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悪質な言葉

父も母もよく言っていたのに
まったく思い出さなかったフレーズがあった。


「頑張りなさい。困るのは自分なのよ」


明るい未来を根こそぎ奪う言葉だ、と思った。
それは同時に、どんな困難に直面しても
自分のために最後まで戦い抜く純粋な思いを
否定された、そんな感じだ。


困るから何だと言いたいのだろう。


「困ったとき、苦しいとき、恐れを抱いたとき、
そのときにこそ、希望と、情熱を奮い立たせて
己を守り、志を貫き通しなさい」

と言ってくれたことなど、一度もなかった。


考えれば考えるほど、なんて酷い親なのか。
子どもの不幸をもてあそんでいる。
この親は、わたしが幸せに生きることを
ただの一度も考えたことすら、ないのではないか。

「困るのはあなたよ」

そんな残酷な脅しをなぜ言えるのだろう。
困るのはあなたよ、は、わたしを案じているのではなく、
ただの脅し文句だった。

このことに無自覚だった。

母がよく言っていたのは、
「パパもママも、学校で勉強できるほうじゃなかったし、
そういうつらいこともあったから、同じ思いはさせたくないの」。

両親に共通する言い分は、いつも、
「ないよりは、あったほうがいい」
「やっておくに、こしたことはない」だった。
成人する頃には、さすがにそれは鵜呑みにもできず、
大は小を兼ねないこともあるだろう、としばしば反発もしたが、
どんな反発をしようと、疑っていなかった点があった。


それはどういう点かというと、

親はわたしを心配して、わたしのことを思って、
それでもやってくれたんだ、言ってくれた

に違いない、という思いこみだった。


もしも本当にわたしのことを案じているのなら、
「あなたがなるべく困らないように、パパ(ママ)は頑張るからね」
とでも、わたしの目を見て堂々と言えたはず。
(そう言えるような親なら、むしろ口にしないと思うけれど)


それが言えないのは、親こそが敵だからだ。
困らせてやろう、罰してやろう、という張本人が親だったからだ。
なら、言えるわけがないし、言うわけもない。

「あなたを罰していい人なんて、どこにもいないんだよ」
「あなたは罰せられていい人間などでは、絶対にないんだよ」

と言うはずがないのと同じ。だって、
親が処罰者をやりたいのだから。
親がいかに絶対的な力を持っているか、
教えこみたがっているのだから。
ありとあらゆる手を使って。

ありとあらゆる手、と書いて思ったのは、
わたしがありとあらゆる手を使うべきだった。
うつ手はまだまだあったはずだ。
たとえ親相手に戦死したとしても
命ある限り、手を尽くすべきだった。

それをしなかったから、その後、
仮想の恐怖に怯えるだけの人生になった。
それはどういうことか、というと、
処罰者の「座席」を、わたしの判断でつくり、与え、
親=わたしを罰していい人、とわたしが認めた、という証拠。
いくら親が「オレたちは処罰者だ!」と豪語しようと、
わたしがそれを認めさえしなければ、
仮想の恐怖といった「脅しの影響」をわたしに与えることなど、
できるわけがなかったからだ。

わたしが認めさえしなければ、
親はただの勘違い野郎であり、気狂いであり、
たとえ親であれ、そうなれば敵、外敵だ。

敵だ、という認識を持ち続けることを
わたしはどこかで放棄してしまった。

親が敵・・・最低だ。

その親側にまわったわたしも最低。

その馬鹿親を選んだわたしも馬鹿だ。
だから次は忘れない。

敵だ、ということを
二度と忘れない。


・・・ ・・・


なぜ、わたしが

「今、苦しむこと」

に中毒しているのか?

わざと、耐えうる苦しみ、耐えうる不幸を自分に与えて
「今、自分は不幸であること」を毎日毎日確認しながら、
歪んだ安心を得ようとしているのは、なぜか?
不幸に住みたがるAC人格の元はどこにあるのかを
掘っていく途中、思い出したのが、この、
「頑張りなさい。困るのは自分だよ」という両親の口癖だった。


今苦しくないと、こわい。

今不幸でないと、こわい。


苦しくないとダメなんだ、と強迫観念のように自分にムチ打っている。
苦しまなきゃ、もっと苦しまなきゃ、と。

「今、自分は苦しいと感じていないのでは?」と意図して自問すれば、
拒絶反応が起こり、「そんなことない!!」と必死に否定しようとする。


なぜ、そんなことをしているんだ?


そこを掘っていくと、こんな思考、声にぶちあたった。


「いつか、怖いことになるぞ」


これは「今」ではなく、「未来」に
「より恐ろしいことが来る」といった思いこみ。
いつか怖いことが起こる・・・これが巣食っている。

「最期はみじめで、最悪に酷い、不運な人生が待っている」

という根拠のないビジョンがすりこまれている。

はた、と思ったのは、
わたしが耐えうる小さな苦痛や不幸感に依存するのは、
この「耐えがたいであろう大きな未来の恐怖」に
目を向けたくないから、それを思い出したくない、考えたくないから
目の前の手頃な(と判断した)苦痛、たとえば、我慢や自己犠牲を
自ら進んで、手にしているのではないだろうか?


そう、こんな癖があった。


それは歯医者さんに行くと、必ずやる癖だ。

虫歯を削られるときのあの痛みは、
幼い頃からわたしにとって相当な恐怖だった。
そこでわたしがとった方法は、自分の足をその間、
「強くつねっている」ことだった。

大きな痛みが怖いから、小さな痛みに意識を向ける。
結局、治療で痛みがないことも多いので、
つねり損なのだが、こういう麻痺のさせ方をしていると、
結果どうなるかというと、「ずっと痛い」のだ。
ところが、その痛みは、「本当にこわい痛みに比べたら
無いのも同然」と思うようになり、麻痺の手段として、
自ら率先して、つねるという自虐行為に中毒、依存する。


そう、この感じにすごく似ている。


歯医者さんだから落ち着く音楽なんかが流れ、
窓からやわらかい光が差しこんでいるのに、
それを味わったりするのが、怖くてしかたがない。
まだ、キーンという音もしていないのに、
ギュッと大腿部をつねってスタンバイしている。

これとかなり似た感覚が
毎日の生活のなかにたくさんある。

自我復元や今こうやってブログを書いたり
自己分析をしたりしている最中も決して例外じゃない。
この不幸人格が、「あの不幸、この不幸」と物色している。
AC人格のわたしが集めまくった不幸や苦痛なのだから、
今のわたしが集めていくしかない。
気持ち悪かろうがなんだろうが、やるしかない。
記憶を掘り、事実関係を明るみにすること。


・・・ ・・・


「頑張りなさい。困るのは自分なのよ」


まずこれを鵜呑みにしたことが
最初の間違いだった。
こう言われたときに、どう困るんだよ、と
問うべきだった。それにどうして、わたしは
別に困ってもいい、と悪態のひとつもつけなかったのか。


そしてわたしは取引をした。


「今、がんばっておけば」
「今だけ我慢すれば」
「今、苦しんでおけば」

・・・きっと、将来、困ることにならないはずだ、と。


「今がんばって、今苦しいのに耐えれば、
きっと一番マシな将来、耐え難いほどにこわいことにはならない
未来が待っているに違いない」と、何も考えず、思いこんでいた。


母と父は、同じことを言っていた。


「今、頑張っておきなさい」
「今、苦しい思いはしておきなさい」
「今だけは、我慢しなさい」

そっくり鵜呑みにしてしまった。


「今だけだ」

と、それを今だけだ、今だけだ、と、大人になるまで
ずっと言われ続け、それを実践した。
成人し、ふたを開けてみれば、今もそれをやっている。
いつ終わるんだ?


これは、終わるわけがない、と思った。


なぜなら、親がすりこんだ恐怖は、
「未来、こわいことになる」という、
具体性が何ひとつない、漠然とした未来への不安、
それをほのめかしただけだったからだ。

なぜ、そんなことをしたのか?

今、がんばらせるためだ。

がんばるとは何か。

「親の言うことを我慢してきけ」ということじゃないか?

実際、「今、頑張ってこうしなさい」と指示を出すのは親だ。

必ず言う。「あなたのためよ」と。


それは嘘だ。


それは嘘だと思ったのは、
両親がわたしの未来や将来について
異常なほど、話し合ったこともなく、
今、今、今、今って、そればかりに執着し、
何ひとつ具体性のある未来を口にしたこともなければ
将来について触れたこともなかったことを
思い出したからだ。

「将来、Abyはどういうことしたいの?」と
なぜ、一度もきかなかった?

