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(後半)Pの呪縛と父の洗脳

「(前半)Pの呪縛と父の洗脳」の続きです。


・・・


書きたいことから書いてきたが、
内容として、最も今日、書きとめておきたいのは、
もう一つのことだ。

Pの呪縛。正確には、Pの「記憶」への呪縛。

これについても、昨日、ひょんなことで、
やはり、とようやく明確に自覚できつつあるものになった。

この問題は、もちろん、ずっとあり続けたし、
この一ヶ月は、この課題を忘れた日はなく、強い関心を持ち続けた。

前回の投稿でも書いたけれど、

今、この時点で、Pが自殺しようが、
急にいなくなろうが、はっきり言って、なんとも思わないだろう。
むしろ清々するかもしれず、あるいは、戦いの心残りが生じるかもしれない。
今、私を縛りつけているのは、そういう目の前のPではなく、
「記憶の中の」Pなのだ。

20年間、私は、あえてそう言いますが、
監禁されていた。

以前、誘拐されて、一室にずっと監禁され、
何十年とその薄暗いなかで犯人とすごしたという事件があったが、
この20年、私は、そうだったのだ、と思いはじめている。

Pだけがすべてだった。
本当にそうだった。二人以外、この世界にはいなかった。
20年、ほぼ毎日、三食をともにし、どこを行くのも一緒だった。
職場すら一緒だった時間が多い。

その中で、楽しかった、という記憶も、
私の人生で「その中でしかない」というほどの絶対的なものだった。
これは、自我復元前、死んでも揺るがないと思えるほど確実に思えるものだった。

しかし、こうやって自我復元をし、自己分析を続けた今、
Pは犯人なのに、そうとわかったのに、それでも私が抱いているのは、
離れられない愛着のようなもので、これは、本当にタチが悪かった。
よくDV夫から離れられない理由に、DV夫との関係のなかでしか、
その妻が経験している喜びもない、という話をきいたことはあるが、
私が実際に経験したのは、これと同じものだったと思う。
これに苦しみ続けたし、本当に苦しかった。

この正体は何なのか、それが、このところは特に
ずっと意識をとめている課題だった。

少なくとも、「記憶だ」というのはわかっている。
ではどういう記憶なのか、だ。

前回書いたことだけれど、
それは、「してあげる」ということへの私自身の囚われであることは、
苦しむたびに、どのケースもそういうことと関連していたから、わかることだった。

今日、仕事場であったひょんなこととは、
こんなことだった。

たまたま、私は、
「ジンジャーエール」の500mmのペットボトルを見た。

その時だった。

私は、苦しくなった。Pを思い出し、囚われたのがわかった。

なぜか。

ジンジャーエールは、たまにしか、Pは飲まない。
しかし、どういうときに飲むかというと、体調がすぐれなかったり、
本当に喉が渇いていたり、あるいは、ちょっとお酒代わりに楽しみに飲もうとしたり、
そういう時に、Pは、よく「ジンジャーエールが飲みたい」と言った。

これなのだ。

「〇〇が、欲しい」

欲しい。

これにすごく弱いのだ。
あまりに切なくなってしまう。

ああ、これだ。

私が一番苦しいのは。

誰に対してもそうといえばそうで、
何かを求める、とくに欲しい、と言う態度、
とくに弱っている人には、無条件で、「あげたくなる」。

私が続けてきたかつての内職の動機は、
Pへの代理復讐に加えて、これがあった。
代理復讐ならジャンルは何でもいいわけだけれど、
ある分野を選んだのは、「あげる」をしやすい立場だったからだ。

しばらく前に、Pが、
「この白いたまご、ワタシも食べていいの?」と
きかれたとき、心が割けそうになった。
AC人格の私の中では、それを拒む人格は存在しなかったから。
むしろ、自分を投げ捨てても、いいよ、と言い続けたのが、私だった。

Pは、「与えてもらう」ことを強く欲している。

本当の姿は、そんなもんじゃない。
与えてもらって当然、ワタシは世界一尊敬される人間なのだから、
と本気で思っているキチガイなのだ。

しかし、私は、そのPに「与えてあげる」ことを約束してきた。
与え与えられるという関係性。

守る、支える、というのも、
「欲しい、あげる」という囚われの中で生じるものに
私の場合はなっている。世話、というのも、要は、
「欲しい、と言うから、あげる」という関係のことをさしている。
そうすると、Pは笑ってくれるから、Pの笑顔は、この関係が
ちゃんと機能していることを証明するものとなっている。

あまり分析的な話を今したいのではなく、
この「与える」とは何なのか、ということについて、
これもまた、わかってはいたことなはずだけれど、
再度、ああ、これか、と毒父を考えて理解できた。

その前に、そう、一ヶ月近く前から、どこかでずっと
関心を抱いていたもののなかに、

「幸せは、与えられるものではない。
自分で手にするものだ」

ということだった。ここで幸せという言葉は、あまり使いたくないので
何を与えられるかは置いておくとしても、まず、そもそもが、
「与えられる」と思っていること自体、間違っていて、
自立する気のない人間の病気だと思った。

Pだけではない。

私自身、その病気だった。

私は、何でも「与えられる」と思っていた。
それは、あまりに自明なことになっていた。

というのも、そもそも私は、自分というのがなく、
「自分で」「得る」などということすら、経験したことがなかったからだ。
自分の経験がなかった、ということでもある。
自分の経験がないところ、生きたことがないところにあるのは、
「自分の舵がない」ということがあるだけなのだ。

その自分の舵がない世界が「当たり前」の世界では、
不安に対しても、「なんとかなる、なんとかなってほしい」という
無自覚な他者への依存しかない。

「与えられる」

という無自覚かつ自明に思い込んでいる感覚とは、そういうものだと思う。

しかし、もっと正確にいえば、私にあるのは、
与えられる、というよりも、

「与えられない恐怖、与えられない不安」

であり、これが、見捨てられる恐怖や不安となっていて、
これがあるから、与えられるのを求めている、といったほうが正しいだろう。

要は、与えられたことがないのだ。

元をたどると、ここが重要だが、

私の父は、父の母親(私の祖母)から、

「与えられたことが、ない」

しかし、本当は、子どもが健全に知らねばならなかったのは、

「与えられる、のではなく、自分で手にしていくんだ」

という経験を、親は子どもにさせるべきだったのだ。

これが自立の過程だろう。

しかし、毒祖母は、まず、本来親が与えるべき安心を「与えずに」、
具体的には、「あなたなど、いなくてもいい。本当は。長男もいるしね。
まあ、せめて働き手になってくれれば、殺さないでいてあげる」というのが、
直接、毒祖母にきいたわけではないが、本音だったろう。

結果として、父を見てわかったことは、
あの人は、与えられるべきものをもらえずに、不安でいっぱいなはずの子どもが
ただ大人の姿だけになっただけなのに、それを直視できなかったものだから、
「与えられているんだ、本当は、愛してくれていて、与えてくれているんだ。
自分でピンときていないだけで、与えてくれていないはずなどない」と思い込み続けた。

そこで、父が患った病は、

「幸せは、与えてもらうもの。与えてあげるもの」

という、完全に、間違った考え方だった。

それは、幼少期の本当に最初のところでは、そうかもしれない。
しかし、それを得られなかったために、ずっとそれに囚われて、
いつになっても、「与えてもらえるものが(親の)愛、与えてあげるのが(親の)愛」
それが人生、最も素晴らしい、とすら言い出す。

子どもの時の私は、この話、この感覚を、おかしいと思わなかった。

いや、正直、最近になって、わかったのだ。これがおかしいことに。
私が一人が怖いのは(無自覚に、一人という存在になるのを怖がっている)、
与えてもらう人、与えてあげる人がいない、ということに理由がある。

自分で、手にするのだ。

自分の経験で、この生を生きるのだ。

こういうことを、今まで知らなかったから、当然とも思わないほどに、
私は、待っていれば(努力して待っていれば)報われる、と思っているところがあった。
書いてみると、ほんと、陳腐で情けないが、疑ったことがなかった。

