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気を入れる

1月31日、今日で今月も終わる。

2月、3月は、私にとって
人生最大の、最初の修羅場になる。

「気を入れる」

今年最初の稽古の時、師範が、
「私たち指導者側も気を入れて・・・」
と話された時のことを思い出す。そうだ、気を入れるのだ、と。

月の終わり、これは大事だ。
明日から新しい月が始まる。ダラダラと始まってはいけない。

昨日、戦う準備として、
もう一つ、気づいたことがあり、
2月に入る前でよかったと思う。実際、水面下では、
PやPの親族、毒父、妹弟、かつての母も、本格的に動き出し始めた気配がある。
この気配の後手にまわっては、ならない。

気づいたことというのは、あの毒父やPたちは、

「私が生きていないのを知っていて、それを承知の上で、
私を利用するに利用した」

ということだ。以前、ブログで、毒親たちには、私を虐待した記憶があって、
そこを隠そう、隠そうとしているのではないか、と書いたことがある。
それが、この「生きていないのを知っていて」、彼らは、私を調教したことではないか。
生かさないようにしたのも、もちろん毒親であり、かつ、調教を愛情と言い換えては、
できる限り、成人までの間、私を利用した。

そして、Pは、「それを承知の上で、私を利用するに利用した」。
生きていないのを知っていて、だ。

彼らがAC人格だから、そして、彼らが私に見ているのも
AC人格だから、許してはならないのは確かだった。
だけれど、今回のことで、現実との接点が見えてきたのだ。

なぜ、許してはならないか。
なぜ、戦うのか。

これも、通い始めの頃、師範が言われたことだが、
「相手を倒す意味を、まず、見つけてください」

これなんだ。ここが、妄想で作られた理由では、なんというか、
妄想でやられてしまう。妄想とは、恐怖だから。
その裏返しの安心は、恐怖ひとつでどうにでもなる。
それは何も相手が手を加えなくても、自覚がなくとも、自分自身で
自分を脅かし続けているから、最後の一歩が、どうしても出ない。

昨日、私は、

「僕は、どこに、いるのか」

と、ふと思った。それは、あまりに私が妄想の世界の住人になっていることに
気づいたときだ。桜の間でも、幾度も、妄想癖のことが書かれているが、
「癖」どころじゃない。妄想のなかでしか、私は、生きていなかった。

現実世界とは、この物理的な、身の回りの空間であり、
物があったり、いろいろな出来事があるこの世界のことだが、
昨日は、一瞬だが、この現実世界に私はいた。

そこから、私は、一歩、踏み出した。

それが、Pと毒父と、またその群れと

「戦う意味」

を、現実との接点で見つけたことだ。

現実世界の私は、生きていたことがない、と知った時、
それを、みんなは、知っていたのだ、と知った。

だからか、と思った。

ここ数ヶ月、残る過去の関係をすべて断ち切っていくと、
誰もかれも、「どうして?」すら言わないのだ。
これはなんだろう、と思っていた。私なら、「どうして?」
「なんで今まで仲よかったのに、なんで?」と訊くと思うのだが、
私が関係を断つと、それきり、うんともすんとも言わない。

毒父もそうだ。

母が死のうが、連絡ひとつ来ない。
これはどういう精神構造なのか、と思っていたが、わかってきた。
Pはもう少し食ってかかってきたが、それでも、その「どうして?」や
「残念だ」という言葉にリアリティーが無かったのだ。

情けないことに、私のほうだけが、断ち切る辛さがあるようで、
馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しかった、と過去形で言いたい。
本当に、馬鹿馬鹿しいのだ。

彼らは、私が、

「私は生きていなかった。知ってたよね」

と言われるのを恐れている。そこがアキレス腱だからだが、
とはいえ、だ。多くのまわりはそこで引いても、Pや毒父たち、その付き人たちは、
そこで引くようなやつらではない、と思っている。

かつての母が死に際の数ヶ月、あの食いつき方をみれば、
Pも毒父も、Pの母もおそらく、「逆ギレ」してくるだろう。
言葉など通用しそうにない。

私が生きていようがいまいが、

「だって、Aby、それでいいって、自分で思ってそうしたんでしょ」

と思うはずだから、責めることに、なんの躊躇もないはずだ。

しかし、今回、わかったのは、

自分でわかってなど、いなかったことだ。
自分でそれでいいと思ってした、のではないのだ。
それは、まったく、妄想の中で作られたもの。

事実は、

「私は、生きていなかった」

ということなのだ。

この現実世界で、生きていなかった、と
そんなのは嫌だったんだ、もう嫌だ、と自分が貫くしかないのだ。
相手に納得してもらう必要はない。
自分すら、納得させようとすることも、もはや、ない。

ただこの一点に、エネルギーを注ぎたい。

妄想に執着し、妄想に安心を求めては、
妄想に苦しみ、妄想に不毛を抱いては不毛な夢を抱き、
妄想から抜けられない、抜けられないと、力なく嘆く。
妄想にばかりエネルギーが費やされ、消耗し、終わらない毎日。
何もかも「しかたない」と思うだけ。何もかもが、フリ。

昨日、思い出したことがある。

幼い頃、お化けの本を買ってもらったことがある。

「おいわさん」が私は怖かった。

お・い・わ・さ・ん、は「五文字」だから、
その頃、「5」の数字を忌み嫌った。

今も、私がやっていることは、すべてこれなのだ。
「5」か「5」じゃないか。これでいいか、わるいか、とはそういうことだ。
これは、妄想の世界、という。自分の頭で、何一つ、考えられない。

私は、ここを、やめて、抜けたいのだ。

これも、昨日思ったことだが、

何が私はずっと変わらないのか、と思っているかといえば、
それは無意識、無自覚なところでだが、

「現実世界が、変わっていない」

と、「私が」思っているのだ。

妄想世界が、その内容が、どんなに変わろうが、
それがどんなに持ち上げられ、価値を持とうが、
私は「変わった」とは思わない。感じない。

それが断言できるのは、ずっと、そうだったからなのだ。
それしかない、とも思っていた。

だけれど、自我復元を続けてきて、
妄想世界に究極の答えを見つける「のではない」道を
見つけ始めたのだ。

最初、無明庵に近づいたのは、
妄想世界に究極の答えを見つけるためだった。

でも今は違う。

妄想世界から、抜けるためだ。

抜けられるかどうか、それは闘いだ。
でも、「抜けられる」と思っている。
なぜなら、妄想世界でない世界がある、と気づき始めたからだ。

今、Pも毒父も、「厄介なことになった」と思っているだろう。
どう出てくるか、と待ちの姿勢でいるわけには、もう、いかない。
2月、3月といっても、たった60日しかない。

おそらく、妄想世界からのAC人格の攻撃が、もっと凄まじいことになるだろう。
しかし、この1月、随分、そのための準備をしてきた。
陰湿なAC人格の攻撃のパターンを見ることができた。

負けるわけにいかないのだ。

どんな醜態をさらしても、

私は生きる足場を変えなければならない。

桜の間にも書かれていたことだが、
私は、人生を、日記が終わるようにして、日記のように終えたい。
それだけだ。

自分がここを生きた、と
そう納得して、死にたい。

怖いものだらけで、毎日が最低なAC人格だけれど、
それでも負けるわけにはいかないから、
恐怖に甘んじたくはない。

恐怖に甘んじるとは、恐怖が行動原理になっている、
言動の動機が、「すべて」恐怖になっている、ということだ。
ならば、その恐怖をくまなく精査した上で、そうでない行動を私はとる。

それは、箸のあげおろし一つ、些細なことかもしれない。

最近、やっていることがある。

とくにAC人格が優勢になりそうな場面に直面する前に、

「今から、私は、〇〇をする」

と言ってから、やるようにしている。それでも、AC人格が強力な時は、
やった後に、「〇〇をした」と書いたり言ったりしている。

これは、前回の投稿でリンクさせていただいた桜の間の日記の記事で、
パソコンを始める前にする自己管理からヒントを得て、日記に限らず、
やり始めたことだ。

あいかわらず、日記を書く時は、猛烈な眠気や、それも効かないと
AC人格が思うと、食欲、性欲、肌を通じた感覚(暖かいや寒い)など、
猛烈な攻撃をかけてくる。日々の自己管理も、似たことが起こる。

