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対立を避けての「宣言」には何の意味もない

対立を避けて、ただ口だけの宣言には、何の意味もない。

私にとって、宣言して早く済ませたい、という
無自覚な動機には、その目的として、

対立を避けて、通ろう、

としているからだ、ということに気づいた。

対立を恐れてはいない、
そういうふうには思ってはいた。

だけれど、結果、では、私がとっている、
とろうとしている言動は、どこにつながっているのか、といえば、
対立を、とっとと、済ませてしまいたい、
そして、これで、ここでいいんだ、という地点にたどりつきたい、
というものだ。

こう考えることは、
当然だ、とすら自覚することなく、
当然のように考えていたけれども、

違う、と。

対立し続ければいいのではないか、と。

とことん、である。

その中でしか、息吹がふきこまれた言葉、感情など、
口からも態度からも出てくるわけがない、
そう思った。

昨年の終わり頃から、今日まで、
どう毒親に、Pに、Pの親に、言ってやろうか、
と手書きのノートにも、綴ってきた。

生きている間に、はっきり、伝えなければ、
母だけでなく、全員に、逃げ切られてしまう。
だから、早く、伝えよう、早く、態度や言葉で示そう、
そればかり考えていた。

「こう言ってしまえば、それさえ言い届ければいいんだ」

という思いは、きわめて、怠惰だ、と
今日になって気づいた。

対立から出てくる根拠ある言葉でなければ、
そんなのをいくら唱えて、まるで下書きを読みあげるように
相手に伝えてなんになる?

自己満足でしかない。

こう言おう、こう言ってやろう、してやろう、
じゃなくて、

実際に、対立を避けたりなどせず、
避けているのなら、なぜ避けているのかを徹底的に自問し、
対立の中に身をおいて、死ぬまで対立し続けてやる、
そして、言いたいことを、ズバズバ言ってやるんだ、
としないのなら、

そのすべては、

理屈抜きに「妄想」だ。

イコール、私の現実世界は何一つも変わらない、ということ。
私は何も変わらない、ということなんだ。

何のための自我復元と自己分析だったのか。

「徹底して、この生で、対立し尽くす」

その力、当然の権利、主張を、
妄想ではなく、実際にとり戻すためだ。

だから、

今、対立を避けていては、

どんな妄想も、「何一つ」価値あるものはない。

こう伝えよう、ああ言ってやろう、そうすれば一件落着だ、
とする怠惰な宣言に、何の価値もない。

対立し続ける、その覚悟と自覚こそ、
絶対に取り逃してはならないものだ。

毒母には死に逃げされた。
死んだ後にいくら宣言しても、もう遅い。
対立を逃したのは、私のほうだ。

残された毒父、P、Pの母親、
私はこの3人を、徹底的に、対立し尽くすことに決めた。

対立し尽くすべき根拠は、その根拠こそ、
今までずっと掘ってきたのだから。

何のための対立か。

本当の意味で、
今までの私の死んだような生を
私自身の手で断ち切るためだ。



2015.03.27
Aby


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by jh-no-no | 2015-03-27 17:55 | 復元ノート 1

この「行動力」は誰のための行動力だったのか

目が覚めて、夢を思い出しながら、その夢自体はよくわからない夢で、
ただ、どうも、私はいつも仲間に入れておらず、一人、違う作業をしている。
また、Pや毒父も登場してきて、こいつらは完全にグルになっていて、
そこでも、私は、はめられている、といった感じ。

まあ、夢それ自体は、よくわからなかったのだけれど、
しばらくして、その全体の雰囲気からだろうか、
ふと、その夢から、気づいたことがあった。

それは、私は、

「いじめられていた」

ということ。いや、今も、いじめられている、ということ。

私は今まで、友だちからも、もちろん、身内からも
「いじめられている」となど、感じたことはなかったし、
いじめの経験はない、と思っていた。完全にそう思っていた。

ところが、この、「いじめられていた」ということが、ふと
頭によぎったとき、ああ、そうだ、昔も、そして今も、
このように、「私の存在」を無視されることは、
これは、「いじめ」だったんじゃないか、と思った。

今も、Pや毒父が私に毎日していること、
それは何か、といえば、「私という存在」に対する完全な無視である。

こういうのを、いじめ、というんじゃないだろうか。

私は、たぶん、ずっといじめられてきたのだ。
そして、これがあまりに「普通な状況」になっていて、
一度も、これを「いじめ」と認識しなかっただけであって、
これはれっきとした、いじめではなかろうか。

一昨日、毒父に対して、こう言ってやろう、と思ったことがある。
あのすっとぼけた毒父に、

「お前、何無視してるんだよ。」

と。相手がそれで何を言おうと、引かずに、これを貫く。

だって、Pも毒父も、もちろん毒母もだったが、
私にしてきたこと、今もしていることは、無視だからだ。

無視している自覚が彼らにあるかどうかはわからないが、
それに対しては、無い、とは言わせない。
すっとぼけ続けるだろうが、自覚が無い、とは言わせない。
無いのなら、今、あなたたちがやっていること、やってきたことが、
それに該当することを、彼らが理解しようが、しまいが、

「無視してるんじゃねーよ、この野郎!」と言ってやろうと思っている。

これはれっきとした「いじめ」なんだから。


・・・


このことは、今回の投稿でメインに書きたかったことではないが、
書き留めておきたい、と思ったので書くことにした。
それに、これから書こうと思っていることも、これと無関係とは思えないから。

さて、

私は昨日、

3つのことを、いっきに踏み出した。

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S447

の中の、「カレーのレシピ本」の紹介に、

ぐっと、関心がひきつけられ、

わずか、1時間そこらで、3つのことをやり始めたのだ。


一つ目は、その砂手さんお勧めのナイルさんの
「やさしいインド料理」の本を注文すること。

二つ目は、断線したであろう石油ファンヒーターのプラグを買うこと。

三つ目は、プラモデルを買うこと。


今日、この行動とともに理解したことは、
この行動力は、誰のためのものだったのか?ということだった。

ここ数ヶ月、何か一つを決めるのに、
とんでもない時間を費やした。

ここ数日も、故障したコードのプラグを買うかどうかと、
結局、まだ踏み出せないでいた。
当然それは、いろいろ理由があった。
正しくは、「いろいろな理由」とやらを「AC人格が妄想しては」


〝私の関心を、くじく。〟


ということをしていたのだ。


気がつけば、私は、今までも今に至るまでも、ずっと、

「ぜんぜん、自分のことが、手につかない」

という結果になっていた。

たとえば、中学生の頃、やれ漢字テストが近い、
もうすぐ期末テストだ、と、さまざまな理由で、私は遊ぶこと一つ、
後回しになっていた。

それで、じゃあ、テストが一段落すれば「思いっきり遊びはじめるのか」
といえば、それも無いのだ。いざ、「自分の時間」とやらを獲得したとしても、
私の頭は、次は、こう「妄想」する。

「これは、本当にやりたいことなのか」
「その前にやらねばならないことはないか」
「準備したり、調べておく周辺のことがあるんじゃないか」
「今それをやるべきか」

そんなことをしているうちに、次の日にでもなれば、
さあ、そろそろ、次のテストの準備だ、とか、そういえばあれも
やらなきゃいけなかったんだ、とかいって、

ぜんぜん、

「自分のこと」

に、着手すら、しない。

こういう結果は、もちろん不完全燃焼となり、不満を残すのだが、
私は「もっと時間があれば」と考えてしまう、考えてきてしまってきたのだ。
高校を卒業すれば、大学を卒業すれば、バイトをやめれば・・・
と、こうやって、自分の時間を作れば、いつか答えが見つかる、とやってきた。

これは、今になってわかったが、

絶対に、いつまでも答えなど見つかるわけがない。

はなから、

自分の関心を、

「軽視」、いや、「無視」しているからだ。

今書いていて、あ、今日の夢、と先書いたこととつながったが、
つまり、私は、「私の関心」、それは私自身だ、それを
無視され続けてきたのだ。親からもPからも、私のACからも。

私の関心を後回しにしておいて、

「私の関心は何だろう?」

という愚かな自問を、私はやり続けて今まできたのだ。


私の関心が、

まず、

あるのだ。


それは「よしあし」じゃない。

ただ、「関心」だ。


ところが、そこから、いつも妄想が始まるのだ。

しかし、これには例外があることに気づいた。

私は、今までも、とんでもなく行動力がある時があった。
たまに、とかではなく、言ってみれば、だいたいにおいて
行動力があったのだ。

考えてみれば、

その場合とは、ぜんぶがぜんぶ、

「私のためじゃないこと」
「私のことじゃないこと」

だったのだ。

誰かのためとなれば、「何も考えず」すぐ動き出せる。

Pのためなら、私は、すごく早く、どんな面倒なことも、徹夜しようとなんだろうと、
誰よりも迅速に行動を起こし、やれることは何でもやった。

それは、すごい行動力だった。

ところが、

ここ数ヶ月もそう、ここ数日もそう、

いざ自分のこと、となったときの、この対照的な「遅さ」は
いったい何なのか?