その背景には、何があるか。

見捨てられる不安、恐怖なのだ。

崩残さんに対して抱き続けたのもこの恐怖。

与えられる、という大間違い。

そして、Pとの関係は、これと無縁ではない。
私は、「与える」ということをしてきた。
それはどういうことか、というと、

「与えられるPを、Pが与えられることを、擁護したかった」

という動機と裏表なのだ。

欲しい、というのに対して、心が乱れるのはそのせいだ。

与える、ということ以上に、

「与えられる」

それを、擁護したい。その気持ちだ。

昨日、仕事から帰ってきて、しばらくして思ったことがある。

それは、もしも、私がおらず、Pと私の父がいたとしたら、
私が今までPにやってきたことは、本当は、私の父がPにやることだったのではないか、
それをまるで、私が代理してやっている感覚。

Pに与えてあげたい、Pが欲したら叶えてあげたい・・・

そう切に望んでいる(というか、衝動的に自己存在の意味づけのために
そうせざるをえない)のは、私ではなく、あの

「毒父」

なのだ。私ではないのだ。「本来は」。

もちろん、私に対しても、同じように、「親を演じた」。
偉大な親を演じようとした。「何でも与えてあげるよ」と。
あの人は、飛行機がほしいともしもAbyが本当に望むなら、なんとしてでも
手にしてやる、Abyに与える、と言った。もちろん、私がそう言わないのを知って、だが。

何でも、ボクはいらない、ぜんぶあげる。
こればかりだった。

そうせざるをえないのは、実は、父の都合だったのだ。
親とはそういうものだ、

「だから」

パパは、お母さんに愛されていたんだ。

親っていうのは、そういうものなんだ。

と、ただ、それを言いたいがために、「与えまくった」のだ。

いや、違う。毒祖母と同じで、与えずに、「与えている」と「言っていただけ」なのだ。
口先だけ。それもそうだ。本当の安心を与えてもらっていない人間が、何を与えて
あげるというのだろう?いや、本当の安心など、そんなのはないんじゃないか。
そうじゃなくて、「見捨てられるという不安を子どもに与えない」という最低限親としての義務を
毒祖母は果たさなかっただけだ。さらに、自立心を奪い続け、おじろくにさせたわけだ。

だから、父は勘違いし続けた。

「与えてもらっているのだ」

と。だから、パパも与えよう。だって親だもの、と。自己存在の意味づけのために。

そして、私は、まったく、この父とそっくりになった。
私に身についた歪んだ利他とは、「与える」という、本当は、自分を生きる人間、
自立した人間にとっては、「ぜんぜん、いらない」行為を、さも価値があるもののように、
はた迷惑なことを、他人にふりまくことだったのだ。余計なお世話もはなはだしい。

ところが、だ。

私は、失敗経験がほとんどなかった。
というか、失敗と感じる感性すらないほど、何でも馬鹿にできるんだぞ人格をはじめ、
鈍感のきわみにいた。

その中で、行き着いたのが、Pという「欲しい病」の病人だった。
私は生きがいを見つけたと思った。父の呪縛によって。
ところが、何度も掘ってきたように、「ワタシ、ジンジャーエール飲みたい!」なんて
健全なものでは、本当は、なく、実際、彼女が言ってもいたように、
「全自動身体洗い機があればいいな」とそんなことばかり考えている、ただの怠け者で、
誰かがワタシのそういう面倒をやってくれるのが当たり前、と本気で思っている
自立を放棄したゾンビなのだ。

そして、私が、いざ、こうやってもうその役を降りると、Pが示す態度は
「ただ不満」。私はどうしてこんなゾンビを好きになったのか、ほんと、わからない。

だから、違うのだ。

この人を好きになったのではないのだ。

私は、「与えたかった」のだ。
そして、今まで与えてきて、Pが欲しいというのをよしよしとなだめてきて、
知性の欠片もなく、お互いにだが笑い合ってきたのを「幸せ」と錯覚して、
もう、そんなどうしようもない記憶なのに、それに、私はずっと囚われてきた。

ただ、もう、決心したけれど、

この世界には、

「私」

しかいないのだ。

与えない。もうそういうことはしない。

健全な人間、自立的な人間は、与えられるなど「思うことはない」。
そう思った。それが、一人で最初から満たされた普通の状態なのだ、と。
この普通であること、これが「楽しい」のだ。

最初に、「私はわかっている」ということについて書いた。

これは、つまり、そういうことをすれば、
自分より上に置いた者、毒親の亡霊から、
「与えられる」と思っているからなのだ。
安心を。リアリティーも定義もできない安心を。
そこにあるのは、与えられないとしたらどうしていいのかわからない不安、
つまり、自分という一人在る存在になったら、「価値がない」「怖い」という
親から刷り込まれた不純物なのだ。

なぜなら、少なくとも子どもだった私に、

「一人」

で満ちてもらっては、親が困る、のだ。

私の親は、親でありたかったからだ。
むろん、毒親でありたかった、ということだ。
毒親でない親なら、一人で満ちてもらっては困るなど思わない、どころか、
一人で満ちた自立した個としての人間を、一定期間、責任をもって
邪魔することなく世話をすることを同意の上、親になったに違いない。

話は戻るが、与えてもらう呪縛が解ければ、
そもそも、私は、わかる必要や気づく必要もない。
誰かのために、そうする必要などないはずなのだ。
あるとしたら、自分自身のため以外ない。

もう一方の、与える呪縛が解ければ、
Pの呪縛も、いよいよ、切れていくのではないかと思っている。
先ほど、現実のPが自殺しようがいなくなろうがなんとも思わない、と
さらっと書いたけれど、これもさっきふと考えてみたけれど、
ここまでくるのにも、すごい時間がかかった。
Pとの記憶という核心にせまるまでにも、かなりの時間を費やしたのだ。

妄想外しは、今、もう少し焦点を絞って
「妄想を作らない」ということに力点を置いているが、
自動的に発生してしまって数十秒気づかないパターンに対しては、
注意深く見ていくつもりだ。



2015.05.19
Aby


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2015-05-19 11:39 | 復元ノート 1

(前半)Pの呪縛と父の洗脳

昨日、仕事中に、ひょんなことがきっかけで、
とても大きなことに気づいた。

そのことを書き留めておきたい。

まず、書きたいことから書いていこうと思うが、
父の洗脳、正確には、父による妄想の植え付けが
いかにされたか、その手口だが、
以前、洗脳のことを調べていたときに、洗脳というより
精神的な拷問そのものだが、こういう手口があるのを知った。

それは、囚人に対して、定期的にただ話を聞きにくる。
その者は、何を責めるわけでもなく、ただ、最近考えたことなどを
ただただ囚人から聞く。

そして、最後に、その者は、一言、
「やっぱり、あなたをここから出すわけにはいかないな」
と言って、立ち去る。それを、毎回、繰り返す。

そうすると、その囚人はどうなるか、というと、
何を責め、言われたわけでもないのに、
「自分が悪い、自分の何かが悪いんだ」と考えはじめ、
とうとう、最後には、自分は悪いことをした人間で、
だからここから出られないんだ、と完全に思い込む。

だいたい、こういう手口だったと記憶している。

今日、仕事から帰ってきて、歯を磨いていたときに
あっ、と気づいた。父がやったのは、この洗脳のもっとタチが悪いもの、
つまり、こういうことだったのではないか、と気づいた。

父は、もう少しでキレる、ということを醸し出す信号として、
よく、こう言った。これは、大人になっても、ついこの間までも、ずっと同じ。
それは、

「これ以上、パパに言わすなよ」

という最後の切り札だ。

あるいは、こういう言い方もした。それは、根底では同じだ。

「親に、これ以上言わしちゃいけないよ」

と。そして、「わかるよな、Aby」と、口で言う場合もあれば
顔色でそれを語るときもあった。

そして、彼は、先ほどの囚人の話とは、まったくここで
逆のことをするのだ。

ダメだ、ではなく、OKを出すのだ。

「Abyは、わかっている」
「Abyは、すごい」
「さすがAbyだ」
「当たり前のことができることが大事なことで、一番すごいこと
(それをAbyは、できている)」