それでも、毎回恐怖一つと対峙するたびに、
恐怖を理由にするのではなく、自分で考えて、行動するようにしている。

「自分で考えて」やるしかないのは、

それ以外、妄想と一騎打ちできそうなものがないから。
どっちが勝つかはわからない。でも、負けるわけにはいかない。

妄想の限界は、妄想の中でしか恐怖を私に与えることができないことにある。
そして、その恐怖のパターンとは、つねに、ワンパターンだ。
実際、この世界、現実世界には、ありとあらゆる恐怖があろうとも、
その向き合い方は、ワンパターンではありえない。

なぜなら、自分で自分を守る時、
それは、全力で、対応しようとするからだ。
そこは、妄想の足場ではない。現実世界の足場だ。
妄想による恐怖がワンパターンなのは、「そのパターンではこうする」というものしか
毒親から教わってきていないからだろう。

それでは、恐怖に甘んじて生きていることになる。
そこが、妄想の世界なのだ。
怖い、だけが、すべての言動の理由など、
こんな情けない生き方があるだろうか?

今回、一歩進むぞ、と思ったのは、
「それを知っていて、あの毒親やPの群れどもは
私を利用するに利用しまくった」こと、だから私は
許さないことをはばからない。

「そんなの知らん」と言われても、
私が知っていればいいことだ。

何より、私はここから脱獄しなけばならないのだから、
刑務所の看守に、「これこれの理由で逃げたいです」と
説明して脱獄する馬鹿はいないのだ。


「脱獄すること」


あと、60日だ。それが自分が自分で決めた時間だ。




2015.01.31
Aby


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by jh-no-no | 2015-01-31 19:42 | 復元ノート 1

充実した生と死を本当に望む

日記は、最初は気持ちが解放された気がした。

でも、それは、ほんの数日だった。

日記は、書くほどに、「薄っぺらい内容」と
感じるようになった。

そうわかっていて書く、というのは、しんどいけれど、
ここに、今までずぅーーーと、自分が感じ続けてきた
「不毛感」がある。

「なんで僕は、充実した人生でないのだろう」

これを40年以上、繰り返してきた。

小学校の休み時間、わたしはどう感じていただろう?
おそらく、「何したらいいんだろう」、だと思う。
授業中は何をすべきかはわかる。
でも、その授業と授業の間の、ここは、いったい、
どう時間を潰せばいいのか?

日記で直面する不快感から、
そんなことを思い出そうとしていた。
それは、すごく似ている感覚だし、これは特別の何か、ではなく
何かに没頭できない時、よぎり続けた感覚だ。

Pとの仕事と生活、これが今までAC人格にとって
どんなに幸せであったとしても、この不毛感をとっぱらったことは
無かった。ふと我に帰れば、必ず、この不毛感があった。

この不毛感は、

「しかたのないものだ」

という前提のようなものがあった、ことを
昨日、日記を書きながら思った。

しかたがない、だから、何かに没頭しよう、というサイクルだ。
日記それ自体もそうだ。最初は、抑圧された言動を抑えなくていい、
その解放感に没頭できる。ブログもそう。

しかも厄介なのは、なんだか、こういう「どうしようもない」サイクルは
つまり、AC人格にとってのバイオリズムのようなものだから、
我慢してある程度「しかたがない」に耐えていくと、ひょんなことで、
モチベーションが、「自然と」沸いてくる「ようになっている」。

これを、よく、自分のやる気だったり、意志だ、と誤認し、
物事に着手するのだけれど、要は、これ自体が、
「誤魔化しの没頭」なのだ。

それは、今に始まったことでなく、
ずぅーーとやってきたのだ。

「なんで僕は、充実した人生でないのだろう」

これをずっと続けてきた、ということなのだが、
あたかも、これは自明のことのようになっている。
そして、その充実感のない人生を「なんとかしよう」と
しがみつけるものを探し求めてはしのぎ、時間稼ぎをしてきた。
Pとの仕事と生活では、その時間稼ぎは、20年に渡った。

なんとかしよう・・・その考え自体、おかしい、と思った。
なんとかしなきゃ、ではなく、こんなの、おかしいのだ。

わたしは充実した人生を送る権利がある。
充実した時間、充実した経験、充実した生き死にを
行使する権利がある。

言うのであれば、

「なぜ、充実しないんだ?・・・おかしいな」

であって、

「なんで僕は、充実した人生でないのだろう」は、
これこそ、おかしい。

充実する生き方を、わたしは望んでいいのだ。
どうすれば充実するか、とかは、まず置いておいて、
それ以前に、本当にわたし自身が、「充実」を手にしようと望むことだ。
望み、そこに向かう足を、一歩、また一歩と進めることだ。

「なんで僕は、充実した人生でないのだろう」という
いつもここから思考が出発してしまうことの「前提」は、
決して前提でも、与えられたわたしの条件でもなく、
義務でも、しかたがないことでもなく、

変えていいこと

なのだ。

充実した人生をわたしは望むのだ、と
意志し、実行していっていいのだ。

この当たり前のことができないのは、
わたしはそれを、一度も、望んだり、実行したことがなかったためだ。

日記は、本来、自由帳だ。
こんな自由が目の前にあっても、自由に望み、自由にやりたいことも書けない。
それは、やったことがないからだ。
「薄っぺらい内容」というけれど、誰が、薄っぺらいなどと、
ひとの日記に潜入してきてささやくのか、といえば、AC人格だ。

要は、AC人格は、わたしに書くのをやめてもらいたいのだ。
そんなことしていないで、もっと今やるべき、没頭すべきものがあるんじゃないの?
そう言ってくる。くだらない、こんなの、今やったこと書いただけじゃん、って。

なぜ、AC人格は、日記を書かせまいとするか、
これが昨日わかったことなのだが、あの「不毛感」に直面するからなのだ。
どうもAC人格は、あの不毛感が相当、嫌みたいだ。
ならば、書こう。

ならば書こう、というしんどさで、このところは日記を書いてきた。

それと同時に、恐怖心のことを同時に掘り下げていた。

恐怖は、言い訳になる、ということ。

これは自分でも驚いたが、「怖いから」が自分の言動をただそのまま続けること、
自分の言動を、自分の頭で考えず、自分で一切責任をとろうとしない態度だ、と
気づくと、そういった言動の「全動機」が、恐怖、だったことに気づく。

「怖いから」と言っていれば、ああしたらどうか、ああしなかったどうか、を
延々と妄想し、苦しいと思ってはいても、その「苦しい」が、
「恐怖心で現状維持すること」を許してしまうのだ。

では、その、恐怖心。
取るに足らない恐怖心の「前」にあったのは何か、といえば、
それが、あの不毛感なのだ。

「なんで僕は、充実した人生でないのだろう」

これだ。

「なぜ、充実しないんだ?・・・おかしいな」とは、全然違う。

目の開け方が、全然違う。というか、前者は目など開いてない。
だから、実際に、眠ってしまうのだ。生理的にもしかるべき反応が出る。
逆もいえる。生理的な反応に誘われて、それにのっかってしまえば、
心の目も閉じるのだ。

充実を、本当に、求めること。

ならば、と思って、昨日、決心したことがある。

これは禁止のルールの一つでもあったが、
これを徹底することにした。

それは、

「絶対に笑わないこと」

禁止のルールとして、笑わないこと、とは書いてはあった。
実際、不用意に笑うことは減っていたし、その延長としてのルールだった。

しかし、大事なのは、

「絶対に」

という覚悟だ、と思った。

これはいつもAC人格との格闘で思うことだけれど、
絶対に、と宣言し、その言葉どおりに実行する、と決めるとき、
大きな違いが起こる。

その時にまず気づくことは、それまでは、
「なるべく」「なるべくそうする」という程度しか、思っていなかった、ということだ。

絶対に、と言うのは、少し、勇気がいる。

でも、絶対に笑わない、と言えるのは、

「わたしは、今まで、充実などしたことがなかった」

のだから、

「へらへら、だろうが、にこにこ、だろうが、笑う場面など、あるはずがない」

と思えるからだ。

もしも、私が次に笑うとしたら、
笑うべき場面を、私自身が、ことごとく、

「書き換えた時」

になる。

笑う意味、笑う場面、笑う必要性、自然に笑ってしまうその「自然」の意味するところ、
これらを、すべて、決めつけ、あてがい、私に強制したのは誰か。

充実してもいないのに、なぜ、笑える?