これを私は一言で「格闘だ」といい、だから、一つ意志を貫くのも
とんでもない時間とエネルギーがいるんだ、こうやった闘っているんだ、
と思ってきた。そして、それはある意味、嘘ではない、が、しかし、

事実は、

その99.9%、すべてといっていいくらいの時間を
妄想に費やしているのだ。
妄想と闘っているのかもしれないが、いずれにせよ、
妄想に足をひっぱられているから、すごい「遅い」のだ。

このことに気づいたのは、
今日、3つのことに踏み出し、実際に行動を起こし、着手するのに、
たったの1時間そこらしか、かからなかったからだ。

プラグを近くの家電量販店で買うのに
20分とかからなかった。
適当なものを買ったかどうかはわからないが、
それでも、買うことはできる。たった20分で。

ところが、ここ数日、やることがたくさんあって、
あれもやらなきゃ、そういえばまだあれもやっていない、と
前にもブログに書いたけれど、一日のやるべきことが、
一つこなしてもまた増えて、あれもやらきゃ、これもやらなきゃ、となってしまって、
かつ、風邪も久々にこじらせて、仕事もめいっぱい、さらには徹夜までしてしまって
ぜんぜん時間などない・・・と内心焦りながらも、落ち着こうとしていた。

そんな数日だった。

でも、ちょっと待てよ、と思った。

どんなに時間がない、ない、といっても
たった20分、無いはずはなかったのだ。

ただ、私のAC人格は、いざ「自分のこと」になると、
行動を起こす前に、あれこれと言ってきて、「やらさない」。
もっとこれを調べたほうがいいんじゃないか、とか、
その前にこうしたほうがいいかもしれない、とか、
あれこれ言ってきて、なかなか、着手させない。

もちろん、その最中は、このAC人格と自己同化しているわけだから、
真剣に自分が考えているんだ、と、思っている。
限られた時間を、一生懸命、考えている、と思っている。

しかし、それは、違った。

「何を」考えているか、といえば、よく見たら、
「すぐに動けない理由」を、結果、考えているのだ。

もちろん、そのつもりは本人にはない。
動こうとしていて、どうしようか、何からすべきか、とか真剣に考えている、
と思いこんでいる。まったく疑うこともなく。

それで、わかったのは、

自分のこと

は、とんでもなく「遅い」ということだった。

遅いならまだしも、「やらなくなる」という最悪な自体に、
今までもしばしば陥ってきた。

そう、

「やらなくなる」

この一言に尽きる。私は、今まで40年かけて、
「やらなくなった」だけだった。自分のことを。
そして、15年ほど前、「何もやらなくていい」というのを
弁護してくれそうだ、と勘違いし、無明庵に近づいたのだ。

何をやるべきだろう?という「妄想の入口」から入って、
それは、必ず同じ結論に至る。
それは、「わからない」というものだった。
正しいか正しくないか、その根拠がわからない・・・

と言っては、私は「やらなくなった」のだ。

正確には、

「何もやらなければ、間違わないだろう」

と思うようになった。

つまり、

「やらなくなった」

という結果だけが、私に残ったのだ。

それを喜ぶのは、誰か?

「ざまあみろ、Aby、お前は自分のことなんかやるな」

という毒親なのだ。そして、Pなのだ。

おかしなことに、それだけ「何をすべきか」を悩むのなら、
Pのことも、また、他者のことも、
「同じだけ」悩むのならまだわかる。

ところが、私は、他者のことに、こと関しては、

「あっという間に」
「決めて」
「行動に出られる、出てきた」

のだ。考えてみると、それは、相手の顔色を読む早さのことだ。
相手の関心を読む早さだ。何をすべきか、がすぐわかる、といった具合だ。

おいおい、誰の関心で「私」は生きているのか?

相手の関心など、どうでもいいじゃないか。

この

「どうでもいい」

ことが、やらねばならないことの多くを占めている。

だから、少し前も、朝起きて、40くらいやらねばならないことがあっても、
はっと我にかえると、保湿クリームを買うだけ、という結果になったのだ。
つまり、関心地図でいえば、気になることが40くらいあったとしても、そして、
その多くが重要に思えても、重要さでいえばたいしたことのない「保湿クリーム」が
はっと我にかえると、唯一、「今」必要だ、今日やりたい、という一番のものになる。

それだって、近くの薬局に行って買う、
それに費やす時間は、たかだか20分だ。


問題は、「優先順位」なのだ。


何を、私は、優先順位としてきたのか。

最下位は常に何だったか?

それが問題だったのだ。

「私自身のこと」

これが最下位だったのだ。つねに。


ところが、今日、

その「自分自身の関心」以外の妄想を、

理屈抜きに「ぶった切る」と、

いっきに、それは、最上位の関心、というか、上も下もなく、
「唯一の関心」となり、とんでもない速度で動き出したのだ。

この「速度」に見覚えがあったのだ。

それが、

他者のために、迅速に、行動に移す速度、行動力だった。

これは、AC人格格闘の中で、一つのことを決めるのに
何日も、場合によっては何週間、何ヶ月もかかるのとは
まるで正反対のことだった。

理屈抜きにぶった切るのは、

それらを、私の本心は「どうでもいいことだ」と
本当は思っているから、ぶった切れる。

なのに、それを「ぶった切らず」に、
ああだこうだと、ぐるぐる妄想することこそが、
AC人格そのものなのだ。

こいつが、いったい、何をしたいのか、
というのが、今日、わかったのだ。

馬鹿げたことだが、

「自分のことは、やらなくさせる」

ことなのだ。

そうやって妄想で時間稼ぎをしておいて、生活に必要なことや
あるいは、バリバリAC人格の妄想の波にまた流される。
やっと逃れて浜にたどりついても、そこでまた、

「ゆっくり、ちゃんと考えてから」

とか言っているうちに、波がやってきて、
また沖に流されるのだ。


なぜ、ゆっくり考えなきゃならないのか?
なぜ、ちゃんと考えなきゃならないのか?


ゆっくり考えなくても、ちゃんと考えなくても、
やれること、今、やろうとしてやれることはあるのだ。

それがたとえ間違っていようと、
それはあくまでも、やった後の「結果」の話だ。

昨日だったろうか、あらためて思ったのは、
AC人格の癖のひとつは、「決まった予測しかできない」ことだ。
こうなるに違いない、というやつだ。

正確には、

決まった予測しかさせない、

ことにある。


それに対して、

だからなんだ?なのだ、本当は。


こうなるに違いない、だとしても、
だからなんなのだ?
じゃあ、やめろ、というのか??
なぜだ?なぜ、「やめなきゃならないんだ?」
という当然の自問すら、AC人格に脅され、消されそうになってしまう。

今のパートではなく、今月で終わりにすることに決めた今までの仕事で
学んだことがある。それを教えてくれたある人は、まだ5歳の子どもだ。

「失敗したり、たいへんなことになったり、ちょっぴり大丈夫になったり、
そういうのが、自分たちのいつもの毎日だよ」

というものだった。どんな人生に「なるか」など、ゴールや結果というものに
その子の関心はいつもなかった。

その通りだ、と思う。

人生の楽しみは、「思った通りになること」じゃないのだ。
「思った通りに」など、AC人格の頭にしかないのだ。
私は思った通りに本当になりたいのか、思った通りに事が運んで欲しいと
本当に思っているのか、といえば、

NO、だ。

そんな考え方は、誰から教わったのだ?
この不毛な考え方。つまらない考え方。生き方。こなすだけの生き方。

不毛なだけでなく、その通りにしなかったら、
こうなる、という脅しがある。

その脅しの目的は、私がそこで

「引き戻す」

ことを狙っているのだ。

ところが、だ。

よく考えてみると、こうなるぞ、と脅されたところで、
たとえば失敗するぞ、と脅されたところで、だからなんだというのだろう?

