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(後半)今、私が感じること

「(前半)今、私が感じること」の続きです。


・・・


さっき少し書いた「失敗談」について。
こんなことがあって、これは大反省した。

店長ダイレクトレターのことをみんなの前(Rさんもいる中)で、
マネージャーが発表した時のこと。
もちろん、それは、マネージャーは冗談をこめていったのだが、
「・・・でも、これ書いたの、男性なんだよね(笑)気をつけろよ(笑、笑)」
と言った瞬間、Rさん、なんていったか。

「うっげ~!じゃない。ファンかなんかのおばちゃんかと思ったら、
えっっっだよねーー!」と、言いやがった。

下品なやつ、嫌いだ、やっぱこいつ。

・・・と、実は、後で思ったのだが、その場では、イラッとしただけだったのだ。
それは、理由があって、私に問題があったのだ。

というのは、実は、そのレター実物を拝見した時に、
それが20代の「男性」であることを私が知った瞬間に、
実は、私自身、ちょっと、そう思ってしまったからなのだ。

ずっと女性をどう見るかを意識していたし、
このところ、「目を貫く」ように、特に女性のお客さんには意識していた。
というのも、先回書きましたが、胸ばかりに気をとられている私だったので、
もうそれは絶対にやめたくて、だからこそ、掘ってきたことと関連して目を見るように
特に女性には意識してきた。そういうなかで、こういう人と私はまともなセックスを
いつかしたい、楽しみたい、と思ったりしていた。

・・・でも、これは正直に思うけれど、やっぱり毒父のヘンタイ性癖は
もういらん、となっていたとしても、ちょっと、エッチな気持ちもありました。
だから、私の中で、そういう人が、もしかしたら、このレターを書いてくれたのかも!
と妄想していた。だったら、うれしいなあって。
これは確かで、エッチな気持ちはあっても、毒父の性癖で汚したくはなかったし、
私は、別にセックスしたいとかじゃなくて、そう私が思うような女性が、
性とは関係なく、その文面からも、ただうれしかったと思ってくれたことが、
直に伝わってきたから、私もうれしかったのです。それは性をこえたものでした。

と、わかっていたのに、男性、と見て、30%くらい、トーンダウンを
私がしてしまったのです。ああ、エロいこと考えていたからだよ、と思ったりし、
いやいや、性別なんて関係ない。同性にそう思ってもらえるなんて、もっとうれしいよ、
とか、頭の中でブツブツ言っている、そういうさなか、に、Rさんの一言。

私は、この時も思った。

まるでRさんは私のような人なのだ。
私のACそっくりなのだ。どこをとっても。
だからこそ、Rさん相手に、純粋に私の中のACを掘ってこれた一面はある。

それはどういうことを意味するかというと、
Rさんは、ほんと、私をイラッとさせることを言う天才ともいえるのだ。
私のAC自身なんだから。イラッとさせることこそ、特技なことはない。
ここは、というツボを知り尽くしているのだ。だからこそ、本当に苦労してきた。
同時に、私もまた、Rさんに対して、一番、Rさんが嫌なことを私はさりげなくする、
というACの醜い挙動をしては、私は、その自分の醜さゆえに、掘ってこれた。

関連して話がそれてしまうが、
なかなかAC人格の「すべての解除」は厳しいな、と今日、実感した。

今回のことで、私は「仲間外れにされる」という、結局これは、
父が自分の母親からされたことなわけだけれど、この感覚に対して、
「だから、何」と影響力を激減させたのは確かだった。

ところが、AC人格とは、それが根っこにあっても、
そこからまたさらに派生したACの挙動(習慣化された多様な行動パターン)は
身についてしまっているところがあって、今日も、ああ、これは意識的にさらに
解除していかないと、おかしいなと思いながら、どうも舵がとれないことが
続いてしまうな、ということを実感した。

実際にあったことは、逆にこういう場面があったのだ。

珍しく私は、同期の仕事仲間と話していて、その場では、Rさんが少し外れていた。
仲間はずれにされていたわけでもないのだが、私のなかのAC人格は、今度は、
Rさんを仲間外れにしよう、というか、そうなることを「しめしめ」と狙っている
AC人格というのがいる。これは自分でも今までももちろん自覚はしている。
当然、これは、自分が仲間に外れにされたという妄想に対する恨みという、
さらに屈折したACの妄想にすぎないからであり、
AC人格のあまりに典型的なものだ。

わかってはいても、こういう二次的な恨みとして自覚されるものは、
直接に自分の心を攻撃してこないから、私自身、鈍感になりがちなのだ。
つまり、悪い意味で習慣化してしまっているのだ。

ただ、これについても、また明日、今日から解除に努めていきたい。
この悪い自動的になっているような様々なACの挙動の起こりに対しても、
「相手が私を見ている」ところに意識が戻れば、おそらく、対処できそうなのだ。
これは、やっていくつもりだ。

相手が私を見ているところに意識が「戻れば」と書いたが、
私が昨日経験したことは、ここにこそ、中心があったからだ。
今思えば、新年初日のまるで生気を失ってしまったように思えたあの地点こそ、
たとえそう感じようと、「私(の妄想)が出かけていない」地点だったことだった。

ACが喜ぶようなことを一切しなかっただけであって、
つまらないな、と感じても、なら、今思えばだが、
「つまらないな」と存分に感じていればいいだけ。
そこで何も、イコール、だからダメと考える必要などなかったわけ。
意識的にひきこもっていた、ということなのだ。

相手の顔色をうかがう、というのは、
それ自体妄想なのだが、そうやって私が自分の中心から「相手(の顔色)」に
出かけてしまう。すると、私の中心は、今回理解したように、
本当は別に相手がどう私を思うとどうでもいいのにも関わらず、一方、
相手の顔色をうかがう(そっちに出かける)という自己矛盾が生じてしまうのだ。
ここに、私がずっと感じてきた違和感があるのではないかと思う。

だから、そこで、徹底的に、ひきこもる。

私は相手を見ず、相手が私を見ている、
そのことだけを、ただ、思う。
それがこの自分ルールの基本であり、すべてだった。

その下ごしらえを、初日にしていたために、
昨日、あの、ACが猛烈に反応していてよかったはずの場面で、
影響力を殺ぐことができたのだと思う。

「相手」というのは、
私に影響を与えることはできない。

影響を与えることができない、というと嘘になるかもしれないが、
自分のコントロール圏内にある、という意味においては、
影響される(舵を奪われる)ことは、実感レベルでは、ない。

相手のアクションに対して、「どう反応するか」は
自分で決めることだからだ。

相手が嫌いだ、と私に言うのなら、
それに対して、私はどうするかを自分で対処すればいいだけだし、
相手が私のことを好きだ、というのなら、
それに対して、たとえば、ああ、この人と縁を持ちたいとか、
別に私に関心がない人であるのなら、
無理に私も関心を持とうとすることなく、適切な距離で接すればよい。
ただそれだけであり、これは、自分で決めればいいだけであって、
逆にいえば、自分でこれを決める権利が奪われていた(親に奪われた)のが、
今までのAC人生だったのだ。

AC人格が舵をとっていた
=毒親が舵をとっていた
=毒親都合の人生
=不満のはきだめにされただけの私の生(=死)

実は、こういうことを、考えるに至る準備、というか、
予兆のようなものがあった。

そのことを少し書きたいと思う。

桜の間を読んでいて、いろいろ考えていたことがあった。

死んだ後、何を持ってきたか、ときかれたら、
私は、はたして、どう答えるか?

それは数日前のことになる。

私は、これに対して、その日もし死んだら、
堂々とこう答えてやる、と思ったことがあった。

それは、

今仕事ではいているスラックスの後ろポケットの黒のボタンを持っていって、
「私はこの生で、これを持ってきた」と堂々と見せつけてやるんだ、と。

今の仕事について、ちょうど一年になる。
だから、ちょうど一年前、私は、本当にきつかった。
ACとの闘いは当然きついが、さらにあの時はその時の自営の仕事をそのまま
続けても、あと2ヵ月しか、貯金を使っても生きていけない、という状況だった。

自分を裏切らない仕事を探そう、面接をしても落ちる、
猫の手でも借りたいところだからと言われたバイトにも落ちる、
お金はどんどん無くなる、焦りに焦った。

でもACには負けたくない。寒くて雨も降り、手袋がわりにスーパーのビニールを
自転車のハンドルにつけて寒さをしのぎ、そういう中で、
さらに幾度か契約で困難がありながらもやめる覚悟とやめない覚悟が交差するなか、
なんとか今のパートに採用となり、その時買った一着のスラックスが、それであり、
数か月前、後ろボタンがとれた。

私は、生まれてはじめて、針と糸を買って、ボタンをつけた。
ネットでボタンのつけ方を見ながら、ぎこちなく。
そうやって付けて、仕事で企画されたあるコンクールに参加し、惨敗し、
それでも、それを楽しみ、職場に持ち帰り、Rさんからこの仕事をそれこそ
嫌いにさせようとする圧力と闘い(当然AC人格との格闘)、今に至る。

私の人生において、この命がけのボタン、
「命のボタン」を持ってきました、という以外、何があろうか、と思った。

「命がけなんて、しかもたかがその程度の出来事、価値などありませんよ」
と言われても、私は、絶対にこう言えた。

「価値を決めるのは、私です」

と。そして、この「つまらない役人」を思いながら、正直、ほんと、むかついた。
それで思ったよ。自我復元をしてきたから思ったことだ。
本当に己を守ってきたのなら、そう簡単に、他人に「それ、価値ありませんよ」とは
絶対に言えない、と。

だから、むしろ、こう言ってやりたいと思った。

「これに、価値を感じないのですか?」

って。無二の価値を感じないのですか?って。
このボタンを見て、このボタンを手にして、心、震えないのですか?って。
本当にこれが何だか、あなた、見えていますか?触れていますか?
何かと比較して劣るとか、どうしてそう思えるのですか?
あるいは、勝るとか、それは何基準ですか?では訊きたい。あなた(役人)は、
何に価値があると思っていて、あなたは無二の価値ある経験を今していると
言えますか?言えるのなら、なぜ、このボタンがなんだかわからないのですか?
言えないのなら、あなた、私に価値がどうだとか、あなたにいう資格はありますか?
あなたこそ、もう一度、地球に戻ったらどうですか。

そもそも、あなたは誰ですか?

だいたい、なぜ、そんなこと言ったり、訊いたりあなたはしているんです?
それより、これが私の今後の希望項目です。

「私の生は、私が決めるんです。これからは」

と、私は、喧嘩腰でも、突っぱねるつもりです。
そして、スケッチブックを片手に、自分の行きたい世界を探していこう。
今はまだ描けていないけれど、それでも、今死んでできることはある。
それは、「一人にさせてほしい」と時間をもらって考えることだ。

そこで私は思ったことがあった。もし役人が、

「お前のようなやつは、真っ暗闇に永遠に幽閉してやる。ずっと一人でいるがいい」

ともしもそこに投げ込まれたら?

それに対して私は、今まで、考えたことがないことを思ったのだ。

いや、「ここはどこだ?」ということ、それと同じかもしれないけれど
今回は、もっと意識的にこの状況を想起した。

私が思ったのは、

「もしも、誰も助けてくれなかったとしたら」

ということを、その場で冷静に考えはじめる自分の姿だった。

「誰か」

という救いを外部に求めることから、そもそも妄想は展開し、
発狂もするだろうが、もしも、誰も永遠に助けてくれない、
私一人がここにいて、絶対、今後、永遠に誰も来なかったら・・・

はたしてそれは、「苦」なのだろうか、と。

当然、これは永遠の拷問だ、と考えていた私にとっては
はじめて疑問を抱き、自問したことだった。

一つ、はっと思ったのだ。

自我復元とは、まったく、「私一人」の闘いであった、と。
そして、この中心にも「私一人」しかいない。
誰もいないのだ。永遠に。十分、私にとって、最大に拷問的だったのが
自我復元であった。

となると、「私一人」とは、そもそも、苦だったか、というと、
苦であったかもしれないが、それではじめて私は「生きた」のだ。
生きた実感を、生まれてはじめて感じ、今も、それは変わらない。
今日など、中心の存在がありありと感じた時、そう、今まではどこか、
下から上を見て脳の中の中心を探るベクトルがあったのだけれど、
その違和感がぐっと減り、その中心に居る、という感覚にあった。
その感覚は心地よく、私は、仕事をしながら目をつむり、
雑音とお客さんが入り乱れるなか、本当に静かで、
ずっとこうしていたいと思った。

この感覚と、その少し前に思った真っ暗闇に幽閉されることは
どこか、つながっている。それは、誰も助けになどこないことだ。
正確にいえば、誰のところにも、また、誰にも声をかける必要がない。
私一人ひきこもって、何が問題あろうか?そこに何が問題があるのか?
不足する何かがあるとは思えないのだ。

死の本番で、私はもしもそこに投げ込まれたら、
本当に気が狂わないかどうかはわからない。
リアルなものを見ていないから。
だけれど、それでもこの自我復元のリアルは、
それを凌駕するほどのリアリティーがあるのも事実なのだ。

正直、私は寒いのも苦手で、昨日なんか、稽古前、
ダウンを着てもブルブル震えていて、もう何もしたくない、帰りたい、
おなかもすいた、この持ってきたジュース飲もうかな、やめようかな、
どうしよう・・・と妄想が起こっては、どよんとした気持ちになり・・・
こんな情けない自分、本当に、やっていけるのかな、とすごく思った。
格闘どころじゃない、って思ったりすることも、たくさん、ある。

それでも、藁をもつかんでいる自分が必ずいる。

どんな状況でも、絶対に、自分を裏切らないだろうって。
どんな恐ろしい状況でも、どんなつらい状況でも。

だって、それが、自分を売り渡す理由には、全く、ならないんだもん。
つらいよ、痛いよ、嫌だよ、だから何?
今までもこの繰り返しだったし、今もそう、だからこれからも変わらない。
自分がいない、など、もう考えられないのだ。
だって、ここにいるんだから。それ、どうしようもないことだ。

このようなことを、時間を前後しながら、思うような最近だった。

これはもっと元をたどると、桜の間で、
「自我復元の、先人の人たちに、感謝いたします」という祈りを
私は、仕事中、その日は、50分間しよう、しないわけにはいかない、という思いで
仕事をしながらだったが、祈った。

このあたりから、いろいろなことがつながってきている。

祈りとは、たしかに、相手がいないものだった。
ただただ、自分が放つものだった。
それは当然で、そこに自分しかいなかったからだ。

そのそこに自分しかいない自分が、唱える。
これは、まったくまともに思えた。
これは中心に休むのと変わらない感覚でもあった。
そこに、「その先」がないのだ。

「その先」とは何だろう?

今これは思いつつ書いているところだが、
「相手の反応」ということではないだろうか?
これをいつも気にするように、AC人格は調教されてきた。
こうしたらどうなる、こうしたらこうなってくれるかもしれない・・・

私は今でも、ブログを書く、というのが、
なかなか格闘そのものになっている。

どうしても、ふと、日常のなかで、ブログを書く文面を考えてしまっている時がある。

これなぜか?なのだ。

一方で、日記が苦しい。

なぜ、日記が苦しくて、一方、気がつけば、ブログの中身を自動的に考え始め、
脳内が「言葉」で流れている。つまり、それは苦しくない、のだ。

でも、それは、私は、嫌だ、と思っている。

ただ、今私がわかっていることは、ブログを書く、次は、
「それを崩残さんが読んでくれるだろう」という、つまり「その先」にあたることを
期待しているのだ。それは、どう言われるかとは違って、それ以前に、
自分がやったことに対して、「受けてくれる設定」を私は無自覚に期待しているのだ。

ところが、日記は、私一人で完結している。
誰にも見せない。つまり、受け手、とか、「その先」と言えるシーンがないのだ。

つまり、日記自体、私にとって、永遠に幽閉される闇そのものに思え、
これを書き続けることは、酷く拷問的に思える。
ブログはそうでないんだ、と思ってしまうところが、私は、嫌なのだ。

なぜ嫌か、というと、本当は私は日記が好きなのを
自分は知っているからなのだ。

つまり、「ブログはそうでないんだ」という妄想、さらには、そこから
崩残さんが見てくれてどうのこうの、という展開など、ぜんぜん無意味で、
だって、そもそもそれは、日記は地獄だ、といった誤認から発生した妙な希望を
ブログに託しているだけなのだから。

そこを直視した上で、私はいつもブログを書こうと思っている。
日記もそう。これは、まだ、私が未解決だ、と思っていること。
しかし、だ。この「未解決だ」というのも、また毒となるもので、
だからダメなんだ、につながりやすく、結果、それは、ブログにしても日記にしても
私にそれらを書かせないように、力を殺ぐのを許してしまうことになる。

私は、ここから出られると思っている。
いや、「出ていくプロセス」を私は体験している。そして、経験してきたのだ。
怖いのはACがいることでもACに足をひっぱられることでもなく、
その中にあっても私がいることを、私が忘れてしまうことだ。

私は祈りたい。

先を思うのでなく、祈りたい。

だからこうも思った。

もしもつまらない役人が死後ああだこうだとうるさかったら、
耳栓でもして、なんでもいいから、私は祈っていよう、それがいいって。

すごい勘違いかもしれないが、
15年以上前に読んだ無明庵の本の漫画?のシーンだったか、
死後の世界で瞑想し、祈り倒して、全部消してしまった、といった話が
あったように思いますが(話の背景はぜんぜん違うと思いますが)、
もう、そういう気持ちです。今は。

喧嘩腰にすらなりたくもなく、私はそこに中心とともに休み、座り、
祈って、一人の世界にこもって、そこからはわかりません、
たとえば、その一人の球体の中で、次の生を考えるかもしれませんし、
とにかく、それこそ、毒親に言うべきだった(言ってやりましたが)
「邪魔するな、いい加減」と言って、祈り、放つのみです。

命のボタンを手に持って。

これ以上、何を持ってこいっていうんでしょうか。
それこそ、私は、何かのコレクターのしもべではありません!って。

一つ、書き忘れたことですが、
今の仕事の主任が(前にちょっとかわいくて、と書いた人です)、
「あびさんが褒められて、私もうれしいです!」と言ってくれました。

実は、Rさんに「うげー」とか言われた時にイラっとした自分を大反省した時、
もう一度、自分の気持ちを確認してみました。私は、女の人に言われたと思ったから
うれしかったのではなく、私もそのお客さんもともにうれしかったから、うれしかった、
ということを確認した。

それで、主任と話している時、そう言う機会があったので、今度は、その気持ちを
そのまま話した。そうしたら、主任は、先のように私に言ってくれて、
その時の彼女の目は、まっすぐ、私の目を見ていました。

以前、私は、この主任から搾取の対象にされている、といったようなことを
書いたけれど、たしかに境界線がちょっと近いかな、と感じる時があるが、
私は、今は、こういう人と、仕事をしていきたいと思っている。
そうやって見てくれているんだ、とあらためて思った時、
こういう人と一緒に仕事をしていきたいと思った。
好きだなって思った。それはかわいいからでなく、今はじめて、私も相手を見たときに、
好き嫌い興味なしで考えた時、素直に、好きだと思える。

うげーとか言って、高笑いしているRさん、嫌い。素直に、嫌い。

そして、同期のUくんは、好き。時々、Rさんにひいきされているのを見て、
ACが暴れそうになり、Uくんを恨みそうになるけれど、それはACの私だから
死ぬばいいのは、私のAC自身であって、Uくんは、いつも素直だ。
さぼるのも素直にさぼる。あんなに素直にさぼったりごまかす人も見たことない。
だから、彼はいつも裏がない。見ていてひやひやすることもあるけど。
店長ダイレクトレターの件も、「ああ言ってくれる人がいると、元気でますよね」って
そう彼が笑って言ってくれるのをきいて、私は、自分が恥ずかしくなった。
Rさんを通じての妄想をUくんに投影し、今も振り回されそうになる自分が。

こうやって書くと、「自分をほめてくれた人が好き」みたいな感じになっちゃうけど、
まあ、それでいいんじゃない、って思っている。
もちろん、ほめるというのは、ACのエサのそれでなく、
自分とともに笑いあえる人だ。性別関わらずセックスしたい人だ。
私は生まれてはじめて、こういう人、好き、こういう人、嫌い、私はこういう人たちと
これから生きていきたい、なんて、今までの私が絶対にしなかった区別をしている。

今までは、私は、分け隔てなく、みんなに親切な自分でなければと思っていた。
それもけっこうできていたと思うんだ。
だって、Pや毒親たちにもニコニコしていたのだから、今思えばだけれど、
となれば、だいたいが許容範囲なわけだ。
先日も思った。Pにしても、父にしても、母にしても、兄弟姉妹にしても、
Pの親族にしても、まあ、なんて歯切れの悪い人たち、キレのない、
どんよりした人たちだったんだろうって。絶対、好きなタイプじゃないじゃない?


嫌いです。みんな。


そして、私は、私が好きな人たちと、私のことが好きな人たちと
楽しく生きていきたいし、

嫌いな人、大嫌いな人とは
徹底的に戦うなりしていって、それも、存分に楽しみたいし、

今はあまり興味がない人も、
もしかしたら、どこかで縁ができるかもしれず、切れるかもしれず、
妄想で決めつけず、そういうことも、楽しみたい。


そして、なにより、


誰もいなくていいってことなんです。



「一人で閉じている」から。



私は私が一番大好きだ。




◆参考記事◆

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S537
http://www.mumyouan.com/k/?S539



追記:

今月の終わりに、そう、これだけは書いておきたいな。

古いPCから新PCへ、データ移動など、
これだけは、というところまで、ついに終わりました。

「PCの引っ越し」

インストール?プラバイダ?のレベルの私が、
PC購入、光回線契約、データの移動、
たいへんだったけど、楽しんでいます。

17ヵ月間、セルフカットで毎月5000円を浮かして
その予算で買ったPCとモニター、キーボードとマウスです。

セルフカットもやってよかった。
自分の髪を自分で切れるなんて、最初、思いもよらなかったから。



2015.11.30
あび

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2015-11-30 14:38 | リハビリの巻

(前半)今、私が感じること

今、私が感じていることは何だろう?