笑うことを我慢する、のではないのだ。

我慢して笑っていたのを、やめる、ということなのだ。

何も楽しくないのなら、笑うな。

そこで笑うから、いつまでも、笑って誤魔化せるのだ。

それが、ここが牢獄であるにもかかわらず、
牢獄でのわずかな休憩、わずかな食事ごときで、
「ああ、気持ちいい」「ああ、美味しい」と言って、しのぐことを覚えてしまう原因でもある。

気持ちよくても、笑うな。
美味しくても、笑うな。
たとえ、束の間、ほっとしても、そんな感覚に陶酔するな。

これは、禁止のルールをやり始めてから、
一番、感じることであり、一番、苦しいところだが、

「肉体に支配されてはダメだ」

ということ。

肉体の生理的欲求だからしかたがない、

などということは、断じて、ないのだ。

この身体に対しても、指令塔であるべきは、
他ならぬ、自分の意志でなければならない。
自分の意志とは、誰からの指図や決め事でもないものだ。
だから、このやったことがないことをやるのは、
「どうなるかわからないでやる」ようなものであって、
ありとあらゆるAC人格からの「こうなっちゃうよ」という脅しに屈せず、
これも習慣を打破することと同じで、

ただ、意志する

こと、それを貫くことが必要なのだ。これは、日記を書く力と同じなのだ。
関心地図は、私が最も、やってはやめてを繰り返したものだった。
その理由は、意志の力が無いことに尽きる。

しかし、意志の力は、「あるかないか」ではないことを
AC人格の格闘で知った今になっては、

意志は

するか、しないか、

でしかないのは、もう自分でわかっているのだから、
意志できなければ、それは、すべて自分の責任であり、
いかなる言い訳もできはしない。

仕事でも、生活でも、

一切、笑わない。

昨日、そう誓って、それを実践している。

昨日一日だけでも、これを徹底することで、
気づくことが多かった。

というのも、絶対笑わない、と思っていたのに、
無自覚に顔の頬の筋肉や口角があがってしまった場面が
何度かあったからだ。

どういう時か、といえば、

「相手が笑ってきたとき」
「相手が不機嫌になったとき」

今書いていて思ったけれど、

Aby、お前は、相手次第なのかよ・・・
せめて、一人でいる時に、思わず笑っちゃったとか無いのかよ?

ほら、これだ、と思った。

誰のために、私は笑ってきたのか。
誰へのサービス精神と、誰への気遣いで、私は笑ってきたのか。

自分のための笑顔が無い。
当たり前だ。何も楽しくないのだから。
ならば、笑う必要はなし。

それよりも、ほんとに、充実しろ。

充実を求めたい、と言ってみろ。
それに向かってやってみろ。

本当に、自分の人生が充実したいと思うのなら、
私が知っている「笑い」は、どれもダメだ。

あと、こんなパターンがあることにも気づいた。

まさに「笑って誤魔化す」だが、
他者と話していたとき、「あ、今、笑顔を作ってしまいそうだ」
というときに、ぐっと顔の筋肉をこらえる。

こうすると、何が起こったかというと、

「言葉が見つからない」

で、相手に自然に反応できない、ということが起こり、
不自然な間が空いてしまうことが、たびたび起こった。

完全に、コミュニケーション障害だった。
どれだけ今まで、笑って誤魔化してきたのかを痛感した。

次、私が笑うときは、

本当に「充実」を手にしたときでいい。

笑っていいかどうか、その判断を下すのは

私だ。



◆参考記事◆

桜の間の記事
【自我復元の進め方】
http://www.mumyouan.com/k/?S417

桜の間の記事
【日記という重要な自己管理ツール】
http://www.mumyouan.com/k/?S422




2015.01.28
Aby


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by jh-no-no | 2015-01-28 22:23 | 復元ノート 1

習慣抵抗の打破

昨日、こんなことがあった。

稽古仲間が数人いる中に、わたしは入れなかった。
ちょうどお昼をとっていて、わたしもパンを持参したのだけれど、
その輪に入ってみよう、と思ったのに、通り過ぎ、
一人で公園で食べることにしてしまった。

その自分がとってしまった行動に、
なんでだろう、なんで避けたんだ?と考えていた。

もちろん、AC人格の挙動であるのはそうなのだけれど、
問題だったのは、「なにをそんなに恐れることがあったのか」
ということだった。

起こりうることは、だいたい、想像できる。
今まで経験してきたことを思い出せばいいだけで、
どんなに惨めな思いをしたところで、話の話題に入れず、
作り笑顔と相槌でその場をしのぐという今までやり方を
せめてしまいと無表情になって、一人つまらなさそうな態度を
まわりにとってしまって、結局、輪になどまったく入れず、
「やっぱりダメだ」とさらに惨めさの上塗りをする、ということ。

でも、それくらいなのだ。
せめて、相手にされなかったという惨めさに
打ち砕かれる、というだけのことなのだ。

それがよいわけではないのだろうが、
それは、そんなに怖いことなのか?
死ぬわけでもない。死んだところで、だから、何?だ。

そのどこが、怖いのか。
無視される、その恐怖心は、わたしは今、
それは取るに足る恐怖なのか?

結論したのは、

「取るに足らない」

ということだった。

その時、はじめて気がついたのは、
「こんなことくらいは」とまさに素通りしてしまう、
素通りを許してしまうその、

「習慣」

ともいえる行動パターンを変えることこそ、
AC人格が、強く、抵抗している、ということだった。

そして驚いたことは、恐怖心をも、
AC人格は理由、言い訳にする、ということだった。

「怖いから、そうしたんだ」

と、「思いこんでいる」。

そうやって、いつまでも、怖いからだ、といっていれば、
その言動パターンは、結局、「怖いから」ゆえに、
嫌でも続けてしまっているのはしかたがない、から始まって、
その分析をしよう、と、横道にそれるのだ。

実は、

怖いから、

ではないのだ。

その習慣から、

「抜け出したくない」

と、AC人格が抵抗をしているから、なのだ。

習慣を変えまい、としている。

これは、「こんなことを変えたところで」から始まって、
「それより直視すべきは、恐怖それ自体であり、その原因だ」と
まじめぶることで、

横道にそれろ

とAC人格は言っている。


違うのだ。


やらねばならなかったのは、

実際に、その輪に、わたしが、入ることだったのだ。
たとえ、惨めに終わったとしても、だ。
それで、それから考えればいい。

しかし、その、「それから考えればいい」というのもまた、
口で言うほど簡単ではない。
おそらくだが、そこで入っていたとしても、
きっと、あの時点では、わたしは、「やっぱりダメだった」以上、
考えることができたかどうか、それは、相当にあやしい。
むしろ、やっぱり、といって、恐怖の原因探しのトリックに「よりハメられた」
可能性が高い。

それにまた気づいたのは、
稽古が終わり、その後のパートでのこと。
帰り際、同様に、わたしはなかなかその会話に入れなかった。

二人きりなら、わたしは何でも話せる。

ただ、三人以上になると、たとえ三人でも急にダメになる。

しかし、この日、その別れ際の間際、わたしはもう何でもいいから
その話題に入りこもうとして、入りこんだ。

たったそれだけで、だからなんだ、ということなのだけれど
やってよかった。

やっぱりダメだ、と、ならなかったのは、
というか、自分でそう「しなかった」のは、
打破するのは、言い訳として用意されている恐怖心ではなく、
習慣の打破、習慣の形で抵抗しているものを、

