<   2015年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

妄想外し「徹底」の二週間

ここ二週間以上、やってきたことは
妄想を外すことを「徹底すること」、
それだけを、ただただ、やり続けた。

私にとって、この「徹底し続けること」が
重要だと思っていたし、二週間後の今も、
変わらない思いだ。

今日は、2つのことを、このブログに
書いておこうと思う。

一つは、妄想というものをいかに私が嫌か、ということ。

もう一つは、まだ、上手く書けるかわからない。
それは、「自分で決める」ということについて。

これらについて、書いてみる。


・・・


まず、今思うこと、それは、ずっとこの二週間感じとってきたことだが、
それは、

妄想は、もう、嫌だ、

ということだ。

理由はいたって単純だ。

ぜんぜん、生きていないからだ。

何をもって生きていない、というかというと、
それは、私が思うのは、そこに、
「リアリティーがまったく無い」
ということに尽きる。

妄想というのは、
私にとって、何の実感もない、
本当はどうでもいいものなのだ。

ところが、それに、左右される、どころか、
前回ブログに書いたように、どんどんと、
以前より妄想の輪郭が鮮明になり、
毎度毎度、自分の内外かかわらず、
ひっきりなしに、妄想が襲ってくる。

この二週間、今まで掘ってきたAC人格を総ざらいするようにして
妄想の波が、休むことなく、打ち寄せてきた。

ただ、答えは決まっていた。

やることは、最初に決めた通り、
どんな誘惑があろうと、妄想を外すことに「徹する」、
徹底的に、そこに戻る、妄想外しの当初の意志、その目的に
立ち位置を戻すことだった。

この二週間、ただそれだけをやった。
そして、やりきった。
正確には、やりきろうとし続けた、ということで、
実際は、妄想に足をすくわれた時もあった。
だけれど、それでも、その時、思い出し続けた。
今、私がどうしてもやろうとしていることは、
妄想を「徹底的に外すこと」、それだけだ、ということを
毎度毎度それを思い出し、立ち位置を戻す、
それの連続だった。

そして、今思うのは、
二週間前と、何一つ、変わらない。
妄想を外し続ける、外し続けた、ただそれだけだ。

とくに、後半になればなるほど、
今までに経験したことがない(というが、本当はこの不快を
避けまくって今まで生きてきただけだが)苦しさを、
数日の間、強く経験した。

生きた心地がしない、
という状態のまま、宙吊りにされる時間の連続。

ただし、わかっていたことは、
それでも、そこでだけ、
私は「生きている」ということ。

なぜ、そう思えるか、というと、
ただ、それが「嫌でなかった」ということだけだった。
それだけが理由だった。

今日、日記を書いたときに、
このことを書いた。そして、もしも今日死んだら、死後の世界で
「どんな人生でしたか?」ときかれたら、
どう答えるか、ということについて自問してみた。

当然、「酷い人生だった」という言葉が出てきた。
私、自分、とはまったく「無関係な」妄想の中で生かされてきたのだから
酷かった、と言うに尽きた。

少なくとも、40年間は。

ただ、私は、自我復元と出会い、
この今の状態は嫌か、というと、「嫌ではない」と言える。
そう思ったし、死後の世界でも、私は、そう言うと思った。

妄想に生きるのは、もう、こりごりだ。

そういうことなのだ。この二週間やり続けたことは。

生きた心地がしない。結構じゃないか。
精神的な拷問そのものだが、私がやり続けたのは、
それを私が望んで、そうやって、妄想人格を

壊死

「させる」ことだったから。

させる、つまり、自分の意志で、自殺をする、ということだ。
妄想と自己同化したくてしかたがないAC人格を殺すこと。
妄想を外す、というのは、具体的にはその連続だった。

これは苦しい、というよりも、
まったく落ち着けない状態を作り出す。
今そこに、私が、いないのだ。
・・・ということにも、その真っ只中には気づけない。
だからこそ、苦しいのだが。
妄想世界こそが、救いに見えてしまうのだ。
妄想世界にいない自分が、不幸に思えてしまうのだ。