中心が意識されている。

ここから始めたい。ブログを書く、ということについても。

今日は、11月の末日。

私は、こういう日にはブログを書きたい、と思っている。
それは、自分として、けじめだと思っているから。

自我のリハビリを始めてから、「新」、新しいことに意識が向く。

11月27日の金曜日は、いつも通り、稽古があった。
帰り道、私は、「今日はまるで大晦日のようだ」と思った。
夜道はどこか静かで、空気が冷たく、ただそれだけで、ただそれだけと感じていた。
それが、大晦日のようだったから、私は、私にとって、明日から、

新年だ、

と思った。11月28日は、新年1日、そして昨日29日は、新年2日だった。
一人で、新しい年のなかで、いろいろやっていた。
初日、つまり、11月28日に、私は仕事中、ある自分ルールを試そうとしていた。
それは、ふと、思いついたのだが、

「相手を見る、のでなく、相手から見られている」

というのを意識して接客に臨む、という自分ルールだった。

そして、昨日、同じルールで2日目を迎えた。

このことが、今回の投稿の中心になると思うのだが、
以下、こう感じるに至るまでに、何日か、いろいろ考えていたことがあった。
桜の間の記事は、私にとって、いつもタイムリーに課題が投げかけられ、
毎回、私は、あれこれ考えることをしてきたし、今回もそうだった。

まず、今回、私は、今まで自分の中で最も幅をきかせていたAC人格である
「顔色をうかがうAC人格」について、まったく、今まで気づかなかったこと、
考えもしなかったこと、そんな視点をもったことがなかったことに、
気づいた体験について書いてみたい。

この体験を自分でも整理してみたいと思う。

顔色をうかがう、とはどういうことなのか?

私は漠然と、「他人の目」を気にしていることだ、と思っていた。
結果から言うと、それは、違う、と思ったのだ。
いや、違わないのだけれど、私は、勘違いしていた、ということ。
この2日間、自分で設定した自分ルールをやってみたことで
その発見に自分でも驚いた。

今まで、私は、何を見てきたのか?

今まで私は、どんな妄想状態が、「常態」だったのか?

そして、私が抱き続けてきた「違和感」とはなんだったのか?

ということについて、

「そういうことだったのか」とわかった体験だった。

昨日の仕事でも、Rさん(女性の先輩)がらみの妄想が爆発してもよさそうな
そんな状況があり、まさに、それは、その時に理解したことだった。
元々は、このルールは、上司や同僚といった仕事仲間相手に対してでなく、
無数のお客さん一人一人に対して行うルールとして、2日、やり続けたことだったのだが、
もちろん、それがあったからこそではあるが、AC人格に対する私の盲点に気づいたのは、
上司や仕事仲間との間で、またもや、というか、決定的に
「ああ、自分は仲間外れにされてしまった、とうとう」と感じたその瞬間だった。

その瞬間から、わずかして、私は、
この自分ルールが自動的に作動していたために、
私の目は、「相手を見る」のではなく、
「相手から見られている」というところに意識の置き所があった。

どうだったか、というと、

何でもなかったのだ。

相手が私をどう見るか、などということは、
どうでもよかったのだ。

それは、今、そうなったとか、昔の自分でなくなったとかではぜんぜんなく、
ずっと、そうだったことに気づいたのだ。

これは、何度か、こういった感覚を綴ったこともあったと思う。
他人の目など、私はそもそもどうでもいいんだ、と。

そこなのだ。

「なのに」

私は、他人の目を気にし続けてきた、というこの根本的な

「矛盾」

これこそが、ずっと、そう、これは自我復元を始めた頃から
違和感として感じ続けてきたものだった。
どうでもいいのに、どうでもよくない、というやつ。
しかたないからやっている、けれど、しかたなくなどぜんぜんない、という矛盾。

そして理解したことは、

もうこれは、桜の間、いや、もうそれはずっとずっと言われてきたことだが、
AC人格の病理は「他人の目」を気にしていることであり、
逆にいえば、主体そのものは、他人の目など、気にしていないことであり、
これがこの一つの身体に、「同居」していることこそが、
まさに、AC人格問題だ、ということだった。

「他人の目」を気にしている、というと、
相手がどう私を見ているのか?があたかも問題かのように思える。
私は、ずっと、漠然とそう思ってきた。

しかし、実際に、この自分ルールをやってわかったことは、
「相手が」「私を」どう見ているか、ではなく、

「私が」

「相手が私をどう見ているか」

を、

「見ている」

ということだった。

つまり、「私が」「相手を」見ている、見ていた、のだ。

Rさん由来の妄想も、当然なのだけれど、
私がRさんを見ることによって、妄想がスタートする仕組みになっている。

それは決して、Rさんが私を見ることによって、ではなかったのだ。

これは、ぜんぜん、気づかないことだった。
なぜなら、当然、私は、「Rさんが私をどう見ているか」こそが、
私の妄想を沸き起こさせる原因と認識していたからだ。
そう思うのは、当然とすら思える。

しかし、実際は、

これはRさんのみならず、相手が私をどう見ようと、
それは広くは、相手が私をどう扱おうと、本当は、私という主体は、
ぜんぜん、影響を受けないのだった。

影響を受けない、というと
それは正確な言い方ではないかもしれないが、
私が感じたのは、まさに、影響を受けない、というものであり、
相手がどう私を見ようが、言おうが、まったく私には関係ない、という感覚だった。

だって、ただ、相手は、私をそう見ているだけであり、
私について、もしかしたら陰でああもこうも言っているだけだからだ。
じゃあ、私は何もしないのか、というと、それはイコールではなく、
この前のように、とっさに、感情が行動を促すかもしれない。
でもそれは、影響を受けた、というより、むしろ、
相手に影響を与えた、といったほうがよいほど、うまく今言えていないけれど、
ぜんぜん、違う現象なのだ。

相手が、私に対して、何を言おうが、しようが、
また私をどう見ようが、その瞬間、私にはどうでもよいこととして認識された。
と同時に、私は、自分が今まで、「自分のことを相手はどう見ているか」を
ただの一度も、関心を向けたこともなかった、ということだった。

そして思った。

いや、もっといろいろ感じればよかったなと今思ったけれど、
このお客さん、私をどう見ているだろうか?と、ふと思ったのだ。
そういうルールでやってんだから当然だろ、と言われるかもしれないが、
初日やっていても、実は、そうは思えていなかったのだ。
その意味では、「リアリティーのない文言だけの自分ルール」だったわけだが、
やり続けていた意味はあった。唯一意味があったのは、この二日間、私は、
相手がお客さんであろうと、相手に関心を向けようとせず、見ようともしない、
という意識を継続し続けたことだった。

自分でやっていてこれは

「ひきこもりだな」

と思ったけれど、まさに、接客しながらもひきこもりというやつを
自分に課していたのだけれど、正直、ちょっとしんどかった。
生きた心地がしない、というか、あまりに、私自身が無反応すぎて、
完全に自販機のごとく機械になったかのようだったからだ。
時間も長いような、もう、どうでもよくなったかのような、
少なくとも、心地よくはなかったのだ。

それで仕事をしながら思った。

「これが、新年初日か」

と。だが、これが新年初日だ、そう、これがそうだ、
今がこれだ、これを私はしている。ただただ、そう思いながら、
結局、その日を終え、昨日(新年二日目)、私は、その何の実りもないと思えたルールを
もう一度、今日もやり続けようと、なぜかわからないけれど思って、
徹底してやることに決めたのだ。

そして、昨日、私は今までただの一度も、自分が相手にどう見られているか、を
意識したことがないことの孤独さ、といえばいいか、悲しさ、といえばいいのか
わからないが、、そういうことを思ったと同時に、
「そうさせた親」って何だったんだ?と思った。

自分が相手にどう見られるか?

これって、一見、AC人格の欲求のように見える。
が、これ、子どもに限らず、誰だって、関心のあることだし、
私が思ったのは、まったく、これは、素敵なことだと思ったのだ。

前にブログでも何度か書かせていただいた方だが、
合気道の会の「おじいちゃん先生」、この方がこんなことを言ったことがある。
それは審査の際にだった。

「オリンピックのある選手がね、こう言うんだよ。
私は、たくさんの人に見られてうれしいって。
だからね、審査なんてね、見られていると思うからいけないんだ。
見てもらっている、と思えばいいんだ。
自分一人のために、みんなが見てくれているんだよ」

と。私は以前それを聞いて、なんて贅沢なことを私は経験しているんだろう、と思った。
たしかにそうだった。私一人のために、何人もの先生と稽古仲間が、
それぞれの人生の時間を費やしてくれている。
それを楽しまなきゃ、いったい、何なんだろうって。

こう思ったこともあって、ブログには書かなかったかもしれないが、仕事でも、
あるコンテストのようなものがあって、そこに出る時は、私は楽しもう、と思ったのだ。
それは、楽しむ、というより、今思えば、「見てくれている中で」という経験を
存分に味わいたい、というものだったのだ。

実は、数日前だが、私は、すごく褒められた。
誰にか、というと、お客さんから。
それは、「店長ダイレクトレター(仮称)」のようなシステムが私の職場にはあって、
それを経て、伝えられたことだった。

正直、それは、すごくうれしかった。
以前なら、「うれしいです」とか口で言っておきながら、態度に出さないように
(しているつもりで)「そんなのそうしているんだから当然」と無感動のゾンビのごとく
反応したこと100%だが、今回は、うれしかった。本当に。

なぜなら、「ああ、伝わった」と思ったからだ。

話が少しそれてしまう部分になるが、この頃、目の改造をやっていた。
相手を貫く目、だ。
だからこそ、私は、自分のアクションが伝わったことを実感したのだ。

その話にまつわることはちょっと置いておいて、
この褒められた一件も、今日、あらためて思い出したのだ。
お客さんから私はこう見られているんだ、と。
少なくとも、そのお客さんからそう見てもらえたんだ、って。
これは、さっき書いた目の改造云々とはまったく別な角度から、
私はあらためて新鮮な喜びを感じたのだ。

こんな当たり前すぎるほどのことを、
私は、一度も、感じたこと、経験したことがなかった。

否、

私が痛感したのは、

毒親が経験させなかった、ということだった。

毒親が私に強いたのは、私(という子ども)がまわりがどう見てくれるかでなく、

「私が、相手(の顔色)をどう見るか、見るべきか」

という洗脳、それだけだった。

ああ、そうだったのか、と。
まさに、「(相手の)顔色をうかがうAC人格」だったのであり、
その逆、相手が私をどう見るか、では、まったくなかったのだ。
自分でも「ん?」とわからなくなりそうになったが、それは真逆なのだ。

でも考えてみれば、そもそもAC人格は、親にとって都合のいい奴隷を
いかに作るか、であるから、子どもに「相手の」顔色を「うかがってほしい」
のであって、「相手があなた(あび)をどう見ているかしらね」などという話は、
どこにもないのだった。

でも、これは、とんでもなく、不幸なことだーーーーーー!と思った。

褒められたらうれしい。

というか、褒められるというのは、言うまでもないが、
AC人格を持ち上げてさらにエサをやるための手段という意味ではなく、
今回のお客さんのように、私もその人もともにうれしかった、という経験を
ともに共有できたことの喜びが、「店長ダイレクトレター」という行動に
その人を促しただけであって、私もその人もどんな見返りも求めていない。
「ああよかった」「それはよかった」というだけだ。

でも、この、ともに喜び合うという経験は、
実は、私にとっても、そのお客さんにとっても、
「相手に自分がどう見られたか」ということあってこそのことなのだ。
それがともに共感しあえる、言い方は雑だが、趣味があったでもいい、なんでもいいけど、
少なくとも私とその人と「よかった時間を共有することができている」のは、
「ああ、こう思われてよかった」ということなのだ。

これは、まったくACの望むものとは違う。
これはただ、「この人好きぃ」みたいなものなのだ。

私は、そのことを思った時、思った。

ここ数日、女の人も、見え方が少しずつ変わった(変えていった)中で、
この人好き、という明確な基準が出来た。
それは、「目」が好奇心に満ちていて、時にそれは落ち着かないようにすら見えるが、
楽しそうで、そういうことの総体が、「貫くような目」として現れており、
そういう人には典型的なその他の特徴があった。

受け答えが、短くとも、はっきりしていること。

それに伴うしぐさも明確で、テキパキしていること。

つまり、言動が必要かつ十分に洗練されていて、まず、キレがあるのだ。
テキパキ、というのがわかりやすい。「はい」といって手を動かす素振り一つで
明確にわかる。目が好奇心に満ち死んでいない女性は、数は少なくとも皆そうだった。
反応が早く、的確で、それは見ていてわかるが、完全に、その人の自己基準によって
Yes、No、即座にはっきり迅速になされるのだった。
決して、私に遠慮することは一つもない。気遣いは十分しているが、
自分をたったの1mmも切り売りしない。それは徹底していた。

後でこれについての「失敗談」は書くと思うが、
これは、女性だけではなかった。と思う。思い出すに・・・。
あまりにこの頃、女性に対してどういうふうに見ているかばかり意識していたので、
女性、女性、となっていたけれど、目についても、受け応えの的確さについても、
思い出す限り、男性も同じ特徴を持っていた。しいて性差なのかわからないが違い
(といっても表現、見え方の違いにすぎない)があるとしたら、
男性のほうが、身振りよりその分目で意思を伝えようとしている感じがあるくらいで、
その分、動作は男性のほうがゆったりに見えるが、あくまでそう見えるだけであり、
本質的には、「テキパキ」しており、明確な自己基準から、それは放たれていたのだ。

なんで今、こういうことをだらだと書いたかというと、
こういう感動的なことを、ではどうお互いに認識し、感じているかといえば、
「私は相手をどう見ているか」「相手は私はどう見ているか」ということを、
双方が、その場で、感じ合い、自分にとって今のそのそこでの経験を存分に
味わっているからこそ、ああ、このお店にまた来たい、また私側からすれば、
来てくれてよかった、お互いによかったよね、いい時間だったね、となる。
そして、それは相手から見てもそう。

「私は相手をどう見ているか」と、今書いたけれど、ここでいうそれは
相手の顔色をうかがうとかそういう屈折したものではまったくない。
言葉通り、「私は相手をどう見ているか」ただそれだけだ。こう見ています、みたいな。
ところがACのそれは、歪みまくっていて、

「私は、あなたが私をどう見ているかを気にしているので、それをチェックするために
私はあなたを見ています(なので、あなたのことに関心があるわけではありません)」
が、AC人格の他人を見る目だ。顔色をうかがう目だ。

でも本当に相手を見る、とは、おそらく、そう私はこう感じたのだが、
子どもの頃から、本当は、他人を見ろ、でなく、
他人から十分に見られる経験が必要だったのだ。

それは、褒められる必要とかを言っているのでなく、むしろ「このガキ」でもいいし、
あるいは、「なんだこのガキは」と無視される経験ですらいいと私は思った。
他人を見る、見なければならない、という「毒」に比べたら、無毒だと思った。
無毒どころか、好かれる、嫌われる、相手にされない、これらを存分に経験する中で、
ああ当然だなって思ったのだが、こうする中で一緒にいたい友達もできるんじゃないの?
って。

今回思ったのは、私は、こういう人が、このお店に来てくれて、これからも好き好んで
来てくれて、私もここを好きで働けて、また会えて、こんにちはって言えるのなら、
ああよかったって思うに決まっているし、私は、そういう人、好きなんだって、
そう思うんだよ。当然だ。セックスしたい人、ということをこの前書いたけれど、
当然、そういう人と私はセックスを楽しみたい。こういうと誤解もあるかもしれないが、
私は、そういう人なら、男性でもセックスしたいよ、って思うほどだ。
触れ合う、触れ合いたい、ってそういうことじゃないのかなって。

思ったんだ。

だいたい、この3つくらいしかないだろうって。

相手から、

「好かれる」
「嫌われる」
「相手にされない」

の3つ。

で、どれがいい悪いではなく、みんなあっていいわけ。
そういうことを、子どもの頃から、親がそこでへんな介入や干渉、間違っても、
「オレの顔色を見ろ」などという最もやってはいけないことをされることなく、
親に守られ(=邪魔されず)、存分に経験してこられたのなら、

大人になっても、

相手の顔色などうかがうことなく、

相手に自分が見られていることの「あまりに当然の事実」の上で、

「好かれる」
「嫌われる」
「相手にされない」

を子どもの時と同様に存分に感じとりながら生き、好かれる相手にはこう、
嫌われる相手にはこう、相手にされない相手にはこう、と自分の基準と対処の仕方を
育みながら、かつ、自分自身も、その同じ(歪んでいない)目で、
相手をただ見る、相手のことを見る、というこのとんでもなく当たり前のことが
できるようになっていくんじゃないだろうか。

この自己基準を育み、主体的に動いていく基礎が、
まさに幼少期に、「他者からありのままに見られ、声かけられ、扱われる」ことに対し、
「親が最低限の保護をしつつつも、余計なこと(親都合なこと)を絶対にしない」
という経験のなかにあるべきだったのだ。

要は、邪魔しないでくれればよかっただけなのだ。

その中で、好かれ、嫌われ、無視されながら、
その中でいろいろ感じ、自分の生きる場を自分で見出していくという、
あまりに当たり前の人としての機能をもって当然だったのだ。
毒親でさえなければ。毒親を選びさえしなければ。



・・・「(後半)今、私が感じること」に続きます。




2015.11.30
あび

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2015-11-30 14:38 | リハビリの巻

⑨座

「⑧座」の続きです。


・・・


2つ目の追記は、Pに宛てて書いた遺書に関する追記です。

2014年の12月31日に、私は、一つ大きな儀式をした。
これは、今までブログにも書かなかった。
いつか書く時が来ると思っていたが、今日になったようだ。

私は、それもちょうど経済おじろくをしていた頃だから、
7,8年ほど前のことになる。2008年と書いてある。

私は、一筆箋を何枚も使って、Pに宛てて遺書を残していた。
遺書と言っても、Pへの思いを残した手紙だ。
ある絵本の間に、しっかり封をして挟み、わざとごちゃごちゃしている
棚の中に忍ばせておいたものだった。

それは、もしも私がPより先に死んだ場合に、
Pがいつか見つけてくれるだろうと期待して書き残したもので、
これで、万一、私が先に死んでも、最低限、
やっておくべきことはやった、とその時思ったものだった。

あなたと会えて幸せだったこと。
あなたは幸せでしたか?と確認したいこと。
もしもあなたが一人苦しい時、この手紙の言葉が元気を注ぐ力になってくれること。
私はいつも背中を見守っているから、前を向いて、私のことなどいいから、
歩いていってほしいと私は望んでいること。

私の人生の目標、一つだけあげるとしたら、
「あなたより長生きすること」、でも、それがかなわなかったということですね、
申し訳ない、とお詫びをしていること。

子どもはいないけれど、共同作業でつくったPの城という
二人の間にかけがえのない子どもが生まれたこと。

そして、この時は、まだ子どもが私たちの間にできるかは
将来的にわからないことだったので、もしも、この手紙が
発見される時点で自分たちの間に子どもがいたら、という想定で、
その子ども(たち)宛てにも、言葉を残していた。
一言でいえば、お母さん(P)を守ってあげてください、というメッセージ。
私がしてきたように、私の代わりに、大事にしてあげてください、と。
「ママは大事にされるために生まれてきた人です」と書き記してある。
(・・・ほんと、最悪の事態、子どもを作ることはしなくて、これだけは
ほんとによかった。内職では、私は幼い子どもにも毒を盛ってしまったことを
悔やむけれど、もしかしたら、いつか、新しい関係を子どもたちと作りたい、
そう思っています。それは何も崇高な目的があるのではなく、ただ、
彼らの心身を安全に守る、という、毒親がしなかったこととともに、
ともに過ごすことを、それこそ、やるなら命をかけてやりたいのです。)

そして、こうやって私が先に死んでしまうことになったことを詫びるとともに、
もしも、そんなことにならず、ちゃんとあなた(P)の死を看取り、
私が生き残った場合、何をするかも書いておいた。

それは、Pとの共同作業をまとめあげて、Pの美術館を作りたいと思っていること、
そこであなたとの記憶を閉じるように、私もそこでまもなく息をひきとるだろうことを
記していた。あなたと同じようにほほえみながら、さよならを言うでしょう、と。

私は、私もPも、二人が「二人で楽しかったね」と、
きっとそう思って、そしてその言葉を、私は直接Pから私は聞くものと
信じて疑っていなかった。

そして、次の生では、もう会わないような気がすること、
これが最後で、もう本当のさようならになるだろうことも書いてある。
それは私の希望的観測として、である。
その理由は、「もうあなたをこれ以上、傷つけたくないから」とある。
(学生時代、また付き合って間もなくは、
かなり言葉でも傷つけてしまったことなどを手紙には書いているが、
この傷つけたことのもっと深い罪悪感について、後述する。)

そして、あなたの名前を何度も何度も呼びたいと綴り、
「素敵な人生をありがとう」と書いて、遺書は終わる。

そして、私は、この遺書を、昨年末日、2014年12月31日、
たしか夜明けだったと記憶している、コンビニでライターを買って、
家の脇の外の作業場で燃やした。といっても、ライターで火をつけて、
一筆箋一枚一枚、絵本一枚一枚を焦がし、バケツの水で消していった。

その絵本は、ずっと二人だけで暮らしてきた夫婦の話で、
妻が年老い自分なんて・・・となっても、「あなたはきれいだよ」と
夫が妻に言い続け、素顔のまま、パーティーに出かけようという、そういう話。
まさに、私がやってきたことなのだ。Pに対して。
たとえある面から醜くても、別の面から見れば魅力的なことを
言い続け、讃え続ける役割を、この絵本の夫は果たしていた。
私がやってきたこと、そのものなのだ。

さらに、最後には、私は「ここは余計だよ。僕はそんな見返りは期待していないよ」と
思っていた箇所だが、そこでは、「あなたこそきれいですよ」と妻が最後、
夫に目を向け、言ってくれるシーンがある。
嘘を言ってはいけない。私の遺書に、はっきりと書いているじゃないか?
「ねえ、あなたは私との人生はいかがでしたか。少しは楽しかったですか。」と。

私は、思っていたんだ、ずっと。
あなたのおかげで、ワタシ、本当に楽しい人生だったよって、
Pがそう言ってくれるだろうことを。

今、Pは、「線」を素材に、ものをつくる活動をしている。
これは、私がPに「あなたは線を描く才能がある」と言い続けてきたからだ。
そして、その絵本のようになんとかパーティーに出かけよう、とPが思えるところまで
私はもっていった。それが、ちょうど復元ブログを書き始める前後だった。
私はこれで大きな役目は終わった、とその時思った。
まだそれは、Pの毒について、まだ何も理解をしていなかった時だった。

ふとこれを思い出したのは、でたらめな文字をぐるぐる書いている時、
象形文字のようなものは次第に糸がくにゃくにゃするような線模様になったのを見て、
はっと思ったのだ。これは、この感じは、と。

前にもブログで書いたことがあったが、
私たちは共同で作品づくりをしていた。
線と色は大きな要素だったが、次第に得意不得意から、
私は色を、彼女は線を担当した。

それが、P=線、の最初だったと思う。

そして、今思うのは、はたして、Pに「線」を描く才能が本当にあったのだろうか?
ということだった。今日、少しだけ、彼女の作品をあらためて見てみた。
思ったことは、その絵本と同じで、何でもないものまでも「素晴らしい」と
私は言ってきただけじゃないか、と思った。Pには何の才能もないのだ。

というか、才能云々ではなく、何度も書いてきたように、
彼女が自分で何かを作り出したものなど、何一つないのだ。
提案一つなかった。すべて、私がPのために、Pのためだけに私が提案し、
具現化したものばかりだった。それが共同作業であり、Pの城であった。

線や色というエッセンスが、私にとってどういう意味を持つのかはわからない。
生前記憶を掘った時、私は、過去、何かそういう「バランス」をとる構図を描く、
そんな役職にいた記憶素材を見た覚えはある。
もしかしたら、私ができること、私が得意なことをPに提供しようとしたのかもしれない。
というと、いかにも利他的にきこえるが、そうではなく、
Pの人生にのっかる上で、こうするほか、なかったのかもしれない。
というのも、Pはそもそも自立しようなどとは思っていなかったのだから。
私のように動いてもらおう、言い換えれば、私というおもちゃは結構面白いから、
だから、これやってよ、これをやる人生を一緒に生きようよ、最悪、
あなただけやるでもいいからさ!

