、迷っているわけじゃない。

答えは明白なのだ。

まだ傷つく前の赤ちゃんを生きるに決まっているのだ。

そこからの生というのは、決して、
「今までの生をやり直す」というような少し道の角度を変えて済む生き方ではない。

この前も書いたように、
それは、もう、これまでの40年以上の、さらにいえば、
前世やその前の生そういった今までの生とは、

「まったく、接点がない」

大展開した新しい生を歩くということなのだ。

それは、すごいことをやってやる、とかそんな
妄想世界の延長線上の理想なんかとは全然違う。

そんなんではなく、まったく


「新しい」


ということだ。

そして、それは「新しい」ことをやろう、とかでもなく、
新しいことしかできようもない、赤ちゃんの可能性そのものだから、
新しくないことを、仮に、やろうとしても、できないのが、その地点なのだ。

だから、今までの恐怖すら、
わからない、感じない、知らない、という地点になってしまう。

それは、何度か書いたが、
傷つく前の、私だ。
自分を裏切る前の私だ。
受話器をとる前の私だ。
一人、部屋の中にいて、息をし、手を動かしている私だ。

問題は、

私の意志で、すべては行使している、という認識を
決して誤魔化さないか、ということになる。

それが出来る、出来ていたのが、
生まれた時ばかりの、まだ傷つく前の、
赤ちゃんの私だったのだ。

ただ、今回の生で、自我復元をしてきたということは、
次は、まともな赤ちゃんとして生まれたい、という本気のことだ。
自我をしっかり持った、己を決して裏切ることのない赤ちゃんに。

そして今できないことはその時できない、
そんなことは明々白々なのだから、
死後、の話ではそもそもが、ない。

今、私は、赤ちゃんとして生まれて、
生きて、それが私の生なのだ。

それが今起きていること、否、
今、私がやっていることなのだ。


2016.2.25
あび

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by jh-no-no | 2016-02-25 06:12 | 私の生き方

(前半)変わりゆく内と外-自我復元後日記[008]

赤ちゃんに戻る、それをやっている。
今仕事中で、近くに図書館があって、1時間100円でPCを
借りられるので、これでブログを書くのははじめてだが・・・

とやってみると、ブログへのアクセスができない!
・・・しかたない。ワードが使えるので、それを使おう。

など書いている時間はない。
休憩はわずか。制限時間、30分。書ききろう。

今日、起きて少しした時だったと思う。

ふと、Pとの過去を思い出した。
何も疑問を感じず、楽しく過ごしていた思い出を。
少し、私は、胸が痛んだ。

しかし、それは、こういう理解にすぐに変化していった。
今までは、私が変わっていくんだ、あそこは戻るところじゃないんだ、
そう気を張っていたのだけれど、いや、と思ったのだ。

私は、何も、変わっていない、と。

変わったのは、Pや、まわり、毒親もそう、
まわりが変わっていったのだ。
それは明らかで、私への態度の豹変ぶりを見れば
変わったのは、まわりだったのだ。

そう気づき始めたときに、
私は、何も変わっていない、変わっていなかったものを見た。

それは、ずっと傷ついていたのだ、ということ。
楽しかったのではないのだ。
私は、ずっとあのときも、殺されていて、生きていなかった、
ということ。しかし、ずっと生きていて、それが今、
こうやって息を吹き返していること。

私はまったく変わっていなかった。
傷ついた赤ちゃんが、今、もう一度、その止まっていた時から
息をもう一度、し始めた、ということであり、
私は、私という赤ちゃんは、ずっとこのままだった。

楽しかった、とか、
今、そうでなくなったとか、
それらは、誰が、ではそのように書き換えていっているか、といえば、
実は、まわりだったのだ、と気づいたのだ。

私は、ずっと、同じ点のまま、
過去、今と、通ってきた。

そして、まわりが、変化してきたのだ。
変わらざるをえなくなったのだ。
私に対し、態度を変えていったのだ。

だから、変わったのはまわりであり、
私は、変わっていない、ということ。
私には、戻ってはならない過去もないし、
戻ってはならない場所もなく、
ただ、今のこの世界は、これからもあるだろうし、
私は、どこに逃げ隠れもしなくていい、ということ。

胸など、痛む必要はなかったのだ。

動揺し、あれこれ騒いだのは、また今も、これからも
騒ぐだろう者たちは、Pや毒親やその亡霊たちや、いずれにせよ、
私の「外」にすぎない。

もうひとつ、書いておこう。

仕事をしながら、「赤ちゃん」でいたし、
それをしよう、として、意志してやっていた。さっきも。

そして、私は、ただ動いている、といったようなごく普通なことも
私自身の人生だった。それ以外は、何もなかったし、
それで私は、とても満足だった。ずっとそうだった。

妄想に入る癖、というのはあるわけだけれど、
すぐに出てこられた。
これは、仕事前からも今日、起きてからすぐに感じたことだけれど、
私は、妄想に対して、あまり関心がなくなった。
妄想することに、価値が見えなくなったのだ。

それよりも、今、ただいるだけのほうが
ずっと心地よい。妄想は、居心地がよくないのだ。
考えている内容は関係なく、居心地がよくない。
そんなことをしているのなら、歩いていたり、座っていたりしていたほうが
ずっといい。

そして、仕事中、私の内側も、また今までとは違うように
変わっていっているのを、現在進行形で感じていた。

まず、過去のものは、「何一つ」使えなかった。

過去の知識は、覚えてはいるけれど、使えなかった。
これは、どういうことかというと、価値がないから、ということではなく、

「赤ちゃん」というこの所は、この地点は、
それらを知る前、それらをわかりたいとかわかったとか言う前の、
その、何も知らない、ただ、呼吸をして生きているだけの状態だったからだ。

だから、「そこでは」使えない、ということ。

ああ、何も使えない、と思ったし、
使おうとすら、思わなかった。
息をし、そう、これは今日、ずっと思っていたのだが、
「動いている」というのがキーワードだ、動いているだけなのだ。
そして、こんなことも思った。

これから、特に小さな子どもと触れたときは、
私は、絶対に、その子の

「動き」

を止めない、と心に決めた。

これは、前回の投稿にも書いたが、
これ自体、とんでもない虐待だからだ。

これは、私自身、今思うことでもある。

「止まらない」ということ。

「動き続ける」ということ。

これが、私にとって、リアリティーの最たるものなのだ。

これに歪が入ったら、私は、おかしいと気づく。

止まりたかったら止まればいいけれど、
止まってしまう、というのは、どこか、やっぱりへんなのだ。
動き続けている中に、もしかしたら、止まっている中心もある。

私にとって、中心は休むところだけれど、
止まっている、とは、イコールではない。
むしろ、動き続けている。
それが淀むのなら、私は、そう、おそらく、

「生きていない」

と思うだろう。

ネオ・アド関連の音声動画を拝見して、
私はそれをまったく知らないのだけれど、
私は、思った。

どこかビクビクしている、そのことに
私はすごく敏感なのだ。

私が、ずっとそうだったからだ。

私は、ビクビクしていた。

だから、ビクビクしているまわりにも敏感だった。

なぜビクビクしているのかといえば、
今思えば、AC人格ゆえである。

人はビクビクするとすることがある。

「止まる」のだ。淀む。

だから、私は、おかしい、と気づく。

時間になってしまったので、ここまで。

メールは使えそうなので、これを自分のメールに送ろう。


・・・


今、仕事から帰ってきて、自分のPCでメールを開くと、
ちゃんと届いているので、ここまでをコピー&ペーストして(↑)、
もう少し、今、続きというわけではないが、
職場に戻ってから、そうだ、書き忘れたなあ、と思ったこともあり、
また、それから、今の時間まで、思ったり、考えたり、したことも
続けて書いてみようと思う。


・・・


その前に。

家に戻ると、私は、早速、PCに向かった。
いや、10分ほど違うことをしていたので、すぐではないが、
こうやって、今、私は止まらない。

これは、リハビリの時に坂道を全力でこいで駆け上がる、
というのとも、少し、違う。あの時は、まさに、
自分の足を使って、その力の分だけ、進むだけ進んだ。

しかし、今、私がこの頃、頻繁に書いているこの日々は、
今度は、坂道を下っているようなものなのだ。

だから、逆に、「止まる」ためにブレーキをかける、
というほうが、別な力がいる、という感じで、
書かない、という選択を意識的にとるほうが、
どちらかと、少し、無理があるのだ。

毎日、いろいろな体験をするのだから、
そこで感じることを、日記のように書いている。
それはごく自然なことだ。

そう、まず、そうだ、書き忘れたなあ、と職場に戻ってすぐに思ったのは、
「過去の知識が使えない」といったことを書いたけれど、
もっとも私自身、驚いていることは、

「怖がることも、できない」

こと、なのだ。

なぜなら、理由は簡単で、
怖がる、ということをする、その前の地点の
赤ちゃんだからだ。

もちろん、記憶喪失になったわけじゃないから
AC人格の記憶もたくさんあれば、身についてまだとれない習慣もあり、
すぐにでも妄想世界に足を踏み入れれば、AC人格に振り回されもする。

