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(前半)反逆の笑顔-自我復元後日記[357]

考えてみれば、私は、これまで本当に多く、
「お」の発声に、とても苦労してきた。

「お預かりいたします」の「お」。

私が、職場で最初、それに続く「あずかり」の言葉がつまり、
「お」を言い始めるのが怖くなり、「お」は連発の吃音になり、
それ以外の言葉にも影響を及ぼし、「ありがとうございます」の最初の
「あ」の言葉もなかなか出なくなる状態にまで至った。

接客に必要な言葉として、
「お確かめくださいませ」というものがある。

表面的に見える形での吃音というのは今はほぼ無いが、
何度も書いてきたように、私が自覚する吃音とは、
心理的な委縮や硬直状態のことであり、それに敏感であればあるほど、
わずかな力みですら、不快に感じるのだ。

先日も、7時間接客をし続けて、数百人の方の接客のうち、
本当に最後のお二人でのみ、といっていいほど、
私は一日、その不快と向き合っていた。

どうしても「お」と発音した時に、
生きた心地がしない感覚が生じる。
わずかでもある、その、ある、という自覚を頼りに、
克服しようと必死だった。接客を楽しみながらも、毎回が必死だった。

ただ、克服、といっても、
私にはわかっていたことが感覚としてあった。

「笑顔で言い切る」これのみだ、と。

なぜか、これはブレなかった。
これさえやり抜けば、私は本望だと思っていた。
ずっとそれは変わらなかった。
7時間、その姿勢は崩れなかったのだ。

おそらくそれは、最後のお二人のみ、と書いたけれど、
途中でも、「言えた」という達成感覚があったからだろう。
ただし、その時は、偶然、笑顔で言い切れていた、という感覚であり、
しかし、偶然であっても、これだ、という感覚が、私にとって、
わずかな頼りとして、最後まで導いていったのだ。

私は、その日、仕事が終わっても、帰り道の自転車でも繰り返し
「お確かめくださいませ」を言い続け、家についても、
トイレの中でも、寝ている間も、夢でも、目覚めても、
そのことばかり、笑顔で言う訓練、試行錯誤と考察をし続けた。

それでも結論は、「はっきりとした笑顔で言い切る」以外になく、
無数の不快の自覚の中で、私は、無数の生きた実感を確認した。

翌日に、私は、そもそも、「お」という日本語は、
どのように発音をするものだろうか?と知りたくなり、
インターネットを使って、日本語の「お」の発音を調べていた時に、
「英語びより」というサイトを見つけました。

以下の2つの記事を私は参考に、
自分なりに、自分が体感として感じたことと推論を重ね、
考察してみました。

あくまでも、私の主観的な体感感覚を基本としての考察なので、
ご紹介していただくこちらのサイトの「内容」とは違うことを
話す部分も多々ありますが、ご了承ください。

ただし、こちらのサイトが私の理解に大きな影響を及ぼすものだったこと、
また、そこに私の理解を助ける知識があったこと、また、
これを今読んでくださっている方に、これから私が書くことが
少しでも理解しやすいように助けてくれる内容だと私は思いましたので、
以下、2つの記事をリンクさせていただきした。
是非、ご覧いただければと思います。

1.母音は「あいうえお」だけじゃない?! 母音の音は無数にあるよ!
https://ipa-mania.com/vowel-countless/
2.英語の母音の発音を良くする究極の秘密……「円唇」「非円唇」
https://ipa-mania.com/round-vowel/

一つ目の記事を最初に見た時に、
私がまったく考えもしなかった一文がありました。

>日本語の母音は「あいうえお」の5つです。この「あ」と「い」と「う」と
>「え」と「お」の違いはなにかというと舌の位置です。

私は、今までずっと、その母音の音色を区別させているのは、
「口の形」だと思ってきたのです。

どちらの記事にも、「日本語の母音の発音図」というのがありますので、
そちらを見ていただけると、たとえば、舌の位置が、
「イ」→「エ」→「ウ」→「ア」→「オ」の順に、奥まるのがわかります。
それに上下も加わりますが、今回、私の考察で最も重要だったのは、
まさに、「お」の母音が、他のどの母音よりも奥まった舌の位置での発声
によって、この「お」という日本語が発音されている、という理解でした。

