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メモ 8月30日

昨日、梅の間の記事

http://www.mumyouan.com/k/?U1857

を拝読して、この10日間ほど考えてきたこと、
観察してきたことを考えていました。

「無駄なことをしている時間など、一秒もない!
確実に遂げること以外にない!
サイコロを振るように上手くいけば・・・なんて、ないんだ。
呼びかけや回収も、上手くいっているかどうかなんて
暢気に構えている場合じゃない。
自分がやるんだ。自分が考えて、行動しているんだ。」

そう強く感じて、今、ノートをとっています。

この10日間は、自己確認と自己否定を中心に、
自分を見てみて、そして考えてきた時間でした。
この復元ノートのための手書きのノートも、わたしの頭のなかのメモも
すごく煩雑になってしまい、「上手くまとめなきゃ」「もっとちゃんと検証
してから・・・」なんて、それこそ反射的に考えてしまっていたのですが、
そんな悠長なことを言っている場合じゃない!

無駄にしていい時間など無いんだ。
無駄だとわかっているのに、そこに身を投じるような
愚かさを繰りかえしちゃいけない。


今日はメモのようなものになってしまうと思いますが
綴ってみようと思います。


◇ ◇ ◇


まず、この10日間で、認識を新たにした点が
いくつかあります。箇条書きします。


1.わたしのしている「自己確認」という行為は、
  ひどく強迫的である、ということ。
  (快不快という区別をすれば、不快に思えること)
  

2.わたしのしている「自己否定」という行為には、
  どうやら苦痛が発生しにくい、ということ。
  (快不快という区別をすれば、快に思えること)
  

3.わたしのこの歪んだ人格たちは、
  「どうやら、一人じゃないな・・・」ということ。
  大きく分けて、自己確認型人格と自己否定型人格の
  2つがありそうですが、細かく見ていくと、
  5つほどの人格がありそうです。


4.違和感とわたしがよく呼んでいるものは、
  「どう考えても、まっとうとは思えないのに、
  苦と思えなかったり、むしろ、快と感じてしまうこと」
  に対するズレの感覚だろう、ということ。
  

5.「~を何回繰り返したら、OK」という癖があった、
  ということを、わたしは今まで調べたことさえなかったが、
  はじめて自分のこととして関心を持ち、調べてみた。


6.「よしあしの基準を自分が持っているべきだ、
  と思い込む癖」と、「他の人のことなのに、それを
 〝自分がやりたいこと〟にすりかえる癖」。
  この2つの癖は、手段が異なるだけで、
  「自己確認」という点では共通していたこと。


7.自己確認と自己否定は、閉じたループとして
  ずっと繰り返されているようだ、ということ。

  
8.そのループを延々と繰り返すことに対して、今までわたしは
  「筋トレ」のようなものだと思っていた・・・が、鎮痛剤をうって
  自分の身体を切り刻んでは、各種絆創膏を試し貼りをしている
  「異常事態」に見えてきた。まるで、5つの人格間殺人現場。


9.「興味」すらも、自己確認の前座として利用されていた。
  興味からはじまったものなのに、「これを遂行しなければ」という
  強迫的な反復への囚われに移行するのは、あっという間でした。
  ※短くて10秒。長くて2時間程度。生理的な欲求間隔レベル。


10.「おしまいにしたい妄想」は、やめられない自己確認行為に対する
   不満そのもので、「何度も手を洗わないと落ち着かない」という
   強迫じみた感覚に似ていたこと。


11.父 : 「経験したことに意味がある」
   母 : 「わたしと同じ思い(経験)をさせたくない」
   という教育観が、子育てのベースにあったことを思い出した。
   「わたし=経験」という自己同化を強化し、
   自己確認型人格がスムーズに調教されたように思う。


12.わたしが思いこんでいた「自他の区別」は、
   経験の区別でしかなく、経験内容しかそこにないのだから
   そこに自問の余地がないのは当然だ、と思った。


13.さらに、「今のままじゃだめだ」という根っこのほうにある刷り込み
   のために、最初から「ダメな自分」という結論が決まっているので、
   自問作業もどこかつじつま合わせだけの嘘になる。


14.「今のままじゃダメだ」というその根強い刷り込みは、
   「今のわたし」を定義づけることを必要とする、ということ。
   そのループはつねに自己矛盾を抱えているがゆえに、
   自己否定と自己確認のループが終わらない、ということ。


15.自己否定人格を殺さないためなら、他のいかなる人格を
   皆殺しにしようがなんだろうが、手段を選ばないこと。
   どうやら、自己否定人格が最も支配的です。
   (この数ヶ月で、生まれてはじめて食事が喉を通らない経験を
   何度かしました。このことに密接に関連していたと思います。)


16.経験のせいにしたり、他の歪んだ人格のせいにすることは、
   自分の責任を放棄し、それらに服従することだと思った。
   わたしがやってきたことは、他人にもそれを強いる言動だったと
   考えると、「しかたがない教」という、まさに宗教でした。
   「自己否定の肯定=自己肯定」という自虐思考が浮き彫りになった。


17.自己否定につながるすべての思考を受け入れてしまう、この
   「自虐思考」を取り入れている以上、自己嫌悪は抑制され続ける。
   「痛みを感じさせない麻酔のようなもの」と考えると、怖くなった。


18.不満を抑圧してみると、不満はさらに濃縮されるだけで、
   その反動としての自己否定は、濃縮された解放感がありました。
   自己確認という不満と、自己否定という不満の反動は、どこまでも
   その往復運動でしかなく、「不満あってこそ」可能なことを確認しました。


19.「不満な経験から逃れることもできないわたし」という、
   「新たな人格」を作ってまでも、「自己否定するわたし」を守ろうとする
   動きがわたしのなかで生じた。それを観察し、覗きこんでみると、
   底に隠れていた自己否定人格が、ようやく顔を出してきた。


20.なぜ経験と自分を同化させるのかが少しずつ見えてきた。
   経験は、いかようにも解釈できるため、逃げ道、言い訳が
   常に出来る点をわたしは利用していた。責任逃れをしてきたと思う。


21.自己確認のためには、他人の経験を借用しようが、つくった人格を
   生かそうが殺そうが手段を選ばない。かつ、自己否定も苦に感じない
   麻痺した状態で滅私奉公をしてきたのではないか。そう考えた。


22.自己否定は、わたしにとって不満の反動、つくられた理想であって、
   不満の本体は、不満をそのままにして済まそうとする「自己確認」側
   にあるようだ。経験は常に出しゃばって、わたしを支配しようとする。


23.結局、こういった自己確認と自己否定の反復ループは、
   わたしに何をもたらしたか、といえば、考えてみると、
   何ひとつ、思い浮かばなかった。
   わたしに起こっていることといえば、「結局はわたしは不幸に
   なるんじゃないだろうか・・・」という不安を抱え続けているのがしんどくて、
   自ら「ほら、やっぱり不幸だ」と先回りしてダメ出しをする。
   ただそれだけでした。


24.違和感だけは麻痺しちゃいけない、と思った。
   自分の人生を不幸と決めつけ、やっぱり不幸だ、という日々に
   甘んじることこそ、自分への裏切りです。
   狂気じみたループの実態を暴くためにも、違和感は誤魔化したくない。


◇ ◇ ◇


箇条書きなんだか、文章を細切れにしたのか、わからなく
なってしまいましたが、この数日で整理がついてきたのが、
「滅私奉公のためのループの実態(アウトライン)」でした。

二つの観念と行為、

(A)自己否定苦痛麻痺回路

と、

(B)強迫性自己確認行為

とが、A、B、A、B、A・・・と延々と続くループです。
(この名称は、自分が整理しやすいために付けただけです)


(A)は、「ほら、やっぱりダメだ、やっぱり不幸だ」というダメ出し、
自己否定で、自虐装置としての機能だと思いました。
自己否定を肯定、受容しているところからスタートしているので、
そこに自己嫌悪もなければ、自問すら発生しないのだと考えてみました。
そう考えてみると、「自己否定に対する苦痛の麻痺」という点で
こららは重なりました。


(B)は、「今のままじゃダメだ、不幸のまま生きることになる
んじゃないだろうか」という強迫観念とそれにともなう言動です。
滅私奉公というからには、滅すべき「自」と、奉公すべき「他」を
つくりだす必要があるために、自己否定をベースにしながらも
執拗な自己確認が求められている、と考えてみました。
(B)は、非常に消耗する作業で、生きた心地がせず、その
吐き出し口として、(A)の自己否定が「束の間の解放口」のごとく
機能しているのだと思います。

へんな例ですが、(B)がおしっこをずっと我慢している状態で、
(A)が我慢の末、やっとおしっこをして、はあ、とため息を
ついているようなものです。が、最も違うのは、おしっこは
生理的なものですが、自己確認と自己否定というループの場合は、
それに「自分」をきりうりして、自分を裏切り続けていることだと
思います・・・こう書いてみて思いましたが、それだけ違っていたら、
似ていませんね、ぜんぜん。


ちょうど一週間ほど前に、朝、目が覚めて、ふと、
「そういえば、あの何回数えたらオッケーみたいな、へんな癖って
他の人もそういう人っているのかな?」と思って、
ネットで調べたことから、今回のいくつかの観察につながりました。


実は、この何十年という歳月、わたしは自分のことについて
「調べた」のは、これがはじめてでした。
情報収集のためでなくて、自分のために何かを知りたい、
と思ったのです。


調べていくうちに、数唱強迫、儀式恐怖、確認行為、という
言葉が見つかりました。ネット上には、いろいろな
Q&Aのようなサイトがあるのは知っていましたが、
まさか自分が調べることになるとは、思ってもいませんでした。