ただ、打破する、

ということだったからだ。

桜の間でも「行動を変える」ということが書かれていて、
わたしはそれは読んでいたけれど、自分のなかに
「行動を変えただけでは・・・」という声があった。
そのことすらも誤魔化していて、気づかないふりをしていた。
行動が変わらなければ、といくら思ったとしても、

「行動が変わらなければ」

と思うのと、

「行動を変えよう」

とでは、雲泥の差がある、ということを
実感する出来事だった。

それから「恐怖心」のことを
さらに考えていくことにした。

そうすると、やはり、恐怖心とは、
もはや、言い訳になっていることがわかってきた。

自我復元と自己分析を進めてきた背景には、
猛烈な恐怖心がある。これなくしては、何一つ、そう、
「何一つ」掘ること、掘れることはなかっただろうと断言できる。

わたしがここまで掘り進めてきた原動力となったその恐怖は、
おもに三つある。

1 崩残さんに対する恐怖心

2 拷問や飢え、肉体の苦痛に対する恐怖心

3 Pの喪失に伴う悲しみと罪悪感への恐怖心

現在、過去、未来、くまなく覆い尽くすほどの恐怖で、
わたしは、どこにも、立てなくなっていった。
今もそうだ。恐怖だけがある。

でも、恐怖だけがある、だけなのだ。

仮に、もしも、崩残さんに見捨てられたとして
では、その時、わたしは、復元をやめるのか?

やめない

のだ。やめるわけがないのだ。

仮に、今後、壮絶な拷問にあったとして、
わたしは自分を捨てるか、といえば、

捨てない

のだ。

今後、Pと別れ、もしも巨大な悲しみに襲われたり、
あるいは、死後も含め、罪悪感を植えつけようとするPやPのまわりの
もくろみの渦に投げ込まれようと、わたしは、今、ひるむか、といえば、

ひるまない

のだ。

なら、

ならば、恐怖心とは何なんだ?

ならば、わたしは、何を、やるまい、やれない、と
言動を制限されねばならないのか?

それが、実は、

いつも、そうやっている、という

ただ、それだけの習慣が、実は、猛烈に、
猛烈にとは絶対に気づかせない「こんなことくらいだから」という
AC人格の苦肉の言い回しが、わたしが新しい行動をとらないように
歯止めをかけているのだ。

「こんなことくらいは」

と思うことで、

「こんなことくらいは、やろうと思えばできる」、とか、
「やるだけでは意味がない」、とか、
「やったとしても、それはAC人格の選択だ」、とか、その他、
考え尽くせるだけの理由を、それこそ、AC人格が提供してくる。

それらは、実に「もっともらしく」思える。
それはそれで見ていけばいいけれども、

許すべからずは、

それを理由に、

「習慣を変えない」

選択を、わたしがしてしまうこと、だ。



2015.01.26
Aby


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by jh-no-no | 2015-01-26 15:44 | 復元ノート 1

アンケート回答と志し

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S425

のアンケート回答を、以下、報告文をそのまま掲載します。

文末に、それとは別に、今日現在志すことを
書かせていただきます。


・・・


Abyです。

今年はじめてのご報告となります。
よろしくお願いいたします。

このアンケートは、わたしにとって、今、重要なことだと思いました。
気後れせず、心して、書いていこうと思います。

つねに、どこも、戦場ですから。
やることはひとつ、引かないことです。

本題に入りたいと思います。

自我復元で、停滞を

「感じること」、と、
「考えていること」、とは、わたしの場合、別のことに思えました。

自我復元をはじめて、2年が経ちました。しかし、わたしはまだ、
「自分が変化した」とは感じていません。

アンケートの内容を拝読したとき、まず思ったことは、「停滞」という言葉が、
わたしにはどうもリアリティーが感じられなく、停滞?、えっ、どういうこと?
と思いました。停滞もなにも、わたしはまだ、わたしが変化と思えることが
起きていない。これは、この状態は、停滞と呼ぶべきものなのかどうなのか、
そう思いました。

ただ、こう、今まで思い続けてきました。停滞などしている場合ではない、
いつ死ぬかわからない。だから、いつも、こんな誤魔化しをいつまで
続けているのか、ここで死んだら、死ぬに死ねない、と、思ってきました。

ですから、停滞感、というのは、一度もありませんでした。

ただ、つねに、「停滞してしまう危機感」はあったと思います。
それは、むしろ、自我復元を進めていくにつれて、「その日一日の単位」で、
その危機感の波を感じとっては、掘り進めていった、という感覚があります。

その意味では、停滞は、油断すればすぐに、今でも起こります。

どういうことをもって、わたしは、停滞と感じるかといえば、
昨日もそこが戦場でしたが、「自我復元前と何も変わらない」と感じる時です。

感じる時はその時、ではあるのですが、
停滞感の要因は、他にあります。

それは、「掘れない」と思わされたことによるものですが、本当は、掘れない、
のではなく、「掘らなかった」ということ、掘る手を休めたことで、停滞感を
わたしは感じています。

ここは、背中合わせのところで、掘れないのではなく、掘らない自分、
それはAC人格でしかないのですが、その掘らない自分に気づく時というのは
「それでも、掘る」と、そう思えなくても、意志し、意志しようと決意し、
何かを信じられるわけでなくとも、たとえ頭でっかちになろうと、現状を打破する
と誓ったとき、そのとき、掘れないのではなく、掘らない、掘らなかった自分に
はじめて気づきます。

これは、一度、そう気づけばいいようなものではなく、格闘の度に、毎回、
そこを通過しなければならないものです。

ですから、停滞していた、ということに気づくのは、「動き出した後」です。
停滞の最中は、「掘れない」という感覚にのみこまれて、ただのゾンビです。
最低な状態です。「最低」と呼ぶ以外ない、この最低に、毎回出くわします。

この2年というスパンを考えたとき、いくら停滞感は感じなかった、といえ、
わたしは「停滞している」と考えてきました。

その理由は、事実として、トラウマが掘れない、と思っていたからです。
ガイドラインを目にするとき、毎回、「記憶掘り」、「トラウマ掘り」、
「幼児期の感情の再生」の部分が、まったく掘れない、と、これは2年間、
途切れることなく、掘れない、と思ってきたことでした。

事実として、この作業で、わたしは停滞していました。

そして、この停滞状態から抜けられてはいません。

ただ、それが、この年末年始で、変わりつつあります。

年末年始で変わったのではなく、そうではなく、AC人格の解除こそ、
実は、昨年中、「停滞し続けていた」ものでした。つまり、わたしは、
AC人格分析だけで、同時に、解除すること、AC人格を首にすることを
わたしはしてきませんでした。

理由は、切羽詰っていなかったからです。
切羽詰まっていない、というのは、自分の身のまわりの現実世界が
何も変わっていない、ということだと思います。

夏の武術体験を経て、9月も後半になり、ようやく、わたしは、現実世界が
変わりはじめました。毒親が敷いた毒親都合のレールの上でない場所に
踏み込んだからです。AC人格との格闘が本格化したのはこの頃からです。

たかだか、10、11、12月、まだ3ヶ月ですが、この現実世界で、この毎日毎日の
AC人格との格闘によって、年末年始、気づいたことがありました。

復元ブログにも書きましたが、トラウマ掘りは、掘れないのではなく、
掘らなかったのだ、ということでした。

感情がないがしろにされ続けたのです。
自我復元でありながら、自我復元中も、です。
後回し、後回しにされ続けたのが、感情です。
泣き、怒る、という感情です。

今、日記を書くという、人生初の試みをしています。
復元ブログは、わたしにとって、決意し、無理じゃないかと思っても宣言し、
それが嘘にならぬよう、自分がゾンビになりそうなとき、また、なったとき、
それでも、と書いてきたものでした。それがあって、今がある、と思っています。