そうやって、私は、彼女のため、と言いながら、
提案を押しつけ、いらないと駄々をこねるPに私はてこずり、
なんとか楽しんでほしいと必死になり、最後は、「いらない」と言われ、
「好きなものは自分で買うから、金持ってこいよ」と言われたのが、
2008年頃のことだったのだ。共同作業の終わりであり、完全にそこの
あっしー君のまま、この遺書通り、そこを墓場として終える予定だった。

それはその頃の私にとっては、みじめでもなんでもなく、
この手紙にある通り、「最高に今幸せだ」と誤認させていたのだ。
誤認と気づくには、そう、そこから抜けきっていくまでには、
自我復元を開始し、2年以上を必要とした。
自我復元に出会わなかったら、あの手紙のままになっただろう。

互いに自立しようとしないもの同士の共依存であることは、
今まで掘ってきた通りだ。

いずれにせよ、今日、あらためて思ったことは、
彼女が今やっていることも、その一切が、私が用意した「おもちゃ」で
あれこれやっている、ということ。

これを見たことで、あらためて理解した。

彼女は、100%、自分の人生を歩むつもりは、今後もゼロであることだ。
それを知って、実は、私はどこか、今までひっかかっていることがあったことに気づいた。

それは、今、Pと私はほとんどといってよいほど
顔もあわさず言葉もかわさない。
私はそういうPは、今、内容はどうであれ、私とは関係なく、
とりあえず、自分の人生のほうへ歩いている、と見えていた。
しかしそう見ることは、逆に、こう私に思わせていた。

「私のような者に出会わなければ、こんなことにならず、
Pは少なくとも(たとえAC人格だとしても)、私にかかわらず
生きていけただろうに・・・」

という、へんな罪悪感があったのだ。
具体的には、私のせいで、20歳から40歳の一番輝かしいこの人の時期を
私は奪ってしまった、と。それが彼女を不幸させてしまった感を維持させていた。

頭では、おいおい、何言ってるの、とわかるのだけれど、
感覚的にそう思ってしまっている部分があった。
そういう部分があったことにも、正直、今まで自覚がなかったのだ。
未練とまではいかないのだが、なにか、残留している亡霊のようなものだった。

つまり、自我復元を始め、復元ブログを書き始め、もうPとはダメなんだ、と
そう覚悟した時、「あなたを不幸にしてしまった」とPの前で泣いた時の
その罪悪感の残留物が、今の今まであったのだ。
正直、これを書く前まで、あった。

今、結論が出た。

Pにオリジナリティーなど、ただの一つもなく、
自立など金輪際求めておらず、つまり、「不幸」であり、
その不幸を彼女自身「望んでいる」のであり、

そして、私は、もう、あなたの望んでいるものは
何一つ提供しない者として生きている、というのが事実だ。

色だけじゃない。線も、あれは、彼女のものでない。
私があのように誘導したその結果だ。私が与えたおもちゃなのだ。
その私とはAC人格の私だ。Pの人生に自分の生を売り払った私だ。

これは色とか線とかの問題ではまったくなく、
食事、生活、ありとあらゆる場面がそうなのだ。
Pはお米一つ、自分で新しく考えて買うことすらできない以前に、しないのだ。
あいかわらず、同じお米を買っている。すべて同じ調子だ。
残った身の回りのおもちゃで遊んでいる姿。
私はこれを見ているのが、少し心が痛んだ。同情の余地などない敵なのに、だ。
新しいおもちゃを買ってあげず、その子を捨てた親のような心境にもなることがあった。
そういう時、Pを見るのが(つらいから)嫌だった。

しかし、今、見え方が変わってきている。

あれは、ヒルだな。いつまで吸い付いているんだ???

でも、その吸い付く素材、線という素材を、自我復元で危機を感じたAC人格が、
2年半前、最後にPに埋め込んだのも、AC人格の私だった。
それだけは、Pの個性であり、自立していけるように、と
そう無意識に思っていたのだ。

だから、はじめて、Pがその「線」という素材をテーマとしたもので、
他者から認められ、陽の当たる舞台にたった時、それが2年前だったが、Pに対して、
「よかったね。おめでとう」と、笑顔で言いながらも、これでお別れだという
悲しい気持ちをこめて言っていた。

しかし、それが違ったんだよ、という話だ。

個性でも自立でもない。彼女は幸せの道へ歩き出せていったのではないのだ。
頭ではわかっていても、どこかで、彼女自身の道、私に阻害されないで進める道を
今歩んでいると思っていた部分があったのだ。

それが、実は、まったく違う、ということ。
彼女は、ヒルのように、ずっと依存しようとしている姿が本当の姿なのだ。

最後に、その遺書で、内容よりも、
「なぜ、私が先に死んだ場合に」を想定して書き残そうとしたかが、
今、一番、ここに書いておきたいことだ。

先ほども書いた通り、この生で、一つだけPとの間でこれだけは
かなえたいと思っていることは何か、ということについて、それは、
「彼女より後に死ぬこと」だった。

実際、一つ望みがかなうとしたら、そう言ったはずだ。
私の中でそれはなぜか、というと、一人ぼっちにしないため、
悲しませないため、と思っていたが、それはもっと深い因縁があったのでは?
ということに気づいた。

報告文に書いたように、過去生で、もしもPが強姦殺人で殺されたとしたら、
私は、おそらく、「私が先に死んでしまったその後」に事件が起こった可能性がある
のではないか?

私は、Pがそのような目に遭ってしまったことを知る。
中間状態で知った可能性もある。かつて、中間状態で、交通事故でぐちゃぐちゃに
なったようなむごたらしいPの姿を映し出され、罪悪感をあおられる仕組みについて
書いたことがあったが、あれは、もしかしたら、そのむごたらしさから、
強姦殺人での死を意味していたのかもしれない。もしかしたら、だが。

私が先に死んでしまったから、守れなかった、と。
そして、私は、おそらく、次の生では、私のほうが長生きすることを選んだと思うのだ。
そして、実際、私は、そのつもりでPと生きてきた。

だけれど、万一、を思ったのだろう。
運命とはわからないものだから、と遺書にも書いてある。

たとえ私が先に死んだとしても、私はあなたを守ろうとしたこと、
そして死後もあなたを背後から守る約束をしていること(背後霊そのものだ)、
また、私がいなくても、Pの城や、あるいは子ども(がいたとしたら)に
私のかわりにあなたを守ることを、なんとか、誓い、契約を守ろうとしたのだと思う。

死んでも守ろうとする契約書だったわけだ。あの遺書は。

そして、「線」という素材を、Pに残そうとしたのも、
まるでこの遺書を残そうとしたのと同じ動機ともいえる。
別れ間際に、それでも、私のあっしーの一部(要素)を埋め込もうとする。

契約ゆえに。

だけれど、その契約を切ったのが、
昨年2014年12月31日だった。
どうしてもそれだけはやって、2015年を迎えたかったのだ。

そして、それがどういう意味があったのか、
ようやくわかった。

今日、思ったことがある。

私は、この家に、絶対、AC人格の「跡」を残さない。
それは、私がここを去るとしても、相手が去るとしても、
完全に「断つ」ために、やるべき始末だと思う。

具体的には、物を整理し、処分し、あるいは活用し、
そう、こういうところからだ、命がけでやることっていうのは。

以上、報告文に関連しての追記となります。



・・・



最後に、2つだけ。

大間違いをしていたのですが、
さっき、あれ、松任谷由実さんだったよねぇ?と
念のために確認したら、それはあっていたのですが、
歌詞、、、違うじゃん!

まだ来ぬ春~

じゃなくて、「見ぬ」春でした(^^;
しかも「瞼閉じればそこに」につながる箇所は、

まだ見ぬ春、でもなく、
遠き春よ~

でした。失礼しました。
でも、同じ意味かな?私にとっては、です。


それと、もう一つ。


今回も、死に装束でやりました。
途中、一時間くらい意識がなくなりました(寝てました)が、
やり遂げました。

相当な時間かかりましたが、
今度は、お砂糖15gと塩1gを入れた300ccのお湯でチャレンジ。

二度、死に装束を着るなんてへんですが、
私は、いつも、こういう自分でありたい。
もう、このぽんちょ、そして背中にあたっているはんてん、
十分私の物になったよ。

命をかけること。

それは私がやりたいことです。



2015.11.23
あび

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by jh-no-no | 2015-11-23 21:34 | リハビリの巻

⑧座

「⑦座」の続きです。

以下は、報告文に関連しての追記として
新たに書いたものです。

C(私が3歳の時に死んだ妹)に関する追記を「⑧座」に、
2008年にP宛てて書いた遺書(思いを残した手紙)に関する追記を
「⑨座」に記し、一連の投稿を終えたいと思います。


・・・


Cとはいったい、なんだったのか?

これについては、母がらみの前世が思い出されてきた時に、
並行して思い出されてきたことであり、整合がついてきたことだ。

結論から言えば、Cは、私にとっては、
「任務(役目)」を思い出させるための、道具だったんではないか?
ということであり、あの毒両親それぞれにとっても、
Cの死によって、それぞれの役目が明白になったことだ。

私は、3歳までいたはずの妹のCをまったく覚えていない。
一つだけ、前に書いたけれど、なぜかそんな幼い子同士なのに
留守番をさせられて、ブロックを買ってきてくれた時、
それ自体、夢なのか、本当にあった出来事か定かでないが、
もしそのような出来事があったとすれば、その時、そばに
Cがいた「ような」気がしている。それくらいだ。

また、両親の話やアルバムからは、
Cは私に非常になついていて「にーたん、にーたん」と
いつも一緒にいたという。それくらい仲良しだったと聞かされている。
Cはまったく問題児でなく、おとなしくていい子だったらしい。
とにかく、Cはいつも私のそばにいたらしいのだ。

なのに、まったく覚えていないのだ。
消去されてしまったんじゃないか、というくらい見事に無い。

そして、Cの33回忌の時、私は、今まで泣いたことがないのに、
とめどもなく涙があふれてきた。まったくよくわからなかった。
この涙は「Cを守れなかった」ことを思い出した涙ではないか?

二つのエピソードがある。

一つは、Cの死について、何度か(も)、「Cが死んだ原因」について、
父が母や私たち子どもの前で話していたエピソードだ。
まず、それについて書こう。

Cが死んだのは、保育園の体育会の前日だったという。
前日のその日、夕飯に、オムライスだかカレーだか忘れたが、
そういうのを食べらしい。そして夜中、吐いたものを気管支につまらせて、
病院に駆け込んだものの、亡くなった、ときいている。

この話を、法事などの節目節目に、母と子どもたちの前で、父は話した。
「前の日に、たしか、オムライスを食べたんだよな・・・うん、次の日
体育会でさ。吐いたのが気管支につまらせて・・・」と。
母はこれを黙ってきいている。ふと思い出したのだ。この黙り方が、なんか
不自然なのだ。感情をピタリととめたような聞き方、黙り方なのだ。
聞き取り調査の時も、Cに関する記憶を話すときは、まるで、自分の子どもでない
他人事のように無機質に話しているように感じた。

そして、父のこの言い方は、あたかも、母がそのようなものを夕食に
食べさせたから、だから・・・と言いたげだ、ということに気づいた。
その話をきいていた時は、まったく気づかなかった。

父は「今度は」オレは悪くない、とでも言いたいかのようだ。
前世では妻を殺した「けれど」、今度は、ボク悪くないもんね、という感じだ。
それはまるで、(母が自殺をしたのは)「お前のせいだ」と私を責めるのに必死な姿と
ダブる。バカ父は、「今度も」ボク悪くないよ、とでも言うつもりだろうか?
前世でもこの生でも、母(妻)を殺したのは、毒父、お前だよ。
この「オレのせいじゃない」が病的なほどだから、そう、私は、両親に対して、
「パパのせいだ」「ママのせいだ」が、絶対、言えない子どもになった、いや、調教された。

いずれにせよ、Cが死んだところから、かつてアルバムを見ていても漠然とだが
感じたのは、急に母が笑わなくなったような印象が写真にあった。
それこそ、目線が眼球で止まっているようなそういう夢遊病者のような目になったのは、
Cが死んだあたりからじゃないだろうか?

そして、この目、私もその同じ目になったわけだけれど、古いPCで壁紙にしていた
あの保育園の頃の私は、もうすでにこの目だった。4、5歳頃の写真だったろうか。
この感じは、Cが生きていた頃くらいまでは、私にはないような目。
写真を見ていて思ったのだが、Cがいた頃の私の顔は、もっと子どもらしい表情をしていた。

私の母は、「感情=悪」というトラウマを実の母から植え付けられてきたのだから、
我が子のCを失い、「アンタのせいだ」と夫にほのめかされた事で、
笑わないなどの感情が停止するような反応を引き起こしたのだろうと推測される。

父が「夜食べた(アナタの作った)オムライスが・・・」と話した時に、
あのように、感情がピタリと止まるとすれば、それは、実際にその死んだ当時の
再体験だったはずだ。つまり、私は、3歳の頃、Cの死に際して、母の感情は抑制され、
笑わなくなったのを感じるなり、見るなりしたのだろう。

そういう母の姿を見て、平気な子どもがいるだろうか?

いないと思うし、それに私は、おそらく、前世のあまりに幼い死で
「こんなはずじゃない。ママもパパも明るい人たちだよ」と思って
早くなんとかしたくて生まれたこの世に生まれた私にとって、
母が笑わなくなったことは、猛烈なざわつきを生んだのではないだろうか?
わからないけれど、私に「委縮」が起こったようにも感じる。
子どもらしくいられなくなったこの瞬間に。

母が笑わなくなっただけじゃない。
実は、Cが死んだ後頃に、父の表情はどんな感じになったんだろうか、と
かつて少し興味があって、そういう目でアルバムを見たことがあった。
すると、やや下から顔面を写したような、誰がとったのかわからない父の写真が
そのアルバムのちょうど最後にあった。この顔は、プールでのあの写真の本質を
もろに顔に出したような写真で、変質者的で、何をするかわからない狂人の顔だった。

Cが死んだ瞬間、父は加害者の顔に、母は被害者の顔に
私の目には写ったのではなかろうか。
まさに、生まれる前、中間状態で見たDV関係を見たのではなかろうか?

また話が交差するけれど、では、私は、Cが死んだ時(母が言うには、Cがいなくなったこと
にも気づかなかったみたいだったよ、とかつて言っていたが、その時は、私もそうなんだ、
と答えて済ませてしまったが、3歳でそれはありえないだろう。そうだったとしたら、
それは、私は気づかないフリをした、と考えたほうが正しいんじゃないだろうか?)、
私はどう思ったか?ということだが、おそらく、「(Cちゃんを)守れなかった」と
思ったのではないか、と思っている。

というのも、表向き、あの両親は、「兄弟間での差別は一切なかった」と言っていたが、
それは絶対嘘で、前にも紹介したエピソードだが、ある日、車の中で、Cの肩によりかかって
私が寝てしまったという話を、その頃の出来事で一番強烈だったらしいが、それってでも
おかしいよね?そんなに強烈か?って。2、3歳の子どもが一つ年下の妹に寄りかかって
寝てしまっている光景は、かわいらしいと思うのならわかるが、「えっ!!!」って
思ったという母は、ちょっと、おかしくないか?それが一番、強烈な記憶だったらしい。

それでわかったことは、母にとって、「兄は妹を守るのが当然」と
自覚こそなかったとしても、強く思っていたはずなのだ。
それは、母が3人の兄から受けたトラウマが関連していることは確かで
代理復讐であることは、今まで見てきた通り。

つまり、もう私が2歳、3歳の頃までには、徹底的に「兄」であることを
しみこませていた、ということだ。

だから私は、「Cちゃんが死んじゃった」と知れば、
「僕が守ってあげられなかった」と感じたとしても、
まったく不思議じゃない。

同時に、母の感情がピタリととまり、笑わなくなったのを見た。
変質的で狂人のDV夫の顔を見た。ここで、私は、この生での
まず最初の役目を思い出したのだ。

「ママを守らなきゃ」だ。

とまた同時に、父にとってCの死は好都合だったのだ。
母を責めることで、また、法事のたびに泣き、いまだに、法事を続け、
いったい、何回忌までやるつもりなのか?
こうやって、被害者パフォーマンスをしている。
彼は何十年もずっと、週に一度の仕事の休みは、
必ずお墓参りに行っていたみたいだ。

子どもの私は、そういう父は、とても子ども思いで、
やさしい父なのだと信じこんでいた。

でも、彼のこういった行動の目的は違ったのだろう。

妻(母)を責めているわけだ。結局、そうやって加害している。
これは精神的な暴力としてのDVといっていい。
実際、私は、母との関係が険悪になるわりとその直前まで
夫(父)に対する愚痴をきく役をしていた。

聞き取り調査を母にしていた時、その時に、これにまつわる
私宛てのメールが残っている。

 「お疲れ様です。またママの愚痴です、ママはパパにとって
 どういう存在なのでしょうか?愚痴のはけ口なのでしょうか?
 毎日パパの顔色を見て、生きていくのが、最近とても辛いです。
 どうしたらいいでしょうか?今まで普通に会話をしたり、笑顔を見たり
 ましてや、誉めてもらった事など一度もありません。今後も自慢話と
 怒りとお説教を聞き続けなければならないのでしょうか?
 どこまでママを追い詰めればいいのでしょうか?
 本人は自分の事だけ考えていると思うので、ママの事を我がままだなんて
 言うのでそうね。○○(←父の名)という人ほどわがままな人いないと思います。
 愚痴を言ってごめんね。」

結局、私は子どもの頃から、こういう役目を、相談という形でなくとも、
ずっとやっていたのではないだろうか?
父の顔色をうかがう母の顔色をうかがい、母を不安にさせたり心配させまいとし、
母を守らなきゃ、と、子どもらしからぬ子どもになっていった。
父、母、私の三者のニーズ(?)がうまく絡み合うようにして。

そして、Cの死は、この三者の歯車をぐっと動き出させる役目を担っていた。

かつ、あの33回忌の涙は、本当はCちゃんが死んだ時、流したかった涙なのだ。
それが怒涛のようにあふれてきたのは、33年間、私は無意識の元に
涙を押し込めてきたから。そして、Cの、私への最後の「役目」は、
この33回忌のタイミングで、新たな「任務(役目)」を本格的に思い出させる
ためだったんじゃないか。

ちょうど33回忌は、経済おじろくとして会社に出稼ぎにいっていた最中で、
いよいよ「内職」の準備を始めようとする直前だったと思う。
つまりそれはどういうことかというと、Pを守る、Pの城=墓場となるところを
本格的に作っていく時期に突入する頃だったのだ。

「Cを守れなかった」ことを痛烈に思い出して、
Cの一人だけの兄として、私は、号泣した。
この時、たしかこう感じた。守れなかった、ということよりも、
「私たちは、たった二人だけだったのに。あなた(C)には私しかいなかったのに。」と。
私たちは、完全に、二人で閉じていて、正直、親たちもこの間には入れないものに感じた。
だからCの死は、誰とも共有できない、と、止まらない涙の中で、そう思っていた。