しかし、それは、
私が、前回の投稿にも書いたように、
この今に、私が、「どこに居る、とするか」ということ自体も
私が決めるにあたって、「ACのいた妄想世界」にわざわざ行く、
ということを、選択したければすればいいが、しなくてもいい、
という状態にある。

むろん、まだぜんぜん慣れていないので、
昨日も今日も、関心に引っ張られてしまって、
気づいたら、AC人格をやってしまっているよ、これじゃあ、と
感じることも多々ある。多々あってはならないのだけれど、
まだ、やはり、ああ、これ、ACの挙動だよ、と思うことはあるのだ。

だけれど、戻ることをする。

すると、すごく当たり前のことに毎回気づくのだ。

傷つく前の赤ちゃんは、
怖い、ということも知らない、ということに。

知識を知らない、というのは当然ながら、
そこでは、知識も行使しないどころか、
AC人格による仮想恐怖すら、知らないのだ。
同じことを書くが、もちろん、今のこの大人の私は赤ちゃんの頃の
その赤ちゃんではないから、恐怖心は知っている。当たり前すぎることだけれど。

しかし、だ。

大人の今となっても、

「戻ること」

ができるのだ。怖い、ということも知らなかった頃のその頃に。
怖い感覚を知らない、という意味でなく、
毒親によって植え付けられたであろう恐怖体験を経験する「前」ゆえに、
私がずっとビクビクして生きてきたその恐怖心を知らない、という意味だ。

それで、ふと、仕事中だったが、
考えてみた。

どうして、この赤ちゃんは、
恐怖したのだろう?と。

不思議なのだ。

「毒親によって死をちらつかされたから」
というのは、もっともな答えなのかもしれないが、
たとえ、そうだとしても、そうだとしてもだ、
なぜ、怖がったのか?

考えたところ、理由は、おそらくこうだ。

自分のその「我が家」に、
毒親を安易に中に「入れた」からではないか。

当然のことだが、
何かや誰かを恐れる、というのは、
その何かや誰かが、そこにいる、ということが前提としてあるのだが、

「自我」

という機能においては、

その内側に、

「誰かが、いる」

ことは、決して、当たり前のことではないのだ。

確固たる「ひとりとしての個」が
自我なのだから。

恐れる、のではなく、
衝突する、とか、話し合う、とか、
やり合う、というのならわかる。

しかし、恐れる、というのは、
すでに、そこに毒親なり毒親の亡霊なり、
そういった恐怖を植えた存在が、私の内にいる、ということを意味する。

そして、そういった「他者」がいる、のだとしたら、
そいつが土足で侵入した、ともいえるが、
侵入できたのは、

「私が、開けたから」

あるいは、

「私が、自分の部屋の扉のうち、開いている扉があることに
気づいていなかった」

という、いずれにせよ、

私側にも、十分、落度があった、ということだと
私は思う。


 ・・・「(後半)変わりゆく内と外-自我復元後日記[009]」に続きます。


2016.2.25
あび

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by jh-no-no | 2016-02-25 06:11 | 私の生き方

赤ちゃんを、やれ!-自我復元後日記[007]

今日という一日は、
不安の中を泳いでいるかのようだった。

職場でも、ちょっとした買い物の際でも、
また、何もしていない時であっても、
なんだか、すごく不安だった。

ゾンビになっているのとは違うのだけれど、
生体反応が感じられないという意味では紙一重に思われたし、
職場でも、Rさんに影響を受けない、と書いたわけだけど、
受けないどころか、率先してACの挙動を私がとってしまっていることもあり、
買い物をしても、思い通りにならないと妙にイライラしたり、
黙っていたらいたで、重く暗い気持ちになり、
こんなことばかりで、不安はどんどん膨らんでいった。

何時間もこの状態が続いた。

・・・これって、いったい、何なんだろう?
あまりに自分の挙動がおかしいし、元気もぜんぜんないし、
しかし、この自分に起こっていることを、ただただ感じて、
見ていくほか、当然、なかった。

しかし、二つのことが、
以前とは違うこと、それだけはわかることだった。

一つは、

自分一人しかいないこと。

もう一つは、

元気が出せていないだけであって、
元気や生気それ自体が無かったり、奪われているというわけでなく、
この状態にあっても、それはぎゅっと自分の内にあること。

なんだろう、なんだろう、と
そのしんどい状態にいるしかなったのだが、
このおそらく二つのことが、ぴた、と焦点のあう時があったのだろう、
あ、と思った。

この状態や自分の言動は、

「私が、やっている」

ということに気づいた。

私が、自分で、そうしている、してしまっているんだ、と。
こればかりは、私の考えや動機、いずれにせよ、
「私以外だれでもない、この私」が自身の言動を、行っていた。

だから、とてもへんな気持ちだった。

ACの挙動を、どうして、「私は」「やっているんだろう」とか、
へんに、距離を持ってみていたりしたし、
それどころか、ますますACの挙動に、そうとわかって入り込んでいく
自分の振舞いや思考展開を、止めればいいのに、むしろ、
エスカレートさせていくように、なぜか、自分でしてしまっていたり、と、
とりあえず、私は何をやっているんだろう、と思うとともに、
ふいに、これらすべては、

「私が、自分で、やっているんだ」

と、だんだん、わかってくるようになったのだ。

ここで、私に重要だったことは、
何を、とか、なぜ、とかではなく、

「私が」

「やっているんだ」

という、そのこと自体だった。

何時間もかかって、不安の中をおぼれているような状態だったが、
それと気づいた時、また、明確に、ここには私しかいない、
私一人しかいない、と思ったその時、

「やっぱり、こういう状態は、やめた」と心の中で、よし、と唱え、
足に力を入れなおし、背筋を伸ばし、目をガッと見開いて、
私は、明るい顔をしよう、と笑顔を作ってみた。

状況は、そう私がした通りに変化した。
活気が私の内だけでなく、そのまわりにも、
また職場全体にも、不思議に感じるほど、
それはまるで、電気のスイッチを入れたら、急に
「パッ」と明るくなるみたいに、変わったのだ。

しかも、それは、あっ、とは思ったけれど、
何の不思議でもなかった。
私が、そうした通りに、そうなっただけだからだ。

それ以前の言動も、全部、私が、していた、
私が、とっていた選択、言動、判断であり挙動だったことに
まざまざと気づいたのだ。

私が右に行こう、とすれば、右に行く。

それは当然のことだ。

しかし、私は、このような経験は
実は初体験だった、ということなのだ。

それはどういうことかというと、
AC人格で生きていた40年以上のクソ長い時間、
どの挙動も、どの動機も、どの言動も、
本当に「どれ一つも」、純粋に・・・純粋にとは、

「私一人が」「自分一人の意志」「だけで」

何かをしたことが、まったくなかった、ということだったのだ。
それに、まざまざと、気づかされたのだ。

今までは、逆にいえば、こうだったのだ。

ACの挙動すら、「私の意志で」やっていなかったのだ。
ACの挙動すら、自分一人ではできないのだ。
毒親からの飴や鞭がなければ、それすら、やれない。
毒親やその亡霊を伴ってこそ、手をたずさえてこそ、
ACの挙動は、発動できた、ということなのだ。

ところが、今、ここにACはいない。
なのに、「これは完全にACの挙動だ」と自分でわかるような挙動を
していたということは、別にこれは理屈の上でというわけでなく、
実際、

「私が」

自分の意志で、そうしてしまっていたのだ。

意志、というと、なぜか「よいイメージ」を持ってしまいがちなので、
意志?と「?」をつけてしまいたくなるのだが、
そう、まぎれもなく、

「自分がそうしようとして、してしまっている」

ことは、まったく、確かなことだったのだ。

それに気づいた時、なぜそんなことをしてしまったのか、とか、
してしまったことはどういうことで、それはどうしてか、とか、
そういうことに、私は、まったく関心がなかった。
それらは、ただのACの挙動でしかなく、説明も言い訳の余地もない。

そこで、すぐに、あ、そうか、としてとった行動は、
元気を出したい、と思うなら、そう思えばいいだけだ、と思い、
やってみた、ということ。

魔法でもなんでもなく、やはりそれは当然のように
私は、その瞬間に元気になった。まったくその瞬間に、だ。

笑いたいのなら、笑えばいい。

ただそれだけだったのだ。

どうして元気がないのだろう・・・ということは、
ぜんぜん、無意味な悩み、それを何時間も茫然と、してしまったことになるのだが、
そういう悩みは、悩みっぽく見えるだけで、ぜんぜん、違うのだ。

その悩みには、実は、

「誰も、答えてくれはしない」

というのが、事実であり、

つまり、今、私は、AC分析をしているわけではないのだ。

元気を出すとしたら、そうすればいい、だけ。
こうしたい、と思うなら、すればいい、だけ。
したくないのなら、是非の問題でなく、しなければいい、だけ。

そのように意志を行使すれば、そうなるものだ、ということ。

逆にいえば、こうなるだろう。

そのように私は(今まで)意志を行使してこなかったから、
そうならなかった、だけ。

では、どうなったの?