思った。

こうやって、失敗したりすることも、それもまた自分の経験として楽しいことだ、
というのを、毒親は私から奪ったのだ、と。

ふと思ったのだ。

思い通りになる、など、それは「一通り」の道だ。

でも、

思い通りにならない道は、

「無数」にある。

いいかえれば、それだけ、未知で、ワクワクもする、
波乱万丈な生き方であり、なぜ、こういうたくさんの「楽しめる」道を
毒親は奪ったのか?

答えは簡単だ。

「一通り」

の生き方を強いたかったから、だ。

こうするといい、こうしなければダメだ、と。

それはいったい誰のためか、といえば、
そんな不毛な、人生ともいえない道を、くだらない自身の都合のためだけに強いた毒親たち、
その毒親たちだけのためなのだ。

どうなるかなど、確約された道などあろうはずがない。

それに、私は、そんな確約された経験を望んでもいない。

いろいろいじってみて、面白がったり、あるいは、うむ~とうなったり、
あきらめたり、いや、まだやろう、としてみたり、ちょっと無理したり、
あれ?と思ったり、ああ・・・やっちゃった、となったり、ちょっと自慢したくなったり、

こういうことを、私は、してみたいのだ。

でも、決めつけた一通りの予測に向かうだけの道、
そんな人生に、そんな人生の、どこが、
日記に綴るような、綴りたくなるような出来事があるだろうか?

あるわけがない、と思う。

3つのこと、3つの「私の関心」から、今日、踏み出した。
ただ関心が私にあるから、さっと踏み出しただけだ。

この行動力、行動に移す速度は、
毒親やP、その亡霊のために使うのではなく、
私自身のために使えるようにしていきたい。
それは何もすごいことじゃなく、当然の生きる力と速度感を
とり戻すことだと思う。

ちなみに、プラモデルだけど、
一つは、レーシングカーと、もう一つは、
ガンダムのプラモデル、「ZAKU」を買った。

私は、ずっと、プラモデルは苦手だ、と自分でも言ってきた。
なにせ、あの説明書が読めないって思ってきたし、転じて、
「決まった通りに作るのなんて、創作的じゃない」とかいって、
あんなのは、と馬鹿にしていたところがあった。

でも、作りたい、と思ったのだ。

ザクとかグフとか、私はガンダムのことはテレビとかも
見ていなかったので知らないのだけれど、学校でも話題になっていたと思う。
その当時、仲間に入れなくても、仲間に入れていない、という感覚すらなかったが、
今、やはり、ああ、作ってみたい、って思った。

仕事前におもちゃ屋さんにいって、
ガンダムのプラモが売っているのを見て、買おう、って思った。
何も知らないのに、私は、これ、「ZAKU」にしよう、って
選ぶのに、30秒とかからなかった。

それと、その前に「これ」と思ったレーシングカーのプラモを最初に
見つけたから、それも買った。

「セメダインとかいるんだろうか?工具とかは?」

と一瞬よぎる。どーでもいいのだ。今は。

まずは、買えよって。

箱開けてみて、必要なら必要なんだよって。

また買いにくればいいじゃないって。

私は他人にはそう言ってきたのだ。自分以外には。

プラグもそう。

まず買ってみろよ。

それ自体、それから始まることだけで十分、楽しいじゃないか?
いろいろいじれるじゃないか。ドライバーでネジを回して開くだけで
それだけで、「おー」ってなるよね?わからないけど、ね。やってみないとそれも。

なのに、修理のための練習用に配線コードを買ったほうがいいかな?
などと考えはじめる。おいおい、そんなことやっているうちに、プラモ買えなくなるぞ。
仕事行くまでに、今日、どうしても、おもちゃ屋さんに寄りたいんだったよね?
プラモ、買うぞ!どうせ今日作れないのだから明日でも・・・
なんてそんな考えは、邪魔するACの後付けであって、どこにも無いのだ。

それで、「これください」とプラモの箱をふたつレジに持っていたとき、
私は子どものようだった。そして何より、選ぶのに、ぜんぜん時間がかからない、
あのすっきり感。これいいな、といって手にして、「これください」と言う。
やったZAKUだよ!はじめてだ、作るの。

そう、今書いていて、気持ちが座った。

このプラモ、このPの城のど真ん中で、

堂々と、作るぞ。

ど真ん中で、だ。

カレーの本など、自分の関心だと気づいた「瞬間」だった。注文しようと決めたのは。
その意味では、決めるのに、一秒とかからなかったのだ。

あ、そうそう。

これも昨日だったけど、ちょうどすごいタイミングで
プリンターが廃インクタンクがどうのこうの、とエラーが出てきた。
調べてみると、修理に1万近くかかるだとか。嫌なら、買い替えという酷い話。

やってくれるぜ、面白いじゃないか。

これも、いじって、直すか壊すかしてみようかな、と

マジ、思っている。



2015.03.20
Aby


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by jh-no-no | 2015-03-20 10:58 | 復元ノート 1

(続き)ミスに対する意識

前回の投稿の続き、を書きたい。
(前回の投稿、かなり走り書きだったので、誤字や抜けている部分、
少しですが、修正、補足をしました。)


前回の投稿を書き終えてから、仕事に向かう途中、こんなことを思った。

たとえば、

「よっし。じゃあ、働いて石油ファンヒーター、新しいの買おうよ!」

とか、

「コンセントが断線しかかっているだけだから、
自分たちで直せるか、調べてみない?」

とか、あるいは、

「ふざけんなー!こんなくらいで壊れるなよおーー!!」

と、声を出して、怒ったり、笑い飛ばしたり、・・・

どうして、Pとはこういう会話が生まれないのだろうか、と。

もちろん、私自身、そう思えなかった、というのはある。

でも、だ。

ふと思ったのだけれど、もしも、Pが、そんな感じに言ったりする人だったら、
私はどんなに、自分のミスに対して、ほっとしただろうか。

こんなことが昔あった。

車を運転していて、私は前の車に追突してしまったことがあった。

そのとき、父の妹が、私に

「大変だったでしょ?」と、心配してくれた。

私は、この時ほど、ほっとしたことはなかった。
他人から、親も含め、こんなことを言ってもらえたことは
一度もなかった。ただただ、「うん、大変だった」と、父の妹からの言葉に
救われた思いだった。

私が覚えている限り、今まで、これ一回限りだと思う。
他人から、これほど、ほっとさせられた記憶というのは。

もちろん、父の妹は、本当に心配して言っていたかどうかは
わからない。気さくな人だったから、そういう言葉が電話口でさらっと
言えたのかもしれない。それでも、この一言に救われたのは確かだった。

P、父、母、Pの母もそうだ、
みんなに共通するのは、こういった失敗に対して、

「ああぁ・・・そぅ・・・」

と力なく、暗い顔をし、何も言わない。

そして、あからさまに責めることも言わない。

私は、今まで、親から自分の失敗を「責められた」という記憶がない。
そのうえ、あの毒父は、「失敗するのが人間だ」とか、「失敗して人間は成長するんだ」
とか、「完璧な人間なんかいない」とか、格言ばかり連発していたから、
私自身、この親は、まったく他人の失敗を責めたりはしない、とても寛容な人だ、
と思っていた。