強迫性障害という言葉も、はじめて知りました。


わたしの場合、レッテルを貼りたかったわけではないですし、
症状として目立った時期はとても短かったので、程度を考えても、
それにあたるとは思っていません。
また、チックについても、いくつかのチックが複合的・長期化する
「ジル・ドゥ・ラ・トゥレット症候群」というものがあることを知りました。
運動性のチックや言語に関するチック、それに自傷行為などの
衝動的行為異常を特徴とするらしいのですが、
「そんなのはわたしは無かった」と思っていたのですが、
目立つものではなかったとはいえ、そのいずれもの
性質自体は持っていましたし、実際、やっていました。


長期化しなかった、とはいえ、弱くてもその感覚は
慢性的にはずっと今でもあるので、あの生きた心地のしなささや、
そこから解放されたときの、束の間の安堵感は身体で
覚えています。今も再現可能なほどに。


幼い頃は、自分の内側だけで処理しようとしていたために、
それがピークのときは症状としてあらわれたのだと思いますが、
おもに成人してからは、社会というフィールドに出たために、
「他者を利用しての自己確認」が可能になったために、
まったくこの症状は、見える形では出なかったのだと
推測しました。


ただ、こういった強迫性の観念と行為の連鎖の元は、
おそらく自己確認にあると思うので、広くいえば、ずっとわたしの
なかで、途切れることなく、続いてきたことだったと思います。
通常はそれにともなう自己否定に嫌悪感を伴うだろうから、
それを治そうとするでしょうし、治療対象になるのだと思います。


ところが、わたしは、その自己否定に苦を感じにくかったために、
むしろ、その自己確認こそが日課となり、経験との自己同化から、
無個性でロボットのような作業を、繰り返してきたのではないか、
というのが、今の時点の自己観察と考察から見えてきたことです。


歪んだいくつかの人格について、今のところわたしから
見えているその人格の姿は、以下の5つです。
(これらの名前も自分がわかりやすいために、勝手につけた
名前です。そもそも正常人格たるものをわたしは知らないので、
仮人格という言葉をわたしが使うことに抵抗があります。
なので、「歪んだ人格たち」と呼ぶことにしました。)


①自己否定人格

 違和感を生じさせ、以下の②、③、④、⑤といった相殺し合う人格を
 作り出すための人格。「今のままじゃダメだ、何か間違っている、
 違和感がある」という言葉をすぐに発する人格のようです。


②自己枠人格

 興味や関心を抱いた対象や経験への自己同化のために作られる人格。
 「よし」と一瞬、それこそ束の間の安堵感、ため息をだす人格です。
 自分自身、この人格が垣間見えると、居心地が悪くなります。


③自己経験人格

 自己枠を確認(執拗な自己確認)をする過程で作られる人格。
 「何も変わらない、つまらない、同じことの繰り返しだ」と嘆く、
 不満たらたらな人格です。作り笑顔もコイツだと思います。
   

④他者借用人格
 
 自己確認が自己の経験のみでは困難になったときに
 他者を利用し自己確認をする過程で作られる人格。
 この人格が何をどのように話そうと、まったく「他人事」で、
 エラそうな感じがする、上から目線で、嫌な感じがします。
   

⑤経験否定人格

 自己確認作業そのものが行き詰ったときに、②、③、④の人格すべてを
 殺して、①の自己否定人格を保護、クローズアップさせるための人格。
 自分にすぐ偽善者だ、廃人だ、ダメ人間だ、とレッテルを焦って
 貼りたがる人格。


大雑把にわけて、①と⑤が「自己否定型人格」で、
②と③と④が「自己確認型人格」だと思うので、
①の自己否定から始まり、②→③→④と自己確認を強化、
⑤で全否定して①に戻る、といったループを繰り返しています。


崩残さんとのメールのやりとりやここまでの復元ブログの
流れを見てみると、やはり、この5つの人格があらわれています。
ある範囲で見てみても、この①から⑤のループは繰り返しますが、
初回判定依頼の文面から、崩残さんとのメールの流れを
追っていくと、その全体の流れ自体も、
①から⑤を移動しているように思います。

相似形のように、これらのループは
展開しているように見えます。


どの人格がどの割合で出ているのか、それも調べて、
もう少し検証してからノートしようと思っていたのですが、
最初に書いたとおり、メモでもいいから、とりあえず
書くことにしました。


なんだか、時間を無駄にしてはいけない、やらねば、
と思ったからです。

自己観察と考察、そして検証を続けたいと思います。


自我判定をはじめて依頼してから、4ヶ月の時間が経ち、
これまでに崩残さんからいただいたメール、報告メール、
無明庵のサイトの記事、他の方が残してくれた復元ブログ、
まだ1ヶ月ちょっとですが、書いてきたこのAbyのノート。
そしてここ数ヶ月の出来事、今日の、今の出来事。
自分を検証する素材は、十分にあるはず。

この狂ったループ、それはこの狂った地球も同じだと思います。
だから、ここから抜け出すために、まずこのループを徹底的に
調べあげること。他の何か、誰かのせいにしないこと。


 わたし が やる


せめてその責任を自分で背負っていく気迫を
持ち続けられるだけの生き方をしなければ、と思った。
全自我になりたい、ではなく、ならなきゃダメだ、と思った。


抜け出さなきゃダメだ、それ以外に
やるべきことなんて、何一つない。


2013.08.30
Aby



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by jh-no-no | 2013-08-30 18:13 | 復元ノート 1

ずっと目をそらしてきたもの

自他の区別のことを、ここ数日、考えていた。

自分の書いたメールやブログ、そういったものが
記号のごとく無意味な羅列に見えるのなら、
なんとなくそう見えるから、居心地が悪いから、と
目をそらすのではなく、たとえ違和感に満ちたものであれ、
これが今のわたしの姿なら、なぜそれを、
直視してこなかったんだろう?

「今のままじゃダメだ」という思考回路のループ、檻から
抜け出そうと妄想するばかりで、その檻のなかにいるこの
わたし自身を、今までずっと無視、ずっと放置してきた。

「今のわたしは嫌だ」と口先だけで言ってはきたものの、
そもそも、わたしは「今のわたし」にどれほどの関心を
払ってきたかといえば、無視同然だったのではないか?

幼い頃の写真や映像をみて、そのわたしが笑っていない
ように見えたのなら、「笑うべきだ」ではなく、その前に、
「なぜ笑っていないのか」と、なぜ、作り笑顔のわたし自身に
目を向けることもしなかったのか?

わたしは人一倍「わたし」という言葉を口にしてきながら、
わたし自身を見ること、調べること、知ることを避けていた。
だから自問という行為がよくわかっていないし、
同時に、質問という行為もよくわかっていない。

この数ヶ月をふりかえっても、あれだけ崩残さんとメールを
させていただきながら、何一つ、質問ができなかった。
わたしは昔から、質問というのが、どういうことなのか、
まったくわからなかった。

結論から考えて、質問するフリしかできない。
悩んだフリをしたり、不満があるフリをしたり、また反対に
楽しそうなフリをしたりすることはできても、
それらは「フリ」でしかない。

それが偽善に感じて居心地が悪かったから、そうでなくありたい、
今のままじゃダメだ、と思うけれども、その都度わたしは、
「フリをしているわたし」すらも見向きもせず、自動的に
違うわたしを求める。
その瞬間、それが「今のわたし」に置き換わる。
いくら置き換わっても、つねに「今のままじゃダメ」だから、
また違うわたしを求める。

その繰り返しで、自他の区別は、より複雑に再生産されながら、
他方、次々と「わたし」は抹殺、デリートされていく。

この一部始終の繰り返しが、
どのように起こり、どう繰り返されていくか、
目をそらさず、日々の些細な反応にも目をそらさず、
見て、調べてみようと思う。

いくつか前のページで、「不満を掘り始める」と言ったものの、
わたしのなかで、この「掘る」というのが、どういうことなのか、
曖昧なまま進めてきてしまった。

前のページに書いた母親の子育て観は、母の話をきけばきくほど、
母が育った家庭の問題、母親との確執、兄弟からの理不尽な接し方、
父親との歪んだ関係のなかで積もり積もった不満の反動そのもので、
これは父も同じだが、「不満あってこその、子育て観、教育観」であることが
明らかだった。両親とも表面的には暴力的でなかったし、母や父に対して
その当時「誇らしい存在」と子どもたちに思わせることに成功していたので、
その毒性には、ずっと気がつかなかった。

わたしにその毒性を気づかせないまま、子育てをし、成人させたわけだから、
調教方法としては、見事だった。
この「不満あってこその~」という思考パターンそれ自体、
わたしの深部にまでコピーされている。

だから、不満を掘る、としようとすると、
「不満からはじめる」と考えてしまっている。
それはつまり、不満から何かを生み出そうとしてしまっている、
ということだけれど、不満あってこその反動だから、
その不満自体が解消されたわけもなく、反動に反動をかさね、
かえって不満の在り処が、自分でもわからなくなってしまう・・・

桜の間の記事

http://www.mumyouan.com/k/?U1851

の最後の箇所がずっと気になっていました。

昨日は、この「掘る」という意味について考えていて、
いつもの手書きのノートにあれこれ書いていました。
今回は、昨日そのノートに書いたことをノートします。

「不満を糧に動こうとする反射的な動き」を観察することから、
この今のわたしを見て、調べてみようと思います。


2013.08.19
Aby



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by jh-no-no | 2013-08-19 07:48 | 復元ノート 1

自他の区別

復元ブログを書きはじめて、約1ヶ月がたちました。
このお盆時期までには、コンテンツを現在まで追いつかせたい、
という漠然とした思いがわたしにあって、足早に、
幼い頃のことから初回判定依頼までを辿ってみました。


気がついたらお盆 ; ;


初回判定依頼から復元ブログを書きはじめるまでの
残りの2ヶ月間について、今日は書いてみます。

この時期に、崩残さんからはじめてメールをいただきました。
今まで無明庵の存在は、この15年間、
わたしの頭の中にだけにあったので、
「本当にメールが届いた!」という驚きがありました。

2ヶ月という短期間とはいえ、メールだけでもたくさんの
コンテンツがあり、その他の出来事を含めると、到底
今回だけで書ききれるわけもないのですが、
「この2ヶ月の時期を振り返って」ということで、
今回は、まず、書いてみたいと思っています。


◇ ◇ ◇


メールやお便りのすべてを
読みかえしてみました。

自我判定の依頼文を読みかえしてみたときも
同じことを思いましたが、読みかえして咄嗟に思ったことは、


「わたしはなんでいつも同じことを言っているのだろう」

という色褪せた感覚です。


とりあえず、つまらないことをわたしは書いている。


というよりも、その内容がどうのこうのではなくて、
「わたしがつまらなさそう」にしている。

書いているときは、つまらないと自覚してはおらず、
むしろ刺激的な毎日、毎日毎日が学びのような、
そんなふうに思おうとしているみたいなのですが
その頃の言動の記録をふりかえってみてみると、
どうも、つまらなさそうなのです。

しかもそれを無意識に隠そう、隠そうとしているのか、
失礼のないようにと、へんに明るく振舞おうとしている
わたしの姿は痛々しい・・・を通りこして馬鹿馬鹿しい。
この妙な気遣いもどきは何だ???