それは、

「私の代わりに」

毒親の意志が行使されてきた、だけ。
それも、「私の中に侵入」してなされた犯罪。

行使されてきた、といえるものがあるとすれば、
40年以上、それは、ことごとく、
「毒親の思惑」だったのだ。

それは、つまり、

「私が、一人で、自分の意志としてやったこと」など、

事のよしあし、正常異常、それら区別なく、

何一つ、私は、自分一人では、やりもしなかった、ということだったのだ。

つまり、これから自分は何をしたいかとかしたくないか、とか、
したいことしたくないこと、そんなことのはるか以前に、
目の前の今のその所作一つ、

「私の意志でなど」

やってきたことが、ゼロ、本当にゼロ、皆無だったことに
気づいたのだ。

「どうすればいいんだろう・・・」という典型的な悩み方があるが、
私が今日、気づいたことというのは、
この悩み文言自体、ぜんぜん、おかしく、
悩みだから思慮深いのでも、まったくなく、そんな悩み自体、
毒親からの返答待ちの異常精神状態といってもよく、
また、やりたいこと、やりたくないことが、まだわからない、とか、
目的や目標を立ててからでないと、とか、
これらも、ぜんぶ、ことごとくぜんぶ、間違っているものだった。

「どうするか」

なのだ。ただ、それだけだったのだ。

今、そこで、その場で考え、
どうする、と判断する、
たった一人で。

以前なら、私は、それは無理だ、と思ったはずだ。

でも、それは、無理とか無理じゃないとか、
そういう問題では、まったくなかったのだ。
そういうことを言っていること自体、毒親の支配下にいます、と
言っているようなものなのだ。

無理とかじゃなくて、

「意志の行使」とは、

今、自分一人、当然、自分一人で、一人が、
為すこと、やること、すること。

間違うかも、とか、
まだわからない、とか、
これらも、ぜんぶ、違う。
それらもまた、ぜんぶ、毒親の洗脳。

間違わないし、わからないとかもない。
なぜそう考えるか?毒親や毒親の亡霊を怖がっているからだ。
顔色をうかがっているからだ。
もうこれは、ずっとずっと掘ってきたことだ。
怖いから、間違わないようにしようとするのだ。
今さら、言うことですらない。
しかし、これは、馬鹿にならないことであった。
今だからこそ、馬鹿にならないものであり、
馬鹿にならないものであるその怖さにぞっとした。

AC分析や格闘をしている時は、
そういう自問は、むしろ、必要だし、苦しいし、
しかし、そこで暴いていければ、一つ、また一つと
毒親の正体がバレてきて、自我は修復に向かう。

しかし、今、この「自問」を、
あえてこういうが、その自問に「依存」したまま、
まったく「自立」しないのだとしたら、
それは、完全に、

「私の責任だ」

ということなのだ。

もうこれは、完全に、私だけの責任なのだ。
毒親のせいではない。だって、毒親はもういないわけだし、
私一人のこの世界で、もしも、「自立」しない、
「自分の足で立たない」のだとしたら、もうそれは、
誰の責任でもなく、誰などという他者のいないその一人の空間で
自己嫌悪に陥ってのたれ死ぬ、だけ。

実は、私の何時間も続いた「不安」の実態は、
この、のたれ死に状態だったのだ。

私は、当然にして、この状態を出ることにした。

私は、自分の意志で、というか、もう、自分の意志しかありえないのだから、
この自分の意志、言うこと、やること、それらによって
現実が構築されていくことを、

「痛感」

しなければならない。

この痛感ということは、いくら強調してもしたりないくらい、
私は、痛感しなければ、と思っている。
これが痛感できないのなら、ぜんぜん、ダメだ。
ぜんぜん、ダメ。

自分の意志かどうか、などという問題ではないのだ。
そういう問題では、まったくなかった。
どうしようとか、どうしたらいいか、も、根本から違う。

「どうするか」

だけだった。

わかりません、でも構わないけれど、
誰も助けない。永久にそこに誰も出てはこない。
誰も、何も、現れたりはしない。

私が、一人、一人のこの頭で、この口から、
「こうする」と言い、そうする、のみ。

つまり、何を、私は、ずっと勘違いしてきたのか?
勘違いさせられてきたのか?
洗脳されてきてしまっていたのか?

それは、

ここに、

「誰かがいる」

という間違った植え付けであった。

我が家、というのは、
自分以外、実は、誰もいないところであり、
自分が思うがままに、自分の、当然自分のその舵で漕いでいく、
その最低限の権利が守られるはずの領域であり、それを体験したい、と望んだのだから、
権利でありながら、義務でもある。

しかし、私が痛感したのは、
この権利を、一切、奪われてきたのだ、ということだった。

だから、この権利を、私は、
「知らない」とすら感じていたのだ。
自分が思うままに、自分がしたいことをし、したくないことをせず、
思うままに言い、動き、やってみたり、やらなかったり、と
この、0歳の赤ちゃんでも、本当は「当然」やってよかったことを
私は、実は、今日、初めて知ったのだ。

それと同時に、ここまで書いてきたように、
「それ以外に」はなく、それをしないこと自体、
まったく考えられないことだ、ということ。
なぜ、生きてんの?状態。何したくて、ここに生まれてきたの?
そう言われて当然なのだ。何やってんの?だ。

どんなに小難しいことを考えていても、
死後、「何をしてきて、これから何をしたいですか?」に答えず(答えられず)、
それと無関係なことを言いだしたりしたら、いかに自分では価値があると
思いこんだものですら、あちらの役人は、一秒もその言葉に耳を傾けないだろう。
「・・・で、どうします?」だ。

当然、あなたは(私は)、だ。
あなた(私)が何をし、これからどうするのか、が尋ねられる。
誰かほかの人の話やそれからの影響や、他の話など、どうでもいい。

この当たり前すぎることを
私は、今日になって、はじめて知った。

「私が、やっていることが、すべてなのだ」

そこに、誰も、何もいない。

たとえここが、地球だろうが、真っ暗闇に幽閉された中だろうが、
どこだろうが、どんな状況だろうが、同じ。
誰もいないし、何もない。間違っても、毒親が「いてくれたりはしない」。

しかし、自問すれば、
私は、誰かいる、何かがいる、ある、と思ってしまっていることに気づく。
そういう思いこみがあったことに気づく。
だから「どうしたらいいんだろう・・・」と悩むことに価値があるような
そんな気を無自覚に持ってしまうのだ。
誰かが答えてくれたり、何かがヒントをくれるとでも思っているのだろうか?
・・・実は、意識的無意識的関わらず、私はそう思っていた。

でも、これは、どこまでも毒親の洗脳のなせることであった。
こうやって、「自立」から遠のかせようとしてきたのが、毒親だ。

自立とは、自分一人で自分の足で立つことだ。
なぜ?とか、どうして?とか、そんな話じゃない。
まず、立てよ、って。
言うのなら、立ててから言えよ、立ってから言えよ、って。

それも怖がってできない、やらない、のだとしたら、
それが、毒親の「毒」であることを、猛烈に痛感しないといけない。

「立つ」

ただそれをしない、できない、やらない。

もうそれは、人間ではない。

でも、これは、馬鹿げた話ではなく、
私は、自分の足を砕かれてきたのだ。
当然に自分の足で、ただ、すっと立つ、という、
この行為すら、「何やってんだぁ!」と恫喝されてきたのだ。
証拠を残さないやり方で。しかし、私の足は砕けた。

問題は、今なのだ。

足を治療し、立てるようになった。

なら、立てばいい。

それだけだ。

ただ、立てばいいのだ。

やればいいのだ。

間違っているかどうかの問題ではないのは明白なのだ。

人は、立つように、
私は、意志を行使すればいい。

人がただ立つのと同じくらい当たり前のことだし、
当たり前のことでなければ、ならなかったことなのだ。
そこで、禁止されたりする、それは、あってはならなかったし、
立っちゃダメって、誰が見ても、これは虐待なんて言葉では済まないほどの
狂気の沙汰だ。それを、躾と称してやるのが、毒親なのだ。人間ですらない。

長々と書いてきたのは、
私自身が、これを痛感したいからなのだ。

私にはわかるからだ。

どんな素晴らしい未来を描こうとするよりも、
また、そういった未来が「仮に」描けそうに思えたとしても、
また、仮に、思い通りの未来を自由に描けたとしても、
それは、決して、未来にあって今にないようなものではなく、

今ここで起きていること。

たった今、起きていること。

こうやって、文字を打とうと思って、ここに居て、
指を動かしている結果を生じせしめている私の意志。

この、完全に、これ自体が自分の意志であり、

それを行使している「今」という経験以上のものが

未来にあるはずがなく、

それ以上の何か、とか、そういったありとあらゆる幻想は、
決して、未来にあるはずがなく、

だいたいが、

赤ちゃんの頃、赤ちゃんは未来に何かを夢みたこともない。

それは赤ちゃんだから、ではない。

未来によりよい幻想を抱く、という間違いを
まだ、犯す前にあって、
生きる、息をする、ただそれだけが、
自身の意志でなされている、そのことが

ただただ、当たり前のように尊いことを
当たり前に知っていた、ということすぎず、

その、赤ちゃんを、今からちゃんとやり直そう、
そう決心して、ゼロから、歩き出しているのが私であり、

だから、どんな不安であろうと、

何が何であろうと、

「赤ちゃん」を

やればいい。


 やれよ、あび!


