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最高速度で離陸せよ

2015年12月31日、「リハビリの巻」最後の投稿。

私は、この今日の、この瞬間のために、この一点に「すべてを出せるためだけに」
リハビリの巻を書いてきた。

11月11日から始め、
12月18日からは毎日書くことにし、
全30記事、連続投稿は13記事、今回で14記事を書くことで、
予定通り、この「リハビリの巻」を終える。

つねに、本当に、一秒も、といっていいくらい休みなく、
今まで、そして、この今もまた、闘いの連続だった。
この闘いの連続の終わりを、私は、決めていた。

出口は自分で決めるものだ。

そして、そうと決めたら、
すべてを失っても、貫かねばならない。
それは義務感でもなんでもない。
それが、私の意志だからだ。

本当はこうやって、人生とは自分の意志があり、
それを貫き通すなかで、たくさんのことが起こり、
それがたとえ困難な道のりであり、すべてを失おうと、
「意を決して」旅立ったのだから、出口は当然に
「意のままのところへ」大破しても突っ込む。

リハビリの終着点は、即、離陸地点だ。

私が、自分に課したのは、

「最高速度で離陸せよ」

だから、この投稿は、その通りに、最高速度で離陸、飛躍し、
その際、私は、何を失っても構わない。
ここで終わってもいい。そのつもりだ。

この身体には、本当に感謝している。
そして、この身体と、こうやって出会えて
本当によかった。

前回の投稿で、「解毒」ということを書いた。
毒親を知り、自身の中にまわってしまった毒を知り、
その毒を抜いていくこと。これ以外、何があろう?ない。

毒親掘りを、さっきのさっきまでやり続けた。
私は、この作業の結果、ずっとあり続けた違和感に
終止符をうった。

思えば、つねに、桜の間、松の間、梅の間は、
私にとって、まるで私にあわせてくれているかのように
休みなく課題が提示されてきた3年間だったが、今回もまた、
そうであった。年内最後のアンケート募集の内容の記事は、
最後に私の背中を「まだまだだ」と押してくれた。
前回のブログ記事「面白いことをしよう」の中で、
自分で書いたことでありながら、見えていなかったことに
「パッと」ライトがあたった、そういう記事だった。

自己嫌悪、そして鍵がしまったままの感情。
毒親掘りの手を最後まで休まないでこられた。
このことの詳細は、これを書き終えてから、
報告の中で書いていきたい。

今日のことを書こう。

仕事場から自転車で家に向かい、
あの交差点をすぎ、少し行ったところ、
やがて自宅が見えてこようとするその時、
私は泣いた。

「これからは、普通にご飯を食べ、おいしいと言ったり、
掃除をしたり、そうやって普通に・・・」と思った時に、
涙が浮かんで、泣いて、家についた。

ちょうど夜中の2時だった。

もう、私は、

「特別な何か」

なんかじゃないんだ。

「普通の人間」で

本当は、最初からよかったんだ。

ごく普通に、本当に普通の人間として、
普通に生活をしたり、普通に遊んだり、
これからは、そういう、

「人間」

に、やっと戻れたんだ、と。

私は、まったく、別になった。
180度、それは違うものになった。

それは拍子抜けしてもいいほどに、
当たり前でごく普通の人間になった。
どこも特別でなく、あまりに普通な私になった。

日記というのが何も特別なことがないように、
私がきっとこれからすることも、
何一つ、「特別なこと」などないだろう。
苛烈な生になるかもしれないが、「特別な何か」ではない。
人が人として生きる、普通にそれは苛烈な人の生になるだけだ。

私は、

「特別な人間」

かのような思い込みの闇を生かされてきた。

真っ暗だった。

毒親に、言いたい。

「真っ暗だった」

これが、この真っ暗闇の狂気の洗脳を抜けて、
私が放つ最初の言葉だ。

もう、二度と、その地獄へは戻りたくない。
二度と、嫌だ。

二度と、私は、あそこには戻らない。


・・・


この投稿で書きたいと思っていた内容が
2つあります。

1つは、「想いやり生乳」3本目を飲んだ時のこと。
もう1つは、職場でのこと。

いずれも、昨日、一昨日のことになります。

きっと2つとも、音楽が流れてきそうな
素敵な話になると思います。

最高速度で離陸した窓からの眺めは、
そういうものでありたいと、私は思いました。


・・・


はあ~、どう書こう、というか、
私は今日、何を書いていくんだろう、と ひやひやしていました。

ここからは、少し肩の力を抜いて書けそうです。
また、そうしたいですし。
もう、ほんと、こりごりです。毒親。最低、最悪。
地獄だった。

でも、最後が「地獄」では、私は嫌だな。
最後は、やっぱり、音楽がきこえてくる物語がいいじゃん。
もちろん、真剣勝負の自我復元そのものの話になるけれど。

「想いやり生乳」の話からしたいと思います。

少し前の投稿で、2本目を飲んだときに、
「おいしい!」と思った話を書きました。

3本目を飲もうと昨日した時、そうだ、風呂あがりに飲もう、
そう思った時、なんか嫌だな、と思ったのです。

なぜなら、昔、親と銭湯に行った時、お風呂から出ると、
よくビンのアップルジュースとかを買ってくれて、
おいしかったなあ、という記憶があったからです。

なんか、嫌だ、と思った。

じゃあ、そうじゃなく、2本目を飲んだ時のように、
また「おいしい!」でいいじゃないか、と思った時、
それも、どこか、嫌な気持ちがした。

こうやって、なんとなくいい、という、その「快の記憶」の
奴隷になっているように感じたからです。実際、これでは奴隷です。

リハビリの巻は、おおむね、その過酷な設定の中で遭遇してきたのは、
「恐怖の番人」でした。感情を一つ、また一つと開けていこうとすると、
必ず、恐怖心をあおるようにできている。

それでもおちない場合は、「甘い汁へ誘導する番人」がいる、といった
話がかつて桜の間にもあったと思いますが、今の私が、ああ、ここ弱いな、
と思ったのが、昨日、その「快の番人」でした。

「おいしい」という記憶。

これから、私は、一人の「人間」として、
楽しい、面白い、という感情を全開にして生きていきます。
でも、その時、この嬉しいとかそういった感情を昆虫採集のように
ピンどめしてしまったら、生き物の感情は腐ります。そう思ったから、
3本目は、そういう飲みかたはしたくない、と思ったのですから。

でも、死後、快の番人にテストされたら、
私は、それについていかないかどうか、
恐怖心をあおる手口だけでなく、これは今、真剣に考えてみる必要がある、
と思って、それで、じゃあ、どうするかと思っていると、
すぐ、こうしよう、と思いました。

おいしいを感じよう、とかでなく、
また風呂あがりに飲んでうまいとかでなく、

「想いやり」をどのくらい実感できるか?
それを意識しながら飲んでみよう、

ということをやってみました。
これは「不自由の自分ルール」です。

やってみて、感じたことをノートしたものを
ここに書いてみたいと思います。

メモのようでわかりにくいかもしれませんが。


・・・


飲む前に、自分に見やすいようにビンを斜めにして、見てみる。
→「口のほうまで、たっぷり入っているなあ」

次に、匂いをかごう、と思った。
→匂いは、しない。

なかなか飲めない。違う角度から眺めたりしている。

1口目。ゴクゴクとは飲まない。
→(動画中の)子牛を思い出す。乳牛になるまでの時間。

2口目。
→1口目の時にも思ったことだけど、甘い、やっぱり甘い。

3口目。
→2口目までは飲んでいる間は目をつむっていたが
 今回、目をあけて飲もう。あともう少し。あと半分以下になっちゃった。

4口目。
→今度は電気を消して飲んでみる。「甘い」のは、自分の舌のいろんな所を
 つかって味わおうとしているからだ。

ふと、気づいた。

私は、必死に、「味わおう」としている。
(気持ちいいものに飛びつこうとしてしまう自動反応はここになく、
すべて意志で行っていることを、思う。)

それからしばらく飲まないで、
ビンに書かれているものを読む。
「牛に、人に、自然に想いやり」
・・・ああ、これらへの想いやりなんだ。
想いやりファームの「想」の字のフォントが大きいなあ。
正面の字も、そう、「想」の字が大きい・・・

ふと、思う。

私は想いやりを実感しているか?
「想いやりって何だろう」と思った。

また飲む。

2本目の「おいしい」とどう違うだろう?
あの「おいしい!」という感じでは少なくともない。

(残りを見て)あと1口だあ、って思う。

全身で想いやりを理解したい、そう思ったら、
(脳の)中心に圧力が急に出た。

空になったビンを眺め、想像してみる。
(透明に抜かれた)「想いやり生乳」の文字や、
(同様に透明に抜かれた)牛のイラストから光がもれるときれいだろうな。
ランプシェードみたいにしたい、と思った。
部屋のランプに重ねてみるようにする。
「明るくて、きれいだ」

私が、今、こうやってしていることは、
「想いやりを理解したい」という気持ちから、こういうことをやってきたんだ、
と思った。

ふと、思った。

牧場主も「牛を理解しよう」と、そう日々思って
仕事をされているんじゃないかな?って。

これを「想いやり」と呼んでいいのかな、と思った。

なら、その牧場主の「想いやり」の姿勢が
私に伝わったんだ。

相手や対象を「理解したい」という気持ち、
これを「想いやり」と名付けてみる。
→いや、想いやりって、もっともっと私の知らない思いや向き合い方が
 こめられているんじゃないか?と、ふと、思う。

でも私はまず、この、「相手を理解したい」という思いから
仕事をするなら臨もう。少なくとも想いやりの一歩ではあると思うから。

これが、今、私が「想いやり」に抱けるリアリティー(実感)の範囲だ、と
今、感じている。

ふと、思った。飲む前、こういうことをし始める前は、「想いやり」なんて
実感ないし、無理に違いない、と漠然と思いこんでいたことを思い出した。
「そんな見えないもの」を、実感できることってないんじゃないかって。

でも、こうしてみると、
リアリティーの範囲は、「自分の意思」で向き合った結果の理解だけが、
私の今、理解しうる「想いやり」だ、ということ。

飲み終えたビンをみて、また匂いをかいでみる。→匂いはしない。

ビンに触って冷たかったから、火照った頬にあてたくなるも、
それは嫌だ、と感じ、やめる。
→ここで感じていたのは、私は(冷たくて気持ちいいとかいう感覚といったものなどを)
 「与えられる」のではなく、私が、「この生乳、このビン、この対象を」理解したい、
 という方向のベクトル。

私の意志で、いろいろ知ったり経験したいのだ。
決して与えられるのではなく。

要は、「快」だから、で、飛びつくという選択は、そもそも私は望んでいない。

私が望んでいるのは、「快」ではなく、「自身の経験」なのだ。
不自由の自分ルールこそ、快なんかより、私は望んでいたのが、今回、わかった。

風呂あがりに飲もう、と考えた時にあるのは、
「あのおいしいのがまた体験できるかな・・・」という、不安、が実はあるのだ。

そうだ、そういうことだ。

この不安に対して、「大丈夫、またおいしいですよ」というのが、快の番人だ。
これは、実は、「不安」を利用している。また体験できるかなぁ・・・という不安。
期待とかワクワクとかと思っていたけど、違う、これ、「不安」なんだ!

この不安を感じた時に、快になびくのでなく、そこに依存したい理由、
つまり「不安」という感情を自分の中に見ることが大事だ。
→だから今回も、私は、風呂あがりに昔のように(その快の記憶から)
 想いやり生乳を飲むのが「嫌だ」と思った。
 (この不安を感じているのがわかったから)

それと、2本目のように、「おいしい!」がまた感じられるかな、
というのも嫌だった。なぜなら、その快を求める衝動は「不安」が原因だったからであり、
そうであることを、自分で気づいていたからだ。

そして、私は、「不自由ルール」を自分に課してみよう、と思いたった。
快に従うのでなく、「想いやり」を実感できるか、という設定に今回したのだ。
この設定内容は、他にも、いろいろあっていいと思う。


私は、この生乳を
「自覚的に」飲みたかったのだ。


そこで私は「不自由ルール」のことを思い出した。
「これなら、快の基準でない自分ルールで飲める」と。

今、私は、そうやってこの生乳を飲めたことに満足している。

つまり、「快」を選ぶことに、どこか違和感があるとすれば、
これは「快」のように見えて「不安」があるからだ。
ならば、そんな「快」は手放して、不自由な自分ルールで、
要は、「リアリティー」を立て直すのだ。妄想世界ではなく、
「今、体験すること」これがすべてだ。

今、生きているか?を問い続ける。

関心地図と同じ。

今自分はどこにいるのか。

それは、本当にやりたいことをやり、
やりたくないことをやらないといえる「位置」、それはつまり、
感情を何ひとつ隠さない私であり続けているか?
という絶え間ない自問に他ならない。

快を感じている、と思っていられる時間の間は「いい」と思えても、
それに依存しているから、覚めたりつまらなくなると、
飽きてやめる。(そもそもが感情は生もので、その瞬間瞬間のものであり、
長続きなどしない)。

でも、そうやって、つまらなくなった時、ここがチャンス。
自分で舵を新しく取り直していけばいい。つねに不安や不快を感じた時がチャンスだ。
というか、生体反応を失いそうな時、ここでこそ、リアリティーを再構築すればいい。

でも、実は、これ、本当は難しくない。
今を全力で、直視し、今を体験すればいい。
体験して、体験して、体験して・・・
これでまず快の番人に誘導されることはないだろう。
なぜなら、私は快を欲しいのでなく、リアリティーこそを欲しているからだ。


・・・


走り書きでノートしたものを、少しだけ補正し、おおむね転記しました。

僕が思うのは、不自由の自分ルールって、やっぱりすごいな、と思ったこと。

舵を取り直す時、これしかない、って思うことが何度もあった。
もちろん、ルールの設定が、実は難しくて、出来ていないこともよくあったし、
今もある。でも、今回、ああ、こういう感じでたてるルールが、効果的な
「不自由な」ルールなんだなあ、と思った。

あと思ったのは、「快」というのは、これはほぼ過去の感情の記憶への執着
からの妄想であって、となれば、ここには、強迫観念的なものがあるはずだし、
つきつめれば、必ず、恐怖が見えてくる。

このリハビリで、私は徹底して恐怖と対面したことで、
快の裏側にちらつく恐怖も見える力がついてきた。
つまり、快の番人も、本質は、恐怖の番人だから、やはり、自分の恐怖心が
どうやって毒親から植え付けられたのかを、分析しておかねばならないし、
実際のこのようなテスト(=現実世界=死後の世界)では、AC人格と
本気で闘えるかが試されることになるんだ、と思った。


これが、「想いやり生乳」の話、自我復元です。


もう一つは、職場で、その日、どう戦ったか、という話。

それの話の前に、それと実は関連していたことだったのですが、
考えていたことがありました。

数日前に、とある女性の写真集を買いました。

最初、目をみながら写真集をたくさん眺めていたのですが、
どうも面白くなかったので、「口」に焦点をあわせました。
この人が食べるところ見たいな、とか、あるいは、この人と一緒に食べたいな、とか。
という視点で、そういう女性、いないかな?と見ていたら、
あ、この人、となって、その写真集を買いました。

この背景はいろいろあるのですが、そこは割愛させていただいて、
それを買った帰りの電車で、なぜか、こんな思考が入り込んだんです。
「こういう人と仕事したい・・・かも」と。

「ん?」

と思った。ん、と思ったのは、なんかへんだ、と思ったから。

リアリティーがないのに、そう(頭の中で)つぶやいたからです。

最近、メールでやりとりをさせていただいているWMさんは、
ある事業をしていて、ふとたまに、「この人と何か仕事で一緒にできたらいい・・・かな」
という、これも、なんとなく思ってしまう思考がありました。

なんだろう?これ?