このブログもそうなのですが、わたし自身、言葉に無駄が
多いように感じるのも、読み手に「エラそうに思われたくない」
という思いが、歪んだ気遣いとして表れているような気がします。

復元ブログは、そもそも、自分のために、自問のために
綴っていくべきだ、というふうに思おうとする自分がいる一方で、
なんというか、それ以前に、「自分」がどこにもいないのです。
言葉だけが、言葉に反応して、言葉として出力されています。


これのどこが、面白いのだろう?
・・・面白いわけがない。


もちろん、言葉を理解しようとし、言葉を綴っているのは
「わたし」であり、その意味ではわたしはいるのですが、
この「わたし」というものには、とてもではないが、
「これはわたしで、このわたしが言っている」という感覚は、
1mmもない。


誰だ、コイツは??


という感覚、ズレている違和感がつねにあります。


ですから、このブログを書いている今現在も、
正直、誰がこの文章を書いているのかよくわからない。
「無責任」というにふさわしいほど、言葉は記号と化しています。
でも、この無責任なわたし以外、わたしと思えるものが
どこにも見あたらないのです。


同時に、それはわたしではない、という感覚があります。


これが常態にあって「メールを読みかえしてみる」
という行為は、2度ほど通して読みかえしてみましたが、
これほどに、気持ち悪い、ものはありません。
たとえてみると、こんな感じです。
円周率3.141592・・・という数字の羅列を
数時間読み続けるような不毛感です。

この数字の羅列は無限に続くので、
たとえばこのようなブログを書くときも、
「その続きの数字を今日は書いていこう・・・嗚呼・・・」
という感覚があります。

「書いていこう」の末尾につくのは、いつも
「嗚呼・・・」というため息なのです。

「そんなんなら、ブログなんてやめちゃえ。復元もやめちゃえ」
と言われるのが怖くて、意気込みを見せている、
というのが、おそらく今の「つまらなさそうな」わたし。


誰のために書いているのかわからない、
と感じるのも、そのためだと思います。


自分のため?

それとも、他人のため?


この区別は、どうやらわたしの一つの大きな特徴であったことに、
この頃になって、やっと気づきました。
実際、崩残さんとのこの2ヶ月間のメールを読みかえしてみて、
なによりも「目立っている」と感じたのは、

「自分のことを話そうとしているか、他人のことを話そうと
しているか、それを明確に分けようとしている」


という反射的な動きを、わたしは無意識に
とっている、ということでした。


・・・ ・・・


つい最近、母親と話す機会がありました。


母が最初に言ったのは、
「私から見ると、あなたは小さい頃から何も変わっていないわよ」
ということでした。

この一言に、発見がありました。

というのは、わたしは幼い頃から随分変わってしまった、
と思いこんでいたからです。

その思いこんでいた原因というのも、今回わかりましたが、
比較的大人になってから、父が話す「子どもの頃のAbyの姿」が、
相当歪められていたから、でした。
「Abyは不器用でマイペース、自分勝手」というのは、
どちらかというと母が言ってきたように思いこんできたのですが、
元はといえば、それは父が言ってきたことで、母はそれに
「泳がされていた」という感じです。

母から見たら、わたしは「いい子」だった、という。

とはいっても、きいてみると
「褒めたりしたっていう記憶はあまりないなあ~」
とあっさりと言うし、「子どもがかわいいとか思ったことは
なかったんだよね」とも、さらりと言う。

母親として、では、どういう子どもに育てようとしたの?
とたずねてみると、

「大人として、ひとりの人間として、自分の意思をもった
自立した人間であってほしいと思ったし、他人に対しても
相手の態度をみて、どんな気持ちなのか、何を考えているか、
そういうことがわかる大人になってほしいって思ってたよ。
まあ、そういう意味では、Abyを子どもっていうふうには
見ていなかったなあ。だから厳しかったと思うよ。
今思うと、無理させちゃったなあ、悪いことしたなあって。
私から見ると、Abyが何か我慢しているようには見えなかったけど、
きっとストレスとかあったんじゃないかなぁ。ねえ、どうだった?」

と、逆にきかれたけれど、その他のエピソードを聞いても
あまり今のわたしの感覚や記憶と違わない。
母はそういう人だったし、わたしはそういう母を
誇らしく思っていた。


そう、わたしは母を誇らしく思っていたのだ。
その感覚の記憶がよみがえった。


たとえわたしがまわりと歩調があわないことがあっても、
「一人一人違うんだから、それの何が悪い」と
学校の先生だろうが誰だろうが、時代の常識や子育て観に流されず
反骨精神をもってわたしを守ろうとしてくれたのが、
わたしの記憶の中の母であり、この日、母からきいたエピソードも
それと寸分も違っていなかった。

母はダメな人だ、という別な記憶は、実は、
その後の父からの刷り込みが大きかったことも
今回よくわかった。

父は母のことを
「あの人は、わがままだ。自分のことしか考えていない」と
わたしが成長するにつれて言葉にするようになった。

最初はわたしも「あれ?」と思っていたのですが、
だんだんと父の言葉が内面に刷り込まれ、
「本当はお母さんは、いいかげんな人だったんだ」と思うようになった。

ところが、今回、母の言葉をきいて、
母に対して抱いていた思いが少しずつ、
思い出されてきた。
親として、大人として、母が実際にどうだったかは別にしても、
わたしが母に対してどういう気持ちを抱いていたかを
かなり正確に思い出せた。このことは、収穫だった。

というのも、わたしがどうも記憶がない、と感じていたのも、
記憶がなかったのではなくて、「今も変わっていないわたし、
今も変わっていない母」の記憶こそ、事実にそっていて、
父の言う「Abyは~だった、母は~だった」という記憶は、
父が自分にいいように捏造した記憶だったからだ。

わたしは大人になってから、
父が語るAbyの姿と今の自分とを重ねようとしていたので、
「どうもそういう自分の姿は覚えていないな、
そういう母の姿も覚えていないな。わたしは何も覚えていない。
どうしてこんなに忘れちゃうんだろう?」と
思ってきたわけです。


・・・ ・・・


話を戻して

「自分のことを話そうとしているか、他人のことを話そうと
しているか、それを明確に分けようとしている」

ということと、わたしの母の言動とは無関係ではありません。

母の言動は、いっけんまともに思えたのですが、
その他のエピソードをきき、照らし合わせるにつれて
相当問題があるようにも思えました。

このことは、わたしが子どもの頃のビデオ映像を見ても
わかったことですが、自分にはある特徴がありました。


 自分のことをしているときは
 自分のことだけ。
 他人に関わるときは
 他人のことだけ。


この徹底ぶりは、そこを意識して見てみると
すごかった。

ふつう、たとえばお友だちと遊ぶときは、
その「他者関係」のなかで自分の意思を表明しようとしたり、
したくてもできなかったり、と、自分をどう貫こうか?と
考えるものだと思う。その関わりのなかで、自分と他人との
境界線を学んだりするのだろうし、そこにあってこそ、
嫌なことはNOと言おう、好きなことをしてみたい、という
思いも起ってくるのだと思う。

ところが見ていると、わたしの場合、相手が兄弟姉妹であっても
いざ、その場が「他者関係にいる」とわたしが判断するやいなや、
完全に「わたしを消して」いるのです。
表面的な変化としては、一人遊びをしているのを急にやめて、
「まったく別な場面」にさっと移っています。


「Abyは兄弟姉妹と喧嘩もしなかったけど、一緒に遊ぶって
いう感じでもなかった」と、母は言います。


その意味もよくわかりました。


他者関係にあっては、完全なきりかえをしているらしく、
そこにわたしは「不在」ですので、喧嘩するはずもなく、
一緒に遊びを共有しているはずもないのです。
わたしが遊んでいるときは、ほとんどの場合、
一人で、遊んでいます。

「Abyは集団保育のなかでも、よく一人で遊んでいて、
あまりお友だちと積極的には遊ぼうとする子じゃなかったよ。
でも、それの何が悪いのよって、先生たちに
言ってやったことがあるわ。子どもらしく外で遊ばないとか言われて、
それのどこが悪いんだ!って」

と母がいうように、わたしがマイペースだったのは
確かなようです。とはいっても、お友だちと何かをするとなると、
それはそれでちゃんとやったみたいで、対人関係では
トラブルも少なく、お友だちとも上手くやっていたとのこと。
マイペースでしたが、相手から何か搾取して自分だけ
得をしようという自分勝手さは見られなかったようです。
それらの記憶は、今のわたしの記憶と違いありません。