2016.2.24
あび

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by jh-no-no | 2016-02-24 05:40 | 私の生き方

満ち続けていること-自我復元後日記[006]

食については、本当に、悩んだ。
悩んだというか、苦しかった、本当に。

今日、食については、一つの結論を出した。
それは、

「まったく悩むことなどなく、また、
好きなだけ、存分に悩めばいい」

ということであり、「好きにやってみればいい」という
書いてみれば、それだけのことなのだが、
ものすごく、悩んだ道のりだった。

これは、何か、いい落としどころが見つかった、
というわけでは、まったく、なかった。

これは、今日、そこの焦点がぴたり、とあったのだが、
まったくこれは、遮断射精も同じことであり、自我復元も同じことであった。

タイトルに書いた通り、

満ちたところから始まり、
満ちたところで終わる。

つまり、満ち続けていること。

そうでなければ、たとえば進化とかも成長とかもそう、
何かになれるとか、満足するとか、満腹感とか、
安心したとか、それらは、どれも歪んでいる。

遮断射精で私が最初に知った、体験したことは、
「最初から満たされている」ということだった。
そして、そこから経験することは、どこまでも
「執着」ということが起こらない。

楽しい、というのは、
私が何度もところかまわず書いてきた言葉だが、
「満ち続けている」ということを、
私は、楽しい、と言っている。

一日二食生活、一食は2品のおかずと出汁のみの味噌汁を基本とした
素朴な食事に白米(一合)、もう一食は、白米(一合)のみ、
それと一日おきに、適量のお茶菓子とお茶やコーヒー、牛乳などを飲む。
後は、水以外、一切の補給をしない。

以前と比べると、半分くらいの量に食べる量が減ったので、
ここ一か月くらいで、測っていないけれど、4、5キロは
痩せたように感じる。身体は、むしろ、調子がよい。

しかし、昨夜は、久々にきつかった。
なんだか、衰弱して死んじゃうんじゃないか、と
本気ではぜんぜん思わなかったけれど、フラフラで、
しかし、私は、ぜんぜん、怖くなかった。
衰弱していればいいだけだし、最悪、死んでしまうだけだ、
と、そう思いながら、倒れていたりした。

私は、その状態で、満ちていた。
きつくて、苦しいのだけれど、間違いなく満ちていた。

だから、ふと、口に出てしまう。

「楽しいなぁ」

と。はたから見たら、自虐的に見えるかもしれないけれど
まったく自虐的ではなく、真実、これが「満ちている」という状態だった。

もちろん、そのベースとして、
私がこれを好きでやっている、自分の意志でやっている、
ということはある。

しかし、それを底辺で支えているのは、
「我が家」だった。

中心である。

私が今日、食について、はっきり向き合う姿勢を持てた理由は、
ここしばらく徹底してきたことと同じこと、それは、
「中心に戻る」ということを、食についても同様に、徹底すればいい、
というふうに思い至ったからだ。これは、遮断射精でもまったく同じだった。

ここに戻らなければ、戻れなければ、
その間、「冒険」したこと、その体験は、
「歪んでいる」と言える。
それは妄想であり、断じて、冒険とは言えない。

ふと、こんなことを思った。

もしも、子どもの時に、自分の育った家、家庭、その我が家というものが、
本当に安心して過ごせる場所であれば、子どもは、ビクビクせずに、
外へ、一人でも飛び出していくことができる。

大冒険もできるのだ。

なぜなら、戻れるからだ。
絶対に安心が約束された我が家を知っているからだ。
だから、子どもは、存分に外で遊べるのだ。
生き生きと、活力を持って、こんなことをしてみよう、
やってみよう、と、誰にも何にも依存せず、冒険にくりだせる。

話はそれるが、昨日、職場で、
女性の先輩であるRさんからの影響を
ほとんど受けていないことに気づいた。

まったく、といってよいほど、
受けない。明らかにRさんの自覚無自覚関係なしの
AC人格最悪の悪意は感じるのだけれど、
それは、ただただ、私の「外の世界」で起きているだけだった。

はじめて、私は、
「自我壁」というものの強固さ、あるいは、
調整弁のような自在性を実感した。

同時に、毒親による調教とは何であったかを理解した。

一言でいえば、

「侵入」

であった。土足で、私の中に入りこんだのだ。
しかし、最悪だったのは、まるで、私がこっちに来てほしいと
自分から頼んだり望んだりしたかのような、かつて、
「やらせの同意」とブログに書いた通りの洗脳が行われたことだった。

まだ「外」から外圧をかけてきたのなら、
明らかに「暴力」と見えたことだったろう。

しかし、私の場合、そうでなかった。
まるで、味方かのようなフリをして、
私の「中」に、当然かのように入りこみ居座っていたのが
あの毒親たちやP一族だったのだ。

Rさんを見ていて、それがよくわかったのだ。
Rさんの他者をコントロールし、自分の都合のよいように
事を進めようとするそのやり方は、非常に、毒親と似ていた。
それは、他者の脳内への侵入、そこでコントロールすること。
逆にいえば・・・そう、それでしか、コントロールできないことだったのだ。

当然ながら、私は、彼女を私の内側に招き入れなければ、
何も彼女はできないも当然だった。
そのことを、まざまざと見たのが、昨日のことだった。
ただ、外で何かしている、としか私には映らず、
さして、実害があるわけでもない。あれば、戦えばよい。
しかし、思ったことは、毒父もそうだったし、Pも実は
みんなそうだったのだが、「実害」を「外から」与える勇気すらない、
ただの弱虫の、ただの卑怯な、コソコソとしかできず、
相手が(私が)、つまり、「顔色をうかがってくれてこそ」
何か影響を与えることができる、それしかできない、という
なんとも、実際は、無力な人間たちだったのだ。

というのも、彼らもまた、
そういうところでしか、他者との関わりを持てない、
そんな歪んだやり取りでしか、他者と接点を持てない、という病気持ちだからであり、
彼らがいつも考えていることは、人の顔色を見て、相手にどう影響を与えてやれるか、
ということばかりであり、そのやり方は、まったく

「違反」

である「自我侵入」によってなされるものだった。
それは、彼ら自身も、彼らのまた毒親からされたことである。
しかも、彼らの手のつけられないところは、その正当化のために、
「自分のことは犠牲にして、あなたのことを考えてあげている」という
大きなお節介、なんて言葉では表せないおぞましさである。

むろん、私がやってきたことは、
まったくこれと、寸分も変わらず同じことだった。
それを、利他的だと自分で思い、特別な私だからこそ、
私はもう自分は後回しにし、他人のために何かできる、そういう使命のある、
これまた特別な人間なのだ、と思いこんでいた始末だった。

話がそれたが、健全な自我壁というのは、
土足の侵入を許さないものだった。
いや、その前に、土足の侵入に気づく正常な機能のことだった。

以前のように、気にしないようにしたいのに
気になってしまう、というのではなく、
完全に、「私」と「他者、外」との区別がそこにあり、
ゆえに、ACがもくろむ「誘発」には、影響を受けなくなった、
ということだった。

食の話に戻そうと思うが、
「満腹感」が問題なのは、
その感覚に満足したい、浸りたい、妄想したい、という動機は、
空腹感をなんとか満たしたい、またこれは、以前にも書いたが、
なぜ、私が空腹感やこういった身体の生理的な反応に焦点を当てるかというと、
AC人格というのは、問題を直視させないためには、生理的な満足を「代替」にさせ、
なんとか逃げ切ろう、という、どこまでもえげつないやつだからだ。

そして、その空腹感を満たしたい、という不満からはじまり、
「ふう、おなかがいっぱいだ」という不快感を伴う安堵感で終わる。
何が不快か、といえば、不快というより、実は恐怖感で、
「それなくては、今度もやっていけない」という、まったく薬中と同じ精神状態になる。
囚われ、空腹を恐怖する。ACが安心したいとなれば、わざと空腹でないのに
空腹感を想起させ、満腹感を求めさせようとする。

この不幸から始まり、絶対に不幸で終わる、というか、
永遠に不幸のままのループと知りながら、それをやり続けるという不毛感に
私は、ずっと悩み続けた。

ただ、これは、もう「叩き殺す」しかないことはわかっていた。
なぜなら、ACが最後まであがくのは、「オレの居場所を作ってくれよ」
というもがきだからだ。

当然、許せるはずがない。

「生きたい」という意志と、真っ向から対立する声を
私はもう聴くことはできないし、しない。

出口は、一つしかなかった。

最初から「満ちたまま」そのまま満ちていること。

だから、私は、ここしばらく、
仕事中であれ、食事中であれ、
徹底して、可能な限り、中心に休み続けた。
ずれても、戻り、ひたすら、戻り続けた。

これは、決して、何か満ちたものを得ることでも、
満ちた何かになることでもなく、逆行し続ける道、
戻り戻り続けた結果、そこがすでに

「満ちていたのだ」

と知る、という経験だった。

決してそれは、楽だ、とか、問題がない、とかではなく、
むしろ、苦しく、問題ばかりだったりする。

しかし、それでも満ちているものは満ちているのだ。
それと、苦楽とは関係ないし、問題の解決とも無関係だ。
そして、AC世界、妄想世界とも、接点のない世界だ。

同時に、私は、昨日、
自分がこう無意識に思いこんでいたことに気づいた。

「悩むのは、よくない」

と。これは、つねに、自分ルールの予想外の結末だが、
私はその前に、「もう悩むのはやめた」というルールを立てた直後、
私は、別に悩むだけ悩めばいい、と思うという意外な答えに行きついた。