父の最悪なところは、
言っていることと、伝わってくるものが、
まったく「合っていない」ことなのだ。
ところが、そこにも私はずっと気づかなくて、ただただ、
寛容で、理想的な両親だ、と、40年思い続けてきたのだ。

ならば、

どうして、私は、失敗に対してこれほどに過敏で、
また、父の妹からの一言、この一言だけが、今まで救いの一言だと
感じたりしているのか。まったく失敗に対して、私は「おおらか」ではいられない。

実際、こうやって頭でわかってきても、
やはり、断線してしまって、相当接触が悪い状態のファンヒーターのことが
気にかかっている。あれから、やはり、ずっと気になっているのは確かだ。

どうしてもお金に結びつけやすいようで、
その流れの妄想が起こってしまっている。

ただ、これもやはりおかしい、と思うのは、
単純にお金の問題ではないことなのだ。というのも、
たとえば、これがもしも、私がつまづいて故障したのではなく、
使用の劣化によって故障した、とか、私ではない者がつまづいた、となると、
「しかたないか」と思える。買えばいいよ、と。同じ出費となったとしても。

ということは、やはり、私のミスだ、ということが
ひっかかっているのだ。

もしも、「自分」とは無関係なところで起こった事故ならば、
本当は、そう、本当はそれでも、「なんだよ、もう。痛い出費させんなよ」くらい
思ってもいいのに、まるで真逆なことに、「買えばいいよ」となってしまうのだ。

今までPに対しても、そうだった。

お金、好きなように使えばいいよ、と。

これって、まったく父と母の関係なのだ。

前にも書いたけれど、父はいつも「ボクは、ざるそばでいい。
もりそばだと、のりがつくけど、パパはざるそばで十分」と勝ち誇ったように
よく言っていた。

今思えば、そんな能書きいいから、ざるそばを黙って注文すればいいものを
毎回、ボクはもりそばじゃなくていいんだ、と付け加えて話すのは
考えてみれば、変なことだ。

さらに父は、子どもたちには、

「好きなものを何でも注文していい」と言った。

たしかに、私は我慢した、という記憶はない。

でも、はた、と今日思ったのは、じゃあ、父の言う意味で、
何でも好きなものを注文するぞーーー!とワクワクするテンションで
毎回いたかといえば、そんなこともまた、記憶には一度もない。

ただ、

金遣いの荒い母が、そう、「母だけが」好きなものを注文していた、
ということを、思い出した。

もちろん、私もメニューから好きなものは注文した。

上手く言えないが、でも、これは、父の言う意味での、よっし注文しちゃうぞ!
という楽しみとか、母のように、「遠慮なく」注文する姿勢とは、違うのだ。

つまり、

子どもだった私は、別に、なんてことも思わず、
いつも注文し、普通に、なんてことなく、食べていた、ということだ。

と同時に、じゃあ、そもそも、本当になんでも好き放題注文できていたか、
といえば、そんなの、ありえないんじゃないか?

父が、たったのプラス30円をけちっているのを毎回きかされ、
そしてさらに、そういった貯金の積み重ねが、私の出産費用になっただとか、
そんな話ばかりきかされた子どもが、おおらかにお金が使えるものだろうか?

子どもだから、「お金」の感覚はあまり私にはなかった。
何が高いのか安いのか、それもわからなかったところはある。
ただ、母は、贅沢な人だったのはたしかだから、当然、子どもである私たちも
母の注文したものを食べるし、母が注文する出前のメニューと同じメニューの中から選ぶ、
それは当然のことだ。ここから好きなのを選びなさい、と言われるわけだから。

で、何が、薄々わかってきたか、というと、

この父の、「好きにどうぞ。ボクはいいから」という自己犠牲精神で
誰が得をしたか、といえば、

母だけ

だったのではないか、ということだ。

私たち子どもにとっては、ただここから選べ、と言われて選んでいただけだし、
それは日常的なことで、普通なこと。

だがしかし、

私に今残ったのは、父が、本当に伝えたこと、
伝えようとした本当のことが残ったのだ。

「自分は我慢する」

というやつだ。

父が我慢をすることで、その分、得をしたのは、母だ。

そして、父は子どもに本当の思惑「自分は我慢する」という
自己犠牲の精神を植えつけることで、何をしたかったか?

わからないが、それで守られるのも、やはり、
「母のわがまま」なのだ。

だって、父の分身みたいなものなのだから。
母にとっては、都合がいいよね。

ふと思い出したけれど、以前、私たち子どもは母の分身だった、
ということに気づいたことがあったのを、ブログにも書いたことがあった。
たしか、父の顔色をうかがう母の、その分身としての子ども、ということだったと思う。

だとすれば、これもまた、私たち子どもは母の分身なのだから、
父にとっては、都合がいい。

これでは、まるで、子どもは、そう前にも書いたが、
この二人を結びつけておくための接着剤、まるで、道具だ。

そこで、今、私とPとの関係を見てみれば、
明らかに私が今まで「守ってきたもの」は、
Pのわがまま、なのだ。

もしも、だが、私たちに子どもがいたら、
私は、Pに都合のいい子どもに教育しただろう。
Pを守ってあげなさい、と。これは火を見るより明らかだ。

もう一度、ファンヒーターの話に戻るが、
なぜ、お金への妄想に発展しやすいのか?

そう、さっき仕事をしているときにふと思ったことがある。

それは、

「こういうことにお金を使わなかったら、何に使うというのだろうか」

ということだった。

私は、そのお金があれば、お米が何キロ買える、だとか、
こんな食べ物も買える、だとか、そんなことまで考え出してしまいそうになる。

もちろん、食べるものを買う、それは大事なことだ。

だけれど、それだけ?だろうか。

でもそれって、食べていくことは、当たり前のことなんじゃないだろうか?

どうも、この、お金=食べ物=死活問題、のようなところがあって、
それは当然なのかもしれないけど・・・いや、当然じゃない気がする。

そこで思うのだ。

なぜ、よっし、お金をためて石油ファンヒーター買おう!

とならないのか。

故障したらなおす。

なんでもそうだと思うけれど、そうやって、どの国の人もみんな
生活をしている。決して楽な生活じゃなくても、そうやって生きるために
お金をかせぎ、仕事をしている。

思ったのは、それは、決して、みじめなことじゃない、ということ。

今まで私は、たとえば、何か事故があって、
家などを失って、大変なことになったりして、それのために
働くようなことは、不幸なことだ、という漠然としたものがあった。

ところが、今、そうは思えないのだ。

そのような中にあっても、元に戻そう、とか、
家を修理しよう、とか、汗水たらして働き、それが、

「楽しい」

と苦しくとも思うのなら、それは決して、不幸なことじゃない、と。

これは、私は、

〝堂々と〟

生きている姿に見えるのだ。

なんというか、正しくお金を稼ぎ、お金を使っていると感じる。

だから思ったのだと思う。

「また一生懸命働いて、買おう!」

と言い合えるパートナーで、なぜ、Pはないのか、と。

暗い顔をして、「ああ・・・」と心配そうに黙りこむ。
車の事故のときも、正確には覚えていないが、たしか父も母も
「ぶつけちゃったんだ・・・」と、なんとも、私が悪いことをしたかのような、
そんな態度で、私に接した。

たしかに、悪いこと、だったかもしれない。

だからって、「あーあ」みたいに、なぜ責めるのだろうか。
決して言葉ではそうは言わないけれど、顔がそう伝えているのだ。

そんなんだったら、

「ぶつけちゃったの!大変だこりゃ」と、はっきり言ってくれたほうが
よほど、すっきりする。今回のファンヒーターの故障も、「わー、痛い出費!
超ショック」と言ってくれるパートナーだったら、どれだけ、解放されたか。

要は、結果として、彼らが私にやったことというのは、
私の失敗に対して、自責の傷の上塗りでしかないのだ。
まったく話し相手にもなってくれず、私一人が抱えこむことにいつもなる。
一緒に考えてくれたこともない。Pも、私の両親も。

だんまりを決めこむこと。

これは、残酷なやり方だ。

人はそういうなかで、「自分が悪いのでは」と思うようになるのではないか?
これは怒りをそぐやり方でもあるんじゃないだろうか。
自分が悪いかもしれない、と思いこんだら、感情らしい感情は生まれるだろうか?

