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③鎖と怪物

「②鎖と怪物」の続きです。


・・・


Pの母親、P、これを血祭りにあげてきた。

そして、これから血祭りにあげていくのは、
残る一人、毒父、真に許すべからず者を、だ。

これを書くために、この「鎖と怪物」を書いてきたといってもいい。

この8月は、仕事での復讐心、今もなお、毎日仕事していて
「ああ、反応しているな」と思いながら、それでも直視し、解除しようと必死なこの復讐心が
いったい、どこから発生しているトラウマなのか、それは日々の現実のどうにかすべき問題だった。

昨日、それでも思ったことがある。

この仕事、いつまでやるかわからない。
だけれど、私は、

「絶対に、仕事を好きになってこの生を終えたい」

と思った。仕事が本当は大嫌いだった父。あなたが私に埋め込んだ歪みは
あまりに大きい。だけれど、きっと私は、仕事を好きになれるだろう。
いや、本当は、「嫌いだ」というこの毒父の声を解除していく、ということだろうが、
その中で、きっと、私はこの生を、自分の生として、旅し、謳歌し、
全身全霊で生きていけるものと、私は信じている。
最初にも書いたけれど、そういう思いを阻害するものを、
私は許さないだろう。

今も、私は、このけだるさが私を奪っていくものと闘っている。
ACとの闘いは、思い返すといろいろなタイプがある。
刺すように殺してくるような決死の闘いもあれば、
真綿でじっくり絞め殺すような闘いもあった。
それはいずれも苦しく、しかし、そこにあったのは、
闘っている自分だったのであり、こういう経験が、「今生きている」という
私がこの生で経験したことがなかった、ああ、本当にこれだけは経験できてよかった、
とそう思う自我復元であった。

昨日、今日、私に襲い掛かるACの手口はそれとは違う、
非常に嫌な、本当に嫌な、タイプだ。
たとえると、手術台に寝かされて、麻酔無しで刃物で刺されるのが
先ほど書いた前者で、酸素がだんだんなくなって苦しくなっていくのが後者だとすれば、
今度は、麻酔を打たれ、無力化され、立つ力がだんだん奪われていく、
そういうものとの闘いだった。

しかし、「それでも」とあがき、寝こけてなるものか、と
目を見開き、希望のほうでなく、許されざる事実のほうだけを見ていく。
それが、今の私だ。

「どうでもいいんだ、別に」

ボクはそう思っているんだ、じゃない。
そうではなく、誰が、私をそういう無力で、使い物にならない人間に
薬漬けにさせて、殺したのか、それが問題なのだ。

話がそれてしまったが、Sさんとの衝突から始まり、Rさんがらみの妄想、
この数ヶ月はそればかりだった。その事実直視と分析に多くの時間と労力を費やした。
結果、その復讐心は、すべて、毒父の「おじちゃんへの恨み」、ひいては、
「ババへの恨み」の感染、感染といっても、それは実際の、子どもの頃から日常生活のなかで、
両親のそういう歪んだ顔と会話が、私の仕事観を形成してきたことを見てきた。
これはとても影響力の強いもので、今なお毎日が格闘中だが、
先ほど書いたように、私は、仕事を嫌いでは終わらせない。

そして、投稿①と②で書いてきたのが、
「依存心」をテーマにしてきたものだ。
この人生、私のものではない、恐怖心と依存心と復讐心、「毒父の」それらを
私は生きるように強制されているというのが「事実」であって、
ありとあらゆる「飴」は、ただの「飴」だ。

元にあるものが、これらへの強迫観念なのだから。
思い描く理想や希望など、その強迫観念の一反応でしかない。

そして、③でいよいよとりあげるのが「恐怖心」だ。

結果、私は、この毒父を

「怪物」

と認識した。

自分の上にいる私を罰することのできる得体の知れない存在。

これが、怪物、である。

そして、私はこの怪物に「失せろ」と本当に言える力をとり戻すこと。
これが、自分を取り戻すことだと考えている。

「どうでもいいことだ、別に」

で済ませられる問題と済ませられない問題がある。
それは「AC人格でも」という意味でだ。

どうでもいいことだ、と無気力になって、
刹那の快楽で誤魔化せるのには、限界がある、ということだ。
これは、死後、それが露骨に見せつけられることになるだろう。

一つ言えることは、
死後は、いや、死後でなくてもそうなんだけれど、
絶対誤魔化せないことがある。
それは、自分が思っていることは、嘘はつけない、ということだ。

こういうことを実感した出来事を今から書きたい。

かつて、罪悪感というのを掘ったことがある。
その時、どうしても上手く書ききれなかったことがあった。
なぜなら、今はそれがわかるが、それは恐怖心からだった。
ただ、それは、あまりに怖いことだったので、
恐怖心を見たくない、とすら考えもしないでスルーした、というのが正しい。

先日、私は、この恐怖心はどうしても掘らなければならない、と思っていた。
それは何だかわからないが、とんでもない恐怖。
妄想だけで、完全にとり乱す恐怖だ。

拷問が怖い、という話は何度も書いてきたけれど、
私が恐怖している話がある。
これは、どこできいたのか定かではないが、
ある女帝にまつわる話だったと思う。

愛人をとられたことに怒り狂ったその女帝は、
その女の手足を切断し、目をつぶし、耳も聞こえないようにさせ、
しゃべれなくさせ、井戸のようなところに幽閉し、汚物のようなものを食べさせられ、
気が狂って死んでいった、という話だ。

私がこれを思い出す時、
実は、本当に恐怖なのはこれ自身ではなく、こんな妄想を私が展開させた時なのだ。
それは、

「ざまあみろ」

と、「頭の中で思ってみる」という妄想だ。これだけでも、私はとり乱しの極にいる。
ここを私は今回、何が恐怖なのか、思考停止せず、掘ってみようと思った。
この恐怖はおそらく私を絶対に最後は奈落の底に落とすことのできる強迫観念だと
思ったからだ。

そして、何が怖いのか、そこで、「自分もこういう目にあっていい」と心の中で言った時、
足、身体、全身から血の気がひいた。さらに、「あと3秒以内にそれは嘘です、と言えば
許される」というのをやってみる。3秒たっても言わない、ということをやってみる。
この時点で、相当な恐怖だったと思う。しかし、とどめの恐怖は、私がこういうことを
心の中で言ったときだった。

「そういう目にあう生を契約する」

もう、契約す・・・と思った瞬間、私は、今のこの人生の天と地が反転するほど、
「なんてことをしてしまったんだ」という、「取り返しをつかないことをしてしまった」という
強烈な恐怖で完全に一色になり、私は、部屋の中で恐怖でどうにもならなくなった。

早くキャンセルしなきゃ、と思いつつ、しかし、
私はキャンセルしなきゃではなく、この恐怖が何なのかを知りたかった。
正直、調べよう、などという心境ではまったくなかったが、それでも、
私は、この自虐的な展開で遭遇する恐怖は、私にとって絶対に無視できないものなのは、
私自身が一番よく知っていたから、どうしても、「嘘です、許してください。聞き逃してください」
とは言いたくなかった。それで楽になることは知っていた。

崩残さんからも、もしもこんな話をしたら、
なんでそんなことをしたんだ、心で唱えただけでも契約は契約になってしまいます、
と言われるだろう、とか、また、そもそもが、崩残さんに話して、
大丈夫と言ってもらいたい、とか、そうやって怖いから話そうとするんだ、とか
あれこれと、それは、ある意味、「予想通り」の妄想が展開した。
だからこそ、予想通りだからこそ、これは解決しなければならない問題だった。

ここからは上手く書けるかわからない。

ただ、のたうちまわった末、わかったことは、
そもそも、このずっと続いた妄想のすべては、
「私が作り出しているものだ」ということだった。

これは、職場でのAC人格を見る時もよく思うことだった。
Rさんから私はいじめられている、外されている、と思うけれど、
それはどう考えても「妄想の中で」起こっていることで、
現実に起きていることではない、という認識。

そして、まず私が思っていたのは、この
「どうしてこんなことをしてしまったのか」という恐怖心と、
「取り返しがつかないことをしてしまった」という恐怖心が何なのか、
という問題だった。

自我復元を始めてから、一度、事件を起こしたとき、
私は崩残さんから消される、抹殺される、と思った。
いや、これはいつも思うけれど、そういう恐怖は、消されるとか抹殺されるとか、
冷静に言葉でなんて考えていないし、今も、言葉で考えた実感はなく、
ただただ、本当に何も食べられなくなったという経験が、これが人生初だった。

この時も、同じことを思ったのだ。

「どうしてこんなことをしてしまったんだ」と。
それは、自分が思ったともいえるし、崩残さんからそう言われている、とも思った。
どっちがどう、なんていうんじゃなく、「なんてことをしたんだ」というその目の前が
真っ暗になる体験に、生体反応をすべて失った、という経験だった。
「取り返しがつかないことをしてしまった」と考える頃は、少し、そう言葉に
出来るだけでも、思考が少し動き始めた時かもしれない。そこで恐怖は固定される。

タイムカード不正事件の時も、今思えば、
これと同じことが起こっていたのだ。
随分前のことになるけれど、崩残さんに、この事件のことと、
もう一つ、ブログには書かなかったけれど、自分の妹にしてしまった過ちについて
まるで懺悔のように、とり乱し書いたメールがあった。
思いがけず、それがきっかけで、毒父の毒のメスが入り、今に至っているのだが、
この時、自分ではわかっていたけれども、とくに言わなかったと思うのは、
これは何を想定して怖がり、崩残さんに自白したのか、という点だ。

それは、私は死後のことを恐れていた。

こんなことでしこりを残し、死後、後悔や恐怖が煽られ、
「あなたそういうことをしたんですよね」と言われたら・・・と思うだけで
自分はコントロールを失うことは自分でわかっていたから、
もしも今、崩残さんに自白しなければ、
「なんであの時言わなかったんだ」という、これもまた、
「なんでそういうことをしたんだ!」という恐怖に、私はその時、耐えられなかった。

これは程度を薄めながら、
やはりどう考えても、私の中の恐怖と同質のものになっている。
だから、今回はどうしても掘らなければならなかった。

こういう内容的なことを、のたうちまわりながら考えながら、
しかし、これが少なくとも、「私が作り出しているビジョンだ」と気づいてから、
ある時、もう一つの、決定的な事実に気づいた。

そもそものこの妄想の前提に、
私は、ある存在、後に「怪物」と認識することになる者、
「私を裁き、罰することのできる、得体の知れない存在」を想定していることに気づいた。

そういう存在が、いる、ということ。

その存在を想定しなければ、
そもそもこの妄想は妄想として成立しない、と思った。

「ナンデソンアコトヲシタンダ」
「トリカエシノツカナイコトヲシタ」

という言葉だけでは、そこに恐怖があるわけがない。

その裁きを与える存在が、死後もいて、今も聞いている、という
大前提がある。

ここまで思うまでには相当時間がかかったが、
それでもそうだ、と思ったことは、
この存在が、私に「許す許さない」のジャッジメントを与えていた。
「私」は、その存在と対話していた。

その「私」は、他ならぬ、その存在を作り出している「私」だった。

それが、実の私ではない、と至る。

死後、もしも、

「Abyさん、あの時、心で思ったよね。
それでも成立するんだよ」と言われても、私はこう言うだろう。

「失せろ」

と。なぜなら、目の前のそいつは、私が作り出した「虚像」だからだ。
拷問だろうが何だろうが、私が「選んだ生」なら受け入れるだろう。
なぜなら、自分で受け入れると決めた生を、自分の生というからだ。

しかし、お前は誰だ?

私は私の意志で選択する。

それ以外は、私は一切従わない。

自我復元を始めてから2年半、ようやく、この宣言に近づいた。

最後に血祭りにあげるのは、毒父、お前だ。

この巨大な「怪物」は、誰だったか。

そこがようやくピタとつながった。

「なんてことをしてしまったんだ・・・」と血の気を引かせて、
「取り返しのつかないことをしてしまった」と思わせ、
「だから、〝あなた〟に自分はどうされてもしょうがない」と思わせ、とどめを刺す。

その〝あなた〟は誰だったのか。

私はそれが毒父とつながったとき、
この私に裁きを与える者を「怪物」と認識した。

私を罰することのできる人、それが毒父だった。

物的証拠はほとんど残していない。
もはや完全犯罪とも言えるほどに、父はありとあらゆる洗脳を
格言などを乱用し、「美談」にすりかえることに成功した。

しかし、あなたの目は、親の目じゃない。

「親に従わないやつは、殺す」という目だ。

あなたは、本当に、そう思って私と接したはずだ。
とくに言葉が通用しない幼少期、そうしたに違いない。
そして私に植えつけられたものは、

「逆らったら、殺される」

という恐怖だ。私はあなたに逆らうことだけは考えもしなかった。
あなたは、一言もそう言わなかったし、手もあげなかった。
しかし、この「なんでそんなことをしてしまったんだ」という恐怖、
「取り返しのつかないことをしてしまった」という恐怖は、

「あなたから」

与えられている恐怖だ。

それは一言でいえば、

「許さない」

というメッセージだ。

それがどれほどに巨大なものか、
あなたにわかるだろうか。

「許さない」などと
他人に言ってよい存在がいてはならないのだ。

それは、他人に、子どもに、
自ら自分自身が、自分の主であることを、
その当然の権利を奪うことなんだ。

親は絶対だ、というあなたがそう思いたいから、
絶対の親になる。そのために、あなたがやったことはなんだ。
あなたの目は、殺意に満ちている。

「逆らったら、殺すぞ」

それ以外の目で、子どもだった私を見たことがあるか?