あとひとつ、小学生の頃、「大きくなったら」という作文で、
「将来、ブルートレインの運転手になりたいです」と書いてある。
そんなわけないだろ、列車に興味を持ったことが一度もないのに、
どうしてそういうことが書ける?そうしか書けなかった?

今だって同じじゃないか。
自分の意思で自分の未来も描けない。
どう「わたしのため」になったというのか?


父が今一番好きだ、と言っていた格言に

「幸せはいつも自分が決める」

というのがある。わたしたち子どもが成人してから
急に言い出した格言だった。

なぜその頃になって言い出したのかも
今になって、その魂胆がわかった。

「Aby、今幸せじゃないのなら、それ、自分のせいだよ」
という意味だ。続く言葉は決まって、「努力が足りない」。


あなたたち親がやってきたことは、わたしに

「未来を考えさせない」

ことだったんじゃないか?


将来が漠然と不安に感じるように調教したに違いない。
なぜなら、将来を漠然と不安になるようなことを言われる、
ほのめかされるだけで、自動的に不安になる癖が
わたしに根強く残留しているからだ。

同時にどういう思考が起こるか。

「ああ、今やっていることは、ダメだったんだ。
今の頑張りが足りないんだ。間違っていたんだ。
今、調子にのっていたんだ。楽をしていたんだ。
勘違いしていたんだ。考えが足りなかったんだ。」

どうしたらいいだろう・・・わからない。

顔色を読み始める。
相手の機嫌を察しようと必死になる。


毒親の狙いは、きっとここにある。


決して未来に目を向けさせない。
Aby、今が問題なんだ、と。
今、お前がやったことに問題があるんだ、と。
まさに、「今、何やった」がきいてくる。

そうなると思考停止してしまい、
先のことがまったく考えられなくなってしまう。
仮想の恐怖だけが、何をやるにおいても
言動の動機になってしまう。
未来に目がいかないようにさせ、
「仮想の恐怖」という鎖で監禁してしまえば、
毒親にとって調教はたやすくなる。


未来に目を向けさせないということは、
希望も文句も言わないようにさせる、ということだ。


「Abyは、こうしたいとも言わなかったし、
こうしたくないとも言わなかったよ。いい子だったね」
と、昨年、母が言っていたのを思い出す。


希望を言わない、というのは
明るい未来を想像し、夢を描き、情熱を持って生きるという
人間としての機能を失ったからじゃないか?

文句を言わない、というのは
過酷な未来を想像し、現実を直視し、戦っても生き抜くという
人間としての機能を失ったからじゃないのか?


・・・ ・・・


この不幸に住みたがるAC人格は
何でもバカにできるぞ人格と手を組んで、
「わかるよ、わかるよー」と共感したフリをして、実際は上から目線で
相手を軽蔑し、不幸自慢をする。

この相手を軽蔑する、というやり方は、
相手への苛立ち、イライラを隠すためにやることが多い。
「相手はどうせダメだから」と自分が上に立つ、世話してやる、という
AC(大人子供)丸出しの姿勢そのもの。
Pさんに対しても、イライラの抑え方はつねにこれだった。
軽蔑することで、平然さを保とうとしていた。

軽蔑をするやり方は、おもに上から目線なのだけれど、
自虐的だと思ったのは、相手のためや利他と錯覚して、
「自己犠牲をしてあげても、まだ大丈夫なわたし」を
演出し続けていたことだ。


>わたしが耐えうる小さな苦痛や不幸感に依存するのは、
>この「耐えがたいであろう大きな未来の恐怖」に
>目を向けたくないから、それを思い出したくない、考えたくないから
>目の前の手頃な(と判断した)苦痛、たとえば、我慢や自己犠牲を
>自ら進んで、手にしているのではないだろうか?


ということであれば、なおのこと、
この不幸に住みたがるAC人格にとっては、
「もっと苦しまなきゃ」という強迫観念が、幻想の利他へと駆り立てる。
自己犠牲が、その手っ取り早い解決方法に思えるからだ。

軽蔑と自己犠牲はセットだ。

悪循環なのだが、この軽蔑という逆恨みに依存し、
本来ならストレートに苛立ちや怒りをぶつける相手にも
そうすることができず、皮肉にも、やれやれと世話をしたり、
理解ある話相手になっていたり、「軽蔑しながら」やっているのだ。


桜の前の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S350
http://www.mumyouan.com/k/?S351

に掲載された方々の報告文を拝読し、
すごく気になり、気持ちが落ち着かず、プリントアウトしては読み、
それでもこの迫りくるものが何なのかわからず、
何日かしてはじめて、自分の盲点だったひとつの感情、
見落とし続けていたものに気づいた。


「嫉妬心」


感情のなかでも、おそらく最も無縁だと
勝手に思いこんでいたものだった。

楽しいや幸せ、それらを手にしている人に対して
嫉妬心を抱いていたこと、これに気づかぬフリをずっとしていた。
嫉妬心なんて無い、なんて、とんだ大間違いだった。
しばしば、自分で自分に「偽善者」とレッテルを貼ったのも、
自分でこの気持ちにふたをしたくて、見たくなくて、
気づきたくなくて、誤魔化そうとしたからではないか?

そもそも、このAC人格が、
なぜ不幸に住み着くようになったか、というと、
楽しい、嬉しい、楽だな、幸せだな、という感覚を
恐れるようになったからだ。この投稿でも書いたように
それは、

「いつか、やってくる大きな不幸」
「いつか、やってくる大きな苦痛」

が、より強く、想起されるからだと思う。
仮想の恐怖が、より鮮明に、映し出されるからだ。

嫉妬心としっかり向き合うことをせず、目を背け、
「どうせ自分なんて」と自己否定しながら、
目の前の手頃な(と判断した)不幸や苦痛で
仮想の恐怖に麻痺することを選んだ。
本当は望んでいたはずの、楽しさや幸せを追求しようとせずに。


「楽しくなくていいんだ」


そうやって生まれたAC人格にとって、
楽しそうな人、幸せそうな人は、嫉妬の対象なのだけれど
わたしが嫉妬心に気づきにくかったのは、
それを表現するわたしの方法(態度)が、


「無視」


だったからだ。

無意識に無関心を装い、スルーしていた。

「不幸そうな人」を抜き取るように、
わたしと関わる人を、自動的にふるいわけた。
そういう人を自分のまわりに集めては、保身に走った。
わたしがやっていた内職は、不幸カルトであり、
集まった人たちに共通していたのは、社会に馴染めず、
「笑顔にありつけなかった人たち」であり、
嫉妬の反動でよどんだ目をした、まさに
わたし自身だった。

一方、

何でもバカにできるんだぞ人格が獲物を見つけては
軽蔑している時のほうが、挙動はわかりやすかった。
少なくとも、無視はしていないのだから。

だから、この無視には、今でも気づけるかどうかわからない。
これにはまず、「何の印象も残らなかった」ように過ぎていく出来事や、
なんとなしにスルーしてしまう他者の言動を注視してみて、
わずかな違和感こそ、無視しないでみようと思う。

無視の一歩手前の、おそらく、
目障りだ、という信号があるように思う。



2014.05.22
Aby


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by jh-no-no | 2014-05-22 06:00 | 復元ノート 1

「親は絶対だ」という密室で育てた自虐思考

年始に両親と会って以来、言葉を交わしていない。

一昨日、ふと歩いていて、こんなことを思った。

もしも父が突然、メールや電話をよこしてきて、
「一度、来なさい」などと言ってきたら、
「行かない」と答えるだろう、と思った。

二度、三度、そう言われても、行かない、と
答えるだろう、と思った。

父も母もきっと
最後に言うセリフはこうだ。


「親の言うことは、絶対だ」


わたしが「行かない」と二度、三度、返答し、それでも
もしもそのセリフを言ってきたら・・・と
なぜか、その状態を想像したとき、
堰をきったように、こんな乱暴な言葉が、
ドカドカとあふれ出した。



「行かねえって言ってんだろぅが、こらぁ」
「お前、誰だよ。何様だってきいてんだよ」
「誰に口きいてるんだ。答えてみろ」
「今、何て言った、何て、言ったんだ」
「調子にのってんじゃねーぞ、おい」
「黙ってりゃ、いい気になってんじゃねぇ」
「お前何笑ってんだ。何にやついてるんだよ」

きわめつけは、「お前、死ねよ」。



長く息をとめていて、急に息を吸うときに
心臓がドクドクいう、まさにそんな感じだった。


驚いた。


父に対して、こんな気持ちを持っているとは、
思ってもいなかった。
このときに頭にずっとあったのは、
あの、高圧的な顔だった。


わたしの中で流れ出したこれらの言葉は、
父が、まわりの人を血まつりにあげるときに
多用する言葉だった。
あまりに一致していたことに、唖然とした。

最低だけれど、わたしもまた、何度か職場で
ダイレクトにそうは言わなくても、苛立った上司に対して、
同じような温度で、似た言葉を使って責めたてたことがあった。
まるで、同僚に「俺は怒ったら、本当は怖いんだぞ」と
見せつけるように、怒鳴ったことがあった。