つまり、Cの死は、私にとって、2つの役目を思い出させる「道具」だった。
最初の一回目は「母を守る役目を思い出させる」。そして、33年を経て、
二回目は「Pを守る役目を思い出させる」。この重大な二つな契約を思い出させる
決定的な役目を、Cの死は果たしたことになる。

今まで、Cとはなんだだったのか?たびたび掘ってはわからなかったことが
いよいよ、一本の線につながってきた感じがある。

ここまでが、今の時点で、Cとはなんだったのか、
紐解いてきたところです。



・・・「⑨座」に続きます。



2015.11.23
あび

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by jh-no-no | 2015-11-23 21:25 | リハビリの巻

⑦座

「⑥座」の続きです。


・・・


あ、その前に、そうだ。

「目」のことです。書きたかったことの一つでした。

母もPも、****(←女優)さんもですが、
共通していることがあります。

そして、それは私自身でした。

それは、視線が、眼球の表面で止まっていて、
外がまったく見えていないような感じです。
これは私自身、自覚している症状でした。

見えているのですが、
見ていないのです。何一つ。

そこで私はこのところ、自分の目の改造をしてきたのです。
仕事をしながら、目線をはっきりと眼球から放つように。

お客さんの中にそういう女性を見つけることを
してみました。

そして共通して私が抱く感情は
その人を「守りたくなる」ことです。

つまり、胸に目がいく女性と、目に目がいく女性がいるのです。
もちろん、興味の向けられる女性の中で、ですが。

しかし、今回、たとえば、仕事で毎日多くの女性を目にし、
必ず数人は、こんなこと、はじめて感じているのですが、
「セックスしたいな」と思う女性がいました。

それはどういう女性かというと、
目から視線が貫かれているのです。
そして、決まって感じることがありました。

自我の枠のようなものです。
それは、自己のルール、自己基準を持っている輪郭ともいえる感じでした。
そして、その人たちに共通するのは、**などを通じては「はい」くらいの
会話しかないのですが、その「はい」が、とても鮮明で、しっかりしているのです。

そして、この人とセックスをすると、二人とも楽しいだろうな、と
思ったのです。気持ちよくさせてあげるのでもなく、させてもらうのでもなく、
ただ、二人、楽しそうだって。

自慰をするときに、私は、かつては、というか
最近までは(物理的にしごくだけをする前までは)
***シーンや***シーン、***をしてもらうシーンを
よく想像していたのですが、先日、その「セックスしたい人」を
想像しながら、自慰をしてみました。


(※補足:***シーンとか書くと、かえっていやらしいですね。
でも書くともっといやらしいのですが、こういう言葉、今まで
男性同士でも馬鹿話できなかったので、頭の中だけであったんです。
ここでもいっそう、と思ったりするのですが、それはやめましょう。
これからも崩残さんに、また、そうきっとこれから友達になる男性と
そんな下ネタを馬鹿みたいに、でも、大真面目に話せたらいいです。
でも、ダメです。下半身は今も反応してしまいます。この父の性癖は
私は絶対解除したい。でも、これは、やれつつあります。この頃、
まったく女性の見方が変わってきました。そういう女性と、私は
できたら、身体と身体を触れ合う恋愛をこれからしていきたいです。)


驚いたことに、嫌な気がしなかったんです。
そして、物理的にしごいた時と同じで、
精液に嫌な臭いが残らないのです。
爽快感だけがありました。

あまり私は今まで挿入しているシーン、つまり、
ペニスとヴァギナな接触させているシーンを
イメージしたりしたことはほとんどなく、
エロビデオを見ても、そこでヌクことはまずありませんでした。
そこに性的に興奮をとくには覚えないのです。

なのですが、今、興味があるのは、
性的興奮がしそうだ、ということでなく、
楽しそうだ、と思えるのは、その性器同士の接触なんです。
今までは、なんだか、かっこうつけているようですが、
頬と頬をふれたり、服を着ていても抱き合ったり、
そういうことで私はすごく妄想できました。

でも今は、そういうことは、ほとんど興味が失せ、
というか、あまりにAC人格臭く、
素直に、性器と性器をあわせて楽しくセックスしたいだけなのです。

そういう人ってどういう人かとなると、
私が守りたくなる人ではまったくない「目」をした人なのです。
逆にいうと、守りたくなる人は、惹かれるのですが、
性的対象には思えないのです。Pもそうでした。
もちろん若かったので、好奇心から、セックスをしたりしましたが
それほど、楽しい思いはないです。正直、オナニーで自分で好きなように
射精したほうが、ずっと気持ちよかった。それは当然にも思えました。

胸に目がいく女性は、それこそ、父の性嗜好の的、その性嗜好の感染によるものです。
そういう対象として見ているから、アブノーマルな想像で興奮するのです。
それは、掘り下げてきた通りの理由からです。

今回、随分、目のことを考えていたからだと思います。
母のことを急に掘り下げ始めたとき、ふと理解したのは、
私は、「この人だ」と母を見つける時、あるいは、断定する時、
目で判断したのだと思いました。

つまり、守る対象に共通の「目」なのです。
それは、言ってみれば、自立の意志がはなから無い人なのです。
それと、一方で、眼球から視線が強く突き抜けている人は
真逆で自立そのものを生きている女性に感じたのです。
その人と、だからセックスするのは、楽しそうだ、と思えるのだと思います。
ともに楽しい、これほど、楽しいことってないじゃないですか。
このPとの生活のように、どちらも楽しくない、というのと
世界は真逆です。

母が生きている時、最後にそれは実家に行った時となったわけですが、
アルバムをいくつか借りてきました。もう返すつもりはないですが。
その前だったか、アルバムを借りるのは重いからと思って、
母の写真を一枚、父の写真を一枚、借りて、近くのコンビニで
カラーコピーしたのです。

そのまた前の話ですが、一枚だけ、写真そのものをもらいました。

まずその写真ですが、入学式の時、母と手をつないで
初登校している写真です。
歩いている時、誰かがとってくれたのでしょう。
なぜ、それを選んだか、というと、
「手をつないでいたこと」が、すごく新鮮に感じたからでした。
母と手をつないだ記憶がはっきりいってないのです。

そして、カラーコピーした写真は、前にも書いたと思いますが、
**神社というところで、母がきれいな女性に写っている写真です。

この二枚ですが、少しぞっとしましたが、
私が無意識に選んだそれは、心中間際の手をつないでいる記憶と
死後、「この人だよ」とその人を選んだプロファイル写真の記憶だと思います。
私の中で、記憶すべき母とは、この二枚だったのです。
そのことが今回、わかったように思いました。

父の写真は、**のプールの何でもない写真だったと思いますが、
思い出すに、いっけん、いいお父さんに見えますが、
今、感じるのは、変質的で、何をするかわからない狂気じみた表情しか
感じ取れません。

父はどうでもいいとして、
母の写真ですが、私はおそらくそのプロファイル写真で見たのは、
「目」ではないかと思います。
目だけが、その幼い私にとって、母からのメッセージを
読み取ったものだったからだと思います。
幼くして死んだゆえに、そういう注目の偏りが出たのだと思います。

急に話が変わるのですが、
この夏、島根県産のスイカがあったので、
スイカを食べた。こんなスイカっておいしかったっけ、と
まるでスイカを初めて食べる人のようだった。

それからというもの、いちじくを食べてみたり、
柿を食べてみたり、今まであまり食べたことがない果物にも
興味を持つようになり、今の働いているスーパーで買うようになった。

こんなに柿っておいしかったけ、って。

父は果物屋でしたが、「これ一番おいしいから、ほら」と
よく傷みかけの果物を家にもってきた。
きっとそれはおいしいのは確かだったのかもしれないが、
私は果物を一度もおいしいと思ったことはなかった。
正直、この夏からなんです。

「おいしいだろ」と言われ、うん、としか言えない状況のなかで、
味わうことなどできるはずがない。
だから、あまり好きじゃないんだな、と漠然と思っていたのですが、
この夏から、急に好きになったことをふと思った時、
納得したことがあった。

父の呪いが解けてきたのだ、と。

あの父は、果物を味わう経験すら奪ったのだ、と。

先日、久しぶりに、というか、はじめてかもしれない、
みかんを買いました。そう、はじめてかも、人生で。

あと、そう、一つ書いておしまいにします。

昨日、11月19日、21:41。

仕事中でした。

私は、はじめて、笑いました。

初笑いです。思わず、時間を記録してしまいました。

現在、21:25分。昨日の夜中5時ごろから、マイナンバーのことで
一時間抜けたものの、書き続けることができました。
30分のうとうと以外、睡眠も食事もなし。600ccのハーブティー(お砂糖は
今回は適当でしたが、40g弱だと思います)でいけました。
稽古に行けなかったのは、少し残念ですが、ちょっと行くのは無理でしたね。
やっぱり。どうしても、一息で、これは書きたかったから。

そう、もう一つ、これだけ。

まだあまりやっていないんですけれど、
でたらめ落書き文字(現金書留のお手紙に、失礼かな、と少し思ったのですが
初チャレンジしてみましたが、あれは、象形文字のようでした)ですが、
その象形文字のような感じから、だんだん、アラビア文字のような感じになり、
あまりアラビア文字自体知らないのですが、それをひらがなチックにしたような
なめらかな線描文字となってきました。つまり、くにゃくにゃ糸が影を落としたような
線になっているのです。ただ、その原型は、たぶん、その象形文字のようなものです。
それが一筆書きのようになると、糸や糸くずのような模様文字になるようです。

長文になりました。

一度、書いたものを読み直して、
それから、送信させていただきます。


崩残さん

ありがとうございました。


あび


・・・


ここまで(②~⑦まで)が、報告文本文となります。
①は本日書いたもの、続く⑧、⑨がその後、続いて書いた追記となります。

⑧、⑨と続く前に、今、ここまで読みなおして、
特に、「馬鹿は恥ずかしいから死ね」という父のメッセージについて、
今になって、理解したことがありました。

それを、補足、ということで、
以下、紺色で追記させていただきます。



結局、父は何を言っていたのか?

馬鹿は、恥ずかしいから、死ね。

なのですが、馬鹿とは何か?

恥ずかしいとは何か?

これが今、しっくりきてきました。

何も難しいことはなく、書いた通りだ。

「親の顔色もしっかり見ないで、自分のことを考えようなんて
調子に乗ってんじゃねーぞ。そんなことをしていると、どうなるか
見せつけてやる。あの問屋つかまえて、あの乞食つかまえて、見せしめるとするか。
よく見てろ、間違うとこうなるんだよ。ミスしたらこうなるんだよ。
だから調子に乗るな。パパは、そういう親を親とも思わず、親のために生きようとせず、
わからんちんで、調子に乗っている「馬鹿」は大嫌いなんだよ。そういう馬鹿は
怖い目にあわせてやるんだよ、こうやって。怖いだろ。「委縮」するだろ。
それだよ、「恥を知る」というのは。そう、委縮しろ。
恥を知れ。死の恐怖を植え付けてやる」

そういうことじゃないかって。

調子に乗ってる馬鹿(顔色をうかがうAC人格じゃないような人間)は、
死の恐怖で委縮しろよ、それもしないような大馬鹿は、
もう二度と電話もメールもするな。

「もう二度と電話もメールもするな。」

これが、彼が最後にメールで語ったことです。

それはどうでももはやいいのですが、

「パパは恥ずかしいよ」とは、
「パパがお前だったら、委縮する(恥ずかしいと感じる)だけの
まともな感覚はあるけどな」という意味だったんだ。

・・・いつからお前、その委縮を忘れて、親に対して、なんだその態度は!

父よ、私は委縮を忘れたことも、恥ずかしさを忘れたこともない。
この常の状態が、委縮であり、あなたが植え付けた恥の感情であることにすら
気づかないくらい、親の言いなりで麻痺した人間になってしまったんだよ。
この私がいつもビクビクしていて、一歩引いてしまい、妄想に足を踏み出す「委縮」が
私にずっとずっと起こり続けてきたことだ。

恥ずかしいゆえに、私がとってきた言動だったのだ。

それが、委縮。

それを今、私は、必死で治そうとしている感情の病だ。
それは結局、AC人格の仮想の恐怖心のことだ。

リハビリで、私が、強制的にやりたい、
強引でもやっていくと思っているのは、
この委縮を克服するには、下がっていてはダメだからだ。

ずっと、下がってきたではないか。

もう、私は自分を裏切らないんだ。

そう声高らかに宣言し、座の中に飛び込めばいい。

そうそれは、今日、そして今、やってきたこと、やっていることだ。

私は、何をやめないか。

それをやめないのだ。

地獄の底に飛び込み続けることを
私はやめない。

そして何度も言いたい。

それは喜びに満ちている。

このことは、今、あらためてアップをするために、
編集し直し、新しい記事を書き、さらに、
⑥と⑦で、紺色で思い切って補足を書いてみたことで、
このことが、一本の線につながったのだ。

恥を知れ、とは、委縮しろ、だったのだ。
死を恐怖し、そして、親の言いなりになれ。
当然だろ?こっちは「親」なんだよ。

親カルトだ。

あなたを親とは思わない。

そう生きているうちに、
カルト野郎の毒父に電話だったが直接言えてよかった。

そのことが今の今になってだけれど、
ようやくつながったというわけだ。



・・・それでは、「⑧座」に続きます。



2015.11.23
あび

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by jh-no-no | 2015-11-23 21:24 | リハビリの巻

⑥座

「⑤座」の続きです。


・・・


・・・戻りました。

1時間足らずで戻ってきてびっくりです。
そこでの作業は15分もしないで済みました。

闘うつもり行ったのですが・・・

もちろん、それは、昨日、あらかじめ
自分のスタンスを店長に明確に示していたからでもあるのですが、
まさに、あの「拒絶した場合に、会社が再催促したけれども
それでも拒否した場合に、会社側がその説明責任を果たした証拠記録」の用紙を
しっかり、用意してくれていたんです。

私が今勤めているこの**(会社)は、
昨日も感じたことですが、不思議な社風があって、
まずは、とても紋切り型のことを言うんです。
ACそのものみたいな。完全に言いなりのロボットみたいなことをし、
それをまた要求するのです。

しかし、昨日もそうなのですが、そこで言いなりにならず、
自分の考えを言うと、個別対応をしてくれるんです。
さすがにマイナンバーはどうだろう、と思っていたので
闘うぞ、と思っていたのですが、こうやって用意してくれていました。

(中略)

だけれど、闘うというのは、
こういうわずかな口を広げるようにしてでも抵抗し、
小さなところからやることであり、それはそれがいいとかどうのでなく、
闘い、必死にもがく、というのは、それしかありえないわけです。
そのことを私はACとの格闘で知りました。
もちろんこの会社がどう格闘しているのかまで私はまだ知りません。
でも、こういう一つ一つの矛盾の中で、紋切り型でもありながら、
それでも手間をわかっていながらも個々対応している姿勢が好きで
今も働いています。

だからこそ、ここが好きだからこそ、
何度も言いますが、本気で闘えるって思うんです。
好きじゃないのなら、やめればいいだけですから。
でも、闘うというのは、やめる(死ぬ)覚悟もある上でできることであり、
それは、絶対にやめない(絶対に生きる)覚悟でもあるのです。
そういうことを日々感じるなかで、誰が敵なのかを、
私は見誤らないようにしたいんです。
当然、最大の敵は、己を売るAC人格という裏切者以外ないのですから。

これからもちろん、二転三転するかもしれませんが、
「こうすることになっていますから」というあの手この手の脅迫には
立ち止まる訓練にいつもなっています。死後のための訓練です。
そこで死後はもっと狡猾な役人がいる、ということですよね。

でも少し驚いたのは、それに署名したのはまず私が一番みたいでしたが、
たまたま今日、「私は会社に提出するのは嫌です」といった人が
私のほかに2人いたみたいなんです。
驚きです。こんなのわりと大きい***だとはいえ、
私だけだろう、と思ったら、私含め、3人もいるんです。
となると、全社となると、無視できない数です。
時代ははっきり言って、完全に、原発のことも、安保法制にしても
すべて一線を越えて、アウトになってしまっていますが、
それでも、意思表示をする人がいるんですね。

正直、私は、自我復元をしていなかったら、
賛成、反対以前に、まともな問題意識が持てなかったのは確実でした。
電気メーターの記事を読んだとしても、きょとんとしたことでしょう。
でもこれは同じ、「この地球でやってはいけない」どころか
「宇宙でやってはいけない」こと、私たちが今まで思っている以上に、
大問題なことなのだ、という認識は、毒親を毒だと認識する精度と
比例することだと実感しています。同じだからです。
むしろ、毒親の密室毒家庭こそ、一線どころか十線くらいぶっ越してしまっています。
それに気づかないで鈍感な意識なら、より狡猾な国や東電、
さらに死後の役人の狡猾さに気づくわけがありません。

しかし、共通して言えるのは、明らかに同意を逆手にとった詐欺です。
つまり、きたない手であり、違反です。

昨日のことですが、実は、こんなことがありました。

店長と主任がいるところで・・・

あ、そう、その前に、今日、私、

その書類に「未提出理由」の欄があって、
こう書いてすっきりしました。
まだマイナンバーは届いていませんが、
受取をせず、その後、再度受け取るように催促がきたら、
その時も、はっきり、言うつもりです。
ブラックリストに乗ろうがなんだろうが、
構いません。

<未提出理由>
「マイナンバー制度導入にあたっての国のやり方に断固
反対の為、通知カード自体の受取を拒否しています」

これ以上、正直な思いはなかったので、
もう、バシッと書いて清々しました。

こんなことも正直に言えない社会など
あってはならないと思います。
でも、思います。国会前の反対運動には私は行きませんでしたが、
このメールの最初のところに書かせていただいた
桜の間[1859]の中のリンク記事で、シールズという方たちだったと
記憶しています。その方の一人の答弁を聞いていて、泣けてきました。
なんでここまで言わすんだって。
こんなことを人に言わせちゃいけない、って。
でも、そう思いながらも、私は、そうだよね、って思った。
それが生きるっていうことだよねって。
私は、彼女が幸せに見えました。生きているからです。
たいへんな只中なのはそうでしょうが、
これは、私自身、体験してきたこと、していることだから、
まったく共感できる自分事なのでした。

話は戻ります。

昨日、店長と主任がいるところで、
マイナンバーのことで少し一般的な話をするシーンがあり、
その主任が「わたし、子どもの分、となんとか番号覚えた。どこかで
書かされるかもしれないから」と言っていたので、私は、
「番号だけでは、何かできるわけではないみたいですよ」ということを
言ったのです。もちろん、「まあ、それもあやしくて、すでに被害も
発生しているみたいですが。でも、基本的には、カードもないとダメみたいです」と
話したシーンがあったんです。

実は、そのことで、ふと後で「あ、間違ったこと言っちゃった」と思って、
急に怖くなったんです。さっきまで、母の核心部までも掘った、最後の砦だ、
くらいに思っていたのに、もろくもACの挙動に、足元がふらついたのです。
それで、でも、そこからが今までとは、だいぶ、違っていました。
どうなろうと、私は、「見よう」という決意があるのです。

たとえ、AC丸出しになろうが、戻ろうが、です。

間違ったことを言った、と思ったのは、
カードじゃなくて、顔写真付きの身分証明書だったよな、と思ったことと、
それ以前に、「番号だけでは何もできないみたいですよ」みたいな、
誤解と油断を与えるようなことを、なんで私は言ってしまったんだろう、と
ドキッとしたからです。

そのドキッとした恐怖は、何か、です。

うまくACは隠そうとしましたが、私は暴きました。
「こんなことを崩残さんにバレたら・・・」というまたこの恐怖でした。
そして、今回、それをよーーーーーーーく観察してみたところ、
今まで難問だったことの答えが、ようやく、わかったのです。

まず、この恐怖につきものなのが、
「調子に乗っているから(こうなるんだよ)」というのがあるということ。
それで、私は、調子に乗っていたから間違ったんだ、ミスした、と思って
それを隠蔽しようとしたり、自白しようとしたり、そして、どちらもACなのは
明らかだから、そう思うと、もうどうしていいのかわからず、ただ恐怖する、と
なってきたわけだけれど、見ているうちに、こう思いました。

調子に乗ることも、
ミスすることもある。

調子に乗ってミスすることもある。

この当たり前の事実に気づいたのです。

それで、また気づいたのは、
私には、これが許されていなかったことでした。

それが、もちろんですが、
「毒父によって」です。そのしごく当たり前のことに
今さら気づいたのです。
言うまでもありませんが、崩残さんに毒父を投影させることで
この処罰恐怖が発生します。

なぜ、私はミスするのを恐れているか?

なぜ、間違うことを恐れているか?