私は、ない、と断言してあげよう。
あなたに自覚など求めていない。
それはPに泥棒との自覚など求めていないのと同じだ。

ただ、事実は、

Pは泥棒であり、

あなたは人殺しだ、

そういうことだ。

桜の間で、死後、真っ暗な空間に閉じ込められたら、
誰かを求めてしまう、それをしでかしてしまう、と書かれていたのを思い出した。

誰か、と。

これも、かつて別の設定で桜の間に書かれていたと記憶しているけれど、
真っ暗闇に投げ込まれたとき、「誰かいますか?」というのが、
ようやく、人間として、決して当たり前の反応でないことを
今回初めて知った。

そう、

「ここはどこだ?」

これが、少なくとも自問する最初だろう、と。

それはどういうことか、というと、
そこに「私」がいる、ということなのだ。

誰かではなく。

人生の、人生でなくても、これからの航路を決めるのは、
「私」という一人の主人しかいない。

どうしたらいいんだろう、ではなく、
どうして、どれもできる、あれもこれも、ああなんていろいろなんだ、
楽しいし、苦しいし、わあ、めっちゃ、どうしていいのかわからないよ!

という意味で「どうしていいのかわからないよ!」と
ワクワクする心持ちで、なぜ未来を見られなくなったのか。

それは、それを感じる私がいないからだ。

ずっとその「怪物」の顔色をうかがってきたのが
今までの私の生ならば、私はこの先が何も見えない真っ暗闇でもいいから、
それでも、「私一人」が、この舟の漕ぎ手でなければならない。

それは、まさに、

「ここはどこだ」

から始まるのだ。



2015.08.31
Aby

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by jh-no-no | 2015-08-31 23:54 | 復元ノート 1

②鎖と怪物

「①鎖と怪物」からの続きです。

とどめを刺しきっていこう。


・・・


Pと過ごしてきて、一番、強烈な偏りを感じたことは、
自分の価値観への執拗なまでの執着だった。
Pの言う「常識」とは、自分の価値観のことであり、
Pは、本当に、「自分の価値観と違う人間は、存在すべきでない」と
本気で考えている。

これは誰の考え方かといえば、
まるっきり、毒P母の考え方であることがわかる。
毒P母と接してきて感じてきたのは、彼女の「横暴さ」である。
自分の考え方こそ、唯一、存在していい価値観だ、というものだけれど、
彼女にしても、Pにしても、それは斜に構えて済ませていられているものじゃない。
自分の価値観とは違うものへの「拒絶」ともいえる思考停止状態は、
AC人格の強迫観念そのものだからだ。

Pの過去は、常に、毒P母から何もかもを「与えられてきた」ことだ。
よく話していたのは、みんなと同じジャンパーや筆箱、テレビ、そういうものを
買ってくれたり、許してくれたことはなく、「これはいいものだから」という強制で
与えてきたこと。Pは、それは不満に感じていたらしい。みんなと同じがよかったのに、と。

ただ、この話をきいていつも感じるのは、
それでも、「ママは正しい、正しかった」という思いに、Pは完全に取り込まれていることだった。
不満だったけど、今思えば、ママは正しかった、あながち、悪くなかった、
と、こういった思いを抱いているように私からは見える。

Pからは、「何でもしてくれたママ」ということになっている。

しかし、実体はそうではない。

「何でも尽くしてくれる最良の母親を演じることで、
自分の価値観を、すべて、強制、コピーしようとした」

というのが、実体ではないか。そして、与えたのは、それもおそらく恐怖だ。
自分の価値観とは違う者への「人間とすら認めない眼差し」だ。
これは、私も毒P母と接してきて、言葉ではないところで感じてきたことだった。
私のことも、人間として見ていないことは、そういえば、私自身、知っていたところがある。
しかし、だんだんと、Pに尽くすことへの評価(というか、尽くしてくれているに決まっているよね、
そうよね、そういう素晴らしいパートナーなのよね、Abyさんは本当にいい男性だ、と
繰り返し繰り返し、私に、あるいはPを通して刷り込んできたというのが本当のところだ)に
私はまんまと騙され、あっしー君ちゃんとやっているかしら?という程度に
この20年、「監視をし続けられた」というのが、本当に起きていたことだ。

「これがいいものなのよ」と言葉がわからない幼少の頃は
恐怖を与え、ときに笑顔を与え(そう、これがきっと私の場合も幼少期の洗脳の仕方であり、
言葉でおぎなうように洗脳を強化していくのは、おそらく小学生に入るくらいからだったろう)、
大人になるにつれて、「これがいいものなのは、大人になればわかるのよ」と。
実際、Pは完全に洗脳されていた。

「大人になって、ママがいかにいいものを与えてくれたかがわかった」

そうよく言っていた。そう言う人間に、毒P母が育てただけであり、
まったくその通りのことを言う、そういう人間に本当になっただけである。

しかし、見ていくとわかってくるのは、毒P母の本当の目的は、
「いい母親と思われたい」とかではまったくないことがわかってくる。
つまり、これは、当然、トラウマの世代間連鎖であり、
自分が母親からされたことの復讐なのである。
それはどういうことだったか、を書いてみたい。

毒P母がPに対してやったことは、
「価値観の強制」だ。

「P、あなたの価値観なんて持たせるわけないじゃない。
あなたの考えなんて持たせるわけないじゃない。
自立?ふざけんじゃないよ。させるわけないじゃない。
ワタシができなかったのに、娘のあなたにさせるわけないじゃない。
あなたに自分の生き方なんてさせない。」

これが、価値観を強制したことの目的だったはずだ。
そして、まんまと、湯水のように「これがいいものよ」とド過保護に与えに与えられ、
骨抜きにされ、本当に、自分では「何もできないような人間にさせられた」のが
Pなのだ。

ここ一年弱、ひとつ屋根の下で、Pと険悪に過ごしながら、
Pへの介入をことごとく切っていくなかで、この一年弱、Pを見ていて
度々、あることに気づいたことがあった。
「何一つ、私との間で作り上げたもの以外のものを、Pは作り出せない」
ということだった。

簡単にいえば、食習慣というものは、私はPと一緒に食事をとらなくなってから
以前とは違うものを食べるようになった。
しかし、Pは相変わらず同じものを食べている。
多少アレンジしようと、基本、同じなのだ。
これは食に限らない。生活全般、仕事全般にわたって、
何も彼女の「オリジナリティー」と思えるものを作り出したり、探し始めているとは
まったく感じられないほど、つまり、与えられたものだけを「使いまわしている」だけなのだ。

つまり、私から見ていて、
何も自力でやれなそうに見えるのだ。
実際、何もやれていないのだが。

あるのは、自分の価値観への執着という強迫観念と、
当たり前のように誰かが何かをしてくれることを、当然のように待っているだけ、
という状態、そして見ていてわかるのは、そういう人が現れない今のワタシは不幸なのよ、
と、意識的だろうが無意識的だろうが、私にあてつけている。
こういう「すべての思考展開」が、毒P母からすべて完全に「与えられたもの」であること、
仕組まれたものであることに、本人は気づくこともなく。

まず、血祭りにあげなければならないのが、毒P母だ。

あいにく、私はP一族の話を詳しく聞いたことがない。
しかし、それでも、毒P母がどうしてそのようなAC人格になったかは
数少ない場面から、想像することができた。

毒P母は、3姉妹のうち、長女であり、
長男が一人いるが、その人(以下、おじさま)は、毒P母の弟だったはずだ。
女(毒P母)→男(おじさま)→女(妹)→女(妹)という年齢順の兄弟姉妹構成だ。

今、おじさまが住んでいるところは、
この兄弟姉妹の母親、つまり、毒P母の母親(以下、おばあちゃま)が昔から住んでいた
古い家であり、もう亡くなって10年近くになると思うが、存命中は、おじさまとおばあちゃまが
一緒に住んでいた。ずっとそうだったわけじゃないみたいだが、おばあちゃまの夫が無くなり、
介護の必要が出てからは、長男であるおじさまが面倒をみていた。

そして、毒P母は、Pが小学生の頃、今のこの地に引っ越してきた。
つまり、結婚して少しは離れていたけれど、10年もしないうちに、
「お母さん」の住んでいるその家の「そば」に戻ってきた、ということだ。
それが、今、私とPが住んでいるこの家である。

そして、おばあちゃまが亡くなり、この家を私たちに渡し、
新築を建て、その直後、夫(Pの父)は亡くなった。
その新築の家はどこにあるか、といえば、
まさに、その「自分のお母さんが住んでいたその古い家」の隣の敷地に建てたのだ。

どこかで見たことのあるストーリーではないか?

これは、私の父が、兄(おじちゃん)から母親を奪回するために
そばへそばへと引っ越すように近づいてきたのと、すごく似ている。
つまり、何が似ているかといえば、「母親からの支配構造が似ている」のだ。

長女として生まれた毒P母は、
やがてその下に「男」が生まれた。

これは、完全に脅威な存在だったに違いない。
男尊女卑が根付いている中、そして何より、跡取りとして資格のある「男」が
生まれた、ということだったと思われる。

思うに、この時点で、毒P母は、「おばさ」としての運命を
強制されたのだ、と私は感じた。
それを最も感じたのは、毒P母本人だったろうし、
そう感じさせるように仕組んだのは、毒P母の母親、おばあちゃまだったろう。

親戚付き合いはあまりしてこなかったが、
それでも冠婚葬祭その他の行事の時に立ち振る舞う毒P母の動き方は、
いかにも「しっかりしたお姉さん」というものだった。

今、これを思うに、ああ、これを強制したのは、
おばあちゃまだったんだな、って。
長女として「しっかり働く存在」だけが、彼女の存在理由として許されたものだったんだな、って。

この「しっかり」という基準は、
ではどこから得られるのか。

これは言うまでもなく、それを認めるのは、
おばあちゃまなのだ。
だからこそ、おばあちゃまの前で必死に働く姿を見せる。
もちろん、亡くなった後もだ。

Pと毒P母が似ていると思うのは、
自立、自立、と口で言いながら、
何も自分だけのもの、作ってもやってもいないじゃないか、ということで、
たとえば、今、毒P母は短歌などの歌の世界で「自立してここで生きています」と
まるで人生を謳歌しているかのように振舞っていたのを覚えているが、
この短歌という歌の世界、誰の世界かといえば、ずっとおばあちゃまがやってきたことなのだ。

何ひとつ、自分のものなどない。

そういうことか、と思ったのは、
しっかり者として利用し、働かせるために、価値観を強制し、
しかし、何でもお嬢様のように湯水のように与えてきたに違いない、と。

そして、それに甘んじたのは、P同様、毒P母自身なのだ。
ママの価値観のまま従っていれば、ワタシはママに「人間扱い」される。
弟(おじさま)からワタシに注目を移せる。
ワタシは良識のあるしっかりした長女。ママはワタシに何でもしてくれた。

こういうことを、つまり、まったく同じにPにやったわけだ。

重要なことは、ここに植えつけた「恨み」だ。
「ワタシはそうやって生き延びてきたんだ。
あなたに自分の生き方なんてさせるわけないじゃない。
ワタシの価値観に従ってればいいのよ。」という恨みだ。

それを誤魔化し、はぐらかし、飴にして与えたのが、
「全自動身体洗い機」としての親像であり、その飴の親像が、
ずっと彼女たちの人生をコントロールする。

そして、Pに「私」を与えたことで、
高らかに笑ったのは、毒P母だったろう。
ざまあみろ、これで、ずっと骨抜き人生を送れよ娘。
お前の人生なんて、尽くしてくれる人がいなければ不幸なんだよ。

これが、私に言った、
「今、ワタシがわかるのは、娘のPが今不幸だ、ということです」
ということであり、とっととAbyは娘のところに戻って「ずっと不幸のままにしとけよ」
それがAby、あんたあっしー君の役目なんだから、と、そう言いたいのだ。

要は、尽くしてくれる人がいようがいまいが、
不幸のままずっとそこから出すまい、というのが、毒母の本音だ。

そのように見てみると、
Pの父が存命中のあの家族の振る舞い、
とくに毒P母の様子は、ただただぬる~い毎日に
怠惰な生活を「これが優雅な生活よ」と他人を馬鹿にし、
常識だの良識だのというただの自分だけの価値観、すなわち、それ、おばあちゃまの
考え方を振りかざし、その城の中だけで妙にしっくり納まっている。

そして、数年前、Pの父(毒P母の夫)が亡くなり、
いかにもワタシ、今、自立しています、という素振りをしている。
考えてみれば、私の母もそうだった。父と別居しては、自立をしているかのように振舞っていた。
結局何もできず、借金だけして、父の元に戻り、死ぬ最後まで、
そのぬる~い生活に甘んじるだけ甘んじた。

そして、今、こうやって同じ家にいながらも
分断しているような生活を送るPの姿も、本人は自立っぽく生活し仕事をしているつもりでも、
これら、毒P母や私の毒母の姿と、なんら変わるものではない。

「ワタシのことは、誰かがやってくれるのが当たり前」

という考え方。そうやって皆、「骨抜き」にされたのだ。自分の母親によって。
自分の考え方だ、やれ良識だ常識だ、などと血眼になったところで、
それ誰の考えなんだよ、っていえば、「おばあちゃま」でしょ、と。
そしてじゃあ、それでリアリティーのあるものは何が残ったんだよっていえば、
毒親によって植え付けられた「飴」の部分、「あっしー君がワタシを幸せにしてくれる」
だったでしょ、と。

P、あなたの母親があなたに「全部」をあげたのは、
決して愛情ではなく、そしてあなたその「与えてくれた」と勘違いしている愛のような
錯覚は、「強制された価値観」だ。自立をさせてなるものか、だって、ワタシ、
おばあちゃまに「しっかりした子」と思われるために頑張ったんだから・・・ドラえもん?
絶対見せないわよ。あんなのは、暴力的な漫画だから。筆箱は皮のしっかりしたものよ。
だってそれがいいものだから(とおばあちゃまも言っていたから)。みんなと同じ?
あなたはみんなと違うのよ。あなたはみんなと同じ馬鹿になっちゃいけないんだよ。

これがいいものだ、これだあれだ、と
文句を挟む余地なく、過剰に与えに与え続けたのだ。
今さら、「みんなと同じがよかったなあ」などと反発のような言動をしたところで、
もうそこにリアリティーはゼロだ。完全に「ママ」に毒されている。
Pを見ていて思う。自立なんて、さらさらする気がないのだ、ということを。
今、やれることといえば、やせ細り、「今のワタシ、不幸」と私にPRすることだけだ。

