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「たたかってはいけない」という思いこみ

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S331
のなかで、

>他人によく伝わる言葉を書ける人、言える人というのは、
>他人から言葉を聞くときにも、歪曲が少ないということです。


>逆に言うと、他人に言葉でうまく真意を伝えられない人というのは、

>その人は、他人の言葉を聞いたり読んだりするときにも、
>歪曲したり、誤解をしたり、
>ご都合主義の部分が多々あるということです。


の箇所について、わたしはこういう声を自分にいつもかけながら、
どこかで誤魔化していた。

「このことはわかっている、注意を向けている、意識している」と
思いこもうとしながら、一方で、そんなことは実はできていないこと、
曲解してばかりなことを知っていて、そんなとき、必ずする言い訳は、

「わかっているよ、意識しながらやっているよ、曲解しているのも
わかっているよ」と言って、

今は例外、

とやってしまう。

例外なんてないし、それが逃げそのものなのに、
気づかないふりをして斜に構える態度。

この自分の醜さが、桜の間の記事や報告文以外にも、
とりわけ、他の復元ブログを拝読させていただく時、
それと向き合う自分の姿に、くっきりと映し出される。

照合しているだけの見方、読み方。

もちろんその動機は、AC人格の動機全開で、
ここに、何も新しい経験はない。
「自分が」経験することじゃなくて、自分が
「経験したこと」が重要になっている。

だからいつも、「経験したこと」を安定させたい、
固定させたい、揺らがない自分でありたい、と
生体反応を失い、思考停止し、
その「鈍感であること」こそ、
安定や安心と錯覚する。

完全に錯覚で、安心しているのでなく、
実は恐怖している。
内心、いつ、この「揺れていない状態」が
ぐらっと揺れるかを恐れていて、
この今の状態がずっと続きますように・・・と
恒久的なものを期待する。

波次第、なのだ。

たたかうことを放棄し、舵を手放してしまう。
そこにあぐらをかき、居つく。
「波が来なければ・・・」と願いはじめる。

波がなければない、あればあるで
それに応じて自分で舵をとればいいものを、
どうやったら舵から離れても大丈夫か、
舟が揺らがず、「何も起こらないか」ばかりにこだわる。

ここに「自分」は不在で、
「これで大丈夫だろうか、今の安定した天気、
波が続くんだろうか、波は来ないだろうか、
大きな波が来たらどうしよう・・・」とつねにビクビクしている。

そんなになっているにも関わらず、
本人ひとり、安心している、これぞ安心だ、と思っている。
思いこもうとしている。

実際はそんなことなどなく、目をそむけず、目を開いていれば、
不快なこと、危険なこと、自分で対処していかないとならないことは
目の前にしっかりあるし、今、あるかないかでなく、たとえ妄想であっても
その中の不快なこと、苦しいこと、そこから逃げよう、見ないようにしよう、
終始、こういう恐怖があるのに、

「平気です、まだやれます」

と平然としよう、しようと、自ら鈍感の底に落ちるように
落ちるところまで鈍感になろうとする。

なんでそんなことをするのか?と自問すると、
感じなければ平然としていられる、恐怖に対しても
へっちゃらな顔をしていられる、ということができる、
そういうことがいいこと、というか、当然だ、
という「思いこみ」が、わたしにある。

一方で、いつもそうあれない、揺らいでばかりの自分、
取り乱している自分を排除しよう、こんな自分はダメだ、を繰り返す。

取り乱しているときよりも、むしろ問題なのは、
それを自分で「制御できた」、落ち着かせることができた、
そうさせることに「成功した」と思い、安心の妄想のなかで、
実は「ぼけーっと」しているとき、こここそが、いつもわたしが
ピタリ、と、驚くほどピタリと生体反応ゼロの屍になっている。

生体反応がゼロに近づくほど、
それは死んだも同然だが、その死んだ状態こそが、
このわたしの「平然とあらねば」という強迫観念の「平然」という意味で、
これに向かうこと、こうなることが成功体験と自称、認識している
そういうAC人格が強くのさばっている。

コイツが出来ないことのひとつは、
まず、「やってみる」というのができない。

もちろん特定のことは何でもやってみるし、
むしろ、どんどんやる。
わたしはその部分だけを見てきた生き方をしてきたから
自分でも、自分は積極的で、アイデアマンで、と慢心し、
これでもか、これでもか、と全面に出し、主張していた。

おそらく、端からみたら、

「この人、どんどんいろいろやっているけど、
何したいんだろうね。ワクワクしてやっているようには見えないし、
何考えているのかもわからない・・・」

と見えるのではないか。
実際、今までも何人かの人に直接そう言われたことがある。
(当然、わたしのAC人格は、スルーし、挙句の果てに
相手をバカにしてばかりだった)

本来なら
冷静に考えてみると、
「やってみる」ということに(犯罪になるようなことは当然なしとしても)
制限、とくに心理的な制限をもうける必要などどこにもないはずなのだが、
実際は、たくさんの縛りを自分にかけていることに、今回、
AC人格を整理していく過程で気づいた。

間違ってもいいからやってみる、ということだけじゃなく、
自信がなくてもやってみるとか、取り乱してもいいからやってみるとか、
たたかってでもやってみるとか、挙げればきりがないが
植えつけられた自己否定に抗してでも「やってみる」ということが
まったくできていない。

これだけ「やってみれていない」わけであっても、
わたしはずっと、自我復元をはじめる前までは
「やりたいことは、すべてやってきた」と思ってきた。
思いこまされてきた。


「たたかっても、やってみる」

と今書いてみたけれど、

「たたかっては、いけない」という思いこみは強い。


梅の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?U1905
のなかの、「★福島の農家の人たちが叫ぶ」の動画、

http://www.mumyouan.com/k/?U1907
のなかの、「フランスFR3放送」の動画、

http://www.mumyouan.com/k/?U1909
のなかの、「内閣の事故調をやった黒川清氏」の動画、


AC人格を整理しながら、これらの原発関連の動画を拝見し、
一番強く刺激されたのは、

「福島の農家の人たち、報道している人、黒川清さん、
みんなこの人たちはたたかっている、たたかい続けている」ということの、
決してはそれは、すごいとかエライとか立派だとかじゃなく、
そのしごく、当然な姿でした。

話題は原発だけれど、これはAC人格とのたたかいそのもののように見え、
とくに、福島の農家の人が語りはじめ、怒り、語り続ける姿に
わたしは、くいついて、目が離せなかった。
「不快」とのたたかい、それに麻痺して死んだように生きることが
他者に対してもそうだけれど、それ以上に、
自分に対して許されるはずがない、
どうしてそういう素直な気持ちをそのまま言えない、やれない、
そんな情けないことが、どこにあるか!と
わたしに向かって、ガンガン、問いかけられた。

波がたたぬよう、
不快なことは起こってくれませんように、
そう願ってびくびくする人生を生きてきて、
誰が舟の操縦者だったのか、忘れてしまう。
不快に対してたたかうこと、たたかい続けること、
それは直視することと同じだと思うけれど、
それは誰にために。
自分のために決まっている。

ここでひるんでしまうのは
「自分のために」というのを、どうせ・・と言うその「思いこみ」に
舵をとられっぱなしだからじゃないだろうか。

そこを誤魔化して、いつものように、
「これでいいよね、だって・・・」と言い訳することは、
何の問題解決にもならないし、
それではやっていることが毒親と何ひとつ変わらない。
自分が加害者になって自分を洗脳しているだけだ。

AC人格をいったん整理してみると、自分で掘り方に甘さや
雑なところが見えてきて、AC人格の出鼻、局面をスルーしてしまうところや、
今回はとくに「思いこみ」の部分でノーチェックだったところが気になった。

思いこみ、ということで、今日、こんなことがあった。

最近はインターネットや通販で購入することも
増えてしまったせいか、今日、店頭で買い物をしようすると、

「どうせ、お店にはないだろう・・・」

と思って、さらっと眺めたぐらいで、
店員さんに直行、「これ探しているんですけど」と言うと、

「ありますよ」

と言われ、「ありますかぁー?!」と思わずビックリ、
なんか、すごく嬉しかった。

どうせないだろうと、注文するつもりだったのだが、
あるときいて、予想外、驚いた。

なんだろう、これは・・・と思った。

お店にあって、そんなに嬉しいって、ふつうでしょ、
なのに、妙に嬉しい。

あ、と思った。思いこみ。

インターネットで買うのに慣れているから、
どうせ店にはないだろう、どうせ注文になるだろう、
だったら今はネットで買っても早いし、届けてくれるし、安かったりもするし・・・

些細なことだったけれど、
こうやって日々、わたしの頭はあちこち思いこみで決めつけちゃってて、
どうせ、と言いながら、無理を決めつけてしまっている。

そうやって一つ一つ、誰かに舵を
手渡してしまっていた。


2014.03.24
Aby


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by jh-no-no | 2014-03-24 00:15 | 復元ノート 1

自分のなかに見つけてきたAC人格

桜の間の記事

http://www.mumyouan.com/k/?S330
の4つの項目、

>1/『***AC人格』と、独自に、ご自分でネーミングをつけて、
>2/そのAC人格が、
  どういう局面(状況)になると、決まってどういう振る舞いをし、
>3/それは結局、何をしたがっている、何を言いたがっている人格なのか?
>4/そのAC人格の挙動の原因は、親とのどういう関係にあったか


にそって、自分のなかに見つけてきたAC人格を整理してみました。


● なんでもバカにできるんだぞ人格
● 自分のせいじゃないと思いこみたい人格
● 決めてもらいたい人格
● これでいいと言ってもらいたい人格


・・・ ・・・ ・・・ ・・・


【なんでもバカにできるんだぞ人格】


●「どんな局面で出てくるか」

相手の関心を自分にひきたい、相手を自分に依存させたい、ともくろむ局面で顔を出す。


●「どんな振る舞い方をするか」

決まってその相手を混乱(思考停止)させようとする。「Aだ」という話をしていたとしたら、あたかも鋭い視点を提示したかのように「Aじゃないこともある」のようなことを言い出す。「Aだ」と言っているだけの人を見下し、バカにする。相手を混乱させて、「なんだかわからなくなった」となったところを見計らって、自論を持ち出し、相手の関心をひく。逆に、最初から相手が悩んでいたり、混乱している場合は、相手からのわずかな信号にも「わかるよ」と共感したような態度を示し、まず相手の関心をひくわけだが、その相手が「自分から離れよう」とすると、手の平をかえしたように態度を変え、相手を混乱させ、自論を持ち出し、相手を自分に「依存させよう」とする。共依存関係に持ちこもうとする。


●「コイツの言い分」

「わたしはなんでもバカにできるんだ。もしもお前もバカにされたくないなら、わたし以外のものに関心を持つな。よそ見すんな。わたしにもっと気を遣え。わたしのことだけを見ていればいいんだ!」というのが言い分。