それでも、答えは決まっていた。

「妄想を外すこと」

それを目的として、私は今、やり続けていること。
その目的を思い出すことで、少なくとも、妄想との自己同化には気づける。
徹底して外すこと。例外はなし。徹底、それだけを心がけた。

そして、今も、それをやり続けているし、
これからもやり続けると思う。
なぜなら、ここにしか、私は、リアリティーを感じないから。
それが何も生み出さなくても、私はやる。
だから思える。今死んでも、後悔はしない。
どんな惨めでも、後悔はしない。

それに、「惨め」でもなんでもない。
それは毒親が、勝手にあてがったイメージにすぎない。
だから、「どんな惨めでも」は余計だ。
後悔する生き方を今しているか、していないか、それだけが問題だ。
死後の問題とは、今の生き方の問題、生き方の姿勢の問題だ。


もうひとつ、今回の投稿で書きたいのは、
これから、私がやってみようと思っているのは、
「自分で決める」ということだ。

妄想外しをやり続けることで、妄想のなかの基準でしか、
私は何も決められなかった、ということに気づき始めている。

私は40年の間、何でも自分で決めてきた、と思って生きてきた。
ところが、それどころじゃない。
何一つとして、「自分でなど決めていない」ことに気づいた。

何一つ、だ。

自分で決めたことも中にはあった、
などということは、「ただの一つも」なかった。
ただの一つも、だ。買い物一つそうだ。

今日、一つ、調味料を買い物に行ったのだが、
これまで、こういうこと一つ、自分の意志ではなかったのだ。
「これを今買いに行く」たったそれすら、私はやれなかった。
自分で決められない、決めたことがないのだから当然なのだが、
やれるはずがなかったのだ。

私は妄想に「決めてもらって」きた。

妄想外しをやればやるほどに、何が起こったかといえば、
「何も出来ない」ということであり、それが妄想へと誘う罠でもあるのだが、
その何も出来ない、というものの実体とは、
「自分で決められない、自分で決めない」というものだった。

今日のその日記のなかで、自問の続きとして、
「では、次はどんな生を望みますか?」ときかれたら、どう答えるだろう?
と考えたとき、「即答できないから、考える時間が欲しい」と言うだろうと思った。
その実体は、時間があれば考えられる、というのではなく、
「自分で決められない」ということなのだ、と気づいた。

同時に、ここ4、5日前から、
意識していなかったけれど、自分で決める、というのを
少しずつだが、やり始めていた。
考えてみればそれは当然で、妄想の出番を認めなければ、
対処しなければならない問題に対して、
自分で決める以外、ありえないのだから。

今日のその買い物もそう。

「妄想で」ではなく、

「自分で」決めて、行動に移す、

ということ。

今日のブログの投稿もそう。
目的を、自分で決めて、書く。

今日からは、自覚的に、意識的に
「妄想でなく自分で決めること」をやり始めつつある。

40過ぎにもなった大人が、0歳の赤ちゃんからまっとうに
やってこなければならなかったことを、
「今から、やる」ということだ。

妄想外しを徹底させる、ということは、
それに連動して、自分で決めることをしなければダメだ、ということなのだ。
流されてそうなった、というのが、最も最悪なAC人格の残し方だ。

最も姑息なAC人格の生き延び方、といってもいい。
自己決定能力を殺いだままにさせておけば、
ちゃっかり生き延びられるだろう打算が、AC人格にはある。

私のこれは悪い癖だ。

時間ギリギリまで決めない。そういう保身の仕方をする。
それで結局、しかたがないからそう決めざるをえなかっただけなのに、
なんだか、自分で決めたような気になる、という習慣的な癖だ。
もちろんそれも毒親がそのように調教し、結果、身についた癖であり、
さらに、当然、その焦って決めた「しかたがないと思ってした判断」こそ、
毒親の汚染そのものだ。