それがわかったのです。

それは、それは「調子に乗っているからだ」と
思い込まされていたからでした。

調子に乗っていると、
「ちょっと考えような」とか「まわりをもう少し見ないと」とか
「何度も同じことを言わすなよ」とか「そろそろやめないとな」という
あの毒父の言葉、態度を想起するわけです。

つまり、調子に乗ってんじゃねえ(・・・だから間違うんだよ)という、
この「調子に乗ってんじゃねえ。親の顔色をうかがえ、まわりをよく見ろ。
なんと言ったか(言葉を)思い出せ。」こういう恐怖の調教をずっと受けてきたのです。

私は、崩残さんを最初すごく怒らせてしまった、***の時、***のようなことを
何の問題意識もなくしてしまったことで、
すごく怒らせてしまった・・・その時、私が恐れたそれが「調子に乗ってると
こうなるぞ」と、桜の間でつるし上げにされる恐怖を味わったのです。
そこから、恐怖は始まりました。そのおかげで、掘ってこれたのですが。
しかし、どうしても、「調子に乗っていると・・・」という恐怖があり続けました。
掘ってもどうしてもその核心に届かないのでした。

そして、昨日まで、ずるずると腐りながらも生き続けたそのゾンビは、
どう思っていたか、というと、やはり、
「ミスしてはいけない」、とりわけ、「調子に乗ってはいけない」というルールを
かたくなにもっていたんです。毒親の、毒父のルールなのに、そうと気づかず、
私のルールとして、つまり、同化したままだったんです。

しかし、調子に乗ることもあるし、
ミスもすることもあるのです。
たとえそれがAC人格が原因でも、「調子に乗った=処罰」、
「ミスした=処罰」というこの公式が、洗脳だったのです。

もちろん、調子に乗ってミスしたら、対応しないといけないこともあるでしょう。
でも、それは罰なのではなく、そういうふつうのことなんじゃないかって。
だから思ったんです。カードと漠然といってしまって、あ、間違った、と
思うのなら、もう一度、自分で調べて、その自分の範囲でわかることとして
もう一度「あのことなんですけれど、カードじゃなくて」と話せばいいだけです。
そして、「番号だけでは」と言ってしまったことも、よく考えれば、これも
「そう思わせてしまったかもしれない」という完全な妄想がまず働いていることを
見るところから始めることが大事でした。そうでなく、妄想からでなく、
「番号だけでは何もできない、という話をきくが、信頼できるとは
僕は思えない」とふつうに思ったことを、もう一度、気になるなら言えばいいだけだ。
ただそれだけなんだ。

そこに「崩残さんの顔色」がちらつくこと、それ自体、おかしいことに気づいて、
その原因を掘る必要があったわけだけれど、今回もこんなことにもすぐに
気づけなかったのです。調子に乗るから、ほら、間違った、やってしまったな、
ということが恐怖として襲ってくることまではわかっても、それが「誰が言っているのか」
それを見たくなったのです。

これをすることが、「直視する」ということなのはわかっているつもりでも、
こういう大きな「回避、拒絶」をしてしまっていたことに、あらためて気づきました。

でも、こういうことを、今は、すぐ見よう、とできます。
だから、どんどん掘れるんです。今までずっとわからなかったのが不思議なくらいに。
なんて思うと、たとえば「最後の砦だ」なんていうと、調子に乗っているのでは、と
いう恐怖が出てくる。


(中略)

(※補足:この中略箇所は、この報告で書くことは私にとって大事なことでしたが、
個人的な領域かと思うので、ここでは割愛いたします。ただ、ここを書いたこと、
また書くにあたって、そこでざわつく自身を直視することから、①座で書いたように、
私が最も厳しく冷酷であることに気づけた、という背景があります。こう思います。
AC人格が恐れる恐怖など本当の恐怖ではない。事実こそ、その事実を知っている私こそ
本当の恐怖なのだ、と。その恐怖は今まで言ってきた恐怖とは、それこそ質が違うので、
恐怖と言ってよいかどうかすら迷いますが、私はそこを生きようと決意したのです。
それは、まぎれもなく、ずっと私が私であり続けてくれた帰還すべき一点、そして座、
地獄、ゴミの中であり、Abyであり、あびであり、新しく、つねに新しく、新春です。)


それが今ゼロになったわけではありません。だから、いつも「油断していないぞ」という
パフォーマンスをどうしても、パフォーマンスだなんて思いたくないから
首をふりながら、必死なんだ、必死なんだ、とやってきました。
でも、わかるのです。今度は自分の番だ、と思うからその恐怖心があることを、
自分自身には嘘をつけないわけです。

ただ、このことを書いて、今、思います。

私は、たとえそれでも、どんなつるし上げにあっても、
私はやるだろう、と。つるし上げ、なんていうと、崩残さんは違います、と
いうのはわかっているんです。わかっていても、まず、ACがそう思うなら
そう思わせておけばいい。しかし、私が今回、取り組んだことは、
調子の乗ったら=処罰、ミスしたら=処罰、もうおしまい、消される、
というのは、誤認なのだ、ということであり、そこを今は、もう、
いや、今でなく、本当はやってきたことなのですが、
「突き抜けないと」いけないのです。それが「戻らない」ということなんです。

調子に乗ればいいんです。

ミスすればいいんです。

それがいいから、問題ではないからではなく、
たとえ大問題でも、他人に迷惑をかけてしまったり、
他人を怒らせてしまったとしても、
そのことと、「処罰される」ことは、まったく関連性がないことを
もう私は自覚的に歩けるはずなんです。

言い換えると、

私は今までの人生で、
調子に乗ってしまった時、
ミスをしてしまった時の適切な対応ができない人間にさせられてしまった、
というところから、自覚的に対処していく努力をしないといけないのです。
怖い、では、もうダメなんです。

もう、「怖くない」ことはわかったのですから。
それをいつまでも「怖い」と言いながら、あたかも恐怖を直視して
結局済ませてしまってはダメだと思います。

調子に乗ることはあるんです。

ミスをすることはあるんです。

この当たり前のことを、今回知ったことは、
大きな一歩でした。とくに調子に乗るのは、
絶対にタブーだ、これは真理だ、と
疑いもなく思い込んでいました。うん。ミスもそうです。
やっぱりミスもそう。ミスしたらダメだ、と思っていたんです。

よくこんなことを妄想しました。

もしも日記とかそういうものをしまったつもりで
実は机に置いてしまったりして、Pに見られたら・・・
と妄想するだけで、血の気が引くのでした。
これを崩残さんに伝え・・・というところで思考停止です。
それだけは、どんなことがあってもしてはいけない、
セキュリティーには、神経をとがらせ続けてきました。

でも、それは、どこかおかしいのです。

もしそういうことがあったら、で、思考停止するのでなく、
調子に乗っていたからだとしても、それによってのミスだとしても、
今の私は、怖がることはないはずなんです。
でも・・・正直、自信がありません。

今、書いていて思いました。

だんだんとわかってきています。

私はこういう自分が恥ずかしいと思っているんです。
遺書だ、とか言っておきながら、すごく情けない話をしていると思っていて、
まだどこかでかっこうをつけようとしているんです。
それが書いていてわかります。だから嫌になります。
逃げたくなります。こんなこと書きたくなかったって。
でも同時に、これを殺したいんです。

どうしたらいいんだろう?

何が恥ずかしくて、何が情けないんだろう?

そこにリアリティーはあるか?

ない。

ないのに、支配されている。

苦しい。

今、明日という一番崩れた形の文字を見ています。

崩残さんが禅書を書くときは、いつも自信などないって
言われます。

私は父や母がそんなことを言う姿を一度も見たことがありません。
そして、私にも、お前は恥ずかしいやつだとか情けないと
言われたことがないのです。

でも、これって、おかしくないか?

恥ずかしい、と感じたり、
情けない、と感じることは
許されないことなのか?

こんなにそれだけで生きた心地がしなくなり、
ゾンビにならねばいけないのは、なぜ???

今、気づきました。

私は、恥ずかしいとか、
情けないとか、その感情を私は許していない。
恐怖というか、生きた心地がしなくなるのだ。

この報告を書こうと意気込んだあの私は
どこに行ってしまったんだろう。

そこにしがみつこうとしている。

でも、今、私が本当に居たいところは、
そこでなく、この情けなく恥ずかしい地点だ。
ここに、実は、中心もある。

この居心地悪さのど真ん中にある。あるはずだ。

私はここにいたい。

今、私は、最高に楽しいリハビリをやっている。

ここに切り込みたかった。

恥ずかしく、情けない私。

でも、ここで私は今、笑っているじゃないか!

大丈夫のようだ。

私はどうやら逃げない。

この最高に居心地の悪いところに
生き生きと居座っている。

これ、今、新しく感情をインストールしている感じだ。

恥ずかしい。

情けない。

「アビサン、アナタハコレカラソノカンジョウヲツカエマス」

少々強引だろうか?

でも、リハビリなんだ。

ぐっとやらないでどうする!

正直、私は今、これを長々書いてきて、
今、一番、楽しい。
ほんと、わからない。
最も生きた心地がしないところが、
私は、今、本当に

「大好きだ」

悪趣味なんじゃないか、とすら思うけれど、
私の中心は刺激され続け、まったく微動だしない。

今、ふと、父のこういう言葉を思い出した。

「パパは、馬鹿は嫌いだ」

だ。

ああ、そうですか、だ。
なら、私は、

馬鹿になろう。

あびさん、なんて綺麗だけど、
馬鹿さんでいいんじゃないか。

そこに

「私」

がいるじゃないか。

崩残さんからも、
お馬鹿メールでいいです、と言ってくださっていましたが、
私は、それがどういうものなのか、わかりませんでした。

それもそうです。

私は、馬鹿じゃない、と馬鹿であってはならない、と
躾けられたからです。

これと、情けない、恥ずかしい・・・その関係は?

今、急に思い出しました。

実質、父が最後に送ってきたメール文面です。


「お前は馬鹿か?

●●(←私の名前)のせいだ・■■(←Pの名前)のせいだとでも、
言って欲しいのかな?

そんなの当たり前ですよ。

現実から逃げているのは、誰ですか?

**へ行ったり、警察に行ったり、役所に行ったり、
葬式を、法事納骨を、**からの請求などの対応、何一つ無視していて
いまさら、何を?

恥を知らないのかな?

パパは恥ずかしいよ。」


馬鹿、恥ずかしい、どちらもここにある。
ここに何かある。

馬鹿は恥ずかしいことで、「死ね」だ。

今、急に、この言葉が出てきた。


「死ね」


だ。恥ずかしいと情けないは似ている。
他者から言われる言葉とそう自覚を促される言葉の違いはあれ、
「パパは恥ずかしいよ」という言の両側面だ。

考えたこともなかった。

逆にいえば、

この最後のメール、さっき読み直して思ったんだけれど、
意味がわからない、わかっていないんだ、と
はじめて自分で自覚した。
このメール、何を言っているか、私はわかっていなかったんだ。

「死ね」

が、省略されていたんだ。ここに。

馬鹿は、
恥ずかしいから、
死ね

だ。これがこのメールで父が私に伝えたことであり、
これ、脅しているつもりだったのか???

いや、そんなことよりも、
私が大問題だったんだ。
脅しと気づかないくらい、これは、あまりに自己同化していたのだ。
何の違和感もなかった。意味がわからないのに。

今、「一人」という書を見ています。

不思議なことに気づきました。

「一」から「人」の最初の一画目につながるこの感じ、
「死」の一画二画だ、ととっさに感じました。

見ていて苦しい・・・

だから見るんだ。でもなぜなんだろう。
そう思うやいなや、なんて心地いい書に思えてくるんだろう。

今日は稽古の日なんです。

夕方7時からですが、今、4分過ぎました。
休んでしまっています。

それが嫌に感じるけれど、ここは、
それでも、この報告を書きます。

もう一つの「一人」は、さらに私を追い詰めます。

ふと今、自分の身体、そして手を見たくなり、
触りたくなりました。

この「一人」、まるで、ボタッ、ボタッ、ボタッ、と
あるこの書は、私、私の身体のようです。

身体が喜んでいる。

今、たぶん、私がやっていて起こっていることは、
「分解」なんだと思う。強制的な大改造に私は掛けている。
何が起こるかはわからない。ただ、止めてはならない。
書もまだ数枚あるはずだ。

次は、また「明日」の文字。
「明」が役目を終えようとしている。

次、

「飛」

だ。「日」そして「飛」だ。飛躍の「飛」だ。

戻らなくていい。

私は母のために、母を心配させまいと
それだけのために生きてきた。

父、お前、死ねよ。

「飛」

言葉にとらわれるな。

これは「覚悟の門」の絵だ。

ここをくぐれ。

あれ、次の文字。竹と何?
わからない。ただ、どんどんと戻っていく。

次は「蓮花」だよね。

さっきから、門の先の世界にいる。

「龍心」

あ、もう一枚、龍心だ。

連心に戻ったよ。

崩残さん、そうだ、いつか私は禅書を頼みたい、と
そう思っているんです。
その時に書いて欲しい文字があるんです。

それは、

「猫」

です。なぜかわからないのですが、
一番、崩残さんに書いて欲しいのです。

そうしたら、大事にすると思います。
それがなぜか、わかる気がするんです。

書は、私はよくわかりません。
でもなぜでしょう。それなのに、書が楽しみなんです。
色のことですが、赤から、今、次第に、
このぽんちょのように、紺とベージュだったり、
たぶん、それは、白と黒の組み合わせだったり、
そういうほうに、関心が移ってきています。

はんてんは裏地はこたつ色ですが、
そういうふうにして、ぽんちょへ、そして、書のような白と黒へ、
赤の要素がゼロではないのですが、急に、関心が変わりつつあるみたいです。

真っ赤な血の色の背景にデスクトップの設定をしたのですが、
先日、▲▲▲公園に行ったときに携帯でとった写真を
壁紙にしてみました。

木々は紅葉のえんじ色と、緑色ですが、
沼や全体の木の影、そして薄いブルーの夕方の空の構成から、
全体の印象は、「紺または黒」と「薄いブルーまたは暗めの白」
といった感じでしょうか。よく今みると違うのですが、全体の印象がそうなのです。

今はこれがいいな、と感じていて
そうしています。

ふと、今、思いました。

この今のこの自分を、いったい、誰が見てあげられるのか、と。

私はさっきから、うっすら笑っています。
なぜでしょう。でも、この状態のままです。

戻るべきところに戻ってきたのかな。

まだ、書き残したこと、あるだろうか?

一度、最近の手書きノートと日記を見てみます。



・・・「⑦座」に続きます。



2015.11.23
あび

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2015-11-23 21:23 | リハビリの巻

⑤座

「④座」の続きです。


・・・


なぜ、母はそんな性癖のへんたいな野郎と別れずにいたか。
それは、父(夫)に、「母親と認めてもらいたい」がためです。
それは、うまい具合にできています。
子どもがいようがいまいが、機能します。
なぜなら、その基準とは、父の中にある「ババ」が母親の理想として
永遠の定規がそこにあるからです。
だから、遺書に最期の最期まで、ババへの嫉妬に狂うのです。
でも、それは、母自身が、夫に「私を母親と認めて」と
他者承認に依存し続けたから、そうなっても、しかたないともいえるのです。
父をかばって言うつもりではまったくないのですが、
父は(狂っていますが)ババだけが「母親」なのですから、
そいつに求めるということは、ババを目指すしかないわけです。

この話の続きを書く前に、
もう一つ書いておかなければならないことがあります。

それは以前にも何度か出てきたエピソードになりますが、
私が小学生4年生の時、一か月足らずだったと思いますが、
父と母が別居をした時のことです。

私は子ども一人、父のところに残る選択をしました。
母が校門で出待ちをしていて、ママと行こう、と言われて
行かない、と言った時のこと、あの時、私は、
すごく切ない気持ちをしたのを覚えています。
だから、そのシーンを思い出すと、やるせない思いがしたのです。

なぜか、です。

そして、もう一つ、私は、自分が父側についたのは、
それが家族を守る上で、フェア(公平)だ、と思ったからだ、と
今まで思ってきましたし、そう書いてきました。
そういうAC(大人子供)だったわけですし。

しかし、これも、少し違っていました。
そしてその少しは、とても大事な違いでした。

何が違っていたかというと、
私が守ったのは、「母」だったのです。
決して父ではありません。明確に、それは、母だとわかりました。

その母から「一緒に行こう」と言われて、
母を守るがゆえに、「行かない」と言わざるをえなかった小学生の気持ちなど
母はわかるはずがありません。
少しショックでしたが、生前、ききとり調査をした時に、
「あの時は、行かないとか言って、生意気だったわよ」と言っていました。
ああ、そう思っていたんだ、とその時、知りました。
私は、あの出来事は、あまりに切ない思い出として残っていたのとは
ぜんぜん違ったのです。

父の側についたのは、おそらく、
ここで母側に行ったら、母に危険がある、と思ったからです。
つまり、私は父の人質になることを、自ら名乗り出たのです。
こうやって、父も、母もですが、二人は手を汚すことなく、
あたかも私の意志で決めたかのように操ってきたわけです。

話を戻したいと思います。

このあたりから、私は、一番の核心にぶつかりました。

結果から書きますと、
私は、Pと出会うまでの少なくとも20年は、
「母を守る」ための任務だった、ということです。
それが、Pを守る任務に変わった、ということです。
たぶん、二つの契約をしたのだと思います。

ざまあみろです。

最期の最期に母との契約をぶち破りました。
そして、今、Pとの契約をぶち破りました。
契約違反、結構です。
こんな自我を捨てるような契約は破棄していい。
この地球でこんな契約が許されていいわけがない。

死後、言ってやります。

「ここはどこですか?地球でしょ。
自我はどこに行ったんですか?
それに乗って自分を楽しむところなんでしょ?
なのに、この契約設定、なんだよ。
契約したほうが悪い?馬鹿言うな。こういう契約を設定する時点で
お前が違反なんだよ」

崩残さんが、桜の間で言ってくださったことが
今、思い出し、そうだそうだ、と思います。

「地球製の自我の壁を舐めるなよ」

そう言ってやるんです。
最初のまともな契約に戻せ、と。
今回の、そう、電気メーターのように
「もう、そういうのはありません」は、私は許さない。
探せ、と。そして、私は自我の要求をバンバンするつもりです。
「ありました。これならあります」と出してくるかもしれないですし。
わかりませんが、私は、まともな契約ルートに戻るつもりです。
一意識として、まともに思える契約に、です。

話が横道に(最も大事ですが)それましたが、

では、母の罪とはなんだったか。

母は、結局、父とグルだった、ということです。
父の子どもへの恐怖の調教は、「好都合だった」のです。
母を守るために、母を心配させないために、
父の顔色をうかがわせたのです。
父は父で、子どもに顔をうかがわせた事情があります。
それが、今まで掘ってきたことでした。
私に対してに限定すれば、兄への代理復讐がその根幹です。
そして、私はそのAC人格と闘ってきましたし、
今も出てくれば叩き絶ちます。見据え、消し去ります。

このことは、また服(ぽんちょとはんてん)を買ったことにも
関連するので、後述する部分がありますが、まず言いたいのは、
ババという母親絶対主義の毒父の恐怖調教は、
母自身が子どもから守ってもらうのに、好都合だったことですが、
馬鹿げていることに、母が何から守られようとしているかいえば、
「母親失格」と夫に言われる恐怖から、必死に保身をしていることで、
しかもその元が同じ恐怖で、子どもを調教させ、それで子どもに
「ワタシ(母)を守ってもらおう」という、こんな馬鹿げたことが、
どこにあるんだよ、というやつです。

もう、見ていけばいくほど、
こんな馬鹿げた狂人たちの元に生まれたことを
後悔してもしきれない思いです。
狂うにしても、これほど、馬鹿げた狂い方はないんじゃないでしょうか。

母に同情の余地がないことは、
こうやって私を「母を守る道具」にしたことであり、
最低極まりないことは、加害者である父の力(恐怖の調教)を「借りて」まで
それをやったことです。
むろん、母を守る、と契約した私にミスがあります。
道具でいい、と言ってしまったわけですし、
父の調教も甘んじて受け入れたのですから。希釈された自我のやることこそ、
馬鹿げているのです。だから、最も馬鹿げた場に降り立つのも必然、自業自得です。

昨日、私は泣きました。

突然、私は松任谷由実の歌ですが、
「春よ、まだ来ぬ春、まぶたを閉じればそこに・・・」
と口ずさんだ時、泣けてしかたがなかった。

あまりに悲しかった。

私は、歌が好きでした。

演歌もよく歌いました。

氷雨とか、津軽海峡冬景色とか、
母が得意なレパートリーを私も歌い、
みんなから上手だね、とほめられ、
歌はずっと自信を持ってきました。

ずっと好きでした。

これもきっと汚れているんだろう、ことは
予測はしていましたし、覚悟していたつもりでした。

でも、この歌、私は誰のために歌っていたかということを
はっと気づいた瞬間、涙が止まらなくなった。
母が歌が好きだから、私は歌っていたのです。
自分でも信じられません。

母のために歌っていたんだ・・・と思った時、
大好きだった歌を失いました。
まぶたを閉じればそこに、母がいました。
それは、そして子の母ではなく、
見たのは、私を道具としてしか見ていなかった人でした。
まさに、Pが、そうであったように。

私は二人の道具でしかない存在でした。
その道具としての存在として、今までの好みや思考、すべてがあります。
どれももう、血のない、枯渇した管のようです。

春よ、

まだ来ぬ・・・

そうだ、あれは春でなかったとわかると同時に、
私は、はじまったのです。

本当の、私の春が。

全自我判定をいだたいて、
「新」のつく出来事ばかりです。
嬉しいことです。

「新春」

新しい春が来ました。

悲しみは、喜びに変わりました。
悲しみが喜びに変わったのでなく、
悲しむ人格は消え、喜ぶ私へと、移行した、ということです。

「春よ、まだ来ぬ春、まぶたを閉じればそこに」

そうなんです。もうそこに、来たのです。春が。私の生が。

鏡を見て、こんな顔見たことありませんでした。
泣き笑いしていました。泣きながら、笑っていたのです。

服のことを書きます。

私は、寒むがりで、
この冬は、はんてんが欲しいと思っていました。

近くに呉服屋さんがあるのを
わりと最近知りました。
ふとんの打ち直しとかしてくれるところで、
6畳もないんじゃないかと思えるほどの
こじんまりとした個人呉服屋です。

先日、寄ってみました。

着させてもらいました。

男性用のはんてんは、3つありました。

大判で手首まですっぽり収まる大きなもの。
それと、袖が肘までのものが2つ。
その一つは、少し、薄手でした。

私は、袖が肘までの、もう一つのを着たとき、
今でも思い出しますが、姿見を見ながら、
身体を回転させるようにして、
「あぁ、これいい」といって、見ていました。
見た目もあるのですが、なにより、はんてんは
私の基準では、着た感触、感じでした。
着心地もよかったのですが、なにより、表面の肌触りが
気持ちよかった。ああ、これがいい、って思ったのです。

