<   2014年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

しかたがない、という不快

「アニキ」と父は、若い働き手からも好かれていた、という話。
これに関して、思い出したことがある。

この若い働き手たちは、たしか父の話によれば(わたしの記憶では)、
I商店(父の家系を中心とした家業で、父はここでおじろくのように働いていた)を
「追い出された」、といったようなことを言っていたのを、ぼんやり思い出した。

そこで、父の「いい人はみんな辞めさせられちゃう」という発言に繋がってくる。
なぜ辞めることになったのか、という原因については、たしか、
「お兄ちゃん(父の兄)に逆らうと」と言っていたような気がする。

このI商店は、父の兄が表向き経営の中心を担っている。
もちろん、父の父親が社長だったわけだけれど、それこそ表向きで、
最大のボスは、父の母親(おばあちゃん)だ。

その母親の言いなりになっているのが、「父の兄」だった。
共依存の関係になっているから、たとえば店のことに関しては、
父の母親は、父の兄が「こうしたい」と言えば、「わかった」というような関係にあった。

だから、父の兄に逆らう、はむかう、というのは、
このI商店ではやっていけない、クビ覚悟でやらねばならない、
そういうことだったのではないかと思う。


父にとって、それはどういうことを意味するか。

辞めさせられていった人間、
これが見せしめだったのではないか。


父は、もちろん兄弟でもあるから、何度か、そのお兄ちゃんと衝突したのも
わたしは目にしたことがある。ただ、それは、子どものわたしから見ても、
子どものじゃれあいの喧嘩としか見えず、わずか時間が経てば、
気がすんでしまう、そんなものだった。
いわゆる、父が、他者を血祭りにあげるのとは、まったく形相が違う。
「なんでわかってくんないんだよ、お兄ちゃん!」と叫んでいるようにしか見えなかった。


父はお兄ちゃんにずっと逆らえなかった。
店の愚痴を父が言う場合、必ずその「お兄ちゃん」が登場して、
陰で「兄貴が悪いんだ」という言い方をしていた。

だから子どもの頃はわからなかったのだけれど、
そうでなく、父が恐れていたのは、兄でなく、その裏にいた母親だった。
兄に逆らえない。なぜか、それはイコール、「母親に捨てられること」と同じだから。

ずっと父は、母親の顔色をうかがっていた。
しかし、その母親は、父に対して、おそらく「罰」を与えたことがない。
むしろ、言葉の上では「お兄ちゃんと差別したことなんてないよ。
この子は何いつもひねくれているんだか(笑)」と言っていて、
子どもだったわたしから見ても、このおばあちゃんが、パパに対して
嫌がらせをするなど想像もできなかったし、パパの被害妄想じゃないか、と
子どもながらに思ったことがある。


I商店は、こういう権力構造にあった。


社長は父の父親でいつもニコニコしているが、
I商店のみならず、商店街の人々、みんながおかあさん、おかあさんといって、
とりあえず、父の母親(おばあちゃん)の顔色をうかがっている。
今だから「顔色をうかがっている」と思うわけだけれど、子どものわたしは
「みんなに愛されているおばあちゃん」としか見えなかった。
実際、いつもやさしく、ニコニコしていた。
(ただ、今思うと、それはいつ豹変するかわからない、そういう緊迫感を
持っていたように思うが、わたしにとっては、父も同じように笑うし、父の兄も
同じように笑うから、そういうものだと思っていたのかもしれない。)

ここからは子どもが見えないところで起こっていたことだが、
どうもわたしの父と「仲良くしている人」は、消えていく、ようなのだ。
ここは想像だが、父の兄は、それが気に食わなかったのではないか。
おそらく父の兄は、いろいろ理由をつけては、辞めさせようと画策する、という流れ。
なんとなく想像できるのは、K先生と同じやり方だからだ。

兄ににらまれたら、最後、兄の決断は、きっと、父の母親は
まず否定しなかったと思われる。
それは自分の目でみたわけではないけど、子どもの目から見ても、
おばあちゃんが、「父の兄に言いなり」なのは、見ていて伝わってきた。


父にとっては、父の兄が
「血祭りを見せつける役」だったのではないか?


若い働き手がどんどん辞めて(辞めさせられて)いくのを
何度も何度も見せつけられて、いつ、今度は自分が捨てられるのか、
母親から捨てられるのを、恐れていたに違いない。

I商店から離れたくない、お母さんから離れたくない、父はその一心だった。
わたしの母は、こういう父の姿が、嫌で嫌でしかたがなかった。
なんで自分の家族より、お母さん、お母さんなんだ、と。


今、書きながら思い出したことがある。
こんな話も父はしていた。

「若い働き手からよく言われたよ。アニキがこの店出て行くなら、
オレ、どこまでもアニキについていくよ。だから、こんな店出ようよ。
アニキならどこでも絶対できるんだからさ・・・って、みっんなに、言われたんだ」

人望があるんだぞ、ということを子どもに自慢したかったのだと思うが、
そばでこの話をきいている母はいつも、

「なのに、このひと、絶対出ないのよ。あれだけみんなが言っても。
I商店、I商店って、あきれちゃうよ、ほんと」

と言っていた。

支店を出す出さないだの、そういう話もあったらしいが、
結局ふたをあけてみれば、父の頭には、このI商店を出る、という選択はなかった(と思う)。
おじろくとして働いているような身分だったから父も不満はたくさんあったのだろう。
兄ばかりひいきされて、自分が評価されていない、その不満はたくさんあったと思う。
その愚痴をまわりの若い働き手もききながら、いざ、独立しようよ、アニキ、となっても
その土壇場で、父は、他でもそうだが、あれだけ演じておいて最後の最後、
尻込みするのだ。これは別の場面でも、しばしばだった。


結局は、兄と仲直りし、
「お母さん」の元に戻った。


なんだかんだいっても、そこが居心地がよく、
そもそも、このおとしどころを「決めて」いた、としか思えない。
おそらく、これは想像だけれど、まわりの若い働き手は、その時点では
もうひくにひけない状態になっていたのだと思う。毎回。
それで、辞める(辞めさせられる)のは、若い働き手だけだった、ということ。


・・・


この記憶を思い出したのには、きっかけがあった。

わたしのなかで、「こわい」という気持ちが生じたとき、
その出口として「しかたがない」というものを、
どうやらいつも用意していることに気づいた。

自分で舵がとれていない、と感じるとき、
そこには、必ず、この「しかたがない」という不快感がある。
いやいややっている不快感がある。

何がしかたがないのか?

こわいから、しかたがない、となるのだ。

スタートに「こわい」があって、最初の時点で、
ゴールを「しかたがない」に設定する。

まっとうなことを考えているようにその時は思えても、
このスタートとゴールが決まった迷路の道筋を、もっともらしく
書いているだけじゃないか・・・と気づく。

しかたがないから、やる。

その「やる」あるいは「やらない」ことの言い訳や理由を
なんとか必死に捏造しようとする。

「こわいから、〇〇をする(しない)んだ。
だってしかたがないじゃない、△△なんだから」と。

強迫感のようなものだけが推進力となっていて、
当然だけれど、このとき、自分がまったく舵がとれていない違和感がある。
違和感というより不快感なのだけれど、不快だ、ということを認めたくないから、
あれこれ、理由を探すのだ。


「だから」しかたがない、と。


みわたせば、この「しかたがない」地雷でいっぱいだった。


それで、この「しかたがない」ってなんだ、と考えていたとき、
父のあり方、それ自体を思った。

一言でいうのは乱暴だけれど、父のイメージは
「しかたがない」これだけで出来ているような人だった。


なんでも最後は「しかたがない」。


途中は美しいことを言う。格言や名言なんでも言う。
「ここまでって線をひいたら、人間おしまい。可能性は無限!」
為せばなるだの、心頭滅却すればだの、なんでも言う。

だけれど、最後の最後、父が言うことは
「しょーがない」「しかたがない」となる。

だんだん話していることも矛盾だらけになるから、話している父本人も、
「しょーがないっちゃあ、しょーがないし、しょーがなくないっちゃあ、しょーがなくない」と
なんだかわからないことを言って笑って誤魔化すのが常だった。


それを思い出したとき、
なにが、父にとってしかたがなかったのか?
と考えてみた。


よく言っていたフレーズは、

「生きていくためには、しょーがない」
「父親になっちゃったんだから、しかたない」
「好きで生まれてきたわけじゃないけど、生まれちゃったんだからしょうーがない」
「仕事だから、しょーがない」
「店があるんだから、しかたがないだろ」


何がしょーがないんだ?と考えたときに、
これはもしかしたら、

「(自分の)母親に捨てられないためには、こうするよりしかたがないだろ」

ということなのではないか、と思った。
それで出てきたのが、先ほどの記憶。


いかにも、自分の子どもや妻のことを考えているように見せて
実は、父は、母親の顔色でいっぱいだったのだ。いつも。

その「しかたがない」理由は、いろいろとってつけるのだけれど、
元をたどっていくと、「母親の顔色をうかがいながら生きていくためには、
こうするよりしかたがない」という理由ばかりなのだ。

だから、店からも出られない。
I商店を自分は守るんだ、誇りの店だからだ、と子どもには自慢をしていた。
わたしはそれをきいて育った。店を守る、その忠誠心がいかに素晴らしいかを。


だけれど、違うじゃない。


お母さんのそばにいたかった、そして、いつか、
ボクを見てほしい、お兄ちゃんだけじゃなく、ボクもよくやっている、
がんばっているって、言ってほしい、ねえ、見てよ・・・

これをずっとやってきただけじゃないか。


父が恐れていたのは、母親の顔色だ。


こわい、こわい、って。それで何もかも、しかたがない、
だってこわいんだから、こうするしか、しょーがないじゃん、と。


この父のやり方が、わたしにそっくり、コピーされていた。


こわいんだから、「しかたがない」じゃん。
いやいややっている。取引の瞬間だ。

いやいややっていることは、目をそらさなければ、本人はわかっているはずなのだ。
あきらかに自分の舵じゃない。相手の顔色をうかがうことでの恐怖、
この恐怖の回避、それをうながす強迫感だけが、その不愉快な舵の電池になっている。


父のこの、「生きていくためには、しかたない」には、
重要な言葉が略されている。

本当は、こう言っている。

「お母さんの顔色をうかがって生きていくこの世界で生きていくためには、
お母さんの顔色をうかがっていくしか、しかたがない」と。


そして、これには、父は自称・成功体験となっているものがある。

それは、現場のI商店では、大好きなお母さんもそばにいて、
罰を受けることなく、「うまくやれている」と思いこんでいたことだ。
その毎日が、成功体験と、誤認している。

ここに無意識に、「いつ次、自分が血祭りにあうか」を本当は恐れているのだが、
母親の顔色を見ながら動き、現実に罰を受けないから、うまくやれている、
こここそが、わたしが住む世界だ、快適で自由な世界だ、と勘違いする。
高速に顔色をうかがっていること、「その上で」かろうじて生かされていることの
自覚が生まれない。

わたしも、同じように、これを自由と錯覚した。
これは「こわい」という恐怖が麻痺していない時よりも、
たちが悪く、甘い入口から入りこむ。

「ここはなんかいい。ここは自分がコントロールできそう。
うまく立ち回れそう。こわい、ということにならなそう」

直感的にそう思うのだ。

この直感がクセモノで、自分の舵がまったくとれていないだけなのに、
あたかも自動的に「安心」の場所に連れていってくれるような錯覚に陥りやすい。
でもこれって、「顔色をうかがっていれば大丈夫な世界へようこそ」なのだ。

ここをくぐってしまうと、
そこはいかにも自由で、なんだかいるだけで飴がもらえて、
「なんかここ、いいね」となってしまう場所。

でも、本当は違うんだ。

そこには、自分の舵で進んでいない不快感が必ずある。
いやいややっている自分がいる。
直接そこで恐怖を感じていないように思えても、
ちゃんと恐怖の回避を計算し、相手の顔色にあわせている。
ただそのことにも、本人が気づかなくなるだけ。
それほどに「顔色をうかがう」反応は、自動的で素早い。

だから本音では、うまく立ち回れているそこであっても
「しかたがねーな」と言っている。
本音では、いくらうまく立ち回れても、そう思っている。
こなすだけの人生。何をこなしているのか?
顔色をうかがうことを、こなしている。


自我復元を開始して、今までの間、何度も何度も、
「以前の暮らしの何が問題だったのだろう」
「あのような人生でも別によかったのではないか」
と思った。そこに苦痛を感じなかったからだ。

一方で、これはどう考えても、自分の人生とは思えない、
死ぬ時、もっと自分の人生を生きたかったと思うのは
確実だ、という思いが同時にあった。


問題が、ない?