私は、あなたの全自動身体洗い機でもなければ、
何でもやってくれる道具でもない。

主任の、私のACを喜ばせた一言で気づいた。

「Abyさん、いつも居てほしい」

あなたのためにいるんじゃないんだよ。
何を勘違いしているんだよ。

あなたたちがやっているのは、
己というそれぞれの領域を土足で踏みにじりあう
「搾取し搾取される」という境界線もへったくれもない行為なのだ。

そして、一番、言わねばならないのは、
搾取された側がいるだけ、というのはありえない。
搾取している側がいる。

あなたが、幸せ、と勘違いし、飴と錯覚し、
あなたたちが私にやっていることは、

「搾取」

というものなのだ、ということ。

搾取したい、と言って、やっていることなのだ。

たとえそれが親から仕組まれた洗脳による飴であろうと、
それは他人にしていいことではない。

私は、あなたを守りたい、あなたのために、と
そうやってきたことは利他的な精神だと思っていた。
しかし、それは滅私奉公であり、元をたどれば、そうすることであなたが私という存在を
「全部、受けとめてくれる、認めてくれる」という「ババ由来」の毒父のトラウマだ。

主任に自動的に反応した感情がこれだ。

妙に心地よい一体感。
それは、実体は、「境界線の破壊」を意味していたのだ。

「さあ、入ってきていいよ」

そう抱きしめたくなる誘発は、相手が泥棒とは知らず、
さあ、どうぞ、と家の鍵を開けるその瞬間だ。

相手は、決して、私を愛してなどいない。

ただ、搾取しようとしているだけなのだ。

これが、

「搾取し」

「搾取される」

という構造の全貌だ。


「あなたがしてきたことは、搾取だ」


これが鎖を断つ斧となる。


・・・


「③鎖と怪物」に続く。




2015.08.31
Aby


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by jh-no-no | 2015-08-31 23:53 | 復元ノート 1

①鎖と怪物

今日このブログで成し遂げたいことは、
PとPの母親と毒父を
血祭りにあげることだ。

ブログの中だけでは当然ない。

私がやらねばならないことは、
しっかり敵を葬ること、鎖を断ち、怪物を許さず、
落とし前をつけること。

そういうけじめの日が
今日という8月最後の日なのだ。

外を歩いていたら、
部屋の中もそうだったが、
今日はけだるい雰囲気に満ちている。

どうでもいいんじゃないか・・・、・・・
という思いに「満ちている」。

それが今、私が見えてしまっている現実である、、、

一方で、

「ふざけるな」

だ。

誰が私をこんなふうにしたのか。

わかったことがある。

私は自由ではなかったということだ。

じゃあ、なんだったか。

「Aby、お前、しゃべるなよ」

そういうことだったんだよ。
毒父が私にぶち込み続けたメッセージは。

しゃべるなよ、自己主張?とんでもない、
お前が何か欲したり、そういう資格なんてないんだよ。
お前、馬鹿か???
何か自分がこうしたいしたくないとか言えるとか思ってんのかよ。

毒父・・・最近、こういう呼び方ですら、むかつく。
許さざる父、それをどう言おうか。
侵略し搾取し続けたそいつは、許さざる者としか言えない。

許さないのは、私だ。

さあ、書き続けよう。
あんたの返り血で書くのがこのブログなんだ。
けだるいこの陽気のなか、なんだか穏やかそうにおさまっているようななか、
私のまわりだけ、血の海になれ。
誰からも見えなくても、私一人、それが現実であるならそれでいい。

この激しさ、激しい生を消そうとするものを、
私は一切、許さない。
今年はじめに誓った。苛烈に生きるのだ、と。
それは、なぜか、ではなく、己の選択である。

「どうでもいいんじゃないか、別に。」

どうでも大丈夫な私、平気な私、
怖いものなんて何もない、だって何でもボクはいいんだから。
しかたない、こうしろってまわりが言うものだからそうしてるだけで、
ボクは、本当は、どうでもいいんだ。

そう言って笑う。作り笑顔。捏造の笑顔。
余裕なんだ、と顔で言う。

彼は言ったよ。最後に。
僕は自由人だからって。

毒父よ。覚悟しろ。

「お前に自由なんて無いんだよ」

「どうでもいいんだ、ボクは」
というのはな、お前の考えではない。
あんたの母親、猛毒祖母の「ババ」があんたに与えた命令だ。

「主張する資格なんてないんだよ」

何をすべきかすべきでないか、ずーーーーーーーーーーーーと
考えていればそれでいいんだよ、お前は。

私はそうやって生きてきたんだ。ずっと。

何をすべきか、すべきでないか、
にんじん一つそうだ。
冷蔵庫ににんじんがある。今晩食べるべきか、どうか。
何から何まで、それをすべきかどうか、延々とやっている。

「ボクはどっちでもいいんだけどさ。
だから、どうすべきか、早くボクに教えてくれよ」
という、私が思っているその「本音」は、

本音ではない。

毒親の命令だ。

どっちでもいい・・・それは自由ではなかった。

どっちでもいいって言えよ、お前に選ぶ権利なんかあるわけないだろ?
何勘違いしてるんだよ、この子は。

父の

「馬鹿じゃないだろうか」

という、本当にそう子どもに言うこの言葉には、
はなから、人間扱いするつもりもないと言っている。

「パパはなんでもいいんだ。もりそばでもざるそばでも。
何もいらない。」

そう言いながら、彼は言っていた。
ボクは何でも持っている、と。

だから「平気だ」と言いたかったのだろう。

失うものがないから、無敵なんだ、と。
無敵とは、敵がいないことなんだ、と。

そうやって、何もできない、言わない人間に
「させられた」ことに、一生、気づかないままに終わり、
あんたもまた、私に対して、同じことをやったことも無自覚で、
そして、私は、気づかなかった。今までは。

自分のことを言わないのではない。
言えないんだ、と。
自分の意志だなどと口では何でも言える。
嘘でしょ、それは。
私は自分で自分のことが考えることもできず、
当然、自分の意見などあるはずもなく、言えない。

この地点に自分がいることを
私は認めたくなかった。
そんなことはないんだって、そう言ってばかりいた。

事実は、

自分の意志があるかないか、とか、
何をしたいかしたくないか、とか、
私は自分の考えを持っているのか、持てるのかどうか、という
それ以前に、

「自分のことなんか、どうでもいいんだ」

という「洗脳」を、毒親によって「させられたんだ」という事実、
その事実を見ること、見続け、こういう洗脳をあんたしただろ、とつきつけること。
私自身が、毒親の逃げ道を「絶対に許さないこと」が、AC人格と闘うということだ。

これは、これからも何度も起こり、
その度に闘うことだろう。

このけだるさの中に、私は、
私のまわりだけはいつも血祭りにしなけばならない。
自由を求めるのはなく、自由を奪った敵を私は許してはならないのだ。
たとえそこで私が何もできなくてもだ。
「自分は、自分は」と吼えることが、私がすることじゃない。
今、私がしなければならないのは、自分以外の敵、それがどれほどに
許されざる者だったのか、という事実から、目をそらさないこと。

今日は、それを自分でしっかり意識したい。

「鎖と怪物」

その鎖とは、当然、Pとの鎖のことである。

結論から書くと、私がPに言えること、
そしてこれからも、この一言があなたとの関係を永遠に「断つ」という決意である。
断つという決意、それが「決断」ということだ。

そこに、もう、未練は無い。
ようやく、鎖は断たれた。

Pとは、私にとって、「搾取した存在」それだけだった、ということだ。
搾取し搾取される関係、ここを掘ってきたわけだが、
私がずっと行き詰まっていたのは、私は搾取されていた「のかもしれない」、だけれど、
Pが私を「搾取した」のかどうか、それは本当だろうか?という思いだった。

このことは、Pの母親の分析がとどめとなった。
この分析は想像によるところも多いが、ただ、私はP一族から
感じ続けてきた肌を通した感覚こそ、リアルなものであったため、
これが現実とつながったと思っている。

職場で感じたことが、これの掘り出しの出発点となった。
しばらく、その経緯と分析を書いていきたいと思う。

私の職場には「主任」という立場の人がいる。
女性でまだ20代半ばで、正直、私はかわいいな、と思っていたし、
その人が出勤していると、嬉しかった。

夜の時間帯の「主」であるRさんによって今もなお、
しみついた洗脳と闘っている最中だが、そういうなかで、
とくに勤務の前半はまだ職場で一緒に働く主任がいてくれるのは
私はいつも嬉しかった。何より、主任も私のことを気に入ってくれている。
RさんやSさんとの険悪な状況とは、真逆な状況であり、
私は、この二つの状況を、毎日、いったりきたりしていた。
もちろん、主任は私の味方だ、という感覚が、今まで掘ってきた仕事における
AC人格の挙動を誘発し、その度に、自己分析をしてきた。

ある時、私は、疑ってみた。

本当に、私は主任のような人が好きなのか、と。

Pだって、私は好きだと思ってつきあい始めたのだ。
どこに惹かれたのかを見ていくことにした。

まず共通点は、Pも主任も、どちらかというとまわりから
「距離をおかれている存在」なのにも関わらず、なぜか、
「私とだけは」「妙に近い」という点だった。

これは、心理的にというだけでなく、実際に距離も近いのだ。
通常、人との立ち位置は、ある一定の距離があって、
それ以上近いと「ちょっと近いよね」という距離感が当然ある。
主任が私に話しかけるとき、実際に「近い」のだ。
そして、私もまた、もっと近くに「何?」と顔を近づけたくなる。
そのまま抱いてしまいたい、と感じる。
Pに対しても、こう感じたように思う。

今までもこういう女性は何人かいた。
一番記憶の最初にあるのは、小学生の頃、
オーストラリアから来た転校生だった。
私はエリマキとかげの下敷きか何かを持っていたのか、
それを通じて、フレンドリーな雰囲気になった。

それが、その「近さ」と同質なものだった。

転校生だったため、他の人とはある程度、距離があった。
それが、私との間だけは、なぜか近く、私はそれが気持ちよかった。
相手もどうやら嬉しそうだったし、と。

成人してからも、バイト先で、そういう女性がいた。
どんどん声をかけてくる。
共通してそういう女性は、ハキハキしていて、一見「こわい人」で、
ツンとしている人。相手を寄せ付けない雰囲気が、必ず、ある。

逆にいえば、それは「孤立感」や「孤独感」をまとっている。
一見明るく社交的だが(実際に社交的で元気がいい点では共通している)、
私から見ると、その人、ひとりぼっちに見えるのだ。

後でこれは一言でいうと、俗にいう「ツンデレ」というタイプの女性であり、
全員、これが極端にそうというツンデレの典型だと気づいた。

主任は、いつもハキハキしていて、ズバッと相手に指摘する。
こわい主任だ。その主任が、私に対してはどういう感じかというと、

「Abyさんに、いつも居てほしい」

と、手をまわせばいつでも抱いてしまえる距離で
目をそらさずに言ってくる。

それが私は気持ちよかった。
とくに、毎日が職場でのACの格闘だから、
まるでへんに強調されるかのように、嬉しい時間になっていたし、
関心地図にもいつも出てくるほど、実際に、強い関心を奪っていた。

ああ、これはおかしいな、と気づいたのは、
ふと思ったのは、「あなたのために、私はいるんじゃないんだよ」と。
今までは、茶化しながらそう相手に答えてはいても、本当は、
「Abyさん、いつもいてほしい」なんて言われると、完全に舞い上がっていた。

私はあなたのためにいるんじゃない。

あなたの道具、所有物じゃないんだ。

こう思ってあらためて主任を考えると、主任の言動とそこから醸し出す雰囲気は、
明らかに「私を自分の所有物として考えた前提での言動」だと気づいた。
それ以外、ここにどんな関係性もない。

そして、私は、その関係性が気持ちよかった、ということ。
そう思ったとき、これ、Pと同じじゃないか、って。
Pとはまったく関連づけていなかったけれど、
主任に抱いている感情は、Pに対してのものと変わらなかった。
主任の孤独感は、私がわかってあげられる、そういう目で
私は仕事をしながらも、彼女を見ていた。

今になっては、思う。
これは、無自覚であっても彼女がやっているのは私への
「搾取」なのだ、と。彼女は、私を搾取「している」という事実だ。
明らかにこれでは、彼女にとって都合のよい存在になっている「だけ」なのだ。

これが、私とPとの間で起こってきたことの
象徴のようなものだったではないか。

この掘り出しを進めていくうちに、関心は
「なぜ、Pは私を搾取したのか」ということに向かった。
Pの挙動を知るために、Pの母親を分析していった。

Pの母親と最後に電話で戦ったとき、Pの母(以下、毒P母)はこう言った。

「ワタシが今わかることは、Pは今不幸だということです」と。

つまり、私が今までやってきた子守りを破棄し、
好き勝手に自分一人の人生を生きようとしている私の態度に対して、
そう言ってきたわけだ。

じゃあ、何?Pの幸せというのは、私があなたの娘のPのために
自分の人生など捨てて(顧みず)、ただただ尽くしてくれる相手がそばにいてくれる人が
ちゃんと確保できること、これが娘の幸せだと思っているのか?