あの時の感じだった。


「とうとう怒らせたな」と、キレる。
わたしの顔色が豹変し、心臓がドクドクいう。
人が変わるのが、自分でもよくわかった。


それが、今回、想像のなかではあったけれど、
父に矛先が向いた。はじめてだ。


わたしのなかで、父のイメージは長い間、
いつもやさしいお父さん、笑っているお父さん、
子どもを第一に考え守ってくれるお父さんだったからかもしれない。

しかし一方、矛盾するのは、
父はわたしにとって本当は

「怖い存在」

だったことだ。


父に逆らった記憶がない。


中学の頃の反抗期、よく母から、
「わたしに悪態つくように、お父さんになぜ悪態つけないのよ」
と言われたが、情けないことに、それは、怖かったからだ。
そう、父も母も暴力は直接ふるうことはなかったのに、
なぜか、父に逆うことによる恐怖は、

「身体への恐怖、痛み」

が想起された。言葉で叱られるというよりも、
ボコボコにされる、という恐怖心だった。

考えてみても異常だ。
そういう恐怖心を与えておいて、
どこがいいお父さんだ、なにが子煩悩な父親だ。


「あいつは、いったい、なんだったんだ・・・!」


一日中、それが頭にこびりついて離れなかった。


>「行かねえって言ってんだろぅが、こらぁ」
>「お前、誰だよ。何様だって聞いてんだよ」
>「誰に口きいてるんだ。答えてみろ」
>「今、何て言った、何て、言ったんだ」
>「調子にのってんじゃねーぞ、おい」
>「黙ってりゃ、いい気になってんじゃねぇ」
>「お前何笑ってんだ。何にやついてるんだよ」

>「お前、死ねよ」


このフレーズが、わたしに直接向けられたことはない。
だけれど、何度も耳にした。
父は血祭りにあげるやつには、子どもの前で、
相手が人間としていかにクズかを見せつけるように、
容赦なくおとしめた。そう、容赦なく、だった。


わたしに向けられたことはない


と思っていた。


違う、この認識は間違っている、と思った。


これは、


わたしに向けて言っているんだ


実質上、その効果としては、
わたしに言っているのと何も変わらない。
いや、「わたしに」言っているのだ。

「オレは今、不機嫌なんだ」と言っている。
わたしに言っている。
父が直接誰に向けていっているかは関係ない。
わたしが見せつけられたのだ。


調子にのるな、という言葉は
わたしにとってかなり怖い言葉だったけれど、
これらのフレーズをブチあてているうちに、
もっと怖い、血のけが一気にひく言葉があった。


「今、何やった」


という言葉、あるいは、「今、何て言った」。


顔色が豹変するその瞬間だ。
生きた心地など一発で失う。

AC人格が自白か隠蔽かと、とり乱すことが顕著なのは
この言葉とセットに、相手の顔色を想像したその瞬間だ。


「今、何やった」と訊かれたら
「こうした」と答えればいいだけだ。
それで結果、どう言われ、何をされてもだ。

「今、何て言った」と訊かれたら、
「こう言った」と答えればいいだけだ。
それで結果、どう言われ、何をされてもだ。


ただそれだけだ。


でもそう思えないで怯えてしまって、
咄嗟に逃げようとしてしまいそうになるのは、
父の言う「今、何やった」という言葉はそもそもが質問でなく、
「地雷を踏んじまったようだな」という、もうそれは
「止めることがかなわない事態」に直面した、という
見せしめ処罰執行の合図だったからだ。

それと、この見せしめの特徴は、
ボコボコにされる人に何か落度があったわけでもなく、
実は、ただ父が不機嫌なところに、たまたま
「はけ口にちょうどいいカモ」誰でもいいから捕まえて
ボコボコにしたケースがほとんどだったんじゃないか?

やられるほうは、たまったものじゃないだろうが、
「もしかしたら父を不機嫌にさせてしまったのは、
わたしが原因なんじゃないか・・・」と嫌な罪悪感を
抱かされるほうも、たまったものじゃない。
わたしのせいで、この人、ボコボコにされちゃったのかな・・・
曖昧な記憶だが、こう感じていた可能性もある。


それに加えて、バッチリ、恐怖が植えつけられる。


「今、何て言った。何て言ったんだってきいてるんだよ。
耳ついてないのかお前、おもちゃか、この耳は!
にやついてるんじゃねえぞ、こらぁあ」


「今、何て言った」から始まる見せしめの一部始終が
十分なほどの恐怖になることを、身体がどこかで覚えている。
(書いていてもするこのドキドキは、あの頃のドキドキだ)


だから、わたしも父に怒りを感じて
乱暴な言葉が次々浮かんだとき、一番言ってやりたい、
「次はてめーが言われる番だ」と、最大の憎しみをこめて
言ってやりたいと思った言葉が、


「今、何て言った」


と、この一言、この一言でとどめを刺してやりたい、
そういう残酷な自分がいた。

やるせなかったのは、父だけ、今までの間、
「彼だけ」を許してしまっていたことだった。
本当は怖かったのに、いいパパだ、と思いこんでいたこと
そのこと自体、許してしまった、媚びた、服従していた、ということだ。

「彼だけ」を、許さなければよかったことじゃなかったか。
最初の最初から、わたしが怒りを向けるべき矛先は、
他の誰でもなく、本当は、父であるべきだった。
なのに、彼だけを的にするのを、わたしは避けた。
わたしが避けたんだ。そして、いいパパ像を温存させた。


徐々にだが、父の高圧的なあの顔が、
わたしのなかで「メインの顔」に置き換わりつつある。
わたしが置き換えたのだから、戻せるはずだ。


先日、思い出したことがあった。
随分父の口癖は拾い上げてきたと思っていたが、
すっぽり、大きなものを忘れていたのがあった。
こんな話を、実は何度も何度も、きいていた。


「Aby、いいか。どんな悪いことをやっても構わない。何やったっていい。
ただ、親にわからないようにやれよ。親の見えないところだったら、何やってもいい。
パパはね、殺人以外だったら、悪いこと、何でもやった。自慢じゃないけど(ニヤリ)。
だけどね、ババ(父の母)の見えないところでやった。
だからババは、パパが何やったか、知らないはずだよ。

親に心配をかけない、迷惑をかけない、それは子どもとして最低限当たり前のこと
・・・なんてね、かっこうつけちゃったけど、そういえば、よく道端でやくざと喧嘩して
パトカー来ちゃったりして、心配かけちゃったこともあった、かな。ハハッ。

まぁでもね~Aby、人間っていうのは、一人じゃあ生きていけない。
他人に迷惑かけて当たり前。だから感謝を忘れちゃいけないんだよ。
俺は一人で生きていける、なんていうヤツがいたら、今すぐ無人島行けっつーの。
お米一つ、作れるのかっつーんだよ。お百姓さんは・・・(以下、延々)」


あらためて文字にすると
狂っているとしか言いようがない。
後半はいつもの格言の繰り返しだけど、
前半の言い分は、なんだ。

まず、親が子どもに言うセリフか?
これで思いあたったのは、なぜわたしが困ったり、
自分がいけないことをしてしまったと思ったときに、
即座に、隠そう、なかったことにしようとするのか、
この隠蔽体質の出所、この部分も大きいと感じた。


父のセリフに戻るが、
前半部と後半部を見てみると言っていることが
矛盾だらけだ。支離滅裂とはこのことだ。


ところが、「一点だけ」認めると、
少なくとも、父のなかでは支離滅裂でなく、
むしろ、彼にとってだけは理路整然となる。


「親だけは、別だ」


という主張。どうやら、ここがいつも基点のようだ。


なんといっても父は繰り返し繰り返し
「パパは、中国の人よりも、親を大事にしている。
いや、世界で一番かな」と、言っていた。
・・・比べたこと、あるのかよ。

父の言う「大事」という意味は、
「親が死ね、と言ったら、文句ひとつ言わず死ねる」という意味だ。
・・・が、そう言っているけど、これ、絶対嘘だと思う。
父は親が死ねと言っても、おそらく死なない。死ねない。

父が言いたいことは、きっとそうじゃない。


「お母さん(←父の母)は、ボク(←父)を
愛してくれているはずだ。愛してくれていたはずだ。」


父が言いたいこと、おそらくこれだ、と思った。
父はこれを自分の母に確かめるのが怖くてしかたがない。
数年前、父の母は亡くなってしまったので、もう
「愛されてなんていなかったんだ」という事実を確認できないし、
もちろん、父はそんなことを確認しようともしなかっただろうけど。