と思っていて、考えていたら、すぐにわかりました。
Pとの共同作業が、その考えの元にあったのです。
自分というのがいない私が、今まで、他人に乗っかってきた生き方でした。

ああ、これはもう意味ないんだな。
(そういうことを、先日、一人楽しくてしかたがない仕事中にも思い、
 ああ、もう、誰かにとか必要ないじゃん、って。一人で、十分、閉じていて楽しい!と)

つまり、今回の生だけに限らず、私は、ずっとこうやって生きてきてしまったから、
仕事のことを考えると、あるところ(時点)で、「誰かと一緒に、何かを・・・」という
設定を、自然に考えはじめてしまっていることが、たしかに今までも多かった。

これやめよう、と思ったんです。

だって、もう、一人で、十分、仕事、楽しいから!って。

・・・ということが、直前にあったことが、
この日の仕事で、私がとった行動に関係してきました。

この日、やっぱりどう見てもRさんは好かないな、と思った。
どう見ても、わざと意地悪しているしか思えない局面があって、
これが私の妄想ということもあるかもしれないが、とはいえ、
まあ、今の私は、もう何も怖くないし、実際に前にも直接、
「わざと外しているように見えるんですけど」と本人に直接言えたので
いつでも私個人が不快を感じたら直接言ってやる準備はあるのだが、
なにせ、その時も、「そんなことない、そんなことない」と言って、
ぜんぜん、そう、会話にならない。誤魔化すだけ。

で、その日、もう一度、この感じ、職場で起きていることを
自分で整理し、考えてみた。

まず第一に、Rさんがどう考えてようがなんだろうが、
「職場が楽しくならないんだよ」っていうことだった。
以前、主任という方がブログに登場したけれど、彼女が
前半の時間だとすれば、Rさんは社員ではないが、同じような立場で後半の主。
すると、前半は楽しい雰囲気があるのでけれど、少なくとも私にとっては
後半はつまらない。ぜんぜん、楽しくない。
あの一人で十分に楽しいって思える時間が、Rさんの、いろいろな人を
かきまわすたくらみで、邪魔されてしまってきた、ということ。

そこで、これは不自由のルールとは違いますが、
Rさんをどうこうしよう、とか、わかってもらうとか、
わかってもらわなくていい、とか、そういうのは一切やめて、
「これだけは、絶対、避けたいな」と私個人として思うことを
挙げてみることにした。

1.私が今の自分のポジションの仕事を嫌いにならないこと。
  (そのうえで、他のポジションも嫌いにならないこと)

2.(Rさんを除く)同僚・仕事仲間を嫌いにならないこと。

3.私が楽しく仕事をすること。

という3つ。なぜなら、Rさん本人が、私から見てあきらかなのは、
私のやっているポジションの仕事が嫌いなんだか軽視しているのか
そのどちらもなのかもしれないが、ご本人が、その仕事が嫌いみたいで、
また、Rさんは自分が支配の中心にいたいから、必ず、仕事仲間同士が
お互い不信感を抱くように、個々に対して「あの人はこうだ」とか
あることないこと、とりあえず、本人のいないところで陰口を言う。
やめてほしいって思うけれど、やめるはずないし。むろんそういうRさんを
人は信じていないのもわかるのだけれど、シフトとかの裁量権があるから、
事なかれでみんな関わっている。

そういう中で、RさんやSさんに私は直接意見を言えたことは、
それは私自身のAC人格との格闘では、とても役にたった経験だったけど、
じゃあ、職場環境が変わることとそれはイコールではない。

そこで、実は、その前半の時間に私は一人十分楽しいことを実感していた
からでもあったが、後半、そうだ、こうしてみよう、と思った。
それが、上の3つのルールをたて、実際、それをやってみることだった。

私は、率先して、仲間とコミュニケーションをとり、
仕事の分担とかも、Rさんから見れば、「何勝手にやってんの」と
内心イラだったはずだが、そんなの関係ない、って思ったから、
お互いに話合いながら、「Rさんはバブにして」仕事を進めた部分を持った。
ハブにする、というとなんか代理復讐っぽいけど、そうでなく、そもそも、
Rさんは、自分一人で支配してやりたいみんなを!、という「ハブ」の位置に、
自らが率先しているのだから、その通り、やらせてやればいいだけ。

勘所だったのは、

Rさんにわかってもらおう、とかするのでなく、
そういう解決手段はやめて、むしろ、私こそが、
「Rさんを指導者として認めなきゃいい」のだ。
そもそもが、我々の支配者としての位置を、私が認めてきたことに
問題があり、それがAC人格を誘発してきたのだから。

つまり、「私が」できることをすればいいのだ、と。

私「一人」が、「複数」のみんなの中に入り、渡り歩いていけばいいって。

今まではここが違うんだ。

私たちというカルト仲間を作っては、結局、社会に入れず、ひきこもる。
これの典型がPの城だ。一人じゃできないものだから、私はPと群れて、
しかも、大勢の人間のいる社会では渡り合えないから、城にひきこもる。

Pとだけじゃなくても、私の発想はそれなんだ。

誰かと一緒に「群れて」、じゃあ、何をするか、というと、
その群れた小さな世界で、自分(たち)の価値(と思っているもの)を
「遠吠え」するだけで、要は、社会でやっていけないAC人格がやることなの、全部。

だから、私は、これから逆をやろう、と思った。

私一人が動く。Uくんにも、○○さんにも、△△くんにも、みんなと
私がオープンに渡り歩いていけばいい。そうしよう、って。
それを見て、Rさんは、どう思ったかは知らないし、これは、
Rさんを変えようとすることが目的じゃなくて、私がどこでもどこへ行っても、
私という個人を守り通す生き方の問題なのだ。


これが、職場でのことの話。


2つの話を書かせてもらったけれど、
こうやって家で一人の場合も、外で複数の場の時も、
私はこれから、感情全開で、五感全開で、生きていきます。

こうやって、工夫しながら、
今までとは違う人生を作り上げていくことが、
「生きる」ということだと思うし、
こういう話が、生の記録として、これからこのブログに書いていければいいです。
(おー。予想外に、次のカテゴリの話とつながったよ。)

崩残さんが言っておられました。桜の間で。

細かい言葉は思い出せませんが、
私はそれを、こう、理解しています。

「今自分がやっていることが、今日の日記に書かれることになるかもしれない、と
そう思っているのと、そうでないのとは、雲泥の差がある」

その時は、そんなことまでいつも考えているのは、できることなのかなあ?と
感じていました。しかし、今は、思います。できます、というか、
それが、「私」という主体が、人間として「生きたい」と思った時の約束なのです。

生の記録は、その約束の証だと思います。


2015.12.31
あび

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by jh-no-no | 2015-12-31 09:58 | リハビリの巻

面白いことをやろう

今日は、また、いつもと違う気持ちで
この時間を、このブログを書く時を迎えている。

湯船につかっていて、ああ、なんか力んでいるなあーって思った。

どんな時間も、私は、ちゃんと生きているだろうか、
もっと本当はたくさん私の前にある時間や出来事を
手にとりながら、感じてみよう。

そう思って、少しだけれど、音楽をきいてみたり、
写真集を見てみたり。

あと、そう、これをしたいな、と思ったのは、
このPCの場に礼、というか、挨拶をしないと、って。
目を閉じて、私は、この一年、いや、三年、ずっと向き合ったPCのある
この場を感じていた。それで思った。こうやってすることは、
私自身に対しての礼なのだ、と。

今日は、昨日から今日にかけてのことを書きたいと思う。

昨日仕事に向かう途中、信号があって、
短い横断歩道なんだけれど、赤信号で、少し急いでいたので
「渡っちゃえ~」と思ったりもしたけど、みんな静かに待っていて、
なんかそれはできない気になって、まだかなまだかな、と思っていた。

イライラしてるな、これはよくないぞ、
この時間、そう、この時間こそ、有効に使おう。
中心の技法を短くてもやるとか。

それで、はっと気づく。
「なんで私は、信号を、待つ、ということをしないんだろうって」

実は、生まれてはじめて、私は
「信号を待つ」という経験をしました。
すると、すぐに青になってしまったので、たった5秒くらいでしたが
それは、まったく食べたことのないものを食べるような気持ちだったかな。

仕事をしながら、仕事のこと以外に、
なんとなく考えていたり、なんとなくイメージしていたり、って
いうことがあって、昨日もはっと思ったのは、
「こうすると大丈夫だろうか」といった思考があることに気づく。

間違っているんじゃないだろうか、というのでもいいと思います。

これ何だろう?って思っていたからか、
ある一つのことを、私は、仕事中、考えていた。

来年の1日は、「喜びの器」というタイトルで書いてみよう、
内容はこれにしよう、そう思っていたのがあって、
そのために、あ、そうだ、あとで休み時間にそれに必要なものを
見に行こう、そうしよう!なんて、ソワソワしていたのだけれど、
ふと、なんか、おかしいな、と感じ始めた。

「それ、私は、面白いと思ってないな」

と。それで、ソワソワしていたその衝動的な感覚は薄れていき、
面白くないことはやりたくないな、と思って、
「喜びの器」という投稿の内容は、やめることにしよう、と思った。
だけれど、「喜びの器」というタイトルでは書きたいという気持ちは残った。

それと、たぶん、どうしてこういうことに敏感だったかというと、
この日、私は、仕事をしていて、とても楽しかった。
ずっと笑っていて、それは、まったくどこも無理がなかった。
そんなこと今までになく、ある意味、お客さんへの対応もいつもより
なれなれしいような、よくいえばフレンドリーな、そんな対応になっていて、
どもることもなく、ただ、私は楽しかった。

完全に一人、閉じて、楽しかった。
誰もそこに必要はなかったし、一人で十分に仕事を楽しんでいた。

それで、ふと元旦の投稿記事のことが頭にたびたびよぎり、
ああしたい、こうしたい、とその時は考えていたのだけれど、
そう、そのような時に、私は、自分のやっていることややろうとしていること
に対して、「こうするので大丈夫だよね(という不安)」がよぎっていて、
よくこの時の気持ちを見ると、楽しい、とか、面白い、とか、
そういう感情がどこにもなくなっていて、今、仕事をしていて、
一人で十分に満ちたこのような楽しさが、そこにないことに気づいた。

楽しいこと、こうしたい、と思っていると思っていることをしようと
しているつもりが、実は、本人は、ちっとも面白くない、ということの発見。

休憩時間に、どういうことかを考えていてわかったのは、
前回の投稿でも書いたことにも通じることだけれど、
「面白いと思う」というものに、それは変化してしまっていて、
それってなんだ??と分析してみると、驚くべきことに気づいた。

「こうしていいんだよね」という、実は、これ、不安なのですが、
(こういう時は、これが不安であることに気づかず、それどころか、
自分、今、楽しんでいるよね、とかそういう気持ちだとすら思っている)
その「こうしていいだよね」というこの不安を、なんと、出来事のなんとなくの
種類で、

「面白い、と思うもの(思っていいだよね、思うべきものだ)」
「楽しい、と思うもの(楽しいと思っていいだよね、思うべきものだ)」
「気持ちいい、と思うもの(気持ちいいと思っていいだよね、思うべきものだ)」

それはもっと広く「これは正しい」「これは間違っている」
「これは○○だ」という、ありとあらゆる「判断」というふうに自分が思っているもの、
「○○と考えている(考えていいだよね)」という思考内容も含め、実は、それは、

「こうしていていいだよね」

というものを、表面的な見え方、括弧書きの文言でわかるように、
その表面的な見え方という実は他者承認基準の「いろいろなパターン」で
表現しているだけで、私は、実は、

何も感じておらず、何も考えてもおらず、

唯一考えているのは(それは本当は考えているとは言わないが)、
「どういう表現で、これでいいと思っているこの感覚を、表そうか」
と、これだけを、私は、やってきたことに気づいた。

これは、とんでもないことだった。

ああ、これは、あのパターンだから、
「楽しい」ってやつだよね(そうしよう)。

ああ、これは、あのパターンだから、
「難しい」っていうやつだよね(そういうことにしよう)

書いていけば、これはすべてに対応するから、
どんどん書けてしまう。

たった一つの不安、実は、「これでいいんだ!」とか一瞬思った時に
錯覚する「嘘の安心」という不安を、ありとあらゆる言葉で
表現しているだけにすぎず、AC人格は、これだけしか、やってこなかった、
そのことに気づいた。

これが、前回の投稿で、教室のなかで、
耐えて黙って、居心地悪くなっていて、本当はそこから逃げ出したい私に
起きていたことなのだ。

この「今までの旧世界(古くて使い物にならん思考パターン)」から、
私は、今、「新しい世界」に踏み出そうとしている。
それは、もちろん、感情の世界、教室を飛び出して、
「逃げてやった」先にあった、感情の世界だった。

まったく明確だった。

昨日、私は、今もそうだけれど、
「それ、面白いか」しかない。

面白くなければ、やらなきゃいい。
面白くないのに我慢してやることないし、
面白いのなら無理してもやりたいし。

今日もそうなのだけれど、
今、私は、この二つの世界にいる、それぞれの感覚を
片足はこっち、片足はあっちという感じで感じている。

もちろん、新しい感情世界側にいくこと以外なく、
ここに一切迷いもないし、どんなにもう片方が足をひっぱり
生体反応を奪おうとしても、私は、それは死守することが自分でわかっている。

ところが、昨日から今日と、
私は、どうしても、このギリギリの境、というか、地点にいなきゃ、という、
そうなんだよなあ、今、ここを書いていて、自分で知りたいし、究明したいのだけど、
何かが私をひっぱっている。本当は、ぽーんとそっち側に飛べばいい、と思ったりする。

この前の経験から、
ここに、私が抑圧している別の感情はないだろうか?
それを知りたいんだ。というのも、どうも、この地点は、ACが入りやすいのが
自分でわかるし、恐怖心の流入も許しやすい地点だからだ。

ここで今拮抗していて、
でも逃げたくないし、というか、知りたいんだ。
もしも何か抑圧している感情があるのなら、救い出したい。
そんなの当たり前だ。自分自身、自分の一部なのだから。

でも、今、思った。

こういう自分好きだな、って。
今までこういう自分じゃなかったから、自分が好きとかなかったんだけれど。

いろいろ、書いているけど、そう、元々、
書き始めに、何を思っていたか、というと、
私は、とくにこのリハビリの巻を書き始め、後半、毎日書くぞ、としてから、
PCの前に座り、キーボードを打ち始めるまで、何を私は書くのか、
わからないで、スタートする。もちろん、ある程度、こういうこと書くんだろうな、
というのはあるし、それがわりとあることもあれば、ほとんどない場合もある。

そういう私がブログを書きたい、今日も書くぞ、と思うそのモチベーションは
どこから来るか、というと、決して、気づいたことを記録したいのではなく、
むしろそれは嫌で、書くこと、書こうとすること、それで、私は、新しいことを
知りたいし、新しい体験を、その時、今、したいのだ。

だから、何を書くことになるのか、最後までわからない。

でも、これ何をやっているのか、といえば、
私は、楽しくなかったら嫌なのだ。面白いって思うから、ブログを書いている。

これは今だから言えることだけれど、
今までもそういう意志はあった。復元ブログを書くというのは、本当にいろいろな
時があって、紆余曲折しながらなのだけれど、私が向かっていった先は
自我復元が向かっていった先と同じで、どんなに苦しくても、それが
「楽しい」といえるものであることを、私は、たとえ自覚がなくても進んでいった。

そして、ここで私ははじめて「生きる」という経験をし、
だから復元ブログは(というか、これを書いてきたことが)私は大好きだし、
今もすごく好き。だから、私は、その気持ちがなえるような向き合い方を
絶対、自我復元ブログにしたくない。それは、言い換えると、何を書いたところで、
私が、ここで生きて、楽しく、面白く、今日も生きた、と思えなければ、
ぜんぜん、ダメ、というか、絶対私が許せない。

・・・という気持ちがいつもあって、とくに最近は、
その思いが強い。いつもいつも、生きたい、って思う。

で、言いたいことは、

「楽しみたい」

って、叫びたい、っていうこと。

なら、叫べばいいのにね。昨日、自分で書いたように。

やってみよう。

私、今、そういうことだ。

教室と外の境目、教室のドアのところにいるんだ。

うん、捨てよう。

古い世界は、私は、捨てよう。

やっぱ、そうだ。

私は、教室の境、古い世界と新しい世界の境目のドアに
今このように片目ずつそれぞれを見ていて、
私は、「つまらない」んだ。面白くないんだ。
面白くない、って思っている。

だから、今日、ブログを書いていて、
いったい、この感じで書いてどうなるんだろう、と思って書き始めたが、
やっぱり、つまらないわー。

もう、面白くない、って思っているものを、
「それでも・・・」と執着することはないんじゃないか?