●「原因となった親子関係」

わたしの父も母も、いつも他人をバカにしていた。父は、自分の機嫌が悪い、それだけで「礼儀がなってない、常識がなってない」と因縁をつけて、「あのバカがぁーー」と蔑み、血祭りにした。そして、子どものほうを見て「ニヤリ」。見せしめが目的で、「Abyも同じ目にあいたくなかったら、パパを不機嫌にさせんなよ。怒らすな。そうすれば、いつもパパはAbyの味方だ。お前を守ってやるからな」というのが、父の言い分であり、このAC人格の言い分と変わらない。こういう手の脅しや思考停止を、格言を悪用してやるのも父の常套手段だった。

母はおもに、同じ子育て中の母親、とくに仕事にかこつけて子育てをいいかげんにしているように見える母親(母の母親を投影)に対して、「子どものこと、子どもの気持ちをちゃんと見ていない母親は最低の親だ」と軽蔑していた。成人後のわたしの仕事や活動を利用して代理復讐をした。今度はわたしが加害者となって、「共依存を安心と錯覚させる洗脳」で毒をまきちらした。わたしもまた、Pさん以外に「保険としての」依存対象にも手をのばしてしまった。滅私奉公のおじろく人格も、女の人大好き人格も、相手を蔑みながら作り笑顔をし、内心イライラ、「もっとわたしに気を遣えよ」と主張している点では、同じ種類のAC。子どもの主体性を奪い、「親は絶対だ」と言って親に依存させ(実は親も子どもに依存し)、そういう歪んだやり方でしか自己主張ができない父と母だった。無自覚で共依存の親子関係。


・・・ ・・・ ・・・ ・・・


【自分のせいじゃないと思いこみたい人格】


●「どんな局面で出てくるか」

「わたしは悪くない、わたしは間違っていない、わたしのせいじゃない」と執拗に証明しよう、説明しよう、納得しようとするAC人格で、〝こわい〟と思った時、反射的に顔を出す。こわいといっても、何かそこに恐怖の対象となる実体があるわけではなく、父親似の気狂いをそこに投影してしまうと、「何をされるかわからない」という妄想を際限なくふくらませて、捏造した未来を不安がり、こわがり始める。現実には、「相手の顔色、相手の機嫌」ばかりを気にしていて、なにより、相手の顔色や機嫌が「豹変」するのを極度に恐れている。


●「どんな振る舞い方をするか」

その豹変を、「罰せられてしまう合図だ」と思いこんでいて、そうなるまいと常に相手の顔色と機嫌をうかがい、自分は悪くない、精一杯やっている、あなたの言う通りにちゃんと従っています、という素振りをし続けている。自分は悪くないことをつねに確認しようとするあまり、「もしかしたら、自分のせいかもしれない・・・」と思いこみだすと、根も葉もないことでも、無理にでも自責と結びつけ、そのように自分が困ったという気持ちや困った出来事を隠蔽しようとする。仮想の罰を恐れ、誰にも相談できない。「言いたくても言えない」ということが起こる。また、一度相手が豹変してしまうと(多くの場合は、相手を怒らせてしまった、相手をキレさせてしまった、とわたしが勝手に思いこんだ時)、今度は、隠蔽していることそれ自体がいっそう恐ろしくなり、とり乱す。「あなたの言う通りです。わたしが間違っていました。そうせざるを得なかったんです、わかってください、どうかゆるしてください」と、絶対服従するようにゆるしをこい、泣き落としに入る。


●「コイツの言い分」

結局のところ、「隠蔽か、自白か」というやり方で、罰を逃れようとするとするのが特徴で、このAC人格の言い分は、「わたしのせいでも、せいでなくても、どっちでもいいから、何でもするから、あなたの言う通りにするから、どうか、罰しないで」というもの。


●「原因となった親子関係」

直接あざを残すような暴力は振るわず、他者を見せしめにして血祭りにする父親。こちらを向いて「ニヤリ」と、味方だよサイン。「親の言うことは絶対だ。親に逆らったら、どうなるかわかるよな、Aby。こんなんじゃ済まないかもな」というメッセージを、喧嘩の自慢話をはじめ、格言や顔色、ありとあらゆる手段で子どものわたしに伝え、脅した。このように突然キレる父を母も怖がっていた。母自身の保身のためだったんだ、と最近になって気がついたが、父親の顔色の変化に気づけるように、母との関係において、母の顔色(目つき、態度、言葉づかい)をうかがわせ、相手の機嫌を察する訓練を「しつけ」と称してさせていた。実際、後に「子どもたちにはいつもパパを怒らせてはダメよ、としつけていた」という話をきいて納得した。「パパを怒らせたら、ママが困ることになる」という気持ちがわたしにはいつもあった。

背景にはこのような「実体のない、仮想の恐怖」を親たちが自分の手を汚さずに植えつけようとしたことにあり、父だけでなく、母もまた、「~したら、〇〇しちゃうよ」という迷信のような言い回しで、また、いとこや他の家庭を侮蔑するこれもまた見せしめの方法で、「Abyはあんなバカとは違う」という、一見、飴と錯覚する恐怖を植えつけた。飴の調教の背景には、見えない鞭がそこにあり、それが実体のない仮想の恐怖として作動し続けている。結果、顔色ひとつで「親にだけ都合がいいように」子どもが動いてくれて、困るようなことは子ども一人で「自分のせいだ」と抱えこんでくれるから、何も問題のない「ように見える」理想的な家族、完璧な親を演じきれた、と両親は無自覚に高笑いしたに違いない。「安心なところにAbyはいられて幸せね」という洗脳。わたしはずっと理想的な家庭と信じて育った。


・・・ ・・・ ・・・ ・・・


【決めてもらいたい人格】


●「どんな局面で出てくるか」

「あなたはどうしたいのか」と問われる局面(自問も含めて)。


●「どんな振る舞い方をするか」

そのような自分の意思、選択を問われる局面になると、「決めなきゃ」「何かしなきゃ」と焦って、それを呪文のように唱えるだけの思考停止状態に陥る。「こっちに行くといい」「こっちに行ったらダメだ」と叱咤激励してくれる人や情報にしがみつき、依存する。依存対象に完全に左右されてしまい、何でも鵜呑みにしてしまう癖がある。


●「コイツの言い分」

「わたしが進むべき方向(わたしの意思)を、かわりに誰か、決めてくれ。誰か、何か、わたしに指示、命令を出してくれ。そうしてくれたら、わたしは迷わず〝決められる〟のに!」というのが言い分。


●「原因となった親子関係」

父の説教の前ふりはいつも「パパは別になんでもいいんだよ」から始まった。「どうしたい?」と子どものためにきいているような「ふり」をして、事前に「こうしたらいいかもね」という父の意向を態度や言葉でほのめかしていたから、親の顔色や機嫌を察し、親の意向に同意してしまった。話の終わりは「自分で決めなさいね」という子どもへのダメ押しがあり、わたしは「自分で決めた」と思いこんでしまい、この繰り返しによって「わたしは何でも自分で決められるんだ、自分で決めてきたんだ」と思いこみ、成人した。思いこみでしかないから、実際の自己決定の場面では、焦ってしまい、咄嗟にその焦りを隠そうとするために、結果、「誰かが決めてくれないせいで、わたしも決められなくて困る」だとか、「まともな情報がないせいで、わたしも決められなくて困っている」といった、とんちんかんな言動に出ていることがたいていなのだが、そのような中にあってさえ、「自分で決めているんだ」と思いこんだ。結局これも、わたしの父親が自己決定ができない人だったために、子どものため、と口先だけの利他的・犠牲的な自分を演じ、自分の都合のいいように誘導しておきながら、責任は相手に押し付けようと、体裁だけ子どもに決めさせる「やらせの同意」で調教した。

母親も子育てにおいては、「Abyには決めさせなかった。何でも親が決めて、レールにのせた」と言っているほどで、父ほど手のこんだことはしていないかもしれないが、一方的な命令・指示こそ「しつけ」と考えていたのは確かで、「言うことをきかないと、〇〇するよ」と頭ごなしに押さえつけた(我慢できること=自立、と考えていた母は、感情を抑圧しコントロールできるようにと、とりわけ他人様の前では強調した)。成人後すぐわたしは、「Pさんの夢を一緒に叶えよう」とPさんに依存し飛びついたのも、父親と同じ姿勢の「決めてもらいたい人格」。ひとり相撲のように自己完結している場合は「決めつけたがる人格」だったりするが、自分以外の「何か他のもの」に判断基準を丸投げしている点では同じAC。


・・・ ・・・ ・・・ ・・・


【これでいいと言ってもらいたい人格】


●「どんな局面で出てくるか」

ブログを書くときも、メールをするときも、そうやって誰かに見てもらうのでなく、自分のノートに気づいたことを書きとめようとするときも、自我復元をはじめてからもはじめる前も、ずっといつも、金太郎飴のように、どの場面、どの局面をとっても、「オレの出番だ」とでしゃばってくる。その意味では、列挙したすべてのAC人格の元締めのようなヤツで、どのACの性質も持っているような最低最悪なACだけれど、あえてここで、つるしあげたい、と思った。「元締めのようなもので、自身のACをまとめてもっているようなわたしって、AC人格としても最大のもので、わたしがACの代表だ、と主張しまくった挙句、なお、わかっているからこれでいいよね人格」にまでなりさがるマジ喰えないヤツで、ACやっていられりゃなんでもいい、みたいな腐った態度。テメーがまず死ね、と言いたい。

話がそれてしまったけれど、今回、AC人格を整理しようと思って、思い返してみて、コイツだけはゆるせない、と思った。どいつもゆるせないけど、他のACがいくら理路整然といつもみたいに斜に構えて、「わたしってこういうACなんだ」と他人事のようにのさばる態度をとったとしても、わたしはコイツだけは、即、ゆるせないと思うのは、コイツの存在がいつも違和感だったし、どう考えてもおかしい、まっとうじゃない、と思ってきたことだったから。「しかたない」とすませてきた人生だったけど、しかたなくなんてない。だって、おかしいだろ。誰かにこうって言ってもらえないと何もできないとか、いつも相手の顔色にビクビクしているとか、相手にあわせて笑えだの相手を不快にさせるから怒るなだの、たかだか誰かがキレただけで「ごめんなさい」と土下座して震えあがったり、別に褒められたいなんて思ったこともないのに、「いい子だね」と言われるようなことばっかり、やりたくもない、つまらない、不毛だと思っていることばっかり、ロボットのようにこなす毎日。こんな馬鹿げた生き方、情けない生き方、どこにあるかよっ!・・・毒親との、結局それは、ここまで書いていてもげんなりするような毒親とそっくりな姿勢と動機に満ちたわたしの中のAC人格との一騎打ち宣言をしてから書きたいと思ったので、ここから筆をとりなおし、この人格について、最近になって掘りおこしたことも含めて書きます。