ということだが、はっきり、毒P母は、「そうだ」と言っているっていうことなのだ。

こういう屈折したことをどうして考えるのか、
それは、毒P母を掘らねばならない。
もちろん、その母親(Pの毒祖母)との関係もである。


・・・


「②鎖と怪物」に続く。




2015.08.31
Aby


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by jh-no-no | 2015-08-31 23:52 | 復元ノート 1

未来

未来とタイトルにしたのは、
先ほど私は、未来を描いてみよう、
そしてそれは桜の間に書かれていたように
スライドショーとして描いてみよう、そう思って
未来、といっても、次の生を描いてみようと思った。

私は戦士といった立ち姿で
赤を含む甲冑をまとい、馬のような動物にまたがっている。
人間の姿をしているが、そこは地球ではなさそうだ。
実際は、戦士というよりも、その使命は開拓者であり、
砂漠のようなさら地に、オアシス(水)をつくり、植林し緑をつくる。
夜は星空で、そのあたりはとても静かで、濃い緑の葉は互いにすれ
カサカサと音を立てている。それもやがて止まる。

療養所のような場所だ。

しかしそれは、ここでいうリゾートでもなければ
息抜きの場でもなければ気晴らしの場でもない。
閉塞された環境から抜け出し、ここで「感情の解放」を経験するために
他の地からヴィジターが訪れる。
星の夜空、水、木と葉、それだけしかないが、
十分な素材である。

自活自衛。それがここでのルールだ。
戦士という姿は、その象徴のようであり、必ずしもここでいう軍人のようではないが、
いざというときは、いかなる敵にもさがることがない。
自衛とは、いざとなったら、相手を、敵を倒す用意のことだ。
私はこの開拓地の開拓者であり、整備者でありながら、
ヴィジターとともに同じようにして過ごす。
そこやそこのヴィシターを守っているのだけれども
守ることが目的でなく、そこでのシステム、自活自衛というシステムを守る使命を
自らが目的として立てたことだ。

敵というのは、そこでの自然現象による災害、あるいは
外敵というのもあるかもしれないが、そもそもそこは療養所といっても
のんびりとして、ぼけっとしていればよいところではなく、
そして誰もが、はっきりとした目的を持って訪れている。
閉塞されて死にかけた感情を解放させようとすることは、
決して楽ではなく、病気を治すという遂行への決死の覚悟がある。
そういう地であるのだから、自活自衛こそ、そこでのルールだ。

それはまったく自我復元のようであり、
AC人格との格闘の場と変わらない厳しさが
そこにあると私は思う。
しかし、私自身、自我復元を通して何を得てきたか、といえば
豊かさなのだ。得てきたのではなく、とり戻しつつある、それだ。
そこは豊かだと思う。療養所は苦しくとも豊かである記憶は、
おそらく、ここ地球での自我復元の記憶かもしれない。
そしてもしかしたら、合気道の経験は、私に戦士のイメージを、
それも、実戦を想定しての訓練の跡をもたらしているのかもしれない。
少なくとも、合気道や自我復元を今経験していることは、
このAC人格人生の予定にはなかったものであり、
当然、その延長には、ここでの褪せた人生経験とはまったく別の生だ。

まったく別だ。さっき、ふと部屋の中を見回してそう思った。
こことはまったく接点がない。この生は完全にリセットすることになる。
そういう未来像なのだ。この褪せた生から、豊かな生へ。

でも、私は今、自我復元と出会い、苦しみ、もがき、
それによって、褪せた生に、色合いを戻しつつある。
豊かさを今、経験していて、それは唯一、この生でよかったことなのだ。

ブログを書く時、書こうとする時、
私は猛烈に「抑圧された怒り」のエネルギーを感じることがある。
抑圧された怒り、と言葉で思えるわけではない。
ただこのエネルギーは、出さずにはいられないものであり、
私はそれを抑圧された怒りと言っているのだろう。
なりふりなどかまってはいられないのだ。
残された時間、いや、「時間」などないのだ。
時間の問題ではなく、さし迫る問題にさらされている今なのだ。

未来像、次の生のイメージ、これらはまだ幼稚な映像でしかない。
昨年の終わり頃、仕事探しをしていて、「パークレンジャー」という仕事が
世の中にあることを知った。国立公園などの自然保護官の役割だ。
それからたまたま手にした本をさらっと読んだときに、
書かれた男勝りの女性の戦士の姿が印象的だった。
そういった映像がまじっているように思う。だけれど、その本質は、
そういう姿を真似ることや、そういった仕事で学べばいいとかではなく、
合気道や自我復元がそうであるように、私自身が、探究心を持ち、
さら地から自力でつくればいい。まさにそれが開拓心そのものだ。

スケッチブックという作業は、今まで、やろうとしても出来たことがなかった。
今思えばそれは当然で、私の頭は「言葉だらけ」だったからだ。
今もその狂人状態が治ったわけじゃない。だけれど少なくとも、その状態が、
「私に何ひとつも有益なものをもたらさなかった、もたらしていない」という実感がある。
「あ、これだ」と気づいたことなど、一秒後は、何の意味もない。
しがみつきたい衝動はある。でも、それは衝動であって、私は本当は
それにしがみつくのが、いい加減、もう嫌だと思っている。
私が今まで認識していた「言葉」という存在は、どこにもリアリティーがない。

しかし、このリアリティーのなさは、今までも「リアリティーがない」という
自覚こそなかっただけで、リアリティーなど私がどう思っていようがなかったのだから
言葉しか頭にない私がスケッチブックを描けるわけがない。

ところが、今回は、頭の中のスライドショーという形で
「やってみたい」と思った。素直にやってみたかった。
自分でも思い描けないものは、本当は、言えないし、
言葉にもできない。当たり前なのだ。思っていないんだから。
日記をやって気づいたことがある。あれは思いを跡に残すものだと。
言葉のリアリティーのなさもそのまま残す。
私はいつもそのありさまをまざまざと見せつけられ、日記が苦痛だった。
今もそうといえばそうだ。だけれど、「言葉ではない」リアルなものが跡に残るのだ。

未来を描いてみようと思うその直前まで
ここ数日、ずっと格闘していたことがある。
それは、それまでもずっと格闘してきたことだけれど、
「桜の間を読まなきゃ」とか「ブログを書かなきゃ」という強迫観念が
どうして今もなお何度も何度もぶり返す恐怖としてあり続けるのか、ということだ。
「桜の間を恐怖から読むのは恐怖に屈することだから、読まないでいられるか?」
という投げかけを自分自身にしているのだ。

すると決まって答えは、「読まないという選択は見たくない」ということになる。
だから、読まないこともまたAC人格なのだ、と考えようとする。
恐怖はそのままそこにあり、怖がって耐えているのだから、
たしかにAC人格のまま何も変わらないのは確かだ。
だけれど、じゃあ、読んでいい、ということにはならない。
すると私は、耐えるだけ耐えてみて、ふと、何かの拍子に「もういいだろう」とか
「自分の意志で読むんだ」と思い込み、読む、という行動に出る。

それは、ただの麻痺であり、自白、隠蔽よりもさらに
タチの悪い正当化(説明、言い訳)なのだ。

こういうループを延々と繰り返した挙句に
ようやく一つの事実に気づく。
どうやっても、怖いことから抜けられないのだ、と。
そしてなんだかんだいっても、怖いから読む、それしか
私は出来ないのだ、と。

すると、もう一つの事実に気づく。
それは「AC人格」だ、という事実と、そのAC人格なのだ私は、という事実だ。

ところが、さらにややこしいのは、一方で
「読んでいるのは、AC人格解除のためだ」と思っている私がいる。
これは誰なんだ、ということが問題に実はなる。
ただ、渦中にいる時は、これが自分の主体なのだ、と思いたい。
自分の意志なのだ、と。
でも、本当に起きていることを直視すれば、依然、恐怖はある。
「読まないと・・・いや、読まないなんて選択なんてありえない」と。

AC人格そのものの私がいる。
一方、AC人格を解除しようとしている私がいる。

ここで、私は自分自身、陥らせている罠があった。
それは、AC人格を解除しようとしている私が本当の私で、
だから私は、大丈夫なんだ、という安心の仕方だった。

これはどういうことか、というと、言い換えれば、
「私がAC人格そのものであることは、私はわかっている」と、
私自身がこの私は正気だと思いこんでいるその「私」が言っている、
そういうことだと気づいた。

さらにそれはどういうことかといえば、
「自分が不幸なことは、知っている」という、そうやって
「知っているんだ」という地点で居ついているAC人格が、
実は、私が正気だと思いこんでいた私だったのだ。
AC人格を解除しようとしているんだ、だって、私は自分が
AC人格なのを、十分、知っているんだから!

これは、実に、毒親の毒なのだ。
あの毒父の顔が思い浮かぶ。
あの歪んだ顔が何を語っていたか。

「パパは自分が不幸なのを、知っている」

というぜんぜん威張れないのに自慢にすら見える顔つきだ。
さらに矛盾するメッセージを出す。
「だけれど、子どもたちが立派で、パパは世界一幸せだ」と。
そう口では言う。

だけどさ、違うんだよ。本当に発ししまくっていたメッセージは。
「自分は不幸なのは、知っている」というものだった。
だから、不幸自慢をしているように私にはきこえるし、
他の兄弟姉妹も、いや、誰だってそうきこえたに違いない。


不幸なら、平気な顔をしてはならない。


その当たり前のことが、
この父には、できなかった。

不幸なら、なぜ、幸せになろうとしなかったのか?
なぜ、不幸のままで「いい」としたのか、ということなのだ。
それは考えてみればわかる。おじろくとしての生き方、
不幸な生き方を強いられたのだから。
自分本人の幸福など、最初から認められなかったのだから。
それでも生きていくしかなかった。

でも子どもたちがいるから幸せだ、と誤魔化してはダメなんだ。
私も同じことをした。「私自身はよくわからないけれど、Pといて幸せだった」、
そう思いこもうとしていた。そこにPを除いたとしても、それでも残る問題は、
「だけれど、平気だった」という着地点の過ちなのだ。

そこで振り出しに戻る。

恐怖のまま、そのままの自分のどこが平気なのか?

平気なんかじゃないんだよ、ぜんぜん。
怖いんだから。

その次だ。

「怖いこともわかっている。知っている。」

ここがいつも私が停滞を実感する地点だ。
AC人格なのは知っています、わかっています、
これが言いたいことは、「平気です」なのだ。


平気ではない。


平気です、と言って誰が得をしたのか。
父が「平気だ」と言って、文句一つ言わず、
誰が得をしたかといえば、父の母親、ババじゃないか。

桜の間を読まなかったり、ブログを書かなかったら
崩残さんに絶対に抹殺される・・・

いつまで、

いつまで私は、こういう幼稚な精神性を手放さず、
いつまでやってるんだ、という話なのだ。

掘ってきました。
分析してきました。
私は完全にAC人格そのものです。

ならば、

「じゃあ、あなたは、いつそれをやめるんですか!」

これを、もう、ちゃんと自分に突きつけなければダメだって。

何が平気だったのかって。
どこをどう見て、何を見て、平気だとのたまうのか。

この一週間、現実の世界で気づいたことは、
恐怖に屈することで得られるものは何もない、ということだった。
考えてみれば当たり前だ。これが搾取なのだ。
屈させた側に得がある。だけれど、私は恐怖に屈することで、つまり従うことで
「安心した気になるという錯覚」しかないのだ。
簡単にいえば、なんとかクリアした、程度の感覚。強迫観念レベルではあっても。

ふと、アメリカと日本の今の関係を思った。同じだ、と。
アメリカに「受け入れられた」だけで安心する日本政府。
実体は「従ってるだけじゃないか。言いなりになってるだけじゃないか」だ。
だけれど、本人は、そう、私のAC人格も、そこで安堵してしまう。
だけれど、では「私の側」は何か手にしたのか、といえば何一つ、手にしていない。
対アメリカでいえば、アメリカは「従わせたこれから先やその意味」を当然に考えている。
搾取している側なのだから当然だ。

問題は、搾取されていることに気づかない側なのだ。
受け入れられ、従うこともできて、ほっとしてしまっているだけで、
そこで完全に思考停止している幼稚な精神性。

これはまさしく私自身ではないか。

いろいろ思い出しても、私は「こなしてきた」記憶しかない。
それもそうだ。こなしてきただけだからだ。
そして親からも「よくやったね」と「だけ」言われる。
私に何が残ったか?何もない。こなしただけだ。
それは親にとって、「よくできた子」という自分の手柄にできただけで、
実際に植えつけたのは、「不幸なままでも、別に、平気だよ」という考え方だ。

これは、決して、平気なのではないのだ。

こういう考え方、価値観なのだ。

不幸なままでも大丈夫だ、平気だ、というすりこみなのだ。

そして、誰かのためになる存在になるならば、
それが自分の幸福になるんだ、というストーリーを
日常、当たり前のように展開されていたのが、私が生きてきた毒家族なのだ。

よく父は、

「このお米は、お米を売るお店があるから、食べられる。でもそのお店があるのは
お米をつくるお百姓さんがいるからだ。それに太陽、水、そのどれもが一つなくても
Abyは生きていくこともできない。たった米一粒。当たり前にあるものが、
どれだけすごいものか。自分が生きている、とAbyは思っているかもしれないけど、
違うんだよね。生かされてる。親がいて、子がいる。ぜんぶ、つながっている。」

そういう話を何度もした。だから感謝の気持ちを忘れないんだ、ということにつながるのだけれど、
おそらく、この話の本質は、Abyはこのオレがいて生きていくことができているんだ、
偉大な親のオレがいなければ、Abyは死ぬんだぞ、感謝しろ。誰のおかげで生きていけるのかを
ちゃんと考えろよ。

これは、かつ、ここに「だから逆らうな」がある。
逆らったら、どうなるかわからないぞ、という恐怖だ。
それが、父に対して私が「絶対に逆らえない暴力的圧力、力」を感じていた正体だろう。

しかし、私の記憶の表層にカムフラージュされて調教、記録された父親像は
「子どものために自らを投げ捨てても尽くし、世界一幸せなパパ」というものだった。
これを私とPの関係にかえれば、そのまま同じことがいえる。
Pに尽くし、世界一幸せな僕。私は20年、ずっと、そう思いこんできた。

何重にも洗脳に洗脳をかさねてきたわけだ。
しかし、今、こうやって見ていくと、

「お前も不幸のまま、それで生きろ」

というものが根幹にあるのだ。

そして、私は、不幸でも平気だ、という毒父由来の「価値観」を
やめていかなければならない。

やられても平気だ、

・・・んなわけないだろ。

合気道を始めたすぐの頃、師範にもズバッと指摘された。

「怖い、という感覚を覚えましょう」と。

私が去勢されたものだ。

AC人格は解除しなければならないのであって、
「解除しようと必死でした」ではどうしてダメかというと、
死後、「そうですか。では、次、どういう生にしたいですか?」に
まったく答えられないからだ。

なぜ答えられないか?