つまり、「今はわたしの時間。今はあなたの時間」という
自他の区別が、子どもとは思えないほどに明確になされており、
端から見れば、いい子には見えたとしても、
子どもらしくは見えなかったと思います。

自分のことと他人のこととを厳密に区別していて、
すなわち、自分のために他者と関わる、という衝動、
たとえば「甘える」「頼る」という言動も、見られなかった
(と、母は言っていました。むしろ母親からすれば、
ちょっとショックというふうに感じたくらい、甘えたり、
助けを求めたりしない子だったようです)。

ただ、その「いい子」っていう言葉が気になったので、
母にその意味を確かめてみたのですが、
母のいういい子とは、大人っぽい言動をする子、
という意味のようでした。
なにせ、「Abyはかわいいね、いい子だね」というふうに
まわりの大人が言ったりしているのを聞くと、
母はイライラしたそうです。というのも、
「子どもっぽい」ということを免罪符に何でも許されるのは
人格形成に有害である、と考えていたみたいです。
(欲しいものは何でも買ってあげて、かわいいとおだてるのは
もってのほか、と思っていたようです。
まわりにはそういう大人が多かったので、母は自分だけでも
厳しくしつけなければと思った、ということでした)


また話が横道にそれてしまいましたが、
「今はわたしの時間で、今はあなたの時間」という区別、
自他の区別が徹底していたのはなぜか?と考えてみると、
母の影響はかなり大きいと思いました。


「大人として、ひとりの人間として、自分の意思をもった
自立した人間であってほしいと思ったし、他人に対しても、
相手の態度をみて、どんな気持ちなのか、何を考えているか、
そういうことがわかる大人になってほしいって思ってたよ。」


この母の言葉だけではわかりにくいのですが、
母が思っている他者関係というのは、そこでは
他人の思いをくみ取り、「他人のためには、ときには
自己犠牲もいたしかたない」という価値観があります。
ここには、我慢や抑圧を肯定する図式があります。

一方で、自分の意思、自立も強調します。
そのためには、まわりに流されない強さ、反骨精神、
我慢や抑圧から自由でありなさいというメッセージが、
同時にあるのです。


ここに最大の自己矛盾がありました。


父の言動にふりまわされて続ける母の
「こんなはずじゃなかった」という思いには、
この自己矛盾があります。
こうありたい、という思っても、同時に、
我慢するしかない、こうするよりしかたがない、という思いが
ぶつかり合っていて、自覚しつつも
どうすることもできないでいる。


わたしの場合、この母からの要求にどうこたえていたのかが
今回見えてきたところで、わたしの場合には、
「今は自分の時間、今は他人の時間」と分けて対処した、
ということです。


こうも考えられると思いました。


二つの自分を使い分けている、という考えです。


我慢や抑圧をしかたがないと割り切るわたしと、
我慢や抑圧から自由であろうとするわたし、です。


さらにここを考えてみると
一つの可能性に気づきました。


「では、我慢や抑圧から自由であろうとするわたしが
本当のわたしですね。このわたしの感情を救い出すことが、
不満を掘っていくことですね」

というふうには、どうしても、思えない。
この違和感は、今日のブログの最初にも書いた、
「わたしが不在な感覚」なのかもしれません。

つまり、我慢や抑圧から自由であろうとするわたしという、
その「わたし」というのは、「仮に作られたわたし」ではないだろうか。
・・・という考えに至りました。


「他」という区別を強く意識させるためには、
区別としての「自」を強く意識づけすることが必要です。


わたしが一人遊びをしているのを、ビデオ映像で観察してみても、
まったく「楽しそう」に見えないのです。
そのように意識的に見ていると、たとえば誰かから声をかけられたとき、
その一人遊びをさっとやめて、他人のための何かに従事しようとする。

はた、と思ったのは、この一人遊びの時間、
「自」という区別を意識している時間というのは、
他のための「スタンバイ」なのではないだろうか?
メインは「他のため」であって、自分というのは
その「他」という性質を意識づけするための道具なのではないか?
「他」に搾取されない(還元されない)ような自身の経験など、
たったの一度もなかったのではないか?
「自」という枠を意識づけするための遊びなど、
楽しいはずもない。そこでは笑顔も必要とされていない・・・

・・・ということは、この「自分」というのは、
他人という存在の対なるものとして、「仮作成」されたもの、
というふうにも考えられる。


たとえてみると、この仮作成された自分とは
「黒板」みたなもので、黒板それ自体のためにあるのではなくて、
それをコントラストに、白のチョークで文字が書かれる「為の」ものだ。

わたしはそういう黒板でありたくない、という
「NO」の発動があったからこそ、わたしは
自我復元をやろうと決心したのだと思う。

わたしは黒板ではないという気持ちがある。

でもどこかでわたしは、
黒板になろうとしたわたしもいるような、
なぜか、そんな気もしている。
もしもそうだとしたら、わたしの母はわたしが
「立派な黒板を目指す」には母親として適任だった、
ということになります。調教者として、です。


父という白のチョークのために生きてきたのが
「わたしの母」という黒板でした。


同様、ここ10数年を考えてみると、共同作業者であるPさん
という白のチョークのために、自分を抑圧してきたのが
「わたし」という黒板だったと思います。


そして、このわたしという黒板は、母の話をききながら、
子どもの頃から形成されてきた「仮の自分」という枠組み
である可能性に気づきました。


黒板は黒であることを主張してはなりません。


なぜなら、それを主張するということは、
反対色の「白」を否定することになるからです。

「白」のために「黒」という主張をとりさげながらも、
「黒板でありなさい」という立ち位置にいます。
そうであってこそ、白は生きていけるからです。

黒板を使ったたとえ話ですが、これが
「世話役」という抜けられない監獄システム
(=滅私奉公)というふうに思いました。
そこでは白は、黒にとって人質のようなものです。

こうやって、作られた仮のアイデンティティである「黒」
という主張すら、白に対する自責感から撤回してしまうのです。
もちろんそれは仮の自分ですから、囚われることすらないのだと
頭で思っても、この「仮の自分」以外に、
わたしが見つからない。

自分探しを何百年やっとしても、
見つかったとしても、仮の自分の黒だろうし、
言い方をかえて「ブラック」、記述の仕方をかえて
「black」がいいところ。

わたし自身、何を書いても、何をやっても同じことの繰り返し
と感じるのは、その言い換えという記号遊びの域をこえず、
しかも、それを繰り返してばかりの「わたし」すらも
「仮の自分」でしかないという違和感。不毛感。


今日のブログの最初に書いた
「つまらない」という感覚は、きっと
ここから来ているように思う。


崩残さんに宛てたメールを読みなおしても
自分の話をしている時は、いかにも自分の話をしているように見えて
自分自身、「本当は自分じゃないよね」とどこかに感じながら
言葉を記号のごとく言い換えを続けている。
エラそうに思われないように、嫌われないように、と。
他の人との関係でもそうですが、わたしは自分の話をするときは
とても疲れてしまう。いない自分のことを話そうとするのだから
それも当然かもしれません。

そして妙な気遣いもどきばかり。

いったい誰のために書いているのか、話しているのか。

自我復元がテーマなのに、読みかえしてみると
Pさんのことや他の人のことなど、半分近くは、
他者の話をしてしまっている。
もちろん、ここには仮の自分すら、いない。
その意味では、自分でないという違和感が薄れているため、
比較的スラスラ文章を書いているようだ。

自分の話で、かつ、比較的スラスラ書いているようなところ
というのもあって、これは仮の自分すらも「他者化」して
書いているところだ。自分のことなのに、どうしてこんなに
他人事なんだろう、というふうに思える箇所がそれだが、
こういう箇所が実はほとんどを占めている。

というのも、「他者を意識した行為」においては、
仮の自分すらも登場しない。仮の自分は、純粋な一人遊び
とはいえない「区別された妄想」の中に登場してくるだけで、
それに「ついて」語るときは、すでに仮のわたしですらなく、
それを語る意味はなんだろうか、というただの思考か、
読み手をへんに気遣う歪んだ配慮があるのみです。

残りはすべて、関係妄想のように思えます。


・・・ ・・・


世話という監獄から逃げたい、というところから
書きはじめたこの復元ノート。

世話とは、純粋な意味での利他的行為ではなく、
滅私奉公のことだと思いました。
滅私、自分を消す、これは、世話される相手からすれば
有り難い性質になると思います。

滅私というと、自分に囚われないなど、そんなふうにも
きこえやすいですが、そうではなく、区別としての
「他」に焦点をあてるためには、「自分」「私」というものを
たとえ仮のものであっても作り出す必要があって、
それを押し殺しての滅私であり、それではじめて、
「他者のために何かしたい」という動機が生まれます。

この動機そのものが、分割自我と同じようなことを
自身にやってしまっているように思います。
持てる自我のすべてを他者のために使おうとして、
仮のわたしをわざわざ作っておいて、他者を作り出し、
「他者のため」を演じているのですから。

その意味では、他者という存在は、
「仮のわたし」を確認する手立てでしかなく、
仮のわたしというのも、「他者のため」という名目で存在します。


これの、いったいこれの
どこが面白いのか?