自分で決めた気になろうがなるまいが、
そうやって「流されてこうなった」というのが、今の私の生なのだ。


そうはさせまい。


小さなことからでも、実生活のなかで、
「自分で」決めて、やる、というのを実践しようと思う。
これは、以前やった自分ルールと、本質的には変わらないと思う。
ただ、自分ルールを今までやった時は、途中で、やるのが億劫になってしまっていた。
これは日記もそうなのだ。たしかに、いったんは、自分で自分の舵をとる感覚が
気持ちよく感じるのだけれど、結局、私は、妄想のほうを選んでしまったのだと思う。
だから長続きしなかったし、日記も、今も、実は一番苦戦している。

ただ、私はこの「日記」こそ、いかに惨めだと錯覚しようと、
やはり、私は、日記が好きだ。

日記は妄想を綴らせまいとする。
それが日記だから。
日記は妄想を絶対に許さない。
それが日記だから。

妄想外しの徹底をこれからも続け、その立ち位置で

「自分で決める練習」

を、これもまた、

「いっとき」ではなく、

「自分の意志で、やろうとして、継続してやる」

ということをやってみようと思う。



2015.04.30
Aby

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2015-04-30 00:36 | 復元ノート 1

Abyのつつじ

対立を「避けない」

これをやりはじめて、少しずつ、本当に少しずつだが、
大きく変わったことがある。

妄想がクリアになった。

妄想が鮮明になってきたのだ。

どれだけ日々、妄想に覆われていたのか、
今、覆われているのか、
ハッキリとしてきたのだ。

それがハッキリしてきたのは、
逆説的だが、ほんの2割程度、そのくらいでも
「素直に思っていること、したいこと、したくないことを、
言えるようになった」ことで、いかに、逆に、そうでなかったか、
今もなお、そうでない部分が、どれだけ多くあって、
妄想だらけなのか、ということが、
見えるようになってきたのだ。

対立を、避けない。

避けないことで、Pに対しても、職場でも、
稽古仲間にも、少なくとも、その時できなくても、

「これが、私が思っていること、
言いたいこと、したいこと、したくないことなんだ」

ということに、会話の最中に気づけるようになった。
ただ、十分に相手に表現できているか、というと、
そこが、今のところ、8割くらい、萎縮してしまっている、
といった感じだ。

だけれど、これは、

「変えられそう」なのだ。絶対に。

というのは、先ほど書いたように、

「何が、どこが、妄想なのか」という妄想の挙動が、
以前のように、曇りきった眼鏡をかけて誰を相手に格闘しているのか、
もうなんだかわからなくなることが減ってきて、
妄想の挙動が、視界が鮮明になったかのように、

「よく、見えるように」

なってきたのだ。

今までは、一つの妄想に、何日も、何週間も
大迷路のようにつきっきりで、妄想の中に浸ってしまっていた。
逆にいえば、他の妄想も見えなくなるほど、
一つの妄想に入りこんでは、さらに枝分かれするように妄想し、
こういうのを袋小路というのだろうか、どつぼにはまっていく。

ところが、ここ数日、
まったく嬉しいことではないのだが、
一つの妄想どころか、もう、とんでもない妄想を
私は生きてきたし、今も、それが習慣化し、生きてしまっているんだな、
という事実に、次々と直面していく。

同時に、この数々の妄想がどんどんと見えてくるの対して、
「これは妄想だ」と切り離すまでの処理速度が、
あがってきたのだ。

これは嬉しいことだ。

これが、私が、妄想が「クリアになった」と
感じることの、ここ最近の出来事からの実感だ。

昨日だったか、思ったのは、

「思っていることというのは、それほど多くない」

ということだった。

それが、素直に自分がしたい、したくない、
そう感じていることなのだと思ったわけだが、

このたかだか少しの自分の気持ちすらも言えず、
そのたった「1」の気持ち、それを毒親は押さえつけた上に、
それを押さえつける言い分(言い訳、意義)を捏造、植えつけた。

それは、私の感覚からすれば、「1」に対して、
「100」といっても過言でじゃないだろ、というくらいの
とんでもない数と種類の「妄想」なのだ。

これが、妄想なのだ。

対立を避ける。

私にとって、それは、その「1」の気持ち、
したい、したくない、たったそれだけなのに、
それを不可能にさせてきたのが、対立を

「避ける」

ということだったのだ。

そのせいで、それに続く言動、つまりACの挙動は、
100の妄想でいっぱいになる。
これと完全に自己同化してしまっているから、
なんと、「曇りきった眼鏡」をかけている事実にすら、
気づかない、気づかなかったのだ。

