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「私」の人生をとり戻すために

ここ3週間掘り進めてきたことを書いてみたい。

まず、仕事でのこと。これはおもに、職場で感じ、
どう対処するか、というよりも、自分にどんなことが起こるのかを
監視することに努めた。

もう、本当に嫌になるほど、私は「父」そのものだった。
おじろくとして評価されれば舞い上がり、逆に、
おじろく特有の恨み節が頭から離れない、それで埋まってしまう全ての時間。

それで思った。私はこうなってしまうのをやめたいんだと。
では、どういう仕事を、私はしたいのか。
それは仕事の種類のことでなく、どう、仕事と私は向き合うのか。
それも、どう向き合うのがいいわるいではなく、私は、私が、どうするのか。

Pとのこともそうだ。

Pとの関係を、どう、これからしていくのか。
私は、自分で考えようとしたことがあるのか?
ないんだ。

「Pだけには幸せになってほしい」という思いがある。
しかし、いつまで私はそんなことを言っているのだろうか。
それは、まやかしなのだ。
自我復元に出会った頃、私は、やるべきことはやった、
そう思っていた時だった。

そのやるべきことはやった、とは、どういうことか、といえば、
つまり、私はPを幸せにした、そう思っていたのだ。
だから、もう、私はやることはやった、と思っていた。

そして、こう思ったように思う。

・・・さて、自分のことはどうなったろう。
後回しにしてきた自分のこと、これ、どうなったろう?
Pのことはいいとして、私自身のことはどうしよう・・・

これ自体は、何も、思索的でもなんでもない。
ただ、「やるべきこと」がふと途絶えた時に自動的によぎる不安にすぎない。

そして、結局、また「やるべきこと」を捏造しようとするだけで、
こうやって、自我復元も悪用しようとした時点、
それが醜い動機ではじめた自我復元だった。

だから、今の今も、ずっとこれに苦しむ。
自我復元をまるで宿題のように、今、やるべきことはやっているか?
ここまでやっていればいいだろうか?次はどこまでやるべきか。
ちゃんとやるべきことはやっているのか・・・崩残さんに見てもらおう、
ちゃんとできているか、これでいいのか、と。

もう、もう、こういう自分にうんざりなんだ。
うんざり、だ。

自分が変わる、とは、どういう意味として私はそれを妄想しているかといえば、
ただ、「やるべきことをやり終えた暁には、すごい人間になっているはずだ」
という妄想なのだ。それも、その「すごい」ってなんなんだよ、って。

毒父の、あの馬鹿野郎の
「こんなすごい息子の親、だーれ?そうなんです、パッパでーす」
馬鹿だ。私はこういう馬鹿野郎のために、「すごいAby」でいようとした。

言いなりになってりゃ「すごい」って言ってくれる。

これの、この人生の何が面白いんだよ?
馬鹿じゃないだろうか。

ここ最近はとくに、自分の怠惰さと何度も遭遇した。
それは、「めんどくさい」と感じるところから始まる。
めんどくさい、というのは、私の場合、極度に生体反応を奪われるから、
とんでもなく、きつい。もう、逃げたくてしょうがない。
なんでもいいから、逃げたい。
日記は私にとって、とんでもなく、苦痛だった。

しかし、同時に、私の日記の書き始めは、その多くは、
「日記を書こう。」から始まる。
その時の、その時だけは、私は自分であれる気がしていた。
だから日記は好きで、でも、苦しい。それでも書き続ける。
もしもあと1時間で死ぬとわかっていたら、私がやることは、
今日の出来事を、できるだけ詳細に書こうとすることだろう。
だけれど、日々、私はそれが、すごくしんどい。
この矛盾を感じつつ、私は日記と向き合い続けている。

ある日、稽古があってそこに向かっている最中、
すごく晴れていて、ふと、Pと行った北鎌倉の道を思い出した。
「ああ、気持ちいい」と空を仰いでも、あの時もそうだった。
私はつねに「身構えて」いた。

外部と断絶した私。
私はつねに外部に身構えている、と。
稽古に行くその日、そう思った。

その日、たまたま稽古の審査会で私も審査を受ける一人だった。
その審査が終えた後、アドバイスをもらえる。
そのとき、「同じ級で比較するのはあれだけど、Abyさんは、Hくんより
かたいよね」と言われた。

私は、自分の動きがかたいことはわかっていた。
しかし、Hくんのほうが、一緒に練習していて見ていて、彼のほうがかたい、と
思っていたのに、比較されて指摘されたことで気づいたことがあった。

私は、かたいけれど、かたくないように動こうとしていた。
しかもその審査当日は、自分としてはおおらかに、楽しく、動けたと思っていた。

気づいたのは、

私は、「内面的なことは、隠せる」「他者にはバレない」と思っていたことだった。
かたいのが、わかってしまうんだ、とその時感じた。
前回の審査のときは、「いつもと違う顔で驚いた」とアドバイスの際に言われたほど、
真剣そのものだった。でも、今回は、伸び伸びとやろう、という思いが、自ずと、
「伸び伸びと見えるだろう」という周りの目線を想定したものになっていた。
これが、かたさ、になっていると、ハッと思ったのだ。
身体のかたさではなく、周りからどう見えるか、と無自覚にもそう思った分、
少なくとも、それは後でわかったことだけれど、楽しくなかった。