●「どんな振る舞い方をするか」

コイツの振る舞いは、だいたいにおいて、「うまくまとめよう」とする。自分の実体験にもとづいてまとめるのでもなく、本当の意味で自分がまとめたいから整理しようとするのでなく、そこにはつねに、「承認をあたえてくれる、OKと言ってくれるはずの誰か」が自動的に想定されていて、「その人、その他者」の顔色、機嫌、要望、趣旨、つまり、相手の基準にあわせるように、予定調和的に相手が「あなた、わかってるじゃん」と言ってくれそうなことを予測・期待して、やる。その相手、他者がいなければ自分でもよく、我田引水、これが自己肯定と自分で自分をだましてきた。自己満足「しているつもり」で、本心は「これで本当にいいんだろうか」とたえず不安。あたり前だ。自分で着地点を決めた「わかりきった結果」に結びつけただけなんだから。本当のもの、絶対なものを探そう探そうとしたのが、成人後のわたしの行動すべてにあるんじゃないかと思える共通した動機だった。認めてくれる他者としての「親」から離れた成人後は、自己確認という形で、「これは本物の情報だ」と思えたものに自己同化を繰り返したために、「当然これは自分自身の問題」と思いこんでいたから、まさか、他者、それも親に感染源があったとは思いもよらず、あやうく精神世界という場所を「甘い汁」と誤認し住み着いてしまうところだった。


●「コイツの言い分」

コイツの言い分は、「あなたの言われたとおりにやったから、これでいいと、あなた、言ってくれるはずだよね」だ。ネーミングとしては、もしかしたら、「言いなりに何でもできます人格」といったほうが適当かも、とも思ったけれど、「これでいいと言ってもらいたい人格」のほうが、今は、しっくりくるのでこうしておきたい。


●「原因となった親子関係」

わたしは親から直接的な暴力を受けた記憶はほとんどなく、あっても、「あれは痛かった、あれは苦しかった」と思うようなものはなかった(と、記憶している)。だから、AC人格の掘り出しに着手するまで、わたしは、親から受けたトラウマのようなものはないと思いこんでいた。これもまた、毒親の手口でもあり、「困ったことがあったり、悩んだりしたら、それはAby、あなたの問題よ」という刷り込みであり、以前に実際に両親とも露骨にそう話していたので、「本気でずっとそう思っていたんだ、マジ、毒だわ」と愕然、猛毒親であることを再認識した。この人格ののさばりが強烈なのは、他に列挙したAC人格形成の背景にある親子関係に十分すぎるほど、もろに影響を受けているからでもあるが、最近になって気づいたことがあった。

こう書くと、そんなことか、ということなのだけれど、わたしが誰かに気にいられるように振舞うことで、結局誰が得をしたかといえば、「いい子ねぇ~」と言ってもらえる「親」だったのではないか、ということ。わたしは褒められたいと思って何かをやろうと思ったことは、おそらく一度もない。褒められたいなど、これっぽちも思ったことはないのに、なぜ、結果、褒められることが多かったかというと、褒められやすい子に仕立て上げられただけ、だからだ。そりゃ、何でも「はい」と従って、文句言わず、せっせと何でもこなすわけだから、「いい子ね」ととりあえず言う人は多かったろう。そういうことになって嬉しかったのは、父と母であって、自慢の子をもったということ、ただそれだけのために、「相手の気持ちを察しなさい」から始まり「親のためなら死ぬのが子どもだ」というような、ただ一方的に親に従うだけの子どもを育てた。

わたしは、つい最近まで、ここまで一方的に従わされていたんだという自覚がなかった。でも、感覚的な記憶だが、つい先日、母に対して、いつも母の顔色が変わったというだけで、「ママ、ごめんなさい」と反射的に謝ってばかりだったことを思い出した。理由などなくてもよく、相手を不機嫌にしたというだけで、わたしは謝るべきだ、と思っていたし、成人してからもそれがおかしいことだと疑ったこともなかった。もうひとつ思い出したことは、わたしの家は自営業で、すぐ近くだったから、わたしの生活圏は、保育所や学校に行ったり習い事をしている間を除けば、家か店かだった。考えてみたのだが、お店に滞在していた時間は思っていた以上に長く、たいてい店の手伝いをしていた。つまり、父の手伝いだ。店番、品出し、掃除、接客、なんでもこなし、よく働いた。商店街だったから、近くの人たちも、誰もかれもが「Abyちゃん、エライね」だとか、おつり勘定で計算も得意だったから、「Abyちゃん、すごいね」とわたしを褒めた。店のなかも父親の親族が主たるメンバーだったから、わたしの父親の家系独特のあの不気味な作り笑顔で(思い返すと、父の兄弟、父の母親とその兄弟と、さらにその子どもまで、そっくりのニヤリだ)、そういう笑顔のときは「わたしは機嫌がいいですよ」サイン、急に豹変したようにブスッとしているときは「わたしの機嫌をおしはかりなさい」サインで、わたしに対してはなぜかみんな気遣って「にこ~」と誰もが顔色を変えた。

感覚的な記憶なのだが、この記憶を掘りおこしていくうちに、「わたし自身は褒められたいわけでもないのに、褒められるようなことをすることでしか、これでいいと思える基準がなかった」ことに気づいた。これは、大人になってもそうだった。褒められたり認められたりすると、わたしは、ほっとした。この気持ちを観察すると、それは「なんとか罰は逃れた」という束の間の安心にすぎない。だから同時に「調子にのるまい」という声を自分にかけるのだが、そんな恐怖がベースにあるような状態で、認められたり褒められたりしたいなど、思う人がいるわけがない。わたしはずっと、「褒められたいと思ったことはない」ということは、どこかエラそうで、そういう素直じゃない自分はどこかおかしいんだろう、と考えていた。「Abyはかわっているからね」と言われることも多く、自分でもそう思っていた。でも、違った。正直じゃないのはわたしだ。認められたり、褒められたり、そんなこと、求めてなんて、これっぽちもなかったのに、認められたり、褒められたり、これでいいんだと自他から言ってもらえることが「成功なのだ」と親から言われ調教されてきただけであって、調教由来の恐怖にさらされたというただそれだけの理由で、わたしは、自分の正直な気持ちを犠牲にし恐怖に甘んじた。キレた者勝ちみたいな、そんな相手の気分にあわせて、ときに利他という大義名分のために相手に尽くす。それはあなたたち、お父さんとお母さんの成功かもしれないが、わたしには大失敗なんだ。これでいいと言ってくれるはずだ、と期待するAC人格は、わたしは最初から大嫌いだった。


◇ ◆ ◇ ◆


のさばり具合、その他。

「これでいいと言ってもらいたい人格」は、
のさばりの程度が最も酷いと感じた。

「これは自分の時間だ、ここは自分の世界だ、ここだけは自由なんだ、
だから、誰も邪魔しないでくれ。そうすれば、オレは自由でいられるんだ!」
と、幼少期から言いまくっているAC人格がいる。

あえて名づけるとすれば、
「自分の時間を守りぬいてみせる人格」という感じか。

オレは自由でいられるんだ!と言うけれど、
そもそもわたしは、自由ってなんだと思っているのか、
自分の定義すら曖昧だったので、今回、
そこを確認してみようと思った。

「我慢したり、自分を犠牲にしたりして、そんなふうにして、こそこそ
びくびく生きるのは、嫌なんだ。だから、誰も邪魔をしないでくれ。
そうすれば、〝これでいいって思いこめる〟んだから!」
という言い分、それ自体が、わたしが思いこんでいる自由の意味のようだ。

そこでわかったのが、「自分の時間を守りぬいてみせる人格」というのは
「これでいいと言ってもらいたい人格」が、ずっと、恒久的に、
「そこなら生きていける」と錯覚させるために、機能していたのではないか。
共犯関係にあって、こいつもまた、「自分こそ本当のわたしだ」
みたいな顔をするから、いつも厄介だ。

「これでいいと言ってもらいたい人格」ののさばりが
どうしてここまで酷いのか、少し理解が進んだ。
一方、自分なんてどうせ、とか、自分が我慢すりゃいいんだ、
といった思いこみが「親都合の足かせだ」という認識が甘かったと思った。
「母親に甘えられなかった恨みの感情」に由来する両親の自己否定は、
わたし自身のものじゃない。
なんとかここは、自分で舵がとれるようにしていきたいところ。
「相手のためだから」と思いこむことで、自分の感情を押さえこむ癖も、
その都度意識して解除していく。

他の3つのAC人格ののさばりについて。

想像していた以上にのさばっている、と感じたのが、
「なんでもバカにできるんだぞ人格」だった。
これはPさんのみならず、とくに内職に関わっていた方々とは
共依存の関係にあったため、会話などで不毛と感じつつも
「ラク」と感じてしまい、害と感じにくく甘くみているところがあった。

以前、福島から避難した一人の母親が、その思いを動画のなかで
お話されていたことがあって、その時、その方がお話をされている姿をみて、
「いとおしい」と自分が感じたことに対して、違和感、不快感があった。
なぜそう感じたのか、少しだけれどわかったことがある。
わたしのような、この種のACの毒人間が、つねに
こうやって必死に生き、懸命に自立しようとしている人の足をひっぱり、依存に誘い、
避難もさせないよう、できないようにさせ、そうやって主体性も尊厳も根こそぎ奪う、
人間としてやってはいけないことをする、ということ。
父と母がわたしにやったように。

「自分のせいじゃないと思いこみたい人格」は、
おもに拒絶や麻痺、逃避ということで顔を出すことが多いので、
のさばっているな、という自覚はあった一方で、「見たくない」と
目をそらしたくなる衝動が起こりやすいことから、
見落とすリスクが高いAC人格だった。

「決めてもらいたい人格」は、これも最近になって生活や仕事のなかで
自分で舵をとれるか試しているもので、思考停止具合というか、
気がついたらそう考えていた、そうしていた、というのが、
コイツの恐ろしいところだと思って注意をはらっている。
ハッと我にかえって、なぜ決めなきゃならんのか、なぜ何かしなきゃならんのか、
と自動的にかけられていた足かせに気づけるときは、
舵をとりなおせる場合があるけれど、そうでなく、舵を固定し、
「決めつけたい人格」にすりかわっているだけのことがある。

AC人格がお互いの保身のために協力しあっていることが多く、
そういうのさばり方自体、酷い手口だな、と思ったのと、
それと、どれもこれも、すみつくところが卑怯で、
トラップが上手く散りばめられている。


2014.03.15
Aby


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by jh-no-no | 2014-03-15 04:41 | 復元ノート 1

家でも学校でも「因果応報」に満ちていた

Y先生は小学校3年生から卒業まで
わたしの担任の先生だった。

おじいちゃん先生だったが、
頑固一徹という感じでなく、どちらかというとおおらかで、
怒ったのは一度しか見たことがない。

それはクラスの生徒の一人が、もちろん冗談で、


「これ、先生の家だあー」


と、教科書の「火事の写真」を見て、
先生をひやかしたとき、Y先生は烈火のごとく怒った。


「そんなことは、(口がさけても)絶対、
言ってはならない」


Y先生は、少なくともわたしにはこのように伝わるように、
他の生徒にも話した。


「もしも自分の家が、こうなったらどうなんだ、
そんなこと、言えるのかっ!」


と、その生徒を集中的に責めて、
謝らせた。


豹変した先生の態度に、その子はもちろんだけれど、
みんなは驚いたようだった。

この時、わたしは「怒られるのは当然だよ」
と思っていたけど、はたしてそうだったのか?