それで、手足をばたばたさせてきた。

ただし、これは、無意味ではなかった。
AC人格との格闘だったと思っている。
何も見えなくても、私は闘った。
それはどういうことかというと、それでも、その状況下でも

「闘い続けられた自分がいた」

ということなのだ。

あと数ヶ月後には、手元にお金がゼロになる。
そのギリギリの状態、かつ、妄想全開の状態で、
もう後ろがない、逃げ場がない、と感じた時が
昨年終わり頃からの数ヶ月の間に何度かあって、
それでも、私は格闘を止めない、掘る手を止めない、という
戻るべき立ち位置に、必ず戻ることができたのは、

「闘い続けてくれた自分がいてくれた」

そう思えたからだった。

たとえゾンビになって、私はやれる、
あきらめることだけは、しないはずだ、
そこに戻れるはずだ、そう思えた。

しかし、今、妄想が鮮明に見えてきたことで、

ようやく、AC人格との格闘から、
AC人格の解除、という領域に踏み出せそうなのだ。

闘うべき「敵」、それは自らのAC人格に他ならないが、
それが、明確になりつつあるからだ。

それは、

妄想のパターンや挙動が
捉えられるようになってきた、

ということなのだ。

対立を避けないようになったことで、
たとえばPと、また、毒父と、
それをして、まず一番感じたことは、


「掘った通りじゃねーか」


というあまりに当たり前の事実を
実感したことだった。

つまり、

妄想と事実があるとしたら、

妄想なのか事実なのかわからなくなるのでなく、
「やっぱ、妄想だったんだ」と、自分でやっと認めた、ということ。
たとえば、Pに対する未練のようなもの。
今までも何度もこれは虚像だ、というのを、これでもかこれでもかと
疑って疑って、掘り続け、分析し続けてきたけれども、
「やっぱり、本当は好きなんじゃないか?それが事実なんじゃないか?」
というふうに、振り回されてきた。

でも、今、ようやく、

「嫌いだ」

と言える。なぜなら、それは嘘だったから。妄想だったから。
事実は、じゃあ何か、というと、
あまりそれが当たり前すぎて、そうと知って自分で拍子抜けしたが、

「掘ってきたこと」

が、

「事実」

だったのだ。

逆にいえば、妄想が「妄想だ」と
ハッキリ、わかってきたのだ。

たとえば、私は、「あれこれ考える」のが、
そもそも「よい」と漠然と思いこんでしまっていた。
なにも、「考えること」に限らないのだが、
なんでも、「よしあし」をつけたがる。

ブログには過程については書かなかったけれど、
コンセントのプラグの故障、それとプリンターのエラー、
これらについてかなり具体的なアドバイスを崩残さんからいただき、
しかし、それに着手するまでに、相当時間がかかった。
考えてばかりで、自分が妄想の真っ只中にいることにすら
気づかなかったからだ。

元をたどれば、顔色をうかがうAC人格、
コイツが必要としてきたのが、

「よしあし」

という判断なのだ。

これは、当然に必要な判断なのだ、と
私は「思いこんで」きた。
ところが、よしあしをつけろ、と、なぜ
あたかもそれが義務かのように言われなきゃならないのか?
それを義務づけたやつがいるから、であり、
これも言うまでもなく、分析してきた通りに、
毒親なのだ。

Pに未練を感じさせる罠、
あの時は楽しかった、と勘違いさせるAC人格の妄想は、
「利他という妄想」であり、

「よしあしという妄想」は、つきつめていけば、
「オレの顔色を読み間違ったら、お前は生きていけない。
だってオレは親だからな」という、毒父の戯言に対して、
「馬鹿言ってんじゃねーよ」と私が言わなかったことにある。