それでわかったことは、

私は、「悩まないようにしよう、と悩んでいた」のだった。

言葉で書くと、こういうことだが、
これを本当にそう実感し、それを実践に移すということは、
今だからできることなのだ。

今でなければ、これは、ただの言葉遊びのような結末に終わる。
そういうふうに考えていれば平然といられるだろう、という
AC人格の手口に簡単に乗せられる。つねに、AC人格のが上手だからだ。

しかし、今、私はこうやって
「ACの居られない世界」を強固な自我壁で構築するに至っては、
「好きなだけ悩みたければ悩めばよく、逆に、別に何も悩むこともない。
自分の思うがままに、やりたいようにやればいい」ということを、今度は、

「やらねばならない」

という段階であり、

これは、「ねばならない」のだ。

それが、この「自我」の機能だからだ。
自我の行使であり、それを望んで、私はこの身体にいるのだから。
AC人格が持つ知識はどれも使えない世界にいるのだから、
私は、それを、もっと自覚しなければならなかった。

空漠とするとしたら、
空漠としているのは、ACの頭である。

私は、昨日、そして今日、中心に居続けたこの頃から、
少し、重心が下がっていることに、とくに今日、気づいた。

胸のほうに、土俵が移っている。

ここには、感情がある。
ワクワクしたり、ドキドキしたり、
ソワソワしたり、まさに、胸が、

「ぎゅっと」

している。

と思えば、脳の中心が作り出す球体が広がり、
そして、その「自我壁」というはっきりとした自他の区別された世界を感じる。

これは、まったく、正常である。

妄想とは、まったく、違う。

妄想とは、そこに出でて、
「帰ってこれなくなってしまうような所」だ。
もともと、そういうことなのだ。
というか、もともと、毒親がそうであるように
子どもの私に調教した世界が、妄想世界なのだ。
だから、戻ることを想定していない。
何かになること、そこで何かを得ること、
他者の承認をそこで得ること、安心できるだろうと期待すること、
そういった動機で、私は、妄想世界に活路を見出そうとしてきた。

それは、ゾンビの生き方だ。
生きてすらいない。それすら、麻痺してしまう所。

しかし、

妄想世界も、自我復元によってそれが
自分の世界でないと知り、そう知るだけでなく、
「生きてすらいなかった」ことを痛いほど知ることで、
「戻る」という方向性に気づけるようになる。
関心地図や中心の技法は、それを徹底させ、
もう、どこにも逃げ場がないようにさせるためのワークだった。

今、私が、そう、こういえばいいのかもしれない、
「放り出されている空き地」というのは、そこから、
「いつでも、中心に戻りたい時には戻ればいい」、
それは、まるで、暗くなって家に帰りたくなったら、
おうちに戻ればいい、そういう安心の我が家があるという前提の、
「子どものひとり外出、遠出、冒険」の中にいる。

私は、かつて地獄のように思えた「我が家、中心」が
今、安心できる唯一の我が家であることを知っている。

そこは、扉を開けて外に出る前から、
満ちていたところなのだ。

私は、おなかがすいているから、
何か不満だから、美味しいものを渇望するから、
ご飯を食べているのではない。

食に関しても、満ちているところから、
食べ、作り、それを「楽しみ」始めているのだ。

不満を埋める衝動が、いかなるものであれ、
「楽しい」わけがない。

一般には、「ああ、満足した」という満たされた感が
「楽しかった」と表現されるし、私も今までそう言ってしのいできた。

食べることも、また、遮断射精も、
本当に楽しいとは、最初から満ちているから楽しめるのだ。
委縮せず、「やってみよう」という活力あるモチベーションが沸いてくるのは、
つねに、すでに「満たされている時、所」からしか起こらない。

満ちる、とは
生きていることに他ならない。

私は、今、何でもできる、と思えるのは、
また、何してもいいのだ、と思えるのは、
「生きている」その原点に、いつでも戻れるからなのだ。

だから、「妄想にビクビク」するのではなく、
「冒険にワクワク」できるのだ。

帰る我が家がある、ということ。

毒親など、キチガイの極みだ。
帰る我が家であるここを、土足で踏み込み、
支配し、めちゃくちゃにして、オレ様の家だ、みたいに
本当にありえない暴挙に出た、というのが、
機能不全家族というものだ。

その侵入の際の「わかりにくさ」こそ、
毒親によって差があれ、毒親の目的は同じだ。
子どもの「我が家」に、乗り込み、
のっとることなのだ。狂気の沙汰だ。

それで、私が、ここで書きたいことは、
私は、これから、「食」についても、
もっともっと、楽しんでみよう、ということ。

この素朴な食生活を、
私は、猛烈に楽しみたい。

私は、素材そのもののが持っている「力」を
私の全身で感じ取るのが、大好きだ。
お米もそう。豆もそう。
今日、カカオそのものに近いものを食べたけれど、
なんと、活力のあるものか。

これに、手作りの練乳をつけて食べる。
練乳からは、汚染されていない牧草を食べる乳牛のいる牧場と、
大地の風にそよぐサトウキビ畑の、その地の力が宿っている。
カカオは野生そのものだ。

私はここに「濃さ」を感じるのだ。
それが、力に感じる。
素材そのものの力、それらがあわさると
たとえば、カカオに練乳をあえる、というだけで
「濃い、素朴な料理」になる。

希釈されたものを、なんとか、いろいろなものを混ぜて
それで誤魔化して食べて、なんか美味しいように感じさせる魂胆ではなく、
料理とは、私にとって、素材そのものが、本当に、素材皆が、
「喜んで」「笑顔で」いなければ、嘘だと感じる。

だから、農薬とかも使ってほしくない。
それでお米は嬉しいだろうか?
お米それ自体が嬉しいと思っていないのを食して
私はそれは嬉しいだろうか?心が痛まないだろうか?
そうは思えない。もちろん、ありがたくいただく。
だけれど、お米は、もっと濃く、本来のままであってほしいと
当然に思うのだ。

以前はわからないかったけれど
お米を食べると、稲ワラの匂いがする。
納豆作りの時、わらづとをたくさん作り、
はじめて、稲ワラに長い時間、たくさん触れた。
だから、こうやって口にすると、本当に、稲から生まれたのだとわかる。
その稲に、農薬をたくさん浴びせられたら、
お米はどれだけダメージを受けるだろうか?
弱るだろうか?

そして、私たちは、誤魔化した味覚操作で、
弱った食べ物たちも、まるで美味しいかのような錯覚をさせられ、
希釈されたまさに食べ物たちを、しかも、あたかも自分の所有物かのように食べる。
おいしい、おいしい、と食べる。
しかも、不満や空腹感を埋めるためだけに。

まったく、希釈自我とAC人格の地獄絵そのものだ。

土壌測定のプロジェクトにも参加したけれど、
そこではじめて知ったのは、セシウム134の半減期の短さゆえに、
汚染の証拠が刻一刻と失われていく、ということだった。
これは、自我復元でいえば、暴力の証拠が失われ、
記憶からも失われていくことに相当しているし、
だとしたら、未来、患う病の原因究明が困難になること、
これは、トラウマ掘りが困難になることと同じことに思われた。

私の地区は、私が最初の一人だから、
未来、いつか、ここに住む人や今住んでいる人が
「やっぱりここもそうだったのか」と知る手がかりになるかもしれない。
むろん、自我復元と同じで、そうと知ったからといって、
その時に、病に侵されつつも、社会に洗脳され、苦痛すら麻痺してしまって
「なんとか生きていければいい」となってしまっては、元も子もないが、
今、私が、少なくともできることは、こういうことかもしれないと感じた。

無明庵では、私は、様々なテーマに向き合うことがあったけれど、
私には、どれもが、自我復元の問題と根幹は同じに思えるし、
私にとって、強烈なリアリティーは、自我復元のことだから、
今の私の生き方は、自我復元が、毎日の、どの瞬間にも共通の問題となっている。

食を見ていくことも、これから子どもや他者と関わる時も、
私は、己に対する姿勢と同じ姿勢をまっとうしていきたい。
本来のそのものの、素材、個人、そのものの「我が家」は
土足で侵入してはならないのだ。

最初から、最後まで、
それは守られ続ける権利がある。
それを犯していい者は、一人もいない。

私は、今、舟の縄をほどいて、
大海原へと出ていこうとしている。

思い切ってやってみようと思う。

私は、もう、「生きている」のだから、
360度、いや、720度、1080度、
見たことのない世界を、大展開させていくことに
たじろぐ理由は、どこにもないはずだ。


2016.2.22
あび

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by jh-no-no | 2016-02-22 21:39 | 私の生き方

「生きたい」-自我復元後日記[005]