「解除しようと必死でした」で思考停止しているから、「えっ?」となるのは必然なのだ。
それは、いくら自分が不幸なのを力説し、それをなんとかしようとはしていたのですが・・・と
いくら時間をかけて説明しようが、「で、では、次はどうしたいんですか?」ときかれ、
「・・・いや、そこまではちょっとよくまだわからないんですけど」と答えるのなら、
「じゃあ、もう一度、しっかりやりなおしてください」でおしまいになっても文句などいえない。

AC人格のまま、不幸のままでいることは
決して「平気」なことではないのだ。
そんなことは、毒親が言っていただけのことなのだ。
植民地のままでいい、何が問題なの?と言っているのと同じだ。
植民地なのが問題なのだ。自分の生でないのが問題なのだ。
だって、それは「私がいないのと同じこと」だからだ。

数日前、自分には
「自分が原因で相手を怒らせてはならない」
「自分が原因で相手に迷惑をかけてはならない」
「自分が原因で相手を不快にさせてはならない」

そういう考えがあることを、再度、思い知った。

だけれど、これは強迫観念であり、
強迫観念というのは、完全にここで思考停止する。
たった一つの価値観だけれども、強烈な影響があるのは、
それが毒親由来の、死活問題であったからだ。

しかし、この価値観は間違っている、と思った。

本当は、自分が原因で相手を怒らすこともあれば、
自分が原因で迷惑をかけることもあれば、自分が原因で不快にさせることもある、
これが真実だ。

こうなったらもう最後だ、どうしよう・・・と、
そう言葉にすらならない拒絶が強迫観念なわけだけれど、
本当は最後でもなんでもなく、一つの出来事にすぎない。

今、私は、自分の嘘を残らずひっぺがしたいと思っている。
AC人格は解除し、殺して、そうしなければ、いくら分析しようと
必ず「失敗」する。いや、失敗し続けているのが今なのだ。
そしてそれは、解除します、と宣言するだけなら誰でもできる。
先ほど書いたように、AC人格だって出来る。
むしろその宣言をずっとし続けることが出来るように、
AC人格のまま、不幸のまま、「それでいい」と思っているんだから。

従っただけだった、

従っただけでした、

と後で気づいて何になる?

何度も問いたい。

この生は、誰の生なのだ、と。



◆参考記事◆

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S488

松の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?M1233



2015.08.27
Aby


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by jh-no-no | 2015-08-27 10:01 | 復元ノート 1

④今日書き切りたい決意

「③今日書き切りたい決意」の続きです。


・・・


恐怖の目的は、
恐怖に私が屈することであり、
ただそれだけだ。

逆にいえば、私は「屈しさえしなければ」
恐怖は目的を達成しえない。

ところが、私はいつも違うことをしてしまう。

恐怖の目に遭わないためには、どうするか、
という仮想の恐怖による妄想をしてしまう。
そしてそれは、「従うこと」でしか解決できない。

しかし、それは解決ではなく、
「恐怖に屈した」ということだ。

もしも恐怖に屈しないままに
居続けたのなら、それは地獄そのものに「いる」と感じ続ける。

そして、長時間さらされ、ふと、思うのだ。

そこにこそ、制限されずに生きればよい選択がある、と。
自由に書いてよい日記がある。
そういう場に「いる」ただの私がいる。

「楽しい」、と、その時、笑みが浮かぶ。
地獄の中、ただ中なのに。

自分ルール、いつも仕事中やる自分ルールは
まるで価値のない行為に思える。
しかしそこには違和感がないのだ。

今日、職場の前の広場で、休憩時間、考えようとしていた。
夕刻、珍しく、さわやかな風があって、穏やかだった。
考え事もいいけれど、わずかな木立を眺め、夜空を眺め、
そうしているだけで、気持ちがよかった。

それは、リフレッシュしているとかではない。
私が今まで息抜きだ、リフレッシュだとしてどんなにしたところで
どこも息抜きなどになっておらず、緊張状態にある。

そうではなく、気持ちがいいとは、
そこにただ違和感がないという、ただそういうことなのだ。
そしてそういう自分ルールや、木立を眺めることを
私は日々どんなに無価値で、それは最低というほどの無価値さを
そこに与えてしまっているのか。そしてごくごくわずかな、壊れたレコードのように
繰り返される妄想が、いかに価値があるか、それだけを確かめようとしている。

しかも、それは自分の頭では確かめられない。
誰に、何に従えばいいかが、「これでいいんだろうか、こうすべきだろうか」
という埋め込まれた自問、否、他問によって、その価値は唯一はかれる。

それが、「顔色をうかがう」ということなのだ。
顔色などうかがわずにいたり、そうやって木立を見たり、そのへんのなんでもない
物体を意識的に見ることを、私は、いつもないがしろにし、無価値で、
まるでそんなことをしている自分が拷問にかけられているかのように感じる。

これが拷問だとすれば、いつ終わるのだろう・・・と問いかけ、嘘をつかなければ
「終わらない」と返ってくる。自分以外の主(あるじ)に服従しない限り、
これが拷問だとすれば、終わることは、決して、ない。拷問だとすれば、だ。

いつも同じ恐怖と妄想に投げ込まれ、
40年以上、それこそ終わらなかったのは、いったいどっちだった?
支配され続けた私の生とは、どっちが本当の側面だったのか?
苦しかったのか、楽しかったのか。
その苦しみから逃げたくて、苦しみから避けたくて、そうやって
AC人格の生を、幸せだったと思いたくて、思いもうとするだけの生を送ってきたんじゃないのか。

思いこむことをせず、
今、直面し、起こっている事実は何か、
それを見ること。

恐怖を避けたいとすれば、
顔色をうかがい従うしかない。

従おう、とあらかじめしようとするのは、
恐怖を避けるためなのだ。

恐怖は避けるものじゃない。

いかなる事実からも、私は逃げない。

だって、その地点こそが、
AC人格に甘んじるか、それとも、
自分の日記のペンをとるかという瞬間だから。

自分の人生について妄想するのでなく
「逃げ道」を見てみれば、
そこでいつも恐怖に屈し、歪んだ顔して戻っていった「しけた」人生が
ことごとく、毒親の人生だったのだから。

これが今日の決意だ。


2015.08.17
Aby


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by jh-no-no | 2015-08-17 13:45 | 復元ノート 1

③今日書き切りたい決意

「②今日書き切りたい決意」の続きです。


・・・


松の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?M1230

の中に、「憲法はいつ死んだか」という動画があり、
それを拝見した時、私は自分の中の解決すべき問題を直視せざるを得なかった。

私こそ、そのこの麻痺した日本人の最たるものである証拠に、
「では、占領されていたとして、それが何か問題なのか?」と私こそが思っているからだ。

これは、そんなことはない、とは言えない。
自我復元者として、この事実を認めたら、自我復元そのものの資格を問われるものだから
これを認めるのは、AC人格にとって恐怖そのものだ。
そして今まで桜の間の数々の記事に、いや、すべてといってよいくらい、
私のAC人格は恐怖してきた。だけれど、この事実から出発しなければならないし、
ここを誤魔化すことは、もう、してはならない。

書籍を読む前に、
「なぜ、自分で考えず、従うことを選ぶのか」、
それの答えを自分の頭で考えた。

そしてこのことは、読み、読み終えて、やはりやっておくべき大事なことだったと思った。
自分の頭で考えるというプロセスがなければ、結局は、本の内容を都合よく解釈する、
つまり、「自分が今しがみついている考えが正しいんだ」を主張する餌にしてしまう。
AC人格がつねにやってきたことだ。

しかし今回は読み進めていく最中にも、それとは違う実感があった。
なにより、私が読みたかった。何のためか。それは、私にとっては、これを読み、
また、深く掘っていく、そういう前進の経験にしたい、その一心だった。

だから読むことが、これほど楽しかったことはない。

そして読みながら思ったことは、
これはまったく「私のAC人格が辿ってきたストーリーそのもの」だった。
AC人格の話にしか、私には思えなかった。
いや、私の話そのものにしか思えなかった。
そして、これは、この2年以上に渡って、過去を探り、自己分析し、
AC人格がどんな挙動をとるのか、その背景には毒親家庭によるどんな搾取と
抑圧があり、それがどういう形で成人後も抜けられない洗脳をもたらし、影響を与えるか、
そして今なお、それに苦しみ、どういうところで躓いてしまうのか、掘って掘って掘ってきたことが
そっくりここに書かれていた。

だけれど、私の関心は、当然ながらそういったことと照合したいわけではなく、
むしろそんなことは、たったの一つもしたくはなく、これを読み、
AC人格の解除に向かうものでなければならない、その一心だった。
とはいえ、分析的に読んだわけではなく、ただただ、この本と向き合うように読んだ。

そして、結果として、

「私の人生ではないからだ」という理解を、もう一歩、進めることになった。

私が苦しいのは、私の人生ではないとして、それが何が問題なのか、
というところにあった。占領されて、それは何か問題なのか、と同じだ。
それが屈辱的なのだ、と言われても、そう思っていないのだから
わからない。牢獄にいるんだぞ、と言われてもボケている。

しかし、この麻痺は、結局のところ、
「私の人生ではないんだ」というこの「事実」が「本当にはわかっていない」ことにある。

恐怖心、復讐心、依存心。

これらは、ババ、おじちゃん、Pという対象に向けられる。

しかし、厄介なのは、AC人格とは、これから目を避けるために、
従うことは楽だ、馬鹿にしてやれば優越感が得られる、尽くしていれば楽だ、
こうやって「飴」と認識し、あるいは認識させられ、そうやって
「これがワタシの人生だ」とやってきたのが、AC人格だ。

自称・成功体験と呼ばれるもののすべてがそこにある。

Pといて楽しかった、というのもそれだ。

しかし、一方で、P無しでは自分の人生を描けないという障害を引き起こしている。
これも「自分で考えられない」という思考停止状態だ。

自分より上の者を置き、それに従い、それが楽だ、と怠惰さを増幅し、
そうやって、元にあった「恐怖心」を見えなくさせ、AC人格は生まれ、のさばる。

本当は「イライラ」、復讐心や嫉妬心があったのに、
上から目線になって自分は特別だ、とか言い出し(思い込まされ)、
優越感を一人で妄想し浸る。そうやって、「復讐心」を見えなくさせ、AC人格は生まれ、のさばる。

依存対象無しでは、どう生きていっていいかわからず、
従う対象を「利他」と美化して求めさまよっただけだったのに、
それを誤魔化すために、必死に「楽しかった」「楽しい」と思いこもうとし続けた。
そうやって、「依存心」を誤魔化し、離れたくないという苦しみを想起させてもなお、
滅私奉公を美化し、よかった、と思い続けようと、AC人格は生まれ、のさばる。

気がつけば、その「作られた、捏造されたほうの人生」が
「自分の人生だ」と思い込む。そうやって、しがみついていく。
それも当然だ。AC人格にとって、それが「ワタシの」人生だからだ。

占領されて何が問題なのか?

そう言うのは誰か?

AC人格だ。

ここで、私はこの本を読み、徹底して理解したことは、
自分の生だと思いこんだそれは捏造されたもののほうであって、
私の人生にあったものというのは、

恐怖心、復讐心、依存心

という、それ自体が苦しみも生むものである上に、
それがもたらすものは、自分で考えられなくなる、という怠惰さ、
己の不在という「生きていなささ」・・・

そっちのほう「だけ」だった、という理解だった。

これは頭だけの理解でもなんでもない。

今、私に起きている、この現実世界に起きていることを見れば
一目瞭然のことだった。

恐怖心

復讐心

依存心

これらに苦しみ、そして己のない「生きてすらいない苦痛」を感じ、
なんとかしようと必死にもがいている。

私が理解しなければならないのは、

「過去もそうだった」

ということなのだ。

今、自我復元をやったから苦しくなったなどと
馬鹿なことを言ってはいけない。
これが苦しいという正常な感覚を取り戻しつつあるのは
ここ数年、ここ最近かもしれない。
でも、過去、私は苦しくなかった、のではないのだ。
それに目をそらしただけ。

何に目をそらしたか。

恐怖心と復讐心と依存心しかない、
ババとおじちゃんとPしかいない、
そういう毒父の人生、代理復讐のための人生、
そういう「自分の人生でない人生」で
私の人生の「すべて」が出来ている、いた、という事実。

これが、

「自分の人生ではないからだ」

ということの本当の意味だ。

支配され、占領される、というのは、
それは苦しいことなのだ、と全面的に知ること、
その正常な感覚を取り戻すこと。

イコール、それは、AC人格を完全に殺しきることなのだ。

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』には
私は、その、支配され、占領され、それがおかしいと思えない人間が
どのように作られ、そこにはどのような背景があったか、という事実が
詳細に書かれている、と感じた。

動画を見たときは、天皇制のこと、昭和天皇のことにはあまり触れられておらず、
本を読むまでわからなかった。私は始めて昭和天皇について知った。

途中まで読んだとき、大きな違和感をもった点がある。

それは、本のなかでは「インテグリティー」という言葉が紹介されているが、
戦前、戦中、戦後を通して、昭和天皇の行動こそ、私はインテグリティーが感じられないと思った。
厳密には、それらの時期で、一貫して守り抜いた「己」が見えてこなかった。
それが、本を読んで、前半部分で一番印象的なことだった。

そしてすべてを読み終えた時、ある箇所を思い出して、納得した。

こういうことが書かれていた。

>しかし昭和天皇はその予定稿をさらにバージョンアップして、
>神だとか神じゃないとかそんな問題よりも、重要なのは
>日本が明治時代から立派な民主主義国家だったということだと主張した。

ここを思い出した時、私は違う、と感じた。
昭和天皇にとって、重要なのは、神かどうかだったのではないか、と。

権力に利用される対象にされることは、
権力に守られる「そういう存在」となることでもある。
毒親とAC人格の関係性とは、まさにそれだ。

昭和天皇にとって、「そういう存在」であり続けられる選択が、
従米路線であったろうし、この路線で生きのびられたものこそ、
権力なき権威としての「神」、AC人格だったのではないか。