「つまらない」
「面白くない」

そう思う自分を、私は、もう隠しちゃいけないな。

これを隠そうとするから、
面白いっていう方に飛び込んだらダメだっていうふうに思ってしまう。

そして隠していることを狡猾に隠すために、
ブレーキも必要だって思おうとする。
でも、ここにあるのって、そんなんじゃないんだ。
よーーーく見ると、

「調子にのるな、あび」

という父の恫喝に対する恐怖なのだ。

今、実感する。

自我復元は、毒親を知ることから始まり、
毒親を知ることの連続の末、毒親を知ることで終わる。

これ以外、あってはならない。

なぜなら、私がここで何をしてきたのか、
そして何を完了させようと治療を続けてきたのかというと、

「解毒」

これ以上でも、これ以下でも、これ以外でもない。


2015.12.30
あび

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by jh-no-no | 2015-12-30 14:42 | リハビリの巻

五感を切り開く

タイトルだけは、おっ、って感じにしたくて
しましたが、書きたいのは、

「逃げだしてやればよかった」

ということです。

「いらない親」を今、読み始めています。
年内に読みたいな、と思いはあるのですが、
あまり期限は重要でないので、そのつもりでやるぞ、
というくらいの気合いで行きたいと思います。

それで、私が早速思ったことは、

なんで、あの時、逃げ出してやらなかったのだろう、
ということでした。

あの時、という具体的な事件があったわけではありません。
そうではなく、私は、ずっと我慢していた。
たとえば、学校でも、「あびさん、どう思いますか」というふうに
私に目を、声を向けられた時に、私は、本当はいつも逃げ出したかった。

話は変わりますが、

昨日、「想いやり生乳」が届き、
今日、2本目を飲みました。
1本目はビンのまま、でしたが、今回は、陶器のコップにしよう、
そう思って、注ぎます。

飲みました。明るい陽射しの入る窓越しで。

「おいしい!」

その瞬間、思いました。私は生まれてはじめて「おいしい」と言いました。
本心から、「おいしい」と思ったんです。
想いやり生乳は、おいしい、これ、おいしいよ、って。

それで、ふりかえると、
私は、「おいしいと思う」とずっと言ってきました。

これ、思っていないんですね。

おいしいと言わなければいけないんでしょ、が
これの意味だったのです。

ずっと、この連続でした。

学校でも、友だちとの間でも。

当然、親との間でも、そうだったのでしょう。
・・・そう、ここで、そうだったのでしょう、と「ん?」となるのは、
それほどに、飴がうますぎたのだと思います。
私を洗脳し、植え付けた記憶では、家の外とは違って、
「私を不快でないように感じさせるテクニック」が十分に配慮されつくしていました。

でも、実際、一歩外に出ると、
あの飴はないんです。だから、私は、本当は不安な学校生活だった。
こんなことも、今まで思い出せなかった。
学校、うまくやれてたよ、とずっと思っていた。

でも、私は、先生に対しても、友だちに対しても、
「○○だと思う」という「思ってもいない嘘」しか言えなかった。
これを言わないとしたら、無言になるか、そうにでもなれば、
そこを逃げ出すしかない、教室を飛び出して、また、友だちの遊びから飛び出すしかない。
でも、そんなことできないから、取り繕う。こう言っておけばいいでしょって。

だけれど、私は、本当は、思ってもいないことなんて
言いたくなかった。何もかも嘘なことを私本人は知っていたのだから。
そして、飛び出したかった、って。本当は、逃げ出したかったのだって。

今日、私は、その「おいしい」もそうですが、
これが言えないのなら、そんなところ、嫌だ、と言えばよかったんだ、と思った。
「おいしいと思う」なんて、嘘言っちゃいけない。いけなかった。

それは、どんどん狡猾になって、

「おいしい」

と言うようになった。「~と思う」という言葉すら隠していった。

そして、私は、感情を隠していないよ、と、そういう顔をするようになった。

それが、実は、毒親だったのだ、と
昨日、いくつかの体験を通して、理解したのだった。

2014年の正月に、毒親二人と外食し、父がキレて、
母も「なんでそんな子育てのことをいまさら訊くのか!」と
どうせ毒父にコントロールされたに違いないのだが、
そんな出来事があったことを、ブログにも書いたことがありました。

そして、私は、その頃、喜怒哀楽のこと、これが
どのように私を蝕んだかを知りたくて、どういう時に起こったり泣いたりするのが
いいと思ったりわるいと思ったりしているか、とそういう話をしたら、
二人は、激昂した。二人とも、あれはすごいとり乱しようだった。

それがなんでか、わからなかったのだが、
昨日、私の中で、悔しい感情と恥ずかしい感情の扉を開く、という
猛烈にしんどい3時間にわたる格闘の中で、それを理解しました。

私も実はそうだったんだ、と追って理解したのですが、
私は、自分が感情を押さえている、なんてことを
他人に知られたら、すごくとり乱すことが想像できました。
「そんなことないよ」と冷静なら、否定するくらいに済みますが、
2年前のその正月のように、核心にまで触れられたら、
私もただではいられないなって。

ふりかえってみると、
私の父も母も、とても幸せな家庭だよね、
楽しいときは楽しい、悲しいときは悲しい、それが人間!、と
父は、まるで、感情をそのまま尊重しているかのように言っていましたが、
事実は、まったく、逆です。

母も、そういう父に騙されたのでしょう。
ああ、ここなら、(ワタシの父親のように)存分に甘えられるわ、と
思ったのだと思います。母は自分の母からは、感情的であることを
否定されてきましたが、自分の父との生活は「飴」に満ちていて、
そこで、代理復讐をしていた、とも言えます。
これは根深い復讐心だと思いますし、母は完全に無自覚だったはずです。

そして父に出会い、いかにも父は、
「あるがままでいいんだよ。欲しいものは欲しい。
好きにすればいい。なんでも、ボクがしてやるから。
そうだったろ、ボクがダメって言ったこと、あるかい。ないだろー」

これですよ。最低だよ。今更、この虚偽に説明を加えることはないのだけれど、
こういうことを通して、父は、「理想の家庭像」を、元々は「理想の親像」を
保身のために作りたかっただけなのだが、最低なことに、その理想の家庭像たるや、
あたかも、みんなが、生き生きと、笑い、泣き、悔しがり、
そういう自由、まさか、感情が抑圧されているなど、思いもよらないように、
嘘の家庭を作っていったのだ。

あの二人のとり乱しように、ヒントがあった。

あの人たちは、感情を出すのを恥ずかしいと思っているのではない、と。
むしろ、その真逆で、それを押さえている自分を恥じていた。
私がそうだ、と思ったことも、これを理解するヒントとなった。

もちろん、感情を出せないようにしたのは、
父の場合も母の場合も、その親(とくに母親)によるトラウマであることはそうなのだが、
まあ、本当だな、って今も思ったけれど、
パターンは連鎖しているのである。
毒親たちの親たちもまた、「ここは理想的なところだよ」と植え付けたのだろう。
父にとってそれが毒祖母(ババ)がしきるI商店であったし、母にとっては、
これが今回、ああ、そうだったんだな、とはじめて思いついたことなのだが、
「娘を目にいれても痛くない娘びいきの、実はDV夫」こそ、母にとってはそこが、
理想的な家庭像だったのだ。そして、そこに足をいれておきながら、
自分の母を恨んでいただけにすぎない。

そういう中で、きっと、二人は、
それでも感情を押さえなければならない自分を否定したに違いない。

これが、

「恥ずかしい」

の正体ではないか、と昨日思ったのだ。

しかも、これはたちが悪そうだ。

この感情も、毒親の毒親から感染したのだろうと思われる。
当たり前だが、親があれで、その親が「正直になんでも言う人でした」
なんていうことはありえないのだから。

本当は感情が抑圧されているのに、
あたかもそうでない幸せいっぱいな家庭、
繁盛し、理想的だよね、って言われてきたI商店、
この中にあったのは、

「虚像」

なのだ。作り笑い、作り怒り、作り喜び、作り泣き、
私が、ずっーーーーーーーーと、こうだった。

笑いたいかもしれない気持ちかも
怒りたいかもしれない気持ちかも
喜んでいいかもしれない気持ちかも
ここは泣く感じだよね的な演出、

どれもこれも、嘘、嘘、嘘。

そして、今回、いらない親を読み始めたばかりだけれど、
ああ、私は、こうやって嘘をついている自分から
いつも逃げ出したかった。でも、逃げられなかった。

という過去ならば、

私は

これからは、教室など飛び出して、

草原に駆け込んで泣いて、悔しがって、

それから、戻ればいい。

嘘つきながら、そこに黙ってビビッて座っていることは
やめなさい。

これが、この実行が、
親が私にさせなかった五感の開放に他ならない。


2015.12.29
あび

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by jh-no-no | 2015-12-29 15:44 | リハビリの巻

自己否定という「幻想」の終わり、に。

23:29、文中、追記しました。

・・・

昨日の22:05分、私は、それはまるで線香花火が、最後、パッと光って、
そして落ち消えるかのように、ふわっと、私は、笑みを浮かべた。

ブログで宣言した通り、私は、実行した。

AC人格の解除を実行した。

AC人格とは、もう、私は会わない。
そう決めて、仕事に向かった。

Rさんがいるなか、同期のUくんがいる中、
私は、自分の中で起こることをそのまま見ていった。

私には、もう、何も起こらなかった。

あのイライラも、何もかも。

職場での決着はついたのを、知った。

なんともいえない時間が、過ぎていった。

仕事開始から、5時間経った頃、私は、
「自分が好きだ」、そう思った。
私は、もう、何をしていても、私は自分のことが好きになっていた。

きらいな時間が、どこを探しても、見つからない。

こんなことは今まで一度もなく、
こういう時間がしばらく続いていたのだと思う。
22:05分、その時、私は、了解した。

宣言した通り、私は、AC人格を解除したことを知った。

家に帰り、私は、それでもどこか残る違和感を感じていた。

「自分が好きだ」

そういう、後になって理解したことだが、
ここに残る違和感、つまり、そういう価値観が残っていた。

私は、自分がその日に経験したことを整理していった。

キッチンの戸棚の中の、いくつかの空き瓶が目に入った。

こういう時、私は、今までずっと、
今の自分でいいのか?そう思いながら、そうやって私は、
生まれてからその時まで、強迫的な自己確認をしてきた。

私は、自分が嫌いだった。

むろん、自分が嫌いなことすら無自覚に自我復元を始めたし、
そして、実にその昨日のその時まで、まだそこが麻痺していた、
というのが事実だった。

生きた心地がしない。

それを私は、生体反応が奪われる、ゾンビのようになる、
その苦しさを、幾度も幾度もブログにも書いてきたし、
それは猛烈に苦しいものを私は経験してきた。

それは、

「苦しい」

というものだった。

私は、少し、頭が混乱した。けれど、整理を続けた。

そして、初めて理解したことは、

「生体反応のない、生命感のない、ゾンビのような自分が嫌いだ」

と、私は、ずっと、それは、本当に、ずっとずっと、
思っていたことだった、ということを理解した。

ああ、これが自己否定というやつだったのか、と。

トラウマという言葉も何年もブログに書かなかったように、
自己否定という言葉も、私は、書いてこなかったのは、
実感がなかったから、実感のない言葉は書けなかった。

苦しい、という感情が芽生え、
その自覚が促され、
私は、それが自分のものなのだと知り、
ようやく、これが、自己否定、というものだ、と理解した。
「自分が好きだ」という感覚が浮上したことで、
私は、自分が嫌いだったのだ、自己否定をしてきたのだ、
ということに気づいた。

ところが、その自己否定を理解したと同時に、
それが実は「幻(虚像としての自己像)」であることも
同時に理解した。

「私は、ゾンビのようになる自分が嫌だった、
それで、AC人格に逃げた。」

これが、麻痺していた私が、やっと取り戻した認識であったが、
しかし、それもまた、違っていた、ということ。

これが、幻の、虚像としての、捏造してしまった自己像だ。
これが、自己否定を作りあげ、生体反応を失わせる核だ。
これが、AC人格の解除で、絶対に抹殺しなければならない自己像だった。


こんな自己像は、どこにもなかったのだ。


何が事実だったか、というと、

AC人格に逃げたのは、

「怖かったから」

ただそれだけだったのだ。

自己否定など、そこでする必要はなかった、ということ。

どういうことなのか、これは、というと、

「毒親が恐怖を与えた」

という、これに尽きる。尽きた。

ただ、これだけ、なのだ。

だから、本当は、その時に、その当時に、
この恐怖から目をそらさず、そう、この自我復元でやり続けてきたように、
恐怖という感情、苦しいという感情、つまり、どんな恐怖を親から受けようと、
またその恐怖によって、どんなにゾンビになってしまいそうに感じようと、
その感情を、その当時、直視する力さえあれば、自分を裏切りさえしなければ、