昨日、仕事の休憩時間に
私は、日記を書いた。

その日記の最後に、私は、こう書いた。

 私は、「生きたい」。
 ただ、ただ、それを望んできた。

全自我判定をいただいてから、
約3か月が経過し、昨日、私ははじめて
自分自身、そのことを認められた。

悪霊のいない今日を迎えた。

悪霊は、毒は、ACの悪臭は、
もう、そこにはなかった。

仕事前に、食事をしていた時だった。

たまたまだが、数日、Pは出かけていており、
家に戻っていなかった。

こんなことをふいに思った。

・・・別の男性でも見つけて、いつか私に言うだろう。
そうしたら、私は、その時、どんなことを思うか・・・

と、そんなことを考え始めようとした時、
それは、中断された。

「それももうどうでもいいことだ」

と。

悪霊がいない今日を迎えたことを
私は、その時、知った。

それは、午後、3時頃だった。

そして、仕事に向かい、仕事をし、
一度目の休憩時間に日記を書き、それから仕事をし、
午後、8時頃、私は、それがどういうことかを知った。

「ただ、ただ、私は生きたかった」

これは、物事の始まる原点だった。

そこに私は戻ったのだ、と。

ここは、AC人格もいない。

そういうことが始まった前の部屋だからだ。

「私は、もう、AC人格になることはない。」

そのことを理解した。

子どもの目で、私は、今、目の前の世界を見ている。

私は、一昨日から、やっていることがある。

「目的を立てて、何事にも臨むこと」

これを、一つ一つに対して、やるように努めている。

これが、ようやく、出来るようになった。

ゼロから、自分の意思で目的を立てる。

まったく慣れないことで、しんどいことも多い。

しかし、本当に楽しいことだ。

やりたいことをやり、
やりたくないことをやらない。

私が無明庵に出会ったのは
悟りを求めていたわけではなく、また、
自我復元に出会った時も
全自我を求めていたわけでもなく、

今だから、はっきり、思う。

ただ、ただ、生きたかったのだ、と。

私は生きていなかった。

私の今までの人生の時間とは、
失ってはならないものを、骨の髄までも
失っていく40年だった。

そして、この猛烈な3年という月日は、
その失ったものが、どれほど大きいものだったかを
本当に痛感するまでの血の流れるような3年だった。

私が取り戻したものは

あまりに大きいものだった。

「生きたい」

この、たった一つの感情。

先日、茄子紺色の柄巻の居合刀「初身」が届き、
袴も届き、今日、これから、初のその姿で、
私は稽古に臨む。

稽古に行く前に、私はこの自我復元ブログを書こう、
昨夜、そう思って床についた。

今の思いは、言葉に出来ない。
・・・今考えていたけれど、やはり、出来ない。

しかし、それも、なんて清々しいことだろう。

私はこれから、たくさんの間違いをするだろう。
たくさん悩むし、苦しいこともたくさんあるだろう。

しかし、そのどれもが尊い。

これから始まること、というのは
すべからく、尊い。

なぜなら、それは、まったく
毒親に汚染されていないからだ。

昨日、ふと、こんなことも思った。

Pとの思い出のなかに、
二人で共同作業でやっていたことの
発表会のようなものが、かつて、あるカフェであって、
私はそのカフェを思い出していた。

静かで昔っぽい木の家の窓からは
優しい日光がさしていて、
そこで私たちは共同作品に囲まれて
お茶を飲んでいる。

この光景をたまに思い出すことがあり、
昨日もふと、それを思い出した。

この甘い感覚の記憶は、
思えば、別に、Pがそこにいなくても
たとえば、私が今からそこに出向いて一人お茶を飲んでも
同じように、甘い感覚に浸れることは、すぐにわかった。

しかし、

それも、もう、

どうでもいい、済んだことだった。

本当に、もう、何もかもが
どうでもよく、「過去」とは私には褪せたものに感じた。

生きていなかったからだ。

今、私は死んでも、
どんな罠にも対処できる注意深さを持てるだろう。

どんな甘い誘惑にも、
どんな苦しい試練でも、
私は、もう、私を裏切れない。

AC人格に戻ることがないのは、
AC人格が生まれた前の、「原点」に戻ったからだ。

そして、二度と、私は
忘れてはならない。

ただ、ただ、生きたいと望んできたことを
私は、もう、二度と忘れてはならない。

今も、また、今も、
私は生きようとしていることを
私は忘れてはいけない。

稽古に行く前に、これを書こうと思ったのも
それを自分で確かに確認するためだ。

どんな甘い誘惑にも
どんな苦しい試練にも
私は、媚びず、屈しないのは、
今この私が見ている世界とは、
自分の意志を持って、見て構築している全世界だからだ。

他者というのは、
外の世界にしかいない。

それが優位に立つこと、
自分を差し置いてそれが世界になってしまうことは
私には、もう、起こらない。

この「原点」は、

一度も失われたことはなく、

そして、私がたった一つ取り戻した

唯一で最大のもの、それがこの

「原点」

だ。

私がどんなに自分を裏切っていた40年のさなかでも
それは、ずっとあり続けた。
3年をかけて、殺し、死に続けた「私像」の末に、
たった一つ、残ったのは、私が失ってしまったもの、
しかし、一度も失われることがなかったもの、

それが「原点」であり、それは、

唯一の、

「望み」

だった。

私が望んでいたのではない。
私が望んでいるのではない。

原点それ自体が望んでいた望みだった。

ゆえに、これを

「現出」

というのだろう。

私は知っている。

私が自分で思っている以上のエネルギーが
内にみなぎっており、とてつもないエネルギーが解放されゆくことを。

それは、

「観る」

という、それ自体が、とんでもないエネルギーの解放状態に
身を投じるということ。

「初身」

とは、そういう私の今日のことだ。

私であって私でない
その未知に、あまねくを投じる意志のことだ。

私は、もう、自分が「楽しい」と思うことしか
したくない。

何を失おうと、どんなに苦しくても、
私は、自分が楽しいと思うことだけをやって
生きていこうと思った。

「生きたい」

現出したものは、これであった。


2016.2.21
あび

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by jh-no-no | 2016-02-21 07:59 | 私の生き方

今ここ、まさにこの自我復元ブログから-自我復元後日記[004]

くどいが、この自我復元ブログ、
私は、絶対に、ここで、ここが一番大事という時にこそ、
このブログとともに生きて、死ぬのもともに。

なぜだろう、なぜそこまで、私はこのブログを
心底・・・さっきから、この思いが言葉にならない。

たとえば、誰がなんと言おうが、
私は、このブログをひいきする。
絶対に、手放せないからだ。
義務感とか使命感とか、そんなせせこましい思いからでなく、
・・・なにより、この、嬉しい気持ちを、一番に共感したいと思うのが、
この自我復元ブログだ。

このブログは、私であって私でない。
そう「言える」、その「言える」ということが
どれだけ、私にとって、生きた証か。

前置きのような部分を私は書いているのだと思うけれど、
もったいぶって、もっと、前置きのようなここを
もっと書いてみようかな。

なぜなら、ここは、
私の世界だから。

読んでくださっている方がいるのも承知している。
でも、今、私は、ただの書き手だ。
読み手のことを、何も、考えていない。

でも、そういうものなのだ。
自我の中を書く、というのは。
この中を書くという、本当にそれは、
喜々としてはしゃいで書くようなこと。

それは完全に閉じているし、
まったく独りよがりで、
それで完結しているし・・・
誰も、ここにはいない。ただの自由。空っぽの、しかしそれは、
私にとって、ずっと毒親の洗脳監獄で延命してきただけの私が見た、
まったくの「新世界」。

くどくど言おう。

この復元ブログに私は心から感謝している。

これは言わねばならないね。
今、ここで。

どんなにこれを書くことが、
楽しく、苦しく、嬉しく、怖く、
そうやって、私の感情を少しずつ、本当に少しずつ、
もうそれは、気が遠くなるほどの、そう、それは3年とか
そんな物理的な時間で言えるようなもんじゃなかった。
しかし、そのとんでもない地味な作業をすることそれ自体が、
どれほどに、「すごい」ことだったか。
野暮なことを言うが、私がすごいのではない。
何がすごいのかわからないくらい、すごいんだ。

私の今のこの心は、
もう、満ち満ちていて、ただ「溢れ出ている」。
ただ、なのだ。ただ、溢れ出る、ということが起こっているね。
そういうことなのだ。

ただし、これはもっと根源的なものがあり、
あくまでも、これは、副次的なもの。
だから、それは、音楽のようなもの。
流れ、消えていく「のかも」しれない。

もっと根源的なもの、こと、とは、
この「新世界」についての話だ。

さらにくどいが、何度言ってもいいことは、
毒親の毒、これを徹底して見て、毒がどこまで私に影響を及ぼしているのか、
その解明こそ、これが、自我復元といっていいと私は思っている。
とことんそうであって、それは、全自我だろうがなかろうが、
やることは同じ、解毒である。解毒以外、ない。

書いてみると思うことだけど、
なるべく本題に行きたくない、と思うね。
だって、この溢れ出るものをさえぎりたくないから。

しかし、私は、書かねばならない。

2つのことを書くつもりだ。

前回の投稿から、数日が経ち、
今日、徹底してやってきたことの結果、
私は、何を知ったか、ということ。

できるだけ、もったいぶって書きたいな。

このブログは、今、一つの世界を作っている。
今、たった今だ。その今は、さっきから連続した今だし、
この投稿を書き終えるまで、その状態にあるだろう。
今現在の、連続する記述、それだけにすぎないのだが、
それが、まったくの新世界なのだ。