気がつけば、まわりじゅう、親の言いなりの人生になっている。
どこにも、自分で決めたものが一つもない。

「親の言いなりになっていれば、問題ない」

そうやって、親の言いなりになっていれば問題ない世界を
こつこつと築いていったのだ。20年以上かけて。
顔色をうかがって生きるのなら、父と同様、
その世界で、そう生きるのなら、問題ない。
その閉じた世界なら、問題ない、と。

この問題ない、というのは、実は、
罰を受けない、というだけのことだった。
そのために、自分が舵がとれていない不快感と取引した。
「自分の人生を歩くことを手放した」ということだ。

親の、そして親の亡霊の顔色をうかがないながら
「これで大丈夫だよね」と確認しながら歩いていて、
自分の人生を生きている実感などあるわけもなく、
そこにあるのは、あっちを見てもこっちを見ても
「しかたがない」という地雷。

しかたがない、だって他人のためだ、やってらんねー、
でもそんなこと言えない、そこで上から目線でいい人ぶる。
こうやって、しかたがない、という前にあったはずの不快感、
うんざり感、不毛感、いやいや感、それを見ないようにする。


わたしは、わたしの
「I商店」を作ってきたのだ。

そこは、父が、お母さんの元に戻ることを
最初から決めておく「おとしどころ」のような準備。


「ここでいいよ、僕は」


これを何度言ってきたかわからない。


閉じた安全な世界、をつくったつもりでも、
そこは毒親の注文通りの世界だから、
いざ、外部から「毒親好みでない者」が接触すれば、
やれることといったら、排除するだけ。
虚勢を張ることしかできない。
K先生、OH先生と同じ。I商店とぜんぶ同じ。

そういう世界で生きていくのでいいのなら
そうすればいい。

だけれど、それがいやで、自分の手で舵をとりたいのなら、
自分の手で舵がとれていないものに対して、
徹底的に従わないことをやるしかない。

問題がない、と考えた自分と、
問題がある、と考えた自分がいる。

自分のなかにある違和感。
ずっとあり続けている不快感。

360度、その不快感にアンテナを向け、
従わず、取引せずいられるか、
やり続けてみようと思う。



2014.06.14
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2014-06-14 20:17 | 復元ノート 1

⑥「いけない」と思いこんだこと

『⑤「いけない」と思いこんだこと』の続きです。


・・・


今日、あるイベントに参加した。
内職、そして今自分がやっている仕事に関連するイベントで、
行きの電車のなかで、すでに「早く帰りたい」と陰鬱だった。

なぜだろう、そう思うんだろう?
今までも、何度も、感じたこと。

今日のイベントも、参加する人は楽しもう、
そう思って来る。わたしはそこにいたくない。そう思っている。

あ、これもそうだ、と思った。

感情がアップダウンするのを避けている。
ゆらぎたくない。安定していたい。
なのに、安定したらしたで、それがグラッとくるその時を恐れている。


とりわけ、AC人格分析をはじめてから、
おもに、仕事と生活の場で、こんなことを思うことが増えた。
それは、

「自分の意思も、感情も、できるだけ出さなければ、大丈夫だ」

という、どうしてこんなことを思うのか、自分でずっとわからなかった。
きっと、事務的で無機的な言動で「さしさわりなく」いれば、
AC人格全開になることは「せめて避けられるだろう」と考えていた。
でも、こんなのは、どう考えてもおかしい・・・

おかしい、と思うだけで、なぜか、
これ自体、これこそがAC人格だ、という自覚が生まれなかった。

このことも、今日、ふと思い浮かび、
ここにも、まさにその「ゆるがなければ大丈夫」が
絶対的価値のように、居座っていたことに気づいた。


「これと同じことを、ずっとやってきたんだ・・・」


自我復元で崩残さんに、
毒親の亡霊を、そこにゆらがない場所を投影し、
Pさんとの城、共同作業では、「そこでの閉じた世界」こそ、
自分がコントロールできる安全な場所を作ろうとし、
そこはつねに予測可能で、自分の思ったように
なんでもなる理想郷を投影した。

今日のイベント中、さらにぞっとすることに気づいた。

顔色人格のことをあれだけ考えてきたにもかかわらず、
今の仕事が、その「顔色を読む」力を最大限に駆使している、
そのAC人格がウハウハになる仕事であったことに
今の今になって気づき、なにがぞっとしたか、というと、
当然その世界も、自分がコントロールできるようにした上に、
自分が公然と「絶対権力者」であることを、認めさせるに都合のよい、
そういう立ち位置の仕事だったことだった。
つまり・・・、わたしが「罰を与えない処罰者」になってしまえばいいじゃない、
そういうことだったのではないか。

「いい人だよね」「やさしいんですね」と何度も何度も言われた。
それはわたしが「罰を与えなかった」からだ。
だけれど、この仕事の狭い密室では、「わたしがダメと言ったらダメ」だった。
口ではやさしく言っても、それは絶対の力を持っていた。

「許してあげている」

これが処罰者というものの、発する声じゃないだろうか。
父からも、母からも、思い返してみると、
「わたしは、何でも許してもらってくれた」という感覚がふと蘇った気がした。
幼少期、この感覚は、「何でも自由にやらせてくれるパパなんだ、ママなんだ」
とすりかえられたんだ、毒親によって。
そして、今、わたしがそれと同じことを、他人にやっている。

今日の帰り道、なのに、なぜ「処罰者だ」という自覚がないのだろう?と思った。
わからなかった。これが自分の加害者意識の欠落にもつながっているのか?
そんなことを考えていた。

これについて、今、書いていて気づいた。

罰を与えない処罰者だから、じゃないか?
処罰者だ、という自覚それ自体、自覚できない鈍感さの中にいた、
そういうことじゃないだろうか。だとしたら、父も母も、ほぼ100%、
わたしと同じように、自覚すらなかったということになるだろうか?


・・・


こうやって20年かけてつくりあげた「Pさんとの城」は
わたしにとって、居心地のよいものになっていった。
なぜ居心地がいいのか、その当時そんなことを自問したこともなかった。
問題を感じていなかったから。

「自分がおびやかす存在になってしまえば、いいんじゃない」

ここでの一番になって、自分がルールになってしまえば
こわくないよ(・・・むしろ、顔色を読むのだって、活かせるんだ!)
こう思ってやってきたのではないか。

わたしの父にとって、「家庭」、そこが、
それが可能な場所だった。
「長男」はねがってもない餌食。

リベンジの場所だったのだ。

母にとっても、家庭はいいところだったろう。
「わたしが一番。世界で一番」

父に母親は、家業のその店こそが
「わたしが一番。世界で一番」

Pさんにとっては、この城、わたしと作り上げてきたこの狭い城が
「わたしが一番。世界で一番」

となった。

父も何の目的もなく生きている人だが、
へんにアイデア好きだった。
自販機に「あたりくじ」という機能がない時代、せっせと飲料のキャップに
手書きで「あたり」と書いて、メーカーからの景品をお客さんにプレゼントしていた。

そんなこともあって、商店街や地区で売り上げは評価され、表彰された。
「既存のものでなく、目新しいもの」それは、ある意味、ユニークで
「有名になる領域さえ」限定的であれば、まあ、そこでは、一番にはなれる。
というのも当たり前で、「それをいい」という賛同者だけを集め、
賛同しない人や問屋はどんどん排除し、残った領域に「住まえば」
そこでは一番、そこでは有名、当たり前だ。
この考えとやり方は、わたしにしっかりコピーされた。

こういった「一番」といった成果、そのうわずみだけをとり、
「わたしの店よ」と自慢していたように見えたのが父の母親、おばあちゃんだった。
その店が一番になることは、「おばあちゃんは一番」と同じ意味だったし、

Pさんも望みどおり、ちゃんと一番になった。
このちゃっちい城、本当に小さいこの城の中だけで。

見てみれば、わたしもPさんも、自分が望むように
たとえ「こんなんじゃないんだけどな」と思っていながら、
ちゃんと、その通りになっていた。

とんでもない漠然としたPさんの目的でも、
目的のないわたしにとっては、すがりつく思いだったのだ。


・・・


2週間ほど前、図書館に立ち寄ったことがあった。

自分の望みについて、性のことなどを中心に
掘ろうとしている最中だった。

そうだ、と思って、「自分に関心が向くもの、向かないもの」を探ってみようと
ざっとまわりにある本棚のタイトルをながめてみた。

あれこれやってみたときに、一つ気になったのは
「旅」というキーワードだった。
なぜかというと、昔はぜんぜん興味がなく、妙に、今、
ひかれるものだったからだ。

それからしばらくして、そういえば
「世界の車窓から」というテレビ、昔あったよな・・・と思い出し、
どうしても気になって、もう一度図書館に行き、視聴コーナーで
それの「東欧編」を15分ほど見た。

そのときは、妙にワクワクした。
あんなにどうでもいいと思っていたものが
どのシーンもすいつくように見てしまった。

あまりにそれが心地よすぎたので、
これは「おかしい」と思い始めた。

それで気づいたのは、そのワンシーン、ワンシーン、
列車の音、街並み、マーケット、外食を楽しむ人々の笑顔・・・
これ知ってる、と思った。小さい頃の金曜日の遊園地だった。

この非日常的な時間。夢のような時間。

Pさんとの記憶のなかで「あの時はよかった」としつこく付きまとったのも
思い返してみると、「旅での」記憶がほとんどだった。
非日常的な場面での印象だ。
週に一回の遊園地やプール、家族旅行・・・
「こういう思い出ばかりだよね」とずっと思っていた。
もしかしたら、その執着が、日常生活での「普段の記憶」を
押さえこんできたのかもしれない。これは推測。
(K先生の研究室やOHさんの職場、内職やPさんとの城、
これらに共通することの一つに、サクセスストーリーに異常に執着する、
というのがある。あたかもそれしかなかったかのような筋書きにしてしまう癖)

旅、というのはどこか自由で、
誰も邪魔されることなく、一人の世界を満喫する、
あ、これって「いいことなのかな」って・・・AC人格は必ず何でも
都合のいいように曲解する。わたしは最初、そう思ってしまった。

わたしの望むこの旅とやらの実態は、
「金曜日の遊園地」のことだったのに。

AC人格のやらすことはどうしようもなく、
実は数日前になって、そもそも自分がやらかした入口での
無自覚な行動に気づいた。

そもそも、図書館で、「そうだ」と安直に、関心のヒントを
「ほしがった」ということ。それはネットサーフィンと同じなんだと。
ここからして、罠にしっかりはまっていた。

思い出してみた。

その時わたしは、なぜ、そんなことはやろうと思ったか?

不安だったのだ。
セックスしたいとか、優等生だとか、そんなことしか望みが浮かばない自分から
逃げたかったのだ。もっと何かあるでしょ、と。

これって、何。結局、「目的」の空白の部分に、
Pさんの夢をあてはめているのとどう違うんだ??

まったく同じ。

こうやって同じように焦って、そして学生時代も、自分の関心が向く本を
手当たり次第触れて、じゃあ何をしたか?「これ知らないよ、斬新だよ」って
ただその感覚だけを頼りに、「いつか」こういうものから
「自分の目的、見つかればいいな」をやってきただけじゃないのか?

直感的、と思った「ただの親の誘導」に騙され、
Pさんの目的にのり、こうやって、日々のなかでも、「なんかいい」という
ただそれだけで旅の本を手にした。
もしもこのミスを契約の時にしたら、「旅」の具体的明記なく、
毎週遊園地につれていってくれる毒親の元に生まれても
文句言えないことになる。


・・・


なんかいい、というのは恐ろしい。

これも数日前に体験したこと。

ここ半年くらいだろうか、家の近所で30分くらいで一周できる
自分の散歩コースがあって、なんとなくいいな、と
たまに歩いていた。

家の窓からもれる灯り、それに小学校、
少し行くと昔ながらの銭湯があり、もう少し行くと
昭和の風情のある魚屋さん、肉屋さんがある。そして広い公園。
夕方であれば、そのコースの終わりには電球色の街灯が一つだけ
こうこうと照っていて、なんだかほっとさせられる。

・・・と、ずっと思ってきたその散歩道。

その日、この「なんとなくいい」というのが、
「世界の車窓から」を見てなんとなくいい、というのと同じくらい
自動的なものであったことに気づき、周囲を眺め直した。

家の窓からの灯りの向こうに、
家族のあたたかい笑顔がある・・・と思いこみたい。
それは、調教室、ではないのか?
何棟も連なるおぞましい密室ではないか?

小学校の校庭、誰もいなくても
子どもたちの笑顔と笑い声がきこえてくる・・・と思いこみたい。
集団洗脳施設だったではないか。

銭湯では、父がいつもリンゴジュースを買ってくれた。
ジュース一本、飴一つで調教したのは誰だったのか。

昔ながらの懐かしい店。
毒親の店の幻影だ。

公園は自由の象徴。
ただの空き地がか?

そして最後は、なんだか美しい光に吸い込まれていくようにほっとする。
気持ちが落ち着き、「コントロールをとり戻した」気になる。
その出口にまたもや「罰を与えない処罰者」からの
錯覚の安心をもらってしまう。

こうやって日々の中にも、ごろごろトラップはあって、
たとえば、こんな散歩コースの100倍の演出効果を
死後なされたら、そして、死後AC人格がまだ残っている、という
ミスをおかしたら、騙されてしまうのは目に見えている。
それはもう一度、「毒親の言いなりの道」を歩くことを
自分で認めてしまう、ということなんだ。



2014.06.08
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2014-06-09 07:02 | 復元ノート 1

⑤「いけない」と思いこんでいること

 ・・・ 『④「いけない」と思いこんでいること』の続きです。


これもまた、父がよく話していたこと。
最後は、「金は天下のまわりもの」でしめる、そんな話。


「ボクは、もりそばじゃなくて、いつも、ざるそば。
パパはこれで十分幸せ。でも、こればかにならないんだよ。
この積み重ねで20年。Aちゃん(わたしの妹)にピアノを買ってあげられた。
いやいや、お金なんて、いつもなんとかなるもの。
使いたい時、使いなさい。ママなんて、いつもデパートでポーンと
定価でお刺身とか買ってきちゃうんだから、まいっちゃうけど、
箸より重いもの持ったことないお嬢さんだから、しゃーない(笑)。
パパしかダメだね、この女は。なーんちゃって」


これでまず、父が言いたいのは、お金のことでなく、

「パパは創造的で、生産側にいる」
「ママは浪費ばかりしていて、消費係専門だ」

なので、ボクは妻も子どもも大事にしている、
なんて理想的な利他的な夫なのだろう!・・・と言っている。

それと同じことをわたしはやってきた。
父と母の関係は、わたしとPさんの関係でもある。

「消費係のPさん」と「生産係のわたし」、と思っているのは
実は錯覚で、わたしは父同様、何も生産などしていない。
どこも創造的でもなんでもない。
ただ、率先して、「自己犠牲」しているだけで、それでもって、
世話してあげている、挙句に、生産的で創造的な仕事をしているのは「わたしだ」、
とまで思いこんでいる。実際は、我慢している分、
「少なく消費」しているだけなのだ。

わたしがPさんとの共同作業で
完全に誤認していたことの一つが、このことだった。
Pさんはいつも本ばかり読んで、食べて、寝て、仕事もほとんどしない。
なんでわたしばかり、いろいろ考えて、仕事もし、家のこともやっているんだ!
共同作業だって、わたしばかり、アイデアを出して、いろいろ考えて、
Pさんはただその時の気分で、やる、やらない。
なんでPさんは何もしないの。文句だけ言うの・・・イライラ。

AC人格は、こうやって他者のなかの「消費行動」を見ては馬鹿にし、
自分はクリエイティブでアイデアマンだ、と思いこむことで、
実は自分こそ、「おこぼれ」をもらおうとしているだけで、さらに歪んだ
貧しい消費行動で自己満足している、その自分の姿を見ようとしない。
父、そのもの。

目的も、望みもなく、そうやって生きている自分を見たくない。
「目的、望み」この部分を、誰かから借用し、埋めたい。
この無自覚な衝動があることに、気づけなかった。
地図をもたない列車のようなもので、列車はできた、でも
どこに行きたいか、それは「何ひとつ無い」。
誰かから地図を渡されて、それこそ使命だと思い、
待ってました、と出発。その航路を、自分の人生だ、と誤認する。
走りながら、「これ、いい列車でしょ。この色、この動き、この機械・・・」
ベラベラと自慢するのだ。いかにも自分が創造的であったかのように。
この列車、僕たちだけのだよ、誰も作ったことないものだよ、って。


「既存のものでなければいい」
「新しいものならいい」


こうやって思ってきたことが、Pさんとの共同作業で実現できる、と
思ったのだ。いよいよ、自由なわたしの人生が始まる、そう信じていた。
「自分の地図」である必要・・・そんなこと、問題にすら思わなかった。
それが、それまでの生き方、親の「言いなり」そのものだったし、
まさかそこで、「自分の意思や自由」が剥奪されているなど、思いもよらなかった。
自分が主体的に選んで歩いてきた道だと、「思いこまされて」きたからだ。


「これ、自分たちしかできないことだよ」
「誰もやったことのない、新しいことだよ」


わたしがこれを何よりの価値観としていた証拠を見つけた。
わたしの大学院の研究室、気狂いのK先生の支配化にあった
あの研究室だが、ここでやっていた研究は、わたしから見て、
斬新で、ここでしかできない、そういうものに思えた。

さらに、唯一就職をした所(代表のOHさん)、ここもそうだった。
全国に先駆けて、一番新しいことを試みているところだったし、
ここでしか、それを学ぶことは、その当時できないと思っていた。

どうやって、その研究室、職場を選んだか?