だいたい、

石油ファンヒーターのことだけれど、

ただ、壊れた、壊れそうなだけじゃないか。

もう昨日になるけれど、稽古で、このような人のように生きたい、
と思える72歳のおじいちゃんがいる。昨日、あらためてそう思った。

そのおじいちゃんは、まったく、正直だ。

私はいつも思う。

コソコソ生きたくないんだ、って。

自分の人生を、自分の頭と身体を使って毎日を生きていく。
そのおじいちゃんは、自分の好きなように生きている。
でもそれは、すごく当たり前の姿に見える。
自分が自分のために生きるのは当然であり、それだけで
そもそも、めいっぱいに生きることになるのが、そのおじいちゃんを見ていてわかる。

そのおじいちゃんは、

「私は、寝る前に、一日の反省をするんですよ」

とさらっと話されたとき、明確に、それは、そのおじいちゃん自身、
自分自身のために、ということが、しっかり伝わってきた。

一日の反省は、より、充実した人生を味わうために、
そのおじいちゃんは、しよう、と思ってしていることなんだ。

私にはそう思えた。


2015.03.16
Aby


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by jh-no-no | 2015-03-16 06:37 | 復元ノート 1

ミスに対する意識

今日、こんなことがあった。

急いでいて、石油ファンヒーターのコンセントに足をつまづいて
コンセントの金属部分が曲がってしまった。

差しこみなおしても、つかない。

ペンチでなおして動くようになったけれど、
そのとき、私が思ったことはこうだった。

まず、

壊れてしまったかも、どうしよう・・・

次に、

買い換えになったら、痛い出費だ・・・

イライラと同時に、

「こんなところに、ごちゃごちゃといつもとは違うものを
Pが置いておくから、つまづいちゃったんだ。」

そして、Pに、「狭いから」つまづいた、と
言おう、とすら、思った。イライラしていた。

さすがにこれは、やつあたりだ、自分がおっちょこちょいだから
つまづいただけで、Pが悪いわけでもなんでもない。
たしかに狭かったし、いつもとは違うからつまづいたのは
たしかであっても、Pを責める理由にはならない、
そう思った。

今日は、どうしても行きたい稽古があったから、
すごく急いでいた。なおしている時間はない。なかなか点かない。
でも、なんとか点いた。

それで、稽古に向かう途中に思ったのは、

「まあ、とりあえず、点いてよかった」

ということだった。

これは、私にとっては、なじみのない感覚だった。
というのも、私は、今日その時もそうだったが、
どこか居心地が悪いと感じつつも、つねに、頭の中に妄想の言葉がめぐっていて、
「点いたから、まあ、いいんじゃないの、とりあえず」
なんて思うことは、ないからだ。

こんなことばかり考えてしまうのだ。

「大丈夫だろうか・・・ちゃんとなおっただろうか。
また点かなくなってしまうだろうか。でも、なんとか点いたから
大丈夫かな・・・でもまた不具合が生じるかもしれない。
かなり強くひっかかったからな・・・でも、壊れなくてよかった。」

この、壊れなくてよかった、という気持ちは、
安心しているのではない。

なんというか、これは悪いことをしてしまったときに、
「バレなくてよかった」に近い感覚で、当然そこには、
いつかバレたらどうしよう・・・という恐れがある。

機械相手なので、誰に怒られるわけもないし、顔色をうかがう誰かが
いるわけでは実際ないのだが、これは、まったく、同じ心理状態だ、と思った。

ミスしたことが、おおごとにならなくてよかった・・・
(でもまだ、安心はできない。だって最初はつかなかったんだから、
またつかなくなることもあるし・・・でも、大丈夫ならいいんだけれど、
もしダメなら、買わなきゃいけなくなるのか?でも、もうそろそろ暖かいから
なんとか今季はなんとかなるか、いや、まだ寒い日もあるだろう・・・)

買い替えになると、数万かかれば、それはパートで何日分働くお金か?
などと考え始めることも、今回だけではなく、今までも
たびたびあった。

ただ、これはあきらかに、どこか病的だ、と感じた。

これが「おかしい」と感じられたのは、
そのような妄想のなかにあっても、ふと、

「まあ、とりあえず、点いてよかった」

と思った時だった。

その時に、

「なぜ、私は今まで、こう思えることがなかったのか?
とりあえず、点いた。なら、まあ、様子見ということで」

この時、私は、失敗に対して、ミスに対して、
自分としては誰もがそう思うだろうと思っていたことが、
そうではないのではないか、相当、過剰、過敏に反応しているんじゃないか、
と思った。

これが重要な問題なのは、
顔色をうかがうことと、「失敗した、ミスした」と思うことは、
私はつねに連動しているからだ。

これも稽古に行く途中に考えていたのだが、
おそらくだが、私は、「自分がミスをした」ということに
強く反応し、そこから、顔色をどうやらうかがっているようだった。
これは、私には、当たり前なことではなかった。

今までも、なぜ顔色をうかがっているのか?どうして、
相手を怖がっているのか、とその分析をしようし、その対処方法を考え、
「こうすればいいんだ」「こうしてはいけないんだ」と思ってみても、
毎度毎度、自白か、隠蔽か、というところに陥る。

もっとシンプルにいえば、要は、
コソコソしている。このコソコソは、すごく不快なのだけれど、
このコソコソのループの出口が見つからなくて、不快感のままになる。

それで、今回、どうも、私は、「何をしたからどうだ」とか
そういう「何を」というちゃんとした「恐れるに値する理由」があって
ビクビクしているようではなさそうだ、ただ、私は、

「自分が失敗した、ミスをした」

ことを突きつけられた(と思った)時、

ただ、「それだけで」、私は、このコソコソして生きる不快感に
身をおいているようだ、と思ったのだ。

これについて、二つのことを思い出した。

ひとつは、まず私は、実は、まったく

「出来る人間」

ではなかった、ことだ。

いや、本当にどうか、とか、何をもってそうか、とかはどうでもよく、

実は、あの毒親たちは、私になんと言ってきたか、というと、

「Abyは努力だけがとりえだ」
「Abyは学校でみんながまっすぐ並んでいても、一人、ずれている」
「通信簿には、協調性がない、と書かれている。」
「通信簿には、社交性がない、と書かれている。」
「通信簿には、創意工夫がたりない、と書かれている。」
「選手にはなれなくても、本当は強い。」
「図工は〝よい〟だけれど、主要三科目は、〝ふつう〟だ」
「Abyは不器用だ」
「Abyは自分勝手だ」
「Abyは実力テストはダメでも、日々の努力の定期テストはすごい」
「Abyは大器晩成タイプだ」

大人になっても、たとえばPも私によく言っていたが、
「Abyは、器用じゃないけど、コツコツやって、最後はみんなよりも
出来るようになる。」という言葉には、本当は、これがある。

〝でも、基本的には、のろまで、不器用で、覚えが悪く、人より出来ない。〟

〝人並み以下〟

というものがある。そして、これは、私自身、認めてきてしまったことでもある。
毒父もよく「人並みに育ってくれれば御の字。それ以上になってくれたんだから、
もうパパはこんな素晴らしい子どもたちをもてて、世界一、幸せだ」と。

私は何度もブログにも書いたけれど、

「Abyはすごい」

と持ち上げられてきた、と思っていた。

たしかにそればっかり連呼していたのは事実だ。
じゃあ、だが、なぜ、私はこんなにも自信のない人生を送り、
ミスに怯え、顔色をうかがい、コソコソ、ビクビクしているのか、
説明がつかない。