これが、見ている人にバレた、と思ったのだ。
それは、今まで、内面的なものは隠せている、と私は思っていた、
ということなのだ。

そして前回の審査の時のほうが、たとえ緊張で身体はガチガチだったとしても、
自分しかいない、という意識で必死に動いていた私のほうが、私自身、好きだった、と
そう認められるようになったとき、私は、自分の内面が外に展開していく、そういう世界を
これから生きていきたいと思った。否、内面など最初から筒抜けであって、何もかもが
実はバレバレだった、と。そして、私は、そのさらけだされた事実の中で生きたいと思った。

私は、稽古に限らず、日常の生き方そのものの中に、
「言わなければ隠せる」と思っているところが確実にある。
それは、自分のことは隠せる、ということと私にとっては同じ感じだ。

昔から私の毒両親は、思い出してみたのだが、
私が何を考えていようが思っていようがどうでもいいみたいだった。
それよりも、それを「表に出すことに」多くの制限を与えた。
というか、私につねに「表に出していいものかどうか」を考えさせるようにした。
もちろん、それが親の顔色が基準、ということだ。

私がいつも自分で自分のことが嫌なのは、
そうやって自分の中身を堂々と表に出せないでいることだ。
窮屈でしかたがない。しかし、もしも「全て」を経験しつくしたい、と思う時、
そして今日稽古中に思ったが、もう、これらをぜんぶ吸い尽くさないと
「もったいない」と思う時、そういう時は、本当に清々する。

復元ブログは、いつも、たじろぐ。
やるべきことになってしまう時、私は恐怖でいっぱいになる。

こういった恐怖とは何だろうか、と思うと、
それを見ていくと、その恐怖が根っこにあるのではないのだ。
では何が根っこにあるのか、ということだが、
これはブログに限らず、これもまた私の生活全体のなかでむしばむ
AC人格「これでいいんだ」人格の

「怠惰」

がある。

これでいいんだ、とは何なのかといえば、こういうACの叫びだ。

「どうすればいいだよ。とっととこうしろって言ってくれよ。
そう言ってくれれば、やるからさ。」

このことをここ数日は考えている。
いつから、私は、こういうことを吐く、怠惰な人間になってしまったのか。
酷いんだ。たまにこう思っているというレベルじゃなく、ずっと、私はそう叫んで
生きている。

なぜ、自分で考えないのか。
どこまで怠惰なのか。

自我復元を続けてきた中で、私の自己認識で最もギャップがあった点だ。
私は幼い頃から、成人してからも、ずっと
「まじめで、一生懸命で、努力家だ」と言われてきて、
私自身、そう自負していた。

まさか、自分が怠け者だ、とはそんなこと思いもよらなかった。
毒両親からは、「努力だけがAbyのとりえだ」と言われ育った。
まったく違った。

怠惰とは、自分で考えないことなのだ。

私はこれを何一つ、何一つといって過言でないほど、
今までこれをやったことがなかった。
ブログを書くべきかどうか・・・そんなこと、自分で考えろよ、だ。
挙句の果てには「自分で考えているからこれでいいんだ」と、
その考えに依存して、要は、自分でないものに決めてもらっている。

その怠惰さ、なのだ。
私が、本当に殺さなければならない精神は。

私が言葉に依存する癖は、自我復元を始めた最初から
私がずっとなんとかしたい癖だった。
他者から借りた言葉をそのまま利用しようとすることはある時期からは
無くなっていったのだが、そこからがクセモノだった。

私は自分が何かに気づいた、と思ったとき、
それを言語化しようとする。これは即座に起こる。
これは何をやっているのか?ということが今回わかった。
それは、「格言にしよう」としている、ということだった。
今度は、格言の作り手側にまわっていたのだ。

格言とは、私にとって、
「それに従ってりゃいい」という怠惰な精神の産物だった。
楽なのだ。そうすればいいのだから。自分でもう考えなくていいから。

子どもの頃から、私はよく下敷きに目標や格言を書いていたし、
自分の机にも目標や格言を書いた紙を貼っていた。
大学に入った頃が最も酷かった。
その時に買った本は、ジャンルを問わず、ほとんどが格言を抽出できるようなもの、
あるいは、格言集そのものだった。また、自分が格言を作る素材に出来そうなものだった。

私はそういうものを寄せ集めれば、
すべてを包括できる、賢者のようになれる、そう思っていた。
すべてを説明できるようになるはずだ、と思っていた。

でも、これらの本当の動機はなんだったのだろう、となると、
この今の私の病気状態をみれば、明らかに、自分で考えるのがめんどくさい、
そういう怠惰な精神が、そういうのをあさり、それにすがったとしか思えない。

元をたどれば、「親の言いなりになってりゃ楽だ」というのがあったと思うし、
同時にそこには、言いなりにならなきゃキレる、そういう暴力がふるわれる恐怖を
植えつけられた、ということだろう。

これは、恐怖として思いだせないのがくやしい。
ただ、自由にものが親に言えないでいたわけだから、それが恐怖以外、
何があるというのだろうか。

ただ、恐怖ゆえに、ということではないんじゃないか、と思うのは、
怖くても、自由にものを言うことは、いや、たとえ言えなかったとしても
「それでいいや」といってあきらめず、その状況をなんとか自分でしようと、
自分の頭で考えようとする努力、もがく努力は「やれた」はずなのだ。
たとえ0歳でも。