わたしは、K先生と、OHさん、この「人」を見て選んだ。
それこそ直感的という「親舵」で、十分な気狂いを選んだことは
このブログにも書いてきたが、この人たちの考え方の中心には、
わたしと似た価値観、「誰もやっていない新しいこと」、これに
いつも執着していることに、今回、気づいた。

そこにひかれた。
ずっと望んでいた通りの研究室、職場を選んだのだ。
そのスタンスは、内職で「自分の城」をつくるときも何ひとつ変わらない。
だから他者からは、見た目そうだから、「独創的で、斬新だね」と言われる。
研究室も、職場もそうだった。そう言われて調子にのり、だから
そこでの経験を「成功体験だ」と誤認する。

実際は、どんな研究室で、職場だったかを考えてみれば、
せまくて、ちっこいところなのに、「すごいだろ、オレの城だ!」と叫び、
この小さな城は、他研究室、他同業者をバカにし、
付き合いや交流を切ってやることで(これがオレの裁量だ!と叫ぶことで)、
ほんとにちんけな城を、自分のだ、自分のだ、とその安定を確認しているだけ。

これを、学生や社員にも脅しとしてやる。
オレに従わないと、こうなるぞ、と。
誰かを血祭りにあげなければ、自己主張ができない。
その人がいないところで、その人を排除しようとするのが明らかな言動を
残った学生や社員に、ニヤリ、として話してきかせる。
いかにそれが不当であっても、その恐怖心で、生き残った者は、
K先生やOHさんの顔色だけを見て動き、過剰で周到な準備をする。
だから正直、勉強どころでも、仕事どころでもなかった。
まったくわたしと同じような人ばかりが集まったカルト集団だった。

わたしも同様、この

「自分の城」

とは、自分の思った通りにならないと不安だ、
という動機、ここからきているのではないだろうか。

ここでなら、自分の思った通り、予測可能で、
こわいこともなく過ごせる、安心だ、と。

先日、こんなことを考えた。

他の人からわたしはどう見えるか?と。

即座に思ったのは、
「自分の都合のいいこと、いいふうにしか言わない人」
と見えるだろう、と思った。それがわたし自身、
見たくないところでもあるから。

この「自分の都合のいいように」って何だろう、と思ったとき、
それこそ、自分の都合のいいように、事実、現実、世界を「再構築」できる、
自分が支配し、コントロールできる法則の中で「閉じたい」という願望、
そういうことなんじゃないか、と思った。

大学時代、わたしは数学や論理学というものに興味を持った。
これも同じ理由だったことに気づいた。
自分で世界を再構築できる、どれが正しい正しくないなんていえない、
なのに、「これこそが真理だ」などというものがあったら、
何をどう言おうと、間違っていて浅はかなのだ、そう思っていた。
そんなことを考えていた学生時代、無明庵の書籍に出会い、
「ほら、やっぱりそうだ。なにもわかることなんて、何ひとつないんだ」
と都合よく曲解し、自分の主張といいように照合し、都合よく逃げただけ。


間違っていないもの、ゆらがないものを求めた。


自分の手に負えて、恒久的に安定していて、
予測可能で自分でコントロールできて、
そえゆえ、間違えることなく、誰もわたしを責めたりしない、
絶対安心の場所。

これでは、まるで、感情の墓場だ。
感情なんて、一番、受け入れ難い、不安定の極み。


幼い頃、リズミカルなもの、タイミングがあうようなもの、
こういったものを自分の手や妄想で演出するのが好きだったこと、
誰もやったことがない、新しいもの、そういったものを
つねに求めて続けて大人になっていった、こと。

既存のものじゃなけば、自分の思い通りにできるんだ、
そう思ったんじゃないか?
新しいものなら、自分だけの世界なら、と。

歌が好きなこと。それも楽器やバックの音があるより、
アカペラが好きなこと。
・・・誰にも邪魔されたくなかったからじゃないか?

今でもそうだ。

「自分の手に負えなくなってしまうぞ」
「そうしたら何が何だからわからなくなって、困ることになるぞ」
「整理しろ、分析しろ、まとめろ、早く、早く!」
「複雑なこと、移りゆくこと、一つ一つ気にしてたら、キリがないぞ」

早く、早く、と急かしてくる。

「何ぼけっとしてるんだ。これでいいんだ、って
自分が納得のいく、筋の通ったものにすりゃ、いいんだよ。」

「早くコントロールをとり戻せ。」

とり乱しそうになる。焦って、不快感はピークになる。
ところが、同時に、「こわい」と言っているだけで、
そのどこかで、斜に構えて見ているやつがいる。
こわいというとり乱し、それも演技に見えてくると、
その斜に構えた「ナメた態度」が許せない。
平然を装う位置に、コイツは最初からスタンバイしている。

「ゆるがない場所」

わたしが求めてきたもの、AC人格が求め、
のさばり、ずっといる場所。
それが、もしかしたら、この「ゆらがない」という位置なんじゃないか?

焦りたくない、ゆらぎたくない・・・

なぜそれを求めるのだ?
なぜ、それを幼い頃からやってきたのだ?
自分の世界、自分の時間、自分の城・・・

ここ数日、隠蔽と自白に敏感になっている。

恐怖、これに「ゆらぐまい」としたとき、
そこで何が起こる?

思考停止だ。

もしも、この恐怖がずっと続いたら、
わたしは「ゆらぐまい」と、一生、思考停止しているつもりか?
それとも、恐怖は続かない、とか、できたら起こらないでほしい、
そう思っているのか?誰に、何に、それを願っている?


恐怖は起こるのだ。


ゆらぐまい、としたとき、
そのための解決方法が、隠蔽なり、自白だ。
誰から隠そう、誰に許してもらおうとしているのかといえば
崩残さんだ。

わたしの中でこれは「しかたがない」と思っていることがあった。
それは「崩残さんに従うのは、しかたないことだ」と。
だから、崩残さんの言うことは「鵜呑みにしていい」。
毒親に従ってはダメだ、拷問の処刑者にも従ってはダメだ、
・・・だけど、崩残さんには「いい」と。

ここだけは、「しかたがない」としておきたかった。

でも、そこにこそ、大きな逃げ道があった。

わたしはずっと、崩残さんを自分の上においた「処罰者だ」と
思ってきた。でも、どこか、違う。それだけでは、どうもしっくりこない。

そこに、別の願望があったことに気づいた。

「崩残さんは、罰したりしないよね」

そういう考えがあったことに驚いた。

だから、味方なんでしょ、実は処罰者じゃないんでしょ、
こう思いこみたいわたしがいたのだ。

「処罰者」には二通りあることに気づいた。

「罰を与えるであろう処罰者」
「罰を与えない処罰者」

はっと、気づいたのは、
わたしの両親、あの毒親は、わたしに罰を与えない処罰者だったこと。
わたしの両親は、一切、「罰」を与えなかったのだ。
いくらまわりの誰かを血祭りにあげようが、
わたしたち子どもには、振り向いて「ニコッ」とし、
味方であることを示し、どんなに機嫌が悪くても、その苛立ちの矛先は
関係ない他人に向けられた。わたしたちの前で。

十分に処罰者だった。

だけれど、罰を与えないで恐怖だけ与えるやり方が、
どこか、親を味方だ、処罰者でない、という錯覚を抱かせる。
「罰を与えない処罰者」こそ、恐怖を与える張本人でありながら、
罰を与えないのも処罰者であり、ここを安心、と誤認する。

父が振り向いたときの、「ニヤリ」に対して、
ひきつった顔で笑い返す。
見ていてドキドキしても、その一瞬を「安心」と誤認する。
ほっとし、落ち着く。これが繰り返される。

「罰を与えない処罰者」

もしかしたら、ずっと、ここが
わたしの「ゆらがない場所」だったのではないだろうか。
こういう場所を、転々と、巡り歩いてきたのではないか?
崩残さんをこう見ていたのであれば、
わたしが見ていたのは、あいもかわらず「毒親の亡霊」そのものであり、
ぞっとすることに、毒親の亡霊こそ、それこそが
わたしを「ほっとさせてくれる場所」と思いこんでいた所、
そう思い続け、この「ほっと」すること、解決を見ていたのではないか。

今日思ったことがある。

ならば、十分恐れればいい。
恐怖、その終わりを夢見るなど、やめていい。
それは耐える、ということじゃない。
恐怖がないと思いたいとか、なんとかしなきゃ、
そうすることを、わたしがする必要などない、ということ。
恐怖を解消しなければならない義務など、
わたしにはないんだ。

自分の目でちゃんと見なければいけないのは、
その恐怖のなかにあって、何を奪われそうになるのか、
そして今までも何が奪われてきたのか、ということではないか。
「ゆるがない」という思考停止で、奪われ続けているものがある。

自分の意思も貫けない。
恐怖一つで撤回する。

自分の頭で考えない。
考えること、それ自体を拒絶する。
自分の言動に対して自問することも逃げる。

こうやって、どんどん奪われていく。
何が奪われたのか、思考停止で済ませたら、
その「何が」すら、永久に気づけず、その実害にも
目をつぶっていくことになる。

でも、もう目はつぶりたくない。

自分が自分を殺し歩いていく姿、
これを今も、また今も、と見せつけられて、
もう逃げたい、早く楽になりたい、と焦ってしまう。

今までのやり方、そこにしがみつきたくなる。
でも、それは「罰を与えない処罰者」という
毒親の亡霊。

ゆらがないところ
平然としていられるところ
そこに、ぐっと引き込まれそうになる。

目だけは閉じたくない。




 ・・・『⑥「いけない」と思いこんでいること』に続きます。



2014.06.07
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2014-06-09 07:00 | 復元ノート 1

④「いけない」と思いこんでいること

『③「いけない」と思いこんでいること』の続きです。

話が前後してしまうが、
「もしかしたら、わたしは加害者でいたかったのではないか?」
とふと思ったのは、こういう経緯があった。

内職は中止しているものの、
しばらくの間は中止の告知をしておこう、と思い、
内職に関するサイトはそのままに放置したままで
そのことが、先月中頃、すごく気になりはじめた。

今までも「早く消さなきゃ」とただ焦っていた。
その思いの中には、サイトがあること自体、そこでの
メッセージも含め、害悪なのだ、わたしは加害者なんだ、
だからこのままにしておいてはいけない・・・ここでもまた、
崩残さんに怒られてしまう、と勝手に妄想する。

自分でどうしてもしっくりこないのは、
「わたしは加害者なんだから」の所でピタっと思考停止していて、
その衝動で消したとしても、それはきっと口に出せば、
「消せばいいだよね。これでいいんだよね」
ただそれだけになってしまうのは、目に見えていた。
このAC人格にとっては、この承認だけが欲しいからだ。

だとしたら、それこそ、
「お前の書いた記事を消さないと、殺す」
と脅されたら、一発で、「はい、消します」とその脅しに
ただ従うのと何もかわらない。

コイツは口では、「加害者でいることは辛いです」という。
たしかにAC人格の掘りおこしを進めていく過程で、
今までは「いい人」だと思いこんでいた自分が、
どんどん加害者になっていく、あばかれていくのは、
生活の上でも、仕事の上でも、ラクではなかったし、
実際に、一日一日と経つにつれて、今までの自分の居場所は
どんどん無くなっていった。つらいといえば、つらかった。

だから、自分は加害者にはなりたくないんだ、
それにフタをしたくてしかたがなかった。
無害な人間であろうとすること、今でもそれが解決であるような
錯覚に陥ることがある。なぜ加害者になったか、を考えずに。

ここのツメがまったく甘い。
ツメどころか、分析すらやめてしまっている。

「加害者」と自分に安易にレッテルを貼ることで、
それを認めてしまってはいないか?
だとしたら、永遠に「加害者だ」という言い分が
AC人格をのさばらせ続け、掘られないままになる。

自分は加害者です、と名乗ることで

「加害者だから、こうするんだ」
「加害者なんだから、こうしろ」

そういう声に従っていればいい、といって
掘られないままになってはいないか?
だってこれじゃあ、「加害者なので、責任をとります」
と口先だけ言っている政治家とまるっきり同じじゃないか。

この加害者が最後に言うことは
目に見えている。

「自分は精一杯でした・・・だから許してください」
「つらい思いをしても、一生懸命、頑張りました・・・だから許してください」

これしかない。なぜならこれが通用したのが、
わたしの育った家庭だったからだ。
「たいへんでも頑張る子」、それが「いい子」の基準だったし、
いい子になろうもなにも、自動的にそうしていた。


「加害者であることは、辛い」


この「辛い」、ここが問題なのだ。
その後に、「だけど頑張った、だから許して」それがセットだ。

それが言い分だとしたら、
わたしは本当に、加害者は辛いと思っているのか?
「このまま見過ごしてくれれば」みたいな魂胆で、
辛い「フリ」をしてはいないか・・・


このことを自問していて、それから数日後、
ちょうど桜の間で

http://www.mumyouan.com/k/?S354
がアップされていて、その中に、

>多くの人たちが、「不満です」「不安です」「不快です」と言う。


>しかしその望みの細部まで聞いて、
>本人の本音を引き出してみると

>「結果的には、あなたの望んだ通りじゃないですか?」

>となる事が95%以上だ。

>つまり、本人自身が自分の望みを分かっているつもりなだけで
>全くの自己矛盾を起こしているケースばかりである。


とあり、もしかしたら・・・と疑問を向けた。
「加害者はわたしが望んでいた立ち位置だったのではないか?」と。
被害者、不幸の仲間入りしたい、みたいなこと言っていたけれど、
それ、本当か?