それを、やっと、言うべきあの馬鹿父に
正面きって言ってやったのが今回の対立だったし、
Pに対しても、嫌いだよ、と正面きって言い切ったのが
今回の対立だった。

よしあし妄想、利他妄想、

これに加えて、というか、
これらが三位一体となっていたのが、

「これが自分の自由だ」

という、自由という妄想だった。

実は、それはただの

「孤立」

だったのだ。

もちろんそうさせたのは、
毒父と、
そいつの言いなりになり、顔色をうかがい、
子どもたちまで巻き込み、子どもたちを盾にして
そういう身勝手にもほどがある親失格な毒母だった。

「親に迷惑をかけないところでなら、
一人で好きにしなさい。何やっても自由よ。」

夫にビクビクし、死んでもなお、子どもを盾にしようとした
最低な毒母。迷惑なのは、お前なんだよ。

そして最低で最悪な毒父は、衝突した時、
なんと最後に言ったか。

「親を親と思わないのなら、
二度とメールも電話もするな」

この期に及んでも、親づらし続けるどうしようもなさ。
しかし、この言葉の背景には、猛毒がある。

それは、かつて毒父が、さも当たり前かのように、
「親の見えないところなら、何をやってもいい。
だけれど、親に迷惑かけたり、不安をかけたりしちゃダメだ。
パパは親の前では、絶対、悪いことはしなかった。
見えないところでは、たくさん悪いことしたけどね。ハッハッハー」
と、自慢話してきたのと、本質的には変わらない。

要は、

親の見えないところでしか、
お前に自由なんかないんだよ、

そうしてきたのが、この両親だったのだ。

それは、結果、どういうことになるか。

社会にお前の自由なんかないんだよ、
日の当たる社会になど、お前はいられないんだよ、
お前はオレの都合のいいようにしてればいいんだ、
オレだって、そうやってきたんだからな。
お前も同じ目に会え。親絶対だ、そこから出させはしない。
オレは、そうやってきたんだからな。

という部分を、恐怖の下味として洗脳しておいて、

表面的にだけ、

「その他は、何やってもいいんだよ。

「Abyの自由だよ

そう言ってきたのが、あの毒父だった。

これが、私にとって、自分の

「自由」

という概念だった。やりたいことをやる、といったとき、
この自由をもって、「私のやりたいことだ」と思いこみ続けてきた。

仕事探しの時に、この妄想には、相当足をひっぱられた。
でも、結果としてみれば、それは自由ではなく、
ただの孤立であり、社会に出られない言い訳の美化でしかなかった。

インド料理の本も買った、ということをブログでも書いたけれど、
その行為の無自覚な動機に、この親があてがった自由、
ここなら私一人、好きにやれる、という、「一人よがりな世界への逃避」があった。
プラモデルについても、あるいは、創作活動になんとなく居心地のよさを期待するのも、
「ここなら邪魔されない」というのがあるからなのだ。

他者と関わらないで済む時間、世界。

幼い頃、隣の軽食屋さんで一人でごはんを食べるのが、
私は最も美味しくて、好きだった。
また一人でダンボールで誰にも指図されず好きに作れるのが、
私は大好きだった。

そう、思いこんでいた。

日の当たらない所。
そこが、私が「自由だ」「自分の時間だ」「好きな居場所だ」
と勘違いし続けてきた所だったのだ。
邪魔されない所に避難するのではなく、
邪魔なら邪魔だ、と真っ向から口にし、
表舞台で堂々と、対立を避けないことこそが
大事だったのに。

この自由という妄想があるからこそ、
利他という妄想が、矛盾しながらも成立してきたのだ。
この矛盾感こそが、Pとの共同作業でのイライラの原因でもあったわけだが、
このイライラの力すら奪われ、父と同じ、おじろくになりはてた。

そして、唖然としたのは、
Pだけじゃない、私もまた、本当の意味での共同作業など
はなから「するつもりもなかった」ということに、気づいたことだった。
これは最近になって、抑えてきたPへのイライラが浮上してきた際に、
いったいこれは何なのか、を自問したことでわかったことだった。