恐怖のせいにするのは、
それこそ、怠惰な精神である。

いつまでも怖いからって言っていれば
済むと思っている。済んだと思い込ませてやれ、と
AC人格は狙っている。

「怖いから」

だから、しかたがないんだ、なんていうことが、
今のこの現状の理由として、成立していいはずがないだろ。
済まないのだ。済んでなどあってならないのだ。
そうやって何をしないで済まそうとしているのか、といえば、

「自分で考えようとしない」

という怠惰な生き方を守る、ただそれだけなのだ。

私は自分のことを隠して生きたくない。
隠さずに生きたい。

このブログはね、本当は、何一つ隠す必要なんてない、
生まれてはじめて私が生きようとした場なのに、
もしもここでも隠すのだしたら、それは、私はいつもの日々で
自分を押し殺しているのとかわらない。

怖いものなど何もないはずだ。

私の内側を表に出そう、そうするだけで生じる恐怖など
妄想でしかない。それを、自分を、表に出して、そこで出会うのは
困難はあるだろうが、その妄想の恐怖などではない。

これは、ここ半年、とくに経験してきたことだ。
この苦しみや恐れは、困難はともないながら楽しいものだった。

でも、私のこの怠惰さは治っていない。

これでいいんだ人格は、怠惰な人格だ。

私は、この私の生を、自分のものにしたい。
自分のものとは、一つ残らず、それらすべてを
自分で考えて行動すること、それで埋め尽くすこと。
AC人格から見れば、それは「途方も無い」ものに思える、
とんでもなく「めんどうな」ことだ。

こんなことをして、何になるのか、と。

私は「やるべきこと」を外に求めてきた。
そのやるべきことの終わらない繰り返しを、
毒父が「すごいボク」であり続けたいがために強い、
そして、私はそれに同意した。従ってしまった。

お母さん(ババ)から「すごいね」って
毒父が、そう言われたかった、認められたかったそれだけのために、
私は利用され、なんだか私がすごいかのような錯覚までさせられ、
私はそれをよし、としてしまった。

こんな「自分で考える」などということをして、
すごくなんてなれないよ、とACが言うのなら、私は言う。

すごくなんてなる必要はどこにもない。
私はただ、自分の生を、自分で構築していきたいだけだ。
誰のためにもならないかもしれない。
くだらない、と言われるかもしれない。
馬鹿にされ、ダメ出しをされるかもしれない。
いじめられるかもしれず、殺されるかもしれない。

だからなんなんだ。

私はもう毒父の言いなりにはならない。
だから、「これでいいんだよね」と、
誰にも、何にも、うかがわない。

そもそもが、

これでいい、必要などどこにもない。

そんなことより、私にとって、実際私が問題だと思っているのは、
恐怖の妄想に屈して自分(の中身)を外に出せないでいることだし、
なにより、この自分の生を、自分で構築していないことなのだから。

無価値だ、と思うものは、私にとってそれは
そんなことしていてもしょうがない、とっとと終わらせてくれよ、
どうしたらいいんだよ、と思ってしまうようなものだ。
今の仕事は、ある意味、単調だ。ある日、私はその拷問のような繰り返しが苦しくて、
つらい、を通り越して、投げやりになった時があった。
つまり、本当に動いているだけのゾンビだ。それは数時間だったと思う。

日記を書くとき、今日の出来事を思い出し書こうとすると、
これも私にとっては、拷問のように感じることがある。
これは相当苦しく、もう、そこに対峙しているので精一杯になる。
こんなことして、何になるのかと。
睡魔の生理的な攻撃で、その声はどんどん大きくなり、
必死に耐えても、耐えているだけで、負けているのをとっさには認めたくなくても、
やはり、それは認めざるをえなかった。

しかし、それらの時、言えるのは、
そこに自分で何かを考えている痕跡がまったくない、ということだ。

どうしたらいいのか、と思う(問う)ことは、
私の場合、れっきとした怠け者の証だ。
だって、それは、「どうしたらいいのか、誰か、なんとかしてくれよ、
なんとか言ってくれよ。オレは困っているんだからさ。可哀想なオレ」が
その声の本当のところだからだ。

自分の人生、
自分以外に、誰が、なんとかするだろうか?

誰もなんともしないのだし、
それが嫌なら、「自分」など名乗る資格はない。

それが最低限、人が失ってはならない誇りではないか。

桜の間で何度も書かれているように、
誰も生きてくれ、など頼んじゃいないのだ。
どう生きて死のうが、勝手にすればいい。

その当たり前の事実に向き合おうとしない怠惰さ、
向き合えないと泣き言をいい、その恐怖心すらも保身のために悪用する。
そういう怠惰さ、これが私の怠惰さなのだ。

私は、育った家庭が楽だった。

同様に、Pといるのが楽だった。

ただそれだけだった。

私の幸せなど、それほどに貧弱な中身だったのだ。



◆参考記事◆

桜の間の記事

http://www.mumyouan.com/k/?S473

http://www.mumyouan.com/k/?S474



2015.07.25
Aby


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by jh-no-no | 2015-07-25 05:59 | 復元ノート 1

(後半)今日のこと

「(前半)今日のこと」の続きです。


・・・


今日のこと、としては以上なのですが、
もう一つ、最近、毒親のことで思い出したことを書いておきたいと思う。

前回の投稿の追記のような形になるけれど、
結局、私が仕事中に妄想していることというのは、
毒父の「おじちゃんになりたい」それそのものであり、
昨日もこの感じを確認した時、思ったことがあった。