「自己否定をする必要など」

どこにもなかったのだ。

自己否定をするのではなく、
毒親の毒、恐怖、生きた心地のしない不快感、
これを、そのまま、感じとり、対処すればよかったのだ。

それをやり直したのが、

「自我復元」

だったのだ、と理解した。

再体験をしてきたのだ。3年に渡って。

自己否定を理解したと同時に、
それが幻想だったと知り、また同時に、
「自分が好きだ」というのもまた、その残渣としての価値観にすぎない、
そう理解した時に、私は、何でもなくなった、と感じた。
囚われてきた足かせが外れたからだ。

ずっとずっと苦しかった「価値観」というものに、
私は初めて、支配されない状態にあることを知った。

28日の朝8時だった。

日記にそのことを書いていった。

8時36分、日記を書き終えたが、
その日記の最後には、こう書いてある。


「今あるのは、私が、やってきたこと、再体験を通して
何をやってきたのかを理解したにすぎない。
あとは、これからは、新しい世界で生きていけばいい。
もう二度と、ACの世界に足をふみこむことのないように・・・。
残るこの生での、生の記録、2016年から書いていく、あるいは描いていく
生の記録が、死後、次の生を選ぶ時の「スケッチブック」になるだろう。
日記、あなたと友達になれて、よかった。」


AC人格の解除とは、

「もう、ゾンビにならなくなった」

ということだ。

誰も私の生体反応を奪うことができなくなった、
ということだ。

これを、私は、ああ、自分を好きになったんだ、と
そう感じた原因だったし、というよりも、
何をしていたとしても、たとえAC人格的に見える言動を
私がとっていたとしても、私は自分をもう嫌いになれなかった。

どう何を考え、どうなろうと、

そうである自分が嫌いになれないんだ、と気づいた時が、
その仕事中に笑みを浮かべた22:05分であった。

そして、書いたように、

「自分が好きだ」

という自己肯定すら、そんな価値観に私は支配される必要がないことを理解した。

「これでいいんだAC人格」

この根強かったAC人格の残渣は、私の中で、
こうやって死んでいった。

「ゾンビにならなくなったこと」
「生体反応を失わなくなったこと」

これが、その死滅の証拠である。
なぜなら、子どもをゾンビにさせ、生体反応を奪い、
そこをねらって言いなりにさせてやれ、と毒親の都合だけで
子どもを利用し続けたのが、毒親家庭で起こっていたすべてだからだ。

そして、私たち子どもが、そこで経験したのは、
もちろん、恐怖であり、不快であり、私のように完全無自覚ACに至っては、
完全な麻痺、洗脳の中を「生かされてきた」のだけれど、
最も許せないことは、

「楽しくなかった」

ということなのだ。

私は、40年、自分の人生は楽しいと思っていた。
疑ったことはなかったし、幸せだ、と思っていた。

本当に思っていたのだ。

しかし、その「本当に」が嘘だった、と気づくまでの
長い道のりが、3年に渡る地獄の復元作業だった。

「楽しくなかった」

私は、書いていて、今、初めて、
毒親を、Pを、許せない、と思った。

「許せない」

「せない」のだ。許すか許さないかではなく、
「許せない」という実感を、今、感じている。

22:07分。これが今の時間だ。

こうやって、今、本当に切れたのが、
毒親と私、Pと私、この鎖、契約が、今、終わった。

日記の最後に書いたように、
「もう二度とACの世界に足をふみこむことのないように・・・」。

今日28日の15:37分。

私は、洗濯をしていた頃だったろうか。

私は、ふと、思った。

「本当に厳しい道だった」

と。

これ以上、言うことはなく、
これ以下なことも、何一つなかった。

本当に厳しい道だった。

それだけが、自我復元の事実だったし、
そこに加えるものもなく、省かれるものもない。

そして、今回の投稿で、一番、書きたかったことがある。

タイトル以上に、書きたいことであり、
私が今日、体験として実感したことである。

一人では決して
やってこられなかった。

孤独な闘いではあった。
だけれど、到底、一人で闘えた相手ではなかった。

1000のうち、私の力は、その、1、にすぎないと知り、

この巨大な相手と闘ったのは、
自我復元者全員だったのだ、と知った。

総力戦。

この言葉は、ここでこそ使う言葉だ。

私は、もう、二度と
他の自我復元者に対して、見下すような、
上から目線のAC人格になることはない。

私は、毒親不要の本を、印刷まではしていたが、
読むことができなかった。

私がこれを読む時は、
他の自我復元者を見下したりしない、
そういう自分になってからでないと読みたくなかった。

私は、ようやく、今、
この本を読むことができる。

ところが不思議なものだ。

読む前に、私は、私がこの本から何を知るかを知る、
という体験をした。

今日、私は、一つの文書、他の自我復元者の文書を読んだ時、
私は、何を知るか、を、その場で知った。

それが、

「自我復元は、総力戦だった」

という、単なる事実だった。

この圧倒的な事実に、私は、その後外出して自転車に乗っているとき、
私は、目に涙が浮かんだ。

自我復元は、総力戦だった。

私個人ももちろん死に物狂いだった。
でも、それは、実は、1000のうち、1であり、
事実は、自我復元者全員の、本当に「全員の」

「総力戦」

だった、という圧倒的な事実の実感だった。


2015.12.28
あび

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by jh-no-no | 2015-12-28 23:12 | リハビリの巻

初発刀

いきなりですが、

来年1月1日は、もう、投稿する内容を決めました!

タイトルは「喜びの器」です。

カテゴリは、リハビリの巻は終えますから、
「生の記録」になります。

いきなり予告から・・・ですが、さて、今日は
何から書きましょう!

書きたいことは、たくさん、ある。

そう、まず、父、P、母へ、ということで、
年末最後(かどうかはわかりません)、とことん、
とどめをさしていくこと、ここからやろう。

まず、父だが、

昨日、私は、仕事中、後半になって
それまで出てこなかった「言葉のつっかかり」がまた出てきた。

どうやら、それは、相手の、不機嫌そうな顔を見ると、
私は、どうも、まだダメみたいなのだ。

そのあたりのことは、今さら書くつもりはない。
そうでなく、新たに気づいたことがあった。

私は、

「父の顔を」

ちらちらとしか、見たことがない、ということに
私は気づいた。

つまり、やっぱり、あなたのせいで、
どもったりしている、ということ。

私は、今、必死に行動を変えようとしている。

ただし、これは、ACの狡猾さたるゆえんだが、
「行動が変わってないぞ、あび」と意気消沈させるのもまた、
AC人格であり、そうやってACは行動が変えられないでいると、
「ほれ、自己否定しろ、ほれ」とそそのかす、馬鹿野郎なのだ。

一言で、撃沈させてやりたい。

行動がたとえ変わらなくても、
私は、あなたを許さない。

私が葬っているのは、

「あんたなんだよ」

しかし、

勘違いするな、毒父。

どもり、も、

私は、必ず、治す。

後遺症は、治るものなのだ。

これ以上、言うことはないのだが。

わかったか、毒父。

昨日、仕事中、22:30だった。

私の中で、あの濃霧の残渣のような靄が晴れた瞬間だった。

私は、もう、どんなACが残留していようと、
また、たとえ、外圧が高くても、私は、ACに負けることはない。

それを知ったときだった。

なぜなら、私が決定的に決意したのは、

「私は、もう、ゾンビにならない」

というものだったからだ。

生体反応、生命感、これを奪うのが、
毒親のもくろみであり、ACのもくろみである。

しかし、私がゾンビにならない、そう決めたのは、
何も気合いでそう思うとかでなくて、
諸悪の根源、毒、それはどこにあるか、といえば、
毒親、とくに、あなた、毒父にあった、という
明確な事実ゆえに、

私は、

ゾンビになる意味が、

私には、もう、まったくなくなった

ということだ。

そして、私は、さっき、またゾンビの「ゾ」の字が
出てきたので、こうすることにした。

「元気を出す」

それだけだ。

しかし、誰にも、何にも頼らないこと。

自力で、元気を出す。

それは、未知なものに飛び込む勇気でもあるが、
それこそ、今さら、何を着飾ったりする?ない。

次だ。P。

Pに対しては、もはや、私から言うことはない。

そして、あなたから言うことがこれからあるはずだ。
それすらも、ろくにできないと予想はしているが、
だってだ、

今朝、「今、いい?(話していい?っていう意味)」
っていうから、どうぞ、というと、
「年末年始は留守にするから」

どうぞ、どうぞ、である。

実家に戻って正月を迎えるのは間違いないだろう。

20年以上ぶりだ。

正月にPがいない、のは。

Pとの鎖が切れてから、Pの様子は変わってきた。

何がか、といえば、

イラついている。

今までは、私が、イラつく役だった。

それが逆転した。

理由は簡単だ。

私は、もう、Pが「なんでもないヤツ」になったからであり、
私はいたって、動じることもなく、むしろ、楽しそうに
何か一人でやっている。

本当にそうしている私になり、いよいよ、Pは、
冷静にはもういられなくなった、からだ。

これも、長く、書くつもりもない。
長すぎた、と感じているくらい。

「帰ってこなくても、いいよ」

次。

毒母。

さて、今日は、あなたのたまたま誕生日だ。

ある意味で、あなたは、毒父よりもよくないことをした。

「0歳の頃から自立した大人であるように育てた」

それが、いかに、とんでもないことか。


さて、


ここからだ。

私が書きたいことは。


ああ、毒母、これでおしまいじゃないからね、とどめは。

そのための、少し、大事な前置きをするから。


私は、今日、年内最後の合気道の稽古があった。

いつもは刀法の練習、少し間をあけ(その間は休憩し)、
大人の稽古に参加だが、

本当は、その少しの間に、

「子どもの稽古」の時間がある。1時間だ。

私は、その稽古に今まで出られなかった。

出るのが、怖かった。

子どもに接する資格などないと思っていたから。

でも、そういうのも、やめた。

資格は、自分で勝ち取るものだ。

すごい違う話をいきなりまたしてしまうけれど
自我復元ブログを書けたことに、感謝している。
今までそうと気づかなったのだが、
感情の開放を手伝ってくれたのが、このブログだった。

さて、話を戻して、私は、今日、子どもの稽古に参加した。

大人もまざっている。子どもの親が多いのだが、
黒帯の方もお手伝いをしてくれていて、
毎回にぎやかだ。

まるくなり、体操。

深呼吸。

このときだった。

私は、

「子どものようであっていいんだ」

そう思った瞬間だった。

決して恥ずかしくないんだ、って。

たとえもう40過ぎの大人でも、5歳、6歳の子のようで
いいんだなあって。

続く大人の稽古で、

ここで、私の世の中の見え方は、変わった。

たまにご紹介してきた「おじいちゃん先生」が数分だけれど
相手になってくださり、稽古をしたのだが、

その数分の稽古、「やめ」の合図がかかり、
そして、おじいちゃん先生が、私から離れていく、
その後ろ姿が見えた瞬間だった。

私は、

「大いなる勘違い」

をしてきた、ずっと、してきたことに気づかれた。

そのおじいちゃん先生も、そして、まわりの他の大人たちも、
全員が、今も、今なおも、

「子ども」

だった。0歳でもいい。みんな子どもなのだ、と。

40過ぎだけれど恥ずかしくないんだ、どころではなくて、
そんなことではなく、40歳など、どこにもいない。60歳などどこにもいない。

みんな、

子どものように、

生きていっていいんだ。

これは、まったく、今までの私の世界とは、

まったく違う世界、

180度、真逆な世界。

今まで、絶対に見えなかった世界。

言ってみれば、

「自分の後ろ姿」

だ。そして、それが、実は、表、
決して、恥ずかしい姿でも、いつか成長し自立する姿でもなく、

生まれてから死ぬまで、

ずっと、それでよかった、

その姿、子どもの姿。

子どもの「まま」でよかったのだ。


毒母へ


子どものままで、よかったんだよ。

恥ずかしくなんて、なかったんだよ。

自立した大人になる必要など、なかったんだよ。

成長という幻想。

私は、これに「苦しんだ」。

そう、これが感情だ。

私は、あなたのせいで、苦しんだ。

成長しなければ。

これがどんなに「苦しかったか」
私の麻痺の薬は、とうとうきれた。

毒父と同じことを言います。

今も苦しいことはたくさんある。

しかし、あなたのせい、なのだ。

大事なことは、

毒父のせいであり、
毒母のせいだ、ということ。

むろん、それの「後遺症」を治す責任は私にある。

しかし、言いたいことは、

もう、AC人格には、出番はない、ということだ。

そう、最後に、お前だよ、AC。

もう、わかってみるみたいだけどね、コイツも。

どうやっても、私の邪魔ができそうにないことを。

私は、年内にACの息をとめる。

必ずとめる。

昨日まで、いや、少し前までは、

いたとしても、負けない、と言ってきたし、
それは確かだった。負けることは、もう、二度とないだろう。

しかし、完全な解除には時間がかかるかな、と思っていたが、
時間など、私はかけない。

なぜか。

あなたは、私の邪魔をするから。

「もう、会いたくないから」

だから、私は会わないことにした。

それは、毎度のことだが、できるかどうかでなく、
私が決めることであって、私がやることなのだ。

年内、とか言うのもやめた。

今から、あなたとは会わない。

「もう、会わない」


私は、

子どもとして生きる。


どうやって?


そうだね、ここは、今日、一番、書き残したい。

「子どもがやるように」

毎日を生きることだ。

あの公園で出会った子どもたちのように、
エビいるかなーって言いながら、虫取り網を
池につっこんだり、暗くなったら帰ったり、そういうことだ。

そして、

私が失ったもの、

いや、隠してしまったもの、その

「感情」

というものを、もう、隠さなくていい。


それで、だ。

あと、10分だね、仕事まで。

今日の刀法の時間の話はしていなかったね。

今日のタイトルは、さっき、意味はないのだけれど、
「初発刀(しょはっとう)」とした。

これは、居合で最初にならったもので、
今もこれを稽古している。

今日、私は、目を閉じ、左足から踏み出した。

贅沢な時間だった。

この一年は、新、初、そういう一年だった。



「初発刀」



私は、ここから始めるんだ。




2015.12.26
あび

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by jh-no-no | 2015-12-27 16:21 | リハビリの巻

日記が教えてくれたことと総力戦

タイトルは決めたものの、
さあ、何から書こう?

身体のことだけれど、
昨日、身体はこんなことを言っていたよ。

この身体、本当に、死んでもかまわん、と
その覚悟なんだ。

「全力でやってオレが死んだら、それもいいじゃない、
ブログのニュース記事になるからよ」

だってさ。

ほんと、イカすのだ。私の、この身体という「野郎」は。

本格的に始まったのは、昨日からだな。

この身体とともに、この壮大な総力戦に突入したのは。

この身体を先頭に、仲間を集めている。

いいか、あび。

すべてが仲間だ。

わかっている。今はそれが。
何もかもが仲間だった、と。

誰もが、何もかもが、私という個を救い出すために
猛烈な信念を持っていて、元々は、私一人裏切りさえしなければ、
それは、森の動物たちが集まるように、私一人などが圧倒されるほどの
大祭が展開されていく、そういったシナリオだったはず。

それが、人間として生きたい、そう望んだ、
最初の最初の地点だったはず。

昨日、私は、つらかった。

日記を書いていて、それを書く力を
奪っていく悪魔に拮抗するのが、
まだまだ、私にはしんどかった。

それでも書く。

読み返してみる。

「今日はコルルに行った。
やっぱり楽しそうにいつもしていて、
行ってよかった。」

それしか、書けなかった。

このリハビリで、あと、何をしなければならないのか、
それは未消化な課題に目を向け、自問を続けること。

なぜ、日記がしんどいのか?