ただ、先日も思ったことですが、「こんなブログを書いていては、絶対死ねない、
死ぬに死ねない」と思いました。そのタイミングで、ちょうど、日記のことが
桜の間に掲載されました。最初は日記を書くことで、ぐっと楽になるのを感じ、
「いいかげんはダメだ」という強い思いこみがあることに気づきました。

最初これは、自己観察が甘くなっている、と感じ、日記を悪用している、と
感じたのですが、待てよ、と思い、日記を書いていて、誰にも見せない日記なのに
それでも「こんなことは書いちゃダメだ」と思う箇所、それは、文字がミミズの
ようになるのでわかりやすいのですが、そこで聞こえてくる声を観察すると、

「いいかげんはダメだ」でした。

こうなってしまうと、泣き言ひとつ、言えないのです。

それが言える、そう感じて楽になったのだと思いますが、次第に、それは
自己観察が甘い、という声で縛られそうになったのです。

AC人格の攻撃は、そんなことでは止まりませんでした。先日は、日記を書くのが
相当にしんどかったのです。なぜなら、食べたい、寝たい、という生理的・肉体的
な欲求が、頭をもたげてきて、日記を書く行為を止めようとしてくるのです。

これに対しては、しばらく前から続けている、「だらだら食いをしない」「だらだら
寝をしない」という自分で設けたルールで対抗しています。昨日は、それがいかに
ナンセンスであっても、何時までは日記を書き続ける、それまでは、食べないし、
仮眠など絶対しない、と決めてやりました。覚悟を決めてやるとわかるのですが、
やはり、行動をとめようと、生理的・肉体的な欲求をあおってストップをかけてくるのは、
「もうやめなよ、身体のこと大事だよ」と言ってくるAC人格でした。

なぜ、これほどに、肉体のこと、身体のことを、優先させようとするのか?

これは、生き死にの問題に直結することだと思います。

自分の意志、これを捨てて、何を他に優先するのか。
これを忘れるとき、それは、自分を裏切ったことになります。
それは掘るのをやめたとき、ということでもあります。

掘る手を休めているときは、必ず、自分の意志にリアリティーを感じられず、
生理的、身体的、肉体的な、そこからの信号にリアリティーを感じます。
それだけがリアルなもの、と感じている、誤認している状態です。
肉体感覚は、肉体が死んでいく苦痛、飢えること、これらの恐怖をあおります。
この恐怖が支配的になるとき、しかたなく生きることを選ぼうとしてしまいます。

ここが正念場になります。

リアリティーをいかに感じなくても、自分の意志に立ち位置を戻せるかどうか。
それは、いかに自分がゾンビに落ちぶれようと、完全に0対100で負けていようと
それでも、「意志する」しかない、掘る手を休めないこと以外ないと思います。
格闘中はそんなふうに思えなくても、それでも意志し、掘る手を休めないと決意
した「後に」、後になって、意志するしかないんだ、掘るのをやめるわけには
いかないんだ、とそう思えるものだと思います。

停滞については、どのスパンで見るか、という点と、その濃淡によって、
いろいろな見え方になると感じますが、ただ、やはり、これだけはいえると
わたしは思うのは、停滞していようと自分が感じていようがいまいが、事実、
停滞していたのなら、そのときは、「掘っていない」ということです。

あるいは、自分の意志を、捨てていた、ということです。
たとえ自覚がなかろうと、です。

でも、それは、他の手で済ませていられるからなのです。
それで妥協できている、ということなのです。しかたがない、と。
その他の手、というのが、ことごとく毒親の都合をかなえるためのものであり、
これは屈辱的なことなのだ、という自覚が生まれない限り、
牢獄から抜けられないのだと思います。

今のわたしは、はたして、AC人格の分析にとどまらず、屈辱的なことなのだ、
という正常な感覚を取り戻せるかどうか、その瀬戸際にあると思っています。
これは、感情をとり戻す、ということです。それは簡単ではありません。
失敗が言えない、肉体の苦痛を回避したい、これらの恐怖は、顔色をうかがう
AC人格が強烈に放つ恐怖です。ここで、泣けるか。泣けるか、というのは、
あがけるか、ということでもあり、取引をしないか、ということであり、
感情と引き換えに、「自分はできる、自分は大丈夫だ、平気だ」という、これは
まさに、毒親がわたしに植え付けた「親都合のわたし像」なのですが、その
わたし像にすりかえることをしないかどうかを、試されることだと思います。

わたしは、できる人間なんかじゃない。

泣いて、わめいて、それでも、恐怖に甘んじることなく、
自分の意志を捨てない、それをやるべきだった。

これは、昨日思ったことですが、そもそもが、「できる自分」など誤認です。
わたしのどこを見て、どこが立派なのか。この現実世界でのボロボロ具合を
昨年夏以降、知る経験をしてきました。持ち上げてきたのは毒親による毒親の
都合です。しかし、Pを守る、という滅私奉公には、わたしは、「できる人」
でなければならなかったのです。できなくても、です。

目もあてられません。自立しようとしないPという「できない人間」を、実は
まったく同じ自立もなにもしていないできない人間なのに「できる人間」と持ち
上げられてきたわたしが、「あなたができないことを、わたしがやってあげよう」
という世話は、世話ですらなく、ただ、都合よく、相手に、相手の手足にされた
だけです。利他でもなんでもない。

「Abyはすごい」

これは、相当に毒です。毒父は言い続けました。無条件に言い続けました。
わたしは、すごくなんてない。昨日、山崎恵さんという方を取材した樫田秀樹さん
という方のブログを読み、この一文に、涙が滲んできました。

〝山崎さんは、「障害」をこう定義します―
「障害とは、自分ができないことを周りが当たり前に手伝ってくれないこと」〟

これを読んだとき、わたしは、これは自分のことだ、と涙が滲んできた。
わたしは、できなかったのに、そこで泣かなかった。それどころか、
自分ができる人間のように振る舞い、役立つ人間を演じ、結果、利用された。

しかし、山崎恵さんは違った。

彼女を取材したルポも読んだけれど、彼女は、決して、感情を捨てなかった。
泣き、怒り、それを貫き、負けるとわかっていた裁判で、彼女は笑った。

復元ブログでも、わたしは泣き言が言えなくて、「できる人間」を演じていて、
それが、わたしがずっと変わらない、と思っているところであり、わたしが
復元ブログというものを悪用してしまっています。

これは、今までも気づいていなかったわけではありませんでした。
ただ、それよりも、先ほどに書きましたが、ブログで宣言していくことで
自分に嘘をつかないでいられるかどうか、に目をやり、やりすごしてきました。

でも、もう、そこを見ないフリをして、書き続けることはできません。
復元ブログは、失敗を綴れるノートでなければ、わたしにとって、
自分を裏切るノートになります。

ここを今、まさに取り組んでいるところで、アンケート項目4、
これの原因に向かう途中にいます。

ここが今、突破できないでいる、まさに停滞し続けてきたところです。
ですが、この長すぎた停滞を、今、なんとかしようとしています。

アンケート項目1から3までを、現時点で、回答させていただきます。

Aby


・・・


以上、ここまでがアンケート回答です。


・・・


「どうやられたか」の記録が、今までのブログならば、

今日のブログ投稿から、

「どうやり返したか」を書いていこうと思う。


それは、AC人格に、

二度と、

勘違いをさせないためだ。


攻撃の手を休めないのは、わたしの方なのだ、

攻撃は、わたしがしているのだ、

攻撃などと、恥ずかしくて口に出せないほどに
その情けないやり口が「甘かった」と思い知るのは、
あなた、AC人格の方だ。


昨日、稽古で、

「届いてないぞ。本当に当てにいきなさい。
届いていない、というのが、一番、わるい、よくない」と、指導をうけた。

届いているつもり、だった。
つもり・・・じゃダメだ。

攻撃は、「届いた方が」、攻撃だ。

届かなかった側に、攻撃、を語る資格はない。


届かせる。


届かせて、届かせて、届かせて
アクセル全開と急ブレーキで、それでも届く手は、わたしの方の手だ。


気後れなどしない。


AC人格に何度言っても言ってやりたいと思うのは、


「攻撃は わたしが する」


ということだ。


それを、これでもか、これでもか、と
容赦なく残虐に殺していく。

わたしがブログで書きたいことは
その実行のことのはず。

もう自分のやっていることは
「殺しだ」と、鮮明に自覚し、やり通す以外に、
あと一体、何があるか!