あるいは、機嫌が悪くなるどころか、
にっこりして(ニヤリとして)、なんというか、子どもに苦笑いをさせる。
この苦笑い、私を視点にすれば、私が苦笑いを「してしまう」、となる。
ぜんぜん、理解できない(=リアリティーのない)父の話なのに、
その場の圧力で、父のニヤリに同調してしまう。これは、屈したということだ。
ただ、これは、非常に、わかりにくい。屈した、という事実に気づきにくいのだ。

父は、日常、これをやりまくった。
もちろん、それに気づきもしなかった。
何も、先ほど書いたようには、わかりやすくはやらないことが多い。
だから、私の記憶に残るのは、なんだか、持ち上げられた記憶だけになる。
そして、父は、この家庭が、自由で、幸せな家庭であるかのように繕い続けた。

この洗脳は、先ほどの囚人の拷問と
実は、まったく、変わらないことに気づいたのだ。

何が変わらないか。

私の頭は、「妄想」だけになるのだ。
私はわかっている、私は大事なことに気づいている、気づけている・・・

と、

ただただ、「そう」思っていく。
もちろん、こういうことがわかっている、こういうことに気づけている、
という「内容」も生じてくるわけであり、それと自己同化をしていくのだが、
それよりも、これがあまりに「おぞましい」のは、

父にとっては、

何に自己同化しようと、

基本的には、

関係がない、

という、あまりにふざけた話なのだ。

というのも、父がやりたかったことは、

「これ以上、言わせねーぞ」

という、ただ、それだけ、親という絶対命令権力を誇示するためだけ、
もっといえば、父は、結局、これ以上子どもに言われたり、つっこまれたら
何も言えないから、「親なんだぞ、わかってんのか、お前。誰に口をきいているんだ」で
なんとか黙らせようとしただけなのだ。

そこで彼がとったのは、先ほどの例の話とは逆に

「飴を与え」「続ける」

ということをしたのだ。なによりこの手口で重要なのは、

「私はわかっている」
「私は気づいている」
「私は理解している」

というような、完全な、

「妄想」

の世界に、あの毒父は、私を埋没させて、

「黙らせた」

という点なのだ。

黙らせた、とは、「言いなりにさせた」
ということと同じだ。苦笑いをし、私は、彼の言いなりになった。
わかりにくいのは、頭から抑えられたのではなく、見た目、
「持ち上げられて」、その父の「わかるよな」という同意の強制が、
あたかも、自分の意見かのように、私が思い続けてきた、ということなのだ。

そして、あの父は、決して、

「これこれをわかれ」

と強制したことはなく、言葉上は、

「自分の自由に考えなさい」

とした。そして、私は、大人になるまで、「自由に」考えた「つもり」だった。
たしかに、どのように考えようと、それは可能だった。
しかし、このことの病理は、

「私は、〇〇がわかった」
「私は、〇〇に気づいた」

という自分なりの理解、そうやって「わかったりすること」「気づいたりすること」が

「飴をもらえる方法だ」

と自動的に思うように、調教されたことだったのだ。

こうやって、相手の顔色をうかがっては、相手が何を要求しているか、
「私はわかっている」といいたがるようになる。
そのわかった内容が、実際に、「正しいかどうか」は、実は関係ない。
毒父からすれば、そうやって、顔色をうかがってくれて、要は、

「顔色をうかがい、黙ってくれさえすればいい」

それだけだからなのだ。

そして、もしも私が「これこれこうだと思う」と言えば、
「さすがAby」と「何も考えずに」父は私に言えばいい。

先ほどの囚人と同じなのだ。

これを生活の中で繰り返されると、
「私はわかっている」「私は気づけている」
「私は間違っていない」「私は〇〇を理解している」と、
つまり、私ではない「わたし」と自己同化をし続けるという、
妄想世界の住人になってしまうのだ。

「私は、〇〇だ」

と。何度も言うけれど、すごくむかつくのは、
こういう毒を植えつけておいて、毒父の目的は、ただ
「黙らせたかった。黙れば別に何に自己同化しようと勝手にしろ」
という、本当にふざけた動機だったからだ。

この最後の部分、

「何に自己同化しようと勝手にしろ」

というメッセージを、彼は、私たち子どもたちに、

「お前たちの好きなように、自由に生きなさい」

という言い方で、ずっと言い続けたのだ。

この毒父の手口に気づくまでに、このところ、
いくつかのステップがあった。

まず、私の妄想というのは、どうも、
「私はこういうことがわかった。わかっている。
私はこういうことに気づいた。私はこうする。私はこうした」
というところから、始まりやすい、ということをこのところ感じていた。

最近、妄想については、
二つ、思うことがある。

一つは、妄想を外すことをやりはじめて、そして今も続けていて、
先日ふと気づいたのは、

「妄想は、作らなければ起こらない」

ということだった。

私は、なんとなく妄想というのは「自動的に生じるものだ」と
思っていて、それを止めたい、この勝手に起こる妄想というのを
どうするか、と考えていたところが強い。

ところが、これは関心地図をやり続けて、最近になって気づいたのだが、
少しずつ、今までもゆっくりとではあるが、様子が変化してきているように思った。

それは、関心地図をやっているときよりも、
日常生活の中でのほうが、あるいは、私自身が「何かをしよう」として
しようとしている時のほうが、はるかに、妄想が多い、ということだった。
関心地図をやっているときは、極端に、妄想は起こりにくい。

これは、どういうことか、というと、

「私が妄想を作り出している、呼び寄せているんだ」

と、ふと先日思ったのだ。

そして実際そうなのだ。嫌な感じがするときをとらえる。
そうすると、何を私がしているか、というと、
「妄想を、ねちねちと、作り出している」のだ。

その最中は、そうは自覚しにくい。
それよりも、「考えている」とか、よくても、「意味づけをしている」という
自覚の仕方をする。あるいは、自分の意思を探している、と。
だんだん胡散臭くなるから、自分でもおかしいと気づくわけだが。

そこで、よく見てみれば、やっていることは、

「思ってもいない」
「何の根拠もない」
「誰も(私も)そんなこと言っていない」

そういう内容の妄想を、勝手に、作り出してしまっていたのだ。

これに先日気づいてからは、
妄想を外す、というのを、もう少し焦点を絞って、
「妄想を(わざと)作らない」というふうに意識して、この妄想外しを続けている。

これはこれで、かなり無駄なエネルギー漏れを防ぎつつあるけれど、
では、妄想を作り出しさえしなければ、妄想は生まれないか、というと、
そういうわけでもなかったのだ。

これは今も取り組み中のことなので、
今後も検証していく必要があることなので、断定はできないけれど、
私が妄想を作り出さなくても、なんというか、妄想が始まりやすくなる地点、
というのがある。それは、言い方を変えると、どうしても自分自身、「あっ、妄想している」
と気づくまでに、「数十秒近く」かかってしまうことになる、その妄想の「起点」だ。

数秒ならば、かなり自覚的だと思う。
妄想とほぼ同時に気づけるケースであれば、
日常生活や仕事の場でも、格闘すれど、対処することができるという実感がある。

ところが、数十秒しないと自分が妄想に入っていることにすら気づかないもの
というのは、気づいたときに「あれ?いつから妄想が始まっていたのか」となる。
ここをもっと見ていきたいところ、というのが現状ではあるが、
なんとなくわかってきたのは、これが、つまり、

「私は、〇〇だ」

という、「私と何かとの自己同化」が自動的に起こってしまった時、ここからのように
今のところ感じている。これだけではないかもしれないが。
ただ、必ず、「私」というのが介入する。

この「私」だが、ややこしいのだけれど、
正確にいうと、

「私(①)を見ている私(②)がいる」

ということなのだ。その後者の私(②)は、決して、本当の自分とかではない。
ばっちり、AC人格の私なのだ。

考えてみれば当然で、

「私は、〇〇だ」

とそのように「妄想している主体」は、妄想AC人格以外、なんでもない。

しかし、関心地図というのは、私の場合、まず、
「私は、〇〇だ」ということに関心を向けることは、少なくとも、最近は滅多にない。
意識的に関心事としてイメージしようとすれば別だが、
「自然に想起してしまうもの」となると、多くは、単発的なイメージや、
認識したものなどが多く、そこから連想に続くことも、あまりない。