それで、先ほど挙げたように、
たぶん、もっといろいろあると思うのだが、これだけを見ても、

「どこが、自分の子どもをすごいと思っているのか」

まったく謎な発言だ。

ふと、これも思ったのだけれど、
私は「褒められてばかりきた」と思っていた。

が、

一方で、私は、「褒められたことなどない」

とも思っているのだ。

これは、先日もブログで書いたが、
彼らの不気味さ、というのは、
まるで私を見ていない、

「私を見ていない」

という完全な無関心にある。

この無関心ぶりを、生まれてはじめて他者を通して実感したのは、
Pの母親を通してだった。
はじめて遠出のデートをしたときに、電車がなくなり、帰れなくなったことがあり、
私はそれを電話で伝えようとしたときに、間髪いれず、

「Pにかわってください」

と、私に一言も言わさなかった。

この時感じたのは、私が完全に無視された、という感覚だ。
その感覚は、その後も、Pの親族と会う場面で、毎度、感じ続けた。

当然、それは、Pの家独自のことかとずっと思ってきたのだが、
自我復元を進めていくうえで、これは、私を取り巻く環境、その元の
私が育った毒家庭、すべてに共通した「空気」であった。

なにがまずおかしいか。

これは以前にも書いたが、

私に対してたとえば親、またP、また内職仲間だった人、
こう人たちが、もし、私に対して「不快」を感じるのなら、
まず、こうきいてくるべきじゃないだろうか?

「どうしたの?」

何かワタシが悪いことでもした?ときいてきてもいいのだ。
ところが、この人たちが、完全にないのは、そして、私自身も他者の不快な顔色に対して
完全に欠落しているのは、この、

「どうしたの?」

が、無いのだ。関心がない、ということなのだけれども、
もっといえば、先日も書いたように、この人たち、そして私もそうだが
(今日の石油ファンヒーターも件もそうだが)

「なぜ、ワタシを不快にさせるんだ」

という、自分を不快にさせた相手に対する苛立ち、それで
頭のなかがいっぱいになってしまっているのだろう。

私はPとの生活、今までは、これがとっても多かった。
そしてこのイライラが嫌だから、上から目線になったり、と
気持ちをコントロールしようとしていたのが、何でも馬鹿にできるんだぞAC人格でもある。

毒父にも、これ、「どうしたの?」が無い。

毒母にも無かった。

彼らは、PもPの親族も含め、私が今、少なくともたとえそれが背伸びであっても
不快や苛立ちを表明すると、全員が共通してやることは、

「だんまり」

をきめこむ、その態度だ。

こう書いていて嫌な気持ちになるのは、
私も、同じことをしてしまっている。というか、
これ以外の方法が、まだ、とれないでいる。

どう対処していいのか、わからない。

「どうしたの?」

がきけない、ということに気づいたのは、
少し前に、パートで、なんだかイライラしているパート員がいて、
その人に対して私は、結局、内心馬鹿にしたりして自分は平然を装ったりして、
結果、無視するような態度をとっていたことに気づいたときだった。

そして、それは、本当に「平気」な心境だったか、といえば、
実はそうでなかったことにも気づいた。
その結果として、話かけることを、実際は、「怖がっていた」。
どうしたんですか?ときけばいい。

もちろん、おそらくその時、私がきけなかったのは、
私の仕事の仕方が、その人に気に食わないことがあったことを
なんとなく、私がわかっていたからだ。

私は、相手のイライラに対して、

「ただ嫉妬しているんじゃないの、あの人。
そういうの、みっともない」

と感じたこともあったり、あるいは、自分の不注意の時は、

「そんなことで、イライラするなよ。大人気ない。
別になんともないじゃないのそんなこと。慌てちゃって馬鹿みたい」

と、私の中に、嫉妬したりするのはみっともない、
慌てたりするのは恥ずかしい、という気持ちがあるから、
他者に対してそう思うことに気づいたときがあった。

これについては、まだ堀れていないのだが、
おそらく、毒親からの影響で、こうなっていると思う。

とくに父のあの他人を馬鹿にする態度や表情を思い浮かべると、
父もまた、こういう考えを持っていたのは、確かに思えるからだ。
とりあえず、あの、父の他人を馬鹿にした態度は、鼻につく。
にやついている、と私が父に感じるのは、その時だ。

もう一点、

先日、パートで、一組の夫婦が買い物にきて、
レジ対応をしているとき、その夫はこう言った。

「なんで今日使えるクーポン、持ってこなかったの」
「なんで忘れるんだよ」
「もったいないな」
「なんで持ってこないんだよ」

ねちねちねちねち、言っている。
私は内心、「そんなに思っているのなら、自分でもってこいよ」
とその時思ったりした。

今それを思い出して、いくつか、ここに思い当たることがあった。

まず、私自身、よくPにも同じようなことをしていたことだ。
ねちねちと、嫌味ったらしく、もちろん、あまり嫌味になる前に
「上から目線になって」、最低なのは、

「自分が気づかなかったのが、悪かった」

みたいなことを、笑って言い返す、とても嫌な奴だ。

この買い物シーンで、そういえばと思ったのは、
そう言われても、その妻は、なんだか、「ああ」「忘れた」とか
ぜんぜん、こたえてもいなければ、生返事、という、
ここに、それこそ、会話が「断絶」しまくっていて、なにより、
あの妻は、ぜんぜん、「自分事」として、クーポンを忘れたことを
なんとも思っていないようだったことだ。

一人、夫だけ、イライラしている。

ああ、私も、こうだったのだな、と今日になって思った。
まったく、Pにとっては、「うるさいこと言っているな」程度しか
とらえていなかったのだ、と。

もしもそれが自分のミスだ、ということなら、
それは他人事にはならないはずだ。
でも、このはたから見ればDVのように見える関係のなかでは、
実に不思議だが、この妻は、

自分がミスをした、

とは思っていない、

どころか、

わかったのは、

この夫は、このクーポンのミスを、なんと、

「自分のミスだ」と

本当に思ってしまっている部分がある、ということだった。

つまり、妻を完全に自分の所有物だと思っているから、
彼女のミスは、まるで自分のミスかのように許せない、
そういうからくりだ、と気づいた。

だから、あれほどイライラしている。
これは、今日の私の、コンセントにひっかかってその時に沸いたイライラと
同質のものだ、と思った。

一方、私は、他人のミスには、妙に「寛容だ」と思っているところがある。
考えてみると、それは、自分の所有範囲から外れているものに対しては、
異様に寛容、という異常さだ。

私は、その意味では、
他人のミスを責めたことがない、どころか、
普通は責められることでも、私は必ず、たとえ私一人であってもかばった。

こうやって、私はPも、他の人もかばってきた、というところがある。

ということは、なのだが、

その買い物の妻や、あるいはP、そして私が「かばった」と思っている人にとっては、
私はどう見えるか、私のことをどう見えているのか、といえば、

「ワタシのミスを、責めないでいてくれる人」

ということになっていて、私はそのようなミスならば、自分が肩代わりになっても
その人たちのミスをカバーしようとずっとそうしてきた。
それは私にとって、人として当然、と思ってやってきたことだった。

先ほど書いたように、クーポンのミスも

Pから「見れば」、

肩代わりしてくれている、ようなものなのだ。その夫が。

そして、その夫は、自分のミスに対しては
私と同様、過敏なのだろう。


・・・


走り書きとなってしまったが、重要な箇所だと思うので、
いったん記録して掘り進めていこうと思う。

ちなみに、やはり、断線してしまったようだ・・・



2015.03.15
Aby


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by jh-no-no | 2015-03-15 20:20 | 復元ノート 1

なぜ、「いつも悪いことをしている」と感じているのか

先日、自分は何も悪いことはしていない、
後ろめたいことも、後ろ指を差されるようなことも、
今までもしてこなかった、と、はたと思った時、

私は、なぜか、いつも、

「自分は悪いことをしている」

と思っていることに気づいた。

自分としては、「何をすべきか」悩んでいる状態だ、
と思っていたのだが、それより前に、どうやら
今の状態の自分は、「よくない」「よくない状態にある」
「いけないことをしているんじゃないか」と思っている。