上下についても、私は、自分の理解と違っていたところがありました。

私は「お」というのは、舌の上下の位置は、他の母音に比べて
最も「下」だと思っていました。

国際音声記号の図もありますので、そちらを見てください。

一番右下に英語の小文字の「A」があります。
PCで表示できないので、図をご参照ください。

これは、英語でいうと、わかりやすいのが、hot(熱い)の発音です。

私の日本語の「お」はこれに近いものでした。

もう少し、やや口をすぼめているので、それとも違いますが、
私が驚いたのは、「あ」よりも舌の位置が前であることが意外だったのです。

私の場合、逆に、「あ」は、図にあるところの「a」、一番左下に近く、
正確には、それよりもやや奥、やや上の位置です。
それが、私にとっての「あ」でしたので、英語の発音では、
偶然ですが、「あ」は英語らしく聞こえる利点もあったようです。
シュワーと呼ばれる「e」を180度回転させたような発音記号が
英語にありますが、わりと得意でした。

同じく、「お」も先ほどの位置だったので、
「hot」なども、日本語っぽくなく、偶然、英語っぽく自然に言えていました。

もう一度書かせていただきますが、
今日書かせていただく内容は、私の主観的な体感に基づくもので、
こちらのサイトに書かれている内容とは食い違う、食い違うというのは、
「そういう意味ではない、そういう理解ではない」ということも、
私は書くと思います。ですので、ご紹介のサイトの内容との整合は
食い違うことがありますが、私にとって、自身の体感の理解を、
たとえ誤解の解釈だったとしても、助けとなった、という点に注目して
今日の記事を読んでいただければと思っております。

ここからが、本題に入ります。

私がまず、あれ?と思ったのは、

歌のT先生から指導を受けた時に、
こう言われて、とてもその事実にびっくりしたことがありました。
これは以前にも書いたことです。

「下の歯の裏に、軽く舌をつけたまま、すべての母音は発音できる」

ということです。

この事実と、先ほどの「舌の位置」の理解と、矛盾しました。

実は、あらかじめ、書いておきますが、
私は、これについては「誤解」して理解していた点もあった、ようです。
別なサイトでも調べてみたら、今日、わかったのですが、
舌の位置、といっても、舌のどこか、ですが、
舌先ではなく、舌のどこを盛り上げるか、舌の前後どこを盛り上げるか、
ということが書かれているサイトもあり、なるほど、と思いました。

そう考えれば、舌先は下の歯の付け根に固定していても、
音色は変化させることができるのは当然です。
だから、実際、私は、「い」の口、その笑顔の口をしたまま、
舌先を下の歯に触れるように動かしながらも、母音の音色を変えられた
わけです。

ただし、「私にとって」、
誤解だったかもしれないその理解こそ、重要でしたし、
私にとって、私の認識にとっては、それこそが、事実でした。
そのあたりをこれから書いていくつもりです。

その誤解だったかもしれない理解(だったかも、と言うのは、
私は誤解でもない部分を少なくとも含む感覚があるからです)によって、
私は、こう考えました。

「下の歯の裏に、軽く舌をつけたまま、すべての母音は発音できる」
という事実と、舌の位置(その定義は曖昧なまま、感覚的でしたし、
それで問題ないと思います)によって母音の音色が変わる、という事実、
どちらもやってみて事実と思えることを、私は、こう理解することで、
とても納得いったのです。

それは、

「口の形を変える、というのは、口(唇)の前後を変化させることだ」

というふうに、やってみて納得したんです。

ためしに読者の方にもやってほしいことがあります。

日本語の母音の発音図に基づくと、先ほど書いたように、
「イ」→「エ」→「ウ」→「ア」→「オ」の順に、舌は奥まるわけですが、
では、手のひらを自分の口にあてながら、その順で言ってみてください。

逆に前に出てきませんか?

人によっては、「ウ(う)」の時に、ぐっと前に出る方も
いるかもしれませんが、これについても、上記二つ目のサイトに
「ウシ」を例にわかりやすく書かれていますが、今は、
口をすぼめない「非円唇母音」でやってみてください。

敏感な差なのでわかりにくいかもしれませんが、
少なくとも、「い」と「お」で動きが逆になる人はいないのではないか、
と思います。

今日のタイトルは、反逆の笑顔、「反逆」とありますが、
私が今回、行き着いた、というか、実際、昨日、仕事で
ずっと貫いたのは、まさに、「い」と「お」の前後を逆にしてみる、
というものだったのです。