おじちゃんは、新しいものが好きだし、
パソコンとか大好きだった。
力仕事とかより、帳簿をつけたり、そういう経理の仕事が
どうも昔から好きそうだった。

つまり、こういうことだと思った。

おじちゃんには、少なくとも、そういう思いがあったのだ。
パソコンが好きだから、そういう仕事のほうがいい、とか。
力仕事なんて嫌だな、と思っていたかどうかはわからないけれど、
仮に、そう思っていたとして、そして仮に、たとえ「さぼりたいな」と
思っていたとしても、少なくともおじちゃんは、

「そうしたいな」

と思っていた、ということに気づいた。

つまり、それはどういうことか、というと、
私の父は、「そういうことすら」考えてもいなかったのだ。
そのことに、昨日、気づいた。

というのも、今、私にとって、同期のパートの人に(Sさん、Rさんとは別に)、
一人、「おじちゃん」に重ねやすい人がいる。
その人(以下、Uさん)は、とりあえずすぐ疲れた~といって、たとえば
トイレに行っても出来るかぎりゆっくり帰ってきて、仕事中もすきあれば
しゃがんでいる。

で、私は、これを、「さぼっている」と見るわけだ。
ところが、SさんやRさんは、このUさんをかっていて、
裏方の仕事を教え始めている。私は、これに嫉妬心を抱いて、
今も、まだ、この嫉妬心が反応していることがわかる。

今まで私は「これは不当だ、だってさぼっている人がさらに裏方などやったら
もっとさぼるのは目に見えている。なんで、私は忙しくてたいへんなところを
やらされて、一生懸命やっていないUさんが、もっと楽できるところ、しかも、
裏方はフリーと言われていて、ベテランになるとまかされるところだ。
納得いかない。なんで私でなくUさんなんだ?」と思っていた。
嫉妬心丸出しで、ここに毒父の感染がぎっしりあるのはわかっていても、
どうしてもその反応が起きてしまっていた。

昨日、おじちゃんのことを思い出して考えていたとき、
「ずるい」と思っている私のほうがおかしいのだ、と気づいた。

というのも、Uさんは、裏方の仕事をやりたい、ああいう仕事のほうが好きだ、
とずっと言ってきたのだ。それも謙虚に、自分は、表に立って接客するのが
疲れるし体力もないし・・・と、それも正直に言っていた。
彼はいつも正直だったし、私もそういう彼が好きだった。
どこも嫌味なところがない。疲れたから、少しでも休みたいから、
ちょっとさぼっちゃいたい、という気持ちも表に出す、そういう人だった。
私はそこが好きだった。ところが、ひいきされた、と思ったときから、
見方が変わってしまった。

Uさんは、おじちゃんと同じで、おじちゃんはパソコンだったけれど、
Uさんはちゃんと自分が好きな仕事をまわりに伝えていた。
仕事がゆっくりなのも、「自分は遅い」と自分で言いながら、
それでもああいうのがやりたい、と言っていた。

おじちゃんもそうだったんじゃないか、と。

父は、おじちゃんはさぼっている、さぼっていてダメだ、
と言ってばかりいたけれど、よほどおじちゃんのほうが、
明確にやりたいことを、自分で考えていたんだ、と思った。
さぼりたい、でもいいのだ。そのためには、弟(私の父)に
たいへんなことはまかせて、オレはクーラーがきいたところで
仕事しよう・・・それでもいいのだ。おじちゃんは、そうしたいとしたから
そうなっただけだ。

一方、じゃあ、父はどうだったのか?

さぼりたい、という積極的な意思も持てず、
パソコンのような仕事をしたいわけでもなく、
では力仕事が好きかといえば、???であり、
いったい、パパは何がしたいのさ、ということだ。
きっと、そうきいても、彼はこうとしか答えられないだろう。

「お客さんが喜んでくれるなら、どんな仕事も好きだよ」と。

ここに、リアリティーはゼロなのだ。
なぜなら、彼は仕事中、恨みつらみしか、頭にないからだ。
私が、SさんやRさんやUさんに対してイライラしては平然を装うのと
まったく同じことを、父はやっていたはずだ。

それで、そうか、とわかったのは、
父は、自分で思った通りの仕事の仕方をしていただけであり、
おじちゃんは、おじちゃんが思った通りの仕事をしていただけであり、
何も不思議なことも、不当なことも、ずるいこともなく、
両者が「思っていた通り」のことが、起こっていただけだったのだ、と。

それは、今の私とまったく同じだ。
自分がやっていること、やってしまっていることが
現実に起こっているだけのことなのだ。
どこも理不尽でも、整合性がないのでもなく、
十分、つじつまがあったことしか起こっていない、
そのことに昨日、気づいた。

そこでも、私は、考えてみた。

では、私は仕事で何をしたいのか?