目茶苦茶だけれど、
「親が死ね、と言うのも、愛ゆえだ」と考えれば、
どんなことも、「本当はボクのこと、好きだからでしょ」と
納得できると思いこめるからだ。
今思うと、父が、自分の母親に向ける眼差しは
思い返すほどに、この訴えに満ちていた。


おそらく、これが転じて、だろう。


「親は子どもを愛している」


わたしはこのことを、成人するまでも、
成人してからも一度も疑ったことはなかった。
わたしにとっては、無条件にそういうものだと
思いこまされていた。

我が家という家庭のなかの、
完全密室のなかでの、安全神話だった。

「もしかしたら、わたしのこと嫌いなんだろうか」
など、一度も頭をよぎったことがなかった(と、ずっと、思いこんでいた)。
親がわたしを愛してくれていることは、100%、大前提のことだったから。


親は間違うはずがない、親は完璧なはずだ。
親は子どもを絶対に守るはずだ。
親は子どもを愛しているはずだ。大事にしているはずだ。
子どもを傷つけるはずがない。


・・・いや、これはどちらかというと、父や母の思考パターンで
わたしは、その「はずだ」と思いこみたいとすら思ったこともないほど、
「愛されていること」は自明なことだった。
まさか親が子どもを愛していないなどと想像したことは
一度もなかった。


つまり、こういうことだったのではないか。


父も母も、自分が親から愛されていたのだ、と
思いこみたいがために、自分の子どもを利用して、
「親は子どもを愛しているんだよ」と徹底し徹底して、執拗に
子どものわたしに言い聞かせたのではないか?

問題なのは、本当は、父も母も、
「自分は見捨てられたに違いない」
「親に愛されていなかったんじゃないか」と、
心のなかでは、本当はそう思っていることだ。

そこ、言っていることと、思っていることが真逆なのだ。


結果、わたしはどう思ったか。


「親のせい」

にだけは、絶対にならなかったのだ。
思いつきもしなかった。

だって、親は子どものことを一番よくわかっていて、
全面的に守り、愛し、わたしを不快にさせたり傷つけたり、
そんなことをするわけがなく、何か問題があるとしたら、それは


「わたしの不備」
「わたしの不注意」
「わたしの未熟さ」
「わたしの落度、ミス」
「わたしの努力不足」

のせいだ、


という以外、考えつきもしなかった。


「わたしがダメだったから、罰せられるんだ」
(罰せられるのは、わたしがダメだったからだ)

と考えること自体に、どこにも疑問を抱かなかった。


しかしそもそも、

罰せられていい人間など、いるのか?
わたしがダメだった、というけど、何がダメだったのか?
親はわたしを愛している、大事にしてきたというけど、本当か?


なぜこんな自問すら、してこなかったのか。


鵜呑みにしてきたことが
あまりに多すぎる。


だから、その後のすべての問題解決の方法自体が、
「自分がダメだったんだ、とすればいい」などという、
自虐的で、歪んだ解決法になってしまった。

解決でもなんでもない。

たたかうこともしない。


「自分」を最初から、手放している。

だから、たたかう理由もなかった。


これ以上失うものがないものまで
失っているのだから、言いなりになるのは苦じゃなかった。
怖くないのならなんでもいい、と言いなりになった。
「自分」をはなから手放したわたしにとって、
従うこと、言いなりになることに何の躊躇もなかった。


年始に両親と会ったときのことだが、
父から脅しをかけられたのか、薬の飲みすぎかわからなかったけれど、
その母から「昔のことなんて、なんでAbyに話さなきゃならないの」と
いつもとは違う形相で言い出したので、少し動揺した。

「Abyといろいろ話せて楽しいわ」と言っていた人と
同一人物とは思えなかったからでもあるが、
わたしはそう言われて、咄嗟に、


「別に親に何も期待していない」
「どうせ僕のことなんて、どうなってもいいんだろうし」


と、母にそう、言った。

「それは禁句だ。Aby、言っていいこと、悪いこと・・・」と
父が横槍を入れてきたわけだが、もう一度、この出来事を
思い出し、考えてみた。


なぜ、禁句なの?


わたしは親に対して、何も期待などしていない、と
日々思っていると思っていたし、
わたしのことなんて関心もないだろうし、
どうとも思っちゃいないんだよ、わたしのことなどあの親たちは、
と感じていた。

だいたい、そんなこと、子どもが思っていることも
知らなかったわけ?むしろ、そのほうが驚きだよ。
今さら禁句って・・・


・・・あれ、なんだ、これは。


「親は子どもを愛しているのを疑ったことがない」
んじゃなかったか??


自分で言っていること、矛盾している。


親はわたしを守ってくれるはずがない。
親には何も期待できない。何かしてくれるはずもない。
わたしを大事にするとは思えない。
どうせわたしなんて・・・愛されていないんだ。
そんなこと、当たり前じゃないか。
知っていたことだ。


「親に何も期待しなくなること」


親から自分に何かしてもらおうと
思わないこと。一切、頼らないこと。


親から自立する、とはこういうことだと
思っていた。

二十歳頃には強くそう思っていて、
それ以降、わたしは父にも母にも
心情的にも何も期待しなくなった。
赤の他人のように振舞った。


これはどういうことか、というと、
「親が子を愛してくれているなどど、勘違いするな」
というものに、おそらく、近い。


これは、自立でもなんでもない。


自立だ、と思いこませて真相を隠そうとしたんだ。


もちろん親によって。

「Abyのことを、わたしたち親は、一心に愛してきたのよ」

ずっと、こう思わせておきたくて。


数日前、中学に入りたての頃のことを思い出した。
随分身体が小さくて、鞄に持たされているような格好で、
ヨロヨロと一時間半近く、電車を乗り継いで学校に通った。


正確には覚えていないけど、最初の
一週間くらいだったろうか・・・


マンションの上の窓から、
母が手を振ってくれた。

わたしは何度も振り返り、手を振った。
ビルの上のほうだから、表情は見えないけれど、
こっちを見てくれている。


わたしは執拗に振り返り、手を振った。


建物の陰に母の姿が見えなくなるまで
なんとなく手を振っているのが見える、ぎりぎりまで、
わたしは振り返った。


中学生といえば12歳。
この年で、これはなんだか恥ずかしい。
小学生の頃だって、いや、それ以下の頃だって
そんなこと、してもらった記憶なんてないのに・・・
あれ、なんだったんだろう、としか思ったことがなかった。


先日、


「そうとう、嬉しかったんだろうな」


と、この記憶を思い出しながら思った。


どこかで、期待していたんだ。
わたしを見てくれている、大事にしてくれていると。


たいした記憶でもないと思っていたけれど、
その頃のわたしが、なんだか可哀想に思った。
自分のことを可哀想なんて思ったことがなかったから
ちょっと、驚いた。

このイメージとぴったり重なる幼い頃の記憶があることに
気づいた。感覚的な記憶だけれど、思い出した。

おそらくそれは、保育園や習い事が終わる頃の
「お迎え」のシーンだった。

遠くから、Aby、と手を振ってくれて、
わたしを見てくれている母を思い出した。


その一方で、わたしのなかの母の記憶は、


>どこを見ているか焦点が定まらず、
>いつも遠くに立っている。
>口をぎゅっとむすんで、黙っていて、
>何を考えているか、どんな機嫌なのかわからない。


「父も母もわたしを愛していた」

・・・でも、そう感じてはいない。

そう、感じていなかったのだ。


この、「そう感じていない」というのを、
「口に出して言うな」


それが禁句、ということなんだろうが、
黙る必要なんてない。


父と母は、自分の親から
「愛されていたはずだ」と思いこみたいから、
わたしにも黙れ、というだけだ。

「親は子どもを愛している」

という嘘の刷り込み。

ここから育ててしまった自虐思考。

自分がダメだから、自分が罰せられることをしたからという口実で、
己をいとも簡単に売りとばし、それでことを済まそう、とする態度は、
「親は、絶対だ」という考え方とともに、父親家系を中心に、
世代間連鎖してきたAC人格のパターンであるように思う。


「親は子を愛しているから、
子どもが不快に感じるようなことは、親は絶対にしない」


批判的精神を持つことをせず、
これを鵜呑みにし、し続け、
親側についたツケは大きかった。



2014.05.17
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2014-05-17 18:31 | 復元ノート 1

腐らせてしまったもの

「十分、遊んだんだから」

「・・・けじめつけなさい」

楽しいと感じたり、あるいは少し休んだりすることは
「本当はいけないことなんだ」と思っている自分がいて、
どうしてこう自動的に考えてしまうのか?