私たちは、はなから、共依存、
世話し世話される、という、具体的にいえば、
Pは自分が笑ってすごせりゃそれでいい、
私はPが笑ってくれればそれでいい、
という、それじゃあ、ただの「あっしー君」だろ、という
誰から見てもそう見えるだろう状態を、
私はずっと「これが最高の幸せだ」と思いこもうとし続けた。

Pがお茶を飲んで、美味しい、と言う。
私はそういうPを見て、嬉しいと感じる。

たったそれだけの記憶。

これがどれだけ私を苦しめたか。
どれだけ、こんな小手先の記憶の断片に惑わされたか。

失ったもの、失い続けたものに、
何一つ、気づかないできたからだ。
自我復元を始めて、その失ってきたものを分析し、
掘ってきた。

AC人格列伝として整理したとき、
これらのAC人格のほとんどは網羅してはいた。

しかし、にもかかわらず、分析だけでは、
何一つ、私は変わらなかった。
私自身、何一つ、変わったとは思えなかった。

自分ではそのつもりはなかったけれど、
結局、分析をしてそれで済ませてきてしまったからなのだ。

ずっと避けてきた「対立」を開始した今、
ようやく、その変わっていける、いかねばならない地点に
足を踏みこんだ。

対立を避けないことで知ったことは、
対立しない限り、相手も本性を出さない、ということだ。
それは考えみれば、当たり前だ。
私を攻撃する意味や必要性が相手にないからだ。
だって、私自身が、相手の都合のいい所で動いているんだもの。

それでは負けるんだ、最初から負けているんだ、
ということを知ったのも、稽古から学んだ。
「最初から最後まで、自分には有利で、相手には不利な状態を
途切れることなく続けること」を、毎回、指導される。

松の間の最近の動画で、
銃の抜き方を変えることで対処する方法を見て、
以前ならそうは見なかっただろう視点で見るようになった。
自分の間合い、それは自分が勝っている間合いを、いかに、立て直すか。
このタイミングの見事さに思わず、何度か、戻って繰り返し見てしまった。

それで、妄想のことだけれど、

妄想というのは、

つねに相手の間合いなのだ。

妄想は、相手が、毒親が、
最初から勝てるように設定されている舞台設定
のようなものだったのだ、と。
私にとっては、それは、「私は親に逆らわない」あるいは、
「私はPに逆らわない」という前提のような舞台設定だったのだ。

対立を「避けない」とは、
この前提をぶち壊すことだったし、
それではじめて、Pも、毒父も、「崩れた」のだ。
まるでそれは、あの銃の動画で、体勢を低めた時、とたんに
突進してくる相手の軌道が崩れたように。
相手にとっては、かがむ、など想定外だったのだろう。
同様、毒父やPにとっては、
まさか、私が対立してくるとは思ってもいなかったと思う。

いくつか他にも武術のリンクがあって、
私はどれも興味深かった。
何が面白かったか、というと、
そのどれもが、何もすごいことをしているとかでなく、
「こうするのが当然でしょ」という、然るべき追求の姿勢、
これが見ていて、どれもしっくりくるものだった。

自分というのがそこにある、
自分を死守する、死守し続ける対象の自分がいる、
ならば、こうしていこう、そうだよね、
わかるでしょ、じゃあ次はどうか、こうなるか・・・

だけれど、そもそも、妄想のように、
その妄想世界が、相手に有利な、相手の土俵なのだ、
ということに気づかなければ、毎瞬、「自分」は殺されているのにも関わらず、
ぼぅーと、日々、過ごすことになる。
むろん、それでも生き延びていけるように作ったのが、AC人格だ。

妄想が妄想であり、
真実に気づくまでに2年がかかった。
家族の実態に気づくまでに、本当に長い時間がかかった。
よしあし妄想、利他妄想、自由妄想、これらの妄想は
誰のために、誰が利するために必要とした妄想だったのか。