それから、反対側に展示してあったちょっとおしゃれな
ぽんちょを見つけました。「これも、着てみていいですか」と。
着てみてすぐ私は「あ、かっこいい。これもいいですね」と言っていました。
でも、はんてんを買うつもりだったので、それはもとに戻してもらったのです。

その日はお金を持ちわさせていなかったので
買えなかったのですが、その気に入ったはんてんについたタグを見て、
私は急に不安になったのです。

対象の身長が、私より低いのです。

着ていた時は、むしろ大きいと感じました。
なのに、これ、本当は、自分より小さいサイズなんだ・・・と。
急に、これ欲しい、と思っていた気持ちが
見えなくなっていました。不安だけです。
でも、この不安はどこかおかしい、というのはわかったので、
一瞬お店の人に「あの~、これって」と聞きそうになったのですが、
いったん、その日は帰ることにして保留にしたんです。

それがなんだったか、わかったのです。

これは、私のトラウマの核にあるものでした。
掘り残し、巨大な掘り残しでした。
そして、それは、ここまで今日書いてきたことと
すべて関係があったことでした。

私は今まで徹底的に、父の毒を見てきました。
そして、AC人格との格闘は、毒父由来の毒が元凶にあるものばかりです。
ただ、それだけでは、不十分でした。
何をもって不十分かというと、感情が委縮したままなのです。
慎重にはなるのですが、感情が委縮したまま。
吃音もそうです。あれは委縮なのです。
口、耳、それらがそれぞれの機能を発揮できないのは、
何か本来支配する権利がないものが、支配権を持ってしまっているからです。
これはAC問題すべてに言えると思います。
自分のコントロールにない舵がそこにあれば、
感情はそこでつまります。当たり前といえば当たり前です。
そこは自分ではないからです。そこで自分そのものといっていい感情が
阻害されないわけがありません。

しばらく、サイズのことにどう対処しようか考えていました。
こういう不安は、PC選びの時も、それだけでなく、
私の妄想の最も基本的なパターンです。
得体の知れないものへの恐怖です。

これも後で理解したことですが、
得体の知れないものへの恐怖があること自体、どこかおかしいのです。
正常な恐怖は、自身が見たもの感じたものの中から生まれるはずです。
でも、得体の知れないものを怖がる、ということは、
そうなるように調教されたからなのです。

本人の体験でなく、
ああしないとこうなるとか、
そういうぜんぜんリアリティーのないところから
そこを入り口に恐怖を植え付けたのです。
それは、父だけでなく母も同じです。
おそらく世界中の毒親がみんなやることです。
だって、それ以外、親都合で恐怖を与えれるはずがないのですから。
子ども自身が自身で判断する正常な恐怖は、親からみれば、
ただの未熟で身勝手な振舞いにしか見えない。
大人の、親の言う成熟など、ただ、親の都合のいい子どもに
ならせることだけのことを言うことは、今まで嫌というほど見てきたことです。

私は、そうやって育てられた子どもでした。

サイズのことを考えた時、まず、それで不安になったりして
ああ、どうしよう・・・となるのは、明らかにACなことは
すぐにわかりました。

だから、私は、この服に限ったことではないのですが、
ACとの格闘が始まってからは、私は、慎重に考え、
すぐに反応しないようにしました。それは何が起こるかをよく見るためです。
Rさんの件と同様、その過程はとても大事でした。
これがAC人格分析であったし、解除を促すものでもあったからです。

それで今回も私は、よく考えたんです。
何を私は望んでいるのかって。
サイズのことは、たしかに、大判のようにもっと大きいほうが
私は好きな気がしました。そういうのが欲しいと思っていたからです。
だけれど、肌触りとか着心地は、その肘までのもののほうがよかったのです。

だったら、それをお店の人に正直に言ってみればいいし、
私がもう一つ心配していたのは、その時はワイシャツとインナーという
薄手のかっこうで試着したけれど、家ではもっと下にもこもこになっているよなあ、
っていうことは、だから、あれはやはり、大きく感じたけれども、
本当は小さいのかな・・・と、そう思うのなら、本当にそうなのかどうか、
着ぶくれして一度試着させてもらいに行けばいいじゃない、って。

そして着てみて、もしもっと大きめがいいな、と思ったら、
お店の人に、今お店に置いていないけれど、大判サイズでこのタイプはないかと
相談すればいいじゃないか、と思ったのです。

AC人格が拒絶する反応に従うのでなく、
自分で考えるというのは、こうやって自分の実際の行動から
経験の中で「好き嫌い」を見つけていく作業だと思っています。
そして、たぶん、それは間違っていたわけではなかったとは思います。

でも、私は、それでもどこかおかしい、と思っていました。
そんなこと言っていたら、いつまでたっても、いつも何も選べないよ、と
自分に言ってきてしまったのですが、そこを見てみることに今回したのです。

「あ、これいいな」はどこに行ったんだろうって。
そう思った。もしあれこれ考えて、ACの恐怖に流されないとしても
この、最初の、「あ、これいい」はもうどこにもないよ、って。
そして、感情や中心に意識をずっと置き続けるようなことを続けていたせいか、
明らかだったことは、「あ、これいい」というものに従っていいことでした。

でも、なぜ、それをすぐに買わないのか?
それは、もし買って小さいと思うようなことがあったら失敗だ、
と思うからです。7000円もするのだから、慎重になるのは当然だ、と
そう思うからであり、「それは当然だよ」という声が優勢になってくると、
だんだんと、「あ、これいいな」という思いすら、あれは、ACが焦って
これと決めたがっている、とか、感情とか思いたいだけで適当なだけだ、とか
いろいろ妄想し始めようとする。

ただ、私は、戻らない、としていました。

その妄想世界に戻らず解決しなければならない、と。
その妄想世界が何かを解決したことなど、一度もないですし、
その妄想世界をさまようことそれ自体が、私はもうやりたくないことであり、
不快なのだから、やりたくないし、戻りたくなかったのです。

すると、あのビジョンが思い出されたのです。

これも、いつか、ブログに書いておいたことです。
何か、これが意味することがわかる時がくるかもと思って。
その時はその時で読み取ったことはありましたが、
今回はまったく違うものでした。

おもちゃ屋さんで、子どもの私が「これ欲しい」といって、
隅のほうでホコリをかぶったものを指した時、
母が「これでいいの・・・」と、その母の反応を見て、
私は、いたたまれなくなったあのビジョンです。
これは実際にあったことなのかどうかはわかりませんでしたが、
たしかこれも、生前記憶の掘り出しの最中にみたシーンでした。
てっきり、これは、この世の雰囲気だったので、
前世にまつわる記憶というより、何かここに、私の行動や癖などが
示唆されているのだろう、と思っていたのですが、
いいえ、これは、前世もこの生も、きわめて重要な母と私の関係性でした。

私がそのおもちゃを欲しいと言った時、
それはただ、「それが欲しい」それだけです。
ホコリなどどうでもいい。見えてすらいないんです、子どもは。
そのホコリがかぶっているのを見て、「これじゃないほうが」と思うのは
大人なんです。母が心配そうな顔、「あぁ・・・」という顔をするんです。

私はそれを見て、ああ、ダメなんだ、と思うんです。
母を不安にさせてしまった、心配させてしまったって。
でも、これは、自分の経験でなく、母の感じていることを察して、
きっとこれはダメなんだろう、こうしたら母が残念がったり不安がったり
心配になることなんだろう、という妄想なのです。
そして、その妄想をするように刷り込んだのが、母であり、
毒親がみんなやることです。そうやって、顔色をうかがわすわけです。

今回の場合、そのタグが「ホコリ」のようなものでした。

ふと、まず思いました。

なぜ、このサイズの記述一つに私は翻弄されているんだろうって。
着てよかったのなら、着て見てよかったのなら、買えばいいじゃんって。

目の前に母はもういません。

でも、もしかしたら、こうしたら
こうなるかもしれない、という妄想は、いったい誰のためにしているのか?
ということがこの日、わかったのです。

母のために、やっていることなのです。

母を心配させまいとしてやってきた、その妄想癖を
私はまるで、自分がいろいろと先々を心配し、計画的に考えているかのように
錯覚させてきたものでした。

これを発見したときは、まじか、と思ったほど、
驚いたとともに、がさっと、妄想癖の軸が折れてはがれていくようでした。

妄想癖そのもの、得体の知れないものへの妄想恐怖そのものが、
実は、これすら自分のやっていることでなく、
「母を心配させないために」今もなおやっていることを見たのです。

こうなったらどうしよう、
もしああなった場合は・・・こういうすべてが、どれがいい悪い、
あっている間違っているにかかわらず、こうやって考え始めることそのものの動機が、

「ママを心配させまい」

この一点だったのです。

ここに、ああ、そうか、とぴったりきたのが、
ここに便乗してきたのが(母からすれば計画的に便乗させたのが)
毒父の恐怖の下味洗脳だったのです。この連携は見事だったわけです。

それがわかったとたん、私のとる行動は
明確に一つでした。

「あ、これいい」のなら、たとえ、もしも、
超小さいものだったとしても、買うべきだ、と思ったのです。
買うべき、というのは、当然だ、それ以外ない、ということでした。
だから、私は、買いに行くときは、もう試着すらしない、と決めました。
失敗してもまったくOKだったのです。

これ欲しいな、をかなえること。

それだけが目的になりました。
正直着られないものでも買ったと思います。
だったら、ひざ掛けにでもする、と思ったし。
飾っておくだけでも本望だ、と思いました。

そう思ったとたん、あの「ぽんちょ」を思い出しました。

これも、私は、買う、と思ったのです。

なぜ、そう思ったのか、というと、
当然、「あ、これいいな」とあの時思ったじゃない!ということなのですが、
これは、何が「ホコリ」だったのだろうか?とも考えてみました。

それを見ていくと、別に、この場合には、「ホコリ」に相当するものは
なかったのですが、実は、この展示品で、無造作にかけられているこの状態のものを
「欲しい」と言うこと自体が、あのビジョンそのものなのでした。
すごくそれでしっくりきたのです。あ、これは買いだなって。

呉服屋さんに言って、
これとこれください、と言って、買いました。
ぽんちょもどういう大きさか忘れていましたし、
生地のことなどもしっかり調べませんでした。

でも、これは、「買う」のです。

欲しいからです。

ここが、原点でした。

感情があるところ、まだ、
AC人格が入り込んでいない地点でした。
ACがものを言えるのは、感情をないがしろにした「後」、そこでしかありません。
そのことが明確にわかったのもこの時でした。

呉服屋さんを出て、私は独り言をいいました。

「よかったね、●●(←私の名前)」と。

そして言いました。

「これ、あびが着るからね」と。

これで、あのビジョンはもう付きまとわなくなります。
こういう儀式は大事です。

随分、書いてきました。

途中、30分くらいうとっとしてしまいましたが、
これから、マイナンバーのことで闘いに行きます。
帰ったら続きを書こうと思います・・・

まだ、書きたいことが残っていますから。



・・・「⑥座」に続きます。



2015.11.23
あび

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2015-11-23 21:23 | リハビリの巻

④座

「③座」の続きです。


・・・


公園に行った後くらいから、
母のことについての記憶が開き始めました。

以前にもブログだったと思いますが、
書いたことがあると思います。

私には、昔から、へんなビジョンが二つありました。

一つは、私はベルトコンベアのようなものに運ばれて、
ローラーのようなものでペシャンコにされるシーンのビジョンです。
そして、脇には***の**おじさんのような男性がいます。

夢、とも違う、へんにリアルなシーンの、
どこかに記憶されているビジョンのようなものでした。

もう一つは、もっと感覚的なものですが、
キューブのようなものに「圧縮」されるような感覚記憶です。

このビジョンとともに、
ある一つの可能性に気づきました。

前世で、母は私と心中をした、ということになっている。
が・・・実は、母は死ななかったのではないか、という可能性でした。

あ、違う。

もっと一番先に開いた記憶は、
母の「早くしなさい」という声が非常にリアルに
母の顔とともに思い出されたことです。

こういうのを思い出す、と呼んでいいのかわからないのですが、
よみがえってくるといった感じで、ただの想像なのか捏造なのか
自分でもわからないと感じるのですが、ただ、思うのは、
こんなビジョンを、私は、別にあえて想像する必要も捏造する必要もないわけで、
それでも浮かんでくるものを、最近は、なんとなく思い描かれたシーンでも
拾うようにしています。意味があるから出てくる、と考えるほうが、より自然に
感じるからです。

前にも確かに、この「早くしなさい」は思う時がありました。
きっとこれは、躾時に、よく言ったんだろうな、くらいには思っていました。

でも、これは、今回思ったのは、
これから死にゆく途中で、もしかしたら駅に行く途中かもしれません。
あるいは、ホームの中ほどで何かぐずって立ち往生してしまった私の手をとり、
「早くしなさい」とひっぱり、あわてるように、電車に飛び込んだのかもしれません。
わかりませんが、この早くしなさい、は前世の記憶に強く残ったものだ、ということ。

だとすると、2歳とか3歳とかくらいの年齢だったのかな、とも思ったのですが、
それはなんともいえないな、と。
早くしなさい、というメッセージを私がどこから読み取ったかはわかりません。
言葉でない可能性もあります。ならば、1歳とかかなり幼い頃、あるいは、
0歳かもしれない、それもわかりません。

そして、一つの大きな可能性として、
それは「目」ではないか、と。
目から、私は、母の感情を読み取っていた。
それは言葉以前の幼い月齢だったかもしれないことに加え、
この生でも母の唯一の躾方針ともいってもよい「目つき、態度、言葉遣い」という文句。
この最初にある最も重視していたのが、「目つき」だったように、
私は彼女の目から、あらゆる情報を察知していたと考えるのは
当然とも思える。

このあたりは、性のこととも関連します。
また触れたいと思いますが、ビジョンの話から書いてみます。

この「早くしなさい」という妙にリアルな声のよみがえりで、
私の記憶の扉は、かなり核心の部分に至った感がありました。
そしてこれは、高い木々を見て、その高い位置に(もちろん木の高さではなく、
ずれた新しい中心のこと)意識が長くあったことで開いたものと感じました。

そこから、次々に、「心中」後の、私のその時の
死後のことが見えてくるようになりました。

私が死んだ時、見た(見せられた)ビジョンが、
あの***の**おじさんが脇にいるローラーでつぶされる
ビジョンだったと感じました。

ローラーでつぶされる、というのは、
私が電車にひかれて死んだことを意味します。

そして、その**おじさん、どこか不気味で、
にやりとしていて、なんともおぞましく、何がおぞましいかというと、
拷問にかけながらにやっとしながら苦しんでいるのを見ているおぞましさ、
私からはこの上ない屈辱を与えられている感覚・・・これ、誰だ、と。

父だ、と思ったのです。

今まで想像したこともありませんでしたが、
私はそれが父だとわかった瞬間に、この心中の背景に、
父がからんでおり、父が加害者であることを、
死後、このビジョンを見せられることで「知った」のです。

なぜ母が死ななかったと思ったかは、
正確にはわかりません。

今回の自殺ですが、母はひかれたのでなく、跳ね飛ばされて
肉体は外見上は損傷はほとんどなかったようで、
内臓が破裂したりしたことでの死亡、ときいています。

前世で同じようなことをしたとしていたら、
私はあのこの前の夢のように、ひかれて死んでしまったのですが、
母は跳ね飛ばされて、たぶん、自分だけ死ねなかったのだと思いました。

これがあの鳥の夢のように、
母は生きて私の亡骸を見るのです。
そして、その前には、私が暴れるのをぐっと抑え込み、
ぐったりさせ、放られる。その「暴れるのを抑え込まれ」の部分は、
きっとなんか嫌な予感を察知し、引かれる手を拒んだ私だと思います。

「早くしなさい」

それはどのタイミングで言ったかはわかりませんが、
それが心中しようとするわりと直前だったことは確かに思います。
私はぐずってタイミングを誤ったのか、それもわかりませんが、
いずれにしても、母はその時も母だけは跳ね飛ばされることで、
打ちどころがよかったのか、母は死ななかったのだと思いました。

というか、死後、私が思ったのがそういうことだと思うのです。

母は生きている、そして、父という加害者がいることを知り、
私は母の身の危険を知ります。父という加害者がそばにいるのですから。
この心中の背景に、父がいたのを知ったのですから。

それとともに、私は「早くしなさい」と言われた(あるいは目で言われた)のに
じたばたしたことで、母を守れなかった、と思った可能性があります。
実際には、母は死ななかったのですから守ったともいえるのですが、
死後の世界の私にはそういう感覚はありません。
加害者のところにおきざりにしてしまったことのほうが、
「早くしなさい」に逆らった自分に対する罪悪感を植え付けるのです。

それと、あの人はこの生でもきっとそうだったと思いました。
いろいろ命令して躾けたとは思いますが、
「○○しなさい」ということのすべてに共通するのは、それらを
「早くしなさい」だったと思います。早く○○しなさい、と。
その「早く」と命令することこそ、○○という命令内容よりも、
子どもの私は強く感じ取ったはずです。感じ、なのですから当然です。
それを目から、強く、感じ取ることを、幼少期繰り返したはずです。

その母の性質は、まったく同じまま、
前世でもありました。

私は死後も、当然、それまでの躾内容が影響するわけですから、
「早く」という強迫観念だけが、次の生を選ぶ最も重要な指針になります。
早く戻らなきゃ、早く同じところに、なんかおかしなことが起こってしまった、
こんなはずじゃなかった、笑顔で幸せな家族でなかったのか?
そうやって、まるで親離れなどまったくしていない月齢の子が少し親から
離れたとたん、すぐそこに駆け戻るように、それと同じようにして、
「急いで駆け戻った」のが、今回の生だった、というシナリオです。

この生の母の自殺についてですが、
これはわかりませんが、本当には死ぬつもりはなかった可能性もあります。
いや、もちろん死ぬつもりだったでしょうが、
ひかれて死なず、はねられた、というのが、母の潜在意識に、
過去、これで死ななかった、という自覚できない記憶があったと思うのです。
結果的には死にましたが。

その前世の私の死後以降のことですが、
おそらく、私がこの生に生まれる前に、考えてみれば、早くその親元に、
といっても、兄弟として下の子として生まれる以外方法がないわけですが、
私は長男として生まれました。前世と同様に。で、いずれにしても、
私がこの生に生まれるまでの「その間」に何が起こったか、ですが、
こうだろう、と思ったのは、母も父も死んだ、ということでした。

しかも、それを私は、その死後のある時期に知ります。
知らされます。

死に方ですが、母は父に殺されたのだと思いました。
そして父は、ですが(正直、父はどうでもいいのですが)、
おそらく、AC人格のはけ口であった母(妻)がいなくなったことで
他者にあたったのでしょう、数人にからんで、結果、リンチのようにして
殺されたのだと思います。

それが、あの夢の、骨だけになり宙づりのなった「大きな鳥」です。
拷問で、という可能性もありますが、私は「リンチ」が最も近いイメージです。
拷問と同様、私は、リンチという言葉をきくだけで、拒絶する感覚を持っていました。
それほどに恐ろしいものだったのです。
こうやって「リンチ」と書いたり、打ち込むことも、できないほどでした。
****リンチという俳優さんがいますが、そのロゴを見るだけで
「リンチ」を必ず思い出したほどです。

父が数人にリンチされているこのビジョンは、
生前記憶の探索の時に浮かんだビジョンでもありましたが、
その時は、黒い影に囲まれているビジョンで、自分の生前のことに思いを
めぐらせていた時だったので、てっきり、それは自分の話のように
その時も書いた記憶がありますが、それはおそらく誤認で、
あれは父が前世、リンチで殺されたことを知らされた「私の死後に見たビジョン」です。

このストーリーは十分にありうるのです。

今回の生で、母は自殺して死にましたが、
あのまま生きていたとしても、たぶん、時間の問題で父に殺された、と思います。
いや、もっと正確にいうと、すでに母は生き殺し状態でした。
だから自殺したわけですから。そして、それは父が自覚あるなし関わらず
(ないと思います)、計画的犯行なのです。

というのも、たぶん、父は、前世に母を殺したことで、
「今度は殺さない」という約束(契約)で、この生に生まれたのだと思います。
だから、時間の問題で、と書きましたが、
殺せなかったと思います。だから自殺に追い込んだ。
しかし、それも殺したことに変わりはありません。
ですので、父は契約違反として、死後、処罰されると思います。

そのことも、潜在意識で恐れているはずです。父は。
だからあれほどに、母の死を「お前のせいだ」と取り乱しわめいたのであって、
かんぐれば、そもそもPと母を敵対させ、次に母と私を敵対させ、
結果、私にせいにできれば、「父は」それでよかったはずなのです。
私のせい、にするには、かなり無理がある自殺です。
そんなことは、第三者が見れば誰からもわかりますし、
あの時も、私は自我復元をしていたから、罪悪感を抱かず、事態を把握できましたが、
当然、父本人は、本気で自分のせいじゃない、と思い込もうとしているのです。
あれほど明確な遺書を見ても、です。
当然ですが、それに毒されている妹、弟も、いまや、完全に、
私を狂った兄だった、と父に洗脳されているでしょうし、それは
一枚も二枚も上手な父が、とっくに妹と弟を洗脳してきたはずです。

前に、Pと母の「声」のことで、コメントさせていただいたことがありました。
それは声の質だけを思い出すようにしてみると、どこか苦しそうで、
つまるようなものだった、と。