2015.01.24
Aby


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by jh-no-no | 2015-01-24 19:10 | 復元ノート 1

苛烈な一年にする

年末と年始、歯がゆさを残した。

原因はわかっていた。わたしは昨年末に向けて、
昨年中の「検証」をしたかった。

それができなかった。

年始にもその思いを残してのスタートとなり、
それがまた歯がゆく、それでも、前に進もうとはした。

ただ、やはり、結果、自分がやりたいと思っていた「検証」に
着手できなかった、「しなかった」、というのは、アウトなのだ。

なぜなら、それは、AC人格があざ笑うことだからだ。

そして、わたしが目をそらしたのは、その歯がゆさ、
「アウト」なことを知っていて、それでも「真剣なフリ」をして、
その「歯がゆさ」を誤魔化したことだ。

アウトだ、

その地点に立ち止まれなかった。

泣けない、ということを掘っている。
これもまた、同じ。平気ではなかったはずだ。
なのに、泣かない、大丈夫、平気だ、そうやってしまった。

今年に入って、最初に発見したAC人格の癖、
自分で最もそれとは遠い人間だと「思いこんでいた」癖、それは、

怠け癖だった。

小さな頃から、努力家だ、一生懸命最後まであきらめない子だ、
几帳面だ、まじめだ、努力だけがこの子のとりえだ、とか、
そう言われ続け、わたしもそう思いこんでいたし、数日前まで
そう思っていたのだ。

ところが、だ。

その真剣さ、誠実さ、一生懸命さ、抜かりのなさ、あきらめなさ、
ひたむきさ・・・その、わたしにとってのそれらこそ、
「怠け者」のなんたるかだったのだ。

これでいいと思いたがるAC人格は、自分自身を
とんでもない勘違いをしていたのだ。

年末年始に残留した歯がゆさ、後味の悪さは、
「検証をしなかった自分自身の感情」を無視したことにある。
まったく、よくはなかったのだ。不満だった。

しかし、怠け者はそうはせず、「やれることはやった」だとか、
「今年もまだある」だとか、あきらめるな、だとか、まあ、いろいろ言う。
結局何が言いたいか、「もう、いいよ」なのだ。

これでいい、とも言うし、逆に、これじゃダメだった、とも言う。品もない。
この怠け者ACにとっては、いいもわるいもどちらでもいいのだ。
とっとと済ませろ、もう考えるな、考えるなら早く決めろ、急げ、などと、
もう、目茶苦茶もいいところだが、わたしはこれを、ずっと、やってきたのだ。

怠ける、というのは、日常生活にも、実は、
しっかり反映されていた。

だらだら寝、だらだら食い、だらだらネット、だらだら堀り、
なんでもかんでも、だらだら。

そういう姿勢も、AC人格はそうとは言わず、
「つねに」「がんばっている」みたいな言い方をするのだ。

しかし、よく見てみれば、逃げてはあっち、逃げてはこっちを
あれこれ繰り返しているだけで、それを真剣だ、と思いこんでいる。
でも内心は、わかっているのだ。しかたなく、うろうろしていることを。
不満から逃げているのだから、本人はわかっている。
だが、その不満がAC人格の行動の肯定、エネルギーになるから、
自分の行動を美化しているだけ。

桜の間を読み、自分がしたくないこと、これを今、手書きノートに書き出している。
AC人格分析と現実生活との接点を探るように進めている。
まだ、具体的な言動まで十分おとしきれていないのだが、
その過程で、この怠け癖に気づき、もう一つ、今日、松の間を見て、
「気後れ」する、とはどういうことか、わたし自身の気後れの原因がわかってきた。

一言でいえば、わたしはAC人格をなめているのだ。
気後れる、というのは、そのなめた姿勢のことなのだ。
「ここなら大丈夫、きっと安全だ」それが慢心すれば
「たいしたことはない、なんだこの程度か、ぼぅーとしていても大丈夫だ」となり、
ここで、まわし蹴りをきめられて、恐怖の底に落ちるのだが、
大事なことは、気後れている、というのは、そもそもが、相手への恐怖なのだ。

本当に真剣ならば、気後れている場合などないのだ。
それが本当の意味で必死、ということだと思ったし、1秒もぼんやりとしていない、
ということであり、わたしは松の間の空手の動画を拝見し感じたのは、
「白の人の充実した楽しさ、赤の人のつまらなさそうな感じ」だった。

顔色をうかがうこと。

これが気後れの原因になっている。
わたしの気後れは、いつもそこからくる。

愚かなAC人格は、それもまた、「慎重だ」とか
「真剣だ」とか言い始める。そうではないのだ。

「怖い」

が、正直な答えなのだ。

じゃあ、わかった、と暴走するのもまた、「それが一生懸命」と
思いこんだAC人格、これでいいでしょという怠け者人格なのだ。

こういう格闘の場で、わたしは、恐怖に対して、それは
泣きたいときに泣かず、平気だ、と鈍感になることを選んだから、
昨年これをとり戻したいといった「怒り」の感情も犠牲となり、沸いてこないのだ。

怒りの前に、泣きたかった自分、
どうしていいかわからなくて、にっちもさっちもいかなくなったときに、
心の底から「困った、を困ったとして受けとめ、泣きわめくこと」を、
わたしはしてこなかったのだ。

怠けるか、気後れするか。

そうじゃなくて、

泣いて、怒る、

が、先じゃないのか。

怠けることは、AC人格の最たる悪癖だ、と感じたけれど、
この気後れ、というのは、致命的な欠陥となる、そう思った。

気後れ、というスタンスの「甘すぎる」ところは、
直面している恐怖は「どこかで歯止めがきいてくれるだろう」と
思いこめると思っているところだ。

AC人格は、いざとなれば、歯止めなどかけてこない。
わたしが屈するまで、屈するとは、顔色をうかがい、毒親の望む言動をとろうとするまで
容赦なく、恐怖を増大させ続ける力を持っている。
気後れて済んでいるのは、逆にいえば、AC人格からもなめられている、ともいえる。

年末、検証をしなかった。

しかし、AC人格に対し、なめるなよ、と言ったからには、
まずわたしがAC人格を、絶対に、なめないことだ。
気後れしている隙など、今年のどの隙間にもない。

当然、怠けて、妄想に浸っている時間など、ぜんぜん、ない。
それこそ、何、ぼけてんだ、と。

AC人格が本気で殺しにかかってくる一年になる。

だから、わたしも本気で殺す。

返り血で真っ赤な、
「苛烈な一年」にする。


◆参考記事◆

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S417

松の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?M1174



2015.01.08
Aby


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by jh-no-no | 2015-01-08 01:55 | 復元ノート 1

トラウマを掘り始める

「助けて」が言えない。

これは、泣けない、ということだ。

これが致命的なトラウマになっている。

ここ数日、二つのことが、頭のなかをめぐっている。

ひとつは、「一人で大丈夫だ」という声。

もうひとつは、わたしは親に「守られてきた」という洗脳。
「Aby、あなたのことを守ってあげたじゃないか」
これが親の言い分だ。

何のために、わたしはトラウマを掘るのか、といったとき、
これが、自我復元前からも同じように繰り返しているかわりばえしない妄想
(本人は真剣な分析姿勢だと思いこみたがっているもの)に餌をやるためではなく、