今思い返すと、いつもおだやかな先生が、
ああやって顔色を変え、別人のようになり、
「ダメなものはダメだ」という印象しか生徒に与えず、
想像力(先生が思っている共感というやつ)が欠けていることを
責めたてるやり方は、わたしの毒親と
そっくりだった。

なぜ、両親がY先生を尊敬し、
「あの先生は立派な先生だった」とわたしに諭したのも
理解できた。やり方が同じだ。



1、まず、急に、怒る。


2、子どもは、何が起こったか、と動揺する。


3、次は決まって、「よく考えなさい」、だ。



想像力が足りないから、ものごとのよしあしの区別が
つかないんだ、という論法でくる。


ここで起こることは、自分の頭で考えることでなく、
なんで怒られたのか、「自分で納得できるように、
自分の頭で考えなさい」ということだった。

なぜ怒られたか、ではない。
怒られるのは「当然のこと」というところから、
調教はスタートしていた。


「自分が悪かったんだ」ということに
なんとか筋道を見つける。
「相手の気持ちに立てなかったわたしが悪かった」とか、
そうすることで、「相手の気持ちに立てばいいんだ、
今度からそうすればいいんだ」と考えて、
身を守ろうとしてしまうのだけれど、問題なのは、
そんなものは、次には役に立つとは限らないことだ。


なぜなら、相手は、急に、怒りはじめるから。


相手は何とでも言える。


「まだわかっていないのか。考えが足りないんだよ」
とか、もっと曖昧な言い回しは、
「まわりをよく見なさい」とか「よく考えなさい」とか、
なかでも母がよく言っていた曖昧さの最たるものは、


「反省しなさい」


という言葉だった。

わたしは何も考えず、謝った。
謝ってしまった。


これは、大人になってから気づいたことだけれど、
わたしは、他人に謝ることに躊躇がない。
何も考えずに謝る癖がある。

どうしてそうなるのか考えてみると、
わたしのなかで、「相手を不快にさせたら、たとえ
こちらに何の非がなくても、謝るのは当然だ」
という考えが、当然のようにあった。

そこまではどこかで気づいていたことだけれど、
こう考える自分は、おかしくない、と思っていた。
どちらかといえば、誠実だと思いこんできた。
(・・・誠実なわけがない。逆をかえせば、
不快にさせてしまった、とは思ってはいても、
本当の意味で反省などしたことがなく、
反省すべき局面でさえ、「不快にさせてごめんなさい」
という平謝りだったのだから。)


この偽りの誠実さで得をしたのは誰か?


これもやはり、毒親たちだった。
「不快になった者勝ち」だから。

当然のこと、このルールは子どもには適用されない。

わたしが同じことやった場合、
不快を不快と態度や言葉に示した場合、これは、


「わがまま」


と呼ばれたり、身勝手だ、と言われたり、
言うことをきかない子だ、と言われた。

ここでも親はつねに例外だ。



「怒られまいとする癖」


この癖、というより、反射に近い自動的な構えが、
自明のようにわたしに備わっている。


この構えが起こると、連動して、
「よく考えろ」と自分で自分に言い聞かせる。
よく考えるのは、怒られないためだ。
怒られるのを回避しようとするため。


でも、いくらよく考えても、
その「よく考えた中身」というのは、
何の自分の体験にも基づいていない。


考えただけ、
結びつけただけなのだ。


「こうだから、自分が悪いのだろう」と
自分で思いこんだ憶測から出来上がっていて、
もちろんそこにはチープな格言や迷信由来のものも流れこむ。
完全に、毒親による誘導尋問のようなものだからだ。


こういう「考えただけの考え」のうち、
Y先生がよく言っていた格言、


〝結果、自然に至る〟


というのが、どうも強く影響しているような気がしている。


Y先生は、別な言い方で、


〝因果応報〟


とも、度々言っていた。


「~すれば、〇〇になる」
「~だから、〇〇になった」


母も父も大好きな言い回しだ。


と同時に思い出したのは、
母の口癖のひとつ、


「交換条件は、絶対、許しません」


というもの。


母に頼みごとをするとき、
「こうするから、こうしてほしい」という交換条件は
一切、許されなかった。


わたしもそういう交換条件は、今も強く
「卑怯だ」と思っているところがある。
にもかかわらず、わたしの思考回路は、
「こうすれば、こうなる」パターンに毒されている。

たしかに、交換条件っていうのは
考えてみるとAC人格そのものな気がするし、
因果応報というのも、自分のことは自分で責任が
とれるようにしていくという意味では、それ自体は
おかしいというわけでもない。


でも、何か違和感がある。


それを使う大人側の動機は、決して、
子どものわたしのことを配慮してのこととは
思えない。感じられない。


どういうことだろう?


これも同じ、例外パターンじゃないだろうか。


子どもから親に対してする交換条件を許さなかったけど、
親が子どもにそれをやる分には許されていた、
ということ。


「努力すれば、必ず報われる」とか、
「ずっと続けていれば、きっとそれが大きな力になる」とか、
「がんばったから、今のAbyがあるんだ」とか、
挙げればきりがないくらい、こんなことばかり、
言われ続けた。


交換条件そのものじゃないか。


自分がどうしてこういうふうに考えてしまうのか、
汚染源はこのあたりにあるんじゃないだろうか。

でも、なんでそんなことをするの?
親の目的はなんなの??


ひとつ考えられたのは、
「両親はつねに不安だった」
ということ。

だから、ちょっといいこと(と思えること)があると、
「こうしたから、いいことがあったんだね」と
子どもに言って褒めているように見せかけて、
実際は親が自分自身に対して、
「子どもにそうさせた自分はエライんだ。
間違っていなかったんだ。正しかったんだ。」
とそんな自分を認めてほしかっただけじゃないのか?


努力させた私(←父、母)、続けさせた私、
そんな親である「私」を自分で認めたい、褒めたい。


その証拠に、


「努力しなさい」

「一度決めたら、最後までやりなさい」

「今の自分が、つねにベストだ。(と思えるように、いつも頑張れ)」


というメッセージを、両親はわたしに向けて
しつこく発信していた。


これらの考えはわたしのなかで根深く横たわっていて、
同時に、生きた心地がしないと感じるのは、
これらのメッセージに無自覚にとらわれているときだ。


でも考えてみると、


どうして、
一度決めたら、最後までやらなければいけないのか?


どうして、
今の自分がベストで、正しくて、
間違っていない状態でなければならないのか?


そのために日々努力、って・・・なんだ??



昨日、1000円カットのことを考えていて、
楽しかったのに、だんだんとその感じが薄れてゆき、
どこか窮屈で、いつもの嫌な感じ、居心地の悪さを
感じはじめた。


なぜだ?


「一度決めたら、絶対にそうしなきゃダメだ」と
強く思いこんでいる、そう決めつけ始めてきた
わたしがいた。


いつも邪魔するのは、きまってコイツだ。


そうなってしまうと、もはやPCのことも
突然、ノルマのようになってしまう。
そうなってしまうことをどこかで知っているから、
身構え始め、「楽しい」を捕まえておこうとしたのだ。

楽しかった思い、とくにこういったプラスの感情が
生じるときに、「捕まえておきたい」という衝動が起こる。


「こうしたから、こうなった」という調教が
ここにもまぎれこんでいる。


「こうしたから、楽しい」というのは、
交換条件そのものだ。


楽しい、を捕まえているように錯覚しているけど、
わたしが捕まえようとしているのは、いつも
「こうしたから、のほう」なのだ。


何か気づいたことをノートするときに、
とても嫌な気持ちがするときがある。
それは決まってそういうときだった。


感情を捕まえておきたい、と思うとき、
わたしが捕まえてしまうのは、
「そのためには、こうしろ」という条件のほうであって、
わたしはいつも身動きがとれなくなり、
生きた心地がしなく窮屈になる。


そうしているか、こうできているか、
といった「自己確認」が始まってしまう。
これでいいのか、悪いのか・・・


次第に不安になり、だんだん
怖くなっていく。


Y先生の話のなかの
「はたして相手の立場に立てているだろうか・・・」と
同じ心境だ。


でも、こんなこと、無意味なんだ。


「Aby、わたしは不愉快だ」と、もしもY先生に言われて、
「ごめんなさい」からスタートしてしまうのだとしたら、
それではいつも相手の「言いなり」だ。


相手から不愉快だ、と言われて
怯えるのは、どう考えてもおかしい。
Y先生のケースも、Y先生はあのとき、正直に、
「わたしは、そう言われて不愉快だった」と
ストレートに生徒に告げるべきだったんじゃないか?

それでその子が怖がってしまうかどうかは、
それとは別問題だと思う。
そう言うこと、それ自体を先生が恐れたら、
毒親とやっていることは同じで、
感情を押し殺せ、と言っているのと同じじゃないか。


わたしの頭のなかは、
こうしたから、こうなった」で占領され続けたけど、
これは当たり前なんかじゃない。


親が、


こうさせたかった」


だけだ。



先日、自分でAC人格の重症さを思い知ったことがあった。
病気だ、という認識が甘かったと思った。

梅の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?U1902
のなかで紹介されていた『「実害くん」キャラクターの紹介』の動画中、
最後の字幕・・・


「君 もしくは 君のメンバーが・・・」


と見た瞬間、「殺されちゃう、、、」と反応してしまった。


 君 = わたし(Aby)


さすがに、その直後、自分でもこれは
「重度の病気だ」と思い知った。想像以上、酷すぎた。


でも、これは冗談でもなんでもない。


結局、わたしが現実でも夢のなかでも起きているのは、
これと同じことなんだ。
死後、ぼけーっとしたままだったら、まんまとこの恐怖に
はまってしまう。もしも誰かから、


「殺すぞ」


と言われて、びびって、相手の言いなりになるとしたら、
怖くていい、と思っているからだ。
恐怖に甘んじて生きてきたツケが、死後、まわってくる、
ということ。


これこそ、因果応報だ、
と思う。


「自分で使うから。他人に言うな」


毒親と毒教師に言いたくなる。




2014.03.08
Aby



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by jh-no-no | 2014-03-08 03:44 | 復元ノート 1

「相手のため」という口実、逃げ道

昨日、こんな夢を見た。

両親、とくに、母にわたしが捨てられる夢。


捨てられた。


「また連絡してくれるよね?」

と、未練がましいことを、母に言っていた。

生返事の母。


夢の中で、はっと思った。


今捨てられたんじゃない。

ずっと捨てられていたんだ、と。


未練がましさは、次第に褪せてゆき、
空々しくなってゆく。


父は夢の中でも、卑怯にも隠れている感じだったが、
彼はとっくにわたしのことなど捨てきっていて
からんでもこない。


そうだったんだ、


父も母も、わたしのことなど、
はなから、捨てていたのだ。
わたしのことなど、「見たことも」ないのだ、と。


何かが清々していくように、そして
眠りからも覚めつつあった。

同時にまた、
わたしも「誰のことも見ちゃいなかった」こと、
父や母と同じようにして、世界を、他者を、
そして自分自身を見ていたのだ、
そう思いながら、徐々に目が覚めた。


「内職を中止する」としてみて
混沌としていたものの中に、ひとつの基準を
感じるようになった。


〝相手のためにやる〟


という姿勢を、やめてみよう
と思った。


正確には、やめてみるもなにも、両親と同様、
わたしは「相手のために」などやったことないし、
相手を見てすらもいなかったのだから、
思ってもいないのに「相手のためにやっているんだ」と
いうふうに自分をだまし続けるのは、
相手のせいにしたり、相手に決めてもらうための
口実でしかない。

これはPさんと話していても、観察し、理解できた。
お互いを「尊重」していたのではない。
お互いに「相手のせい」にしてきたのだ。
それも相手を傷つけるのが目的でなく、
それぞれがそれぞれのAC人格を保身するのが目的。
だから、ここに共依存としての甘い汁がある。


数日前、ふと、

「髪を短く切りたいな」

と思った。


そう思ったとき、自分の髪型ひとつとっても、
内職活動中のまわりの視線や相手の基準に
あわせていたことに気づいた。

「相手のために」と思いこみたくて、
なんとなく続けていた髪型だったから、
急速にどうでもよくなった。


・・・それよりも!