私は、もう、何にもならない。
変わらなくていい。
この、これのままでいい。

新しい中心とは、対象化しえない中心だ。
本当に「なんでもない」のだ。
しかし、そこから作り出される中心世界、というのがある。
それは対象化しえるし、しえるから、
さっきから、新世界、と書いている。

それは、空っぽの球体。
未来を自由に描くところだ。
しかし、勘違いしてはいけない。
それは、未来ではない。
未来とはまったくの妄想だ。

観念的な話をしているのではなく、
現実的に、私にとっての未来とは、
つねに毒親によって植え付けられた恐怖で捏造された未来以外、
未来と呼べるものはなかった。

結末から言えば、

この現在、今ここというこの現在しかない球体に、
未来は自分で自由に描くものだったのだ。

それは、今、この現在のこの場において、
今このブログそのものが、現在進行形でそうであるように、
未来は、自分で、こうやって作っている、いくものだったのだ。
これが未来であり、しかし、絶え間ないそれは現在のことなのだ。

何をしようか、しまいか、という時間軸に投影する未来が
すべて毒親に毒されているものでしかない、と知れば、
そういう投影はしなくなる。
であるし、何より、誰もがそうだが、
私の居場所、というか、私そのもの、というのは、
「ここだ」というのがあって、それが中心で休むその中心なのだから、
それも誰もがわかるものだ。

だから、そこに居たいだけいればいい。
しかし、AC人格を生きていきた私たちは、
そこで「空漠」としてしまうのだ。

しかし、空漠としてしまう原因は、
中心が空っぽだから、という嘘によるものではなく、
そんな思いこみもしてはならない。
そうではなく、これは、完全に、100%、
毒親問題なのだ。

不毛感、といってもいいと思う。

「私」は知っているのだ。
何もかも不毛なことを。しかし、その不毛なことを「求めてしまう」。
そんなことをして、空漠としないほうが、おかしい。

私の場合、かなりてこずったのが、
それは、本当に、なんでもない、すごく些細なことだった。

昔ながらのナポリタンを食べよう、と思っていて、
玉ねぎ半分を入れることは決まっていた。
先日見なおしたレシピに、ピーマンやパルメザンチーズをかけてと書いてあり、
私は、一昨日、仕事中、何時間もそれが頭から離れなかった。

「今日、ピーマンを買って帰ろうか、パルメザンチーズはどうしよう・・・
買おうか、やめようか。玉ねぎだけにしようか、でも、あれば、おいしいだろう、
でも、シンプルにしたいし、どうしよう、買おうかやめようか・・・」

文字で書くと私の脳内は、3時間も4時間も途切れ途切れであっても
それしかなかった、といっていい。その間、猛烈な空漠感に苛まれた。

「どうでもいい」

と気づくまでに、すごい時間がかかったのだ。

どうでもいい、とはあきらめた、とかいうことでなく、
はなから、どうでもいい、と私は思っていることだったのだ。
おいしいから何?私は、本当に、そんなことを求めているのか?

こんなこと、といって馬鹿にしてはならないのだ。

AC人格の「求めること」など、全部が全部といっていいほど、
実際は、求めてもいないことを、求めてしまう「病気」である。
しかし、これも病気といって馬鹿にできず、これがことごとく
毒親由来なのだ。

入り口は本当に些細だ。

「こうしたら、おいしいかな・・・」

そんなことから始まるのだ。

その時点で、本当は、間違っている。

本当はどうでもいい、と自分は思っているところなのに、
そっちを向き、そっちへ行こうとし、実際、踏み出してしまっているのだ。

中心を捨てているのは、いつも自分だ。

私は、もう、これはここでこんなことはやめようと決意した。

疑いもなく、ここでよかったことを知っている所から、
外れる意味も必要もない、と痛感したから。
だって、外の世界、その妄想しかない世界にあるのは、
ACが慣れ親しんだもの以外、何がある?ないのだ。
求めようとして、でも、一度も満足したことはなく、
求めることも不毛と知りながら(そう、絶対、不毛と知っているのだ)、
それでもその繰り返しをやめられない狂気。

自我復元をやる前からも、
自我復元にたとえ関わらなかったとしても、
私だけでなく、誰もが、この不毛さを、ふと感じては、
「いや、そんなことない」と言い続けたはずだ。

そんなことあるんだよ。

ただの不毛、自分が感じているその通り、不毛で徒労なのだ。

しかし、それを認められない。

だから求める。

「こんなことしたって・・・」と本心では思っている。

これで、空漠としないほうがおかしいのだ。
しないとしたら、それすら感じないで麻痺して動くただの機械だ。
私は、ずっと、それをやってきた。
そして、その空漠感の不快すら誤魔化すようになって
精神世界に入り込んだりする。まったく、私がそうだった。

しかし、どんなにそんなことをしようと、
違和感は必ずある。本当は「楽しくない」と。

私が今日、決着をつけたことがある。

これは、ずっと悩み続けたことだ。
トラウマ、この震源だ。

数日前に、私は、このヒントとなるきっかけがあった。
いや、随分前から気づいていたし、ブログにも書いたことがある。

私の妄想、関心地図のその内容は
ほとんどすべてが、「未来への不安」で構成されていたこと。

私にとって、これは、当然のことに思えた。

しかし、「過去」の不安がない、それは普通か?と
ふとこの頃思ったのだ。
確かに私は、今までも、過去をわずらった経験がない。
もちろん、なんであんなことをしてしまったのか、と思うことはあるが、
わずらっているのは、それによって罰を受けたり、怖いことになるだろうという、
仮想の未来への恐怖なのだ。

つねに、未来だった。

トラウマの震源は、私は、「過去」に見つかるものと思いこんでいた。

この時、私は、ずっと自我復元での毒親分析で何をやってきて、
毎回毎回どんなことを暴いてきたか、その全貌が見えてきたのだ。

「未来への、仮想の恐怖の植え付け」

これが、毒親、とくに毒父がやったことだったのだ。

私が育った毒親家庭がなぜ、完全犯罪に限りなく近かったかといえば、
「あざ」を私に残さなかったからだ。
あざ、とは、過去に暴力をふるった証拠だ。これが現実世界でも物証になる。

しかし、未来、「こうしたらこうなるぞ。だから調子にのるなよ。
意味わかるよな、オレを怒らせるなよ」、という恐怖を植え付ければ、
そこに、あざは出来ない。ただ、私に、未来をつねに怯える精神が植え付けられる。

そこで、この毒父はこう言えばいい。

「自由にやりなさい」

と。そして、一切、直接の暴力は振るわず、にこにこしていればいい。

こういう卑劣なやり方をしたのだ。

私が今日理解したのは、
私のトラウマは、「未来」に植え付けられた恐怖、
未来にこそ、その震源があったということだった。
私自身、怯えて続け、委縮して生き続けた私自身が、生き証人だったのだ。
何も物証が残らない手口。

しかし、大事なことは、
私が私自身が生き証人であり、だったのだ、と
「私自身が知ること」だったのだ。

これを、3年近くかけて、
ずっと、やってきたんだよ。

自我復元とは、私はこう思った。

本当に「自己否定」を終わらせること。

自己否定とはその言葉の通り、
自分で自分を否定することだ。
親が私(自分)を否定することではない。

私が終わらせねばならなかったのは、
「私は・・・」と、私、私、と主張して生きてきた
そういう私を終わらせねばならなかった。

毒親は、私に「こうあるべき私」を植え付けた。
しかし、こうも言った。まったく卑劣だが、「自由にしなさい」と。

こういった混乱が、しかし、混乱でなく、一定の思考パターンを
深く残してしまうことになる。

それが、私が自ら、
「私は・・・だ、私は・・・をしよう、私は・・・をすべきか、
私は・・・が好きだ、私は・・・」と、この強迫的な自己同化思考に
死ぬまで囚われてしまうということだった。

パルメザンチーズかけたらおいしいかな、そう思うだけに
何も毒があるようには思えないかもしれない。

それが大間違いなのだ。

そういうのが好きな私(だと思う)。

こういう自己同化が起こっているのだ。
また、「いや違うかもしれない」、でもいい。
そう考えている私(かな)・・・という私に自己同化しようとする。

だから、ここが、
関心地図でいえば、最初の一歩目なのだ。
こうやって、「気がついたら」、どっぷり、
「私は、私は!」と毒親都合のAC人格です私!って、
言っちゃっているのだ。

しかし、今や、その一歩目で、おかしい、
何かへんだ、嫌な気持ちがする、と感じるくらいの感覚は
取り戻してきたわけであり、だけれも、そこで引き戻れるかどうか、
これが修羅場になる。

なぜなら、引き戻る先が、

「中心」

しかないからだ。

ここに、甘い蜜はない。
ACがなじんだ光景もなければ、飴もない。

まったくの未知。

そこに戻れるかどうか。
厳密には、一瞬戻るのではなく、
そこに居続けられるかどうか。

私がここしばらく、徹底してきたことがこれだった。
一瞬戻るのでなく、そこから外れないかどうか。
外れてしまうとしたら、なぜか。
その究明だった。

結果、わかったことは、
未知にいよう、となど、そんな思いだけではできないものであり、
既知なものが、まったく使えない、と痛感するしかない、ということだった。
この法則は、桜の間でも、つねに言われてきたことだったが、
当然、それは、身をもって体験しなければならない。