やはり、と思ったが、それがないのだ。
さぼりたいもなければ、裏方をやりたいもない。
だったら、Uさんが、裏方をのんびりやったとして、
私は何を言う資格があるだろうか、と。
「Abyは、じゃあ、どうしたいの」と言われたら、逆ギレするか、
リアリティーのない言葉を、父同様、吐くことしかできそうになかった。

ただの嫉妬心しかない。

この嫉妬心は何か、ということを見てみた。

感覚的な記憶を思い出しつつある。

それは、父と母は、あのI商店、というか、
父親家系のあのグループに、

「入れなかった」

という劣等感だ。この劣等感、仲間はずれの劣等感を、
私は、父と母から、子どもの頃、ずっと「感じさせられてきた」ことを
だんだん思い出した。楽しく笑っていて、理想的な素晴らしい親だ、と思っていたのは、
実は、すりかえられている記憶であって、本当に私があの人たちから感じていたのは、
ババやおじちゃんの仲間に入れない劣等感の塊だったのだ。

私はその「入れないでいる」父の表情、そして、
その父の顔を横目に苛立ち黙る母の顔が、この頃、思い浮かべられる時がある。
私は子どもながら、きっと、堂々とできない事情を感じ続けていたのだと思う。

昨日、私は買い物袋のことでいきなりダメ出ししてきたその上司が、
しばらく後になって、今まで使ったことがない機械の操作を教えてくれようとしたとき、
私の反応は、後から考えて、すごくおかしいものに感じた。

それはどういうものだったと思ったかというと、
今までぶすっとしていた母が、ババ(父の母親)に、急に名前を呼ばれて、
「これ作ったから、持っていきない」と言われて、突然、「あ、おかあさん、いいんですか」と
一瞬にして「奴隷でも仲間に入れたら、ワタシ嬉しい」という気持ち丸出しで飛びつくような、
そういう不気味さだった。これは、もちろん、父にもあって、父にこそ、その原型がある。
父は、いつも、「入れない」で鬱屈としていた感情を溜め込み、しかし、いざ、自分の母親に
呼ばれると呼ばれるだけで、「はい」と、それはなんというか、別人になったかのような、
今までのあれは何だったのか、と思えるほどの、あっけらかんと解決してしまうようなもの、
つまり、劣等感そのものなのだ。

この感じが私にあった、と思った。
上司に「Abyさん、これやっておいて」と機械の操作を教えてもらっていたとき、
私は、なんだか、ただただ従順な奴隷のようだった。
さっきまで、なんだこの上司は!と思っていた私だったのに、
自分で自分がなんだこれは、と思った。

これらを観察、分析することを、その場ですぐやるようにしている。
ただ、今までの癖で、何か結論じみたことを言いたくなる、
なんか言葉でまとめたり、くくりたくなるような癖がまだ残っている。
ただ、だんだんとだが、言葉より、経験。どんどん、こういうことも経験し、
その場で考えて、その場でやることをやっていく。
今までブログもそうだった。なんか、言葉でまとまってから書こう、そうずっと思ってきて、
実際、長いこと、そうやってきた。

それがいいかどうかは別に、今日は、私は、ただ、
誕生日だからというわけなのか、そうでないのか、わからないけれど、
ブログを書きたい、と思った。
言葉でまとまっていないものを書く、書こうとするのは
すごく怖かった。

パソコンを開いて、やはり、やめようと何度か思った。
だって、何を書くの?何もわかっていないのに?
そういう声が力なくも、しかし、根強くあった。
でも、なぜか、今日のこと、とくに、稽古のこと、甘酒のことを書きたかった。

私は今、夕方から深夜にかけての仕事なので、
7月3日は、仕事をして、甘酒作りをして、稽古に行って、ブログを書く、
という一日で、やりたいことは、おどおどした場面も多かったけれど
やった、という感じだ。

いや、もう一つ、やったこと。
桜の間の怪談シリーズも仕事から帰って、まだ見ていない残りを見ることができた。
正直、ここ数日、一話ずつでも、仕事から帰って寝るまでの間、見るのが楽しみだった。
回=回=、というところから始まるあの話は、とくに面白かった。
怪談だから夜中見るといいな、と思ってみていたけれど、今は時期的に夜明けが早い。

私の家のそばでは、ちょうど今なら4時少し前に、
たぶん明るさを感知してなのかわからないが、同じ小鳥の声がちょうどさえずり始める。
その時間に怪談を見たり、また、庭が少しずつ明るくなって葉の輪郭がどのくらい鮮明に
なったら、小鳥がさえずりはじめるか、など、そんな7月のスタートだった。




2015.07.04
Aby


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by jh-no-no | 2015-07-04 04:25 | 復元ノート 1

(前半)今日のこと

今日のことを、復元ブログに書いてみたい。

この投稿記事を書き終える時は、翌日4日になってしまうだろうけれど、
今日、7月3日は私の誕生日で、昨日くらいから「だから何だ」って
ずっと思いながら過ごしてきたけれど、今、一日が経って振り返ると、
そして今もなのだけれど、

「生体反応を失いたくない」

という気持ちが、ずっとあった。

生体反応を失いそうになる、というのは、

「もうダメだ、今の自分はダメだ」

という思いと自己同化してしまって、
そういう自己否定を疑いなく思いこんでしまって
そこから離れられない・・・というより、
完全に自己同化してしまっているから、
離れる、という立ち位置すら思い浮かばなくなる。
そんな状態だ。

でも、このところよく思うのは、
この生体反応がない、とか、自分はダメだ、とか、
自分は間違っているかも、とか、妄想から離れられない、とか、
こういう認識自体、

はたして、正しいのだろうか?