こうやっていろいろ巡り巡っても
結末はいつも同じ、
「つまらない」ということになります。


崩残さん宛てのわたしのメールを読みかえすと
自分の話については、できるかぎりそのつまらなさを
隠そうとしているだけ。それがバレないだろうか、
エラそうに思われないだろうか、と。

そのために、自分をまるで他人事のように位置づけて
分析や解説にはしる。だから、表現だけが気になって、
記号を小奇麗に揃えるような小手先のことをする。

いずれにしても、自分自身、自分がどこにもいない
という違和感で書いているのだから、自問などどこにも
見あたらない。「自問したい」と口では言えても、
自問はできないのです。

その意味では、自己嫌悪や自虐という行為すら
仮の自分を使ってのそれでしかなく、
(そうすることで、他や利他という区別の輪郭を
明確に保てているのだと思います)
自己嫌悪もどき、自虐もどき、自問もどき、です。
その証拠に、わたしはその「もどき」に
いたみを覚えたことは、今までなかったのです。

また、他人の話にでもなれば、そういった自分の
違和感からやや楽になったとばかり、
意気揚々と語りはじめます。ふつうなら、その話の中に
「自分の主張」が自然と入ってくるだろうに、
仮の自分すらそこにはおらず、なんとも薄気味悪い。

本人としては、自分の利をかえりみない
「純粋な利他行為」だと思いこんでいるのですが、
その歪んだ利他行為遂行のために
他者を利用していることには、なかなか気づけない。
最後には他者に迷惑をかける始末。

ケースによっては、相手から「ありがとう」と
言われたとしても、その言葉を純粋に喜べる
「わたし自身」がいないのだから、
笑うことも、喜ぶこともない。
しかるべき業務をまっとうした、という充実感があるだけで、
プラスマイナスゼロのような、そういった束の間の
安堵感でしかない。挙句の果てに、その安堵感を錯覚し、
「これこそわたしのやりたいことだった」と
関係妄想するので精一杯、といったところ。


この2ヶ月間のメールを読みかえして、
また、この期間の出来事を思いかえすと、
これらのパターンを繰り返している。
文章としてまとめて読みかえすと
それがあまりに露骨だ。


ただ繰り返している。


記号の羅列としか見えない、
円周率を延々と唱え続けているだけ、
という感覚があるだけで、
自分の言葉で、この自分をもって発言している、
行動している、という感覚がありません。

こうやって書いていても、この違和感、
気持ち悪さだけは後味悪く残り続けます。


2013.08.16
Aby



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by jh-no-no | 2013-08-16 22:28 | 復元ノート 1

前の記事の続きです

続きを書く予定ではなかったのですが
前のページで書いた「二つの癖」のことを考えていたら
その癖に関連した記憶を思い出しました。
追記したいと思います。

◇ ◇ ◇


「エラそうに・・・」

この数日、頭から離れない母の言葉だ。

子どもの頃、わたしが反発すると、
最後には、捨て台詞のように
母はわたしにそう言った。

エラそうに、

エラそうに、

エラそうに、と。


このブログの前の記事で、

 ① よしあしの基準を自分が持っているべきだ、と思い込む癖

 ② 他の人のことなのに、それを〝自分がやりたいこと〟にすりかえる癖

という二つの癖を探し当ててから、わたしとしては
「どうでもいい記憶だろう」と思っていた昔の記憶が
「いや、どうでもよくないんじゃないか」と
感じるようになった。

小学生の頃だったと思うが、ある日わたしは父に
自分がつくった問題(クイズみたいなもの)を出したことがある。
これは結構難しいぞ、と自分でも思っていて、
どんな反応をしてくれるのか楽しみだった。


その問題を見た父は、即座に
こうこたえた。


「面白いね、これね。うん、うん。これこれこういうことになると思うけど、
もっとこうすると、この問題はもっと面白くなったね」


なんだ、その答えは・・・?


わたしはがっかりした。


わたしは問題作成の着眼点を共有したかったのに、
この完全なすれ違いに、わたしは酷くがっかりした。
あまりにがっかりしたので、どんな場所でこの問題を出したのか、
そんなことまで覚えている。

父はこうやっていつも、自分はわかっている、という口調で、
さらに、わたしのためにだかなんだか、いろいろアドバイスをしてくる。
本当に鬱陶しいし、かわいくない。
今の言葉で言えば、ウザくて、キモいのだ。


このエピソードを思い出して、昨日、ハッと思ったのは、
この父の姿こそ、わたしにそっくりだ、
ということでした。


どんなことも自分でなんとかしようしようと
なんでもかんでも自分で背負って、
大丈夫にぜんぜん見えないのにいつも「大丈夫、大丈夫」。
わたしはわかっている、みたいな顔をしている。
(ぜんぜん、大丈夫じゃないじゃーん)。

また、何か話をしても、自分のことは曖昧なまま、棚にあげて
他人のことはいろいろコメントして、余計なおせっかいばかり。
「お父さんはどうでもいいんだ。お前たちが幸せなら
お父さんは幸せだ。だからいつ死んでもいいんだ」と
頼んでもいないのに、みょうに自己犠牲感たっぷりで、
「家族のため」それこそ自分の役目とばかり嬉しそう。
(・・・だいたい、死んでもらっても困るし)。


なんともエラそうなのだ。


この部分がわたしは嫌いだったのに、
いつの間にか、わたしはこの嫌いな部分が
そっくりになっていたことに、先日、
はじめて気づいた。

わたしは不満の反動、反射、反応で生きている
まるで空っぽの太鼓のような母に似ているだけでなく、
わたしが嫌いだった父の部分も、そっくりだったのだ。


これでは両親版のコピーロボットだ、と思った。


ちなみに、母と父は仲が悪い、とわたしからは見える。
実際は、母も父も何か囚われの監獄のなかで
お互い依存しあいながら、離れられないでいるようで
しかたがない、とか言いながら、
結局は一緒に暮らしている。

母は父に対しても、
「本当にエラソそうな人だよねー。家族のため、家族のためって
口だけで、なーんにもしてくれたことないじゃない」と言う。
もちろん、これに対して、父も異論があるわけだけれど
それは勝手にやってくれ、ということで済むが、
わたしの場合、この問答を一人の人間のなかで
やっているのだ。


両親両方のコピーだから、
嫌悪し合う二人が同居している。


二つの癖、①と②をあらためてみてみても、
こういう癖があるヤツだったら、誰からみても
「エラそう」に見えるだろう。

わたしの父は、まさにその①と②の癖の
兼ね備えていた。

上から目線で、斜に構えていて、
おせっかいで、予定調和的で、
「いったい何が面白くて人生やってるんだろうね」と
言われて当然な人格だ。

実際、母は父に
「いったい何が面白くて人生やってるんだろうね~」
と不思議がっているが、何も不思議なことはない。
何も面白くないはずだし、だから、簡単に
「いつ死んでもいい」などと言えるのだ。

わたしがそれがわかるのも、
わたしがそうだから。

他人のために生きた、だからもう、思い残すことはない、
いつ死んでもいい・・・など、勝手に死ねよ、である。
母は父に対して、実際、そう思っている。

それだけ険悪に見える仲なのに、
なんだか知らないけど、一緒に旅行にいったり、
コンサートにいったりしている。

最初は母の愚痴にも付き合っていたけれど
おいおい、と思うようになってきた。
好きにやってろ、と思うようになってきた。


昨日、そんなことを思い返していて、わたしは



ちょっと待てよ、、、



と思った。



「(子どもが判断できないようなどんな場合でも)
自分自身で、よしあしを決めなさい。それが自分の
意思を持つということです。自立しなさい。
ただし自分勝手はいけません。あなたが生きているのも
まわりの支えあってのことです。感謝しなさい。
(わたしたちに恩返ししてくれとは言わないから・・・)」

というように育った子どもは、
他者からみれば(また自分から見たって)
どう見たって「エラそうに」見えるだろうに、

そう育てたくせに、


「エラそうに・・・」

は、


ないだろう!!


あなたたちが描いていた理想の子ども像とは
こういうエラそうなヤツなんですよ、
かわいいとでも思いましたか?
かわいい子がお好みなら、他の兄弟姉妹のように
親に迷惑ばかりかけて、自分の話ばかりして
「この子はわたしがいないと、どうなっちゃうか
わからないわ(と両親は本当にそう言っている)」と
心配をかける自分勝手な子に
育てればよかったのだ。

わたしは、喩えていえば、
学級委員になんてなりたくなかったのに
「学級委員になりなさい」と言われたようなもので
なったからには一生懸命やろうと、
しっかりした学級委員になろうと努力しました。

お手本になるように、向日葵のように笑う子を
目指しました。

そしたらある時、
「学級委員だからって、エラそうにするな。
目立ちやがって」と、みんなから
言われたようなものです。

やりたくなかった向日葵役をやったのに、
それも否定された。わたしの笑顔は、
作り笑顔のための作り笑顔になった。
萎縮した、目立たない学級委員を
今度は目指してしまった。


わたしがいつもビクビクしているのは
そのせいだった。


前回のブログの投稿を書き終えて、
いや、前回だけじゃない、それ以前も、また
他人とのメールのやりとりやお手紙もそうだけど、
ブログなどの最後に、実は見えない言葉で、


(よし、書けた)


というのが、必ず、ある。

書き終えた瞬間の、あの嫌な感じは、
ここからくる。


何が 「よし」 なんだ???


わたしは、何を「よし」として、毎回毎回
済まそうとしているんだろう。


(前回の投稿記事内の)
 > 甘えたかったんじゃないだろうか・・・

の表現も、その・・・の部分に、

(・・・そういう気持ちにも気づいているよ)という、
もう一人のヤツが、「だからもういいでしょ」と
相変わらず帳尻をあわせようとしているから、
だからわたしは「よし」と思ってしまう自分を
「よしじゃないだろ」とさらにダメ出しをするパターンを
繰り返している。

違和感がないようにないように、ブログを書いていく。
そして違和感が見つからないと、逆に不安になって
どこかに違和感がないか探す。
それが見つかると、また自分でダメ出しをする。
違和感がないようにないように・・・そしてまた、、、
という具合に、わたしはまるで
「違和感電池」で生きているような、
そんな気さえしてくる。

違和感をおそれつつ、違和感を欲している。

違和感電池、違和感依存。

わたしは「よし、書けた」の、この「よし」とは何だろうと
つい最近も考えていた時に、この違和感依存のことを
いつものように考えていたのだけれど

はて?