慢性的に、つねに、そう思っているようなのだ。
でも、これはおかしいのは、じゃあ、「自分は悪いことをしている」
「自分は悪いんだ、よくないんだ」、と、

〝リアルな自覚〟

があるか、といえば、ぜんぜん、ない。

いくらこれを唱えようと、今日一日、自分は悪いことをしているんだ、
そういう人間なんだ、と決めて過ごそうが、まったくこれが、ただ言葉だけ、
ぜんぜん、自分自身、この自覚も感覚も生じてこない。

にもかかわらず、

一方で、ずぅーーーといつもいつも、
私はこう思いこんでいる。

「今、自分は、よくない」
「今の自分は間違っている」
「私は悪いことをしている」

こう言葉で思っているのではなく、
自分はよくない、という否定的なイメージが
まるで、自分の血液のように、自分の中に流れている感じだ。

自分の血でない、リアリティーのかけらもない、
私のものでないものが、私を占領している。

これは最近感じることだ。接点のない人格がいる。
偽人格、というほうが、AC人格と呼ぶよりもしっくりくる。
自分と、偽人格と、この二人が私の身体のなかにいる。

いつも、自分の言動に対して、
「~してしまった」と思っている。
でも、考えてみると、なぜ、「~しちゃった(よくない)」と思うか、
その根拠は?となると、まるで無いのだ。

たとえば、今さっき、お風呂に入ったのだが、
1時間近く入っていたことに後で気づいたときに、
「長湯をしてしまった」と、当然のように思っている。
なぜ、悪いか?という自身の根拠があってそう思っているのならわかるが、
ただ漠然と、自動的に、よくなかったのではないか、と思ってしまっていた。

これも最近感じることなのだが、
Pや毒父、毒母もそうだが、非常に、

〝不気味〟

に感じている。先ほど、「接点のない(人格)」と書いたが、
その感覚に近い。私との接点を、まるで感じないのだ。
言い換えると、なんでこんな人たちと、なにがおもしろくて、
なにがよくて共に歩いてきたのか、その理由がわからないほど、
魅力もない、つまらない人たちなのだ。

普通に想像したって、もっと一緒にいて楽しいだろうなって
思う人はいる。普通に話して、普通に意見を言い合って。
たわいもない会話が普通にはずむ人間関係はあると思う。
これがまったくない。

Pや毒父、毒母、Pの毒母もそうだが、
この人たちが私にしてきたことは、
「Abyが悪い」というメッセージを送り続けたことだ。
というか、私が「自分は悪い」というふうに思っていること、それを重々、

「わかっていながら」

道具のように、私を利用してきたことだ。

そして、なにが「悪い」のか、ということだが、
Pや毒父、毒母をこれまで見てきてわかったことは、
この人たちは、

「自分を不愉快にするやつは、悪い」

と完全に思いこんでいる。
自分を不快にする人=悪いやつ、と、マジで思っている。
それは、まったく私も同じであったことにも最近になって気づいた。
ここに理屈がないのだ。自分を不快にさせた=あの人は悪い、という思考回路。
ここに疑いもない。当然だ、とも自覚しないほどに、当然だと思いこんでいる。

こう考えると、幼少期に、あの馬鹿親が、
親の都合が悪いことを子どもがした、というただそれだけの理由で、

私を責め、

私に罪悪感を植えつけた、

だろうことは、容易に察しがつく。

これは「親の言うことは絶対だ」と本気で思っているわけだから、
親の自分を不快にさせる子どもなど許さない、と考えて当然だし、
これについては、実際に、毒父も毒母も、そしてPも、言葉としても言っていた。

では、私は、といえば、このように乱暴な言い方をしなかっただけで、
こうつねに主張していたのを思い出した。

「他人を不快にさせたら、不快にさせた、というだけでも
謝るべきだ(たとえ自分に非がなくとも)」と。

それで、私はPに対しては、どんどんと付き合っていくうちに、
自分のことを主張しなくなっていった。
Pは「私の主張」というものは、理屈無く、ことごとく不快をあらわにし、
潰していった。

気がついたときには、Pの意見=私の意見、となっていたし、
もともと、それを「了解していた」のが、私とPとの関係でもあった。
だからある意味、私の主張がPにとって不快なものであったり、違う見解だったりすれば、
当然、拒絶する「のは当たり前だ」とPは思っていたし(今もいるし)、Pは、
たとえ同じ意見だったとしても、Abyの意見、じゃ、嫌だ、ワタシの意見としての意見でなきゃ、
それも気にくわない。

最後に、結局謝るのは私だった。
不快にさせてごめん、と。
これをPは「知っていて」不快を示し続けた。

不快にさせるのは悪いことだ、という馬鹿げた考えは、
私も同じものを植え付けられたわけだが、
しかし、ここは対等な関係にない。
得をするのは、必ず、親やPになっている。
というのも、不快をあらわにする役回りが、親やPであり、
私のほうは、不快にさせた「悪いやつ」の役回りだからだ。

話がそれてしまうかもしれないが、
以前、こんな手記を読んだことがあって、涙がとまらなかった。
それはどういう内容だったか、といえば、詳しくは忘れたが、
いずれにしてもどんどんお金がなくなり、社会で生きていけなくなった夫婦が、
車で生活をするようになって、ある時、妻の容態が悪化する。
病院にいくように夫がいっても、その妻は「あなたと居たい、病院にいったら
あなたといられなくなる」と言い、しかたないと思った夫は、車で死を看取るまで
妻の介護に献身する。最後は、死体遺棄だったか何かの罪で夫が逮捕される・・・

そんな内容だったと記憶している。

あの時、涙したのは、ここに「理想」を見たからだった。
この死に際を理想としたのだ。

Cちゃん(私が3歳の頃になくなった妹)の33回忌の時に、
ぼろぼろ泣いた時の涙と同じだったと思っている。
これは推測だが、私は幼いこの頃、それの類似の体験をしたのではないか、
と思っている。Cちゃんはよく「にいたん、にいたん」と私の後をいつも追いかけ、
とてもなついていた、と聞いている。

私はCちゃんがいたことすら覚えておらず、また、両親が言うのはいつも
「Abyは自分勝手だった」と言っていたけれど、それは違う、と思っている。
面倒みはよかったはずだ。A(妹)とB(弟)に対しても、親の目にどう映ったかは
知らないけれど、私は、よく面倒をみていた、と思っている。
なのに、なぜ、親は、「Abyは自分勝手だった」と言ってきたのか?

まったくわけわからない。

ただこうだろう、と思うのは、
親にとって、私が兄弟姉妹の面倒をみたり、親を不機嫌にさせない言動をするのは
「当然のことすぎること」であって、それから逸脱した言動の部分だけを切り取って
「Abyは!」と文句を言っているのだろう。というのも、Pも同じなのだ。
私がPを不快にした「ほんのわずかな出来事」を、繰り返し繰り返し、いかにも
私がDV夫かのように、繰り返し繰り返し、私に言い続けた。

P、毒父、毒母、この一年ちょっとの間だが、
彼らの私への態度や反応を見てきて思ったのは、
彼らにとっては、私に対する記憶とは、

「私が彼らを不快にした出来事の記憶」

しかないんじゃないか、とすら思えることだ。

わかったのは、彼らは、私と居て、楽しかったとか、
嬉しかったとか、まったくそう思っていないようだ、ということ。
一方、私は、まるで逆に、そういう扱いを受け続けてきながら、
彼らと一緒にいて楽しかったとか、そういう記憶が支配していた。

まるで抱いている感情が、双方で真逆なのだ。

話がまたそれてしまったが、書きたかったのは、
先日、その手記の話を思い出したとき、
このAC人格のままいったら、この通りになっただろうな、
という確信のようなものだった。

この手記を書かれた通りに読んでいくと、いかにも
妻が夫を愛していたかのように書かれている。
でも、それは「夫が」そう思いこんでいただけではないだろうか。
妻の心理は、「ワタシを捨てたら許さん」というものだったのでは?