なぜだ?

私は、もう一度、日記を読み返した。

この小学生以下の作文にもならない日記は、
しかし、こういうこと、小学生低学年の頃、作文に書いていたな、
そんな感じだなって思いながら。

今までもそうだった。

どんなにつらくても、それでも書くと、
だいたい、こんな数行の日記となった。
内容は違えど、私はこれだけでも私は書いた。

考えた。

なぜ、ここまでは、なんとしてでも書いたのか?

私は、ここまではなんとしてでも書く、
その藁をもつかむ者の声に耳を傾けた。

分析を進めた。

わかってくる。見えてきた。

「今日、○○をやったんだ」

ただそれだけのことを、私は、
「こんなのは」と軽蔑していた。

大事なのは、それをやった時に感じたことと、
そこから得たこと、そしてその結果、「よかった」と「言う」こと。書くこと。
そう思っている私がいる。

私は、ずっと、そうだった、と。

自我復元を始めた後、小学生低学年の頃の作文を読んだ時、
まさに、これに毛が生えた程度の内容の作文を読み、
私は、そこに誰も生きていない、何の楽しみも笑顔も感じられなかった。
・・・という感度すらも、その時は、薄かったが、今はそのゾンビさが
ありありと見えてくる。

ずっとそうだった。

今日、どこどこに行きました。
何何が何何で、それで、楽しかったです。

思ってないことを書いていたのだよ、私は。

いや、思っていたことは「書いていなかったんだ」と気づいた。

昨日、それでも、床につく前に、もう一度、日記を開いた。

あ、そう。忘れてた。

その前に、私は、身体とまた会話をしていた。

身体は言った。

「ワクワクすることをやれ」

と。そんなこと言われても・・・という気持ち半分、しかし、
ここで生体反応を失う私ではないし、それは「しない」と意志したのが
このリハビリなのだから。

日記を開き、私は、もう一度、今日何をしたか、
箇条書きでもいいから書くことにした。

バナナを買った。

へんな夢をみた。

そういうことを2ページくらい、といっても箇条書きなので
たいした分量でないが、思い出し、書いていった。

書いていくうちに、気づいていった。

私は、今、楽しい、と。

やったことを書いただけなのに、嫌じゃない。
楽しい、というと語弊があるかな?いや、楽しい、というのも嘘じゃない。
嫌じゃない、というのと、楽しい、は今、私には区別という区別を感じない。

それでなぜ楽しいのか、といえば、
「○○やったんだ」ということ、それ自体で、楽しかったのだ。
そういうことだったのだ、と気づいた。

何も、そこから私は気づく必要などなかった。
やったこと、経験したことを、うまく説明する必要も、
何をそこから得たのかを説明する必要も、最後に「楽しかった」とか
「よかったです」と「言わねばならない」など、なかったのだ。

ああした、こうした、

そうなんだ。

昨日のコルルさんのところでも、
会話というのは、ああした、こうした、それ以外、何かあったか?

ない。

でも、ある。

そのあったのが、「感情」という音楽だったのだ。

それが聞こえなかっただけ。
聞こえていたけれど、作文に書かなかっただけ。
作文、日記に書かなくてもいい。
まず、そういう気持ちがあること、あったこと、
感情として感じていることがあったことを、
私が軽んじてはならなかったのだ。

そんなことをしたら、
毒親と私は同じことをしていることになる。

誰のための「体験」だったのか?

イコール、それは誰のための「生」なのか?

感情という、昨日のように、コルル室に流れる
人の笑顔の放つ声が流れる感情の音楽に耳をふさいではならない。

意味、価値、考え、気づき。

それは、今まで誰のために投入されてきたものだったか。
誰に役立つそれらだったのか。

私は、これらを軽視しているのでなく、
これからは大切にしていくだろう。それが自分のものであれば。

しかし、それ以前に、

私は、大事にしてこなかったものを
大事にする必要があって、というか、それが、最低限、
人間が人間として生きる最低限の「資格」なのだ。

感情だ。

何かをした時に感じる感情。

さっき、6ヵ月も放置していた冷凍庫の米麹で
甘酒を作った。あと7時間もすれば、できるだろう。
でもね、甘酒なんだけどね(いきなり会話調)、
なんといっても、私は、だけれど、
60度ちょっとまで熱し混ぜたそれだけのまだ発酵が始まったばかりの
あの味、旨さ、が、すごく好きで、今日も、おそらく糖化力(甘くする力)は
米麹に少しなくなっている「感じ」はしたけれど、そこで感じる苦味と甘みの
絶妙さは、私は、この世のものとは思えない、初体験の味だった。
作った最初も、また今日も、そう、これはすごい美味しい。

今、書いているようなことは、
日記には、「今日甘酒を作った」程度になる。
それ自体がいけないのではなく、今、書いたこと、というか
その時感じたことこそ、私が、(書いていると当たり前だが)感じたことなのだ。


その「記憶」が、


本当は、


日記を「書かせてくれていた」。


これを消すな、って。


日記が教えてくれたことだった。


だから、私が今日、やることは一つだった。


何をするか、ではなく、やった時に感じたことを
何かのためでなく、むろん、ブログの素材にしたり、
気づきや価値観の素材のために利用するのでなく、
感じたことにただ向き合ってみなさい。

私は、わずかな時間を使ってでも、
やみくもでも、いろいろやりはじめた。
できるかわからない。でも、やるしかない。

以前、桜の間だったと思うけれど、
はじめて自転車に乗るときのコツの動画があったけれど、
あの動画は当時からも印象的だった。

そして、昨日、お風呂に入りながら、
私は今、ペダルなしのハンドル操作だけの練習の
最後の難関に挑戦しているのだ、と思った。

ただ、私は、この「きわどい」テストは抜けることになる。

そう言い切れる。

なぜか?

闘っているのは、もはや、私でないからだ。

それはうまく言えないが、

最初に書いたように、すべてが投入された総力戦が
展開されている。私一人の中のAC人格の言い分は、もう、通らない。
それがもう決まっているからだ。

それを決めたのが、このリハビリへの意志に他ならない。

ここからはうまく言えるか自分でもわからないけど
書いてみたい。書け、って、「みんな」が言うから。

私という意志なんかよりも
今、私は、壮大な意志が闘っている。
それは、まさに、総力戦の大パノラマが、私の前に展開している。

「大戦」

である。

もし、私というちっぽけな中に、どんな猛毒のACがこの期に及んで
ああだこうだ、といって、またそれに私が振り回されたとて、
この大戦は、もう、私の手すら、離れている。

それほどに、

私は、救出されよう、としている。

それは、私の意志、なのだが、

そう言うと矛盾になるが、この矛盾の中で生きている今こそ事実であり、
こういってしまうと、軽くなってしまうけれど、
自転車のハンドルの左右のバランスを今とっているところなのだ。

いや、軽くなんかないな。

この着陸即離陸のターミナルしか見えていない私がやっていることは、
どんな暴風や外圧にも舵がとられないように、左右にぶれないように、
中心をとるように、手に汗にぎる真剣勝負、これが初自転車乗りの、
本当の、当事者の真剣さなのだ。

その後は、漕ぐ、だけだろう。
とはいっても、まさに、桜の間に書かれていたように、その後も、私は
「ただでは済まない」のが、私という戦士の生き方だ。

苛烈に生きると誓った一年。

私はいつも、この日、26日この日、それが
スタートだと思っている。
1月1日になったとて、もしかしたら、ブログ連載を
やめないどころか、一日、二回書いたりして・・・なんてことも
十分ありうる。

身体はいつも言う。しっかりしろ、あび、と。

やるぞ、やるぞ、って。

なりふりも、もう、そこにはなく、
自我復元すら、もう、そこにはない。

身体は身体としての意志があり、
私に関わるすべてはそれらすべての存在に意志があり、

そう、

そういうものの総体が、

「尊厳」

というものなのだ。

その尊厳を取り戻す、のではなく、
呼び戻す、というか、そう、

「想い出す」

という壮大な闘いが、私の好きな
「自我復元」という旅の名前だ。

だから、私は、地球に生まれてきて、

「よかった」

と、死後、大手を振るって、「みんなと」言ってやれるのだ。

さあ、身体というイカす野郎よ、

「これで満足かい!」

今日のブログ、おしまい!


2015.12.26
あび

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by jh-no-no | 2015-12-26 15:52 | リハビリの巻

美容院「コルル」

「コルル」は仮称ですが、今日、久々に、
自分で、ではなく、美容院に行ってきたいと思います。

今、私は、欲しいもの「初身」を買うのが、
これで一か月遅れることになりますが、
それでも、今年、行ってみたい、そういう美容院です。

家のわりと近くにあるのですが、
ここ最近、見つけました。

ああ、こんなふうに髪を、またご自身のお仕事を
楽しく、真摯に、なさっている方に
ぜひ、髪を切ってほしい、というのが
動機のすべてです。

それでは、行ってきます!

その後の稽古から戻り次第、続きを書く予定です。

毎日ブログを書く、というのは
ほんと、スリリングです。

こんな体験、自分で決めたことではありますが、
今年の最後にできて、ほんと、よかった。

(後ほど、続きます)

・・・

さて、続きを書こうと思います。

戻りました。

今から、2時間弱、まだ25日はありますので、
飛行を続けたいと思います。

はじめて行ったその美容院「コルル」で
私は、まったく、予想していなかったことが起きた。

約1時間、私は、マシンガンのように
しゃべり続けたのだ。

そして、その方(コルルさんと呼ぶことにします)も
マシンガンのようにしゃべり続け、終始、そうだった。

ここは、お一人でなさっている美容院なので、
電話で予約をして行くから、他のお客さんはいない。

美容院に行って、まず、そう、ここで体験した初めてのことは、
よくある「雑誌」がない。あるのかもしれないが、
提供されることなく、いつも読むことがない私には、
最初からまったく違和感がなかった。

外からここ数日眺めていた時は、コルルさんは私より
もっと年上の方かな?という印象があったけれど、
実際にあってみると、おそらく、私と同じくらいだと思う。
高校生のお子さんがいるので、きっと、そのくらいかな。

好きな事を、お互い、好き勝手に話し続けた。

まさか、ここまでしゃべり続けるとは、想像していなかった。

そして、私は、たった一度も、
切られている髪の様子を、最後まで見なかったのだ。

「どうですか~」と最後に声をかけられたときも
見えてはいたけれど、実は、私は、まったく髪型を見ていなかった。
帰り際に、スーパーに寄り、支柱の鏡で私は、そうだ、と思って、
はじめて自分の姿を見たくらいだった。髪の毛が顔にけっこうついていて、
耳にも残っていて、なんだか、こういうことが、ほんと、
少しの時間であるが、私が感じていたコルルさんらしい感じがあって、
コルルさんが笑っている顔を思い浮かべていた。

小学生低学年の女の子もいらっしゃるらしく、
またその子が、マシンガンのようにお母さん(コルルさん)に話すらしく、
話長くて困るわ~みたいに話されていたけれど、きけばきくほど、
その子とお母さんは、お互い、好きみたいだ。

ある日、その子がバスに乗っていたおばあちゃんと話しているうちに、
結局、「ここでママ働いてるんだよ」と店までそのおばあちゃんを
連れてきたことあったんですよ~という話も面白かったし、
スーパーで「何歳?」とあるおばあちゃんが少し聞いたつもりが、
その子におばあちゃんはつかまって、延々と話を聞くはめになった話とか、
そういうエピソードをきいていると、困るわ~といいながらも、
その子が大好きな様子が、ダイレクトに伝わってくる。

このお店も、コルルさんは、
すごい好きなはず。

今日、ここに来たのは、コルルさんがすごく楽しそうにお仕事していて、
ああ、ここで切ってもらいたいな、と思ってきたんです、という話をしても
「嬉しいです、もう、ほんと、嬉しい」と言い、それだけ、
私もそれだけ、私たちの間には、初対面だったけれど、
何の前置きも必要なく、あのね、あのね、とお互い、日々のこと、
それはほんとに些細な日常のワンシーンワンシーンなのだけれど、
マシンガンのように、1時間、話し続けた。

唯一、お互いが少し黙っていたのは、
シャンプーの時、顔に薄い白の紙をかけられている間、
コルルさんが、頭を洗ったり、マッサージをしている時だけ。

でもその時に、その薄い白い紙越しに、コルルさんの影が見え、
その白と黒が移りゆく様を、私は眺めながら、ゆっくり、過ごした。
なんでもないその時間も、あまりになんでもなく、
そこにいることが、なんとも言えず、心地よかった。

私は、こんなに、緊張感ゼロの時間を過ごしたことは
今まで一度もなかった。

どんな話も、あまりに普通に話し続けていた。

自分で髪をこの頃切っていてね、とか、
そういうことを話しても、私を持ち上げるのでもなく、
批判するのでもなく、コルルさんは、髪を切ってくれていた。
決して黙っていたのでもなく、いろいろ言っているのだけれど、
思うことをただただ思うままに話されていて、そこには、
何の気づかいもなく、私もコルルさんに何の気づかいもしない。

それは、お互いが放ちあっているのが、
「感情」だからだ。

私は、はじめて、感情だけで話す、という体験をした。

ありがたいことに、コルルさんは、そういう人だった。
それはまったく予想はできないことだった。
ただ、ファサードから思っていたのは、髪をさわるのも、
このお店の中にいるのも、お客さんがいる時も、
たとえいない時も、コルルさんは、楽しそうだ、ということだったけど、
話をきいたことも、声をきいたこともなかったから、
そもそも、私は、ここで「話す」ことすら、想定していなかった。

今日体験したことは、生まれてはじめて、
この実社会の中で、マシンガンのように話した、という、
ただそれだけなのだが、しかも、それは、どこも着飾る要素もなく、
何がよかったとも、素敵だったとも言うようなものでなく、
あまりに、ごく「普通に」そこで過ごせた、というだけのことなのだが、
私は、それが、ただただ楽しく居心地がよかった。

きっと、小学生のその娘さんとの話も
こうなんだと思う。
これは、話、終わらないわ~、と私も思った。
だって、話は、その時の感情が言葉としてあふれたものなだけであって、
感情が抑圧されず、流れ続けるのなら、それをやめろ、というほうが無理があり、
たとえば、今日だったら、切り終えなければ、延々と話は続きそうだった。

これ、気が合うとか、そういう問題ではまったくないことを
私はずっと気づいていた。

感情だけが、わんさかと、そのコルル室に
舞い上がっては、対流を続け、終わらせるほうが難しい。

だから、その子が、そうそう、こんな話を最初にきいたんです、
「仕事中にも電話がかかってきて、ちょっといい?
だれだれちゃんの誕生会が何日にあるんだけれど、行っていい」
から始まり、それが、終わらないみたいなのだ。

「あのね~、今、ママお仕事中だからね、後ででいいかなぁ~」
と言うと、後じゃダメだって言うんですよ、ほんと、困るし、
そんなことで泣くことかよ、ということで、すぐ泣くし・・・