だからこそ、先日も、妄想は自動的に起こっているのではなく、
日常生活のなかで、自分から不安を作り出している、あるいは安心を作り出している、
といった妄想作りをしてしまっていることにも気づけたわけだが、
しかし、どうも、「私は、〇〇だ」という、私との自己同化、それは現実的には、
「私は〇〇を理解した、わかっている、気づいている」という形で現れるが、
そういうことが起こると、妄想AC人格が、いまだ、幅をきかせているようなのだ。

そして、この気持ち悪さは、最近になって浮上したものではまったくなく、
この気持ち悪さと違和感こそ、自我復元の最初から、いや、開始する前から、
少なくとも異物として、どこかおかしいと感じ続け、自我復元中も、今もなお、
もっとも嫌なもので、コイツが消えない限り、私は少なくとも「変化した」とは
口がさけても言えない、と思っている、思い続けたものなのだ。

復元ブログに常に苦戦してきたのも、この復元ブログが、
私(という妄想AC)にとっては、

「〇〇に気づいた私」

のまさに、格好の巣窟だからなのだ。
これにどう戦うか、そればかりを考えて今までもきた。

いまだに、この病気は強く、
ふと妄想していると、何を妄想しているかといえば、
気づいたことを、文章化しているのだ。復元ブログに書くことを前提に。
この自動化は、自分でもあきれる。妄想ACは、どうしてもこれをしたいようだ。

つまり、それ以前に、「私は〇〇に気づいた」があって、
これを妄想ACが利用する、という流れになっている。

当然だが、コイツは打破しなければならない。
それは、二つの方法で打破している。

一つは、私は〇〇に気づいた、という自己同化妄想を
「強制的に切り離す」というもの。妄想外しの徹底の根幹にあるもの。

もう一つは、そもそも、この妄想ACの動機を明確にし、
自覚的になること。

なぜ、気づく必要が「私に」あったのか、ということなのだ。

さっきもシャワーを浴びながら、これがもちろん「自分のために」
気づいているのなら、何も問題はない。そう思った。
その気づきから、今だったら、さらに掘ればいい、ただそれだけだ。
そして具体的な行動を変えればいいし、変わらなければ意味がない。

ところが、この妄想ACというのは、これは今までもブログに書いたことだけれど、
「気づいておしまい」人格なのだ。そこから先というのがない。
だから、それが自分でもわかっているから、徒労だし不毛だし、
「こんなことしていても・・・しかたがないからやっている・・・」というものになる。

言うまでもなく、私にとって「変化」とは、

私が実際に、行動が、具体的に変わることをさす。

そう私が思っているからだ。

だから、実際に、行動が変わらなければ、
現実が変わらなければ、無意味だ、と思っている。

だからこそ、この気づいておしまい人格と格闘してきたのだ。
AC人格分析をしてきて、停滞しまいと進みながらも、しかし、
常に、1mmも前進していないと感じていたのは、そのせいだ。
だから、苦しかったし、今も苦しいけれど、今は、少しずつ、
行動が変わってきている。

へんな言いかただけれど、
中身は変わっていないけれど、行動を変えている。
でも、それが今、私がやることだと思っている。
妄想を外すこと。自分が生きること。
自分だけが生きればそれでいい。
その結果、何かの問題が生じれば、それを見ればいいわけであり、
やりもしないで、妄想していては、妄想ACをのさばらす格好の言い訳だからだ。

話はそれてしまったが、

なぜ、気づく必要が「私に」あったか、それは誰のためだったか、といえば、
それが、今さら言うまでもないが、何度も掘っては言う必要があるのは、
毒親、私の場合、とりわけ、毒父のためということになる。

昨日、仕事中、こんなことがあった。

パートの先輩に、「これもやっておいて」というようなことを言われた。
そのとき、私は、イラっとしたのだ。

そこで私は、何に今、イラっとしたのだろう?と見てみると、
そこにある私の声は、

「そんなの、わかっている」

だったのだ。

そして、そこでさらに私は醜い心が動いた。
それは、今まで成人してからも、いくつものバイト先で見せた(今思えば)醜態だった。

そんなの、わかってる。やってやろうじゃないか。
そのかわり、あんたには、嫌な感じを与えてやる。
あんたが、私を不機嫌にするようなことを言ったから、そういう目にあっても
自業自得だ。私は、わかっているんだから。どうだ。見たか。
あんたが今感じている不便さや嫌な思いは、私に対する敗北感なんだぞ。
ざまあみろ。

言葉で表現すると、こうなると思う。
もちろんこんな気持ちは、おくびにも出さないし、
そもそも自分でも気づかないできたのだ。
ただ、イライラしては、「平気」を装って、ポーカーフェイスでこなしてきた。

これがあることを、今回は、即座に理解した。
これに対して、どう、仕事をしていくか、自分で感じ取ってみると、
なんてことなく、仕事としては、たんたんとこなし、ちょっと大袈裟だけれど
「楽しく」やらせてもらった。後で、この「普通さ」、そう、今までもそうだけれど、
「楽しい」と私が書いた時というのは、何も、楽しい!!というのではなく、
ごくごく、普通だ、と感じた、という時なのだ。とても普通で、満足だ、ということ。
不快じゃない、というただそれだけなのだが、私は、それを
「楽しい」と言いたかったということ。
AC人格の格闘も楽しい。というのは、AC人格の格闘は、生き方そのものだからだ。
たとえAC人格を解除しても、こういう戦いは、自分が自分の生を選ぶ限り、
続くものだと思うし、それは、当然、普通のこと、経験すべき普通のことだと思う。

そういうことが、仕事中あって、逆に気づいたのは、
じゃあ、今までは、誰のためにやっていたのかといえば、
そうやって命令、指示してきた人を「見返してやるため」であり、
無意識ながら、私の頭には、つねに、その人が映っている、ということ。
私はわかっているんだ、とつねに、その人に主張し続けている、ということ。

相手が、自分にとって脅威でなければ、
こうやって威張り、自分にとって脅威ならば、へこへこする。
出方は逆であっても、同じなのは、

「私はわかっている」

と主張すれば、済む、と思っている点なのだ。

このあたりを考えているときに、父の洗脳に仕方に気づいた。
そして、父の場合は、それで黙らせられればよいのであり、
職場では、では何が起こっていたか、というと、
私がどう考えようが、半分キレようが、上司や先輩からすれば、

「まあ、せっせと働いてくれればいい。
こっちは楽だし」

程度だった、ということなのだ。今までもずっとそうだった。
私がイライラし、見返そうと、平然を装い、誰よりも細かいことに気づき、
早く正確に作業をこなす。これは、どこでもやってきたことだ。
そうすると、こう、言われるのだ。

「さすが、Abyさん」

と。今まで「こいつ、使えるんだろうか?」と半分無視してきたようなやつが、
急に、私を持ち上げ始めるのだ。まるで、その人には、その私から見れば、
プライドもなにもないかのように、急に、下手に出てくる。

そういうことなのだ。

要は、私が「使えれば」便利、というだけであり、
毒父の場合は、「黙って親に従い、言いなりになってさえいればいい」わけであり、
利用のされ方は、どちらも、本質的には、変わらない。

今回の仕事場でのことで言えば、
どこからいつも間違いが起こっているか、といえば、
「そんなの、わかっている」ということを言い始めた時点で、
すでに、狂っているのだ。誰も、そんなこと、要求していない。
ただ、指示をしているだけなのだ。私自身が、おかしな役回りを演じ出しており、
職場の先輩も、だんだんと、私をそう見ていく、というだけにすぎず、
自業自得である。自分から、利用されやすいやつになっていこうとしている。
当然、こういう私を好む人格、毒親似の人格を呼び寄せることになる。