中心に居続ける、
中心に戻るきる、

これは、まぎれもなく、

毒親の毒の徹底的解毒以外、他ならなかった。

自分を裏切るとは、
この中心から、外れてしまうことだ。

これと自己否定は、実は、まったく同じことを意味していた。

なぜなら、その中心とは、私自身だったからだ。

そこに居られない、居たくなくなる、
なじんだ飴が欲しがる、慣れた言動が楽に思う、
なんとなく心地よい・・・こういったACが作り上げてきたすべての手口で
私は自分を裏切ってしまうのだ。

まったく明快なことだった。

ここにいること、この中心とも対象化しえない、
本当に自分がなんでもない者としかあれない場所、
つまり、自己同化などできないところ・・・ではなく、いかなる自己同化など
「しなくてもよかった、元々の私」、ここに足りないものはなかった。
完全に閉じていて、満ち満ちていたし、私そのものだった。

何もなくてよく、それがもう満ちている、ということだった。
充足していたのだ。空っぽのそれで、何一つ、問題はなかった。
その私、私自身のままで、疑いもなくよかったのだ。

自己同化や何かとの一体感とは、
私が私そのものでないことを意味する。

私が私自身に戻っている時、自己同化があろうはずもない。

しかし、問題は、
なぜ、そこでいいのに、そこから外れたか、なのだ。

これが、まったく、毒親問題に始まり毒親問題で閉じる問題なのだ。

答えは簡単だ。「私自身でいられなかったから」に尽きる。
そこにいたらダメだ、と植え付けられたことに尽きる。
「おい、何やってんだ!」と外に引きずり出したヤツがいる。

それが、毒親なのだ。

そして、その馬鹿に迎合して、
自分から、自分の足で、外に出ていくことにした馬鹿、
これが、AC人格のわたし、というやつなのだ。

「怖かったから」は言い訳にならない。

なら、こう訊かれる。

「あなたは怖かったら、自分をまっさきに捨てるのですか?」と。

はい、そうです、とやってしまった裏切者が
私だったのだ。自分を裏切るとは、そういうことなのだ。

AC人格が「私は」と主張したり、説明したりしても、
それは、たったの2つしか目的がない。
「私はAだ」と毒親の都合のいいAをやる人間であることに同意しているか
「私はAじゃない」と毒親の反発をしているだけか、
これしかない。

どこにも主体性がないのだ。

毒親にとっては、どちらであっても、十分に「成功」なのだ。
子どもの主体性を奪い、子どもが毒親に右往左往してくれればいいわけで、
すなわち、いかなる「私は・・・」という自己同化も、
自覚的であろうが無自覚であろうが毒親が綿密に計算しつくした

「プログラム内」

でしかない。

たった、一つ、彼らの及ばない地点があるとしたら、

それは

「私自身」

という、この中心以外ない。

私にとって最大の難関は、
本当に些細なことの入り口から「自己同化という思考パターン」そのものが
始まっていることを自覚し、その手口から、あらゆる毒親の毒砂漠が
容赦なく広がっていることに気づくことだった。

「求める気持ち」を疑うこと。

私は、本当に、そんなことを求めているのか?
この自問だった。

そして、それがことごとく薙ぎ倒されること。

それではじめて決意した。

私は、もう、ここでいい、と。

たとえ、苦しくても、なんであっても、
私は、やはりここしばらく徹底したこの中心にあろう、と決意した。

その時から、先に書いたこと、
「未来は、外の妄想世界では、絶対描けない」ことをすぐに理解した。

そこにあったのは、トラウマの震源、
「未来に怯えて委縮するプログラム」だったからだ。

毒親、毒父が作ったプログラムだ。

私は、ああ、ここはもうダメだ、と痛感した。

私は、今までも瞬間的には幾度とよぎった「ここ以外ない」という感覚は
明確になっていった。

未来とは、

この中心の、

「今ここ」

という球体の中に、

自分で、自分だけで、自由に描いていく「現在」の行為

これが、未来だった。

私の未来だった。

決して、中心の「外」、別な所にはない未来だった。

別なところにあると思っていた未来とは、
「私は、こうなのかな、こうでないのかな、これでいいのかな、
間違っていないかな、と毒親の顔色をうかがって予定しようとする
不自由な未来(これを監禁という)」のことだったのだ。

私がここにあると思いこんでいた「未来」こそ、
その像こそが監獄そのものであり、
過去ではなく、あざの出来ないその未来もどきにこそ、
トラウマの爆弾は、隙間なく、植え付けられていたのだ。

私の「委縮」の原因である。

当たり前だ。未来をいつも怯えているのだから。
自分の未来を描けないようにさせられたのだから。

ここまでが、本題だろう。

ここからは、また、溢れ出るものに
この現在の連続たる「今ここ」の球体に
そして、まさにこの「自我復元ブログ」に
私は、まだ書いていきたい。とまらないのだ。

昨日、といっても、夜中2時すぎに帰ってきたから
さっきなのだが、私は仕事中、こう思った。

「私は、地球を一番楽しんだ人間に、なろう」

と。この「なる」は、野暮なことをいうが、
自己同化でもなければ、希望でもなんでもない。

私は仕事中のその時に、もう、そうなっていたのだから。

人は、何かにはなれない。

今の自分のままでしか、なれない。

だから、今の自分が問題なのだ、つねに。

私は仕事をしていて、完全に、地球で一番楽しい人だった。
楽しい仕事をしていたわけでなく、むしろ、私の今の仕事は
単調と言われることのほうが、圧倒的に多いだろう。

しかし、私は、自分が動くだけで、地球で一番楽しいヤツだった。

指が動く、動かす、

こういうしぐさ一つを、私が作り出している。

私の中心が司る「球体」だ。

わかりにくいが、この球体は対象化しえる。
これは、私の世界である。
そして、今までとまったく接点がない「新世界」だ。

ここで、私は、現実というものを私が作っている。
ここには未来も過去もない。だいたい、時間という概念が不要だ。
「場」しかないのだ。今ここ、とは、今この場、ということでもある。
ちょっと違うけど、そう考えても本人は間違わない。

「外」の世界ではない、ということだ。

まったく閉じ切っている。
完全な自閉だ。

これは、パーフェクトに自閉している。
このパーフェクトさが、自我の持つ本来の性質なのだろう。

当然、そこでは、自分が好きなように
自由に描き、物事を展開すればいい。
思った通りになるし、逆にいえば、思った通りにしかならない。
完全な自己責任だ。

これが、本当の自由というものだ。

私は、さっき、「地球で一番」と書いたけど、
一番、と言いたくなる気持ちはどこからくるか、というと、
最悪最低なAC人格を生きた(死んでいた)こととの、猛烈なギャップだろう。

こんな地球でも、私は、もし死んだ時に死後の役人が見たら、
「こいつ、なんで、あの地球で何がこんなに面白かったんだろう?
きっと極度の自閉症とか病気だったんだろうな、おかしなヤツ」と
言われるように、「なってやろう!」というふうに思ったんだ。

くどいが、もう、なっているのだが。

自分の世界は、現実は、
自分の中にしかない。
完全に閉じたその中で展開していく。自力で。

見える外の世界に「思える」世界も、
本当は、私は、外には見えていないものだ。
それは、自身の閉じた中に展開されている「ものであるべき」なのだ。

それが正解かどうかの問題ではなく、
これができないようにさせられ、
まったく自分の意思を行使できないような監獄の世界を
あたかも「あなたが自由に生きていい世界ですよ」と騙した毒親。
テメーの世界ですらないだろうが、バカッ!

本当にくだらない思惑だけで、
つまらない生を生きた毒人間が親になり、
ただただ、代理復讐をモロに受けて、生きてもいないゾンビにさせられただけ。
これがAC人格でただ生き延びる、という選択だ。

他者などいないのだよ。

いるけど、いない。

それが自我を、この地球でとことん味わう、
ということだったのではないか?

ならば、私は、とことん、この地球と人間を楽しむ。

で、くどいけれど、

自我復元をやって人間に戻った者が、
どれほど「濃厚な」楽しさを味わうか、
それも高次元の誰だか知らないが搾取されてしまうのかもしれないが、
そういう私にとって、リアリティーのないことより、
(本当は、わからないけどね)なにより、この「濃厚さ」こそリアルであり、
高く売れる(けど、売るつもりはさらさらない)だろう。

言いたいことは、一つだ。

私は、自分で、未来を作る。

「今ここ」に、それを、

「どんどん」

作っていこう。

委縮することは、もう、ない。

ここには、私しかいないから。

それは、イコール、現実に接する外部にも
私しかいないことを意味する。

何もなく、誰もいない。

楽しく、

苦しく、

嬉しく、

激しく、

空っぽなのに足りていて満ちていて、

ここにいてよかったのであり、

もうどこにも行く必要はなく、
何かになることも、変わらねばならないなんてこともない。

「自由」

しかない。

毒親が、絶対に、そこだけは居させまいとしたところ、
その方向だけは向かないようにさせたところ、

それが、

「私そのもの」

という場所であり、方向だったのだ。


 我 が 家


である。



2016.2.19
あび

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by jh-no-no | 2016-02-19 07:14 | 私の生き方