と思いなおした。


たしかに、この「よし」には、
そういうことも、あるだろう。
違和感だけを頼りに(依存しながら)生きてきたのは
今に始まったことじゃない。
数十年、これを繰り返している。


これはこれで大問題だ。


だけど、この「よし」には
それだけじゃないものがある。


それだけ、ではないもの。


ここにはどこか
「ビクビクしているわたし」がいる。


それは何だろう、と考えてみたとき、あの
「エラそうに・・・」という言葉に何かある
と思った。


・・・これでエラそうに思われないかしら?
エラそうに見えるのを上手く隠せただろうか。
断定的な言い方はエラそうに思われてしまうから避けよう。
こう思う人もいるだろうから、その場合も考えて
先まわりして、それも配慮していますよ、というふうに
気遣いをしよう。もう一度、頭から読み直そう。
どこか思いあがったように思われてしまう箇所はないかどうか、
何度も何度も見返さなきゃ・・・


そうやって何度も何度も確認して、これでたぶん大丈夫、
という意味での、「よし、書けた」の

「よし」

なのだ。

だから、わたしはメールやブログを書き終えると、
違和感電池の浪費と補充の繰り返しに嫌気がさすとともに
なにより、誰のために書いているのか、わからなくなった。

自問のために、わたしは書きたいと思って書いているのに
いつも他人の視線を気にしている。
これでよし、とか思ってしまう度に
嫌な感じがしていた。

前回の記事を書き終えて、わたしはとんでもない居心地の
悪さに、どうしてこんなに居心地がわるいのか、昨日一日
考えた結果、たんに違和感で済まされない
こういった問題まで見えてきた。


やりたくなかった学級委員をやらせておいて
学級委員だからってエラそうにするな!って、
わたしはエラそうになんてしていない!!
学級委員がエラいとか勝手に決めつけているのは
わたしじゃないよ。あなたたちでしょ?
なんで、わたしが謝らないといけないの?
なら、あなたが学級委員をやればいいじゃない。
だいたいわたしは、やりたいなんて言ってない!!



作り笑顔だって
好きでやっているわけじゃないんだ。


もう一つ思い出しました。


父はこんなことも昔よく言っていました。


「親が黒だといったら、白も黒なんだ」

・・・らしいです。


今思えば、どうしようもない発言としか思えないけど
その時はわたしは、

「家族を思うってこういうことなんだ。家族の誇りって
こういうことなんだ。いざという時の絆ってこういうことなんだ」

と、親が理解してほしいように、わたしも理解するようにしました。
もちろん目茶苦茶だなあ、とは思いましたが、その背景には
愛情あるゆえの言葉と理解するように努めました。

親の言い分をよいように理解しようとした
わたしも同罪ですが、そもそも、


「エラそうなのはどっちだよ!!!」


独裁者か、あなたは。・・・と思うべきでした。


母も似たり寄ったりです。

幼い頃のわたしをおさえつける最後の言葉は
「なんだその態度は!親に向かって」
だけです。

「態度が悪い」ですべてを済ませてきました。

わたしだって、意味なく反抗しているわけではありません。
せめて「どうしてそう思っているのか」くらい、なぜ訊ねない?
理由をこちらから言っても、「口ごたえは止めなさい」で済まされたら
話になりません。わたしの気持ちに共感してくれたこと、
一度でもありましたか??
わたしは、母のその共感なき怒りの露呈を
「一緒に喧嘩をしてくれた、やさしい母」
と理解してきました。

家族思いの父と、
いつも対等でやさしい母。

わたしはこのように、何もかも、
相手を正義に、わたしを悪に仕立ててきたようです。
「最後はわたしが悪い」「結局はわたしが間違っている」
「なんだかんだいっても、お前は不幸に人生を終える」と
わたし自身、自分で疑いもせず思ってきました。

今もこれは抜けきれません。

なのに、これほどの状態にあっても、何も感じないわたし。
怒りが出てきた、悲しみがわいてきた、涙が出てきた、
ということは、一度もない。


わたしの感情はどこにあるんだろう。


感情が見つからないのに、不満だなんて
それは嘘じゃないの?
嘘だって思いたくないから、不満を掘るとか、
感情を掘ろうとかしているみたいだけど、
動機が不純だよ。そういうの、道化っていうんだよ・・・


相変わらず、この声が止まない。


でも、と思う。


でも、動機が不純でもいいから、
わたしはもうわたしを裏切りたくない。
不純だ、と怒られたり、エラそうだと言われても、
これはわたしのための自問と復元なはず。


不満以前に、まず記憶から
しっかり思い起こしてみようと思います。


わたしは「今」にばかり気をとられて
過去を、記憶をおろそかにしてきました。
記憶なんて、わたしにはほとんどないと
思ってきました。


最近になって、わたしは過去の自分の写真を
見る機会があって、見てみました。

なんと、わたしが最初に感じたのは
「わたしは、ちゃんと生きていたんだ」
ということでした。本当にいる・・・と。

何も覚えていないと思っているけど
わたしがいたことを写真が示していました。

わたしが小学生の入学式のとき、
母と手をつないで登校する写真がありました。
「手をつないでくれていたんだ」と、わたしは
その写真からも目が離せなくなりました。
前回投稿記事で書いた戦時下にある国の写真、
授乳している母と子どもの写真と
わたしのなかでは、限りなく似ているものでした。


甘えたかったんじゃないだろうか・・・


と、・・・でごまかすから、わたしは一人二役の亡霊に
ずっとおびえていることになる。


この・・・は、決して、(気づいているよ。だから大丈夫)
というなぐさめではない。そうであってはいけない。
それですまそうとするのは、それこそが
最大の裏切りだから。


わたしはなぐさめてほしいのではない。


すませてほしいのではない。


誰かに何かをしてほしいんじゃない。
それは自分の中の他の誰かでもダメだ。
未来の話じゃなくて、今までの話なんだ。
これからどうすればいいか、ではなくて、
わたしが傷ついてきた過去の話、記憶の話に
立ち戻らないといけないような気がします。


必ず感情は掘りおこせる。


そう信じて作業をすすめたい。


2013.08.10
Aby



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by jh-no-no | 2013-08-10 13:33 | 復元ノート 1

二つの癖から不満を掘ってみました

3ヶ月前に書いた初回判定依頼の報告文を
読み返してみました。

まず思ったことは、何も事態は変わっていないこと。
あまりに変化がなさすぎて呆れました。

「わたしはいつも同じことばっかり言っている・・・」

このブログも頭から読み返してみましたが、
初回判定依頼の際に書いた内容は、今までの中に
ほぼすべてが書かれていました。
つまり、何一つ、それから変わっていないということです。

報告では、「今の家族や育った家族に問題がない」
としておりましたが、ブログの時点では
「問題があるように」書いてはいます。
ただ、今の時点では感情がまだ伴っていないので
基本的には何も変わっていません。

何度か読み返すうちに、その変わっていないことよりも、
また、初回依頼文のその内容や中身というよりも、
「その文章を書いているわたし自身のスタンス」に
気になった箇所がいくつかあったので、そのあたりを
今回は書いてみます。


◇ ◇ ◇


なによりも気になったのは、変化報告の箇所で、
表面的には「~のように変化しました」と書いていますが、
「~のように変化したのは、おそらくいい状態への変化だと思います」
という雰囲気がどこもかしこもあることに気づきました。

箇所によっては「~のままであるのは、おそらくよくない状態だと思います」
という雰囲気になっていて、先ほどのものと「よし・あし」は
反対になってはいますが、いずれも、
「今~のような状態になっていることに対して、わたしは
よしあしの基準を持っています」と主張しているか、あるいは、
それに対する保身として、「そのよしあしの基準すらわからなくなっています。
でも、そのよしあしの基準がわからなくなっていることには自覚的です」という
手口が随所に散りばめられていました。


「よしあしの基準を自分が持っているべきだ」


という癖。

癖というよりも、固定的な強迫観念で書き進めているとさえ
思えるような文章でした。
これは日々の生活のなかでの会話やメールや手紙のやりとり全般に
蔓延しています。

小学生かそれより下か、まだ思い出せていませんが、
その頃、わたしには神経質な癖がありました。

チックの症状もあったのでストレスによるものかもしれません。
そう思ったことは今までありませんでしたが
今回、このことと関連するような気がしたので
記憶を辿ってみました。

その癖はどんな癖かというと、何かをするときに
一定の儀式をしないと次へ進めないというような癖で、
その手段としてわたしはよく、「~を何回繰り返したら、OK」
みたいなへんな癖がありました。

この「何回」と「決める」というのがとても大切で
これは5回とか、この場合は8回とか、いろいろ決めるんです。
そうしないと、その状態がOKではないのです。
たとえば、これを何回移動する、何回落とす、とか。
高いところから何回飛び降りる、というのもありましたし、
このバリエーションは、かなりあったように思います。

なぜわたしはこんなことをしたのだろう・・・と
ふと考えてみると、好きでやっていたわけではないことが
まずわかりました。

ためしに久々に何度かやってみましたが、
その回数をこなしている最中、わたしはまったく
生きた心地がしません。
固唾をのむ、息をこらす、という表現がふさわしく
息を吐きながら吸うみたいな緊張感があります。

誰しも横断歩道の縞々を踏まないで歩く、というような
遊びをしたことがあると思いますが、わたしの場合、
それを例にあげると、それが遊びではなく、
自分でそのルールを強制するようなものです。
「それができないと、きっと悪いことが起こる」ということを
自分で設定して、自分自身に緊張感を与えます。

この回数癖(と自分で呼んでいる癖)も似たようなもので、
「この回数~をしないと、よくないことが起こる」
という強迫観念がありました。

「よしあしの基準を自分が持っているべきだ」という
この慢性的な強迫観念は、どうやらこの頃には
持っていた癖だったように思います。


それにしても、なぜ、こんな癖をもつようになったのだろう?