こういうことが昨日あって、
このごろずっと意識にあった「私はわかっている」というのが、
いったい、どこからきたものなのかが、少しずつわかってきた。

自分自身のために何度も書くが、
私はわかっている、と納得させ、持ち上げ、何でもいいから

「黙らせる」

ことが毒親の目的であって、むかつくことに、
何がわかっているかなど、毒親にとってはどうでもよかったのだ。
なのに、私は、その何でもよかったものと、必死に、自己同化させては、
私は〇〇だ、私は〇〇に気づいた、と、それを宝物ように大事にしてきた。
ただのがらくたなのに。


・・・


「(後半)Pの呪縛と父の洗脳」に続きます。



2015.05.19
Aby


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by jh-no-no | 2015-05-19 11:37 | 復元ノート 1

(後半)エゴで生きる

「(前半)エゴで生きる」の続きです。


・・・


前の投稿にも書いたけれど、
自分で決めること、つまりそれは、自分の経験から出発して、
そこに自分の経験だけを積み重ねて、最後まで自分の経験で完成させること、
これをやる毎日は、本当に、効率が悪いと「感じてしまう」し、
なにより、すごく、一人にあることの不安がある。
でも当たり前なのだ。

私は、私一人、自分一人が、自身の生を満喫するのを
ずっと許されず、というより、私が、はなから自身の生を捨てて、
他人の生に乗っかったのだから。
他人の幸せを「自分の幸せ」としたのは、自分自身なのだ。
そういう私を、利用した毒親やPは、当然、自立などしていない。
自立していれば、「他者を自身の幸せに利用しよう」となど思わないからだ。
何度も書いてきたが、要は、ともに自立を望まなかったAC人格同士の
世話し世話される囚われごっこを、共に、死ぬまで続けるつもりだったわけで、
これが、「共同作業」たるものの実体だった。

Pと話していて、Pから伝わってくるのは、
「ワタシのためにAbyが生きていない、働かないこと」への不満、ただそれだけだ。
自分の領域を、このPの城で、今、増やし続けている。
それは、たとえば、この棚のこの段は私が使いたい、と伝え、話しをする。
たったそれだけで、不愉快全開な態度を示してくる。
Pだけの領域は存分にあるのに、私には、その同じことを絶対に許さない。
領土争いをしているわけではないが、私は今、自身の関心から、
必要な主張を、逃げず、たとえ相手が話し相手にならずとも、
私は話そう、という態度で向かい、実際に、思うことをちゃんと言う。
当然、自分自身の納得のためだ。

毒父と電話で対立してからは、一度だけ、メールが来た。
あまりにくだらないのは、嫌がらせのように、前に送ってきた同じメールを
ただ送信してきた。すぐに電話をしてやったが、電話に出やしない。
コソコソとメールしないでください、とメールをこちらからしたが、
返信もなし。でも、私は、やれた、と思った。
私がこういう情けないやり方で、嫌がらせをしてくることに対して、
まず、感じたことを、ちゃんと言えたからだ。
今度は、以前のように、父と同じようにキレる、というAC的な反撃でなく、
ただただ、不快な気持ちを、態度と言葉で示すことができた。

それ以外にも、いろいろあった。

クリーニング店で、一度、不快な思いをした。
それを、私は、ちゃんと本人に伝えることができた。
今までのように、「私はこう思う。あなたはおかしい」ではなく、
「こう感じて、私は不快な思いだった」と。

また、こんなこともあった。

家の屋根から、突然変なコードが垂れ下がってきていて、
「これ、漏電とか、感電とか、大丈夫なんだろうか・・・」という不安に対して、
徹底的に、妄想解決でなく、調べ、尋ね、事実に事実を重ねて、
「ここまでやれば、私は納得できる」というところまでやり尽くした。
これの最後の難関は、意外にも、他者の不機嫌を突き抜けることだった。
街の電気屋さんを探し、最後は、実際に他人に見てもらおう、とし、
見に来てもらった。親切な方だった。さっき、不機嫌と書いたけれど、そうでなく、
親切だったからこそ、「不機嫌にしてはまずい」という私側の障壁だった。

肝心なことを聞き忘れて、あっと思った時には、
車で行ってしまった。これから別の現場に行くとのことで、急いでいるように
私には見えた。これも思い込みなのだが。
電話で確認しようか、いや、でも、細かいこと聞きすぎていまいか、
疑っているように思われまいか、今忙しいかもしれない、お昼時にしようか、
いやそれも迷惑か、そもそもお昼はいつか・・・と、つまり、私の気持ちは、
「うっとうしいと思われたらどうしよう」という不安があった。

顔色をうかがっているんだ、ということに、しばらくして気づく。
ここで、やめたら、ずっと今まで調べ、尋ね、やってきても、
私は、ぜんぜん、納得ができなかった。思い切って電話をした。

どれもそうなのだが、「言い出すまで」が勝負なのだ。
ここに、強くブレーキ、というか、AC人格がのさばっていて、
実際の行動よりも、妄想へ妄想へと誘う。
だけれど、私は、今、「妄想を外す」ということをしている。
それがいいかわるいかの問題ではなく、ただただ、
私は妄想のまま死ぬのは嫌だ、という一点に尽きるからだ。
どんなに先が見えない道でも、先が見える妄想より、ずっといい。
清々するのだ。気持ち悪い、それがない。

先日、このことで気づいたことがあった。

大福を買った時があって、私はこう決めていた。

「夕飯を食べる前に、私は大福を食べる」

という、単なる自分ルールだ。

ところが、実際に料理をし、作ってみると、
こういう思考回路に流されそうになる。

「せっかく、今温かいご飯ができたのだから、
大福は後で食べたら?」

「大福は、やっぱり食後のデザートでいいんじゃないの?」

「今は、もう、甘いもの、大福食べたい!って特別思っていないのなら、
後ででいいよ」

とか、こういう声が流れてくる。

一瞬、納得したくなるのだが、いやいや、これは自分で決めたルールなんだ、
と思って、乗り気ではなくても、大福を食べることになる。

そうすると、不思議なことが起こるのだ。

これは、梅酒用の瓶で、あれこれ遠回りしながらも
経験したことでもあるのだが、「自分で決める」と、なぜか、不思議にも、
「思った通り」にならないのだ。

新鮮な感覚、といえばそういう感じ。

大福で思ったのは、もしもあの時、自分ルールを破って食後に食べたとしたら、
「予想される満足(?)」「予想される味」「予想されるおなかの状態」だったろうな、と思った。
そのとき思ったのは、「そうしなくてよかった」ということだ。

思った通り、というのは、
もう長年、AC人格が続けてきた「思った通り」の流れのことだった。
感覚や習慣、妄想で、なんとなく、「こうしよう」と決めて、それでなる流れや結末。

自分の感覚だ、などといっても
それは、自分の意思ではないのだ。
感覚も、思考も、全部、汚染されているのが、AC人格なのだから。
イコール、自分の意思など、どこにもない。

それは理屈ではなく、やってみればわかることだ。
自分の意思でやったことは、その分しか、リアクションもない。
だから、自分の舵だ、とわかるし、自分が漕いだ分しか進まない。
一方、自分が漕いでもいないのに、なんだか進んでいる、というのが、
結果、快、不快、と「思いこもうと」、ひとえに、不快なのだ。

一方、大福を先に食べると、まず思ってしまうのは、
「何もいいことがない」という感覚なのだ。
これは、今、何をやるにしても、自分の意思でなすとき、
自動的に、最初に感じてしまう罠のようなもの。

でも、これは罠で、
ここをそれでもやる、自分で決めたのだからやる、と貫くと、
「やることはやった」という、自己納得はある。
これに対して、「そんなのは・・・」と口出しするACの反撃はまたそれはそれで
対処するとしても、この自己納得を得ないことには、話にならないと思っている。

なぜなら、少なくとも、この自己納得した自分の経験の事実だけは、
ACが何と言おうが、「自分の経験」に他ならず、この上にしか、さらに自分の経験は
積み重ねていくことはできないと思うからだ。