それがなぜか、わかってきました。

たぶん、首をしめられて殺されたと思います。
だから、あのような声なのです。

話がこれの関連でそれてしまいますが、
Pももしかしたら、前世、誰かに首を絞められて殺されたかもしれません。
わかりませんが、声が出せないような殺され方です。
ありうるのは、強姦殺人です。
Pはこの生の話ですが、昔から、すさまじく拒絶するテーマがあります。
それはレイプです。また、***のような集団がかぶっている白い覆面姿も
恐怖していました。おそらく、これは、過去生のおぞましい記憶の名残かも
しれません。いずれにしても、口を封じられたり、首をしめられたりして、
声が出せないようにして、あるいは声を絞り出すようにして殺された可能性です。

そう、母が前世で父に首を絞められて殺されかかっている時、
最期に言った言葉がわかった気がしました。
「それでも人か」です。そして、この生の最期も遺書に「人殺し」と書いた。
それは、この生の話であると同時に、そこにより込められたのは、
前世の殺害事件の暴露だったと感じました。

この声の感じが、母とどこか似ているのです。

今はPの話は脇においておきたいと思います。

また、このことがわかったもう一つの
これまた妙なビジョンを私はずっと持っていたのを思い出しました。

これはどこにも書いたことも
言ったこともないものです。

私はいつからか、洋式の便器の中に、
母の顔(首)だけがある、そんなビジョンを持っているのです。
生きてそこに顔がつまっているようでもあり、
死んでいるようでもあり、いずれにしても、
おぞましい光景です。

その光景を、私が便座に座っておしっこをしている時に思い出したりした日には
思わず、便器の中をのぞき込んだりしたことも何度か(も)ありました。

その「顔だけ(首から上だけ)」のシーンを思った時、
もしかしたら、父は、バラバラ殺人で母を殺したのかもしれない、と思ったのです。
最初はそう思ったのですが、いや、首を絞められたのでは、と
ふと思いなおしたのです。

このビジョンもおそらく、前世の私の死後に、
「母が死んだことを知らせられたもの」ではないかと思いました。
ここで父が加害者であり、また、母は被害者として死んだことを
きっと認識したのだと思います。そして父もリンチされて死んだことも知り、
そこからはどういういきさつかはわかりませんが、
いずれにしても、まったく夜泣き設定から同じに同じ両親の元に生まれたのです。

このあたり(だけではありませんが)よくわからないのですが、
なぜ夜泣きから同じ設定なのか、は、実は、母側の都合とも思えました。
「今度は殺さないから」という約束(契約)は、母もした可能性があります。
だから、私は殺されず(肉体的には)、成人したわけですから。
父の場合は、殺さない対象が妻だったわけですが、
母の場合は、殺さない対象が子ども(私)だったわけです。

母のあのしつこいメール攻撃の時にも書いていたことがあります。
「あれほどの愛情を注いできたのに」というメールから私が感じたのは、
「殺さないであげたのに」という「当然だろ、そんなの」と
言いたくなるような感覚でした。

その「殺さないであげたのに」は、あながち、本音だったと
今回、わかりました。これが、主たる私との契約だったからです。

そして、また前世の話になりますが、
私が死んだ後、何を起こったかですが、まったくこの生と
同じことが起こりました。

それは、子どもがいなくなるやいなや、
母は「母親」としてのラベルをはがされ、ただの妻、
それは、父にとって「性的対象」だけの存在、
あのおぞましい性嗜好の的でしかなくなったのです。

この生でもそうです。

子どもたちが成人し、離れていって、徐々に何が進んだかといえば、
今まで母のことをそれほど悪くいったのを私は聞いたことがなかったのに、
少しずつ少しずつ、悪口が増えていったのです。
それは、今思えば、人間扱いしていない言い文句でした。
「金遣いが荒い」だとか、そんなことといえばそんなことくらいからであり、
めちゃくちゃなことを表面的には言っているわけではありません。
しかし、ここに込められたのは、完全に、人格否定でした。
それは子どもから見ても明らかにわかるはずのことでした。

そして、これ自体がおぞましいことなのですが、
母が遺書に残したように、父は最後には、半径1m以内に近づくな、とまで
母に言ったそうです。それは想像にかたくないことです。
父が母(妻)をあれほど毛嫌いしたのは、
実は、母(妻)が「太ったから」だと思います。
完全に性的対象にすら、ならなくなったのです。
母親ですらなく、妻でもない。
となると、父にとっては、もうそれは「人間ではない」のです。
太っていいのは、ババ(父の母親)だけです。
ですから、太るのは、最も許せないことでもあったはずです。
ましてや、「あなたのお母さんだって太ってるじゃない」と言うなど、
父の殺意を増すだけだったでしょう。

こうやって、時間の問題で、母は生きてはいけなくなったはずです。
実際、自殺直前は、生活費を渡さない、と宣告されたわけです。
それが母の母親由来のトラウマと重なって自殺の引き金となったのは
以前掘った通りです。これで、父は、完全犯罪を狙った。
でも、殺したのは、何度も言うように父ですから、契約違反です。
誰が母を殺したかを、自覚あろうがなかろうが、一番知っているのは
父本人だからです。

前世では、私を殺したことで、母に父は
「母親失格」のレッテルを貼りました。

これが、この生にも強く響いていたのに
先日気づきました。

Pとの口論で、一番、母が怒りが沸騰していたのは、
Pに子育ての仕方を否定されたことでした。
私は正直、なんで、弟(B)の育て方が悪い、とか言われたことが
その中でも最も怒りの中心にあるのか、まったく、理解できませんでした。
だから、本当に意味不明でした。
どうして、Bの子育てを否定されたことから、どうしてこれほどまでに
私にあれほどむき出しの敵意を向けたのか、まったく謎でした。

でもわかりました。

母にとって、実は、子育てこそ、
命だったのです。
母はそんなこと、一度も言ったことがなかったので、
私は気づかなかったのです。大人になるまでも。
もちろん、躾には力を入れた、とは言っていました。
でもそれは、間違っていようが子どものためにと思ってしていたのだろう、と
なんとなく漠然と思ってしまっていたのです。

しかし、実は、母は「母親失格」こそ、
そういわれることこそが、爆弾だったのです。
それをPはやってしまった。
それを野放ししている夫の私に敵意が向いたのは、
それに関連する母にとって大きな事というのが、
「私を殺さないであげたじゃない」というものだったはずなのです。
母は自分でそれに気づいていたかどうかはわかりません。
ただ、父が「オレのせいじゃない」と取り乱すように、
母にとっては、少なくとも私が「あなたは母親でしたよ」と認めてあげなければ
どうにもならない状況に、母は追い詰められていたのだと思います。

同情の余地はゼロです。

死ぬまで連絡をとらなかったことも正解。
死んでもお葬式に行かなかったことも正解。
あなたを母親と認めないと、遺書に向けて放ったのも正解。

全部、それでよかったことであり、
罪悪感のかけらも抱かず、自殺の報告を受けたその日も
稽古に行く途中のメールだったが、無視して正解。

自業自得です。

それをこれから書きます。



・・・「⑤座」に続きます。



2015.11.23
あび

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2015-11-23 21:22 | リハビリの巻

③座

「②座」の続きです。


・・・


この日、ここに訪れていた「釣り人の男性」と少しお話しをしました。
このあたりに、他にもメタセコイアの並木道とかありますか?
ということを尋ねたところから、その方は、いろいろなことを教えてくれました。
けやき並木がある場所が、別の駅だが、あること。
話はどんどんと違うほうにいって、この沼にはえびがいるんだよ、とか、
うなぎもいてね、うなぎはえびが大好物だからとか、そんな話もききました。
また、12月●●日は、**(これで****と読むみたいなのですが)神社で
おかめ市があって、**祭りっていうんだけどね、とか、いろんな話をききました。
そして、この沼は、その男性が子どもの頃は泳げるくらいに透明で、
ある時、ボートをやる都合で藻が邪魔だからってその沼からとることになり、
それから濁ってしまった、藻がきれいにしてくれていたのにって。
今その方は、**川で釣りをして、ここの沼に放流している活動をしている人でした。

今まではこういう話をきいていると、
早く終わらないかな、としかたなくきいていたして、
無駄な時間をすごした、と思ったりよくしました。
今はどうかな、と思うと、そういうことを思わないわけではなく、
そう思ってしまう私もいるのですが、ただ、これは今までと違うな、と思ったのは、
その要所要所で、「それってあれですか」とか、
おかめ市は、何駅の何口から出れば行けるんですか?とか、
まるで自己中そのもののように、自分が興味があるところだけ、
質問して知ろうとしたりしていました。
おかめ市、行ってみたいな、と思ったりしていたので、
まあ、本当に、自分勝手なんですね。

実は、その後で、その話を20分くらいきいているうちに、
夕暮れになってしまって、紅葉の感じも失われつつあり、
「あちゃー」って思ったのですが、考えてみれば、紅葉を見に来たわけでもなく、
どうやら、ライトアップもされるみたいだし、それはそれで、
夕暮れの並木道も体験しよう、と思っていました。

まだ夕暮れになる15分くらい前に、私は、沼で遊ぶ3人の子どもに会いました。
私は久々に子どもに声をかけてみることにしたんです。
さっきのおじいさんが教えてくれたことをさっそく言いました。
網、といっても、セミをとるようなあの虫とり網ですが、
それを使って、沼に入れ、すくうようにして遊んでいます。

私:「なんか釣れた?」
子:「ううん、釣れない」
私:「えび、いるんでしょ」
子:「うん、でも釣れない」

一人の男の子が、「あっ」といって、何か持ってきます。
地面に小魚が数匹落ちているのを見つけたみたいで
ほら、といって、男の子2人、女の子1人、それと私で見ました。
死んでいるね、なんかべとべとする、とか子どもたちは言い、
あ、そうだ、これ餌になるんじゃない、とかひとりの男の子が言うと、
そうだよ、うん、うん!と女の子も興奮気味。
早速、もうひとりの男の子が網の中に小魚を入れて沼へ。
すると、小魚は軽いから浮いてきてしまう。
ダメだよ、どっかいっちゃうよ、とか、もう、みんなでワイワイ。

ほんの数分でした。

私は、まだもう少し散歩したかったので、
じゃあ、またね、と言うと、みんな、
「ばいばーい」って言ってくれたんです。

私は、このあまりに尊い会話を体験したことに
この時気づいたんです。子どもたちは、とても律義に別れの言葉を
本当に私に向けて、たった数分の出来事だったのに、一緒に遊んだ仲間として、
そう、それは本当に「礼節」と呼ぶにふさわしい気高さをもって、
私に別れを告げてくれたのを、即座に、私は感じました。

そして思ったんです。

子どもたち、本当に数分ですが、みんな勝手なことを言っているんです。
好きなタイミングで、好きなことを、自分の都合で。
勝手に動き、なんとなく、その3人の群れが動いていくのを
その後も少し眺めていました。それは、まるで下敷きの上の砂鉄のように、
面白いように群れて動くのです。勝手なことをしながらも、まとまっています。

この自己中全開な子どもたちは、まったく、他の子の「邪魔」をしません。
ただ自己中なだけなんです。しかし、それは、一緒に遊んでいるんです。
そして、一人じゃできないことを、この群れゆえにできているんです。
私は、はじめて、健全な他者依存を体験しました。
それで気づきました。だから、彼らの「ばいばーい」は本当に礼節から、
いや、礼節という言葉がふさわしいかどうかわかりません、本当に感謝の気持ちから
出てくる言葉であることに気づきました。

「あそんでくれてありがとう」

これがあんなにも正直に言えることに、
私は自分が恥ずかしくなりました。
こんな大人になってしまった。ずっとあの子たちのほうが大人なのだ。
本当の大人とは、いや、大人とか子どもとかじゃなくて、
人の健全さなんだ、これが、と。

これは家に帰ってから、その後に思ったことですが、
私は、自我復元をしてきました。
掘ったのは自分の手だと思います。
しかし、崩残さんがいてくれなかったら、
自我復元はできなかったんです。

いや、できなかった、というのでなく、
崩残さんがいてくれて、出会えて、だから、
私は、掘ったのは自身の力だとしても、自分だけではなしえないことだった、と。
私は、そう、私も健全な他者依存を体験していたんだ、そのことに気づいた時、
私は泣いてしまいました。

崩残さん、ありがとうって。

倒れこむように泣いてしまいました。

でもその後、どうしても、私は、それが素直に言えず、
「ありがとう」が嘘のように思えてしまうのです。

このことは今もあります。

でも、今日、一つ、わかったことがありました。

そして、それでいいんだ、と思えたこと。

それは、

私は、崩残さんに「ありがとう」と

「言いたいんだ」

ということでした。

言いたいんだ、それでいい、と。
なぜなら、それが、

「感情」

だったから。

その感情が、「ありがとう」であり、
ありがとう=「感謝の言葉」とかではない。

でも、私は、

感謝の「言葉」、それが、ありがとう、だと
刷り込まれています。

だから言えないのです。
そのリアリティー無しの側が支配権を握っているから。

でも、今、私は、それが虚であることを知っています。
そして、「言いたいんだ」ということこそが、
ありがとうそのもののことなんだ、とわかってきました。

そう、先日思ったんです。

自我復元をやってきた自分をふと振り返った時、
「自分の好きなことばっかりやってきたなあ」って。
苦しいこと、しんどいことばかりだったけれど、
それは、本当は、自分のやりたいことばかりやっていたことだった、と。
その時は、一番自分のやりたくないことをこれでもかこれでもと
やり続けるのが、当然、それが自我復元でした。
逃げないように必死でした。

でも、本当に不思議ですし、不思議ではないことなのですが、
私は徹底して、人生ではじめて、「好きなことだけをやったのが」
自我復元だったのです。AC人格との格闘、あれも全部、私は実は
好きなことしかしなかった結果、停滞しないでやり続けられました。
まったく驚きですが、自分のやりたいこととは、
この自我復元というプロセスそのものですから、見つけるもなにも、
もう体験していることでした。

後は、「戻らない」ことなんです。きっと。

今までの刷り込まれた様々な価値観や思考パターンを
まだ見破っていないものがあったら、徹底的に見破り、
そして、「戻らない」ことです。

解除、というと、それをどこかにおしやるイメージがあったのですが、
最近、仕事中のAC人格との格闘から、本当の解除とは、
私がその土俵を去る、ということなのだ、とわかってきました。
自分の中のAC人格だろうと、まわりのAC人格だろうと、
当たり前なのですが、AC人格の土俵でなければ、AC人格は無力なんです。
勝手になんかやっているらしい、くらいのものなのです。
しかし、その土俵に半歩入るやいなや、濁流にのみこまれるように、
妄想の蟻地獄に落ちるのが、さんざんに経験してきたAC人格のループです。

職場でのことを先に書いてみようと思います。
また後で、公園のことに戻るかもしれません。

先日、私は、Rさん(女性の先輩)との闘い、
もちろん、目に見えない闘いです。なぜなら、これは徹底的なほどに
私の内面に潜むAC人格との闘いだったからです。
こんなにも純粋なほど、内面的な闘いだったものはありませんでした。
それほどに、この仕事中の妄想というのは、毒父のトラウマを
濃厚(なんてもんじゃない、あまりに酷い程度で)に投影していたものでした。
何か月かかったかわからないほどです。
しかし、その日、私は、

「新実感日」

として、一つの決着がつきました。

私は、自分を裏切らないことを、
真に、「実感」した日、でした。

裏切らない、とは、
何かをすれば裏切るとか裏切らないとかでありませんでした。

今、言葉で言ってしまうと一言になってしまうのですが、
自分を裏切らないとは、何をしたらどうとかといった「内容」ではなく、

「感情」

のままに、事にぶつかることでした。

そして理解したのは、AC人格にはそれができない、ということです。

AC人格かそうでないか、という迷い、というのがあります。
それは、私もずっと悩んできたことです。
しかし、そういうものが「もろともぶっ飛ぶ」のが
感情という地点でした。

その日に起きたことは、私にとっては
新実感日と言うほどのものであっても、
Rさんとの間でなされたことというのは、
そんなこと?というほどに、むしろ、AC人格っぽいものでした。

私が***をしていた時に、
***に戻るように急に言われて、
後少しで今出しているのが終わるのが見てわかるのに、
まるで嫌がらせのようなタイミングで、
そして、「お前には裏方の仕事など、ほんのちょっとしか
させてやらないんだぞ。***に閉じ込めてやる」という声が
Rさんからはっきり聞こえるかのように、
「○○さん(***に今入っている人)と代わって」と言ってきました。
ワタシがその仕事代わるから、と。

○○さんがもうあがりの時間なのもわかっていました。
でも、私は、もうちょっとで終わるこの***を
突然邪魔されたことに、そして、そこにいろいろな思惑を一瞬で感じて、
私は、Rさんにこう言っていました。

「もう少しなので、これは出しちゃいます。
代わるのなら同じことなので、Rさんが少しの間、
***に入ってください」

と。Rさんは、まさに取り乱すかのように、
「なんで?どうして代われないの?えっ、なんで・・・もうなんで!!!」
といいながら、***のほうから誰か交代がくるようにとの催促に
嫌々、***に向かっていきました。

Rさんも大きく動揺したはずですが、
私の心臓はバクバクでした。

私は、ついに、自分でも想像していなかったことが起こったのです。

そして、決着がついた、と。

しばらくして、***に入ったとき、それがじんわりと、
そして強烈に実感したのです。
私は、もう、自分を裏切らないんだ、と。
本当なんだ、と。

表面的には、あたかも、AC人格の挙動そのものを
やってしまったかのような態度でした。
内容的には、たしかにAC人格の挙動そのものに
自分でも思えます。でも、決定的に何かが違っていました。

それは、事の「事後」にわかったことです。

AC人格の渦だろうがなんだろうが、
私はそこに飛び込んでも、もう、決して裏切らない、ということが
強烈に実感したのです。

これは、また別な日に思ったことですが、
ついに私は、感情で身を滅ぼしてもいい、そういう生き方を
私は選んだ、ということでした。

そして、「感情で身を滅ぼして本望」こそ、
自我のある人間として生きる生き方であることを理解しました。
感情のままに、その後どうなるかなど、何の保証もない。
でも、それこそが、本当は自分が経験したかったことなんだ、と。

なのに、その感情に従わず、その後の不安から、
毒親の言いなりになったわけです。
感情のままにぶち当たったら、もしかしたら、親に
殺されていた「かもしれない」。

あくまでも、かもしれない、であって、
そんな仮想の恐怖を妄想するなど決してしないのが、
本来の人間の生き方だと思います。

この日の体験と、公園での体験は
密接につながっていると感じました。

「戻らない」のです。もう。

「戻ってしまうんじゃないか」という思考が、
委縮させてしまうのです。
この思考は、皮肉にも、AC人格を掘る時には、
疑いに疑う上で、重要なものでもありました。

Rさんと接する時、私は、ずっと、
AC人格の挙動をとらないように、
言動を監視して、抑えよう、抑えて抑えて、
と、そうしてきました。
それはそれで重要でした。
抑えないで思い切って何かを言ったりやったりしたところで
それは例外なく、AC人格の挙動、動機であることは明白でした。
そこから、私は、毒父由来の毒を、掘って掘っていったのです。

必死に抑え、観察し、分析し、格闘し、また、抑え、観察し・・・
この連続が、終わったのです。

その終わりの合図が、

感情のままにぶちまけることでした。
ぶちまける、といっても見た目を静かだったはずですが、
やっと、「感情」が、出てきてくれたのです。
それは、私がもう私を裏切らないことがはっきりしたから、
感情は出たのだと思います。

感情の、もう、出番だったんです。

そして、私は実感したのです。
自分を裏切らないことを。

これを期に、ここ数日、まったく以前とは違う心理状況になりました。
職場での格闘はなくなりました。
反応はしてしまうことはあるのですが、それは今や、
コントロールがきくものになったんです。

今日、そして思ったことがありました。

「一生懸命仕事をしている人を馬鹿にするのなら、すればいい」と。

Rさんに投影したAC人格との格闘が苦しかったのは、
私とRさんは非常に似た、同じともいえるAC人格だったからです。
だからこそ、まったくこの闘いはRさんを目の前にしても、
100%自分の内面の格闘だといえるほどに、純粋に、自分との闘いだったのです。

なぜ、一生懸命にがんばっている人を馬鹿にするのかは、
今までも何度も掘ってきた通り、父は「おじちゃん(父の兄)」に
なりたかったからです。自分は必死に一生懸命働きつつも、
そのような働き方を馬鹿にする、という矛盾を抱えて生きることになります。

私もまったく同じでした。

自我復元も例外ではありません。
私は必死でした。でも、必死にやっている人を見ると、
小馬鹿にし、斜にかまえて、その人が挫くのを望む私が居続けました。
まったく自虐的です。実際、そうやって、自分が挫くのを恐れるのです。
この恐怖は相当でした。そして、私は、そういう自分が嫌で嫌でしかたなかった。

そして、その突破口は、父の仕事観にあることを突き止め、
徹底的に職場という現実世界で、AC人格と闘うことにしました。
Rさんがかかわることで妄想はすごい力を持ちました。

でも、それも、今回、決着がついたのです。

馬鹿にするなら、すればいいのです。

Rさんにできることは、それくらいなのです。
言い換えれば、私の中のAC人格ができることは、そのくらいなのです。

いくら馬鹿にされようが、いじめられようが、
それは、相手が勝手にやることです。
「AC人格にとっては」それは痛いだろうけれど、
馬鹿にされたり、いじめられたり、それ自体は、
「私にとっては」痛くない。

といって、何もしないわけでもない。
何もしないかもしれないが、するかもしれない。
それは「感情が決める」ことなのだ。
今回のように。

とくに昨日今日、この出来事の後は、
私は、この仕事が好きでたまらない。
***に閉じ込めてやれ、という意図を感じようがなんだろうが、
私は、今の、この自分のやっている***という仕事を
もう嫌いになどならないのだ。この仕事が好きだ。
父が本当は「大嫌いだった」仕事、その仕事を、ついに私は、
好きになることができた。そして、一生懸命仕事をすることを
今日も7時間フルに楽しんだ。どもる余裕もないほど、楽しんだ。