今日は、それがテーマです。

手のひらを唇にあてて、ためしに、「い」、「お」の順で発音した時、
「い」よりも「お」の時のほうが、手のひらが「顔に近づく」ように
がんばってやってみてください。

私の実感では、これがやれるのは、

「もっと上の歯の奥を見せるほどに、より「い」の口をするように
もっと口を横に広げる」

というものでした。

「い」の口とは、笑顔の口です。

それを、もっと笑顔の口、より「い」、「いー」の口にするんです。

なぜ、ここに至り、なぜ、そこまでして
頭で考えなくとも、私の身体はそれをしようと必死だったのか、
そのことを、書いていきます。

さて、話を少し戻します。

「口の形を変える、というのは、口(唇)の前後を変化させることだ」

つまり、舌先を下の歯につけたまま、そう、私はこの時点では、
これでは舌自体は前後、動いていない、と理解していて、
ここに、「舌のどこを盛り上げているか」という認識は
ほとんどありませんでした。ほとんど、というのは、
なんとなくは思っていたのは、舌の前後とは、舌先では実際はないな、
という体感はあったからです。舌の真ん中らへん、という感覚があり、
今日になっては思うのですが、舌先を下の歯の付け根に固定し、
舌を前後に動かそうとすると、そういった感覚になり、
では実際、何が起きているかといえば、舌の前後、どこを盛り上げて
いるのか、そのトップの位置の移りようであることがわかります。

ただ、先日は、そこはわかりませんでしたし、
わかっていないまま推論したことが、私にとっては重要でした。
くどいですが、大事な「誤解」なので、何度か書きます。

私は、こう理解、たとえ、それが誤解であっても
理解していきました。

唇を前後させる(口の位置を横から見ると突き出したり、引っ込めたり
する)ことで、

「相対的に、舌の位置が前後しているんだ」

と、すごく、納得がいったのです。

先ほど、皆さんにやっていただいたやつです。
「イ」→「エ」→「ウ」→「ア」→「オ」の順に、
舌が奥まるわけですが、唇はそれとは逆に、前に突き出していきます。

私はそれをやってみた時に、
ああ、相対的に、舌は動いている、ということなんだ。
だから、T先生の指導のように、舌先を固定しても(私にとって
それは舌の位置は前後変えない、という理解だったんです)
舌が前後している、ということに「実質」なるんだ、と納得しました。

さて、話が複雑なのですが、
私の「お」の発音時のことに、今度は話がなります。

私は、とにかく笑顔で言おう、と思って接客をし、
「お確かめください」を言おうとしていました。
そこで、まず直面したこと、そして、ずっと悩まされたのは、
「い」の口をしながら、つまり笑顔の口をしながら、これを言うと、
「ア(あ)確かめくださいませ」に近い音になってしまったことでした。

それを、できるだけ「お」に近づけたい、そう思って
私は7時間、がんばっていたんですね。

そうすると、どうなると思いますか?

舌の前後の話を思い出してください。

「お」に近づけたい意思が起こると、どうしても、
舌先が下の歯から離れて、奥まろうとしてしまうんです。
あ、と区別させようとするためです。

私は、この「奥まる感覚」がとっても不快なんです。

なぜなら、「私の場合」、奥まるという舌の位置のその感覚、
身体感覚は、「力み」と直結、連動するからなんです。

この感覚は、こう書いて伝えることができます。

首にぎゅっと力を入れてください。

そのした瞬間、こぶのように盛り上がる箇所があります。

「下あご」です。

あご先の硬い骨があるところから、首のほうへなぞっていくと、
下あごの柔らかいところがありますよね。

脱力している状態ならそこは柔らかいですが、
ぎゅっと首に力を入れると、そこがこぶのように硬くなり
下方に隆起します。

結果、舌根に力が入ります。

そうなると、舌全体が「奥まります」。

私は、言ってみれば、
「それを常態として」今まで生きてきた、といっても
過言ではありません。

だから、舌先など、下の歯の付け根になどついているなど、
私は「それが普通にリラックスした状態」とT先生に言われて
驚いたわけです。

前に書きましたが、「い、って愛美さんは言えますか」と言われ、
それがとても奥まった曖昧な暗い音色の「い」だったことに気づき、
今は、「い」や「え」こそ、むしろ奥まらない、こもらない音であることは
理解していますが、当時は、私は、普通なら、明るい音色になるはずの
(=奥まらない、こもらない音色のはずの)「い」や「え」ですら、
私は、舌根が緊張し、力んでいたんです。