と思うことがある。

なんとかしよう、としても、
その「なんとかしようとするやり方」が、いつも、おかしい。
妄想に対して、妄想でなんとかしているような
そんな言葉遊びのような不毛感がある。

だから、これはへんだ、
何かへんだ、といつも思う。
これは格闘ではない、と。

ここ数日も職場でいろいろあった。

休日保育の充実を行政に訴えるための署名をしろ、だの、
買い物袋をゴミ袋に使うのはダメでしょ、と言われたり、
こういったことに対して、私は、その咄嗟の場面では動揺してしまうのだが、
これらに対して、今回は、

「自分はどう考えるのか」

をその場で短い時間であろうと考えることができた。
むろん、その場で結論せねばならないことですらなく、
ゆっくり考えてもよいわけだが。

肝心なのは、相手の意見を言いくるめるとか、
反論するとか、肯定するとか、そういうことでなく、
「自分の頭で」考えることだった。

このことが最近、次第に、わかってくるようになった。
今まで桜の間などで、「自分の考えも、それだってすべて借り物だ」などというのは
通用しない、ということを何度も書かれていたけれど、それを体験したことは、
私は、実は、今まで一度もなかった。

「何が正しいのか、何が間違っているのかわからない。
完璧などない、正解などない」などと、私の父はよく言っていたし、
私もまた、父以上に、その考えを「妄信」していた。

自分の頭で考える、という経験をすることで、
そういう妄信は、何が原因かがわかった。
それこそ、自分で考えていないことが原因だった。

ああ言えば、いや、こういう考えもある、だとか、
別の視点もあるからそれがすべてじゃないとか、
こういうことを熱く語る人がいる。
父しかり、そして、私こそ、そういうタイプの人間だった。

そして、こういうタイプの人間は、結局、何が正しくて、
何が間違っているのか、を、実は、一番気にしていながら、
いかに自分は間違っていない「可能性が高いか」だけを自慢する。
そういう人生をずっとずっと送り続けている。

私は買い物袋をゴミ袋に使っていて、
これは捨てるのはもったいないし、ゴミ袋を買うくらいなら
買い物でもらう袋を毎日のゴミ袋にして、数日まとまってゴミの日になったら
それを一つの市販のゴミ袋に入れて出せばいい、と思っていた。
だから、買い物をしたら、少し大きめの袋をもらっていたのだが、
たまたま、今回、それを「ダメでしょ、ゴミ袋に使うのは」と言われて、
えっ?と最初は動揺してしまったが、だんだんと、こう、頭ごなしに言われたことに
すごく違和感を持った。

しばらくこの違和感を感じとり続けていた後、
わかったのは、この「頭ごなしさ」だった。
どうして、そんなこと、何も私のことも知らず、私に何も訊きすらもせず、
ダメだ、などと判断できたのか、判断できるのか?と思った。

その人は、職場の上司だが、ある時、動物保護の問題についての雑談で、
「イルカを大事にしたい、っていうのなら、サバは?鮭は?どうなのよ。
殺人者はどうなの?そこまで、そういう人は考えてるわけ?そこまで考えても
いないでしょ。ただ、自分の好みでイルカだけを大事にしたいんじゃないの?」
みたいなことを熱く語っていたことがあった。そのことを思い出した。

私がまさにこういう人間をずっとやっていたから、
何を言っているのかはわかる。
だけれど、この異常さに気づいたのは、本当に最近になってからなのだ。

「自分の考え」

が、「ゼロ」なのだ。

自分の考え、というか、「自分で考えようとする姿勢が」無いのだ。
一見、いろいろな視点でいろいろ考えている「ように」見える、が、
実は、何一つ、「自分で」など考えていないのだ。
これは、おそらく、本人は、自覚することができない。
なぜなら、自分で考えたことがないからだ。

やっと最近になって、自分で、というのはどういうことか、
それは、まったくゼロから考えることなのだ、ということ。
かつては、私は、「それはありえない」と思っていた。
既存の知識の組み合わせでしかない、と思っていたからだ。

当然、それは、そうなのだ。
何も、インスピレーション、とか、無から生み出す、とかではない。
まったくゼロから考える、というのは、決して、そういうことじゃない。
その素材は、当然、既存のものであったり、ありきたりのものだったり、
あるいは、別に正しいものとは限らず、仮定だったり、憶測だったりもする。

それでも、

ゼロから自分で考える、

というのは、あるのだ。
それをやっと、知るようになった。

それは、本当はそういうことではなくて、

「ゼロから、つまり、誰にも束縛されず、
自由に考えてよい」という、そういうことなのだ、と。
ああ考えてもよいし、こう考えてもよい。
・・・ただし、自分の頭で、自分で考えなさい、ということ。

生体反応をとり戻すとき、というのは、
こういうことを思い出したときだ。
ただ、AC人格に飲み込まれているときというのは、
なんとか、「ある考え」や、ある特定の何か、に固執し、
そこにいることを正当化しようとし続けるから、
「別のように考えてもいい」という自由を、自分で、拒絶してしまう。
言い換えると、別のように考える勇気を持てない。
それを持とうとすれば、生体反応を失っていき、
たとえば、それは眠くなる、とか、そういう生理的な妨害も
当然のように容赦なくAC人格は仕掛けてくる。