今、やってみようとしていることがある。

一つは、めんどうと言わず、以前買ったプラモデルを
作ると言ったのだから、作ること。
随分と箱を開けるまで時間がかかった。
ようやく、昨日、開けたのだ。
そして、どんな工具が必要なのかを確認し、
近くのお店で、ニッパーやドライバーを見てくる、そこまでをやると決めてやった。
「このネジ、このドライバーで大丈夫か・・・」と妄想しそうになったから、
だったら、実際、ネジにドライバーがあうか、その場で試させてもらえばいい、
そう思って、やってみた。これで、いけるって。

もう一つは、甘酒づくりをやろうと思っている。
少し前に、こうじをネットで注文した。
以前、崩残さんがリンクしてくださった放射能検査をしているところの
ネット通販でこうじを見つけて、作ってみよう、と思った。

一度、作ったときは、こうじだけを醗酵させて作るやり方と、
おかゆと混ぜて醗酵させるやり方、その二通りでやった。
温度管理がコツのようなので、はじめて料理温度計も買って、
時間と温度をはかり、やってみた。

おいしい。

正直、どちらもおいしくて、
でも、それは本当でも、これだけで終わらせてしまうのでなく、
こうじと水、お米、これなら安全なものがなんとか手に入るし、
無理なく、いろいろ、実験できるはずだ、そう思って、また買ってみた。

「実験」

これは、大学でも、私は大嫌いだった。
そんなの、結果だけを教えてくれればいいのに、ってずっと思っていた。
化学実験、物理実験、本当につまらなかった。

でも、つまらないのは、私という人間なのだ。
実験がつならない、というのは、どういう病気だよ。
まったく、自分が経験する、などという概念すら、私にはなかった。
知ること、つまり、どういう知識と自己同化するか、それだけだった。
妄想癖とは、そもそもが、自分でないリアリティーのないもの、
自分の経験とは別のものとの自己同化だから、私は、そういうことを
ずっとやってきたのだ。毒父と同じ格言人間だ。

だから、まだ、実験というのが、これは日記と同じで
おっくうだし、めんどうだ、と感じる部分はある。
でも、これも何度も書いたことだけれど、私は日記が好きだ。
私は、やっぱり、自分が経験すること、それがどんなにめんどうでも
おっくうでも、くだらないことしかできなくても、その妄想でない世界が好きだ。

だから、私は、実験をしたい、と思っている。
やってみないとわからないけれど、こうじ、水、お米、
それだけで、いろいろなことがわかると思う。
たった二種類の作り方だけでも、味わいはかなり異なった。
どっちも、「おいしかった」けど。

でも、自分としては、「おいしい」だけでは、それだけじゃあ嫌だな、
というのがある。それは、ただの感覚だ。大事な感覚かもしれないけれど、
まだ、ここに、意思があるとは思えないから。
実験と日記、ということを考えると、絵日記として記録してみよう。
ぼんやりとそう考えていたけれど、今、そうしようと決めた。

実験のことだけれど、これで、ああ、私はこれ好きだな、と
思った経験が、最近あった。

それは、以前ブログにも書いたけれど、
石油ストーブのプラグに足をつまずいて、断線した事件があった。
崩残さんから、こんなことまでアドバイスをいただいて、それもなかなか動き出せず、
でも、やっと直し、その時、「外れやすいかもしれないので、しばらくしたら、プラグを
外して、ちゃんとコードがつながっているか確認しよう」と思った。

それに対して、実際に、しばらくしてから、開けて確認したことがあった。
ちゃんと、つながっていて大丈夫だったわけだけれど、
大丈夫だったこととかなんかよりも、なによりも、ワクワクしたのは、
コードをひっぱったとき、「おっ、外れないぞ!よし」と思ったことだった。
自分がやったことを、自分で確認したこと、これは、思いがけず、嬉しかった。

今も、毎日心がけているのは、
自分の経験から出発する、と漠然と思っていると、
それ自体が妄想化するので、それはどういうことかを確認している。
私にとって、自分の経験から出発する、というのは、
「自分が働きかける」ということ。

そして自分が働きかけたことを、また、自分の目で「実際に(妄想ではなく)」
追跡していくこと、それは、自分の働きかけに、またさらに、自分で働きかけること。

それをやっていくと、
忙しくてしょうがない。
これを「めんどうだ」と考え、「すべきかどうか」となったら、アウト。完全に病気。
忙しくて楽しい、それが正解。というか、正常だと思っている。
そういう中で、他人など、だいたいが、どうでもいいのだ。
思うけれど、他人のことをああだこうだと意識を向けている暇は、
本当に必死に今の自分を生きている人には無いんじゃないだろうか。
おじいちゃん先生は、見知らぬ初対面のその人の住んでいるところまで、
「覚えようと」「自分のために」しているのだから。

こういう生き方を許さなかったのが、
毒親たちだ。そしてPであり、何より、私ではない私、AC人格がそれでいいとした。

この投稿の最後に、今日、思い出したことで、
気になったことを書きたい。
なんとなく以前から気にはなっていた記憶だ。

小学4年生ぐらいだったろうか。

図工の時間で、二枚の絵を提出した。

一つは、スフィンクスの絵、もう一つは、地球の絵。

スフィンクスの絵は、すべて私が描いたのだけれど、
どうしてそういういきさつになったか忘れてしまったのだが、
地球の絵は、最後に、父が手を入れた。
手伝ってもらったのかもしれないし、手を出してきたのかもしれない。

それで、提出し、それが戻ってきたとき、
スフィンクスの絵は、95点で、
地球の絵は、100点だった。
たしかその時、図工の先生は、
「地球のほうが、とくに上手いけれど、自分でやったの?」と
きかれた気がする。どう答えたかは覚えていないけれど、
自分でやった、と答えたはずだ。

それで、私はその時思ったのは、
たしかに地球のほうが丁寧で緻密だった。
当然大人のほうが器用だった、というのもあり、
私もそう思っていたので、100点なのもそれはそうだろ、と。

だけれど、私が本当に思っていたのは、
悔しかった。正直、私のほうが上手いと思っていた。
たしかに荒削りで雑だけれど、味はあると思っていたからだと思う。
この時からかどうか、ということは定かではまったくないけれど、
私は、ただ丁寧だったり、緻密だったりすることを
軽視し、馬鹿にする、そういう癖がある。

「それにどんな価値があるの?」

という、本当に嫌なやつなのだ。

実験を馬鹿にする気持ちと同じなのだ。
もちろん、あの毒父が、本当は私に実験の楽しさを教えたかったとは思えない。
父は、高校時代、化学の実験をする部活動をしていたらしい。
なのに、私は、実験が大嫌いになったのは、どういうことだろうか?
少なくとも、実験にのめりこんだ父を尊敬した記憶はない。

あるのは、「大学に行って実験を続けたかったけれど、
I商店を守るために、働かざるをえなかったために、やめざるをえなかった」
というあの話だ。

なんだかわからないけれど、どういう洗脳の仕方か、
とりあえずあの毒父は、実用的な知識や経験、こういうことを私にさせなかった、
というよりも、「私が、自分自身、したくない。興味がない」ということに仕向けた、
そうとしか思えないのだ。

代理復讐のため、と考えるとわかりやすい。
いっけん、実験などの魅力を語っていそうで、「やらせるものか」という
復讐心が、子どもに向けていたとしても、あの毒父なら、どこも不思議はない。

しかも、私は、父の望むように、
まさに、物理的な実験系の、しかも、父が行きたかったという大学に入った。
予定通り入れさせられた、というほうが正しい。

しかし、私は、実験が嫌いだった。
絶対、こんな仕事にはつかない、と思っていた。
だから就職活動もしなかった。
AC人格丸出しで、私は特別な人間なんだと思い続け、
学校で学んだことを何一つ、本当に「何一つ」活かせず、
Pと出会い、破滅に向かっていったのだ。