このような身体的な「傷跡」は、これまで書いてきたように、
毒親による身体的虐待による、とても見えにくいあざ、委縮、硬直
という筋肉に損傷を与える傷なのですが、かつて、ブログにも書いたように
私は、一時期、チックの症状や、首の骨を鳴らすような癖がありました。
これは、首に極度の緊張、こわばりがある証拠です。

ここは詳しくは今日はあらためて書きませんが、
首、咽頭の位置に意識が「上がってしまう」というのは、
不安な状況の中では、とても、苦しいものです。

頭(脳の中心)の位置からいえば、下がることになり、
おなか(丹田)の位置からいえば、上がることになり、
その位置は、喉であり、胸であり、その中間あたりです。

その胸あたりに、安心していられないのでなければ、
生きた心地がしていない状態、それこそ、まわりがすべて敵で
身構えてしまっている委縮、硬直状態だと私は思っていますが、
この話は、今日は、ここまでにしましょう。

さて、少し話を戻しますが、
逆にいえば、私は、この硬直状態があまりに「常態」だったため、
違和感、不快感それ自体が麻痺していた、と言えます。
なにせ、「い」や「え」の母音すら、舌根は力み、奥まり、
こもるような音で声を出していたのですから。

そして、今回、私は、こう理解を進めていきました。

「本来なら、もっと口を動かして、それで音色を変えられたのに、
私は、その不快に自覚が無かったこともあって、常時、奥まりぎみの舌を
さらに奥まらせていくことで、言語を区別、言葉を話していたんだ」と。

だから、私は、今回、職場でも、
次のようにしていくこともできたんです。
実際、してみたりはしていました。

それは、「お」の時に、笑顔の口にこだわらず、
口を思いっきり突き出すように言えばいい、と。

ただ、それは、そう簡単には解決しない問題でした。

たしかにその通りで、力んでいなければ、
それでちゃんと「お」になります。

ただ、力みの舌のその癖、反応というのは強固なんです。

口を突き出せばいいだけなのに、
あわせて、舌先もひっこめてしまうんです。
わずかでも、ひっこめてしまう。
リラックスしている最初はよくても、何時間もやっていくうちに、
その力みは、表面化してきます。

話がそれますが、レジで何時間も同じ言葉を言い、やり続ける、
というのは、症状を表面化させるのに役立ちました。
私の経験では、数十分なら、何も考えず、リラックスして
言語を話せます。しかし、それをこえ、数時間に至ると、
身体に植えつけられた癖から自由であり続けるのは
至難なことだ、といつも感じてきました。でも、逆にいえば、
だからこそ、無自覚な癖を暴いていくこともできたわけです。

さて、

なぜ、私が「笑顔の口」にこれほどまでに、
頭で考えるでもなく、身体への自然な欲求ともいえるほどに
それに関心を持ち続け、その「い」の口を徹底したいと思っていたかが、
これでよくわかってきたんです。

おわかりでしょうか?

先ほどから書いているように、「い」の口は、
私の理解では、唇の位置が最も顔に近い位置にあります。

これはどういうことを意味するか、というと、
こうすることで、

「これ以上、舌が奥まらない状態を作っている」

ということを、私は自覚なくとも、してきたんだと思います。

やってみてください。

「い」の口だと、「お」のように前に口を出した状態とは違い、
舌をこれ以上、後ろにさせにくいはずです。
それは当たり前で、下がる余地が後者より無くなっているからです。

先日も、「お」の発音をするだけを考えよう、とするのなら、
口を突き出せばいい、それでも舌が力むのなら、前にも書いたように、
最初の音は小さくてもよく、ちょこんと舌先を下の歯に落とすように
楽に動かせていけばいいんだ・・・そう、仕事中、何度も考えました。

でも、それは納得がいかなかったんです。

というか、やっても、出来ませんでした。
どうしても、表面的にやれても、舌の内部で起こっているかのような
前後の「綱引き状態」の感覚、一見、静止していても、本当は
逆への力が働き合っていて、安心できていない感覚がありました。

ところが、笑顔の口でこれをやり遂げよう、なんとか「お」と言おう、
としてみますと、たとえ「あ」のように聞こえても、また、
そこに、「ある種、別の綱引き状態」があっても、
「嫌」に感じないんです。