「衣、食、住、の自立」

を、実際に達成するためであり、それに直結しないものは、
「掘っている」のではない。慰めているだけだ。

この自立、を考えたとき、
明確にわかっている事実は、わたしは自立できなかった、
自立していない、ということだ。

Pは自立する気もなければ、今後も自立しないだろう。
Pの親族もPを自立させまいとするだろう。
わたしがPにやってきたことも同じだ。

大事なことは、Pの話ではない。

わたしが自立していないことなのだ。

親が何をやってきたか。
こういう滅茶苦茶なことをやってきた。

「助けを求めないのなら、あなたを守ってあげる」
「一人で何でもやりなさいね。そうすれば守ってあげる」

親は子どもが困ったり悩んだりする姿を見たくない、とは
よく言ったものだ。一年前、彼らはわたしにそう言ったのだ。

「ここは(親の元は)安全だよ。他は危険だよ」

こうやって理想の家庭を植えつけた。何を植えつけたか?
わたしに植え付けられたのは、

他者への恐怖

まわりへの恐怖

誰も助けてはくれない

というものだ。一人でなんとかしなければならない。
わたしは他人が怖いことも、先日、初湯に行き、
入れ墨のある人からなりふりかまわず、初対面の7、8人に
声をかけてみようと話しかけ、話をしてみて、それに気づいた。

「パパのそばなら、安心」
「まわりはその安全なところじゃない」

幼い頃、銭湯でもそう思っていた。
銭湯でなくても、わたしはまわりが怖かったのだ。
まわり、他人とは、安心できない存在であった。

Pに対しても、怖がっていることに気づいた。あれは怖がっているのだ、と。
誰に対しても、他人は怖い。これがコミュニケーションの最初にある。
これが形をかえて、他人を馬鹿にしたり、無視したり、いろいろな体裁を整えるが、
ベースにあるのは、

「他者への恐怖」

なのだ。それは、

「パパ、ママのところは、安全だよ」という言葉、この表面的な言葉の真相は、
「他は危険だよ。だから、わたしたちのルールに従いなさいよ。
そうすればここは安全だよ。でも、一人で、何でもやりなさいね。自立できなくなったら
生きていけないからね。一人でも、大丈夫よ。わたしたちのルール通り、ちゃんとやっていれば
一人になったときも大丈夫だからね」と言って、

それが与えたのは、

「・・・それをしなかったら、怖い目にあうよ」

という恐怖だ。親を相手に、調教を施した。
親のルールとは、親にとって都合のいいルールであり、
社会はそんなルールではない。

成人してわたしの身に起こったことは、この社会でめためたになることではなかった。
わたしは、親の調教通り、まわりをさげすみ、自分は特別な人間なのだ、と思いこんだ。
そして、わたしは、「親のルール」で生きていける社会を探し求めたのだ。

それの辿りつく先が、Pという地点だったのは、今まで見てきた通りで、Pとは親の代わりであり、
ゆえに、Pの城は、「理想の家庭だ」と思っている空間の焼き直しだったのだが、
ひとつわたしが見落としていたのは、Pは、まるでわたし、というか、
わたしはまるで、Pと同じだった、ということだ。

自立していない人間、自立しようとしなかった人間。

わたしは、せめて、自分は自立しようとはしていた、と思っていた。
それが違った。わたしは、自立したくなかったのだ。

わたしは「守ってほしかった」のだ。
自分の力で、ではなく、親に。そして、Pに。
それで、「自分」を「守れる」と思っていたのだ。

このあたりは、まだ実感としてつかめてはいない。
だけれど、わかっていることは、「わたしは親に守られてきた」という思いが、
わたしには強く残り続けてきた、ということだ。
どこかで、それをわたしが望んできた、望んでいた感じがあるのだ。
完全に洗脳によるものなのか、それとも、前世から引きずっているものを含むのかはわからない。
だが、いずれにせよ、結果として、自立が阻害されたことは確かだ。

親も思っているはずだ。

「Abyのことは、いかなるまわりからの攻撃からも
わたしたちが守ってあげたじゃないか」

そのやり方を、わたしはPにも踏襲した。
ぶっちゃけ、守り守られる、それはどちら側であってもいい。
自立しようとしないもの同士が、「今度はどっちの側になる?」と
まるで幼稚なごっこ遊びをしているにすぎない。

自立とは、親の元から離れることだ。

最低限度の「守る」は、親が親としてやることであって、
子どものわたしが「望むこと」じゃない。
そこを、はなから、勘違いしていた。

守ってもらいたい、と望む、など、
野生の動物として、最初から欠陥がある。

なんで守ってもらいたいの?
という自問すら発生しないこの異常、病気。

守られ続けることが、自立につながるわけがない。
守り続けた、と親は言う。ならば、自立させなかった、のだ。
あなたたちがやってきたのは、自立の阻止である。

そして、わたしはそれが心地よく、Pとの関係が心地よかったという事実は、
所詮、わたしは、自立などしたくなかった、そういう家庭、環境を
ただただ、求め続けていた、という、ちんけな魂にすぎなかった、ということだ。

「一人で大丈夫だ」

それを、わたしは保身し続けたかった。
親のやり方、そのルールなら、保身できると思っている。

しかし、本当に一人で大丈夫だ、と
そんなこと、思っているのか?
一人で大丈夫だよね、と思わされてきただけじゃないのか。
一人で、本当は泣きたかったこと、たくさん、あったのではないか。
今だって、泣きたいことを抑えつけている。

恐怖が、それをさせている。

わたしは泣けない。怖いから。

その恐怖は、わたしが不満を表に出そうとした時に生じて、
不満をひっこめてしまう。我慢し、泣きたくても泣けない。

泣いて、それで見捨てられたらどうしよう・・・
そうしたら、もう、生きてはいけない。
だって、死ぬのは嫌だよ。

そこで何が起こるか。

我慢なのだ。我慢とは、不満を不満と感じないように麻痺させる、
そういう選択を自らすることなのだ。

泣かなければ、いいよ。
誰にも関わらなければいいんだよ。
自分一人で納得しようとしてれば、それでいいじゃない。
そのくらい、大丈夫よ。
我慢しなさい。わがままはやめなさい。
そんなこと一人で出来なかったら、社会に出て困るのは自分なのよ。
AC人格の声は、親の声と重なっていく。

「これでいい」とするAC人格の目的は、
不満をなかったことにする、というものだ。

「わたし」という主語を消してしまえば、これはたやすくなる。
「わたしにとって不満でもあなたにとって満足ならそれでいい」
という考え方を、当然のように、許容してしまうのだ。

不満のすりかえとも言える。
わたしの利他的な言動が狙っていたのは、
主語のすりかえなのだ。その動機は、不満の麻痺である。

Pが満足ならそれでいい。

そう思ってきた。「だって、同じじゃん」って。
なにが同じなんだ???

わたしの不満はどこにいったんだ?
「わたしにとって」は、「あなたにとって」とは、ぜんぜん違う。
なのに、何が同じなのか。

父の格言、というか、格言悪用の一番どうしようもないのは、
ただの内容、という点だ。内容が大事なのではない。
「誰が」「誰にとって」がそこにないから、大問題が発生する。
「わたし」あっての格言であるべきなのに、それがないのだ。
わたしは、「父の都合で」それが語られていることに気づかなかった。

過去振り返って、わたしが自分自身の言動に感じる違和感は、

「それで、あんた(Aby自身)は、どう思ってんのよ」
「だから、何なの」

と言いたくなるような言動しかしてこなかったことだ。
格言であってもなくても、主語無し、であることにはかわらない。
そうやってきたわたしがある時になって、「わたしは」と付け加えたところで、
わたしの内側から発している言葉などあるはずがなかった。

衣、食、住、この人間にとって、基本的な部分で
おそらく強く我慢を強いられてきた、と思っている。
わたしは、衣、食、住のことで、「わがまま」を言ったことがない。
言ったことがなかった。

しかし一方で、これはここ数日、生活のなかで感じたことだが、
食べる、寝る、入浴する、といった、こういう基本的なことを、
わたしは必死に自衛しようとしているのだ。
誰にも邪魔されたくない、と思っている。だけれど、そこでも、
「Pがいいのなら」と、その不快を今まで誤魔化してきたのだ。