毒親であり、Pである。

しかし、私にも同じだけ責任がある。
なぜなら、私も、その関係性を望んでいたからだ。
いかに大事なものを失ってしまうかも考えずに。


昨日、私はお椀を買った。


それだけの中にも、妄想は吹き荒れた。

ようやくレジで会計を済ませた時、
お店の人に、そういえば・・・と思って
お椀に描かれたお花は、何のお花ですか?ときいた。

「躑躅(つつじ)です」

それをきいた時、私は自分が生まれ育った街〇〇の
その街の「花」が、つつじだったことを思い出し、
嫌な気持ちがよぎった。

「〇〇のつつじ」

しかし、昨日は、この妄想に対して、
迅速に「書き換え」が起こった。

その店の隣の広場は、職場の前の空き地で、
まさにこの前、父に対して電話で怒鳴りつけたその空き地で、
私は、思わず、声に出して叫んだ。

「ふざけんなよ。これは、Abyのつつじだよ。
こんなところまで汚しやがって。あの馬鹿父。ふざけんな!」

悔しさがわきあがって、目がうるんだ。

私のものなんて、私に自由なんてなかったんだ。
だからこれから、作っていくんだ。

でも、今私が嬉しい、本当によかった、と思うのは、
まだそんな自信なんかあるわけじゃなく、それよりも、
妄想が妄想だと、つまりそれは、敵の仕業であることがはっきりしたこと、
これが今、私は一番、嬉しいし、変わっていける、と思っていることだ。

べこべこだった器、
おそらく空き缶をぺしゃんこに踏み潰したような器が、
私の自我だったんじゃないかと思う。

私はそれを修復していく。

それをしたいから。
しなきゃならないし、それ以外、何がある?
いつも思う。いつも思うのは、今日死ぬとしたら、これでいいのか。
最後の最後まで、「いや、これだけはやるぞ」と思っていることがある。
それが、AC人格との格闘であり、AC人格の解除なのだ。
苦しいけれど、私はこれらが好きだ。
だって、私は、これではじめて、自分の生を生き始められたのだから。

自我復元で、私は初めて、
生きる経験をしている。

好きだけれど、苦しい時は苦しいし、
今も、8割がた、銃を抜き遅れて刺されているのが現実だ。

でも、ここ数日、私は、この割合を下げていき、
妄想を、そう、妄想は「外せる」と思ってきている。
それに、外せるだろう、じゃなくて、
外さなきゃいけない。当たり前だよね。

「妄想外しの徹底」

数日前から、自分に課した課題が、
これ、妄想外しの

「徹底」

だ。


◆参考記事◆

松の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?M1181
http://www.mumyouan.com/k/?M1180



2015.04.11
Aby


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2015-04-11 08:32 | 復元ノート 1

2015年4月最初の投稿

私にとって、3月末までというのは、
自分で決めた期限だった。

そのけじめをつける格闘は、
3月31日の最後の日まで続いた。

3月31日に死んだとしても
悔いを残さない死に際にしよう、
その一心だった。

現実生活のなかで、非常に重要な出来事があった。
毒父と、Pと、Pの毒母と、まっこうから対立したこと。
言わねば死ぬに死ねない、ということを
言い切った。

毒父に対しては、40年以上、
Pに対して、またPの毒母に対しては、20年以上、
言わなかったことを、口にし、正面からぶつかった。

共同作業という嘘、囚われの共依存の亡霊のように
鎖のように存在していた今までの仕事は、決めた通り、
3月末で断ち切った。

その3月を終えて、今、この復元ブログにおいても
ひとつのけじめとしての投稿を書いておきたいと思います。


・・・


今日は、4月に入って最初の稽古だった。

こんなに熱の入った稽古は、初めてだった。

見た目は何も激しいわけではないが、
私のなかの血液は、常に、体温より高いように
みなぎっていた。

2時間というのが、こんなにも充足し満ちる時間であることを
初めて体験した。

痛み、緊迫感、表情の変化、身体の動き、間合いや呼吸、
些細なひとつひとつ、どれもが、とりこぼせない出来事だった。

稽古に行く前からもそうだった。
日常のなかの、たとえば、尿意、こんなことも、
まぎれもなく、私のものだった。

夕暮れの空の景色も、私のものだった。

こんなことは、今まで感じたことがないことだった。
自分のものだ、と思ったことはなかった。
他人事のように、見えるものが見えていた、というだけだったから。

自分の生のなかに、他人事など、あるわけなかった。
全部自分のものだ。
稽古をいつもつけてくれる(前にブログに書いた)おじいちゃんの
潔さは、どの一つも、誰のせいにもしない。
それは信念とか理念でもない。当然のように誰のせいでもない、
誰の人生でもない自分の人生を、当然のように、生きている。