それは、感覚としては、こう私は感じていました。

笑顔は保てた、と。

自我復元はつねにそうですが、崩残さんもよく言っていたことですが、
「何を言っているか」ではなく、「何が言っているのか」が問題なんです。
私のブログもいつもそうです。どういう内容を書いているのか、ではなく、
それを誰、誰がとは「何が」、どんな主体の在り様、姿勢がそれを
言っているのか、書いているのか、それが、本人にとって重要なんです。

笑顔が崩れたら、崩れた、というか、崩されたのなら、
どんなに「お」が言えても、私は嫌だった。

笑顔が崩れる、というのは、恐怖心だからだ。

お確かめくださいませ、と言う時は、たいてい、
レシートにお釣り銭をのせて、渡す時が多い。
その際に、私が相手を見るのは構わないけれど、
相手が私をちらっと見たりすると、私は反射的に顔をそむけたくなる癖が
ある。というのは、どこかで、本来ならお釣り銭をお返ししている時は、
それをのせた手を双方が見ていればいいのに、私をちらっと見るのは、
何か相手が私のことを「へん」に思っているからではないか、と
咄嗟に思う癖があるからだ。

だから、そこで相手が私のほうを見ると、目をそらしてしまう。
頭ではそうしなくてもいい、より笑顔で相手に微笑み返すくらいでいい、
と思っているのだけれど、出来ないことが多々ある。

いずれにしても、それは、
私の顔色を伺う癖の名残りであり、この前書いたように、
AC人格というのは、ことごとく、笑顔を奪われた人格なのだ。

結果、口角がさがる。

笑顔が崩れると、何が起こるかというと、
「い」の口、その笑顔の口に対して、
「にやついてるんじゃねえよ」と言われて、真顔になるような顔になる。
これは、「調子にのってんじゃねえ」と言われて、笑顔が消されるのと
同じだ。生きた心地がせず、私のトラウマの震源地だった。

その顔、口になると、当然、舌を奥まらせる「空間(余地)」が
口に中にできる。すると、待ってましたとばかりに、
舌は奥まり、舌根に力も入り、首に力が入る。
そのプロセスは、ルートは逆かもしれないが、連動した一連の
力みの発生プロセスだ。

丸裸にされる感覚だ。

先にも書いたけれど、丸裸、というのは、
安心した関係の中では、より温かく、安心した時間になる。
だけれど、脅迫的な関係の中にあれば、それは恐怖でしかない。
胸近辺という意識の中枢は、そういう、とても敏感な位置なのだろう。

また少し話を戻していきますが、
私は「い」の口をすることで、これ以上、舌が奥まらないように、
そうしたかったんだと思う。

加えて、笑顔の脱力効果として、もう一つ、
書いておきたいことがある。

やってみていただきたいのですが、
先ほどのように、首に力を入れて、下あごにこぶが隆起するくらいに、
力んでみてください。

そしたら、そこで、そのままの状態で、
無理にでもなんでもいいので、ぎゅっと笑顔を大げさに
作ってみてください。目をぎゅっと細めるくらい、わざとらしく
「にこ~」ってします。

こぶが消えませんでしたか?

笑顔を作るというのは、私の推測と体感では、
舌根に力を入れることから、遠ざけてくれます。
たぶん、笑顔の顔、その思いっきりの「い」の口では、
それ以上、舌が奥まらせることができにくいからです。
もちろん、やろうと思えば、笑顔でも舌根や首に力を入れられますが、
大事なことは、力みというのは、相対的な感覚として初めて
自覚される感覚だということです。

わかりやすく言えば、「より」舌を引っ込めよう、とする時、した時、
力みの不快感の「変位」を感じることができます。
ですから、わずかでも、舌を引っ込めよう、と私がすれば、
そこに力みの不快感が生じるのです。



・・・『(後半)反逆の笑顔-自我復元後日記[358]』に続きます。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html


◆初めてこのブログを読んでくださった方へ◆

私のこのブログの過去の記事のなかに
こんな記事もありますので、よかったらご覧ください。
長めの記事ですが、私が一番読んでほしい記事です。
私の特技は、ぬいぐるみとお話しができること、です。

1.「(前半)明るい声-自我復元後日記[338]」
http://mmjhb11.exblog.jp/24673881/
2.「(後半)明るい声-自我復元後日記[339]」
http://mmjhb11.exblog.jp/24673914/



2017.7.18
愛美

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by jh-no-no | 2017-07-18 20:29 | 愛美通信☆メトロノート


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