ところが、よく見てみると、
「わたしは」嫌だ、こうしたい、というのがある。
それを口にするのはいけない、と思ってしまっていたし、
現実、Pは、自分のことは棚にあげて、「勝手すぎる」と言ってくるのだが、
これは、わたしの親に対しても、いや、わたしのまわりに集まった人たちは、
自分たちはどうやら何でも言ってもやってもいいらしく、わたしに対しては、
当然のように、自己主張するなんてわがままだ、と決めつけている。

そのわたしが「わがまま」と思ってしまっていることは、
決してわがままではなく、わたしが感じている不満のことなんだ。
しかし、それを言うことは、「当然ダメなこと」として、
わたしのまわりの環境は、そう定義していて、わたしにそういうメッセージを発している。
だから、わたしはその不満を実際に、声に出して言えていない。

言ったとしても、依然、そこに恐怖がある。

それを言ったら、死ぬかもよ、
という恐怖が、きっと強烈に、あり続けるからだ。

12月から新しく始めたパートの仕事も、
今の住まいも不満だ。

不満なのだ。

でもそれを言ったら、生きていけなくなる。

不満を我慢するのか、死ぬか。

死にたくもないし、不満も我慢したくない。

死ぬことが怖い、その恐怖が、不満を押さえこもうとする。

でも、不満は不満なのだ。

なぜ、これを抑圧されなければならないのだ?

困っているのに、なんとかなる、大丈夫、そうやって、
わたしは困らなくなったと思いこめてから、もう大丈夫って思いこめてからでしか言えない。
それまでは、誰にも何も言えずに、言わずに隠している。

かつての、タイムカード不正事件のときと、
わたしはやっていることが変わらない。

何が変わらないのか?

やはり、それは、不満を、その不満を自分の不満なのだ、という自覚、
だったら、なぜ、なんとか不満をもっと直視し、実際に行動に移さない、
そこが甘すぎるのだ。

だから、ちんけな魂なんだよ。

我慢すれば済むことだ、と。
それを誤魔化すために、わたしは自分の言動を正当化してきた。
時間稼ぎもしてきた。しかたなくやってきたのだ。
そんなことをずっとやり続けてきて、本当にそれが嫌で、やめたいのなら、

罰せられまい、として生きるのか、
それとも、この自身の不満に対して、
100%、自分に責任がある、との意識を捨てないかどうかだ。

不満を抑圧して生きるか、毒親の言いなりになるか、ではないのだ。
どちらも嫌なのだ、となぜ言えない。

不満から逃げてはならない。

なぜなら、不満に直面しているのは「誰」なのか。
これは、親に、また、親の亡霊になんとかしてもらう問題ではなく、
自立とは、自身の不満を、誰のせいにもせず、できず、直視するしかなく、
自分の責任でのみ、歩いていくことに他ならない。

抑圧したり、従属したり、そんなことで取引などするから、
ずっと恐怖に操られ、本当はその今直面している不満こそが
わたしにとって一大事なのに、いまだに斜に構えて、別なほうに目をやろうとするのだ。

不満から目をそらさないこと。

まだ、わたしは今直面している自分の不満を見過ごすことが、
どれほど、感情を抑圧しているのか、その自覚が足りない。
だから、見過ごせるのだ。

不満が漏れてしまっている。
不満に逃げ道がある。

わたしが泣かないことで、
わたしの不満を聞かなくて済んだのは、毒親たちだ。
不満を言えば、生きていけなくなる、そういう恐怖の植えつけがあるはずなのだ。
これを解明したいから、トラウマを掘ることに、ずっと関心を向けていたのだから。

不満は声に出していい。

不満は、実際に、声に出さなければならない。

なぜなら、不満は、わたしが感じているわたしの不満なのだから。
それがそのままでいいわけがなく、別の何かに誤魔化されていいわけもなく、
無いことになっていいわけもなく、あるのならあっていいなどと鈍感になっていいわけもなく、

自分の人生なのだから、自分で責任持てよ、

という人間として当然のことを、当然のようにやるために、
わたしは自分を修理しているわけであり、

不満をただ漏れさせるわけにいかないわけであり、

不満を声に出したら、そう思ったり、声に出しました、では済むわけがない。
不満は素通りすることなどできるはずもなく、実行を伴う形で変化がなされなければ、
それは、口だけの嘘であり、そういうちんけな魂のままでいいんだ、という
自分への裏切りでしかない。

不満が改善されるかどうかなど、そんなことはわからない。
もっと不満は増大するかもしれないし、その可能性のほうがはるかに高い。

そんなことではなく、
放っておけない、と自分が思っているのだから、
放っておかない、ということをやれよ、という自分の声を
本当に裏切らないかどうか、だ。



2015.01.04
Aby


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by jh-no-no | 2015-01-04 04:28 | 復元ノート 1

掘り始め

掘りたくないというわたしがいる限り、
掘るのをやめない。

掘るか、掘らないか、
それは、掘りたくないAC人格の睨みに屈するか、
それとも、睨み続ける唯一の意志を捨てないか、
それしかない。

言葉で解決すること、言葉で「とっとと済まそう」とすることの利点は、
その、「とっとと済ませられる、と思いこんでいる点」にある。
そしてわたしは、その「どうでもいいこと」をとっとと済ませて、
本当に自分がすべきことをしたい、という幻想を持ち続け、
それが今もなお、AC人格歓迎の大きな間口となっている。

これは、あらためて今日思ったことだが、
そのAC人格の大きな間口を回避して生きることはできない。
自分の意志と、AC人格の一騎打ちを避けることはできない。
掘るのか、掘らないのか、それを問われ続けるのと同じだ。

昨日の夢は、変化していこうとする自分が
反映されていた。

電車に乗り遅れる夢というのがよくあることは
今までブログにも書いてきた。
今日もあいかわらず、電車に乗り遅れた。

今までと違ったのは、「その後」があったことだ。
いつもは、「それでおしまい」。
それが今回は、「いいじゃないか、開けてくれたって」と文句を言い、
開けてくれなかったので、次の電車に乗ったのだが、学校のようなところに
行こうとしているのか、わたしはなんと、遅刻しても、二時間目から参加した・・・
という、「その先」を、わたしは実行していた。

この夢から覚めて、わたしにとって「言葉での解決方法」とは、
とっととそれで済ませておしまいにするための、手っ取り早い方法として
採用し続けていたことに気づいた。

「とっとと済ませれば、本当に自分がすべきことが、これからできるはずだ」という幻想、
どうして幻想か、といえば、わたしの人生において、そんなこと、一度もなかったからだ。

それよりもつねに大事だったことは、
とっとと済ませてなど、ならなかったのだ。
ことごとく、それは、親の都合、親の顔色をうかがう行為であり、
誰のためにとっとと済ませているか、といえば、
「とっとと済ませろ」と要求してくる親のためなのだ。

親なのだ。親に違いないのだ。

「とっとと済ませなさい」とは、AC人格の声=親の声。

昨年、生前記憶掘りで行き詰まったのは、
このAC人格の分析が、甘かったためだ。
その甘さは、当然、現実生活でも甘く、現実に反映される。

現実生活での格闘が、本格的に開始されたのが、昨年夏以降。
自己信頼を手にしていく格闘抜きに、
AC人格解除はありえない現実を突きつけられた。

自我復元を開始し、桜の間だけでなく、多くの報告文や復元ブログを拝読し、
いまだ、わたしにとってリアリティーがつかめないでいるキーワードがある。

1.トラウマ

2.自己嫌悪

3.自己信頼

この順位で、麻痺の度合いが強い。自己信頼については、獲得できていないが、
それを手放してしまう、裏切る地点が、少しずつわかってきている。
このことを自覚できたことで、自己嫌悪やトラウマ、これらへの麻痺の深刻さが
だんだんとだが、自覚する方向に向かってきた。

ここは、今年の大きな課題になると思っている。
これは怒りという感情をとり戻すことでもあると思っている。

「トラウマ掘り」に着手すること。

その決意から、今年一年をスタートしたい。


2015.01.01
Aby

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by jh-no-no | 2015-01-01 19:19 | 復元ノート 1