と、1000円カットにきりかえて、コストダウンしよう。
ざっと計算すると、1年で差額分で、ノートパソコンが変えるじゃん、
って思った。


「自分のノートパソコンを買うぞー」


ここから、今までと違う動きが、
わずかな時間だったけど、働いた。


「1000円カット、っていうけど、よく考えたら、
行ったことないし、どういうもんなんだろう・・・?」


インターネットで検索した。


「1000円カット」


こんなこと、なんでもない当たり前のことかもしれないけど、
わたしは、こんなふうに自分の好奇心から
調べものをしたことがなかった。

「調べないといけないから調べる」とか、
「調べたほうがいいから調べる」とか、
そういうことはよくあるのだけれど、
「どんなのだろう」という興味から調べたことは
おそらく、一度もなかった、そう、
きっとなかったと思う。


すると、また、想像していないことが起こった。


たった5、6分調べただけだったが、
どうやら、1000円カットに行って
「失敗した」という人と、「そうかね?」という人がいるみたいで、
何例かざっと見るだけで、失敗した、という人は、
「その人の要望が曖昧だった」ことが共通していることに気づいた。

何が面白かったか、というと、そのことも興味深かったのだが、
〝わたしがそれを面白く、興味を持って読んでいる〟
ということ、それ自体、驚きだった。


たった髪型、ひとつ。


「なるほど、そりゃそうだよね。
要望をちゃんと伝えなければ、切る人だってわからない。
いやいや、曖昧なままに、ちゃんと曖昧に切ってくれているわけで、
切る人に責任はないわけだ。酷かったって、それ、ちゃんと要望を
伝えていない側に問題があるんじゃないか?」


これって、まさに、曖昧な契約をして生まれてきてしまったのと
同じじゃないか、と思ったけれど、まったく他人のことは言えないことを
わたしはずっとしてきた。


ずっと美容院に通って、「自分の意思」と勘違いしながら
「こんなふうにしてください」と注文していた気になっていたものの、
最後の最後は「わたしにあうような髪型にしてください」なんて
お願いしていたわけだから。


こういう日常のワンシーンでも、
自分を他者にあずけてしまっていたから、
こんな生ぬるい環境から、「安くて良いなら」感覚で
1000円カットに行くから失敗するんだ、と
すごく納得した。


なんだか興味がわいてきた。


そもそもわたしは、「パソコンを買いたいから
髪型はまあ、坊主っぽくなっても、それはそれでいい」と
覚悟していたので、ネットの書きこみにあるような、
「わかってくれると思っていたのに」という失敗はしなかったと思うけど、
そんなことよりも、

それならそれで、

「自分の髪型を自分で考えてみようかな。
1000円カットでどこまで要求(注文)が通るか、試してみようかなぁ」

と、あれこれと考え始めていた。


どんな髪形にしたい?

考えたこと、ないな。

じゃあ、考えてみようかな。

へんな感じになるかもしれないけど・・・ちょっと楽しそう。


決めなきゃ、といって決めた(気になっている)時は、
決めつけることで精一杯(=思考停止)なので、
考える余裕も隙間もない。
だから、「やってみる」といくら、りきんでも
やってみた気になっているだけで、その動機が
恐怖や焦りだとしたら、そんなの、
こわい、だし、ビクビクだし、
楽しいと感じないのは当たり前のような気がしてきた。


・・・書いていて、自分でもなんのへんてつもない話に
思えてきたのですが、こういうこと、今まで、なかった。
「こうしなきゃ」というモチベーションから
「こなす」ようにするばかりの窮屈さや空々しさとは
どこか違った。


髪型なんて別に・・・と
つまらなそうにしていたときとは違って、
1000円カットでも、いや、1000円カットだからこそ面白そう、
と思ったり、さらに差額で買えるPC、となると・・・!

不思議だ、

俄然、PCのことも調べてみたくなってきた。


2014.03.06
Aby



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by jh-no-no | 2014-03-06 02:49 | 復元ノート 1

(後半) 「やってみる」の壁

 ・・・『(前半)「やってみる」の壁』の続きです。


以前、ブログに、年始に父と母と外食をして、
父が店員にぶちきれて暴れた話を書いた。
そのとき、母が「昔のことなんて話したくないわ」というような
ことを言ったとき、正直、わたしは「困った」のだ。

なぜかというと、わたしの中で、
「話がきけなかったら、自我復元に支障がでる」というふうに
勝手に思いこんでいたからだ。

たしかにそういうこともあるかもしれないが、
問題なのは、そうやって、まるで迷信のような仮想の恐怖を
自ら作ってしまって、勝手にこわがっていることだった。


これはわたしの悪い癖なのだが、
この癖もまた、とくに母親由来のものだと思っている。
というのも、母はよく「~したら〇〇〇になるよ」と
そういう言い方で未来の不安をあおったからだ。
実際、迷信もよく口にし、それを利用して、しつけもした。
父親の格言も酷いが、日常会話のなかで
「迷信構造の言い回し」で調教する母も猛毒だ。

だから、わたしにもその考え方がコピーされて、
「~したら、自我復元できなくなるかもしれない」とか、
「~したら、崩残さんに見捨てられてしまうかもしれない」とか、
そういう設定をしておいて、自分がやっていること、やったことを
なんとかこじつけてでも、「わたしのせいなんじゃないか・・・」と
やってしまう癖、その妄想が酷かった。


この年始のときもそうだった。


それだけでなく、Pさんと母の電話での口論もあって、
「もうAbyと口をききたくない」という勢いで
母に八つ当たりされて、さらに焦った。
わたしの頭は不安の妄想でいっぱいになってしまった。

「わたしのAC人格が掘らせないように、
Pさんを無自覚に母と衝突させるように企てたに違いない」

と考えたり、さらに、

この年始の食事のときに、わたしは年始でもあるし、
あまり詰問調の話になったりしたくないから、会う前に、そうだ、と思って、
「どんなときに笑ったり怒ったりする?こういうときに笑うのはいいけど、
こういうときに笑うのはちょっと・・・と思ったりすることってある?」
みたいなのを、色付きの可愛らしい用紙にアンケートっぽく書けるように、
と思って持っていったのだが、それを見て、

「どうして、Abyは、昨年も昔のことをきいてきたの?」

と不審がられて、それで、なんとなく、こんな展開になったものだから、
「喜怒哀楽のことは、タブーだったのだ。なんで、そんなことを
きこうと思ってしまったんだろう。もっと自分で考えべきであって、
そんな話題をふったわたしが間違っていた。あんなへんな用紙を
作ったことからして、どうかしていたんだ・・・」

と考えたりして、


日に日に、


「わたしはなんてことをしてしまったんだ」

と、妄想だらけで、

怖くなってしまった。


自我復元という理論を極度に恐れ、また、
「何てことをしたんだ!」と崩残さんからも罰を受けるに違いない・・・と
まさに調教由来な仮想の恐怖を、そのまま投影した。

このことは昨年の終わりの頃に、掘っていたことだったから、
「自分のせいだ・・・こわい」という恐怖は、これこそ、調教由来の恐怖に違いない、
と思っていたので、こわかったけれど、どういうことがわたしに
起こっているのか、観察することにした。

まず、このループにはまってしまうと、
こじつけだろうが、正しかろうが、「自分のせいじゃないだろうか」と
思ったことは、言えなくなる。


隠そうとする。


そして、その次がまた問題だった。


隠しているのは、こわいからであって、
しばらくすると、この恐怖に耐えられなくなる。
すると、「自白したくなる」のだ。

全部さらけ出して許しを得ようと、媚びるようとする、
とり乱し、泣き落としに入ろうとする。
以前、このブログでも、わたし自身、自分のこういった態度について、
「正直ごっこ」と書いた記憶がある。


いっけん、このさらけ出すことのほうが、
誠実な態度に思えてしまうのだが、その動機は、
同じ、恐怖なのだ。

「こわいから、隠す」というのも、
「こわいから、報告して、許してもらおうとする」というのも、
「こわいから、報告して、問題ありませんと言ってもらいたい」というのも、
どれもこれも、自分を裏切っていることには変わらない。


どれも不誠実であって、
どれも裏切っている。


恐怖に甘んじている状況で、これではかつてのあの
「タイムカード不正事件」と同じだ、と思った。


ただ、これはどうしても、解決したいことだった。

どうして、わたしはいつも不誠実な選択しか
できない状況に陥るのか。
従う、ということで、なぜ、安心を得ようとするのか?



自分のせいかもしれない

自分が間違っていたかもしれない



反射的、自動的に避けてきたもの、
拒絶していたことに向き合ったとき、だんだんと、
「何がこわかったのか?」がわからなくなってきた。


怒られること?

ん??