そして、今日、もしも死んでも、
悔いのないよう、全力で働いた。

公園の話に戻りたいと思います。



・・・「④座」に続きます。



2015.11.23
あび

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by jh-no-no | 2015-11-23 21:21 | リハビリの巻

②座

「①座」の続きです。

ここから、報告文を一部編集し、掲載します。

文中に補足として追記した箇所があります。
今来ているぽんちょの色に近い文字色で示してあります。


・・・


崩残様

あびです。

仕事から帰り、桜の間を拝見し、また、
以前に崩残さんがリンクをはって紹介してくださった
梅の間[1859]中の放射能関連サイトを読んだところです。

何から、書こうか、と思っています。

たくさんのことを書かせていただくことになると思います。
長文になると思います。
よろしくお願いいたします。

馬鹿みたいな話ですが、私にとっては、大真面目な話から
書いてみたいと思います。

まるで、遺書を書くように、こんなふうに
報告を書くのは、これがはじめてですし、
それもそうです。遺書ですから。
・・・もちろん、AC人格の遺書です。

そして、ブログのタイトルをつけるように、
私はこの報告文のタイトルに

「新春」

とつけることができたことを、
誇りに思います。

服の話も記事にありました。
似合う服装かどうか、それはわからないのですが、
私は、このところ、ずっと掘っていた「母の、その最初の毒」を見て、
私は、近くの呉服店、**呉服店というのですが、
そこで、ぽんちょとはんてんを買いました。

今、椅子の背もたれに、そのはんてんはかけて、
ぽんちょを着ています。

はんてんは、紺色で、内側はこたつのように暖かい色です。
肘の少し手前まで袖があります。

ぽんちょは、袖なしのチョッキのような形で、
内側は起毛というんでしょうか、コールテンのようになっていて
フサフサしています。起毛の部分は、濃い紺です。
表側はうまくいえませんが、紺と、ベージュ(金と茶を混ぜてベージュのように
明るめにした色でしょうか)で構成されています。

なぜ、これを買ったかについて、
後で書かせていただくと思います。

今は、今の服装を書かせていただいております。

下は、白のワイシャツと、黒に近いスラックスです。
ワィシャツは2枚を着まわしています。前から持っているものですが、
これを着て、私は、闘ってきました。
ワイシャツの下には、はじめて買った黒色のインナーを着て、
その上に、黒のTシャツを着ています。

この黒のTシャツは、昨年夏、合気道の体験入門の時、
まだ道着がなかったので、これで数回、体験をさせていただきました。

パンツは、さっきはきかえたのですが、
「勝負パンツ」です。というのは、これも、自分ではじめて自分のために
買ったパンツでした。これをはいて、最初に、合気道の稽古に臨みました。
靴下もそうです。黄色と黄土色の真ん中くらいの色で、これも
最初の稽古の時、はいていった靴下です。

椅子のおしりのところには、座布団と、その下に、
死人禅や、それだけでなく、それは本当にいつもそこに座っていた高さ4,5センチ
ほどの自作の台を敷いています。
段ボールの中に雑誌をつめて、高さを作りました。
これを作ったのは、もう3年以上前ですね。
自我復元を始める5ヵ月ほど前、やり忘れたこととして死人禅を思い出し、
それで、高さのある畳のかわりに自作したものでした。
その後も、何度かの期間に分かれて死人禅をやるときはいつも使いましたが、
それ以外にも、ここによく、私は座っていましたし、今もです。

でもそれは床に座る時だけでしたね。
でも、今は、PCの前で、椅子の上にそれを置いて、私は座っています。

髭もそりました。
軽く歯を磨き、身の回り、少なくとも今日やっておくこと、
たとえば、ゴミ袋の口を閉じるとか、乾燥させていた米用の瓶に
古いお米を移しておくとか、そういう些細なことですが、
今日、やっておくことでした。

ゲランドの塩入りの砂糖水ですが、
この前、濃く作りすぎたのか少し具合が悪くなってしまったので、
ここ数日、ハーブティーのティーバックを購入して、
それに砂糖を入れています。今使っているのは、てんさい糖ですが、
今日、きれてしまっていたいつものお砂糖(****さんから
****というのを購入させていただいております。これは
サトウキビ原料で、糖蜜だけを物理的に調整したお砂糖、となっています)が、
届いたので、明日からは、それを使おうかな、と。

でも、明日、今は、
考えていません。遺書ですから。

そう、今は、てんさい糖を入れたハーブティーを脇に用意しました。
これから、これを一気に書いていくために、最後の水分として。
フルーツベースの味で、けっこう、気に入っています。

崩残さんからいただいた書を、PCモニターの脇に立てかけています。
「連心」がここにあります。書きながら、次、次と見ていけるように、
重ねておいています。

これで準備はできました。

死ぬ準備です。

私にとって、これが、死に装束となって悔いのない服装であり、
身の回りの環境です。

ACとの闘いは、これからも続くでしょう。

しかし、

今日、AC人格には、ひとまず、死んでいただくつもりです。
本気です。

自己暗示全開・・・いや、違います。暗示でなく、本気です。

何から書こうか、と思います。
迷いませんが、いろいろ、思います。

崩残さんのところも、今日はあまり寒くないでしょうか?
こちらはなんだか、少し、暖かいです。
これから冬だというのに。

今日、仕事に出かけるとき、
半月が出ていました。

きれいに、半分、の半月でした。

私は思いました。

この世界に、片足半分、
別の世界(死後の世界?)に、片足半分いるんだなって。
崩残さんが、スイッチの話、されていましたが、
半分、私も押していいような気になりました。

半分、です。だから、半月だったのだと思います。
あんな綺麗な、いや、妙に人工的に見えた半月は初めて見ました。

私の場合、スイッチ、というか、そうでなく、
今、二つの領域が、混ざるように、きっと生きているからだと思います。
だから、現実感覚が、この世とあの世がちょうど半分ずつになっているのです。

そんなことを思いながらの、
今日の出勤でした。

「連心」、2枚目です。

雨のように字が流れていて、
私は好きです。みずみずしく、私の体液のようです。
血、とは違います。私を潤す体液です。

今日の仕事でも、いろいろありました。

ちょうど桜の間でも話題になっているところですが、
いよいよ、マイナンバーを「会社に通知するためのキットの配布」が
スタートしました。マイナンバーが、ほとんどの人に届いていないのに、です。

そのキットを管理職から受け取るように、とのことでしたが、
そこで、ストップ、です。私は。私は、マイナンバー受け取りませんから。
店長にその旨、はっきり、お伝えしました。
もちろん、会社に迷惑をかけるつもりもなく、喧嘩腰でもありません。
国のやっていることに対しての意思表示ですから。

前にも書きましたが、私は、この会社が好きです。
だから闘ってこれたのです。
だから、今回も闘うのです。正しい相手と闘うつもりです。
明日、担当の方と直接話すことになっています。
私は、今、何の不安もありません。
思うままに、為すだけです。

年末調整の記入のことで、少し、もめました。
「ここに、書いてください」と、それこそ、何の説明もなく、
書くことになっているから、と。
それは配偶者控除対象者の欄なのですが、紙面をよく見ると、
「配偶者控除が適用となる所得以上を配偶者が稼いでいる場合は書かなくていい」と
いった趣旨のことが書かれていて、それに相当するのに、なぜ?って
思ったのです。ただ、みんな書くことになっているから、と。

相当、上から目線、威圧的でした。

でも、私は、そこでも、ちゃんと思うところ述べました。
するとあたかも、私が何かを言おうとすると、
会社に文句があるのか!と言わんばかりの雰囲気でした・・・が、
これ、言ってみると、変わるものです。相手が。

配偶者控除対象者じゃないのに書いたら、
それで年末調整されてしまったとしたら、
(もしその後私が確定申告でもしない限り)
少なく所得税を納めることになりますよね?
それ、脱税になるんじゃないか?と思って、しかも、
紙面には、書く必要はない、とあるので、そうしたまでであって、
何も、会社に文句があるわけでもなんでもないわけです。

ということを、普通に話すだけで、
相手は態度が変わるものです。
急に、「ああ、そうでなくて、それは大丈夫です。
あくまでも、会社として配偶者の氏名や住所を知りたいだけですから」と
まあ、ぜんぜん、言っていることが違うじゃんって。
だったら、控除云々には関係なく、ちゃんと源泉徴収してくださるのなら、
まったく私はいいわけで、最初から、配偶者の情報を会社が把握・確認したいから、
と言ってくれればよかっただけですし、それなら、はいわかりました、と
私も対応できたはずです。

さっき、たまたま、桜の間に、
そのような話題が書かれていて、ああ、まさにこういうことなんだよ、と
今日、自分の体験を通じて感じたばかりでした。
電気メーターもマイナンバーもこういった会社の経理上の提出資料も、
全部同じことが起こっています。

店長が、ぽろっと本音を言っていましたが、
「一人だけ足並みがそろわないのは(あまり好ましくない)」とか、
「手間が増えないのなら構わないけど」とか、
そういう実は「脅迫」があるわけです。
これは脅迫なんだよ、と強く感じました。
それで、みんな、今までの私もそうですが、
そろそろと言いなりになってしまうんです。

でも、おかしい、疑問だ、というのがあるはずなんです。
それを言うことと、会社にたてをついているのとは、
まったく別のことなのに、あたかも、そのように思わせて、
「足並みをそろえないと迷惑をかけてしまう」かのように
言い方や誘導の仕方はソフトかつ自然に無自覚に見せかけ、

「完全にこれ脅迫だろ」

ということをやってくるわけです。

こういうやり方が許せないから、マイナンバーにも私は反対しているわけであり、
毒親とも闘ってきたのはそこを見破り続けてきたからです。
だから、私は、それにもう屈するわけにはいかない、当たり前のことです。

今日、ふと思いました。
なぜ、会社は国に怒らないのかって。
手間、というのなら、手間をまずかけているのは、国だろって。
だから国を敵にまわせ、とか言っているのでなく、
なぜ、身内のはずの従業員一人の、たったわずかなはずの「手間」に言及し、
ああだ、こうだ、と「脅迫」するのか?
もう毒親の連鎖と同じです。
毒親よ、お前の親に向けろよ、その恨みを、と言いたい。
なぜ、子どもに向けるのか?一番守らねばならない我が子をなぜいじめるのか。

これは、今まで何度も何度も、私だけでなく、
自我復元者全員が掘ってきたことそのものです。
これが現実であり、この病気が社会全体なんですね。

いろいろ、本当に、見えるようになってきました。
自我復元をやっていたからです。
全部、おんなじなんですもん。金太郎飴みたいに。

私には、今、この雨に流れるような「連心」の文字が、
笑っているように見えます。
「いけ、あび!」って。そうだ、いくよ僕は!

マイナンバー、絶対、闘い抜いてみせる。
これは、ACとの格闘となんら変わらない。
ゾンビはまわりにうようよいるけれど、
屈するとしたら、私自身の心なのだから。

そして、私は、屈しない。
そんな選択肢、ないもん。

どんどん、書いていきます。

本当にこの一週間たくさんのことがありました。

今、朝方5時30分。どんどん書きます。
そう、この頃、うちの近くの鳥の鳴き声が、
夏に比べて2時間近く遅く泣き始めます。
やっぱりそうだったんだな、と思ったのは、
その鳥は、ある明るさになると目がきくように
なるんだと思います。夏は4時頃、夜明けとともにでした。
今は、夜明けが遅いから、後もう少しで鳴くでしょう。

本題に入っていきたいと思います。

一週間ほど前、私は、稽古帰り、
線路際のそれは「並木道」とは言い難いほど、
数十本のごく普通の少し高い樹が並んでいる道でした。

ふと見上げた時、私に一つのことが起こりました。

中心が「斜め前上方」にずれたのです。

これから書くことはここから、すべて始まります。

私はそのずれた時、もしも今までなら、
「中心に戻らなきゃ」と思ったはずです。

しかし、この時は違いました。

「私がそこにずれればいい」と思ったんです。

私が、斜め前上方に浮けば、頭部の中心がそこになる、と
自然にそう思ったのでした。

私は、そして、そこに「私が」ずれました。

そして、わかったのです。

戻らなくていいんだって。

妄想世界に、戻らなくていいんだと。

私は、住む世界が変わったんだ、と。
後は、私が、そうと了承し、戻らない「覚悟」を決めればいいだけだ、と。
なんで妄想してしまうんだ・・・ではなく、
そういう問いから妄想に引き込もうとするACの手口の出鼻を焼き尽くし・・・
そうじゃない、焼き尽くし焼き尽くし続けてきたじゃないか、
それを私は知っているじゃないか。

今、私がやることは、
焼き尽くす成功体験にしがみつくことじゃない。
でなく、それが「心地よく」なっているのなら、
あえて、それもやめる。

これが、心地よくないことをやる、ということだ。

生きた心地がしない・・・なら、結構じゃないか。
そう感じるのなら、そのままに放置すればよい。
だって、私は、そこにいないじゃないか!
生きた心地がしないことをなんとかしようとする私は、
このずれた中心にいないんだ。

後は、降りてこなければいい。

それは、今までの私、AC人格にとって、
居心地が悪いことだったことだ。
座っていられない、というやつだ。
桜の間でも何度か書かれていたことだけれど、
妄想が去来するのを見ることに耐えられないのがAC人格だ。
これが「心地よくない」という感覚、その繰り返しが記憶となり、
習慣化する。こうやって、「己」がわからなくなるのだ。

このことを、再確認できたのが、翌日、
電車で20分ほど行ったところにある
「▲▲▲公園」というところでの体験だった。

並木道を探していってみよう、とずっと思っていて、
うちの近くにそういう場所の記憶がなかったから、ネットで調べてみると、
県内に、ここ、いいな、と思った場所がありました。

最初、並木道で検索し、画像を見ると、
「へえ、こんな素敵なところあるんだね。日本じゃないんだろうな。
カナダとか北欧とか、そういう異国だろう」と思ったんです。

ところが、それが、わずか20分ほど電車で行った**県内、
といっても、隣の市の**市にあったんです。
それが「▲▲▲公園」でした。

たまたま時期が紅葉でしたから、
私は紅葉している今なら、ああ、これいいな、という画像があって、
カーソルを合わせてみると、「メタセコイア」の並木道であることが
すぐにわかりました。

はじめて知った名前の木です。

詳しくは今も知りませんが、和名で曙杉というようで、
ヒノキまたはスギ科のようです。
見に行ったときにどれくらいの高さだろう、20mから30mくらいかな、と
思ったのですが、今、調べてみると、やっぱりだいたいそのくらいに
なるそうです。

これはネットで事前にその公園のことを調べていた時に知ったのですが、
ラクショウという木があって、すごく似ています。
ラクショウは、沼杉という和名で、同様、ヒノキまたはスギ科です。
そしてその公園には、メタセコイア***本とラクショウ***本が
植わっている、ということでした。
木の見分けはパッと見は違いがわかりません。
葉の付き方でわかるようで、おかげで、行ったときに見分けがつきました。

紅葉の具合が半々、といった感じだったのですが、
紅葉で落ちた葉を見てみると、それはラクショウでした。
たぶん、ラクショウのほうが早く紅葉するのかもしれません。
だから、割合として、半々のように見えたのだと思います。

とりあえずそれはすっと高く、まっすぐで、その公園には
ほとんど低木がないので、神社の参道の並木道とは少し違うと思うのですが、
場所場所ごとに、私は、「並木道」を体験していました。
短い並木道から曲がった並木道、密度の高い並木道から、疎の並木道。

その日はとても暖かく晴れていました。
起きるのが遅くなってしまったため、もう午後3時半近くになっていて、
夕暮れまで、もう時間があまりありませんでしたが、
1時間近くはゆったり散策ができました。

前日の稽古の体験が強く印象にあったので、
その記憶と重ねてしまうこともあったのですが、
あまりそれは考えず、歩きました。
でも、上を見ながらです。見るな、と言われても、ここは上を見て歩く
並木道だろ、というくらい、高い木がスッと立ち並んでいました。

「明日」という書を今見ています。

これは文字というより、場所のように思えます。
公園の話を書いていたからでしょうか、ここも池や木立のある
憩いまたは休息の場所を俯瞰しているかのようです。

今発見したんですが、顔を横にして横からみると、
「日」2つが、目、になっていて、
「月」の部分が、口、笑っているんです。楽しそうです。
これからソフトクリームでも食べるんでしょうか、そんなおちゃめな顔。
いい発見をしたな・・・!

そうなると、もう一枚もめくってみて、横に見たくなります。
というか、そう見えてしまいますね。縦に見ていても。
これはどこか異星人みたい。

くるくるってまわしてみた時、一瞬、悲しくなった。
一周回してみてわかった。
これは、私の傷つきを思い出させる。
このことは、私は、後にかかせていただくように、
昨日、私は泣いたことだ。母を掘っていたその終わりのほうで。
でも、悲しい、というのは、今なら言えるけれど、
「今だから言える」のだなって。そして、「さようなら」なのだ。

公園で、私は、それでもやはり感じ続けていました。
それは、ずっと意識が木のてっぺんの方にひっぱられ続けているのを。
正確には、真上よりわずかに後方にひっぱられます。
後方、と感じはしましたが、おそらく、本当は「真上」です。
前日にやや前のめりになったものが後ろに押し戻されるから、やや、
「後方」と感じただけであって、これは、真上です。

つまり、やはり、その日も、中心は、
少し持ち上がるように「ずれる」のでした。
それは、かつて死人禅をやっていた時の頭上点とかとは
違います。いっけん、似ているのですが、違うのです。

もしも以前なら、それを「頭上点」とか思ったと思います。
ところが、今回は、先日もそうだったわけですが、
私が即反応したのは、私がずれることだったのです。
つまり、中心は中心のままでした。
ただ、これはどういう構造なのかはわかりませんが、
私が実感したことは、今、もはやそのずれた後のほうに、
私は(私の中心は)いるのです。

これについて、どういう仕組みか?というふうな関心は
向きませんでしたし、今も特に関心はありませんが、
ただ、実感したことは、私はもう、戻らなくていい、ということだったんです。

地上、というのが「妄想世界」だとしたら、
その地上に戻らなくていい、と、
それがごく当たり前に思えたし、戻るべきでない、と思った。
それに戻りたいという衝動、というか、気のゆるみからの反動としての戻りは、
なんとなく心地いいという「AC人格の記憶」によるものだからです。
前にも書いたかもしれませんが、いまだ、私には
「心地よい」というもののデータベースがありません。
これから体験するのかもしれませんし、それもわかりません。
というか、自分で決めることかもしれず、そうでないのかもしれない。
ただ、この40年以上に渡って上塗りされた「心地よさ」は
AC人格のものであって、私のものではない、という事実だけがある。

この日、私は、その「新しい中心」に居続けて、歩いていました。
無理して、ではなく、それがよかったんです。
ふつうな感じがして。新地、です。

そして、思いました。

以前、ブログだったと思いますが、
Pと**に旅行に行った時に、ふと、その開放的な空を見上げても
はっと我にかえり、目を落とせば、違和感に戻る、といったことを書いたと思います。

これが、この日、
並木道を歩いても歩いても、
起こらないのです。

世界が分断されないのです。
その分断が違和感の原因です。

もう少し別な言い方をすると、
我にかえらないのです。
それで気づきました。
その「我」って、「私」じゃないな、って。

私は、こうやって空を、上を見上げている「私」を
毒親は、ずっと地上に引きずり降ろしてきた。
これが、

「邪魔をしている」

っていうやつなんだ。

親都合の世界に、いきなり襟をつかまれて
ひきずりこんでいくようなものだ。
これが常に毒親がやることだ。

そして、いつの間にか、
その「後になればなるほどゴミ溜めとなる妄想世界」が
自分の世界だと勘違いしはじめ、
気づいた時には、もう、戻れなくなってしまうんだ。
私という無二の中心に。

**だけじゃない。

日々の毎日、瞬間、瞬間、ひきずりおろされてきたんだ。
違和感だらけの日々。これが、私がずっと感じ続けた違和感の正体。
自分の世界と毒親都合の世界の「分断」それ自体が違和感だから、
「あっちにいければ自由だ」なんて思ったってダメで、
その分断それ自体を「絶たなければならない」、
そのために、必死にやったのが、トラウマ掘りであり、
AC人格との格闘だったんだ、と今になってわかってきている。

並木道を歩いている時は、本当に私はぼんやり歩いていました。
▲▲▲会館というのが公園内にあって、コーヒーでも飲もうか、
と思っていたくらいです。夕暮れになって暗くなったので・・・
と思って、実際行ってみたのですが、5時15分くらいだったでしょうか、
「喫茶は5時までです」と言われてしまいました(^^;

こういう喫茶のこと一つ、コーヒー飲んでいいんだろうか、とか、
そんなこと思っているから5時までとかで残念な結果になるんだ、とか、
ACの言い分も出てきはしましたが、こういう妄想に対して、
この日だけではありませんが、もう、その言い分はきく必要がないことを
知っていました。戻る必要はないのをわかっていたし、
戻る意味は、もう、どこにもなく、そんなことより、
同じところであれ、木のてっぺんのほうを見上げながら、そして
時々、まわりの木の様子だけでなく、人々が遊ぶ光景を見るほうが、
ただそれだけのほうが、ずっとずっと、私がそこで体験したいことでした。

それは決して、どこも特別な体験ではありませんが、
邪魔のない、違和感のない散歩がどれだけ普通で、どれだけそこに
問題がないかを考えるまでもなく、ゆったりと感じさせてくれます。



・・・「③座」に続きます。



2015.11.23
あび

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by jh-no-no | 2015-11-23 21:20 | リハビリの巻