不幸に住みたがるAC人格、なんて言うけれど・・・

はっと思ったのは、「住みたがっているだけで」
コイツ、いったい、何を狙っているんだ?
だんだんわかんなくなっていく一方で、
今まで手書きノートに書きためていた「性に関すること」との接点が
少しずつ、つながっていった。


もう少し、ここに何かあるかもしれない・・・


逆にいえば、望んでいる、と自分で思いこんでいても、
そのほとんどは不満の原因こそ、作っていることも
あるんじゃないか?それこそ、掘られずにいるもの。

それを考えているとき、こんなこと、
自分で思っているとは考えたことなかったけど、
自動的に望んでいる「ことになっている?」ようなものがあった。

それは、

「優等生でありたい」

少し驚いた。いやいや、それはないよ、と思ったけれど、
無意識だとしても、自分の過去を振り返ると、なぜか、
優等生を目指しているのだ。そういうものだ、と当然な顔している。

これ、誰の考えだ?

と思ったとき、やはりここに父がよく言っていたことがあった。

「やるからには一番を目指しなさい」

これはわたしにとって、当然なもの、になっていた。
やるからには、そう、一番を目指す。

加害者を保身するわたし、
一番を目指すわたし、・・・もしかして、、、


内職という活動を通して、
わたしはそこで、

「一番」

になろうとしていたのではないか?


「被害者」というレッテルを貼った女性組織のなかで
わたしは、加害者の既得権益をこっそり隠し持ち、
いかにもその輪に入っているように見せかけて、共感を示し、
しかし決してその「被害者」であることからは、誰一人、逃がさず、
自分だけが、

「被害にあわない〝女〟」
「不幸でない〝女〟」
「聖なる、母なる、特別な〝女〟」

であろうとしたのではないだろうか。

不幸に住みたがるAC人格は、そこに「住まう」だけで、
「自分はここでなら、一番になれる」と、
そう思ったのではないか。
これが加害者の「うまみ」だったのではないか?

被害者になりすました加害者のうまみは、
被害者の言い分も、悪用することだ。
まわりのせいにして、社会のせいにして、
そうすれば自分で責任を負わなくていい。
自分は悪くない、だって、ほら「不幸なんだから」。
悪いのは、幸せな人たちよ、わたしたちを貶めている人たちよ。
不幸で底辺のわたしたちが、責められるわけないわ。


「いい人は、こうやって、いつも
最低なところにさせられちゃうんだよ」


こうやって、わたしはそこで

「一番で、いい人間」

になろうとしてきたんだ。


いい人、これはどこからきた考えだ?
これも父だ。父はよく言っていた。

「悪い人は長生きするけど、いい人ほど、すぐ死んじゃう」
「いい人の方が貧乏で、お金持ちはたいてい悪い」

父もわたしと同じ分野の習い事をしていたのだが、
よくこのエピソードはきかされた。

「ボクが一番そこで強かったんだけれど、
この人には勝っちゃ悪い、と思って、わざと負けたんだ」

思い出してみると、父の言うことは、
「不運な人こそ、善良な人」これに尽きる。
もちろんそれは、父がつねにいたポジションだ。

こんなエピソードがあった。

子どもの頃に直接言われた記憶がないのだが、
その後、話として何度もきいたので、よく覚えている。

「100点を100枚ためなさい。子どもたちにはそう言った。
ママにもちゃんと保管するように言ったよ。
子どもたちは知らなかったかもしれないけど、ちゃんととってあったんだ。
でもね、子どもたち、あっという間に、100枚なっちゃって
馬鹿馬鹿しくなって、とっておくの、やめっちゃった」

わたしはこの話を、ずっと褒められている、と思ってきた。
でも、よくよく見てみれば、酷い話じゃないか。

それ、誰のためだよ。

あなたの自慢話の「ネタ」ですか。

なぜ、保管してあることを言わなかったんだ?
100枚ためたら、別に言われたいと思ったことないけど、
そういうつもりだったら、「すごいね、100枚たまったね」と
子どもに、まず、言いたい、伝えたい、そう思うんじゃないの?
それをなに、100枚ためろ、とだけ指示して・・・

そうだったんだ。

これは父の自慢の「ネタ」だったのだ。

誰のための「一番」だったのか。

高校でもそうだった。
学年でもトップクラスではあったけど、
暗記中心の勉強の仕方は、受験勉強では通用しなかった。
「トップ」ではあっても、社会では通用しない。

学年でトップだ、と誰がいつも自慢していたか。
いつも父だった。そして最後に言うことは、
「そのすごい子の父親誰でしょー」が始まり、体裁が悪いのか、
それとも、ついでに効率よく調教しているのか、
「でも、それを生んだこの人(と母をさして)、こいつがバケモン!」
と、ニコニコして楽しそうに話す。

うわずみだけを、スッととる。

わたしに何が残ったか。
社会では通用しないものばかりだ。

でも、それこそ、父の狙いだったのだ。
兄に対する代理復讐、絶対に幸せになどさせない、と。
実となるものは、全部とってやる・・・そういうつもりだったろう。

「一番で、いい人間になりなさい」

という父の思いは、

「一番であれ。でも、幸せにはなるな」だ。

一番になりなさい(パパのためにね)。
いい人になりなさい(不幸や不運を目指すと、いい人になれるよ)。


「能ある鷹は爪を隠す」


これも父の大好きなことわざだった。
子どもの頃、これが立派な人なんだ、と教わった。

鷹であってほしいのは、誰のためか?
・・・父、親のため。

爪を隠しておいてほしいのは、誰のためか?
・・・これも結局、父、親のためだ。去勢目的。



「底辺に落ちろ、そして一番のうわずみだけは
オレに収めろ」


なんでこんな酷いことをやったのだろう。
何の恨みがあるんだ?
もちろん生まれたばかりの子に恨みはないだろうから、
兄の代理復讐であるに違いない。

父はそれこそおじろくのように家業を支えた。
父の兄は現場に出ることなく、帳面をつけているだけで
給料も兄のほうがもらっている(ときかされたが、事実かはわからない)。
父はどんなに頑張って、成果を出しても、
この商店街で「〇〇が一番」という数字を出すような仕事に
いくら父が貢献しようが、母親(父の母)からは、認めてもらえず、
声がかかるのは、兄ばかり。

店に働きにきていた今でいう「バイト」の人たちから、父は、
「アニキ」と言われて好かれていたらしい。
「アニキはいい人だ」とみんな言ったらしい。
でもずっと底辺で、労働力として働かされていた。


・・・


望んでいることのなかで、
これはさすがにバカバカしくて、自分でも「望み」とは
認めたくないもの。

それが性に関することだった。

女になりたい。
女の人にかこまれていたい。
目と目をあわせたい。
性的な接触をいろいろ経験したい。

思い切って、こうやって言葉として
手書きノートに書いたみた。

2、3、4番目のことが満たされたら、
やっぱり男でもいいや、なんていい加減なことを思った。
それって、ただセックスしたい、女の人の裸しか興味ない、
そう言っているようなもので、自分でもバカじゃないか、と思った。

でも、それは嘘でなく、気づくと、性的妄想でいっぱいになり、
ただのエロ野郎だ、と正直、がっかりした。
こんな望みしか思いつかなかった自分・・・

でも、もう一度、この望みを眺めてみると、
驚いたことに、あの「内職」で達成している、やっているではないか、
ということに気づいた。

わたしの上の望みには、「裸で」とは書いていない。
独特な方法で、内職では、性的接触をした、とわたしは考えている。
それに、近い距離で目と目があい、手に届く距離にいてくれて
その空間を他の人の邪魔されず、しばらく語り合う。
わたしはそれが心地よかった。
別に身体的な接触、セックスは「それはしかたない」と
あきらめていた、だけだったし、おおむね、それでいい、と思っていた。

これには、きっと前にも書いたけれど、
「母の像」が重なっているように思う。
目と目をあわせて、近くで、笑ってほしい。
たぶん、ここが幻想の入口になっている。

だけれど、一度そこに入ったら、
そこでの実態、わたしがやったことはなんだったか。
純粋に、「女の人と楽しみたかっただけです」とは到底いえない。
実際は、身体接触なしで不倫ごっこを何百人としていただけだし、
その罪悪感を誤魔化すために、様々な論理武装と準備をした。

何をしたかったのか?

男性中心社会ではじき出された後に、
被害者面をして、加害者の既得権益を隠し持ち、
親の亡霊の指示通りに、
「一番で、いい人」をそこで確立し、自分の城を持ったつもりになり、
「ほら、Pさん」と復讐したかっただけではないのか。

そしてその目的は、
「Pさんに再度、自分のことを認めてもらい、
いつでも、また一緒に共同作業に戻りたい」ということだった、と
今になっては、そうだったと認識できる。

そして、やや戻りかけたところ、
この瀬戸際のところ、そのギリギリの場面で、
分割自我復元法と出会った。

いや、復元作業を始めて半年の「ちょうど一年前、
まだ復元ブログを書き始めるその直前、
この時点でも、わたしはその危機に気づいていなかった。



・・・


「女性を性的な目で見てはいけない」という思いこみ、
これからは少しずつ離れたことを、残り、ノートします。
ここまでのことと無関係でもなく、一連の流れで掘り進めたところなので、
④以降、連番で続けて書きます。


・・・


幼い頃、自分はどんなことが好きだったのか、
思い出そうとしてみた。

なぜか、リズミカルなこと、がとても好きだった。
タイミングがぴったりあう、というのは魅力的で
それは美しいものに思えた。

だから、サーカスやアクロバットショーのようなもの、
仮面ライダーのショーで宙返りとか見るだけでワクワクした。

これに関連して、どうしてだか、ふと思い出す記憶がある。

わたしがプラスチックの剣で遊んでいると、
母が「そういうのあるよ」と言った。

それと、足の指に輪ゴムをはめて
手に指のように、それを弾いて遊ぶのも好きだった。

どうしてこれを思い出すのかな、と考えていたが、
たしかこのときも母が
「そういうのあるよ」と言ったような気がする。

「こういうのあるよ」って言われたこと、
なにか嫌だったりしたのかな・・・思い出せない。

ただ、関連して思い出したのは、前にも書いたことだが、
父に算数の問題を自分で考えてやってもらったときの反応。
わたしはせっかく、今までにないものを発見したのに、
「ああ、こうでしょ」とそっけなく回答されたこと。

プラモデルは好きじゃなかったけれど、
ダンボールで自由に工作し、見たことがないものを
作ることも好きだった。


成人後もずっとこういう考えを持っていた。


「既存のこと、決まっているものをやって
どこが楽しいのだろう?みんなが知らないこと、
わたししか知らないものを知りたい、やりたい」


だから、大学に入って図書館や書店をめぐっても、
なんら目的はなく、

「既存のものでなければいい」
「新しいものならいい」

ただそれだけがで、情報を集めていた。
それも今だから「だからか」と思ったが、
本を買っても、借りてコピーしても、それで満足しちゃう。
何かに応用するためでなく、ただ素材集めをしているのだ。


「既存のもの、決まったものでなく、
自分しかできない、新しいことをやる」


その掛け声だけで、ずっと生きてきたような気がする。


こうやって言葉にしたことはなかったが、
なんとなくこう思って生きていたことは自覚していたが、
これがおかしい、とはちっとも思っていなかった。

でも冷静に見てみれば、


「何ら、具体性がない」
「何のために、それをしているのか、目的が無い」


というのは明白で、図書館や書店めぐりにはまったのは
今でいう「ネットサーフィン」状態、だった。
しかも問題なのは、その無目的状態で、
それほど困らなかったことだった。
通常だと、どこかで自分の進路、というのを考える機会がある。
でも、わたしには、それが一度もなく、エスカレーターのように
進んでいってしまった。

それでもいつかは、たとえば就職、といった機会がきて、
「何をしたいか」決めなければならない時がくるだろうが、
その最後のチャンスも失った。

Pさんと出会い、わたしはPさんの「目的」を
自分の目的と設定してしまった。
最後のチャンスを失ったのは、わたしがPさんに依存したためだ。
自分の人生を歩かなかった。
今でもそうだが、自分の望みや関心を考えようとすると、
自分のことなのに、「ああ、わからない」となって
頭が真っ白になってしまう。それがとても居心地が悪い。

その時も、きっと、その居心地の悪さから
ずっと逃げ続けてきたのだろう。

そこで現れたPさんは、わたしにとってもよいタイミングだった。
大学院を中退し、職なしにわたしにとって
Pさんの「夢」ののっかることは、待ってました、のタイミングで
これもまた直感的、つまり、100%自分の舵でない、それはきっと
親のはからいによる決定を、迷いなく、くだしてしまった。

わたしの人生で、はじめて、
わたしの目標ができた、そう思った。

Pさんに依存している、など考えたこともなかった。
だから、その後も、「Pさんにつきあってやっているんだ」など
20年間、それは思ったことがなかったのだ。

彼女がわたしの人生だった。
いや、20年前、「毒親」から「Pさん」の人生に
切り替わった、というだけで、
ずっと、誰かの人生だった。
・・・という自覚もなく、生まれてからずっと、
わたしはわたしの人生を生きてきた、と思ってきた。




 ・・・『⑤「いけない」と思いこんでいること』に続きます。




2014.06.07
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2014-06-09 06:59 | 復元ノート 1

③「いけない」と思いこんでいること

『②「いけない」と思いこんでいること』の続きです。

本題からそれるのですが、
前回の投稿の追記を最初に書きます。

AC人格の掘り出しを開始したとき、
なにより苦しかったのは、Pさんを疑うことだった。
20年という半生、共依存のAC人格にとっては
「Pさんのためだけに生きてきた」と思ってきたために、
「Pさんを失う」という選択にどうしても目を向けられなかった時期があった。

昨年の後半に、やっと本腰を入れて目を向け始めることになったが、
今年になっても、ずっと、それでも未練のようなものがあった。
それは、この20年の間の「楽しかった」と思っている記憶。
これは見たくないものだった。

前回の投稿で、Pさんの父が亡くなったときのことを書いたが、
そこで感じたことは、書いた通りだとしても、
その時点では、感じていても「そうは」思っていなかった。
まったく毒だ、などその時は想像もしていなかったのだから、
「他人事」にすぎなかった。

今回、Pさんの父の死で起こったことを
掘り出していくうえで、一つ、これは誤認だった、と
認識をあらためたのは、


「Pさんの実像」


に対する認識だった。

わたしの中では、いくらPさんがわたしの邪魔をしようと、
どうしても「あの楽しかった記憶」が、「もしかしたらあれのほうが
本当の姿なのではないか」とどこかで無意識に思っていたのだが、
今回、Pさんの姿が「Pさんの母」と重なったとき、
その姿こそが、Pさんだったのだ、と気づいた。