「神だとか神じゃないとかそんな問題よりも・・・」というところから私が感じるのは、
それだけは触れないでほしいという拒絶。その焦りなか、目指したのは
一見、180度反対の選択のように見えて、実は、AC人格からすれば
「AC人格のインテグリティー」が、戦前、戦中、戦後を通じて崩れることのない
狡猾な保身方法に見える。

3箇所、引用させていただく。

>日本の天皇というのは、明治以前は長らく、政治的実権をもつ権力者に対し、
>権力はないが権威はたもちつづけるという形で政権運営に協力してきたという
>歴史があります。だからこのGHQに対する対応も、一朝一夕にできたものではなく、
>非常に洗練されているわけです。

ここに記されていることが、戦前と戦後の連続性とすれば、

あとがきにて紹介されている『続堕落論』の一節、

>自分みずからを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。
>だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、
>それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼らは天皇の擁立を
>自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって
>天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。

戦中が決してその連続性を分断した「突然変異的な時代」だったのではなく、
権力なき権威として利用された存在、つまり「神」という一貫性ある時代だったと
ここからも推測できる。

どこを、どう切っても、
金太郎飴のように「AC人格」はいて、AC人格こそ
首尾一貫性をもって、幼児期から成人、そして死ぬまで死んだ後までいる。
その流れのある部分だけが、そうでない、そうだった、という曲解こそ、
AC人格が主張するもっともらしい説明である。

>「阿南、心配するな。朕には〔天皇制存続の〕確信がある」
>と語ったとされています。

この昭和天皇の言葉こそ、リアルな本人(AC人格)の声だったのではないだろうか。

昭和天皇は、まるで私のようだった。

私もずっと、自分は特別な存在で、Abyはすごい、世界一だ、
と言われ、守られてきた。その私、私とは、
毒親の都合で生き方を強制された生に甘んじ続けた「AC人格の私」だ。

その私の人生は、
「占領され、支配された」まったく「自分の人生でない、毒父の人生である」こと、
そして、そこには、恐怖心、復讐心、依存心による「苦しみしか」ないこと。

この事実をいかなる時も誤魔化さなければ、
たとえそれが地獄でも、その一点の地点だけが、
今、私が、「そこにいたい」と唯一、本当に思えて、言えることだ。

そしてPとは、私は、適当で曖昧な離別を望まない。

事実をはっきりさせること。

私はそう決意した。


・・・


「④今日書き切りたい決意」へ続きます。


◆参考図書◆

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』
(著者:矢部宏治  発行所:株式会社 集英社インターナショナル)

引用させていただいた箇所のページ
(引用順に)149-150、149、283、140ページ




2015.08.17
Aby


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by jh-no-no | 2015-08-17 13:44 | 復元ノート 1

②今日書き切りたい決意

「①今日書き切りたい決意」の続きです。


・・・


まず、「おじちゃん」のことで思い出したことがあった。

父はよくこんな話をしていた。

「ボクがパソコンで帳簿のプログラムを作ると、
それと同時に、帳簿ソフト買ったからといってくる」

「ボクが古い台をペンキを塗ってきれいにすれば、
新しい台を買ってくる」

こうやって話す父を覚えている。

わざと、嫌味のように、いじわるをしてくる。
そうやっていじめられているのを、じっとり話すのだ。子どもの私に。
しかも平気なんだ、と薄く笑いを浮かべるように。
今だから、あれは歪んだ顔だったのだ、とわかる。

私の中にあるあの自動的・衝動的に起こる
「こいつの思い通りにしてなるものか」という反応は、
ここに何かあるのではないかと思った。

ところが、こうだとすると、「おじちゃんに」そういったものがあることになる。
あくまでも父がその被害を受けていることになるが、
私が「こいつの思い通りにしてなるものか」と対人関係でやっているのだとしたら、
今までAC人格の挙動分析からも、「おじちゃんに」ではなく、
毒父にこそ、この「こいつの思い通りにしてなるものか」というものがなければ、
私はその感染を受けるはずがない。

ここに、毒父の嘘、があったのだ。

違うのだ。実際は、父がおじちゃんに対して思っていたことなのだ。

では、どういうエピソードがあったか、思い出してみると、
父がおじちゃんに対して「こいつに思い通りにさせてやるものか」としてとった行動は
たった一つだけだった。

それは、父が家に仮眠してきているときに、
「早く店に戻ってこい」というおじちゃんの電話を無視することだった。
これは今、ああそうだったとさらに思い出したが、
店からの電話の多くは、子どもがとった。
私は何度もおじちゃんから、または、じじ(父の父親)から
「パパにお店に来るように言ってくれる」という電話を何度受けたか
わからないほど、それは日常的だった。

考えてみれば、大人だった母や父が出ればよかったはずだ。
こういう場面でも、子どもは利用されていたのだ。
そして、これも洗脳の結果だが、私は、「父がいけない」とは思ったことがなく、
誰よりも働いて疲れていて、おじちゃんたちはサボっていて楽しているのに、
少し休んでいるだけの父を早く店に来い、なんて・・・とそんなふうに思っていた。

ところが、今回、このことを思い出してみると、
おじちゃんやじじ、つまり、ババ(父の母親、毒祖母である)に守られ愛されていて、
嫉妬心を向けている対象であるそのおじちゃんやじじに対して、唯一、父ができた「抵抗」が
この「電話に出ず」「店になかなか行かない」という反抗、ただそれだけだったのだ。

自分がいないと困るだろ、ということを知らしめる目的もあったろう。

いずれにせよ、この目的の目的とは、サボっている(と位置づけた)おじちゃんへの
妨害であり、せめて慌てろ、困れ、働け、(おじろくである)オレの立場を味わえ、と。

それは、つまりは、自虐的にも、
ババに見捨てられている「ボクのような姿」を見たいのだ。
そして隙あらば、「ボクはおじちゃんに」なろうとしている。
仮眠と言いながらサボろうとしているのが、その証拠だ。
そのサボる姿こそ、父から見たおじちゃんの姿であり、
自分もそうなることで、おじちゃんになろうとしている。
母親に見捨てられてなどない、愛されているボクなんだ、と思いこみたいからだ。

これが、「思い通りにさせてなるものか」の根深い恨みの構造だ。

思い通りにさせない、という恨みの本音は、
ババにこいつが見捨てられればいいんだ、という
「自分が見捨てられたこと」に対する復讐心である。

実際、私の場合、Rさんに対して「絶対こいつの思い通りにさせてやらない」
と反応した時、そこで起こっていることは、立場の逆転がはかれると
私が無意識にもきわめて正確に判断している時なのだ。
自虐的にも、Rさんに普段の自分を見ているのだ。

そして、これは次のような歪みを生み出す。

こうやって相手をおとしめようとする「手段」があるわけだが、
では、本人、たとえば父が相手からされることで一番恐れているのは何かというと、
これもまた、同じその「手段」なのだ。

つまり、「思い通りにさせてなるものか」という嫌がらせを受けることを、
実は、父は一番恐れているのだ。なぜなら、それを自分がやっているから
それが相手へのいじめであり、嫌がらせであることを、当の本人が一番よく知っているからだ。

これに気づいたのは、私自身がそうだったからだ。

好きな人であれば、その人の顔色を見て、察し、先回りして
その人の希望通り手を差し伸べてあげる。
言うまでもなく、これをやってきた最たる対象が私にとってはPだった。
本質は、その人の「顔色の言いなりになる」という従属だ。
このACの能力は、私は、「よく気づく人」ということで、様々なバイトで
力を発揮していった。これがつまり、自称・成功体験という典型だった。

そして、これと対照的に、では嫌いな人に対しては、
その人の顔色を見て、察し、先回りして、
その人が一番望んでいない方向になるように誘導する。

これなのだ。

では、私は何を一番恐れているか、つまり、どういう被害妄想を
どんどん爆発させていくかというと、たとえば今の職場でいえば、
Rさんから「私がやるのと同じ嫌がらせを私は受けているのではないか」
という被害妄想であり、これが、「攻撃を受けている」「いじめを受けている」
という思い込みになっている。

重要なのは、本当はどうか、ではないのだ。

本当かどうかということを知る「以前に」、
私がそう思い込みながら毎日働いている、ということ。

父でいえば、先ほど書いたような帳簿ソフトの件や
新しい台を買ってくるという話、あれはどれほど「事実」なのか、
酷く怪しいものだ、ということになる。

父の被害妄想にすぎないのではないか?

父がおじちゃんにされたこと、
私がRさんにされたこと、

これにどう対処したかするか、どうすべきかが問題なのではなく、
大問題なのは、そういう妄想のほうではなく、
「こいつの思い通りさせてなるものか」という復讐心をおじちゃんに向けているということ、
そのことこそ、AC人格の挙動のリアルであり、これが私に「感染した」のであれば、
「おじちゃんなるもの」に対して、私もまた、「こいつの思い通りにさせてなるものか」という
自分ではないところから来る復讐心、実感としては「イライラ」ということになるが、
このイライラが発動するのは、当然、ということになる。

そして、今まで見てきた通り、まさに、RさんやSさんが、
「おじちゃん」そのものなのだ。私にとっての位置づけが、である。

ここまで掘り進めてきて、理解したことは、

私の人生には、

「ババ」と「おじちゃん」と「P」しかいない

ということだった。

Pとは、ババでもあるので、本質的には
「ババ」と「おじちゃん」しかいない。

毒父が、ババとおじちゃんだけを意識してきたように、
私もまた、他者を、「ババかおじちゃんか」としか見ていない、見えていない、
そうとしてか見ることができない、このことに気づいたのだ。

Pは、本質的にはババではあっても、
やはりこれは分けて考えるべき点だと思っている。

Pの城というのは、そしてそこに私が寄生し依存するというのは、
どういうことだったか、というと、Pをババとすれば、
ババだけを私は手にし、「おじちゃんのいない世界」の構築、
それは結局は「Pと二人だけの引きこもり世界」という心中必至の世界だったわけだが、
私は今、こうやって一歩現実社会に出れば、「おじちゃん」はウヨウヨいる。

それは、当たり前のことだ。

私が「これには従う」と絶対服従の姿勢をとった相手をババとするのなら、
そうでない他人は、「おじちゃん」になる。
たとえ復讐心を向けていない段階だとしても、それは潜在的な「おじちゃん予備軍」でしかない。
つまり、おじろくである自分の仲間だ、お前もババにめぐり合えていないよな、オレと同じだ、という
そういう存在としか見えていない。

これは本当に姑息なのだが、その中で自分は
「ちょっとだけ、自分だけ、おじちゃんになろう」とすることをする。
なぜなら、父の本音はおじちゃんを恨みつつ、おじちゃんになりたい、が共存するからだ。
そうやって、「このやからのなかでは、オレがまだましだ」としてまわりを見下す。

小さい子どもに対して、私は「優しい」とよく言われた。
自分でもそう思っていた。だけれどその実体は、その「上から目線」だった。
だから、もしも幼い子どもが「本当に母親から愛されている」と知ったなら、
私はその子の不幸を無自覚に願っただろうし、実際に私がやったことは
「いつまでも母親に愛されない子どものままでいいんだよ」と、その動機にあるのは、
絶対、そこから抜けさせてやらない、抜けるなんて許さない、絶対、という
「復讐そのもの」だったのだ。

許せるはずがないのだ。
毒父自身、そこから抜けられなかったのだから。
しかし、そこでつねに毒父がやろうとするのは、そういう現実にもかかわらず、
「ボクは違う、おじちゃんの位置にいるんだ」と思いこもうとする。

そのために彼は「あまりに最悪だった」何を、したか。

自分が「絶対の親」になるという、
子ども(子育て)を利用した形で、保身にした。
この「絶対」とは、今までも何度もつきとめてきたように、
「お母さんはボクを絶対見捨てたりしない」という、その「絶対」に由来する。
彼はこれを「偉大」とか「母なる海」のように表現してきたが、
実体は「絶対服従」という親絶対という支配者のことだった。

その「絶対の親になる」とは、どういうことかというと、
毒父は自分の子どもを、皮肉にも、
「おじちゃん」のように親に愛される人間として接し、育てることが、
彼にとっては「ボクもそうやって母親に愛されていたんだ」と思いこめる妄想を
捏造できるのだが、その演技の中で、実は、子どもにわからないように
「垂れ流していた本音」が、先ほどの「絶対そこから抜けさせてやらない」という
まるでその演技とは真逆の復讐心だったのだ。

それに感染した私が、では、何をしてしまったか、というと、
実際に「P」を手にしたことで、
「あなたたちとは、ボクは違うんだけどね」と見下し、
「絶対そこから抜けさせてやらない」とその自身の動機に全く無自覚に行っていたのが、
あの「内職」という狂気だった。

私は、Pを手にした。

毒父から見れば、おじちゃんをも排除し、
そういう世界をつくり(内職はそのゴールのようなACにとっては理想世界だった)、
かつ、Pというババも手にしている、という理想そのものであり、
絶対に不幸にさせたい、と思っていたはずだ。
いや、違う。父はその私の末路こそが、「オレと同じ不幸」であることを知っていた。

毒父が去年の正月、自殺前の母とPが口論となった時のことで、
彼は私に何と言ったか。

「Pなんかと別れてしまえ」と。

毒父は私がPといようが不幸なことを知っている。
おじろくをやっているのを知っているからだ。
実際、「Pが表舞台に立っているけど、Abyが支えていることは見なくてもわかる」と
冷笑しながら、蔑んだ顔で私に言っていたことが何度かある。
でもその時は、あれが蔑んだ視線だったことにも気づかなかった。
だけれど今は、あれが不幸に落ちろと呪う毒父の目以外、何者でもないとわかる。

一方、Pを失うことで、私が苦しむことも
毒父は知っている。

「ババを奪い、苦しませたい」というこの本音こそが、
おじちゃんへの恨み、「兄」という存在への代理復讐そのものなのだ。

私の今のP依存からくる「苦しみ」とは、
こうやって長男である私の人生に
すでに「埋め込まれていた」ものだった。

この「P」という存在が、いや、今気づいたことだけれど、
Pの城というおじちゃん不在の「快適さ」こそ、Pとの関係をつねに「理想的だったもの」に
私に思わせ続け、他にない「楽しさ」がそこにあっただろ、幸せだっただろ、と言ってくる
そういう罠だった。ババとだけの、夢のような暮らし。それが、Pとの20年だった。

しかし、これは誰の人生だったのか、
それが問題だったのだ。

私の人生ではない。

毒父の人生だ。それに支配されたのが私の人生だった。

なぜ、P無しでの幸せが考えられないのか。考えられなかったのか。

答えは、「私の人生ではないから」だ。

そして、これと同時に掘り進めていったのが、
最初に書いた自問、

「自分で考える」でなく、なぜ、「従う」を選ぶのか?