思い出したのが、親がよく言っていた
このフレーズだ。


「十分、遊んだんだから」に続く言葉は、

けじめをつけなさい、だったり、
いい加減にしなさい、だったり、
シャンとしなさい、だったりした。

わたしの親は、遊んでいるわたしに対して、遊びすぎだとか、
そんなことしていないで勉強しろとか、言ったことはほとんどない。
遊んだり、ゆっくりしていて「叱られた」という記憶がないのだ。
むしろ、毎週遊園地や遊びに連れて行ってくれるし、
わたしが遊んでいるところに割りこんで「何してんだっ!」と
妨害してくるようなことは、記憶には残っていない。


なのに、なぜわたしはこんなにも
「楽しむ」ことに、不信感や恐怖があるのか。


実際、たとえば誰か他の人が、何か楽しそうにしていたり、
「楽しいです」と言っているのを見ると、反射的に、

「楽しいなんて、本当はうそでしょ。いい子ぶっちゃってさ。
偽善だよ。そんなことしていたら、すぐバチがあたるよ。
痛い目にあうに決まってる。せいぜい、今のうち、
そうやって笑っていられるのは」

と思う自分がいる。

他人に対して思うのだから、
当然、自分に対しても思っている。


〝楽しい〟


を、目の敵にしている。


どうしてここまで「楽しい」という感情を
おとしめるようになったんだろう・・・?

「調子にのるな」と言われるのがこわい、
という恐怖は、もちろん、原因の一つだったろう。

小学生の頃にとったVTRのワンシーンを思い出したのだが、
父の友人のOさんの家で、わたしはビデオ撮影していた。
ゆったりすごしている父を録画していた。


すごーく笑って、こっちを向いている。


わたしはたぶんズームとかしたかったんだろう、
ボタンを探してあれこれ押そうとしていると、
映っている父の顔色は急変した。


「余計なことすんなよ、Aby」


顔色を言葉で表現するのは難しいが、
この言葉を発したときの父の形相と口調は、
注意をうながすというレベルをはるかに超えていた。
あれは、「威嚇」であり、殺意すらあった。
場合によっては殺すよ、という迫力。
少なくともあれは、自分の子どもに向ける顔とは
到底、思えない。


楽しいとか、ほっとするとか、
きっとあっという間にすっとんだに違いない。


この恐怖感、いつ「おいっ」と言われるかわからない恐怖は
強くすりこまれている。


ただ、これだけではどうも、しっくりこないものがあった。
だとしても、楽しいという感情と、ここまで「仲悪く」
ならなくてもいいような気がしていたからだ。

警戒するようになったのは、なぜ?
そして、自分は真顔だよ、ニヤニヤしていないよ、
まだ不幸なまま、こんなんじゃダメだダメだと、尻をたたくような
パフォーマンスをするようになったのは、どうしてか?


「十分、遊んだんだから」

「・・・けじめつけなさい」


この言葉を眺めているうちに、
これってかなり有害な文句ではないか、
と思い始めた。


これでは、いかにも
「本当は、遊んでいたのはいけなかったこと」
のようではないか。


存分に遊ばせるだけ遊ばせる。


問題はここからだ。


「十分、遊んだんだから・・・」

この「・・・」のニュアンスを思い返してみると、どれも共通するのは、

「十分、遊んだんだから・・・元に戻りなさい。正気に戻りなさい」

という、そういうニュアンスだ。


あなたが今やっていること、やっていたこと、感じていたことはね、
それ〝本当じゃない〟から、オアソビだから。
わかるわね、Aby。ここからが、あなたの本当のやるべきことよ。
けじめをつけなさいね。



これが、親の本当の言い分だ。


遊ぶなとも言わず、遊びを力づくで中断させることもせず、
声を荒げず、手をあげず、親都合の世界に引き戻す。

そこでわたしは暴れたりした記憶はない。
言われるままに、「はい」と返事をしたのだと思う。
最初、これはそれこそ、父に威嚇されるのがこわいから
先手をうっていい子になっていたのかと思っていたが、
きっとそれだけじゃない。

わたし自身が、完全に親の言い分を受け入れてしまっていて、
楽しいとか遊ぶとか、そういうのはどこか
「いけないことなんだ」と、わたし自ら、思いこんでいたから、
ということも、かなり大きいのではないだろうか?


その証拠に、「させられた」感がない。


わたしの両親の猛毒さは、いつも思うのだけれど、
「強制された感」をまったくわたしに残さないのだ。
だから、わたしは自我復元を始めるまでは、
自由で、この上なく恵まれた家庭環境に育ったと
本気で思いこんでいた。
(なのに、自分がどこにもいないこの生きた心地がしない、
きっと死ぬとき後悔するような人生は一体なんなんだ、と思っていた。
つまり、親の計画通り、親免罪、完全犯罪まであと一歩のとこだった)


わたしが日常生活のなかで、この
「本当はいけないことなんだよね」と
強く感じる代表的な時間は、散歩の時。

季節の花が咲いていれば、近寄って香りをかぐ。
一息ついてほっとする。

そして必ず、

「本当は、ダメなんだよ」

という声が、毎回毎回、くっついてくる。


「はい、休憩おしまい」

といった感じだ。


まるで刑務所のなかで、ピーとなったら即終了、
元に戻れ、早くしろ!というのと、感覚的には変わらない。

たぶんこれは錯覚じゃないと思う。
きっと、毒親は目を光らせ、看守の笛を得意げに
「ピーッ」とやっていたに違いないのだ。違和感がない。


休まるときが、なんだか、ない。

楽しいことも、とくに、ない。


これはよく感じた感覚だったけれど、
それも当たり前だと思った。
いくら遊びとはいえ、存分にあてがわれた上に、
親から「そんなのは」呼ばわりされて、格言世界のような
親都合の世界に誘導させられて・・・繰り返しているうちに、
ついには、自分から「あんなのは」呼ばわりするようになって、
楽しい感情も、休まる安堵感も

「いけないもの」

に、自らの手で、仕立てあげてしまった。

ところが、いくら「いけないものだ」と言ったところで、
楽しいのは楽しいし、ほっとする気持ちも確かにある。
こういう一次感情は否定できないし、
本当は否定したくない。


楽しいという気持ちが生じてから、
わたしがいったいどんな行動に出るのか、
しばらく観察を続けてみた。


「楽しさを、失いたくない」


楽しいと感じたとき、
その後、尾をひく思考はこれだった。


これはわたしは当たり前のことだと思っていた。
誰だってそう思うんじゃないか、と。

でも、ふと、いや違うぞ、と思ったのは、これ、
「また楽しめばいい」という選択肢がないから思うんだ、
ということに気づいた。


また楽しめばいい、という選択肢がない・・・


そしてはっと思ったのは、結局、わたしは親から
「楽しさ」をとりあげられたのだ、ということ。
「また楽しめば」の「また」は無い、と思ったのではないか?


VTRのなかで、父の友人のOさんが
「もう疲れたから帰ろうよ~」に対して、わたしたち子どもたちは
「いやだ~。まだいるっ」とか言っている。
なのに、父と母が「そろそろ帰りますよー」の一言で
(とてもやさしいそうな声音だが)、子どもたちは、
せっせと帰る準備をする。


ああ、こうやって、楽しさ、遊びは

「わかりにくい形で」

とりあげられてきたのだ、と思った。


いくら「いけないことだ」と言われても、楽しいのは楽しい。
いけないことだと自分で思うようになっても、もっと遊びたい。


もっと遊べばよかったんじゃないだろうか。


「また」遊べばよかったんだ。


楽しいことの後は、「ちゃんときりかえて」シャキッとしなさい、って、
まるで楽しいと感じたり、遊んだりするのが、悪いことかのように、
その「1」悪いことをしたら、早く元に戻って「10」努力しなさい、
みたいな雰囲気が、ごく普通にあった。


親が刷り込んだのは
きっとこういうことだ。


遊んだり休憩したりして、
楽しいと感じたり安堵するのは
本当は、いけないことなんだ、

だから、

早く元に戻りなさい。
本来のあなたがやるべきことに戻りなさい。
いるべき世界に戻りなさい。
けじめをつけなさい。ちゃんときりかえなさい。


結果、わたしはどう思ったか。


わたしの世界だった「楽しい世界」はウソと言われ、
誰の世界だかもわからない「親都合の世界」が
本来のわたしの世界なのだ、思いこんでしまった。
リアリティーがまるで逆転してしまった。