Pさんの父が亡くなった後の、Pさんの母の態度に
Pさんの「未来の姿」を見た。
こうやって、わたしは捨てられるのだ、と。
要は、世話してくれる人なら、「誰でもいい」のであって、
「Abyである必要は、1mmも、ない」という実感だった。

少しずつだが、「楽しかった記憶」のPさんの力、というか
影が薄れていっているように思う。


・・・


本題に戻ります。


わたしを取り囲む家系全体にわたって、

世話する役 = 男性
世話される役 = 女性

という構図が見えてきた。

それと、もう一つ、特徴的なことがあった。

それは、どの男性も、相手の女性に対して、無条件に、


「この人(女性)は特別だ」


という何の根拠もない思いを抱いているところだった。
それぞれに具体的にきいたことはないが、
振り返ってみると、男性側の言い分は、


「どこが好き、とかじゃなくて、
この人は、僕がいないとダメでしょ。絶対」


があるように思えてならない。
何の具体性な理由もない。きいたことがない。
なのに、世話する女性のことを特別視している。

一方で、女性側の言い分は、

「わたしが一番」

だいたい、そんな感じだとわたしは認識している。
Pさんははっきりそう口にしているし、
わたしの母も、おそらく間違いない。
他の方も、今まで見てきた雰囲気や発言から
およそ、こんな印象がある。
わたしが一番、わたしを一番に扱いなさい、
そうしないと、不機嫌になるからね、と顔に出している。


これと関連して、わたし自身、
ずっと「これはどうしてだろう?」と思ってきたことがある。
なぜか、この人(女性)は特別だ、という意識をもつと、その人の対して、

「性的な関心」

をいっきに失う、ことだった。

実際的な話、たとえばこの人とセックスしたいな、
性的な関係を持ちたいな、と思っていたとする。
しかし、ある時から「この人は大事な人だ」という認識、
それは今思えば、「この人を守ってあげたい」という認識を持ち始めると、
抱きたい、などという関心は、持てなくなってしまう。

これはとても、謎、だった。

先月の中旬頃、簡単に出来る実験を思いつき、
近所のスーパーでやってみたことがあった。

ぼぅーとしていれば、前回書いたように
ただ性的な目で見て、目をそらしつつも
自分の好みであったら性的な妄想を働かせ、
わたしの脳内は一人暴走する。

そこで、この人は自分にとって大事な人だ、
という意識で、「抱きしめてあげたい」と思って
通りすがる女性をちゃんと見たら、どうなるか?

ここに性的妄想は、まったくといってよいほど、
働かなくなるのだった。
たとえもしもその人が裸であっても、
おそらく、セックスしたい、という気持ちは、
完全にブレーキがかかる、と思われた。

Pさんに対しても、わたしは
性的な目で見ることはできない。


これは何だ?


パズルのピースを組み合わせるように
半分は観察、半分は理詰めで考えてみた。
こういう可能性はないだろうか?

それは、

世話する相手を「特別視」するために
他の女性を蔑視した、という可能性。

その蔑視の仕方が「性的に見る」こと。
そして、その性的に見ることは
「汚らわしいもの」とすること。

何かを特別視しようとしさえしなければ、
理屈からしても、他を蔑む必要などどこにもない。

こういった話は、ジェンダーの問題や女性差別の話なかにも
よくあって、わたしも知識としては知っていた。
だからこそ、今回、このことに思い当たった可能性は大きい。
でも、むしろ、この知識があだになっていた、とも言える。
なぜなら、このような性差別意識は、社会の根強い刷り込みの
問題であって・・・という前提が、そもそも、これらの学問体系の
前提になっているからだ。つまり、「社会のせい」だ、と
はじめに教えられる。結果、どうなるか?

見事、毒親は「免責」される。
それ以前に、加害者リストからも外れている。
ゆえに、家族や家系が掘られることはなくなるのだ。

しかし、こうやって見てみると、憶測の部分を含むとはいえ、
十分に、差別意識とやらは、毒父なり毒母なり、
毒祖父、毒祖母から、脈々と刷りこまれて、
意図的に、と思われるほどの手口で、作られているんじゃないのか?
社会の問題だ、ジェンダーの問題だ、と認識している「だけ」では、
頭では理解しても、その影響から逃れるのは、
「到底無理」であろうと思われるのは、その議論に
毒親が不在だからだ。


Pさんとの出会いは、
こうやって「あたがわれた」のだ。


運命だ、と思いこむに十分なほど、
わたしにはPさんは特別に思えた。
同時に、わたしはその他女性の多くを、
「性的搾取をしてもいい対象」として見てしまった。
汚らわしい、と思ってはいても、
どうしてもその見方から逃れられなかったし、
どうしても性的興奮はセットになって存在した。
自慰をしたときには、後ろめたさ、後味の悪さは
必ずついてまわった。

なぜなら、明らかに女性を性的な対象としてしか
見ていないことは自覚はあったし、そうやって見ることは
「いけないこと」と思いこんでいたからだ。


おそらく、この直接的な影響は
わたしの父から受けている。


わたしの父が、自分の母親(おばあちゃん)を見る見方は異常だった。
「海よりも深い」だの「あのひと以上の人間はいない」だの
まるで神様か、という、いや、それ以上に「絶対視」していた。
親が死ね、と言ったら死ぬのが当然だ、という見方。

父がいかに、自分の母親は「性的なものと極のもの」にあるか、
それがわかりやすいエピソードがあった。

父は「デブとブスは嫌いだ」と言っていたことがある。
その父の発言に驚いたことがある。

ところが、なのだが、
おばあちゃんは、とっても太っていて、
昔から、本当にどーんとしていた。

それに対して父は、
「Abyもおばあちゃんに抱いてもらうと
気持ちよさそうだった。あのふところの大きさ。
見た目も貫禄があって、あんな人、世の中に絶対いない」
と、わたしに話したことがある。

母はそれに対して、
「でもおかあさん、体格いいわよね」と
つっこみを入れていたが、意に介せず。それどころか、逆に、
「それとこれは違うのもわかんないのか、この馬鹿女は」
という蔑むように、妻(わたしの母)を見ていた。そういう時は。

どんな理屈が通らないことでも、
父から見れば、この使い分けは当然だ、と言わんばかり
徹底していた。

子どもの頃には気づかなかったけれど、
母はなんとか、父に、「おばあちゃん(数年前に亡くなった)」でなく
妻のわたしに目を向けてほしい、それ一心だった。
父の残酷なところは、おばあちゃんと母を秤にかけ続けたことだ。

母が父の顔色をうかがうあの雰囲気は、なんとか、
この天秤の勝負に「勝つため」に必死だったのではないだろうか?
これは想像ではあるが、なぜ、あそこまで父の顔色をうかがっていたのか、
と考えると、こう考えると違和感が減った。
今までも、父からの暴力がきっと子どもの見えないところで
たくさんあったのだろう、とその線でのみ推測していたのだけれど、
どうも、しっくりこないものだった。
父がわたしの母に「理想の母」、つまりそれは「理想の子育て」を
要求していたのは、確かだった。

子どものわたしたちに、父はよくこう話した。

「ママが死ね、と言ったら死ぬのは当たり前。
それだけお前たちのママは、世界で最も偉大なのだ」と。

父が守りたかったのは、
「自分の母親だった」、というだけだ。
それを認めたくない一心で、母はわたしを育てたのではないか?

結果、わたしから見れば、父と母、総力をあげて
「母親とは絶対だ」という調教をしてきたことになる。
育てられている最中、そういう調教を受けた、など感じたことはないが、
ふたを開けてみれば、昨年の今頃までは、
「理想的な親たちだ」と思ってきたのは事実であり、
彼らへの忠誠心は、いっときも揺らがなかったのも事実だった。


話がそれてしまったので、元に戻したい。


1 人と出会う。人を見る。
  ↓
2 女の人だ、と思う。
  ↓
3 その人の裸を想像する
  (あるいは、性的なしぐさや声、様々)
  ↓
4 「いけない」と思う
  ↓
5 即座に目をそらす


この一連の仕組みを作ったのは、
代々続いてきたかもしれないとはいえ、直接的には

「わたしの父」

だろう、ということ。

だとしたら、もしも、このように「ある女性」が見えないとしたら、
つまり、性的な存在に見えないとしたら、こう、錯覚する。


「この女性は特別な人だ」


と。そういう人は、今までも時々いて、
実際、この感覚はしばしば、持ったことがある。

そして20年前、直感的に、とはつまり、
「まったく自分の舵でないところで」、
この感覚が強く刺激されたのが
Pさんに対してだった。

 Aby 6/5


追記:
過去を振り返ると、肝心の判断のところで、
この「直感」というものに頼った。
まさか、このわたしが無自覚に定義していたその直感が、
「親の考え方」であることに、まったく気づかずに。


・・・


このような女性に対する見方、認識、
性的な目でみるのは「いけない」とする考え方、
これらがどう、問題を引き起こしたか。


今から、約7年前、このあたりから、
Pさんとの共同作業は、どんづまりになっていく。
このとき、わたしは不本意ながら、経済的な事情で就職し、
とりあえず、わたしとPさんとで作った「城」を維持する、
ただそれだけのために働いた。

きっとこのあたりからだと思う。
Pさんをなんとか見返したい、という復讐心が
無意識下で働きだしたのは。


まず何を開始したか、というと、
「女性への暴力被害」について勉強し始めた。
それは仕事のために必要だ、と思ったからだ。
と同時に、やればやるほど、妙にのめりこんだ。

女性の多い職場であり、また関連する活動でも
女性ばかりといってよい所だった。
それはとても居心地のよい空間だった。

なぜ、居心地がよかったのか。

その当時は、わたしは心の深いところで
女性が好きで、これは天職なんだ、と思いこんでいた。
(実際、もしも自我復元を知らずにいたら、この天職なんだ、
と錯覚し続け、そこが最期の墓場になるなど考えもしなかったろう)


「被害者の集まり」だったゆえに、
居心地がよかったのだ。


いや、そこまではどこかでは自覚している部分はあった。
というのも、女性である=被害者だ、とくくるのは乱暴ではあっても、
就職先の仕事場では、そのような視点こそが強調、必要とされ、
それが「女性の視点に立つことだ」と強く教えられたからだ。
それに、わたし自身が、それを「教えてもらいたくて」
自分で望み、選び、足を運んだ、その結果だった。


でも、「何が」「どう」心地よかったのか?


就職してまもなく、
「自分は本来、女性なんじゃないか?」と思うようになる。
身体は男性でも、メンタリティーは女性なのではないか、と。
だから、今までどうも男性社会で上手くいかないんだ、
女性の中では、上手く立ち回れているじゃないか・・・
そう感じたわたしは、どんどん、そう思うようになり、
レズビアンのグループに顔を出すようになる。
そこでも受け入れられたことで、「やっぱり、わたしは女性だったんだ」
と疑いもしなくなり、髪型も、美容院で女性の担当者に
「この女性のような髪にしてください」と
女優の写真を持っていったくらいだった。

レズビアンサークルに顔を出した時期の頃のメモを
先月の中旬頃、しばらくぶりに読み直してみた。
そこから思い出したこと、わかったことがあった。

自分が女性だ、と思ったとき、
女性を「女性」というくくりではなく、
「個人一人一人として見えた」というようなことが書いてあった。
このことが、そのとき、今まで感じたことがないくらい心地よかった、
ということだった。実際に、そうだったことを覚えている。
なんだか、魔法のようだった。


「女性を性的な目で見てはいけない」


このことを分析しているときだった。
もしかしたら、この魔法のような心地よさは、
性的な目で見てしまう罪悪感が、魔法のように薄れた、
ということだったのではないか?

そう思った。

わたしはどうしても、被害者、女性、
その当事者の仲間入りがしたかったのは事実だった。
結果、罪悪感は薄れ、「堂々と」女性を見ることが
できるようになった気がしたからだ。

今思うと、タイミングよすぎだが、この視点を獲得した後、
わたしは退職した。そこではじめたのが「内職」だった。
この準備のためだった、といってよいタイミングだ。


内職では、立ち上げて数年の間に、
数百人の女性と一対一で、接する機会を得た。
ここで求められていたのは、そこを訪れる女性を
「性的な目では見てはならない」というものだった。
少なくとも、わたし自身はそう認識していた。

そして、わたしはこれを克服した、と
思いこんだのだ。でも、今思うと、
「性的な目で見ていませんよ」というようなフリをし、
相手をだまそうとしていたにすぎない。
その人の前では、わたしも女性のように振る舞い、
共感したように振る舞い、女性の生きづらさに対して
理解を示そうとした。

だけれど、わたしは使い分けていただけだった。

それは仕事中の目であり、でも実は男性であり、
性的刺激の対象としても、コソコソと、見ていたのだ。
そのコソコソ、いやらしい目、それを隠すため、
その罪悪感を誤魔化すために、わたしは「仕事中の目」を利用した。
プラスマイナスゼロ、と考えたかったのだと思う。


最近になって、もう一つ、気づいたことがあった。


それは今も「実は男性であり」と書いたけれど、
わたしは、被害者ではなく、十分に加害者であったということ。
それはどういうことか、というと、
「被害者のなかで、加害者としての既得権益を持っていた」
ということだった。これに気づいたときは、ショックだった。


わたしがなぜ、この「被害者」としての「女性」の集団に
いつも入りたがったのか。


女性差別意識を持った加害者としての男性が、
もしも、女性のフリをして、被害者心理に共感を示し、
そこで「この人は味方だ」と思わせることに成功したら、
どういうことが起こるか?


これをわたしはどこかで
知っていたに違いない。


「被害のあわない女性」を演出することができるのだ。
となると、そこでは教祖のようになる。
女性を油断させ、わかるよ、わかるよ、と共感しておいて、
あたかも「みんなと同じフィールド」にいると見せかけて、
実際は、その枠の外にいる。
「女性に対する暴力」の影響の外にいる。
男性としての、加害者としての既得権益は所持したまま。
当事者でないのに、しれっと、当事者を演じ続けた。


こうやって、わたしは自分の「城」を持った。
やりたいこと、すべてやった、と思った。
でも、実はこれは、Pさんへの復讐行為であり、
Pさんに自分の存在を認めてもらおうという魂胆があったことに
自分でもまったく気づいていなかった。



 ・・・『④「いけない」と思っていること』に続きます。




2014.06.06
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2014-06-09 06:58 | 復元ノート 1

②「いけない」と思いこんでいること

『①「いけない」と思いこんでいること』の続きです。

「女性を性的な目で見てはいけない」

という思いこみについて。


・・・


人と通りすぎるたびに、その人が

「女性であるか、どうか」

ということを自動的にふりわけている。

自分は女性が好きなんだ、と
そう思いたくて、このことは問題視しなかったのだが、
自我復元を開始してから、あまりにこの自動性が
「病的だ」と感じ始めた。

そしてこれがやはり無視できない問題だ、と思ったのは、
そこに後ろめたさがつねにあることだった。

その後ろめたさは、どこにあるか、というと、
「その女性を、いやらしい目でしか見ていない」ことにあった。
正直に書くと、その人の裸を想像してしまうこともある。

このことは、あまりに馬鹿げている、と思っていたし、
どこか自分でも認めたくない、そう思っていた。
だから、いろいろな理屈をつけては、もっと深いところで
女性に対する特別な思いがあるに違いない、それも
なにか歓迎される理由があるに違いない、と思いこみたかった。
少なくとも、6、7年くらい前からは、意識的にそんなことを考えていた。


この自分の見方が、

「父の影響を受けている」

と気づいたのは、昨年末、わたしの妹が子どもを出産し、
まだ生まれて一週間と経っていない赤ちゃんを見たとき、
その病院で父がベラベラと話していた内容に、
大きな違和感を持ったことだった。


赤ちゃんを見て、開口一番、なんと言ったか。


「間違いなくいい女になるぞ」


なんだそれ?まだお猿さんのような赤ちゃん。
どこをどう見てそう見えるんだ??