どういうことだろう、と思う。

ただ、言えるのは、
あのおじろくとなりはてた父がたどった道なのだ、これが。
同じ挫折を、私も味わい、まったく同じような堕ち方をしている。

私は、甘酒を作ってみようと思う時、
自分一人でただ楽しむ、というのはやめたいと思っていて、
料理全般もそうなのだけれど、これを「明るいところ」に出したい。
明るいところとは、ちゃんと社会的評価のくだる勝負の場、ともいえる。
だから、誰かに飲んでもらいたいし、誰かの甘酒も飲みたい。
そして偶然こういう味が出来た、じゃなくて、どうやってそれがこういう味になったか、
そういうのを、日のあたるところで、よい意味で、競い、比べて、
つまり、ただ、おいしいからいい、という自己満足(陶酔)で終わりたくない。

おいしいという一人で浸る自慰のような陶酔は、
「自分の自由な世界」と思いこんだ残骸であり、
私は、この「おいしい」というものすら、汚してきてしまったから。

おかゆを入れたもの、こうじだけのもの、
魔法瓶だけを使ったもの、炊飯器を使ったもの、
今のところ、やったのは、このパターン。
反省点は、魔法瓶だと温度が低くなってしまい、
炊飯器だと温度が高くなってしまったこと。

反省点かどうか、それはわからない。
別の温度管理で、どうなるか、試していないからだ。
どういう味わいになるのか、食感になるのか、
大事なのは、どう違うことになるか?
また、他者がつくった甘酒はどんな味で、どう作ったのか。
私の作ったのを他人はどう評価するか。
大人と子どもで感想も変わるだろう。

プラモデルも作るし、甘酒も作るつもりだ。
ガンダムの前に、レーシングカーを作るつもりだけれど、
なんだか、こういう世界には、レースとかもあるみたいだ。
そういうのに実際出てみる、というのもありだよね。

とりあえず、横着せず、指定された塗料を買って、
どんなモーターにするかも自分で選んでみよう。

決められた通り、指定された通りやらず、
「オリジナルのもの」に逃げ続けたのも、ただ、私は、
社会で通用しない人間だったからにすぎない。
(これもそう。父とプラモデルを作った記憶がある。
まるであの絵のようだ。結果、私はプラモデルが嫌いだったのだ。)

だから、私は、これからは、社会に出たいし、
料理も自己流とかは「ちゃんと評価の場に出て戦えるようになってから言え」
と自戒して、やるなら、やろうと思っている。
インド料理の本、まだ、手をつけていないけれど、
私は、これも自分の経験にしていくことだから、
絶対に汚したくはない。



2015.05.16
Aby


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by jh-no-no | 2015-05-16 06:38 | 復元ノート 1

(前半)エゴで生きる

エゴで生きる。

「自分の経験」以外に、必要なものがあるだろうか?

ない、と思う。

自分が、今、経験していること、感じていること、
やっていること、思っていること、そこから生まれたもの以外、
どれも、妄想、リアリティーがまったくないものだ。

私は、一人になるのが怖い。

これは、一人閉所に閉じ込められ、
幽閉されるのと同じだから。
それはどういうことかというと、
妄想が全開になるから、だから、気が狂う、
そう思うから、怖い。実際、狂いそうになる。

だけれど、これは違っている。

一人で完結した清々しさというのがある。

そこには純粋に、自分の経験がある。
自分の経験しか、そこにはない。

そこが私が居たい場所なのに、
妄想が邪魔をする。
どうして、ぜんぜん望んでもいない妄想が
介入してくるのかわからない。

今日、自転車に乗りながら思った。

私は、今までも、今も、
自分一人で「幸せ」を定義できない、と。

私が、「あれは幸せだった」と思ってしまうのは、
ほぼ100%、Pとの生活の記憶のなかにある。

今のPでもなく、今のPとの生活でもない。
実際、今、Pが自殺しようが、いなくなろうが、
母が自殺をしたときと同様、何とも思わないと思う。

では、何が、幸せだったのか?

それは、Pが笑ってくれることであり、
Pを支えてあげられることであり、
Pが幸せになってくれることであり、
つまり、Pなしには、私は幸せを定義できない。

そこで思ったのは、これは本当の幸せでもなんでもなく、
まるで覚醒剤のようなものだ。
Pなしで定義できない幸せなど、麻薬中毒患者の脳内妄想にすぎない。

幼い頃、私は、ベッドの上で、
父や母がもしもいなくなったら・・・と考えた時、
もう、それは、首をふって、否定しなければならなかった。
考えられなかったから。

いつからか、
こうやって、私は自分一人で、自分の幸せを手にすることが
できなくなっていた。

これは、どう考えても、不幸だ。
毒親は、私一人、そこで完結した満足というのを
許さなかった、ということじゃないだろうか。

「してあげる」

これは、私にとって、最高に不快感を連れてくるものだ。
しかたないから、してあげる。
他者に対して、してあげる。

ここにあるのは、相手を見下す態度だ。
しかたないからやってあげないと、してあげないと、
という、何でも馬鹿にするAC人格(大人子供)なのだ。
こうやって、私は、「しかたがないから、やってやっている」
という態度がしみついている。

こうやって、私は、

「従って」

きてしまったのだ。

何がしかたがないのか?
何がしかたがないから、従っているのか?

一人になるのが、怖い。
そういうことなんじゃないか?

毒父は、自分の母親に対して、
「ボクは、中国人よりも、親を大切にしているんだ」
と自慢しまくっていた。

私から見れば、あなたは嘘をついていて、
本当は、馬鹿にしていたとしか見えない。
「しかたないから、やれやれ、と面倒を見てやっていた」
としか見えない。

私自身も、両親に対して、それと同じ気持ちを
子どもの頃から抱いていた。
もちろん、私も毒父と同じセリフを吐いていたけれど、
実際は、いつも上から目線で、親の世話をしていたのだ。

これに関して、最近、気づいたことがある。

自我復元を開始してから、
崩残さんに対する恐怖がつねにあり続けている。
この恐怖に対して、まず自動反応する動きは、そこでもやはり、
「しかたがないから、何かしなきゃ」なのだ。

崩残さんを怒らすまい、不機嫌にさせてはまずい、
そういう動機があって、「しょうがないから、報告しなきゃ、
ブログを書かなきゃ」というAC人格が居続けている。

もちろん、コイツに対して、

死ね

としか言いようがない。

これは、もう完全に、血すら通っていないゾンビ、
これがまさに「亡霊」という名にふさわしいやつだが、
このAC人格の挙動というのが、まさに、

「しかたがないから、してあげる」

そういう態度と同じなのだ。

ということは、これは、相手の顔色をうかがう恐怖を避けるために
やっている、そういう言動パターンだ、ということ。

崩残さんを怖がっているのに、おかしなことだけれど、
崩残さんに対して、自動的に、上から目線なのだ。
すごくこれはおかしいことなのだが、ふと思ったのは、
「なぜ、崩残さんの機嫌をとっているのか?」
という、どうしてそんな義務が私にあるのか、という疑問だ。
世話をしている心理と同じなのだ。

これは、自分でも、どう考えてもおかしいのは
すぐわかる。どういう文脈から、こうなるのか。
そう考えると、そんな文脈はどこにもなく、あるのは、
毒親の投影でしか、考えにくいのだ。

親に対しての当時の恐怖感は思い出せないのだが、
おそらく私は、親(とくに父親)を「恐怖」していて、
それを回避するために、その回避方法として、
「してあげる、という世話、上から目線」を覚えた、と推測できる。
ありうるのは、私がそれを自分で作り出したのでもなく、
その回避方法すら、毒親が、それも無自覚に植えつけた、と、
そう考えられるのは、あのとくに毒父にとって、
「親の世話をするのは当たり前」というのが、すでに
毒父とその母親との関係(おじろく関係)に、存在しているからだ。
しかも、毒父本人は、世話をしている自覚すらほぼ無く、
ただただ、「尊敬している」「大切にしている」と思いこんでいる。

これに関して、恐怖心は思い出せなくとも、
今まで分析をしていて、「いつキレるかわからない親」を前にした生活が、
そもそも安心した理想的な家庭環境であるはずがなく、
恐怖の海のなかにいたに違いないのだ。