「あなたの感じていることより、
親の言っていることのほうが正しいのよ」


書いてみると、なんと馬鹿げた考えなんだ?
と思うのだけれど、わたしが強い洗脳を受けているのも
たぶん、ここは大きい。

今に至るまで、わたしはその親のルール、
「楽しいと感じるのは、本当はダメなんだ」に従ってきてしまった。
楽しいことをしたら、10倍真顔になって頑張りなさい、みたいな
暗黙のルールがある。そう、「楽しいことの後に楽しいこと」は、
わたしは自分で強く禁じているところがある。
楽しいことの後に楽しいこと、また楽しいことなんて論外だった。

この暗黙のルールについて、
「おかしい」と思ったことがなかった。
みんなもそうしているはずだ、と思っていた。


でも、これはすべて、親の考え、そのコピーだ。


もしも自分の気持ちに正直に生きてきたら、
「また楽しみたい」と思った局面で我慢せず、そこでやるべきは、
努力するのなら、「また楽しむ努力」をすべきだった。
親の誘導する世界に迎合する努力でなく。

毎週金曜日がお店の休みの日だった。

その度に、よく遊びに連れていってくれた。

金曜日、というのは夢の曜日、
どの曜日の中でも素敵な響きを持っていた。

・・・などと、子どもの頃はありがたく思ってきたけれど、

たったこの半日のエサで、残りの6日半、その週、
親都合漬けに出来たのだから、誰が得をしたかといえば
親であり、ふざけんな。なにが「よく遊ばせてくれた親に感謝」だよ。

それ以上に、「楽しいことは悪」という意識づけをしたのは、
もっとタチが悪いし、これは許せないと思った。


だけれど、わたしがその後やってきたことは、
そのわずかな一次感情である「楽しい」というものすら

自分の手で


「腐らせてしまった」


ことだ。


これには一切の責任は
わたしにある。


楽しいことをしたい、楽しみたい、そう思ったのなら、
なんとしてでも、そのための努力をすべきだったのだ。
それをすることもせず、わたしがやってしまったのは、

「楽しかったのを、失いたくない」

として、楽しい気持ちを、まるで昆虫採集のように、
ピンでとめて、腐らせてしまったことだ。

どう腐らせてしまうのか、そのプロセスを今回、
じっくり観察してみると、たとえば、
「1」楽しいと感じると、その日限りの賞味期限であったはずなのに、
また次の日もその同じ「楽しい」に執着して、「楽しかったよね」と
確認作業を開始してしまう。また次の日も・・・


・・・これはおかしいぞと感じた。


「楽しさを、失いたくない」


この思考ばかりが尾をひいていた。

もうそのときの楽しさなど、どこにもない。
「1」の楽しさは、0.8、0.5、0.3、と、どんどん薄められていく。
考えてみればそれはそう、楽しい気持ち、感情は生ものだから。
頭ではわかっているつもりでも、なのに、
なんとかその楽しさに自己同化しようと必死だ。
考え方次第でどうにかなる、という思いこみ、思考のくせが、
感情をコントロールしようとしているようだった。

もちろんそんなことはおかまいなしに、
楽しい気持ちはどんどん褪せていき、
どんどん焦っていく。


ここで起こる考えが
最低、最悪だった。


「やっぱり、それほど楽しくなかったんだ。
どうせ毎回こうなるんだ。
楽しいことがよかったことになったためしなんて、
一度もなかったじゃないか」

という考え。

酷い。これじゃあ、感情殺しのうえ、
「これでいいんだよね」という承認道具にまで
蔑んだ扱い方。(・・・仲悪くなって当然だ。)

味の無くなったガムを未練がましく噛み続けて、
さすがに捨てたくなるやいなや
「このガムあまり美味しくない。買わなきゃよかった」
と言って納得しているのと同じくらい、どうしようもない。


こういう考え方をさらに自分で正当化するために
いつも浮上してくる、きわめつけの文句は、


「こんなことしてどうなるのか」


敗北した思考の言い分。
マジで格好悪い。醜態をさらしているだけ。

だけど、こんなことを、ずっとずっとやってきたんだ。
自分の意思を持とうとする努力もせずに。
やれ顔色分析、やれ感情標本・・・どれもこれも惨敗してるじゃないか!


楽しい、といった一次感情だけじゃない。


うれしい、とか、よかったとか、そういう気持ちも
こうやって、

「やっぱりね」

とか言って、「本当はよくないもの」にしてしまったのは、
わたしだった。


「やっぱり」って、やっぱりなんだよ?
「やっぱり、親の言うとおりでした」ということじゃないか。
親の言い分を弁護し、自分の一次感情をおとしめてきてしまった。
標本にして、その楽しさを腐らせてきてしまった。


標本にしよう、としたのはなぜ?

「また楽しめば」の「また」は無い、と
思ったから?

こうしておけば、楽しさは続いてくれるはず、と
思ったから?


違う。それは言い訳。


もっと遊びたい、また楽しみたい、
それを言わずに我慢したからじゃないのか。
その都度その都度、新しく楽しむ努力を
おこたって、我慢を正当化したからじゃないのか。


親が「いけないことだ」と言ったのを鵜呑みにし、
陰でこそこそしている。


そう、わたしはいつもこそこそしていた。


楽しんでいるとき、休んでいるとき、遊んでいるとき、
なぜか、こそこそ、こそこそしていた。


なぜ堂々と遊ばない?


楽しむのが怖い?

それは調教由来だろう。そうかもしれない。


でもそれは、逃げる理由にはならない。

怖いから、じゃあ、やめるのかよ、という話だ。


楽しんで、楽しんで、楽しんで、「調子にのるな」と言われたら、
反射的にビビッておしまい、じゃなくて、たとえビビッても、
自分のために、自分の頭で考え、自分の言動を選択し、
自分で責任をとればいいじゃないか。

楽しんで楽しむ、という最低限の楽しむ努力もしないで、
こわいから、とか、どうせ、とか、いくら毒親がそっちへと
誘導し、調教し、騙し、脅したとしても、


ついていったのは誰、

言いなりになったのは誰、


その親の言い分を鵜呑みにし、その後も擁護し続け、
自分を殺してしまったこと、楽しいといった「感情」を
腐らせてしまった責任は、わたしにある。



2014.05.11
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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by jh-no-no | 2014-05-11 02:42 | 復元ノート 1

依存のたびに繰り返した曲解

初回の自我判定依頼からちょうど一年がたち、
今までも度々読み返していた依頼文だが、
もう一度、読み直してみることにした。

「苦痛を回避すること」

苦痛を避けたい。

これについて、以前は疑問に感じることがなかったのだか、
このわたしの元々の動機に、今回妙にひっかかった。


苦痛を避けたい、避けたい?


これは当たり前のことだろうか?
一年前は、当然のことだと思っていた。
だから、何度読み直しても、そこにひっかかることはなかった。


はなから、わたしは逃げていたのではないか?


「たたかいたくないから」


罰する人がいない世界、罰せられるようなことがない世界、
わたしはそれを「拷問のない世界」というふうにも書いていたが、
そういう世界を望んでいる、と書いている。

自我復元をすれば、そういう世界に行ける、
そういう世界を選べると思っていた、ということか?

だとしたら、それは、間違っている。そう感じた。
きっとそれは、自我復元に取り組む姿勢そのものが、
大きく歪んでいるんじゃないか?これでは、わたしは、
最初から「自分を守らない」と言っているようなものだ。

「罰するような人がいない、こわいことがない世界に行ければ、
絶対に安心だよね」と言うヤツと、わたしは取引をしてしまった。
そして、わたしが自分自身を守らなくてもいい、
死守しなくてもよかったことの言い訳や正当化のために、
自我復元を利用したことになる。

そう思って読み返してみると、依頼文自体が、
ずっと恐怖に背を向けてきたAC人格との取引交渉
そのものではないか。


世界が悪いんだよね。
こわくない世界に行ければ、何の問題もないよね。
そうすれば、あなたはあなたらしくいられたのにね。
あなたが自分が主人公で生きられなかったのは、
しかたがないことだったんだよ。こんな世界だったんだから。
だから今度こそ、失敗しちゃダメだよ。
絶対に安心な世界に移動できるように。
自我復元、やってみたらどう?やるべきだよ。
ここでやらなかったら、


「もっとこわい世界に生まれてしまうぞ」


という取引。


(それに、そうだった、わたしが分割自我復元法を知ったのも、
「バナナを創った宇宙人」を読んだことがきっかけだったのだけれど、
ではなぜ、バナナを創った宇宙人を購入したか、というと、
情けないことに、サイトに掲載されていた目次のなかで、
「惑星で絶対にやってはならない事」とあり、それは一体何なのか、
どうしても知りたかったからだった。「わたしはそのやっていけないことを
すでにやってしまったのではないか」と。出だしから、これだった。)


ここで自我復元をやらなかったら、
もっとこわい世界に生まれてしまうぞ・・・


わたしはこの恐怖から自我復元を始めてしまった。
自分を裏切らないとか、自分が主人となって生きていきたいとか、
そんなふうに書いてはいるが、「その目的」は何だったのか?