と疑問に思っているのも束の間、
呆れる発言多発。

「あー、指がちっちゃいね~。マニキュア塗っちゃいたいねー」

最近流行りのマタニティ写真を見せてもらったときも
「なんか恥ずかしいよね、違和感あるよね、な、Aby?」
と同意を求めてくる。さらに誰もきいていないのにベラベラと語る。

「いやぁ、こういう写真いいよね。パパも写真好きなんだけど、
とる人いないからなー。ヘンな写真とったら、捕まっちゃうしなぁ~」

考えてみれば、昔から、こうだった。
ただこれは父のいわゆる冗談で、こういうときは父はニコニコ
(実際はニヤニヤ)していて、子どものわたしにとっては、
ゆるくて、どちらかというと、安心できる会話に思えた。


ふと、思い出した。


父はこういう話をした後(この時は言ったかどうか忘れたが)、
よくこういう話をしたのだ。必ず、と言っていいほど。

「こんなこと、言っちゃいけませんね。
スケベで、すみません。パパの真似しちゃいけませんよ(笑)
男って、これだからほんと、しょーもない。」


ずっとこんな感じだったのだ。


たとえば、幼い頃、子どもであってもパレードのようなものや
ショーのようなものであれば、露出度の高い衣装の女の人が
登場したりする。すると、父は、

「あの女の人、さわりたくなっちゃうぅ~」

と言った後に、やはり言うのだ。

「イヤだねぇ、男はこれだから。ほんと、スケベ」


〝汚らわしい〟


そう、父が幼い頃からわたしに刷りこんだのは、
「女の人として見ることは、汚らわしいことなんだ」
ということ。きっと、これを無自覚に繰り返し刷りこんだ。


実際にわたしにどういう影響が出ているか。


1 人と出会う。人を見る。
  ↓
2 女の人だ、と思う。
  ↓
3 その人の裸を想像する
  (あるいは、性的なしぐさや声、様々)
  ↓
4 「いけない」と思う
  ↓
5 即座に目をそらす


これが毎回毎回、高速で繰り返される。
このプロセスで自覚できていたのは、「2」「3」「5」だった。
なぜ、人を見たときに、「女の人だ」とまず区別し、
性的な見方をしたときに「いけない」と思うのか、ということについては、
まったく自覚的でなかったのだ。

なぜか。それは、「父の目」だったからだ。


〝いけない〟


なぜ、性的な目で見てはいけないのか。
それはあまりに当然のように思っている。
だけれど、性というのはその人の一部であり、
たとえば、その人の髪が茶色なら、「あの人の髪、茶色だね」
と思うこと、それ自体に、どんな罪があるのか?

ならば、と思って今からちょうど二ヶ月ほど前、
近所の女性で、どうしても性的な目で見てしまう人がいて
思い切ってバリバリ性的な目で「こんにちは」と挨拶して見た。
それに対する相手からの反応は、いたってふつうに「こんにちは」で、
わたしの思いこみではあったとしても、双方に
「好感」のようなものしか残らず、あっけにとられ、拍子抜けした。
目をそらすこともなかった。


何が、いやらしいのだろう・・・


たくさん人がいるような街中で、
同じことを1時間近くやってみたこともあった。
普通にしていると、さっと目をそらしてしまうので、
「女の人として見るぞ。性的な視線で見るぞ」
と、少し遠目から、じっくり見ることにした。
もっとドキドキするかと思ったけれど、最初に感じたのは
「んー、別に何てことないなあ」だった。

そして終始、やっぱり、どこもいやらしくないのだ。


少し前にも、別のことでチャレンジしてみた。
いわゆるエロ画像、エロ動画、これこそ男性のエロ妄想からなる
性的な視線「だけ」でしか構成されていないようなものだけれど、
ならばなお、そういう目線で見るぞ、という覚悟で見たらどうか?
と思って、やってみた。性的な刺激はある。
だけれど結局は、


何がいやらしいのだろう?


という結論になる。ただの裸である。
いや、何がいやらしいのだろう、というよりも、
「女性の裸」自体、

何が汚らわしく、
どこが「いけない」のだろう?

と思った。


いやらしいという言葉自体、「性的刺激+悪い」が
セットになったような言葉のように感じとれる。だから、
自慰もその典型的なものかもしれないが、
この「悪い」がくっつくと、それは「後ろめたさ」を残す。


性的な目で見ることの後ろめたさは
きっと、そこに女性に対する性的な搾取や暴力性、
そういったものが潜在しているからだ、と「頭」で理解するようにしてきた。
つまり、これは女性差別の問題であり、社会的な問題でもある、と。

ただ、こういう頭での理解が、
父の犯行を見えないものにさせ続け、
「どうしてわたしは女性を差別しているのか」という疑問をわたしに残し、
ちゃっかり、父はどこにもおらず、免罪されてきた。
社会問題だ、というのは確かであったとしても、
それが家庭の問題であり、家庭こそ社会の元凶なのだ、という理解が
そっくり抜けていたため、わたしはこの性の問題を
「社会に向き合う自分の問題」と短絡的に考えていた。
そこに毒親は不在だったのだ。


でも、実際は違った。


父の何が害だったか。


父があのように繰り返し調教することで、
かえってわたしは、「ちら見」してしまう、こと。
その性的な部分だけを、どうしてもちら見して、
すぐに目をそらしてしまうため、
結局、その人の女性という性的な部分「だけ」が印象に残り、
父が刷りこんだ通り、それは

汚らわしいもの、
いやらしいもの、
いけないもの、

になってしまうのだ。


・・・


世話し、世話される、というACの共依存関係が
どうやって代々引き継いできたのか、を考えていたとき、
この性の問題と無関係とは思えないことを発見した。


世話する役の人は「男性」
世話される役の人は「女性」


という構図がうっすら浮かびあがってきた。
父親家系だけでなく、母親家系、さらには
Pさん家系にもその構図があるように思えた。


少し具体的に書いてみたい。


父が世話役で、世話をされていたのはわたしの母。
また、父と出会う前は、母の「父親」が実質的な母の世話役だった。
というのも、母親が愛情をかけていたのは、息子たち(3人)であり、
娘(わたしの母)を、はなから無視していた。
思うに、「この娘は、わたしの世話役にはなれない。いらない」
ということがあったのではないかと思う。
というのも、母の話を以前きいたことによれば、子どもの頃から、
母親は息子ばかりで、父親は娘(わたしの母)ばかりという
構図ができあがっていたからだ。
母は自分の父親からは、相当に過保護にされたらしい。
(もちろん、母は母親に愛されたかった、という恨みが強い)

この母の父親というのが暴力夫で、妻(わたしの母の母親)の
世話には向かなかったのだろう、そこで早々に、
息子3人を世話役として調教した、と推測している。
母が思春期の頃、夫婦は別居していたらしく、暴力夫のほうと暮らしていたのが
娘一人(わたしの母)、そして妻のほうと暮らしていたのが、息子3人。
で、母と暮らしていた暴力夫、つまり、母の父親は、母が結婚し、
わたしの父と暮らしはじめてしばらくして亡くなった。
わたしは兄弟姉妹のなかで、唯一、母の父親と会ったことがあるらしいが、
覚えていない。となると、母が23、4の頃には、亡くなったことになる。
娘の保護が終えた、と同時に、この世を去った、といった印象だ。

さらにすごいのは、母の父親が亡くなったと同時に、母の母親は
元の家に戻り、「選ばれた」と思われる次男にあたる息子が
その世話にあたった。別居期間は、そのための準備だったとすら思える。
そして、それから30年近く、長生きをし、余生はゲートボールなどを
楽しんだそうだ。孫のわたしたちには本当に優しいおばあちゃんだったので、
こんな背景があろうとは、昨年、母からきくまでは、まったく知らなかった。

母は父と結婚し、父が世話役を引き継ぐのだけれど、
手をあげなかったとはいえ、言葉や態度の暴力があったはずで、
そういう意味では、母の父親、そっくりだったのではないだろうか。
その暴力性とともに、過保護でもある。
「箸より重いものを持ったことのないお嬢さんだからね、ママは。
パパしかこんな人とつきあえる人いないよ、なーんちゃって」
という父がよく子どもの前で言ったセリフに対する母の反応は、
「なに言ってるのよ」と言いながらも、そうなのよ、勝手で何が悪いの?
とどこか嬉しそうなのだ。

昨年、母はわたしに電話で、
「パパはママのこと、どう思っているのか、さっぱりわからない。」
と愚痴っていたことがあるが、母がいつも悩んでいるのは、
繰り返される夫からの言葉や態度による暴力と、ところどころに
妙に優しくなる態度に混乱しているのは、話からも想像できたが、
それでも、この人(夫)の保護に下にありたい、という思いが
母には今でもずっとある。

20年ほど前から約10年に渡って、母と父は別居していた。
何があったかは知らないが、いずれもその間は
誰かが世話役をしなければならなかったのだろう、
その間に母の世話をしていたのは、たしかまだその頃高校生だった
わたしの妹(Aちゃん)だった。

20年前のその頃は、わたしはすでにPさんと同棲していて、
母を世話することはできなかったし、するつもりもなかった。
このことは、Aちゃんは口には出さなかったが、わたしに対して
恨んでいる気持ちはあると思う。
彼女は10年、母の世話をした。(弟のBちゃんは、自分のことで
精一杯で、精神的にも不安定な時期だったので、男性であったが、
母の世話役にまわるわけにはいかない、といった感じだった。)

お金の問題で、結局、10年の別居生活後、
父の元に母は戻ることになって今に至る。
これはお金の問題、と思っていたけれど、考えてみると、
ちょうどその頃、Aちゃんは結婚し、その役回りから解放された時だ。
それで思ったのは、お金の問題、というより、
世話役がいなくなった、それで夫の元に戻った、と考えたほうがしっくりする。
そこでさらにぞっとしたのは、たったその10年間の「母の自立ごっこ」のために、
Aちゃんは、大事な10年をAC(大人子供)として仕えるべく、
まるで「父の一時的代行」として、それまで調教されたのではないか?
女性でありながらも、唯一、例外的に「奉仕役」を10年とはいえ、やったのだ。

そしてその10年が過ぎ、結婚する。
この男性が実に、「世話役です」と顔に書いてあるような人なのだ。
わたしの印象ではそれを通りこして、「わたしがAを管理しております」と
まるで物を管理しているような、冷たさ、がある。
「Aは僕の目に入れても痛くない」という妙な特別な所有意識。
ただ、これはAちゃんからすれば、「わたしのこと、一番大事に思ってくれる人」
としか思っていないだろうことは、なんとなくわかる。
「わたしのこと、世話しなさいよ」どころか、
「この人、わたしの管理役なのよん(笑)」と自慢していたくらいだった。
いずれにしても、一時、世話役となったとはいえ、
ちゃんと世話される役に、どっぷり、はまった。

という一方で、仕事に中毒しているところがある。
というのも、母から「女はとくに自立しなきゃダメよ。生きていくお金は
自分で稼げないと絶対ダメなのよ」と言われているのが、強く影響していると思われる。
なにより、これが最大の影響をAちゃんに与えた、とわたしが思うのは、
別居時、母が自分ではじめて仕事を持ち、一見「自立的に見えた」
その生活を、「わたしが支えなければならない」とAちゃんに思わせるには、
十分なほどの脅迫があったと想像した。この場面で、母の世話を拒絶するなど、
Aちゃんには想像もつかなかったかもしれない。
よく考えてみれば、子ども(Aちゃん)の世話を必要としていること自体、
すでに自立でもなんでもない。その気分を錯覚して味わっているだけだ。


個人的で具体的な記述が続いてしまいますが、
ここはどうしても記録しておきたいので、もう少し続きます。


弟のBちゃんだが、彼はわたしの家族のなかでは
唯一、「甘やかされた」例外で、そういう意味では伸びやかな面はあった。
ところが、現実社会では壁、壁の連続だった。
お金のことではいつも母と父を困らせていたが、わたしと全然違ったのは
何人の女性とつきあったかわからないくらい、気づけば、
彼女が変わっていた。今、結婚している相手をのぞいては。

これについて考えてみたときに、はっと気づいたのは、
今の相手だけ様子が違うことだった。
結婚したその女性は、一見、こんな弟でも面倒を見てくれる
寛容な人なのだ、そんな人滅多にいないよ、と
わたしたち家族もそう思っていた。

ただ、よくよく観察してみると、そうでなく、
Bちゃんが彼女の世話をしているのだ。
今まで、世話されっぱなしだったのがBちゃんだった。
甘え全開、それでたくさんの女性とつきあった。
絶対うまくいかず、毎回、トラブルばかりが生じる。
でもおそらく、そもそもそれは、彼の特質ではなかったのだ。
それを本人も、まわりも完全に誤解していた。
思えば、彼もまた十分に「父そっくり」であり、彼の考えや行動は
十分に自己犠牲的であり、尽くすことでしか、
どこにも受け皿はなかった、ということではないだろうか。
あの子ども時代の甘えっぷりののびやかさは、結婚とともに
ピリオドをうった、完全に去勢された、といった感がある。

今まで挙げてこなかったが、
わたしの父の父親(おじいちゃん)について。

家系で家業をついでいたから、わたしはいつも学校から帰ると、
おじいちゃんはいつもニコニコ、お店で「お帰り」と言ってくれた。
父の母親(おばあちゃん)もそうだけれど、孫であるわたしには
本当に優しく接してくれた。嫌なこと一つ、言われた記憶はない。