それで、コルルさんがこう言うのが、ほんと、よかった。

「でもね、泣いている時、思わず、笑っちゃうんですよ。
真剣に泣いている姿を見て、思わずね。そうすると、言うんです。
なんで笑っているんだ、笑ってる場合じゃなーーーい!って怒るの。
怖いなあって思うんだけど、しかたないから、うんうん、とかきいて
誤魔化しても、まあ、計算だかいっていうか、女の子はすごいですよ~」

ここから私が伝わってきたのは、

ただただ、コルルさんが、その娘さんのことを
「好きだ」という、どこも飾らない、親として子を好きに思う感覚、
ああ言いながらも、見守っているのがすごく伝わってきたし、
その娘さん、どう聞いても、感情全開で生きている。

それは、当たり前だと思った。

今、ここにある「空気」も、
それと同じ空気であり、感情がよどみなく対流しているところは、
こうやって、誰もが、そうなる。その子のようになる。
私のようになるし、コルルさんのようになる。

言葉に毒された私が、
今、ようやく体験しているのが、
「言葉でない世界」。

それは、

「感情」

の世界。五感全開で生きていくこの世界。

今日の投稿から、私は、きっと
昨日までとは違うものになる、と思っていた。

それは、今日からのリハビリとしてのブログは、
2016年1月1日に「飛躍」するための予行練習をしていこう、と
昨日、思ったからだ。

今日、もう一つ、書きたいことがある。

今日、たったの10分だが、関心地図をやっている時に、
今までと違うことが起こった。

それは、今までは、中心に戻ろう、といった意志がまずあり、
そこに戻っていくことで、あ、そうだった、あらゆる関心は
遠くにあるのだ、と理解していくような、そんな感じだったのだが、
今日から体験し始めているのは、そうではなく、
あらゆる関心は、関心自らが「どんどん遠ざかっていく」という点だ。

それは、例えると、事実はどうか知らないけれど、
宇宙はどこにいても、すべてが遠ざかっていっている、という話を
かつてきいたことがあるが、感覚としてはそれに似ていて、
それはまるで、「流れゆく窓の景色」のように、すべての関心が、
内容を問わず、どんどん、遠ざかっていく。

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S552

に、関心地図の原理の元となってもの、ということで、
書籍からの引用があり、それが、今回の体験にもつながった。

>はたして思考そのものが、
>「自力で」妄想や連想を続けることが出来るかどうか、実験してみるとよい。

>「どうぞ、勝手に思考をしてください」といわんばかりに、
>完全にその思考をつきはなして、思考自体に主導権を渡してしまうのである。

>あなたが、妄想という火に油を注ぐようなことをしないでいると、はたして、
>思考の炎それ自体が燃え続けられるかどうかを見ることだ。

もちろん、当時は意味不明だったに違いないが、
これと同じようなことを、しばらく前に桜の間できいたときも
その時点で理解したことはあったけれど、今、ここを読み、今日、
あらたに体験したものとは違っていた。

マシンガンのように話し続けられたのはなぜか、自分ではわかる。

それは、会話の内容などは、まさに、電車の窓からの景色が
バンバンと流れ去るようなもので、いちいち、ひっかかるものが
まったくなかったからだった。

この感覚は、実は、コルルさんとの会話の際だけでなく、
私の中でずっと続いていた。

稽古中、くだらぬAC思考が邪魔をすることで、
この流れをせき止め、それがとんでもなく不快で、何が不快かといえば、

「稽古に集中できないじゃないか!」

という思いに尽きた。

むろん、今までは、「すべてがそのような時間」だったわけだから、
生きた心地など「するはずが」ない。

感情がせき止められることなく、
すべてはバンバンと流れ過ぎ、その、感情が邪魔されない時だけ、
私たちは不快でなくいられる。

とめどもなく話せるその娘さんの気持ちがわかる。
話、やめたくないよねって。
話やめたくないんじゃなくて、感情のまま、普通にやっているだけで、
それは、「お店の後でいいかな~」という表面的な言葉で殺されるようなものじゃない。
そうではなく、コルルさんが、その子の感情を殺そうとしなければ、
その子は、いくら、後でね、と言われても、感情は流れ続けているだろう。

「後でね、と、毎回ですよ、毎回、言ってるんですけれどね。めげない、っていうか、
女の子は強いわ~。で、上の男の子なんて、はい、ああ、でおしまい。ぜんぜん、
女の子のほうが、考えている。息子なんて、こんなこと言うんですよ、なんか話さなきゃ
だめなの?ですって。だめでしょー、ねえ、話さなきゃあ」

笑ってしまった。コルルさん、やっぱり話すの好きなんでしょって。
話長いの私かな?なんて笑っておられたけど、この、「だめでしょー、話さなきゃ」と
そう言うコルルさん、ほんと、正直な人だ。

「後でね、って言われるの、覚悟で毎回やっているわけですよねぇ」
と私が言うと、「ほんと、そうですよね?ほんと!」ってコルルさんは言う。

コルルさんが、毎日、なぜこんな楽しそうなのか、
それは明確だった。感情のままに生きているからだ。
そして、話とは、コルルさんにとって、「感情」の疎通であって、
いや、ここは違うんだ、感情は疎通の必要がない。
お互いが感情が阻害されさえしなければ、そこに、一切、無理がない。
たとえ、矛盾やトラブルがあっても、それで、感情が殺される、己が殺されることはない。
それでも感情は流れ続け、次から次へと対処していく。全身全霊で。
それが「生きている」ということだろう。

私が今日、見え方が変わったのは、
言葉の立ち位置と、感情の立ち位置が逆転したことだ。

実は、この現実世界で見えているのは、
感情の世界であった。

しかし、私は、ずっと言葉の世界だと思っていた。

コルルさんのような人は、たぶん、ずっとそうやって
感情の世界を生きてきたのだと思うから、
たぶん、私のような言葉の世界は、逆に、「えっ?」って
感じだと思う。それほど、世界の見え方は違っていた。

関心地図は、どんな時にもできる。

というか、私たちは、つねに関心地図の中を生きていて、
このただただ流れゆく事象を休みなく目にしている。
ところが、流れゆくその事象を元に、いろいろ連想してしまう。
その連想の中でも、どうしても囚われてしまい、連想でなく妄想世界に
なってしまい、別の人格が猛威を振るうように仕組まれたのが
AC人格という毒親が計画し、植え付けたものだ。

しかし、今、私は、この中心の「重力」が増えた、ということかもしれない。
この重力を増すのに必要なのは、私は、AC人格を絶対殺す、という
その絶対たる意志以外ない、と確信している。

この流れ去る景色を、私という電車の席で、それが遠ざかるのをただ見ていることが
少しずつ、本当に少しずつだが、出来るようになりつつある。

マシンガンのようにしゃべった今日は、
そういう一日だった。

2015.12.25
あび

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by jh-no-no | 2015-12-25 23:56 | リハビリの巻

AC人格をズタズタにする

AC人格をズタズタにする。

そういうタイトルで、今日は、書いてみたいと思う。

昨日、私は、6時間、私にとってはとんでもなく長い時間、
AC人格の「濃霧」の中を疾走していた。
疾走しているのか、墜落しているのか、それすらもわからない中、
6時間の濃霧を抜けた時、あるいは、抜けることを決意した瞬間、
このリハビリの終着点が見えてきた。

リハビリの終着点。それは決して終着点ではなく、
ある一つの通過点、ターミナルのようなものではあって
通常の「駅」、停車場としての駅とは違う。

持てる最大速度で着地した瞬間に、
一気に「飛躍、離陸する」という見た事も聞いた事もない
私が計画したターミナルが、リハビリの終着点であり、
私は、その最高の瞬間、2016年1月1日、私は、自分で決めたように
そこから「飛躍」していくことになる。

つまり、リハビリの終着点とは、
何かがわかる地点でも、できるようになる地点でも、
誰かや、また私からも評価されるような地点でもなんでもなく、
私に課せられた課題、リハビリの主題は、

「そのまま、最大の速度を持って、突っ込め」

なのだ。ただそれだけだ、このことを痛烈に「思い出す」のに、
私は、昨日、6時間の濃霧で苦しまねばならなかった。
苦しむ・・・この言葉ほど私は、自我復元で経験した宝はない。
自我復元の宝は、誰にとってもそうなはずだが、
「本当の苦しさ」をまさに生きる経験をすることなのだが、
前回も書いたように、「それを私が望んでいるんだ」と気づくまでに
とんでもないいばらの道を歩くことになる。

この身体も、そう。例外は一つもない。
私というすべてのパーツは、それを望んでいる。
昨日私は身体と話した。
「おう、いこう、いこう。やってみよう。体調悪いけど、
オレ、やるよ。いこうぜ、あび」と彼は言った。
いつも、そうだったのだ。誰もが応援していた。

しっかりしろ、あび、と。

AC人格との闘いは、現実との直視それ以外なにものでもないけれど、
たった一つ、背中を押すものがあるとすれば、私にとっては少なくとも
この「しっかりしろ」がすべてだった。
最初から最後まで、ずっと、「しっかりしろ」と私は自分に言い続けてきたし、
昨日の6時間の濃霧の中、私は、同じように言い続けた。

毒親がしたいことは、たった一つ、
私たちに「好きなようには行動させない」ことであり、
その動機は、本人がそうさせてもらえなかったことの代理復讐である。
これをとことん見抜くのが、私がやってきたAC人格分析であった。

そして、最後の難関は、見抜くことで終わらずに、
毒親のその狙いを「ことごとく打ち破る」こと、つまり、
本当に、好きなように、動けるようになるか、
これが、とんでもなく難関なのだ。

私はAC分析をすれば、なんとかなるんだろうな、と
それこそリアリティーのない思いを、かつては、持っていた。
そのぼんやりさは、自我復元前と何も変わらない希釈さだった。

桜の間でも何度も書かれてきたことだけれど、
AC人格は当然、掘られるたびに、あの手からこの手へと
やり方をかえ、いかなる手をつかっても、私を変えさせないようにする。
その姑息さ、その狡猾さは、この世のもっともおぞましいものだった。

そして、このAC人格がついに手がなくなる頃になると、
最大のあがきをする。私は、昨日、その経験を「凝縮した」濃霧を体験し、
この今までやってきたAC人格との格闘がどういうものであって、
そして、これは、これだけは絶対に言いたいのは、
「AC人格には、私という存在は、絶対に負けない」ということだった。
今、負けなくなったのでも、これからそうなるのでもなく、
ただの一度も、AC人格に負けた私など、どこにもいなかった、ということだ。

それを、この身体が教えてくれた、と言ってもいいかもしれない。
身体側が、私の意志に背いたことなど、ただの一度も、本当は、ない。

思えば、今までも、私はここPCの前に座り、
苦しみが最大になるような時、そういえば、ふと、自分の手を、
目に映る自分の身体の一部を目にしていた。
冬は手がかじかみ、皺がより、年寄りのようで、手は怯えていた。
そう見える手であり、自身の身体であったが、
今思えば、私を応援していた。「しっかりしろ、Aby」と。

AC人格の目的は、毒親の思惑のことであり、
それは、「私に自分自身の行動を普通にさせないこと」ただこれに尽きる。
だから、目的は、何かすごいことや気づきを得ることでも何でもなく、
普通に、子どもがそうするように、普通に話し、動き、メールを打ち、
食べ、笑い、泣けばいい、その人間として当たり前の能力を、
普通にできるようにすること、であるから、だからこそなのだが、
ACが最後の最後にできる最大の悪あがきは、
ACこそが「なりふり構わない、みっともなく、品というものからは
最も遠いところにある」行動をとる。どんなに卑劣であっても、ACはやる。

それは、とても、直接的なものである。

「私が行動する意欲を根こそぐ」

行動をさせない、そういう精神状態にさせさえすればいい、
という見栄も外聞もない覚悟で「本気で」ACは闘いに臨んでくる。
そして、実は、これは、最後にそうなのではなく、最後はただ、ACももう
恰好などつける鎧がないものだから、動機丸出しの素っ裸で突っ込んでくる、
というだけであって、今までもずっと、ACとの闘いとは、こうだったのだ。
いろいろあったけれど、どこがつねに難関だったか、といえば、
私の生体反応がなくなり、ゾンビのようになっていく時に、
「こうすれば楽になるよ」というその手立てこそが、罠であり、
毒親からの洗脳、そして、私がそこに甘んじた飴であり、それを手にすれば
楽になる、このゾンビから抜けられる、そう思ってしまう時に、
その「飴」に手を出さないか、そこが誰にとってもそうなはずだが、
ACとの格闘の最大の難関が毎回待ち受けている。

私は先日も、なぜ、今もだが、
闘い続けてこられたのか、闘い続けていられるのか、
自分でわからない。最大の自虐趣味でもなければ、手を出さないのが
自我復元ではないか、と、そのように「AC人格」は理解する。
だから、私は、正直なことを言えば、相当馬鹿なAC人格で後のことが
計算できなかった(そのくらいACの私利私欲にまみれていた)から、
私は、自我復元という「大事故」に遭遇した、今となれば、「出会えた」ことになる。
予想外のことなのだ。

ところが、これは自虐趣味でもなんでもなく、
これこそが、私が望んでいたこと、望んでいたすべてといってもよいものだ、
ということを、とんでもない地道さで、一つ一つ、理解していく。
私はいまだにこの奇跡的に歩いてきた道を自分で理解できないし、
正直、理解することもないのかもしれないが、ただ、ふと思ったのは、
桜の間、たくさんある桜の間の記事のなかでも、もしも私が死後、
ああいうことが書いてあったな、と思い出すとすれば、

「リアリティー」

これだと思う。

こうも考えられる。私は17年くらい前に、無明庵の書籍と出会い、
性に関する書籍に入る前の書籍を読んだのだが、
私がそこに見たのも、その「リアリティー」だったのだと思う。
ただ、私は、そのリアリティーから逃げることをその当時は選んだし、
遡れば、そのリアリティーから逃げることが動機で、無明庵の書籍に
手を出した、というのが、もう、こう書くと、最初からずっとAC人格の
動機にまみれた行動の結果、無明庵に出会うという「大事故」が発生した。

ただ、運がよかったのは、というか、相当に私のACは盲目なほどに
欲深かったということなのだが、書籍に「やることをやってからだ」と
書かれていて、ああ、そうだ、やることをまずやろう、と
書籍の向こうの「悪魔の顔」としてのリアリティーから、そうやって逃げた結果、
私は、Pとの人生に、すべてをかけることにした。

私は生まれてはじめて、自分の生を
これにかけよう、すべてをかけよう、と思ったのが、
Pとの関係だった。

あいにく、私はへんにまじめなところがあるから、
それは徹底的だった。Pに尽くすに尽くした。
20年近くかけて、そのプロジェクトは、不満を残しながらも
「完了したかのように」思えた。完了したと言っていいだろう。
自我復元に出会わなければ、それはほぼ完璧だった。毒親の完全犯罪と同様に。