こわくなくなったわけじゃないけど、
何がこわいのかが、よくわからなくなった。


自分が間違っていたと思ったら、
そう思って対処すればいい。

自分のせいだ、自分が悪かったと思ったら、
そう思って対処すればいい。


年始のこともそうだ。

AC人格がやらかしたこともあるだろう。
だったら、なおのこと、そこを掘って掘って、
そんなAC人格、クビにしてしまえばいい。
それはどんな局面でもそうじゃないか。

恐怖に甘んじて、ただ隠そう、
ただ自白しようといって思考停止して、
それで誰が得をするか、といえば、
それもやはり、親なのだ。
そして、掘られないで済むACは笑っている。

実際、この年始の際に、あやうく、
「わたしが悪い」で納得しようとしてしまっていた。
それで免責され、高笑いするのは親だ。
「都合の悪いことは、きかないでね」と。


「いいえ、これからも
必要あれば、ききます」


と言ってもいいし、言いたくなければ言う必要もないし、
きく必要もないけど、こうやって母親が取り乱して顔色を変えたり、
何も悪くない店員を見せしめに父親が怒鳴ったりするというやり方は、
卑怯だし、この人たち、ずっとこのやり方かよ、とあきれた。

でももっと、本当は、置き去りにしてはならなかったのは
「わたしのせいだ、いや、わたしのせいじゃない、いや、・・・」と
思考停止をゆるしているうちに、そのとき、


〝本当に感じていたもの〟


それがたとえAC人格のしわざであり、
調教由来の不安だとしても、なにが原因であれ、


「困った」


という気持ち。

それを「言いたかった」という気持ち。


これをわたしは置き去りにした。
置き去りにしてしまった。

こんな気持ちがあったことにも気づかず、麻痺していた。


タイムカード不正事件のときもそうだった。


「わたしのせいだろうか、いや、そんなことはない、いや、・・・」
とやっているうちに、困った、誰かに相談したい、どうしよう、こわい、
そういった気持ち、たとえそれが仮想の恐怖であれ、その
「困った、と感じたこと」は、なかったことにすべきじゃなかった。


困った、という気持ちと、
自分のせいだ、という自責と、
こわい、という仮想の恐怖が一連の流れとして
自動的に生じるようになっていた。
自責すら、自分の意思でなく、
「用意されていた」という罠。


それを仕込んだのは、親だ。


顔色ひとつで、親にとって都合のよい方向へ言いなりだ。
「決めなさい」という呪縛。
それに連動して作動する「決めてもらいたい」という依存。


なぜ決めなきゃならんのだ。


決める以前に、わたしはわたしで思っていることがあるんだ。


それに対して、どうして、「間違ってるかもよ」とか
横槍いれてくるんだよ。


間違って、いい。


「これが絶対正しいわけじゃないかもよ」と言うのなら、

「そうかもね」

で、おしまいだ。


決めつける必要だって、なかった。

わたしの「決める」っていうのは、
「決めてもらう」という意味だったから。


内職についても、決める必要なんてなかった。
「今はもう、このまま続けたくはない。
魅力的に思えないし、ワクワクもしない」


やりたくない、というだけで十分だった。


もちろん、どうしてそう思うのか、そこには
AC人格が生きのびようとする落とし穴があるのかもしれない。
でも、それとこれは別だと思った。

2月の最終日になってしまったけど、
わたしは決めた。いや、決めたのでなく、そうした。


「いったん、中止しよう」


内職はいったん中止しよう。
そうなると、また、
新たに考えるべきことが出てくる。

内職と無縁ではない今の仕事は、
見直していく必要はないのか?


あるだろう。


たくさんあると思う。


そもそも、仕事以前に、人として、
どこであれ、誰に対してであれ、
「相手はバカだから、相手にあわせて笑ってあげるだの、
相手にあわせて怒らないであげようだの」
こんなの、どこにどう出ようが、狂っている。


もう一度、自分に問いかけたいのは、
なぜ自我復元をしているのか。


今やっていることがいい、と
言ってもらいたいからじゃない。

いいと言ってもらえそうなことを、
これからやるためじゃない。

それがたとえわたし自身の自分の
ブログやノートであっても、それに依存し、
それを地図に歩いて、安心したいためでもない。


それでは「従う人生」だし、
「恐怖に甘んじる人生」だ。
今までの人生と、それでは何も、
何ひとつ、変わらない。


間違いたくない、と怖がる前に
手放してはいけなかった自分の気持ちはなかったか?

決めなきゃ、と焦る前に
手放してはいけなかった自分の気持ちはなかったか?


ないがしろにした自分の気持ち、
置き去りにした自分の気持ちはなかったか。


何度も自問していきたい。



・・・


ここ二週間、過去の記憶を掘りおこしていて、
ここに書ききれなかった過去のエピソードをいくつか
メモのようになりますが、自分の備忘録としても
書いておきたいと思います。


・・・


【エピソード その1】

こんなことがあった。
以前にも少し書いたと思うけれど、
おそらく小学生になった頃だったと思う。

その頃、ある施設で訓練中の体罰が問題になって
マスコミをさわがせた事件が盛んに報道されたときがあった。

きっとわたしが何か、母に不都合なことを言ったり
やったりしたのだろう。母は、

「あそこに入れちゃうからね」

とわたしを脅した。

怖くて怖くてしかたがなかった。

たいていのことは、耐えてきたけれど、
これには耐えられなかった。
水の恐怖、火の恐怖、どっと押し寄せてきて・・・。

わたしは泣いて懇願した。

「入れないよね、入れないで、入れないで!」って。

恐怖を自白して、

「入れないわよ。冗談よ」

と、「許し」を得た、そういう経験だった。

隠す、隠せない、自白して許してもらう。
この基本的なパターンの、最も記憶に残っているエピソードです。


追加:
このエピソードについて、もう一つ、思ったことがありました。
それは「入れないよ」と言われて安心したこと以上に、
「わたしがこんなにもこわがっている、そんな状態に
〝私がさせたんだ〟と母に思わせてしまったことを、
わたしが母にしてしまった罪悪感」が残った記憶があります。



【エピソード その2】

これも以前、少し書いたことだけれど、
音の出る鉄砲で自分のお店で遊んでいた。
4歳か5歳くらいだと思う。強く記憶に残っている。
わたしのおじ(父の兄)は
「今、警察呼んだから」と、脅した。

わたしはダンボール置き場に逃げて、隠れた。

どのくらい時間が経ったろう。
「冗談だよ、呼んでないよ」とおじちゃん。

わたしはこのことを母に言えなかった。

先月、保育園に通っていた頃の「保育連絡帳」を読み、
このことに触れているところがあったので読んでみて
唖然としたことがある。

何があったか、わたしは最後まで言わなかった。
警察を呼ぶ、と言われたことを。
母は詳細を後に、おじちゃんから直接、
きいたらしい。

保育者宛てのノートにどう書いてあったか。

「たまには、親以外の人から注意されるのも
くすりになっていいみたいです」

なにそれ?

4、5歳の自分の子に、「警察を呼んだ」という脅しを
かけたおじちゃんの味方をして、ショックで何も話さない
自分の子を見て、「いいくすり」って・・・酷くないか?!

わたしはこの事件は、このノートを見るまで
親にも一言も言っていない、とさえ思っていました。
そのくらい、一人で抱え込んだ記憶が強かったから。

隠した、という記憶が残っている、
一番幼少の頃のエピソードです。


追加:
この一人で抱える、相談できない、というふうにして追いやるやり方は、
父も母も「自分の親に対してそうだった」ことから、
世代間で、ずっと連鎖してきたと思う。
母も父も、生育環境を見ると、「自分のせいだ、自分がいけないんだ」
と納得してその場をしのごうとする歪んだ自己解決方法が身についている。
AC人格が状況を受け入れるための口実になってしまっている。
本文にも書きましたが、この自責は、いっけん自分で課した不自由のようで、
実際はそうではなく、だから、自分で課した不自由だ、という実感が起こらない、
という点。これが今回、気づいた点です。



【エピソード その3】

これは書いたことがないものです。
たぶん、これも小学生になったくらいだと思います。

なぜ、わたしはそんなことをしたのか、今でもわかりません。
わたしのマンションの2Fの途中の階段に、
何かがおしっこをしているらしく臭う、という問題が起こりました。

それは、わたしがしていたのです。

問題になっていたのは知っていたので、ビクビクしながら
立ちションをしていたのですが、ある時、父に見つかりました。

そこからわたしがとった行動が問題でした。

近くにすんでいた「K君」という、
ちょっと年上のお兄ちゃんが、その近くに置いてあった
廃棄処分の便器におしっこをして、いたずらしたことがあるのを
知っていました。一緒に遊んでいたからです。

それはその随分前のことで、たった一度の遊び心で。

なのにわたしは、父につかまって、
「K君が前にやっていたんだ。だから・・・」と、
わたしは、関係ないのに、
K君のせいにしてしまった。

結果、K君も呼び出されて、二人で父の両親(そのマンションの
2Fに住んでいたので)に謝りに言った。

わたしはK君も強く叱られたことに
罪悪感はあったけれど、それでもあのとき、
すでにわたしは、「自分のせいにならないためなら」
手段を選ばないようになっていたのだと思います。

「自分のせいじゃない」と必死に隠蔽しようとした、
幼い頃の記憶。



【エピソード 4】

これは本当にあったことかどうか、
記憶にない。だけれど、感覚として強くある記憶。

おもちゃ屋さんで、おもちゃを買ってもらおうとしている。
今、売出し中の、メインの商品が明るいところに
きれいに並んでいるのに、わたしは店の隅のほうにある、
ややほこりをかぶった、もう売れそうにないおもちゃを見て

「これ、ほしい」

と言う。

母は決してダメ、とは言わず、
こんなのやめたら、こっちにしなさいよ、とも言わない。

「これ?」

とわたしを見て、

わたしは、「うん」と言うと、

「これ、ください」と言って、お財布からお札を出す。


この、「これ?」ときかれてから、お札を出すまでの
ここが、見ていて見ていられなかった。

見ていられなかったのは、顔色だったと思う。

本当は「こんなの?」
と思ったんじゃないだろうか。
わたしはへんな選択をしてしまったんじゃないだろうか。
きっと、そうだ。
なのに、お金を払わせてしまった。
大事なお金。

親がしたくなかっただろうこと、本当はやりたくなかっただろうことを
子どものわたしがさせてしまった、という罪悪感。

こういうことはしてはいけなかったんだ。
「じゃあ・・・これ、ください」と言ってお札をお店の人にわたす時の
その母の表情を見て、
「こういう顔を親にさせてはいけない」と思った記憶があります。



【エピソード 5】


これは以前に少し書いたかもしれません。

母の友人の家に遊びに行った。
電気を消して、お化けごっこをしていたら、
ベッドの一部だと思うけれど、そこに弟の唇がぶつかり、切れて、
何針か縫うほどのケガ。

「何てことしてくれたのっ!」

と、突然、わたしは母に平手打ちをくらった。
わたしがやったわけでもないのだけれど、
わたしは自分のせいだ、と思った。

お兄ちゃんだから。

それに、こんなことになれば、
父に母は怒られてしまうだろう。
もうここに来られないかもしれない。

案の定、それからはそこに
遊びに行けなくなった。

母にも申し訳ない、と思った記憶。

それだけじゃない。

やっぱり、そこですっぽり置き去りにしたのは、
わたしはそのとき、弟が血を流しているのを見て、

「困った」

という、その思い。気持ち。
すごく困ったけど、間髪いれず、ひっぱたかれた。


「すごくびっくりしちゃった。
Bちゃん、大丈夫かどうか、心配になって
どうしていいか、困っちゃったよ」


本当はあのとき、こう言いたかったのに、
わたしは言えなかった。

言わなかった。


・・・


もう少し、追記します。


どこを輪切りにしても、結局、「親の言う通りにしろ」
というメッセージに満ちていた。


親の意見は絶対だ、親は間違わない。
うちは完璧な親、理想の家庭だ。
だから、親に都合のよくないことや、不快なことがあったら、
子どもの「お前」が悪い、に決まっている。
そんな子どものお前が決めたりでもしたら、
めちゃくちゃになる。