それはやはり、
こわかったから、だ。

「今、やらないと、お前を処罰し、苦しめるような世界に
生まれてしまうことになるぞ」という脅しに屈して、
自我復元を悪用してしまったんだ。

おそらくその時も、「なんとかしたくて」始めたことは
たしかだけれど、この「なんとかしたくて」というのは、
非常に曲者だ。先日もあっと思ったことがあった。

わたしの場合、「なんとかしたい」と思うときは、
「なんとか上手く逃げたい」という意味だった。
なんとかしたい、という反応が起こるやいなや、その時点で、
目の前の事実にすでに「背を」向けている。
というか、もう逃げ始めている。
恐怖の対象、その相手の言いなりに従ってしまった「上での」言動。
これが、わたしの場合、いつも、その「なんとかしたい」だった。

そここそ、たたかうべき場であったのに、
たたかってこなかった。
自分の意向を曲げてしまう裏切りの犯行現場であるのに、
そこでなんとかしようとするのは、つねに罰を恐れ、
自分の上に誰かを置くことを許し、その誰かの顔色をうかがい、
それに従って行動することを「よし」とするAC人格だった。

「たたかわなくていい理由」を探していた。
それは、わたしがわたしを守らなくてもいい理由、ということ。
守らなくてもよかった言い訳。


さかのぼって考えてみることにした。


二十歳になる少し前から親元を離れ、
わたしは何に依存してきただろうか?

思い返してみると、二十歳前後、音楽に興味を持った。
音楽にはまった、というか、わたしははじめて何かに「はまる」
という状態を経験した。たしか妹が友だちから借りたとか何かで
尾崎豊のCDをきいて、わたしはモロ、はまった時期がその頃だった。

ただ好きだったからきいていた、と思っていたが、
いや、これは違うぞ、とつい最近になって気づいた。

ここ数日、自分の強迫観念を列挙しノートしているのだが、
その中で一番気になったものがあった。
それは、

「わたしは不幸であるはずだ」

というもの。

不幸であるべきだ、不幸でなければならないとすら、
考えているふしがあった。

たしか自分ルールでも確認した思いこみではあったのだが、
それ以上自問せず、そのままにしていたものだった。

もう一度、なぜこう思っているか問い直してみると、
どうやらわたしは、今の自分が最低なら、
これ以上不幸になることはない、これ以上苦しいことにはならない、と
「思いこめる」と考えているところがあった。

そう思いこむために、尾崎豊の歌やパフォーマンスを
わたしは自分の都合のいいように曲解し、
論理武装の道具として、利用してしまったのではないか?

考えてみると、そこが親元を離れる境目の現象で、
父も母も彼の歌が好きだった。
またわたしは彼の曲をカラオケで歌うのも好きだったから、
身体感覚としても、ピシッとハマった気がした。


これをあてがった、というか、これにつながるような
調教由来の影響がないかどうか、元をたどってみた。


父の自慢話を思い出した。


父はいつも、「自分は何もできないダメな人間なんだ」といいながらも、
なぜか最後は、「これ以上、落ちるところがない、失うものがないというのが、
実は一番強いんだ。だから、パパはすごく臆病だけど、無敵って言えば無敵」
といった話をよくしていた。自分はダメだ、と言っておきながら、最後は、
自分は世界で一番強い、というオチ。へんな不幸自慢。

音楽にはまった直後、
わたしはその「音楽」の分野で
Pさんと出会った。

それからしばらくして、わたしが24か25の頃、
無明庵の書籍と出会った。

悪用してしまったのは尾崎豊だけでなく、
無明庵の書籍もこういうふうに悪用してしまっていたことに
今になって気づいた。

時期としては2年間くらいに渡り、没頭して読みふけた。
そして、その当時、わたしは書かれていることを
こう曲解をして、自分の都合いいように解釈した。


「最低がやっぱりいいんだ」


と。何も持たない、何もわからないこと、
これが一番の安心で、こわいものもなく、無敵なんだ、と。

他にもその数年は、はじめて精神世界というジャンルを知り、
クリシュナムルティや和尚の書籍を読んでは、
同じように曲解し、論理武装をした。

ただ、無明庵の書籍を10冊近く読み続けるうちに、
「最低がやっぱりいいんだ」と思いこもうとしても、一方で、
わたしが「これでいいんだよね」と考える論理武装は、ことごとく否定された。
そこにリアリティを感じつつ、無明庵にひかれつつも、結局わたしは怖くなって、
「わたしは悟りとか無とか、手を出す資格なんてないんだ・・・」と
自問することからも逃げた。

完全に逃げるならまだしも、
わたしは、どこかで「最低こそ絶対の強さ」のような考えを
手放すまいとしていた。

「やるべきことをやろう、やり残したことをやろう」

そう言ってさらに利用してしまった(依存してしまった)のが、
Pさんだった。

無明庵の書籍から離れた頃、わたしは学校をやめた。
父親似の気狂いの教師の脅しに屈したからだった。
たたかわず、わたしは逃げた。
タイムカード不正事件のときのように、
わたしは逃げた。


「もうわたしには残されたものはない。
別にやりたいこともない。やっと自由だ。」

と言って、人生最大の過ちを犯した。

「自分のために生きるのをやめよう。
自分は捨てよう。これからはPさんのために生きよう」

この考えを支えていたのが、やはりここでも

「最低なわたし、不幸なわたし」

というものだった。ここに絶対の安心を求めた。
自分の欲を捨て、自分なんていなければ、
これ以上、失うものはない、と。

そこから、このブログにも書いた通りの
「おじろく時期」が7、8年続くことになった。
Pさんとの結婚は、そのピークにあたる。
そして、2008年頃からその依存関係すら不安定になり、
わたしはもう一つ、新しい依存先を見つけた。

これも、一学問として関心をもっただけだ、と
思っていたのだが、それも違った。


「フェミニズム」や「ジェンダー論」に
わたしは興味を持つようになった。


なぜはまったのか?


当時はまったくわからなかったが、
考えてみると、同じ流れの中にあったことに気づいた。
フェミニズムやジェンダー論も同様、
自分の都合のいいように曲解した。

「女性が生きにくいのは、社会のせいだ。
女性差別というものを容認しているのは、この社会だ。
女性が最低な位置に置かれているのは、その人のせいじゃない。
この社会がいけないんだ。生きにくいのは、あなたのせいじゃない」と。

問題なのは、それに対してわたしは、

「だから〝最低〟なのは、しかたがない。
そこから抜けられないのは、しかたがない」

と考え、その人がもともと持っている力である
エンパワメントという概念を悪用し、

「その最低として生きることは苦しいけれど、
そういう最低の状態を生き抜いてきたからこそ、
それをはねかえす力を持っている」

と言い、わたしはその


「最低であり、不幸であること」


を正当化し続けた。それは価値があると。


誰のためだったのか・・・


わたし自身のためだったのだ。


無自覚にも、わたしは利他と称し、
そういった学問を基盤とした活動や仕事をし始めた。

その頃から、わたしはいろいろな女性グループに顔を出し始め、
「自分は本当は女性なのだ」と思いこもうとした。

その当時は本当に「わたしは何かの間違いで男に生まれてしまった」
と思いこんでいたので、「これこそ本当のわたしだ」と思って、
本気で女性のつもりで街を歩いた。それが心地よかった。
どの女性グループからも、なぜか、
「Abyさんは男の人って感じじゃないから、どうぞ」と言われ、
歓迎されたと思い、「間違いじゃなかった」と思いこむに至った。

最低な位置を強いられても
それでも強く、歯をくいしばって生きる姿に
わたしはグイグイひかれていった。

わたしは自分が男性であることを嫌った。
だから、わたしが女性が好きな気持ちは
女性が女性を好きな気持ちに違いないと思ったから、
レズビアンの人たちのグループにも参加し、
こんな落ち着く所があったのか、、、とその度に感じた。

そして、女性の生きにくさについて、
徹底的に勉強もした。

母親という立場にいる女性も、この社会で
「生きにくさを抱えている」という意味で、
わたしは彼女たちと接することも強く望んだ。
さらに、女性であるがゆえに様々な被害を受け、
苦しんでいる女性の話を直接、対面できいたり、
接する機会を増やしていった。