ところが、夫はそれに気づかない。
まるで美談のように、究極の愛のごとく綴られている。
こういうストーリーに、仕立てあげてしまっているのだ。

これはまったく他人事ではなく、私がPとの間で築きあげてきた
それこそ「自分勝手なストーリー」は、まさに、これなのだ。
ああ、このままでは心中ルートだ、と思った。
現実、私たちはどんどん社会から離れるほう離れるほうへと
20年の時間をかけて向かっていったのだ。

これに気づいたとき、はじめて気づいた。
このストーリーを、私は理想としていたことに。
描いていた死に際の理想だったから、だから、あれほどに
感動の涙を流したのだ、と気づいた。

「守る」

ということに対して、私は強く反応する。

「十分やった。十分守り抜いたのだ。もう、十分だ。
あなたは悪くない。何も悪くない」

私の中の偽人格は、こう言われたがっている。
だから、私も、かつての内職活動のなかでも、何度も口にしたのは、
「あなたは悪くない」という言葉だったし、「十分よくやった」という言葉だった。
他人にそう言うことで、私はその世界、そのストーリーに浸った。

でも、その先にあるのは、決して

「明るい所」

ではない。明るい結末でもなければ、日の当たる世界でもない。
こういってはなんだが、干からびて美しいミイラとして死ぬ、そんなイメージだ。
具体的には、それが、あの手記でいえば、「逮捕」という現実であり、
投獄されてもなお美しい思い出、という妄想を抱きながら、
「よく自分はやった」と慰めて死ぬのだろう。死にたいのだろう。


今、私は、新しく始めたパートの仕事を
今月半ばからフルタイムに契約変更をした。

当初は、このPの城を脱獄する資金作りのために、
そうしようと考えたことだった。

でも、それはやめた。

私は、そうやって社会の隅へ隅へと、日陰日陰へと
行きたいのではない、と思ったからだ。

私が、本当の私が求めていることは、
というよりも、子どもの頃から、本当に望んでいたことは、
「自由」とかそういう中身のない言葉だけで作られた理想ではなく、
もっと具体的なことだったのだ。

私は、人並みに、普通に、日の当たる所で、
堂々と、生きていきたかったのだ。

他者とは別な視点で、ユニークなことをして、
「特別な人間」になりたかったわけじゃない。

それで思った。当初はこのPの城を脱獄するためだ、
自由を獲得するためだ、自分の意志を貫くためだ、と突っ走っていたけれど、
それは違う。私は、正々堂々と、人並みに働きたい、と思った。
それで、私は、フルタイムの契約を結んだ。

もう、いつでもPの世話に戻れるように、とその名残り(亡霊)の意識に囚われ、
短時間労働でいつでもやめられる(逃げられる)ように、そう考えて働くような働き方は
もうしたくないと思った。

今、この新しい仕事をしていて、
ここで自分は生きている、と感じている。
何かのために働いているのではなくて、ここで私が働いている、
それだけで十分だからだ。

フルタイムにして正解だったと思っている。
お金の問題ではない。正直、手取りが減っても、自分の時間が減っても
それでもいい、と思った。

日の当たるところで、生きていこう、

そう思ったから。

私はPと心中などしない。

私は悪いことなどしていない。後ろ指を指されるようなこともしてこなかった。
何一つ、後ろめたいと思うこともない。

そう思えるようになったのは、最近だ。
もちろん、偽人格は、私の身体の中の血液のごとく、まだ私を支配している。
だけれど、そう、これは、この一ヶ月の「格闘」の末、わかったことがある。

堕ちたら、這い上がればいい。

堕ちたらもうダメだ、と思ったら、もうダメなのだ。
ここで這い上がれる自分を見逃さないことだ。
そういう自分は必ず「いる」。見逃さなければ、この戦いは「互角」だ。

互角なら、私は、必ずAC人格にいつか「勝てる」と思っている。
というのは、今までの格闘経験から、「互角」に対して、AC人格は耐性がないみたいだからだ。
AC人格の出番は、圧倒的AC人格という場面でしか、出番はない。
だから、「ちょっとだけ、AC人格」とかは、私は、ないと思っている。

ところが、この圧倒的AC人格、というゾンビ状態にあってこそ、
これと互角に渡りあえるのが、「自分」なのだ。

そして格闘についても、新たに思うことがある。

ここ数週間、どん底のような状態だった。

というのも、格闘だ、と思っていたのに、ただの妄想の暴走だと気づき、
もうダメだ、とふと思ってしまうことを、何度も繰り返した。

だけれど、これもふと思ったことだけれど、
AC人格の妄想、この妄想をこれだけ馬鹿みたいに必死に暴走したのも
私は生まれて始めてだった。自分のために必死に妄想しまくることすら、
無気力だった私はしたこともなく、平然を装い、生きながら死んでいた。
AC人格がこれだけ暴れるのも、逆にいえば、それだけ、AC人格が死なないように
必死にもがいているからでもある。

格闘とは、つねに、どっちに転ぶかわからない
「真剣勝負」のことであって、そこに身をおく覚悟のことであって、
私が思っていたような、「自分の意志を貫く姿」などのイメージではなかった。
なりふりかまわぬ事態に直面している状態の連続が、格闘なのだ。

だから、だからこそ、今まで私が経験したことのない
自分らしさを感じられる。もうダメだ、というところにこそ、もうダメだ、となど
「思っちゃいない」私、自分、がいる。

ここに立ち戻るまでに、
毎回どれだけの時間と労力、混乱、暴走、
そして妄想の際のあの生きた心地のしない不快感を通りすぎねばならないのか、
これもAC人格がのさばっているためであって、
徹底的に、殺していかねばならない。掘り続けなければならない。
解明し続けていかねばならない。

誰のための自我復元なのか。

毎回毎回、この自問との戦いをしている。
「自分のために決まっている」というところに戻るまで
これもまた、とんでもない時間と労力を必要としている。

これについても、どこかで、そういう自分は間違っている、よくない、
と、そう思っているところがあったけれど、そう思うのもやめよう。

自分は悪い、間違っている、よくないのでは・・・と思うところから、
私の場合、「何をすべきか」という妄想、これでいいかどうかに囚われるAC人格が
顔を出し始め、その基準こそ、他者の不快、顔色となり、つねにそれに怯えることになる。

自分は悪い、間違っている、よくない、そう思うところから、もう、
私は生きていないのだ。「何をすべきか」という、その「何」だけに囚われた時点で、
ここには、「私」もいなければ、するもしないもない。「何を」しかなくなってしまう。

それで、義務感のように、何を、何を、何を、と
ずっと妄想をぐるぐるしている。

先日も朝、ノートしていて驚いた。

やらねばならないことが、ほとんどないだろうと思っていた日も20近くあり、
それほどはないだろう程度の日も、40近くあった。

でも、本当に自分がやろう、と思っているのは、
たかだか数個なのだ。

今日など、本当に「自分が」やろうと思っていたことは、
たったひとつ、保湿クリームを買いに行くこと、それだけだった。
そしてそれを実行した。稽古に遅れてしまったが、それはやった。

先日も、そのたかだか数個をやったとき、その時に思ったのだ。
わたしは悪くない、後ろ指を差されるようなことは、何一つ、していない、と。

自分を中心に、そこが日の当たる所なのだ、と。

だから、私は脱獄はしない。

脱獄をする前に、やらねばならないのは、
私が立っている「ここ」を、日の当たる所にしていくこと。

Pは所詮、依存しなければ生きていけない人間だ。

ならば、依存させておけばいい。
しかし、私が依存する必要や義務はない。

惨めなのは、P一人でいいのだ。

それを気遣うこともない。それをPは選んでいるのだから。

だが、私はその心中の道を選ばない。

私が主人公のストーリーを
これから書きあげていこうと思っている。



2015.03.14
Aby


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by jh-no-no | 2015-03-14 06:58 | 復元ノート 1