本当に大馬鹿なAC人格は、手を出さねばよかったものの、
自我復元に手を出した。それは、2013年の1月、今から、3年前のことだった。

当然、そうやって作ったPとの城だったから、
まさか、これが崩されることなど、予想もしなかったし、
もしそうと、最初からわかっていたら、「絶対に」と断言できるが、
私は、自我復元だけは、やらなかったと思う。
それほどに、私はその前の20年も含めて、すべてはPのために尽くす人生に
40年という年月、年月だけではない、考え方、価値観、やってきたことの意味づけ、
それらすべて、それは、私自身そのものだったが、それらを人生につぎ込んでいた。

そして、「死」を宣告されたのが、
このすべてを投入したすべての過去だった。

リアリティーのことを書こうとしていて、
こんな話になってきてしまったが、
わからないけれど、この「リアリティー」を突きつけられること、
そうだ、突きつけられるだけじゃだめで、私は、そのたびに
猛烈な恐怖を、生まれてはじめて、経験し続けることになった。
それほどに、私の育った家庭とは、「飴」しかなく、
私は、「苦しい」と感じたことがなかった。
もちろん、それこそが「無自覚AC」のなんたるか、であり、
この麻痺の程度は、今思えば、「最重度」の大病人だった。

私が思い出したことというのは、
いや、思い出した、というのでなく、麻痺している
その感情としての「恐怖」を、実は、これを
私は感情だとすら、認識することがなく、自我復元を続けた。
認識できないほどの人間にさせたことは、毒親の大成功と言えるものだったろう。
恐怖を「自分のもの」とすらの認識がなかったのだから。

ところが、本当の意味で、毒親の「誤算」が生じたのが、
AC人格分析の段階でなく、AC人格との格闘からだった。
というのも、今思えばだが、ここに待ち受けていたのは
「経験」という現実であったのであり、今までの格言世界という
非リアリティーの世界とは、違った、ということなのだ。

・・・だんだん書いていて、ああ、そうだったんだ、と
自分でもわかってきた。もう少し、書き続けてみよう。

そう、恐怖が「現実」となったこと、
私の身に私の心に、実際に押し寄せるものになったこと、
これが、リアリティーを「本当にリアリティーあるもの」にした引き金だった。

リアリティーの徹底こそ、
ここで経験できた最高の宝だったと
私は言い切ることができる。

なぜなら、この3年間、私は3年経って何かができるようになったのではない。
表面的にはそう見えるそう感じることがあるかもしれないが、
自我復元のすごいところは、そして、おそらくそれ以外の自我復元なら
自我復元ではないだろうことの特徴は、実は、このACまみれの3年の間ですら、

実は、

「私は生き続けていた」

ということだった。

息吹を、呼吸をはじめたのが、今になってからなのではなく、
その最初、自我復元をやろう、やり遂げたい、とそう意志したその瞬間から、
「私」という私は、「生き始めていた」のだ。
だからこそ、はじめて、吸い込む空気、だからこそ、それを吸わせまいとした毒、
それに直面するたびに、私は、苦しい、苦しかった、と少しずつ、本当にこれは
とんでもなく長い道のりだったが、「苦しい」を自分のものにしていった。
それは、まぎれもなく、「生きている」証拠だったのだ。
それは間違っておらず、至るところもまた、苦しくて楽しい、だったし、
それは矛盾でもなんでもなく、私が本心から「楽しい」を最初に理解することが
あるとしたら、「苦しい」という感情、感覚、それ以外、ありえない。

なぜなら、

それだけが、

私がずっと声をあげてきたリアルだからだ。

「私(という主体)」は、それしか、言ってこなかった。

「苦しい、苦しい」と、言い続けていた。
それだけがリアリティーだったのに、私はそれを無視し、
毒親都合の人生に甘んじ、奴隷となり、配られる飴で妥協し、
ゾンビのように生き延びるだけの生を、「これでいいんだ」と思いたい、
それだけに費やした人生を送ってきてしまった。

ほんと、それだけだった。
私(というAC)がやってきたこと、というのは。
その集大成が、私がもしも先に死んだ時に、と書いた
P宛ての遺書であり、私は、そうやって死ぬつもりだった。
契約上、それで実はよかったのであり、その契約に最も適するがごとく
最適な「毒」を選んだ、それが、毒親である。

その私が、12月22日だったと思います。
その苦しい、と言い続けた私の中の「子ども」が
ようやく、満面の笑みで、笑ってくれました。
やあ、と言っていました。その笑顔をもって。

今、私は、はじめて、といっていいと思います、
私の自分のブログ、最初に書いた頃の復元ブログを
3つ、4つ、読み返してみました。

2013年7月6日は、私にとって、復元ブログを書き始めた、
という、この3年、一度も忘れたことのない日付でしたが、
それが、この記事です。

自我復元を始めた理由 - 2013年7月6日
http://mmjhb11.exblog.jp/19220845/

続く2つの記事です。

「無明庵との出会い」から - 7月10日
http://mmjhb11.exblog.jp/19234426/

おしまいにしたい、という妄想 - 7月13日
http://mmjhb11.exblog.jp/19257002/

ようやく、この離発着のターミナルにたどりつきました。

この3年、ここで書いたことを「現実」にするために、
私が自殺をしながら血みどろになってやってきたことが、
「実体験として、経験をする」これに尽きる。
格言世界でなく。「本当に」「救出する」ということ。

これが、私がこの自我復元という戦場でやってきたの
すべてです。

昨日、私は、6時間の濃霧をさまよった。

自我復元をはじめてから、体調を崩すことはめったになくなった。
おそらく医者にいったのは、2年くらい前に1度だけだろう。
11月ごろになると、乾燥し、私は喉が弱いために、そこから菌が入るのか、
誰よりも早く、風邪をひく。自我復元前は、しょっちゅうだった。

数日前から、このめったにない体調不良に襲われた。
体調は最悪だった。かつ、睡眠もほとんどとらず、座っているだけで
寝落ちしてしまうほどの状態だった。

毒親の毒で、ひとつ書いておきたいのは、
私は小さい頃から、こう言われてきた。
体調を崩して、熱を出したとき、
その時だけは、「わがまま言っていいよ(わからんちんはダメだけどね)」
というやつで、これは、以前にもブログで触れたことはある。

わがままとは、親ができる範囲の好き勝手のことで、
わからんちんは、親に負担のかかることになるわがままのことらしい。
今思えば、病気でなくても、わがままどころか、わからんちんで生きるのが
子どもなのに、この毒親は、最低の親だった。

しかし、その毒は、ずっと残る。

こんなこと、といえばこんなことだが、
この体調絶不調のさなか、私は凍らせていた「バナナ」が食べたかった。
私は最近、3食から2食に変えていて、砂糖を入れたハーブティー他お茶以外は、
間食はしない、と決めている。

しかし、私は、このように体調が悪いと、
「今日はしかたない。特別だから。バナナ半分くらい食べてもいいだろう。
むしろ食べたほうがいい。身体が求めているんだ」と自動的に思ってしまったのだ。
こういうことは今までもあり、それはしかたない、と思いこもうとしていた。
間食をしない自分ルールにしてからでも、体調不良や極度な睡眠不足の時は、
栄養をとるためにも、しかたない、としていた点があった。

今回も、そこに直面した。

食べていいよね、と。すると、空腹感というのもここに加勢する。
おなかもすいてきたし、ここで我慢するのはつらいな、と。

私は冷凍庫からアルミホイルに巻いたバナナを手にし、
ホイルを剥き始めた。が、それはしまうことになる。

親がずっとそう言ってきたことを思い出したからだ。
いや、それも知らなかったのではなく、ずっと知らばっくれていた。

そして気づいた。

ここで食べたら、実は、それは、
この体調不良、というか、「そうさせているAC」、もっといえば、
「体調悪いな、つらいな、と思わせているAC」を認めてしまうことになる、と。

「身体が」つらい、と主張しているのではない。

これは今回、新たに発見した事実だった。

「私の中のAC人格が」「つらいと思っている」のだ。

身体は、身体なのだ。

私という主をもった「身体」という存在だ。

そこを、勘違いさせて、
あたかも、ここでバナナを食べることが、
身体からの声をきいているんだ、かのような錯覚をさせる。

身体は、そんなこと、何も言っていないのに!
むしろ、私の戦友として、いつでもスタンバイしてくれているのだ。

ところが、こうやって錯覚させることで、毒親は、
私が、熱を出し、横たわり、「動けなくなっているのを」
それこそ悪趣味に、「喜んでいた」わけである。
しかも、猛毒の格言まで飲み薬に入れて。

このあたりから、ACの「猛あがき」が始まった。
「あび、いつまで、耐えられる?睡眠、体調、空腹、つらいだろう?なあ」と。
そして、ACの思考パターンも、ここぞと入ろうとする。
私はどんどん生体反応を奪われていこうとする。いこうとするのだ。
だけれど、今の私は、奪われていこうとするこの連続の瞬間を感知し、
選択を迫られる、という、きついけれど、そこを自覚できる状態にある。

自分は今、ゾンビなのだろうか、それとも、
ならずに持ちこたえているのだろうか、
持ちこたえている、持ちこたえている・・・

昨日の6時間の濃霧だ。

いつ抜けられるかもわからない。

しかし、6時間が経過し、それは具体的には、「もうすぐ(仕事の)休憩時間だ。
ご飯が食べられる。早く食べたい」という、さりげなく思っていた期待に気づき、
私は、これを「拒絶」した時点で、私は出口(という妄想)がなくなり、
完全にこの濃霧が「出口を捏造しない、リアルそのものとしての濃霧」と自覚した瞬間、
私は、この濃霧を抜けた。時計をみた。6時間が経過していた。

私は、そういう食べ方をもうしたくなかった。
そういうことを、この頃、真剣に考えていたし、
そういう食べ方だけは、絶対に嫌だった。

具体的な出口は、今思えばそこだったのだが、
私が今、というか、この投稿を書こうとした思いは、
それはあくまで、結果論として、そういう出口だった、ということであり、
それほど、「重要なこと」ではない。

私がやったことは、AC解除のための分析でも、その分析から格闘したのでもなく、
私は、ただ、耐えた。しっかりしろ、あび、と。
それは、着陸間近に、濃霧かつ暴風雨の上空に入り、視界ゼロ、機体は大揺れ、
しかし、その時に出来ることといえば、手にしている舵を、
ぎっしり持ち、目的の方向のまま、持ちこたえることだった。

そして6時間の末、理解したことは、
「やはり、抜けられた」ということだった。

何かを理解したからではない。
食べ方がどうの、でもない。それは最後のきっかけだったかもしれないが、
6時間というのは、そんな手品のようなもので晴れる霧ではない。
それは、自我復元という気が遠くなるプロセスがつねにそうであるように、
突然として起こったとしても、突然として起こるマジックなどどこにもない。

AC人格は、負ける運命にある。

これが正しい。

生において、AC人格が勝つなどという偶然すらありえない。
なぜなら、最初から勝ち続けていたのが、「私」であり続けているからだ。

濃霧を抜けると、しかし、思う。

どうして抜けられたのだろうか、と。

抜けられたことを奇跡的に感じるとともに、
なによりも、その濃霧で踏ん張っていた6時間を
誰よりも誰よりも深くかけがいのないものに感じる。

これを幸福と言わず、何を幸福というのだろう。

そして、もう一度、顔をあげ、決意を新たにするのだ。

「とまるな。最高速度で着陸せよ」

リハビリの目的である。

そして、着陸は、即、最高速度で飛び立つ飛躍である。

その後のことは、知らない。

ただ、私が生き直したこの生の、終わりであり最初は、

「ぶっ突ききれ」

の一言しかない。最高速度で、だ。

毒親にとって、最大の敗北である。

動かないように、行動させないように、と洗脳した毒親にとって、
それは、どんなに屈辱的なことだろう。

それは、私を内部から蝕んだAC人格にとっての
最大の屈辱である。


2015.12.24
あび

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by jh-no-no | 2015-12-24 14:27 | リハビリの巻

よし、ご飯を作ろう!

私は今、瞬間、瞬間が楽しい。

これを実は、支えてくれているのが
身体なんです。

身体の声を、今、生まれてはじめてきいている。

「頑張れ」と。

それは、私のために言ってくれているとかでは、
まったく、ない。

身体が身体としての生き方をしたいんだ、
今のあびなら、やれるだろって言ってくる。
そして私は答えるのだ。

やれるよ、やるよって。

身体は死ぬ覚悟なのだ。

それでも、身体は身体として
まっとうしようと必死な思いを貫いていて、
私は、今、これを裏切ることは出来ない。

そう、私は、今、何もかもを裏切ることができない。

絶対に出来ない。

すべては何かのために存在しているわけではなく、
ただ存在している。

どれもが、必死なのだ。

1秒、いや、0.5秒、0.1秒、つねに真剣なのだ。

あと1秒で死ぬとしたら、と問うのなら、
あと0.5秒で死ぬとしたら、と問うべきだし、
あと0.1秒で死ぬとしたら、と問うべきだし、
即死するとしたら、と問うべきだ。

問いたくなくても、問わねばならない。

私は、それをし続けなければいけない。

私はこれからは、物を食べる時、
そうやって食べていくことにした。

何でもそうだ。

「そんなことしていたら、味なんかないよ」って、
言ってくる。そんなことしたら、くつろげないよ、
そんなことしていたら、頭がおかしくなっちゃうよ、って、
余計なお世話が入ってくる。

食べる、ということは、
味とか気分とか満腹感とか空腹感とか
そういうことの「代わり」にする行為とは
私は思わない。

「食べる」ことを、ただただ、経験すること。

私は、今までいかにつまらない食べ方、
食べ物に失礼な食べ方をしていたかを痛感した。

精一杯、向き合い、食べる。
「味わおう」などという余裕が、いったい、その時、
どこから入りこむ余地があるというのだろう?