親の考え、意見に従いなさい。

自立しようが、自信を持とうがなんでもいいけど、
「親が不快になることだけは、してはならない」


親、という例外。


普段のわたしの行動パターンのひとつに、
「相手がどう思うか、相手がどう感じるか」を即座に判断してから、
行動に出る、という根強い癖がある。

どうして咄嗟にこうなってしまうのか、
少しずつ、見えてきたように思います。

こうやって「親」と接することが、
親が埋めこんだ地雷を踏まずに済む、
ということだったと思う。

相手のことを考えなさい、
他人の気持ちを察しなさい、というのは、親が、
「わたしたちのことをまず考えて、言いなさい、動きなさい」
ということだったんだ、と気づいた。


親を不快にさせるようなことをしなければ、
ここはいつも、安心よ。
こわくないし、迷わない。

親を不快にさせるようなことをすれば、
それはうちの子じゃないわ。
そんな子は、こわがれ、迷え。


たったそれだけよ。


親だけは、たてなさい。


それが礼儀であり、常識です。
人として当たり前です。


・・・と、毒親全開で正直に言ってくれればまだしも、
「親」とは言わず、それを、「他人」、他者のため、と
言いかえたこの手口は、酷すぎる。


だから、わたしの利他は、本当の利他じゃない。

それは、親にとってのみ都合のよかった道であり、
わたしが「この道が安心」と誤認した道であり、
安心を得たいがために利用した道であり、
他者を利用したのであって、差別した。


お互いに尊重しよう、なんて嘘っぱち。
本心はつねに「何でわたしに感謝しないんだ、このやろー!」
と、「オレを認めろーーー」の奉仕もどきのAC一点張りだ。
「がまんしてあげてるんだぞ」って、頼んでねーよ、誰も。



わたしが本当に歩こうとした道を
歩きたいと思う。




2014.03.03
Aby



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by jh-no-no | 2014-03-03 05:25 | 復元ノート 1

(前半) 「やってみる」の壁

「ちょっとやってみる」


今日もこのことを思ったのだけれど、この

「ちょっと、やってみる」というのが、実は壁だった、
ということ自体、長い間、気がつかないものだった。

だいたい、ちょっとやってみる、というのは
わたしにはなかった。

やるからには、そこに意味がなければいけない、
価値がなければいけない。
漠然とそういう観念が、当然のようにあったから。

でも、これは聞こえのいい、チープな格言そのもので、
その観念の裏側には、毒親調教由来のものがある。


だから、間違ってもいいからやってみる、とか、
「これだ、これで〝いいんだ〟」と決めつけないでいいからやってみる、とか、
すごく簡単な言い方をしてしまうと


「チェレンジする」


というのが、皆無だった。

以前、10歳頃のわたしの映像が残っているVTRを見たときも、
一番末の弟とわたしは、まったく違う行動をしている。

弟は「なんでもやってみる」を普通にやっているのだが、
わたしはいつも、事前にわかっていることを「こなしている」だけで、
ワクワクも、ドキドキも、ない。
一方、弟は、「こわいよ~」と言いながらドキドキいろいろやったり
やんなかったりしているし、「やったー」とか言って調子にのって
ルンルンしている。彼には少なくとも表情がある。


なぜ、チェレンジができないか?


このあたりを、今回は集中的に掘り下げてみた。


・・・


2月の末までに、わたしはひとつ、「決めよう」と思っていたことが
ありました。

それは、今やっている内職を、継続するか、それともどうするか。

内職というのは、今まで何度かブログにも書いているもので、
3年前くらいから、仕事とは別に、無償活動のボランティアとしてやっているもの。

例年この時期は寒いし、灯油も使うので、年始から一定期間は休むのですが、
再開することをためらっていた。

理由は、この内職を開始した動機というものが、
以前にもブログで書いてきた通り、


・ Pさんに自分の価値を認めてもらいたい。
  (または、自分の価値を認めてくれなかったPさんへのあてつけ)

・ Pさんから抑圧された性的不満を吐き出したい。

・ 両親が抱いている「母親への恨み」の代理復讐のため。


AC人格にとって、居心地のいい場所を作った、ということ。
昨年の段階でこのことは見えてきて、だったら、
「そんなのやめてしまえ」となるのが当然に思えたのですが、
そんな簡単ではありませんでした。

というのは、これだけの「続ける意味のない理由」が整っている
にもかかわらず、わたしはすぐには、


決められなかった。


どんなにAC人格の言い分、続ける理由、やめる理由、
どうしてそう思うのか・・・などなど、いくらノートに書き出しても
どんな説得力のある理由を思いついても、決められなかった。


なぜなら、それは「理由」でしかなく、
わたしの気持ちでもなく、どれもまったくリアリティーに欠け、
思ってもいないことを言う(=嘘になる)ことになるのは
明白だったからでした。


決めなきゃ、決めなきゃ・・・


そう唱えていただけで、完全に思考停止していた。
2ヶ月考え続けて、結局、決められなかった・・・
と思ったときに、ふと、

この「決めなきゃ」って何だ?

と思って、遠回りでも、そこから舵を取り直してみようと、
しばらく試した。


なんで決めなきゃならないのだろうか?


わたしはいつもそうだ。


これでいいんだろうか、これで大丈夫だろうか、
絶対?本当?・・・そんなことの繰り返しだ。


感情すら支配しようとする。
つかまえて籠に入れようとする。


掘り進めていくと、この自動的に沸き起こる「決めなきゃ」の背景には、
それ以前に埋めこまれた「自己信頼のなさ」が見えてくる。
自己決定がゆるされなかった過去が見えてくる。


毒親は、どうしてこんなことをしたのか。


わたしが自分で決められないと、
親にとって何が「いい」のか。


そこで思い出したのが、「親が絶対だ」という両親の価値観だ。

「親が死ねといったら、子どもは死ぬのが当然」
「親が人を殺せといったら、子どもは殺すのが当然」

当たり前のように子どもに言い聞かせていた父親だが、
当たり前のように、これが親を敬うということだ、と信じていた
わたしもわたしだ。


「自立しなさい」
「自由に生きなさい」
「個性的でありなさい」
「自分を大事にしなさい」
「自信を持ちなさい」


こういった道徳めいた格言には、
実は例外があった。


それは、


親、という例外だった。


親のためには、こういったことも我慢しなさい、という
例外がつねにあったことだった。


それをわたしの両親は、別の言い方で、


「親孝行」


などと言いかえた。


親のためなら、と枕詞のようにつければ、
自立するな、自由などない、個性などいらん、自分を犠牲にしろ、
自信?・・・調子にのってんなよ、という言い分が、


「親にだけ」


は、ゆるされた、ということであり、

大きな間違いは、それを、

わたしがゆるしてしまった、ということだった。


そして、その「親の主張だけ」があっただけなのに、
わたしは、この家庭には、自立とか自由とか、
そんなものがあると「信じこまされただけ」だった。


実際は、そんなの、ないんだ。


親の都合、父親でいえば、キャバクラで自慢したいから
「そういう子を育てた自分」に酔いたいだけ、
母親でいえば、「自分の母親のようにはわたしはならなかった」
という証明のためだけ、ただそれだけのために、
しかも、最後はボロ雑巾のように、「幸せにはさせんよ」と
恨みを子どもにコピーした。

しかも、成人後も、Pさんや内職などもあてがい、
念には念をいれて、これでもか、というくらい定着させようという
執念すら感じる。両親の母親への恨みは「尋常じゃない」と感じた。


そこにあるのは、ただ、


親の都合、だ。


「自分で決めなさい」と、決められないのをわかっていて、
あの二人は、ずっと、わたしに言ってきたのだ。


進路を決めるときも、

「私立に行ける子は、それほど多くないんだ。
別に私立に行けるのがエライわけじゃないよ。
でも、行ける環境がある、そういう環境がこの家には、
Abyには用意されている、ということ。
それは知っておいたほうがいいよ。
さあ、自分で決めてごらんなさい」

と、くるわけだ。


ここにまた、事前の「仕込み」がある。

それは、親は完璧であり、我が家は理想の家庭だ、
という洗脳だ。


そのことについても考えてみた。


店先のゴミ箱でみかんの皮をむいていて、
振り向いたら片手のないおじさんが、真後ろにいて、
こちらを見てニヤニヤしていて、すごく怖くなって逃げた話を前に書いた。
片手がないおじさんじゃなくても、誰だって真後ろに
急に立っていたら、きっと、すごく驚くと思う。


問題は、このことを、なぜ、母に言えなかった、ということ。

なぜ、この気持ちの動揺、困惑を言えなかったのか?


わたしは、これは「言えない」と思った。
こんなことを言ったら、母の顔色が変わってしまう、と。

この、顔色が変わる、というのは、
「ありえない」「あってはならない」という合図のようなものだったと思う。
そこには、親に心配をかけてはいけない、親に気遣いをさせてはいけない、
親を困らせてはいけない、というのが当然のようにある。


困ったのは「わたし」のほうなのに、
わたしはそれが言えないのだ。


その「困ったんだよ」という一言が言えない。


わたしは、困ったんだよ、って言いたかった。
怖かったんだ、って。びっくりしたんだって。


「目つき、態度、言葉づかい」というのは、
母の口癖だった。それだけできれば、人間としてOKだ、と。

先日、はっと気づいた。

これって、もしかして、母が、
「私の目つき、私の態度、私の言葉づかい」に
注意を配れ、という意味だったんじゃないだろうか?