というもの。

この問いそのものがはっきりとしたのは、ちょうどその頃、

松の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?M1230
の中で

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』

という書籍が紹介された頃だった。

私の中で、これもずっと縛られてきたAC人格が発動する。

「読まなければ、今日には、明日には・・・読まねば」
という漠然とした、しかし、強い衝動による恐怖だ。
桜の間を読まねば、ブログを書かねば、報告しなきゃ、
こうやって私は崩残さんを恐れ、恐怖してきた。
そしてこの恐怖をつねに掘ろうとしてきた。

でも、まだ、こうやって発動するAC人格。

それでも私は本を読む前に、自分の頭で
この自問に立ち向かいたかった。
考え、考え続けた。

「自分で考える」でなく、なぜ、「従う」を選ぶのか?

そして、ある時、
ハッと「事実」に気づいた。


「自分の人生ではないからだ」


この、これまでの「私の人生」には、
ババとおじちゃん、そしてPしかいない。いなかった。

それは、つまり、「自分の人生ではない」。

ならば、従うことに躊躇などあるはずもなく、
自分で考えていないのは、あまりに明白なことだった。

そもそもの最初、

この生そのものが、私の生でないのだから。


・・・


「③今日書き切りたい決意」へ続きます。


2015.08.17
Aby

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by jh-no-no | 2015-08-17 13:42 | 復元ノート 1

①今日書き切りたい決意

「今日書き切りたい決意」の①から③の3つの投稿は、
8月15日に書き切ったブログ記事用の自身の文書に、
加筆、修正をして、本日、8月17日にアップしました。

15日に決意としては書き切ったものの、
自分で納得がいかない部分がありました。
それをめぐって、この1日と半、AC人格との闘いがありました。

また、その上で読み返してみると、適当に表現して済ませていた箇所もあり、
そのあたりも、加筆と修正をほどこしました。

④の投稿のみ、17日に最初から書いたものになります。
加筆・修正を含め、掲載するまでの1日半の間、
暴れ出したAC人格と闘い、それで思ったことを④として記録します。

①から④までを今回掘り出していったこととして
一連の投稿として掲載いたします。

Aby


・・・


7月半ばから今日まで、この1ヶ月間は
私にとって、現実の場で闘い、考え、掘って掘って掘り進める
そういう一つの流れがあって、8月に入り、どうしても自分自身で問い抜き、
自分の頭で考えたいことがあった。

「自分で考える」ではなく、なぜ、「従う」を選ぶのか?

この問いを、どうしても、自分の頭で考えたかった。
なぜなら、それ自体が、問いそのものに正面から向き合うことだったからだ。

そしてこの問いは、この1ヶ月の闘いの中で、
必然的に自分が自分に投げかけるべくして投げかけられる
もう、これを避けてはどうにもならない問いだった。

この1ヶ月、現実社会で直面したことは、予想していた通り、
職場のRさん(女性の先輩)を通じての「妄想攻撃」、これが一つ、
もう一つは、靭帯損傷他、同時に起こった身体の不調だった。

それと、やはり、どうしても繋がれたままの鎖、Pとの過去の記憶、
私の人生で唯一楽しかったと思い続けたPとの20年間、
この思いが、定期的に猛烈な悲しみをともなって訪れた。

このどれもが、避けられない現実だったし、
避けるつもりもなかった。そして、それでも私はこの闘いは
「楽しかった」と心から言える。言い換えれば、
「めげなかった」ということなのだが。

向き合いたくないAC人格など無い、と思った。
向き合いたくない事実も無い。
なぜなら、そこからが、私の人生の始まりだからだ。

Pとは、今、直接的なぶつかり合いはない。
しかし、私が解決しなければならないのは、
私自身が、Pという鎖から離れられないということであり、
どうしても、Pとの人生が「楽しかった」という思いが足をひっぱっているということ。

しかし、ある時、はっと思った。

「なぜ、P無しでの幸せを、私は追求してこなかったのか。
そして、依然、それをやり始めないで、Pとの生活に固執しているのか」

という当たり前の自問が起きた。

Pとの関係は、掘り進めてきた通り、
世話係りという滅私奉公であり、それをエセであっても「利他的」と称してきた。
しかし、その本質は何なのか、といえば、

Pの言いなり、Pに「従っている」

ということだったのだ。それはわかっていることでありながらも、
そういう事実だけが、ぽつんとあり続けるままに、今日に至っていた。

一方、前回のブログで書いたように、私は指の靭帯を痛めた。
そして、先週、2回目の診察を受けたのだが、この日は、
私にとって、AC人格との闘いの日だった。

というのは、初診の時、主治医から「稽古はすべきではありません」
と言われたのだが、結果として、私は、できる範囲での稽古をした。
指に負荷がない稽古ならできるだろう、稽古をすべきでないと言われたからといって
ただそれに従うのでなく、一言で稽古とくくるのでなく、できる稽古を自分で考えて、
やってみなければ、ただ言いなりになっているだけで、私自身が実感として
得たところからのものが何一つないと思ったから、できる稽古をすることにした。

稽古の日、私は自主稽古のようにして一人でやるつもりだったのだが、
師範から「これなら、できるから」といって、対人での稽古をつけてもらう、
という予想外のことが起きた。そして、その時、私は今日来てよかった、と思った。
同時に、やってみて感じたこととして、やはり、対人の場合はとくに事故でぶつかるリスクもあるし、
また、これは指に負荷はないだろう、と私は感じていても、それもわからないと思った。
だから、稽古をやれたことの充実感とともに、やはり、完治するまではやめておこう、という
そういう判断があった。

問題は、そこからだった。

稽古をやってしまった・・・と。
稽古はすべきでありません、と主治医が言ったのに、
私はしてしまった。

私は怖くなった。

顔色をうかがうAC人格にとって、非常に苦手な主治医だった。
不機嫌で、前回書いたように、質問すること自体、萎縮していた。
自分の判断でやったことを、この主治医に報告することは、
「自白」であり、それを隠すことは「隠蔽」であり、なんとか上手く説明しようとすることは、
どう正当化しようと、その主治医に従っていますという姿勢を示す
「従属」の態度でしかなかった。

またここで行き詰ってしまったのだ。

どうやっても、報告しようがしまいが、どう対処しようが、
そのすべての動機には、「恐怖心」があることは確実だった。

しかし、今回は、ああ、またこのループか・・・と生体反応を奪われ続けるままに
なるのではなく、もうこれはダメだじゃダメだ、と思った。

まず、稽古をし、そして、でも次からはやめよう、という自分の判断について、
私は誰かに「言えない」ということがあってはならない、と思った。
たとえそれが間違っていようと、相手を不機嫌にさせようと、殺されようが、
「なんてことしたんだっ・・・!」と豹変した表情をされようが、私自身が思ったことを
「言えないことがある」なんて、そんなのはおかしい、と思った。

そして、わかったことは、
その原因は、ただ一つ、その主治医に「従おう」としているからだったのだ。
だから「言えないことがある」のだ。
従おうとしなければ、なぜ、言えないことがあろうか?

言えないのは、相手が怖いからではなく、
私自身が、相手を自分より上に置き、「従う対象」として
私が設定してしまったためなのだ。
このことは、ブログを書き始めてそれほど経っていない時に
「従うことに躊躇がない」ということで、すでに分析していたことだった。

ようやく、現実世界とその分析が、接点をもった。

当日、私は、はっきりと主治医に伝えた。

「稽古をすべきでないと言われたのですが、できる稽古はやりました。
ただ、やってみて、やはり事故のリスクはあると思ったことと、
患部から意識がそれてしまうために違和感を感じにくくなっていると思いました。
完治したい、という思いを優先したいと思いますので、稽古はやめようと思います。」

隠蔽するでなく、自白するでもなく、従う姿勢を示すための説明をするのでもなく、
私はこれを言った。この発言の動機に、恐怖があるかどうか、ということだ。
私はただ自分の意思を伝えようと思った。それを可能にしたのは、ただ一つ、
私はこの主治医に「従う自分」をやめたからだった。
言えないことがある、自分が思ったことを言えない、
そんなことがあっていいはずがなかったから。

実は、この2度目の診察の日に、
2つの体調不良が襲った。

1つは、10年前に経験したぎっくり腰にあと一歩というギリギリの腰痛。
そして、もう1つはその時は「酷くダニに刺されたな」と思っていたのだけれど、
ネットで調べてみると、それは「帯状疱疹」というものだった。

指もそうなのだが、今までであれば、妄想に妄想を膨らませて
不安になり、そういう姿勢が、医者の言いなりになろうとする自分を生んでいた。
実際、今回だって、なぜこの靭帯損傷を「剥離骨折ではないか?」と思ったかといえば、
それは後から自己分析してわかったことだけれど、剥離骨折だと1週間から10日経ってしまうと
新しい骨が出来てきて、指が曲がらなくなることがある、手術をすることにもなる、という記述に、
いとも簡単に脅されたからだった。もう怪我から1週間経つ、そして指が曲がりにくい・・・まずい、と。

しかし、今回、主治医にはっきり報告をした時、
もちろん私はどうなってもいいと思っていたのだけれど、ただ一言、
「わかりました」と彼は言った。そして、淡々と診察をしてくれた。
触診し、痛みをはかり、そして、テーピング固定で動かせる範囲でリハビリをし、
あと2週間後にまた来るように言われた。

そして私は、その時、思った。

私はこの主治医の指示に従って、この怪我を治そうと。
この「従う」は、今までの従うとは違うものだった。
私自身が、自身の判断でそうしようと選んだことだったからだ。

それは鵜呑みにすることとは違う。
だから、私はその後、靭帯損傷についてさらに調べてみた。
腫れがひかない不安やあいかわらずある痛みも気になっていたから。
しかし、こういう不安は、かつては何に狩り出されてきたかといえば、
それも今回、はじめてわかったことだが、それも結局は、

「この医者を信じていいのか、どうか」

というものであり、この私の中のAC人格にとっての「信頼」とは、
実は、何に「従うか」ということだけを、自動的にやった末に、
従う対象をこれにした、ということが、信頼というものの実体だった。
つまり、カルトだ。

靭帯損傷について調べるのは、自分自身が自分の怪我を知るためだ。
そして、自分でできることをすること。不安も当然あるだろう。当たり前のことだ。
ところが、私はそのような動機ではなく、何を信じればいいか、何に従えばいいのか、
それだけにそのエネルギーが費やされ続けてきたのだ。

ぎっくり腰寸前の腰痛になり、私はかつて医者から
「あなたの背骨の間の椎間板は、年齢より年をとっていてもろいから
それが神経を圧迫して云々」という説明と診断を受けたことがあり、
それについて一度も自分で調べたことがなかったので、ネットで調べてみた。

驚くことがわかった。

もちろん、それが正しいかどうかはわからないが、
腰痛と呼ばれるものは、実は、筋肉の緊張が原因であり、
神経が圧迫されたから、とか、背骨が曲がってその負担がたたって、とか
そういうことではない、という記述も見つかった。

腰の筋肉の緊張、ときいた時、
私は、不思議にも、その時点でふとリラックスし、
腰の痛みがやわらいだ。そして、手を当ててみるのもよい、とあったので
やってみると、ただそれだけで、痛みが緩和された。

私にとって重要だったのは、
どういう医学知識が正しいのか、というすがるもの探しをすることでなく、
実際に、痛みがやわらぐ方法があるのなら、やってみたいし、
そういうことが、何より、リアリティーのある体験だった、ということだ。

そのしばらく前から、指についてもやっていることがあった。
それは、腫れの具合が日々どう変化していくかを写真にとって
記録する、ということだった。

なぜ、こういうことをしたか、というと、
これがまず私にできる当然の行動だったからだ。
腫れが変化するのかしないのか、しないのなら、せめて3日経ってから
ネットでそのことをテーマに調べてみればよい、と。
そうやって実際に、私は3日経ってから、靭帯損傷について
自発的に調べ始めた。

とはいえ、調べたからといって、腫れの原因がわかったわけではなかった。
だけれど、靭帯を痛めているのだから腫れている、ということはわかった。
そして、曲げると痛みはまだあるけれど、患部の「違和感」は減ってきている。
一言で腫れといっても、写真では実はわかりにくかったのだけれど、
毎日、左手人差し指と並べて観察していると、だんだんと太さが近づいていた。

私はそこで決意したことは、
靭帯を痛めているのなら、私は、24時間徹底してテーピング固定と
随時のリハビリだけで、絶対それを治そう、と、そう決意した。
腫れを観察し、自力で治そう、そう思った。

そういう最中だったためもあり、
これは今日仕事いけるだろうかというぎっくり腰も「手あて」だけで
急激に痛みがやわらいでいき、たった一日で通常に戻った。

そして、これはダニと思った「帯状疱疹」にも同様に私はとりくんだ。

最初、私はダニだと思っていたし、ダニだとしても酷いので
せめて冷やすとか暖めるとか、何かできることはないか、というのを調べるのが
最初の目的だった。

ところが、ひょんなことから、「ダニだと思ったら違った」という記述を目にし、
それを読むと、まったく、私はそれにあてはまった。それが帯状疱疹だった。
もちろん自己判断なので100%そうかはわからないが、その後の経過から
おそらくそうだろう。

この帯状疱疹、ではそれを調べてみるとどうだったか?
すると、初期対応が大事だ、3日以内に薬を服用しないといけない、重症化することがある、
などなど、90%がそう書かれており、その日でちょうど2日目だったので、
一瞬、明日にでも朝一、皮膚科にとんでいかねば、と思って皮膚科を調べたのだけれど、
なぜか、そこで思いとどまった。そして、もう少し、帯状疱疹について調べてみた。

どうやら帯状疱疹というのは、結局は、免疫がやっつけるみたいだった。
考えてみると、それは、何も不思議ではなく、だいたいの病気はそうなんじゃないか、と。
では、薬は何をするのかといえば、要は、痛みや症状が拡大するのを抑える、という
役目でしかない。鎮痛剤のようなものだ、と思った。

では、鎮痛剤とはどういう時に服用するのか、といえば
痛みに耐えられない時だ。なのに、まだ痛みもそれほどでなく、
「これから重症化するかもしれない」「3日過ぎると効き目がなくなっていく」
などという脅しを根拠に、薬を服用するのはどうなの?