わたしがやってきた「内職」というのは、
まさにこれにうってつけの場だった。

苦しい話をいろいろきいて、わたしはそれに共感しようとすることで、
その方々の不幸や苦しさを知ろうとした。
そうすることで、どこかわたしも「最低で不幸に」なれた気がした。

わたしこそ、不幸自慢をしていた。

AC人格のなかでも、そいつが出てくると、じんわりと
すごくいやーーーな感じがするのが「何でもバカにできるんだぞ人格」だが、
ふと、わたしは何を自慢しているんだろうか?と考えると、
最初はまさかと思ったが、不幸自慢をしていることがとても多い。

「あの人のその不幸、その苦しさ、わたし、もう知っている」

とそんなことで自慢したがっているわたしがいる。
だから、誰かが笑っていたり、楽しそうにしていたりしても、
「よかったね」の一言で一蹴してしまうのに、
誰かがつらそうな顔をしていたり、苦しんでいそうなら、
わたしは意気揚々と「なに、なに」と乗り出すのだ。
「わかるよ、わかるよ」という上から目線がしゃしゃり出てくる。

他人の分析に乗り出すのも、考えてみると、
いつも「その人がいかに不幸か」ということばかりだった。
「こう見えるけど、本当はつらいんだよ。笑っているけど、
こういう我慢をいつもしているんだよ」という話題ばかりに
スイッチが入った。ほぼ反射的に。


そういうなかで、わたしに近づいてくる人もいれば、
遠ざかる人もいた。


どういう人がわたしのまわりにいただろうか?


わたしのまわりに集まった人のことを思い浮かべると、
その人たちの、共通した「声」のようなものがあった。

それは、


「わたしの不幸に気づいて」


という声。


既存のコミュニティに馴染めず、無視されたり、
仲間外れにされたり、排除された人たちとつながりをもった。
だから、話をきくと、「やっとわかってくれる人に出会えた」
という反応が多かった。不幸探しをしているようなわたしとは、
共依存関係になりやすかった。


わたしが大学生の頃だったか、
父がそういえばこんなことを言ったのを思い出した。


父の話をききながら、わたしは

「お父さんが理解してほしかったのは、おばあちゃん(←父の母)
なんだよね。おばあちゃんに自分のことをわかってほしかったんだよね」

と、たしかそんなことを言ったときに、父は、

「なんていうことだ、ボクのことをはじめてわかってくれたのが、
息子だったなんて・・・妻でもなく、お母さんでもなく、
Abyがわかってくれた。生まれてはじめて、わかってくれる人、ここにいた!」

と言い、おおはしゃぎだったのを思い出した。
わたしは父の不幸に共感を示そうと思ったつもりはなかったと思うが、
結果として父は、「ボクの不幸をこの子が、はじめて、わかってくれた」
となった出来事だった。考えてみると、父も母も、自分の母親から
無視されて見捨てられた、とずっと恨みを持っている人たちだ。


この不幸自慢というか、不幸比べ、不幸探しを
わたしが自動的にしていることに気づいたのは、
先日、散歩をしているときだった。

他人だけでなく、わたし自身が、いつも不幸でなきゃいけない、
ダメでなきゃいけない、問題がある状態じゃなきゃいけない、と
強迫的に思っていて、この強迫観念ってなんだろうか?
と思ったのが、きっかけだった。

そして自分に問題がどんどん見つかったり、ダメなところが見つかると、
それこそ意気揚々とノートしたりして、どこかそれが異常に感じた。
「ダメだったり、不幸だったり、そういうことに気づいたら、
正常な感覚だったら、ショックを受けるんじゃないだろうか・・・
わたしはその都度、どこか安堵しているのは、なぜだ???」

さらに、これに関連して強迫観念のひとつ、
「ムダな時間を過ごしちゃいけない」とは何なのかと、
それを探っていくうちに、その実体に驚いた。

わたしはムダというのが、どうも嫌だ、と思っていて、
では、そのムダとは何なのか?と自問してみた。
すると、「まだ、同じ不幸のままじゃないか・・・」と思うとき、
どうやら、わたしはムダな時間を過ごした、と感じているようだった。
新しい不幸へ、次の不幸へと移っていかないと不安、って何なんだ?

(・・・これは勘ぐりすぎかもしれないけど、
「わたしの不幸に気づいて」という他者の顔色に気づけるよう、
世話役としての自己訓練か何かだろうか?
不幸そうな人の代表格がPさんであり、的確に彼女をわたしが
見つけたとなると、そういう可能性もまったくなくはないかも・・・)


自分のなかに不幸を探す。

次々、探さないと落ち着かない??


不幸を毎日更新、確認しているかのようだ。
まるで不幸中毒患者のように。


自分が最低でいれば、不幸のどん底でいれば、
これ以上、失うものがない状態でいれば、
これ以上、苦しいことはない。だから大丈夫・・・と。

わざと不幸な状態に自分を置いて、
「ほら、大丈夫。まだ大丈夫」と安心を確認している。

自分が不幸ならいいだろう、
自分を捨てちゃえばいいだろう、
挙句の果てに、罰するやつが悪いんだ、
そういうやつがいるから、わたしは自分の意思を
ゆずってしまうんだ、従ってしまったんだ、
そんなやつがいない世界にいけば「万事OK」だろう・・・


なにもかも、わたしが

「逃げたこと」

の言い訳だ。


ならば、やはりそれは間違っている。


どの世界に行こうが自分を守りぬく、
そのために、自我復元をしているのではないのか。
この生で、この社会で、この環境のなかで
自分を守れないような人間が、どうして
どこかで自分が守れるというのだろう。


どういう世界にいったところで、そこで自分が主人公であれないのなら、
「罰のない世界に行きたいのなら、こうしろ、ああしろ」
という命令に従い、怯え続けるに決まっている。


・・・それって、今まで親からされたことと同じじゃないのか?


罰せられたくないなら、死にたくないなら、
こうしろ、ああしろ。そうやって、自分を捨ててきたんじゃないのか。
親の亡霊(処罰者)を自分の上に置き、
その自分の位置に甘んじてきたのは
わたし自身だ。

今ここで、自分を守れなければ、
どこかで守れるわけがない。
そこでしでかすのは、「守らなくていい理由」を
グタグタと言って、自分を守ったつもりになるだけ。


昨日、わたしの今の仕事についても考えた。

仕事の「内容」にばかり、わたしは執着してきた。

だけれど、もっと考えなければいけなかったのは、
そこで、わたしが

どう、あれるか

ということなんじゃないだろうか。

わたしは今まで、目の前のことと、ちゃんと
たたかったことがあっただろうか、
面倒だから考えたくない、とか無自覚に反応し、
すぐに答えを出そう出そうとしているだけじゃないか?
それって、もう逃げてはいないか。
早くそこから離れたいだけじゃないか。
逃げないで事実に向き合っているのなら、
そんな簡単にこうすりゃいいなんて、ないことのほうが多いんじゃないだろうか。


考えるべきことはたくさんある。

たたかうべき局面はたくさんある。

なのに、それを避けて通ろうとしているだけじゃないか?

「だったら最初から従ってしまおう」というのが
打算というやつじゃないだろうか。

「~したから、お前は罰せられるぞ」とか、
相手は威嚇し吼えたいのだろうから、
吼えさせておけばいいのであって、
こちらが一歩でも引く必要などどこにある?あった?
「あんた、誰」と正面から見返してやればいい。
何の権限で、何勝手に決めてんのさ、って
わたしは言い返すどころか、事の最初から
背を向けてきてしまった。

従え、と脅されても、また脅されても、10回、20回、100回と脅されても、
だったら、10回、20回、100回と、NO、NO、NOと最後の最後のNOまで言い続ける。
やれることはやった、と言えもしないそんな逃げ腰で「こわいから云々、、、」って
わたしがわたしを守らなかったことの言い訳にしかならない。

しかも、そんなことをして、いつまでも
ご機嫌をとっている相手は誰なのか、といえば、
毒親の亡霊なのだと知ったとき、
悔しくないのかよ。何度も何度も自分に問いかけたい。

自分を守りに守りぬいた末、どんな結末になろうと
それが、事実、なのだから、今、
腹をすえなくて、いつ、覚悟を決めるというのか。

たたかわなくていい事態を想定したい・・・
これがわたしにとって、「安心したい」の正体かもしれない。
取引の場面で、たたかわなくていい事態など
あるはずないじゃんか。

見逃していい不戦敗、そんなのは、
ひとつもあっちゃいけない。
背を向けてしまう直前、なんとかしようとかするその直前、
そこがいつもたたかう本番だったろうし、
これからも本番であり続ける、と思った。


2014.05.03
Aby


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by jh-no-no | 2014-05-03 02:46 | 復元ノート 1