こういう手口は、母も父もよく使う。
最悪なことに、わたしにも感染し、わたしも使ってしまっている。


それは、

「目つき、態度、言葉づかい。ね、これは、
〝あなたのために〟言っているんですよ」という嘘だ。


相手のために、あなたのために、というのは、
自分の気持ちを隠すために、都合のいい方法のひとつだ。
これは子どもの頃の些細なシーンにもよくあった。
たとえば、「遠くに行かないのよ、危ないからね」と、いっけん、
相手のこと、子どものことを思って言っている「ように」見える。


でもそれは、嘘なんだ。


母の本心は、

「遠くに行かれると、見えないし、怪我されても困るから、
遠くに行くな。追いかけるのも疲れた。もういい加減にしなさい」だ。

そうやって、我慢を「利他的なもの」に置き換えて、最後には、
自分でも何を我慢していたのか、わからなくなってしまう。
逆にいえば、それが我慢の正当化になっているし、
我慢の口実になっている。


「相手のためにやる」


ということの動機の多くは、別の目的のため、つまり、
「感情を抑圧することを正当化させるため」だ。
それこそが大人で自立した自分であることを自己確認するために。
そういうと、多少聞こえがいいが、ただ、相手をバカにするためだ。


利他という大義名分を、いつも、笑いたくもないのにまわりに
あわせて笑い、怒りたいのにそれを押さえこむ、そういった
感情の逃げ道として利用したに違いない。


わたしもずっとそうだったから、
親がそうでなかった、とは思えないし、そうは言わせない。


・・・気持ちがエスカレートしてしまって、話がそれてしまったが、
両親ともに共通するのは、顔色ひとつで、子どもをコントロールしたことだ。

「うちは理想的な素敵な家族なんだよ、こんな素晴らしい親は
いないんだよ。Abyたちは恵まれた子だ。幸せを感謝しないとね」
という、まるでカルト宗教のような巣窟にいると、親の顔色が曇ると、
ただそれだけで、「これはあってはならないのだ」という気にさせられる。


母は、いとこや他の子育て家庭の母親、そしてその家の子の
悪口を言う。軽蔑に満ちていた。

父は「あんなバカはこうなって当然だ」とボコボコにする。


二人とも、子どもたちのほうを振り返ると、
別の顔。気持ち悪い・・・


「ああなったらおしまいね。あなたたちは、違うでしょ」
「お前たちは、あんなバカとはぜんぜん、違うんだよ」


上手く言えないけれど、わたしの家族には、
「間違い」というのはなかった(と思いこまされていた)。

父と母に共通するもう一つの態度がある。

それは、

「わたしたちは、絶対、間違っていない」

という傲慢な態度だ。

自分たちは、「礼儀」正しく、「常識」がある人間だ、
と思いこんでいる。

父の口癖、

「親に言っていいこと、悪いこと、わかるよな、Aby」

この分別ができることが、どうやら、両親の言うところの
礼儀であり、常識のようだった。
あくまでも母と父にとっての「都合のいいそれ」であり、
そういうものの寄せ集めで、

理想の家庭、
幸せな家族、
誇らしい完璧な親、

というものが捏造されていた。


理想的で、完璧で、問題のない家族(という虚像)。


だから、困ったり、悩んだり、不快に感じたり、
そういうネガティブと思われる感情の存在は、
「あるわけがないもの」(と思いこまされてきた)
だったから、たとえば、片手のないおじさんが立っていて
すごく怖かったり、びっくりしたり、困ったりすると、

「こんなことはあってはいけなかったんだ。
自分が何かいけなかったんだ。自分がおかしい。
こんなことになった自分に問題があるんだ。」

と、ここが唯一のおとしどころだと、思いこんでしまう。
それで納得しようとしてしまう。
理不尽に感じてしかるべきなのに、自己嫌悪どころか、
納得してしまい、苦を苦と感じなくなっている。

親からすれば、「しめしめ、自分が招いた種だ、と
思いこむなりして、なんでもいいから納得していろ」
といったところだろう。


困ったなら、困ったと言えばよく、
自分のせいだ、と思う必要などないのに、
仮想の恐怖が植え付けられているために、
こわくて言えないのだ。


「何てことしたんだ!」
「何てことしてくれたんだ!!」


そう相手の顔色が変わることを極度に恐れている。

冷静に考えてみれば、もしもわたしに問題があったとしても
「ごめんなさい」と謝ればいいわけで、改善すべきことがあれば
見直していけばいい。


先日、ふと思い出したのは、両親特有の

「ゆるさない」

という、そのメッセージをこめた、あの顔だ。


わたしにとって親は、「ゆるさない」ことがありうる人だった。
実際には、ゆるされずに暴力を受け酷い目にあったという記憶は
思い出されない。でも、わたしの中に植え付けられているのは、

「いざとなったら、ゆるさない」

という親の顔であり、親の絶対的なイメージだ。
顔色で出すサインは、相手に外傷(という証拠)を残さない。
あざを残さない姑息なやり方。


ゆるされないかもしれない、と思ってビクビクしている子が、
「自分が悪かったかもしれない・・・」と思った出来事を、
包み隠さず言えるだろうか?


実際には、「困った」だけだ。


でも、それと、「わたしが悪い」という自責の念や自虐と結びつけられたとき、
わたしはその困ったことを、なんとか〝隠そう〟とする。


わたしの隠蔽体質の正体が、
少しずつだけれど、見えつつある。
「わたしは間違っていない、わたしのせいじゃない」と
必死になるのは、隠そうとするからだ。


何を隠したのか?きっと、それは


「困った」


という感情だったのではないか。


だいたい、わたしのせいだからって、何を恐れる?
わたしが間違っていたとして、何を恐れる?

見ていけばいくほど、何にこわがっているのか、
わからなくなっていく。決めなきゃ、と同じで、
こわい、こわい、と唱えて思考停止しているだけなのだ。


そもそも、どうして「困った」という感情を出させなかったか、
ということだが、考えてみると、これまた、親たちがただ、


「うちの家、困るようなことなんてないんです」


という、虚勢をはりたかった、というだけ、
たった、それだけの親の都合のためだけに、
仮想の恐怖を植え付けんじゃないか・・・と思ったが、
ただそれだけじゃなさそうだ。


親の都合が悪いようなことは、顔色ひとつで自動的に
「自分が悪い、自分が間違っていたんじゃないか」と思いこんでくれて
納得してくれて自己完結してくれることは、まず、
親が手を汚さないで済む。


「わたしたちに都合がいいことだけ、報告してね」


という調教に成功する。


結果、わたしは、「あなたたちの都合のいいことってなんだろうか」と
親の顔色をうかがうようになる。
当然、不快にさせることは言わない。言えない。

最悪なのは、自己決定なんて口だけで、
「そんなこと、絶対にさせまい」として育ててきたから、
わたし自身の基準、というか、決める経験とか意思がないから、
相手のことを考えて、相手にあわせて、相手が何を要求しているのかを
読み取ることは、むしろ、進むべき道を照らしてくれる「救い」と錯覚する。

しかも、その救い、親の指針を読み取ることで、
「自分で決めてごらん」となるわけだから、判断基準をつねに
誰かや何かに依存し決めること、それがイコール、
「自分で決める、ということ」と思いこんでいるから、
一生、「なんでも自分で決めた」と誤認して生きるハメになる。
(自分で決められたね、という飴の記憶が、さらに厄介にさせる)



「決めなきゃ」


と焦ってくれれば、毒親の思うつぼだ。

「自分は間違ってしまうかも」という事前に仕込んでおいた自責と
恐怖があるから、いざ決める場面になると、


「決められるわたしであるはずなのに、実際は決められない」


だから、思考停止する。それ以上、考えられなくなる。

わたし本人は「決めよう」としているのだけれど、実際にやっていることは、
「決めてもらいたい」ということに、やっきになっているだけなのだ。


この、


「決めてもらいたい」


という動機がわたしの中にあることに、
なかなか気づけなかった。


内職を続けるか、どうするか、わたしは「これを考えるために」、
その根拠を昨年から探そうとしていた。

その過程で、わかってくることもあった。
不純な動機でやっていたこともわかってきた。

でも、さらに問題だったのは、
いろいろ理由をつけて、わたしは、
「決めてもらいたかった」のだ。

最もらしい理由に「決めてもらいたかった」という、
この動機こそ屈折していたのだ。


「桜の間でこう書いてあったから」とかいろいろ読み返しては、
「やっぱりこういう動機でやるのはAC人格なんだ。だから、
こんな活動続けているのはよくないんだ」と。


そうかもしれない。


そうかもしれないが、ここにわたしの意思はあるのか?と
いざ向き合ってみると、どこにも自分の意思などはなかった。
これでは、

「AC人格の出番をつくることになるのでやめました、でいいですよね」

という人格をもう一度、作ってしまうだけ。


問題は、そうではなくて、なんで、決めなきゃと焦り、
思考停止し、誰かや何かに「決めてもらう」とするかを、
洗脳被害のところに戻って、自動的に植え付けられた、
「自分が間違っているんだ」とか、「自分は決められないんだ」とか、
そういったことを、もう一度、自分で舵をとれるか、立ち戻ること。


2月の終わりに近づき、焦ってはいたけれど、
いったん、「決められない」ということを認めてみることにした。


決められないから、自分の意思などないんだ、
と思いこんでいた。


でも、それも思いこみだった。


ひとつだけ、
思っていること、感じていることがあったのだ。



「このまま、だらだら続けたくない。それは嫌だ」



という気持ちは、ずっとあったのだ。
ワクワクもしない、やっていてつまらない、
負担に感じていて、こんなこと・・・と、
そういうことを感じているのに。


なぜ、この気持ちを無視したのだろう?


わたしの中のAC人格の特徴が、もう一つ、わかってきた。
これこそ、毒親がやってきたことそのものなのだが、


「A」

といえば、

「Aじゃないかもよ」

と、御破算にするようなことを、よくする。


これは、わたしが他人と話すときもよくやってしまうやつだ。
やっている本人は、「新しい視点」や「別の角度」を提示して
得意になっているわけだが、客観的にみれば、
「ああいえばこういう」をやっているだけなので、いっこうに
話が進まない。気がつけば、「なるほど~、みたいな話だったけど、
結局何も決まらなかったねー」となる。

完全に父親由来で、この目的は、
相手を思考停止させることだからだ。

で、こっちを向かせる。

こうすると、わたしの話に「なるほど」と思わせることが
可能なことを、どこか、体験的に知っているのだ。
もちろんそれは、その相手も依存対象を探しているような場合しか
効果的ではない。だからこそ、わたしは内職でも、そういう人たちを
ターゲットにしたのだ。これではやっていることは、カルト教祖の
洗脳となんらかわらない。


この洗脳モデルはどこにあったか、が問題で、
毒親たちにあったということ。


こうやってわたしは毒親以上の毒性をもって、
また、世代間連鎖をさせる場をもって、今度は
「加害者」となって加害行為をしてきている。


他人だけじゃない。


自分自身にも加害をしているんだ。


「このまま、だらだら続けたくない。それは嫌だ」
という気持ちがあっても、「それって本当なの?」と言ってくる。
すると、「内職を続けたほうがいい理由」をバンバン出してくる。


このAC人格の目的は、こうやって、いつも
わたしを「決めさせない」ようにすることであり、
誰かや何かに「決めてもらおう」と誘導させることなんだ。
親がわたしを誘導したように。


「親は絶対だ」


という例外は、決して例外ではなく、わたしはそういう絶対なものに
常にすがるようになった。絶対なものにすがれば間違いない、決められる・・・


こうやって無明庵にもわたしのAC人格はこぎつけたんだ。


だから、こわい、というのがセットになった。
親との関係の縮図を、そのままそっくり
持ちこんでしまったのだ。



 ・・・『(後半)「やってみる」の壁』に続きます。



2014.03.03
Aby



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by jh-no-no | 2014-03-03 05:24 | 復元ノート 1