ただ、それが麻痺してしまった原因は、
「こうすれば飴をあげる」という調教の仕方、恐怖の回避の仕方に
私が従い続けてしまった、という点だと思う。

その私の服従行為(=親があらかじめ用意していた恐怖の回避方法)、
それが、

「してあげる」

という、世話行為、上から目線、何でも馬鹿にできるんだぞという態度、だ。

「しゃーねー、してやるよ」

がベースにある。これが、私の言う「利他」の精神の本性だった。

そして、重要なのは、その私の利他とやらの目的は、毒親からの

「恐怖を回避すること」

だったのではないか、ということなのだ。

最近、つねに取り組んでいることは、
前回投稿で書いた通り、「自分で決める」ということなのだが、
やっていてだんだん自覚してきたことは、

「一人がしんどい」

というものだ。

自分一人、それは、自分の経験、ということなのだけれど、
そこに浸り続けるのが怖い、という感覚だ。
実際には、まず起こるのは、

「めんどくさい」

が起こる。必ず起こる。

自分自身の経験、そこに目をやるのが、苦しいのだ。
それが明確に自覚できる、というか、突きつけられるのが、
「日記」だ。なぜなら、日記は、自身のこと以外、なんでもないからだ。

以前も格闘してきたように、
このめんどくさい、というのは、相当に厄介で、
睡魔も当然ながら、ありとあらゆる情け容赦のない手口で仕掛けてくる。

でも、この頃、本当に思うのは、
自分の経験がめんどくさいとか、こういうふうになってしまっているのは、
人間として病気、故障、欠陥品としか思えない。
他人のことや、自分以外のこと、妄想することがめんどうだ、というのならわかる。
でも、なぜ、自分のことがめんどうなんだ???
普通に考えておかしくないだろうか。いや、おかしい。どう考えてもおかしい。

めんどくさい、それだけじゃない。

「こんなことしていても・・・」

が、口走り始める。おかしいんじゃないだろうか、完全に。

矛盾するようだけれど、
こう感じてしまう原因は、そういった自分のためになす行為が、
「自分の経験」として認識できていない時、そうなってしまう。

しかし、いったん、これが
「自分の経験なのだ」とわかると、
めんどうなことなど、何一つない。
自分自身の経験というのは、そこには、めんどうなどない。
上手くいこうがいくまいが、何が起ころうが、それは無関係に、
自身の経験そのものであり、やって納得がいくものなのだ。

それに、それは困らせるものではなく、
困難が増えるほど楽しみも増える、といったものですらある。

これが、一人で完結する満足、とも言える。
しかし、ここに、他者のためやら、結局は、「他者のためにつながるための数々の妄想」が
べらべらと語り始めると、細い綱渡りから、いっきに不快のどん底に落ちてしまう。

それで、先日、新しく決意したのは、

「エゴで生きる」

ということ。エゴでしか、私は、もう生きません、ということだ。
エゴとは何か、ということだが、それは私は
「自分の経験だけで生きる」ということだと思っている。

そうやって生きている人はいる。

今日、稽古があったのだけれど、以前にもブログに書いたおじいちゃん先生は、
ある一人の会員が江戸川区から来ている、と聞いて、
「ああ、あの江戸川競艇がある、あそこね」と言った。

そのおじいちゃん先生は、いつも、オートレース場のあるところだね、とか、
そうやって言うことが多いものだから、ひやかし半分に「今回は競艇ですね」と
私が言ったら、おじいちゃん先生は、こう話された。

「そうやって覚えるんだよ。もう年だからね(笑)。」

と真顔で、真剣に、答えてくれる。

私は、ああ、この人は、「覚えようとしているんだ」と、私との生き方の違いを
正面からつきつけられた。その会員は、今日はじめて来た人で、これから来るかどうか、
それもわからない、その人のことだって、当然、そのおじいちゃん先生も何も知らない。
もしも私だったら、社交辞令でしか、興味を示すフリしかできない。

でも、ここが、最も肝心なのだ、と。

自分の経験、そこからでしか、どんな物事もスタートしない。
それが、自分の人生を生きている人の、当然の理解なのだ、と。
ここを、少しずつ、最近実践しているけれど、今日は、他者の振る舞いから
その見本を見せてくれる経験をした。

覚えようとする。

知らない人と接するとき、
「私が」「覚えようとする」。

自身の経験とは、そういうものなのだ、と。
こうやって、このおじいちゃん先生は、ずっと、70歳すぎまで生きてきたんだ、と
つくづく、実感した。

これが、意思なのだ。

細い綱から、一気に落ちてしまわないために、
そこで行使し続ける力が、意思の力なのだ。

まだまだ、これから私はこれを強く経験しなければと思う。

めんどう、?はぁって??ってならないのなら
私はまだ眠りこけている証拠だ。

めんどう、そう感じるのは、
すでに「堕ちた人生、堕ちている地面を歩かされて、そこに甘んじた」からだ。
生まれた時から、細い綱の上を、一歩一歩、堕ちまいと歩いてきた人は、
それが当然なのだ。苦しくつらいことがあっても、その綱の、その綱という自分の生から
逃げて済む場所など、あろうはずもなかったからだ。

一人で完結する満足がある、と思っている。

これは、必ずある。

私は、私一人が満足して死ねばいいと思っている。

誰もが、本来、そうであるべきじゃないか、と思う。

私の人生に口出しするな、というのが言いたいことだ。
誰にとってもそうだったはずだ。
邪魔をする精神が、まったく理解できない。

だから、私は、もう、私以外の誰のためにも生きない。
ただでさえ、失い続けた人生だ。
だけれど、残りわずかの生だとしても、それを認めず、
自分のために、自分の生を、自分の経験だけで生き尽くす決意をし、
本当に、腐ることなく、細い綱の上を歩き続けよう、と決行するのなら、
私は、後悔はしない。そう思うのだ。


・・・


「(後半)エゴで生きる」に続きます。


2015.05.16
Aby


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by jh-no-no | 2015-05-16 06:37 | 復元ノート 1

さらに2週間が経過して

この2週間、何をやってきたかといえば、

「自分で決める」

ということをやってきた。

それと、つねに意識しているのが、
妄想を、ただ、「外す」、その勇気を持つこと。

2日前、梅酒用の漬物瓶を買った。

何に使うか、というと、
お米を入れるため。

正確には、米びつに新しいお米を入れ替えるときに、
古いお米を、移しかえて使う、そのための瓶。

たまたま、近くのお店で見つけた。

たまたま、といっても、そのための容器になるものを
いくつか調べたり、見に行ったりしていたのだが、その日、
これだ、というものを見つけた。

3L用の瓶で、2000円以上したのだけれど、
いいのを買った。嬉しかった。

その瓶の何がよかったか、といえば、
ガラスの厚み、光の反射の仕方、肌触り、重さ、大きさと形、
どれもが欲しいものだった。

触っただけで、うわぁ、となる。

自分で決め続けた。

それを手にするまでの間、
どの工程においても、こうしよう、と自分で決め続けた。

ハプニングもあったけれど、
それは、楽しいことだった。
上手くいかない。
そういう経験は、上手くいくとかいかないとか関係なく、
私の経験だったから、楽しい。

商品のことだけでは、もちろん、ない。
行動の一つ一つを、妄想に「決めてもらう」ことをしなかった。

繰り返しになるけれど、
この2週間、つくづく、この妄想に対して、
嫌悪感を持ち続けた。

妄想に決めてもらうことだけは、
屈辱的なことだった。

どんなに効率悪くても、
私は「自分で決める」ほうを選択した。
これは、とんでもなく、効率が悪い。

でも、

ざまあみろ、だ。

効率がよく使えてさぞ満足だったのは、
馬鹿親たちとPだったからだ。

今の私は、まったく、

「使えない」

結構だ。

私は、あなたたちの効率のために
これから生きていくわけではない。

この2週間の間、一番注意していたこと、
そして今も一番注意し続けていることは、

「ついでに、何かもする」

という行動の仕方をしないこと。

あるいは、「時間があるから、だからやる」という行動の仕方もしないこと。
思い出したからする、というのもなし。

妄想人格を

「窒息」

させてみせる。


2015.05.14
Aby

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by jh-no-no | 2015-05-14 00:34 | 復元ノート 1