話は戻り、生体反応を失ってゆき、
自分はダメだ、今の自分は、今の自分も間違っているかもしれない・・・
そんなふうになっていく時、

「そこ」

が一番の踏ん張りどころなのだが、

そこで問われる。自分自身から。

「それでいいのか」

だ。そしてもしもそれでよいわけがないとなった場合、
では、どうしたらいいのか、と当然、自問することになる。

こういうことをここ最近はずっと職場や生活のなかで
やってきたように思うのだが、今日、それをあらためて
今日という一日を振り返り思うとき、その自問に対する私の答えは、

支えが何ひとつなくても、

「自分で考えろ」

ということだと思った。

先日も思ったが、自分で考えないから怖いのだ。
これでいいのかどうか、間違っているかもしれない、とか、
正しいと思うんだが・・とか、この心理の背景には、必ず、恐怖、不安がある。
自分で考えてはじめて、対立することもできる。
自分の考えをもって対立が起こることは、決して、恐怖ではない。
もちろん、どうなるだろうか、という不安は当然あったとしても、
それは抱いて当然な不安や心配であって、何の根拠もない妄想からスタートした
ただの捏造してしまった不安や恐怖とは、ぜんぜん、違う。

少しずつだけれど、私は、そういう対立から予想される困難すら
ワクワクするようになってきている。
それは、自分の舵をそこでもとり続けるはずだ、という
自分自身に対する信頼があるからだと思う。

生体反応を失いそうになり、実際、AC人格が攻撃してきて、
生理的にもやばい、と思うときに、「その時こそ」、
自分による意思決定が、重要になってくると感じた。

その真っ只中、というのは、
本当に、何の支えもない、と感じるし、
自信とかそんなのは、正直、ひとかけらもない。

私は昨日、ああ、3日は誕生日だな、と思いながら、
でもなぜか、何もかも、力が行き渡らない、と思う場面が多く、
これもダメだ、あれもダメだ、どれも中途半端だ、と
こうやって自分がダメに感じるのが、怖かった。
でも、やはり、私は、「そのままでいい」とは思えなかった。

生体反応は、自分でとり戻さねばならない、と思った。
自然に戻るのを待つ、とか、そんな選択はなかったし、
自然に戻ったように感じる生体反応など、
私が「とり戻したい生体反応」ではなく、納得がいくものでない。
自分で、自分の力でとり戻したと思えなければ、
そんなの、納得いくはずがないからだ。

ここ数ヶ月を振り返ってみると、
その訓練を、本当に少しずつ、私は毎日きついのだけれど
それでも、やっている「日記」が、私にとって貴重な訓練となっている。
さっき、稽古から帰ってきて思ったけれど、やっと日記というのが
少しずつ、書けるようになってきた。

「今日は何をした。これをしてあれをした」

くらいの内容なのだけれど、これが、私には書けなかった。

なぜ書けなかったかが、今になってわかる。
なぜ、私は日記を書いたことがなく、嫌いだったのか、も。

それは、驚愕すべきことだが、

私は、自分で何かをしたことがなかった。

「自分で」何かをしたことがない場合、
日記に書けることなど、あるはずがないのだ。
たとえば、今日は稽古に行った、ということすら、
自分が行こう、と思ったものでないのなら、日記には書けない。
無理に書いても何も面白くもない。

だって、自分にとって、
「だから何なの?」って自分自身が思っているから。

でも、自分で行こう、今日はつらいけど行こう、とか
そうやってして行った稽古は、「今日は稽古に行った」と書けるのだ。

日記を書いていて思うのは、
こういうただの事実のように見えるだけの内容を書くときが
私は一番楽しい。違和感がないからだ。

実は今日、まず書きたかったのは、
生体反応のことというよりも、今日の稽古や甘酒作りのことだった。

今日の稽古は、正直、行くのがしんどかった。
なんとなく、体調が好ましくないように感じていて、
なんとなく億劫だった。でも、行こう、と思った。
行きたい、という気持ちのほうが強かった。

と思いきや、生体反応は失っていくように感じ、
どうしようか・・・と迷いはじめるころには、
生体反応を失うドツボにはまってしまう。

でも、こういう時、何も支えがない、と思う時、
それでも、「行く」と決める。
自分で決めるしかない。

生体反応は、ここを境に、とり戻し始める。

今日の稽古は、自分の体温を感じる時間だった。
これは以前にも同じような経験をブログにも書いたことがある。
まるでこれから試合に臨むかのような、緊迫感があって、
身体が火照り、熱い。

準備体操をするとき、目をつむってみる。
開けているときより、身体の部分部分の感覚が鋭くなる。
伸脚ひとつ、その動作に集中ができて、ぼうっとしなくなる。

こういう感覚は、「自分しかいない」というもの、でもある。
準備体操が終えても、この「自分しかいない」という感覚は続く。
対人攻防のなかであっても、やはり、そこには、自分がいるのみだ。
自分に焦点があたっている、といったほうがいいかもしれない。

こういう時間が続くわけだが、
この連続が、「動く」ということの楽しさそのものになっていて、
今、私は、合気道であるなし関係なく、やっているのは合気道なわけだが、
そうやって動いているのが、とても充実感を感じる。

誕生日だから何だ、と思いながらも、
今日(すでに昨日になってしまったが)、そういう時間を過ごせたことは
嬉しかった。

誕生日だから何だ、とか言いながら、でも
自分の中で、昨日から「この日を新しく書き換えたい」と思っていた。
それは、何かをする、とかではなく、ただ、書き換えたい、と。
それが、言葉にすると、生体反応を失うまい、という一日だった。