これから食事を作って食べる。

私は、自分が宣言した通り、
食べるんだ。

食べることが、本当に好きになれたんだ。


2015.12.23
あび

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by jh-no-no | 2015-12-23 14:32 | リハビリの巻

私がやっていきたいことは何か

リハビリの巻も残すところ、あと
10回となった。あと、10回かぁ。
まだ終わっていないのに感慨深い。
そして、私だけが、だが、楽しみだ。

昨日のことから書いていこうと思う。

昨日はとても大事な一日だった。

私は、このPCとモニターを買ったお店に行き、
今年、このPCとモニターに出会えたことの想いを
お店に行って、伝えたいと思い、秋葉原に向かった。

伝えたい、といっても、お店の人に伝える必要はなく、
そこに行って、「ありがとうございました」と頭を下げるだけでよく、
そうしたいと思っていた。

目的はもう一つあって、そろそろ体験版のセキュリティーソフトの
期限が切れるから早めに購入しておこうと思って、PCを買ったそのお店に
行くことにしていた。年内に買おう、と思っていたので。

モニターは、実は、ネット通販で購入したのだが、
その際に「ああ、この通販元の会社も秋葉原にあるんだ」と知っていたので、
昨日は、駅としては一駅歩く感じになるが、末広町近くにあるそのネットショップの
棚卸拠点の店舗にも、「あいさつ」をしたいと思っていたので、まず、そこに向かった。

秋葉原はまったく知らないところで、
こうやって一駅歩くと、表向きの表情でもいろいろ見えて楽しい、というか、
きょろきょろしてばかりだった。こういってはなんだけれど、
偽物だらけのものがたくさんあって、ふと私は、子どもの頃、
こういう偽物だらけの世界に、それは親の仕事柄だったと思うが、
よく出入りしていて、へんに懐かしいものが、あちこちのお店にあった。
子どもの頃、そういうのがおもちゃのように面白くてワクワクしたのを思い出したが、
今は、まあ、ワクワクはしないなあ、と思いながら。
それでも、こうやって秋葉原を、おそらく外側の世界としては年内最後になると思うが、
一年のしめくくりの行動をすることは、わりと楽しかった。

モニターを購入した棚卸ショップにつくと、
それこそ棚卸ショップ、といった感じで、商品を見る感じではなかったが、
お店に入ると作業をしていた方が声をかけてくれて、簡単にここに来たいきさつを話すと
「そうですか。何かありましたら、おっしゃってください」と気さくに答えてくださった。
といっても、まわりは商品の段ボールばかりなので、とくに見るものというのはなくて、
私は「ここからあのモニターは来たんだな」と思い、眺め、そこを味わうように体験し、
それから、その方に、「また、お世話になるかもしれないので、その時は
よろしくお願いいたします」と声をかけ、お店を出た。

PCを買ったところのお店は秋葉原駅の近くだったので、
また駅に戻るように、道々、時々、お店をのぞいた。
クリスマス前、ということもあるが、ネオンの装飾品が売っていて、
私は、子どもの頃、ああ、こういうの好きだったなあ、とそう、今思えば、
ずっと思い出さなかったことを思い出した。
照明専門のお店も多く、それはインテリアとしての照明ショップではなく、
いわゆる、こだわりの電球ショップである。

お、と思った電球ショップに入ると、私が目に入ったのは、
電球に色が塗ってある電球がたくさんあった。
緑や黄色、オレンジ、なんだか、毒々しい色なのだが、
私が小学生の頃、豆球に色付きのものが売っていて、それを買って、
電池につけて遊んだ。この色付き、というのが、その当時、私は魅かれた。
そういうことを思い出しながら、駅へと向かった。

そのPCショップは、ここで買ったから、というのもあるのだけれど、
それだけでなく、セキュリティーソフトと、あとそのお店にあるなんでもいいから
一品、LANケーブルでも何でもいいので購入すれば、お得な値段で買える、というのも
あって、そこで、買おう、と決めていた。

私は、いわゆる雷サージ対応のコンセントを買おうと思っていたのだが、
ここは、ある意味、専門的なPCショップなので、一般的にありそうなこういうのが
実はない、ということになり、じゃあ、何か、せっかくだから、数階に渡るこのショップを
見てまわって、欲しいものがあれば、ということにした。

・・・のだが、結果的には、欲しいものがなかった。

で、結局、いろいろ教えてくださったその店員さんには、
「いろいろ見てみたんですけど、欲しいものがなくて・・・
無理しては買いたくなかったので、今日は、やめておきます」と話すと、
私のその思いは、正しく伝わり、「そうですよね。またぜひ」と言ってくださった。
私は「また来るかもしれないし、わからないのですが、うん、これからですから」と
こう書くとよくわからないことを言っているようになるが、お互い、それで通じ合い、
私は、これからもこのお店を楽しみにし、きっと訪れるだろう。

ちなみに、その店員さん、驚くべきことに、
2ヵ月以上前に、まったくPCのことがわからない私が、
この、しかもOJT専門(PCをそこで組み立てて売っている)のお店に飛び込み、
結果的には、そこで買うことになるPCを最初に説明してくれた方なのだが、
私のことを覚えていて、それに私はびっくりした。

そういうお店だった。入り口を背に、私は「ありがとうございました」と頭を下げ、
無理して何かを買うことなくお店を後にしたことが、嬉しく、家に戻ることにした。
効率的じゃないよねーと思ったけれど、それもよし、だ。
効率的かどうかとくよくよしているのが、効率的じゃないんだよ、だいたい、と
自分に突っ込みを入れながら。

話は変わるが、一方で、効率的にやるべき時、というのがあって、
WMさんからメールで雪国情報をいただきながら、身支度をはじめているが、
相変わらず通販サイトであれこれ悩む私だったが、昨日も、さくっと決めることにして
一つ商品を注文した。

考えてみれば、こうやってさくっと決めて買っちゃえばいいじゃん、というものを
私というAC人格は、くよくよ非効率的に買えずに時間を食いつぶしてきたし、
また逆に、PCショップでのように、やはり、どんなに時間をかけて悩んでも
買ってはならないものを、「でも、せっかくだし、これも、縁だ」とかいい加減に
買っては納得しようとしてきた人生だった。

逆なんだなって、思った。

今、「初身」となずけた私がほしいものについて、
また別な方とやりとりをしているが、私は、ここでも
新しい自分を訓練していきたいと思っている。

ここまでの話は、それほど書くつもりではなかったが、
書いてみると、なかなか、いいものだな、と今感じている。
こういうことを「くだらないことだ」としないようにしたい。

さて、ここから、本題に入る。

私は、数度、PCのためにこの秋葉原に足を運んできたが、
私が、毎回、誰もがそうだと思うが、目につき、ここに行くたびに
印象に残るものがある。

メイド喫茶だ。

正確には、道で呼び込みをしている「メイドさん」?を
毎回毎回目にしてきて、私のここの記憶は、PCとメイドさん、と
いうことになっていた。

まず2つ書いておきたいのは、
1つは、私は、ネット情報レベルですら、メイド喫茶について知らない。
メイド喫茶、という言葉しか知らない、と言ってよいくらいで、
これから書くのは、知っている人からすれば、馬鹿じゃないの、と
思われるのを前提に書いていきます。

もう1つは、正直、ああいう人の服装、というか、
ダイレクトに言うと、この寒いのに、短かすぎるスカートで
素足を出しているメイドさんだが、私は、ん~、こういうの好きか、というと
?なのですが、ただ、言い訳をせず、まず言っておくと、
なんとなくエッチで、ちょっとひかれます。
だって、もう少しでパンツが見えそうな短いスカートはいていたら、
誰だって(たぶん)、ちょっと反応しませんか?

というところから、まず、話をスタートします。

まず、昨日、そこに行く前に、本気ではなかったが、
「メイド喫茶って、一度、行ってみるのも面白いかも」なんて考えてみました。
そう考えてみる、というのも今まで罪悪感のようなものがあって考えもしなかったのだが、
ただ、こう考えてみると、行きたくないのでした。

なぜか、なのですが、

おそらくその時も感じたことと思いますが、
どうも、私は、そこで何かを食べる、飲む、ということが嫌だった。
逆にいえば、なのだが、そこで何かを食べる、飲む、というのがいい時間だ、と
私が感じるだろうそのような妄想世界が、私の頭の中にはあって、
それが、「メイド喫茶」だ、という、こう思いたい妄想がある、ということ。

ところが、実際に、メイドさん(←こう呼ぶかすら本当は知らない)を見ると、
まったく食べたくも飲みたくもなくなる。
行きがけに、道々、ちらっとメイドさんを見たけれど、
どうしても、メイドカフェというところで、何かを食べたり飲んだりする自分を
想像するだけで、とても嫌な気持ちがした。

こういうところで持ち出すのは、崩残さんにも失礼なのですが、
この私の気持ちを記述するために書かせていただきたいのですが、
少し前の投稿で、ロールケーキの話題があり、逆光でとった暗がりの写真が
ありました。私は、あの逆光でとることによって、暗く印象に残った「クリーム」が
とても甘くて美味しそうに、今も、思い出します。
わかりませんが、普通にとると、黄みがかったスポンジ部分を見なければならない感じが
してきて(強制的に、誘導的に)、しかし、ああやって、暗く映ると、なんとも
クリームそれ自体の持ち味が、持ち味として、それこそ喜々として顔を見せてきます。

それで、私は、この白くて甘い美味しいクリームのロールケーキが
お皿に乗せられ、もしもこのメイドさんが、こうやって私に出してくださったら、
私は、このロールケーキを美味しくいただくことができる、と思ったのです。
それはこうです。

「こちらは、森のロールケーキでございます。この、(白い)クリーム、甘くて
美味しいクリームです。ごゆっくりどうぞ」

と、そこで大事なのは、この文言ではなく、そのメイドさんが、絶対に、
私のほうなどを見ず、このロールケーキだけを見て、まさに、
このロールケーキに尽くすように徹底し、「どうぞ」とテーブルから離れていかれる、
のなら、私は、このロールケーキを食べたい、と思ったのです。

私のほうなんか、見ちゃだめなんです。

それが、ロールケーキに対する当然の接し方だからです。

そして、私も、ロールケーキを食べにきているのです。

まったくメイド喫茶を知らない私だからこその妄想なのは、重々承知の上ですが、
私は、メイド喫茶とは、こういうところであってほしい、という心の奥のほうの
妄想がありました。

ですが、実際は、どうでしょう。

実は、私は帰り際、いや、そうだ、ここは30分でも呼び込みをしている
メイドさんを見学してから帰ろう。何を見るかといえば、服装だった。
または、お化粧の仕方や立ち振る舞いすべて。何が、そこで食べたくないと
感じさせるのかを、実地で調べることにした。まるで年末自由研究の気持ちで、
駅に戻る私は、Uターンし、繁華街に戻っていった。

まず思ったのは、この人たちからは「個性」が一律感じられないことだった。
つまり、服装をとっぱらったら、無個性しか残らない、そういう感じがした。
実際その人個人が個性があるかどうか、というより、一律、服装を取り除けば、
「私、個性がありません」と自分から言って呼び込んでいるとしか思えなかった。

それだけ、服装に、私も目がいっていた、ということでもある。

そう思えば思うほど、メイドカフェで、なぜ飲食をするのか、わからない。
何も面白くない(だいたい、メイドカフェって、飲食する喫茶店というイメージ自体、
間違ってないか?と思うようになった。ただのネットカフェ風のちゃちすぎる飲み屋?
みたいな、もの?か)。だったら、一人で、ジャズの流れるカフェで珈琲をいただく
ほうが、100000倍もいい。

では、その目くらましのメイド服なのだが、
それのどこが問題か、といえば、下ネタになってしまうが、
まさに、パンツが見えそうなそのスカートと、見えすぎる足に問題があった。
服装について桜の間でも動画も紹介されていろいろあったけれど、
まさに、これは、食品を扱う場所の職業人の服装ではないのだ。
(こう思い始めた頃でした。私は、そもそもメイド喫茶を勘違いしていないか?って)

メイド喫茶が実際はどういうところかはどうでもいいとして、
もしも私がメイド喫茶をやるのなら、もしも私が女性だったら、だが、
私は、こうやって接客をする。

「森のロールケーキでございます。この、白いクリームは、甘いです。
どうぞお召し上がりください」

かな、今、考えると。で、大事なのは、服装で、私は茶褐色のロングスカートをはき、
もしも季節が夏ならば、肘くらいまでのブラウス、色はバラ色を着て、
髪は、もしも長ければ、歩いても揺れないように結わき、靴は主張しない黒の、
柔らかい素材のものを選ぶだろう。

そして、もっとも大事なのは、私はお客さんを見ないだろう。
一本のロールケーキからこの一切れを切り分けたとすれば、
その一切れは、まるで一人の子どもの魂が宿っているがごとく、
私は、それにだけ、意識が集中させられて、ただ、それの乗ったお皿から
そっと手を離す。目など相手を見ている場合じゃないのだ。
そのものとの、その実在との対面という、すごい瞬間にいるのだから。
お互いに。





とすれば、この雰囲気を壊したくない気持ちがしたので、
空欄を今上に作りましたが、とすれば、パンツが見えそうな、など
ありえないのです。食を扱う職業人としては、思いつきもしない。
パンツは下着です。それは汚いものではないかもしれませんが、それこそ
今の時代の常識からすれば、それは、少なくとも、食べ物と距離を持って当然です。
そのパンツを想起させるような、短すぎるスカートと、見えすぎる足はダメだろ、
という当然な結論に至りました。

でも、どこかにエッチな妄想もあるんでしょうね、私に。
最初はこんなことも考えてみました。
いちごのショートケーキを運びながら、いちご柄のパンツ、というのは
どういう感じだろう?本人が本気ならいいのか?と思ったりもしましたが、
ありえない、のです、やはり。

歩きながら、私は、じゃあ、食を扱う人の服装はどういうものであるべきか、
と考えると、シェフ(コックさん)の姿を思いました。
この場合、作る人、ということになるわけですが、となればこそ、
衛生的なことを第一に考えているだろうと見える、かつ、清潔感ある色、
また白だからこそ清潔感を自ら意識しようとする神経、そういう色として
白の服装で、ああやって、食べ物と向き合うのは、当然だと思いました。

本気なら、そうするにきまっているのです。
(少なくとも、今のこの地球のこの時代の常識では)

食育という考えがありますが、
今、私はそれは好きではありません。
というか、絶対に、しません。

食べ物、だけの話ではないのですが、
食べ物を通じてどうのこうの、というのは、
食べ物という「存在そのものに対して」失礼の極みだからです。
食べ物を通じて、人と人が・・・などというのは、
それこそが、エゴです。

人と人がコミュニケーションするのなら、
直接人と人がすればいい。
なのに、そこに、「食」を媒介させるいやらしさが
いやらしいのです。し、人間のことなどどうでもいいのですが、
食べ物に対して、失礼、です。

そういう人は、食べ物だけでなく、
何に対しても失礼なのだと思います。
失礼というのは礼節という意味ではなく、
存在に対して失礼、ということであり、自分自身に対しても
してはならないことだから、失礼、と言っているのであり、
もっといえば、失礼、という言葉に失礼です。
失礼なのではなく、してはならないことです。

昨日、家に帰って思い出したことがあります。

崩残さんが松の間で、
「救剣」「還剣」「拝剣」
のことをよく話されていたことを。

これは、当然だ、と思いました。

剣は、剣として存在しています。
誰かのためにいるわけじゃない。
だから、「○○してくれてありがとう」とか
「○○してくれなかったら、ちくしょう」とか
そういう思い上がりは、人間の勝手であって、
勝手というか、勘違いなのです。

剣は何もしていない。

食もそう。

何もしていない。

ここに、パンがあるとする。

これから、私とあなたが食事をする。

この時、私はパンをいただく。

あなたはパンをいただく。

それだけのこと、だ。


そして、私がそのパンを作る役にいるとしたら、
「パン」を精一杯作るだろう。
そのための服装も必死に考えるだろう。
乗せるお皿も考えるだろうし、それを誰かに召し上がってもらうのなら、
差し出し、そこから手を離すときのタイミングや、その時の意識にも集中するだろう。

やらねばならないから、ではなく、
それ以外、何をやるというのだろう?
その動機は?

そういうことを、ずっと問い続けたのが
私の自我復元だった。

そこに、どんな姑息な「毒親の思惑」があるのか、
それに毒されて生きることと、喜びというものが、
どれほどかけ離れているものであったかを、
自殺しながら知らねばならかった。

そして、それを知ることだけを
本当の私は望んできたし、これからも望んでいる。


2015.12.22
あび

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by jh-no-no | 2015-12-22 13:29 | リハビリの巻