詳しくは知らないのだが、実は、このおじいちゃんは、
考えてみると、おばあちゃんのところに、婿になるべきやってきた人だった。
当時、おばあちゃんはいわゆる都会っ子で、(たしか)女子大を出ていて
お嬢様。だけれど、(たしか)兄弟は3姉妹で、長女。女性しかいない。
それで、地方から働き手として出てきていた男性の一人(おじいちゃん)と
出会い、結婚した。詳しくはきいたことがないのだが、
となると、たぶん、家業を継ぐための男性が必要だったのだと思う。
だから、わたしの父の苗字は、父の母親のほうの苗字だった。

「箸より思いものを持ったことがない」のは、父が言うには
妻(わたしの母)だけでなく、父の母親(おばあちゃん)もそうらしい。
言うまでもなく、これは父の主観なのだが、恐ろしいのは
おばあちゃんもまた、「そうなのよ」とそれを肯定していることだ。
となると、単純に、父の主観だ、とだけ見るわけにいかない。

おじいちゃんの話に戻るが、おじいちゃんもまた、その
「箸より思いものを持ったことがない」おばあちゃんの
完全に「世話役」としてやってきた、と思われる。
家業も社長としてしっかり引き継ぎ、たんたんと仕事をし、
その意味では、父の姿と重なる。
おじろくの親はおじろく、という悪魔を見るようだ。

それと、どこかで父は、自分のその父親にへんなライバル心がある。
何もきいたことはないけれど、同じものを見る目つきだけれど、
ゆえに常に敵対している。今だから思うのかもしれないが、わたしから見ると、
おばあちゃんの取り合いをしているように見えるのだ。
父の心のなかで、ずっと世話をしてあげたいと思い続けたのが
おそらく、おばあちゃん、だったと思う。
父が親は絶対だ、というとき、指しているのは「母親」だと思う。
そして父がわたしの母のことを、たとえばわたしに対して、
「ママが言うことは絶対だよ、絶対に服従なんだよ」と言ったとき、
父が見ているのは、母の中の「母親としての部分」だ。
つまり、そこに「おばあちゃん」を見ている。
このことは、今回の、性の問題と強く関係していると思われる。

もう一つノートしておきたいのは、Pさんの家系だ。

Pさんには妹(Mちゃん)がいる。
つまり、4人家族で、3人女性で、父親のみ男性。

父親側の苗字を名乗っているとはいえ、
Pさんの母が今の住んでいるのは、生まれた家の隣だ。
Pさんを出産した後、10年くらいは都内で生活したらしいが、
その後は地元に戻り、数年前に、Pさんの父が亡くなる直前、
生まれ育った家の隣の新築に引っ越した。
雰囲気としては、Pさんの母が生活の中心をとっている。

Pさんの父の雰囲気は、いかにも九州男児といった感じで、
実際それを誇りにしていたし、表面的には、我こそはといった感じで
Pさんの母が、いかにもそれに尽くす人の「ように」見えた。
やや疑問に感じてはいたが。それは錯覚だろう、と思っていた。

ところが、それは錯覚ではなかった、と思ったのは、
数年前にPさんの父が亡くなって「以後」の、
Pさんの母の振る舞いようだった。
趣味だった一つの分野に「これからとばかり」没頭し始めた。
もちろん、その下準備はずっと続けており、
恐ろしくも、それはPさんの母の母親も、同じ趣味で同じように生きた。

ここでわたしの中で重なったのは、
父と別居していたときの、わたしの母の「自立ごっこ」である。
あの、なんというか、「やけになって」やっている感じ。
今からがわたしの人生よ、という感じなのだが、
何が自立ごっこか、と思うかというと、
Pさんの母も、どっぷりと娘のMちゃん(Pさんの妹)に
頼りきっていることだ。結婚したいとMちゃんは言っている。
だけれど、なぜか、ずっと出来ないのだ。
まるでPさんの母の世話役から離れられないかのように。
これについては、Mちゃんはわたしの妹のAちゃんと重なる。
起きていることがそっくりなのだ。夫がやってきた世話役の代行業務。
いやいややっているのがわかる。だけれど、離れられないのもそっくり。

Pさんの兄弟に男性がいないので、
Mちゃんからすれば、本来なら、Pさんが面倒を見るべきだ、
と思っているだろうが、Pさんは今はわたしを手にしてしまった。
きっとAちゃんがわたしを恨むように、MちゃんもPさんを恨んでいる。
それが態度でじっとりと伝わってくるのだ。
Mちゃんは、就職して初給料が嬉しかったのか、
Pさんやわたしにまで、お小遣いをくれた。
最初だけだろうと思っていたが、また次も、また次も、と随分続いた。
自我復元を開始し、はじめてこれはまずい、と思い、
受けとるのは断ったが、これも何かの伏線だと感じた。
一つの可能性として、「わたしが結婚したら、そのときは
わたしの母の面倒、よろしくね。お姉ちゃんだけじゃないのよ。
あなたもよ(Aby)。」という下準備。

いや、むしろ、わたしに「言ってきた」のかもしれない。
それにずっと気づかなかったのだ。
あなたが世話をするのは、Pさんだけじゃないのよ。
わたしが結婚した暁には、あなたがわたしの母の世話をするのよ、
というもくろみが、おそらく、ある。

Pさんによれば、Mちゃんはなんとか結婚して
仕事もやめて、好き勝手なことをして、
あとは自由に暮らしたい、らしい。
もちろん、Pさんの母と住んでいる今の場所を離れて。
自分を世話してくれる男性を、なんとか、見つけたい一心だ。

Pさんの父は、亡くなる本当に直前、
新築の家は、Pさんの母とMちゃんに残した。
そして、もう住まなくなった家を、Pさんとわたしに残した。
「城」を残して、亡くなった。

Pさんの父が亡くなったときのことはよく覚えている。
それほど苦しまずに病院でなくなったのではないかと思うけれど、
まだ回復するかどうかわからないとき、でも、ほとんど無理だろう
というとき、Pさんの母とMちゃん、Pさんの考えに驚いた。

わたしはもう可能性がないのなら、
少しでも長生きをさせようというよりは、苦しまずに死ねる方法を
家族なら考えるものだと思っていた。
でも、そんなことはなかった。口では「苦しいよね、辛いね」と
手を握ってあげているのだけれど、Pさんたちが考えていたのは、
「苦しくてもいいから、一秒でも生きていてほしい」ということだった。
そしてこうも言った。

「この人もそれを望むはず。たぶん、自分は死なないって
思っているはずだから。何みんな暗い顔しているんだって言われちゃうよ」

ぞっとした。何がわかるんだろう。
見ていて耐え難いものがあったが、むしろ病院の人のほうが冷静に
できるだけ苦しまない方法をとってくれていたように思った。
もちろん、家族には「できるかぎりします」と言いながらも。

それで何がショックだったか、というと、
亡くなった後の、Pさんの母の態度だった。
見た目はなんてことない。手際よく、葬儀の手配をし、
しかし悲しい顔を浮かべている。ごく普通に見える。
だけれど、わたしに伝わってきたのは、これはわたしの完全に主観だが、
「死んでしまったらしかたがない。きりかえましょう」
という、あまりに冷たく、残酷な扱いようだった。
そしてその後、趣味を謳歌する姿に、何のそこに「Pさんの父」を
宿らせないその徹底ぶりに、しかもそれがどこにも無理がなく、
どうやら、世話役が世にいなくなったら、なぜ覚えている必要あるのかしら?
と言わんばかりの雰囲気を、どうしてもわたしは感じてしまう。
単純に、Mちゃんに一時、世話役を担わせるから別にいい、という感じだ。

さらにぞっとしたのは、
このPさんの母の姿は、Pさんそっくりなのだ。
わたしは、このままでは、Pさんの父のように死ぬ、そう思った。
それがまるで、初めから書かれていたシナリオのように。

こう考えていったときに、そのすべてがぴったりとした歯車で
からみあっているのを見たようだった。

そしてこの構図に何が最も特徴的だったか、というと、
実に、この「性別」で、世話する役、される役が、
ぴったり、定められているかのように、ストーリーが進んでいたことだ。
もちろん、これは偶然の一致かもしれないが、
さらに考えていくうちに、偶然の一致にしては上手くできすぎている、
と感じるようになった。



・・・『③いけないと思いこんでいること」に続きます。



2014.06.05
Aby


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2014-06-09 06:57 | 復元ノート 1

①「いけない」と思いこんでいること

一週間程前、Pさんが仕事に関することで、
「今すぐ、サインくれる?」と言ってきたので、
話も聞かずにサインなんてできない、と答えた。

コンペのようなものらしく、うかれば、
短期間海外で発表したり、制作したりする機会を
Pさんが与えられるという企画の応募だ、ということで、
Pさんはすでにわたしがサインすれば大丈夫なように、
「わたしによる推薦文」を勝手に作成していたのだ。


「何でわたしの承諾もなしに
勝手に意思を代行しているんだよ」
という不満、理不尽さ、
「勝手にわたしのことを決めるな」という
苛立ちがあった。


何の説明もなしにできない、と言ったら、
詳しく説明する時間も気力もないから、もういい、と彼女は言う。
ならば、承諾はできないし、サインもできない。もちろん、断った。


ここからが問題だった。


断ったら、それでいいのに、なぜかペラペラと
「その正当性」をPさんに説得しようとしていた。
後になって気づいたが、それは、わたしが居心地が悪く、
相手に「悪いことをした」と思っていたからだ。
自分勝手に、自分の要望のほうを押し通してしまった、
と思いこんだことによる罪悪感。

ペラペラ話しているうちに何が起こるか、というと
これはいつも馴染みのある感覚で、結局、何が正しいのか
正しくないのかわからない、という結論になる。
まったく、父親そっくりだ。
こうすることで、自己主張した気にはなる。
しかし、結局、善悪の基準は得られず、
罪悪感だけは、ぽつりと残る。


ハッと思った。
いつもここがワナだ。


言いたいことは言った、それで、なになに
「あなたが望むなら、応援するよ、支持するよ」としてしまうのだ。
最初に感じていた自分の意思、怒りすら、
ペラペラ話した気になっているうちに、抜けて落ちていってしまう。
結果、善悪の基準もとくにあるわけでもなし、

「断る理由もない」

と思いこんでしまう。


断る理由がなかったと自分でも誤認する。
なぜか、自分が相手の邪魔をしているとさえ感じてしまう。


今回はその過程を観察しながら話し合っていたから
最後までNOを貫けたけれど、この意思が薄れていく様子に驚いた。
さらにぞっとしたのは、おそらく、これは今までも、

「相手の要望をききいれるために」

無自覚に自分がとっていた下準備であり、
常套手段だったことだ。


これに気づいたのは、その数日後、
スーパーに行ったときのことだった。
欲しいものがそのコーナーにあったので
直進したのだが、まさにそこで試飲会をしていた。

わたしは販売員さんにすすめられるままに
受け取って飲んだ。

だけれど、わたしは別のものが欲しかった。
大問題はそこからだった。


思わず、そのまま帰りそうになったのだ。


いやいや、と思って戻って自分の欲しいものを
買ったには買ったのだが、釈然としない。
なぜ、帰りそうになったのか?


販売員さんに悪い、と思ったからだ。


せっかくすすめてくれたのに、それを買わず、
別のものを手にすることを躊躇したからだ。
残念な思い、がっかりさせてしまう、傷つけてしまうと思って。

つまり、困らせてしまう、と思ったのだ。

そこでこんなふうに考えてみた。
わたしが販売員だったら、困るだろうか?と。
何も困らないのだ。残念にすら思わないかもしれない。

「今日はこっちをいただきます。
おいしかったです。ありがとう」

でよかったんじゃないだろうか?
むしろそうわたしが言われたとしたら、
困るどころか、「ぜひまた、お願いします!」と
自然と笑顔にすらなるような気がした。

それに、そこでもしも因縁つけてきて
「なんで別の買ったりしてんの?ショックなんだけど。
ありえないんだけど、この人」と言ってきたからといって、
真に受けてわたしのほうがショックになったとしたら・・・

そうなのだ、いつも、ここなのだ。
なぜここで、わたしが折れているんだ?

Pさんも、わたしの両親も、自分の要求が通らないと、
なんだか、こちらが悪いことをしたかのような顔をする。
いいよいいよ、と口では言っても、明らかに
「我慢してやっている」といった顔をその下に隠している。

「あなたの考えもあるわよね」というのが皆無なのだ。
自分の要求が通るか、通らないか、それだけ。
議論の余地がない。


要求は、それぞれ出しあってから、
はじめて、そこで議論をし合う、というスタンスがまったくない。


ぴったり今のわたしと重なる。


「要求は通らないこともある。
それは相手が悪いのではない」

という認識がない。冷静に考えれば、そんなのは当たり前だと思う。
なのに、先日も、Pさんに対してこんな復讐心があることに気づき、
わたしも完全に、これに毒されていると感じた。

わたしとPさんは共同作業をしてきた。
ともに仕事をしてきた。
そして繰り返し繰り返し、Pさんからダメ出しをされて、
その都度、仕事の企画、アイデアはおじゃんになった。

それに対して、わたしは逆恨みしていた。

気がつかないフリをしていただけで、ずっと潜んでいたのだ。

「なんで、わたしの言う通りにしなかったんだ。
だからいけないんだ。Pさんが言うことをきけば、
今頃、成功していたのだ。本当に残念だ」

と思いながら、さらにその内側で、

「ざまーみろ」

と思っていたのだ。
わたしの言う通りにしないから、こうなったんだ、と。
・・・毒親の両親と、やり口が同じだ。

そして内職活動は、わたしの言い分に賛成してくれそうな人を味方に集め、

「ほーら、わたしの言う通りに
ちゃんと従った人たちはこうやって上手くいくんだ、
成功するんだ。どうだ、Pさん、見たか」

という復讐心、これが原動力だった。


「言いなりになれよ」


が、わたしの中にある無自覚な主張だった。

これは逆にいえば、相手の意見や要望に対しても、
言いなりになるのがいい、なるべきだ、と思っているのと
表裏一体となっている。

今の仕事のなかでの対人関係を見てみると、
どこか、相手の言いなりになることがいいことだ、と
漠然と思っているところがあることに気づいた。
つまり、相手の要求を断ったらいけない、
そうしたら相手を困らせてしまう、という思いこみがある。
だとしたら、当然、わたし自身、相手に対して、
「言いなりになれよ」と言わなくても思っている、ということだ。
しかし相手はそうはならないから、上から目線になって
こちらが「我慢する」という姿勢に切り替えて、それが
利他なのだ、しかたがないのだ、と納得しようとする。