甘酒作りもやってみた。

これも、なかなかスタートするのが今回は億劫だった。
でも、やろうと思った。今回やりたかったテーマは、
火入れ(醗酵後に火を入れて醗酵をとめる作業)をしたものと
火入れをしないままのものが、どう、違うかを見ることだった。

火入れをすると、保存がきくようになる、ということになっていて、
甘みなども増す、と言われている。

じゃあ、やってみよう、というわけだ。

火入れしたものと火入れしていないものを作ったので
これから5日間に渡って、味などの比較をしていきたいと思う。

甘酒作りは、だいたい、8時間くらい醗酵するのにかかる。
プラモデルと甘酒はぜんぜん似ていない、と思ったが、
この時間がかかる、というか、時間をかける、のが、
私にはどこか魅力的に感じるのだ。

今これについて思うのは、
私は、まず、何事もじっくりやったことがなかった。
早くしなきゃ、あれもやらなきゃ、時間がない、あと何分だ、
そんなことばかりだった。
でも、これは逆に言うと、時間に決めてもらってきたことばかりだった。
前にも書いたけれど、今私が日々のルールで意識しているのは、
「ついでにやらないこと」だ。

これはやってみると、なんと、こればかりの人生だったか。
私の行動はまず、制限時間があって、あることをやらねばならないからそれをやる。
そして、そのついでに他もまだできないか、ついでにやれないか、と考え、
それとあれをやろう・・・こうやって来る日も来る日も繰り返してきた。

ついでにやらない、ということや、
今やらねばならないからやるしかない、ということをしない、
というのをやっていると、ほとんど自動的にやれることは
私の場合、無くなるのだ。

いかに、これだけで生きてきたか、ということ。

これをやり始めて、最近まで、すごく悩んでいたのが、
「やらねばならないこと」はどうしたらいいのか?
ということだった。

これは、数日前、ああ、そうか、と腑に落ちたのだが、
それは、ただ、とっととやればいいだけのことだった。
このあたりは、まだ、舵がとれている、とはいえない。

日常的に頻繁に気づいたら考えてしまっている妄想で
よくあるのは、「予定」だった。

ああしよう、次はあれをやろう、その時はこうしようか、
いややめておこうか・・・という「今後の予定」。
これが、妄想のなかでもかなり頻繁な妄想として私にはある。

ただ、これに対しても、ふと、思うのだ。
今、考えることか、と。
まだ、このあたりも、舵がとれないでいる。

今、書いているようなことが、日々、妄想の中心となっていて、
気がつけば、どうすべきか、これでいいのか、間違っていないか、と、
ああ、またどうしてこのループにはまるのか、と、いつも思う。
そういった中で、やはり、生体反応は失っていき、そういう

「元気がない自分」

と自分がぴたっと重なってしまうのだ。

でも、何度も書くように、元気に自然にはならない。
私が元気になりたい、と思ってはじめて、
生体反応を奪ってくるやつと、なんとか、ギリギリ、
立ち会うことができる。

今もそう。毎瞬、そういう場面だ。

勝つか負けるか、わからない場面なのだ。

ただ思うのは、ここで「これでいいや」としたら、
そこまでだなって。
それでいいって、自分で言ってしまったのと同じだって。
嫌なら、あがこうって思うようになってきた。
恥ずかしいとか思わずに。

甘酒のこと、もう少し書きたい。

私は、甘酒の原料っぽさに、今、ひかれていて、
あの味は、不思議だけれど、まだ8時間などぜんぜん経っていない時、
つまり、60度少しまでゆっくり加熱して攪拌した後に、すでに出てくる「味」があって、
私はこれが今すごく美味しいと思っていて、
なんとか、これが糖化が進んでも残ってほしい、と思っている。

この正体が何なのか、自分で追求してみたいと思っているし、
今日またあらたに感じたのは、火入れをすると、「栗のような」コクが出てきて、
これもまた、美味しい。これも今までにないものだった。

今のところ甘酒については、
ほとんど私は知識がない。
なんとなく知っているのは、70度以上にすると醗酵がとまってしまうから
温度管理には注意すること。また、50度くらいまで冷めてしまっても
糖化が進みにくいから、いずれにしても、温度管理に気をつけること。
これくらいだ。でも、だから、自分で研究してみたいと思っている。

それで、でも、今日、思っていたのは、
火入れの比較実験をするぞ、という目的もありながらも、
私は、実は、食べたい、という思いがすごく強かった。

甘酒のあの原料っぽいあの味を
食べたい!という気持ちがすごく強かった。
誕生日なんて・・・と思いながらも、誕生日に食べたいとも思った。

だって、本当に美味しいんだ。
正直、実験なんてやめちゃおうかな、ぜんぶ、食べちゃおうかな、と思ったくらい。

でも、実験は、やっぱりやりたかったんだよね。
だから、味見にすごーーーく集中して味わった。

原料っぽさ、というのは、いまだ、なんだかわからない。
ただ、だんだん舌が判別できるようになってきたのか、
糖化とともに「無くなる」わけではなく、様々な複雑な味や甘みそのものが
目立ってきて、隠れてしまっているだけかも?と思うようになってきた。


・・・


「(後半)今日のこと」に続きます。



2015.07.04
Aby


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by jh-no-no | 2015-07-04 04:23 | 復元ノート 1