とくに母親からの影響を考えると、
「自立しなさい。自分の意思を持ちなさい。自分で判断しなさい」
という言葉からの影響が強いと思います。
たとえば、自分で判断できるような年齢でも事柄でもないことでも
「自分で、自分の考えで、自分でしっかり判断しなさい」と。

ある時、「母と父、どちらを選ぶか」ということに直結する問題を
母から突きつけられたことがありました。
小学校2、3年生の頃だったと思います。

わたしはそのとき「どうしてそんな決められないことを訊くの?」と
思った記憶がうっすらありますが、その状況からわたしは
「父」を選ばざるをえなかったのです。
というのも、わたしの他の兄弟姉妹は
「母」を選ばざるをえない状況だったからです。

これは、後ほど触れたいと思っていますが、
もう一つの根深いわたしの癖にも関連していて、
こういった判断の際、そこに自分の希望や意思はなく、
つねにその判断の基準が「他人のこと」に
重きがありました。わたしが嫌だから、ではなく、
わたしがそう判断すると誰か困らないか、
誰かが嫌に思わないか、それが判断基準でした。

話を戻しますが、5歳以下ではなかったとはいえ、
どうしてそんな幼いわたしに、そんなことを言わせたのか、
そんなことを言わなければならなかったのか。
わたしが父を選ばざるをえなかったとき、母に
「お父さんがかわいそうだから」と理由を説明しましたが、
それは、とてもやるせない思いでした。

でも同時に、「ここはわたしがしっかりしなきゃ」とも
思っていました。そうしっかり判断できたわたしはエライとさえ
ちょっぴり思っていたのです。

悲しかった、という記憶はまだ思い出せません。
いや、その時はそう思う余裕もなかったように思います。
わたしは本当は甘えたかったのかもしれませんが
それも今は思い出せていません。


本当は甘えたかったんじゃないだろうか・・・


最近はこのことばかりが頭をよぎりますが
甘えたいという感情として湧き出てくることなく、
それが叶えられなかったことの「反動としての妄想」に
とりつかれることが、以前から度々あります。

先日たまたま、戦時下にある国の生活を写した
モノクロの写真集を見ていて、そこに、
授乳している母親と子どもの姿がありました。

わたしはこの写真から目が離せませんでした。
魅力的な写真でした。


「いいなあ」と思いました。


その子がいいなあ、と思ったというよりも、
どこかその写真の女性とわたしを重ねている自分がいました。
甘えさせてあげたい、ほら、たくさん飲んでね・・・という声が
自分のなかから聞こえてくるようでした。

甘えたいの?甘えさせてあげたいの?

わからないけれど、その一人二役をわたしが
自分でやっている妄想なのかも。
妄想で自己完結して、でもそれは満たされることなく
不満は残留し、その欲求は決して消えることがない。

おそらくわたしが行ってきた「内職」も、
その妄想の延長線上にあって、この妄想という監獄だけが
「これこそ自分がやりたいこと」と錯覚させてまで
生きのびてきた、そういう籠だったのかもしれません。


・・・ ・・・


「よしあしの基準を自分が持っているべきだ」という癖から
不満を掘りはじめてみたのですが、なかなか難しいです。

不満の反動、不満の解消、不満の正当化だけで
生きているようなわたしなんだから、不満だらけだろう、
見つからないわけがない、と思って着手してみたのですが、
「そもそもの姿勢が不満の反動」だったりするので、
手ごわいと感じています。

たとえば、「不満を解消してくれ!」「この怒りを何とかしてくれ!」
という声が聞こえてくると、その声の発信地が
不満や怒りの在り処だろうと思ってしまうのですが、
そう叫んでいるヤツはつねに厄介な野郎で、さらに、
その声に応答して「はい、わかりました。なんとかしましょう」という声も
実はワンセットのヤツ、一人二役をやっている妄想野郎です。

これは、わたしが数十年の間、
ずっと繰り返してきた思考パターンです。

過去を振り返ってみても、この思考パターンが
出来ることといったら、おそらくたった一つで、
「今のこの状態でしかたがない」という証明以外、
何ひとつ出来た試しがありません。

証明方法がリニューアルされるくらいですので
事態そのものは変化したことがありません。
というのも、この「なんとかしてくれ」「了解」という一人二役の
妄想野郎は、事態を変化させたいのではなくて、むしろ
「変化させないようにするには、どう今でいいのか、今のままで大丈夫か」
そればかりを馬鹿の一つ覚えみたいに説得する、
つじつまをあわせる、なんとか済まそうとする、
つまり、自分を納得させて一時だけ安心させてはくれましたが
本当にいつも「一時」だけでした。

気がつくとまたこれでいいのか、よくないのか、
そういうことを考えはじめては落ち着かなくなります。
(これ自体、よしあしの基準を自分で持っていなきゃいけない、
という強迫観念の出番でした)
考えてみれば、不満や怒りをそのまま保留にして
目をそらさせているだけだろうから、そりゃそうだ、と
頭では思いますが、このあたりは、もっとこれから、
実際に不満と怒りを直接掘っていきたいと思います。

「不満を掘り始める」と一言でいっても、
どうやったら不満や怒りを解消することができるか、
分析することができるか、ではなくて、
「なぜ不満なのか」「なぜ怒っているのか」というふうに
問いかけ自体を変えてみようと思っています。


・・・ ・・・


もう一つの癖も見つけたので、続けて
書いてみたいと思います。


「他の人のことなのに、それを〝自分がやりたいこと〟にすりかえる癖」


報告書を読み返してみても、たとえば、
「嫌なときはNOと言える、そういう家庭環境でした」と
自分で書いていますが、一方で、我慢も抑圧も
「他の人のことなら」「他者のためなら」「他の人から頼まれたら」
なんでもかんでも「いいよ」と答えてしまいます、
と書いています。

つまり、自分自身が嫌だと感じていても
他人から頼まれたりすれば、滅多なことでは
NOと言うことはなかった、ということです。
実際、その通りでしたし、今もそうです。

わたしはこれは必要悪のような意味で、
必要忍耐だと思っていたのですが、これこそ我慢や抑圧
そのものだったのではないだろうか。

この必要忍耐とやら、思い起こすと、
わたしが他人に苛立ちを示すときは
他者から見ると、きっとおかしな時ばかりでした。

わたしが苛立ったり、不条理だ、おかしい、と取り乱すときは、
必ず「私自身の話」ではないのです。
「あなたのために言っているのにどうしてわからないんだ」とか
「他の人が迷惑するでしょ」とか、
つねに他人のことでした。

端から見たら、「この人、何が不満なんだろう」と
思ったと思いますが、わたしは他人のためになっていないことや、
そういう事態につながりそうな構造、そういうことに対して
憤りを感じてばかりいました。これではまるで、わたしの母、
「自立しなさい」と他者に強いては、それが叶わないと嘆いばかりいて
ため息をついているのと同じです。

生理的な苦痛を除けば、わたしが嫌というふうに思うことの多くは
「他者のためになっていないとわたしが思いこんでいる言動」を
わたしがとりたくない、ということでした。

ここに自己犠牲がないわけがありません。
他者のため、とわたしが判断したら、自分のことは
二の次三の次・・・と抑圧を率先して自ら
受けようとしているわけですから。

母と父、どちらを選ぶか?という選択に迫られたときも
わたしはまず、わたしが行動を選択することで、
誰が一番傷つくか、そればかりを考えました。
ここに「わたしは寂しい」とか「わたしは嫌だ」とか
「やめてほしい」とか「どうしてそんなこと訊くの?」とか
そういう選択肢が思い浮かばなかったのです。

この場ではとりあえず父を選んでおくことが
誰にも傷つかないと判断しました。
その「誰にも」の中には、もちろん自分はいません。
自分「以外」の家族です。

わたしはどこかでこういった、いっけん利他的のように見えるもの
への関心は、ここ10数年間のことだろう、と思っていましたが、
記憶をさかのぼっていくと、少なくとも、小学校にあがる頃には
十分、そういう傾向がありました。
「Abyは自分勝手で、まわりのことなんて何にも考えないで
本当にマイペースだった」ということばかりきかされてきたので
てっきり、そういう子どもだったと思いこんできました。

この「自分勝手」というレッテルが、わたしに
「自分勝手であってはいけない」という思いを
持たせたように思います。わがままを言ってはいけない、と。
(そういえば、よく父は、他人に負担をかけないわがままは
わがままじゃないからいいとか、よくわからないことを
よく言っていましたのを思い出しました。)

先ほどの回数癖だって、よしあしの基準を「自分で」
持たなければいけない、というのは、きっと幼いわたしには
負担だったのではないだろうか。
よしあしの基準など、父と母、どちらかを選ぶか?という
その選択自体の理不尽さの前では、どうやって子どものわたしが
「自分の基準」として持ちえただろうか?