「相手の要求を断ったら、相手を困らせてしまう」

という思いこみがある。


実際、相手は残念に感じるかもしれない。
それを「困る」と言ってしまえば、たしかに困ることもあるだろう。
だけれど、この思いこみの問題は、これ自体よりも、
「相手の要求を断ったら、相手を困らせてしまう。
それは悪いことだ」という、この

「それは悪いことだ」

という親からの意識づけにあるように思う。


試飲の件でも、よくよく考えみれば、
一度はその場を立ち去ったとき、その時、本当は
誰が困ったか、というと、あえて言えば、
わたしが困ったのだ。

わたしが意思を曲げてしまった、ということ。

販売員さんは何ひとつ、自分の意思を曲げてなどいない。
ただ、売れなかっただけだ。
それは本来、という言い方が適切かどうかわからないけれど、
「困る」ことではない。なのに、もしもそこに「困った・・・」
という顔色のパフォーマンスがあったとしたら、
相手に罪悪感を植えつけようとしているにすぎない。
(こちらの販売員さんは、そんなこともなかったのに、
自動化されたわたしの反応=罪悪感、となっていた。)

もしもそこで、望まないものを購入したり、
望んでいたものを購入せず立ち去れば、わたしは
罪悪感を回避できたと思って、安心してしまい、
この選択がベストだった、と思ってしまうのが常だった。

この罪悪感を植えつけたのが、
親だったのではないか・・・完全に独り相撲ではないか。


「相手を困らせたら、いけない」


もちろんそれは、親が自分たちの要求を通すために。
子どもを言いなりにさせるために。
「相手の要望を断る」のは本当はいけないことなのだ、
という罪悪感を植えつけたに違いない。

今回のPさんとの一件でも、わたしはその罪悪感を薄めたくて、
ペラペラ話し始めて、「ものは考えよう」で
AといえばAじゃないと言い、まるで父とそっくりな語り口。
端から見ていたら、「この人、何言いたいの?」だ。
わたし自身、なぜそんなことをしているのかわからなかった。

恐ろしいことに、
「それぞれに正論がある」という話をすることで、
「しかたがない、あなたの要望のほうを、聞き入れてあげるよ」
という準備をしていたのだ。

しかも、それぞれに正論がある、といういかにも
矛盾をも包括するような(格言の悪用のような)論法で
間違っていない自分に浸りつつ、その自己確認に必死だ。

考えてみれば、いつもこの手を使っていた。
そして最後には、相手の言いなりになっていた。
この姿は、まったく、父そっくりであり、成人後、
どの職場、どの活動の中でも、典型的な

「妥協」

の仕方だった。


つまり、それは、
相手がわたしの言いなりにならなかった「その時点」で、
その度に、わたしは自分の意思を撤回し、
無抵抗で曲げてきた、ということ。

だから、いかにそのような事態、きっとそれは議論の場、
ということになるが、そのような事態になる前に、
いかにわたしの主張に「言いなりになってくれること」が
相手にも利点があるかということを、事前に、相手に説得し、
わかってもらおうとする。

なんでも事前に対処しておこう、とする癖は根深い。

それは何を避けているか、というと、
議論になることを避けている。


 Aby 5/30


・・・


桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S353
の中の、

>極論すると、
>情報には、「正確さ」より重要な事がある。

>それは、とても人間的な表現になるが
>「正直」に言うこと、正直である事だ。


>その情報が正確か否かは、あとでじっくり検証すれば良い。

>そんなことよりも、
>一番最初に放つ情報に、
>体裁や虚栄や歪曲が入ったら、混乱はどんどん二乗されてゆく。


この部分とそれ以降の箇所を拝読したとき、
最初、「ここは重要だ、そのことがわかる」と感じた。
この「わたしはわかる」が、すごくあやしく、無視に入る兆候だ。
そういうときは、何度も読み返してみる。
すると、だんだん、胸が苦しくなったり、居心地がみるみる悪くなるので、
やっぱり無視しようとしていたんだ、ということに気づく。


崩残さんに隠していたことがいくつかあった。
それを見ないようにしていたんだ。


怖くて言えなかった。


しかしそれは自分で隠蔽でない、と思っていた。
なぜなら、「間違ったことはしていない」と思っていたからだ。
問題となるようなことはしていない、と思いこもうとした。

でもなぜ、わたしは間違ったことはしていないんだ、と
血眼になって証明しようとしているのか、を自問すると、
どう逃げようと、隠蔽しているからなのだ。


この記事を読んでいる時、ちょうど父の格言の影響を
考えていた。そのとき、はっと、一つの隠蔽に気づき、
血のけがひいた。これは紛れも無く、罰を恐れる
AC人格の思考停止状態そのものだった。


昨年10月頃、父からの格言の影響を調べる際に、
自分の記憶と合致しているか、他になかったかを
一度父に電話して確認したこと。

このことをわたしは
崩残さんに隠してしまった。

「これはもしかしたら、自分ですべて思い出さなければ
いけないものだったのではないか。それに調教した本人である父親に
電話で確認するなんて、やってはいけなかったんじゃないか・・・」
と、父と電話し終えた後になって、漠然と不安になった。

「誰が父親に直接きけって言ったんだ、なんてことをしたんだ」
と勝手にセリフを捏造し、崩残さんの顔が浮かんで、
妄想に妄想を重ね、完全に怖くなってしまった。


そこからのとった行動、それが問題だった。


「でも、自分の記憶にあるものとほぼ合致していたし、
確認しただけだから、言わなくても大丈夫・・・」

としたのだ。それを何度も大丈夫、大丈夫とその理由を
自分で言い聞かせて、わたしは恐怖から目をそむけた。


これが隠蔽だとしたら・・・


即座にもう一つ、「隠蔽でない」と思いこもうとしていたことが
あったことに気づいた。

年始の件でのゴタゴタだ。

Pさんがわたしの実家に行かないことで口論になった、
と書いてはいたが、その事の始まりを割愛したこと。
母が毎回なんで?ときくものだから、
「一度、ちゃんと電話で話してみたら?」とPさんに促したのは、
わたしだった。

それが言えなかった。

なぜかというと、あの一連のゴタゴタは、
「わたしがあんなことを言わなければ起こらなかった。
母が昔の話をしたくない!などと言うことにもならなかった。
わたしの不必要な一言が、自我復元を阻害したんだ。
なんでそんなことしたんだ、と崩残さんに怒られてしまう・・・」と。

これもまた、崩残さんから罰を受ける、見捨てられる、と
勝手に妄想をふくらませた。
そうしているうちに、もう一つ見つかった。


年始に食事をとった後、家に戻る途中、
父から脅しのメールがあった。

「先日ママとPさんが電話で話したそうですが、
内容を知っていますか?他人に言っていい事悪い事。
礼を知らない無礼者は・・・?誰だ。
PさんがAbyのママに何を言ったか?パパは馬鹿は嫌いです」

完全にキレているのがわかった。
おそらくPさんを電話に出せ、というだろうから
さすがにそれはできない、と思ったのだ。
結局、電話では「Pさんは今いない。わたしと喧嘩してしばらく
戻らない」と嘘を言って、Pさんをかくまってしまった。

これも言えなかった。

自我復元の最中にあって、依存対象であったPさんを
かばうなど、あってはならない、そんなことをしたら
崩残さんに怒られる・・・と思ったのだ。


今、このように書いてみると、
やはり、怖くなってしまう。まったく冷静になれない。
となると、これはただの自白になってしまう。


どうしてずっと怖いのだろう。


そう、こんなことも自分のブログに書いた。
http://mmjhb11.exblog.jp/20418330/

>この年始の食事のときに、わたしは年始でもあるし、
>あまり詰問調の話になったりしたくないから、会う前に、そうだ、と思って、
>「どんなときに笑ったり怒ったりする?こういうときに笑うのはいいけど、
>こういうときに笑うのはちょっと・・・と思ったりすることってある?」
>みたいなのを、色付きの可愛らしい用紙にアンケートっぽく書けるように、
>と思って持っていったのだが、それを見て、

>「どうして、Abyは、昨年も昔のことをきいてきたの?」

>と不審がられて、それで、なんとなく、こんな展開になったものだから、

このブログを書いたのは3月だったけれど、1月の時点では
http://mmjhb11.exblog.jp/20206047/
のなかでは、これが書けなかった。

この用紙を渡したときが引き金になって、
「なんで昔のことを言わなきゃいけないのか!」と
急に母が苛立ち始めた。

これも同じ。あんなことしなければ、よかったんじゃないか。
それに、喜怒哀楽のことなど、親に直接きくことじゃなかったんだ。
わたしが一人で考えるべきだったのに、と。

1月の時点で書けず、3月。
でも、これでは自白と変わらない。
そうでないと思いこみたかったけど、やはり自白だ。


 Aby 5/31


・・・


ここまで書いた段階で、恐怖そのものの
ゾンビ状態になっていた。

こうなるとわたしはいつも、
考えたことも、書いたことも、すべて破り捨て、
なかったことにしたくなる。

でも、なかったことになどできない。


にっちもさっちもいかない。


翌日になって今続きを書いているが、
昨日のうちに、もっと深くまで掘るべきだったと思っている。
何が怖かったのか、生の感情がわからなくなっているから。

でもそんなことは言ってられない。

この隠蔽と自白は、つねにこうやって
「考えさせない」ようにするのが手だから。

ゾンビ状態ではあったが、昨日の時点で、
自分のひとつの意思は確認できた。


それは、どんな辛くても、
あきらめるなど考えてもいない自分がいることを
わたしが知っている、ということ。

あきらめる、というのは
わたしがすることではない、ということ。


今まで、「自白」というのは、
「自分は悪いことをしました。正直に言います。
どうか許してください」という土下座みたいなものだと思っていた。

そんなものじゃなかった。
昨日書いた内容も含め、それ自体が何もかも「自白」という
体裁をとっているのを見て、ここに、隠蔽と同じ魂胆を見つけた。

それは、

「間違っていないよね?」

という、わずかであっても、姑息な逃げ道を
コイツは用意していたのだ。

表面的には、「悪いことをしてしまった」と書いていても、
その一つ下の層には、「しかたなかった」という言い訳が隠されている。
さらにそこに隠されていたのが、

「間違っていないよね、そう言ってよ!お願いだから」

という主張だった。

なんと、隠蔽も自白も、
「間違っていないよね」だけなのだ、主張が。それだけ。
わかっているつもりで、まったくわかっていなかった。

と、考えたとき、ではこうやっていつも書いてきた
ブログでの言動は?と問うと、これもまた実は、

「間違っていないよね?」

なのだ。これがとんでもなく、しれっとしていて、
自分のブログを読み返すと、毎回ヘドが出る。

これも自覚しているつもりでいた。
でも、どこかわかっていなかったのだ。
崩残さんや他の方の目を気にしながら、
ブログにしれっと書くか、隠蔽するか、自白するか、という
「形」だけを「調整」していただけで、動機がすべて同じだった。


「間違っていないよね?」


ただこれだけ。本当に「ただこれだけ」。
恐ろしいほどに、これだけ。つまり、ここで「思考停止したまま」。
どんな情報も分析も、何ひとつ、自分のために活かせていない。
活かそうとなどしていない。

「間違っていないかの確認、それだけ」
・・・あまりに酷い思考停止に唖然とした。


一方で、もう一つの声がある。

「いつまで同じことを繰り返しているんだよ。
そんなことしたくないって、本当は自分でもわかってるよね?
なんでずっとやってんの?ねえ、どういうつもりなんだ、お前。
いやいややっているの、わかっているよね?
もう、うんざり、と思っているのに、なぜそれを無視するんだ。
思ってるじゃないか、いつまで顔色で動かなきゃいけないんだよ、って。
自分のためじゃないことがわかっているから、うんざり、それ、知ってるよね?
何、すっとぼけてんの。死に際までボケてるつもりか?」

そうすると、

「だって・・・しかたがないだろ」

とAC人格は仮想の恐怖をちらつかせて言ってくる。
「隠蔽か、自白か、しれっと書くか、それ以外、ある?
・・・無いでしょ?」

そうやって、

「無いでしょ」

と言ってくるのだ。

その通りだ。そこで嘘を言ってはダメだ。
だけれど、「無いでしょ」でいいのか、それでいいのか、
本当にいいのか?

本当にそれでいいのか。

AC人格は、「そこを」考えさせようとしないのだ。
思考停止の目的は、きっとここにある。
しかたがない、だってああでこうで・・・と恐怖の妄想をふくらませ、
怖がらせて、

「しかたがない」

と言わそうとする。


しかたなくなんてないんだ。
しかたがない、なんて思ったこと、
一度だって、一時だって、ない!


「無いでしょ」としたのは、
毒親の手の内だ。


今回、少しだけれどわかったのは、
「間違わないようにすれば、なんとかなる」
という解決法がある、と、そこをずっと手放さない自分がいたことだ。
それの出方が、ブログでのしれっと書きだったり、隠蔽だったり、
自白だったりする、という見え方の違いなだけで、根は同じだということ。

おそらくこれには、


「間違ってはいけない」


という親からの刷り込みがある。
「自分は間違っているんじゃないか?」といつも感じている。
ただ、今の時点では、なぜここまで、間違うことに恐怖を
抱くことになったのか、その直接の原因となったものが
何だったのかがまだわからないのだが、少なくとも、今思うのは、
この「間違ってはいけない」という「判断(基準)」が、
わたしの手にない、ということだ。


・・・


「困らせてはいけない」

「間違ってはいけない」

これ以外に、もう一つ、今年たえず気になっているのが、

「女性を性的な目で見てはいけない」

というものがある。

これだけはどこか異質で、深刻なものなのかどうか、
わからないでいたので、観察をしては分析し、
メモばかりためている状態であったが、
どうも、加害者意識と被害者意識を、
わたしが使い分けていることにも関連している気がする。

元をたどれば、父親の影響、母親に対する見方の歪み、
さらには父親家系の影響がやはり大きい、と思った。


桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S354
のなかで、

>多くの人たちが、「不満です」「不安です」「不快です」と言う。


>しかしその望みの細部まで聞いて、
>本人の本音を引き出してみると

>「結果的には、あなたの望んだ通りじゃないですか?」

>となる事が95%以上だ。

>つまり、本人自身が自分の望みを分かっているつもりなだけで
>全くの自己矛盾を起こしているケースばかりである。


とあり、自己分析してみると、まさにその通りだったが、
そこで、性の問題は、思った以上、自分の選択に
「多大な影響を及ぼしていた」と感じた。

それだけでなく、今回の投稿に書いたこととも
お互いに関係しあって、AC人格を保身しあっている、
そういうふうにも思える箇所がいくつか出てきた。

いったんメモを整理しながら、
「②「いけない」と思いこんでいること」としてまとめ、
アップできればと思っています。予定です。



2014.06.01
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2014-06-01 23:12 | 復元ノート 1