その濃密な時間を、今日は、ともに稽古で過ごすことができた。
ここにはじめて、他者との意思疎通、会話があるという実感ももった。
同じ空気のなかでなければ、会話など妄想の種にすぎない、と。

こういったことが、
私のなかで、新しく、こういうことが楽しいものに
書き換わっていくのだと思う。

それは、AC人格との格闘が、楽しい、と私が思うのと同じだ。
楽しいというのは、隅々まで味わい尽くすことだと思った。
昨年11月頃からは、本当に苦しかった。
今も十分に苦しい。

でも、それを、味わえた。
なぜかといえば、まぎれもなく、苦しいのは私自身だったし、
その苦しさは「私のもの」だったから。

自我復元と出会えて、今、私が何がよかったと思っているか、というと、
どこをどう向いても、苦しかったことであり、苦しかったことがよかったのではなく、
その苦しさが、「私のもの」だったことなのだ。

私は、40年、私のもの、など、どこにもなかった。
違和感しかない毎日だった。苦しくもなかった。楽しくもなかった。
何でもなかった。

その何でもなかったのが、この2年の自我復元は、
決して何でもないものではなかった。
苦しくて苦しくてしかたがなかった。

でも、私は生まれて初めて、私のものを手にした。
AC人格との格闘の苦しみ、これは、私のものだった。

私はこれを「楽しい」と定義した。

私が許せないのは、
隅々まで経験し尽くすことの邪魔をしてくる毒親や
その共犯者、もちろん私の中に残留する毒親の亡霊、
食えないAC人格だ。

許せないのは、なぜなら、
それは侵害だからだ。
私が当然のように経験していいものを
くだらない理由で搾取しようとするからだ。


・・・


3月を終えて、何が私にとって、一番変化があったかというと、
実際に毒父、P、Pの毒母とぶつかったことで、

「家族に問題があったのだ」

ということに、ようやく、「実感として知りえた」ことだ。

そして、その家族の問題という元凶が、
自身の生にこんなにも「影響を及ぼしていた」ことを
今になって、知ることができた。

どういう影響かというと、
これは桜の間でも何度も書かれてきたことだけれど、

「言いたいことを言う」
「やりたくないことはやらない」

という当たり前なことが、出来ない、という状態に
させられている、ということだった。

だから、何をやっても、

「し尽くせない」

のだ。

かつて私は、無明庵を悪用したときも、
ありのままとか、今この瞬間とか、それを
「し尽くせない不満」の逃げ道にしていた。
「しかたがない」と言い訳をする生を見ないようにしてきた。

そうして、何かをやり尽くした、やり遂げたと
思いこもうとしていた。
実際、私は「やることはやった」と思って、
その時点で、自我復元と出会い、自我復元を始めた。
家族には問題はない、という完全な洗脳状態からのスタートだった。

そして、やっと今、ひとつのけじめだった3月を終え、
4月を迎えて、ようやく、

「家族に問題があったのだ」

と、その影響を知ることができた。

ここが、最も大きく、今、変わり始めつつあるところだ。

家族に問題があったことを知るまでに、
2年以上かかったが、自我復元を続けてきて、諦めないで
本当によかった。

そして一番大事なのは、

私がそういう生を「選び直した」ということ、

すなわち、自分の生に自分が責任を持つ人生を
私が選び取り直したということだから、

もう二度と、

この手にした権利、手放してはならなかった権利を死守する生を、
年始に宣言したように、本当に苛烈に守り抜く時間を
濃密に生きようと思う。


2015.04.03
Aby

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2015-04-03 23:55 | 復元ノート 1