実際、ごくわずかだけれど、「自然治癒します」と書いてある記事もあった。
当たり前だけれど、数十年前には、そんな薬は世になかったのだ。
免疫ができるまで、栄養をつけて待つ、という当然のことが書かれていたものもあった。
そして、この薬のことを調べてみると、結構な値段で、かつ、
副作用についても無いとはいえないと感じた。
まるで今の社会の医療の闇を見るかのようだった。

たしかに重症化するケースはあるらしかったが、それは
帯状疱疹が目や顔といった箇所に出る場合に限ってではないかと思われた。
もちろん年齢や抵抗力によって個人差はあれど、私の場合は、
へそから肋骨あたりであり、そして、実はこの痛みには見覚えもあった。
股関節にあせものようなものが出る時があり、かつ、あぐらをかくような時に
そこがズキンと内部から痛むこともあり、また、肋骨や心臓の内部のほうから
ズキンと痛むことも、今までもたまにあった。

わからないけれど、潜在的に帯状疱疹はあったように思ったし、
何よりその痛みは確かに嫌な痛みだけれど、経験上、多少ズキンズキンしたかといって
不必要に恐れることはないと思った。

さらにネットには、ちゃんと治療しないと、傷が治っても、痛みだけが残ることもある、
とまであり、いくらこれが科学的に正しくても、これを怖がって「はい、薬ください」では
もう完全に恐怖に支配されているとしか思えなかった。

今も痛いけれど、私は、これも自力で治す、そう決心した。
薬に頼らない、と決めた。後のことは考えず、まず、そう決めた。
そこに恐れはなく、そう決めることは当然に思えた。

3つの痛みが同時に身体を襲ったけれど、
私は正直楽しかった。惨めを装い、サボることもしなかったし、
だいたいが、まったくめげなかった。
今もズキンと痛むし、指も曲げると痛いし、だけれど、
自力で治そうと意志することは、どんな結末も自分の意志の末路として
受け入れられることと同じことであり、それは決して、妄想の恐怖などではない。

怪我のことを、こんなに書くつもりではなかったけれど、
いざ書いてみると、これが私の「日記」であり、私が書きたいことだとわかる。

そして、この1ヶ月、もっとも長期的かつ連日闘ったのが
職場でのRさんからの妄想攻撃だった。

「私はいじめられている、仲間はずれにされている」

という被害妄想だ。前にも書いたが、同期のUくんをひいきし、
私にはだんだんとベテランがやる仕事を教えない。
これは前に書いたように、つまり、私が「おじちゃん(父の兄)」の仲間に入れない、
仲間はずれにされている、という毒父からの感染が、この嫉妬心を生んでいる。

ここで発動するAC人格と毎日毎日闘った。
闘ったというより、私に何が起こるかを観察し、毒親からの感染と洗脳を分析する、
そういう毎日だった。

ところが、先日、Rさんのたった一言の私への注意で、
私はコントロールを失い、依然、私の中にRさんに対して
「こいつの思い通りには、絶対、させない」という思いがあり、
これというのは、結局、Sさん(男性の先輩)にかつて衝突したのと
何一つ変わっていないとわかり、ここでも、「ぜんぜん変わっていない」じゃダメで
もう、ここは、徹底して掘るしかなかった。

そして、このことは、私にとって、今まで掘ってきたことではあるけれど、
現実との接点をもった、という意味で、非常に重要な作業だった。


・・・


「②今日書き切りたい決意」へ続きます。



2015.08.17
Aby


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by jh-no-no | 2015-08-17 13:41 | 復元ノート 1

生きる場の選択

一週間前に、稽古で右人差し指を痛め、
今日、整形外科に行くことにした。
腫れと痛みがひかないからだ。

合気道の会の代表の方に、このあたりの整形外科の情報を
昨日いただいて、早速、行くことにした。

昨日、仕事から帰り、一夜、湿布を貼って対処しながら6日間過ごしたその経緯、
指の状態などをメモにまとめ、どんな怪我の可能性があるかをネットで調べてみた。

一番近い症状は、指の剥離骨折と思われた。

指を床についた状態で、稽古中、自分の膝で、
全体重をかけるように乗ってしまったことが、その突き指とも打撲ともいえる怪我だった。
生活する上では痛みもなく、腫れも酷くなるわけでなかったので、
軽視していたところがあったが、今回は自分でも湿布を買ってまで処置しようとしていたのは
かなり違和感があったからだと思う。

結果としては、右第2指PIP関節靭帯損傷という病名で
骨折ではなく、靭帯を損傷してしまったので、3週間ほど
テーピングで固定することになった。

昨夜、私は、自分の症状や怪我の経緯をまとめながら、
今日、医者に行ったら、自分が伝える内容は何か、
知りたいことは何か、それらもまた、メモし、自分なりに整理しておいた。

ここから、今日、私が感じたことを書きたい。

診療の前に、どの程度レントゲンをとるのか、また、
初回はどの程度費用がかかるのかもききたかった。

ところが、そのお医者さんは、すごく冷たかった。
質問すると、怪訝そうな顔をし、私はそれだけで萎縮した。
なんとかそれは質問したものの、なんとかした、という萎縮の中で、だった。

これは仕事をしていてもわかることだけれど、
相手が自分に親切にしてくれそうだ、と私が感じると何も怖くないのだけれど、
「何?」とか「え?」とか、お客さんが怪訝そうな顔をわずかするだけで、
私は萎縮してしまう。そして、このお医者さんは、そういう人の中でも
私が最も萎縮してしまうタイプに思えた。

一言、私は怖かった。
そこを逃げたかった。何とか2つ質問をするので精一杯で
それからレントゲンを2枚とり、看護師さんにテーピングのやり方を教わった。
その看護師さんも、似た雰囲気があり、私は萎縮した。

それでも、その後、もう一度、そのお医者さん(以下、院長)に、
「骨の剥離骨折ということはないですか?」ときき、すると院長は
「それはありません」とだけ答えた。

とりあえず、そっけなく、目も必要以上には合わさない。
こちらから話すことがすごく困難な雰囲気だった。
私の頭はそれ以上なかなか考える余裕がなく、
訊きたいことはちゃんと訊けたのかどうか、気になりながらも
「最低限のことは訊けた、言えた」と思いながら、診察を終えた。

しかし、それから一歩病院を出て、クールダウンしようと
昨夜まとめたメモなど、何度か読み直した。
すると、いくつか伝え忘れた、訊き忘れたことがあった。
でも、いまさらまたあの院長に戻って訊くのは、嫌だ、と思った。
その時思ったのは、「あの院長はまるで自分が神様かのように威張って、
まったく患者の話を訊くつもりはないんだ。最低だ。」と。
だから、別の医者に行こう、ここは師範が紹介してくれた医者だけれど
それに従うことはない。

そう思いながらも、やはり、めんどうだな、ここでいいや、とも思ったり、
混沌とした迷いがあったが、それでも、いずれにせよ、伝え忘れたこと、
訊き忘れたことは訊こう、そう思って、もう一度、医者に戻った。

受付でもやや怪訝そうな雰囲気で、その時点で萎縮し、
混んでいたら待っていますから、と私は居場所がないように
待合室に座った。名前を呼ばれて、診察室に入った。

今度は堂々と言おう。
顔色でビビらず、はっきり言おう。だってこっちは話したり訊く権利があるのだから。
そう思って、再度、伝えようと思っていたこと、訊こうと思っていたことを
箇条書きにしたメモを持って、呼吸を整えて、前を向こうと思って院長と向き合った。

伝えていなかったのは、この6日間ほど、
ストレッチ程度には指を動かしていたこと。
それは、湿布を買った薬局の薬剤師の方から、動かさないと曲がらなくなる、
と言われ、その方もバイク事故で自分の指が曲がらなくなったその手を見せられ、
そういうものなんだ、と思ったからだった。
湿布をしつつも、程度に伸ばしたり動かしたりしていた。

そのことを話そうと、

「湿布を買ったところで薬剤師の方が、ご自身も事故で指が・・・」

と話した瞬間、院長は、ギッとこっちを見て、

「あらすじはいいので、質問は何ですか」

と言った。その時点で私はまた元の恐怖に戻された。

それでもなんとか、「軽く動かしたほうがいいと言われたので
動かしてしまっていました、というのを先ほど伝え忘れてしまったので
それをお伝えしたいと思って」と言うと、

「わかりました」

と間髪いれず、それだけをキツイ口調で答えた。

それでもあと数点、訊きたいことがあった。
だから怖くても訊こう、それだけを思っていた。

「〇〇の仕事をしているわけですが、動かせる範囲なら
動かしても平気なのでしょうか?安静の程度がわからなくて」

と言うと、

「仕事ですから」ときっぱりと言い、そして、
「ただ、靭帯が痛む方向には曲がらないように
気をつけるのは自分の努力です」と。

まったくその通りだと思った。

これは病院に戻る前に、自分でこれを訊こうと思ったときに
これは訊こうというか、自分でもそう思うので確認しよう、というくらいのことだった。
ところが、いざ、質問を簡潔に、と言われてしまったせいか、ブレまくってしまい、
仕事では動かしても大丈夫か、というような雰囲気の訊き方になってしまった。
それと、合気道の稽古も稽古そのものは、本来なら、今のようなところを痛めることはなく、
無理はなさそうなのだけれど、何があるかわからないから、見取り稽古にしよう、
そう自分でも思っておきながら、これも同様、

「合気道の稽古は、できる範囲で・・・」のようなことを口走ってしまった。
すると、院長は、

「そういう状況ではないと思います。稽古はすべきでないと思います。」と
即答された。すべてが一言でこちらを見ることもなく、ちらっと見たとしても
それは刺すように怖いものだった。

稽古のことも自分でそれは考えていたはずだった。
自分の身体なんだ、それを守るためには仕事や稽古ではどう対処するか、
それは病院の外で、しっかり、意思を固めたつもりだったのに。

あと、どれくらいでおよそ完治する予定なのか、
さっき聞いたと思ったが忘れてしまったので、また、訊くことにした。

「さっきも言いましたが、3週間を予定しています」と。

それから、湿布はこれを使っていました、というのは、
伝えたほうがいいだろうと(そう湿布の説明書に書いてあったので)思い、
「それと、湿布はこれを使っていました」と言うと、即座に、

「もうそういう(湿布とかの)段階ではありません」と。

それと、テーピングというのは、一日に一回はかえたほうがいいのでしょうか?と訊くと、
「そうすべきでしょう。回数というより、ゆるんだら随時巻きなおすべきです」と。
思わず「このラップは・・・」と言ってしまった時、即座に、「ラップではありません。
それはテーピングです」と言われて、もう完全にしどろもどろだった。

あともう一つだ、病名を知っておきたいと思って、
「あと、これも先ほど聞いたかもしれないのですが、病名は何ですか」と訊くと、

「はい、それは、受付で渡します」

と、はい、これで以上ですね、いい加減に、という雰囲気で
(そういう雰囲気だと私自身が感じて)、なんとか言えた、と思ったとともに、
くたくたになった。

院長がその場を離れ、ややこちらに戻りかけた瞬間、私はここで
致命的なACの挙動を反射的にしてしまった。

「あの、ですから、最初に訊きたかったことは、
この6日ほど指を動かしてしまっていたわけですが、
動かさないほうがよかった、ということですよね」

と咄嗟に訊いていた。最後に、院長はこう答えた。

「過去のことはやめましょう」

それが今日の最後の会話だった。

受付で、病名が印字された縦1cm幅10cmほどの紙っぺらを渡された。
病院を出て、またそこのベンチに腰をかけた。
頭の中では、なんと最悪な医者なんだ、と思った。
患者の話をきく姿勢がまったく無い、完全にゼロ、
これだったら、別のところに今日にでも行ったほうがいいかも。もう来なくてもいい。
昨日、湿布を買った薬局のその薬剤師さんからも、近隣でおすすめの整形外科を
教えてもらったから、そこに行けばいいんだ。そもそも、こういうことがあるかもと思って、
セカンドオピニオンのつもりで教えてもらったのだから、と。

ただ、私は、この自分の判断が納得いかなかった。

先ほど病院に一度戻る前、このベンチでも実はそれは思っていた。

この最悪な医者、と考えている一方で、
なぜか、この院長がまともに思えていた。
そして、今日の診療を終え、外に出た時、そのベンチでも
自分の振る舞いに違和感を感じながら、この院長には
「どこにもおかしいところがない」と同時に感じていた。

まったく、この院長はまともだった。
そうとしか思えなかった。

しかし、

私は院長のなかに「まともな何か」を見たのではない。

実は、私自身の、私自身からの声だった。
私は自分から、同じ答えを実はずっと訊いていた。
だから、私は、彼がまともだと当然のように思ったのだから。

病院を出て、私は決めた。

この医者に通い、あと一ヶ月近くだけれど、
ここで治そう、と。

今までならば、最低の医者として、一番遠くに追いやってきたもの。
それは間違っていた。私が生きるのは、こういう場所なのだと。

どんなにACが吹き荒れようと、惨めな姿になっても、
私が逃げてはならないのは、死守しなければならないのは、そして
間違ってはならないのは、私が生きる場所だ。


2015.08.01
Aby

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by jh-no-no | 2015-08-01 02:05 | 復元ノート 1