「どうしてそういうこと訊くの?そんなこと訊かないでよ。
なんで一緒にいられないの?お母さんと一緒にいたいよ。
行かないで、帰ってきて」

わたしはそのとき、そう言えなかった。

なんでそう言わなかったのだろう・・・感情がついてこない。
わたしは悲しかったのか?それとも怒っていたのか?
ただ覚えているのは、その会話をしたときの場所、少しの会話内容、
そして母の心配そうな様子。その様子は、子どものわたしには
直視するのが難しい、やるせない、そういった嫌な「間」でした。
わたしが罪悪感を抱くのは、きまって大人を戸惑わせてしまったり、
大人が堂々といられないような状況にわたしの言動のせいで
わざとでなくても追いやってしまった時でした。

だからわたしはいつも先回りして、大人が迷わないように、
大人がへんな遠慮をしないように、大人が子どもに
気遣いをしないように、できる限りの配慮をしました。

わたしはいつも「大丈夫だよ」と
答えていました。

場合によっては、「そんなことより自分のことを心配しろ」と
悪態をついてまで、わたしに目を向けないように仕向けました。
「自分のことは別にいい」と斜に構えた上から目線の
エラそうなその態度は、わりと小さい頃からあったと思う。
(その嫌な感じのまま、大人になり、今に至っています)

おそらく、あのような回数癖も、なんとか今の状態が
「しかたがない、これでいいんだ、これで大丈夫だ」と
この事態がよしであれ、あしであれ、わたし自身が
「自分で」その基準を持つために、なんとか編み出した
自衛手段だったに違いない。

自分で責任を負えるはずのないような、
自分で決めることができるはずもないような、
そういうことも、自分で決めなければならないときに、
「これでいい、これでしかたがない」と自分に言いきかせるための、
苦肉の策だったと思います。

「何回これをすれば大丈夫」というこの儀式は、
これをしなかったら生きてはいけないような、
恐怖感もありました。
まるでロシアンルーレットのように回数をこなす(引き金をひく)までは
心臓と喉元で息を殺しているかのようで、
これは今試しにやってみても、同じ感じ、喉と胸の間に
何かがつまるような、数え終えると、血の気がスッーと
ひいていくような、そんな感じです。

わたしは幼い頃、たしかに両親がいうように
自由気ままに振舞っていた子どもだったという側面も
あったとは思います。思い返してみても、
決まったことをなぞるより、白紙のうえに何かを
つくったり、考えたりするのが大好きでした。
ただ、それに対して「自分勝手、マイペース、
自分のことばかり、まわりのことは無関心、社交的でない」
という評価が、その後のわたしに大きな影響を
与えたのだと思います。

悪意で言っていたとは記憶していませんが、
これとセットに「Abyは本当に手がかかった」と
言われてばかりでしたから、影響がないわけがありません。


「Abyは不器用だからしかたがないけれど、
本当は、自分勝手はよくないんだよ」


という思いこみが、わたしの中にある。

よくないんだよ、とは言われなかったと思うけれど、
わたしはそう思いこんでいる。
そんなことない、と思っているわたしもいるのですが、
同時に、そう思っているわたしも消えない。

他人には「自分勝手でいいんだよ、わがままでいいんだよ」と
わたしは言ってきました。でも、自分自身だけは例外でした。

自分勝手な行動を抑圧して、それを自分で押さえこんだ不満は
その反動の正当化として、わたしは、
「他人のためにやる」「他人のことをやる」
という方向に考え方をシフトさせていきました。

でもいくら考え方をシフトしても、自由奔放に振舞いたい、
暴れたい自分がつねにいたので、他人のためにやること、
他人のことをやることそれ自体は、決して、好きなことでは
なかったでしょうから、わたしが快と感じられる「別なこと」
と抱き合わせで、「他の人のこと」に従事するようになりました。

たとえばわたしの内職がそうでした。

「わたしは女性と一緒にいるのが好きだから
そういう内職をしよう、なんといっても他者のためにもなるし。
他人のことをするって、とても素敵なこと、楽しいことだよ」
といった問題のすりかえ。取り繕い。

「他の人のことをやること」を、まるで自分が望んで
やっていることかのように読みかえている。
逆にいえば、その「快と感じられること」が無くなったら、
一転して、苦痛の時間に変わる。

先日、まさにそのようなことがありました。

快と感じられるものがないと思った瞬間、
「なんで他の人のことなんてやってるんだろう」と
露骨に態度に出してしまった。

今までこんなことはしたことがなかった。

おそらく相手は気づかなかったと思いますが、
作り笑顔さえできず、次第に目がすわっていく感じで、
自分自身、驚いてしまった。
なんだかその時は、自分の身体が自分の身体でないような
ただの肉の塊のように思えて、手も足も動かせなかった。


わたしは他の人のことなんてしたくなかったんだ・・・


なのに、どうして、ずっとこういうことばかりしているんだろう?
考えてみると、必ず、それと抱き合わせに、妄想だろうがなんだろうが
なんとかそれをまぎらわすための「快」を
不満解消の手段として利用していました。

わたしは利用した「快」の対象に対して、
どこか罪悪感を抱いていました。その罪悪感から逃げるように、
「他人のためにやるのが好きだから、他人のことをしているんだよ」と
すりかえて、自分自身を納得させていました。

このすりかえの方法には、しばしば
自分の趣味が利用されてきましたが、
こと、性に関連する事柄を利用していることに
強く罪悪感を抱いていたために、どこかわたしは異常ではないか、
と思っていたわけですが、そんなことよりも、
もっと考えるべきだったのは、それを不満の反動、
不満の解決手段として、

「やりたくもないことを、やりたいことに読みかえていた」

という自分の手口こそ、根深い問題があるように思います。


◇ ◇ ◇


今回、初回判定依頼文を再読してみて
二つの癖を見つけたことから、その癖はいったい
どんな不満の反動、不満の正当化あるいは解消手段だったのか、
考えてみました。

もっと一つ一つ丁寧に、じっくり記憶を辿り、細かいところまで
思い出して、感情を掘り出してから書こうと思っていましたが
いったん、ここでノートします。

不満や怒りというのも、今の時点ではまだ
違和感どまりです。
不満や怒り自体は感情からくるものと思いますが、やはり、
「不満を解消してくれ!」「怒りを抑えてくれ!」と叫んでいるヤツの所に
感情があるようには思えません。

その叫び声に対して、そうだね、たいへんだ、なんとかしきゃ、
としているわたし、一人二役のコイツも
どうかしています。

なぜ解消したり、おさえたりしなきゃいけないの?

この「わたしがなんとかしなきゃいけない」という強迫観念こそ、
どこかで「よしあしの基準を自分で持っているべきだ」という
へんな癖の延長線上にあるように思う。

「どうしてわたしがなんとかしなきゃならんのよ」

という不満、不条理感が少しずつですが、
出てきました。

「不満や怒りを与えた人がなんとかしてくれよ」なんて
以前はそんなこと思ったことありませんでしたが、
ここ数日、そればかり思っています。

・・・わたしがその不満をなんとかしたら、
怒りをコントロールしたら、なんかしてくれるの?
今までなんかしてくれたこと、ある?
なんでわたしがあなたのためにまで何かしたり、
自分がしっかりして、これでいいとかわるいとか、どうして
言わなきゃならないの。それの、いったい何がいいの・・・

「不満を解消してくれ!」「怒りを抑えてくれ!」と叫んでいる
このヤツは、どうよく目でみても、鎮痛剤がいい程度、
「不満でいいんだよ、怒っていいんだよ」と目線をそらす
ことくらいしかできませんでした。

そういうわたしも、
そうやって他人と接してきました。

Pさんにも対してもそうです。

仕事でもそうです。

「それでいいんだよ、そう思うのはしかたがないんだよ」と、
まさにそれこそ、その人の存在をそのまま受け入れることだと
思いこんできました。


大丈夫なはずもないのに、
大丈夫だよ、と言ってきました。


そんないい加減なスタンスでなしたことといえば、
Pさんのことでいえば、Pさんがつらいまま、
そのまま、監禁していただけでした。
わたしだけが監禁されていたわけじゃありません。
監禁し、監禁される。酷い世話ごっこです。

不満の反動だらけのわたしの言動から、
まずは不満を掘り進めたい。
そして、それをなんとかしようとか、それでしかたがないとか、
それをなだめようとか、これでいいですかと自他に対して
承認を得ようとしている暇があったら、

「なぜ不満なのか」「なぜ怒っているのか」

自問を続けたいと思います。

不満や怒りがなかったことにだけは
したくありません。

「どうしてこれ以上、自分がしっかりせにゃならんのだ」
「どうしてこれ以上、他の人のことをせにゃならんのだ」
「どうしてそんなこと、わたしがしなければいけなかったの・・・」

この不満をどうするか、ではなく、
この不満の出所、感情のしっぽを見つけていきたいです。

まだ感情のしっぽの先も見えてきませんが、
なんとか思い出して、感情が湧き出るところまで
なんとか辿り着きたいです。


2013.08.07
Aby



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by jh-no-no | 2013-08-07 02:14 | 復元ノート 1

不満を掘り始める

初回自我判定から今日に至る約3ヶ月間のことを
続けて書いていこうと思います。

何を不満と感じたのか、それを細かく思い起こしていくと同時に
その不満の反動(不満解消のための手段)として
どんな言動をとってきたか、ということも
書いていくことになると思います。

復元ブログを書き進めていくうちに、
違和感という一言で済ませたくない、という思いが
強くなってきました。

違和感の前に、不満があるはずです。

不満を、それでよしとしてしまったり、さらには
不満を、自分がやりたいことにすりかえてしまったり・・・

「しかたがない」で済ませてしまうことへの違和感は、
そういうことから生じてくる感覚かもしれませんが、
違和感というだけでは、感情にまで手が届きません。

「不満」という感情に近いところまで
掘り下げたいと思っています。

まだまだそこでも、感情を掘るというところまでは
辿り着かないと思いますが、せめて今のこの分析と解説という
現状からは(これこそ「しかたがない」言い訳にしかならないので)、
たとえ半歩でも掘り下げていきたいのです。

整理が遅れてしまっているのがもどかしいのですが
まずは現在の時点まで追いついていけるように
ブログのコンテンツを整理していきます。

このページから次ページ以降、
カテゴリ「復元ノート 1」に記事を
書き連ねていく予定です。


2013.08.02
Aby



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by jh-no-no | 2013-08-02 03:19 | 復元ノート 1